『碧海の都アレトゥーザ』 路地裏の鼠たち

2017.11.20(12:20)

 路地裏のすえた匂いを嗅ぐのは久しぶりだった。
 
 眠そうに欠伸をしながら、路地裏を歩くレベッカである。
 一見のんびりとだらけた歩調だが、石畳に全く足音が響かない。
 路地の間から怪訝そうに見ていた者たちは、レベッカのそれに気付くと納得したように去って行った。
 
 これだけの大きな都市で、暗い路地裏を歩けば高い確率で引ったくりやスリに会う。
 
 …普通ならば。
 
 レベッカの歩き方は符丁である。
 私は同類だから襲うな、という。
 
 路地裏は多くの場合、貧民や裏社会の領域である。
 そこに一般人が入ってくることを、社会の歪(ひずみ)に生きる人間たちは嫌う。
 大げさに引ったくりやスリをしてひどい目にあわせ、よそ者から自分たちが活動する領域を守るのことは、レベッカが駆け出しの頃に手伝わされた仕事だった。
 
 大きな都市では、下層の役人たちと犯罪組織は繋がっている。
 奪ったお金や荷物は役人が取り戻したことにして、少しだけ授業料を貰い、返す。
 一度路地裏で酷い目に遭ってその危険性を知ったなら、普通の人間はもうやって来ない。
 あとは適当に強姦だの殺人だのがあったのだと、役人やかたぎとして社会に潜っている組織の人間を使って大げさな噂をばらまけば、近寄る者はさらに少なくなるのだ。
 
 路地裏や地下は彼ら…盗賊たちのホームグラウンドなのである。
 
 
 そこには年老いた乞食が1人、ぼろきれを敷き、前に物乞いをするための鉢を置いて座っていた。
 通りからはずれた、危険なこの路地裏で、である。
 
「美しいお方、どうぞ哀れな私に恵みを下され…」
 
 レベッカは銀貨を三枚、身をかがめて鉢の中にそっと入れた。
 硬貨がちゃりん、と小気味よい音を立てる。
 
「ねえ、おじいさん…
 この辺りに『鼠の巣』はある?
 
 前にリューンで〈私みたいな猫〉とじゃれてた奴、〈逃げた鼠〉を追って来た〈蛇〉みたいなファビオっていう〈鼠〉を探しているの。
 
 確かこの辺りで〈遊んでいる〉と思うんだけど」
 
 あえて判りやすく使う隠語。
 都市毎に違うそれは、違う都市から来た盗賊は場合によっては素人でも通じるように砕いて言う。
 回りくどくても隠語を使える人間であることを伝え、同類であることを確認するのだ。
 
 『鼠の巣』とは盗賊ギルドや盗賊たちが集まる場所である。
 〈私みたいな猫〉とはスリをやってた自分という意味、〈逃げた鼠〉は逃亡した盗賊、〈蛇〉は暗殺者や刺客の意、〈鼠〉は盗賊、特に情報屋のこと。
 〈猫〉は媚びてすり寄る、つまり身体を密着させてかっさらいもやるからスリ。
 〈鼠〉は不潔な場所にいる汚い仕事おする、屋根裏に潜んで話を聞いている情報屋。
 〈蛇〉は音もなく忍び寄り、冷血さと冷たい瞳で獲物を狩る暗殺者、といったイメージからこのように呼ばれる。
 〈遊んでいる〉とは潜伏するとか生活するという意味だ。

「ねえ、おじいさん…
 この辺りに盗賊ギルドはある?
 
 前にリューンで私がスリだったころ組んだことがある、逃げた盗賊を始末に来たファビオっていう盗賊を探しているの。
 
 このあたりにいると思うのだけど」
 
 レベッカはそのようなことを言っているのだ。
 銀貨を三枚をかがんで置くというのは礼は尽くすし、悪さはしない、ここのやり方やルールは守るという、下出に出ている挨拶の仕方だ。
 さらには、屈んでそっと銀貨を鉢に入れたことも、レベッカなりの気配りがあることを暗に伝えていた。
 
 乞食の真似をするギルドの構成員には、幹部クラスが混じっていることもある。
 監視や内情を探るために、あえてそういったことをする場合も多いのだ。
 
 レベッカの先輩に、かつて娼婦をしながらギルドにも属していた凄腕の女盗賊がいる。
 その女盗賊は、暗殺から侵入まで完璧にこなした最上級の盗賊で、レベッカと同じく野に下って冒険者となっていた。
 レベッカが行う緻密な盗賊の作法は、“黒い雌豹”と呼ばれたその女盗賊に学んだものが多い。
 技術の師であり育ての親でもあったとある人物と同じく、尊敬する大盗賊だった。
 
 プロフェッショナルを自覚する盗賊は、時に一般的では卑しいとされる行為をあえて行える図太さが必要だ。
 そして、好き好んでそんな仕事をする者はまずいない。
 だから、そういった職業にも配慮と敬意を払う繊細さも必要なのだ。
  
「おお、ありがたい。
 
 あっちで〈神様〉が見ておられますぞ…
 
 跪いて〈祈り〉なされ。
 
 〈鼠〉もきっと喜びますぞ、〈巣〉に連れて行ってくれるぐらいにのう。
 ほほ、ほ」
 
 レベッカは教会に続く道を指しそれをくいくいと回す乞食の指の動きをしっかり確認すると、ありがとね、とさらに二枚銀貨を鉢に入れ、乞食が指差した方角へ歩いていった。
 
(教会近くの入り口にいて、門番やってるのか。
 
 でもさすがはファビオが入ってる組織の〈庭〉(縄張り)ね。
 行き届いているわ)
 
 レベッカは、ここの人間たちが盗賊ギルドと関わりが深いことを知って、古巣に戻ってきたような緊張と安堵を覚えていた。
 
 
 教会近くの路地の入り口で、隻眼の目つきの悪い男が立ち、壁に寄りかかっている。
 レベッカはスタスタと突然足音を立てて歩き、男に思いっきり大げさに跪いて手を組んで祈るような動作を行い、男を見上げてウインクして見せる。
 
「…レベッカ?
 レベッカなのか?」
 
 立っていた男は一瞬ぽかんとして、すぐに口元を緩ませた。
 
「お久しぶりね、ファビオ。
 でも、私たちが拝むのはお宝だけで充分よ。
 
 今のやつ(符丁)は悪趣味だわ」
 
 そういうと2人は旧友がするように抱き合って、互いの背と肩を軽く叩き合った。
 
「ここだけの話、うちのボスは人使いが荒くてな。
 
 こんな抹香臭いところで、〈豚〉や〈羊〉が迷い込まないように番をさせられる連中の身になってほしいぜ」
 
 〈豚〉は意地汚い人間(何でも食べるので)、〈羊〉はお人好しの人間で、特に聖北教会の信者のこと。
 ともに一般人のことである。
 
 このように符丁や合言葉をそれとなく混ぜると、盗賊が一般人に会話を理解されることはめったにない。
 本来なら、周りに他人がいればもっと難しい暗号や隠語を用いて話すのであるが。
 
 ファビオとレベッカに呼ばれた男は、近くに立っていた男に目配せすると、レベッカに「ついて来いよ」と合図した。
 
 路地を抜けた先、薄暗い路地の奥にあるつぶれそうな酒場の地下。
 アレトゥーザの盗賊ギルドはそんなところにあった。
 
 敵対組織や繋がった官憲の裏切りで、場所はいつ移動するかわからないのだが。
 
「懐かしいな、レベッカ。
 
 昨日の〈風〉(冒険者・流れ者)に、雌の〈穴熊〉(遺跡を中心に活動する盗賊)が紛れてたって話だったが、おまえだったのか」
 
 ファビオは席に着くと、下っ端にエールとつまみを持ってこさせる。
 
「感心しないわね…
 
 仕事には生真面目なあんたが、昔なじみが来たからって、昼間からエール?」
 
 レベッカは似合わないわよ、と吹き出した。
 
「まさか。
 こいつは昔馴染みの、おまえに対する俺からの奢りさ。
 俺はやらないけどな。
 
 昔のことだが、リューンじゃ世話になったからよ。
 ま、代わりといっちゃなんだが、ここで何か〈食材〉(情報を表す隠語の一つ)がいるときは俺に声をかけてくれ」
 
 こうやってコネをつくり、貸し借りをつくり、関係を広げる行動は盗賊にとって当然の行いだった。
 一歩進めば裏切りと報復の世界だからこそ、盗賊ギルドやその盗賊は義理や掟を大切にし、横のネットワークの作成に余念が無い。
 そして仲間をとても重んじるのだ。
 
「まぁ、いいでしょ。
 
 今日は挨拶を兼ねて、寄らせてもらったわ。
 
 私も、仕入れたネタで面白そうなのや新鮮なのは譲ってあげる。
 うちの家計、今とっても貧しいから、その情報でとりあえず〈税〉は勘弁してちょうだい」
 
 本来、他所者が盗賊ギルドに近づくにはそれなりの贈り物が必要になる。
 多くの場合金銭だが、優秀な盗賊はレベッカのように情報を売ってそれを代わりにする場合も多い。
 
 盗賊にとって情報は金を生む。
 また彼らが生き残るために大切である。
 盗賊ギルドの膨大な情報網は、これらの小さな情報収集から始まるのだ。
 
 ファビオは、レベッカが二つ三つ伝えた情報に満足した顔をし、後ろにいた男になにやら話していた。
 おそらくはこのギルドへの贈り物としてレベッカがもたらした情報を皆に伝え、彼女がこのギルドの馴染みになったと広めるためだろう。

「悪いわね。
 
 この巣穴に落ち着くわけにはいかないけど、ここ都市はなかなか好い場所にあるから南海の拠点にするつもりよ。
 
 こっちで仕事するときは、『悠久の風亭』て宿を使うわ。
 
 うちの連中を知ってるみたいだから、フォローはしてやってね。
 私もここは贔屓にするし、あんたの顔を立てるつもりだから」

 これでレベッカの仲間に関しても手出しはしない、ということになるはずだ。冒険者がスラムなどで盗賊に襲われることは少ない。襲う側が手痛い反撃を受けるし、こうやって仲間の盗賊が地元の盗賊ギルドに面通しをして未然に防いでいることが多いからである。 
 
 『悠久の風亭』の名を聞いたとき、何故か渋い顔をしたが、ファビオはレベッカの応えに首肯し、てそれでいいぜ、と言った。
 
 レベッカとファビオは、昔リューンで協力して仕事をしたことがある。
 
 当時、スリたちのリーダーをしながらリューンの一地区をギルドから任されていたレベッカは、若いながら優秀な盗賊として期待されていた。
 そして、ファビオはアレトゥーザの当時幹部であった今のマスターの筋金入りとして、裏切り者の始末を任されリューンにやってきたのだ。
 レベッカはファビオにリューンを案内する役目を与えられ、協力した縁があった。
 
 ファビオの様子をみれば、このギルドではかなりの地位のようだ。
 あの時、ファビオの実力を見込んで周りが他所者と敬遠する彼に率先して手を貸してやったが、間違いではなかったと今になって思う。
 
「噂で聞いている。
 あの後のギルドの勢力が変わって〈猫〉の分野は縮小されたとか。
 おまえが冒険者になったと聞いたとき、あそこの幹部連中は阿呆かと思ったぜ。
 
 おまえだったら、この都市に来ればすぐに幹部にでもなれただろうに、やはり噂を聞いた後すぐにスカウトに行けばよかったな…」
 
 もったいないことをした、とファビオは肩をすくめてみせる。
 
「随分持ち上げてくれるじゃない…
 
 でも今は、ただの金欠冒険者の1人なのよねぇ。
 ちょっとばかり腕もなまっちゃったし、まあしばらくは〈穴熊〉やって勘を取り戻すようにしてみるわ。
 
 それに今の家業、それなりに気に入っているのよ」
 
 かつてレベッカは、後々は大幹部だろうと噂されるほど才能があった。
 やっていた仕事は三下の姐貴分程度だったが、怠惰な性格なものの面倒見は良いし、頭が切れて世渡りも上手い彼女は、下から慕われ上から信頼されていた。
 
 だが、ギルドの勢力交代で立場を失う盗賊たちは数多い。
 縄張り意識が強く、常に組織のトップを狙って盗賊たちは暗躍する。
 
 正規の盗賊ギルド構成員であった頃に経験した胃の痛くなるような緊張感も、今は無い。
 特別地位や出世には興味が無いレベッカにとって、生活できて楽しければどうでもよかった。
 
 現在はそれなりに充実した時を過ごしている。
 
 昔、実入りは悪いが止められないと言っていた冒険者の盗賊を、ギルドにいた頃は不思議に思っていたが、今なら分かる気がするレベッカであった。
 
「そうか。
 
 残念ではあるが強制はできないからな。
 うちは締め付けないのも伝統なのさ。
 
 今日はゆっくりしていけるんだろう?
 あの退屈な見張りをサボる口実に付き合ってくれよ」
 
 ファビオはそういって新しいエールを注ぐ。
 ただ酒も飲めるし、少し話しながら情報収集も悪くない。
 それにサボるというのはレベッカも好きである。
 
「好いわよ。
 でも昼日中に薄暗い地下で飲むのは、御免ね。
 
 高い店でなくても構わないから、落ち着いた場所に行きましょう。
 これから昼だし、どうせならお酒より食べ物が美味しい所が好いわ」
 
 レベッカはウインクして、杯に残っていたエールを飲み干した。

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『碧海の都アレトゥーザ』 碧海色の瞳

2017.11.16(23:29)

 次の日、“風を纏う者”のメンバーたちはそれぞれ分かれて行動することになった。
 
 レベッカは知り合いに挨拶に行くと言って、下町の路地の中に消えていった。
 
 ロマンは賢者の塔にある一般開放の書籍を読みに行くと、小走りに宿を出ていった。
 
 ラムーナは大運河にいる南方出身の女性と仲良くなって、話し込んでいた。
 
 スピッキオはこの都市の教会の司祭と知り合いらしく、帰りは遅くなると言っていた。
 
 シグルトは1人桟橋近くの浜辺で、ぼんやりと海を見ながら歩いている。
 
 シグルトの故郷に海は無い。
 西方に流れて来る途中に見た北方の海は、くすんだ黒い色だった。
 南海の美しい紺碧の海原は、とても美しいと思う。
 その色は、どこか、シグルトがかつて愛していた娘の瞳を思わせる。
 キラキラと陽光を反射する碧い水面の美しさは、見ていて飽きることがなかった。
 
 この都から見られる海は特に優美で、吹いてくる潮風は南方の息吹を孕んで、熱くおおらかだ。
 
 ただ、夏の太陽は眩しく刺すように肌を焼く。
 シグルトのような北方出身の肌が白い人間にとって、この熱い日差しはやや痛い。
 
 結局この熱射を避けるように日陰を選んで歩いて行くと、甲高い南海なまりでがなっている男の声が聞こえ、何とはなしにそちらを見た。
 
 この都市の住人だろうか、神経質そうな男に、でっぷりと太った中年の女、後はスピッキオと同じ聖海教会の僧服に身を包んだ僧侶らしい男。
 僧服の取り巻きか、囲むように数人の男女が輪を作っている。
 
 彼らの中心には、華奢な体格の人物が立っていた。
 
 黒い暑苦しそうなフードをかぶっている。
 編み上げたブロンドの髪が少し覗いていた。
 身体の起伏や背丈、服装ですぐに女性であることが判る。
 少しだけ見える肌は、驚くほど白い。
 
 喧しくがなり立てているのは、取り巻きの中の神経質そうな男だった。
 
「この薄汚い魔女めっ!
 
 早く、あの洞窟から出て行けばいいんだ!」
 
 男は興奮して口を歪め、唾を飛ばしている。
 
 周りの者たちも激しい口調で女性を罵り、しきりに「魔女」と連呼する。
 その中央にいる聖北教会の僧侶らしい男は、まるで汚いものでも目にしたように女性を見下ろしていた。
 
 このような状態で、女性は黙ってただ左右に首を振り、自分を囲んでいる人物たちの要求を拒んでいるようだ。
 
 やがてその神経質そうな男は辛抱できなくなった様子で、娘を平手ではる。
 彼女がぱたりと倒れると、周囲の者たちは小石や腐った卵、残飯などを娘に投げつけ始めた。
 女性はただうずくまってじっと耐えていた。
 
 髭面の男が、やや太めの棒を振り上げた。
 それで女性を打ち据えようというのだ。
 
 シグルトは顔をしかめると、素早く移動する。 
 ためらわず髭面の腕をがっしりと掴んで、シグルトは女性との間に割って入った。
 
「なんだてめぇはっ!」
 
 髭面が渾身の力を込めるが、シグルトの手はびくともしない。
 シグルトは掴んだ腕をブン、と振って男を投げ飛ばした。
 
「うわぁ!!!」
 
 転倒して派手に尻餅をついた髭面は、大げさな声を上げて転がるようにシグルトから放れた。
 
「大の大人が女1人を囲んで何をやっている?
 
 しかも無抵抗な相手にこんな棒で…」
 
 シグルトは、髭面が落とした棒を彼の方に向けて荒っぽく蹴飛ばす。
 足に軽く棒が当たり、髭面はなさけない悲鳴を上げた。
 
「何をするのです?
 
 私たちは、魔女に制裁を加えていたのですよ?」
 
 不機嫌そうに、僧服を纏った僧侶らしい男がシグルトを睨みつけた。
 その目をシグルトの青黒い視線が、稲妻のように射た。
 
 怯えたように数歩下がる僧服。
 
「さっきから、魔女魔女と言ってるが、あんたらの言う魔女とはこの娘のことか?
 俺の知る〈邪悪な魔女〉とやらは、こんなに大人しくはなかったぞ。
 
 昼日中からその大所帯で騒いでいるお前たちの方が、よっぽど悪者に見える」
 
 シグルトは皮肉気に苦笑した。
 
 僧服は、一瞬怯んだことに憤ったのだろう。
 目を血走らせ、歯を鳴らしてシグルトを睨みつけた。
 
「…貴方は冒険者ですね。
 ではこの都市の住人ではないはずです。
 
 我々の〈聖なる行い〉に口を出さないで頂けますか」
 
 そして汚物をどけろと命令するように、シグルトに顎をしゃくった。
 去れ、ということなのだろう。
 
「…これを〈聖なる行い〉だと?」
 
 シグルトは僧服に一歩近づいて、その胸倉を掴みあげた。
 
「ひぃ!」
 
 上背のあるシグルトに片手で軽々と持ち上げられて、僧服は真っ青になる。
 
「…自分が襲われることは怖いか?
 
 お前たちが、糞尿をあさる蝿のように集まり、たかって1人の娘にしようとしたことだ。
 〈聖なる行い〉が何かは知らんが、薄汚くて俺には真似できん。
 
 唯でさえ、日差しが鬱陶しいんだ。
 見苦しいから、するな…」
 
 僧服の顔に自分の顔を寄せ、凄みを利かせて目を合わせて睨んでやると、僧服は真っ青になって身体をこわばらせた。
 上背がある美しいシグルトが、怒りを顔に表すととても迫力があるのだ。
 
 わなないて呼吸がおぼつかない僧服を見ていたシグルトは、大きなため息を吐いた。
 馬鹿らしいという風に僧服を掴んだ手をポイ、と放す。
 
 ひっくり返った蛙のように情け無い姿で、僧服は地べたに落ち、尻で石畳を擦りながら後退する。
 
 あれでは、高価な僧服も台無しだな、とシグルトは呆れ顔で見下ろしていた。
 
「…くぅっ、今日はここまでにしておいてあげます!」
 
 僧服はよろめきながら立ち上がると、逃げるように場を離れ、周りにいた取り巻きも慌ててその場を放れていった。
 おそらくは、シグルトの腰につるされた剣も怖かったのだろう。
 
 僧服の、どこかの三流悪役のような捨て台詞に辟易し、シグルトは倒れたまま、こちらを見上げている女を見た。
 
 先ほど眺めていた碧海の色…
 シグルトの瞳に映ったのは、この都市を囲む海のように碧い瞳だった。
 
 静かで穏やかな光、同時に熱い南風を飲み込んだような強い輝きが、じっとシグルトに注がれている。
 少しの驚き、わずかな警戒、澄んだ落ち着きと深い哀愁。
 神秘的な双眸が、海の波のように表情を変えながらシグルトに向けられていた。
 
「…立てるか?」
 
 シグルトは少しだけその娘の美しさに驚きつつ、聞いた。
 
 日焼けとは縁の無い、透けるような白い肌に端整な顔立ち。
 理知的な瞳と強い意志を感じさせる表情は、先ほどの海の色のように、シグルトが愛した故郷の女性を思い出させた。
 
「…はい。
 
 危ないところを助けて下さって…
 ありがとう御座います」
 
 ほっそりとしたはかなげな外見にふさわしい、可憐で澄んだ声だった。
 弱さを感じさせない、知性と落ち着きを感じさせる丁寧な口調は、耳に心地よい。
 
「何かお礼を差し上げたいのですが、日々の生活を紡ぐのが精一杯の益体無い身です。
 言葉で返すのが限度、お許しください…」
 
 自嘲的に、悲しげな表情で女性は言った。
 恐縮しているのだろう、肩を縮め切なげに胸に手を置いている。
 
 シグルトは空を見上げて、困ったように頭を掻いた。
 
 別に礼を言われたくて手を出したのではない。
 シグルトは本当に、ああいった迫害をする輩が嫌いなだけだった。
 
 かつてシグルトも、この娘のように礫を投げられ傷ついたことがあった。
 母や妹も、悪意と罵声を浴び、涙を噛み締めていた頃があった。
 
 シグルトの母は、その両親の不名誉とされる行いから全てを失い、蔑まれひっそりと暮らしていた。
 父がその名誉を取り戻すまで、隠れるように。
 
 その頃のシグルトは幼くて何もできない子供だったが、努力して母や妹を守れるようになった。
 今のシグルトには男性の平均より高い背丈と、理不尽に立ち向かえるだけの勇気がある。
 
 シグルトはただ、目の前の理不尽が許せなかっただけだ。
 
「やめてくれ…
 
 俺は礼がほしかったわけじゃない。
 ただああいうのが嫌いだっただけだ。
 
 勝手にしゃしゃり出た俺自身のやったことだから、恐縮されても困るよ」
 
 娘を見下ろし、またその瞳と見つめあうことになる。
 真摯な眼差し…こんな瞳の者が、邪悪な魔女であるはずがない。
 この娘が魔女というなら、さっきの僧服は邪神の使徒だろう。

(…いや、三文芝居の悪役がせいぜいか)
 
 僧服の情け無い尻雑巾を思い出し、シグルトはいつもの癖で苦笑する。
 
 一方助けた娘はの方は、シグルトにできる礼を考えているのか…
 目を伏せて、じっと何かを思案している顔だ。
 察するに、生真面目で義理堅い性格なのだろう。
 
 シグルトは、困ったようにまた空を見上げた。
 
 まだ日差しが高く、熱い。
 夏の太陽がさっきよりも余計に眩しく感じられた。
 
 シグルトの頭にふと浮かぶ考え。
 
「ああ、ええと、この辺りには詳しいのか?
 
 実は、どこか休めるところを探していたんだ。
 何か俺にしてくれるっていうのなら、涼める場所があれば教えてほしいんだが…」
 
 
 娘が案内してくれたのは、美しい景観の洞窟だった。
 
 流れ込んんでくる海水が、キラキラと光って幻想的だ。
 その中の空気は、外の熱気を含んだ風とは違って、ひんやりとした優しさがある。
 
 シグルトは洞窟の奥に案内される。
 人が2人入るのがやっとのこじんまりとした横穴があって、粗末な手製の机と木箱で代用した椅子、奥には藁を敷き詰めて大きめの継ぎ接ぎな帆布をかぶせたベッドらしきものがある。
 箱の椅子を勧めれたが、シグルトの体格ではやや低い。
 何も言わず、適当に側にある隆起した岩に腰掛けた。
 
 娘はミントの香りがする爽やかな香草茶を煎れてくれた。
 
 茶を入れるカップも欠けた部分のある、本来なら捨てられそうな物だった。
 だが釉薬の部分に独特のつやがある。
 灰を使って丁寧に食器を磨いているのだろう。
 
 数は無いが、身の回りの小道具も丁寧に片付けられている。
 小さなことから、娘の生真面目な気性が感じられた。
 
 ミントのもたらす清涼感を味わいながら、洞窟の涼気をじんわりと楽しむ。
 先ほどの海もよかったが、ここはとても綺麗で、洞窟に満ちた柔らかな光が心地よかった。
 
 『蒼の洞窟』という場所だと、娘が教えてくれる。
 
「とても好いところだな。
 
 ここを知っただけでも、この都市に来てよかったと思うよ」
 
 思えば、昨日まで長旅でゆっくり腰を落ち着ける暇もなかった。
 1人でこういう気分を味わうのは、随分としていなかったように思う。
 
(あいつらはにぎやかだからな…)
 
 底抜けに明るい踊り子や、薀蓄を語る美少年、金にうるさい女盗賊に、説教臭い老僧。
 彼らのリーダーになってから、いつも張り詰めて考えていたことに気付き、苦笑する。
 シグルトは故郷で妹が言っていた言葉を思い出した。
 
〝兄さんはいつもむっつりしてるか、苦笑いしているわ〟
 
 そう言って、お茶を入れてくれた妹。
 最近まで過去は刃のようにシグルトの心を抉ってきたが、仲間と触れ合ううちに幸せだった時を思い出せるまでになっていた。
 
「申し訳ありません。
 こんなものしかなくて…」
 
 娘がおかわりのお茶を注ぐ。
 
 机には茶請けの代わりだろうか、パンを薄く切って乾燥させ塩と香草を刻んだものをかけた菓子のようだ。
 齧るとほんのりと塩辛い。
 
「いや、お邪魔させてもらってお茶まで御馳走になってるんだ。
 
 菓子付なら、豪勢なくらいさ」
 
 冒険者は過酷である。
 シグルトも何度か冒険の中で、質素な食事をしたものだ。
 先輩冒険者の話では、南方の密林で迷ってさまざまなものを食ったが蜥蜴人は筋が固かったぞ、というようなおぞましいものもある。
 
 それに、厳しい環境の北方出身のシグルトは、粗末な食事には慣れている。
 貴族ですら、冬期は臭みの強い魚の塩漬けや、味気ないスープを食べる。 
 
 思い出したように、シグルトは荷物袋から小石ぐらいの茶褐色の塊を取り出し、机の上に置いた。
 
「…これ、もしかしてお砂糖ですか!」
 
 娘はその美しい目を丸くして、茶色いその塊を見つめた。
 
 砂糖は非常に高価な品である。
 庶民が簡単に食べられるものではなく、薬として珍重されているほどだ。
 シグルトの取り出した小さな塊でも、庶民が家族で数日豊かに過ごせるほどの価値があるだろう。
 
「この都市に来る時、交易商の護衛をして報酬代わりにもらったものだ。
 
 まだあるから、1つ進呈しよう。
 この手の菓子は、塩より砂糖の方がきっと美味い」
 
 娘は手を振って拒んだ。

「こ、こんな貴重なもの、もらえません!
 
 お砂糖って労咳(結核)なんかに使う薬でとても高い…」
 
 シグルトは軽く首を横に振る。
 
 交易路が発達し、一部の都市では高騰するときもあるものの、昔ほどは高級ではない。
 もちろん庶民が大量に使うのは無理だが、リューンのような大都市ではちょっと贅沢品程度の価値だ。
 この砂糖も、儲けそこなった商人ツィスカが報酬代わりにくれた屑砂糖である。
 
「ここを教えてもらって休ませてもらったので、さっきの貸し借りは無し。
 
 これは茶の礼と挨拶代わりだ。
 
 またこの都市に来たなら、時々はここに来て休みたいと思ってる。
 迷惑でないのなら、受け取ってくれ」
 
 シグルトはリーダーをやる上で、レベッカから交渉というものを学んできた。
 レベッカ曰く、内向的排他的な者に交渉するときは、押しの一手の後少し引くと上手くいく、とのことだった。
 
 シグルトは無理強いは嫌いである。
 必要なことを提示し、ダメならやめる。
 シグルトのそういうさっぱりとした決断力が、リーダーとしての優れた資質だとレベッカは言っていた。
 
「俺はシグルト。
 
 交易都市リューンを中心に、主にここから北の方で仕事をしてる冒険者だ。
 といってもまだ駆け出しなんだが」
 
 互いに名乗っていなかったことを思い出し、先に名乗り軽くぶら下げた剣を叩き、こういう職業だ、と主張する。
 
 娘は助けてもらって名乗ってもいない自分を恥じたのだろう、白い肌を紅く染めて居住まいを正した。
 
「私はレナータ、レナータ アスコーリと申します。
 
 その、精霊術師、です…」
 
 少し言いよどんで職業まで明かす。
 
 シグルトはさまざまな意味で納得した。
 精霊術師とは、シャーマンとも類される精霊使いのことだろう。
 
 この世界には偉大な神と一緒に、自然の力、精が意思を持って現れる現象…精霊と呼ばれる不思議な存在がある。
 彼らはめったにこの世界で姿をとることはないが、彼らの存在を見つけ感応し、その力と姿をこの世界に形として導く業を持つものがいる。
 それが精霊使いだ。
 
 リューンにも精霊宮という独特の建物があり、そこで精霊使いたちが都市に起こる天候や災害の被害を防ぐために働いている。
 
 ただ、精霊使いたちは特殊な能力と宗教性を匂わせる場合もあるその立場から、聖北などの聖職者と上手くいかないことも多い。
 魔女や妖術師扱いされて迫害されるのはよくあることだ。
 リューンのように多数の術師がいて働く場所も地位も確立されているなら別だが、この西方に根強く広がる〈神の教え〉は、時に強引で排他的な偏見の原因を作っている。
 
(結局スピッキオが言うように、神に魔女を裁かせようとするのはいつでも人間の方だな。
 
 教会の愚かな歴史だとあの爺さんは言っていたが、まさかこんなところで魔女狩り云々に出会うとは、な。
 
 この都市は見れば先進的な場所が多くておおらかに感じていたから、少し驚いた。
 いや、人が集まる坩堝のような場所だからこそ、こんな歪んだことも起きるのか…)
 
 人の心を理解するのは難しい、とシグルトは思う。
 
 とりとめもなく考えながらふと見れば、もう日が傾いて、洞窟に朱い光が入ってくる。
 
「そろそろ帰るよ。
 外も涼しくなってくるだろう。

 …レナータ、ここにはまた来てもいいか?」
 
 岩から立ち上がり、帰ろうとしたシグルトは、レナータと名乗った娘の名を呼び、確認した。
 
「…はい」
 
 レナータの首肯に満足するとシグルトは軽く手で別れの挨拶をし、足早に洞窟を後にした。
 
 
 シグルトが洞窟を出て行った後、レナータは気が抜けたように肩を落とし、大きなため息を吐いた。
 
 今日はいろんな意味で疲れていた。
 無くなった儀式用の道具の買出しにでかけて、いつものように教会の侍祭に因縁をかけられて魔女扱いされた。
 
 前に石をぶつけられて、しばらく片目が見えなかったこともある。
 怖くないわけはない…集団で暴力を振るわれ、罵声を浴びせられるのだ。
 
 身を守るために、呼び出した精霊を用いる事だってできないことはない。
 だが、それをしたら確実に魔女として捕まってしまうだろう。
 
 レナータは自分に精霊術を教えてくれた師を思い出す。
 彼女は迫害と立ち向かう方法も教えてくれた。
 精霊術、言葉、礼法、知識…
 冒険者をしていたという師は博学で、本来レナータのような生まれのものが学ぶことは絶対できないようなことをたくさん教えてくれた。
 その師との邂逅も、今日のシグルトとの出逢いに似ていた。
 
 昔からレナータには精霊を感じる能力があった。
 ずっと昔、アレトゥーザにやってきて、不毛の荒野と汚水の沼地を緑茂る今の大地に変えたという偉大な精霊術師と、水の上位精霊の一柱と讃えられる水姫アレトゥーザの伝説。
 この地方ではまれにレナータのような資質を持つ子供が生まれる。
 それはこの土地が精霊の息吹に満ち溢れた土地だからとも、偉大な精霊術師の血が先祖返りで顕れるのだともいわれている。
 だが、その才能を持つものは多くの場合3つの道を採らざるをえない。
 
 一つは巫覡(ふげき)…シャーマンと呼ばれる存在になって村落の中心に立ち、災害や病気から人を守るものになること。
 
 一つは隠者となって森や山、孤島に籠もること。

 一つは一箇所に留まらない流浪の民となること。
 
 普通の民に受け入れられるには、精霊術師の才能はあまりに異能とされているのだ。
 
 今のレナータはどの道を採ることもなく、この都市に1人で暮らしている。
 
 異能ゆえに故郷から逃げるように出て、立ち寄るどの町でも浮浪児扱いされていたレナータは、彼女を追い出そうとする村人に囲まれ暴力を振るわれた。
 空腹と殴られた身体の痛みで、これで死ぬんだ、と思ったときその女性は現れた。
 澄んだ歌声で柔らかな言葉を紡ぎ、リュートを巧みに演奏しながら彼女が歌うと、レナータを襲っていた民衆はばたばたと倒れて寝息を立て始めた。
 
 歌を終えて見下ろすアーモンド形の蒼い瞳は、人懐っこい光を湛えていた。
 とがった耳、緑と黄色の衣装に白い外套で華奢な体を包んだその女性は、人ではなかった。
 
 ウッドエルフ。
 俗に森の妖精と呼ばれる亜人である。
 
 後に風の噂で聞いた話…
 ラグリアという国の内乱で活躍し、騎士団長になったという冒険者とその仲間たち。
 その騎士の傍らで、精霊術を使い仲間を助けた“水の詠い手”と呼ばれた者。
 エルフの精霊術師、レティーシャその人であった。
 
 精霊術で癒しを施し話を聞いたレティーシャは、レナータを弟子として引き取った。
 そして、彼女の才能を見抜き、多芸で器用貧乏な自分よりも術師としての道を極められると保証したのである。 

 レティーシャは、ハーフエルフと人間の2人の子供をつれていた。
 1人はレティーシャの息子で、もう1人は戦災孤児。
 旅の中で子供たちを育てる傍ら、レティーシャはさまざまなことを教えてくれた。
 少しお姉さんだったレナータは子供たちに慕われ、陽気なレティーシャの人柄に触れ、家族の暖かさというものを感じることができた。
 
 レティーシャはレナータが独り立ちできるようになると、子供たちを連れて遠方に旅立つといって、一緒に来るかこの地方に残るかを聞いた。
 レナータはこの大地に残ることを決め、師と別れたのである。
 
 しばらく南海をさすらってたどり着いたのが、この洞窟であった。
 
 レナータにとって、冒険者とはいつも自分を助けてくれる存在である。
 師は優れた冒険者だった。
 自分に何かと目をかけてくれ、病の治療の仕事や内職を世話してくれる『悠久の風亭』のマスターもかつて冒険者だったという。
 レナータに精霊術を学びに来る、精霊術師の卵たちもまた冒険者が多かった。
 
 そして今日巡り合った冒険者の若者。
 
「シグルト…さん」
 
 彼の残していった、黒糖から欠け落ちた粉を少しなめてみる。
 果物とは違う確かな甘さ。
 
 レナータは小さな幸せを噛みしめながら、孤独な心を満たす暖かな今日の邂逅を想い、頬を緩ませた。

 
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『碧海の都アレトゥーザ』 新たなる地へ

2017.11.16(22:19)

 フォーチュン=ベルから帰還した“風を纏う者”は、拠点である冒険者の宿『小さき希望亭』に戻って一日しっかり休息し、その日は各々が自由な時間を過ごしていた。
 
 レベッカは、盗賊ギルドに報告があると言って朝早くから姿をくらましてしまった。
 ロマンは、リューンの大学に顔を出し、ついでに図書館に行くと言っていた。
 ラムーナとスピッキオは、クレメント司祭に会うために教会に向かっている。
 
 シグルトは、最近同期の冒険者として同じ『小さき希望亭』で活動を始めた“煌く炎たち”のリーダー、マルスと剣の稽古をしていた。
 
 マルスは浅黒い肌の元傭兵という戦士で、長身のシグルトより顔半分も背が高い巨漢である。
 同期の冒険者ということで、同じ時期に先輩の冒険者たちから冒険のやり方を仕込まれたシグルトとマルスは、剣術を互いに練磨する仲だ。
 
 その技量的な素養は近いが戦術の巧みさではシグルトが優れている。
 結果としてマルスは、シグルトから5本中1本か2本しか勝ちを取れない。
 
 2人の稽古は実戦さながらで、武器は木の棒を剣に見立てて使うが、殴り合いや投げも含めた激しいものだった。
 
 冷静沈着で実直なマルスは、己のタフネスを十分に生かし持久戦で戦う。
 彼が若手の戦士の中でも腕利きであることは、宿では知られていた。
 負けを恥じず、地道に己を磨こうとするマルスも後を期待される新鋭だった。
 
 “煌く炎たち”は、リーダーで戦士のマルス、火の精霊術師で剣も使いこなすゼナ、聖北教会の元修道女で貴族出身のレシール、老獪な魔術師カロックに、玄人肌の盗賊ジェフの5人組だ。
 攻撃力が非常に高いパーティで、討伐や護衛といった荒事の依頼ではその頭角を現わしている。
 
 人数が同じということもあり、“風を纏う者”と“煌く炎たち”は、周囲の目から見るとライバル的な位置づけで比較される。
 ごく最近、宿の専属だった実力派の冒険者パーティが辞めてしまい、この2つのパーティはどちらも駆け出しとはいえ、自然と宿の主力として活躍するようになっていた。
 
 対して“風を纏う者”は天才肌が揃っており、フィールドワークや交渉事にも適性を発揮していた。
 そのためか“煌く炎たち”はいつも2番手扱いされている。
 
 “煌く炎たち”の中でも、女性ながら苛烈な性格のゼナやプライドの高いレシールは、露骨に対抗意識を燃やしていた。
 この2人はもともとはシグルトに好意を寄せており、冒険者になったばかりの頃は“風を纏う者”に入りたがっていたが、レベッカにばっさり断られた経緯がありそれがちょっとした禍根になっていた。
 
 リーダーのシグルトとマルスは互いに高め合う仲であり、友好な関係を築いているのにだ。
 2人は常々、パーティ同士の衝突をできるだけ避けたいと思っていた。
 
 “風を纏う者”が最近までフォーチュン=ベルで活動していたのも、義理堅いシグルトが“煌く炎たち”と討伐依頼のかち合いを起こして、宿に迷惑をかけないよう危惧したためである。
 貧しい駆け出しの頃は、同じ宿の冒険者ですら、仕事を奪い合い喧嘩で刃傷沙汰になることもしばしばあるからだ。
 
 癇癪持ちのゼナは白兵戦と精霊術を同時に使いこなすほどの才能に恵まれながら、少し後輩の冒険者と仕事のことでもめて腹を立て乱闘騒ぎを起こしていた。
 その騒ぎで壊した道具の弁償に“煌く炎たち”が銀貨数千枚のツケが宿にあることは有名な話だ。
 
 現在『小さな希望亭』は大きな仕事も少なく、冒険者たちは仕事探しにピリピリしている。
 
 パーティの各リーダーたちは仲間を抑えることに必死であり、そんな気まずい現状を鑑みてシグルトはしばらくリューンの外で仕事をするよう仲間に提案した。
 
 鍛錬で流した汗を拭きながら、シグルトはマルスと何気ない会話で、南方にある臨海都市アレトゥーザに行こうと思っていることを告げた。
 
 
「アレトゥーザか…
 確か南海に面した、共和制都市国家だな。
 
 スピッキオの爺さんが属してる、聖海教会の発祥地だったか」
 
 シグルトの打ち込みを受けてできた痣をなでながら、マルスが低い声で言う。
 
「ああ。
 
 最近アレトゥーザへの交易路が変わって移動が容易になったから、あの都市の近辺で仕事が増えそうな雰囲気なんだ。
 
 とりあえず他の近隣都市ではフォーチュン=ベルや、ポートリオンなんかも仕事がありそうだな。
 そして南海のアレトゥーザだ。
  
 アレトゥーザは、スピッキオの属する教会の勢力が強いから、教会経由の仕事を請けやすいというのも理由だ。
 
 今あげた都市間を移動しながら仕事を探せばそれなりに実入りもあると思うし、何より船の出入りがあるところは新しいものに出会えるから、冒険者としての見聞を広めるにはもってこいだ。
 俺たち駆け出しには色々な経験が必要になるし、な。
 
 今のリューンは冒険者が多過ぎる。
 同業同士のしのぎ合いで喧嘩がよく起きるし、そのせいで最近は少し自警団の評価も悪い。

 いくつか冒険者のギルドっぽいのがあるにはあるんだが、腕利きを囲い込もうとして利権でもめて自然消滅した例がある。そも俺たち冒険者は自由なスタイルにこだわるから、保守的な職業ギルドみたいな組織とは相性が悪いんだよな。
 たくさんの依頼を集めて仲介する程度なら大したことは起きないんだが、仲介料の取りすぎでもめるケースも頻繁だ。
 総合的な仕事そのものは少ない冒険者の宿を通した場合は、同じ所属同士で仕事を取り合うからな。
 
 そんなで仕事も不足してきたし、どこかのパーティが河岸を換える必要がある。
 だから、今が好い機会だと思っているんだ」
 
 激しい稽古で緩んだ、腕に巻きつけた布を巻き直しながら、シグルトがマルスに答える。
 
 シグルトは身内をとても大切にする。
 世話になっている宿の主人がこの手のことで悩んでいるのを知り、何とかしようと思案していたのだ。
 
 仕事を何度か譲ってもらったこともあるマルスは、シグルトの誠実さと先見の力を認めていたし、同じように考える1人だった。
 
「そうか。
 なら、俺たちはリューン近隣に絞って荒事中心にやっていくよ。
 
 馬鹿どもはすぐに俺たちを比べるが、お前は同じ宿の数少ない同期の冒険者だ。
 互いに切磋琢磨して宿に貢献したほうが名が売れるはずなんだが…
 むきになってるうちのゼナたちには、困ったものだな。
 
 こっちは、お前たちに後を任されたと思って張り切ってやっておく。
 お前らと仕事がかち合わないなら、やりやすいだろう。
 
 でもお前たちの行動に乗じて調子付くのは、甘えだろうな。
 
 冒険者になったばかりの頃、金がなくて鉱夫まがいのまかない仕事をしてたことを考えれば、まともな仲間がいて仕事ができる今は、随分ましだ。
 傭兵が畑だった俺は、今はまだお前に勝てない程度の腕っ節と、親のくれたこの身体が資本だから、できることが冒険者ぐらいしかなくてな。
 
 うちの連中は血の気が多い奴ばかりだし、お前やレベッカみたいにまだ要領よくやれない。
 もっと腕と知恵を磨かなければならないんだが。
 といっても、うちの連中は俺の言葉を聞くような謙虚な奴がいなくて困る。
 
 腕云々の話の前に、仲のいいお前たちが羨ましいよ。
 
 …アレトゥーザの周りではキナ臭い噂もある。
 とくに隣のフォルトゥーナとの関係は、いつでも水と油だ。
 
 気をつけろよ、シグルト。
 お前と一緒に酒を飲めなくなるのは、つまらないからな。
 
 旅立つ前の日は一緒に酒でも飲もう。
 美味い料理を出す店があるんだ」
 
 マルスの誘いに、シグルトは汗を拭いながら深く頷いた。
 
 
「久しぶりだな、レベッカ。
 
 元気だったか?」
 
 リューンの盗賊ギルド。
 酒場そのものの形をしているそこは、大きな組織である盗賊ギルドの支部の1つに過ぎない。
 
 レベッカに声をかけたのは、恰幅のよい男である。
 しかし、この男が自分より素早く動けることをレベッカはよく知っていた。
 
 かつてギルドにおける抗争では最前線に立って得物を振るって血の河を作った、元は一流の暗殺者である。
 
「…ええ。
 
 赤いのや、生意気な坊やは元気かしら?
 しばらく見ないけど、仕事でも入ったの?」
 
 レベッカの言葉に、男は苦笑した。
 
「赤いのは相変わらず、ネタ探しに奔走してるよ。
 
 〈鼠〉は、餌を巣に持ち帰るもんだってな。
 アイツの真面目な性格には頭が下がる思いだぜ」
 
 男は隠語を用いて話しかけてきた。
 〈鼠〉とは盗賊を意味するのだ。
 
「坊やの方は、お前が来るって聞いてさっき逃げた。
 あんまりあいつで遊んでやるなよ…あれでも有能な奴なんだ。
 この間、お前がコインゲームでアイツをスカンピンにしやがるから、あいつ最近までここで寝泊りしてたんだ。

 短気ですぐすねるから、困ったもんだぜ」
 
 そう言ったあと、男は不意に真面目な顔になってレベッカを見つめる。
 
「お前、〈古巣〉に戻る気はないか?
 
 お前みたいな凄腕が冒険者なんぞに甘んじてたのは、いけすかねぇ便所野郎のせいだったが…
 今じゃ、皆お前が帰ってくるのを待ってるぜ。
 
 “錦蛇”の秘蔵っ子であるお前を、あんな糞溜で使おうとした間抜けはもういねぇ。
 
 お前を苦手にする奴はいるが、お前を憎んでる奴はこの業界では少ない方だ。
 むしろ、レベッカを好きな奴の方が多いんだぜ?
 
 お前は怠けるのが上手いが、仲間の仁義は守る奴だ。
 〈猫〉をまとめてたあの頃のお前にもどりゃ…」
  
 “錦蛇”とは、レベッカの師であり育ての親だ。
 ギルドでは伝説的な盗賊として名を知られていた。
 
 〈古巣〉とはリューンの盗賊ギルドのことである。
 レベッカは、かつてギルドで〈猫〉…スリを統括する下級幹部をしていたことがあるのだ。
 
 手先が盗賊たちの中でも抜きんでて器用なレベッカは、スリとしての実力や仲間が失敗のときのフォローが巧みだった。
 最初ギルドで技を学ぶ新人がレベッカに預けられることも多かったので、今でも彼女を慕う若い盗賊たちは多い。
 
「…私は今の生活に満足してるのよ。
 
 それに、酒飲んでだらだらやってたせいで、随分腕も鈍ったわ。
 今の有様じゃ、お父ちゃんの名前を貶めるだけよ。
 
 鼠どもの縄張り争いにも、こりごり。
 義理だの仁義だので、巻き込まれて、裏切られて…
 
 私は、いつも張り詰めてるより、のんびりやりたいからね。
 
 ま、でも今の立場でしてやれることがあれば、検討はするわよ?
 あんたには、昔世話になったからさ」
 
 そう言って、グラスに残った葡萄酒を飲む。
 
 残念そうに男が肩を落とすと、レベッカの開いた杯に酒を注いだ。
 
「最近はライバルが増えて、お前ら〈渡り鳥〉どもは〈餌場〉が不足してんだろ?
 
 あてはあるのか?」
 
 空気を読んだ男が、葡萄酒の瓶をカウンターに置き、話を変えるように尋ねた。
 
 〈渡り鳥〉は冒険者を意味する隠語の一つだ。
 〈旅烏〉などとも言われることがある。
 
 〈餌場〉、すなわち仕事場や仕事そのものが不足していることを危惧し、聞いたわけだ。
 
 最近リューンに冒険者が増え過ぎて、確かに冒険者の仕事が少なくなってきている。
 レベッカも、リーダーのシグルトとそのことについて先日どうするか相談したばかりだった。
 
 そうねぇ、と一口酒を飲んでから、レベッカはカウンターに置いてあった瓶の栓を手に取って、指の上でくるくると器用に回し、弄ぶ。
 
「うちの〈船長〉(リーダー)と相談したんだけど、今度はアレトゥーザに行ってみるつもり。
 
 少しはコネがあるし、交易路が変わって近くなったからね。
 
 〈狸〉の〈お守り〉とか、〈餌運び〉とか、〈餌場〉はできそうよ。(商人の護衛とか、荷物運びとか、仕事は増えそうよ)
 〈鼠〉におこぼれをあげれば、恩返しに銀貨を拾ってくるかもしれないわ。(盗賊に情報を流せば、借りを作れるから儲かるはずだわ)
 
 古臭いことにこだわってちゃ、増えすぎた御同胞に、食い扶持取られるだけだからさ」
 
 レベッカの言葉に、男はなるほどと頷いた。
 
「なら、お前に良い〈釣り餌〉(情報)をやるよ。
 
 あの辺りの〈魚釣り〉(情報を探し扱う人間。海辺の盗賊を指している)にゃ、たまらない〈釣り心地〉(価値)だ。
 そのかわり、あっちの珍しい〈魚〉(情報)は優先的に俺や赤いのに〈食わせろ〉(よこせ)よ?」
 
 レベッカは軽く頷いて、弄んでいた酒瓶の栓を指で弾いて捨てると、男の方に耳を寄せた。
 
 
 ロマンは、図書館で博物誌を一冊読んでいた。
 革表紙のそれは巨大で、ほっそりとしたロマンの体格には余る代物だ。

 テーブルに博物誌の金具で補強された背を置き、比較的新しい羊皮紙とインクのすえた臭いに顔をしかめながら、黙々と読書に勤しむ美少年は浮いた存在だった。
 
 時が過ぎ、読み終えて博物誌を閉じると、今度は脇においてあった歴史書を読み始める。
 東方の言葉で書かれているが、ロマンにとっては母国語で書かれたものと変わりなく読むことができた。
 
 ロマンは驚異的な言語能力を持っている。
 言葉を専門とする学者よりも優秀かもしれない。
 読解と会話のすべてが可能な言語の数は、古典の文法まで完璧に習得しているものだけで5つ以上もあるが、ロマンにとって何の自慢にもならない。

 読みたい本があったから、覚えただけなのだ。
 
「…はぁ」
 
 ロマンはため息を吐き、その本を閉じた。
 書き手の主観をまるで世の真理と言わんばかりの、つまらない内容だった。
 客観性の無い書物は、総じて内容の薄い物が多い。
 
 ロマンが読んでいたのはそういった類の、表装ばかり重い代物だった。
 
 黙って図書館を出ると、ロマンは独り言を呟いた。
 
「もう大学にある、貸し出し禁止以外の主要な書籍は読んだかな。
 
 他にこの近くの都市で蔵書の多い場所っていえば、カルバチアの学連の書庫か、ポートリオンの図書館。
 そういえば、アレトゥーザの賢者の塔は蔵書が豊富だって噂で聞いてるけど…」
 
 宿に帰った後、シグルトたちに蔵書の多い都市に行くように頼んでみようと考えたロマンは、各都市の蔵書を調べようと、目録がないか司書に尋ねた。
 
 
「元気そうで何よりです、スピッキオ殿。
 
 ラムーナもよくきてくれましたね」
 
 不自由な義足と杖で動きながら、クレメント司祭が飲み物を出してくれる。
 
「うむ。
 
 クレメント殿は御壮健のようじゃの」
 
 傍目からは閉じているように見えるほど目を細め、スピッキオが深く頷いた。
 
 本来であれば足の不自由なクレメントに対して言うには、失礼ともとれる言葉であるが…
 スピッキオのそれはクレメントを障害者として差別していない意図があることを、互いに承知しているから出た言葉である。

 身体的な困難に努力で立ち向かうクレメントにとって、スピッキオのような心遣いこそが有難いのだ。
  
「えへへ~♪」
 
 ラムーナは、クレメントと再会できたのが嬉しいのか、始終微笑みを絶やさなかった。
 
「丁度よい所に来て下さいました。
 
 使いを出して、皆さんをお呼びしようと思っていたところなのです」
 
 片方の眉を吊り上げて、スピッキオが理由は何故か、と尋ねる。
 
「はい。
 
 実は、私の知り合いの商人がアレトゥーザへ同行してくださる方を探しているので、その護衛をしてもらえないかと。
 最近扱う商品の値段が暴落したので、あの都市から海路で西の島に販売の開拓を、と考えているらしいのです。
 
 その島では砂糖が高く売れるそうで、島で手に入る薬草が他の場所で非常に高く売れるのだとも言っていました。
 
 報酬は現物の品物でどうか、ということなのですが、レベッカさんはその手のものを小さく売買するのが上手いので、物品報酬も受け付けてくださるとか。
 お金でしか受けない人より、貴方たちに勧めてみようかと。
 
 スピッキオ殿は南海の商人が生家とのことですし、アレトゥーザをよく御存知のはず。

 話の商人はアレトゥーザに向けて、新ルートが開通したことを踏まえ、初めてアレトゥーザに行こうと考えたらしいのですが。
 
 縁あって商人に“風を纏う者”の話をしましたら、是非頼んで欲しい、と言われたのです。
 シグルト殿がリーダーを務める“風を纏う者”の誠実な仕事ぶりは、護衛してもらった商人たちの中ではたいそう好評だそうで」
 
 納得したようにスピッキオは頷いた。
 
「ふむ、わしの方から話してみよう」
 
 
 次の日、話を聞いたシグルトたちは、さっそく件の商人に会うことになった。
 
 相手は、まだ20代ぐらいのしかも女性の商人であった。
 
「お初にお目にかかるよ、冒険者さんたち。
 
 私の名前はツィスカ。
 ま、見ての通り、流れ者のしがない女商人さ。
 
 いやあ、“風を纏う者”の噂を聞いて、是非にとお願いしたんだけど…
 
 本当に話を聞いてもらえるなんて嬉しいよ。
 商隊護衛では、成功率10割だって話だろ?
 
 引く手数多だって聞いてるよ」
 
 気さくに話しかける女商人ツィスカに、シグルトは首を横に振った。
 
「10割といっても、移動がてら受けた依頼が3つばかりだ。
 
 たまたまそれらすべてが問題なく解決しただけで、過剰に期待されては困る」
 
 シグルトの言葉に、ツィスカは嬉しそうに白い歯を見せて笑う。
 
「前もって盗賊の出現しやすいルートを避けるアドバイスをしたり、因縁を吹っかけてきたチンピラを追い払ったりしたんだろ?
 
 報酬は相場を守るって聞いてるし。
 何より、物品を報酬に依頼を受けてくれるかもしれないってんで、お願いしたいのさ。
 
 困ったことに、手元の商品の相場が暴落して、結局売らなかったからね。
 あまり使える資金が無いのさ。
 
 まったく、あのフォルトゥーナ商人の無茶のせいで、あたいたち善良な商人はおまんまの食い上げだよ」
 
 そう言うとツィスカは、茶色い塊を取り出して、テーブルの上にどっかりとおいた。
 
「…良い砂糖だわ。
 
 末端でも、これ1個で銀貨数百枚ね」
 
 レベッカが、品物を鑑定しながらその質の良さに感嘆した。
 
「あったりまえさ。
 あたいの品は、物は最高だから。
 
 売るんなら、1個で銀貨百枚、二百枚じゃ儲けにならないんだよ。
 だのに、商業のギルドのやつら、申し合わせて安い砂糖を大量に仕入れやがった。
 
 いま出回ってる安い砂糖は、三流の品だよ。
 まったく嘆かわしいね」
 
 ぼやくツィスカに、大変ね、とレベッカが相槌を打つ。
 
「それで、報酬はいくつこれをもらえるわけ?」
 
 にわかに、レベッカと商人の目が鋭くなる。
 
「最高の塊を合わせて3つ。
 
 その報酬の中から前金代わりに先渡しで1つ。
 上手く売れば、合わせて銀貨千二百枚にはなる。
 悪くない取引だと思うよ?」
 
 レベッカは商人の提示に、少し考えると首を横に振った。
 
「良い品は2つでいいから、他に欠けたり割れた屑や粉で残り2つ分の量をもらうのではどうかしら?
 
 欠けた品は、どうせ足元みられるんでしょう?
 劣化しただの、キリが悪いだのと言われて、たぶん半額以下になるはずよ。
 損は無いと思うけど…
 
 貴女を無事にアレトゥーザに届けられた成功報酬ってことで、全部後払いでかまわないわ。
 
 目的地に着いて、貴女が私たちの仕事に満足しないなら、報酬は半分…2つ分の良い砂糖の塊でいい。
 もっとも、私たちはまた頼みたくなる質の仕事をするけどね」
 
 レベッカの提示に、ツィスカは少し考え、それで好いと頷いた。
 
 さっそく今の内容を安物の羊皮紙に記し、契約が成立する。
 その羊皮紙はやや穴のあるものだが、このような一時の契約で終わる依頼では質の悪い物を使い、倹約するのだ。
 襤褸を使っても契約内容だけはきちんと記載しておくのが、プロの冒険者でありプロの商人である。
 
 後でトラブルを起こさないためにも、レベッカはことさらに契約に関しては神経質だった。
 
 
 次の日、“風を纏う者”はアレトゥーザに旅立つことになった。
 
 季節はまもなく初夏、南下するにつれ強くなる日差しの暑さに肌の白いロマンなどは辟易していた。
 
 この時代の移動は徒歩が基本である。
 一説に、人間の平均的な徒歩での移動は1日30kmだと言われている。
 これは街道を通る場合の速度だが、旅慣れしたこの時代の人間はもう少し早く移動することができるだろう。
 
 アレトゥーザはそういった人間たちの足で、リューンから6~7日かかる距離にあった。
 旧街道を通れば10日以上かかったのだが、新しい交易路は道を割っていた河川等にはきちんと橋が掛けられ、よく整備されている。
 
 道筋は、まず東に向かい、南東に、さらにその先を南下する、というものだ。
 
 アレトゥーザは、リューンから南東の半島にある。
 封建制が色濃く発達した西方にあって珍しい、共和制の歴史ある都市国家だった。

 最も興隆した時代には、人口20万人にもなったとされている。
 だが、東方の異教徒による圧力や、ライバルとなる南海の各都市との熾烈な交易競争により、最盛期程の勢力はなくなっている。
 
 それでもアレトゥーザは南海に面する要所であり、商人や船乗りたちにとっては、海路を使った交易において重要な拠点だ。
 
 シグルトたちは、順調に旅を続けて6日でアレトゥーザに到着した。 
  
 国境を越えアレトゥーザの領地に入ると、潮の香りを含んだ少し湿った風を感じることができるようになる。
 やがて、歴史あるアレトゥーザの外壁が見えてくる頃、南海の風は、まぶしい陽光を浴びて暖かく吹き付けてきた。
 
 アレトゥーザの門を見上げて息を呑んだロマンが、粘つく潮風に咽たのか、可愛らしい咳をしていた。
 
 門をくぐると、不機嫌そうな顔の門番が出迎えてくれた。
 冒険者を嫌っているらしいその兵士は、ぶつぶつと小言を言いながら都市に入るための簡単な検査を行い、シグルトたちの都市入りを許可してくれる。
 
 ツィスカは、荷にかかるというわずかな税をまず納めた。
 都市国家では、国民から得る税金はもちろん大切だが、こういった交易商人から入る税金もその財政を支える収入源であった。
 
 そしてツィスカは、“風を纏う者”の仕事ぶりに満足したと、予定よりも多い屑砂糖を分けてくれた。
 理由は、レベッカが通行税がもっとも少なくて済むルートを見つけ、しかも予定より一日早く着けるようにあらかじめ調べておいた道を教えたからだ。
 
 上機嫌に去るツィスカを見送ると、レベッカは満足そうな顔になって報酬を確認していた。
 
「よかったな、報酬が多めにもらえて」
 
 シグルトがレベッカの功をねぎらうと、彼女は不敵に笑った。
 
「私たちのした仕事だから、当然だけどね。
 
 ここまで来る間に必要なこういう品にかかる税金は、アレトゥーザに入る前にあの商人に払ってもらったから、税関を通過後の代物が報酬ってことで無税で済んだのよ。
 この都市の法律では冒険者の護衛報酬にまで税金はかからないし。
 
 でも、ああいう商人といて個人で品物持ってると、たまに戦争時の増税なんかで因縁を吹っかけられて税金取られるときがあるからね。
 こういう共和制都市は法律が発達しているから、利権について細かかったり、税に関しては厳しかったりするのよ。
 交易が盛んな臨海都市は人の出入りが多いから、トラブルが起こらないように色々な対策が立てられているわけ。
 
 関税っていってもほんの銀貨数枚なんだけど、それでも今晩の食事代ぐらいにはなるわ。
 今の私たちにとって、現金は貴重でしょう?
 
 依頼人に〈成功報酬だけでいい〉って印象付けて喜んでもらって、こんなに得したんだから大成功ね」
 
 レベッカが何故、完全な後払いで報酬を貰うようにしたのか理解したシグルトは、やれやれと肩をすくめていた。
 
 
 さらにレベッカは報酬の砂糖を用いて、『悠久の風亭』というアレトゥーザの下町にある冒険者の宿に、数日の滞在が可能になるように話をつけてしまった。
 
 この手の調味料は商人から買うと高いということで、大きな砂糖の塊1個を出すと、気の好いこの宿の女将は喜んで交渉に応じてくれた。
 なんでもリューンで砂糖の値段が暴落したことで、一部の商人が品物の売りしぶりを始めたため、アレトゥーザでは価格暴落前よりも砂糖が高いというのだ。
 
 レベッカの巧みな交渉は、今までほとんど宿代を発生させていない。
 
 残った屑砂糖は少しずつ仲間たちで分け合う。
 一旦は値段が暴落したという砂糖だが、貴重な品であることに変わりは無い。
 
「砂糖って、極限状態では貴重な食料にもなるわ。
 
 お金が使えない外国でも、物々交換に使えるから便利だし。
 仕事中に野外で食べる食事に使えば、確実に美味しくなるというわけ。
 
 買うと高い物だし、皆有効に使ってね。
 
 ただ、この手のものの販売とかは都市部ではしないこと。
 さっきも言ったように、商税がかかるときがあるのよ。
 
 私みたいに、〈分けてあげた謝礼で宿に泊めてもらえる〉ように使った場合はどうとでも言い様があるけど、お金をもらったりする場合は完全な商売になるから、規模が大きいと商業ギルドに睨まれたりするわ。
 冒険者としてちゃんとやってくつもりなら、各都市、各地方の税制には詳しくならないとだめね」
 
 先輩冒険者として、きちんとした知識のあるレベッカのアドバイスは的確だ。
 
 “風を纏う者”が他の都市に出張して障害無く活躍できるのは、レベッカのおかげである。
 言葉の通じない相手にもロマンという優秀な通訳がいる。
 
 多くの若手冒険者がリューンで活動するのは、通行税や物々交換に慣れておらず、遠出をするとかえって損をしてしまうからである。
 旅費はばかにならないし、言葉の壁は大きな失敗にも繋がる。
 
 熟練の冒険者は長い年月をかけて旅や言葉に慣れ、そういうことが出来るようになるものだが、結成して間もない“風を纏う者”はすでにそれが出来る。
 これは、他の冒険者に比べて大きなアドバンテージであった。
 
 
 その日の午後、“風を纏う者”は夕食の材料を探すため海岸を歩いていた。
 宿に付いた後、一行が暇をもてあましていると、砂糖の交渉の後、料理の話題で話が合いレベッカと仲良くなった宿の女将ラウラが、食材探しをしてくれないかと頼んできたのだ。
 ちゃんと報酬もあるということで、海の見学を兼ねて、一行は快くその依頼を受けるのだった。
 
 行楽気分で始めた仕事だったが、途中で砂蛸の巣を掘り当ててしまい、襲われる羽目になった。
 
 砂蛸とは南海の浜辺に住む蛸の一種で、かなりの巨体であり、砂に潜み保護色を使うので見分けがつかない。
 悪食で、動くものなら犬や猫も襲うことがある危険な生物である。
 
 シグルトの大振りの一撃で砂に叩きつけられた砂蛸は、続くラムーナとスピッキオによって叩きのめされてしまった。
 
「おっ!
 
 これって、蛸墨じゃない。
 墨袋が丸々無事よ。
 
 蛸の墨って、粘度は低いんだけど、イカ墨より珍味なのよねぇ。
 臭み抜きをしないと食べられないけど、ラウラさんが欲しがってたし、掘り出し物かもね」
 
 レベッカは素早く砂蛸を解体し、ちゃっかり食材を入手していた。
 
 その後、あちこちを掘っていたシグルトたちは次々に食材を見つけた。
 中には心無い者が捨てたゴミもあったので、スピッキオが細い目を吊り上げて始末していた。
 持ってきた袋には、巨大な高級貝が2つに、貝が1つ入っている。
 
 主に見つけたのはシグルトとラムーナだ。
 この2人は、意外にもこういった探しものをするのが得意だった。
 
 砂蛸を掘り当てたロマンは、少し不機嫌だったが、結果的には大漁だった。
 
 この手のことが得意そうなレベッカだが、交渉で疲れたと言って、浜辺で昼寝を決め込んでいた。
 怠けられるときに怠けるもの、というのが彼女の信条の1つらしい。
 砂蛸との戦闘のときもちゃっかり最後に現れて、砂まみれになったロマンの横でのんびりと蛸墨の鑑定をしていた。
 ロマンが不満そうなのは、それもあるのだろう。
 
 その蛸墨はラウラが一番高く買い取ってくれた。
 一番手柄だと褒めてくれるラムーナに対して、ロマンは複雑そうに、南海の砂に反射した日差しで赤く焼けた頬に薬を塗り込んでいる。
 
 浜辺で取ってきた食材は銀貨五十二枚にもなった。
 思わぬ収入に、レベッカはたまには奮発して食事をしようと女将特製の蛸のマリナータ、クモガニの甲羅焼き、グリリアータ・ミスタ(ミックスグリル)、イカスミのポレンタ添え、香草ソースの塩漬けニョッキなどをテーブルに並べて豪華な夕食となった。
  
 冒険者の宿『悠久の風亭』の海鮮料理は絶品だった。
 
 護衛してきたツィスカが、お勧めだと紹介してくれた『悠久の風亭』は、大柄で柄の悪そうなマスターと、その妻というのが疑問になるぐらい美しい女将のラウラが切り盛りしている冒険者の宿だ。
 シグルトたちは、風にちなんだ名を名乗る自分たちが逗留するには相応しい名前の宿だと、アレトゥーザにいる間はここを贔屓にすることに決めた。
  
 ラウラがサービスで出してくれた、塩加減が絶妙な貝と海老の蒸し物に、マッケローニ(現代のマカロニのようなもの)を肉入りスープで煮込んだという、この宿の女将さん自慢の新作料理も楽しみつつ、レベッカは、チーム名を決めたシグルトを眺めていた。
 最初の頃のとげとげしさはだいぶなくなり、ちゃんと仲間をまとめているシグルトを頼もしいと思う。
 
 果汁を井戸水で割った飲み物を啜りつつ、シグルトのそばでこれから巡る場所についての話題をふって一生懸命話しているロマンという少年は、気心が知れたとたんに生意気になったが、その知識や慎重な考え方は一目置いているし、ちょっとからかうと照れて可愛らしい。
 
 お酒に酔って陽気に踊り、酒を飲みにきた年寄りたちに喜ばれているラムーナという少女には、レベッカとよく似た社会の底辺を垣間見てきた同士のような親近感と妹のような親しみを感じている。
 
 テーブルの端でワインにパンを浸しては食べている大柄な体格の老人、やや高慢で生真面目なスピッキオという爺さんは、ことごとくレベッカと意見がぶつかるものの、年寄り独特の落ち着きと度量の広さがあって、その秘蹟の業とともに仲間として欠かすことはできない。
 
 レベッカは怠けたり、遊んでだらけることが好きだった。
 最近は仲間たちにいつも苦労させられる。
 1人でいたときにはなかったことだ。
 
 でもレベッカは思う。
 苦労したあとに仲間とだべり、仕事のあとに仲間と飲む酒は格別だと。
 
 その後レベッカは、負けたら一晩一緒に飲んでやることを条件に、数人の男たちと賭けゲームをして、イカサマを使う必要もなく勝利する。
 そして男たちにアレトゥーザ名物の高級酒【イル・マーレ】を奢らせて、充実した一夜を過ごしたのだった。

 
⇒『碧海の都アレトゥーザ』 新たなる地への続きを読む

『希望の都フォーチュン=ベル』 ゴブリンと狼

2017.11.15(17:25)

 冒険者パーティ“風を纏う者”は最初の冒険を契機に、小さな依頼をこなしながら、各都市を巡っていた。
 
 最初はリューン近郊の村でねずみ退治に参加したり、近所に迷惑をかけて立てこもっている子供を取り押さえたりといった、実に地味で小さな仕事をしつつ、日銭を稼いでいたが、旅するうちに希望の都と名高いフォーチュン=ベルに到着する。
 
 湖と山に面した美しいこの都は、英雄と呼ばれるに相応しい冒険者が、何らかの形で関わることの多かった。
 そのためか、その幸運にあやかろうとする若い冒険者たちがよく訪れる。
 
 交易も盛んで、この都市でしか手に入らない品もあるという。
 そして、ロマンがどうしてもほしいという魔導書を偶然見つけ、一行は高い買い物をすることになった。
 
「銀貨二千枚よ、二千枚!
 
 あの黒い僧服イ○レ女の時の報酬と同じなのよ!
 
 ああ、もう信じられない!!!」
 
 大きな散財だとレベッカは嘆いたが、シグルトはなだめるように言った。
 
「ロマンの魔術は俺たちの切札になる。
 
 いざというとき、すぐに呪文を唱える準備ができるというあの本は、これから必要だ。
 次にこの都市に来るのがいつになるかわからないし、買えるときに装備を整えるのは基本だろう?」
 
 シグルトがそう言うと、レベッカは何も言えなくなる。
 
 この男は、仲間のために自分が一番損をしていても平気な男だ。
 
 大金を得ることができた最初の頃の依頼で、一番活躍していたのはこの男である。
 しかし、シグルトが今腰に下げている剣は、彼が冒険者になることを彼が決意して三代目であり、2本目のお下がりである。
 
 レベッカは、装備に妥協する気はない。
 ロマンのもつ魔導書を買うお金があれば、優れた技術をたくさん学べるし、薬や道具、シグルトにふさわしい剣や鎧だって買えるのだ。
 
 ばつが悪そうなロマンの肩をぽんぽんと叩いて、シグルトは大丈夫だというふうに微笑んでいる。
 納得がいかなくても多数決で決まったようなものだ。
 他の2人はこういう欲に関わることはからっきしである。
 
「はあ、シグルトがそう言うんじゃ、私だけ悪者じゃない!
 
 …もう、いいわよ。
 いまさら買ったもの返しても足元見られるんだし」
 
 そういってレベッカは肩を落とした。
 
「絶対役立ててみせるよ!」
 
 ロマンの小動物のような目にも弱い。
 
 結局折れるレベッカだった。
 
 
「っ!!!」
 
 気合とともにシグルトは、攻撃を受けたゴブリンを、そのまま力任せに吹き飛ばす。
 
 今シグルトが使う剣は、折れないようにと、切れ味は二の次の重い片手半剣(バスタードソード)だ。
 引退するという老冒険者から譲ってもらったもので、かなりの重量がある。
 そのかわり頑強さは確かだった。
 
 襲い来る3匹のゴブリンを相手に、シグルトは後衛を庇い、かすり傷を負いつつも敵を圧倒していた。
 次の一撃でゴブリンの頭蓋をかち割り、続く敵へと立ち向かう。
 
 レベッカとラムーナが、ゴブリンの奴隷らしいコボルトを相手取り、スピッキオは杖でコボルトと戦っている。
 狭い洞窟では、スピッキオの杖は扱い難い様子だった。
 その分、聖印を握って祈りを捧げ、負傷した仲間をすぐ癒す。
 ラムーナと連携しながら雑魚の露払いの補助をするように動いていた。
 
「スピッキオッ!
 突きで牽制しながら、敵の膝頭を狙え。
 
 ラムーナとレベッカは、互いの背中を守るようにその調子でゴブリンを抑えるんだ。
 
 …ロマンッ、魔術で支援をっ!!!」
 
 攻撃の手は緩めず矢継ぎ早に指示を出して、戦闘指揮を執るシグルト。
 
「《…眠れっ!》」
 
 ロマンが【眠りの雲】で、ボス格のゴブリンシャーマンと、ゴブリン1匹を眠らせると、シグルトはその横で背後から襲い掛かってきたコボルトの腰椎を剣の柄頭で粉砕し、逆手の肘で吹き飛ばした。
 その死体に邪魔されたゴブリンが怯む。
 圧力に怯えてか、一番屈強なシグルトには近寄れない様子だった。
 
「起きてる奴は、その2匹だけだ。
 
 油断せずに追い込むぞっ!」
 
 シグルトに呼応して、仲間たちがじわりじわりと敵を追い詰める。
 
「《…眠れっ!》」
 
 怯えた敵が背中合わせで集結した瞬間、狙っていたかのようにロマンがもう一度【眠りの雲】で敵を眠らせる。
 全て眠った敵を掃討するのに、時間はかからなかった。
 
 
 フォーチュン=ベルで受けたゴブリン退治の依頼は、ゴブリンたちのいる本拠地を突き止めることから始まった。
 調査はレベッカのような盗賊の本分である。
 たちまちにゴブリンたちの住処を見つける。
 
 ロマンが【眠りの雲】の呪文を用いて見張りを眠らせ、全員で奇襲を仕掛け、圧勝に終わった。
 
 奇襲の指揮を執ったシグルトの指示の巧みさと、ラムーナの突撃力、スピッキオの思わぬ豪傑ぶり。
 
 素早い敵はレベッカとラムーナが挟むように撹乱し、ロマンが手に入れたばかりの魔導書の力で素早く呪文を仕掛け、敵を無力化する。
 効率的で堅実な作戦は、シグルトの指揮能力によってより確実なものに変わっていた。
 
「ね、買っておいてよかったでしょ?」
 
 少し誇らしげにロマンが胸を張る。
 今回もっとも活躍したのは、確かにロマンの魔術だった。
 
「はいはい。
 
 ま、銀貨二千枚の投資分は、役立ってもらわなきゃねぇ」
 
 報酬の銀貨を数えながら、レベッカはやや上機嫌だ。
 
「…凄いですね。
 
 今回の依頼では、たいした負傷者も出なかったんでしょう?」
 
 フォーチュン=ベルの冒険者の宿、『幸福の鐘亭』の女店主が酒の肴を用意しながら話しかけてきた。
 
「ああ、有難いことにな…」
 
 この美貌の女店主を目当てに、この宿に飲みに来る冒険者以外の常連客も多い。
 愛称はママで、愛想もよく口調は上品。
 
 彼女を見ながら、男性客の何人かが鼻の下を伸ばしている。
 
 その視線の先で話している美男美女は、実に絵になった。
 シグルトは、聞かれたことにただ答えているだけなのだが。
 
「またこの手の依頼があったなら、紹介してくれると有り難い。
 
 駆け出しの俺たちは、仕事を取るためにもいくらか名を売る必要があるし、経験も必要だ。
 
 命に関わる、危険な討伐の仕事ばかりするのは本来はよくないんだが…最初のうちにこういった荒事にも慣れないといけないだろう。
 あらゆる状況に対応できなければ、冒険者は生き残れないと言うし、な。
 
 そういうわけだから、よろしく頼む」
 
 シグルトがそういって頭を下げると、女店主は少し頬を上気させて頷いた。
 
 凛々しい美貌を見れば、貞淑な女性でも大抵は見惚れる。
 
 この女店主は未亡人で、前の夫を今でも愛しているらしく、男たちの口説き文句には見向きもしない。
 シグルトに対してはそういう女性も絵画や彫像に見惚れる感覚で、惹き付ける魅力にくらっと来るようだが。
 
 神秘的な眼差しは女殺しだ、とはレベッカの談。
 宿にいる他の女性冒険者たちが、ちらちらとシグルトを眺めていた。 
 
 『幸福の鐘亭』は、フォーチュン=ベルでも初心冒険者が訪れる冒険者の宿である。
 もう一軒ある『運命の呼鈴亭』は、超一流の玄人冒険者が行く宿であり、名の無い冒険者は行っても恥をかくだけだという。
 
 無難に名を売り出そうと、シグルトたちは比較的小さな仕事から受けていた。
 
 冒険者として一番経験のあるレベッカが、こういう下積みをすることは、後に依頼をもらうためのコネクションの形成と依頼人の信頼を得るために絶対必要だと言い、シグルトとロマンはそれに賛成した。
 ラムーナは皆に従う意思を示し、スピッキオは特に反対せず受け入れた。
 
 その後、シグルトたちは真面目に地味な活動をせっせとこなしてきたが、その依頼の達成率はまだ十割という完璧ぶりだ。
 失敗するだろう、危険な依頼はレベッカが目ざとく見つけるし、冒険者にもっとも必要となる、戦士、盗賊、魔術師、僧侶の4つの分野をしっかりとおさえているシグルトたち“風を纏う者”は、状況への対応力が優れている。
 
 まずシグルトがリーダーであることが、大きい。
 
 戦士として強く、誠実で生真面目なシグルトは依頼人の信用を得やすい。
 
 彼の美しい容貌もそれに一役買っているし、依頼人が高飛車で仲間のことを揶揄する場合、すっぱりと依頼を断る路線にもっていく。
 金銭よりはまず経験、と安くても確実にでき、依頼人の誠実さを重視して仕事を選び、油断というものがまったく無い。
 冒険者の多くは本来の呼び名の通り〈険しきを冒す者〉であり無謀なタイプが多く、シグルトぐらいの年代の戦士は高慢で無謀な直情型が多いのだが、それ故に駆け出しの冒険者はとても死にやすい。
 その点でシグルトの巌のような堅実さと作戦力は、依頼人や冒険者の宿の関係者たちから高い評価を受けていた。
 仲間を重んじそれを立てながら、まとめるべきところはさっと決断して承認する。
 問題が起これば責任はまずシグルトが取る構えで、失敗を仲間のせいにはしない。
 
 仲間たちでシグルトに本気の不満を言う者は一人もいない。
 彼はそれだけのことをやり、そして責務は確実に果たすからだ。
 
 そのためか仲間への評価が厳しいレッベカですら、シグルトには厚い信頼を寄せていた。
 酒を飲めば、他人に対して手放しに自慢するほどである。
 
 数日フォーチュン=ベルで過ごすうちに、“風を纏う者”のメンバーは、それぞれの特徴をよく知られるようになっていた。
 
 前述したリーダーのシグルトは、指揮能力に優れる戦士である。
 努力家で、暇なときは鍛錬を欠かさない。
 戦士にありがちな力任せな戦い方ではなく、仲間との連携を駆使した見事な戦い方をする。
 誰よりも勇敢で、責任感が強く誠実だ。
 最初は態度と美しさに、付き合ううちにその性格に魅了されると、評価する者もいる。
 多くの冒険者を見てきた者たちは、シグルトはきっと名を残す冒険者になると、強く期待していた。
 
 パーティの御意見番で盗賊のレベッカは、その経験から非常に多くのことをこなしていた。
 交渉、依頼の吟味、情報集め、斥候…
 裏方とも言える仕事は、彼女がこなすとまったくそつが無い。
 ややだらしないところがあるが、いざ仕事になればまったく隙を見せない女であった。
 誠実で真っ直ぐなシグルトが騙されないよう、しっかりとしたアドバイスをし、常に狡猾で慎重である。
 “風を纏う者”が受ける仕事を堅実にこなせるのは、彼女の管理能力が優れているからだろう。
 会計役として金銭や装備のチェックも彼女の仕事で、仲間たちはいつも彼女の用意のよさに驚かされていた。
 
 魔術師であるロマンだが、その博学ぶりは大人の学者顔負けであった。
 ロマン曰く、自身は賢者であるとのこと。
 子供と侮る者には容赦なく、その含蓄を思う存分出して相手をやりこめる。
 巧みな魔術と、シグルトの戦略を即座に理解する聡明さ。
 少しひねくれているが、努力家である。
 端整で美しい容貌は、子供らしい中性的な姿から、一見少女のようにも見える。
 生真面目で、知識に対する執着が強く、パーティの生き字引のような存在だった。
 
 軽戦士であるラムーナは、パーティのムードメーカーだ。
 女性としてはまだ子供っぽさが抜けないが、底抜けに明るい彼女の姿は、仲間たちの清涼剤である。
 苦境にあっても、ぎすぎすした雰囲気でも、ラムーナが雰囲気を変えるのだ。
 だが、この少女が大変な仲間思いで、気配りができることは、仲間たちもよく分かっていた。
 レベッカほどではないが、器用で細かいことに気がつく。
 素早さは仲間の中では最も優れ、反応速度も一級である。
 シグルトに戦術を仕込まれ、体格的にも普通の戦士からは大きく劣るのだが、飛翔から特攻する得意技を駆使した巧みな崩しを行うため、十分な戦力になっていた。
 
 聖海教会の僧侶であり、司祭でもあるスピッキオは、老獪で正義感が強い。
 この時代、僧侶は非常に尊敬される職業である。
 やや堅物ではあるが、良心的な判断力を持ち、豊富な人生経験から柔軟性もある。
 厳つい体格に似合わず温厚な性格で、異教に対しても理解がある。
 優秀な秘蹟の使い手でもあった。
 フォーチュン=ベルに旅立つ前、クレメント司祭から譲られた小さな銀の聖印を使って祈り、生傷の絶えない仲間たちを危なげなく癒す。
 彼の治癒の秘蹟は、仲間たちにとっては貴重な命綱となっている。
 さらにスピッキオは、優れた体格から旅で悪漢を追い払ってきた豪傑だ。
 杖を武器に戦う姿は、下手な戦士よりよほどそれらしい。
 
 この5人は、冒険に必要なスペシャリストが揃っていることから、実に優れたパーティなのだった。
 チームワークも、結成したばかりのパーティとは思えないほど強い。
 妬まれることすらあったが、“風を纏う者”結束は驚くほどに堅く、ものともしなかった。
 ある者は、〝“風を纏う者”が“~たち”という複数形でパーティ名を名乗らないのは、パーティが一つにまとまっているからだからだろう〟などと評価している。
 
 結成して一月にもならないが、“風を纏う者”はじわじわと名を売りつつある。
 そんなパーティに入りたいと、駆け出しの何人かが売り込んでくることもあった。
 
 一般的に6人で活動することが多いといわれる冒険者のパーティ要員数から見れば、5人組の“風を纏う者”にはまだ空席があると感じるのだろう。
 しかし、そのほとんどはレベッカの反対で、あるいは実力不足や性格の問題点を理由に退けられている。
 
 レベッカ曰く、「仲間や環境に甘えることが目的の連中とつるむ気は無い」そうで、まして美しい容貌のシグルトやレベッカ、ロマンといったごく個人と親しくなりたいという、軟派な目的なら論外だった。
 
 ごくまれに、自身に相応しい実力と評価して、少し実戦経験のある冒険者の売り込みもあるが、レベッカの評価は渋い。
 
〝1人であるってことは、なしかしら問題があったからよ。
 自分の実力を売り込んでくる連中は、たいがい自意識が過剰だから選別には注意が必要だわ。

 気をつけないとチームプレイを乱されるし、私たちみたいに今でも十分安定しているパーティなら、異分子になりうる新参者にそのバランスを引っ掻き回されかねないって意味で、なおさらね〟
 
 冒険者になってから数年間、ずっと仲間に対する理想が高く、シングルの冒険者を続けていたレベッカのお眼鏡にかなう者は、今のところ無かった。
 
 フォーチュン=ベルにやってきて2週間。
 “風を纏う者”は、ほぼ現在の形で安定しつつ、特別な5人組の冒険者として知られるようになっていた。
 
 やがて実力を頼って、また新しい依頼がやってくるのだった。
 
 
 その依頼は森に巣食う狼の討伐だった。
 
 10頭ほどいるという狼たちは、狡猾なボス狼に率いられ、旅人や木こりをも襲うという。
 
 最初、シグルトは珍しく仕事を請けるのを渋った。
 
〝狼みたいな野獣は素早く、森のような隠れる場所が多い地形では、さらに手強くなる。
 
 奇襲を受ければ、俺たちだけでは勝てるかどうか分からない〟
 
 しかし切迫した依頼人の様子、“風を纏う者”の名を頼っての依頼だったので、結局は皆でよく注意する、ということで行うことになった。
 
 シグルトは依頼人に地理を詳しく聞き、綿密な作戦をたてて様々な対処法を吟味し、はぐれた時の合流地点と目印の付け方を決める念の入り様で行動を決めた。
 一旦行動に出れば躊躇いのないシグルトであるが、必要なとき、ことにそれが仲間の命に関わる場合は極めて慎重だった。
 
 シグルトは実戦経験があり、集団を率いて戦うことに慣れている。
 彼の立てる作戦は、経験豊富なレベッカや、リューンの大学で学んでいたロマンも感心するほど効率的で、特に仲間の実力を常に把握し作戦を決める応用力は、それを見た誰もが驚いていた。
 
 予期しないことがあっても即座に行動を決断し、惑わない冷静な対処能力がある。
 もともとの気質ではなく、状況に応じて大胆にも慎重にもなれる、経験を積み自身の内面を禁欲的に磨いたものだけが持つ、独特のセンスがあった。
 
 そんなシグルトが吟味した作戦である。
 反対する仲間はいなかった。
 
 次の日、準備を終えた一行は森に入っていった。
 
 
 深い森の中を、レベッカが慎重に調べながら進む。
 その際シグルトは、吹く風の向きには特に注意していた。
 
 狼は嗅覚に優れている。
 風上に立とうものなら、すぐに気付かれてしまうからだ。
 
 やがて、数時間森を歩くと、敵を見つけたレベッカが警告する。
 仲間たちが見ると、数匹の狼が寝そべっていた。
 
 シグルトが目で指示を出すと、ロマンが【眠りの雲】の呪文を唱え始める。
 
「《…眠れっ!》」
 
 ロマンの呪文が完成すると、2匹の狼がそのまま動かなくなった。
 突然の人間の声に、残った狼たちはうなり声を上げながら近寄ってくる。
 
「注意しろっ!
 
 不利な状態で逃げない狼は、士気が高い!!」
 
 警告したシグルト、そしてラムーナが武器を構えて前に出た。

「…ハァッ!」
 
 ラムーナが地を蹴り、鋭い突きで先頭の狼の右目を刺す。
 シグルトがその狼の脇腹を切り払い、倒れたところにスピッキオが杖で止めを刺す。
 
 レベッカは軽快な足運びで、1匹を受け持つ。
 
「《…眠れ!》」
 
 ロマンの呪文が立て続けに放たれ、もう1匹を眠らせた。
 
 シグルトはすぐにレベッカの前に立ち、怯んだ最後の1匹を見る間に追い詰めていく。
 仲間たちが態勢を整える間に、シグルトの重い斬撃は、2匹目の狼を屠っていた。
 
 そして3匹目、ロマンの呪文で眠った狼にも剣を振り下ろし、止めを刺す。
 
 シグルトは仲間がためらう、汚れたり痛みを伴う類の仕事を率先して行う男だ。
 仲間の厚い信頼は、彼の普段からの姿にもよるのだろう。
 
 タッタッタ…
 
 森の奥から、狼たちの駆けてくる音が聞こえる。
 
「次が来るぞ…
 
 皆、油断するなっ!」
 
 狼の血に濡れた剣の柄を握り、シグルトが鋭く警告する。
 
「…グルルゥッ、ガフッ!!!」
 
 草むらから飛び出したのは数等の狼たち。
 その中で一際強そうな1匹が進み出る。
 
 低い唸り声を上げるそれは、子牛ほどの大きさもある蒼い毛並みの巨大な牡狼だ。
 
「ボスってわけね…」
 
 レベッカが短剣を構えつつ、油断無く構える。
 
 ボス狼に付き従うように、4匹の狼が陣を組むようにその周りに並ぶ。
 
「気をつけてっ!
 
 指揮官のいる狼は強いよっ!!」
 
 ロマンの言葉に、皆が頷く。
 
 ボス狼ともう1匹の狼が連携して、体格の小さなロマンに襲い掛かってきた。

「…ぬぅうっ!」
 
 スピッキオが横から杖を振るい、その狼の頭蓋を砕く。
 
 シグルトが一瞬で間合いを詰めてきた1匹を殴りつけ、その隙に横から噛み付こうとするもう1匹の牙を、腕に巻いた硬い布を噛ませてがっしり受ける。
 
 狼の爪でかすり傷を負ったロマンは、その間にも呪文を唱え、魔術を完成させた。
 
「《…穿てっ!》」
 
 その【魔法の矢】で首を貫かれた狼が1匹、地面に倒れ伏せる。
 
 レベッカはとんとんっと、軽やかなステップでボス狼を引きつけ、攻撃をかわす。
 もとより、こんな巨体と力比べをするつもりなど無く、誘うように防御をしながら後退して仲間から引き離す。
 
 一方、腕に噛み付いた狼を近くの木の幹に叩き付けて振りほどくと、剣を構えなおすシグルト。
 片目がひしゃげ、牙が折れ、歯茎からあふれる血で大地を染めながら、その狼はよろよろと後退する。
 
 仲間の危機を悟ったのか、突然向きを変えたボス狼がラムーナに突進した。
 吹き飛ばされたラムーナは、木の幹に叩きつけられ、崩れるように倒れ意識を失った。
 
 シグルトは目前の狼を斬り払って止めを刺し、ボス狼の方に向かおうとするが、もう1匹の狼がその前を遮る。
 
「くっ、ロマンッ!」
 
 即座に場を読んで、シグルトが鋭い声で行動を示唆した。
 
「《…穿てっ!》」
 
 ロマンの呪文が、ラムーナに止めを刺そうとしたボス狼を弾き飛ばした。
 
 シグルトはその隙に、立ち塞がった狼の頭蓋を、突風のような攻撃で打ち砕く。
 その狼は骨が無くなったようにふらふらとよろめき、くたりと地に倒れ臥した。
 
「後1匹っ!」
 
 レベッカの声に、士気を高めた仲間たちは、一斉に最後のボス狼を取り囲む。
 残ったその巨狼は手強かった。
 
 シグルトの攻撃を巧みにかわし、ロマンが唱えた眠りの呪文にも耐える。
 逆に、反撃の攻撃でスピッキオがよろめく。
 ラムーナが失神するほどの、巨体で行う素早い突進は、凄まじい威力があるのだ。
 
「《…眠れっ!》」
 
 しかし、めげずに呪文を唱え続けたロマンの【眠りの雲】が、ついにボス狼を捉えた。
 眠気によろめくボス狼。
 
 立っている4人は一斉に、手持ち最大の手で討って出る構えを取る。
 スピッキオの杖の一撃が、ロマンの呪文が、ボス狼の厚い毛皮の上で弾ける。
 
「…はぁぁあっ!!!」
 
 それらの攻撃で後退したボス狼。
 わずかに生まれた絶妙の間に、シグルトが上段から振り下ろす【渾身の一撃】で、ついにボス狼の眉間をかち割る。
 飛び散った鮮血と脳漿が、びしゃりと大地に降りかかった。
 
 ボス狼はよろよろと後退し、森に敷き詰められた落ち葉の上に、どうっ、と倒れた。
 
「…はぁ~」
 
 力が抜けたように、ロマンがへたり込んだ。
 
 倒れたラムーナの元にレベッカとスピッキオが駆けて行く。
 油断無く周囲を哨戒しながら、シグルトは剣についた獣臭の混じる血糊を拭い取った。
 
「…ほっ。
 
 ラムーナは意識を失っているだけよ」
 
 スピッキオが癒しの秘蹟を行うと、ラムーナが目を覚ます。
 
 周囲に敵がいないことを確認したシグルトと、服についた落ち葉を払って立ち上がったロマンが、ラムーナの方に駆け寄る。
 スピッキオの癒しの秘蹟を施され、ラムーナはうっすらと目を開けた。
 
「…ラムーナ、まだ無理に立つな。
 身体を強く打っているから、咳き込むぞ。
 
 見る限り重篤な様子はないな…少し寝て休んでいれば回復できるだろう。
 
 幸い木までの距離が短かったしこの木は苔が厚く生えているから、衝撃を受け止めてくれたようだな。
 
 他に傷が無いか、レベッカが確認してくれ。
 男連中は少し離れて待つとしよう。
 
 ラムーナは受身が上手いから、後遺症の残るような怪我は、さっきの様子を見る限りは無いが…
 
 頭や内臓の辺りに痣や鈍痛が無いか、調べておいた方がいい。
 骨に異常があるなら、俺が背負うからすぐに言ってくれ。
 吐き気や、喉の奥から血の味がするようなら、すぐ言うんだぞ。
 汚い話だが、お通じの時に血が混じるようなら内臓損傷の可能性がある。
 数日して異常が出ることもあるから、しばらくは気を付けておけ。
 
 スピッキオは、ロマンの手当てをあっちで頼む。
 …スピッキオも、さっきの狼の突撃で受けた打撲は、治療しておいたほうがいい。
 
 俺は、噛まれた傷に効きそうな薬草を探しておく。
 爪の傷や、噛み傷はすぐに塞ぐなよ?
 
 傷口付近の汚れを取らないと、不潔な爪や牙のせいで悪い風(破傷風)にあたることがあるからな。
 こういう獣相手のときは、注意してくれ」
 
 先ほどすぐにラムーナの元に駆け寄らなかったのは、シグルトが一番状況を理解していたからだった。
 シグルトはレベッカたちを信用している。
 
 噛まれて少し血に染まった布を解き、口で血を吸って吐き捨てながら、シグルトは適当な薬草を見繕う。
 それを噛み、傷口に押し当てて応急処置をすると、残った薬草を仲間たちに配る。
 移動しながらそれらを行っていた。
 手慣れたものである。
 
「実戦慣れしたあんたが居るから、助かるわ。
 
 とっさに腕を噛ませて木の幹に叩きつけるなんて、プロの冒険者でもなかなかできないことよ」
 
 ロマンの手当てを手伝いながら、レベッカが感心したように言う。
 
「俺のいた国では、毎年何人かが狼の犠牲になった。
 
 対処の仕方も、子供のうちから叩き込まれるんだ。
 狼は、力の無い子供や老人から狙ってくるからな」
 
 初めて狼を倒したのは9歳の頃だ、と苦笑する。
 
「安全なはずの森に子供たちだけで出かけたとき、はぐれの大きな牡狼に襲われたんだ。
 
 2人が大怪我をした。
 俺がその狼を殺した頃には、皆失禁して泣いてたな…」
 
 レベッカが、あんたはもらさなかったの、とからかう。
 
「俺は一緒に居た妹たちを守らなければいけないと、もう必死だった。
 
 擦り傷だらけになって、それでも何度も殴って…無我夢中でしがみついて絞め殺した。
 今回だって、怖かったよ。
 
 一番怖いのは、殺す感触というやつだがな…」
 
 そういうと、シグルトは手ごろな窪みを見つけて、そこに狼の死体を運び始める。
 
「…なにをしてるの?」
 
 ロマンが聞くと、シグルトは周囲の木々を見渡した。
 
「木々が血の臭いを嫌って、ざわめいている」
 
 シグルトの不思議な言葉に、ロマンが眼を丸くした。
 
「…この感覚は、分かり難いか。
 
 木々の精霊が騒いでいると言えば、理解できるか?
 俺は、昔からこういうことが分かる方でな。
 
 精霊の姿を見ることができるわけではないんだが、なんとなくその気配みたいなものが感じ取れるんだ」
 
 そう言った後、シグルトはなんとも言えない苦笑を浮かべた。
 
「故郷では、この手のことに厳しく対処する聖北教会の保守派が信仰されていた。
 
 かつてはエルフの住んでいた森に面し、古い精霊信仰を行っていた歴史を持つ国だったが、今ではそういうことは邪教の名残だと異端視される始末だ。
 
 俺も異端に断じられないように、故国ではこの感覚のことを隠していたんだが…冒険者になって、話せるようになるとはな。
 
 リューンには大きな〈精霊宮〉もあるし、肩身が狭くなくて有難いよ」
 
 シグルトの意外な資質を知って、仲間たちは皆驚いた。

「そんな感覚のせいか、樹木のざわめきや風の荒れ方で、精霊の気持ちがなんとなく分かるんだ。
 
 精霊たちは機嫌が悪いと、時々悪戯をする。
 今後、依頼人たちが森を使うことを考えるなら、後始末はできるだけしておいた方がいい。 
 
 それに、狼は誇り高い獣だ。
 このまま野にさらして、村人が確認に来たとき、蛆のわいた姿をさらすのは気が引ける。
 死体を涼しいところに集めて、軽く土と落ち葉をかけて目印をしておけば、村人が確認を終えた後は土に返るだろうからな。
 
 この狼たちは、生きるために喰らい、自分たちのテリトリーを守ろうとしていただけだ。
 
〝死んだものには、憎む相手にも敬意を〟
 
 昔、色々なことを教えてくれた婆さんが言ってた言葉だ。
 
 俺も、冒険者として一歩誤ればこの狼と同じように、山野に屍として横たわることがあるかもしれない。
 だから、今出来るうちに自分の近くだけでも、死んだものには敬意を尽くしておきたいんだ」
 
 シグルトは神秘的なその青黒い瞳で、物悲しげに狼の骸を見つめていた。
 
 普段はそういうことを偽善と笑うこともあるレベッカも、この時は神妙な気持ちになるのだった。
 
⇒『希望の都フォーチュン=ベル』 ゴブリンと狼の続きを読む

『第一歩』

2017.11.15(00:44)

「…ふっ!!!」
 
 鋭い呼気とともに真っ直ぐな突きを放つ。
 その攻撃はたやすく避けられて、シグルトの肩に鈍い痛みが走った。
 がくりと膝を地面につく。
 
「だから言ってるだろ!
 お前の攻撃は正直過ぎるんだよ」
 
 無精ひげの生えた粗野な口調の男は、馬鹿にするように剣に似せた剣術練習用の棒切れで、自分の肩をぽんぽんと叩いた。
 
「おいレストール。
 素人相手にやりすぎだぞ?」
 
 横で鎧姿の男が苦笑いして言った。
 
「そんなこと言って甘やかしてみろ…
 こんな若造、すぐに死んじまうぜ!
 
 いいかシグルト…冒険者って奴は弱い野郎から死んでいくんだ。
 生き残りたかったら、こんなことでいつまでもへたってないで、とっとと攻撃して来い。
 どんな手を使ってもいいから、俺から一本とって見ろ!
 
 …そうしたら終わりにしてやる」
 
 レストールという粗野な男は、容赦なくシグルトの肩口を蹴り飛ばした。
 
 下がったシグルトは上段に棒切れを振り上げる。
 静かな闘志が、青黒い双眸の奥に宿っていた。
 
「おっ?
 やる気が出たな…」
 
 横で見ていた鎧姿の男は、面白そうにシグルトを見ている。  
 
「生意気にも〈鷹の構え〉か?
 そんな大振り、俺に通じると思ってんのかぁ?
 さっきから言ってるだろ」
 
 レストールは馬鹿にしたように、自身も同じ構えを取る。
 
 何を思ったか、シグルトは踏み込もうとして止め、今度は違う構えを取る。
 同じ上段の構えだが、不思議な形のものだった。
 
 柄を持った腕を頭より高く、切っ先にあたる部分で、まっすぐにレストールを指す。
 斜めに傾いた棒の先に、逆腕を軽く添え、足を出してやや低く腰を落している。
 
「…なんだそりゃ。
 
 お前、そんな変な構えで、自棄にでもなったのか?」
 
 見たことの無い構えに、レストールはあきれたように鼻息をひとつ吐いた。
  
 瞬間、呼吸のわずかな隙を狙って、シグルトは真っ直ぐレストールに突進した。
 
 ガッ!!!
 
 凄まじい踏み込みだった。
 
「ほう、突きできたか。
 
 なかなかいいが、一歩分遅かったぜ?」
 
 唇の端を吊り上げて嗤うレストール。
 しかし、その目は真剣になっていた。
 
(…ふう、冷や汗をかいたぜ。
 
 何とか受けられたが、微妙だったな。
 こいつ、こんな技を隠し持っていやがったのか)
 
 シグルトの踏み切った踵の場所が少しへこんでいる。
 いかに強い一歩だったかよくわかる。
 
 油断無く構える相手に、シグルトは弓を引き絞るように柄を持った手を後ろに下げる。
 逆手は添えるだけ。
 
「ほぉ、さっきの技の変形か…
 
 今度はもう少しましだろうな?」
 
 その問いには答えず、シグルトはすっと深呼吸、息を止めた。
 
「…ッ!!!!!」
 
 今度はシグルトの姿が残像を残し、消えた。
 
「…突きが来るのは読めてんだよっ!!!」
 
 レストールは見えないほどの速度になったシグルトの一撃を、勘だけで薙ぎ払った…はずだった。
 
 ベキィ!!
 
 その一撃でレストールとシグルトの棒が同時にへし折れたのだ。
  
「ぬぅあっ!!!」
 
 一瞬だがレストールに隙ができる。
 そこにシグルトはタックルして、自分の持っていた半分ばかりの棒切れをレストールの首に押し付ける。
 
 折れてできたささくれが、レストールの肌に小さな血の玉を作らせた時、急にシグルトがバランスを崩した。
  
 その瞬間、レストールの拳がシグルトの頬に突き刺さった。
 したたかに地面に叩きつけられ、シグルトはそのまま意識を手放した…
 
 
「で、どうだったんだ、シグルトの腕は?」
 
 親父がレストールと鎧の男、コッカルトの前にシチューの皿を置きながら尋ねる。
 
「へっ。
 あんな若造、まだまだだぜ!」
 
 がつがつと先にシチューを食らっているレストール。
 
「…いや、正直とんでもないな、アイツ。
 本当にこいつから一本取ったんだぜ」
 
 コッカルトはレストールの首筋にできた瘡蓋をなぞる。
 
「っ!!
 気色わりいぃんだよ!
 変な触り方するんじゃねぇ!!」
 
 首を押さえ、レストールは盛大に唾液混じりのシチューを飛ばした。
 
 顔をしかめてシチューを拭き取りつつ、コッカルトはまた思い出したように話を続ける。
 
「…ほんとにすげえよアイツは。
 
 踏み込むときに全く躊躇してなかったし、得物がへし折れても最後まであきらめなかった。
 とんでもないクソ度胸だ。
 あれで、剣をまともに使い始めてまだ一月だっていうんだからな。
 
 技はド素人だが、基本をみっちり叩き込めば1年後には俺たちに並ぶか、越えてるかも知れない。
 
 ありゃ…化けるぞ。
 
 それに、あいつは素人じゃない。
 剣はまるでなってないが、武芸の基礎は徹底的にやってる」
 
 コッカルトはそういってレストールに同意を求めた。
 
「…だろうな。
 
 あの軸足の使い方や勝負度胸。
 2度目のアレは、俺でも見切れなかった。
 
 剣の技じゃねぇな、あの突きは」
 
 首の瘡蓋を掻きながら、レストールは目を細めた。
 
「…たぶん、棒術か槍だな。
 
 逆腕の位置が、刃物に添えるそれじゃない。
 最後になんでかふらついたが、あれがなけりゃ、完璧にレストールがやられてたな。
 
 視線の追い方が普通じゃない。
 まるで、もともと一流だった病人みたいな動きだ。
 
 武器を振るうべき場所、受けるべきタイミング。
 全部分かってるのに、身体と動きが付いていってない、もどかしそうな感じだ。
 
 あいつが自分の思ったとおりに動いてたなら、あるいはレストールより強いかもな」
 
 コッカルトの言葉を苦い顔をして聞きながら、レストールはそれを否定しなかった。
 
「…親父、シグルトがいくつか分かるか?」
 
 食後の酒をやりながら、レストールが唐突に聞いた。
 
「宿帳に生年月日が載ってたな…
 
 確か、18になるはずだが?」
 
 コッカルトが目を丸くした。
 親父も何かに思い当たった様子で、首をかしげる。
 
「そう、18だ。
 俺たちからすりゃ、若造さ。
 
 あいつをまだ18だって言って、信じる奴がいると思うか?
 皆、20過ぎだろうって答えるぜ。
 
 よく見りゃ、見た目は確かに若いけど、あいつの目も態度もそうは見えないんだよ。
 まるで三十路を回った戦士の目だ。
 
 考え方だってそうだ。
 
 俺も、後輩の指導をするのは初めてじゃねぇ。
 だが、あいつほどストイックに教えたことを吸収してモノにする奴は見たことがねぇよ。
 
 あの野郎には、新米が持ってる焦りや虚栄心がまったくねぇんだ。
 
 そぎ落として残った向上心と自制心で徹底的に無駄を削って自分を磨く…
 
 あんな精神構造になるのは、普通は爺ぃになって、身体が年食ってよ…
 残った時間で何をするか決めた、人生の終わりを見据えた野郎のもんだ」
 
 レストールたちは、シグルトの青黒い瞳の奥に燻る闇を感じていた。
 それは、大切な何かを失った喪失感と、無念。
 
 心の底から慟哭するような経験をしなければ、ああはならない。
 
「…不安なんだよ。
 
 まるで、死人みてぇでよ」
 
 残った酒を飲み干し、苦そうにレストールは顔をしかめた。 
 
 
 シグルトは横になったまま黙って天上を見ている。
 
 仲間たちが先ほど見舞ってくれ、スピッキオが癒しの秘蹟で治療してくれた。
 おかげてレストールに殴られたときにできた青痣も、今は綺麗に消えている。
 
 シグルトは腕を顔の前にかざし、握ったり開いたりした。
 親指と中指は普通に動くのに、他の指が痙攣したように上手く曲がらない。
 
 やがて、繰り返すその行動のおかげかすべての指が動くようになっていった。
 それを確認したら、反対の腕で同じようなことをする。
 
 額に脂汗が滲んでいた。
 
 両手が動くようになると、上体を起こし膝を曲げて服のすそをまくり、脛を出す。
 踵の上からぐるぐると巻かれた木綿の布。
 それを緩めて、湾曲した硬く薄い木の板を取り出す。
 きつく巻かれた布の上からだと判別がつかなかったが、踵の部分に合わせて削った添え木だった。
 
 その添え木を外すと、足首をそっと揉み解し、軽く手で回す。
 手を離すと、だらりと足の爪先が床に向かって垂れた。
 
(…まだこれ無しでは、無理か)
 
 すべて巻いた布を解くと、そこには何かで抉られたような傷痕があった。
 ちょうどアキレス腱のあたりである。
 縫合痕も見受けられた。
 
(…繋がっているといっても、歪なままなんだろうな)
 
 苦笑するシグルトは、もう片方の足も同じように揉み解す。
 そちらの足にも同じような傷があった。
 
 もし宿の者たちが見たら、目を丸くしただろう。
 シグルトは添え木をした義足同然の足で、あれだけの動きをして見せたのだ。
 
(…半年前に比べれば、走れるようになった分だけ僥倖だろうな。
 
 あの聖典教徒の爺さんには、一生まともに歩くことも無理だろうと言われてたんだ。
 今、俺は歩くことができる。
 
 俺には、剣を握る腕がある、地を蹴る足がある。
 
 俺は、まだ戦える…)
 
 思うように動かない四肢を見つめながら、シグルトは静かに呼吸を整えていった。
 
 
 …それは、宿の熟練冒険者であるレストールとコッカルトの2人が、新米冒険者であるシグルトに剣の稽古をつけてやる、と言い出したことから始まった。
 
 シグルトたちがスキッピオを伴って宿に戻ってきた直後の話である。
 
 暗い顔をしてテーブルに座っていたレストールとコッカルトだったが、シグルトたち5人を見て、興味をひかれたように話しかけてきた。
 なぜかシグルトの名前を聞いた瞬間、2人の眼が驚いたように見開かれ、その後2人はシグルトたちにおせっかいといっても過言ではないくらい、こと細かく世話をやいてくれた。
 
 2人の先輩冒険者は、シグルトたちに昔使っていた剣や鎧をくれて、冒険者の基礎となる野営のしかたや、心構え、護身術や駆引きにいたるまで、親身になって教えてくれた。
 
 その後、今回のような強引な“教育”もあったが、2人の冒険者のおかげでシグルトたちは十分な予行と訓練をつむことができたのである。
 シグルトたちにとって幸運だったことは、レストールたちは宿の親父やレベッカも認める一流だったということだ。
 
 西方でも、彼らほど腕の立つ冒険者は少ないだろう。
 
 シグルトたちは優秀な教え子だった。
 
 レベッカやスピッキオは旅の経験があったので、冒険者がよく行う野外活動には通じていたし、ロマンは一部分でレストールたちより博学だった。
 ラムーナは勤勉にものを学んだので飲み込みは早かったし、器用である。持ち前の跳躍力を活かして仕掛ける奇襲技を一つ習得していた。
 
 そして、シグルトは「剣を握ってまともに振るってみたのはここ一月」とは思えない戦闘センスを持っていた。
 レストールやコッカルトが、訓練中に一本取られる回数が、数日で倍に増えたほどである。
 
 
「くっそぅ。
 
 お前もう、素人の剣じゃないぞ」
 
 一本取られたレストールが、軽くシグルトの肩を小突いて言った。
 
「まったくだ。
 
 特にお前の戦術センス、初心者のものじゃないだろ?
 お前には槍の方が向いてるように思うんだが…」
 
 その言葉に、シグルトは苦い顔をした。
 
「槍は、冒険に持ち歩くにはかさ張ります。
 
 それに、屋内や洞窟での戦闘には向かないでしょう。
 あと、槍を使うにはもう少し器用で素早さもないと。
 
 …俺は不器用ですから」
 
 コッカルトはそれ以上言わなかった。
 シグルトは決して槍を持とうとしなかった。
 話してみれば、槍の使い方を明らかに知っている様子だったが、その話題は出来るだけ避けようとしていた。
 
 知られたくない過去があることは、レストールにもコッカルトにも理解できたし、なによりシグルトは軽薄に昔話をするような男ではなかった。
 
 そんな形で数日の準備期間を過ごし、シグルトたちはとうとう初の依頼を受けることになった…
 
 
 依頼は、廃教会に出没する妖魔の討伐というものだ。
 
 戦闘を前提とした仕事のため、旅立ちの朝、一行は念入りに用意をした。
 だが、旅の道中は何事も無く穏やかなものだった。
  
「ふんふんふ~ん♪」
 
 鼻歌を歌いつつピョンピョン先を行くラムーナを、同行したトルーアという侍祭は、本当にこんな人たちで大丈夫なのか、という不安げな顔でとぼとぼと後をついて来た。
 
 仲間がそれぞれに移動する中、シグルトは旅立つ前にレストールが酔っ払って何度も「冒険者なんて辞めろ!」と言っていたことを思いだしていた。
 
 レストールたちにはかつてシグルズという仲間がいた。
 その仲間は先日つまらないことで亡くなり、似た名前のシグルトには他人とは思えない縁を感じたという。
 
 親しくなったシグルトが死ぬことを、レストールたちは恐れていた。
 再び見知ったものが死ぬことは、耐えられないという風に、2人は酔いに任せて切々と訴えた。
 
 だがシグルトは苦笑して話を最後まで聞くと、自分が選んだ道から外れることはできないと答えた。
 
「俺にはまだ強さが足りない。
 
 でも、まだ死ぬ気はありません。
 ある女が生かしてくれた命、ですから。
 
 それを尽くして生きることが、今の俺に出来ることなんです」
 
 シグルトのその言葉と決意の中に、重い過去を感じたのだろう…
 次の日、レストールとコッカルトは、「絶対、生きて戻って来い」と言って沢山の餞別をくれ、一行を送り出してくれた。 
 
(今は前だけを。
 
 俺たちは歩き始めたんだ)
 
 レストールがくれた、古びているが磨いたばかりのやや重い両刃の剣。
 その柄頭を撫でながら、シグルトは静かに心を昂ぶらせていた。
 
 
 その日の夜。
 
 野営中に見張りの時間になり、焚き火の晩をしていたシグルトは、眠れないというトルーアに話しかけられた。
 話すうち、トルーアは様々なことを質問してくる。
 そしてそれは、シグルトの出生に話題を移した。
 
「ちょっと興味があったんです。
 貴方はとてもお若いのに、すごく大人びて見えたので。
 
 よかったら教えていただけませんか…あなたはどんな生まれなのか」
 
 少し戸惑いながらも、シグルトは焚き火の前で1人見張りをしていた退屈を紛らわすように話し始めた。
 
「…生まれた家は特殊だったが、育ったのは街中だ。
 都会じゃなかったが、遊ぶ相手を選ぶぐらいは、同世代の連中が周りにいたよ。
 
 家族は、母と、守らなければならない妹がいた。
 
 子供の頃はがむしゃらに、俺が母と妹を守るんだと、1人で身体ばかり鍛えていた。
 そんな俺にも、陽気な奴が話しかけてくれて、そいつには俺の妹と同い年の妹がいて仲良くなった。
 そいつと遊ぶようになってからは、人との付き合いも大切なんだと気付かされた。
 
 野山を駆け回って、友と妹と遊んで…
 文字や学問は母や知り合った不思議な婆さんに教わった。
 そのまま大きくなって、いつかは普通に働いて結婚する生活を夢想していたよ。
 派手な人生じゃなくていい…
 ただ親しい連中と家族と普通に暮らす、そんなつもりだった。
 
 それも、10歳を少し過ぎるまでだったが。
 
 俺の母は、生まれが貴族でな。
 その両親…俺の祖父母が犯したという罪で貴族ではなくなっていたが、どこかそういった育ちを教育に出す人だったよ。
 博学で、古今東西の伝承や歌曲に詳しかった。
 母が歌う古い歌や、話してくれる珍しい物語には、俺も妹も夢中になったものだ。
 
 父は、正妻がいた貴族だった。
 つまり、俺の母親は世間一般で言えば妾、ということになるか。
 でも、それを悲観したことはなかったな。
 母は優しかったし、俺の誇りだった。
 俺の出生や母のことを馬鹿にする連中がいて、むきになって向かって行って、生傷を作っては母と妹に悲しまれて…
 その方が殴られた傷よりよほど堪えたよ。
 
 あるとき父の正妻が死んで、俺の母は正妻として迎えられた。
 気付いてみれば、俺は貴族の子供になっていた。
 慣れないことばかりで、特に母親の違う兄には反発していたな…」
 
 シグルトは西方のずっと北にある小さな国の、男爵の子供だった。
 
 最初は街のはずれにある石造りの家に、母と妹と3人で暮らしていた。
 幼いながら、時折やってくる立派な身なりの男が自分の父親であることをなんとなく気付いていた。
 
 10歳になって母が正妻として迎えられると、シグルトはその男の正式な子供として、妹ともに認知された。
 
 あとで噂に聞いたことだが、シグルトの母は現国王の血筋にも関係する貴族の令嬢だったが、謀略で母の父は妻とともに無理心中したことにされ、自殺が大罪の祖国の決まりで家は断絶。行くあてが無かった母はシグルトの父親に愛人として囲われたのだった。
 それは母を保護するための方便であり、シグルトの父は名誉を失った母を他の人間から守るために、とある人物の知恵を借りて愛人関係を装っていたのである。
 
 シグルトの母が正妻として迎えられたとき、一緒に父の屋敷に行くと、父親は腰を折ってシグルトたちを抱きしめてすまなかったと謝った。
 母が父親と真剣に愛し合っていたのを知ったのはそのときで、なんとなく誇らしく思ったことを覚えている。
 
 屋敷には跡継ぎの異母兄がいた。
 陰気で高慢に振る舞うその異母兄が、シグルトは大嫌いだった。
 
 初めて異母兄に会ったとき、シグルトを「売女の子供」と罵って、馬を打つ鞭で叩いて跪けと言ったその男を、父が止めに入る前に殴り倒していた。
 シグルトは異母兄に会った瞬間から嫌いになったが、母を侮辱した瞬間には敵だと認識していた。
 
 その異母兄と和解することは終になかったが、噂でシグルトたちのことを憎んで異母兄の母が心を患っていたということを聞いてからは、憎むほどではなくなった。
 シグルトの父がその異母兄を見る目は、慈愛とともに言い知れぬ苦しみを宿していた。
 そして異母兄にも自分へ注いだものと変わらぬ愛情を持っていた父を、シグルトはとても誇りに思っている。
 
「どうして冒険者になったのですか…
 所領は継げなくても、いくらか資産は継ぐことができたのでは?」
 
 普段むっつりとしたシグルトが饒舌に語った過去。
 興味を持ったようにトルーアは話の続きをせがんだ。
 
「別に貴族の財産や所領に興味はなかったな。
 俺は平民の中で育ったし、貴顕の生活そのものにも、まるで魅力を感じなかった。
 
 だが、惚れた女が身分の高い貴族の娘だったんだ。
 彼女を妻として迎えられるように、本気で貴族になろうとしたこともあったよ。
 
 結局、いろんなことがあって故郷から出なければならなくなった。
 そう…いろいろあったんだ。
 
 好きだった女は、嫌いだった兄に嫁いだ。
 もう、貴族になる必要もなくなった。
 
 …故郷での俺の居場所はなくなったから、こうして流れてきて冒険者になった、というところだな」
 
 焚き火に新しい薪をくべながら、どこか暗い光の瞳で、シグルドは弾ける火の粉を眺めていた。
 
 トルーアは、シグルトの過去にはもっと複雑な何かがあるように感じたが、どこか悲壮な雰囲気のシグルトに、それ以上過去のことを尋ねることはできなかった。
 
 重苦しい雰囲気をどうにかしようと、トルーアは自身が聖職者になったわけを話す。
 シグルトは黙ってそれを聞いていて、時折相槌を打つように頷く。
 
 最後に、トルーアはふと思ったことを口にした。
 
「あの…シグルトさんは、冒険者になれば死ぬこともあるということは分かっているんですよね?
 
 その、やっぱり死ぬことを覚悟なさったり、したんですか?」
 
 岩のように落ち着いているシグルト。
 その心が、トルーアは知りたかった。
 
「…人はいつか死ぬものだ。
 
 限られた命、限られた時間を終えた後にはきっと死んでいく。
 どんなに近しい者が嘆いても、尽くしても。
 
 必ずやって来る死という理不尽、終局はきっと、俺が手を動かす、そんな事柄の一つでしかない。
 来ることが分かっている死に覚悟を決める、という気は起きないな。
 俺にとって自分の死はいずれ受ける必然で、それほど重くないんだ。
  
 俺は死ぬことよりも、己が今尽くすべきことをせずに終わることが怖い。
 
 この命は父と母、そしてある女にもらった。
 その生き方を、求められはしなかったけれど…無駄にはしたくない。
 
 だから俺は、死ぬよりきっと、その時その時をその度に…生きることに覚悟をしようとしている。
 
 俺は与えられた時を、死ぬまで生き続ける。
 だから、死より生の方が大切で重く、覚悟が必要なんだ…」
 
 それは聞いたこともない、不思議な答えだった。
 
 首をかしげるトルーアの前で、シグルトは何かを飲み込むように、焚き火の炎をじっと見つめていた。 

 
 
 次の日、一行は目的の廃教会に向かった。
 
 ロマンやラムーナは、さすがに少し緊張した様子である。
 
「シグルト、随分余裕ね。
 
 怖いとか、不安とかないの?」
 
 レベッカが尋ねると、ああ、と短くシグルトは答えた。
 
「戦いのとき、一番大切なのはいつものように動けるかだ。
 何かを恐れていては、一撃目すら出せないかもしれない。
 
 俺に求められる役職は戦うこと。
 なら、戦いの恐怖に震えないことも、仕事のうち、ということだ
 
 熊狩りや盗賊討伐に参加したことがあるから、この程度で怖いとは感じないな」
 
 シグルトの泰然とした態度に、レベッカは口笛を吹く。
 
「あんた、やっぱり実戦経験とかあるんだ。
 
 そのわりには、剣は持ったことが無かったみたいだけど?」
 
 その問いにシグルトは頷く。
 
「俺の国で剣は特別な意味を持っていた。
 
 国民の帯剣は禁止されていたしな。
 正騎士として叙勲を受けるか、外国人、あるいは国王に認められた勇士しか帯剣は許されなかったんだ。
 
 建国の王が剣を使っていたからってことで、神聖視されていたためだ。
 一般の兵士が持つのは戟(ハルベルド)か槍、あとは斧に鎚矛(メイス)といったところだな。
 
 剣を初めて握ったのは、故郷を出てからだ。
 西方について冒険者になろうとしたとき、冒険者が一番好んで使う武器だと聞いて、手持ちの金をはたいて買ったが、使い方が下手だったようでな。
 
 使ったとたん、折れてしまった」
 
 苦笑いするシグルト。
 
 レベッカは愛想笑いを浮かべながら、レストールがぼやいていたことを思い出した。
 
「レベッカ。
 
 金が出来たら早いうちにあいつに良い剣を買ってやれよ。
 あいつ、剣を振るうタイミングも膂力も相当なものだ。
 そのぶん、奴の攻撃は重くて鋭いが、武器の方が奴の力に耐えられない。
 
 たぶん、俺のお下がりの剣じゃ、数回冒険で敵を斬れば折れちまうだろ。
 
 買うとしたら、普通の多少良い剣じゃだめだぞ。
 シグルトが折れちまったって剣を見せてくれたが、あいつ武器を見る目も確かだ。
 
 銀貨数百枚で買った品にしちゃ、弾力も硬さも申し分ないやつだったよ。
 少し細身だったが、鋭さはなかなかだ。
 
 ロマンの話じゃ、その細身の剣で敵の斧の柄を断ち、鎚矛を柄ではじいて砕いたらしい。
 あの坊やを守るために、重い攻撃を受けちまったから折れたらしいがな」

 戦士にとって、得物は身体同然である。
 しかし、優れた戦士は己の能力が高すぎるために武器の方を破損してしまうことがよくある。
 
 シグルトはやや細身に見えるが、無駄な贅肉はまったくない。
 筋肉の束のような身体は、とてつもない力を発揮する。
 その力の使い方は芸術的だ。
 全身をばねのようにしならせて振るう一撃は、レストールとの鍛錬でも、度々剣代わりの棒を圧し折っていた。
 レストールが、シグルトの攻撃を受けた反動で手を痺れさせていたこともある。
 
 攻撃における迷いもない。
 シグルトは、清冽で勇敢な心を持っていた。
 ためらいのない真っ直ぐな打ち込みは、攻撃をより鋭いものにする。
 
 結果、生まれた力は振るう武器にも強い反動を与えていた。
 上手い使い方をしているからこそ、1回で折れるようなことはないが、長持ちしないだろうことは確かである。
 シグルトは武器の手入れに余念が無いし、扱い方も酷いわけではない。
 ただ、シグルトの能力が武器の性能を出しすぎて、結果、破壊力が武器の耐久力を上回ってしまうのだ。
 
(…困ったものだわ。
 
 力に武器がついていかないなんて、責めようが無いじゃない。
 戦士に加減して武器を使え、なんて言えないし。
 
 予備の武器に手斧でも仕入れておこうかしら?
 使い慣れた形状の武器を使うのが一番だけど…
 
 かといって、今は冒険に必要な器具を揃えたから、懐は寂しいし。
 
 ま、ここは金銭の扱いに慣れた、私の腕の見せ所ってやつか)
 
 レベッカは、銀貨千枚にもならない、仲間たちの所持金を使って、彼らの初期装備のほとんどを調達してみせた。
 レストールたちのくれたお下がりの武具を合わせて、初期の冒険者としては思えないほどの装備である。
 
 なまってはいるが、レベッカもかつては一流と呼ばれていたのだ。
 そういう意味でシグルトには共感を持っていたし、実戦経験のあるということに期待していた。
 
(…今から貯金ね。
 
 シグルトっていえば、竜殺しで不死身の英雄だもの。
 持ってた魔剣グラムは超一級の剣だったわけだし。
 不死身の竜殺し…その名前に見合う活躍はしてもらうわよ。
 
 仲間の才能に見合う投資をするのは、わくわくするわ。
 まして、それに私の腕が貢献するなら、なおさら、ね)
 
 レベッカが仲間を作らずに宿で燻っていたのは、自分の能力を横で活かすに値する仲間に出会えなかったからだ。
 しかし、今彼女の側にいる仲間たちは、新人でありながら怪力で武器を壊すような美青年に、天才と噂された少年。
 揃い難い僧侶に加えて、その才能の開花が楽しみな俊敏さを持つ娘である。
 
 レベッカの退屈を満足させるだけの仲間がいる。
 そのことに、言いようのない期待が膨らみ、レベッカは頬を緩ませた。
 
 
 件の廃教会の屋根が見えると、レベッカが一行を制した。
 
「これ以上の接近は慎重に行くべきね。
 
 皆はゆっくり来て。
 
 私は周囲に罠がないか、戦闘に邪魔な第三勢力がいないか、伏兵がいないか…
 一通りやばそうなもののチェックをしながら、先に行ってるわ。
 
 シグルト、私が行くルートは…」
 
 レベッカは地面に移動ルートを描き、注意点を説明する。
 シグルトがそれを見ながら、的確に質問し、目印や暗号をあらかじめ決めておく。
 
 冒険者にとって、符丁や目印による確認は重要だ。
 敵にばれずに意思の疎通が可能となり、問題が発生して動けなくなったときには合図にも使える。
 
 驚くほどシグルトたちは息が合っていた。
 
 もともとレベッカは他人に合わせるのは上手い方だが、シグルトはシンプルに要点を見据え迅速な回答をするので、話が滞らない。
 ロマンは子供とは思えないような細かい部分を指摘し、老獪なスピッキオは堅実な意見を出す。
 ラムーナは外見と態度によらず鋭いことを言い、それは他のものが考えないような斬新なものだった。
 
 意見が絡まると、シグルトがその中の要点を示して素早くまとめ、レベッカとロマンに意見を求める。
 それをスピッキオとラムーナが確認しながら承認し、話が進むのだ。
 
(ほ、ほんとに今回初めて組んだのかな、この人たち…)
 
 高度な作戦会議を前に横でトルーアが目を白黒させている間、シグルトたちは作戦を決め、レベッカが先行して出発した。
 
 レベッカの後を追うまでの間に、シグルトはラムーナと戦いの打ち合わせをしている。
 
 ロマンがシグルトの戦術に、しきりに頷いていた。
 彼の語る戦い方は、実戦経験した者だけが考案し使うものだ。
 真新しくはないが堅実で隙が少なく、柔軟である。
 
「…そろそろいいか。
 
 皆、レベッカを追うぞ」
 
 切りのいいところで話をまとめ、シグルトたちは慎重な足取りで出発した。
 
 
 レベッカは滑るように移動しながら、罠の類や気配を探っていた。
 
(妖魔の討伐か。
 
 鈍った勘を取り戻すには、ちょうどいいぐらいね)
 
 こういった実戦から距離を置いて数年になる。
 シグルトにあわせて、レベッカも体重を落とし勘を研ぎ澄ませる訓練を始めていた。
 
(随分鈍ったもんね。
 
 まあ、寝転んで酒飲んでりゃ、こんなものか。
 こんな姿、お父ちゃんに見せたら、折檻されてたわ)
 
 今のレベッカの行動は隙が無い。
 しかし、それに不満を覚えるほど彼女は慎重だった。
 
 普段は自堕落で軽薄な女。
 反面、仕事に移れば冷酷で鋭利な盗賊。
 
 レベッカは混沌とした二面性を持ちながら、それをすっぱりと分けてコントロールすることができる。
 
 …冷静沈着。
 鈍ったといえど、レベッカはやはり一流だった。
 
 やがて彼女が廃教会に着くと、2匹の妖魔が見張りをしていた。
 
(オークにゴブリン?
 
 下っ端だけど、2匹見張りに立てるなんて、セオリーを守ってるじゃない。
 後ろに戦略を考えてるリーダー格がいるんでしょうね。
 
 さて、ここはいいわ。
 シグルトたちが来る前に、周囲を確認して確保しておきましょう)
 
 レベッカは足音を立てずにふわりと、その場を後にした。
 
 
 シグルトたちが廃教会の近くまで来ると、切り株に座ってのんびりとレベッカが待っていた。
 
「…はい、そこで足を止めて。
 
 周囲を調べたけど、見張りは2匹だけよ。
 他にいるのは栗鼠と鳥ぐらいなものだわ。
 
 ただし、見張りが別種の妖魔よ。
 2匹見張りに立てる、ってことは戦術の分かる奴が後ろにいるし、別々の妖魔が組んでるってことは問題ね。
 連中が、はぐれ妖魔の集まりでもない限り、頭のいいゴブリンシャーマン、あるいはあいつらを操る黒幕がいると見て間違いないわね」
 
 一息に言って、レベッカは息を吐く。
 シグルトが水袋を渡すと、レベッカは「酒じゃないのが残念ね」とぼやいて中の水を一口だけ飲んだ。
 飲みすぎが疲労を増し、冷えた身体は運動能力を低下させることを知っているのだ。
 
「見張りが2、厄介だな。
 
 叫ばせずに奇襲で仕留めるには数が多い」
 
 レベッカが口元を拭いながら、首肯する。
 
「1匹ぐらいなら、私が忍んで仕留めるところなんだけどね」
 
 繁みから敵影を確認しているシグルトを、興味深そうに見つめながら、レベッカは唇を軽くなめた。
 
「…この距離なら、同時に襲い掛かっても仲間を呼ばれるな。
 
 ロマン、お前の魔術でどうにかなるか?」
 
 敵影を確認し、ロマンは首を横に振った。
 
「距離があるし、確実じゃないね。
 
 直接魔法で遠距離攻撃も出来るけど、それじゃ1匹倒して、それでおしまいだよ
 やってみる?」
 
 レベッカが、ロマンと同時に仕掛けてみるか聞くと、シグルトがロマンの膝に軽く視線を落とし、首を横に振った。
 緊張に少し慄いているそれを見て、レベッカはシグルトの配慮に心の中で感嘆する。
 
「…俺とラムーナでそれぞれの見張りに接敵し、奇襲する。
 
 ロマンとスピッキオは出来る範囲で援護してくれ。
 レベッカ、お前はロマンを守りながら、できるならラムーナの援護を。
 ラムーナはさっき言ったとおり、先に仕掛けたら一旦引いて、ヒットアンドウェイで撹乱する。
 
 俺はラムーナに合わせて、確実に1匹ずつ倒す。

 中の敵にばれても気にするな。 
 この際、敵に叫ばれるのは仕方ない。
 その分この前哨戦で消耗を少なく、だ」
 
 皆がどうしようか迷ったとき、真っ直ぐ行けばいい…とシグルトはすんなり作戦を決めてしまった。
 
 シンプルねぇ、とレベッカがつぶやいた。
 見張りが2人ならおびき出す手段も失敗するだろうと、結局一番単純な作戦になる。
 
 外面でぼやくもレベッカはシグルトのリーダーとしての資質に、内心でほくそ笑んでいた。
 
 個性と才能にあふれたパーティをまとめるとき、何より必要となるのは決断力に優れたリーダーである。
 どちらかというとレベッカは、人をまとめるより誘導するタイプだ。
 責任でがんじがらめにされては上手く動けないが、決断を下し実行し責任を果たす者がまとめるパーティは、最大限にそれぞれのメンバーが役割を果たせる。
 
 シグルトは自然とそういった行動ができる男だった。
 人を魅了する容貌と実力も兼ね備え、誠実で禁欲的な上、勇敢だ。
 
 カリスマ性とでもいうべきか、他者に強い印象を与える資質も持っている。
 
(こんな逸材、そうはいないわよ。
 
 親父の言うとおり、あたしゃ、ちょっとばかり慎重すぎたみたいね)

 作戦が決まると、シグルトはトルーアにここで待機するように指示し、敵を見据えて仲間たちに声をかけた。
 
「失敗しても焦らずに仲間を援護すればいい。
 
 背中から襲われないように、仲間の背を守るように動いてくれ。
 俺の方はいい…腕っ節が専門だからな。
 
 まずは、自分の身を守るように。
 無茶や自棄は厳禁だ。
 
 見張りを倒したら、だいたい同じ形で攻める。
 扉から俺が先に飛び込んで、ラムーナがそれに続いて、近い敵に立ち向かう。
 ロマンとスピッキオは援護。
 レベッカは後衛から敵の動向を見て、まずそうな奴がいたら知らせてくれ。
 
 皆、先輩たちにどやされないように、この仕事を成功させるぞ。
 初仕事の後は祝いにうまい物でも食おう…それでいいな?」
 
 言い終わって、ふっと笑うシグルト。
 一行はシグルトが言った言葉に頷き、緊張した肩が下がる。
 
 自然と皆を落ち着ける行動をしたシグルトに、スピッキオは驚いたように眉を動かした。
 
(…大したもんじゃ。
 
 言葉にはせんかったが、ロマンやラムーナは少し力んでおったからの。
 ふむ、わしら一同をまとめる代表者は、この若者になるじゃろうて)
 
 仲間の様子を確認すると、シグルトは強く頷き、あとは敵を睨んで剣を抜いた。


「…ハァッ!!!」
 
 敵に接近した瞬間、シグルトは鋭い突きでオークの喉を抉った。
 呼吸が止まったゴブリンは目を見開いて動きを止める。
 
「《眠りをもたらす白雲よ、抱いて沈めまどろみの底に…》
 
 離れて!!!」
 
 ロマンが呪文を完成させ、警告する。
 あわてて他のメンバーは敵から離れた。
 敵を中心にうっすらともやのように煙がかかる。
 
「《眠れ!》」
 
 ロマンのするどい一声で煙が拡散する。
 抵抗できずにオークがふらふらと倒れる。
 魔術師が好んで使う初歩的な魔法、【眠りの雲】である。
 
 ラムーナが跳躍して、落下の威力を込めた斬撃をゴブリンの脳天に叩き込む。
 衝撃で目覚めた瞬間に、白目を見開いて絶命するゴブリン。

 スピッキオが杖を構えていたが、振り下す先を失ってたたらを踏む。
 
 反撃する隙も無く、2匹の妖魔は倒されていた。
 
「皆、怪我は無いな?
 
 次は教会の中だ…行くぞっ!」
 
 扉に手をかけると、鍵がかかっていた。
 
「内側から鍵がかかってるわ。
 
 蹴破らないと…」
 
 レベッカが即座に調べ、シグルトに頷く。
 
「分かった」
 
 シグルトは短くそう応えると、身体を一転させて扉の蝶番目がけで肩で体当たりを放った。
 一撃で頑強な扉が大きく歪む。
 
 そこへ、ラムーナがふわりと跳躍してさらに蹴りを放った。
 扉の蝶番が完全にはずれ、向こう側にあったつっかえ棒がへし折れる音。
 
 轟音を立てて扉は半壊し、開く。
 
「むう、女の子のすることではないぞ…」
 
 スピッキオが額に皺を寄せてぼやくと、ラムーナはちろり、と舌を出した。
 
 話は後だ、というふうに、シグルトは2人に視線を送り頷く。
 躊躇せず真っ先に扉をくぐり、踏み込んでいった。 
 
 中では3匹の妖魔が目を見開いている。
 
 敵の中でもひときわ大きい奴が、棍棒を握り、ブォンと振るった。
 俄然やる気である。
 
「ホブゴブリンだっ!
 
 力があるから気をつけてっ!!」
 
 ロマンに頷き、シグルトが前に出る。
 
「油断するな…さっきの手順だ」
 
 シグルトが、先ほどの戦いで血に濡れた剣をすっと構える。
 
 仲間たちはそれに応えるように陣を組んだ。
 
「ガァァァァッ!!!」
 
 敵のボスらしきホブゴブリンが、得物を高く掲げ襲い掛かってくる。
 
「ヤァァァアアッ!!!」
 
 ラムーナが斬ると見せかけて、鋭い蹴りでホブゴブリンの足を蹴り払う。
 シグルトがそこに斬撃で追い討ちをかけた。
 受けたホブゴブリンの棍棒が半ばまで斬られ、ラムーナに放とうとした反撃の一撃ががっちりとブロックされた。
 
 その横でレベッカが、痩せたゴブリンを牽制して短剣で応戦していた。
 
「《眠れ!》」
 
 呪文を完成させたロマンが、【眠りの雲】をホブゴブリンとオークにかける。
 突然襲った睡魔に抗えず、2匹の妖魔は次々に膝を折った。
 
「ギャヒッ?」
 
 痩せたゴブリンは仲間の異常を見て、恐怖に目を見開いた。
 
「ふんぬぅっ!」
 
 レベッカがフェイントでよろめかせたそのゴブリンの頭蓋を、スピッキオが振るった杖が後ろから砕く。
 
「…フッッ!!!」
 
 シグルトは突進するような突きで、眠りかけたホブゴブリンを突き刺す。
 肺を貫通した一撃に、敵は唾液と血の混じった咳を吐きながら後ろによろめいて、ドウゥッと倒れた。
 
 その横でロマンが呪文を完成させる。
 
「《貫き徹す光の鏃、輝きを纏い疾く放たれよ》
  
 《穿て!!!》」
 
 【魔法の矢】…
 必中にして絶大なる破壊力を持つ、魔術師の最もシンプルな攻撃手段である。
 それは光の尾を引いて飛び、オークに突き刺さった。
 
 スピッキオが踏み込んでその胸を打ち据える。
 
「…たぁああっ!!!」
 
 突き上げるようなラムーナの一撃が、よろめいたオークに反撃させる隙を与えずに決まり、戦いは決着した。

 一同が安堵の吐息をもらした瞬間、倒れていたホブゴブリンが、かっと目を見開き、棍棒を杖代わりに立とうとする。
 凄まじい怨嗟の視線と気迫に、一瞬皆の動きが止まる。
 
 その前にシグルトが歩み出た。
 黙ったまま、鋭い突きで止めの一撃を放った。
 
 確実に心臓を刺し貫かれ…ホブゴブリンは今度こそ絶命する。
 
「…っはぁあ」
 
 ゆっくりと息を吐き出すと、シグルトは眼を見開いたまま絶命しているホブゴブリンから剣を引き抜いた。
 どさりと崩れ落ちた敵の最後を確認すると、シグルトは敵の着ていた襤褸で血を拭う。
 血を払わなかったのは、これからこの教会を掃除するものに対する気遣いだろう。
 
 圧倒である。
 仲間は傷一つ負っていなかった。
 
 そして一同に、敵を殺したという現実が突きつけられた。
 返り血の錆びた匂いと、切り裂かれた妖魔が垂れ流した汚物の悪臭。
 ロマンが顔を青くして吐き、ラムーナはぺたんと座り込む。
 レベッカとスピッキオは動揺はしていないが、嫌そうに顔をしかめている。

 シグルトは血を拭った布キレの汚れていない部分で、壮絶な死に顔をしているホブゴブリンの面を覆った。
 その顔には動揺も不快感も無く、まるで敵のために祈るように沈黙している。
 
 隠れていたトルーアは出てきた後、凄惨な状況に顔をしかめ、目を背けた。
 
 
 とりあえず敵の死体はそのままに、一行は依頼主との契約どおり、教会の中を探索しはじめた。
 
 シグルトは捜査を仲間に任せ、壁に寄りかかって休んでいる。
 
(…まだ右手の薬指が痺れているな。
 
 さっき走ったせいか、添え木の具合が少し悪いみたいだ。
 革の固定ベルトでも、つけるべきか…)
 
 熱を持った身体をクールダウンさせながら、シグルトは身体の不具合を一つ一つ確認していく。
 
 獅子奮迅の活躍を見せたシグルトだが、実際のところ彼の身体は問題だらけだった。
 
 他人に気付かせることなく戦って見せたが、両足にはめた添え木が無ければ、杖を使っても立つことが怪しい。
 シグルトはそんな無茶苦茶な状態で、走ってみせたのである。
 膝と大腿部の筋肉を上手に駆使して、添え木で固定した踵部分に力を送り、体を傾かせて生まれる力や遠心力で走る…
 剣の重さや上体の動きでバランスを保ち、絶妙のタイミングで武器を振るうことで破壊力を出す。
 それは神業といってもいい芸当だった。
 
 シグルトは一歩歩くことでも、常人の数倍の労力を要する。
 その度に針が刺さるような激痛に耐えていた。
 
 わけあってシグルトは重度の身体障害を抱えている。
 それでも、盲目の仙人が心眼でものを見るように、シグルトは凄まじい努力で、ここまでまで動けるようになったのである。
 
 今でも両腕には痺れがあり、指の何本かは動かなくなるときがある。
 両足は一度アキレス腱を断裂し、名医に繋いではもらったが、足首を回すこともままならない。
 そんな状態では、身体を制御する時の痛みとストレス、かかる負担は凄まじい。
 体温の急激な上昇、眩暈、痺れ…さらに体調の異常が起こり、気を抜けばそのまま昏倒する可能性もある。
 
 それらのハンデに耐え、気付かせないシグルト。
 まさに不死身の英雄と同じ名に、恥じない意志力だった。
 
 
 一旦呼吸を落ち着けたシグルトは祭壇の奥に、仲間も見つけていない扉を見つけた。
 
 仲間を呼ぼうとするが、あちこちに散ってしまって姿が見えない。
 
(一応、先に調べておくか。
 さすがにこんな教会の締め切った部屋に、罠などないはずだ)
 
 扉の奥にある階段を下る。
 随分と長い階段だった。
 そして、小部屋に出る。
 小部屋の扉を慎重に開け、中に入ると、そこは真っ暗だった。
 
 薄暗い部屋を見回して明かりになりそうなものを探す。
 
「…誰だ?」
 
 部屋の隅で一瞬光るもの。
 シグルトはそれを見つける前に殺気を察し、素早く構えを取った。
 
 シュッ!
 
 襲い掛かってくる銀光に、それをかわそうとしたシグルトは、突然襲った眩暈に一瞬反応が遅れた。
 わずかに違う環境…薄暗く寒い地下の温度が、疲労して熱を持つシグルトの身体にほんの少しした悪戯だった。
 
 次の瞬間、シグルトのわき腹に激痛が走った。
 血にぬれて短剣の切先が刺さっていた。
 シグルトの強靭な腹筋でなければ刺し貫かれていただろう。
 剣が抜かれ、服に血がにじむ。
 
「貴様のせいで!」
 
 黒い外套に身を包んだ痩身の男だった。
 憎しみにぎらついた眼でシグルトを睨むと、剣を突きつけて脅してきた。
 
「動くなよ、若造。
 仲間を呼んだら殺す!」
 
 思ったより出血が多い。
 
「…ここに来た目的はなんだ?」
 
 短剣を油断なく構え、男は詰問してきた。 
 
「それは…」
 
 すうっ、と大きく息を吸い込む。
 
 尋ねる男に答えるふりをして、シグルトはがなるような大声で仲間に危険を知らせた。
 
「皆、気をつけろ!!!
 
 ここにまだ敵がいるぞ!!!!!」
 
 あまりに大声を出したので思わずむせる。
 
 真っ赤になって怒った男が奇声を上げて斬りかかってきた。
 
 シグルトはここまで降りてきた距離を思い出し、助けは間に合わないと考えた。
 そうなれば一人で勝たなくてはいけない。
 
 生きて帰ると、親父と先輩冒険者たちに約束していた。 
 
「…来いっ!」
 
 怯むことなく、稲妻のような眼光で敵を見据えるシグルト。
 
 鋭い気合に男が困惑した瞬間、シグルトは自分のわき腹を押さえていた手を男の顔めがけて振りかざした。
 手のひらにねっとりと絡まっていた血が、男の両目を直撃する。
 悲鳴を上げる男に、霞む眼を見開いて突っ込み、剣で斬りかかった。
 男と揉み合ううちに、シグルトの意識はぼやけていった…



 周囲は真っ暗な闇が渦巻いていた。
 
 そこには男が立っている。
 薄気味悪い笑みを浮かべて。
 
「よう、人殺し。
 
 また遭ったな…」
 
 男の顔を見て、シグルトは静かに息を吐いた。
 自分はこれが何か分かっている。
 夢だ。
 それも、もう見なくなったはずの夢。
 
「悪人や敵なら殺すことには見境なしか?
 
 いや~、殺されたほうはたまらんね。
 冒険者なんてひどいもんだ、まるで殺人鬼だな。
 
 ああ、怖い怖い」
 
 シグルトはこの男をよく知っていた。
 自分を見下し、敵視していた男だ。

「今度はめった斬りか?
 俺のときは<殴り殺し>たんだよな」
 
 男が指差した先に、先ほどシグルトを突き刺した外套姿の男が倒れている。
 彼は全身を切り裂かれ、血の海に沈んでいた。
 
 先ほどから喋っている男は、野卑な印象のある顔で、ぎゃはは、と嗤う。
 
「そうだ、その男も貴様も俺が殺した…」
 
 シグルトは動揺した様子もなく、ただ疲れたように認めた。
 男たちを殺した時の感触は、どちらも鮮明に覚えている。
 
 そして、シグルトは遠い過去へと思いを馳せた…
 
 
 石造りの立派だが、牢獄のような印象のある家。
 シグルトは母と妹と一緒にその家に住んでいた。
 時折やってくる立派な身なりの男が、自分の父親であることにはなんとなく気付いていた。
 
 その国の建国王の母親と同じ血筋の名門の生まれだったシグルトの母は、止むを得ない理由でシグルトの父によって石造りの家に囲われることになった。
 10歳のとき、シグルトの父親は妹と一緒にシグルトを自分の子供として認知してくれ、母と一緒に貴族として屋敷に迎えられた。
 
 シグルトには異母兄が一人いて、彼がこの家の継承者だった。
 思い出すだけでも反吐がでそうになる出会い…
 異母兄は出合った後すぐにシグルトを見下した目でみて、売女の子供がなぜここにいるのだと、馬に使う鞭でシグルトを打って跪くことを強要しようとした。
 
「父上は下種な妾をこの屋敷にいれるのですか?
 しかもこんな薄汚い奴を私の弟だと?
 
 母上が天国で嘆いているでしょうな。
 
 まあ、過ちは起きることもありましょう。
 家政婦と従者としてなら置いてやってもいいですがね。
 侍従の証を立てさせてください」
  
 そしておびえる妹の、誰もが愛らしいといった顔を鞭で打った。
 シグルトは父親が止めるまもなく、その男を殴り飛ばしていた。
 
「俺も貴様みたいなクソ野郎の弟になる気はない。
 今度妹や母さんや俺に鞭を振るってみろ…
 
 その腕をへし折ってやる!」
 
 シグルトは激昂しやすいわけではなく、冷静沈着とまではいかないが、とても意志の強い少年だった。
 自分をいくらけなされても相手にしなかったが、母と妹、そして親しい者たちの名誉を汚されることは決して許さなかった。
 
 後にだんだん判ってくるのだが、シグルトを見下した異母兄も、彼を憎み蔑んだ貴族たちも、彼に嫉妬していたのである。
 
 “ワルトの美姫”と讃えられた母の美貌を受け継いだ端整な顔立ち。
 健国の王シグヴォルフに流れていたのと同じ高貴な血筋。
 7歳のときに妹を襲った猛犬を絞め殺した怪力。
 一度決意したら決してあきらめない鋼鉄のような意志と勇敢さ。
 当時の貴族の若者たちの憧れだった貴族の令嬢の心を射止めた幸運。
 妾の子供だという意外性すら、彼の持って生まれた英雄性の現れである…
 
 そうシグルトの親友は評した。
 
「だからどうしたっていうんだ?
 
 秀麗な顔立ち?
 親に似ただけだ。
 
 高貴な血筋?
 貴族になるまで自分でも知らなかったよ。
 
 猛犬を絞め殺す怪力?
 大切な人を守れるように、鍛えただけだ。
 
 鋼のような意志?
 勇敢さ?
 嘆いていてもよくならないと気付いたからだ。
 
 美しい貴族の娘の心を射止めた幸運?
 今、彼女は俺の横にはもういない。
 
 妾の子?
 意外性だって?
 俺を生んで愛してくれた母さんが、俺やシグルーンのために選んでくれた道だ。
 
 俺は、俺のことを自分の誇りだと、微笑んでくれた母さんがもっと笑えるように…
 私の自慢の兄さんだと、微笑んでくれたシグルーンが恥じないように…
 
 ただ、自分の道をがむしゃらに歩いてきただけだ」
 
 シグルトの名誉。
 それは幼い頃に決意した愛する人へ示す、誇りの誓いだった。
 
「そう、あなたはいつもそうやって真っ直ぐだったわ…」
 
 いつの間にか気位の高そうな美しい貴族の娘がそこにいた。
 
 巻き毛の美しいブロンドは、夕日の下の麦穂のよう。
 艶やかな唇は、赤い薔薇の花弁のよう。
 白い肌は、北方の霊峰にかかる白雪のよう。
 そして、翠玉(エメラルド)のように輝く瞳…
 
 故国で“絶世の美女”の称号を、シグルトの母から譲り受けた美貌がそこにあった。
 
「…ブリュンヒルデ?」
 
 娘は、シグルトと一緒だったときはいつも誇らしげに吊り上げていた秀麗な眉を、悲しげに伏せていた。
 
「…私が、あなたと同じ名前の英雄の伴侶である戦乙女と同じ名前だから、私たちは結ばれる運命にあるって、あなたに愛を告白したのを覚えてる?
 
 あなたは言ったわ。
 君は運命に愛してほしいのかって。
 
 そして、私を抱きしめて愛してくれるときに言ってくれた。
 あなたが選んで好きになったからだって…
 名前じゃなく、私だから愛してくれたんだって…
 
 あなたはそんな風に、愛にも生きることにも真っ直ぐだったわ」
 
 自分が彼女をそんな顔にさせてしまったことを、苦しく思っていた。
 しかし、シグルトの口から出たのは疲れたようなため息だった。
 
「…でも俺は君を失った。
 
 知ってるよ、君が俺を助けるために、兄に嫁いだことも。
 今ここにいる俺は、君を犠牲にして君を迎えに行くこともなく流れている、ただの敗者だ。
 
 兄は、君に手を出せば母さんやシグルーンもただではすまないと俺を脅した…それでも行くべきだったのだろうな。
 俺の知っている君は、きっと俺が迎えに行っても拒んだのだろうが…
 そして、俺は迎えには行かなかった。
 
 あのとき全身を侵していた傷も熱も、理由にはならない。
 俺はすべてを諦め、どうするべきかも考えようとしていなかった。
 そう、守ると誓ったものを守れずに、この手からすべてこぼしてしまった。
 失っていくことを、留めることができなかった。
 
 …でも、君が俺の初恋で、母さんやシグルーンと一緒にとても大切で守りたかったものだったのは確かだよ。
 君と一緒に子供を育てて、母さんやシグルーン、ワイスやエリスと一緒に笑って過ごすことが、あの頃俺が求めていた夢だった」
 
 それはシグルトの失くしてしまった大切な思いの残滓。
 
「でも、それは私が愛したあなた。
 
 あなたは私が笑っていられるように…
 あなたのお母様が恥じないように…
 あなたの妹が誇れるように…
 あなたのお友達との友情を守るために…
 
 いつも自分を犠牲にしていたわ」
 
 シグルトは黙ってその言葉を聞きながら、心の中で付け加えた。
 それが俺の幸せだったんだと。
 
「でも俺は殺したんだ。
 
 奴を殺して、全て壊してしまった…」
 
 シグルトはいつの間にか血まみれになった自分の両手を見つめながら、自分が犯した事件を思い返していた。
 
 
 事の起こりはシグルトと親友ワイスの妹が、シグルトを好きだと言ったことだった。
 
 エリスというその娘は、シグルトにとってはもう1人の妹のような存在で、シグルトの妹の親友だった。
 平民の時代から、失われることの無い友情と親しみをもって育ってきた幼馴染の妹。
 
 シグルトはその頃、恋人ブリュンヒルデがいた。
 そして、ブリュンヒルデを心から愛していた。
 
 だから、例え親友の妹でも、その気持ちには応えてやれないと言った。
 エリスの兄である親友ワイスも、それは仕方ないことだと言った。
 
 だが、ブリュンヒルデに横恋慕しており、シグルトを憎んでいる男がいた。
 
 グールデンというその男は、シグルトの名を騙ってエリスを呼び出し…取り巻きと一緒にエリスに乱暴を働いた。
 身も心も汚されたと、エリスは事実を兄に告げて自殺した。
 
 激昂したワイスはシグルトが止めるのも聞かず、妹の仇をとろうとして、グールデンとその取り巻きに嬲り殺しにされた。
 
 シグルトの故郷の教会にとって自殺は最大の罪であり、不具にされて審判の日を迎えるよう罰せられるという因習が伝わっていた。
 だから自殺者は身体の一部を切り落とされ、名誉を汚される。
 
 国の司教を伯父に持つグールデンは、自殺を理由にエリスの死体の首を切り落とし、彼女を侮辱した。
 
 シグルトの親友ワイスも、貴族に刃を向けた罪でさらし首にされた。
 
 狡猾なグールデンは自分がエリスの自殺に関わったことを巧みに隠蔽し、伯父の権力を借りて事実をもみ消した。
 そして親友の汚名をシグルトにも及ばせようとたくらんだのである。
 
 シグルトは、その男が貴族の息子であることも知っていた。
 友を守れなかった悔恨と、グールデンへの殺意と憎しみに狂いそうになりながら、それでもシグルトは耐えていた。
 
 しかしグールデンは執拗にシグルトを狙い、ついに罠にかけた。
 
 シグルトの妹シグルーンを連れ去り、シグルトを拘束して、彼の目の前でワイスとエリスの名を侮辱し、乱暴を働こうとした。
 
「下種な妾の子が、俺たちと同じ貴族を名乗るなど許せんな。
 
 それにおまえは自殺者の孫だったな。
 呪われているんだよ、おまえは。
 
 あの下賎な兄妹と一緒に、首の無い身体で地獄をさまよってるのがお似合いだぜ。
 
 それとも、おかぁさ~んて泣いて助けを呼ぶのか?
 
 …ああ無理か、喋れないんだからなぁ。
 
 ギャハハハハッ!!!!!」
 
 癇に障る嗤い声を上げるグールデン。
 
 彼は奪い取っていた、エリスが自慢にしていたブロンドの髪で拘束されたシグルトの頬を打ち据え、その後シグルーンの髪と服を乱暴に切り裂いた。
 男たちに組み伏せられ泣き叫ぶ妹を見たシグルトは、激情に狂い、押さえつけていた男たちを打ち倒した。
 そして、手首を拘束した縄を、こすれた自分の腕の肉が見えるほどに乱暴に引きちぎると、驚くグールデンを殴り飛ばした。
 
 グールデンは、最初はよくも殴ったな!と怒り、顔が歪んでいくほど殴られるうちにやがて泣きながら助けを求めた。
 
 気がつけば、両手を返り血と自分の血で真っ赤に染めたシグルトの前で、目玉と舌をだらりと垂らしてグールデンは絶命していた。
 それを見たシグルーンは、あまりの惨状に恐怖して失神した。
 
 シグルトは貴族殺しの罪で拘束され、牢に入れられた。
 生き残った悪漢の一人が「グールデンは降伏し赦しを求めていた」と証言したため、シグルトの罪状は重くなり、いつ処刑されてもおかしくなかった。

 そしてその日から、シグルトの夢にグールデンが登場して恨み言を言うようになった。
 シグルトは両腕の傷が元で高熱を出し、牢の壁を引っかいて指の爪が無残にかけ落ちるほど悪夢にうなされるようになった。
 
 決まって夢に現れるグールデンは、シグルトを人殺しと責め立てた。
 
「おまえは人殺しだ、シグルト。
 
 おまえの母は人殺しの母親だ。
 おまえの妹は人殺しの妹だ。
 
 お前の大切な名誉は、俺を殺して腐っていくその腕のように膿んでいるぜ。
 
 さあ、呪われろ!!!」 

 シグルトは見るものが目を背けるほどやつれていった。
 
 そんな時、恋人ブリュンヒルデはシグルトに一方的に別れを告げると、シグルトが嫌う異母兄と結婚してしまった。
 後に判ったことだが、商売で一山当てたシグルトの異母兄は、病で倒れ事業に失敗したブリュンヒルデの父に縁談を持ちかけ、ブリュンヒルデにはシグルトを牢から出すことを条件に結婚をせまり、ブリュンヒルデはそれを受け入れたのだ。
 
 シグルトは仮釈放になって治療を受けた。
 ブリュンヒルデが探してきた名医のおかげで命は取り留めたものの…
 
 両足の腱を裂かれ、腕は神経を抉るほどに傷つき腐りかけていた。
 高熱に何日もうなされ、皮と骨だけのように痩せ細ったシグルト。
 立ち上がることすら出来ない身体になっていた。
 
 そして、父が槍試合というスポーツで落馬して脊髄を折り、3日後に亡くなった。
 それは事故に見せかけた復讐だった。
 父の庇護を受けられなくなったシグルトは、殺したグールデンの親族から命を狙われるようになった。
 
 かつては戦士としても、国の若者の中では1、2と謳われたシグルトは、父の復讐を遂げることもできず、武器を握ることすら出来なくなっていた。
 
 守れなかった幼馴染の兄妹。
 非業の死を遂げた父。
 愛する人の死に涙を流す母と妹。
 そして自分から離れていった最愛の女。
 
 シグルトは嘆き、煩悶し、叫んで裂けた喉から血反吐とともに慟哭の声を響かせて、己の無力と理不尽を悲しんだ。
 絶望に打ちひしがれ、何度も死を望み、それを実行することすら出来ない己の不甲斐なさに、臥したまま血の涙を流したのである。
 
 再び立ち上がる力を取り戻したとき、シグルトは涙も声も枯れ果てた抜け殻だった。

 母はシグルトに国から出るよう言い、娘と一緒に修道院に入った。
 
 あるていど回復したシグルトは、貴族の身分を剥奪され、1年の国外追放となる。
 故郷を出る朝、自慢げに新妻の肩を抱き、もう戻ってくるなよ、と釘を刺す異母兄と、今のように悲しげに顔を伏せたブリュンヒルデが送ってくれた。
 ブリュンヒルデは最後までシグルドを見ることはなかった。
 
 かつて“青黒い稲妻”と讃えられた槍使いの戦士でもあったシグルト。
 その武勇は若い戦士の筆頭と謳われ、同年代の戦士に負けたことはなかった。
 人食い熊を討伐し、盗賊に脅かされた父の所領をその豪勇で救ったこともある。
 
 だが、大切なものを守れなかった槍の道を、シグルトは捨てた。
 愛用していた剛槍は、父と友の墓前に捧げ、本当に大切な何もかもを失ったのである。
 
 そしてシグルトは、無言のまま不自由な身体を引きずって故郷を離れた。
 
 
「…そうだ、おまえは人殺しだよ、シグルト。
 
 また殺したんだ」
 
 そこにはシグルトそっくりの男が立っていた。
 
「おまえは…」
 
 目の前にいる男はシニカルに口元を吊り上げ、ぎゃははっ、と下品に笑う。
 
「俺か?
 俺はシグルトさ。
 
 おまえと同じ人殺しの、な」
 
 指差す自分そっくりの男を、シグルトはただ冷めた目で見返した。
 
「国を離れれば逃げられると思っているのか?
 おまえが不幸なことにあったからって、おまえの罪が消えたとでも思っているのか?
 
 確かにグールデンはひどい男だった。
 でも鳴いて詫びる男をすぐに殺してよかったのか?
 
 グールデンを激情のままに殺したことで、おまえの家族は不幸になった。
 人殺しの家族の汚名を着せられて。
 
 父親はおまえのせいで殺されたんだよな。
 
 ブリュンヒルデだって、おまえのために好きでもない男と結婚したんだぜ。
 
 冒険者になったぐらいで、逃げられたつもりか?」
 
 ただ黙ってそれを聞くシグルト。
 
「…それだけか?」
 
 そして問い返す。
 動じた様子もないシグルトに、目の前の自分は容赦しなかった。
 
「冒険者を続ける限り、また殺すことになる。
 
 おまえはどんなに足掻いても人殺しさ。
 そうして仲間も不幸にするんだ。
 
 おまえが愛したものを不幸にしたように。
 
 見ろ、お前の両手を。
 殺した連中の血が滴ってるぜ」
 
 指差されて自分の両手を見る。
 その手から真っ赤な血潮が零れ落ちていた。
 粘つく不快な感触と、鉄錆のような生臭さ。
 
 シグルトはそこで初めて笑った。
 それは乾いた苦笑だった。
 青黒い瞳には深遠の闇を宿して。
 
「罵倒したいなら、すればいい。
 
 そう、あの時いっそ口汚く責められた方がましだった。
 …誰も俺を責めなかったんだ。
 だから、悲しかった。
 
 それに、夢と分かっていても、またブリュンヒルデに逢えた。
 これでは悪夢とは言えないな…」
 
 シグルトの周りをたくさんの足が囲う。
 それはシグルトが殺したものたちだった。
 
 7歳のとき殺した犬もいる。
 グールデンもいる。
 先ほどの黒装束の男もいる。
 妖魔たちもいる。
 
「…これはきっと、俺自身が贖罪のために望んだ悪夢なんだろう。
 
 でも、きっとこれからも俺は自分を許せないまま、生きて行く。
 ブリュンヒルデがくれたこの生を、悔いとともに生きるしか、今の俺には出来ないんだ…」
 
 かつてはこのような悪夢に、涙を流し鼻を垂らして震えたこともあった。
 
 それでもシグルトは生きることを選び、そして狂うような痛みを克服し苦しみに身を焦がしながら、再び戦士になった。
 痛みを背負って、死を眼前にして悔いることを己に課し、苦しんでも生きることをシグルトは覚悟して選んだのだった。
 
 シグルトを囲む足。
 見渡せば、新しい仲間たちや先輩冒険者、そして母や妹、ブリュンヒルデやワイス兄妹もいる。
 
 彼らはシグルトをいっせいに指差した。
 彼らは一様に蔑んだ目でシグルトを見つめて言った。
 
「ひ・と・ご・ろ・し!」
 
 シグルトは血に染まった両手で邪魔な前髪を梳き、両目でじっと見渡した。
 
「…間違いなく、俺は人殺しだ。
 
 そしてこれからも殺すだろう。 
 今の俺にはただ背負って、悔いて生きることしか出来ない。
 
 …俺は不器用だからな」
 
 手から滴った血が、シグルトの瞼の上を通って零れ落ちた。
 できた血の痕跡をなぞり、シグルトは静かに目を閉じる。
 それはまるで、忘れてしまった泣き方を思い出そうとする姿にも見えた。
 

「…ルト、シ…ルト!」
 
 呼びかける声が聞こえ始めた。
 
「シグルト!
 しっかりせんか!!!」
 
 はっと跳ね起きて、脇腹の激痛と眩暈でまた倒れる。
 
「…くっ。
 
 ここ、は?
 俺は、いったい…」
 
 額に汗を浮かべ、少し青ざめたスピッキオがシグルトを支えていた。
 
「…ふう。
 気がついたようじゃな」
 
 額の汗をぬぐいつつ、スピッキオは安堵の表情を浮かべていた。
 
「…そうだ、敵ともみ合いになって、殺したのか?」
 
 置かれていた現状を思い出し、シグルトは周囲を見回した。
 仲間たちが心配そうに見下ろしている。
 
「あの黒服の男なら死んでたわ。
 無茶するわよね~
 
 脇腹に風穴開けて、武装した敵と格闘するなんてさ」
 
 レベッカはあきれたという口調で言うが、その声にもほっとした響きがある。
 
「シグルトは貧血で倒れたんだよ。
 脇腹のほかにも身体のあちこちに細かい傷があった。
 
 倒れた原因は脇腹からの出血。

 今動くのはやめたほうがいいよ、血が足りなくてふらふらするでしょ?
 待ってて、今血になりそうな野草を見繕ってくるから。
 
 スピッキオとトルーアさんに感謝しなきゃだめだよ。
 倒れるか青ざめるまで癒しの秘蹟を使ってくれたんだからさ」
 
 そういうロマンは大げさに両手を広げて、しょうがないなぁ、と言った。
 しかし照れたように顔が高潮して赤い。
 
「シグルト、大丈夫?」
 
 心配そうにラムーナが覗き込んでいた。
 シグルトは軽く頷いた。
 
 そして不意に、夢の中でしたようにその両手を見る。
 
「俺は…また殺したんだな」
 
 シグルトの両手は、まだ敵の返り血に染まっていた。
 寝汗で絡みついた前髪が、とても鬱陶しかった。
 
 
 結局シグルトたちはその教会で一晩をすごした。
 一番力のあるシグルトが動けないので、ラムーナ以外は不平を言いつつ妖魔たちの死体を片付けていた。
 
 次の朝、ロマンの調合してくれた特別に苦い増血剤を飲んだおかげか、シグルトの動きはしっかりとしたものに回復していた。
 
 一行が教会を調べると、シグルトが倒れていた地下室から硝子のような奇妙な形の珠が3つ見つかった。
 教会に関係ないものは発見次第、追加の報酬としてもらえる契約である。
 
 シグルト以外は表情が明るい。
 初めての依頼を成功させたおかげだろう。
 
 無事帰ったシグルトたちを見て、依頼主は喜び報酬を与えてくれた。
 わずか銀貨五百枚だったが、シグルトたちにとって初めての大切な初報酬だった。
 
 手に入れた珠は道具屋に持ち込み、ロマンとレベッカが見事な交渉を行った。
 その道具屋で優先的に取引をするという約束をした上、証書まで書く羽目になったが、銀貨千枚という大金を得た。
 
 『小さな希望亭』に凱旋したシグルトたちは、笑顔で迎えてくれた宿の親父やレストールとコッカルトに事のあらましを報告した。
 シグルトが死に掛けたことに、レストールは大きなため息をついてシグルトの頭を小突いたが、生き残ったからまあいい、と酒をおごってくれた。
 
 この数日ですっかり顔見知りになっていた宿の娘は、「生きて帰ることが報酬なのよ」と、ほっとしたように一行の成功を讃え、似合わないセリフだと父親にからかわれて、その足を思い切り踏みつけていた。
 その後はシグルトやロマンの周囲に始終いようとして、シグルトには苦笑され、ロマンには怯えられていた。
 
 美形の男に目が無く、陽気で気さくな宿の娘。
 その朗らかな行動や言葉は、陰惨な妖魔との殺し合いを忘れさせ、一行を和やかな気持ちにさせるのだった。
 
 シグルトたちはささやかな宴を開いて、初めての仕事の成功を祝った。
 親父のサービスで振舞われた料理に皆舌鼓を打ち、どのように敵と戦ったかを自慢げに話す。
 
 レベッカは少し高いテンションで、皆の行った武勇譚を事細かに解説する。
 ちょっとした吟遊詩人並の演説であった。
 
 そんな中で、シグルトの活躍は華々しく語られる。
 冷静に敵を倒し、仲間を指揮する姿は、大げさにした部分もあったが嘘ではなかった。
 最後の負傷についても、傷つきながら1人で敵を倒した武勇で締めくくられた。
 
 こういう話は冒険者たちにとっては、好い酒の肴である。
 
 皆が聞き入る中、主役と言えるシグルトは始終物静かだった。
 だが、1人だけ負傷したことを恥じているのだろうと、誰も気に留めなかった。
 
 1人で酒をちびちびと舐めながら、シグルトはいつものようにむっつりとしている。
 
 そんなシグルトに、話しかけてきた男がいた。
 レストールたちと同じように、ベテランの冒険者として知られる男だ。
 
「よう、初めて人を殺した感想はどうだ?」
 
 場違いな言葉に、一緒に酒を飲んでいた連中は鼻白ろむ。
 
「おい、今はそいつらが初仕事に成功したお祝いなんだぜ。
 
 空気を読めよ」
 
 しかし、そう言った他の冒険者をせせら笑い、そのベテラン冒険者はさらにシグルトに言う。
 
「いいや、最初だから聞くんだぜ。
 俺らみたいに慣れてからじゃ、面白くもないからな。
 
 どうだ、人を殺した感想は。
 どう思った?
 
 緊張したか?
 泣きそうになったか?
 それとも興奮したか?
 
 冒険者なんてものは、殺人だってしなきゃいけない仕事なんだぜ。
 
 お前はそんな、この仕事を続けられるのか?」
 
 場がしらける中、シグルトは苦笑してベテラン冒険者を見た。
 
「ほう、何が可笑しい?」
 
 そのベテラン冒険者が、シグルトの思わぬ反応に不機嫌な顔になる。
 シグルトは一口エールをすすると、静かに言葉を紡ぎ出した。
 
「俺が初めて殺した人間は同門で学んだ武林の兄弟子だった。技を学ぶ上で師匠にそういうものだと言われて、避けようにも兄弟子が決着をつけるまで許してくれなかったから、首の骨を折ったんだ。
 故郷にいたとき盗賊狩りで、何人か刺し殺したよ。この時はそれほど罪悪感はわかなかった。
 他には俺をはめ、家族を汚そうとした貴族を殴り殺した経験もある。結果は国外追放になって、今俺はここにいる。
 
 貴方の言う、初めて殺した、という条件にはとても合わない。
 強いて言うなら、切り殺した経験は初めてだってぐらいだ。
 
 感想というが、殺すことは今でも気持ちのいいものではないな。
 決して慣れたいとも思わない。
 
 だが、戦士の仕事は殺してその事実を背負う、ということ。
 
 殺すとは相手に死を与えること。
 それは戦いに勝利する条件に必要なことだ。
 武器はそのために振るう、殺すための凶器だろう?
 
 冒険者として戦士の道を選んだ俺が、それを続けるかどうか…聞かれるまでもない、というところですよ、先輩」
 
 その暗い視線に貫かれ、ベテラン冒険者はバツが悪そうにそそくさと去って行った。

 最初に宿にやって来たときからシグルトはどこか他の冒険者とは違って、冷めたような悟ったようなところがあったが、あまりにも陰惨な過去の告白に、周囲の者は押し黙るしかなかった。
 
 冒険者たちは殺し、あるいは殺人を一つの通過儀礼としている。
 暗黙の了解とでも言おうか…
 皆、口にすることはないが、殺しができるか、殺しを行った罪悪感に耐えられるかは、冒険者を続ける上で極めて重要なことなのだ。
 
 特に武器を振るう戦士は、直接武器で命を終わらせることが多く、そのため最も死と身近になる。
 冒険者になる前は負け知らずだった若者が、初めての依頼で殺人を経験し、精神虚脱症を患って辞めていったこともある。
 
 死をもたらす無情。
 死ぬかもしれない恐怖。
 
 自身が殺した相手を見る、ということは慣れない内は様々な感情を喚起する。
 
 苦しんで死ぬ相手を見て、その罪悪感に煩悶する者。
 死んでいく相手に自分を重ねて、死の恐怖に震える者。
 奪うという刺激に囚われ、殺しの快感に酔いしれる者。
 何も感じず、死をもたらすことを事務的にこなせるようになる者。
 
 死と殺しに関わることは、命を懸けて魔物と戦い、危険な罠の遺跡に挑み、守るために敵と戦う冒険者たちが避けて通れない事柄なのだ。
 
 多くの冒険者は、経験した後に忘れるなり、慣れるなりして答えを出す。
 生涯悩み、心を病む者もいる。
 
 命を懸ける戦場の兵士や騎士も同じような苦しみを背負うが、それには護国や理想という巨大な大儀と、軍隊という巨大な集団の一部になることで慣れ、乗り越える。
 しかし、冒険者のように少人数で行動する者たちは、その人数で悩み乗り越えるしかないのだ。
 
 この試練によって、心の弱い者や、殺すことを覚悟できない者は、多くは冒険者を辞めていく。
 あるいはその苦しみから、自ら命を断つ者や戦いで命を落した者も、強制的に冒険者という職業を辞めていく。
 
 死を乗り越えられた者だけが、冒険者として歩んでいけるのだ。
 
 シグルトたちは、その最初の試練を乗り越えた。
 そして仕事の成功を祝う余裕がある、ある意味では冒険者に〈なれた〉といってよい。
 
 シグルトはすでに死を乗り越えていたのだろう。
 あるいは、死を取り込んでしまったのか。
 
 親父は、シグルトが死に関わる壮絶な過去を持っていると、長い経験から感じ取っていた。
 あの暗い目は、そうした苦悩を味わって、それでも歩むことを続ける戦士の目である。
 思えば、最初にシグルトを受け入れたときからそのことに気付いていたのかもしれない。
 死の匂い…レストールがシグルトを「死人みてぇだ」と評したが、それは死を深く意識したものが持つ匂いでもあったのだろう。
 
 親父がそんなことを思っている横で、親父の娘がシグルトに慰めるような口調で話しかけている。
  
 宿の娘は親父の予想通り、ハンサムなシグルトと何とか仲良くなろうと一生懸命なのだが、シグルトはあいも変わらず泰然としたものだ。
 このぶんなら絶対相手にされんから大丈夫だろうな、と思いつつ時折シグルトを観察していた。
 シグルトは色々な意味で目を引く、不思議な雰囲気の男である。
 
 宴の後、シグルトたちは親父に、最初の報酬銀貨五百枚をしばらくの宿代として預けた。
 手元に残ったのはいろいろと使ってかなり減ってしまったお金と、珠を売って稼いだ銀貨千枚である。
 
 しばらくは大丈夫だが、また稼がないとすぐなくなるわよこんなはした金、とレベッカはもう依頼の張り紙を漁ってる。
 一つの試練を乗り越えた冒険者たちは、それぞれに自分のすべきことをすでに模索している。
 この新人たちはシグルト以外も、思ったより図太い様子である。
 
(太くなりすぎて、短く生きるなよ…)
 
 宿の親父は心の中でそっと呟くと、いつものように食器を磨きはじめた。

 まもなく夜がやって来ようとしていた。


 
 シグルトたちの、初仕事成功を祝った夜。

 軽い喉の渇きを覚え、シグルトは水甕のある、宿1階の酒場に下りてきていた。
 
 その日の夜は寝苦しかったのもある。
 
 シグルトの身体は頻繁に微熱を出し、それに伴って発汗も人より多い。
 手足にはいつも布を巻いているが、気がつけばそれが汗でびっしょりと濡れていることがある。
 こまめに手拭いで拭い、またシグルトは暇をもてあまさず鍛錬するので、他の者たちはそのために汗をかいたのだと思っているようだ。
 
 シグルトは適度に水分補給をするが、喉の渇きにも禁欲的で水の過剰摂取はしない。
 普段からできるだけ余分な動きをせずに発汗を抑えようとしていた。
 シグルトの泰然とした雰囲気は、そういった普段のしぐさから生まれたものでもある。
 
 しかし、今夜は酒を飲んで塩分の多い食物を食べたせいか、身体は正直に水分を求めていた。
 
 ぐっしょりと汗で濡れた服を着替え、シグルトは慎重に1階に下りていく。
 
 両足の添え木は着けたままだ。
 はずしていても数十秒で巻き込む技術を持っているが、普段は寝るときにも外さないでいる。
 これがなければシグルトは歩けないため、不測の事態を常に考えているからだ。
 
 シグルトが足に何かをつけていることに、レベッカはもう気がついていた。
 ただ、形やつける場所から防具だと推測しているらしかった。
 確かに、添え木はシグルトの踵からアキレス腱を守るように付けられている。
 これをアキレス腱の代わりに用いて走り回る、シグルトの動きの方が非常識なのである。
 
 階段などの段差の踏破は、アキレス腱が不自由だとつらい。
 踵に力が入らないからだ。
 シグルトは添え木を用い、まだ動く膝下の筋肉の力で踵を使う。
 反応が遅れる分は、先を読んで早く動かす。
 その度に踵は鈍い痛みと痺れを発するのだが、シグルトは黙してそれに耐えている。
 シグルトが動けるのは、技術が巧みなだけではなく、彼が常人離れして我慢強いからだ。
 冒険者としては大きなハンデだが、シグルトは努めてそれを感じさせなかったのである。
 
 どうにか1階に下りたシグルトは、蝋燭に火を灯す。
 水甕の蓋を取り、適当なゴブレットで直接水をすくって飲み干した。
 夜気でよく冷えた水は、喉の渇きを緩やかに癒していった。
 ゴブレットの縁を軽くぬぐい、棚に戻した後、シグルトはカウンターの席に腰を下ろした。
 
 ジジッ、とぼんやりとした光を放ちながら燃える蝋燭の芯を見つめながら、かつて共に夜を過ごした家族や恋人を想う。
 シグルトにとって、夜半は穏やかな時間だった。
 
 幼い頃、夜の闇に震えてベットにもぐりこんできた妹。
 共に酒で喉を潤し、夜通し語り合った友。
 肌を重ね、柔らかな髪を梳いてやった恋人。
 
 今のシグルトにはそういった人たちもいない。
 こうやって夜中に水で喉を潤し、過去の思い出をぼんやりと思い返す。
 
 シグルトは最初から冒険者になりたかったわけではない。
 かつては平凡な生を望み、恋人が出来てからは彼女と歩むことが夢だった。
 それがかなわなくなって、故郷を後にし、導かれるようにシグルトは冒険者になったのである。
 
 実のところ、故国をでてからシグルトはこの西方まで流れてくる間に、不思議な2人の老婆に邂逅していた。
 1人の老婆は人ではなく、シグルトはすぐにそれを見抜いた。
 
 シグルトは故郷で〈アルヴの加護〉と呼ばれる、不思議な能力を持っていた。
 人ならぬ存在を感じ、普通は見えない精霊や妖精の存在を知覚する能力である。
 その力で、シグルトは老婆の正体を看破したのだ。
 老婆はその能力をたたえ、去る前にシグルトにこの地を目指すように助言し、意味深げな予言をしていた。

〝行くがよい、南の地へ。
 碧い海、清水の姫君が眠る地で、お前は我が風と出会うだろう。
 
 その身に尽くす心があるのならば、お前は死すら乗り越え、神霊の領域に足を踏み入れる。
 
 風は誘い、お前が纏う道標となる。
 この地で出会った獅子は、お前のかけがいの無い友になるだろう。
 
 お前が持つ宿命は、英雄の道と慟哭の離別。
 そしてお前が至るのは、その名が持つべき剣の名を冠する至上の宝。
 
 麗しき刃金よ。
 〈風のように歩む者〉となれ。
 
 旅と仲間がお前を立ち向かう運命へと導くだろう〟
 
 この言葉を聞いた後、シグルトはもう1人、精霊術師らしい身なりの老婆にも出会う。
 
 精霊術師とは、精霊術と呼ばれる特殊な術を使う術師たちである。
 精霊たちと交信し、その力を行使するといわれている。
 シグルトが現在いるリューンにも、精霊宮と呼ばれる場所があり、そこには精霊術師たちが多数在籍している。
 
 その精霊術師風の老婆も、シグルトに予言を残していた。
 
〝…お主との再会はいずれ訪れよう。
 
 お主が風ならば、わしは嵐を砕く獅子の同胞(はらから)。
 いずれまた、南の地で見(まみ)えよう〟
 
 どちらの老婆も〈南の地〉と言った。
 
 その後立ち寄った酒場の主人に〈風のように歩む者〉とは何かとなんとはなしに訪ねると、「それは冒険者だ」と応えられた。
 続けて冒険者という仕事がどんなものか聞き、自分には腕っぷししか頼るものが無いと感じていたシグルトは、血なまぐさい傭兵よりもと、その道を歩むことを決意したのだ。
 
 北方出身のシグルトにとって、〈南の地〉とは西方諸国である。
 
 シグルトは導かれるように、この地へとやってきた。
 そして冒険者になった。
 
「…獅子か。
 
 そいつはどんな奴なんだろうな」
 
 シグルトは予言を受けた場所、イルファタルで暴れ馬から娘を助けた。
 オルフ、というのはその時娘とともにいた戦士風の男がいた。
 その男がどこか獅子を思わせた容貌だったなと、不意に思い出す。
 
 オルフ、とは北方のある地方で狼などの強い“獣”を意味する言葉だ。
 「案外あの男がその獅子とやらなのかもしれない」などとぼんやり思いついた。
 
 シグルトは予言について特別な気持ちは無かったが、自分が行くべき道があるならと、その言葉に従ってこのリューンへとやってきた。
 予言には真実があったし、シグルトは予言に振り回されるような人間ではないが、そういった神秘をないがしろにする人間でもなかった。
 
 この西方に来る前、シグルトは故国シグヴォルフの隣国スウェインの貴族である友人を訪ねようとしたが、逢えずに門前払いを受け、本当に行く宛てが無かった。
 身元の明らかな友人は、国外ではその友人ぐらいであり、何か生きるために仕事が無いか相談するつもりだったのだが。
 国外にもいくらか貴族の知人がいるが、当時の半病人のような体たらくでは、とても仕事を世話してくれなどと訪ねることはできなかった。
 
 あての外れたシグルトは、行く先も無くただ彷徨っていた頃、その予言を受けたのである。
 すべきことが無いならやってみよう、そんなつもりで踏み出した冒険者の道であった。

 流れるままになった冒険者ではあるが、今のシグルトにはこの宿が確かな居場所である。
 
 大人たちに囲まれて泣きそうになっていたロマンを助けたとき、この美少年はシグルトの仲間になると言ってくれた。
 そのとき、ささくれて乾いていたシグルトの心に何かが宿った気がしたのだ。
 
 レベッカという女盗賊を見たとき、その孤独な背中に自分と同じ退廃を感じて仲間に誘った。
 
 異国の間の抜けたような少女が、壮絶な苦難を乗り越えて自分と出会ったことに、縁を感じた。
 
 屈強な旅の司祭の癒しの秘蹟とその言葉を聞いて、今自分はどうやって死ぬのかではなく、どうやって生きるかを考えていたことに思い到った。
 
 シグルトは儀式のように両手を見ていた。
 それは初めて人を殺してしまったときから続けている、シグルトの習慣であった。
 また血に染まっていないか、いつも確認するのだ。
 
「俺は、冒険者という新しい道を歩み続けたいと思い始めている。
 でもまた殺すのかもしれないことは、きっと…」
 
 妖魔を殺したとき、心は冷え切っていた。
 正直、殺したという黒装束の男に対しても罪悪感は感じていなかった。
 
 シグルトが恐れているのは、殺人そのものではない。
 
(…ああ、そうだ。
 
 俺は殺すことでまた失うことが怖いんだな)
 
 胸の中にある凝りのようなもの。
 それが少し、軽くなった気がした。
 
 分かるなら、後は尽くす。
 それがシグルトという男の本質だった。 
 
 渇きを癒し、心に一つの整理をつけたシグルトは、ふと人の気配を感じ、宿の入り口をみた。
 そこにはいつの間にか、黒い僧服を纏った女が立っていた。
 
 時間はすでに深夜で、宿の親父も仲間たちも皆寝入っている。
 
「…何か急用か?
 今はまだ営業時間外だから、店主は休んでいるぞ」
 
 そういってシグルトは首をかしげた。
 宿の看板はとっくに下ろしているはずだ。
 
(…親父は戸締りをしないのか?)
 
 女は冷たい視線でシグルトを見つめ、犬が匂いをかぐような下品な動作をする。
 そしてにたり、と嗤った。
 どこか狂気をはらんだ、禍々しい顔。
 
「…見つけた!」
 
 シグルトの背筋が凍りつく。
 この女は危険なものだと、今になって気付く。
 素早く武器になりそうなものを、頭の中で検討する。
 
「…動くな!」
 
 シグルトの視線が鋭くなったことに気付き、女は警告する。
 そして、灯かりに向けて指を向ける。
 女が一言二言呪文を唱えると、閃光とともに蝋燭が弾けとんだ。
 
 砕けた蝋燭の欠片が月明かりに照らされ、物悲しく輝いている。
 飛び散った蜜蝋が、シグルトの頬にかかって皮膚を引っ張る様な熱を感じさせた。
 見る間に蝋が固まり、ぱらりと落ちる。
 
「こうなりたくないでしょう?」
 
 蝋燭の欠片を踏みつけ、女はぞっとするような顔でシグルトに近づいてきた。
 
「…そう、だなっ!」
 
 シグルトは側にあった椅子を引っつかんで盾になるように構え、突進する。
 驚いた女は素早く後ろに下がって、手をかざし、呪文を詠じる。

「《張り巡らすは白蜘(はくち)の楼閣(ろうかく)、呪詛が羅網(らもう)で絡み捕らえよ…》」
 
 後一歩で女に一撃を与えられる場所で、呪文は完成した。
 
「《…縛れ!》」
 
 瞬間、白い粘液質の糸がシグルトに絡みつく。
 【蜘蛛の糸】と呼ばれる捕縛系の魔術呪文である。
 
「く…」
 
 持った椅子ごと、シグルトはその場に呪縛されていた。
 喉にも食い込んだ糸のせいで、上手く声も出せない。
 
「ふん、手間をかけさせるわ」
 
 女はシグルトの身体を触って何かを探している様子だった。
 そして、ふとカウンターに置かれたままの書類に目を留める。
 
 書類、羊皮紙にはシグルトたちのパーティと専属契約を結び、廃教会で手に入れた珠を取引した道具屋のことが書かれている。
 無くさないように宿の親父に預けたが、どうやらしまい忘れいていたのだろう。
 
 女はにんまりと嫌らしく嗤うと、シグルトをそのままにして出て行こうとした。
 そして女は忘れていたとばかりにぱっと振り向き、嫌らしい嗤い顔を浮かべてシグルトの心臓を指差した。
 
「忘れていたわ、おまえを殺すのを…」
 
 人を殺すことに罪悪感を持たない、気持ち悪い目。
 シグルトを絶望に追い込んだ男の、それと同じ目。
 
(…ぐ、どうすれば…)
 
 ぼんやりと自分が殺されるのだという事実に、次にとるべき行動をひたすら模索するシグルト。
 
「後でおまえの仲間も片付けないといけないけど、まあ今度ね」

 僧服の女は、そのたった一言でシグルトの禁忌に触れてしまった。
 
 彼の大切な者を脅かすこと。
 それはシグルトが決して許せないこと。
 シグルトの冷めたような瞳が瞬時に炎を宿す。
 壮絶な殺意の視線で、女を射抜く。
 
「…なっ!」
 
 思わず呪文をやめてしまう女。
 その眼光にはドラゴンすら怯ませる気迫があった。
 
 シグルトを拘束していた呪縛がわずかに緩む。
 呪文の効果時間も尽きようとしていた頃であった。
 
「ぅぉぉぉおおおおああああ!!!」
 
 腹のそこからひねり出すような雄たけびを上げて、シグルトは呪縛を引き千切り僧服の女を殴りつけた。
 女は歯を折り、鼻血を散らせて吹き飛んだ。
 
「うぐぐ、よくもぉ!」
 
 よろめきながら僧服の女が魔術を放つが、寸前で何かに遮られた。
 
「人の宿で、しかも俺の後輩になにやってんだ、ごるぁ!!!」
 
 盾を構えた男が恫喝するように叫ぶ。
 その隣に、細身の剣を構え、男がもう1人。
 
 レストールとコッカルトが駆けつけてくれたのだ。
 
 怒りに燃えたレストールが剣を振り、僧服の女の腕を裂く。
 女は、舌打ちすると悔しげに逃走した。
 
 
 シグルトが殺されそうになったことを知って、親父はすぐ皆を起こした。
 仲間たちは状況を把握すると、いつでも動けるよう即座に準備をはじめた。
 
 あの珠を売った道具屋が心配だと言うシグルトに一同は頷き、急いで道具屋に向かったがすでに手遅れだった。
 道具屋の主人は胸をえぐられ即死していた。

「なんてこった。書類をしまい忘れるなんて…」

 その後しばらく宿の親父は落ち込むこととなる。
 
 道具屋の外でシグルトたちは、駆け付けたトルーアと武装した聖北教会の関係者たちに会い、あの珠が危険な魔法の品であり、あの僧服の女が危険な凶悪犯であることを知った。
 その騎士たちが言うには、さっきの僧服の女は偽名を多数使っていて本名は不明だが、殺人や強盗も平気でやる恐ろしい過激犯として、一部の都市では賞金が掛けられ手配書が多数出回っているらしい。
 
 シグルトたちは道具屋の主人が死ぬ原因を作ったことの後ろめたさと、僧服の女を放っておけばいずれ自分たちを狙ってくるだろうと結論し、教会の者たちに協力して女の討伐に参加することにした。
 
 
 敵のアジトとして推測し、向かった場所は例の廃教会である。
 2台の大型馬車と数頭の乗用馬を用いての、強行軍であった。
 廃教会のある山のふもとに着き、一行はさらに徒歩で先を急ぐ。
 
 この先は敵の領域である。
 ロマンやラムーナは緊張が隠せない。
 
 シグルトは目を閉じて周囲の空気を感じ取る。
 森には様々な精霊の息吹が感じられるのだ。
 そのなかで、おかしい部分を探す。
 
「…レベッカ。
 
 あの女はたぶん、自分のテリトリーで待っているだろう。
 何か大層な儀式をしているかもしれない。
 
 どうも、廃教会のほうに濃厚な気配が集まっている。
 
 先行するときは注意してくれ」
 
 教会側のベネットと言うリーダーが驚いたような顔をする。
 先ほど殺されかけたとはとても思えない、と。
 
「…ふぅん。
 
 シグルト、お前そういう気配とか分かるのか?」
 
 同行していたレストールが興味深そうにシグルトを見る。
 
「夜は静かな分、気配が濃厚ですから」
 
 シグルトは廃教会の方角を睨みながら、剣のたわみが無いか確認を始めている。
 その剣は先輩冒険者の一人が、初依頼の成功祝いに譲ってくれたものだ。
 先日も悪漢を殺し、シグルトの命を救ってくれた。

 抜かりない様子は、すでに一流の戦士のそれだった。
 
「お前、やっぱり素人じゃなかったな。
 
 ま、それなら俺らは安心だけどな」
 
 コッカルトが頷く。
 
 一行はさらに足を速めた。
  
 
 件の廃教会の入り口に着くと、突撃準備をする一行。
 しかし、扉を蹴破ろうと言う段階になって、女の声が不敵に響く。
 女は廃教会の中へと、一行を誘った。
 
 僧服の女は1人のみ。
 余裕の表情で一行を迎え入れた。

 相変わらず嫌らしい笑みを浮かべていた。
 周囲に女が強奪した4つの珠が、ふわふわと浮かんでいる。
 
「貴様が宝珠を盗んだ犯人だな?」
 
 教会側のリーダーである騎士ベネットが、剣を構え女に尋ねる。
 
 女は不機嫌そうに、手で話を止めた。
 
「話をするのは私。
 
 こっちは精神を集中しているのよ。
 …煩わしいわ」
 
 高慢な口調に、教会の騎士たちは鼻白む。
 
「宝珠を返すつもりはないし、貴方たちには帰ってもらうわ」
 
 額に汗をかいているが、どこか自分の言葉に酔うように、女は嗤う。
 
「ふざけるなよ、このくそ女ぁ。
 
 今度はぶっ殺すぞ!」
 
 恫喝するようにレストールが言うと、女はにやりと嗤う。
 
「私はこの宝珠を悪用するつもりは無いのよ。
 
 むしろ正しく、平和的に用いるつもりなのよ」
 
 道具屋の主人を惨殺したことを忘れたかのように、女は語りだした。
 
「この世には、人及ばぬ神秘の世界があるわ。
 
 精霊や神と交信する者がいる。
 それなのに、魔界と接触するものは異端、邪悪と蔑まれる。
 
 得体が知れないなどという、人間側の一方的な理由で。
 
 それに、人間はどう?
 同胞同士で殺し合い、憎みいがみ合う。
 
 比べて魔の世界にはくっきりとした上下関係があるわ。
 人間たちよりよほど秩序的なのよ」
 
 その言葉に、騎士の1人が激昂して反論する。
 
「神が許さない存在だっ!
 
 それに魔は悪行を成し、人を堕落させるではないかっ!!」
 
 女はあきれたように肩をすくめた。
 
「貴方たちはそうやって、神の名の下に自分に従わないものを殺す。
 
 貴方たちこそ真の邪悪にふさわしいわ」
 
 その時、シグルトが一歩前に出た。
 
「時間稼ぎに付き合うつもりは無い。
 
 宝珠を返し縛につくか、ここで刃を交えるか、だ」
 
 女が何か言おうとするのを制し、剣の柄をしっかり握る。
 
「邪悪か正義かなど、いつでも話せる。
 
 お前は人を殺し、保管されていた珠を奪った。
 俺は仲間と共に命を狙われた。
 捕まえる理由は、そうして袂が分かれる理由があるからだ。
 
 そして、話し合いをするにはしては剣呑な部下たちを隠している」
 
 シグルトがそう言って周囲を見回し、仲間たちに警告するように構えを取る。
 
「ふん、面白くも無い。
 
 ええ、その通りよ。
 お前たちの相手をするのは、私ではなく、こいつら…魔物よ!」
 
 無数の異形が現れ、不気味な声を上げる。
 
 髑髏に羽の生えたような魔物。
 空中を浮遊する青白い炎のような幽鬼。
 
「貴方たちはこいつらと遊んでいなさい。
 
 私は術の最中で、忙しいのよ」
 
 そう言って、女はまた嫌らしく口端を歪めた。
 
「く、冒険者諸君はその羽の生えた魔物をっ!
 
 我等はあの幽鬼どもを倒すぞっ!」
 
 指揮官であるベネットが剣を抜き、騎士たちが続く。
 
「シグルトっ!
 
 俺たちはあの羽根がついたやつだっ!!」
 
 レストールの言葉に、シグルトは頷いて、ゆらりと前に出た。


 ともにいた戦士が切りかかると戦闘がはじまる。
 
 僧服の女が呼び出したらしいモンスターたちが襲い掛かってくる。

 レストールとコッカルトが熟練の技で敵を倒していく。
 
 シグルトたちは敵を囲い込むように陣を組んでいた。
 一瞬で3体の羽根をつけた髑髏のような魔物は、次々に頭を粉砕され、地に落ちた。
 
「くっ、冒険者、こっちに力を貸せっ!」
 
 騎士たちは実体のない敵に苦戦している。
 
「ふふ、まだまだいるのよ」
 
 女の言葉に応えるように、4体の羽髑髏が現れた。
 
「シグルト、こっちはまかせたぞっ!」
 
 レストールとコッカルトは騎士たちの加勢にむかう。
 
 シグルトは頷いて、ラムーナに目配せした。
 ラムーナが先手で攻め、シグルトが止めを刺す。
 2人で組む必勝の陣。
 
 その後ろでロマンが呪文を完成させた。
 
「《…眠れっ!》」
 
 ロマンの【眠りの雲】によって魔物たちがばたばたと落ちてくる。
 
「ふん、血管の浮いた羽があるってことはたいがい生命体だよね?
 
 呼吸器官があればこの魔術はよく効くんだ」
 
 その横でスピッキオが杖で1匹を殴り飛ばす。
 
「くうぅ、固い奴じゃ」
 
 髑髏のような頭部は意外にも固い。
 シグルトがその羽髑髏に接近し、顎の弱い部分から砕くように分断し、倒していた。
 
 レベッカが落ちてきた1匹の羽を短剣で抉り、跳ねるように起きたそれの頭蓋をシグルトの剣の柄が粉砕していた。
 その横でラムーナとスピッキオが、もう1匹を2人がかりで挟むように屠る。
 
「後1匹っ!」
 
 仲間の声に呼応してラムーナが疾走した。
 レベッカが短剣で切り裂いたその魔物を、ラムーナの剣が串刺しにする。
 
 その時には、女の呼び出した魔物はすべて倒されていた。
 
「貴様、無意味な時間稼ぎなど…」
 
 ベネットが剣を構えると、女はさもおかしそうに嗤った。
 
「無意味?
 
 何が無意味だと言うの?
 
 うふふ、ふはははっ、はーっはっはっはっ!!!」
 
 女は嘲るように嗤った。
 
「本当に馬鹿ね、貴方たちはっ!」
 
 不気味な女の態度に、教会側の人間が矢を放つが、女の前で消し飛んだ。
 
「「呼び出されてみれば、何事だ、騒々しい…」」
 
 地を揺るがすような不気味で重い声が、周囲に響き渡った。
 
「「実に久しぶりの、人間たちの世界よ。
 
 術者を殺されて、とんぼ返りでは、芸が無いわ」」
 
 そして空間が歪むように、その怪物は女の後ろの虚空からにじみ出た。
 
 圧倒的な存在感に、空気がびりびりと震える。
 
 裸の肉感的な女に羽毛を生やして巨大にしたような、そんな怪物だった。
 
 耳の側から巨大で太い歪な角が2本、その青白い顔を覆うように生えている。
 瞳の無い、青い不透明の瑠璃玉のような目。
 その吐息は蒸気となり、夜気を白く染めた。
 
「うわ、あれってもしかして、魔神(デビル)…」
 
 ロマンが驚愕に目を見開いた。
 
 聖北教会成立以前、神と信仰されてきた存在がある。
 人々は聖北の神の使徒、天使として受け入れるか、少数派の精霊信仰が神として仰ぎ、それらの存在は語り継がれた。
 
 しかし、人には圧倒的に邪悪でしかないものは、恐れられ忌み嫌われて悪魔(デーモン)とされた。
 かつては祟り神として畏怖の対象でしかなかったそれらは、唯一神の名の下に、邪悪な悪魔として名を連ねることになった。
 
 悪魔たちは、かつては自分たちの力にひれ伏していた人間たちの思わぬ反抗に、より恐るべき災いの種となって、悪意で応えることになる。
 
 そんな悪魔たちの中でも、とりわけ力が強いものを魔神と称するようになった。
 だが、人に対して中立、あるいは友好的な異教の神々も、時に聖北の徒は悪魔と断じる。
 あるいは驚異的な力を持つ精霊を、半ば畏怖を込めて魔神と称する場合もある。
 その境界は実に曖昧だ。
 
 ロマンの言う魔神とは、悪魔でも力の強いものを魔神と定義する、魔術師としての分類によるものだ。
 
「…ぐわぁぁぁっ!
 
 あ、頭がっ!」
 
 急に女は苦しみだした。
 
「「ふむ、軟弱な精神よの。
 
 お前では我を子の世界に留めることなど、無理ではないかのぅ」」
 
 女の消耗振りに、ロマンがあっと、声を上げる。
 
「魔神なんて物騒なものを大召喚した、対価の反動だよ。
 
 魔方陣やきちんとした召喚装置も無く、あの宝珠だけで、契約したわけでもない超越存在を適当に捕まえて、召喚したんだ。
 あの女の人、召喚術に関してはド素人だね。
 
 いまでこそ正気を保っているけど、そのうち魔力が全て吸い取られて、神経が焼き切れ、苦しんで死ぬことになるよ。
 
 あの手の魔神は、元の世界からこっちの世界に顕現する際、存在を留めるためにものすごい力を消費するんだ。
 多くの悪魔崇拝者たちが魔神の凶悪な力を利用しようとして、それが出来なかったのは、あれだけの強大な存在をこの世界に留めるにはリスクが大きすぎるからなんだ。
 
 今なら消耗してるから、あの女の人倒せるかも…」
 
 問題は召喚された怪物の方である。
 
「「女。
 
 何故我を召喚した?
 答えるがよい」」
 
 一方で、魔神は頭を抱えて呻く女を、冷たく見下ろして聞いた。 
 
「そ、その前に…
 
 あそこの人間たちを、1人残らず、こ、殺して下さい…!!!」
 
 女の言葉に、一同は騒然となる。
 
「ふむ、面倒な条件よな…
 
 まぁ、よかろう」
 
 魔神はこちらを向き直ると、じわじわと近づいてきた。
 身体は地に着かず浮いている。
 
「…羽根に浮遊。
 
 あんな姿は『六芒王の小鍵』にある72の魔神や、東方の妖霊の類でには無いけど、あの手の姿や能力は十中八九、風の魔神だよ。
 たぶん、風の結界で身を守ってるし、カマイタチや旋風を使うから気をつけてっ!」
 
 ロマンが警告する。
 
 魔神は一行に手をかざし、首をかしげると女を見た。
 
「「魔力が足りぬ。
 
 か弱き人間を相手にするとも、魔法の一つも使えぬでは話にならぬからな」」
 
 魔神の要求に、僧服の女は蒼白な顔で、これが精一杯だと訴える。
 
「「仕方あるまい。
 
 《絡み巻け魔風の巨腕、抱き上げよ破壊の台(うてな)に…》」
 
 魔神がレストールに手をかざし、呪文を唱えると、屈強なレストールの身体が浮き上がる。
 
「な、なんだこりゃぁあっ!!!」
 
 自分を持ち上げる奇妙な空気を振り解こうとするレストール。
 魔神は邪悪な笑みを浮かべて手を握り締めた。
 
「《圧せよッ!》」
 
 その声と共にレストールの全身から血が飛び散った。
 
「ごはっ!!!」
 
 投げ捨てるように、魔神が腕を振るうと、レストールは吹き飛んだ。
 
「「もろいのう。
 
 この程度か?」」
 
 魔神は嘲笑し、今度は別の騎士に手をかざした。
 
「遺失魔術、【風圧の魔腕】だっ。
 
 よけられないから、誰か抵抗強化の術を!!!」
 
 ロマンが身体を固めて衝撃に備える。
 
「「ほほう?
 
 物知りな童(わらべ)よな。
 この呪文を知りおる人などおらぬと思っておったが」」
 
 ロマンは引きつった笑みを浮かべる。
 
「それはどうも。
 
 でも、浅学で貴女の名前までは分からないよ」
 
 それは重畳、と魔神は嗤う。
 
「「お前たち魔術師は、我らを名で縛るからのぅ」」
 
 豊満な胸をそらせて高笑いする魔神を見ながら、ベネットが剣を構えて告げる。
 
「みんなで一斉にかかるぞっ!」
 
 頷く騎士たち。
 ロマンがこっそりと囁く。
 
「無謀だけど仕方が無いね。
 
 でも、あの位階の魔神なら、通常の物理攻撃はまず効かないよ。
 弱点も少ないし。
 元は神だった堕ちた悪魔には、神聖な攻撃もあんまり効かないんだ」
 
 コッカルトが額に手をやり、舌打ちする。
 
「痛ぇ、痛ぇじゃねぇかよぉぉぉっ!!!」
 
 後ろから頭を振りつつ、目を血走らせたレストールがやってくる。
 所々から出血しているが、傷は浅いようだ。
 
「「ほほ、好い好い。
 
 お主、なかなかにしぶといではないか」」
 
 馬鹿にしたような魔神の様子に、レストールは廃教会の床をダンと踏みしめ、歯軋りした。
 
「この糞女、ぶっ殺してやるっ!
 
 シグルトっ、お前はあの坊主もどきの高飛車女をぶっ殺せ。
 俺たちはこの鳥の出来損ないを、さばいて夜食代わりに串焼きにしてやるっ!
 
 騎士団の野郎ども、あの鳥女をやるぞっ!!!」
 
 レストールに頷き、騎士たちが魔神を取り囲む。
 
「「おもしろい。
 
 ここは狭い故、場所を移そうではないか。
 
 そこな召喚主。
 その後ろの数人ばかりは譲ってやる。
 
 お前も楽しむがよいぞっ!!!」」
 
 一行が唖然とする中、魔神はレストールたちとともに忽然と姿を消した。
 
 残ったのはシグルトたち5人と、僧服の女のみ。
 
「…あの手の魔神は、遊びが好きで英雄によく負けるんだ。
 実力を侮ってね。
 
 僕たちにとってはチャンス到来だから、直せとはいえないね」
 
 ロマンが呟くと、僧服の女は呆然と一言二言呟くと、頭を抱えてよろめいた。
 
「形勢逆転ね。
 
 ま、卑怯とは言わないわよね?
 あんたもあんなのに手を借りたんだからさ」
 
 レベッカが短剣を構えて唇の端を吊り上げる。
 
「魔神は召喚主が倒れると、この世界には留まれまい」
 
 杖を構え、スピッキオがレベッカの言葉に頷く。
 
「ふ、ふん。
 
 お前たち雑魚など、何人だろうと…蹴散らしてやるっ。
 
 …調子に、のるなぁぁぁぁあああっ!!!!!」
 
 叫んだ女は頭痛を振り払うようにヒステリックに叫ぶと、後ろに下がり、両手を前にかざす。
 
「《熱の暴威、漲(みなぎ)り満ちる爆火の力よ…》
 
 《熾(お)きの珠玉、焔(ほむら)の卵よ、焚焼(ふんしょう)の叫びを上げ、炸裂の羽化を遂げよっ!》」
 
 女の手から、空気を焦がすキナ臭い匂いが漂う。
 
「う、嘘っ、【炎の玉】だっ!!!」
 
 ロマンは女の使う恐るべき魔術に硬直する。
 
 シグルトは、即座にその破壊力を理解し、ロマンを抱いて飛びずさった。
 レベッカも、青い顔で地に伏せようとする。
 
「《…灼き焦がせっ!!!》」
 
 ドォォオオンッ!!!
 
 女の放った巨大なオレンジ色の球体がシグルトたちの中央に落ちると、爆発して大量の炎をばら撒いた。
 
「ぬぉおおっ!」
 
 大柄なスピッキオの身体が衝撃で独楽のように回転し、吹き飛んだ。
 あまりの威力に、廃教会の窓がびりびりと震える。
 
「…う、ううぅっ…」
 
 とっさに後ろに飛んだラムーナも、間に合わずに肌を焦がしている。
 レベッカは、履いた靴から煙を上げ、吹き飛んだ先の椅子に倒れ掛かかり、その額から鮮血が滴っていた。
 
 ロマンの警告のおかげで皆致命傷ではないが、誰もが満身創痍だった。
 
「…ふ、ふふふ、どう?
 
 私の力を思い知ったでしょう?
 
 く、くふふ、さあっ、止めよ雑魚めっ!!!」
 
 女が指をシグルトに向ける。
 
 ロマンをかばったシグルトは、外套を犠牲にして炎の直撃を避けていた。
 衝撃でロマンは意識を失っている。
 
 立っているのはシグルトだけだった。
 
 唇を噛み締め、服を燃やしながら、シグルトは熱を持って熱くなった剣を女に向ける。
 ロマンを床にそっと下ろし、シグルトは熱い意志を氷のように凍てつかせ、ただ女を倒す一撃必殺を模索する。
 
「殴られて折れた歯がうずくわぁ…
 お前は内臓を吹き飛ばしてやる。

 くっくっ、はーはっはっ!
 
 《…うがてぇっっっ!!!!!》」
 
 哄笑し血走った目で女は【魔法の矢】を放つ。
 
 シグルトを襲う痛みはやってこなかった。
 
「…ラムーナ!」
 
 シグルトを庇うように身を乗り出したラムーナの脇腹が赤く染まっていた。
 
「シグルト…ぶ、じ?
 よか、た…」
 
 ぱたりとラムーナが倒れた。
 砕けた剣の鞘が、ばらばらと周囲に散っていく。
 とっさに剣の鞘を盾に、シグルトを庇ったのだ。
 反射神経の優れたラムーナだからこそ、できた芸当と言えよう。
 
 だが、完全には防げなかったのだ。
 その分は身を盾にし、ラムーナはシグルトを護りきった。
  
 倒れた彼女から血潮がこぼれ、赤い染みが広がっていく。
 
 その瞬間、シグルトの顔は憤怒に歪んだ。
 
「…ぬぅぉぉぉぁぁぁあああああああ!!!!!!」
 
 部屋が震えるような戦いの叫びを上げ、シグルトは地を蹴った。
 全身の筋肉が引き締まり、爆風で裂けた傷から流れていた血が止まる。
 使用することで筋肉を絞めて傷を塞ぎ、鉄壁の防御力を得る初心の武技、【堅牢】であった。

 武器とともに多くの技も封じていたシグルトだが、戦士が基本とする二つの初心技だけは、基本を思い出して習得し直していたのだ。
 それらの技は、子供だったシグルトに父が最初に教えてくれたものであった。

「シグルト、憶えておきなさい。

 戦士にとって最初に備えるべき基礎がこの2つの技にある。
 防御をもって必ず生き延び、渾身必殺の一撃を狙う。

 お前がいかな技を習得しようとも、それさえ忘れなければ簡単に負けないよ」

 父は足を負傷して辞めたが、かつては王国最強の騎士であった。
 彼の血は間違いなくシグルトに受け継がれている。

 次の構えは、先輩のレストールさえ破った、必殺の突き。
 最も得意とする構えから繰り出す、戦士の初心【強打】。
 
 シグルトはただ走った。
 僧服の女が必死にとどまるよう何か喚いていたが、構わなかった。
 
 その心には、目の前の理不尽に対する激情のみ。
 
 熱で歪んだ剣が、嫌な軋みをあげている。
 次の一撃で剣は壊れてしまうだろう。
 シグルトはそれでも止まるつもりはない。
 渾身の力を込めて、技を突き出した。
 
 何とかシグルトを止めようと、なにやらわめきながら敵が使う魔法の光を、怖いとは思わない。
 
 肉を裂き、骨を穿つ感触を手に覚えながら、シグルトは女の放った閃光を貫いていた。
 

 底抜けに暗い闇があった。
  
「シグルト…」
 
 そこには男が立っていた。
 
 シグルトが忘れることができない、竹馬の友。
 死んでしまった幼馴染。 
 
「…わ、ワィ…ス」
 
 倒れたまま、血溜まりに横たわり、シグルトは手を伸ばす。
 彼には珍しい、泣きそうな顔で。
 
 男は曲のあるブロンドを鬱陶しそうに撫でつけると、シグルトの側に屈み込む。
 
「…まだだ。
 
 お前が来るにはまだ早いよ、シグルト。
 
 生きて尽くせよ、お前の意志を。
 俺たちが、理不尽に飲まれて消え去っても…お前が戦い、抗ってくれ。
 
 お前が死の淵から這い上がり、俺たちの墓前に誓った約束だ」
 
 ふっと笑って男は立ち、シグルトを置いて立ち去った。
 
 シグルトの視野がだんだんと霞んでいく。 
 ぼやける視界の理由は、この夢からの覚醒とシグルトの瞳からこぼれた涙からだった。
 
(ワイス、俺は…また護れなかった)
 
 完全な闇の中で、シグルトは静かに慟哭した。 
 
 
 シグルトが気がついた場所は聖北教会にある施療院だった。
 
 そこでサライという女性が、例の女魔術師をシグルトが斃したことを教えてくれた。
 
 相討ちだったが、シグルトの剣がわずかに早く、死ななかったのは魔法が中途半端な効果しか出さなかったのだろう、と言っていた。きっと【堅牢】による傷の一時的回復と防御効果の援けもあってだろう。
 父の授けてくれた技に感謝し、続きを聞く。

 火球の衝撃で歪んでいたシグルトの剣は斜めに女の首を刺し貫き、頚骨を砕いて気管を潰し折れてしまったそうだ。
 
 サライたちが来たときには、折れた剣先が首に突き刺さったまま痙攣する女と、折れた剣の柄を握り締めたままシグルトが倒れていたそうだ。
 
 シグルトが気付いたと知って、仲間たちが飛び込んでくる。
 
「シグルトっ!」
 
 それは無事な生きたままのラムーナだった。
 皆、仲間たちは生きていた。
 
 安堵の喜びがじわりと胸を熱くするのを感じながら、シグルトはこれからすべきことを決意していた。
 
(…そうだ。
 
 俺には生きてやるべきことが、ある。
 
 お前に謝りにいくのは、もう少し先にするよ)
 
 シグルトは、苦笑しながら仲間たちを迎えた。
 
 
 危険な魔術師の討伐をしたシグルトたちには莫大な報酬が与えられた。
 
「銀貨二千枚よ、二千枚!
 そこそこ冒険者やってきたけど、こんな大金を一回に手に入れたことはめったにないわ。
 
 私たちって最高ね!」
 
 高いテンションでレベッカが喜んでいる。
 先輩の冒険者たちがその報酬の配分を辞退したので、大金は全てシグルトたちのものになったのだ。
 
「これ、調子に乗る出ない。

 わしらは一様に死にかけたんじゃぞ? 
 もう少し反省と言うものをじゃな…」
 
 スピッキオが説教を始める。
 
「まったくだよ。
 
 今回は僕らの運がよかったけど、こんな危険な仕事はまだ僕らには垣根が高すぎるね。
 魔神とかもうしばらく無理!
 この報酬でちゃんとした装備を探さないといけない。
 
 ところで、この間フォーチュン=ベルに頭を冴えさせて呪文を唱えやすくする魔導書があるって噂を聞いたんだけど…」
 
 ロマンは金の事などどうでもいいといった感じで、自分が読みたい魔導書の話を始めた。
 
 その横でラムーナはわけが判らないけど楽しそう~とニコニコしている。
 
「騒がしいぞ、おまえら!」
 
 宿の親父が見かねて注意した。
 
「…まったく。
 
 しかし、確かにおまえらはよくやったよ。
 新人じゃ期待の星ってことにしてやるから、失敗せんようにこれからも頑張るんだぞ!」
 
 注意をしつつ、親父はどこか嬉しそうだった。
 
「お父さんは嬉しいのよ。
 
 新米の冒険者って、最初の冒険やその次ぐらいで死ぬ人たちが多いから…」
 
 最初は未熟、次は油断だと宿の娘は言った。
 
 シグルトは前に、何気なく宿の娘が言っていた言葉を思い出していた。
 
〝生きて帰ることが報酬なのよ〟
 
 シグルトは生き残った。
 掛け替えのない仲間と一緒に。
 
(俺にとっては、こっちの方がありがたいな)
 
 お金の報酬よりも、シグルトにとっての宝は仲間たちだった。
 仲間が生きていたことが、シグルトにとっての報酬だった。
 彼らはシグルトの、新しい居場所であったから。
 
「ところでおまえら、無事にパーティを組んだんだ。
 
 チーム名の一つも考えたらどうだ?
 売り出すにはこういうのを作って名を売るのも手だぞ」
 
 シグルトがぼんやり幸せをかみ締めていると、親父が新しい話題をふってきた。
 
「おまえらのリーダーは…
 
 シグルトで決定だな」
 
 親父は少し考えてすぐにシグルトを指差した。
 
「おいおい、なんでいきなり俺なんだ?」
 
 シグルトは自分を話題にされて苦笑する。
 
 自分がリーダー?
 そんなことは…
 
 一同を見回す。
 
「うん、妥当だね。
 
 頭脳労働は僕が担当するから安心していいよ」
 
 ロマンは頷いている。
 
「ふむ、シグルトならば間違いは犯すまい。
 
 いざというときの決断力も意志の強さも申し分ないからの。
 精進するがよいぞ」
 
 スピッキオも相槌を打った。
 
「どう考えてもシグルトよね。
 今回の活躍で確信したわよ。
 
 親父さんの指名がシグルトじゃないなら文句を言ってたわ。
 あんたなら公正だし、誰かをないがしろにしたり、自分の考えだけで行動を決めたりしないでしょ。
 
 実力もあるんだし」
 
 数枚の銀貨を弄びながら、レベッカも承認する。
 
「そうかぁ。
 
 シグルトが隊長さんなのね?
 頑張ろうねぇ~」
 
 陽気にラムーナが、シグルトの前でお祝いのダンスらしきものをくるくる踊っている。
 
「俺が…」
 
 シグルトは呆然としていた。
 正直、こうすべきと思ったら、それをシグルトが選び決断していたようにも思う。
 だが本当に自分でいいのだろうか。
 
「今は迷ってろ。
 
 みんなおまえを認めてるんだ、シグルト。
 辞めたいときに辞めればいい。
 でも、おまえができるならやってみろ」
 
 親父は皿を拭きながらシグルトの決意を迫った。
 
「わかった…
 
 差し詰め、次はチーム名か」
 
 親父の一押しで、すんなり受け入れることができた。
 
「そうそうチーム名だよ。
 
 僕がセンスのある名前を考えてあげるから」
 
 ロマンが謎めいた難しい言葉を羅列する。
 
「待ちなさい。
 
 ここは分かりにくくならないよう、私が…」
 
 レベッカが流行の歌劇団のような名前を挙げて、ロマンに非難される。
 
「こらこら、おぬしら諍いはいかん。
 
 どれ、この老骨が…」
 
 スピッキオの上げる名前はどれも堅苦しい。
 
 見事にまとまりのない様子に親父があきれた顔をする。
 喧嘩が始まるのかと、ラムーナが不安そうな顔をしていた。
 
 シグルトはふと、窓から吹き込んできた爽やかな風が頬をなでるのを感じた。
 
「…“風を纏う者”なんてどうだ?
 
 俺たちはいろんなしがらみを持って出合ったが、今ここにいる。
 どんなところにも風は吹くし一緒についてくる。
 
 この先どうなるか判らないが、皆で風といっしょに道を歩いて行く、風のような旅人でいよう…
 
 出合った頃を忘れないように。
 これからもずっと今の気持ちを忘れないように。
 
 風を…過去を背負って、新しい風…未来を手に入れよう。
 風のように歩む者、冒険者として。
 
 だから、“風を纏う者”だ」
 
 シグルトは謳うように誓いを立てるように、厳かに言葉にした。
 
 皆驚いたようにシグルトを見る。
 あのむっつりとした男がこんな詩的な言葉を口にするのか、と。
 
 そしてシグルトを見た仲間たちは、思わずその姿に見惚れていた。
 
 まるで春先の風のように、柔らかな微笑だった。
 シグルトは、見るものが心を奪われるような、優しげで美しい笑みを浮かべていたのだ。
 
(俺は確かに人を殺した。
 今回も人の命を奪った…それが敵だとしても。
 
 冒険者をしていればもっと殺すだろう。
 
 本当は、殺すことも罪を犯すことも気持ち悪いし、慣れたくはない。
 罪悪感もきっとついてくるし、過去の事は今でもつらい。
 
 救えなかったワイスとエリス、父さんのこともずっと覚えている。
 ずっと…忘れられるわけが無い。
 
 失うことがこれからもあるだろう。
 理不尽は世界に満ち、死は平等に残酷だ。
 
 …でも俺は冒険者になって、この〈第一歩〉を踏み出した。
 
 この先のことなんてわからない。
 死ぬかもしれない。
 後悔だってするだろう。
 
 でも、俺は必要としてくれるこいつらと一緒に、歩んで行くよ。
 そうやって進んで、今できることを尽くすだけだ。
 
 俺の新しい誓い。
 
 尽くすさ、ワイス。
 それが俺の戦い、贖いであり抗いだ。
 
 理不尽に立ち向かう新しい生。
 それを覚悟し、歩み始める〈第一歩〉にする。
 
 新しい大切なものが、側にいてくれるから、な…)
 
 見開いたシグルトの瞳は、朝日のよう輝く強い意志と未来への覚悟がある。
 夜の闇が曙光によって払われるように、青黒い眼差しには確かな希望が輝いていた。
 
 その時、冒険者の宿『小さな希望亭』の古びた看板が、微風に撫でられてからりと鳴った。

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