Y字の交差路

 ここはY2つめがノリで作ったブログです。  カードワースを中心に、私が思ったことや考えたことを徒然なるままに書きたいと思います。

第1話 『シグルト』 

 その日も冒険者の都リューンには、穏やかな風が吹いていた。
 
 旅人は、風と一緒にやって来る。
 そうでなければ、雨と嵐で風が荒ぶ時に。

 風は予兆を告げる様に吹く。

 それは絶望という名で。
 或いは希望という名で…

 旅人の背中を、未来へと押すのだ。
 
 ヒュゥゥッ―――
 
 一陣の風が合図の様に、物語を唄い始める。
 
 春の暖かい日差しの下で、北風の様な鋭さを纏った、男が一人。
 
 彼が青黒い瞳で見据える先には、年季の入った宿の看板が見える。
 ふっ、とその顔には苦みの入った微笑が浮かんでいた。 

 
 冒険者の宿『小さき希望亭』。 
 リューンの郊外に位置し、髪の生え際が淋しくなった頑固親父が経営する、冒険者の宿である。

 〈冒険者の宿〉とは、それぞれに尊重するルールや主義はあるものの、所謂〈何でも屋〉的な生業である冒険者が、拠点とする宿だ。
 時に探検家になり、旅人にも変わる根無し草たちが帰ってくる、憩うべき場所であった。

 …冒険者。
 その生業が何時からこう呼ばれる様になったかは、起源が明らかで無い。
 だが、的を射た呼び方だ。

 この時代、万の仕事を行うには兎角移動を要した。
 依頼を受けて東奔西走…時に遺跡を探索し、怪物を仕留めるために地下に潜り、盗賊を討伐するために山に登り、荷物を運んで国境を越える。

 血沸き肉踊る…一歩間違えれば旅先で命を落とす。
 冒険者とは、まさに命懸けの〈冒険〉をする、挑戦者たちだ。

 そんな、彼らにも帰る場所が必要だった。

 名目上であれ、仕事の拠点としてであれ…
 ほとんどの冒険者にとっては、我が家同然になる場所。

 冒険者の宿とは、そんな処である。

 この『小さき希望亭』は、創業から時を経たそこそこの老舗である。
 先代の主人も元冒険者であり、今の主人も若い頃は名の通った冒険者であった。
 業深いその仕事の苦しみが良く分かる、理想的な主人を持っている宿だ。

 しかし、今は実力派の冒険者たちが立て続けに辞めて行き、空いた部屋には隙間風ばかり。

 「主人の頭同然」と言われて、親父が烈火の如く怒り狂う…
 やや落ちぶれた状況である。

 だが、どんな時であっても、長年続けた親父の習慣は変わらないのだろう。 
 今まで何千回とやって来た様に、親父は丁寧に食器を磨いていた。

 半分拭き終えたか、と手に持った食器を欠けない様にそっと棚に置いた時、宿のドアにつけられた鈴が、からん…と鳴った。
 
「いらっしゃい…宿をお探しかい?」
 
 慣れた態度で要件を問うた親父を、少しやつれた仏頂面で見つめた客は…
 年頃を言い当てるのが難しい、不思議な雰囲気を持った青年である。

 宿の親父は眉をひそめて一瞬、その容姿に見とれた。

 凛とした眼差しに端整な顔立ち。
 白磁の様な肌は旅の埃で多少汚れていたが、化粧をした女にも見られない滑らかさ。

 妖精と見紛う…それだけの美貌がそこにあった。
 
 筋骨隆々ではないが、服の合間から見られる体格は強靭さを連想させる。
 幾分痩せているが背丈はすらりと高く、190㎝近い。
 その以上が又下という、信じられないスタイルの持ち主だ。

 薄汚れた旅装束を纏っていなければ、飛びきりの美丈夫に見えるだろう。
 
 どこか、ほの暗い雰囲気を放っていた。
 陰がある、あるいは苦味の利いた、とでも言おうか。
 
 不思議な髪と瞳の色が、見る者の心象に強く残る。

 髪の青黒い光沢は白い肌と対照的で、はっきりとしたコントラストを描いていた。
 男が持つ強い存在感も含めて、一層彼を印象深い人物に魅せる。

 どこか空ろな雰囲気さえ、様になっていた。

 神秘的な煌きを持つ瞳は、夜の淵の様にどこまでも深い。
 貞淑な女神でも、その双眸にじっと見詰められたならば、たちまち恋に落ちてしまうだろう。
 
 親父は、美しい人物を数多く見て来たつもりだ。
 たが、その親父をして〈絶世〉と認める美貌であった。
 
(こいつは…あいつが騒ぎそうだな)
 
 ロマンスに憧れて、大げさに英雄伝のヒロインを夢見る今時の乙女。
 何時も姦しく騒いでいる自分の一人娘を思い出し、宿の親父は心の中でそっとぼやいた。
 
 
「此処が冒険者の宿、か…」
 
 青年は中を見回し、静かに息を吐いた。
 深い呼吸…何かを耐える様な、噛み締めた吐息だった。
 
「『小さき希望亭』という。

 看板にあっただろう?」
 
 親父が眉間に皺を寄せて言うと、青年は黙って軽く頷いて見せた。
 ゆったりとした挙動には、その年頃の若者には無い、侘びしさがある。
 
「俺はシグルトという。

 可能ならば、冒険者になりたいと思っている」
 
 …独特の発音だが、偉大な龍殺しの英雄と同じ名前を持つ青年は、実に簡素な形でその名を名乗った。
 
 大層な名に、「出来過ぎだ」とまたぼやきが出そうになる。
 くっと堪えて、親父は切り出した。 
 
「ああ、新人か…」
 
 努めて、納得した感じに聞こえる様、呟く。
 最初の印象で舐められないための、社交辞令だ。

 だが内心は、心躍っている。
 
 この手の若手冒険者見習いは、後を絶たずやって来た。
 その激務を一年も続けられず、ほとんどの者が宿を去って往くのだが。
 
 多くの去る者を見送った親父。
 これほど印象的な若者を見たのは、その親父の長い経験の中でも初めてだった。

「宿の主人が最初に覚えた印象は、その冒険者の生涯を語る」
 
 まことしやかに伝えられる、ジンクスがある。
 印象だけなら間違いなく英雄の資質がある…そう親父は結論付けた。
 
 内心の動揺を露程も見せず、親父は大げさに手を広げると、やれやれという風に首をすくめた。
 
「お前さん、なんでこんな世知辛い商売やろうと思ったんだい?
 
 甘くないぞ、冒険者って仕事は」
 
 親父は何時もこの手の輩に、一応は同じ言葉をかける。

 冒険者とは、適当な気持ちで始めて失敗すれば死に繋がる職業である。
 そうして失敗した者が出れば、その人物が所属する宿の名も落ちるのだ。

 雇う側として、親父には選ぶ権利もあった。

 だから、この様に声をかけて、まずは新人の意気込みを確認する…
 簡単な、試験の様なものだ。
 
 青年は緊張した様子も無く、カウンターの椅子にゆっくりと腰を下ろす。
 何かを思う仕草で、上を向き目を閉じてしばし黙った。

 本当に、一つ一つの動作が絵になる男だ。
 親父はそんな風に評価しつつ、青年の返答を待った。
 
 やがて目を開けると、青年は人事の様に話し出した。
 
「…故郷から、諸般あって流れて来た。
 特に行く宛も無いが、無駄にこの身命を捨てることは、ある女への借りがあるから出来ないでいる。
 
 正直、どんな仕事でも構わなかったのだがな。
 
 坊主になるほど敬虔ではなし、書庫で埃と巻物に埋もれる柄でもない。
 今俺にあるのは、多少は他人より褒められたことのある、この腕っ節ぐらいだ」

(随分と謙虚な自己紹介だな…)

 男の体格や目つきを見れば、その鍛錬の度合いが見て取れる。
 何をやっていたかは読めないが、一芸を究めた者の雰囲気があった。
 
 それに、美貌一つ取っても常人離れしているではないか。
 男娼にでもなれば、名を売りそうだ…という品の無い評価を噛み殺し、親父はさらにその続きを待った。

「俺には金も、家も、地位も…今は何も無い。
 
 そんな木偶の坊でも…冒険者はこの身一つで出来ると聞いたから、やってみようと思った。
 腕っ節だけの武骨者がただの穀潰しになりたくなければ、傭兵か冒険者しかなかっただけだ。
 
 だが、傭兵なんてのは戦争屋で、時には盗賊にも化けるただの人殺しだ。
 金を取ってまで、延々と戦争や殺しをやるっ、ていうのも気が滅入る。

 だから冒険者を志してみようと思ったんだろうな。
 
 食っていくため…とでも理由付けすれば、主人は認めてくれるのか?」
 
 淡々と語ったシグルトという青年は、安酒のラベルに視線を向け、むっつりと黙り込んだ。
 
 親父は話の節々から、このシグルトという若者が相当な切れ者であると見抜いていた。
 彼の持つ雰囲気には、若さに溢れた新人の危うさが感じられないのだ。
 
(…こんな若造のくせに、えらく達観してる。
 
 それにこの眼。
 相当な地獄を見なきゃ、こんな風にはならねぇぞ)

 時折見せる、刃の様な鋭さ。
 眼光に宿る、熾(お)きの様な苛烈な輝き。
 
(武器も持ってねぇのに、この雰囲気はどうだ。
 熟練の戦士の落ち着きじゃねぇか。
 
 見たこと無いぞ、こんな奴は…)
 
 難しい顔をして聞いている親父に、シグルトと名乗った若者は心中を伝え終えたためか、涼やかな眼差しを向けた。

 親父の胸が好奇心に高鳴る。
 
 珍しいこと、或いは常識外れ。
 それは冒険者にあって、生き残る悪運そのものになる。
 
 よく揶揄されるのだ。
 一流の冒険者は〈変わり者〉だと。
 
 親父はニヤリと口端を歪めた。
 
 この青年が持つただの若造とは違った、ふてぶてしさ。
 変な先入観や憧れで冒険者になるだけの猪どもには無い、 泰然さ。

 こういう人物の方が強くなるし、つらい仕事にも耐えられることを、親父は長い経験から知ってしていた。
 
「…合格だ。

 じゃあ、宿帳に名前を書いてくれ」
 
 親父は、手垢で汚れささくれた羊皮紙の束…冒険者の名簿を、カウンターにどっかと置いた。
 どこかウキウキとした様子で…
 
 これが、後に『小さき希望亭』最強の冒険者と呼ばれる様になる、“風鎧う刃金”シグルトと宿の親父との邂逅である。



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