Y字の交差路

 ここはY2つめがノリで作ったブログです。  カードワースを中心に、私が思ったことや考えたことを徒然なるままに書きたいと思います。

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『シグルーン』

 建国祭は最高潮に盛り上がっていた。
 そんな祭の熱気にやや疲れた様子で、シグルトは妹のシグルーンを探して城を歩き回っている。

 先ほど国王に拝したばかりだが、謁見による挨拶は別件の公務で貴族としての責務だ。
 国王に貴族として謁見するには、身内に夫婦なり姉妹なりの男女がいる場合、男女同伴が一応の決まりである。
 それに、謁見する予定は2人と連絡してあるので、どちらかが欠けても駄目なのだ。 

 何としても見つけなければならないパートナーだが、待ち合わせ場所にはすでにいなかった。

 シグルトは、いざという時のために合流場所を伝えていた。
 こう言うことには抜かりが無いのだが、諸般の事情に巻き込まれたために、遅れてしまったのだ。
 
 歩く最中に聞いた話では、シグルトが離宮に迷い込むといった不手際の間に、親切な騎士がシグルーンをエスコートしたらしい。
 その時、シグルーンは随分蒼い顔をしていて、とても放っておけなかったと、その騎士は言っていた。
 
 ミハエルというその騎士は、異母兄ベーオウルフの部下で、誠実な男である。
 シグルトと同じ16歳にして、間もなく騎士隊長に抜擢されると噂されているほどだ。

 年代的にはシグルトもミハエルも、かなり若い。
 しかし、厳しい場所に生まれ育った場合、若者の成長は早い。
 そうしなければ、生きることも台頭することも出来ないからだ。

 高潔なミハエルに誘導されたと聞いて、シグルトは少しだけ安堵している。
 グールデンの様な輩が徘徊している王宮で、面倒事に巻き込まれた様子が無いことは幸運だったと思う。

 だが、このままでは謁見が出来そうにない。

 ミハエルは、何なら自分が事情を上に伝えつつ謁見を済ませ兄を待ったらと持ちかけたが、シグルーンは兄を待つと言って断ったらしい。
 事情は兄に恥をかかせないため、だそうである。

 結局、蒼い顔をして奥に消えたと言うから、シグルトを探しに行ったのだろう。
 冷静な判断が出来ていない…来る前に飲んだガルツの酔いが相当回っていた様だ。

 シグルトは困った様子で、妹の姿を探した。
 
 シグルトもそうだが、金髪や淡い色が多い中で、シグルーンの髪はこの地方には珍しい黒色である。
 目立つのですぐに見つかるだろうと思っていたが、思う様にはいかなかった。
 
「さて、どうしたものか。
 
 酔っ払って、周りに迷惑をかけていなければいいが」
 
 渋い顔をして、シグルトは城の形を思い出しながら、探してない場所を割り出して行った。

 
 その頃シグルーンは痛む頭を抑えながら、兄の姿を探していた。
 
 無理に飲んだ酒のせいで気持ち悪くなり休んでいた所、寝過して待ち合わせ場所に遅れてしまった。
 しかし、待てどもシグルトは来る様子が無い。
 
 待つ間に気分が悪くなり、倒れそうになっていたところを、親切な知り合いの騎士に助けられ、休める場所までエスコートしてもらった。
 兄を待つつもりだったが、あまりに気分が悪いので風に当ろうと窓を探すうち、迷ってしまったのだ。

(…あんな粗悪なお酒をがぶ飲みするんだから、兄さんたちって絶対おかしいわ)

 祭りで市民に振舞われるガルツは、水で薄めて増やした上に辛さと苦みを強くして飲み難くし、その刺激の強さで酔ったと錯覚させる物凄い代物だ。
 さらには、入れた薬草の効果で悪酔いを引き起こし、少ない量で酔える(つぶれる)ための細工がされている。
 美味い酒は皆が大量に飲んでしまうため、あっという間に無くなってしまい、ほろ酔いで酒が切れたりすれば振る舞われた方はかえって激昂してしまう。
 だから、安作りで不味く悪酔いする酒を出すのだ。
 
 しかし、こんな代物でさえ男たちは浴びる様に飲む。
 思う存分酒が飲める時など、祭りの時しか機会が無いからである。

 シグヴォルフは貧しい。

 幼少の頃、比較的裕福だったシグルーンの家庭でさえ、匂いのきつい魚の塩漬けと酸になりかけた葡萄酒しか飲めなかった時期があった。
 幼かったシグルーンはひもじさによく泣いて、兄に迷惑をかけた。
 優しい兄は、いつも自分の分の美味しい物があれば、全てシグルーンに与えてくれた。
 
 冬は雪深く、国土は作物の育たない荒地ばかり。
 特産物など無く、鉱物と実の成らない針葉樹があるぐらい。
 主な産業といえば植物性の織物や染物、樹木を切り出して作る家具と細工物ぐらいだ。

 農民はいつも赤貧に喘ぎ、餓死者の無い年は無い。

 水を飲むににも、冬には雪を溶かすために薪がいる。
 凍えて冬を越せない者は、餓死よりもっと多いのだ。
 
 そして、国は北方諸国の例外に漏れず、戦争をよく行う。
 戦争が無い時でも、戦災によって様々な弊害が残っていた。

 山野には半ば山賊と化した暴徒や敗残の兵士たちが蔓延り、国内では過激な聖北教会の聖職者たちが我が物顔で闊歩している。
 貴族たちは自分の権力を拡張するために、私兵団を残したまま武装を解除せず国内で頻繁に小競り合いを繰り返し、不作が起これば搾取によってさらに飢えた貧農が何人も凍え死ぬ。
 王は暴君ではないものの、決して名君ではなく、そういった苦しむ民を救うことも出来ていない。
 異母兄ベーオウルフが属す騎士団は、気難しい者たちが揃っており、王宮守護を理由に出兵せず、実際は悪人討伐よりは自身の強さと矜持を保つために動くばかりだ。

(…噂では隣国が宣戦布告してくるという噂があるもの。
 
 酔いたい人は、皆不安なのよね)

 この所は外交政策が上手く行き、大きな戦争は起きていない。
 国内でも貴族の反乱など絶えて久しく、最近は作物の不作が起こっていないので、十年ばかりは比較的平和と言えた。

 だが最近になって、シグヴォルフの宿敵である隣国クローネガルドが軍事増強を活発にしている。
 その仮想敵国はシグヴォルフより食糧事情が悪く、年間の餓死者はシグヴォルフの数倍だという。

 領土拡大は、北方のどの国もが抱く野望であった。

 戦争が起これば、兄も国の男たちも皆戦に赴くだろう。
 聡明なシグルトは、幼少からそれを見越して武芸に没頭して来た。

 克己心が強く禁欲的なシグルトは、成長が速い北方の若者において、とりわけ貫禄がある。
 16歳なのに、その考え方や行動は老人の様に深淵だと評価される程だ。
 
 才能に恵まれていたシグルトは、自身の能力に驕ることなく、他人以上に努力を惜しまず研鑚を重ねた故に、国で屈指の戦士となった。
 
 秀麗な顔のシグルトであるが、身体には鍛錬で負った無数の傷跡があり、何度も血豆を磨り潰した手の平は武骨で硬い。
 シグルトが愛用する肌着は、元は白かったが、泥と自身が流した血で黒く染まっている。
 
 顔色一つ変えず黙々と汗を流し、人が10日で習得することを1日で習得する兄。
 12歳で槍の奥義を受け、しから総伝(全ての奥義の伝授)を受けるのも、20代前にするだろうと噂されている。

 そこまでシグルトが励むのは、家族や大切な者を守るためだ。

 シグルトは大切な者を守るためなら、自分がいかに傷ついても構わない。
 幼少の折、狼に襲われられた時には、泣き叫ぶ子供たちにあって、たった一人で立ち向かった。
 無愛想なシグルトが、シグルーンや母を守るために、身を粉にして励んできたことを、シグルーンは誰よりも知っていた。

 そんな心配性の兄のことだ。
 きっと今でも自分を探しているだろう。
 
(一度入口を聞いて、戻るべきかしら?)
 
 そんな風に考えて、周囲を見回すと、ちょっとした人だかりが出来ていた。
 よく見れば、その中央にいるのは見知った顔だ。
 
「…ブリュンヒルデ様、グウェンドリン様?
 
 ああ、やっぱりっ!!」
 
 シグルーンは、豪奢を絵に描いたような美貌のブリュンヒルデと、戦乙女の如き凛々しさのグウェンダの姿を見つけ、嬉しそうに駆け寄った。
 
 この地方の貴族には、年頃になる前の娘を数年間修道院に預けて、花嫁修業をさせる時期があるが、シグルーンもまた数年を修道院で過ごした。
 2人はその頃に、修道院の中心的な人物として活躍していた者たちである。
 シグルーンは珍しい色の髪のせいか、謂れのない迫害を受けることになったが、そんな中で庇い目をかけてくれたのだ。
 
 近寄るシグルーンの姿を見つけると、青年貴族たちに囲まれて辟易していたブリュンヒルデが、相好を崩して手招きした。
 横に護衛の様に付き添っていたグウェンダも、細い目をさらに細めて強く頷く。

 ほぼ1年ぶりに再会する2人は、一層その美しさを開花させ、魅力的になっていた。
 やや痩せていて貧相な体格のシグルーンに比べ、ブリュンヒルデは丸みと艶を増し、グウェンダはまた背が伸びている。
 
 内心劣等感に恐縮しながら2人の前に立つと、シグルーンはスカートの裾を摘んで優雅に頭を下げた。

「お久し振りで御座います、ブリュンヒルデ様、グウェンドリン様。
 
 御壮健そうで、何よりですわ」
 
 ブリュンヒルデもより上品に応え、グウェンダは胸に手を置いて簡略の挨拶を済ませる。
 
「久しぶりね、シグルーン。 
 貴女とこうやって再会出来る日が、とても待ち遠しかったのよ。

 同じシグヴォルフの出身だとは聞いていたけれど… 
 3人また揃うことは難しと思っていたから、嬉しいわ」
 
 この2人は、ことさら家柄の威を借ることを嫌っていた。
 ブリュンヒルデは才能至上主義であり、グウェンダは武勇こそ誇る女傑である。
 
 貴族の子女としては珍しいが、だからこそ仲良くなれたと言えた。
 
 貴族の庶子として日陰の生活していた過去を持つシグルーンは、家柄を公然と名乗ることを控えていた。
 それが生意気にとられたのか、一部の貴族の子女から目の敵にされたのだが、シグルーンの謙虚で素直な性格を気に入ったブリュンヒルデが側に置いて守ってくれたのだ。
 
 ブリュンヒルデは互いに家名の威は借りるまい、とただの娘として付き合ってくれた。
 彼女の親友であるグウェンダとは、互いの敬虔さで共感し合い、すぐに仲良くなった。
 2人の武勇譚の一緒に、その出自は噂ですぐに知れたのだが。
 
 ブリュンヒルデとグウェンダには人を従える気品と魅力が備わっており、地味な雰囲気のシグルーンは、その傍にいると随分浮いていたと思う。
 だが、特別な人物が身近にいたシグルーンは、上手に合わせ2人を立てることで身を守ることが出来たのである。
 
 概ね3人の修道院での生活は、楽しいものだった。
 向学心の強いシグルーンは、求める者に教えることを好むブリュンヒルデから、多くのことを学んだ。

 最後まで自分の家を名乗らなかったシグルーンだが、2人は彼女を差別したりしなかった。
 そんな中で修道院の生活を終えて故郷に帰る時、今度3人で再会した時には貴族として名を名乗ろうとも約束していた。
 
「さあ、一緒に話しましょう。
 
 では、皆様。
 私たちは待ち人が来ましたので、これにて失礼致しますわ。
 御機嫌よう…」
 
 ブリュンヒルデは素早く取り巻きから抜け出すと、シグルーンの手を取って近くの小部屋に移動する。
 慌てて取り巻きたち…ブリュンヒルデへ求婚しようと集まっていた若者たちが後を追おうとするが、グウェンダに一睨みされるとすごすごと退散した。

(ふふ、相変わらず…)

 気丈な2人の様子に昔を思い出しながら、シグルーンは2人の後についていった。
 
 
 部屋に入ると、ブリュンヒルデは嬉しそうに両の手でシグルーンの手を握った。

「本当に嬉しいわ、シグルーン。
 
 貴女の家がどこか分からないから、お手紙も出せなくて。
 グウェンダが使節として来る噂を聞いた貴女が、私に使いを寄こしてくれた時は夢かと思ったのよ。
 お別れしてから、貴女やグウェンダのことを想わない日は無かったわ。
 
 あの時連絡方法ぐらい、決めておくべきだったわね」
 
 今度再会する時は、互いに貴族として社交場で会うつもりだった。
 しかしながら、連絡がまったく出来ない状態となり、再会は伸び伸びとなっていた。
 
「ブリュンヒルデ様にこの様に話してもらえるだけでも、光栄です。
 理由があって、中々社交の場に出ることが出来ずおりました

 私の母は、男爵家に後添えで入った者なのです。
 お恥ずかしながら、それまでは平民として暮らしていたほどで。
 
 でも、今宵お2人がお揃いと噂に聞きつけ、何としてもと…不精な兄に頼んで参った次第です。
 今はその兄を探していたのですが…先にお会い出来て、一番の目的を果たしてしまいました」
 
 少し緊張して喋るシグルーンを優しい目で見つめ、ブリュンヒルデが頷く。
 そして、ふとブリュンヒルデが羽織っている外套に目をやったシグルーンは、目を丸くした。

「それは兄さんの…
 
 どうしてそれを、ブリュンヒルデ様がお着けなのですか?」
 
 えっ?とブリュンヒルデが首をかしげる。
 
「すみません…
 ブリュンヒルデ様が羽織っている外套が、私の兄の物にそっくりだったので。

 いえ…やっぱりそれは兄の物です。
 飾り紐の縛り癖、兄に何度言っても直さない武人の結び方…
 
 それは私の兄シグルトが…」
 
 シグルーンが兄の名を出すと、ブリュンヒルデは目を見開いた。
 
「シグルト様?
 
 では、シグルーンはあの方の妹なのですか?!」
 
 ブリュンヒルデの頬は高潮し、まるで薔薇の花が綻ぶ様に喜色に染まった。
 それは、多くの金持ち貴族たちが望んでも成し得なかったことだ。

「…ブリュンヒルデ様は、兄を知っているのですか?」
 
 少し表情を硬くして、シグルーンが聞く。 
 胸がどこかもやもやする…それが嫉妬だとすぐに気がついた。
 
 シグルーンにとって、シグルトは母と並んで一番大切な、血を分けた肉親だ。
 自分が兄に強く依存してしまうことは、彼女の悩みの一つである。
 
 その兄のことで、知らないことがあるのは嫌だった。
 
「…先ほどまで、そのシグルト殿のことを散々聞かされて辟易していたところだ。
 ブリューネが悪漢に絡まれていた所を、颯爽と助けてくれたそうでな…
 
 なるほど、シグルーンの兄上だったとは、面白い偶然だな」
  
 貴族たちを追い払ったグウェンダが部屋に入って、開口一番にそう言った。
 
(…またなのね、兄さん。
 
 しかも、よりによってブリュンヒルデ様に…)
 
 シグルーンは状況がすぐに飲み込めた。
 
 お人好しで面倒見の良いシグルトは、困った婦女子を放っておけない。
 特にこの国では社会的弱者とも言える、女性や子供に対する義務感は、過剰とも感じさせるほどだ。
 
 そうやって人助けをして、相手が妙齢な女性だった場合は、十中八九相手の方が恋をする。
 無理も無い…シグルトは美しく、加えて北方の男の見本になる誠実な好漢だ。
 
 鈍感でまったく自覚の無いシグルトだが、そうやって乙女の心を虜にしたことは数知れない。
 
(まったく…人が好いんだから。
 
 でも外套を渡してしまうなんて、いくらベーオウルフお兄様が嫌いだからって…
 ロマンティストなブリュンヒルデ様には致命的だわ。
 
 この様子だと…手遅れよね、やっぱり)
 
 すっかり恋する乙女になったブリュンヒルデを見て、シグルーンは溜息を吐いた。
 
 シグルトに恋をする女たちは、それこそ枚挙に暇が無い。
 女性と見紛う美貌ながら男らしい性格のシグルトは、幼少から年頃の娘たちを、恋の虜にした。
 幼馴染で一番仲の良い友達のエリスさえ、シグルトに惚れているのが見え見えである。 
 他の女友達の間では、一回シグルトに振られるのが通過儀礼だ、と言われていたほどだ。

 そんな兄とブリュンヒルデを比較してみる。

 才能も美貌だけとれば、とてもお似合いだった。
 むしろ、この国で兄に相応しい才能と美貌を持つのは、この女性ぐらいだろう。

 元々ブリュンヒルデは自身も向上心が強いためか、伴侶としての相手に求める理想がとてつもなく高い。
 「容貌や地位は二の次」と言ってはばからないが、教養はもとより、武勇と自制心、優しさ、決断力…
 内面に求めるものには妥協が無かった。

 搾取すること、傲慢であることを当たり前とする貴族社会で、そんな要望を満たす貴族がどれほどいるだろうか。
 何より優しくて決断力がある男、というのが難しかった。

 貴族のほとんどは日和見主義であり、優しさは優柔不断である、と公言する者がほとんどである。
 決断力があるとする場合、苛烈断行を善しとして、さらに優しさとは正反対のタイプになてしまう。
 地位がある分極端な性質になりやすい貴族は、優しさと武徳を備えた人物など、皆無に等しかった。

 もし、ブリュンヒルデの求める厳しい理想を備えた人物がいるとすれば、シグルーンには2人しか心当たりがない。
 それは、シグルーンの父であるアルフレトと、シグルトだ。
 
 英雄と呼ばれる父アルフレトは、剣豪の誉れ高く勇敢な人物として語られている。
 だが、実際は領民からの搾取を嫌い、普段は書庫で各地の伝承を読みながらお茶を飲んでいるのが好きな、穏やかな人である。
 詩作好きの母とは夫婦仲がとてもよく、一緒に戯曲や伝説の話をしながら、のんびり過ごすのが何よりも幸せだと言っていた。
 
 シグルーンは父に怒られた記憶がほとんど無い。
 小さな頃、母と平民として暮らしていた時はめったに訪ねて来なかったが、希に人形や玩具を持って、照れくさそうに玄関先をうろうろしていた父の姿を覚えている。
 
 山野を駆け回っていることが多かった兄は滅多に遊んだ記憶が無いらしいが、シグルーンには父親に愛してもらった記憶が沢山あった。
 優しくて口下手で、その細い瞳が可愛らしいと感じられる…そんな男性だと感じていた。

 貴族として男爵家に迎え入れられてからも、アルフレトはきつい言葉でシグルーンを叱ったことは、一度も無い。
 シグルーンが過ちを犯せば、なぜそうなったか聞くだけ。
 もうしないと約束さえすれば、信じていると微笑んでくれた。
 
 だが、そんな父の中に勇敢で激しい一面があることも知っている。

 数年前、父と母、シグルーンが乗った馬車を賊が襲撃したことがあった。
 その時のアルフレトは、一度だけ賊に警告しただけで、後は躊躇うことなく一瞬で、全ての賊を斬り捨てた。
 片腕と足が不自由なはずだが、まるでそんな様子も無く、剣を納めた後に賊が倒れるほどの早業でである。
 
 アルフレトは、怯えるシグルーンを抱きしめて優しく撫でて言った。

〝彼らは、私の大切なお前たちを傷つけようとした。

 たとえこの残忍な姿を見せてお前に嫌われるとしても、私はそれを許せなかったのだよ〟
 
 大切なものを守るためなら、躊躇わない。
 そういった決断力が父にあることを、初めて知った事件である。

 父の気質は、兄にも色濃く受け継がれていた。

 シグルトは父親から武勇と決断力を、母親から優しさと美貌と聡明さを受け継いでいた。 
 考えてみれば、やや武骨者ではあるものの、シグルトはブリュンヒルデの理想を満たす人物だと言える。
 美形で英雄の子供だという分、凌駕していると言って良い。
 
 だが、シグルトの心を射止めた女性は、今の今まで皆無である。
 
 シグルトは、恋よりも槍を振り回していることを選ぶ男だ。
 彼に恋し、後にすぐ失恋して泣いた女性のなんと多いことか。
 
(絶世の美女と名高いブリュンヒルデ様でも…やっぱり無理よね。
 
 この間、この王都の商家で一番の美人と名高いマティルダさんを、「その気は無い」の一言であっさり振った兄さんだもの。
 まったく、難しいことになってしまったわ)
 
 すでにブリュンヒルデが振られたと想定して、難しい顔をするシグルーン。

 どんな美人にも、シグルトはなびかないだろう。

(それに兄さんは、今でも…)

 シグルトが何故女性を愛さないか。
 それには大きな理由がもう一つある。

 シグルトの槍の師は厳しい人で、シグルトが12歳で弟子の中で最も優れているい言われた時、一番弟子だった先輩と殺し合いをさせたのだ。
 とりわけ、武術に厳しい面を持つ武人の世界では、よくあることである。

 武人たちは誇りや名誉を重んじ、一番長じるためなら身内や同門の兄弟弟子すら殺す。
 内輪の恥となるため隠蔽されることが多いが、武人が事故死や病で夭逝した中には、口外出来ない死を隠蔽した場合も多かった。

 師から免許皆伝には殺し合いに勝った者に与えると聞かされたシグルトは、最初敬する兄弟子の立場を守るため「自分の負けでいい」と辞退したという。

 シグルトは、最強に拘っていたわけでは無い。
 ただ大切な存在を守れる力が欲しいのだと、何時も言っていた。

 だが、相手の兄弟子は違った。

 倍近く年下のシグルトに一番弟子の名誉を奪われそうであり、とりわけ虚栄心が強かった。
 また、シグルトの辞退を「名誉を傷つけられた」と怒っていたという。

 そして、すぐにも免許皆伝が欲しいとばかりに、シグルトを襲ったのだ。

 兄弟子はシグルトに強い劣等感を持っていた。
 20歳を超えて、まだ免許皆伝に至らぬ自分と…わずか12歳で天才と言われ、自身に切迫する実力を持つシグルト。
 その殺し合いの数日前まで、兄弟子は酒浸りで、シグルトへの憎悪を隠そうともしなかった。

 だから免許皆伝を得るという理由を背に、妬ましい生意気な弟弟子を殺すつもりだったのである。

 無精で多少衰えているとはいえ、シグルトとともに同門で首席を争う人物である。
 手加減して勝てる相手では無かった。
 
 シグルトは奥義を尽し、その兄弟子の頚骨を粉砕して殺したそうである。

 12歳で初めて人を殺し、しかもそれが同門の兄弟子だった…
 師と対戦相手が認めた正式な試合だったとしても、優しいシグルトにとって驚天動地の出来事だったに違いない。

 その頃から、シグルトは何時も瞳の奥に静かな闇を持つ様になった。

〝なればこそ、その死を背負わねばならない…〟

 シグルトは、さらに努力した。
 何度も挑み、一度だけだが師を地に伏せる偉業を成し得ると、陰惨な免許皆伝の儀式を師に止めさせる約束を取り付けたのである。

 師の名誉を守るため、シグルトはこのことを口外しない。
 けれど、側にいれば真実の噂は耳にする様になる。
 事実、シグルトの師ハイデンは、殺し合いによる免許皆伝を止めた。

 シグルトの愛用する槍の石突は、殺した兄弟子のものを貰ったものだ。
 言葉にせず血涙を心で流し、背負うことを選んだ…シグルーンの兄はそういう男である。

 今、シグルトは武芸を究めるつもりでいる。
 その道に、恋愛をする余地はまだ無いのだ。
 
 黙り込んでしまったシグルーンを見て、ブリュンヒルデとグウェンダは顔を見合わせた。


 突然黙ったことを詫びたシグルーンに、ブリュンヒルデはならばとばかり、いろいろなことを尋ねて来た。

「そう…シグルト様の妹君ということは、シグルーンは、あのオルトリンデ様とアルフレト様が御両親なのね?」

 ブリュンヒルデは、訥々と語られる言葉の中から、即座にシグルーンがを取り巻く家庭の事情を理解した。
 
「だから、あんなに頑なになって家名を明かさなかったのね。 
 無理もないわ。

 アルフレト様と言えば、男爵家ではあるけれど、救国の英雄と名高い方。
 そしてワルトのオルトリンデ様と言えば、本来は五貴族筆頭の御家柄だった方ですもの。

 取り巻く事情の複雑さをもってすれば、詰まらない自尊心ばかり膨れた貴族の子女たちに事情を知られていたなら、きっと大騒ぎになっていた。
 貴女が聡明な娘だということは知っていたけれど、改めて見直したわ。

 このことは、これからも気をつけなければいけないわね。
 貴女の血筋は、形式上無くなったとはいえ王族に連なるものですもの。
 
 アルフレト様の御活躍で公家の名誉は回復され、今オルトリンデ様は貴族の地位を再び得ることが出来た。
 事と次第によっては貴女やお兄様はワルト…王家の親戚であるヴァイスシュピーゲルを名乗ることになるかもしれないわ。
 
 そうなれば、貴女の血筋を利用せんと暗躍する輩も出てくるでしょう」
 
 優れた洞察力を持つブリュンヒルデは、その様に言葉にして、最後に優しく微笑んだ。
 シグルーンが蒼白な顔のまま黙り込んだ様子から、心配したのだろう。
 
 シグルーンは「無骨な兄が失礼をしたのではないか心配だから」と慌てて付け加えた。
 さすがに、蒼い顔をしているのは粗悪な酒を飲んで酔った後遺症で、その上ブリュンヒルデが兄に振られる様子を考えていたとは言えなかったからだ。
 
 「そうなの」と、そこですぐにシグルーンを気遣うブリュンヒルデもまた、兄同様のお人好しである。
 
 身内がブリュンヒルデを失恋させることを予想し、シグルーンは罪悪感を覚えて表情を翳らせた。
 
 シグルトとブリュンヒルデが結ばれる可能性は、まず無理だからという結論からである。
 武術云々のことや、兄のトウヘンボクぶりももちろんあるが…最大の理由は身分の違いであった。

 血筋こそ特別だか、所詮は男爵家の後添えの息子でしかも次男、騎士にはなれず槍の道を選んだ兄なのだ。
 生粋の貴族の子女であり、五貴族と呼ばれる名門の伯爵家において一粒種であるブリュンヒルデとは、住む世界が違う。
 
 この恋は、早く終わる方が傷が少ないだろう…だからこそ、シグルーンは傷が浅いうちにどうやったら兄を諦めてくれるのか、思案していた。
 
 適当に話す中、なし崩しで、シグルトやシグルーンがどうやって貴族になったかを話すことにもなった。
 
 突き詰めればシグルトもシグルーンも、公爵家の血を受け継いではいる。
 それはシグルーンの血筋が、王族の親戚筋にあたると言うことであり、実際にそういう目的で声をかけられたり、拉致されそうになったことさえある。
 何時も兄が守ってくれたのだが。
 
 公爵家の領土とされていたワルト領の別名ヴァイスシュピーゲルとは、王家の血筋を受け継いでいることを白い鏡に例えて与えられた地名である。
 同時にヴァイスは白エルフの血筋を引くことも意味し、王家の鏡…王族のスペアであることを暗に示した名でもあった。

 だが、家門断絶の汚名を雪ぐことは出来ていない。
 結局シグルトもシグルーンも罪人の孫であり、その事実は消えないのだ。
 
 ブリュンヒルデは、貴族がいかに血や名誉に汚いかを、骨身にしみて知っている。
 だから、シグルーンが持つ複雑な事情に理解を示し、とても同情的だった。
 
 シグルーンにとって、ワルトの名は重荷でしかない。
 今まで家柄のことを知られると、他の貴族の娘たちには悉く嫉妬された。
 母から受け継いだワルト領公爵家の血は、それだけ強力なブランドであり、影響力があるのだ。

 だからこそ、シグルーンは家のことを話したがらない。 
 シグルーンの血筋を知った上で、態度を変えないブリュンヒルデやグウェンダの反応は、心休まるものだった。
 
 ブリュンヒルデは、そういった心の高潔さも含めてとても魅力的だ。
 これほど清廉で美しい貴族の子女は、この国では、他にいないだろう。
 増して、姉の様にも慕う人物である。
 
 シグルーンは、そんなブリュンヒルデに内心を隠していること、そして暗く燻る嫉妬心で複雑な心境だ。
 
「何ともシグルーンの兄上とは、話題に事欠かない人物の様だな。
 
 私も先ほどから他の貴族どもに、悪口と賛嘆を含めて様々な話を聞いたが…
 まるで、どこぞの伝承にいる英傑の様だ。
 
 確かに、夢見がちなブリューネなら夢中にもなるだろう」
 
 からかう様なグウェンダの言葉に、拗ねた様にブリュンヒルデはそっぽを向いた。
 
 シグルーンも、兄のことを思い出すとグウェンダの言葉に頷きそうになる。

 それなりに美人ではあるが、父親に似てどこか地味で平凡なシグルーンと違い、シグルトは容貌も才能も飛び抜けて優れていた。
 この国で兄ほど特別な男は、他にいないとさえ思う。
 
 シグルーンはそんな兄のことを考えると、肉親であることの劣等感と優越感に、いつも複雑な気持ちになる。
 同時に、そんな兄と他の男性を見比べてしまい、今まで恋することも出来なかった。
 
(…はぁ。
 
 まったく、兄さんには悩まされてばかりだわ。
 勝手に乙女心を虜にしてしまうんだもの。
 その事後処理は、いつも私がすることになるんだから、少しは気付いて労ってほしいなぁ…)
 
 兄の世話を焼く事が、すっかり板についているシグルーン。
 しかし、その口元には幸せそうな笑みが浮かぶ。
 
 とまれ、シグルーンは筋金入りのブラザーコンプレックスであった。



 大分間が空いてしまったシグルト外伝です。
 
 今回は、シグルトの妹シグルーンについてのお話。

 シグルーンは地味な感じの美少女ですが、兄があまりに飛び抜けた人物だった故に、常にコンプレックスを抱えてきました。
 同時にシグルトはそんなシグルーンに特別愛情を注いでいます。

 シグルトの世話好き気質は、妹の面倒を見るうちに養われたもので、シグルトの自立心の強さの背景にもなっています。
 大切な家族や妹を守るため、兄であるシグルトは我慢し、耐え、己を磨いてきたわけです。

 反面シグルーンは、そんな兄に憧れ、強い依存性があります。
 同年代の異性に見向きもしませんが、シグルトと比べられる異性は、身内の贔屓目を加えて評価されたら、シグルトに勝てようはずがありません。
 ただでさえ、北方の貧しい国で、周囲には擦り切れた様な人物たちばかりなのですから。

 ですが、シグルーンはそんな兄の足を引っ張る自分を嫌悪しています。
 悲観的で神経質で、繊細な感性を持ったごく普通の娘であり、その内面の弱さが彼女を苦しめているのです。

 シグルーンという名前は、アルフレト(シグルト父)が戦乙女の名から付けたものです。
 マイナーな戦乙女ですが、ヘルギという英雄が出逢った一番美人の戦乙女だった、ということで、この名を授けられたのです。
 ヘルギは原典のサガに出てくる英雄シグルズと兄弟にあたる血縁がありますから、ある意味で義理の兄妹の関係が成立してたりします。

 シグヴォルフでは戦乙女にちなんだ名は「高貴で犯され難い誇り」の代名詞として、貴族の女性につけられることが多いのです。
 本来公爵家の直系であるシグルーンは、母と同じくオルトを冠した名になったはずですが、彼女の名はそういう柵に苦しまない様に、強く気高くあれ、というアルフレトの願いが込められています。


 話は変わりますが、今回はシグルトの過去について少し興味深い話があったと思います。
 兄弟子との殺し合いですね。

 シグルトの張りつめた厳しさは、こういった悲しい経験に依ることもあります。
 シグルトが槍を捨てた背景にも少し影響しています。
 「兄弟子を殺してまで究めようとした技を活かせなかった自分には、資格が無いのかもしれない」という感傷的な一面があります。シグルトは、こういう女々しいことは決して口にしないでしょうが。

 シグルーンは後々、シグルトを絶望につき落とす要因の一つとなります。
 ある意味、多くの戦乙女との恋愛が、英雄を不幸にしたのと同じように、シグルーンという名前は、どこか悲劇を内包したキーワードだったのかもしれません。
 ま、北欧のサガは、悲劇的で刹那的なほど、語られてるような気もするのですが。

 元々戦乙女って、戦士の死神ですからね。
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『ベーオウルフ』

 アルフリーデと別れたシグルドは、貰ったばかりの外套をなびかせて王宮の回廊を歩いていた。
 
 歴史あるシグヴォルフ王国の王城は広く、王宮の通路は迷路のように入り組んでいる。
 これは、攻められる場合を考えて城を造ったためだ。
 
 北方は土地が痩せており、シグルトの国も隣国との戦争が絶えない。
 多くの城砦は外見の華やかさより、戦争での利を考えて建てられている。
 
 それ故に、ちょっと油断しただけで迷ってしまうから困ったものだ。
 
 頼りない記憶から覚えている地理を探しつつ、先ほどアルフリーデに道を尋ねておけばよかったと、シグルトは内心溜息を吐いていた。
 
 それでも、後悔に囚われることをことさら女々しいと考える北方の男である。
 見苦しくない程度に周囲を見回しつつ、シグルトは歩みを早めようとした。

「ふん、こんなところで油を売っていたのか。
 
 妹を放って於いて、いい気なものだな」
 
 後ろから、敵意とともに突然かけられた低い声。
 シグルトは、その声の主が誰であるか理解し、苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
 
「お役目御苦労なことだな、ベーオウルフ。
 
 俺には構わず職務を遂行してくれ」
 
 やや険のある口調で、シグルトは振り向き様に言い放った。
 
 鼻白んでシグルトを睨んでいるのは、絢爛な外套を纏った貴族風の男だった。
 腰に下げた剣は王賜の品で、この国の正統な騎士のみが佩刀を許される物である。
 
 派手な服装に似合わず、男は陰気な雰囲気を纏っていた。
 そこそこに整っているが、鋭い視線とへの字に結ばれた口が近寄り難い印象を与える。
 長身のシグルトよりやや低い程度の体格は、しなやかで野獣のようだ。
 
 男の名はベーオウルフという。
 北方ではシグルトとともに知らぬ者がいないと言われる、魔獣殺しの英雄と同じ名前。

 シグルトの異母兄である。
 
 シグルトとベーオウルフは、火花でも散りそうな様子で睨み合い、互いに顔も見たくないという様子で同時にそっぽを向いた。
 
 2人は兄弟ではあるが、昔から反りが合わず仲が悪い。
 余程のことでは敵意を見せず淡々としているシグルトも、この異母兄だけには敵意を剥き出しにしてしまう。
 
 というのも、わけがあった。
 
 ベーオウルフはシグルトの父親アルフレトの先妻の子供である。
 
 シグルトは十歳の時に父親に妹とともに貴族の子として認知して貰い、シグルトの母は正妻として迎えられた。
 その時ベーオウルフはシグルトたちと家族になることを拒み、こともあろうに可愛がっている妹の顔を鞭で打ったのだ。
 
 家族の女を侮辱された時、この国の男は命懸けで報復する習慣があった。
 特に身内の女性の顔を傷つけられるということは、「家族を守れない男」として、名誉に唾をかけられるに等しいことなのだ。
 
 激怒したシグルトはベーオウルフを殴りつけ、2人は互いの顔が端整とは言い難くなるまで殴り合った。
 それ以来、まさに犬猿の仲である。
 
 この異母兄が取るに足らない俗物ならば、シグルトは鼻にもかけなかっただろう。
 しかし、ベーオウルフは王国を代表する秀才であり、父の才能を受け継いだ剣の使い手だった。
 
 
 シグルトの父アルフレトは、十数年前に隣国との戦争で武勲を立てた英雄であり、その剣術は王国一と謳われていた。
 
 初めてアルフレトに会った者は、聞いた武勇と外見との格差に困惑する。
 普段のアルフレトは穏やかで、地味な雰囲気の優しそうな男性なのだ。
 やや野暮ったい格好をした貧乏貴族、という印象しか与えないのである。
 
 だが、槍の達人として有名なシグルトの師と並び、シグヴォルフではその武勇を知らぬ者はいない。
 男爵という低い身分でありながら騎士団長に抜擢され、多くの厳しい戦いを勝利へと導いてきた英雄だった。
 
 前回隣国との間に起こった戦争では、敵国の奇襲で危機に陥った友軍と国王を逃がすために、わずか20騎を率いて殿軍として残り、十倍以上の兵力を足止めした武勇譚は有名だ。
 王国中の詩人が今も詠っているほどである。
 その時に大きな傷を負い、杖無しでは歩けない上に利き腕も不自由だが、いざ剣を握ればその辺の雑兵数人には全くひけを取らない。
 
 そんな天才的な武勇の才能は、2人の男子にちゃんと引き継がれていたのだ。
 
 シグルトは元々平民として育ったせいか、王国では貴人の武器とされる剣は持たず、槍使いとしての道を選んだ。
 その武勇は、すでに国で指折りの実力である。
 槍の腕では師に次ぐか、国で三指に入ると言われていた。
 
 そして、ベーオウルフもまた父親の武勇を継いだ剣豪だった。
 15歳で成人すると同時に、史上最年少で騎士隊長にいまで上り詰め、10代最後の現在では、なんと王国の近衛騎士団で副団長を務めるほどになっている。
 王国の主宰する剣術大会では常に優勝候補で、この国でその武名を知らない者はいないだろう。
 
 王国の英雄の子である2人は、常に比較された。
 
 シグルトは王国一の美女と謳われ、零落したとはいえ王族の親戚だった母を持つ、公爵家の血筋である。
 母譲りの美貌と、清廉で勇敢な性格。
 平民として育った意外性を含め、幼少から武名に事欠かなかった。
 そのためか、平民や女性に人気がある。
 
 ベーオウルフはシグヴォルフで五指に入る名門に生まれた母を持ち、幼少から神童ともてはやされていた。
 12歳の頃には並の騎士を凌ぐ武勇を持っており、外見に似合わず詩歌や学問にも通じている。
 洗練された貴族としての自尊心と行動は、男爵家とは思わせないものだった。
 貴族の若者において、模範となる人物と評価されていた。
 
 2人の父親であるアルフレトは武名こそ王国に轟いているが、領地は狭く身分は一番下の男爵である。
 
 欲のないアルフレトは、戦争で手柄を立てたが、その報償として妻の名誉回復を願い出て、貧乏貴族のままだった。
 かつて愛人扱いだったシグルトの母が、今は正式な貴族の妻でいられるのはアルフレトのおかげである。
 
 先妻の息子であり、正妻の座をシグルトの母に奪われたと考えたベーオウルフは、面白くななかった。
 そして、ことあるごとにシグルトを敵視した。
 シグルトの母が、一端断絶にあったとはいえベーオウルフの母よりも名門の出であったことが、尚更彼の自尊心を傷つけていたこともある。
 
 そして、シグルトも母や妹を侮辱し嫌味ばかり言っていた異母兄が大嫌いだった。
 
 時が経ち、2人は成人して子供の頃ほどはいがみ合わなくなっていた。
 
 ベーオウルフは婦女子である妹や義母に対して、表面上は普通に接するようになっている。
 シグルトは、そんなベーオウルフに対して一触即発の態度は取らなくなっった。
 
 だが、未だにシグルトはベーオウルフを兄とは決して呼ばず、ベーオウルフの方は会う度に嫌味か小言を言う、そんな仲なのである。

 
「…ところで、その外套はどうした?
 
 そんな上等な品、シグルーンは言うに及ばず、お前も義母上も手が出せぬはずだが…
 まさか、盗んだのではあるまいな?
 
 お前のような、貴族のなんたるかも判らぬ若僧が粋がって良い品を身に着けても、滑稽なだけだぞ」
 
 ひとしきりぶつぶつと小言を言ったベーオウルフは、シグルトの纏っている外套に気付き、訝しがった。
 
「王家に縁の方から賜った品だ。
 
 それを盗品と結びつけるとは、その方の名誉を損なうぞ。
 詰まらぬ言葉は、命取りになる。
 
 代わりに、お前から押しつけられたあのけばけばしい外套は、今宵譲ってしまった。
 あれよりははるかに着心地が良い。
 
 丈もあっているしな」
 
 ベーオウルフより背が高いシグルトは、そのお下がりとして服を貰ってもややサイズが合わない。
 外套は何とか身に着けていたが、少し丈が短かったのだ。
 
 シグルトが皮肉で返すと、ベーオウルフは鼻で笑った。
 
「ふん、平民臭いお前が着れば、絹すら乞食の鼻を拭いた襤褸に変わるわ。
 
 お前のうすらでかい図体では、所詮は貴族の品など身分不相応だったということだ。
 せいぜい似合わぬものを着て浮かれているがいい」
 
 憎まれ口で返すベーオウルフ。
 
「そうしよう。
 
 ベーオウルフ(意味は熊や狼のような野獣を指す)のくせに、後で生まれた者に体格が劣るお前の物を着ては、心まで狭くなる。
 似合わぬものの方が、まだ着心地が好いさ」
 
 2人の間には、火花が散る雰囲気であった。
 
 シグルトがこのような口を利くのは、ベーオウルフに対してだけだ。
 特に、2人きりの時は互いに容赦なく毒を口にし合う仲である。
 
 決して相手の名誉を損なうような台詞は言わないシグルトだが、ベーオウルフに対してだけは例外だった。
 
「…ほざけ。
 
 私はお前のように、無駄飯食いではないのだ。
 お前も貴族の端くれなら、平民と槍で戯れているより、軍にでも入って国の役に立つことだな」
 
 ベーオウルフが捨て台詞を残して去ろうとする。
 しかし、シグルトは思い出したようにその背に向けて声をかけた。
 
「…先ほどオスヴァルト伯の御令嬢が、あのグールデンに絡まれていたぞ。
 
 婦女子が不快な思いをするのは、警護のもの全ての名誉に関わることのはず。
 俺に対して憎まれ口を吐く暇があるなら、少しは考慮しておけ」
 
 先ほどブリュンヒルデを助けた一件を思い出し、警告する。
 一端落ち着けば、シグルトもまた王国の戦士であった。
 
「…またあの男か。
 
 お前からの意見というのが癪だが…
 よかろう。
 
 今宵は奴がもう悪さを出来ぬよう、手は打っておく。
 
 万一あの男に絡まれる御婦人がいるようなら、東宮から先に避難するよう伝えておけ。
 あそこには、王宮警備における本部が置かれている。
 いかにあの馬鹿がくだらぬ威を誇っても、通用せぬだろう。
 
 これから警備の層は厚くする。
 
 まったくもってホフデン司教の一族どもは、貴族の面汚しだ。
 これだから、実力も無い名ばかりの成り上がりはいかんのだ…」
 
 ベーオウルフは、皮肉っぽい性格ではあるものの、実務では非常に優秀だった。
 公私はきちんと分けて仕事をする。
 その部分において、シグルトですら一目置いていた。
 
 いかに小国とはいえ、シグヴォルフの騎士団は、戦争の多い北方で数百年の歴史を守り続けた強国である。
 若者と言える年代でありながら、騎士団の次席まで上り詰めたベーオウルフは、極めて優秀な男なのだ。

「…しかし、ブリュンヒルデ殿に手を出すとは、身の程知らずにも程がある。
 グールデンの家門は、司教の手回しで無理矢理男爵家を名乗っているに過ぎないのだからな。
 
 血筋では、司教とその弟君しかまともな貴族ではない。
 そんな状況で、〈青い血〉(貴族の血筋であるということ)が流れていると吹聴する、その図々しさには呆れるばかりだ。
 
 オスヴァルト伯爵といえば、ロッテンベルク領の家柄。
 五貴族の三番目…今は二番目か。
 
 あの方のような貴族の婦人は、尊ばねばならん」
 
 独り言のようにベーオウルフは呟いた。
 
 五貴族とは、シグヴォルフ王国の貴族において筆頭とされる五つの名門である。
 伯爵家以上で、ワルト(ヴァイスシュピーゲル)領公爵家、グリュンガルテン領侯爵家、ロッテンベルク領伯爵家、シュヴァルツシュルフト領伯爵家、ブラオゼー領伯爵家があった。
 現在はワルト(ヴァイスシュピーゲル)領公爵家が断絶しているため、残った四家が門閥貴族の筆頭とされている。
 
 ベーオウルフの母フリーデリーケは、現シュヴァルツシュルフト領伯爵家当主フベルトゥスの姉だ。
 現在では男爵という地位にあるが、シグルトとベーオウルフの父アルフレトも、血筋ではブラオゼー領伯爵家の傍流にあたる。
 
 ベーオウルフはことさら血筋には五月蠅かった。
 そして、多くの貴族はより血筋を良いものにしようとする。
 一番簡単に血筋を高めるには、名門の血を引く者と婚姻を結ぶことである。
 
 今の時点で、残った名門四家で妙齢の娘は少なく、その中で一番血筋がよいのがシグルトが助けたブリュンヒルデであった。
 しかも、ブリュンヒルデはロッテンベルク領伯爵家の一人娘である。
 男性の権威が強いシグヴォルフでは、彼女と結婚すれば、自然と伯爵家の全てを受け継ぐことになるのだ。
 加えて、ブリュンヒルデは絶世の美女と謳われ、聡明と名高い才媛である。
 
 未婚の貴族の男たちは、すべからくブリュンヒルデの心を射止めようと狙っていた。
 そして女っ気がまるでないベーオウルフだが、彼ですらブリュンヒルデには一目置いている様子である。
 
「あそこまで、とは言わんが…
 
 シグルーンには、あの方を見習ってほしいものだ」
 
 そう言い残すと、ベーオウルフは外套を翻して去って行った。

「最後まで嫌味な奴だ…

 それにしても、ブリュンヒルデ殿か。
 俺には、普通の女性にしか見えなかったがな」
 
 外套をかけてやった時、頬を染めて礼を言った伯爵令嬢を思い出し、シグルトはベーオウルフとの舌戦で引きつった頬を少しだけ緩めた。

 
 
 この際大盤振る舞いです。
 書きためておいた小説を一気にUPしておきます。
 
 シグルトにとって最大の因縁、ベーオウルフ兄の登場です。
 複雑な家庭事情があるシグルトですが、はっきり言えることは、シグルトもベーオウルフも優れた才能を持っているということです。
 同時にどっちも勤勉で努力家、名誉を重んじるタイプです。
 
 べーオウルフは基準的には無双型相当ですが、それほど筋力が高いわけではありません。
 その代わり、シグルトよりも知力が高く、インテリです。
 バランスに優れ、総合力で敵を圧倒します。
 この当時、シグルトと同じく6レベル相当の実力がありました。
 
 彼は何れまた本編にも登場する予定です。
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『アルフリーデ』

 奇異の目に晒されながら、シグルトは王宮の廊下を歩いていた。
 
 本来、王宮に立ち入りを許される貴族の男は、正装として外套を纏うのが常だ。
 雪の多い北方では防寒具であり、同時に暗殺の刃を防ぐための防具にもなる。
 とくにシグヴォルフ王国では建国王の代から、外套を成人した貴族のシンボルとして身に着ける風習がある。
  
 だがシグルトの外套は、先ほど悪漢に絡まれていた貴族の娘にあげてしまった。
 所有していた外套の中では一番高価なものだったが、シグルトは母にあつらえて貰った外套をもう一着持っている。
 愛用して色がくすんでいたが、貴族の男として成人した15歳の時に母に送られたそれを、シグルトは誇らしくいつも纏っていた。
 
 今日着てきた外套は、嫌っている義兄のお古であり、外套のくすんだ色を気にして妹が五月蠅く言うので、仕方なく身に着けていた物だ。
 義兄がシグルトの愛用する外套をけなし、「くれてやる」と置いていったものだが、やや派手な柄のそれは着心地が悪かった。
 
 先ほどの娘に与えたことは、脱ぐ口実として十分なものだった。
 この国では男尊女卑の傾向があるが、婦女子を護るべき者として気遣うことが美徳とされている。
 貴族の男にとって、若い女性に誠意を尽くすのは嗜みであった。
 加えて、シグルトは女子供を護ることにとりわけ気を配る若者だ。
 
 シグルトは私財に対する執着心も希薄である。
 困っている者には、それが本当に必要だと判断した時は喜んで財を施す。
 妹には、〈お人好し〉とよく言われる。
 
 そんなシグルトの面倒見の良さは、妹を守り、母を護ってきた責任感から培われた。
 優しく、怒りよりも慈しみをもって養育してくれた母のおかげでもある。
 
 外套そのものを譲ったことでは、シグルトは後悔していなかった。
 それに、嫌いな義兄からの貰い物を粗末にせず貴族の娘のために使ったとなれば、ことに礼節に五月蠅い義兄も文句は言わないだろう。
  
 ただ、シグルトは外套を脱ぐ口実が欲しかったわけでもない。
 
 誰かに自分の都合や理由を押しつけることを、シグルトは恥としていた。
 自分がされて不快なことを相手にするのは、大切な者とその名誉を守るために状況極まった時だけと決めている。
 
 聡明で清廉な母親に育てられたシグルトは、高潔な若者だった。
 傲慢と気高さを区別でき、見栄と矜持を取り違えないことも、シグルトの魅力の1つである。
 
 シグルトは誇り高い男なのだ。
 名誉のためには命をかけられる北方の戦士であり、家族や国のために戦うことを厭わない。
 だからこそ、何を誇りとするか明確に理解し、行動することを自らに課していた。
 
(流石にこの格好で式典に出ると、シグルーンを悲しませるな…
 
 あの男にも少なからず皮肉を言われることになりそうだ)
 
 外套を手放したことは後悔していないが、妹に悲しい思いをさせるかもしれない可能性は、シグルトを暗澹とした気分にさせた。
 特に、愛しい者の名誉を至上と考えるシグルトにとって妹の泣き顔は、棍棒で殴打されるより痛い。
 外套を譲ってくれた嫌味な義兄にも、小言を言われることになるだろう。

 だがシグルトは、己が苦境にあるのは全て己が至らぬ故だと考える男である。
 現状に囚われて悩むより、後を如何にするかで悩むシグルトを、多くの者は潔いと評価する。
 
 すでにシグルトの心には、これから如何にするかという考えしかなかった。
 人目を避けながらこれからのことを思案する。
 いっそ、屋敷に戻って外套を取ってくるか、と考えていると…
 
「ふふふ、式典に参加する者が儀礼用の外套も纏わないなんて、一体どうしたの?」
 
 頭の上から柔らかな女の声がした。
 
 考え込んでいて、気配を感じ取ることすら忘れていたらしい。
 居住まいを正すと、シグルトは声のした上方を見やった。
 
 シグルトの立つ庭を見下ろすように突き出た二階のベランダから、白い女が見下ろしていた。
 
 夜の闇の中でも尚際だって輝く真っ白な髪と肌。
 白兎のように赤い瞳がじっとシグルトを見下ろしている。
 
 違和感を感じてもう一度目をこらし、シグルトはその女性が人間でないことを知った。
 
 白い髪から突き出た尖った長い耳。
 
「…エルフ?」
 
 王宮の中で出逢うはずもない種族を目の当たりにし、余程のことでも動じないシグルトも目を見開いた。
 
 エルフとは、妖精を祖とする亜人である。
 本来は森や人里離れた場所に住む者たちで、とりわけシグルトの故国であるシグヴォルフでは複雑な扱いを受ける種族だ。
 
 シグヴォルフの王族は、先祖にエルフの上位種であるハイエルフの血を引いていると言われている。
 建国王が〈白エルフ〉と呼ばれたハイエルフを祖母に頂く、混血児だったのだという。
 
 しかし国教が聖北教会であり、それもとりわけ異端排斥を唱える保守派が台頭する現在のシグヴォルフでは、神の信仰を理解しないものとしてエルフは異端とされる。
 教会によって植え付けられたイメージから生まれる偏見と、そこから生まれる迫害。 
 
 公式では、貴い王族はエルフの血筋ではない、ということになっていた。
 王家に向かう教会からの敵意を躱すためである。
 
 北方に於いて聖北教会は大きな勢力があり、しばしば為政者が宗教的な正義を理由に戦争を仕掛けるからだ。
 攻める理由を与えないように、聖北の教えを受け入れてからのシグヴォルフは、亜人に対して理解のない国に変わってしまった。
 今のシグヴォルフには亜人の類がいない。
 迫害を嫌い、でエルフやドワーフのような亜人たちは、対応が穏やかな隣国のスウェインやイルファタルに住むのが普通である。
 
 シグルトが 感じた違和感は、王宮の中で市街でもまったく見られないエルフを目にしたためであった。
 
 シグルトはこの国では珍しく、亜人に対して偏見や畏怖を持たない人間だった。
 かつてエルフとの混血であるハーフエルフの女性に会って、それを素直に受け入れることも出来た。
 隣国から旅をしてきたエルフを、皆が近寄らぬ中、道案内したこともある。   

 すぐに表情を引き締めると、シグルトは不躾でない程度にエルフの格好を観察した。
 
 人間の着る、しかもかなり上質な服や装飾品を身に着けている。
 着ている服は王侯貴族が身に着ける、純白の正絹製。
 黄金と白銀の腕輪や指輪、首飾りが、けばけばしく無い程度に身を飾っている。
 
 物腰は優雅で、先ほどの口調には訛り一つ無い。
 
 違和感を感じて周囲を見渡しこの場所がどこであるのかに気付くと、シグルトは冷汗が背筋を伝うのを感じた。
 
「…失礼。
 
 ここはもしや離宮では?」
 
 問いかけると、エルフの女性は悪戯っぽい笑みを浮かべて大げさに頷いて見せた。
 
「申しわけない、すぐに失礼する。
 
 考え事をしていたので、迷い込んでしまった」
 
 シグルトが女性の名も聞かず踵を返そうとする。
 
 王宮の東にある離宮は禁忌の場所とされ、王族でも出入りが制限されるのだ。
 王家の墓所と、建国王の遺体が安置される神聖な場所である。
 シグルトのような下級貴族が無闇に踏み入れば、下手をすれば極刑である。
 
「そんなに焦らなくて大丈夫よ、お間抜けさん。
 
 お祭ですもの。
 見張りの衛視も羽目を外していたんでしょうね。
 彼を責めたくはないから、貴方も見逃してあげる。
 
 そうね、いざという場合に備えて、少し手を打っておきましょうか。
 
 貴方の名前を教えてくれさえすれば、私が招いた客人にしてあげるわ。
 そうすれば、貴方に手を出せる者はいなくなる。
 
 さあ、名乗りなさい。
 女性に問われて名乗らない殿方などいないでしょう?」
 
 下段にいるため、闇に滲んだシグルトの顔を確認しようと目を細めたエルフが促す。
 
「度重なる失礼、陳謝する。
 あと、貴女の温情に最大の感謝を。
 
 俺はシグルト。
 国王陛下の忠実なる騎士、アルフレトの息子。
 
 式典に参加するために出仕している」
 
 即座に身を折り、一礼するシグルト。
 
 一瞬はっとしたエルフは、やがて楽しそうに笑い声を上げた。

「くすくす、離宮に迷い込んで、しかも私の耳を見てそんなに冷静でいられるなんて。
 
 しかも、アルフレトの息子でシグルト…
 貴方はオルトリンデの息子でもある、あのシグルトなのね?」
 
 そう言って、エルフはふわりと二階から飛び降りた。
 柔らかな風が吹き、その華奢な身体がゆっくりと下がって来た。
 
(…精霊術っ!
 
 このシグヴォルフの王宮で、精霊術を使うエルフ、だと?)
 
 シグルトには、風の精霊たちの息吹がはっきりと感じ取れた。
 精霊の力を用いることは、亜人である以上に聖北教会から忌み嫌われている。
 
「建国記念のこの日に、此処で私たちが出逢ったのは運命の悪戯かしら。
 
 もしくは、太祖様の血が貴方を誘ったのだわ。
 私と同じ、オルテンシア姫の直系である貴方の血が…」
 
 エルフはシグルトに歩み寄ると、愛おしそうに手を伸ばしシグルトの髪を撫でた。
 
「その髪、その瞳…
 シグヴァイス様の肖像画にそっくり。
 
 でも、オルトリンデの子供ですもの…私と同じく必然なのでしょうね」
 
 微笑むエルフの手を、シグルトは払うことが出来なかった。
 近くで見たその女性の顔は、昔会ったある女性によく似ていたからだ。
 
「私の名はアルフリーデ。
 
 よろしくね、シグルト」
 
 彼女の名の聞き、シグルトは即座に膝を折った。
 名にアルフを冠する意味を知らない者は、この国には一人もいない。
 
「王族の方とは知らず…御無礼をお許し下さい」
 
 畏まるシグルトの頭の上で、アルフリーデと名乗った白いエルフは涼やかに笑った。
 
「うふふ…いいのよ。
 
 現国王の姉とはいえ、公式にはいないことになっているもの。
 こんな耳でなければ、今夜貴方と王宮で踊れたかも知れないのに、残念だわ」
 
 流麗な仕草で自身の白い耳を撫でつつ、アルフリーデは艶然と微笑んでいた。
 
 
 シグヴォルフの王族には、とある因習があった。
 
 近親の不義による忌み子や、重い病を持った子供。
 呪いを受けて隔離しなければならない子供や、双子故に王家に禍根を残す可能性がある子供など…
 そういった特別な子供を離宮で引き取り、特別な使命を与えて育てるのである。
 
 特に、エルフの血を引く王家の中には希に先祖返りでエルフやハーフエルフが生まれる。
 所謂〈取り替え子〉である。
 
 だが、公ではエルフの血を引いていないことになっている王家である。
 結果として、生まれた〈取り替え子〉のことは全て隠蔽される。
 
 そして、出生を秘匿された子供はこの離宮に引き取られ、王家の墓を守りながら過ごす。
 アルフリーデは、そうした王家の墓守である。
 
 アルフリーデがシグルトのことを知っていたのには、この王家の成り立ちが深く関わっている。
 
 シグヴォルフの建国王は、オルテンシア…ハイエルフの血を引くハーフエルフの子供だ。
 そして、建国王にはその片腕として活躍した弟がいた。
 
 建国王とその弟は、協力して当時悪政を強いていた前王朝を打倒し、この国を建国した。
 兄は王に、弟は宰相となり公を名乗る。
 そして兄弟は、自分の血筋を伝えるために、母と同じ性である女児には、母親に因んだ名を付けることとなった。
 兄の係累…王家の女児は、エルフを意味する〈アルフ〉を名に冠した。
 弟の係累…公家の女児は、母であるオルテンシアの愛称である〈オルト〉を名に冠した。
 
 王家同様に、公家でも〈取り替え子〉が生まれることがあった。
 そして、その子供は王族同様に王家の墓守となる宿めである。
 
 シグヴォルフの王家と公家に生まれる〈取り替え子〉は、女児が圧倒的に多い。
 女児は女性が女らしく育成するのが役目とされており、両家の女児はいざ〈取り替え子〉が生まれた時に備えてこの離宮のことを教えられる。
 そして墓を護るエルフやハーフエルフたちに秘密裏に会って、様々なことを学ぶのが習わしだった。

 シグルトの母親であるオルトリンデは、建国王の弟から連なる公家の直系で、公家の名を継ぐ最後の女児だ。
 それ故にアルフリーデと面識があった。
 
 オルトリンデは公家が取り潰された後に、その宿命を娘には継がさないと、アルフリーデと相談した上で決めていた。
 
 シグルトの妹シグルーンは血筋的には公家の直系であるが、公家が取り潰された後に生まれたのでその義務を持たない。
 名前がオルトを冠していないことが何よりの証だ。
 
 王家の墓守は常に2人おり、新しい墓守が決まると前任の墓守は任を解かれて国を去る。
 アルフリーデは、現国王の3歳年上の姉として生を受けるが、〈取り替え子〉のエルフとして生まれたためにすぐに墓守として離宮に預けられた。
 
 その墓守の仕事とは、王族の墓所を護るのが1つ。
 王家の影の歴史を伝える語り部としての役目が1つ。
 そして、王家に古の知識を教えアドバイスする長老のような役目があった。
 
 オルトリンデは、アルフリーデとの面識によって様々な伝承を学んでおり、シグルトが古今の物語に詳しいのはそうした母親の影響が強い。
 
 アルフリーデはもう一人のハーフエルフのオルトグナーと共に、当代として王家の墓所を守っていた。
 ただ、オルトグナーは貧血を起こしやすく、現在の墓守としての仕事はほとんどをアルフリーデがこなしていた。
 
 先祖返りで生まれた〈取り替え子〉たちは、時に天才的な知性や能力を持っていたが、同時に身体的な欠陥を持つ者が多かった。
 オルトグナーは酷い貧血症があり、アルフリーデは色素欠乏症…アルビノである。
 アルフリーデに墓守の仕事を譲ったアルフヨルデは、その直後にずっと患っていた心臓病で亡くなっていた。
 
 王家と公家は、遺産を分散させないために近親婚を繰り返してきた。
 公家は、王族の血筋を濃くするためのスペアであり、〈取り替え子〉たちは、そういった歪んだ婚姻の落とし子たちである。
 
 近親婚は、遺伝的な欠陥を多数招くこともあるが、全く逆の場合もある。
 時にとてつもない天才が生まれることがあるのだ。
 シグルトの優れた能力は、その歪んだ恩恵があった故のかもしれない。

 
「…殿下は俺のことを御存知なのですか?」
 
 シグルトは王族の詳しい背景は知らなかった。
 せいぜい知っているのは、噂程度である。
 
 シグルトのことをよく知っている様子のアルフリーデに、素朴な疑問が浮かび尋ねてみる。
 
「貴方のお母様とはとても親しいのよ。
 
 オルトリンデの家がワルト領の公爵家だったことは、知っているわよね?
 彼の公家は、王族と最も近しい親類関係にあったのよ。
 取り潰されるまでは、なんだけど。
 
 王家と公家の女は、この離宮と墓所のことを幼いうちから知らなければならないの。
 私は基本的にここから離れることが出来ない身の上だから、やって来た同世代である貴方のお母さんが数少ない友達の一人だった。
 
 オルトリンデの御両親である公爵夫妻が心中という形で亡くなられて、公家が取り潰されてからは会っていないけれども、手紙のやりとりは続けていたわ。
 貴方やシグルーンのことは、その手紙で教えて貰っていたの。
 
 それに、貴方のことはあるお方からもよく頼まれているわ。
 力になってあげるように、ってね」
 
 白い髪を弄りながら、アルフリーデは微笑んでそう言った。
 
「貴方とは何れ会ってお話しするつもりだったけれど、手間が省けたわ。
 
 私は貴方に力を貸す責務を持っているのよ。
 そして、貴方に力を貸して貰いたいこともあるわ。
 
 私たち…この離宮に住む者は、この国の深い部分に関わっているの。
 だから、力ある者に力を貸し与え、そして力を貸して貰う。
 そうやって、国を支えてきたのよ。
 
 私が力を貸さなくても、貴方が自分だけで身を立てられる男の子だということは、噂で聞いて知ってるけれど…
 もし困ったことがあたら、私を頼りなさい。
 
 決して悪いようにはしないから」

 40を少し超えた国王の姉であるのだからシグルトの母親よりも年上のはずだが、エルフとしての不死性故か、実際の年齢を感じさせない。 
 背の高いシグルトからすれば、かなり小さく感じられるエルフの姫君は、反面で大人びた雰囲気ももっていた。
 
 紅玉のように赤い瞳が、跪いたシグルトを見据えている。
 その視線には、年を経た者だけが持つ余裕が宿り、力強く煌めいていた。
 
 シグルトは、アルフリーデの心遣いに感謝し一礼すると場を後にしようと立ち上がった。
 
「…姉上~!」
 
 その時、煌びやかな衣装に身を包んだ一人の男がやって来た。
 男の頭に乗った冠に気付いたシグルトは、即座にまた膝を折る。

 冠の男は、この国の国王その人であった。
 
「シグソール…どうしてこのような場所に?
 
 貴方は式典の主役でしょうに」
 
 呆れたようにアルフリーデが溜息を吐く。
 
「いや、何。
 堅苦しい式典には肩が凝るので、休憩がてら顔を見に来たのですよ。
 
 私にとって、姉上と話している時が一番心が安らぐのでね」
 
 そう言ってこの国の国王シグソールは、幼い子供のように無邪気な笑みを浮かべた。
 しかし、アルフリーデの傍に控えていたシグルトに気付くと、にわかに眉根を寄せる。
 
「…この離宮に何故人が?
 しかも男ではないかっ!
 
 姉上、これはどういう…」
 
 鋭い口調になった国王を、アルフリーデは黙りなさいとばかりに鋭い目で睨み返した。
 国王は、それだけで萎縮したように肩をすくめる。
 
「この若者はワルトの公家縁の者。
 そのことに関わる話をしていたの。
 
 だから、離宮を侵した罪はないわ。
 つまらぬことを詮索すれば、貴方でも許しませんからね。
 
 これは墓守であるこのアルフリーデの名で許可したこと。
 判ったわね、シグソール?」
 
 完全に国王を尻に敷いた様子である。
 
「わ、判りました。
 
 それで、お話は終わられたのですが?」
 
 叱られた子供のように、国王は上目遣いで姉を見やった。
 
「もう少し話す必要もあるけれど、今宵は祭の最中。
 後日改めて、ということにしましょう。
 
 シグルト。
 王宮に出仕した時は、必ず私の元に寄るのよ。
 その許可を与えた証として、これを預けておくわ」
 
 そう言ってアルフリーデは、自分の付けていた指輪をシグルトに手渡した。
 シグヴォルフ王国の国章である狼を、正三角形と二重の円が囲んだ不思議な紋章が描かれている。
 
「この指輪の紋章を見せれば、王宮にも離宮にもすぐに入れるはずよ。
 
 今度は、ぜひ貴方の妹も連れていらっしゃい。
 話さなければならないことが、沢山あるわ」
 
 シグルトは強く頷き、国王とアルフリーデに一礼すると、今度こそ場を去ろうとする。
 
「待ちなさい。
 
 仮にも王宮に出仕する貴族が、外套を着ていないのはみっともないわ。
 少し待っていて」
 
 そう言うと、アルフリーデの身体がふわりと浮かび上がった。
 そして、二階に戻っていく。
 
 取り残されたシグルトと国王は、はたと顔を見合わせた。
 すぐにシグルトは膝を折り、臣下の礼を取る。
 
「初めてお目にかかります、国王陛下。
 
 俺は、陛下の忠実なる僕アルフレトの息子でシグルトと申します。
 御無礼をお許し下さい」
 
 シグルトの言葉に、国王はなるほどと頷いた。
 
「お前がアルフレトとオルトリンデの息子なのだな。
 姉上が何故離宮への立ち入りを許したのか、得心がいったよ。
 
 形式の上では、もうお前の母上は公家の身分にないけれど、昔は私や姉上とよく遊んだものだ。
 
 お前の父君は、私の一番の騎士で、共に戦場を駆けた戦友でもある。
 彼の不自由な足は、私を護って負った名誉の傷だ。
 
 両親に恥じないように励むのだよ」
 
 そう言って国王は穏やかにシグルトの肩に手を置く。
 しかし、その直後異様な力でシグルトの肩が圧迫された。
 
 驚いたシグルトが国王の顔を見ると、やや引きつった表情で、国王はシグルトを見下ろしていた。
 
「でも、離宮に出入りが可能になったからと言って、不埒なことは考えないように。
 
 姉上はあんなに可憐だから、変な気持ちが起こるかも知れないけど、それは許されないことだ。
 もし姉上に何か粗相をしたら、私は決して許さないからね。
 
 …判ったね?」
 
 シグルトは国王に頷きつつ、内心呆れていた。
 きっと国王は、姉への依存性が高い重度のシスターコンプレックスなのだろう。
 
 現国王は神経質でやや気分屋である、と聞いてはいたが、妙に納得したシグルトである。
 
 もちろんシグルトは、出逢ったばかりのアルフリーデに邪な感情など抱いていない。
 
 シグルトは恋愛に対してとても消極的だった。
 加えて同世代の若者たちとは違い、性欲そのものが希薄なのだ。
 
 シグルトのこういった性格は、妾として囲われていた母の姿を見てきたから、だとも言える。
 これには理由があり、シグルトの父親は母を深く愛していた。
 だが、仮初めでも囲われ者の子供として育った数年の間に、シグルトは愛する女性には誠実であろうと心に決めていた。
 
 シグヴォルフでは多重婚が認められている。
 現国王の后は2人いるし、有力な貴族は妾を囲うことも多い。
 そのかわり生まれた子供には、正妻と妾に限らず私生児まで、その養育と生来に責任を持つことが父親の務めであった。
 
 シグルトは、生涯の妻は一人だと決めている。
 それは、妾として苦労した母親を知っているからであり、同時に子供が被る迫害をその身で体験しているからだ。

 子供にとって、父親として恥じない男となれるように。
 妻にとって、夫として恥じない男になれるように。
 シグルトは生来を見据えて自身を磨いている。
 
 生々しい話だが、厳しい北方で男が担うのは家長としての責任なのである。
 一家を背負って立てる男になることは、何より重んじられていたことだ。
 だからこそ、財産と家族を守れるように、戦士としての強さを持つことも美徳とされている。
 
 北方は全ての国が倫理性を重んじた法治国家ではなく、未だに戦争で略奪を推奨する民族や、辺境地では野盗が闊歩していた。
 野や森は生活に密接に関わるが、時には凶悪な野獣や魔物が徘徊している。
 
 シグルトは子供の頃に、狼に襲われてそれを殺していた。
 その時に死した狼を見下ろしながら、敗者の無惨な姿を目に焼き付けていたのだ。
 
 自分が敗者になるのは仕方がない。
 だが、守れなかった家族が同じように屍なるのは耐えられない。
 
 シグルトは、家族を守れる男になれるよう、強くなることを誓っていた。
 
 そして、自分の実力で守られる家族が限られているとも考えていた。
 かつて正妻のいた父は母を日陰に置かなければならず、母は父を愛していたからこそその境遇を甘んじて受け入れていたのだ。
 
 自分の妻と子供には、決してそんな思いをさせたくないと、シグルトは思っている。
 
 素朴でもいい、優しい妻が一人と愛らしい子供たちに囲まれて穏やかに過ごせれば、それに勝る幸せはない。
 シグルトは、そんな小さな夢を胸に抱いていた。
 
 それに今のシグルトには、女性にうつつを抜かしている余裕はない。
 自分はまだ若輩でもっと強くならねば、と考えているからだ。
 妻を娶るには、まだ時期尚早だとも思う。
 
 話題となったアルフリーデは母よりも年上である。
 失礼で口には出せないが、小母のような親近感を感じていた。
 
 アルフリーデは、幼少の頃に出逢ったハーフエルフの女性によく似ているのだ。
 シグルトの先祖だというその女性は、この国の建国王の母オルテンシアその人である。
 
 オルテンシアに会ったのは、幼少の頃にただ一度だけであるが、シグルトと同じ青黒い髪と瞳をした彼女には、言いようのない懐かしさを感じたものだ。
 同時に抱いた親近感を、アルフリーデにも感じたのだろう。
 そんなふうに、シグルトは考えていた。
 だから、恋愛感情の一片すら覚えていないと言い切れる。
 
 もっとも、シグルトは生まれてこの方、恋愛感情など欠片も持ったことがないのだが。
 
 この国の下層の民は性には大らかで、シグルトよりも数歳若いものでも結婚したり男女の関係を持つ者は多数いる。
 シグルトの親友であるワイスなどは、13の時に女性と関係を持ったという話だ。
 16歳で女っ気一つ無いシグルトなどは、「それだけ顔が良いのに、もったいない」と同年代の友からよく言われた。
 
 親友のワイスが気を利かせて、知り合いの娼婦を抱けと勧めてくれたこともあるが、シグルトは入らぬ世話だと突っぱねていた。
 
「恐れ多くも、陛下の姉君にそのような気持ちを持つはずありましょうか。
 
 それに、俺は若輩の身。
 騎士の身分にすら無く、帯剣の許可も持たぬ様です。
 女性に心を捧げるには、分不相応。
 
 このシグルト、身命にかけて殿下に邪な気などもっておりません。
 
 我が誇りである父と母の、その名誉にかけてお誓い致します」
 
 きっぱりと宣言したシグルトの言葉に、国王も子供っぽい嫉妬心を持ったことを恥じたのだろう。
 頷いて、肩に置いた手を放してくれた。
 
 その時、風を纏ってアルフリーデが二階から降りてきた。 
 
「…待たせたわね。
 
 さあ、これをお持ちなさい」
 
 現れたアルフリーデは、銀糸を上品に用いた外套を持っていた。
 絹で作られたそれは、下品なけばけばしさは無く、しかしよく見ればかなり高価な代物だと判るものだった。
 肩口には右肩に正三角形と剣、左肩に二重円と玉、背には弓を象った白い紋章が描かれている。
 
「あ、姉上っ!
 
 それは恐れ多くも、シグヴァイス宰相の遺品ではありませんか。
 我らが王家に伝わる金糸紋の外套と対になる、銀糸紋の外套。
 
 いくらこの者がシグヴァイスの血筋とはいえ、国宝とも言えるそれを与えるなど…」
 
 驚きで目を見張った国王を一睨みで黙らせると、アルフリーデはシグルトに歩み寄った。
 
「これを渡すことは、シグルト誕生の日からオルテンシア姫に定められていたこと。
 
 国王であっても、太祖様とシグヴァイス様のお母上である、最初の墓守の名をもってなされたことに異を唱えることは許されないわ。
 これを渡すことは、このアルフリーデ当代の使命であり、神聖な行い。
 
 まさか、これほど言っても止めるつもりは無いでしょうね、シグソール?」
 
 もう一度横目で睨まれて、国王はぱくぱくと口をわなめかせると、渋々頷いた。
 
「…受け取れません、殿下。
 
 俺のような下級貴族の…」
 
 流石にシグルトも、その外套の重要性を知り躊躇した。
 
 金糸紋の外套とは、国王が戴冠式と特別な行事にのみ纏うとされる国宝である。
 銀糸紋の外套は金糸紋の外套の対の品で、暗殺された建国王の弟で初代宰相であるシグヴァイスの持ち物だったとされる秘宝なのだ。
 
 男爵家の次男で、しかも騎士の叙勲すらしていないシグルトが軽々しく纏えば、家門断絶になりかねない。
 
「…まあ、そうでしょうね。
 流石に今すぐこれを纏いなさい、とも言えないわ。
 
 ただ、これは今日からシグルトの持ち物であり、このアルフリーデが預かっておきます。
 貴方が国に名を残す男となった時は、国王からこれを貴方に贈り、ワルト公家の名を継いで貰うつもりよ」

 衝撃的な宣言に、シグルトも国王も目を見開いた。

 ワルト領公爵になれ、とアルフリーデは言った。
 一介の下級貴族、しかも次男で家督を継ぐことも許されない身で、兄や父よりも上の爵位を与えるというのだ。
 
 アルフリーデの言う公家は、かつてシグヴォルフ王国の門閥貴族でその最高峰にあり、王家の親族として認められていた名門中の名門だ。
 
「殿下、俺如きが公家を継ぐなど…あってはならぬことです」
  
 シグルトがややかすれた声でようやく言葉にすると、アルフリーデはその先を言わせず、鋭い口調で話し出した。
  
「そもそも、公家は聖北教会がこの国に入る前からあった王家の分身とも言える家柄。
 断絶されてしまったけれど、これは許されることではないのよ。
 
 弟の代でそのようなことになってしまったのは、痛恨の極みだわ。
 元に戻すことが私の責務であり、同時に贖罪なのよ」
 
 大きくなった話に、シグルトは言葉を失っていた。

 焦った様子で国王が顔を上げる。
 
「あ、姉上っ!
 断絶した公家の再興など、とんでもないことですっ!
 
 …聖北教会と戦争を起こすおつもりですか?!
 
 公家の断絶は、国教である聖北教会とこの国の法律によって遂行されたこと。
 
 国教として深く根付いている、聖北教会とことを構えるなど以ての外です。
 そんなことをすれば、周辺の聖北教徒である全ての国家を敵に回すことに…」
 
 国王をもう一度睨むと、アルフリーダは溜息を吐いた。
 
「国王である貴方がそんなふうに弱腰だから、今のような司教の台頭を許すのよ。
 何も全ての教会勢力と争え、とは言っていないわ。
 
 でも、現在のこの国における保守的で狂信的なまでの政策は我慢ならない。
 特に公家断絶を決定した、司教派の連中のやり方にはね。
 
 かつて聖職であった私たち墓守は、今や隠れ隠される扱いで、ハイエルフの血筋であることすら伏せねばならない始末。
 加えて、亜人種に対する迫害や、女性に対する不当な差別。
 宗教権力による横暴と、正義の名で堂々と行われる強奪同様の搾取。
 
 証拠が無いけれど、公家の公爵夫妻は聖北との意見対立から自殺に見せかけて殺されたのではないかとさえ、考えられるわ。
 貴方だって、公家の断絶が聖北教会の独断で行われた暴挙であることは、知っているでしょう?
 少なくとも、私の知る公爵夫妻は自殺など決してせず、最後まで貴族の責務を全うする気概を持っていた。
 
 教会側の暴挙を裏付ける話もあるわ。
 
 当時美しいと評判だったシグルトのお母様であるオルトリンデは、裏で現司教の愛人契約を持ちかけられていたの。
 よりによって公家の一人娘を、声高に「神職に捧げよ」と言ったそうよ。
 同じように言われて司教の元に行かされた娘たちは、言葉にすることも憚られる扱いを受けていたの。
 
 それを知っていた公爵夫妻は、きっぱり断ってかわりに多額の寄付をしたのだけど、司教はもの難癖を付けて譲らなかったそうよ。
 そうして、教会と公家が対立していたのよ。
 公爵夫人が嘆いて、私たちに相談に来たことがあるわ。
 
 あのスケベ司教がどんなことをしてきたか、国王である貴方が一番知っているでしょう?
 聞けば、あの悪法である〈初夜権〉を教会の名で発しようとしたことさえあるじゃない…聖職者が聞いて呆れるわ」

 〈初夜権〉…〈処女権〉とも呼ばれるものがある。
 
 これは、領主や聖職者が結婚前の花嫁の貞操に税をかける制度である。
 年頃の女性は大切な労働力であり、宝とされる。
 花嫁を貰い受ける夫は、一定の税あるいは寄付を、領主や聖職者に支払う、というものだ。
 
 領主の主張では、領民は領主の所有物ということになっている。
 聖職者の主張では、人は神の所有物ということになっている。
 
 本来であれば、少しでも税金を捻出するために考えられた法であったが、この法律はやがて歪んだ解釈をされるようになった。
 税金が払えなければ、花嫁の貞操を領主や聖職者が召し上げる、というものである。
 
 さらに酷い事例では、花嫁の貞操そのものを税金として結婚の時に徴収する領主や聖職者もおり、良識的な者たちからは悪法として忌み嫌われていた。
 
 シグヴォルフでは〈初夜権〉を禁止しているが、貴族たちの不満や反乱を防ぐため、王が〈初夜権〉を推奨している国もある。
 極端な話では、一種のハーレム…王が子種を与えた花嫁を貰い下げて、王の子供を育てる制度の国さえあった。
 
 聖北が入ってくる前の宗教観では、性に関して大らかだった時代や文明もある。
 辺境の平民たちには現在でも夜ばいの風習があるし、庶民はそれほど処女性に頓着しないかった。
 だが〈処女性〉という価値観を生み、それを重んじて貞操観念を推奨する宗教の登場は、ある意味で男女の文化を洗練させたが、時には歪んで解釈して利用する輩も現れる。
 
 有力者が定めた法律には、後の者が眉を顰める奇天烈極まりないものも多い。
 
「教会の聖職者は、軒並みあの司教の息のかかった俗物が上層部を押さえ、異端審問の名で暴挙が為されて罪の無い者たちが苦しんでいるのよ。
 
 この前なんて、よりにもよってこの墓所を公開するように迫ってきたじゃない。
 私が手を打っておかなければ、この墓所はあのろくでなしどもに蹂躙されていたのよ。
 
 今では外向的にも、シグヴォルフは孤立しつつある。
 強硬的なこの国の教会勢力のせいで、自国の国教が毒されるのを警戒しているからよ。
 他国の穏健派の教会勢力には敬遠され、それを攻める理由に上げて息巻く国家も出始めているわ。
 
 このままでは大きな戦争が起きる。
 
 戦争は国家を疲弊させ、滅ぼしかねない恐ろしいものよ。
 ましてやあの過激な司教ならば、戦争ともなればいらぬ口を出してくることは間違いないでしょう。
 
 ここで国家の象徴の1つである公家を再興して力を合わせ、穏健派の教会勢力と結んで今の司教を排斥しなければ、国が滅んでしまう。
 内戦に近いことになるのは心苦しいけれど、放っておけば国を取り巻く状況が酷くなる一方だわ。
 
 私たち墓守は、国家が愚かな道を歩まないよう助言するために、太祖様の名で残された賢人組織。
 いざことを起こせば、他国に去った墓守たちが一斉に集ってこの国を護るでしょう。
 
 私は貴方の姉である前に、この墓所を守り、国を憂う者なのよ。
 もし貴方が国王の義務を怠り、あの司教の台頭をこれ以上許すのならば、今後私のことは姉と呼ばせません。
 
 いいわね、シグソール?」
 
 厳しいアルフリーデの言葉を受けて打ちひしがれる国王の横で、シグルトは母を襲った知られざる不幸を知り、奥歯を噛みしめていた。
 もしアルフリーデの話が本当ならば、母も祖父母も理不尽な不名誉を負わされたことになる。
 
 シグルトは、自分なりに公家のことを調べていた。
 
 本当に自殺するような祖父母ならば、母を悲しませた憎むべき存在だが、母は一度も祖父母を悪く言ったことがない。
 子供たちの前で弱みは見せなかったが、祖父母の悪口を聞く度、母が涙をこらえていたことが思い出された。
 
 調べた結果では、公爵夫妻は温厚な人物であり、特に公爵は人格者として名高かった。
 後に教会の名で貶められていたが、公爵の行った治世は名君と呼べるものであった。
 逆に、教会に吸収された旧公爵領では、かつての穏やかな雰囲気はなりを潜め、先ほど会ったグールデンのような司教の親族がやり放題であるらしいのだ。
 
 公爵夫妻の遺体は、真っ先に駆けつけた教会側が自殺と断定してその首を即座に切り落とした。
 自殺者は不具の身体にされ、地獄に落とされるのがこの国の法律だからである。
 
 王国側の遺体見聞は許されず、抗議した騎士の一人が教会側に破門されたと聞いている。
 その騎士が公家縁の者だったせいで、罪人の縁者は同罪とされ、結局教会の横柄な主張が通ったのだが。
 
 先ほど貴族の娘に絡んでいたグールデンもそうだが、司教の一族やその一派は教会権力を傘にやり放題で、嫌われている存在だ。
 王国の教会勢力では、司教派の横暴を嘆く聖職者も数多い。
 
 シグルトが洗礼を受けた教会などは、穏健派と呼ばれる対司教派たちの流刑地のような場所で、学に優れた賢人も数多い。
 その聖職者たちから、シグルトは様々なことを学んでいた。
 
 困ったことに、司教派が占める門閥貴族は王国の武闘派が揃っており、国家の軍隊における半数を支配している。
 国王が手を出せないことは、無理からぬことであろう。
 
 対司教派は平民と一部の貴族には多く、シグルトの父親アルフレトも対司教派に属していた。
 だが温厚で知性派が多い対司教派は正面切って戦うことを好しとせず、司教派の台頭を許しているのが現状だ。
 
 何れ父の元で司教派と争うことになるかもしれない、と漠然とした予感がある。 
 だが、己を修行中の身であると自覚するシグルトは、まだ時期尚早と即座に結論付けた。
 
「恐れながら殿下…
 
 今のお話はあまりに大きな話。
 騎士ですらない俺の及ぶところではありません。
 
 今の俺では殿下のお心に沿うことは出来ませんが、何れこの身が恥じないものとなった暁には、改めてお話を伺いたく存じます」
 
 素早く保身に入るシグルト。
 家族を巻き込まないようにするためだ。
 
 自身一人であれば、戦いに命を尽くすことも無謀に身を焦がすことも恐れないシグルトだが、苦労した母のために慎重であろうと心に決めていた。
 
 アルフリーデはシグルトのそう言った心中を解したのか、穏やかに微笑んでくれた。
 
「ごめんなさい。
 この話は時期尚早だったわね。
 此処まで話すつもりなんて、無かったのに。
 
 でも貴方が公家直系の長子であり、貴方のお母様と公爵夫妻の名誉を回復する義務があることは、覚えておいて頂戴。
 貴族として庶民の税でその糧を得、公家の血と名誉という宿命を背負っていることを忘れてはいけなわ。
 
 …話が長くなったわね。
 
 銀糸紋の外套は私が預かるけれど、変わりに別の外套を授けましょう。
 私と貴方の出逢いの記念として、受け取って頂戴。
 こっちは、王の姉としての命令よ。

 拒絶は許さないわ」
 
 そう言って、さっともう一つ外套を取り出すアルフリーデ。
 もともとそのつもりだったのだろう。
 
 そちらの外套は絹で出来たもので、銀糸による細かな刺繍が上品に施されていた。
 やや質素にも見える配色だが、目利きであれば上等な物だと判る品だ。
 
「これは、私が貴方と会った時に贈ろうと思っていた外套よ。
 
 貴方が生まれたとオルトリンデの手紙で知った時から少しずつ、この私が織った絹で作ったの。
 建国記念のこの良き日に渡せて、嬉しいわ」
 
 アルフリーデは銀糸紋の外套を国王に預けると、自らの手で頭を垂れたシグルトに外套を羽織らせてくれた。
 外套は量ったようにぴったりと、シグルトの長身を包み込む。
 
「恐悦です。
 
 有り難く賜ります、殿下」
 
 外套を失ったシグルトとしては、願ってもない品だ。
 こちらは、アルフリーデがシグルトのためだけに用意してくれたという品でもあるし、断る理由もなかった。
 丁寧に礼を尽くし、アルフリーデに深く頭を下げる。
 
 アルフリーデは頷いて、満足げに目を細めた。
 
「…妹を待たせています。
 
 この身が殿下の御尊顔を拝するのに相応しいものとなった時には、また改めて参ります。
 さらなる御無礼をお許し下さい。
 
 今宵はこれにて失礼致したしたいと思います」
 
 アルフリーデがシグルトの肩を軽く叩き、それを許す。
 
 シグルトは国王にも礼を尽くし許可を受けると、その場を去っていった。
 
「…ふふ、立派な青年になったのね。
 
 頼もしい限りだわ」
 
 上機嫌のアルフリーデ。
 その笑顔を見つめながら、国王シグソールは何故か苦虫を噛みつぶしたように、唇を噛みしめていた。

 
 
 新キャラクター登場です。
 これまで、それとなくリプレイでも匂わせていたのですが、このエルフのお姫様こそ、シグルトの庇護者となった、隠れた国の有力者でした。
 
 何となく判ると思いますが、好い方なんですけどマイペースで強引です。
 王様を見事に尻に敷いていたり。
 
 アルフリーデが言っているワルト領とは、公爵家が治める広大な領地のことで、この国の貴族は領地の名を姓のかわりに名乗ります。
 「ヒュッヘル領子爵、ランベルト」みたいな感じですね。
 
 シグルトは公家の直系の男子であり、断絶した公家を復興させて司教派の横暴を止める温厚派の旗印にしようと、アルフリーデは随分前から画策していました。
 
 友人の両親を自殺者という不名誉で処分し、勝手に歴史ある公爵家を断絶してしまった司教に対し、アルフリーデは凄まじい敵意を持っています。
 
 司教に身柄を接収されそうになっていたオルトリンデを匿い、思い人であるアルフレト(シグルトの父親)に愛人として囲わせるという奇策を考えたのも、アルフリーデだったりします。
 仮にも神職に差し出せという女性が、一番身分の低い男爵の愛人では、教会の権威が地に落ちますからね。
 不名誉を取り繕って、それで逆にオルトリンデは守られたのです。
 
 アルフリーデは、外見の愛らしさによらず、かなり権謀術数に長けた人物です。
 現在の王政でも、アルフリーデが影のブレインとしていることで、ちょっぴり情けない国王はその治世を優れた物にしています。
 外交政策の原案なんかも考えている、スーパーレディなんです。
 
 墓守は、オルテンシア姫が考えた制度で、本来は隠居した王族たちが後の王族に知恵を授けるために組織されたものでした。
 とくに、長い寿命を誇るエルフが王族に生まれた時はその寿命で知恵を蓄えて、王国を支えてきたわけです。
 墓守の力は非常に強く、国王を凌ぐ権力があります。
 国王の即位や、貴族の断絶と爵位の叙勲を考えるのも、本来は墓守の意見が第一で、司教のやったことは墓守の権力を侵害する行為だったわけです。
 
 本来、エルフの血が王族にはないと公式に発表させたのは墓守たちでした。
 無駄な争いが起きないように、また墓守が影に徹するように、その存在を隠蔽したのです。
 
 歴史ある王国は、こういった影の組織を内包してるのがけっこうあります。
 秘密結社なんか、まさにその類ですよね。
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『グウェンドリン』

 女は少し歩いてはその場にたたずみ、艶めかしい溜息を吐いた。
 美女の蠱惑的な仕草に、通りかかった者は男女を問わず見惚れてしまう。
 
 雪のように白い頬を桜色に染め、初々しい仕草で歩くその娘はブリュンヒルデ。
 先ほどシグルトに助けられた絶世の美女である。
 
 ブリュンヒルデは、シグルトとの出逢いで感じた甘い痺れに酔っていた。
 男物の外套を大切そうに纏い、頬を赤らめている彼女は年頃の乙女らしい可憐さがある。
 普段、気丈で聡明と噂される伯爵令嬢のそれでは無い。
 
 そんなブリュンヒルデに、靴音を響かせて歩み寄るものがあった。
 
「探したぞ、ブリューネ」
 
 呼びかけにはっとしてそちらを見ると、はっとするような美しい人物が立っていた。
 背こそ高いが、よく見れば艶やかな赤い唇と女性特有の柔らかな曲線を備えた身体つき。
 男装の麗人、といった風貌である。
 
「え、あ?
 
 …グウェンダ?」
 
 いつもの彼女ならば絶対しない間抜けな対応。
 グウェンダと呼ばれた背の高い麗人は、肩をすくめて苦笑した。
 後ろで束ねたシルバーブロンドがさわり、と揺れる。
 
「悲しいものだな。
 
 2年ぶりに再開した友に対して、その反応はあまりに味気ないぞ?」
 
 がっかりしたように大げさな溜息をつく麗人。
 
 ブリュンヒルデは、自分の醜態を恥じたのか頬を赤らめ、一つ呼吸して、いつもの彼女に戻った。
 
「ごめんなさい…悪気は無かったのよ。
 ちょっと、さっきまでいろいろあったから。
 
 改めて…
 お久しぶりね、グウェンダ。
 シグヴォルフの貴族として、同時に共に修道院で祈った友として…
 
 スウェインのグウェンドリン殿。
 ようこそ、私の国へ。
 心から歓迎するわ」
 
 軽く夜服の裾を掴み、膝を軽く折って優雅に一礼する。
 そして2人は互いに手をとり、微笑み合った。
 
 麗人…名をグウェンドリンと言う。
 
 年はブリュンヒルデと同じ16歳で、隣国スウェインの子爵令嬢だ。
 
 しかし、今の姿と言えば、貴族の娘としては異様とも言えた。
 グウェンドリンの着ている礼服は、男性のそれである。
 背の高い彼女が着れば、並の男よりよほど似合っていたが、男女の区別がはっきりしている北方貴族の子女としてはありえないものだった。
 
「相も変わらず男装なのね、グウェンダ。
 
 貴女ならばドレスだって似合うでしょうに。
 まさか使節団として来ているのに、男装のままだなんて思わなかったわ。
 
 よく他の方が許可したわね」
 
 背の高い男装の麗人を見上げ、ブリュンヒルデは少し呆れた用に目を細めた。
 
「何、大したことではない。
 
〝使節団に加わる者が、浮かれた服装などしては国として恥になる。
 まして、自分は武門の生まれである。
 身を律する意味で、他の男性方と同じ服装にしたい〟

 と申し出た。
 
 すんなり受け入れられたぞ」
 
 そう言って、グウェンドリンは軽く片目を瞑って見せる。
 聞いたブリュンヒルデは、たまらず吹き出してた。
 
 
 ブリュンヒルデとグウェンドリンは、親友同士である。
 
 グウェンドリンの家は、隣国で代々軍事顧問や将帥を多く輩出した武門の家柄だ。
 実際グウェンドリンも、女だてらに剣を扱う。
 その腕前は、その辺のにわか騎士よりよほど強い。
 性格も男勝りで、幼少の頃は騎士になると言って憚らなかった。
 
 もっとも、彼女がいかに武の名門の生まれだとしても、封建的で男尊女卑のまかり通った北方貴族の中で、彼女の願いはかなわなかった。
 母親にそのお転婆ぶりを嘆かれていたグウェンドリンは、その当時に同じく学問にばかりのめりこんでいたブリュンヒルデと同様、花嫁修業の名目で同じ修道院に入れられてしまった。
 2人は3年の間共に過ごして互いの故国に戻り、それ以来の再会である。
 
 この2人は女傑だった。
 修道院で意気投合した2人は、同じような境遇の子女たちを瞬く間にまとめ上げ、そのリーダー的な存在となった。
 
 女だけの修道院。
 予想すれば、お淑やかな貴族の子女ばかり集まるかと思えば、その実とても姦しい場所だ。
 遊びたい盛りの少女たちが一堂に会すれば、賑やかになるのは当然である。
 
 教育係のシスターの目を盗み、その裏で彼女たちがやることは、まず勢力争いだ。
 
 貴族の子女、という者は概ね見栄っぱりである。
 誰がリーダーで、どのグループに属するかということが重要だった。
 
 その中でブリュンヒルデは、“緑玉の君”と謳われていた。
 エメラルド(緑玉)のようなブリュンヒルデの瞳から付いた名である。
 
 持ち前の教養とカリスマ性で他の娘たちを虜にしたブリュンヒルデは、修道院に入って数日で一大勢力のリーダーになってしまった。
 
 ブリュンヒルデ自身は、勢力争いなど興味もなかったが、露骨に彼女の美しさを嫉妬した他の勢力のリーダー格に絡まれ、酷い嫌がらせを受けたのだ。
 負けず嫌いのブリュンヒルデは、〈やるならば一切の容赦無し〉とばかりに相手のリーダーを徹底的に実力で打ち負かし、修道院の子女たちのトップになった。
 実質人気の上でナンバー2だったグウェンドリンとともに、ブリュンヒルデが行った数々の武勇伝は、今でも同期の娘たちの語りぐさである。
 
 ブリュンヒルデは所謂才媛だった。
 特にその知識は普通の娘のそれでは無い。
 医学から神学、文学、数学、歴史学…
 修めた知識は、国の賢者たちが顔負けのものであった。
 
 幼年に彼女の家庭教師をした者は、ブリュンヒルデの利発さを褒めて“賢き姫”と呼んでいたほどだ。
 
 ブリュンヒルデは自尊心の強い娘であったが、同時に大変な努力家で勉強家だった。
 その美しい瞳が勉強のし過ぎで濁るのではないかと、周りの者が心配したほどである。
 
 ブリュンヒルデが、努力をするのはわけがあった。
 
 彼女の母は継母である。
 実の母は、王族の血を引く侯爵家の令嬢だったが、ブリュンヒルデを生むと間もなく亡くなってしまった。
 
 父親は血の病を患っており、いつもは臥せっていることが多い。
 再婚した妻との間に子をなす精力は無かった。
 
 継母は政略の意味で再婚したため、父やブリュンヒルデへの愛情は薄い。
 生真面目な女性で、普段は家に籠もって趣味の刺繍に明け暮れている。
 熱心な聖北教徒で、男女の営みを忌み嫌っている様子もある。
 彼女は未だに乙女だと、使用人たちが噂する程だ。
 
 そのため兄弟姉妹には恵まれず、ブリュンヒルデは伯爵家の一人娘という立場である。
 病気がちな父や内向的な母の代わりに彼女が常に表舞台に立ち、百戦錬磨の貴族たちの中で渡り合う必要があった。
 
 他の者に軽んじられないように努力し、騙されないように賢くなった。
 
 責任感の強いブリュンヒルデは、自分の夫が必然的に伯爵となって彼女の家も継ぐのだと考えている。
 それは貴族の子女として生まれた者が持つ当然の価値観であり、幼少の頃から強く自覚していたことだ。
 だが、大切に守ってきたものを愚鈍な輩に渡すつもりはないし、努力して磨いてきた自身を委ねる相手に妥協するつもりは無かった。
 
 加えるなら、彼女は貴族の中では驚くほど新進的な考えを持ち、身分や財産よりも、才能や志ある者を夫にしたいと考えているのだ。
 
 戦争の多い北方では、武勇も重要であり、蛮勇でないなら強いことも必要である。
 小貴族から才能だけでのし上がった人物も数多い。
 卑屈なだけの貧農などは当然お断りだが、自分の努力を認めてくれる同様の努力家であれば、生まれなど二の次だと考えていた。
 
 そんな性格で立場のブリュンヒルデは、男勝りで努力家なグウェンドリンとは馬が合った。
 
 
 グウェンドリンの家は、隣国有数の武家である。
 その家紋は〈龍殺紋〉と呼ばれ、家の開祖は龍を殺した豪傑だったという。
 
 グウェンドリンは兄ばかり、しかも武人肌の家族に囲まれて育ったため、性格も口調も男のようだった。
 しかも、彼女の家では女性でも剣を学ぶのが当たり前だった。
 女でも泣くよりは戦えという家訓もある。
 
 末の、しかもただ一人の娘を目に入れても痛くないと思っていたグウェンドリンの父は、幼少の娘が求めるままに男のように育てたのだ。
 兄たちも、話の合わない他の貴族の子女にうつつを抜かすより、趣味の武術について話の合う妹を父同様に可愛がった。
 母親は嘆いたが、可愛いグウェンドリンに悪い虫が付かないと、父親も兄たちも楽観的になっていた。
 
 そんな折、〈女のくせに〉と馬鹿にした同年代の少年をグウェンドリンが持ち前の武芸で徹底的に打ち負かす事件が起きた。
 彼女の武勇を褒める夫と息子たちに嘆き、実家に帰ると泣き出す母をなだめるため、グウェンドリンは花嫁修業の名目で修道院入りを承知することになったのだ。
 
 グウェンドリンは、元々熱心な聖北教徒で信仰心も厚い。
 毎日の食事では祈りを欠かさないし、修道院の荘厳な雰囲気には憧れもあった。
 花嫁修行よりも己の信仰のために、グウェンドリンは修道院に入ったのだ。
 
 ブリュンヒルデとグウェンドリンに共通するのは、互いに貴族の子女としては異端的な考えを持っていたことと、自立心の強い努力家という部分。
 家を離れたそんなじゃじゃ馬2人が出逢えば、そこに生まれるのは対抗心、あるいは共感である。
 
 2人はライバルとして切磋琢磨し、親友として苦難に取り組んできた。
 修道院での修行期間を終え互いに離れてからも、2人の友情は色あせること無く、時折手紙をやりとりしながら交友を続けていたというわけだ。
 
 久しぶりに再会したグウェンドリンは、ますます凛々しい雰囲気を持つようになっていた。
 
 グウェンドリンは、元々武人のような中性的な口調と剣術の稽古でほどよく鍛えられた体格から、下手な男より余程雄々しかった。
 同世代の少女たちの中でも頭1つ高い長身と、美しい容貌。
 男っ気の無い修道院にいた頃は、グウェンドリンに男性を重ね見て恋をする少女たちも沢山いた。
 
 ブリュンヒルデも、もしグウェンドリンが男性だったら夫の候補に選んでいただろうな、とさえ考えている。
 しかし、彼女が女性で良かったとも考えていた。
 グウェンドリンの男らしいとさえ感じさせる性格は、姦しい貴族の子女には無い一種の清々しさを感じさせるからだ。
 
 同性でなければこれほど気安くはできず、男性的でなければ友としての魅力に欠けるというわけである。
 
(難儀なものよね。
 
 でも奇抜さがあるからこそ、それを魅力的だと感じるのも事実だわ)
 
 そんなことを考えて、くすりと笑ったブリュンヒルデに、グウェンドリンは首を傾げた。 
 
「よく見れば、お前の着ているものも男物の外套だな。
 
 なぜそのような物を着ている?」
 
 友人の問いに、ブリュンヒルデは意味深げな笑みを浮かべると、その手を取った。
 
「うふふ、素敵な出逢いがあったのよ。
 
 本当に物語のような素敵な話。
 聞きたいでしょう?」
 
 頬を染めて嬉しそうに微笑む友人に、グウェンドリンは面食らったように首を傾げた。

 
 
 大分この手のものを書いていませんでした。
 リプレイも停滞してすみません。
 ぼちぼち書いていきます。
 何とか月一ぐらいには更新したいと思っています。
 
 お待ちの方は気長にお願いしますね。
 
 さて、リプレイ2に登場したグウェンダが登場です。
 この当時、グウェンダは3レベルぐらい。
 小国ではまあまあの実力です。
 
 彼女がどうやってシグルトと出逢い、そして追いかけるほどになったのかは、またの機会に。
 
 次回は、もう一人シグルトと深く関わる女性が登場します。
 シグルトの血筋と、病んだ国の一面…
 
 ご期待、してくれると好いなぁ。
シグルト外伝 『青黒い稲妻』 | コメント:2 | トラックバック:0 |

『ブリュンヒルデ』

 その娘は、颯爽と王宮の廊下を歩いていた。
 
 煌びやかな夜会用の礼装に身を包み、手には白を基調とし、宝石で飾った絹の手袋。
 その格好から、身分の高い貴族の子女であることが推察できる。
 
 柔らかに波打つ黄金の髪。
 慎ましく服の間から覗く肌は、北方人のそれの中でも際立って肌理細やかで白い。
 アーモンド形のやや切れ長の瞳は、鮮やかなエメラルドグリーンで、知性と意志の強さを秘めた強い光を湛え、輝いていた。
 上質の絹で出来た夜用の礼服に包まれた肢体は、しなやかでほっそりとしていながら、女性特有のなだらかな曲線も備え、瑞々しい魅力を放っている。
 すっと通った鼻梁。
 その彫の深い端整な顔は、名工の造る女神像を連想できるだろう。
 身体からは、甘い花の芳香。
 薔薇色の唇が、宮廷に満ちた冷たい夜気を温かな吐息に変え、艶かしく呼吸する。
 
 この娘の名をブリュンヒルデという。
 
 このシグヴォルフ王国の伯爵の令嬢で、その美しさはまさに国の至宝とも謳われる絶世の美女であった。
 美男美女が多いこの国において、ブリュンヒルデのそれはさらに抜きん出たものだ。
 
 今年で16歳になるが、10代になった頃からすでに求婚者が後を断たなかった。
 
 だが、この娘の本質は美しさだけではない。
 
 自ら学問や礼法を率先して学び、その教養も他の同世代の娘たちのそれを遥かに凌いでいる。
 溢れるような気品と、それを磨き上げた者だけが持つ、輝くような存在感。
 
 すれ違う男も女も、その美貌と魅力に見とれて歩みを止めていた。
 
 内心そういった視線を煩わしく感じながらも、ブリュンヒルデは完璧な所作で行き交う人々に会釈し、歩いて行く。
 やがて、人のいないテラスを見つけたブリュンヒルデは、滑るようにそこに向かい、夜の噴水を眺めながら深いため息を吐いた。
  
 今夜だけで20人以上貴族の男に呼び止められ、そのほとんどが求婚か、彼女の気を惹こうというものだった。
 貴族たちの話は、自分の家の格式や財産を自慢し、それがいかにブリュンヒルデを娶るために相応しいことか、という自慢話ばかりである。
 うんざりとした気持ちになったブリュンヒルデは、適当な理由をつけて彼らから離れ、人気の無い場所を探していたのだ。
 
 ブリュンヒルデ。
 その名は、伝説の竜殺しを愛した戦乙女…女神にちなんだものだ。
 戦いの女神とされる戦乙女であり、主神の娘である12姉妹の筆頭とされる。
 炎のように竜殺しの英雄を愛し、そして悲恋に身を焼き焦がした戦乙女。
 
 ブリュンヒルデは、同じ名のその戦乙女の叙事詩が好きだった。
 そしていつも思うのだ。
 自分も、身を焦がすような恋をしてみたいと。
 
 だからこそ、ブリュンヒルデは自分が愛するに相応しい男性の出現を望んでいた。
 強く、優しく、そして勇敢で高潔な勇者の出現を。
 
 見目麗しいだけの男はいる。
 しかし、ブリュンヒルデが心引かれる勇気と強さ、そして何より共に歩みたいと思える内面に優れた男はいない。
 もし現れれば、身も心も尽くそうと決めているブリュンヒルデだが、その目に適う男は現れなかった。
 
 強さと言えば、先ほど式典の警備をしていたアルフレト男爵の息子で、若い騎士では最強の誉れの高いベーオウルフがいるが、遠目に見て陰気な雰囲気を纏うその男をブリュンヒルデは好きになれなかった。
 他に強さを自慢する貴族といえば、野卑な男たちがほとんどだ。
 
 彼女の友人に言わせると、ブリュンヒルデはロマンティストで理想が高すぎるのだという。
 
(生涯を共にする男性よ。
 
 理想が高くなっても当然だわっ!)
 
 心の中で小さく憤り、ブリュンヒルデはまた悩ましい吐息を吐いた。
 
 家柄や容貌よりも、ブリュンヒルデが求めているのは内面だ。
 卑屈でなく清廉で、なにより勇敢で曲がらない意志。
 
 正直、ブリュンヒルデは、自分と同じ名の一途な戦乙女は好きだが、忘れ薬を飲まされて彼女を裏切ったという竜殺しの英雄は嫌いだった。
 
 物語は、竜殺しの死をもって完全な悲劇へと向かう。
 戦乙女は、竜殺しの英雄との永遠の愛のために、自らも後を追って炎に身を投げるのだ。
 
 英雄に真の愛情さえあれば、あのような悲劇にならなかったのではとさえ思う。
 ましてやその英雄は、物語の中で他の男に与えるために、戦乙女を屈服させるのだ。
 どんな理由であれ、その裏切りは許せないといつでも思う。
 
 だからこそ、ブリュンヒルデは、何者にも負けない意志を持った男性を理想としていた。
 容貌など、目をつぶせば気にならない。
 でも、心は共に居れば隠せないだろうから。
 
 ブリュンヒルデが再度溜め息を吐いていると、彼女の居るテラスに貴族の娘が1人現れた。
 
 けばけばしい派手な礼服に身を包んだその娘は、好奇心が強くお喋りで有名だ。
 ブリュンヒルデも何度か話したことがあるが、その度に、この娘の早口に閉口させられた。
 
「あら~、ブリュンヒルデ様!
 
 こんなところでお1人でいらっしゃるなんて、具合でも?」
 
 心の中で、貴方が来るまではまだ少しはよかったのよ、と毒づきながら、ブリュンヒルデはそれを感じさせない柔らかな微笑みを浮かべた。
 
「今晩は、フィロメーラ様。
 
 少し夜気に身を任せていたのですわ。
 どうも、祭の熱気にのぼせてしまったようです。
 
 少し休んだので、もう楽になりましたわ」
 
 そう言って会釈をすると、捕まらないうちにと、場を去ろうとする。
 
 しかし、その娘は素早くブリュンヒルデの前に回りこむと、早速お喋りを始めた。
 
「では、もう少しお休みになってはどうでしょう?
 
 実は、良い葡萄酒が手に入りましたのよ。
 よろしければ、式典が始まるまで御一緒にどうですか?
 
 ええ、もちろん従者に持ってこさせます。
 御遠慮はなさらないで。
 杯も最高のものを用意致しますわ。
 
 本当に美味しい葡萄酒ですのよ?
 それに、ブリュンヒルデ様の美しさは、お酒で白い肌を情熱的な赤に染めれば、また一段と輝くと思うのです。
 
 あら、もちろん普段から美貌で名高いブリュンヒルデ様ですもの。
 そのような小細工など必要ないでしょうけれど。
 
 でも、ますます殿方の視線を釘付けに…あらはしたないことを申しましたわ。
 
 私ったら…」
 
 何か理由をつけて去ろうとブリュンヒルデが、その娘に見えないように手袋で隠しながら口端を引きつらせていると、その娘が思いついたように手を打った。
 
「あらいけない…
 
 私ったら、噂のシグルト様を探すつもりでいましたのに、ブリュンヒルデ様と出会ってしまって、つい話し込んでしまって。
 お許し下さいね」
 
 娘の口から出た名前に、ブリュンヒルデの瞳が好奇に輝く。
 
 シグルトとは、ブリュンヒルデ…彼女と同じ名の戦乙女が愛した竜殺しの英雄の名なのだ。
 
「そのような名の方がいらっしゃるの?
 私、そういった噂には疎いもので…
 
 無知ゆえの恥を忍んでお尋ね致しますけど、その殿方とは?」
 
 大抵の貴族の若者とは、求婚されたり、社交の場で会って話している。
 それに多くの男たちは、ブリュンヒルデと話すことにやっきになるのだ。
 
 そんなブリュンヒルデが知らない男のことである。
 
 貴族の娘は、少し考えた様子だったが、お喋りの虫が騒いだのか、やがて話し始めた。
 
「ええ、御存じないことでしょう。
 
 その方は貴族とはいっても、身分がちょっと…その、男爵家の御次男で、大きな声では言えないのですけれど、男爵様の後妻となられた方のお子なのです。
 貴族の社交場にもめったにこられないですし。
 
 でもお血筋は、本来であれば王家に連なる名門のものですのよ。
 かのワルト領公爵家のお血筋、と言えばお分かりになるかしら?」
 
 この娘のお喋りも、たまには興味深いものがあるものだと、ブリュンヒルデは目を細め、彼女に頷いた。
 
「なるほど。
 
 では件の殿方は、アルフレト男爵の後添いになられた、あのオルトリンデ様の御子息、ということですのね?」
 
 オルトリンデ。
 その名は、美女と噂されるブリュンヒルデだからこそよく聞き知っていた。
 
 この国の建国王シグヴォルフ。
 その弟シグヴァイスの血筋であった、ワルト領の公爵家は、特別な家であったのだ。
 公爵家は、自殺が大罪とされるこの国で当主である公爵とその妻の自殺したことにより、一度取り潰されてしまったが、公爵夫妻の一人娘であったオルトリンデは、美女として知られた女性だった。
 ブリュンヒルデは、オルトリンデと噂でよく比較されたので、何度もその名を聞いている。
 
 そして、ブリュンヒルデはオルトリンデを羨ましいとも感じていた。
 
 アルフレト男爵と、悲劇の令嬢オルトリンデの恋の物語は、宮廷詩人たちが好んで話題とする話でもある。
 
 冷たい妻との生活に疲れていた王国最強の騎士アルフレトが、森で運命的にオルトリンデと出会い、汚名をかぶってもオルトリンデを守って、最後には手柄を立てて女性の名誉を回復し、幸せに暮らすという話。
 
「シグルト様は、御察しの通りアルフレト男爵様とオルトリンデ様の御子息なのです。
 
 10歳までは平民として過ごしていたのですが、今では名誉を回復されたオルトリンデ様と一緒に、貴族になられたのですわ。
 宮中には、めったにこられないのですけれど、その武勇は騎士でも最高と名高い兄のベーオウルフ様にも匹敵する、槍の使い手だとか。
 
 しかも、お母上譲りの妖精のような美貌で…
 一度遠くからお顔を拝見したときなど、息を呑んでしまいましたの。
 
 まるで物語にあるような、本当にお綺麗な方ですわ。
 
 此度の式典では、兄上のベーオウルフ様が王宮警護役の1人となられたので、足の不自由なお父上の代理として式典に参加されるとの噂。
 是非もう一度お会いしたいと…」
 
 思い出すように頬を染めて話す娘を、ブリュンヒルデは半ば呆れて眺めつつ、しかしつまらない祝典の中で楽しみが出来たと心の中で喜んでいた。
 本当に美しいなら目の保養にはなるだろうし、平民としてあったその若者がどんな話をするのか興味深い。
 
「…大変興味深いお話でしたわ。
 
 私も、兄上のベーオウルフ様は先ほどお見かけしましたの。
 その方には是非、お会いしてみたいものですわね」
 
 そして、さらに件のシグルトの居場所を探ろうと、2人で話しながら歩くことを提案する。
 普段はめったにお喋りに付き合わないブリュンヒルデと話せることが嬉しいのか、娘は二つ返事で提案に乗ってきた。
 
 
 廊下を歩きながら、娘はブリュンヒルデにシグルトがいかなる人物かをとうとうと話す。
 
 曰く、9歳で狼から友を守るために戦った話。
 曰く、今年も平民の〈槍術披露の儀〉で優勝したという武勇。
 曰く、高潔で父親にも似た誠実な人物であるという噂。
 
(その辺りで自慢話ばかりする貴族の男より、よほど興味深いわね)
 
 おそらくは誇張された話であろうと考えつつ、ブリュンヒルデは頷きながら歩いていく。
 
 ところが、娘が突然黙り、顔を蒼くしてブリュンヒルデの後ろに隠れた。
 何事かと前を見て、その理由を知ったブリュンヒルデは、秀麗な眉を引きつらせた。
 
 取り巻きを引きつれ、これ見よがしに大股で歩くその男…グールデンは貴族たちの鼻つまみものだった。
 伯父がこの国の司教であるからと、男爵家の次男の身分でありながら、我が物顔で司教の威をかさに着る、ブリュンヒルデがもっとも嫌いなタイプの男であった。
 
 加えるなら自信過剰で、自分の思い通りにならないことは、力づくで解決しようという、乱暴者だ。
 さらに、野卑で好色。
 何人か平民の娘に乱暴を働き、それを伯父の権力でもみ消しているという噂もある。
 
 実は、この男は身分どころかそういった行動をまったく省みず、ブリュンヒルデに下品に言い寄る男であった。
 グールデンは、絶世の美女と名高いブリュンヒルデの夫になるのは自分だと言ってはばからない図々しい男なのだ。
 
(冗談ではないわ…
 
 衛士はここにいないし、他の貴族たちは皆この男の暴挙を恐れて手を出せない。
 すぐにこの場を離れなくては…)
 
 娘の手を引いて、場を離れようとするが、その前に気付いたグールデンが足早にやってきて、行く手を塞いだ。
 
「おお、愛しのブリュンヒルデ!
 
 今宵はますます美しい…」
 
 なれなれしく手をとろうとしたグールデンの手を払い、ブリュンヒルデは毅然と睨みつけた。
 
「そういう貴方は、礼儀がなってませんわね、グールデン卿。
 
 私、貴方に名を呼び捨てることを許していませんわ。
 馴れ馴れしいのではなくて?」
 
 手袋を着けた手で汚ない物を退けようとするかのように、さらに近寄ろうとするグールデンを遮り、非難の目で見つめる。
 
「何を言う…
 
 神に選ばれた司教の甥である、この俺に愛される名誉を拒む女など居るはずがないだろう。
 それに、俺はお前をそこいらの女のように愛人ではなく、妻として望んでいるのだ。
 
 光栄に思うべきだぞ」
 
 あまりに身勝手な口ぶりに、ブリュンヒルデはその横面を叩きたくなったが、思いとどまって眉をひそめた。
 
「とんでもない誤解ですわ。
 
 女性の心を聞きもせず、決め付けるなど…名誉ある貴族の男性がすることではありませんもの。
 さあ、お退きになって。
 
 今なら、不問にしてあげます」
 
 少し声を低くして、威圧するようにゆっくりと言う。
 美しいブリュンヒルデが眉根を吊り上げて睨みつけると、鬼気迫る迫力があった。
 
 思わず怯んだグールデンの横を、娘をひっぱって通り過ぎようとし、ふと娘がすでに逃げ去っていることに気がついたブリュンヒルデは、不機嫌そうに口端を歪めた。
 
 そしてまた歩き出そうとするが、我に返ったグールデンがその手を乱暴に掴む。
 
「…その手を離してください、グールデン卿。
 
 無礼ですよ」
 
 しかし、一度行動に出たグールデンは引っ込みがつかないのか、ブリュンヒルデの言葉に従おうとはせず、乱暴に彼女を抱きすくめようとした。
 
 パシイィィィンッ!!!
 
 その暴挙に、ブリュンヒルデは容赦なく手の甲でグールデンの頬を張った。
 
「いい加減になさい、下郎!
 
 お前のような野卑なだけの男に、どこの女が惚れると言うの。
 司教様の威を借りてやり放題のようだけど、誰もがその威に傅くと思ったのなら、大きな間違いだと知りなさい。
 
 さあ、そこを退いて通しなさい。
 さもなくば、今度は衛兵を呼ぶわよっ!!」
 
 そして腕を掴むグールデンの指を、つけた指輪の硬い部分で殴るように突き離す。
 激痛に指を押さえるグールデンを、ブリュンヒルデは蔑むように一睨みし、その場を去ろうとした。
 
「おのれぇぃ、人が下手に出ていればぁっ!!!
 
 おい、お前たち、この女を捕まえろっ!
 身の程をわきまえさせてやるっ!!!」
 
 矜持を傷つけられたグールデンは激昂し、唾を飛ばしながら喚き、取り巻きに命じてブリュンヒルデを囲む。
 ブリュンヒルデは、大声で助けを呼ぼうと、息を吸い込んだ。
 
 ところがその前に、柔らかな絹の外套がグールデンとブリュンヒルデの間をすっと遮る。
 
「…身の程をわきまえるのは貴公の方だ。
 
 ここが王宮だと知って、婦女子に絡んでいるのか?
 だとしたら、貴公が何者でも許されることではないぞ」
 
 よく通る美しい声だった。
 
 グールデンが、完全に気勢を殺がれて後ずさる。
 
「もう一度言う。
 
 身の程をわきまえるのは貴公の方だ。
 もうすぐここには、隣国の使節団を迎えるための、出迎えの兵士たちが通る。
 
 早く立ち去るべきではないか?」
 
 周囲では、目をあわす事も避けていた者たちばかりだが、その男は大切なものを守るかのようにブリュンヒルデをその背に庇ってくれた。
 その広い背を見つめると、ブリュンヒルデの胸が高鳴る。
 
「く、覚えていろよ、ブリュンヒルデっ!!」
 
 そう言って、グールデンは悔しそうに足早に去っていった。
 
 目の前の男が呆れたように、大きくため息を吐くのがわかる。
 
「…あの、危ないところを助けて頂いて…」
 
 その先の言葉を、ブリュンヒルデは継ぐことができなかった。
 
 振り向いたその男は、心配そうに、その神秘的な青黒い瞳でブリュンヒルデを見つめている。
 そのあまりの美しさに見とれ、ブリュンヒルデは呼吸すら忘れていた。
 
「…無理をするべきではない。
 
 あの人数の男たちに囲まれて、泣き喚いていないだけでも大したものだ。
 貴女の大きな勇気と誇りに、敬意を払おう」
 
 乱れてむき出しになったブリュンヒルデの白い肩に気が付くと、男は自分の外套を脱いで、そっとそれを掛けてくれた。
 絹の柔らかな感触が、ブリュンヒルデをそっと包む。
 
 目を見開いて見つめるブリュンヒルデに、困ったような苦笑をすると、男はその場を去ろうとした。
 
「お、お待ちになって。
 
 名を教えて頂けなければ、お礼をすることも、この外套をお返しすることも出来ません。
 
 私はブリュンヒルデ。
 伯爵オスヴァルトの娘です」
 
 一気に言葉にして、ブリュンヒルデは肺から無くなった空気を貪るように大きく息を呑んだ。
 男は立ち止まると、彼女に向き直る。
 
「俺はシグルト。
 貴女と同じように名乗るなら、男爵にして国王陛下の忠実なる騎士アルフレトの息子だ。
 
 その外套は差し上げよう。
 そんな上質のものは、俺のような無骨者には不相応だ。
 
 礼も不要。
 貴女に助けを求められたわけではないからな…」
 
 簡素な言葉を残すと、踵を返したその男は颯爽と去っていった。
 
 1人残されたブリュンヒルデは、男のぬくもりを繋ぎとめようとするかのように、掛けられた外套をしっかり掴む。
 そして、喘ぐように呟いた。
 
「…これは、定められた出逢いなのかしら?
 
 彼は戦乙女が愛した運命の男の名前。
 私は戦乙女と同じ名前。
 
 私を、救ってくださったあの方とのこの出会いは…ただの偶然なの?
 こんな、物語のような出逢いがあるのかしら…
 
 私は、夢を見ているの?」

 出逢った男は、まさにブリュンヒルデが待ち望んでいた勇者だった。
 
 その男は恩を着せる様子もなく、涼やかに去っていった。
 婦人を助けて見返りを求めない姿は、まるで高潔な物語に出てくる騎士のようだ。
 やや無骨な口調にさえ、その誠実さと意志の強さが見て取れた。
 
 そう、強い意志と勇気がなければ堂々とブリュンヒルデを助け出してはくれなかっただろう。
 
 そっと掛けてくれた外套は、彼の優しさだった。
 青黒いあの瞳は、とても神秘的で温かく、強い光を宿していた。
  
 激しく高鳴る胸。
 熱い吐息を吐くと、ブリュンヒルデは、目を閉じて男との再会を願うように天を仰いだ。

 
 
 お久しぶりのY2つです。
 職業柄ついてまわる夏の激戦を終え、前に使ってたパソコンの液晶とOSが不調だったので、久しぶりに自作PCを組み立ててようやく復活です。
 つい昨日までグラフィックカードが不調で、インターネットに接続するとブラウザが歪むわ、突然PCの電源が落ちるわ、不調との戦いでしたが、なんとかデータの転送作業やらがひと段落着きました。
 やっとまともにインターネットができそうです。
 
 
 さて、間が空いてしまいましたが、シグルト外伝の方をアップです。
 シグルトの運命の女性、ジグヴォルフ王国の至宝ブリュンヒルデ嬢の登場です。
 
 彼女は今流行のツンデレタイプに当たる、気位の高い一途な心根の貴族の娘です。
 シグルトと同じように努力家で、自身が努力して得たものを誇りとする高潔な性格です。
 反面かなりのロマンティストで、思い込みが激しいタイプ。
 たくさんの男に凄まれて囲まれても気丈でいられる意志の強さと、ガラス細工のような繊細な感性を同時に持っています。
 
 シグルトもそうですが、シグヴォルフは総合的な【_秀麗】称号を持つ人物の割合が非常に多い国です。
 妖精や神族の血を引く者がいると言われる地であること。
 寒くて乾燥した埃っぽい国柄なので、睫毛の長い人物が多いこと。
 雪が多く日当たりが悪いので、肌の白い人物が多いこと。
 貴族でも食事が質素なので、ほっそりした人物が多いこと。
 栄養バランスが極限で、ナッツ類を多く食べる民族なので、体臭が薄くお肌の艶がよかったりすること。
 
 いろいろあります。
 
 そんな中で、ブリュンヒルデはとびっきりの美女です。
 イメージとしては、北欧系のブロンド美女でしょうか。
 でも、彼女の場合、単純に生まれつき美形というわけではなくて、その美貌に加えて、教養と気品があることでしょう。
 彼女の知識は、賢者の塔の下手な学生よりよっぽどあります。
 磨いた玉だからさらに美しい、と言う感じですね。
 
 
 今回シグルトがかなりキザにも見えることをやってましたが、このときのシグルトは困っていた女性に対して、この国の男の倫理観から見てすべき当然のことをしたに過ぎませんし、シグルトそのものも別段格好つけてやっていることではありません。
 この頃のシグルトは、「育ててくれた母に恥じない男の振る舞い」はして当然と考えていました。
 彼、ちゃんと【_名誉こそ命】を持っていて、母の名誉をとても重んじています。
 相も変わらず大人びていますが、この時のシグルトは16歳の若者で、冒険者となった頃の燻し銀のような奥深さはまだ無いのです。
 
 しかしながらよく読めば分かると思うのですが、シグルト、ここでも大人物ぶりをすでに発揮しています。
 絶世の美女であるブリュンヒルデを見ても、その辺の貴族の子女程度にしか思っていないのです。
 まあ、母親の超美人ぶりで、美形に免疫があるからかもしれませんが。
 
 反面、ブリュンヒルデは完璧に一目ぼれです。
 というより、容貌よりもシグルトの勇敢さに惚れちゃった口です。
 尚武の国なので、強くて勇敢なことは美徳なんですね。
 厳しい国なので、女性も強い意志は美徳とされます。
 
 
 さて、次あたりでいよいよ彼女が登場します。
 急速に動き出すシグルトの運命。
 
 …気長にお待ち頂けると幸いです。
シグルト外伝 『青黒い稲妻』 | コメント:0 | トラックバック:1 |
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