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『グリュワ山中の護衛』

2019.01.20(01:17) 488

 アレトゥーザを出発した“風を纏う者”とジゼルは、南海地方の出口付近で足止めを受けていた。

 リューンがある西方中部と南海地方を繋ぐ新しい交易路は、広い森林地帯峻険な山地、南海へと注ぐ大河とその支流によって所々が難所となっている。
 今の交易路は、森林地帯を開墾してできた新しい道と、山地に発見された峡谷を通り、その間にまたがる河川に架けられた橋を使う。

 しかし、西方中部の領地で野盗が出現するようになり、その土地を治める領主によって大規模な山賊狩りが計画され、道が閉鎖されてしまったのだ。

 交易商人たちは不満をあらわにしているが、季節は冬…盗賊狩りはこの季節の風物詩のようなものである。

 収穫が終わって徴税官が税を集めて回る頃、不作だった農民は冬を越せるかどうかの目途がつく。
 今年はいくつかの村が、大きな蝗害によって餓死者を出す事態に陥っていた。
 これにより税は払えない村の村長が徴税官に免税を訴えたが叶えられず、怒った農夫たちが徴税官と護衛を殺してしまう事件が起きた。
 見せしめとして領主は加害者たちを反乱の咎で捕らえ全員処刑するのだが、近隣で同様の食糧危機にある村では苛烈な領主の態度を恐れて領民が村を捨ててしまう。

 逃げ出した村人たちは山野に逃げ込み、賊となった。

 領地を捨てた農民は、親戚を頼って他の領地に逃れるか、身を売って稼ぐか、犯罪者になるか。
 生きるためにできる当座の手段は、ごく少ない。

 冒険者や傭兵になる者もいるが、そも武器をそろえる資金も戦う術も無く、食料も残りわずかなのだ。

 冬場は魔物の活動が少なくなり、雪や寒さから戦争も減るため、荒事が減る。
 仕事が減った冒険者や傭兵くずれが、犯罪行為をすることも多かった。

 手っ取り早く食料を手に入れるには、奪うしかない。

 西方の主食は麦だ。
 麦には連作障害があり、収穫量も東方の水稲ほどではない。
 その少ない収穫を五割以上持って行かれる。
 苛政の領主であれば七~八割を税として徴収する上、足りない食料を求めて薪などを売るために都市部に行くと、関所や都市入場の関税などで儲けのほとんどを奪われてしまう。

 このような搾取された状況で貯蓄ができるわけも無く、領主主導の普請事業や戦争があれば、貴重な男手が賦役や兵役で農作業までできなくなるため、農民の飢餓は頻発した。
 飢えた何人かは必ず盗賊や犯罪者に身を落とし、奪う側になって殺すか、討伐されて死ぬことで食い扶持の淘汰が行われる。
 今回の盗賊討伐も、斯様な世の理不尽によって起きたことなのだ。

 領主が交易路を封鎖したのは、これらの犯罪者を領外に逃さず、近隣の村から飢えた領民が流入して盗賊団が巨大化するのを防いでいるわけだ。

 交易路を封鎖した領主は全くの愚か者ではなかったようで、足止めを受けてしまった交易商から足の速い食料品や消耗品を据え置きの値段で買い上げることも行っていた。
 これにより徴収できない食料品をいくらか補い、兵士を飢えさせないことで反感を防ぐ他、商人の不満をある程度軽減できる。

「この様子だと、封鎖が解かれるには数週間かかるだろう」

 “風を纏う者”は街道をまとめた地図を開いて、今後のことを相談していた。

 シグルトが、道が閉鎖された時期や領主の持つ兵力から、盗賊討伐が終わって閉鎖が解ける期間を冷静に推測していた。
 盗賊の討伐は、大きな勢力が撃破された後、ほぼ確実に残党狩りや事後処理が行われる。
 領主の命令は発行されてから領内や他領に周知されるのにも時間が必要だ。

 こういった事情を見れば、犯罪者の流出を避けるためしばらく閉鎖が解かれないはずなのだ。

「ここで何日も足止め食うのは困るよね。
 宿代もただじゃないんだし。

 でも、今海路は時化やすくて危ないよ。
 この間回り道するはめになったのもそのせい。
 アレトゥーザの海賊狩りで他の海に逃げた海賊たちが遅れた冬支度を始めたから、危険度も高いから却下。

 河川は、南海に下る場合は早いけど上りは厳しいよね…新しくできた橋が邪魔だし。
 今年は雨がよく降ったから、草木が茂って餌が増えたことで、蝗が凶暴なのに変態したんだと思う。
 秋の雨でいまだに増水したままの濁流を遡るのは、多分無理だね」

 ロマンが指先で海と河川に×を描く。

「遠回りして旧い街道を行くルートなんだけど、盗賊討伐中は確実に関税が上がってるわ。
 去年も似たようなことがあって、こことこっちの領主が関税を上げて、冒険者や交易商が関所でもめたのよ。
 ったく、足元見やがって…

 旧道は時間もかかるから、宿泊費を考えると避けたいところね」

 憤った様子のレベッカが旧い交易路を指し示して、指で×を作った。

「だとすると、山と森を突っ切るしかないわい。
 そもそもこの辺りは険しい山道ばかりで、獣や妖魔もおる。

 中継地に使える町や村があるんかいの?
 実りの無い冬場に補給地があるのかわからん山野に入るなど、自殺行為じゃぞ?」

 大きな肩をすくめてスピッキオが、山道を使う場合に予想できる問題を指摘した。

「どこもかしこも問題だらけだね~。
 野伏さんでもいないと、山越えは大変だよ。

 私たちは基本的に都市部と村落をつないだ地域で活動する冒険者だし、ジゼルさんの体力も厳しいんじゃないかな?」

 唇に指先を当て、ラムーナがシグルトにどうしようかと眼を向ける。

 珍しくシグルトは腕を組んで考え込んでいた。
 どのルートにもリスクがあり、平穏にすみそうも無いのだ。

「私はヴィスマール地方の田舎育ちだから、森や山道は割と得意だよ。
 ああいう道は見かけの険しさに比べて距離自体はあんまりないから、歩き方を知ってればそれほど体力を消費したりしないんだ。

 遠回りしたくないし、これ以上路銀を消費したくないから、私は山道で」

 ジゼルがそのように言うと、シグルトは一度大きく息を吐いた。

「このあたりの山は、南海の海風のせいで暖かく、雪が降るのは来月以降だと聞いている。
 途中に、険しい地形から冒険者もあまり行かない山村がいくつか点在していたはずだ。
 一番近いのはグリュワ村だな。

 この季節に採れる薬草があり、常緑樹も多く獣の活動もあると聞いている。
 山越えできなくはない。
 アレトゥーザに戻るわけにもいかんし、それしかあるまい。

 ただ、山は異界だ。
 天候が変わりやすく、雨風に遭うと熱を奪われ、時に気がふれたり動けなくなることがある。

 外套に脂を塗って雨よけの対策をし、 防寒具と耐寒用の軟膏を作っておく必要があるな。
 野営用の保存食も倍は持って行った方が良いだろう」

 シグルトは山越えしかないと判断し、念入りな準備すべきだと告げた。

 パーティの中で一番山岳の生存術に長けているのはシグルトである。
 武術修業をしていた頃、山にこもったことのあるシグルトは、野生動物への対処法に明るく、医学面から薬草や毒草に通じており、食料調達や防寒対策の知識も豊富である。

「…すみません。

 今グリュワ村や山越えをするとおっしゃりませんでしたか?」

 シグルトが仲間の意見を確認しようとして言葉を切ると、近くのテーブルに腰掛けていた旅商らしき男が声をかけてきた。

 
 商人は、アンガス・シアンと名乗った。

 交易路の封鎖を知って手早く売り物を処分し、雪が降る前に帰郷しようと考えていたのだが、護衛として冒険者を雇うために依頼を出そうか迷っていたというのだ。

 いつもはリューンまで行って商品を売り、あちら側の街道沿いからグリュワ山を越えて村に行くのだという。

 グリュワ村は山に囲まれた高地にある。
 村を含む広大な山岳地帯をグリュワ山、と総称していた。

 一行が踏破しようとしているのは、南岳と呼ばれる森林地帯だ。

 西側には巨大な渓谷があり、そちら側を踏破するには何日もかかる。
 東側にある山沿いの街道は、関所があり遠回りで料金も上がっている地方に面するので使えない。

 依頼人の知るグリュワ村までの道は峻嶮で、危険な肉食の野生動物や魔物が生息している。
 普段は同じ山岳地帯出身の商人たちと商隊を組んだり、都市部で護衛を雇って北か南から山を越えるという。

 今回はアレトゥーザまで商売に行っていたので、道の封鎖を知り困っていたらしい。
 シグルトたちを見つけて同じく山を越えるのならば、村までの護衛を頼みたいという申し出である。

「基本報酬は銀貨六百枚。
 場合により危険手当を出します。

 グリュワ村までは、山中で野営を一泊、都合二日。
 往路のみの護衛です。

 険しい峠を越えなねばならず、この時期は冷たい風が吹いて体力を消耗するでしょう。
 山中には狼の縄張りがあり、この時期は空腹になって気性が荒くなった熊や猪も生息しています。
 危険地帯を通過するため、何事も無く通過するのは難しい…それも含めて討伐並みの報酬額を提示しています。

 村までの道は私が案内しますので、皆さんには道中に獣や魔物、盗賊などから私を守って戴きたい」

 アンガスの申し出に、シグルトは仲間を見回して頷いた。

「地理に明るい方が同行してくれ、護衛として報酬があり、往路のみという条件は大変有難い。

 ただ、我々の中には冒険者見習いが一人いる。
 彼女の同行を認めてくれることも条件に含めていただけるのであれば、俺は異論無いが、皆はどう思う?」

 すでに仲間たちの表情で反対はいないと知った上で、シグルトの言葉は確認作業である。
 リーダーとして乗り気であることを態度に出し、現状の最低限の問題を示して、〈仲間の意見を無視せず〉方向性をまとめる。

 シグルトは、緊急の時や仲間の意見が割れた時以外では、こうやって最終確認をすることが多い。
 各自の口から賛否の言葉を確認し、意見を言える機会を設け、仲間同士の意思統一を促すためだ。

「好い話じゃない。
 私は問題ないわ。

 山野の踏破は斥候の教導ではもってこいだから、行くならジゼルちゃんを借りるわね。
 野営やお花の扱い(トイレを含めて、女性の生理に関する隠語)を教えておきましょう。

 寒い時期は教えておかなければならないこともあるし」

 レベッカはジゼルを見て、手をニギニギした。
 後輩をしごく時に見せる癖である。

「僕も賛成。

 グリュワ村で食料や水の補給はできるのかな?
 自給自足をしてる山村だったりすると、断られることもあるから、保存食はしっかり持った方がいいよね」

 ロマンも賛同して、補給に関する意見を述べる。
 アンガスは、六人分の食料程度であれば彼の紹介で補給可能であり、山道の途中にある泉や村の井戸でも水が補給できると請け負う。

「私は問題ないよ。

 獣や盗賊対策に盾の〈化粧〉をしておくね」

 ラムーナが脇に置かれた盾をポンと撫でる。
 武具に対して〈化粧〉というのは、艶消し処理の隠語だ。
 金属製品がギラギラ光ると、山賊などを呼びやすい。光物は基本人間が装備する者だからだ。

「渡りに船、これも神の思し召しかの。
 断る理由が無いわい。

 踏破できるようにカリガ(編み上げサンダル)を見ておくかの」

 スピッキオは南海人らしく編み上げサンダルを愛用し、寒い時や山野に行く時は膝までさらしを巻く。
 ブーツは蒸れる上に水や砂が入ると途端に歩き難くなるため、臨海部の旅人はこういった動きやすい履物を好むのだ。

 冒険者には履物を失った時に、革や草木で急ごしらえの編み上げサンダルを作る技術が伝えられていた。
 貧しい生まれの冒険者は、中古の靴は水虫がうつるからと履物を自作する者もいる。

「私は、さっきも言ったけど山道の方に賛成だから問題ないよ。

 足を引っ張らないように頑張るね」

 ジゼルまで了承したので、シグルトは「では今晩出発の準備をして、明日の早朝に出発ということでどうか?」と、アンガスと交渉を始めた。

 
 翌日の朝。
 “風を纏う者”とジゼルは多めの食料を背負い袋に詰め、まだ暗いうちから出立した。

 中継地であるグリュワ山の山頂へは、南岳の山道入口に続く迂回路を回って到達する。
 リューン方面に比べて若干距離があるのだ。
  
 山道の入り口までは、緩やかな林道が続いている。
 この地域は薬草が自生しているのだそうで、危険な獣もでないため薬草採取に来る地元の人間が結構いるらしい。

 レベッカが、ジゼルともに斥候役で前に出て、野外での距離の測り方や探索やり方を教えていた。
 木の杖を作り、それを立てて長さで距離を推測する方法を解説している。

 杖はおおざっぱな測量機に代わり、先端で草をかき分けながら毒蛇や崩落した道を調べる腕となり、疲労すれば支えに、先端にナイフを着ければ鎌や槍に、護身用の武器でもあり、野営の時には簡易シェルターを作る時の骨として使える。
 他にも簡易のロープ代わりに伸ばして仲間を引っ張り上げたり、二本にロープを交差させて担架にしたり、てこにして障害物をどかしたりと用途は幅広い。

 冒険者は野外で活動する時、できるだけ周囲のもので様々なものを作成して現地調達に努め、余計な荷物は持たない。
 この杖も、先程適当な雑木から削りだされたものだ。

「…本当に銀貨十枚で譲って戴いてもよろしいのですか?」

 斥候役の二人に続いて、アンガスの左右を固めているのはシグルトとスピッキオである。
 探索が済むまで、所有する薬について話をしていたのだ。

 シグルトが宿の厨房借りて作成した軟膏を仲間に配っていると、アンガスが興味を持った。
 使用目的が特殊だからである。

 軟膏は、いわば防寒クリーム。
 露出した肌に塗ることで寒さを抑えるというものだ。

 血行を良くするハーブと油脂(ラード)を混ぜたもので、手足に塗ると少しピリピリするが暖かくなってくる。

 油脂を顔などに塗るのは、北方の伝統的な防寒手段だ。
 動物が厚い脂肪と毛皮で寒さに耐えるように、油脂には肌が直接寒気で傷つけられるのを防ぐ効果がある。
 極寒の北方育ちでありながら、シグルトの肌に雪焼けの痕すら残っていないのはこの軟膏のおかげであった。

 使っている獣脂は薬効を安定させるためにアフマドから学んだ作り方で不純物を分離したもので、血行を良くするハーブはかつての恋人が冬の間肌を守るために使っていた乳液にも含まれていたもの。
 シグルトは山籠もりした時に使っていた獣脂による防寒法を、自分なりに改良してその軟膏を作った。

 シグルトが軟膏を使うのは、美容のためではなく、あかぎれによる出血の臭いが獣を招き寄せたり、寒さによる麻痺が武具の使用を妨げるからである。

 アレトゥーザで手に入れた貝殻を容器にして差し出されたその軟膏を、仲間たちは最初いぶかしげに受け取った。
 試しに一番最初に塗ったラムーナが、朝の冷たい風に皮膚がさらされてもあまり冷たくないと感動して、一同が塗ってみると効果覿面である。

 シグルトの指示で手足の指先や首、手首足首に塗布すると、冬場の運動後に手足がポカポカする感覚と同様の作用をもたらし、快適さに一同が喜びの声を上げたのだ。
 アンガスもその効果に驚いて、是非分けてほしいと言ってきた。
 シグルトは作成の必要経費として銀貨十枚で譲ることにした。

 軟膏の他にも、シグルトは【雪醤(ゆきひしお)】という保存食を作って各自に持たせていた。
 これはコンフィやペミカンに近いもので、良く塩を擦り込んで乾燥させた茸と燻製肉の欠片を、ハーブ入りの油脂(ラード)で固めたものだ。
 不純物を抜いた油脂が固まって雪のように真っ白に見えるため、このように呼ぶ。

 使い方は焼いたパンにバターのように塗っても良いし、スープに溶かすと出汁が出て油脂の効果で身体が温まる上、茸や燻製肉にしみた塩味とハーブの風味が調味料代わりになる。
 保存温度の関係で涼しい時期にしか使えないが、冷暗所に置けば一年以上の保存が可能であり、高カロリーで冬場の携帯食として申し分ない。
 
 アンガスは【雪醤】も素晴らしいと、さらに銀貨十枚と薬草二束を交換条件にして貰い受けていた。

 山道までの道中一行は薬草を採取しに来たハーブ売りに逢うが、先を急ぐということで挨拶程度で購入はしなかった。
 
「携帯用の薬などは十分に持っているのですか?」

 アンガスの問いに、ロマンが荷物袋の中から【コカの葉】と【解毒薬】、スピッキオが【聖別の葡萄酒】の高品質なものを取り出して見せた。
 他にもレベッカが【治癒の軟膏】という強力な治癒薬を持っており、薬草の束もいくつかある。

「普及してる【傷薬】ほど暴利じゃないけど、あのハーブ売りの売ってたものって一束銀貨三百枚で、今回の依頼の半額だよ?
 治療手段に資金を使い過ぎるのは、稼ぐために冒険者やってるのに本末転倒になってしまうよね。

 治療手段をないがしろにするって意味じゃなくて、まず〈怪我をしない〉、そして薬は〈最後の手段〉。
 回復の術はスピッキオが使えるから、術が使えなくなった時の奥の手として持ってれば十分なんだ」

 乾燥させただけのハーブなど、生薬は消費期限もあるとロマンは指摘する。
 使わない物は買わず、手持ちの生薬は古くなる前に転売するなどして処分してしまった方が良い。

「わしは治癒の神聖術を二種類使うことができる。
 最近は、術を使い切ってしまう事態に陥ったことが無いからの。

 行動不能か神聖術を封じられる事態にならん限りは、神の御加護で薬に頼らずとも仲間を救うことができるのじゃ」

 冒険者の最重要は、治療手段だと言われる。
 だが、高いコストの治療手段は使うことができない。
 魔物や妖魔、野生動物と戦う時は生傷が絶えないが、その度に銀貨三百枚にもなる傷薬を使っていたのでは生活ができないのだ。
 一瞬で傷を癒し、時間を置けばまた使えるようになる治癒の神聖術は、コスト的に優秀であり、そのため僧侶や回復術を使える精霊術師などは常に求人募集が絶えない。

 冒険者自体も、薬に頼るよりは神聖術や魔法に頼る傾向があり、あまりに回復術に偏ってしまうとそれを封じられたり、回復役が真っ先に倒されてしまい壊滅したという例もあった。

 “風を纏う者”は優秀な医術知識を持つシグルトや、魔法の薬を精錬できるロマンもおり、冒険で手に入れた薬草などもきちんと管理していた。
 先ほど自作した軟膏や保存食と交換したことで新しい薬草もあり、新しくハーブを買うなど無駄でしかない。

「なるほど、いざという時の備えは万端というわけですか。

 最近“風を纏う者”の活躍は耳にしていましたが、本当に優秀な方たちなのですね」

 雑談をしながら足早に進むと、目的のグリュワ山にはいつ登山道の入り口に到着する。

 眼前にあるのは傾斜のきつい坂道で、かなりの体力を御消費するとみて良い。

 すでに季節は冬。
 積雪は無いが、あたりの空気はすでにかなり冷たい。

 一行は各自シグルトが作った軟膏を手足に擦り込むと、険しい山道へと入って行った。


 先頭は斥候役のレベッカとジゼルで、二人は杖で叢を探りながら手分けして周囲を探索し道の安全を確保していた。

 シグルトは精霊術を行使し、風の精霊トリアムールの力を纏って力強く登って行く。
 ラムーナも、アレトゥーザで習得した【幻惑の蝶】を使用することで、足場などを苦にせずにすいすいと道を踏破していた。
 ロマンとスピッキオもなかなか健脚である。

 依頼人は地元の人間のためか、疲れた様子すらない。

 途中レベッカが【コカの葉】を発見して採取していた。
 単体で使ても薬効があるが、茶葉としても使われているし、薬師に売り渡せば市場の半額、銀貨五十枚で買い取ってもらえる。

 シグルトは、【コカの葉】には依存性があり「多用は身体を壊す」と使わないことを推奨している。
 冒険者の中には、長い行軍の間【コカの葉】を齧って疲労感を紛らわす者もいるのだが、“風を纏う者”は結成してから一度も使用していなかった。
 ジゼルは心臓の病気ということで、服用薬との相性もあって使ったことはない。

 本来、大抵の自然物には毒素になる物質が含まれる。
 一般的に食べられるほうれん草や芋類にも下痢を促すシュウ酸が含まれているし、嗜好品の煙草には猛毒のニコチン、酒類にはアルコール…といった具合だ。
 それらは工夫すれば毒に当たらないようにでき、アルカロイドのような猛毒の類も量次第では薬になる。

 彼岸花の鱗茎は流水に三日さらせば救荒作物として食べられるし、キャッサバのような毒芋や蘇鉄も水にさらして発酵させれば毒素が消えて、少量なら食べられるようになる。
 飢饉には土の粥を作って食べたという話さえあった。

 要は摂取の仕方なのだ。

 冒険者の多くは、将来的に腎臓kや肝臓の病を発症しやすい。
 保存食である干し肉の塩分、サバイバルにおける食物の毒素、休暇時に行う不健康な食事、不規則な生活と酒の痛飲…
 原因となるものを、医療的な知識を持つシグルトは理解していた。

 酒や煙草、豪華な食事をやめろというのは難しい。
 ストレスの多い仕事のあと、娯楽がなければ心が持たないだろう。

 だからせめて、依存性が強く後遺症が強い薬物は極力摂らないようにさせていた。

 薬物は摂取量を考えれば薬であり、求める人間もいる。
 副作用を声高に言えば薬草関連のギルドから睨まれるだろうし、この時代の薬品はほとんどが迷信とも言える民間療法が中心だ。
 
 レベッカがコカを「薬の過剰摂取は危険だ、と理解している薬師に売リ渡す」程度には目をつぶっていた。

「シグルトって、どうしてそんなにたくさんの医療知識を学んだの?

 明らかに、〈かじった程度〉じゃなくて専門家になろうとした人の知識量だよね?」

 薬害に関する話題になった時、ジゼルがそんな質問をぶつける。
 “風を纏う者”の仲間たちも興味深そうに視線を揃えた。

 シグルトは少し空を見上げてから、懺悔をするように話し出した。

「…俺には故郷に婚約者がいた。
 彼女は、おそらく国で有数の智者だ。

 俺が医学を学んだ師も、彼女が保護した聖典教徒で、類まれな知識を持っていた。
 男尊女卑の色濃い聖典教徒であったその師が、手放しで〈一番弟子〉と認めるほど彼女は優秀だったんだ。

 俺は両親の趣味の影響で、古い伝承や神話に明るい。
 彼女と婚約することになったのも、知り合った後に俺の知る知識を彼女が求め、交流を深めて至った結果だった。

 彼女の父上は難病を患っていてな。
 その病は同じ血統に発症するものだった。
 医学を学んだのは、父上や未来の子孫を救いたかったのが始まりと聞いている。

 故国は寒く土地は痩せていて、産業となる鉱山は強欲な権力者たちが牛耳っていた。
 他の国に比べて土地が狭く、栽培が行える期間も短くて、半分の耕作しかできない。
 俺たちが山道を歩く遠因にもなった飢饉は、豊作でもない限り起こり得た。
 
 貴族の娘だった婚約者は、寒く貧しい領民に薬や医療を伝え、それらを領地の産業にしようとしていた。
 雪の下からも見つかる稀少な苔や鉱物は、調合すれば高価な薬になり、寒い気候は薬剤の調合にとても適していたからだ。

 医術を学んだのは、その志の手助けをしたいと思ったのがきっかけだ。

 武術ばかりやっていた俺にとって、医学との出逢いは新鮮だった。
 それに、戦闘とは突き詰めれば高度な解剖学に行き着く。
 人を救う医術、敵の身体を破壊する武術。

 気が付けば、夢中になって学んでいた。

 医術の師は祖国の御典医の家系で、最先端の医療を持つ聖典教徒の中でも最高峰の知識と腕があった。
 学ぶ機会にも恵まれたということだな。

 切開手術など西方では随一の名医とされるレイス家ぐらいしかできないと聞くが、師は脳のできものや内臓の死病を察知して切除し、逆子を母の胎を裂いて助けた上に母親が再び出産可能になるまで回復させるほどの腕を持っていた。
 わずかな期間しか学べなかった俺など、足元にも及ばん。

 それほどの人物に学ぶ機会を得たのだ

 武術以外では医術書ばかり読んでいて、妹や友人たちに心配されるほど、のめり込んだ。
 婚約者が集めた外国の医術書を読むうち、いつの間にか他の国の言葉も覚えていた。
 下手の横好きの割にはそれなりに専門的な知識を習得できたのも、運命の悪戯だろうな。
 
 結局、俺は罪を犯して故郷を追われ、婚約者を裏切ってしまった。
 
 俺の知識は過去の残滓、というやつだ。
 冒険者になって、これほど役に立つとは思わなかったよ」

 苦笑して少し饒舌に過去を語るシグルト。
 一同は重い話に言葉も無い。

 別れた婚約者のことを話す時のシグルトが、優しく遠く…切なそうな眼差しになる度、ジゼルは少しだけ胸の奥が傷むのだった。


 昔話を聞きながら山道に入って間もなく、体格の良い狼が四匹、後をつけてきた。
 
「…いかんな。
 疲れて脱落した者を狙うつもりだろう。

 野営場所までつけられても困る。
 ここで対処しておくぞ。

 アンガス氏を中央へ。
 ジゼルはこの木を背に、矢で狼を牽制してくれ。

 俺が精霊術で仕掛ける。

 ロマンは最優先で【眠りの雲】、こちらが風上だから有利なはずだ。

 レベッカは投石で撹乱し、敵が近づいてきたら無理の無いように攻撃してくれ。

 スピッキオは自分優先で防御の神聖術、回復を備えて待機。

 ラムーナは、敵が近づいてきたら俺と一緒に前衛で迎撃だ。
 獣の突進には盾をぶつけて鼻先をそらせばいい。

 迎撃で消耗している奴や、魔法で眠った奴は確実に急所を狙って止めを刺す。
 いつもの通りだ。

 落ち着いて行こう」

 シグルトは味方が陣を組むと、トリアムールに突風を起こさせて狼に仕掛ける。
 吹き下ろす魔法の風によって、二匹の狼が体勢を崩した。

 そこにロマンが【眠りの雲】を放ち、ダメージを受けていた二匹を含め三匹がバタバタと倒れる。
 魔法の範囲を逃れた最後の一匹が一番体格の小さい前衛のラムーナに向かってきたが、バランスの悪い坂道をものともせず攻撃をかわすと飛び蹴りがその狼の脛骨を砕く。

 すぐにシグルトが眠った狼の一匹に止めを刺し、レベッカが風の魔法で負傷した狼の眉間に杖を振り下ろして撲殺した。

 とっさに弓を出そうと身構えたジゼルは、あっけにとられて右往左往するばかり。

 次の一呼吸で、シグルトから飛んで行った二条の風が最後の狼を叩き伏せ、戦闘はあっさり終わった。
 かすり傷一つ負わない完勝である。

「楽勝だったわね。

 いつも思うけど、シグルトやロマンの魔法は反則だわ。
 敵が少数なら、ほとんどそれだけで片が付くのよね」

 杖に着いた狼の血を拭いながら、レベッカがぼやく。
 いつものように短剣を使わなかったのは、狼の爪や牙で傷つかないように距離を取るためだ。

「まぁ、風上を取れたから。

 一匹かわされちゃったけど、ラムーナが瞬殺しちゃったよね。
 呪文の集中が上手く行ったのも大きいかな?」

 得意そうにロマンが胸を張った。

「ラムーナの新しい闘舞術は、優秀な〈歩〉にもなるのだな。
 バランスを全く崩さないのは、こういう勾配のある地で戦う時とても有効だ。

 次からは囮や迎撃も任せるかもしれんが、承知しておいてくれ」

 勝利に沸く仲間の横で、シグルトはラムーナの動きを労っていた。

 それをぼんやり見ながら、ジゼルは何もできなかったことに落ち込んでいた。

 これは冒険者初の実戦で、上手くやれると思っていたのだ。
 弓の腕は自慢だったし、狐や穴熊を仕留めたこともある。

 ジゼルが習得している弓術は三つ。
 生家にあった技術書で学んだものだ。

 物理攻撃の効かない幽霊等も含めて速射で仕留めることが可能な【貫雀の穿】。
 不浄な存在に大きな効果があるという、特殊な音を出す矢を放つ【燕舞の穿】。
 ほぼ外すことのない、気を込めた聖なる矢を射る奥義【落鳳の穿】。

 自分が村を出ることを想定し、どんな魔物でも倒せるようにと破邪の力を持つものばかりを選んで、努力して身に着けた。

 実戦に至って感じたこと。
 それは【貫雀の穿】以外ほとんど役に立たないという事実である。

 狼を相手にして思ったが、不浄な存在…アンデッドなど普段は遭遇しない。
 不浄な存在にしか効果が無い【燕舞の穿】に使う特殊な矢は、狼に対して無力である。

 【落鳳の穿】は使うチャンスがあれば素晴らしい技だ。
 だが明らかに分不相応な高等技術。
 戦闘の素人であるジゼルが、緊張状態の戦闘中に、弓の達人が使うような奥義をすんなり扱えるわけではない。

 唯一使える【貫雀の穿】も少し高度な技術が必要の割には隙も多く、連発する集中力を維持するのは無理ではないだろうか。

(実用性が薄いんだ。

 そして、私の弓は片寄った性能に特化してる)

 狼、ゴブリン、オーク、山賊たち。
 冒険者が最も相手にする類の敵は、個の強さはそれほどでないとしても数で押し寄せてくる。

 ジゼルが学んでおくべきだったのは手数を用意できる技で、使うべき弓は単純な品の方が良かったのだ。

「…気付いたようだな。

 実戦でお前の弓と技は、繊細過ぎてあまり役に立たん。
 無論、幽霊やゾンビを相手にする時は絶大な効果を期待できるだろう。
 それでも、弓を使うより僧侶の【亡者退散】や【聖水】一本の方が強力かもしれんのだ。

 冒険者の戦いでは、多様性との遭遇を繰り返す。
 特定の何かを倒すことに特化するより、幅広い分野の敵を相手にできる応用力が必要だ。

 負けて死んでしまえば一巻の終わり。
 そうならないために、泥臭くても一戦一戦を戦って行ける技能も身につけねば。

 お前の習得している技が悪いわけではない。
 単に、めったに出番が来ないものばかりということだ」

 シグルトは便利用の短剣や手作りの杖を指し、弓が使えない時の戦い方を学ぶべきだとも暗に示す。

 落ち込んでジゼルがうなだれると、ポンとその肩を叩いた。

「だが、〈最初の戦い〉を無傷で乗り切ったのは、お前が暴走したり無茶をせずに、分をわきまえて陣形を崩さなかったからだ。
 初心の冒険者は、多くがそういった基礎を守れずに死ぬ。

 今は、最初の試練で無事に生き残ったことを誇っていい」

 あっ、と顔を上げれば“風を纏う者”の他のメンバーたちも苦笑じみた笑顔である。

「…血と鉄の戦場にようこそ、ジゼルちゃん。
 ちびらなかっただけ上等よ。

 次は〈乙女〉を散らすことかしら?」

 レベッカの下品な言葉に、真っ赤になる。

「これこれ、誤解を招くようなことを言う出ない。

 レベッカの言っておるのは、〈こちらを殺す恐れのある敵を、初めて殺す〉こと。
 俗に冒険者が、殺し合いで最初の殺生をする前のことを、貞操に例えておるのじゃ。

 鉄火場で戦うわしらには、避けて通れん道じゃからの」

 ジゼルと同じように頬を染めていたロマンが、スピッキオの言葉に強く頷いた。

「僕やラムーナも経験してるけど、大抵は無我夢中で戦ってて、〈気が付いたら敵が死んでた〉で終わっちゃうんだよ。

 間接的には【眠りの雲】で止めを刺せる状態にした時点で、僕も殺生に加担してるんだけどね」

 殺す覚悟と聞いて、背筋が冷たくなる。
 ウェーベル村にいた時、弓で小動物を狩ったり、獣の解体をした経験があった。
 田舎では家畜を潰して食べるし、豚の牙を切ったり馬の蹄を削って蹄鉄を打ち込んだりもする。
 町育ちの人間たちより、よほど覚悟ができていると自負していた。

 でも、自分の命を狙ってくる敵を相手にしてそれはできるだろうか。
 それはすでに殺し合いなのだ。

 命というものを考えているジゼルの横で、ラムーナが狼の死体を黙々と運び、側の谷に投げ捨てた。
 シグルトも同様にしている。

「ちょ…、いくらなんでも〈かわいそう〉じゃない?」

 せめて埋めてあげるべきだと思ったジゼルを、ラムーナが見た。
 いつものにこやかな表情ではない…真顔で、その目は硝子玉のように冷たい。

「…埋めてやれる時間があればいいのだがな。
 依頼人を待たせていてはそれもできん。
 狼四匹分の穴を掘るのは重労働だし、道具も無い

 だが、狼の死体を放置すれば、血の臭いにつられてこの道に他の獣がやってくる。
 高いところで腐った死体は悪臭を放ち、疫病を招く汚汁と瘴気を麓に垂れ流す。

 骸を処分するのは、殺した者の義務だ。

 川の流れていない人の入れない谷に捨てれば、そこに入れる鳥や虫がついばんでその肉となり、朽ちた骨と残滓は大地に飲み込まれるだろう。
 俺はそれも弔いだと思っている」

 全ての死体を投げ落とすと、ジゼルの方は向かずに谷を見たままシグルトはそう言って、短い祈りの言葉を唱えた。

「…敵対した相手に、〈かわいそう〉って同情するのは勝った側だから。
 あの崖から投げ落とされた狼さんの死体は、負けた時の私たち。

 弱かったら、勝てなかったり、死んで引き裂かれてたかもしれない。
 仲間を殺した相手に、〈かわいそう〉なんて言える?

 殺すか食われるかだったから、必死を覚悟して戦ったんだよ。

 全力で止めを刺す。
 死んだ敵を憐れんだりしない。

 それが、命をやり取りする戦いだと私は思ってる」

 ラムーナがうつむきがちに重い言葉を口にした。

「…獣を屠殺する時、かわいそうだという人間がいる。
 殺生すのは悪いことだと。
 手を血で汚す者を野蛮だと蔑む者も。

 俺は幼い頃、様々なことを教えてくれる老人に聞いた。
 妹と仲間を守るために襲ってきた狼を殴殺した俺は、野蛮なのか?

 老人は答えてくれた。

 植物にも精が宿る。
 精…魂は等しく全てにある。
 生きるために、他を凌辱しない者が他にいるのか?

 その言葉を聞いた時、俺は自分が野蛮でもいいと思った。
 かわりに、命のやり取りをする戦いでは相手と同じ場所に立とうと誓った。
 食らった生き物に感謝し、戦った相手には止むを得ず殺した後にもできる敬意を示そうと思った。
 〈哀れだ〉と上から目線で憐憫に浸るのは、命に対して傲慢ではないかとも感じたんだ。
 
 他人に偉そうに説く金言でも自慢でもないのだが、な」

 これが、前衛で直接剣を交える戦士たちの考え。
 
 おそらく、ジゼルが抱いたのは〈ごく普通〉の感傷だ。
 常識人として間違いなわけではない。
 冒険者にとっては、甘い考えであったが。

 冒険者は現実に直面した時、恥や外聞を越えた極限状態を経験する。

 極地で生き残る時は、虫を生で食らい、排泄した尿で渇きを潤すことだってある。
 "風を纏う者"は中堅に至るまでに数々の修羅場を経験してきた。
 ある意味では、冒険者らしく荒んだ一面を持っているのだ。

「敵のことを〈かわいそう〉なんて感じる余裕、死にかける経験をすれば吹っ飛ぶわ。

 たぶん、場数が足りないだけ」

 レベッカの瞳は、冷めた中にも懐かしんでいるように少し遠くを眺めていた。
 脇腹をむず痒そうに撫でている…一緒に水浴びをした時、わりと新しい傷痕があったのを思い出す。
 凝視した時に「最近、ちょっとしくじってね」と苦笑していた。

「僕は、別に憐れんでもかまわないと思うけど?
 殺す行為に慣れるより、よっぽどましかな。

 油断や無駄は忌むべきだと思うけどね」

 そういうロマンも、どこかあっさりした様子だ。

「あんな様子でいて、皆敵を殺し始末することに心痛めぬわけではない。
 本当に慈悲がすり切れた者は、何の感想も出てこないもんじゃよ。

 冒険者になったばかりの頃は、ラムーナやロマンと一緒に、わしも先達に叱られたものじゃ。
 ああいう覚悟を持っておったのは、シグルトとレベッカだけでの。

 ジゼルさんは岐路におる。
 このささくれた冒険者という仕事を続けて、流血の道を歩むか。
 舞踏家になりたいのなら、冒険者を辞めて専門家に弟子入りし、こんな仕事はきっぱりやめるか。

 まだ正式には冒険者になっておらんのじゃから、リューンに着くまでによく考えて決めなされ」

 コツン、と杖の石突で大地を叩き、スピッキオがその場を後にする。
 
 ジゼルは自分の手を見た。
 まだ殺し合いもしていないし、彼らのように骸を投げ捨ててもいない。

 こんな手で冒険者になったつもりだったのか。
 だからシグルト以外はみんな、他人行儀ではないのか。

 自分はまだ本物の冒険者になっていないのだと自覚して、ジゼルは暗澹たる気持ちになるのだった。


 その後、斥候に戻ったジゼルは黙々と仕事をした。
 調べるうちに道中で珍しい薬草を発見する。

「これ、たぶんコカの変移種だと思う。
 毒性が少なくて、幻覚の代わりに精神が高揚する作用があるの。

 前に村に来た行商さんが持っていて、確かリューンと南海の間にある山岳地帯にしかないって言ってたよ。
 凄く高価で使ったことは無かったけど…さっき会った薬売りさんあたりに売れば、結構なお金になるんじゃないかな?」

 ジゼルが薬草の知識を持っていたのは、幼い頃から持病のために薬を扱い飲んできたからだ。
 
 シグルトが、慎重にそれを採取する。

「おそらくはこの山の気候と地質が影響しているのだろう。
 地面を触ってみて感じたのだが、このあたりの土はほんのりと温かい。
 大地の精霊力が活発な場所で起きる現象だ。
 葉が赤くなるのは、地熱のせいで赤茶けるせいだろう。

 成分も別物になっている可能性があるな」

 樹液の匂いを確認しながら、シグルトはその葉を薬草採取用の小箱に黄色い布に包んで入れる。
 荷物袋に適当に入れると潰れてしまうので、固形の箱に収めて保護するのだ。

 黄色い布はターメリック(ウコン)等の薬草で染めたもので防虫効果がある。
 通気性が良く、湿気や日当たりで変色しやすいので保存状態の目測がしやすいのだとシグルトは語る。

「薬草は、入れ物に直接しまわないこと。
 面倒でも一つ一つ布で包むのが大切だ。
 こうすれば長持ちするし、布がクッションになって傷まず余計な湿気を吸い出してくれる。

 理想的なのは乾燥なり茹でるなりの下処理を済ませて、冷暗所に保存することなんだが、旅先ではそうもいかんからな」

 冒険者の中には薬草の扱いがぞんざいな者がいて、使いたい時にかびていた…ということもよく起きる。
 薬草採取のやり方に失敗して、依頼料が貰えなかった事例もある。

「とまれ、良いものをゲットできたってことよね。

 売って報酬の足しにしましょ」

 現金なレベッカの言葉に苦笑しながら、一行はきつい道をさらに登る。

 徐々に口数が少なくなっていた。
 依頼人は慣れているようだが、グリュワ山の坂道は相当な勾配がある。
 標高も高くなり冷たくなった空気が一同から体力を奪って行った。

 滴った汗を拭くために腰のポーチに手を伸ばそうとして、不意にジゼルは人型のものを発見した。

「あれ…」

 レベッカも目を細めてそれを確認し、一行を止めた。

「死体じゃないわ。

 まだ息がある…胸が上下しているみたいね」

 「行き倒れでしょうか?」とアンガスが首を傾げた。

「…放置もできまい。

 ラムーナはここで皆を守るように。

 ジゼルとロマンもアンガス氏の側に待機。
 あれが危険な存在だった場合はハンドサインを出すから、その時に援護を。

 レベッカとスピッキオは俺の後ろについてきてくれ」

 シグルトは念のため剣の柄に手を置くと、倒れたものに近づき様子を見る。

 薄汚れた武装姿の矮人だった。
 胸板や胴は樽のように厚い。
 土埃に塗れた立派な髭が、なんとも痛々しく見える。

「…ドワーフか?
 まだ息があるな。

 これは獣と戦ったのか。
 気を失っているのは、外傷による貧血と疲労、空腹によるものだろう。

 スピッキオ、治癒を頼む」

 シグルトは行き倒れと判断して、スピッキオに治療を命じた。
 了承したスピッキオが【癒身の法】をかける。

 傷が消えて血色が戻り、すぐに彼は目を覚ました。

「…ぐぅ、ここは?」

 起き上がろうとして痛みに顔を歪め、彼…髭面のドワーフは側にいるシグルトに問う。

「ここはグリュワ山中。
 あなたは負傷してここに倒れていた。

 俺はシグルト。
 冒険者"風を纏う者"の代表で、リューンを拠点に活動している。
 
 護衛の依頼中、倒れたあなたを仲間が発見し、仲間に治療を施して貰った。
 おそらく失血で眩暈があるかもしれんし、疲労感は抜けていないだろうから、すぐに立たないでなぜこんなことになったか憶えている限り聞かせてほしい」

 シグルトは簡潔に現状を説明して自己紹介すると、少量の塩と砂糖を混ぜた水を、ゆっくり飲むように伝えて渡した。

 今度は痛みに耐えて起き上がり、ドワーフは貰った水を飲む。

「…なんとも言えない味だな。
 薬の類か?
 酒の方が良い。

 どうやらお主らに、助けてもらったようだ。
 感謝する。

 私はディエゴ。
 この辺りの山に鉱脈を探しに来たドワーフだ。

 熊とはち合わせて戦いになり、勝つには勝ったが怪我をしてしまった。
 薬と飲み水も尽き、寒さで参ってしまったのだ。

 君らには恩義ができた。

 どちらにしろ近くの村まで行かねばならんし、君らの目的地まで同行しても良いだろうか?
 回復したら荷を持つし、護衛報酬をよこせとは言わん。
 私に恩返しをさせてほしい。

 このあたりの山岳地帯にはそれなりに慣れているし、足手纏いにはならないぞ?」
 
 ディエゴと名乗ったドワーフの言葉に、シグルトは「依頼人に確認してみよう」と答えると、簡単な診察を終える。

「さすがはドワーフね。
 噂通り頑丈だわ。

 アンガスさんに確認を取ったけど、同行は問題ないみたい」

 レベッカが代わりに状況の連絡を行い、緊張状態は解除されていた。

 ドワーフとは、鉱山や鍛冶、細工などの生産職を生業にする屈強な亜人種だ。
 鉱山妖精などとも呼ばれ、暗い場所にある程度目が慣れているため、妖精窟という洞穴状の住居に住む傾向がある。

 毛深いことで知られ、男性は長い髭が特徴だが、がっしりとした体格に対して子供ぐらいの背丈しかない。
 打たれ強く反復作業を苦にしない性格のため、時間のかかる鍛冶仕事や石工が得意で、器用な者は細工師になる。

「依頼人が許可したなら問題あるまい。
 次の休息場所までは回復に努めてくれ。

 ざっと見た限り、骨折や内臓の損傷は無いようだ。
 ドワーフの基礎体力ならば、水分と食事を摂れば回復できるだろうが、普段と違う身体の違和感があれば申し出てほしい。
 眩暈や視覚の歪み、ふらつき、頭痛、浮遊感、歯の噛み合わせが悪い、関節の軋みなどは深刻な内傷を負っている可能性がある」

 手際の良いシグルトの診察に、ディエゴと名乗ったドワーフは感心したように立派な赤毛の髭をしごいた。


 新たに仲間に加わったディエゴは山岳を得意とするドワーフであり、知識も豊富で役に立った。
 脚が短いので少々歩みは遅いが、体力は病み上がりとは思えないほどである。

 一行はしばらく進んで、山の中腹にある泉で昼食を兼ねた休憩を取り、その時にはすっかり回復して雑談をするディエゴの姿があった。

「はぁ~、生き返る!
 湧き水って、夏は冷たくて冬は暖かいのよね。

 水筒の皮臭い水を飲まずに食事ができるのは助かるわ」

 一行の中では最も体力の無いジゼルが、汲んだ水を飲みながら歓喜の声を上げた。

「私も少し水を汲んでいこう。

 うむ、体力は十分回復したし、荷物を持つぞ」

 ディエゴはそう言って、持っていた荷物袋から銀製の杯を取り出すと、たっぷり新鮮な水を飲む。 
 依頼人のアンガスは、ちゃっかり荷物を持ってくれと頼んでいた。

「お、ヒヨス草発見。

 山だと薬草が見つかり易いわよね」

 レベッカが泉の周辺に生えた木の根元に、代表的な薬草を見つけて採取している。

「ヒヨス草か。

 僕らはあんまり使わないよね。
 というか、高価な薬や薬草を使ったことってあんまりないような。

 大きな怪我をしても、スピッキオの神聖術で治っちゃうし」

 "風を纏う者"は今までに激しい戦いをいくつも潜り抜けていたが、それほど薬に頼ったことが無い。
 一番の理由は優れた癒し手であるスピッキオがいることだが、シグルトの巧みな指揮によって負傷者が少ないことも挙げられる。
 スピッキオが守りの神聖術を使えるようになってからは、余裕をもって戦えるようになってきた。
 最初の頃は生傷の絶えなかったラムーナも、盾を持つことで格段に防御が上手くなっている。

 冒険者の戦闘で最も大切なことは、まず無駄な戦いを避けること。
 そして怪我をしないように戦うことだ。

「ヒヨス草は毒性が強い。

 〈毒薬変じて薬となる〉という言葉があるが、多くの薬は〈身体の異常を攻撃する毒〉と言えなくはないんだ。
 一番良いのは、使わずに済むこと。

 怪我も病気も、しないに越したことはない」

 シグルトは、できるだけ傷薬や薬草に頼らないことを推奨する。
 医学に通じた彼は、薬の副作用を熟知しているからだ。

 精錬技術の幼稚な世界で、薬の成分を抽出するのはとても難しい。
 世界には解毒できない毒が多数ある。

 解毒薬の多くは、発熱と発汗、利尿を促して毒を輩出させるものだ。
 解毒能力を持つ腎臓や肝臓を守り機能を高める薬効のもの、毒を中和しやすい成分を加え、大量に水分を取らせて毒を薄める。

 解毒を行っても、毒に侵された身体のダメージまで回復するわけではない。
 
 冒険者の使う薬や解毒薬はその時の効果は強力だが、寿命を縮める可能性が高いことをシグルトは熟知していた。


 休憩と昼食を終え、体力回復した一行が出発しようとすると、ディエゴが提案してきた。

「私たちドワーフは、皆戦士だ。

 この通り完全に回復できたし、これからの戦いには私も参加しようと思うがどうだろうか?」

 シグルトは、ディエゴが優れた戦士としての力量を持っていると、気が付いていた。
 彼の話が本当なら、熊と一騎討ちして生き残れるほどである。

「有難い申し出だ。

 ただ、今のあなたは防具に問題がある。
 戦いで鎧が破損してしまったのだろう?

 無理をせず、依頼人の側で防衛してくれるということであれば承諾しよう」

 ディエゴはシグルトの願いを快諾し、依頼人の側で最終防衛線を守ってくれることとなった。

(…ちょっと、そんなに信頼しても大丈夫なの?)

 横に並んだレベッカが小声で訪ねてくる。

「大丈夫だ。
 ドワーフという種族は、恩義に対して厚く報じ、恨みは決して忘れない種族なんだ。
 己の義に反すれば、貴族の横っ面だって殴りに行く。

 演技であそこまでボロボロにはなれないだろうし、裂傷は野獣から受けたもので、鎧に着いた傷痕から熊のものに間違いない。
 嘘はついていないということだし、命の恩人に対して誓ったことを破る不義理はすまい。
 利己的な輩であれば、熊に正面切って挑むとも思えん。

 彼のことは、俺が信じ請け負う」

 普通の声で、シグルトは聞こえても良いという風にディエゴの潔白を言葉にした。

 レベッカは、「シグルトが請け負うのなら、信じるわ」と頷き、斥候としてジゼルを連れて先行する。

「うむ、眼光で一角の戦士だと思っておったが、若いのに信義を知り知恵もある。

 将来は間違いなく、英傑として名を上げるだろう」

 ディエゴは上機嫌で、シグルトを一行のリーダーとして認め、指示に従うことを改めて誓った。


 またしばらくきつい上り坂が続く。

 ジゼルやロマンには、目に見えて消耗が見える。

 まもなく山頂というところに差し掛かり、土煙を上げてジグザグに下ってくる影があった。

「ワイルドボアよ、気を付けて!」

 ワイルドボアは獰猛な猪で、場合により魔物に類するほどの獣である。
 攻撃的で、興奮時は見境なく特攻してくるので、森や山に入った人間が毎年何人もその牙の餌食となっていた。

「焦るなっ!
 アンガス氏はやや高い位置にディエゴと配置。

 奴は腰や大腿部を狙ってくるから、正面に立たずに坂を登って横に避けろ。
 レベッカ、可能なら前足を搦めて動きを封じてくれ。
 ロマンは魔法の準備、スピッキオは治癒術を準備して可能なら自分やラムーナに守りを。

 ラムーナ、お前の舞踏で撹乱しながら仕掛けるぞ!
 すり抜け際に前足の関節を横から狙え!」

 一旦下っていたワイルドボアが突っ込んでくるが、狙われて横に避けたジゼルが弓を振って威嚇する。

「ほいっと!」

 レベッカが絞殺具を出して足を封じるとラムーナが右前足の関節をスティングでかち割り、シグルトが伸び切った後ろ足を踏み砕いた。
 すぐにレベッカが心臓をナイフで刺し貫く。

「夕食ゲットって感じかしら?

 ラムーナ、ジゼルちゃん、解体手伝って」

 お呼びがかかったラムーナとジゼルが慌てて駆け付け、すぐに解体が始まった。
 シグルトが力仕事を手伝い、ディエゴが硬い骨を斧で断ち切る。

 ワイルドボアは四半刻とかからず、脂肪と枝肉と毛皮、内臓、骨などに解体された。
 待たせた詫びと、シグルトが立派な毛皮を差し出すと、アンガスも上機嫌になった。

「今夜は新鮮な心臓で、ロースト三昧ね」

 血抜きが早く済み周囲の気温が低いので、肉の劣化はほとんどない。
 獣の内臓は、冒険者にとって御馳走だ。
 雑食の猪は寄生虫がいる恐れもあるが、火をしっかり通せば塩だけの味付けでも美味である。

 レベッカが内臓を深めの鍋にしまって塩を振る。
 香味となるハーブ類をちぎってかけ、下処理をしていた。
 内臓は足が速いため、体温で傷まないように背負い袋の隅にしまうのがコツだ。

「手慣れたものですね。

 私は猪の内臓を食べたことがないのですが」

 野生の獣の肉でも内臓が出回ることはまずない。
 すぐ痛むので猟師が食べてしまうことが多く、冷蔵や冷凍といった保存と輸送の手段がなければ市場に出回らないのだ。
 
「こればっかりは取れたてじゃないとね。
 処理をしても、半日ぐらいしか鮮度を保てないのよ。

 肉の味は、狩人と料理人の腕ってやつでね。
 今回は心臓に一発入れて仕留めたから、理想的。
 獣肉は、頚椎か心臓に一発で止めを入れて、心臓や肺が止まる前に動脈を掻っ切ると味が良くなるのよ」

 美食家のレベッカはジビエにも精通しており、調理に関する技術もなかなかだ。
 
 猪は大量にものを食べるので、内臓を抜くとかなり軽くなる。
 内臓のうち調理できそうな心臓を取り、残りは睾丸なども含めほとんど捨ててしまった。
 もったいないが、腸などの内臓の多くは汚物が詰まっていて近くに洗える沢がないと手の施しようが無いのだ。

 第一、これからもう少し登らなければならず、あまり荷物を増やすわけにはいかない。

 重い胴の肉は骨を外してディエゴが持ち、そのかわり肝臓を全て貰っていた。
 腿肉二つはシグルト、毛皮はアンガス、ヨロイという希少部位と心臓をレベッカが、頭部の肉と脂肪の一部(大半は持ちきれないので捨ててしまった)
を残りのメンバーで分担して持つ。

 新鮮な肉は水分が多く含まれかなり重い。
 これも美味な夕食のためと、汗を流して残りの山道を登るのだった。
 

 冒険者の経験を雑談として語りながら、一行は山頂までやって来た。
 途中また珍しい【赤いコカの葉】を採取する機会があり、野営の予定地である山頂の岩場に着いたのは薄暗くなってからである。

「今夜は冷えるだろうから、〈灰敷き〉をやる。

 レベッカ、天幕(シェルター)は片屋根だ。
 あの岩間を背にするから、荷を置いてジゼルやラムーナとありったけ焚物を集めてきてくれ。
 遠くには行かないように。

 スピッキオはここに竃を組む役目だ。
 ロマンは天幕設置の間取りを計算して、標を着けるように。

 ディエゴ、細長い溝を掘るから手伝ってくれ」

 シグルトは岩がL字になっている場所を選び、レベッカの使っていた杖を受け取ると、地面の土を穿って平らな石を使い溝を掘り始めた。
 岩間に近い位置でスピッキオがロマンと相談しながら石を組んで、大きな竃を作る。

 レベッカたちが枯れ枝を大量の持ってくると、ディエゴと協力して倒木を運んできて、斧で断ち割って貰い、それを組んで大きな焚火を作る。
 組んだ木の間で細い木を燃やし、倒木を徐々に炭にしながら火を長引かせる方法だ。

 手が空いたレベッカは、小瓶から黒いものを摘みだした。

「それ、何?」

 首をかしげるジゼルに笑い返すと、レベッカは焚き着け用の細かな材料を置き、その黒いものに火打石を切った。
 ぱっぱと散った火花がそれに乗ると、火花が消えずに残っている。

「これは、麻布や木綿を蒸し焼きにして作る炭でね。
 火がとても乗り易くなるのよ。 

 あとはこうやって軽く吹けば…」

 乾いた草に包んで息を吹きかけると、すぐに火が燃え移る。

「うわ~、簡単!

 火をつけるのってものすごく時間がかかるのに…」

 アウトドアをやった者は多くが経験することだが、火打石などの小さな火花で火を着けるのはとても難しい。
 火打石や火打鎌(火打金)をぶつけても、出てくる火花ではなかなか大きな火種を作れないのだ。
 
「火を着けると言えば、〈火口筒〉も便利だよ。

 あれは、どこでも火が起こせるからね」

 ロマンが言っている道具は、ファイアピストンのことだ。
 空気を急激に圧縮することで火口を急激に熱して火種を作る装置である。

 冒険者は危険の最先端に向かう職業であり、数々のサバイバル術に通じている。
 着火する方法やその工夫も重要な技術であり、雨天や密林などの高湿度での環境下や、冬場の温度が低い時期に火種を作り出す方法を数多く習得していた。

「雑学と生存術は私たちの命綱だから、聞いた知識は貪欲に憶えなさい。

 こうやって瓶に入れてれば濡れないし、焚きつけに使う乾いた繊維なんかは消耗品なの。
 乾いた苔や樺(カバ)の皮、松の枝や根、アカシヤ、植物の綿毛、鳥の古巣などは燃えやすくて使えるわ。
 見かけたら拾っておくといいわよ。

 ただ、鳥の巣はたまにダニの巣窟になってたりするから気を付けてね。
 成長できずに死んだ雛の死体なんかに群れてるから」

 成鳥になれる鳥の雛は多くない。
 雀などは最初五匹ほどいたとしても、巣立っていく頃ニ~三匹に減少している。
 圧し合っているうちに巣から落ちたり、ダニに群がられて貧血で、蛇や鴉の餌食、栄養失調などで成長が見込めないと親から見限られるなどして命を落としてしまうのだ。
 
 雄大な自然は神秘的で美しい。
 そして知る。
 世界は広く、感動的で…厳しく、残酷だ。

 ジゼルは生々しい話を聞きながらも、新鮮な衝撃を受けて好奇心を刺激されていた。

 旅は大変だし疲れもするが、まだ知らない知識や技術が沢山あり、目に入ってくるものは全てが真新しい。

 ふと横を見れば、シグルトとラムーナが天幕を設置している。
 
 背の高い棒を二本×字に設置して横木をかけ、倒れないようにもう一本で支える。
 岩を背に外套をかけて、葉のついた木の枝を掛け、岩の反対側に雨よけの屋根を作成した。
 大きな竃から熱せられた空気が岩と屋根の間を通って、煙は岩と屋根の隙間から出て行く。

 掘った溝には、熱した灰や石を埋めて寝床にするのだそうで、一晩ぐらいは暖かいという。
 同時に残飯なども埋めて土に返し臭いを隠す、効率的な処分もできる。

 天幕は風除けと屋根があり、通気をよくして煙にむせたり一酸化炭素中毒にならないようにする。
 精霊術で暖気の流れを作り、寝床から上がってくる熱とで快適に過ごせるシェルターであった。

「生存術の基本は息・熱・水・糧(かて)。
 必要なのは呼吸できる状況、体温を維持できる環境、渇きを潤せる手段、必要な滋養が摂れる装備だ。

 呼吸できなければ生きられないし、煙や毒気が充満している場所では長く行動できない。
 熱中症になれば脱水症状で行動に支障が生じ、凍えれば死ぬ。
 喉の渇きは三日耐えるのが限度。
 飢えに耐えられるのは三週間まで、空腹ではまともに動けなくなる点も注意だ。

 体温が狂えばまともな判断力を失い、冷えれば眠るように意識を失う。
 雨や冷たい風で身体を冷やすのが一番悪い。
 冬場に泳ぐなどもってのほかだ。

 俺の故郷では〈冷たい雨と山風に、狂気が宿る〉と言われていた。
 あまり知られていないんだが、身体が冷え過ぎると人は惚けるか狂ってしまう。

 野営が必要なならば、寝所の確保と火の存在が最も大切なんだ。
 冬場の野外における死因は、野営の失敗による凍死がとても多い。

 つい水や食料を求めがちだが、飲まず食わずでも三日ぐらいは何とかなる。
 最初に装備している食料や水がとても大切になるということだ」

 側にジゼルを置き、作業をしながらシグルトが生存術に関して教えて行く。

「冒険者にとっての生存術は、矛盾する話だが…〈冒険しないこと〉だとよく言われる。
 危険に近寄らず慎重に、手を尽くして準備し、行き当たりばったりにならないこと。

 自棄にならず、最善を考え、質の高い行動をする。
 時間は有限だから、慌てず急ぐ。

 惰性でやっていると、決してできないことだ。
 休む時にはしっかり休息して羽目を外してもいいだろうが、冒険中は常に緊張感を持て。

 普段の積み重ねが、必ず結果を生む」

 横で聞いていたディエゴは、唸るように喉を鳴らした。

「驚いた…。
 私はこれほど理知的な冒険者たちを見たことが無い。

 しばらくリューンに行っておらんかったが、いつの間にか冒険者の質が上がったのか?」

 この言葉にアンガスが、「"風を纏う者"が特別なのだ」と応える。

「時々冒険者の中で、発明家的な存在が現れることがあるのですよ。
 彼らは、常日頃危険の先端にいて、生き残るための工夫を続けます。
 その知恵が、とんでもないものを生み出すのです。

 “風を纏う者”はそういった冒険者の中でも、優秀な行いをすることで知られたパーティです。
 彼らが先日商業ギルドに持ち込んだ村落でも使える少額の為替札は、私も使い始めているのですが、大変便利ですよ。
 売り物の処分も、為替でやり取りするととても速いのです。

 たまたま旅先で声をかけ護衛をお願いしたパーティが、あの名高い“風を纏う者”だと知った時は、幸運を神に感謝したほどです」

 アンガスは、噂で聞いた“風を纏う者”の誠実さや武勇譚を語り出した。

 オークロードの率いる群れの討伐や、名高い海賊の撃退、オーガやトロールを倒した戦闘力。
 西方の有力者であるヴェルヌー女伯の寵厚く、孤児の救済や斬新な取引のシステムを生み出して、新しい冒険者たちの中で一目置かれていること。

 横で聞いていたジゼルは、改めて“風を纏う者”の実力を知り、驚きに目を見張った。

「手が止まっているぞ、ジゼル?」

 叱られて慌てて作業に戻るジゼル。

 手を動かしながらシグルトは、構わずに冒険者としての教導を継続した。


 夕食は豪勢なものとなった。

 レベッカが腕を振るったワイルドボアの心臓料理は、程よいハーブの香りと塩味で、適度な筋切りの下処理のせいか食べやすかった。
 脂肪をふんだんに使い、小麦粉をまぶしたソテー、骨を出汁にした暖かいスープ、薄く切ったバケットにニンニクと香草を刻んだ物を肉と炒めて乗せたもの、あばら肉のロースト…
 運んだ苦労に見合う食事となった。

 猪の脂は甘みがあり、適当な調理手段によって極上の調味料に変身する。
 岩塩を削ってかけるだけでも十分に美味いのだが、食通のレベッカが妥協無く料理したそれらは絶品であった。

 割と小食なジゼルもお代わりをし、ディエゴに至っては背負っていた肉の塊を一つ消費するほどである。

「私に言わせれば、上質の猪肉に果物や蜂蜜を多用するのは邪道かしらね。
 脂の繊細な甘みが消えてしまうの。

 煮込みなんかでも、猪や豚の肉には甘みの強い材料との掛け合わせは避けるべきよ。

 獣の肉が臭いのは、猟師の腕が悪いのが大半ね。
 本当なら、沢の近くであればもっといい肉になったわ」

 あばら肉を削いでいるレベッカは、上機嫌に料理の蘊蓄を披露していた。
 隣でラムーナが赤身を薄切りにして、煙で燻している。

 ロマンは顔をしかめながらアンガスに鍋を借りて、少し離れた場所で片端から獣脂を融かす。
 シグルトはスピッキオと、熱くなった灰や石をせっせと寝床となる天幕に掘った溝に運んで均す作業に没頭している。
 
「あの脂に肉類を漬け込んで空気に触れさせないようにすると、冬場は結構長持ちするのよ。

 塩だけじゃ持たないから、燻したり乾かしたりして水分を減らすの。
 軽くなるし、長持ちするわ。

 獣脂は臭いけど灯明になるし、焚きつけに染み込ませておけば水を弾いてよく燃える。

 野営の時は火の番で手持ち無沙汰になるって言うけど、次の日のために道具を整備したり、ほつれた装備の修繕をしたり、やることは山ほどあるわ。
 側に焚火があるから、作業ができるわけ」

 普段ぐうたらな態度をとるレベッカでさえ、せわしなく手を動かしていた。
 ジゼルもレベッカの調理を手伝う。

 レベッカが行っていたのは、明日の朝食の仕込みと保存食を作る作業だった。
 すべての肉から骨を外して、くず肉は叩いて焼き、塩と香草を加えて融けた脂に付け込んで、敷き詰めた葉っぱに乗せて行く。

 アンガスはディエゴに手伝ってもらって、ワイルドボアの毛皮を張って乾かしていた。
 レベッカが主導で削いだ毛皮は、ほとんど不純物がついていないので、比較的作業が楽だということだ。

 毛皮に隠れていたダニの類が煙に燻されて落ちると、木の葉のついた枝で火に掃き込んで焼き殺す。
 野生動物に寄生する虫は厄介な熱病を起こすことがあるため徹底的に駆除しなければならないが、叩く程度では落ちないので煙で燻すのだ。

 レベッカが夜食だと言って、不思議な香りのする白身を配ってくれた。
 首の部分にある、ヨロイと呼ばれる希少部位らしい。
 癖が強くてロマンは嫌がっていたが、魚醤で塩辛く味付けされたそれは酒に合うと、ディエゴが一杯やりながらつまみ始めた。

「繁殖期の猪の雄は、首の周りが厚く硬くなるのよ。
 雌を巡ってぶつかり合うからでしょう。

 私たちに特攻してきたのも、たぶん縄張り意識からね。

 こうなった雄は、肉に独特の臭いが着くから、香草でよく処置しないと。
 臭いが強いから、売り物にもできないの。

 獣の味は、育った環境や食べた物でも随分違う。
 理想的なのはストレズを与えずに、できるだけ出血させて斃すこと。
 動脈を切ってぶら下げておくといいんだけど、重労働なのよね。

 罠猟は、罠をかけた部分が鬱血するし、逃げようともがいた獣は味が落ちるのよ。
 毛皮に関しては、止めを刺した部分に傷がつくから、皮に影響が出ない毒か頭に一発が理想。
 追跡や屠る時の労力を考えると、罠は楽ちんなんだけど。

 血が抜けたら、冷たい沢の水につけてすぐ冷やしてしまうのが、肉を長持ちさせるコツ。
 今は寒いから外気で冷やせるけど、夏場はすぐに冷えないから、獣の体温の残りが肉を劣化させて臭くなる。

 希少部位は、粘着いたり臭みや汚れがあるなら、塩水で洗うといいわ。
 水で洗うより身がしまるから、ぶよぶよにふやけないの。

 料理の前に少し火に近い場所でしばらく置いて脂を緩ませると、焼く時に火が通りやすくなるし、味も尖らないわ。
 熱を通した肉は余熱で硬さが変わって行くから、食べる時間を考えて火加減を意識するの。
 少し置くとアツアツとはまた違った風味が出るのよね。

 豚や猪はしっかり火を通したほうが美味で、鳥や牛は筋以外の大半が火を通し過ぎると硬くなったりする。
 硬いのや大きな肉はきちんと筋切りしておくといいわ。
 脂身はソースを弾くから、煮込んだり焼く前に斬り込みを入れて塩を擦り込んでおくと味が馴染みやすい。

 肉によっても工夫が必要なのよ」

 レベッカの語る料理のコツは、彼女が休暇中に飲食店に通って聞き出したものだ。
 情報を出し惜しみするはずの盗賊がこんなに簡単に知識を提供するのは、単に調理の上手な人間が周りに増えた方が楽ができるから、ということらしい。

「ジゼルちゃんは器用だから、仲間ができたら必然的に解体やお料理の担当になる気がするわ。
 こういうコツは自分なりに研究して旨い飯を振舞えるようになっておくと、得になるはずよ。

 がっつり食べたい男の子なんかは、美味しいものを出して、可愛くしなを作れば大抵一発だから。
 うちの堅物リーダーに、初心な坊やや、禁欲坊主は特殊なだけよ」

 レベッカは、茶目っ気たっぷりに指を立てて左右に振って見せた。
 
 夜食を食べ終えて大方の肉の処理を終えると、一行は交代で火の番をしながら休むことになった。
 八人で二人ずつ見張りを立て、二時間ごとの交代で火の番と周囲の警戒をする。

 最初の番は新人のジゼルとスピッキオ。新人は真っ先に野営をさせられるものだ。
 深夜帯の二番手は、戦闘力の高いシグルトとラムーナ。
 三番手はロマンとレベッカとなる。

 アンガスとディエゴのペアが、襲撃の少ない明け方近くの最後の番になっていた。
 依頼人はこういう分担を嫌うことが多いのだが、仕事の過酷さに比べて報酬が安いのと、人数的に加えた方がキリが良いから、という理由でアンガスの方から申し出があったので、言葉に甘える運びとなった。


 時刻は深夜。

 最初の見張り番を終えたスピッキオとジゼルが、今日の疲労もあってか、温かい寝床についてすぐ寝息を立て始めた。

 “風を纏う者”が野営で使う〈灰敷き〉は、冬場の野宿で凍死しない手段として使われる技術だ。
 簡単そうに見えて、穴の深さが足りないと熱すぎ深すぎると冷たくなってしまうし、埋める灰の量が少ないと早々に冷たくなる。
 温度が逃げないように周囲を焼いた石で囲い、かぶせた土の上に少し湿った葉や衣類を置き乾かしながら、寝る寸前にしつらえるのもコツだ。

 冬場は寒さのせいで、一般的な星型の焚火は寒すぎるし火が弱くなってしまう。
 太い薪を互いに溝を掘って合わせるように組み、溝の中で火を焚いて太い薪を炭化しながら大きな焚火を作れば、多人数でも十分に暖が得られる。
 岩などを背にして暖気が逃げないように工夫し、心持ち高い位置にいて上がってくる暖気を受けられる配置をするといった、火にあたる側の工夫も必要だ。

 薪では煙が強烈なため、まっすぐ上に煙が立つように薪を組む。
 周囲で熱した石は寝る時に懐炉代わりに使うと快適だが、すぐ冷えてしまうため、火傷しない意味でも布などでしっかりくるむ必要がある。

 北方で育ったシグルトは薪の効率的な使い方や、寒い時の暖のとり方を数多く心得ていた。
 こういった技術は、経験がものを言う。

 次の見張りに立ったシグルトとラムーナは火の近くに陣取ると、新しく薪を火にくべた。
 長時間燃やされた太い薪が炭状に変化している。

 シグルトの故郷で、木炭はハイエルフが考案した技術だとされる。

 昔、寒い北方の気候で生き残るために、人間やドワーフが大量の樹木を伐採し、多くの森が失われた。
 北方に広がる荒野には、かつて広大な樹海があったのだという。

 失われていく森の精霊たちは嘆き悲しんでいた。

 偉大な人間の英雄が精霊の嘆きを聞いて諸国を旅し、大地から石炭を見つけてドワーフに与え、植林で人工林を作って森を保護しようと訴えた。

 英雄の行いに感銘したハイエルフの長は偉大な賢者であり、木を密閉して燃やすと長く燃焼する炭が生まれることからヒントを得て、石炭に似た燃料を作る技術を考え出した。
 それが木炭だとされる。

 木炭の普及は、世に様々な恩恵をもたらした。
 シグルトが消毒薬として使う木酢液や木タール、鉄鋼と鍛冶技術の発展。

 一見大量の木材を材料とするため燃焼物が多いように見えて、人工林の間伐や計画的な木材の運用し、燃焼時間がとても長いことから、木炭は薪よりも燃費が良く自然に優しい。
 樹木の精霊術として大量の枝木を生み出すものがあり、それを知るエルフが計画的に炭を作り出すことで、木炭はエルフや森の民が外貨を得る重要な手段となった。
 自分たちの生活基盤となる森林資源を枯渇させないため、森を保護しなければならないという意識が高まり、一部の強欲な者以外は森や自然を尊び大切にしている。

 ある自然活動家を名乗る者が、森林伐採を声高に「自然破壊だ!」と言って非難したが、炭を作る森の民はそれを「ものを知らぬ愚か者だ」と嘲笑った。
 森の民は森林無くして生きられないのだから、やり過ぎれば自分たちの首を絞める。
 自然を壊さない範囲の技術と節制を行って、自然と共存することが大切なのだ。

 海豚(いるか)の知性の高さと可愛らしい容姿に、それを食べる人間を「野蛮だ」と訴える人間がいた。
 その者は知らないのかもしれない。
 海豚はいじめを行う知性があり、残虐な一面もある。

 狼の群れが危険だとして、徹底的に駆逐した国があった。
 その国は数十年後、草食動物と猪などの雑食動物によって森林を食害され、深刻な打撃を受けた。
 また、病気の鹿が淘汰されなかったことで、鹿に伝染病が蔓延して大量死する事件が起きた。
 狼は、病気になった弱い者から狩って、伝染病の予防となっていたのである。

 ある国では穀物を食害する鳥を魔法で駆逐し、虫による食害で倍する害を被り、国力を低下させてしまった。
 鳥は害虫の予防に役立っていたのだ。

 自然とは、様々な力がぶつかり合う混沌とした共同体である。

 シグルトは、薪が赤々と燃えて炭になって行く様子を見ながら、その中にも世界の真理を感じている。
 火は強過ぎれば全てを燃やす業火となるが、節度を守って扱えば周囲を温め、肉を焼いて毒を浄化する恩恵にもなるのだ。

 冒険者という職業は、文明や技術の最先端に触れる。
 険しきを冒し、新たな出来事に遭遇し、多くの発見を体験できるからだ。

 続けていると、ふと気付く。
 このような焚火一つとっても、様々な叡智と可能性、危険性が含まれていることに。

 シグルトは、行為に没頭するのが好きだ。

 その行為が何を成すのか、どんな応用性があるのか、先人たちは何を思ってそれを行ってきたのか。
 焚火一つにすら様々な歴史があり、先人の苦闘と知恵の残滓が垣間見える。

 一つ一つの行いを大切にし、そこから学ぼうとすれば知恵が滲み出してくるのだ。
 行為に没頭する時は、注意すれば学ぶことができた。
 〈体験〉という、貴重な機会である。

 黙々と火の管理をしながら、シグルトはしばし哲学に浸っていた。

 ふと思い出したように横を見ると、隣に座っていたラムーナが涙を流している。
 すすり泣いているわけではない。
 いつものように口元は微笑のまま、目だけは硝子玉のように冷たく光を失って。

 落ちた雫が、熾火によってジワリと蒸発する音をたてた。

 ここ数日どこかラムーナの様子がおかしいと、シグルトも気付いていた。
 それが、下手な同情だけで詮索するべきではないことも。

「…ラムーナ。

 ジゼルは、苦手か?」

 あえて彼女の方は見ないで聞く。
 女の泣く姿は、じろじろ見るものではない。

「…うん。
 私、ジゼルさん嫌い。

 でも、一番嫌いなのは私自身。
 もやもやした気持ちが抑えられないの。
 多分、これが嫉妬なのかな?」

 ごしごしと眼をこすりながら、ラムーナが告白した。

 彼女の言葉で、シグルトはなんとなく理解する。
 ラムーナは、ジゼルに自分のポジションを奪われるかもしれないと危機感を抱いているのだ。

 今まで“風を纏う者”における舞踏というジャンルはラムーナの領分だった。

 ジゼルはダンサーを目指しているし才能もある。
 潜在的な身体能力は、おそらくラムーナ以上だ。
 肉体を使って戦う戦士だからこそ、それが如実に感じられるのだろう。

 思い切りが良く速度に勝るラムーナは、戦士としてのセンスではジゼルをはるかに凌駕しているのだが、嫉妬心というものは簡単に割り切れるものではない。
 何より、ラムーナは一番最初“風を纏う者”に自分を売り込んだ時から、舞踏が得意という自負を持っていた。
 舞踏は彼女のアイデンティティなのだ。

 自分の得意分野を脅かす人間が、近くにいる。
 しかもそのストレスを感じるのは、多感な時期の少女だ。

「最初に言っておくが、俺やレベッカはジゼルを“風を纏う者”に加えるべきではないと思っている。
 経験の少なさもあるが、彼女ができそうなポジションが多数被るからだ。

 弓を使うという技術は特殊性が高いが、遠距離攻撃なら魔法でロマンができるし、その気になればレベッカが弓を扱うというのも手だ。
 斥候もレベッカがいれば問題無いし、補助的な範囲なら俺たちで十分にカバーできる。
 お前と同じ軽戦士として考えた場合、ジゼルはタフネスや思い切りの良さ、闘志の面で及ばない。

 今俺たちに必要なのは、優秀な支援魔法が使える術師の類だ。

 ロマンの魔法は攻撃と制圧力に優れているから、支援系の術まで任せるとバランスが崩れる。
 スピッキオは回復に力を割いてくれているが、正直一人だけ回復役を任せると負担が大きすぎる。

 神聖術とは別種の回復が行え、可能ならロマンに準じる魔法攻撃と、スピッキオが使うような防御系の支援魔法が使える術師がほしい。
 術師(キャスター)はそれ自体が稀少で、俺たちと同等の実力がある者はなかなかいないんだ。
 なにより、無理に加えると庇うために前衛の負担が増える。

 ラムーナのポジションは遊撃と速度を武器にした前衛で、壁役を兼ねる。
 身体が虚弱なジゼルには任せられんし、レベッカは戦闘が専門ではないからな。

 俺自身は、戦闘指揮を担当する者としてジゼルを〈教導中の後輩冒険者〉以上には考えていない。
 ジゼルも気が付いているだろう。

 とはいえ、俺はジゼルを冒険者の道に引き込んだ責任がある。

 彼女の面倒を見ることは、俺の我儘だな。
 皆には、負担をかけてすまないと思っている」

 シグルトは事実を正直に淡々と述べた。

 ジゼルの才能は素晴らしいものだ。
 斥候として育てば、引く手数多の冒険者になるだろう。

 だが、ジゼルにはリューンでダンサーとして成功したいという夢があった。
 完全な斥候職には、おそらくなれない。
 舞踏の習得に時間をかければ、弓技の習得も中途半端になる。

 彼女の身体は虚弱で、年齢自体もシグルトと同じ十九歳。
 女のダンサーとして再出発するにはギリギリだ。

 決断力と夢にかける意志の強さは、虚弱な身を押して村を出てきたことからもわかる。
 知人として彼女の夢を応援してやりたい。

 だからこそシグルトは、ジゼルと中途半端に冒険者の道をともに歩む選択を、早々に切って捨てた。

 今の言葉をジゼルが聞いていても良いと思っている。
 その程度で決意が揺らぐなら、冒険者を副業として食っていくなど土台無理な話だ。

(一番理想なのは、ジゼルと同様に冒険者を副業にしようとしている仲間を得るか、強大な後援者を得ることなんだが…)

 冒険者を副業にする人間は、実はそれなりに多い。

 農夫が日雇いの労働者をやったり、冒険者が副業として傭兵業をやったりするのと同じで、地位や性別の制限を受け難い冒険者という職業は、実力さえあればできる副業にもなりうる。

 この時代、女性の就職は一番が主婦なのだが、他の職業は多くが男性上位である。
 女というだけで、上司の男に迫害されたり、手籠めにされた話は後を絶たない。

 ジゼルは容姿端麗な若い女性で、内面は自立心が強い傾向がある。
 男性社会に飛び込んで副業を探しても、上手く行かないだろう。

 診療を理由として医術の師に会わせることは、シグルトなりにジゼルの将来を配慮してのことであった。

 シグルトの医術の師アフマドは極端な男性上位社会の出身で、女性に対して物言いが厳しく、彼女の甘さを叩きのめしてくれるだろう。
 可能なら彼から医術を学べば、器用なジゼルは専門的な治療技術を習得できるかもしれない。
 何を得て何を失うか、ジゼル次第だ。

「…違うよ。

 私がジゼルさんを嫌いなのは、ジゼルさんがお父さんを置いてきたから。
 虚弱でも愛してもらって、育てて貰って…そんな心配してくれるお父さんを置いてきちゃう人だから」

 思わぬ告白に、シグルトは遠慮を捨ててラムーナを見た。

 新たな涙を流しながら、ラムーナは過去を語り出した。

「私の本当の名前は、ナクシャっていうの。
 国の言葉では、〈いらない子〉って意味。
 
 生まれたときには未熟児で、お父さんもお母さんも私を殺そうとしたんだって。
 
 だけど私のお姉ちゃんが、私を助けてくれたの。
 殺されそうな私を隠して、庇って、お父さんたちを説得してくれたの。
 お姉ちゃんはいつも私を助けてくれたんだ。
 
 いつもお姉ちゃんは、優しくて綺麗で好い匂いがしたの…
 
 私の国はとても貧しくて、兵隊さんが偉い国。
 
 私たちは貧しくて、兵隊さんが税でたくさん食べ物やお金を取っていくから、困って親が子供を売るのは当たり前。
 子供は親に尽くすように育てられるの。
 
 だから、親の役に立てない子供は売られちゃう。
 
 価値が無くて売れない子供は手や足を切られて、同情を誘うようにして物乞いをするの。
 足を切るのはお父さんやお母さん。
 それでも役に立てないと、崖から突き落とされて殺されちゃう。

 私も足を切られそうになったんだ。
 背が低くて痩せてたから、売れなかったんだって。
  
 そのときもお姉ちゃんが助けてくれた。
 お姉ちゃんは、私に歌と踊りを教えてくれたの。
 
 お姉ちゃんが仕事をするとき、お客さんを呼ぶために目立つ必要があったから、私一生懸命覚えたわ。
 
 お姉ちゃんは春を売るのが仕事だった。
 一晩、お金持ちの商人さんや兵隊さんと一緒にすごしてお金をもらうの。
 でも、お姉ちゃんは仕事の後、いつも悲しそうだった。
 
 いつも私に言ってた。
 〈貴女だけは私のようになっちゃだめよ〉って。
 
 お姉ちゃん以外にも私には兄弟がいたけど、お兄ちゃんのうち一人は威張ってばかりだった。
 もう一人のお兄ちゃんは凄く意地悪だった。
 末の弟は身体が大きくて、たくさん食べた。
 
 私の国で女の人は男の人の言うことを絶対聞かなきゃいけないの。
 だから私はお姉ちゃんとお母さんと一緒に仕事をして、お金を稼いで、そのお金をお父さんがお酒に変えたり兵隊さんに渡すの。

 みんなそれが普通だと、何も感じずに、ああそうなんだって思ってる。
 私は運がよくて言葉が分かるようになったから、なんとなく私の国が悲しい国なんだって分かってたんだ。
 
 西からクレメント先生がやってきて、教会で言葉を教えてくれたの。
 お姉ちゃんは西の言葉が分からないからって、言葉を知りたがってたから、私一生懸命覚えたわ。
 
 それで私、字を書けたし、読めたし、数も分かった。
 嘘吐きのお客さんはすぐに見抜いたし、おふれの張り紙だって読めたんだよ。
 
 私が踊って、優しいお金持ちのお客さんを呼んで、たくさんお金を稼いで…
 あるとき、お姉ちゃんを身請けしたいっていう商人さんがあらわれたの。
 
 私にも贈り物をくれて、お姉ちゃんのことを働かせないようにって、何日分ものお金をくれた。
 お姉ちゃんもその人と一緒のときは嬉しそうだった。
 
 だけど、戦争が始まって、お姉ちゃんを身請けしてくれるって人は殺されちゃった…
 お姉ちゃん、そのとき隠れて泣いてた…

 そして、一番上のお兄ちゃんが兵隊さんになって、すぐ死んじゃった。
 
 お金持ちの商人さんが来なくなって、けちで乱暴な兵隊さんの相手をしてたらお姉ちゃん、病気になっちゃった。

 すぐ上のお兄ちゃんはお腹がすいて、泥棒して兵隊さんに殺されちゃった。

 弟も流行り病で死んじゃった。
 
 お母さんは、病気のお姉ちゃんに無理させようとしたお父さんを止めて殴られて、動けなくなって、すぐに死んじゃった。
 
 お姉ちゃんはお父さんに無理やり仕事をさせられて、次の日血を吐いて…そのときのお姉ちゃんは、凄く痩せてた。
 多分、兵隊さんに殴られてお腹が破れてたんだと思う。
 お昼頃に死んじゃった…
 
 もうお酒の飲みすぎで、一人でお金を作れないお父さんは、私をその日のお酒の代金として売ったの。
 
 商人さんに私を売るとき、お父さんが言ってた。
 
 〈お前は俺の子供じゃない。死んだ淫売が糞忌々しい兵隊に犯されて出来た子供だ〉って。
 
 だから私はナクシャ。
 〈いらない子〉なんだって…」
 
 話し終えたラムーナはうつむく。
 
「そのあと、私は船に乗せられてあちこち連れまわされたんだ。
 
 だけど私は痩せてて、背が小さくて。
 それにちょうど目の上に物貰いができてたから、醜いって買い手が無くて。
 
 買い手がつくまで逃げないようにって、足の指に穴をあけられて、暗い船の底にいたの。
 
 だけど途中で凄く船が揺れて、沈んじゃって、私は痩せてて手枷がゆるかったから外れて、流されないように浮いてた板にしがみついたのは憶えてるけど…
 足が痛くて、苦しくて気を失って。
 
 流れ着いた私を、親切な漁師のおじいさんが助けてくれたの。
 浜で気を失ってたんだって。
 
 おじいさん、御飯をくれて優しくして…
 でも自分も貧乏で御飯が無くて、自分の食べる分をくれるから、私お礼を言って出てきちゃった。
 
 行くあても無くて、馬車の干し草に逃げ込んで寝てたら、いつの間にかリューンに着いたんだ。

 干し草からそっと逃げて、歩いてたら、ロマンが怖い人たちに絡まれてて。
 本当はああいうところで、助けに入ると殺されちゃうから、助けちゃ行けないって言われてたんだけど、私は〈いらない子〉だから死んでもいいかなって、助けようとして…
 
 えへへ、足が痛くて滑って失敗しちゃった」

 そしてラムーナはシグルトを見上げる。
 
「でもね、シグルトがいたの。
 
 ロマンを助けて、〈頑張ったな〉って笑ってた。
 …お姉ちゃんみたいに優しい顔をしていたの。
 
 そのときね、そのときに…シグルトと、家族になりたいなって思ったの」
 
 涙に濡れた少女の瞳は、少し怯えるようにシグルトを見つめている。
 シグルトは柔らかに微笑んで、その頭に手を乗せた。
 
「…じゃあ、もう大丈夫だな。
 
 俺とラムーナは〈パーティ〉ていう家族だからな」
 
 シグルトがそう言うと、ラムーナはしがみついて涙を流した。
 優しくその背を撫でてやる。
 
「…その中にはもちろん私もいるわよね~?」
 
 仲間の盗み聞きにため息が出る。
 
「隠れて聞くのは盗賊の本分だろうが、素人が一緒だと気配が筒抜けだぞ」
 
 その言葉に従って、「隠れて無いよ~」とロマン、「うむ、出る機会を失ってな…」とスピッキオが顔を出した。
 
「…みんな…」
 
 涙でぼやけるラムーナを、レベッカが優しく抱きしめる。
 
「私は、あんたの姉ちゃんほど好い人じゃないけどさ。
 
 あんたは可愛い妹よ。
 両腕にかけても、ラムーナは私の大切な家族よ」
 
 レベッカは盗賊が何よりも大切にする両手にかけて誓い、ラムーナの頭を撫でながらその瞳をじっと見る。
 いつもの冷酷な彼女とは思えないほど、優しい眼差しだった。
 
「私はね、抜け殻だったのよ、あんたたちと出会うまではね。
 
 汚れた仕事も、悪いこともたくさんやってきたけど、いっつも満たされてなかった。
 あげくは酒と美味しいものを食らって、だらけていただけ。
 
 だけど、今はあんたたちと楽しくやってる。
 苦い味の泥を何度も啜ってきたけど、今あんたたちと日向の匂いをいっぱい浴びてる。
 この冷酷非情な盗賊の私をこんな気持ちにさせたんだから、責任取りなさい。
 
 あんたたちがどう思ってても、みんなこのレベッカ姐さんの大切な身内なんだからね。
 
 でも、ラムーナは中でも特別。
 同じ女だもの。
 
 お姉ちゃんになれるのは私だけなんだからね」
 
 そう言ってまたラムーナを抱きしめる。
 だらけたいつものレベッカではなかった。
 ラムーナをしっかりと抱擁している姿は、まるで生まれたばかりの赤子を抱いている慈母のように美しい。
 
「うん、血はつながってないけど絆のある家族だよね。
 
 血よりも濃い絆ってあると思う。
 大人の残した言葉にしては、好い言葉だよ」
 
 ロマンがそういって素直に微笑む。
 
「わしはお前たちとの出会いを神に感謝しておる。
 
 わしが目の当たりにしてきたいかなる神秘も、この尊い奇跡には及ぶまい。
 共に歩もう、家族という聖域を作りながら」
 
 そういって十字を切ったスピッキオはとても優しい顔をして、細い目をさらに細めた。
 
「俺は“風を纏う者”という家族として集えたことを誇りに思う。
 
 たとえ果てる場所が違っても、誰かが先に逝くとしても、俺の命が無くなるとしても。
 俺は忘れずに、この心にお前たちの存在を刻んでおく。
 おまえたちを、掛け替えのない名誉に思う。
 
 集えたことを、ともに歩めることをお前たちに感謝する。
 
 ラムーナ、ありがとう…俺を家族と思ってくれて」
 
 シグルトがラムーナの手をしっかりと握り締めた。
 レベッカが、ロマンが、スピッキオが、その手に自分の手を重ねてみせた。
 
「ここに絆の風を纏って誓おう。
 
 俺たちは“風を纏う者”。
 
 冒険者のパーティという、掛替えのない家族だ」
 
 ラムーナは涙で潤んだ瞳を喜びで満ち溢れさせ、大きく頷いて、輝くお日様のように、にっこりと笑った。

 
 朝になり、一行は朝食を済ませる。

 なぜかジゼルとディエゴは目元が赤い。
 二人そろって、夢見が悪かったせいだと言っていた。

 山頂付近には水場が無い。
 朝食は、水気の多い毒の無い草木を切ってから夜間横にして切り口から染み出す水を集めたものの、葉に着いた霜を融かして集めたもの、持参した水、酒を加えて割り増しした煮汁に、獣肉や山菜を刻んで入れたスープだ。

 海水であっても、三分の一程度までなら真水と混ぜて急場の飲用水にできる。
 水分を手持ちの皮臭くなった水と混ぜてかさ増しする知識は、冒険者の野外知識の中でも代表的なものだ。
 むろん、そんな混ぜ物の飲料ばかり取れば腎臓を傷めることになるのだが、新しい水を確保するまでの急場しのぎにはできる。

 旅では水の確保が最も難しく、澱んだ流れの遅い川から汲んだ水は沸かしても腹を壊す代物だ。
 通常の野営は水場のある泉や沢の近くで行うものだが、冬場は沢の水が少なく山頂や尾根には水場となる場所は全く見当たらない。
 そういう場合に水分をいかに補給するかが、冒険者の知恵であった。

 薬膳のような味のするスープだったが、夜風で冷えた身体に熱を取り戻し、一日の最初の活力と水分を補給できるので効率的であった。
 硬い干し肉を齧るよりははるかにましだ。

「〈灰敷き〉というのは好いですね。

 暖かく、朝までぐっすりと休めました」

 手元の器に半分ほど入ったお茶をすすりながら、ほっこりとした様子でアンガスが白い息を吐く。

 冬の山頂は肌がピリピリするほど空気が冷たい。

 朝一番に起き出したシグルトとラムーナは、身体を温めるために十分ほど剣の鍛錬をしてから、竃用の薪を集めてきた。
 レベッカはジゼルを起こして朝食の下ごしらえをし、ロマンは火の番、スピッキオとディエゴは天幕の撤去と残飯やゴミの後始末をする。
 皆、朝から勤労に勤しんだ。

 食事を済ませると、一行は出発する。
 今度は下り道である。

「ふむ、そろそろ霜柱が溶けてきたな。

 道が泥濘になるから、注意するといい」

 下り道での滑落は大変危険である。
 杖を使って体重を支えながら、慎重に泥濘を踏破していく。

 そんな中、ラムーナは舞踏のステップを応用して、軽妙に進んでいた。

 途中、冷えた身体を温めるためとディエゴに酒を勧められるが、それが銘酒【アーシウムの赤】であると知ると、レベッカは昼間から酒を飲むのはとんでもないと貰った酒を開いた皮袋にしまい込んでしまった。
 あとで飲むつもりかもしれない。
 
「ドワーフって、噂通りお酒が大好きなんだね」

 一杯やって上機嫌なディエゴを横目で見ながら、ロマンがジト目をして呟く。

「ドワーフの食事と飲酒を理由なく止めるのは、喧嘩を売る行為だと言われている。
 エールは水、ワインはお茶、蒸留して作った火酒でようやく一息つく…だったか。

 北方にある火酒の中には、横で煙草を吸うと火達磨になる代物がある。
 あれは薬を生成する時に役立つし、少し薄めると傷を清めるのに使えるんだが、ドワーフの前でそれをやると酒への冒涜だと嘆かれるな」

 シグルトの言葉にディエゴが、顎髭についた酒の雫を拭いながら頷く。

「北方のヴォトカやスピリタスは、数少ない腹にたまる酒だ。
 ドワーフの中には、手に入れるために身代を潰した愚か者もいる。

 酒の精は飲んでこそ喜ぶものだぞ?」

 ガッハッハ、と笑うディエゴに「酒精は脳と肝を腐らせるんだよ」と辛辣なロマンである。

 道を下りながら邪魔な石をどけると、冬眠していた蛙がのそのそと出てきたりする。
 一行の中に蛙が苦手な者はいなかったので、通った後にそっと石を戻す。

「蛙って寒くなると見ないけど、こうやって冬を越すんだね。

 熊みたい」

 感心しているジゼルに、「大抵の虫や蛇、トカゲなんかは似たような越冬の仕方をするんだよ」とロマンが蘊蓄を披露していた。

 秋に台風にでもあったのだろうか。
 下りの道には多数の岩が転がっていて、道を遮るものもあった。

 一つ、巨大な岩が道を塞いでいたのでシグルトとディエゴが協力してどかすと、その下で巨大な蛇が丸まっている。
 この山に住むパイソンであろう。

 ディエゴが斧を構え、ジゼルも弓をつがえようとするが、シグルトがそれを制した。

「この時期の蛇は大人しい。
 手を出さないでいれば、そのうち去って行くはずだ。

 動きも鈍いから、横を通過すればいいだろう」

 シグルトの言う通り、ちょっかいをかけずに横を通ろうとすると、パイソンはその反対側の方にゆっくりと去って行った。
 冬眠から起こされて随分と迷惑に思ったかもしれない。

(父ちゃんを思い出すわね…)

 感慨深げに去って行く大蛇を見ているレベッカである。
 彼女の育ての親で盗賊の師である男は、絞殺や絞め技を得意にしたことから“錦蛇(パイソン)”という二つ名で呼ばれていた。

 泥濘に足を取られ疲労を重ねつつも、薬草を見つけたり雑談をしながら、一行は何とか下って行く。
 湿った足のせいで冷えたのか、アンガスが時折くしゃみをしていた。

「うむ、そろそろ一休止すべきか」

 レベッカが、途中に乾いた岩場を見つけたと報告してきたので、シグルトは昼食を兼ねた休憩を決定する。

 岩場の近くには小さな沢があり、水を補給することもできそうだった。
 しかし、水場の確認をしていたレベッカが眉根を寄せて地面を指示した。

「足跡が複数あるわ。
 多分ゴブリンのものね。

 岩場にあるあの洞窟。
 足跡が新しいし、獣の骨が転がってるから、小規模の群れがあの中にいるわね。

 どうする?」

 しばし黙考したシグルト。

「…後ろから矢を射かけられたりすれば被害甚大だな。
 スピッキオ、皆に【癒しの奇跡】を使ってくれ。
 疲労困憊の状態では対処しきれん。

 アンガス氏。
 申し訳ありませんが、後ろからゴブリンに襲撃される可能性を考えて、洞窟を精査し問題を排除しておこうと思います。
 群れの規模はそれほど大きくないようですし、我々の実力であれば撃破はたやすいでしょう。

 安全な場所で休んでいてください」

 過去にゴブリンの巣穴を無視して、背後から襲われ半壊したパーティがいたことを理由に、シグルトは後顧の憂いを経つ選択を選んだ。
 スピッキオの使った神聖術の効果で、一行の疲労が見る間に回復する。

「これが治癒術なんだ。

 さっきまで足ががくがくしてたのに、昨日の筋肉痛まで消えちゃった」

 初めて治癒術を受けたことに、ジゼルは驚きを隠せない。
 持病を直すために様々な薬や治療を試したが、教会の治癒術を受けるのは多額の寄付が必要であり、しかも病気に効く類のものはまずないので、受けた経験がなかったのだ。

「なんと…一瞬で全員に治癒を施すとは。

 高等な術ではないか?」

 ディエゴやアンガスも驚いた様子だった。

 スピッキオの使った【癒しの奇跡】は、聖海教会に伝わる治癒術の中でも強力なものだ。
 複数の者を傷薬を使った程度に癒す術であり、何度も使えるわけではないが、一度の使用によるコストの面では群を抜いている。

「ほほ、疲労による筋肉の痛みは治さん方が身体の強化につながるんじゃがの」

 治癒術の多用は筋肉の強化を妨げてしまう副作用がある。
 筋肉痛そのものが、酷使による筋肉の破損と再生からなるのだから、筋肉が強化して再生される前に癒してしまえば〈元に戻る〉のは至極当然なのだが。

「では、隊列を指示する。

 まずディエゴはアンガス氏の側で護衛を…」

 シグルトの指示に、ディエゴは頭を振った。

「ドワーフである私に、ゴブリンを前にして手を出すなと?

 あいつらは銀を腐らせるコボルトどもと並んで、私たちにとって不倶戴天の敵だ」

 ディエゴは好戦的な眼差しになり、斧の柄を撫でる。

 鉱山や洞窟に籠ることが多いゴブリンは、ドワーフと生活圏が被る場合が多い。
 特にディエゴのように山岳を中心に活動するドワーフは、コボルトとゴブリンは蛇蝎の如く忌み嫌っているのだ。 

 戦意を剥き出しにしたディエゴに対し、アンガスは一人で外に待機することを希望し、結局残り全員で対処することになった。

 下級妖魔であるゴブリンは性格が邪悪であることも知られ、弱い者をいたぶったり、奇襲を仕掛けてくることもある。
 基本的には駆除の対象だ。

(そういえば、ヒバリ村の廃坑に住んでいたゴブリンは凄く知能の高い奴がいたけど、普通の妖魔と人間は基本的に相いれないんだよね…)

 ゴブリンなどの妖魔は雌が生まれることが少なく、人間や亜人の女性を拘束して繁殖の道具にすることもある。
 苗床にされた女性の末路は、生まれる子供の餌か嬲り殺しであり、助け出しても精神や肉体に異常が発生して助からないので殺して楽にしてやることが常だ。

 中には人間と友好関係を築いたというゴブリンの〈物語〉も存在するが、実際に生態を目の当たりにした冒険者の視点から見れば、幻想だと切って捨てられる。
 連中に慈悲を見せるのは、作物を荒らす害獣に対して畑の柵を開くのに等しいのだ。

「ここには柱や幡(はた)といったシンボルサインが無い。

 おそらくシャーマン種はいないだろう。
 足跡から見てホブゴブリンやロード、コボルトもいないと思われる。

 とはいえ、人型のモンスターで狡猾な相手だ。
 油断なく対処してくれ」

 洞窟の前でシグルトが言った警告に、ジゼルが首を傾げた。

「シンボルサインって何?」

 その問いには、ロマンが横から蘊蓄を始める。

「ゴブリンは独特の呪術的信仰を持っていて、信仰する神や精霊、部族の象徴なんかを柱や幡にして立てることがあるんだ。
 他には独特の文字絵を描いていたり、獣の骨で祭壇を組んでいたり…

 それがあるってことは祭祀をするゴブリンシャーマン…術師系の高度な知能を持つゴブリンがいるってこと。
 あとは子供みたいなやや小さい足跡があるとか。

 ここにはそういったものが無いから、魔法を使ってくる敵がいないと考えていいねってわかるわけ。
 
 洞窟の入り口に特殊な木彫りの像や、動物なんかの髑髏と皮で作った幡が立ててあった時は、他のゴブリンの群れを威嚇するためにあるんだって言われてる。
 勢力があるっていう示威でもあるから、シンボルサインがあるゴブリンのねぐらを襲撃する時は注意が必要なんだよ」

 ゴブリンという妖魔は、それなりの知性と文化を持つ。
 人間や亜人種と同じく武具や道具を使い、魔法を使えたり信仰を持つ者すら存在するのだ。
 目に見える文化的傾向から群れの規模や勢力をある程度予測可能であり、足跡や残飯などの痕跡から更に情報を精査できる。

 “風を纏う者”は何度かゴブリンを討滅しており、先日もアレトゥーザ近郊でダークエルフに率いられていたゴブリンの群れを全滅させていた。

 単純だと思っていた冒険者の仕事だが、実際に指導を受けてみると憶えなければならないことが多い。
 同時に、冒険者の中から数多くの英雄と呼ばれる者が出現することも、なんとなく理由が分かる。
 彼らは知恵を絞って新しいことや困難に挑戦し、克服してきたのだ。

 決戦に備えて緊張していると、レベッカが突入用に松明を作りジゼルに渡した。

「ジゼルちゃんは後衛で明かり持ちね。
 あとは私とスピッキオが持つわ。

 松明の明かりは目がちらつくから、直に見たりしないようにしなさい。
 あまり火ばかり見ていると、敵の影を見逃してしまうから」

 松明や篝火による灯火は、あまり良い明かりではない。
 例えば、光を乱反射させる白い布で囲った物や、鏡を使ったランタンと比べてみると一目瞭然。

 松明は、燃える時に小さな爆発を起こしたり風で揺らぐ。
 揺らぎの多い灯火の元では、闇の濃い部分のわずかな動作を視認することがとても難しい。

 スピッキオが一人だけランタンを持っている。
 複数の明かりを用意するのは、ゴブリンに明かりを持つものが襲われた場合、暗闇で戦う羽目になるからだ。

「隊列は俺、ディエゴ、ラムーナが前衛。
 壁役が義務だ。
 陣を崩さず、敵を防衛線から絶対に通さないように。
 ロマンの魔法で敵が眠ったら、できるだけ起きてる奴から倒す。
 眠ってる奴だけになったら、確実に止めを刺すこと。

 最前列で斥候をレベッカに。
 敵と遭遇したら無理せず下がれ。
 もし洞窟の広さの関係で下がれない時は、魔法の指輪で身を隠して凌ぐようにな。
 行けるようなら、眠った敵の止めを刺して行ってくれ。

 ロマン、スピッキオ、ジゼルは後衛。

 妖魔の群れを相手にする時は基本、眠りの魔術が一番優位だ。
 ロマンは【眠りの雲】を最優先で使ってくれ。

 スピッキオは回復とその準備に専念。
 余裕があるなら、ジゼルやロマン、自身に防御の神聖術を頼む。
 前衛はラムーナの支援を優先でな。

 ジゼルは無理をせず、弓を撃てる状況で対応してくれ。
 可能なら、後ろから別の敵が奇襲してこないか警戒してくれればいい。
 絶対に敵と近接戦で戦うなよ。
 お前はまだ白兵戦には不慣れだ。

 狭い洞窟内は大振りができん。
 武器が無理なら、殴るか転ばせて頸部を踏み潰せ。

 敵の死んだふりに注意して、死亡の確認と止めを忘れるな。

 では、行くぞ」

 シグルトは隊列を決めて、戦闘の指針を示す。
 彼の戦闘指揮官ぶりは、ディエゴもジゼルも獣との戦いで見ているので不安が無い。
 彼の作戦は合理的であり、仲間の安全を最優先にしたものだ。

 一行が慎重に進むと、すぐに洞窟の最奥の空間に行き着く。
 
 なんとも言えないすえた臭いが漂っていた。
 糞尿と腐った肉が混ざったような悪臭だ。

 一行の持つ灯火に照らされて、緑色の肌の矮躯が歯を剥きだして威嚇してきた。

 敵はやはりゴブリンである。
 数は七匹、ホブゴブリンやシャーマンなどの変異種はいない。

 最前列にいた斥候役のレベッカに、一匹が飛び掛かってくるが、彼女は松明を地面に放って姿を消した。
 まさにぱっと消えた形である。
 集中すると透明化する魔法の指輪【シャイ・リング】を使用したのだ。

 攻撃が空を切り、そのゴブリンは訳が分からないという表情をした。

 反撃は苛烈だった。
 シグルトが精霊の放つ風の勢いに乗って近くにいた一体を殴り殺し、ロマンが呪文を唱えると他のゴブリンたちも次々と眠りに落ちる。

 間髪を容れずディエゴが一匹を斧で屠っていた。
 しかし、勇み足してわずかに前衛に穴が開く。

 よろめいていた一匹のゴブリンが、一行の間を抜け走った。
 まっすぐに明かりを持つジゼルとスピッキオに向かってくる。

 強力な体当たりを受けて、ジゼルの息が止まった。
 吹っ飛んだ松明が派手に火の粉を撒き散らす。

(…あぁっ…)

 視界が真っ赤に染まっている。
 鈍い音と感覚から、骨のどれかにひびが入ったかもしれない。

 激痛と危機感に対して脳内に麻薬物質が大量に出て、一時的に痛みをシャットアウトしていた。
 視線が染まる酩酊のような状態は、そのせいだ。

 耳鳴りの向こう側で、シグルトが自分を呼ぶ声が聞こえる。
 死ぬのかもしれないという恐怖が、ジワリと背筋を這い上がって脇の下が湿って行く。

「《主よ!》」

 高らかに発せられたスピッキオの聖句の後、すっと視界がクリアになる。
 癒しの神聖術を受けたのだろう。

「ラムーナ、松明だっ!」

 シグルトが叫ぶと、ラムーナが落ちていた松明を蹴り上げた。
 ばらばらと火花が降り注ぎ、一瞬だけ照らされたゴブリンの喉をラムーナが穿ち抜く。

「わ、私は平気…!」

 必死に声を絞り出すジゼルの肩をポンと叩いて、シグルトはすぐに眠った残りのゴブリンの止めを刺しに行く。
 振り返り際に血振りをしていた。

 後はあっけなかった。
 二呼吸とかからず、すべてのゴブリンが急所を穿たれて死体に変わった。

「レベッカ、ラムーナ、死んだふりの奴がいないか確認してくれ」

 女性二人にゴブリンの後始末を任せると、シグルトはジゼルに駆け寄り打撲個所を確認する。

「…あはは、失敗しちゃった」

 精一杯強がって見せるジゼル。
 すでに痛みは無い。

「…うむ、姿勢に不自然なところはない。
 スピッキオの癒しの術でほぼ完治したのだろう。

 音からして、たぶん骨にひびが入っていたかもしれん。
 歩いて激痛がしたり眩暈がするようならすぐに言うんだぞ。

 よく意識を手放さずに耐えきった。
 受け身が良かったのだろう」

 思い出してみれば、とっさに身体を丸めて急所を庇ったような気もする。
 にわかに足の力が抜けてくず折れそうになると、シグルトがさっと支えてくれた。

(これが本当の戦い…)

 狼の時とは違い、実際に傷を負い痛みをはっきりと感じた。
 ダメージが大きいと、ああも視界が変わるのだと初めて体験して知った。

「ディエゴ…ゴブリンを憎むのは分かるが勇み過ぎだ。
 アンガス氏の側にいる時は、こんな風にならないようにしてくれ。

 ラムーナ、松明は良い判断だった。
 だが、その前に横を抜けられたのはお互い失敗だったな」

 シグルトはがみがみ怒ったりせずに、前衛にできたわずかな隙を突かれたことを少しだけ咎めた。
 しっかりと後衛のロマンを守り、眠った敵を確認するまで前衛として陣形を崩さなかったシグルトからのお叱りである。
 今回ジゼルが怪我をしたのは、前衛の不手際だと言っているのだ。

 フォローしようとしてジゼルが口を開きかけると、シグルトに鋭い一瞥を貰った。

(お前はまだ見習いだ。

 口を噤んでいろ)

 彼の目はそう語っていた。
 出かかった言葉を慌てて飲み込む。

「す、すまん」

 ディエゴが困ったように頭を下げた。
 彼は派手に斧の技を使っていた。

「うん、あの時に足払いでも仕掛けておくべきだったね。

 失敗してごめんね…」

 ラムーナも自分の非を認めて仲間に頭を下げた。

「これを反省に、次は壁を維持しよう。

 戻った後ディエゴはアンガス氏の側をしっかり守ってくれ。
 ラムーナは突出しすぎる傾向があるから、防衛の領域に穴を開けないようにな」

 シグルトはそう言うと、すぐにゴブリンの死体処理を始める。

 戦闘に関して、シグルトはとても厳しい。
 かといって、感情的に怒りをぶつけることは全く無い。
 淡々と問題のある個所を示して、次の対策を注意する。

 指揮官に一番大切なこと。
 それは〈道理〉だというのが、シグルトの持論である。
 後輩を指導する時も、〈厳しいが道理を通す〉というのがシグルトの教導方針だ。

 実際に、シグルトはパーティの誰よりも誠実に道理を守る傾向がある。
 叱ることはあるが、理不尽な怒りを露にすることはまずない。

(そういえば…シグルトがウェーベル村に来たのも、熊退治の依頼料に関して不適当なのを指摘するためだったって、お父さんが言ってたわ)

 シグルトという人物を見る時、〈正義感〉はあまり感じない。
 彼は他人に自分の正義を押し付けたりしないのだ。
 ウェーベル村の熊退治に関しても、〈道理を守ってほしい〉と村長に頼んだだけで強要はしなかった。
 こういう人物だからこそ、曲の強い面子が絶対の信頼を寄せて従うのだろう。

 死体の処理が終わると、洞窟内をレベッカが調査する。

 人間の遺体遺骨が発見され、そこにはナイフによる刺し傷があった。
 ゴブリンたちによる犠牲者だろう。
 すでに骨と皮ばかりとなり、ぱっと見た様子では性別もわからない。
 
「…骨格では男だな。
 体格から成人男性、年寄りではない。
 死因は無数の刺傷と裂傷、ゴブリンによるものだろう。

 おそらくは山を越えようとした旅人の者だ。
 グリュワ村の関係者かもしれん。
 あとでアンガス氏に報告をしておこう」

 遺体の上に軽く土をかぶせ、目印に石を置く。

 レベッカが、遺体の持ち物だったらしい護身用の短剣を見つけて回収していた。
 ただ働き同然の討伐で、少しでも元を取ろうという考えなのだろうが、短剣自身は市販の安物のようだった。

 一行が戻ると、シグルトが洞窟に棲息していたゴブリンと遺体のことをアンガスに話し、アンガスはここ数年で行方不明になった者はいないか確認すると請け負った。

 水分を補給し小休止してから、一行はまた下山を継続する。
 道中はまた赤いコカを発見してそれを回収する程度で、しばらくは問題無く山道を下って行った。

 だいぶ緩やかな道に差し掛かり、斥候役のレベッカが一行を止めた。

「…破れた財布が転がってるわ。
 ここで誰か襲われたのかしらね。

 銀貨が二十枚。
 ちょっとした儲けになったけど、こんなところで落ちてるってことは不自然かしら。

 たぶん、アレが原因かも」

 レベッカが指し示す茂みには、背の高い植物が見える。
 ロマンが興奮したように警告を発した。

「キラープラントだ。
 周囲の植物に混じって、擬態して獣を襲って捕食する危険生物だよ。

 獰猛で人も襲うんだけど、道に面してるから倒さないと通れないよね。
 僕の魔術で撃退しようか?」

 シグルトは敵影を確認すると、ジゼルを見た。

「ジゼル、お前がやってみろ。

 討ち漏らしたら、俺たちで対処する」

 先ほどの負傷を苦にして口数が少なかったことを、このリーダーははっきりと見抜いていたのだ。
 敵を倒す経験をして自信をつけ、そのついでに名誉を挽回しろ、ということである。

 ただ首肯して、すぐに弓を構え、慎重に狙いを定めて矢を放った。
 放物線を描いて風を切ると、矢はふわりと落ちるように的に吸い込まれていく。

 【貫雀の穿】。
 現在ジゼルが最も得意とする弓の技だ。

 距離は約百メートル。
 正確に放たれた矢はキラープラントの太い茎を断ち切り、その頭がボトリと落ちる。
 神業と言って良い、正確な射撃だった。

 レベッカが口笛を吹き、アンガスが思わず拍手をする。

 すかさずシグルトが頭を踏み潰し、根を突いて断ち切った。
 この手の植物や虫の怪物は、痛覚や精神を持たないため、頭を落としたり殺したはずでも動いて襲い掛かってくる場合がある。

「こういうモンスターはしぶとい。

 蛇や蜥蜴の類も、仕留めたら必ず頭や尾の処理をすること。
 毒牙のある類は、頭を埋めておくのがマナーだ。
 植物系は根を絶たないと再生する場合もある。

 …あの距離で頭を落としたのは、見事だった」

 事後処理を終えたシグルトはジゼルを呼び寄せると、最初に教導をしてから、結果を褒めてくれた。

「狩猟弓の有効射程距離ってそんなにないはずなんだけど、頭を落とせるものなんだね」

 キラープラントの切り口を確認しながら、ロマンが感嘆していた。

 この時代の一般的な弓の有効射程(正確に狙える距離)は九十メートルほど。
 最大射程は良質の弓でも四百メートル、体格が変わるほど熟達した弓兵の強弓で五百メートル。
 一般人の的中率は三十メートル程度でも難しい。

 達人が強い弓で特別な技を使えば一キロ離れた場所への遠当ても可能とされるが、実際に狙って矢を百メートル以上飛ばすのはそれだけで技量を要する。
 極東の国で祭事に〈三十三間の通し矢〉というものがあるが、三十三間が約百二十一メートル。

「動かない的だったし、無風で高い場所にも障害物が無かったからね」

 照れたように弓を撫でながら、少し複雑な気持ちでジゼルは苦笑した。

 女性の射手は、どう足掻いても弓の射程距離が落ちる。

 第一に筋力。
 熟達すれば関係ないと言う者もいるが、射程は基本的に弓の強さによる。

 第二に体格。
 女性では、身長も目線の高さも腕の長さも男性に劣る。
 そのわずかな差が、射程が伸びるほど深刻な影響を与えるのだ。

 第三に性別特有の起伏。
 ある女性の戦闘民族は、射撃の技能を維持するために胸を切除していたと伝わるほどで、女性の胸部は射撃にとって邪魔だ。
 胸当てを当てればある程度抑えられるが、ジゼルの友人である女性たちの中には「胸のせいで弓など無理」などと自慢する娘までいた。
 …射撃に障りが無いということは、女性としてある意味劣等感を刺激するのである。

 敵が動き回る乱戦で実際に弓を使ってみると、現状はまだ矢も放てていない。

「ま、私たち女には〈眼〉があるからね。
 
 ジゼルちゃんの技巧なら、慣れれば大丈夫よ」

 休憩時にレベッカが言っていたが、女性の色彩に対する認識力は男性より優れており、的を知覚して狙う能力は優れているはずなんだとか。
 それを励みに、もっと努力しようと密かに誓う。

 無事に障害を突破してさらに下ると、今度は道を塞ぐように枝が張り出して通行が困難な場所に出た。
 帰郷のため、荷物をたくさん持っているアンガスは困り顔だ。

「…レベッカ。

 さっき洞窟で手に入れた短剣があったな?」

 シグルトは古びた短剣をレベッカの使っていた杖の先に結ぶと、勢いをつけて振り下ろし、邪魔な枝を払い落した。
 同時に周囲の茂みも刈り払う。

「こうすれば、力が無い女子供でも道を切り開ける。

 山に入る依頼の場合は、山刀(マシェット)や手斧を持っていると便利だぞ」

 長くすることで、遠心力と重量を増すのがポイントだとシグルトは言う。

「君は槍も使えるようだな。

 熟練した動作だ」

 ディエゴの言葉に、あっ、とジゼルも納得したような声を上げた。
 剣を振っている時より、綺麗で無駄の無い動きに感じたのだ。

「…大したものではないさ」

 苦笑したシグルトには、自嘲の気配があった。
 拙い話題だったと、周囲の者も何となく察する。

 場を繕うようにアンガスが、自分の商売で扱っている果実酒はいらないかという話題になり、レベッカとディエゴが目の色を変えて飛びついていた。

 一通り障害を刈り終えると、シグルトはさっさと短剣を結んだ紐をほどいて杖をレベッカに返却する。

「…もうすぐこの下り道も終わりだ」

 そう語る男の背中には、どこか人生という山の起伏を感じさせ、哀愁が漂っていた。


 ほぼ下山が終了するという時点で、レベッカが錆びた剣を見つけた。
 明らかに戦闘用の武器で、錆びは浮いているが使えないレベルではない。

「これは、放置されて数日というところか。

 …妙だな」

 剣を拾い上げたシグルトが眉根を寄せた。

「ええ。

 最後にひと波乱ありそうね」

 レベッカが頷くと、ラムーナが剣を抜いて警戒を始める。

「スピッキオ、念のためだ。
 ラムーナ、ロマン、ジゼルそしてお前に守護の神聖術を。

 例の盗賊狩りの時期を考えれば、この先に逃亡した野盗の類がいるかもしれん。

 レベッカとジゼルは、周囲の茂みに注意してくれ。
 鏃や刃物の光を感じたらハンドサインで。

 アンガス氏、中央へ。
 ディエゴはその脇だ。

 ロマンはその後ろ、敵が集団なら【眠りの雲】を最優先だ。

 スピッキオは前。
 回復最優先だ。
 今は様子を見て温存するが、戦闘が始まって余裕があるなら、レベッカやディエゴの守りの術を。

 ラムーナ、まずはあまり突出せずに、敵が弓の類を持っていたら盾でアンガス氏を守ってくれ。

 レベッカは開戦後、眠った奴の止めを頼む。

 ジゼル、もしかしたら対人戦になるかもしれん。
 自分と同じ人間を相手にするのは、妖魔や獣を相手にするのとはわけが違う。

 今回は、後ろからできる射撃で援護してくれれば、それでいい。
 決して容赦するな。
 矢を撃つなら、殺傷を躊躇うだけで〈覚悟のない奴〉として狙われるぞ。

 盗賊の類は、弱い女子供を人質にしようとする。
 隙を見せて捕まったのなら、普通の冒険者なら〈見捨てられる〉のが常だ。
 決して捕まるな。

 もし捕まったら、自身が致命傷を受けていると思え。
 そう決めれば、意外に身体が動く。
 仲間に助ける意思があったとしても、動揺を見せず一緒に斬り殺すつもりで向かうだろうから、必死に逃れるチャンスを作れ。
 できなければ一緒に殺される。

 このことを、忘れるな」

 仲間に戦術を指示した後、シグルトはジゼルに厳しい指示を出した。

「あらら、シグルトったら甘いわね~

 ジゼルちゃん、捕まった時は私が殺してあげるから。
 そのほうが足手まといにならなくて安心でしょ?」

 レベッカが唇を三日月型に釣り上げた。
 目が笑っていない。

「その時可能なら、【眠りの雲】で一緒に眠らせるよ。

 巻き込まれても、運が良ければ助かるし」

 ジゼルの方を向きもせず、ロマンが断言する。

「捕まった時、私が剣を振るったら精一杯首をのけぞらせてね。
 成功すれば首が切れないから。

 人質を意識してる敵は、動きが鈍るから倒すチャンスなんだ」

 ラムーナもまったく容赦がなかった。

 うぐぐ、と目を剥いていると、スピッキオが困ったような表情で忠告をくれる。

「対人戦の教導は、望むならばしっかり準備してからやるもんじゃがの。
 今回は仕方あるまいて。

 新人が一番よくやるポカの一つに、勇んだり殺傷を躊躇って捕まってしまうパターンがあるんじゃ。
 人質ができた時は、巻き込んでも捕まえている敵を速攻で潰すのが冒険者の常道なんじゃよ。
 そのぐらい容赦が無い方が、新しい人質も取られんし、仲間が手を出せなくて全滅することも無い。
 これができんのは、仲間を信頼しておらんということでもある。

 逆の場合も、決して容赦しなくてよい。
 できぬなら、リューンで別の道を探しなされ」

 人質に対する同士討ちに関しては、冒険者ごとにスタイルが違う。
 現在の“風を纏う者”の方針は、〈仲間の足かせになるぐらいなら、死ぬか敵の足を引っ張る〉だった。

 むしろ、人質になった状況すら利用して敵を貶める。
 冒険者の自由とは、命を質にしたサバイバルの結果得られるのだ。

 “風を纏う者”がこの厳しい方針を採れるのは、仲間への強い信頼故。
 互いに〈見捨てられても構わない〉と覚悟していながら、絶対に助けてくれると信じている。
 そういう絆を持ったパーティは、人質を取られることを恐れない。

 救助をただ期待し、それが叶わぬことを恨むのは、仲間に依存しているだけなのだ。

 真の仲間を持たず未熟なジゼルはまだ知らない。
 仲間に命を委ねる…パーティを組むということは、そこまでの強い信頼と連帯感をもってこそ熟すのだと。

 一行が警戒して進むと、山の麓の開けた場所にたどり着く。
 待ち構えていたように薄汚い姿をした男たちが現れた。

「ここにはちんけな山村しかないと思ってたら、景気づけになりそうな獲物が来たじゃねぇか。

 しかも、好い女が三人もいやがる…たまらねぇな!」

 好色なそうに、髭面の男が嗤った。

「女はいらねぇ。

 そのかわり、あの綺麗な小僧は俺の得物だ。
 あのほそっこい指を一本一本折ってやったら、良い声で鳴くんだろうなぁ」

 痩せた暗い目の男が嬉しそうにロマンを見つめた。

「薄汚ねぇドワーフと爺ぃはナイフの的だな。
 生きてれば。

 ぎゃははっ!」

 乱杭歯の醜悪な男が、目を剥いて馬鹿笑いしていた。

「俺は食い物があればいいぜ。
 持ってなきゃ、女を一人潰せばいい。

 腹のあたりが美味いんだ」

 頬のこそげた男が涎を拭きながら、じっとジゼルを見ている。

「ばっかやろうども。
 そんなに血走った目で見やがったら、降伏勧告ができねぇじゃねぇか。

 つうわけで、身ぐるみ全部置いて降参しな。
 女と子供は置いていけ。

 逆らっても逆らわなくても、残りは皆殺しだけどよ!」

 見ているだけで胸糞が悪くなる男たちだった。
 全部で十一人。
 それなりの規模の盗賊団である。

「…貴方たちの出番です。

 よろしくお願いしますよ!」

 アンガスがさっとディエゴの後ろに回った。

「面と品性を考えて言え、ろくでなしども。

 貴様たちの臭い血で山裾を染めたら、木々も腐るだろう。
 絵空事をほざく前に、行水をしてから来い」

 辛辣に言葉で反撃し、シグルトが剣を抜く。

「あ~、説教は無駄無駄。
 あの様子じゃ、耳糞もほじってないでしょ。

 穴の中には腐ったものしか詰まってねぇわ」

 肩をすくめてレベッカも短剣を構えた。

「同感。

 ああいう変態は、燃やして埋めた方が世のためだよ。
 話をすると病気がうつりそう」

 陰鬱そうな様子でロマンが魔導書を開いた。

「う~んと、要するにみんなかっ殺せばいいんだよね?

 弱そうだしばっちいから、早く終わらせよう」

 恐れた様子も無く、ラムーナは愛らしい笑みを浮かべながら物騒なセリフを言って盾を突き出す。

「これこれ、娘御が品の無いことを言うでない。

 あんな連中、相手にするだけ無駄というものじゃ」

 聖印を撫でつつ、スピッキオもなかなか毒舌である。

「さっきのゴブリンと大差ない連中だな。

 奴らより臭いぞ」

 ディエゴが斧を構えて顎髭をしごいた。

 これから始まる人間同士の凄惨な殺し合いを前に、みんな余裕の表情だった。
 ジゼルも何か言おうとして、漂ってきた男たちの臭気に顔をしかめる。

「ごめん、何か言おうと思ったけど無理。

 あの人たち、臭すぎるんだもん」

 ジゼルが思い切り顔を背けると、ついに激昂した山賊たちが向かってきた。

 ラムーナが、ふわり、とジャンプするとしなるようような踵落としで一人の頭を打擲する。
 頭蓋骨には陥没しやすい箇所があり、栄養の不足した盗賊のやわなそれはあっけなくひしゃげた。
 鍛え上げたラムーナの足は、踵に仕込まれた金属とクッションのおかげでダメージが無い。

 二条の風が奔り、次々と男たちが転倒した。
 その一人の首をシグルトが刎ね飛ばす。

 怒った数人の反撃を籠手と剣で弾き返すが、多勢に無勢で守り切れない上腕に刃が命中する。
 しかし【堅牢】による高い防御力の前にはほんのかすり傷程度。

「《…眠れ!》」

 ロマンの呪文が決まると、ばたばたと敵が倒れた。
 これで戦いの趨勢が決まる。

 シグルトが最初に魔法を使うのは、ロマンから目を逸らせるためでもあるのだ。
 魔法使いを最大の脅威として、寄ってきた雑魚を足止めする…前衛としては理想的な仕事である。

 残ったのは首領らしき男が一人。

「くはっ!
 みっともねぇわね。

 降伏勧告とか言ってて、もう起きてるのはあんた一人だけよ」

 レベッカが眠った一人を刺し殺してから、嘲るように首領を指さした。

 逆上した首領はレベッカに向かって短剣を振るい、ニヤリと笑う。

 この人数を従えるだけあって、首領の腕前はかなりのものだった。
 低い位置から振るわれた刃が、レベッカの大腿部をかすめ、血が滲む。

「けっ…
 腕に自信がねぇから、腐った手を使いやがるわけね。

 あいにくと、この程度じゃ倒れないわよ」

 刃に毒が仕込まれてるとすぐに気が付いたレベッカは、大腿部の動脈を加圧して距離を取る。

 レベッカの言葉は首領に届かなかった。
 ラムーナの突きで胸から血を噴出しよろめいたところを、シグルトが【刹那の閃き】で斬首したのだ。

 シグルトから吹く突風によって目覚めた男を、ジゼルの弓が射貫いて斃す。
 仲間が負傷したことと敵数が多過ぎて、〈初めて人を殺した〉などとショックを受けている余裕が無かったのは、幸か不幸か。

 ディエゴが豪快に振るった斧で、眠った盗賊の首がまた一つ転がった。
 ロマンも攻撃魔法で、起き上がった敵を確実に仕留める。

 シグルトとラムーナがさらに一人ずつ、最後の一人にジゼルが矢を叩き込んだ。

「レベッカ、毒か?」

 死体の確認をラムーナとディエゴに任せて、シグルトが駆け寄った。

「あ~、大丈夫。
 相手をいたぶる類の弱いやつだわこれ。
 多分毒蛙の奴。

 スピッキオ、回復術を頼める?
 薬使うまでも無いわ」

 レベッカは傷口から血を絞ると、毒の影響で沸き起こるめまいや頭痛に耐えながらがぶがぶと水を飲んだ。

「レベッカさん、毒消し使わないの?」

 駆け寄ってきたジゼルが聞くと、レベッカは「この程度は致死毒のうちに入らないから」と言って、毒消しが無い時の応急処置を教えてくれる。
 盗賊のレベッカは毒物に対する知識があり、毒に耐える鍛錬も経験しているそうだ。

「自然界の毒物は凶悪だから、たいてい食らった時点で終わりなのよ。
 特に麻痺とか石化がね。

 相手の体力を奪うのは連続で食らうとやばいけど、一発ぐらいなら体力を維持しながら耐えきっちゃっても治せるわ。
 毒使いってのは自傷で死ぬこともあるから、あんまり強い毒を使わない傾向があるのよね。

 市販の毒消しは体内の危険な物を一気に消してしまう強力な奴を使えば、食らったすぐなら助かるけど、強い毒を貰ったら使ってる余裕なんて無いわ。

 毒を食らったら、まず肝を据えて冷静になること。
 それと一番近くの血の筋を抑えて、毒が回るのを遅らせることね。

 口で吸うのは止めときなさい。
 慣れてないと、虫歯や口の傷から入って死ぬわよ。

 飲んだ毒を無理やり吐くのも、そういう訓練をしてないならダメ。
 素人がパニックになって吐こうとすると、吐しゃ物が喉に詰まったり、肺や気管に胃液や毒が入ってもっとひどいことになるから。

 焦らずに、少し塩を混ぜた水をがぶ飲みして、利尿と発汗作用のある薬草を飲めば、後は体力次第ね」

 スピッキオに治癒の神聖術をかけて貰いながら、レベッカは座って身体を休めながら教えてくれる。

「それより、よくやったじゃない。

 これでジゼルちゃんも〈乙女〉を卒業ね。
 最初が二人なんて、自慢できるわよ」

 荒い息をしながら冗談めかしてウインクするレベッカに、「あはは」と苦笑するジゼル。

「シグルトやレベッカさんが怪我をしたら、なんだか逆に〈あいつらは敵だ〉って強く感じて。
 そうしたら、殺すことに躊躇う気持ちが無くなっちゃった。

 首は飛ぶし、流血がすごかったし…これだけ凄惨な中で、射殺すのってなんだか優しい手段みたい。

 こんなこと言うと不謹慎だけど、弓使いでよかったかな。
 さすがにみんなみたいに、すっぱすっぱ殺せないよ」

 見れば、ラムーナが盗賊たちの首を集めている。
 年頃の娘が忌避感も無く死体の髪や髭を掴んでぶら下げる様は、実にシュールだった。

 脳漿がこぼれていたり、首を失ったものや、胸を穿たれて舌をだらりと出した死体が転がっているが、感覚がマヒしているようだ。
 耳の奥でツーンとした小さな耳鳴りが続いている。

 死体の凄惨さにアンガスの顔は蒼白だ。
 血の臭いと盗賊たちのすっぱい体臭が混じって、とてつもない悪臭が漂っていた。
 普通なら吐くか貧血を起こしそうな状況である。

「あとは、お前主導での依頼を経験すれば十分冒険者としてやっていけるだろう。

 吐き気が無いならラムーナを手伝って、死体処理のやり方を経験しておけ。
 ディエゴに手伝って貰うといい。

 俺はレベッカの毒抜き用に、この辺りに生えている発汗作用の強い野草を煎じて飲ませる」

 一行は戦闘後ということもあり、戦場の後始末をしてから小休止を入れる。

 だいぶ日が傾いていた。
 山の日暮れは早い。

 休憩を終えて出発すると間もなく参道が終わり、グリュワ村の境となる柵が見えてきた。

「ここまでくれば危険はないでしょう。
 危険手当を含めて、銀貨八百枚をお支払いします。

 有難う御座いました」

 アンガスが礼を言って報酬を渡し、依頼終了のサインをしてくれた。

 一行はアンガスの仲介で、グリュワ村の村長宅に無償で泊まれることとなった。
 先ほどの野盗は何度か村を襲撃していたらしく、倒したことを知った村人たちは喜んで、一行はとても歓迎された。

 余った獣肉や薬草の類を村で売って、保存の効く食料を仕入れる。
 比較的新鮮なワイルドボアの肉は結構な穀物類と交換でき、薬草の類は盗賊で負傷した者の治療のため不足したので、流通価格の半額で引き取ってもらえた。

「交感した雑貨を抜いて銀貨五百枚ってとこね。
 依頼料に、アンガスさんと交換した奴や、拾った財布の分を合わせると銀貨千三百四十枚。

 いい稼ぎになったわ♪」

 一行は村長の家で夕食を馳走になると、今後のことを話すために話し合っていた。

 まずレベッカから、獲得した金の総額が報告される。

「で、分け前なんだけど…」

 レベッカがちらりとディエゴを見ると、彼は首を横に振って辞退する。

「私は助けてもらった恩返しをしたかっただけだからな。
 約束通り報酬はいらない。

 一緒に行動することで良い酒が手に入ったし、命も助かった。

 その金はそちらで分けてくれ」

 レベッカは次に、ジゼルを見る。

「私は教導を受けてる身分だし…」

 遠慮しようとすると、レベッカが指を振ってそれを咎めた。

「ダメダメ、そんなじゃ。
 報酬は見習いでもきっちり貰うのが、私たちの業界の仕来りってものよ。

 とりあえず銀貨千二百枚を六等分して、一人頭銀貨二百枚。
 残りは雑費としてパーティ資金行きね。
 別れる時まで私が預かっておくわ。

 新人は色々入用になるから、権利は受け取っておきなさい」

 せっかくの申し出なので、ジゼルは厚意に甘えることにする。

「さて、これからのことだが…

 北岳は昨夜降雪があったそうだ。
 大した積雪量では無いようだが、今の装備で踏破は危険だ。

 となると、西の渓谷を回るルートしか残されていないのだが、かなりの難所で沢下りもしなければならない。
 おそらくこの時期の沢は水が冷たく、厳しい旅になるだろう」

 するとディエゴが手を上げた。

「そのことなんだが…
 私の知人のドワーフが住む妖精窟が、西の渓谷近くにあるのだ。

 妖精窟の奥には北に抜ける洞窟があって、そこを抜ければ北に抜けるのはたやすい。
 あそこのドワーフたちは偏屈者ばかりだが、私が一緒に行けば洞窟へ通じる扉を開けてくれるだろう。

 かわりに、私を冒険者として君たちの活動する冒険者の宿に紹介してくれないだろうか?
 
 実は長年一緒に仕事をしていた相棒が、先日結婚してな。
 私はこの近くの山で同族が使う製鉄用の炭を焼く仕事を生業にしていたのだが、これを機会に思い切って町場に出ようと思っていたのだ。

 とりあえず仕事が見つかるまでは、冒険者でもしようと思っていた。
 私たちドワーフは、人間たちの職人ギルドに属すのが難しいから、町での就職が難しい。
 手っ取り早く稼ぐには、傭兵か冒険者ぐらいしか思い浮かばなかったのだ。

 それに、熊に不覚を取った手前、戦いの感覚も取り戻したい。
 冒険者は腕を磨くのにはもってこいだ。

 一緒に旅をして分かったが、君たちは優秀で誠実な冒険者のようだ。
 君たちが所属する宿なら、間違いはないだろう。

 どうだろうか?」

 有難い申し出なので、「紹介までで良ければ」とシグルトが請け負う。

「先日、新人のパーティが結成したばかりなんだ。
 教導はマルスたちに任せているが、一度腰を据えて後輩の教導をしなければならないな。

 リューンについたら、親父さんと相談しよう」

 今後のことを相談しながら、グリュワ村での夜は更けるのであった。



⇒『グリュワ山中の護衛』の続きを読む
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Y字の交差路


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『碧海の都アレトゥーザ』 闇窟の妖魔

2018.12.03(19:36) 486

 それぞれが午後の余暇を過ごし、『悠久の風亭』に帰還した“風を纏う者”。
 共に行動するジゼルと、侍祭ジョドの襲撃から救われたレナータ、そしてレナータ救出に関わった“風を駆る者たち”のニコロもその場にいた。

 シグルトの服に流血の跡があり、抱えられたレナータが足を負傷し、ニコロもかすり傷を負ってている姿を見て、宿にいた一行はすぐに何があったか問い質した。
 特に『悠久の風亭』のマスターは、レナータの負傷に青くなり、ニコロが話したジョドの襲撃を知って真っ赤になって怒っている。

「それは災難じゃったの。
 ジョド侍祭についてはわしのほうから教会に苦情を入れようかの。
 
 マスターに聞いたんじゃが、レナータさんは正当なアレトゥーザの市民権を持っておるのじゃろう?
 市内における市民への集団暴行は都市法を無視する行いじゃ。

 貴族の後援があるシグルトと、この都市で連盟に所属している冒険者の宿のマスター、他の冒険者パーティの代表ニコロ君、そして司祭の役職にあるわしが連名で役所に事件の顛末を報告すれば、ジョド侍祭は悪い噂の絶えない男じゃから、厳命がなされてちょっかいをかけてくることはなくなるじゃろう」

 レナータの足に治癒の神聖術を施しながら、スピッキオが請け負う。

「爺さんたちは、明日朝一で役所に行かなければならないわね。
 〈羊飼い〉のなりそこないが、手間かけさせやがって…

 私は別行動で盗賊ギルドの方に掛け合っておくわ。

 腕の長い男…たぶん“長腕”のロネ、ね。
 アレトゥーザの盗賊ギルドに所属してる奴なんだけど、一般市民…堅気をギルドに無許可で襲うのって、地元では掟破りなのよ。
 ここのギルドマスターはフェミニストの気があるらしいから、婦女暴行未遂に関しては罰金か追放処分ね。

 知り合いが嫌ってた野郎だから、手土産ができたわ。
 安眠妨害される恨みと、うちのリーダーの報復を兼ねて、喧嘩売ってきたことを後悔させてやる!」

 目が笑っていないレベッカが、掌に拳を打ちつけて請け負った。

「そのジョドって人、アデイ先生にも良く絡んでくるんだ。
 徹底的にやっちゃっていいんじゃないかな?

 これから先生のもとに通うジゼルさんのためにも、女の敵は撲滅しないと」

 ニコニコ笑いながら、ラムーナがとても物騒なことを言葉にしている。
 シグルトを傷つけられたことに怒りを覚えているのだ。

 横でうんうんとジゼルが頷いている。

 特にレナータを集団で手籠めにしようとした、という話で女性陣の目の色が変わったのだ。
 女の冒険者たちは、荒くれ者の男たちに混じって活動するため、自分の貞操を守るために厳しい態度をとることが多い。

「ヤルなら、私も加わるよ。
 可愛いレナータちゃんに怪我をさせたんだ。

 二度と下町の土は踏ませてやらない…そうだよね、あんた?」

 本来は止める立場のラウラが、静かに怒っていた。
 マスターに至っては、「連中を殺す時は俺に声を掛けろ!」と熱い鼻息を吹いている。

 この時間いつもカウンターで飲んでいる小太りの男性が、「用事ができた」と言ってそそくさと逃げるように宿を出て行く。

「あまり派手なことをすればレナータの立場まで危うくなる。

 神聖術を決闘や自衛行動ではない理由で警告無しで撃ち込まれ負傷させられたから、取り押さえる時に〈刃を持った利き腕を踏み折って次は無い〉と強く警告しておいたが…
 スピッキオの立場も考えて殺せなかったが、もし相手側からさらに襲撃があれば、今度は自衛による抹殺も辞さないと役場の職員に告げておこう。
 傭兵やならず者を扇動し、市井で【聖なる矢】を二回も〈警告も無く使った〉のだから、報復の理由にはなるだろう。

 教会を追い詰め過ぎれば、組織自体が完全な敵になってしまう。
 ジョドという男の暴走で、今回は厳重注意を込めた報復と防衛・無力化をしたとして、役所へは〈厳格な防衛も止む無し〉の宣告をしておくだけで手打ちとしよう。

 ニコロやスピッキオに手間を取らせてすまないな」

 シグルトは現場においても冷静だった。
 あの場でできるぎりぎりの攻撃を行い、威圧をし、攻撃を受けた事実を利用した上で、〈武器を無力化する目的〉を盾に首魁の身体を破壊するという報復を行っていたのだ。
 普段は公正だが、シグルトもまた鉄火場に生きる冒険者。
 時に犯罪すれすれの武力行使もできる。

(シグルトさん、あの男が刃物を握ったのをわざと待って狙ったんだ…)

 噂とは違ったダーティな一面と恐るべき胆力に、猛っていた怒りがさっと冷める。

 ニコロに同じような判断ができるだろうか?
 おそらく頭に血が上って、殺害に及んでいたかもしれない。

 “風を纏う者”という冒険者たちが台頭してきた理由もよく理解できた。

 傭兵風の男は明らかに格上だったが、シグルトは対等に渡り合って打ち破っている。
 その場にいたニコロの精霊術を見て取り、戦力としてすぐ味方に引き込んで敵の最大戦力を叩き、首魁の悪手を見逃さずに〈自己防衛〉という大義名分を得る。
 剣術、風の精霊術、タフネス、勇敢さと状況判断力…

 仲間との呼吸もあっている。
 皆が必要な行動を宣言ながら、すべきことの方向性は一緒だ。
 行き過ぎないように静止を掛けつつも、リーダーとしてはっきり決断し、労いや謝意も忘れない。

「凄い…リーダーなんですね」

 思わず呟いたニコロに、シグルトは苦笑した。

「俺は、好い仲間に恵まれている。
 仲間を信頼してその時その時の決断を、精いっぱいやっているだけだ。

 きっと君もリーダーという立場上、若さや未熟さを感じて決断に迷うこともあるんだろうが、通過儀礼だぞ。
 先達の冒険者に憧憬を示した時、彼らは〈未熟さを忘れるな、懸命になれ〉とだけ教えてくれた。

 リーダーに必要なのは果断に決めて、責任を取る気概ではないだろうか。

 君はレナータを守るため多勢に挑み、複数の敵を退けた。
 その行動と力はリーダーに必要な果断さだと、俺は思う。

 あとは仲間に隠さず事実を話し、よく相談して賛同を得ればそれでいい」

 ポンとニコロの肩に置かれたシグルトの手は、美しい外見に似合わず節くれだって硬い。

「シグルトはね、どんな時も仲間をまとめて要所を決めてくれて、人のせいにしない。
 こういう人だから決断を委ねられるし、利害に執着して仲間同士で駆け引きしなくてもいい。

 絶対にぶれないから最高のリーダーなんだよね」

 ロマンが自慢げに言うリーダーの資質。
 それを聞いて、目から鱗が落ちる思いだった。

 シグルトの言葉には、仲間への強い信頼がある。
 信頼しているからこそ理解し、最善を決断している。

 リーダーは凄くなくてもいい…つまり特別優れていなくても良いのだ。
 冒険者としての資質の高さにばかり目が行き、焦りから大切なことを見失っていたことに気が付き、ニコロは心の奥ですとんと腑に落ちるものを感じた。

「くっそう。
 リューンの宿の専属でなけりゃ、囲い込みたいんだけどなぁ。

 お前の若さでそんな風に断言できる奴なんか、いやしねぇぞ」

 マスターが評価しているのは、シグルトの実力よりも、円熟した精神と必要ならば汚れることすら恐れない胆力である。
 仲間や周囲の人間に及ぶ被害を配慮しながら、その時すべき決断を最速で行って迷わず突き進むこと。
 熟練冒険者にも簡単にできることではない。

「確かに。
 シグルトって、どんな時もあんまり迷ってる様子が無いのよね。

 迷わないって、難しいことだと思うんだけど」

 ジゼルがそんな感想を述べると、シグルトはまた苦笑して「俺だって迷うことはある」と答えた。

「逡巡は、命を懸ける場面で時間という選択肢を浪費するんだ。
 その時思いつく最善を、できるだけ早く行う。

 先攻(ファーストストライク)。
 険しきを冒す者は、苦難の先端に立つ故に足元が崩れる前に疾る必要がある。
 
 〈迷ってもいいが、後悔する前に決めろ〉…父の教えだ」

 一瞬だけ、青黒い瞳にぐっと漲る意志。
 シグルトが、父から受けた教訓をとても大切にしていることがよくわかる。

 レナータは、シグルトの霊気が何故美しいのか、この時はっきり理解した。
 揺らがない信念が刃筋の通った刀剣のようで、生きることへの強い覇気を宿しているのだ。
 大自然の力強さが理不尽であっても雄大で美しいように、決意という強さを秘めた生き方は、弱さを持つ者が抱く憧憬の先で待つ到達点。

 魂(スピリット)という言葉には、信念という意味もある。
 主体性(アイデンティティ)がくっきりとしている魂は、強く輝くことができるのだ。

 青黒い瞳の奥底に苦渋とともに宿った決意を見て、レナータは少し悲しい気持ちになった。

 シグルトはその決意を抱くまでに、そして抱いた後にも、数えきれない闇を背負い飲み込んでいるに違いない。
 「凄い」とか「優れている」という評価が、シグルトの心に棘を突き立てているのだとわかる。
 決断することで手からこぼしてきた大切なものを思い出す時、至らなかった不甲斐無さが責め苛むのだ。

(艱難辛苦に打ち直され、自らを研ぎ澄まし頂を目指そうとする孤高にして諸刃の生き様。
 開闢に至る可能性を宿しながら、茨の道が行く手に待つ。

 試練で身を欠けさせ擦り減らし、錆び朽ちる。
 最果てにあるのは、朽ちた剣が並び立つ寂寥の墓地。

 流した血潮で慟哭を洗い、荒涼とした未来に独り立つ。

 万象を生みし母に愛されし、発現の御子。
 大悪にも恩恵にもなりうる、文明と進化の切先を振るい、道を開く者。

 そは刃金なり)

 精霊術師に伝わる、詩(うた)。
 刃金とは英雄に宿る戦士の精霊のことだ。

 英雄たちに共通すること。
 未踏の偉業を成した者だと人は言うが、それ以前に難行がある。
 多くの英雄は、波乱万丈の先に悲劇で果てるのだ。

「…シグルトさん、熟慮と休息も忘れないで。

 あなたはとても優秀で、こんなにも期待されています。
 でも、それ以上に生き急いで見えるんです。

 かけられた期待に全て応えられる者などいません。
 あなた自身が、一番それを知っているはずです」

 周囲からかけられていたものとは正反対の、制止の言葉。

 皆が一斉にレナータを見た。

「師が言っていました。
 〈しないように努力する者も、囚われるのが後悔だ〉と。

 勇敢に懸命に力を尽くすことはとても大切なことかもしれません。
 でも、命を削る生き方だと思うのです。

 あなたの大切な人たちのために、無茶はしないで…」

 見開かれていたシグルトの青黒い瞳が、フッと柔らかに細められた。

「君は、母と同じようなことを言うんだな。
 〈親しい者は、無茶を行う者よりも嘆くのだ〉、と。

 子供の頃、コケモモを採りに幼馴染や妹と森にでかけた折、狼の群れに囲まれて必死に戦った。
 無数の狼を殴り殺して親しい人を護り、自慢げに興奮していた俺の手から、刺さった狼の牙を抜き、泣いて怒った母の顔を思い出す。
 …俺はあの時からちっとも成長していないな。

 俺はきっと、必要ならまた狼の口に手を突っ込んでしまうだろう。
 でも、君や母の言ってくれた教訓は忘れまい。

 うむ…心しよう」

 確認するように決意を言葉にすると、シグルトはニコロの方を向き、肩をすくめた。
 まるで「男ってやつは、どうしようもないな」と苦笑するように。


 翌日の朝、“風を纏う者”とニコロはアレトゥーザの役所に向かった。
 パーティの中でレベッカだけは盗賊ギルドに向かっていた。

 レナータは負傷した足を治療する意味で、『悠久の風亭』に留め置かれていた。
 ジゼルは今日から別行動で、アデイとともに舞踏の基礎を学ぶことになっている。
 
 アレトゥーザの役所で、ジョドの襲撃が伝えられ、危険人物から身を護るために自衛のための実力行使を行ったことと、今後アレトゥーザに滞在する時は襲撃に対して自衛行動を辞さないと半ば強引に要求するシグルト。
 その横でスピッキオがレナータに書いてもらった被害届を提出し、聖海教会の聖職者として遺憾を表明する。
 ニコロは付き合う形で、場に居合わせたことを話し、シグルトやスピッキオの要請が正当だと相槌を打つ。

 シグルトが止めとばかりに貴族の庇護を受けていることを証明する印章を見せると、効果はてきめんだった。

 受付嬢では対処できないことと奥の応接間に通されて、アレトゥーザ市議会の重役と話し合った結果、ジョドやその取り巻きが襲撃してきた場合、退けるための武力行動が認められるという申し出が提出され、シグルトやニコロが取った防衛行動に関しては「止むを得ず行った行動」として不問になるだろうとの話であった。
 ジョドの逸脱した行為はアレトゥーザでも問題となっており、今回は聖海教会司祭からの口添えもあることで、ジョドには役所から厳重注意がされるとのことである。

 その後一行は聖海教会に向かい、スピッキオがマルコ司祭に事の次第を話すと、マルコ司祭はすぐに穏健派の集会を開くと言って教会を出て行った。
 彼の話では、「ジョドが次に問題行動を起こせば破門になる」という宣告がなされ、しばらく謹慎処分になるだろうとのことである。

 レナータやシグルトを殺そうとした行為に対し随分と甘い処置にも思えるが、侍祭のような下級の聖職者にとって破門とは生活基盤の全てを奪われるに等しい罰なのだ。
 それに、現行犯でジョドを連行しなかったことも問題となっていた。

 シグルトやニコロがジョドを連行しなかったのには、周囲の人間が襲撃を黙認していたという背景もある。
 ジョドは裕福な商家の出で資産もあり、アレトゥーザでは上級市民に当たる身分だ。
 今回はスピッキオを介する連名の申し出なので、役所や教会が動いたとも言える。
 あの場でジョドを下級兵士に突き出しても、ジョドが「暴行された」と騒ぎだせば、拘束されたのアシグルトやニコロで、最悪原因に当たるレナータが罪人にされてしまう可能性があった。
 
 この時代の刑事事件は、撮影機器等の証拠物件を確保する手段が少ないため、ほとんどが犯人と被告の証言による。
 そして、証言の良し悪しは、証言者の身分や信用に直結しているのだ。
 
 レナータの襲撃事件は、普通に提訴すると聖職者でもあり身分が高いジョドの言い分が通ってしまうだろう。
 シグルトは貴族の庇護を受けているが、現状は冒険者でアレトゥーザ市民ではない外国人だ。
 ニコロも同様で、通常の申し出ではむしろ立場を逆用されて危機に陥るかもしれない。

 そこで、教会のより上位の聖職者であるスピッキオが、保証人としてシグルトの正当性を主張することで「聖職者としてのジョドの権限を封じた」のである。
 上級の聖職者であるマルコ司祭の口添えもあれば、教会側はジョドのやりすぎを看過できず、今回のことに対して横やりを入れる可能性は低くなるはずだ。

 さらに、シグルトが貴族の後援を受けている冒険者であることが大きく影響する。
 周囲を固め、役所に堂々と詳細を報告し訴えるという行為で公文化して下層で握り潰しができないようにしてから、シグルトは貴族の庇護を受けているという立場を真正面から行使できるようになった。

 シグルトは西方でも有力な貴族であるヴェルヌー女伯の寵愛厚く、しかもヴェルヌー女伯はかつてゼーゲ十字軍で活躍した貴族の家系で、聖遺物を所有する名門だ。
 もしシグルトが「善良な市民を守るために自衛行動をとった」ことを正々堂々と証言して訴えたのに、都市の役人や教会が「地位の面から証言を却下する」などすれば、庇護者であるヴェルヌー女伯の面子を潰してしまうのだ。
 下手をすれば国際問題になりかねない。

 面倒な手順を不踏むことにはなったが、シグルトは都市法や権限を駆使して太い楔を打ち込んだ。
 今までその権力を使って人を扇動しレナータを迫害してきたジョドだが、裕福で上級市民程度の侍祭では話にならない、ということである。

 貴族社会が残る地域において、身分を持たない者が権利を主張するのはとても難しい。
 正当性よりもコネクションやバックボーンの強さを武器にしなければ、同様の手段を使う敵には勝てないのだ。

 ニコロは、“風を纏う者”の巧みな交渉を見て衝撃を覚えていた。
 今までの仕事で、冒険者という底辺の立場故に苦労した場面は数知れない。

 ニコロのような若い冒険者は、コネクションを作ることに消極的な者が多い。
 「冒険者に手を貸してくれる身分の高い人物などまずいない」と考えるし、自由を束縛するそれらのパトロンに関わりたがらないのだ。
 斯様な食わず嫌いが、今回のような場面で決定的な力不足にもなりうるのだと、気付く一件だった。

 学ぶことが多かったと言って『悠久の風亭』に帰るニコロに、「また逢おう」と言って別れを告げると、“風を纏う者”は別行動をとっていたレベッカと合流するため大運河へと向かうのだった。


 レベッカはすでに待ち合わせ場所に来ていて、露店で販売している貝の串焼きに魚醤を塗ったものを旨そうに頬張っていた。
 じっとりとした目で見るロマンやスピッキオを無視し、食べきった木の櫛を捨て、口に着いた魚醤を拭うと経過報告をしてくる。

「…取り越し苦労だったわ。

 なんでかレナータちゃん襲撃の詳細が盗賊ギルドに伝わっていてね。
 私の方から情報提供の恩を着せてあれこれはできなくなってたんだけど、ここの盗賊ギルドは全面的に私たちのケツを持ってくれるってさ。
 
 ロネ…腕の長い盗賊が手を出して来たら、ギルドを気にせず殺していいって。

 ジョドって侍祭、異端審問官を気取って相当あくどいことやってたみたい。
 盗賊ギルドの方も随分迷惑してたのよ。

 あたしら盗賊は、女はもちろん異邦人や異教徒も多いから、ああいう差別主義者は基本的に敵になりやすいの。
 前に娼婦を不浄な職業だとか言って、ギルド幹部の女に暴行して顔を傷モノにしたことがあったみたいでさ…ギルドでは一致して徹底的にやるって言ってたわ」

 裏社会の方でも対策がされたため、レナータ襲撃の件は一端これで手打ちということになった。

「それじゃ、ゴブリン退治だね~!」

 当初の目的通り、シグルトたちはこれからゴブリン討伐に向かうことになっていた。
 ゴブリンの目撃例があった場所から近い村に一泊して、明日探索と討伐を行うことになる。

「そのことなんだけどさ…

 さっきまで別のパーティの子がいたから仕事の話はしなかったんだけど、今回の討伐、ちょっとヤバいかも。
 ダークエルフか邪教の司祭みたいなのが混じってるかもって情報があるのよ」

 ダークエルフと聞いて、一斉に緊張が走った。

「ふむ、邪悪な闇妖精がおるかもしれんのか。
 連中は闇の精霊術や攻撃魔法を得意としておる。

 村に着くまでに対策を話し合っておかねばいかんの。

 わしらには対魔法の術が無い。
 連中の使う精神を錯乱させたり恐怖に落とす術、呪縛や眠りに、最悪【炎の玉】のような広範囲攻撃の魔法もあるかもしれん。

 シグルト、どうすべきじゃと思う?」

 スピッキオが戦闘の指揮官でもあるリーダーに問う。

「依頼を受けた後で、無いものを今更どうこう言っも始まらん。

 戦い方としては、ロマンに【眠りの雲】を使ってもらって出ばなをくじくことだが、ダークエルフの中には異常に魔法に対する抵抗力が強い者がいたはずだ。
 魔法は基本効かないことを前提に、ダークエルフがいたら優先で狙って戦おう。
 他の術師やシャーマン種がいても基本戦略は同じだ。

 レベッカ、お前は撹乱や新しい技で足止めを試してほしい。
 確か、成功さえすればある程度動きや発声を封じられると言っていたな?
 見張りの始末や口封じも頼む。
 最悪に備えてロマンが調合した【治癒の軟膏】を持ち、スピッキオが行動不能になったら最優先で使ってくれ。
 多数に狙われたと思った時は魔法の指輪で隠れて凌ぐのがベストだろう。
 
 ロマンは、レベッカの搦め手に乗じて可能なら魔法を使う敵の呪縛を狙ってほしい。
 攻撃の術より眠りや呪縛を優先だ。
 敵の集団が眠った後は、止めは俺やラムーナがやる。
 【魔法の矢】は攻撃が当たらない時に、俺の精霊術とで奥の手になるから、最初は様子見で温存だ。

 ラムーナ、盾で身を守りながら、俺と一緒に魔法を使う敵がいたら最優先で狙うぞ。
 ただし、技量的に攻撃が回避されそうならホブゴブリン優先だ。
 もしロマンが術師の類を拘束したら雑魚から撃破して行く。動ける強い奴を優先だ。
 精神系の術を食らったら、魔剣を使って戦い持ち直すまで雑事は考えるな。

 スピッキオは、守りの神聖術をかけながら怪我人に回復魔法を頼む。お前が倒れたら防御面で持たない。
 守りはお前が最優先、次点でロマンだ。俺とラムーナは自前の技があるし、ちゃんとした防具もある。前衛への補助の術は最後にして貰って構わん」

 堅実な作戦を考えながら、「これでは無茶をせざるを得んな…」といつもの苦笑い。

「仕方ないよ。

 私たちは〈険しきを冒す者〉。
 冒険者なんだから」

 にっこり笑うラムーナの目は、戦意に溢れている。

 どんな熟練者でもあっさり死ぬのが冒険者だ。
 最善を尽くしても不測の事態が起き、虫が人間の子供に手足をもがれるように、理不尽に食い尽くされる。

 戦いとはどちらかが最後に蹂躙されるものだ。
 勝利と敗北という絶対的結果はほとんど揺るがない。

 心の中で母とレナータに詫びながら、シグルトも敵を打ち倒す戦士の目になった。


 ゴブリンの被害が最もあったという村に着くと、“風を纏う者”は村長に一晩の宿を頼み、ゴブリンに被害を受けた者や目撃した者から情報を収集して、彼らのねぐらがある場所を特定する。

 陽が沈んだら休んで、次の日早朝に発つと、ゴブリンが目撃されたという付近にある洞窟へと向かった。
 夜行性の妖魔であるゴブリンは夜目が利くため、薄暗い廃屋や洞窟を根城にし、昼間は籠っていることが多い。

 洞窟周辺の痕跡から、十匹程度の小さな群れ画素の洞窟をねぐらにしていると断定できた。
 攻め入る前に可能な準備をする。

 スピッキオが防御の神聖術【聖別の法】を仲間にかけて行く。
 レベッカがロマンから高品質の【治癒の軟膏】を受け取り、服に仕込んだ隠しポケットにしまう。
 ラムーナはリズムを口ずさみながら、とんとんとステップを踏んで習得したばかりの【幻惑の蝶】をいつでも行えるように身体を温めていた。
 シグルトは言霊を込めて相棒の精霊トリアムールを呼ぶ。

 洞窟にに入る時の隊列は、先頭が斥候役のレベッカ、次いで前衛壁役のシグルト。
 中衛に浪漫とスピッキオが続く。
 殿は身体が小さく突進力のあるラムーナだ。

 レベッカがすぐに見張りのゴブリンを見つけ、忍び寄って手に持った拘束紐で首を縛りあげる。
 悲鳴を上げることもできず、見張りは頸動脈を圧迫されて即座に意識を失い、シグルトが首が落ちる音がしないように首を掻き切った。

 奥に進むと、奇襲なはずにもかかわらずゴブリンが布陣している。
 屈強な体格のホブゴブリンが二体、他にゴブリンが六体。

 シグルトの首の産毛が逆立つ。
 感じた違和感…敵はこうも的確に奇襲に対処しているのに、首魁となる賢そうな奴がいない!

「…ラムーナ!」

 即座に付与した精霊術を解放し、全面の二体のゴブリンを打ち据えながら、シグルトは即攻の抜き打ちでホブゴブリン一体を瞬殺しながら叫んだ。

 殿を務めていたラムーナは、阿吽の呼吸でシグルトの言葉に呼応し、前転してひらりと〈背後からの攻撃〉を躱し切る。
 とっさに構えた盾の表面をこすり、針のように細い短剣の切先が薄暗い洞窟に火花を散らした。

 ぬっと、闇から現れたのは眼光鋭い蓬髪の女。
 長く尖った耳と、黒い肌。
 間違いなくダークエルフである。

「人間ごときに我が一撃を躱されるとはな…
 
 次は無い。
 ここで死んでもらおう」

 入口につながる通路を塞ぎ、その黒い女は酷薄に嗤った。

「ラムーナ、無理せずに俺と並べ。

 スピッキオとロマンを挟んで他の面子で囲むんだ」

 ロマンはすでに魔導書を開いて詠唱を始めていた。
 スピッキオも聖印を持って祈りながら、精神を集中する。

 バク転しながらラムーナが近寄ろうとしていたゴブリンを蹴り飛ばし、シグルトの横に付く。

「《舞い踊る白刃よ疾殺を歌えっ、荒れ狂う隼の飛翔の如く!》
 
 《…斬り裂け!!!》」

 密集を見て取りダークエルフの唱えた呪文は、南海の術師たちが好んで使う【操刃の舞】という魔術だ。
 〈飛び段平〉などとも呼ばれ、魔力で操作する刀剣で敵を薙ぎ払う術法である。
 
 落ちていたゴブリンの剣が突然浮き上がると、ものすごい勢いで旋回しながら飛翔し、シグルトたちの間を駆け抜けた。

 あらかじめ掛けていた防御の神聖術が刃を弾き返し、重傷を負った者はいない。
 ラムーナに至っては付与した【幻惑の蝶】の能力によって、完全に回避していた。

 シグルトから再び二筋の風が疾る。
 先ほどの精霊術で瀕死になっていた二体のゴブリンは、この攻撃により次々と斃れ伏した。

 向かってきた刃の洗礼を、シグルトも回避していた。
 すでにダークエルフの影、死角に踏み込んで死に体からその脇腹を抉る。

「ぐぅっ!」

 シグルトは剣術の型について学び、解放祭パランティアの時謝礼として受け取った技術書の剣技【刹那の閃き】を習得していた。
 この技でホブゴブリンを瞬殺し、トリアムールの風で勢いをつけた状態から避けられぬ【影走り】をダークエルフに敢行したのである。

「…仕留められなかったか」

 敵の大掛かりな呪文を回避し、絶妙のタイミングで有効打を与えながらも、シグルトの表情は苦い。
 本当なら今の一撃で沈めておきたかった。

「おのれぇっ!」

 流血しながらも、傷はあまり深くない。
 ぱっくりと切れているのは、服の下に着込んだ胴着である。
 頑丈な樹木の中皮となる繊維で編んだそれは、特別な樹液に浸すことで鎖帷子に準じる防御力を発揮するのだ。

「《…眠れ!》」

 ロマンの呪文が完成し、密閉した洞窟の中に無味無臭の催眠ガスが満ちる。
 これにより残ったゴブリンとホブゴブリンがバタバタと眠っていく。

 ダークエルフも巻き込んだはずだが、効いた様子が無い。

「ふん、下級妖魔など役に立たんか。

 …いいだろう、我一人で十分だ」

 ゆらり、とダークエルフが疾走する。
 意趣返しのようにシグルトの脇腹が裂け、血が飛沫いた。
 盗賊に伝わる【黒猫の牙】という短剣術である。

 一瞬だが動きを封じるこの技で体勢が崩れ平衡感覚を失ったことに気付いたシグルトは、籠手で防御をし地面を転がり仲間に指示を飛ばした。

「そいつは白兵戦でも使い手だぞ!

 ロマン、【魔法の矢】で疲弊させて行け…生半な攻撃は当たらん!
 ラムーナ、確実に当てられないと思ったら寝ているゴブリンの喉笛を踏み砕きながら挑め!ロマンに攻撃させるな。
 レベッカとスピッキオは作戦通りだっ!」

 攻守を交代するようにラムーナが前に出てダークエルフに攻撃するが、容易く回避される。

「くっそ、こんな化け物が相手なんて聞いてないわよ!」

 レベッカが毒づきながら、力任せに足元のゴブリンの喉笛を踏み砕いた。
 止めを刺し切れずはね起きて呻くそれを、シグルトが籠手で殴り止めを刺す。

「《…穿てっ!》」

 シグルトの指示に従ってロマンが【魔法の矢】を直撃させるが、ダークエルフはそれにも耐えきった。
 よろめいているので、シグルトの初撃と合わせて体力を削ってはいる。

 反撃とばかりに、もう一度【操刃の舞】が“風を纏う者”を薙ぎ払うと、ロマンが流血して地面に膝をついた。
 癒しの術を準備していたスピッキオが即座に回復の手を入れる。

「このっ、しぶとい人間どもがっ!」

 レベッカのフェイントやラムーナの放つ大振りの攻撃をすべて避けながらも、ダメージのせいで青ざめ、ダークエルフは焦りを見せている。
 交互に攻撃を仕掛けながら、隙を見て眠ったゴブリンに止めを刺し、“風を纏う者”は少しずつ敵を追い詰めて行った。

「《穿てっ!》」

 ロマンの二発目の【魔法の矢】がダークエルフの額を弾いた。
 驚異的な体力で耐え、ダークエルフは憤怒の形相で追撃に飛び掛かったラムーナの腹に拳を叩き込んで、シグルトの放った【刹那の閃き】を躱す。

 ぐらりと倒れたラムーナを見て、スピッキオが聖印を握ると強い祈りの言葉を唱えた。

「《主よ、救いの御手を!》」

 スピッキオが使ったのは神聖術【癒しの奇跡】。

 蓄積していた“風を纏う者”の疲労が一気に拭い去られ、倒れていたラムーナが片手倒立から蹴り込むようにダークエルフを攻撃しながら立ち上がった。倒立する時に手放していた盾の取っ手を足の先でひょいっと持ち上げゲル器用な芸当をしながらである。

 ラムーナからの反撃を避けて、はたとダークエルフが周囲を見れば、周囲のゴブリンとホブゴブリンはすでに皆事切れていた。
 レベッカが仕掛ける振りをしながら、止めを刺して回っていたのだ。

「そら、もうあんたでおしまいってね!」

 向かってきたレベッカに、「身の程知らずめが!」と短剣を振ると、ぷつんと髪が抜ける。
 レベッカがおちょくるように毛を引き抜いたのだ。

 憤怒の表情でレベッカを睨むダークエルフ。
 シグルトはその時、トリアムールに呼び掛けて精霊術を備えていた。

 魔法で避けられない止めが来る…そう悟ったダークエルフはせめて刺し違えんとシグルトに刃を振るったが、シグルトはレベッカが作ってくれた隙を利用して【堅牢】で防御を行い、攻撃を耐えきった。
 クロスした籠手で挟むように敵の短剣を抑え込み、がら空きの脇腹に風が一閃。

 シグルトが最初につけた傷から大量の鮮血が噴き出した。
 肝動脈まで断たれたのだ。
 喀血したダークエルクががくりと膝を折った。

「…ここまでか…。

 人間ごときと侮りすぎたようだ」

 続きを言わさずシグルトは無言でその首を断ち、確実に止めを刺す。
 ダークエルフや邪教の神官は、死に瀕した時呪詛を残すことがある。
 呪術に詳しい知り合いから、「死に際の術師のたわごとは絶対に聞くな」と言われていた。

 自嘲的に口端を吊り上げ、ごろごろとダークエルフの生首が転がっていく。

「…勝った?」

 次の術を用意していたロマンが、呆けたように呟いた。
 そうなるほどに敵の首魁はしぶとかったのだ。

「ええと…

 何も言わない。
 死体のようだ?」

 ラムーナが、転がったダークエルフの首を剣の鞘でつつきながら、首をかしげた。
 戯曲などで笑いを取る時に使うセリフ付きである。

「…死体なら何よりね。

 シャレになんないわよ。
 なんつ~すばしっこくて頑丈なの、この黒兎女!」

 念のためと、転がったゴブリンたちの生死も確認する。
 見張りを含め、ゴブリン七匹にホブゴブリン二匹はすべて死んでいた。

「ふい~。
 前にオーガと戦った時の方が、まだ楽じゃったわい。

 敵の呪文がたまたま刃じゃったが、もう少し魔法対策が必要じゃの」

 集団攻撃の術法を使う敵がどれほど恐ろしいか、改めて痛感する戦闘であった。

「【魔法防御】みたいな抵抗力向上の術はほしいよね。
 でも、あれって魔術回路を圧迫して他の術が使い難くなるんだよなぁ。

 僕も攻撃魔法でダークエルフが使ったような対集団系や、自己防衛用の術がほしいよ。
 正直僕の今の魔術回路じゃ、領域不足かも。

 へフェストの【カドゥケウス】があればなぁ」

 銀貨数千枚する高価な魔法の杖を思い浮かべ、ロマンは溜息を吐いた。

「そのためには、お金が必要よね!

 何か金目のものが無いか漁ってたら、あのダークエルフが持ってたらしい書簡を見つけたんだけど、見たことない言語でさ。
 あんた読める?」

 レベッカが数枚の羊皮紙を持ってくると、蝋が剥がれたものをロマンの前に広げて見せる。
 西方圏には無い、ミミズののたくったような字が書かれていた。

「…これはおそらく聖典教徒が使う東方の文字だね。
 この紙からはかすかに潮の香りがする。

 フォルトゥーナ近郊の島にある自治区に、聖典教徒を先祖に持つ改宗者が住んでるって聞いたことがあるよ。
 指輪を使って翻訳すれば内容を判別できるとは思うんだけど、暗号みたいだし、正直内容は知りたくないかな。
 ダークエルフの持っていたものだから、ろくなこと書いてないと思う。
 ぱっと見で知ってるものでも物騒な単語、たくさん使ってるし」

 レベッカに対し「指輪の魔力を使う価値があると思う?」とロマンが尋ね還すと、ラムーナと一緒に死体の処分を終えたシグルトが書簡を取り上げて丸めてしまう。

「翻訳はせずに、盗賊ギルド経由でアレトゥーザのお偉いさんに渡した方が良いだろう。
 手数料を取られるかもしれんが、地元の冒険者ではない俺たちでは、下手に内容を知ると厄介ごとに巻き込まれる。

 内容を知らない・見ていないなら、密偵たちに見張られてもボロは出ない。
 〈無知は至福である(Ignorance is bliss)〉、だ」

 西方風に「知らぬが仏」とシグルトが下した判断に、スピッキオが賛同する。

「臨海都市であるアレトゥーザとフォルトゥーナは、昔から不倶戴天の宿敵同士でな。
 最近の海賊騒ぎもフォルトゥーナが暗躍している、とも言われておる。

 ダークエルフは犯罪や紛争の闇に紛れて日銭を稼ぎ、活動することが多いからの。
 海賊騒ぎの合間に、小規模の妖魔の群れを率いておったのだから、その背景はろくなことではあるまいて。

 シグルトの言うようにアレトゥーザの役人の方に書簡が渡れば、事後処理はあっちでやってくれるじゃろう」

 男性陣が揃って「関わるべきではない」という意見だったので、ラムーナも「面倒は敵!」と手で×を作って同調する。
 レベッカも、「なら仕方ないわね」と書簡を道具袋に収めた。


 結局ダークエルフの持っていたそれらの秘密文書は、次の日に盗賊ギルド経由でアレトゥーザの役人に手渡され、内容が重要なものだったため銀貨五百枚ほどの報奨金となるのだが、盗賊ギルドに仲介料と面倒ごとの処理で六割も引かれてしまい、“風を纏う者”には銀貨二百枚だけがもたらされた。

 ダークエルフの討伐に関しては、レベッカが描いた似顔絵と耳の拓を取って討伐の証明としたが、都市議会が「討伐を依頼をしたものではなかったから」と、金を全く出さなかった。
 海賊退治の結果が芳しくなく、さらなる討伐の企画で都市議会には金が無いのだ。

 当初のゴブリン退治の報酬と合わせれば、報酬の合計は銀貨七百枚。

 ダークエルフ撃破という、ロード種やオーガの討伐にも匹敵する偉業を達成しながらあまりに報酬が少ないと、レベッカは嘆く。
 『悠久の風亭』の主人に賃上げ交渉をしようとするのをシグルトが止め、申し訳なく思ったマスターが宿代を大幅にまけてくれた。

 間も無く盗賊ギルドから都市議会から呼び出しがあるという話が来たが、「今回の一件は報酬が出ない程度の関り。盗賊ギルドの方が多く金を貰ってるのだからそっちで責任をもって処理するように」とレベッカが切って捨てた。

 盗賊ギルドの言葉は正しく、都市議会からは「直ちに出頭して状況を話すように」という頭ごなしの召喚命令があり、役人の使者から受け取った召喚状の内容に不快感を表したシグルトとロマンは、「すでに報告は済んでいる。仕事のついでにダークエルフを倒しただけなので話すことは無い」と命令を拒否してしまった。

 なんでも相手の言うことを聞く冒険者は軽く見られる。
 「こっちを軽んじた結果だ」と強く出るのも、冒険者流の外交なのだ。

 担当の役人は冒険者をはなから馬鹿にしている人物で、再度の召喚状で「“風を纏う者”が審問に応じない場合、ジョドの一件に関する要請を却下する」と脅しをかけてきたのだが、これにはシグルトが強い怒りを露にして、「我々はアレトゥーザの市民ではなく、他の都市の冒険者としての権限を有する。もしそのような不当な扱いをするのであれば、後援の貴族を通じて不正を訴え強く抗議するだろう。今回の都市議会の態度は西方中の貴族に知られることになる」と威圧して使者を追い返し、以後その役人との会合の一切を拒否した。
 返答は役人以外に、もう一通手紙を使って教会の穏健派経由で市長に渡すという手の込みようである。

 市長への手紙には海賊退治のせいでゴブリン討伐が放置され“風を纏う者”対応したこと、元々都市議会の方が、ダークエルフの討伐を報告に行った“風を纏う者”を軽く扱ったこと、その場でダークエルフに遭遇し書簡を手に入れたが〈異国語らしく開封されたものも読めなかった〉など、事細かに議会が求める情報を書いてある。
 担当の役人が犯罪者を呼びつけるように命令してきたため不快な思いをしたこと、別の案件を盾に脅迫してきたのでそれを断ったこと。都市議会が脅迫の内容を断行すれば、後援の貴族ヴェルヌー伯と相談し、“風を纏う者”の自由と名誉にかけて断固抗議する、と状況も添えてだ。

 無礼な役人の方に情報が渡ればそちらの手柄になってしまうから避けるが、持っている情報は都市議会の良心的な人物に渡すべき。
 シグルトは「正面から都市議会の全てと諍い合う無茶はさすがにできんからな」と苦笑していたという。

 結局役人の謹慎処分と降格が決定し、“風を纏う者”の召喚命令は撤回された。

 その役人はジョドからも賄賂を受け取っていた人間で、“風を纏う者”の訴えで大切な金蔓を失ったことを逆恨みしていたらしい。
 街の権力者が優秀な冒険者を力づくで囲い込もうとすることはよくあることで、優秀な冒険者である“風を纏う者”を手駒にしようと企んでいたのだ。
 最近海賊退治でいくつもの優秀な冒険者の何人かが手痛い失敗をしており、役人の傀儡だった冒険者パーティが全滅してしまった、という事情もあった。

 都市議会から詫びが入り追加報酬の話にまでなったが、シグルトは仲間と相談の上これを断って「手紙に使った羊皮紙とインク代」のみを請求し、次は無礼な対応が無いよう配慮を求めたのである。
 市長への橋渡しをしてもらった聖海教会穏健派は、保守派に関わる役人を一人排除できたことで大きな利益を得ていた。

 最この騒動で、“風を纏う者”はほとぼりが冷めるまですぐアレトゥーザを離れようと決断する。
 騒ぎ過ぎたため、地元の冒険者への影響を配慮したのだ。
 あまりよそ者が大きな面をすると、確実にもめる。

 こうした交渉戦は一見とても面倒なものだが、実行できる冒険者は一目置かれる。
 世界を旅する冒険者だからこそ、その身と立場を守るため必要な技能なのだ。

 ジゼルは元々基礎的な舞踏の素地ができているということで、【舞踏家】として名乗ることをアデイに許されたが、基礎鍛錬を兼ねて“風を纏う者”と同行し、リューン経由でペルージュに向かうことにした。

「こんなに早く旅立つ羽目になるなんてね…」

 アレトゥーザの海産物を殊の外気に入っていたジゼルは、残念そうにしながらもすぐに旅支度を整えた。

「貴族とのコネを使い過ぎた野も理由でな。
 ペルージュに行く前に、ヴェルヌー伯に挨拶や経過報告をしておかねばならん。

 予想外もまた冒険というわけだ。
 こういうことにも慣れんと、朝飯を食う暇も無くなるから覚えておくといい」

 長靴を履き、外套を羽織ったシグルトが挨拶を済ませると、そんなことを言いながら宿から出て行く。

「アレトゥーザの海風も、ちょいと冷たくなってきたわねぇ」

 防寒用にファー付きの外套を纏いながら、レベッカはマスターと女将に手を振ってから、外の風に身を縮めた。

「これじゃあ、北はもっと寒そうだね」

 灰色の冬空を睨みながら、厚着をしたロマンもレベッカの後に続く。

「次の宿ではあったかいもの食べようよ!

 シチューかポトフがいいな~」

 一番薄着のラムーナは、健康的な脚の肌をちらつかせながら駆け出して行った。

「やれやれ、老骨には堪えるの」

 そういいつつしゃんと伸びた背筋で、スピッキオも宿の扉をくぐった。

「わ~、護衛対象置いてかないでよっ!」

 慌てて追いかけながら外に出たジゼルは、あまりの寒さにぶるりと身震いして“風を纏う者”を追いかけるのであった。

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Y字の交差路


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『碧海の都アレトゥーザ』 午後の余暇

2018.11.27(15:12) 485

 南海はアレトゥーザ。
 そこにある〈鼠〉の巣穴…すなわち盗賊ギルド。

 〈鼠〉とは盗賊のことだ。
 人間の生活圏に混じって、利潤をかっさらう。
 ある賢者が言った…人間が消え去った後、真っ先に滅ぶのは、人間の生活に寄生しきった鼠たちだと。

 暗がりのドブ、粘着いた悪臭のする泥水の中を、連中は走り回る。
 旨い物=いい話は無いものかと。

「…まだ坊主の真似事やってやがるの?
 敬虔な振りをするのは腹いっぱいだわ。
 胸糞が悪くなるぐらいに。

 うちの年寄り〈羊飼い〉の、説教は鬱陶しいのよ。
 たまにはしゃれた酒屋で上等なラム肉のソテーでも食べながら、背徳的な美酒を煽りたいものね」

 教会近くにある盗賊ギルドの連絡所に案内されながら、レベッカはアレトゥーザで盗賊ギルドの幹部を任されている隻眼の男…ファビオに毒づいていた。
 羊肉を所望する当り、相当に皮肉を込めている。

「まったくだ。
 ボスの考える謁見作法にはうんざりだぜ。
 〈鼠〉に信心深い振りなんぞさせても、ミミズみてぇな尻尾で汚水を跳ね上げて、くだらねぇと連呼するのがオチなのによ。
 下っ端に餌探しを押し付けて、どこぞの人妻を寝取ろうとでかい腹揺らしながら飲んだくれてる様子が目に浮かびやがる。

 〈子羊〉だって、薄ら冷たい四角い目だ。
 坊主の真似事なんぞしてると、そのうち俺の目ん玉まで角が立ちそうだぜ」

 〈羊〉や〈子羊〉は教会信徒のことを指し示す符丁である。
 〈羊飼い〉は聖職者のことだ。

 大半の盗賊は不心得者が多い。
 半ば犯罪者と言える盗賊は、その立場に至るまでに様々な苦労をしている。
 戒律を守り、清らかに生活するなど不可能。
 そういう過程でバッサリと信仰心を失うのだ。

「ま、他所様んとこで作法の良し悪し話しても腹は膨れないわ。
 本題に行きましょうか。

 結局、今の〈鮫〉騒ぎで、どんだけ〈漁師〉が駆り出されてるのよ?」

 アジトにつくと、レベッカはストレートに「いま海賊騒ぎで冒険者が駆り出されている状況」を尋ねた。

「ここいらじゃ〈家族総出〉だ。
 残ったのは毛も生えてねぇ〈餓鬼んちょ〉か、耄碌した〈年寄り〉、後は〈流れ者〉ぐらいさ。

 〈鮫〉の方が群れてて獰猛でな。
 狡賢い野郎が混じってるんだよ」

 〈漁師〉とは、〈鮫〉…すなわち海賊を狩る側の人間で、今回のような場合は冒険者のことを指す。
 〈家族総出〉はパーティのほとんどという意味である。
 〈餓鬼んちょ〉は新人、〈年寄り〉は怪我人や引退した冒険者、〈流れ者〉はこの都市以外の冒険者をそのまま指す。

 ファビオは、実質アレトゥーザの冒険者はパーティ単位で動けないと言っているのだ。

「ふぅん。
 なら、私らがちょっくらここの河岸で魚を釣っても、地元の連中とはもめないかしらね。

 お魚の群れに〈田舎者〉(ホブゴブリン)がいるって話なんだけど、〈領主〉とか〈英雄〉が交じってるようなやばい噂は無いわよね?」

 〈領主〉はゴブリンロード、〈英雄〉はゴブリンチャンピオンと呼ばれる変異種だ。
 敵勢力の情報は命にに係わることだ。

 レベッカは外様の自分たちにゴブリン退治の依頼が来る時点で、盗賊ギルドの方も多少動いていると見ていた。

 本来盗賊ギルドとしては、都市外の冒険者が地元の依頼をすることをあまり好まない。
 何れ出て行く冒険者が、討伐のような実入りの良い仕事をするということは、すなわちその都市の人材が不足しているという情報そのものになるのだ。
 勢力的にどこかのコミュニティが弱体化すると、影響を真っ先に受けるのが、情報を統制する裏の組織である。
 外の人間に弱みを見せたくないため、外様の冒険者が仕事を受ける場合は何らかの印象操作、情報操作をすることも多い。

「そうさな…〈まじない師〉も交じってなかった様子だが、ちょいと〈田舎者〉と下っ端ばかりにしちゃ、統制が取れてたみたいだ。
 上位種がいなくてこういうパターンだと、まず〈黒兎〉や〈山羊〉が混じってやがるかもだ。

 あんたらが受けてくれるならありがてぇ。
 名が知れてる分、義侠心で受けた流れで噂を流せるからよ。
 そん時は俺がケツを持つ。
 気を付けてやってくれ」

 〈まじない師〉はゴブリンシャーマンのこと。
 〈黒兎〉はダークエルフ、〈山羊〉は悪魔崇拝者や邪教徒を意味する。

「げぇ…マジ?
 〈黒兎〉が混じってたら、倍は貰わないと話にならないじゃない!

 もし野郎の黒い耳を掴んだらくれてやるから、あんたたちの方からも増額しなさいよね」

 ダークエルフ。
 邪悪な行いに染まった黒い肌のエルフである。

 エルフ、というのはこの世界に人間同様に存在する亜人種のことだ。
 基本的に人型で、人間に近い知性を持ち交渉が可能なものを亜人、まともな交流ができないものは妖魔として扱われる。

 エルフは精霊を祖とする妖精の末裔であり、森を拠点に活動するウッドエルフや砂漠を放浪するデザートエルフ、高度な文明を築いたハイエルフ…
 様々な種類が存在する。

 そして、闇の精霊や邪教と深く関わり、肌の色が黒く変わったものをダークエルフと呼んでいた。

 ダークエルフは、そもそも存在自体が異端とされ教会組織からは忌み嫌われており、普通のエルフたちからも不倶戴天の敵とみなされていた。
 加えるなら、そのように扱われてしかるべき行動をするものが多く、ダークエルフと言えば犯罪者や反社会主義者であるということも珍しくない。

 レベッカの言う黒い耳とは、ダークエルフ関連の情報を示し、別の犯罪組織がその後援にいる場合はアレトゥーザの盗賊ギルドでも重要な情報となるからだ。
 得意海賊が暴れまわっている時に連動しているため、妙にきな臭いと感じていた。

 優れたダークエルフは、持った力を背景にゴブリンなどの下級妖魔を統率して度々問題を起こし、実力は中級冒険者を凌ぐこともある。
 もしダークエルフが首魁となる討伐であれば、銀貨千枚ぐらいは貰い受けるものだ。
 ついでに報酬を増額するために手を打つ、ということである。

「ま、しゃあない。
 ちょうどいい〈網〉(手段…この場合は技能のこと)も手に入れてるし、うちのリーダーに話しておくわ。

 他には何かない?」

 前渡しで情報料代わりのネタはは渡してある。
 それで手に入る限りの情報を、とレベッカが促すと、ファビオはここで真顔になった。

「…ちょいと噂なんだがな。
 この間お前んとこの色男に尻雑巾させられた坊主だが、“獣(ベスティア)”と接触を取ろうとしてるみたいだな。
 提示した報酬が安くて、今回は野良犬を飼うのが精いっぱいだったみたいだが。
 “獣(ベスティア)”は最近、南海で仕事してる素手の格闘術を芸にした凄腕の用心棒だ。

 野良犬の中に一匹結構やんちゃのがいる。
 血に飢えてる奴だから気を付けてな。

 あと、とんでもねぇ〈虎〉がもう一匹南海に住み着いた。
 “紅き月”が南海にいるってのは聞いてるか?」

 レベッカが後の方に聞いた二つ名に、ばっと顔を上げた。
 冷たい汗が滴る。

 暗殺業に身を置いたこともあるレベッカは、同じ業界の実力者のことを聞き知っていた。
 彼女の知る限り、殺し屋や暴力を生業にする者たちの中で台頭した新参者では、最高峰の一人。

「…“紅き月”って“血塗れの暴龍”とか“鉄の鱗”とか、複数の二つ名で呼ばれてる仕事請負人よね?
 ここ何年かで大暴れして、業界の新人では化け物って言われてる…

 白昼堂々、護衛に囲まれてた要人の首を刎ねて逃走したとか、山ほど矢を撃ち込まれたのに避けもせずに跳ね返して十人斬り殺したって馬鹿みたいなことやってのけたって聞くわ。

 ほとんど情報が入ってこないんだけど、最近組織を一つ潰したって噂があるわね」

 ファビオが頷く。

「…噂じゃねぇ。

 この間フォルトゥーナの悪党の巣窟に、たった一人で殴り込んで皆殺しにしたのかそいつだ。
 数で脅して引き込もうとした暗黒街のボスをぶった斬ったらしい。
 十人以上いるそれなりの護衛を、単身で突っ切ってな。

 子供を殺すのと盗み以外は、金次第で要人暗殺から用心棒まで荒事専門で請け負うそうだ。
 律義だが、敵には容赦しない徹底した仕事っぷり。
 アンデッドも真っ青ってぐらいタフで、三階から壁を駆け下り、泥濘で飛び跳ね、橋の欄干の上を走って追っ手を撒いたんだとか。
 多分、野伏どもが使うような悪所の踏破術をマスターしてやがるんだろう。

 俺の所の情報じゃ、東宝系の名を名乗ってるらしい。

 やばい奴だから、関わらないように気を付けてな」

 レベッカは、「心するわ」と眉根を寄せた。


 賢者の塔に寄ったロマンは、図書室に行きたいのを我慢して、今日アレトゥーザに戻ってきた旨を報告した。
 一応は派閥に属する魔術師学院連盟…学連にも籍を置く魔術師だからだ。

 面白い講義を開かないかチェックし、図書室が閉まっている日や、著名な魔術師の滞在等を調べ、同門を見かけたらできれば声をかけるつもりだった。

 めぼしい情報が無かったため、つまらなそうにしていると眼鏡をかけた魔術師…エルネストが声をかけてくる。

「ロマン君、久しぶりですね。
 
 今はアレトゥーザ中の魔術師が海賊退治の関係で海軍に駆り出されていますから、ろくな講義が無いでしょう?」

 何度かと種室に通ううち、ロマンはエルネストと懇意になっていた。
 この魔術師は優秀で、南方大陸から渡ってきた魔術の講義なども行っている。

「お久しぶりです、エルネスト師。
 ついこの間までフォーチュン=ベルの方にいたのです。

 調合術の方を少しばかり齧ってきました」

 そういって、道具袋から【知恵の果実】や【若返りの雫】を取り出す。
 いつもは無表情なエルネストの眉がピクリと動いた。
 ロマンの出したそれらが高品質であることを見抜いたからだ。

「これは…。

 君なら奥義と言われた【エリクサー】や、伝説の【賢者の石】に手が届くかもしれませんね」

 過分な評価に、今度はロマンの方が困ったような表情になった。

「実はこれらは失敗作なんです。
 効果自体は一般のものより高いけど、それ以降に材料として用いようとしても調合ができません。

 推測ですが、【エリクサー】に至るにはもっと振り幅がある普遍的な品質の方が良いのかも。
 次に機会があれば、試してみるつもりです」

 ロマンの出した答えに、エルネストは「なるほど」と興味深そうに頷いた。

「…これらの調合ができることは、あまり公けにしない方が良いでしょう。
 調合法を悪用すれば、莫大な富を生み出せます。
 賢明なロマン君はそのような愚かなことはしないでしょうが、あなたのような年齢の者がそういった力を持っていれば、取り込もうとする輩も必ず現れます。

 特に老害とも言える魔術師たちには。
 金は実権や地位を得るために役立ち、若返りや万能の薬は彼らに邪な時間を与えるでしょうから」

 不意にエルネストがそのような忠告をする。
 ロマンは「わかっている」というふうに頷き返した。

「そのあたりは大丈夫です。
 最近僕のパーティのリーダーが、貴族と懇意になりましたから。

 “風を纏う者”は伯爵家の御用冒険者というわけです。
 その手の老害は、狡賢いですから手は出せないでしょう。

 僕がエルネスト師に話すのも、半分は僕らにちょっかいをかけるなと知らしめるためです。
 知識と技術があることを示して興味を持たせ、背後を調べさせて身を引かせる。

 こういう情報の使い方は、師の方が心得てらっしゃるでしょうから」

 実力を示し、権力を背後にちらつかせる。
 黒い手段だが、有象無象の欲深な人間を退けるのには手っ取り早いのだ。

 人の好い様子をさらしていればむしり取られる…だから力を示して遠回しに周りを威圧するのは、魔術師が良く行う社交術である。
 
「君のような少年が、〈畏怖の外交〉を使うのですか。
 末恐ろしいですね。

 賢者の塔は君を決して軽んじないでしょう。

 ただ、先日ちょっかいをかけてきたような輩もいますので、油断はしないように。
 彼の御仁は先日人体実験をして学連から追放され、素行の良くない人々と付き合っているようですから」

 ロマンは、前に難癖をつけてきたヒギンという魔術師の濃い髭面を思い出し、げんなりとした。 


 ラムーナとジゼルは連れだって、アデイを訪ねようとしていた。

 ラムーナは、しばらく依頼で出かけることを報告するため。
 ジゼルは、本格的な舞踏を学ぶためである。

 アデイは、大運河の側にある劇場跡で海を眺めていた。

「なるほど。
 事情は分かったわ。
 私は身体が不自由だから、踊って教えることはできないけれど、あなたの舞踏家になりたいって夢は全力で応援するわね。
 その気持ち、とってもわかるから。

 ジゼリッタさんだったかしら?
 まずは体力をつけないといけないわね。

 舞踏の基礎は、最後まで踊り切ること。
 あなたは動作に関しての才能はあるけれど、姿勢を長時間維持したりするのは苦手そうね。

 まずは体臭を消し、筋が角ばって見えないようにできるだけ内部の筋肉を鍛えて、徹底した柔軟さを得るための食生活をしないと。
 そのために、アレトゥーザの海産物と南海地方の果物をたくさん食べてね。
 体力を維持するためにものすごく動くから、肥える心配は全くないわ。

 身体の柔軟運動はそれなりにできるみたいだけど、まだ硬そうね。
 きっと躍動的な踊りではなく、舞のようなゆったりとしたものが素地になってるのでしょう?

 大都市で開かれる舞踏の大会では、躍動感と流麗さの両方ができて初めて及第点。
 両方できるように技能を磨いて行きましょうか」

 話を聞いたアデイは快諾して、ややフライング気味に今後の方針を話し始めた。
 新しい弟子ができたことが嬉しいのか、黒曜石のような瞳がキラキラしている。

 ラムーナは芸能として舞踏を極めるつもりが無いのだそうで、アデイは「せっかく才能が」と残念に思っていたのだという。
 舞踏家であれば、大抵の者は披露する場を求め、その道で成功することを夢見るのにだ。

「う~ん、私って冒険者だから、仲間と一緒にいられて生活できればいいんだ。
 闘舞術も、私に一番合ってる戦いの技術だったから。

 私は舞踏家だけど、第一に戦士なんだよ」

 元々最底辺の生活だったラムーナにとって、優先すべきは生活に役立つ技術であり、仲間に貢献することだ。
 愛する姉を病で失い、親に売られたラムーナは、手に入れた“風を纏う者”という居場所を失うことが最も恐ろしかった。
 冒険者として経験を積む上で、自分に求められる役割は何かちゃんと自覚している。

 冒険者をしながら舞踏で成功することを夢見て、二足の草鞋を履こうとしているジゼルは考えが甘い。

 でも生々しい話でジゼルの夢を貶めるのはあまりに無遠慮。
 天真爛漫に見えて、ラムーナは周囲の空気を読む女の子なのだ。

 妬ましいほどに、ジゼルには才能がある。

 ラムーナは自身の才能をよく自覚していた。
 身体は軟らかいし俊敏ではあるが、自分の才能はあくまでも常人より優れているライン。
 決して天才の類ではない。

 対して、ラムーナの周囲にいる仲間たちは天賦の才能を持った者ばかりだ。

 リーダーのシグルトは、英雄となりうる器と期待され、結果を出し続けている。
 レベッカの器用さと狡猾さは盗賊として最高峰だ。
 ロマンは子供でありながら大人の学者を論破するほど頭が良い。
 スピッキオは聖職者としての地位を持ち、治癒の神聖術を使いこなせる。

 貧民出身で奴隷身分を経験し、春を売る姉を見て両親に虐待されながら育った。
 生まれた時から「いらない存在」と親に断じられ、姉に依存するしか生きられなかった少女時代を過ごしたラムーナは、自分が役立たずになって捨てられることが何より恐ろしいのだ。

 シグルトたちは絶対に自分を見捨てないと分かっているし、信頼してもいる。
 それでも、冒険者は〈険しきを冒す者〉。
 いつどこで誰から野垂れ死ぬか分からない…だから、ラムーナの中には過分な夢を持つのは贅沢だと思っている。

 多くの人間は、現実的なことを少しでも言葉にすれば、そんなことは無いと怒りだす。
 平等と人権を謳う思想家が実際はただの働かない借金魔だったり、自分は実はお姫様で運命の王子様が迎えに来てくれると信じている頭がお花畑の小娘は気が付けば薹が立っている。

 かつて戦で負傷し退役させられた父が、自慢げに何人の敵を殺したか語っていたが、「なぜ軍隊に戻って兵隊をしないの?」と聞いた弟は、普段ラムーナよりも可愛がられていたにもかかわらず歯が抜けて顔を血塗れにするほど父に殴られた…自分が同じ言葉を口にしてたなら殺されていただろう。

 作り笑いをしながら、今の自分は嫌な目をしているのだろうと自己嫌悪する。

「私、実は心臓の病気なんです。
 最近は調子がいいけど、そのせいで小さい頃から激しい運動をさせてもらえなかったので。

 こんな私でもちゃんとした舞踏家になれるでしょうか?」

 ラムーナの考えに気付きもせず、アデイに体力の無さを指摘されたジゼルは、不安そうに問うた。

 「心臓の病気なの…」とアデイは少し暗い表情になった。

 昔から心臓を病んでいた人間は多い。
 運動をする者にとって大変な妨げになることも知られていた。
 心臓移植などの技術が無い時代、この類の病気はほぼ不治の病でもある。

「…あのね、ジゼルさんは病気以前に呼吸の仕方が悪いんだってシグルトが言ってたよ。

 心臓病の人は動悸のせいで呼吸が切れ切れになるから、肺に残った息を全部吐いて新しい空気を吸い込まないといけないんだって。
 古い空気が肺に入ったまま次の呼吸をすると、疲れやドキドキが治まらないし、心臓を締め付けた状態が続いて良くないの。
 急激な呼吸は心臓を締めることがあるし、病気によっては深呼吸が逆効果になる人もいるらしいけど、ジゼルさんの病気には呼吸とそのために使う筋肉の鍛錬がとっても大切みたいだよ。
 そういった身体の中の筋肉を鍛えることで、心臓の筋肉にかかる負担も少なくできるんだって。

 舞踏家って、踊りの間に的確に呼吸をして、その空気でメリハリのある動作をするから、まず呼吸のための姿勢と正しい呼吸の仕方をマスターすればいいんじゃないかな?

 私、冒険者になりたての頃は猫背で姿勢が悪くて、上手く呼吸ができなくて今の半分も体力が持たなかったんだ。
 シグルトに言われて、アデイ先生に体幹を矯正する姿勢の取り方を習って、上手に息が吸えるように呼吸筋っていう筋肉を鍛えたら、私の心臓もドキドキするの抑えられるようになったから。

 私もジゼルさんの先輩冒険者として、主に生存術(サバイバル)と養生術(健康法)の教育担当になってるから、一緒にいる時にやり方を教えるね」

 昼食の時の相談で、シグルトが一般的な冒険者の知識と護身術の指導、レベッカが斥候の技術と地形踏破のやり方を、ロマンが主要言語と怪物や動植物の知識教育、スピッキオが宗教と法律に商業知識などを教導する算段になっていた。
 ラムーナは生活や生存にに関わることの指導になっていた。

 無茶をするはずの冒険者になぜ養生術が関係するのかというと、実は生水を飲んで腹を壊した後の回復の仕方や、攻撃によってダメージを受けた場合に身体に歪みを残さず回復することも、生き残るために大切な要因だからだ。
 意外と知られていないが、傷薬の飲み過ぎで引退後に光を忌避するようになったり、骨折の後遺症で歩けなくなる冒険者は多い。
 骨接ぎの仕方や、怪我をした時に破傷風にならないための応急処置、傷の縫い方、一般的な薬草の知識など、憶えることは多岐にわたる。

 “風を纏う者”の中でこういったことの第一人者は、間違いなく医術に通じたシグルトなのだが、  彼は〈同性〉のラムーナにそれを任せた。
 養生術には、女性特有の生理現象や野外生活における着替え方などのノウハウも含まれており、ラムーナはそれらをレベッカに教わっている。

 「お手柔らかにお願いね」とジゼルが上目遣いで見返すと、ラムーナは俺はそれはいい笑顔で「うちの方針はスパルタだよ~」と切り返すのだった。


 スピッキオは教会でマルコ司祭に旅立つ挨拶をしていた。

「そうですか。ゴブリン討伐に。
 確かに海賊の活動が活発で、怪物の討伐依頼が疎かになっていますからね。

 議会制のアレトゥーザは、君主制の国家よりはそういった討伐にも援助金を出すのですが、融通の利かない性質もありますから」

 先日船の衝突事故で多数の死傷者が出た時、新しい神聖術を習得したスピッキオが多くの人間を救ったことで、教会の穏健派に属する聖職者はスピッキオに敬意を払うようになっていた。
 アレトゥーザの教会で多くの聖務を任されるマルコ司祭もその一人である。

 マルコ司祭は、アレトゥーザの聖海教会では穏健派の筆頭として知られていた。

 聖海教会は今、大きく分けて三つの派閥がある。

 一つ目が保守派と呼ばれる原理主義者たちで、精霊信仰や土着信仰を排斥し、厳しい異端弾圧と正義を重んじる派閥。
 二つ目が穏健派と呼ばれる平和主義者たちで、土着の信仰や異教・異文化との折衝を行い共存をするべきとする派閥。
 三つ目が中立派あるいは修道派と呼ばれる者たちで、事なかれ主義か俗世の些事に関わるべきではないと考える派閥である。

 スピッキオは元は修道派の修道士であり、修道院を追われて聖職者となり、巡礼を経て穏健派になった過程がある。
 そも中立派は派閥などを意識していない者が多く、紛らわしいことにスピッキオが修道院にいた時は「修道院の中の派閥」で凌ぎ合っていた。

 現在のアレトゥーザにおける教会事情は、保守派の方が多いものの、穏健派として教会の若手におけるまとめ役のマルコ神父とアレトゥーザの市長が穏健派であるため、勢力が均衡している状態だ。

 スピッキオ自身は自分の立場に頓着していないが、実際のところはマルコ神父に次ぐ穏健派の中核的な聖職者として認知されつつある。
 実家は南海でも有力な商会であり、会頭である兄はスピッキオの教会に多大な援助をしてくれる立場にあった。
 シグルトを通じて、西方貴族との縁を取り結ぶこともしたため、交易を行う立場の商人たちも穏健派に加わり始めた。

 保守派を信奉するのは、原理的な教会崇拝者や、精霊術師が精霊宮を放棄したことで災害による被害を受け逆恨みをした人間に多く、古い権威にこだわるアレトゥーザの議員や、交易によって仕事を奪われた者、貧しい民なども加わっている。
 悲しい話だが、生活苦に喘ぐ者は何かを憎むか信仰に縋ることで精神の均衡を保つ者が少なくない。
 交易品の輸入で仕事を失った職人や、土地の汚染で食物の栽培が難しくなった貧しい農夫たちは、ことさら精霊術師を目の敵にしている。

 南海における保守派の指導者は、現在法王庁において法王選定会議(コンクラーベ)で法王候補として挙げられているマツォーニ枢機卿である。
 貧民の救済を掲げる潔癖な人物だが、あまりに潔癖な性格がたたり、法王選定会議では不利という話であった。

 保守派の中にも賢人はいる。
 しかし、現在は一部の原理主義者が暴走して、精霊術師や異教、女性を差別する過激派が勢力を持ち、暴力で攻撃する事件が増えていた。
 マルコ司祭やスピッキオも、ミサを妨害されたり、説教の最中にヤジを飛ばされることは頻繁にあり、神聖術の【聖なる矢】で演台を破壊されるといった事態まで起きている。

 スピッキオとしては、ゴブリン退治や他の都市に行くということで、一旦アレトゥーザを離れるのは都合の良い。
 彼がいることで保守派の心情を逆なですれば、周囲の人間が被害に及ぶかも知れない。

 幸い保守派の側にも過激派の暴力を苦々しく思っている者たちがおり、距離を置いて頭を冷やせば、彼らが暴走を鎮めてくれる可能性が高い。

 シグルトの提案でペルージュに行くという話も、有難い話であった。
 
 ぺルージュの司教座に属す知人の教会が、風繰り嶺の側に広がる荒野にあった。
 修道士として修業する頃に後輩として世話を焼いた縁があり、特別な才能を見込まれて修道士から退魔師となって聖北教会に即すようになってからも、ずっと手紙をやり取りする仲であった。
 その人物は今は司祭位になり、教会の異端裁判によって生まれた孤児や、悪魔の憑依によって人生を狂わされた子供たちを引き取り、人の行き来が少ない荒野に教会を建てて子供たちを育てているという。

 縁が無くなかなか彼の教会を訪ねられなかったが、この機会に訪問して一晩信仰について語り明かすのも悪くない。

 挨拶を終えたスピッキオが神に祈ってから、一足先に宿に帰還しようと礼拝堂に入ると、祈りの姿勢でロザリオの珠を繰りながら祈る信徒の姿を目にした。
 澱みの無い神聖語の祈りの言葉は、聖典に書かれたものをそのまま丁寧に読み続けたからこそできる、熟練したものだった。

 関心関心と側に近づくと、その人物はスピッキオに気が付いたように祈りを止め、無言で頭を下げた。

「これは失礼した。
 祈りを遮るつもりはなかったのじゃ。

 どうぞ続けなされ」

 スピッキオに促されると、その人物はもう一度頭を下げ、祈りへと戻った。

 まだ若い。
 ラムーナと同じぐらいの年頃だろうか。

 紺色の質素な服に腰には剣を佩き、背丈は高くも低くも無い。
 中性的な外見で肌は雪のように白い。
 扁平な造形ではないが、東洋系のエキゾジックさを感じさせる顔立ち。
 伸ばした曲の無い黒髪と神秘的で深い色の瞳は、西方ではあまり見られない類のもの。
 端正な顔立ちをしていて、一目では美しい少年なのか男装の美少女なのか判断がつかなかった。

 男性にしては高く女性にしては低い、優れた肺活量から発生される深みを備えた音声。
 喉を見て、男性には見て取れる凹凸が無いことで娘であると初めて判断できた。
 
 ロザリオの珠を一周繰り、祈りを終えたその娘は立ち上がると、スピッキオにもう一度礼をした。

「随分熱心に祈っておられたの。

 感心なことじゃ」

 称賛の言葉をかけると、娘は「いいえ」と首を横に振った。

「私は、全ての戒律を守れない業深い身の上で御座います。
 天国に行くことはできますまいが、せめて懺悔のために祈っているのです。

 司祭様より、お褒めの言葉を戴く資格など御座いません」

 その言葉でスピッキオは事情を察した。
 彼女の伏せられた目は、ちらりと腰の剣に向けられたのだ。

 おそらくは冒険者か傭兵。
 人を殺したことがあるのだろう。
 
「御国の門は、信心深き者すべてに開かれておる。
 悲観せず真摯に祈りなされ。

 すべての罪が主の愛で贖われたように、あなたの祈りも天に届いておるじゃろう」

 少しだけ目を見開いた娘は微笑むと、もう一度頭を下げて去って行った。

「あのような敬虔な者も手を血に染めるのか。
 物悲しいことじゃの。

 主よ、あの娘御の未来を照らしてやって下され」

 スピッキオは、いつもの祈りとともに、今日出逢った敬虔な娘のために祈るのだった。
 

 精霊術師レナータは夕暮れの町並みを独り歩いていた。
 
 普段は買い物以外めったに外出せず、『蒼の洞窟』にいることが多いレナータだが、今日はなんとなく外に出る気になった。
 
 今まで独りでいることは平気だった。
 何とか生きてきたし、普通の人に精霊術師という力や感覚を無理に理解してほしいという気持ちでもなかった。
 孤独という状況には慣れていたはずだ。
 
 でも最近、ふと無性に寂しくなって思い出す人たちがいた。
 
 自分と同じ精霊術師としての才能に溢れ、もうすぐレナータを凌ぐのではないか、と思わせる人物がいる。
 レナータに精霊術を学ぶため、『蒼の洞窟』に時々やってくる冒険者の若者だ。
 
 最初の頃は気弱な気配があったその若者は、先日再会した際、瞳に自信が漲っているのを感じた。
 精霊術師として共通の感覚や知識を持っていることから、あまりしゃべらなくても分かり合える、親近感のようなものがある。
 おそらくそれが〈同属〉の共感なのだろうとなんとなく思う。
 
 互いに理解し合える、同じ何かを持った者同士。
 
 言葉で表現するのはとても難しいが、その若者に精霊術を教えるととても充実した気分になった。
 新しい精霊術を習得し、瞳を輝かせていた彼を思い出し、レナータは頬を緩めた。

 他にも、自分に好意を寄せてくれる人間は複数存在する。

 最近新しい交易路ができたことで、リューンなどの西方都市からどっと人が流れ込んでいた。
 特に冒険者。

 アレトゥーザには、過去精霊術師と教会との間に大きな諍いがあった。

 自分が師との旅を終えてアレトゥーザにやってきた時、すでにこの都市の多くの人間が精霊術師を悪いものと考えるようになっていた。
 精霊宮か放棄されており、度重なる自然災害がアレトゥーザを襲ったことを、教会は精霊術師の職務放棄のせいだとして喧伝し、それを信じている人間が多い。
 多数派とそこに住む者たちの事情こそが、常識という正義になるのだ。

 師レティーシャに水の精霊術の手ほどきをしてくれた恩師、カッサンドラという精霊術師がいた。
 優れた精霊術師であり、名門カヴァリエ―リ家の遠縁に当たるというその女性は、精霊宮で水害を防ぐ部門の責任者であった。
 水の上位精霊である水姫アレトゥーザの召喚に成功し、穢れた水を浄化して人々の病を癒した彼女は、蒼の洞窟に南海の海路へと襲い掛かる海の魔物を退けるための装置を設置し、祖国を大いに発展させる貢献をしていた。
 
 カッサンドラは異国や異文化との交流を推奨する先進的な考えの持ち主でもあった。
 ウッドエルフであるレティーシャにも種族的な差別をせずに接してくれたという。

 当時さらなる十字軍の東征を企画していた教会は、異教徒たちとの交流の中核でもあったカッサンドラを疎ましく思っていた。
 精霊術師たち、特に水の女精霊術師を、水害を自分で起こしそれを鎮める自作自演の魔女だと因縁をつけて迫害し始めたのもその頃からである。

 これに対し、カッサンドラは「アレトゥーザ市の交易に東征は毒である」として、商人たちを味方につけて十字軍の編成を阻止しようとした。

 十字軍を聖務と考えていた教会と結託していた一部の聖堂騎士たちは、カッサンドラの言葉に怒って暴走し、弟子を人質にしてカッサンドラを拘束、魔女として火刑を宣言した。

 死ぬ覚悟を決めたカッサンドラは、密かに水姫アレトゥーザの聖女化を画策していた教会の目論見を見抜いて召喚の奥義書をカヴァリエ―リ家に返還し、弟子たちの命を救うため火刑を粛々と受け入れた。
 弟子たちはカッサンドラとの約定で命は救われるはずが、それを破った騎士たちによって殺されそうになり、精霊宮の他の術師たちによって助け出される。
 数々の悪行に怒り狂ったカッサンドラの弟子たちは、火刑に携わった教会の高僧数名と騎士たちをケルピーの力によって溺死させる事件を起こす。
 十字軍計画はこの事件で頓挫し、教会は少なからず汚名を負うことになった。 

 当時の市長は、ことの重大さを感じ取って緘口令を引いた。
 あまりにアレトゥーザと言う都市にとって不名誉な事件であったからだ。

 教会の名誉を重んじるという名目で事件を「不幸な行き違いと一部の人間の暴走」として処理し、カッサンドラの処刑に携わった僧侶と騎士たちを教会の穏健派が破門に、復讐に携わった精霊術師たちは国外追放となった。
 カッサンドラの魔女狩り事件があまり明るみに出ていないのは、都市議会と教会の共謀による隠蔽工作のためなのだ。

 だが、カッサンドラを慕っていた者、事件を隠蔽した都市議会や教会に対し不満を持つ者、魔女狩りが起きるのではないかと恐れた多くの者…多くの精霊術師たちが精霊宮の放棄という暴挙に出るのである。

 教会側は事件による汚名を隠すため、その後に起きた諸問題を精霊宮の放棄のせいだとして市民の恨みの矛先をそらし、自然災害や水質の汚染で被害を被った市民たちの多くが精霊術師を憎む状態になった。

 それがアレトゥーザで精霊術師が迫害される原因の真相であると、最近師から貰った手紙で知った。

 不毛な話だと思う。
 事件があったのはレナータの生まれるより前の話だ。
 精霊宮を出てしまった者たちとの因果関係すら、ほとんどない。

 レナータのもとに精霊術を学びに来るのは、その多くが冒険者たちである。
 他の都市の精霊宮に引きこもった精霊術師が、アレトゥーザまで来るはずがない。

 師の師に当たる人物が殺されてしまったのは不幸なことだが、二十年以上昔の話。
 その時代の柵によって今の自分が迫害されるのは、何とも言えない切なさを感じた。

 師の手紙を届けてくれたのは、幼少の折に姉弟のように接して育った師レティーシャの息子である。
 ハーフエルフである彼…フィランダーは、レナータと別れてから故国に帰った後冒険者となり、今では“黒獅子”フィルと呼ばれる凄腕の剣士に成長していた。
 ローズレイク流の獅子の剣を使い、黒髪の蓬髪で大剣を野獣のように振るう様からそう呼ばれるのだという。

 すっかり背が伸びて精悍になったフィルに、「もう“子獅子”ではないのね」とレナータがからかうと、ぶすっとした顔で「今じゃ、そう呼ぶのは姉さんぐらいだ」と尖った耳を掻きながらそっぽを向いた。
 フィルの父親は“獅子心剣”と呼ばれた騎士だったので、師が「私の“子獅子”ちゃん」と呼んでいたのだが、父親を誤解から憎んでいた誇り高い彼はその二つ名がすこぶる嫌いで拗ねていたものだ。

 フィルは、レナータやフィルと一緒に育てられた吟遊詩人のセラ、フィルの異母妹である魔術師のソフィ、優秀な軽戦士で盗賊でもあるロブ、精霊術師で剣も扱える戦士のボアズ、僧侶で補助術法を得意とするパムの六人で“輝きを歌う者たち”というパーティを組んでいる。
 北方の方で活躍し、大陸でも指折りの実力者たちということだ。

 妹のように思っていたセラは、美しい娘に成長していた。
 フィルとともに信心深い性格の彼女は熱心な聖北教会の信者だが、それ故に聖海教会保守派の横暴を苦々しく思っており、仲間とともにアレトゥーザ滞在の間レナータを迫害する輩からそれとなく守ってくれた。

 先日『悠久の風亭』のマスターと女将さんとで、レナータの十九歳の誕生日を祝ってくれた。
 あの宿のことに行くと、脳裏によぎる光景がある。 

 この都市に来たばかりの頃、真っ青な顔をした女性をかき抱いて教会の門を必死に叩いている大きな男の人がいた。
 
 女性はたちの悪い病気にかかっていて、医者では手遅れの状態だった。
 生憎その時、この都市のほとんどの聖職者は近くの都市の式典にでかけていて、女性を救えるだけの神聖術を使える者はいなかった。
 
 教会の留守番をしていた助祭から、癒すことが不可能だと告げられた大柄な男の人は女性を抱いて泣いていた。

 黄疸、爪先や歯茎に出る症状、口から匂ってくる独特の匂い。
 女性は重金属中毒を起こしていた。
 飲み水に混じった毒を長年飲み続けて、罹った病である。
 
 レナータはその女性を、今の自分にとってもたった一度だけしか召喚できない水の精霊ウンディーネの力を用いて癒し、何とか救うことができた。
 
 大柄の男は『悠久の風亭』のマスター、レナータが助けた女性は女将のラウラである。
 
 マスターはラウラの命の恩人だ、と言ってそれからいつも良くしてくれる。
 女将のラウラにもあまった食材をくれたり、夕食に呼んでくれたりと優しくしてくれる。
 
 ぶっきらぼうで乱暴な口調だが正直で根は優しいマスターと、陽気でレナータの師を思い出させるラウラは、レナータにとって今では掛替えのない大切な人たちだ。
 
 聖海教会で神聖術の指導をしているマルコ司祭も好人物だ。
 教会の人間では数少ない精霊術師の理解者で、アレトゥーザの過去の歴史にも詳しく、かつて教会保守派が起こした事件を嘆いていた。
 
 紳士的で精霊術に関しても理解があるマルコ司祭は、何度か他の聖職者からレナータを庇ってくれた。
 自分の信仰をしっかり持ちながら、異教異文化とも共存できるという親和性。
 それを備えた聡明なマルコ司祭を、レナータは尊敬している。

 このアレトゥーザには、好い人たちもいるのだ。
 だから、〈アレ〉を何としても防がなければならない。
 かつてカッサンドラがしていたように。
 
 そこでレナータはふとある人物を思い出して歩みを止めた。
 
「シグルトさん…」
 
 レナータは時々独り言のように呼んでしまう冒険者の若者の名を、大切そうに呟いた。
 
 不思議な若者だった。

 シグルトはレナータが暴徒に襲われていた時、まったく無関係であったにもかかわらず助けてくれた。
 大人びて見えるがレナータと同年代で、高名な冒険者パーティのリーダーをしていると聞いている。
 
 涼める場所を探していたというシグルトは、助けてくれたことを恩着せがましくしなかったし、知り合ってからもレナータのことを根掘り葉掘り聞いたりしなかった。
 ラウラの言葉で言わせればレナータはかなり美人なのだそうだが、シグルトは男から時折自分に向けられて気持ち悪くなる好色な視線を感じさせない。
 だが深く青黒い色の真っ直ぐな眼差しは、レナータを見つめる時いつも優しい。
 
 男女の恋愛には疎いほうだと自覚しているレナータも、シグルトが魅力的な男性だとよくわかる。
 優れた容姿の彼を周囲の町娘たちが宿に集団で覗きに来て、マスターに怒鳴られて蜘蛛の子を散らすように逃げていったらしい。
 
 髪型はかなり無頓着みたいだが黒いそれは獣の鬣のように野生的に見えるし、北方出身だというその肌は女性でも羨ましくなるくらい白い。
 背が高くがっしりしているが、猫科の猛獣のように強靭でスマートな体格。
 顔立ちは女の子が騒いでも無理がないくらい端整で凛々しい。
 
 老いと一緒にあせてしまうそういった外見的な美しさには、それほど興味がわかない。
 精霊術師として日々生活するのが精いっぱいのレナータに、恋愛的な感性を持てという方が難しかったかもしれないのだが。
 もちろんシグルトを含め、端整な顔立ちの男性は魅力的とも思うが、普段から精霊という異形の存在と交信するレナータにとって、外面的なものはさして重要には感じられないのだ。
 
 だが、レナータは外見をおいて有り余る魅力をシグルトの内面に感じていた。

 精霊術師としての直感だが、シグルトにも精霊と感応する才能がある。 
 シグルトが周囲の精霊になんとなく気を配っているのがレナータにははっきり分かるし、精霊の多くがシグルトを好んでいる。

 自然を畏怖し、敬意を示し、しかし狂信せず共存しようとする親愛の気持ち。
 精霊術師にとって、最も大切な心構え。

 性格によって精霊との相性があるのだが、シグルトのそれは稀有なものだ。
 彼は武具の精と通じ合うことができるのである。
 
 金属、ことに鉄の精霊は孤高で気難しい。
 
 精霊には鉄の精霊が苦手なものも多い。
 鉄は他の精霊の力を弱くしてしまうのである。
 
 鉄の精霊からも、他の精霊からもシグルトを嫌う気配はあまり感じなかった。
 
 シグルトは『蒼の洞窟』がとても落ち着くといっていたが、彼に向けられる精霊たちの好意を知れば納得がいく。
 『蒼の洞窟』は癒しを与えてくれる水の精霊たちの力で満ちているのだ。
 
 レナータはシグルトと交流を持つうちに、この人物の傍らにいることがとても快いことに気がついた。
 おそらくは彼の周囲の精霊の動きのせいでもあるのだろうが、レナータの奥底にある何かがシグルトをとても好ましく感じさせるのだ。
 
 最近それが何かなんとなく分かるようになった。
 
「レナータ、よく憶えておいてね。
 
 精霊術師の本質とも言えるもの。
 それは自身の中にある〈精霊〉としての性質なのよ。
 
 生きている人間の魂にも、精霊としての性(さが)というか、核というか、そういうものが少ないけれどあるものなの。
 それを私たち術師は〈霊格〉と呼ぶわ。
 〈霊格〉という言葉にはもっと深く広い意味もあるから、仮に使う言葉だと思ってね。
 
 私は精霊術を学んだ師からこう教えられた。
 自身の〈霊格〉を高め、他の精霊のそれと同調するのが精霊との真の交感だって。
 
 自分の中にある精霊と同じものを覚り、同じような感覚で精霊を識ること。
 私たちエルフみたいな、妖精と呼ばれる存在はほとんどそれが当たり前にできるから、優れた精霊術師が多いのよ。
 
 あなたはとても優れた〈霊格〉をもっているわ。
 
 でも、世の中にはその〈霊格〉がとても美しい人がいるの。
 多くは英雄や、後に超常的な仙人や神人になると言われているのよ。
 
 世界に愛されているその人たちは、必ずしも精霊術師になるとは限らないけれど、困難や苦難を自分自身の努力と強運によって乗り切って、偉大な存在になるわ。
 
 そしてあなたには、出逢えばきっと分かる。
 側にいるだけで精霊術師の〈霊格〉に心地よさを与え、何かしてあげたい気持ちを起こさせるから。
 
 これをカリスマ、と呼ぶ人もいるわね。
 
 英雄が幼少期に死にそうなところを幸運で救われるのは、実は周囲の精霊が助けてくれるからだともいうわ。
 
 もっとも、私はそういう生まれたときからある才能や宿命一辺倒な考え方は、納得がいかないんだけどね…」
 
 おそらくシグルトは師の言うように〈霊格〉が常人離れして美しいのだろう。
 精霊を視認する力でシグルトを見つめると、彼は白銀に輝く磨き抜かれた金属の刃のような清冽な霊気を放っているのが見える。
 あれは見ているだけで、暗闇の中で輝く松明や、魔物や獣を相手にした時に手に持っている武器のような、頼もしくて安心した気持ちになるのだ。
 
 レティーシャはこうも言っていた。

 精霊術師としての究極は、精霊を深く理解し愛してあげること。
 先天的な資質ではない。
 〈霊格〉の美しい者は多くの場合、精霊や上場の存在から受ける期待と鑑賞により、波乱万丈となる自分の運命を御しきれずに自滅したり不幸な最後をとげる。
 それは強運にもなるが、幸福になれるとは限らない。
 側にいる者も、その運命に振り回されることがあるのだ、と。
 
 シグルトにとても惹かれるのはきっと、シグルトの〈霊格〉から受ける暖かな心地よさからなのだろう、とレナータは自己分析している。
 師の言葉から、彼が歩んできた人生を感じられる…苦労した自分に重ね合わせて、共感を覚えているかもしれない。
 
 でもそれだけではなかった。
 
 シグルトはアレトゥーザにいる時、頻繁にレナータの元を訪れ、親しくしてくれた。
 この間、お土産だといって陶器のカップをもらった時泣きそうになるほど嬉しかった。
 
 シグルトの裏表の全く無い厚意が、孤独だったレナータの心の寂寥(せきりょう)を癒し、幸福感で満たしてくれる。
 必要なこと以外話さないレナータも、シグルトには気兼ねなく話すことができる。
 
 恋愛や依存といった感情とは違う。
 〈親しみ〉というとても単純な好意があった。
 
 レナータはそれを恋や愛、友情に昇華するほどシグルトを知らない。
 
 でも、レナータは感情云々は考えずに単純に思う。
 シグルトに逢いたい、と。
 
「シグルトさん…」
 
 呼ぶと名前に宿った精霊が応えてくれるような安堵感がある。

 名とは、その者に最初に与えられた個を認識する宿命の言霊(ことだま)。
 大切な者の名を呼ぶことは、疲弊した魂を癒す原初のまじないなのだ。 
 
 見れば周囲が薄暗くなっている。
 
 レナータは呼びかけに応える者がいないことに対し、寂しげな暗い苦笑を浮かべると、『蒼の洞窟』に帰ろうと踵を返し、途中で人の気配を感じて振り向く。
 そこには招かれざる者たちがいた。
 
 冷たい目の僧服の男、剣を腰に下げた傭兵風、取り巻きのチンピラたち。
 
 僧服の男はよく知っている。
 聖海教会の保守派に属する侍祭でジョドといったか。
 上品な口調で話すが、気障で嫌味、レナータを目の仇にしている。
 前に絡まれたときはシグルトが追い払ってくれた。
 
 周囲の男たちに見覚えはないが、決して友好的な輩ではないだろう。
 
 最も危険なのが傭兵風の男。
 目を見てレナータは背筋が寒くなった。
 サディスティックな狂気を宿した三白眼。
 血を見なくてはいられない好戦的で悪辣な雰囲気。
 
 直感は警鐘を鳴らしている。
 今回はとても拙いと。
 
 走って逃げようとして、喉に猛烈な圧迫感を感じ、身体が吊り上げられる。
 
 後ろから迫った腕の長い男がレナータを捕まえ、喉を締め上げていた。
 次の瞬間、あげようとした声が完全に途絶えた。
 
 見ればジョドが何か唱え終わったような顔をしている。
 
 沈黙をもたらす神聖術【封言の法】である。
 捕まえられて無防備な瞬間を狙われてしまった。
 
 これでは精霊を呼ぶことができない。
 
 ごろつきたちがレナータに殺到し押さえ込む。
 口にはいつ【封言の法】の効果が切れてもいいように猿轡をされ、手足は男たちに押さえ込まれている。
 
 ジョドと傭兵風の男が近寄って来た。
 
 言葉が出ないし、身動きがまったくできない。
 レナータは毅然とした目でジョドを睨み見た。
 
「ようやくこれで魔女の討伐ができるというものです。
 
 この間はおかしな男が邪魔をしましたが、あの男に備えて準備をしたというのに、取り越し苦労だったみたいですね」
 
 周囲を調べた後、ジョドは汚物でも見るような蔑んだ目でレナータを見た。
 
「ジョドの旦那~
 
 俺は殺しができるっていうから、張り切ってやってきたんだぜぇ。
 
 これじゃぁ、滾る血がおさまんねぇぜ」
 
 傭兵風の男は剣を抜いたり戻したりして、不愉快な金属音を立てながら言った。
 
「まったくだぜ。
 なんでも旦那に尻…危害を加えた野郎はいい剣持ってるって話じゃねぇか。
 いなきゃぶんどれねぇだろ?
 
 これじゃ、安い金で請け負った意味がねぇ」
 
 頭を太い腕でかきながら、ぼさぼさ頭の盗賊風の男が出てくる。
 この腕はさきほどレナータを押さえ込んだものだ。
 
「そんなことを言われても、報酬以上は払いませんよ。
 
 いいから早く魔女を殺しなさい」
 
 ジョドは苛々したように二人に命じた。
 
「…ちっ。
 
 つまらんぜぇ」
 
 ぼやいて剣に手をかけた傭兵風の男は、レナータを見下ろしていたが、不意に剣を抜くのを止め、歯茎を剥き出して凶悪に嗤う。
 虫を分解する子供が、新しい遊び方を思いついたように。
 
「なぁ、ジョドの旦那~
 
 魔女にはやっぱり罰を与えなきゃいかんだろ?」
 
 聞いた盗賊風の男も手を打って頷く。
 
 男たちを見ていたジョドが、なるほど、と頷いた。
 
「分かりました。
 
 この魔女を責め、その後に殺しなさい。
 
 …手段は問いませんよ」
 
 男たちはニヤニヤ好色そうに嗤っている。
 
 レナータは若い女で、周りは悪漢たち。
 つまり、レナータは男たちの慰み者にされて殺されるのだろう。
 
 悔しさや悲しさと一緒に、どっと虚しさが押し寄せる。
 自分の今まではこんな奴らに汚されるためにあったのか、と。
 
 現況では抵抗すらろくにできないだろう。
 
 せめてこいつらを喜ばせるような表情だけはすまい…
 レナータはぎゅっと目を閉じる。
 
 男の一人がベルトの金具を弄る音がする。
 きっとさっきの盗賊風の男だ。
 
「へへへ、白くて綺麗な肌だねぇ~」
 
 奴が生臭い息を吐きかけて、レナータにのしかかってきた。
 
(…シグルトさん!!!)
 
 心の中で最後にもう一度会いたい男の顔を浮かべ、その名を呼んだ。
 
「…じゃ、いただきま、ふぐぇ!!!!」
 
 鈍い音と共に、レナータの上に乗っていた重さが無くなる。
 恐る恐る目を開けると、先ほどの男が股間を押さえて泡を吹き、レナータの横に転がっていた。
 
 ボグッ!!
 
 レナータの腕を押さえていた男があごの骨を蹴り砕かれ、転がりながら倒れ伏す。
 彼女の側に、力強い足がしっかりと踏み下ろされていた。
 
 男たちがレナータから離れて一斉に得物を抜いた。
 
「…やっぱり来ましたか!」
 
 ジョドが目を血走らせて怨嗟の視線で睨みつけている。
 
「…俺は〈するな〉と言ったぞ、尻雑巾」
 
 底冷えするようなよく通る恫喝の声。
 混じった侮辱の言葉に、ジョドが金切り声を上げて怒りを表す。

 果敢な声も、この頼もしく長い足もレナータはよく知っている。
 
「すまん、遅くなったな」
 
 完全に日が沈もうとしている瞬間、見えたのは心配そうにこちらを見つめる深く青黒い双眸だった。
 
(…シグルトさん!!!)
 
 大地をしっかり踏みしめ、レナータを背に庇うように立ったシグルトは腰の剣を抜き放つ。
 
「…こんな奴らにお前を振るうのは気が引けるな、相棒」
 
 言葉にしたシグルトに応えるように、彼の手にある鋼は澄んだ咆哮を上げた。
 
 叩き潰すような一撃だった。
 鎖骨を砕かれたちんぴらの一人が白目を剥いて失神する。
 
 シグルトの凄まじい膂力が肩にあった金属製の防具ごと、上腕の骨を粉砕したのだ。
 
 チンピラたちは蒼白な顔立ちで退いた。
 
「おお、すげぇ。
 
 お前が“風を纏う者”のシグルトだな?」
 
 チンビラの間から傭兵風の男が出てくる。
 
「俺は雑魚とは違うぜぇ!!!」
 
 鋭い踏み込みをした傭兵風が重い斬撃を放つ。
 シグルトがそれを剣で受け止める。
 
 ガイィィィィン!!
 
 闇に赤い火花が散る。
 一合、二合と打ち合う刃と刃。
 
「ハッハァッ!!
 
 いかすぜ、あんた。
 違うぜぇ、前殺した奴とはよぉ!!!」
 
 シグルトが防戦になる。
 傭兵風はかなり腕が立った。
 
 そんな中、閃光がシグルトの脇腹を打つ。
 
「ぬっ!」
 
 数歩後退してシグルトが脇腹を庇う。
 その手のひらの間から血が滴っていた。
 
「…旦那~、いいところなんだから邪魔せんでくれよなぁ」
 
 そう言いつつ傭兵風は額の汗をぬぐっている。
 勝負はかなり膠着していたのだ。
 
 レナータは、はっとして猿轡を外そうとするが手足が思うように動かない。
 体重をかけられて押さえられていた手足はうっ血して痣になり、痺れている。
 レナータは必死に猿轡の縛り目を手でこすって外そうとするが、固く結ばれたそれは解けない。
 
「何をやっているんです!
 
 早く倒しなさい、人が来るでしょう!!」
 
 ジョドが叫ぶと傭兵風はやれやれ、興が冷めたぜ、とちんぴらに命じてシグルトを囲ませる。
 
「わりぃな、雇い主がうるさくてよ。
 
 あの魔女のねぇちゃんはたっぷり可愛がってから、おめぇの後を追わせてやっから…死ねや!」
 
 ちんぴらたちがシグルトへの距離をつめる。
 
 レナータは声にならない叫びを猿轡の下から上げそうになった。
 だがその頬に張り詰めた精霊の気配を感じ、驚いてそちらを見た。
 
「…死ぬのはお前らだ!
 
 風の輩よ、奴らを薙ぎ払え!!!」
 
 突風が吹き、悪漢たちが血煙を上げて倒れる。
 
 剣を構え、若者はレナータとシグルトを庇うように立った。
 
「ニコロさん!!!」
 
 ようやく緩んで外れた猿轡。
 レナータは青年の名を呼んでいた。
 
「『悠久の風亭』のマスターに、レナータさんを呼んできてくれって頼まれたから来たんだけど、あいつら…
 
 待ってて、今やっつけ…うわっ!」
 
 ニコロと呼ばれた若者を護っていた風の障壁が軋む。
 傭兵風が襲い掛かってきたのだ。
 
「ちぃ…おかしな魔法を使いやがってぇ。
 
 俺の必殺剣で真っ二つにしてやるぜ!」
 
 その構えを見てニコロの顔の血が引く。
 
(やばい…【居合斬り】だ!)
 
 リューンの闘技場でも教えている剣技だが、威力は凄まじい。
 直撃したら【風刃の纏い】の風の障壁でも護りきれないだろう。
 
「おらぁぁぁぁ!!!」
 
 傭兵風が振るう空を切り裂く刃。
 
 ギシィィィィン!!
 
 だが放たれた剣閃を若者の前に割り込んだシグルトががっしりと剣で受けた。
 負傷した状態で行った防御は力が入らなかったのだろう、数歩下がり脇腹から血が飛沫いた。
 
 距離をとって傭兵風が舌打ちして距離をとる。
 そのシグルトを白い閃光が打ち据える。

 この時、シグルトは身体を緊張させ、鋭い呼気で跳ね返すように力を込めた。
 
「こぉぉぉ…っ!!」

 とっさに【堅牢】を用いることで防御を行ったのだ。
 盛り上がった筋肉が、貧弱な術法を弾き霧散させる。
 
「くそ、あいつら…」
 
 ニコロが魔法を使おうとすると、シグルト素早く声をかける。
 
「俺が一回だけ敵の攻撃を引きつける。
 
 そこを君の魔法で薙ぎ払えるか?」
 
 初めてその目を合わせる。
 二発の【聖なる矢】を受けてなお、男の青黒い目は静かな闘志を宿していた。
 
「はい、でも大丈夫ですか?」
 
 その応えにシグルトはニッと笑うと、高らかに叫んだ。

「《来い、トリアムール!》」

 シグルトの足元からふわりと何かが舞い上がった。

 ニコロとレナータには感じ取れた。
 その風はとてつもなく怒っていると。

 シグルトは彼女の怒りに呼応するように、籠手を着けた逆手を前面に突き出すと、剣を引き敵陣の真っ只中に踏み込んだ。
 
 一見自殺行為だった。
 レナータが悲痛な声でシグルトを呼ぶ。
 
「おめぇ、格好つけて馬鹿か。
 
 まぁいい、おめぇら!」
 
 ちんぴらたちが一斉にシグルトに襲い掛かる。
 
 ニコロが風の精霊を従えつつ、まずい、と思った瞬間唐突にシグルトの姿が消えた。
 割り入ろうとした一人が、突風に胸を裂かれて吹っ飛ぶ。
 
「…ぁぁぁがあぁっ!!!」
 
 そして身体をくの字に曲げた傭兵風が、驚愕の顔でシグルトを見ていた。
 男の着る金属の鎧がひしゃげている。
 信じられない速度の踏み込みと斬撃だった。
 攻防一体の剣、【影走り】である。

 あえて鎧を強打して変形させ、拘束するように動きを封じていた。
 シグルトの行った攻撃は仲間の庇護と自衛だが、人を殺してしまうと後々厄介ではある。
 故に、激痛を与え動きを鈍らせるように狙ったのだ。
 
 なおも反撃しようと剣を振り上げる傭兵男の顔面を、シグルトの拳が殴打した。
 
 豪快な音を立ててくず折れる傭兵男を見つつ、シグルトは眉間にしわを寄せる。
 
「…殺し合いがしたいなら、キーレにでも行ってしまえ」
 
 有名なスラングで吐き捨てるシグルトの後ろで、ニコロの放った風の精霊の刃がちんぴらを残らず薙ぎ倒していた。
 
「ば、ばかな…」
 
 ジョドが真っ青な顔で後ずさっていく。
 シグルトはずかずか歩いていくと、腰の引けているジョドの腹を籠手付きの拳で殴りつけた。
 
 口から吐瀉物を撒き散らしつつ、転がったジョドをシグルトは引き起こし顔面を数回張る。
 
 惨めな顔で震えているジョドを放り出し見下ろすシグルト。
 
「今度レナータに手を出そうとしたら、他の手足も全部へし折って海に捨ててやる…」
 
 熾火が燃えるような眼光で睨みつけると、シグルトは容赦なくジョドの右手を踏み砕く。
 その手には隠し持ったナイフが握られていた。
 
 泣き喚いているジョドを膝で蹴り飛ばして気絶させると、シグルトはレナータたちのところに向かった。
 
「…レナータ?」
 
 ニコロと呼ばれた若者がレナータを助け起こしていた。
 やってきた痛々しいシグルトの傷を見てレナータはぽろぽろと涙を流していた。
 
「…あの、大丈夫ですか?
 
 薬を持ってますけど使いますか?」
 
 ニコロが言うとシグルトは、たいした傷じゃない、といって苦笑いして見せた。
 実際シグルトは二発目の魔法はほぼ耐えきっているし、筋肉を絞めて傷を塞いでいた。
 
 レナータがすぐに水の精霊を呼び出して傷を癒し始める。
 
(痛くないわけ無い。

 【魔法の矢】にも匹敵する攻撃を二発も受けてるんだ、同じ状況ならうちのドワーフだって…)
 
 そう言いつつ、あらためてシグルトを見たニコロは、噂通りの外見に息を飲んだ。
 
(この人が“風を纏う者”のシグルト…)
 
 知る人間は見れば分かるといったが、その通りだった。
 美しいが、それ以上にものすごい存在感がある。
 
 同じ風の精霊と交感することからか、ニコロは不思議とこの男を信頼してしまう安堵感のようなものを感じていた。
 相反して、微かに燻る嫉妬の情も。
 
「…どうして、どうしてこんな無茶をしたんですか!!」
 
 レナータが怒ったようにシグルトの胸を叩く。
 すでにシグルトの傷は彼女の精霊術で綺麗に消えていた。
 
「無茶といってもな…
 
 一部の敵が強く複数だったし、君に大きな怪我が無くて俺は不幸中の幸いだと思ってるくらいなんだが」
 
 泣かせるつもりは無かったんだ、とほつれたレナータの前髪を整えて、シグルトは優しい目で精霊術師の娘を見つめていた。
 
「でも、でも…」
 
 そう言って首を振るレナータにシグルトは頭をかくと、意を決したようにレナータの首に何かかけた。
 
「あっ…」
 
 声を上げてレナータはそれを見る。
 小さな女神をかたどった細工のペンダントだった。
 女神は手に小さな石を抱いている。
 瑠璃(ラピスラズリ)の欠片だろうか。
 
「これからずっと君に幸運がありますように…
 
 当日には間に合わなかったが十九歳の誕生日おめでとう、レナータ。
 俺の用事は、君にこれを渡すことだ。

 贈呈先がいなくなったら困るのでな。
 そのための無茶だと思って、今回は勘弁してくれ」
 
 先ほどの鬼のような迫力を欠片も見せず、シグルトは穏やかに微笑んだ。
 
(うわぁ、様になり過ぎだ…端で見てる僕までドキドキしちゃうよ)

 少し顔をそらしたニコロは、場をごまかすためにとっさに言葉を発した。
 
「ええと、マスターがレナータさんを連れてこいって…」
 
 それを聞いたレナータは、涙をぬぐうと大切そうにぎゅっとペンダントヘッドを握って頷いた。
 安心したようにシグルトはゆっくり息を吐くと、ニコロの方を見る。
 
「礼が遅れてすまない。
 君の助力はとても頼もしかった。
 
 俺は冒険者パーティ“風を纏う者”のシグルトという。
 
 助けてくれて有難う」
 
 胸に手を置き頭を下げ、最大限の謝意を示すシグルトに、ニコロも自己紹介する。
 
「“風を駆る者たち”のニコロです。
 
 噂は伺ってます。 
 
 会えて光栄です、シグルトさん」
 
 シグルトは、君が、と言って大きく頷く。
 
 二人はどちらかともなく互いの手を差し出し、しっかりと握手する。
 
「敬語はいいさ。
 
 同じ冒険者同士、この先に見かけたら気軽に声をかけてくれると助かるよ」
 
 シグルトはそう言って出逢いの挨拶を締めると、レナータを見て「歩けるか?」と聞く。
 
 レナータは歩き出そうとして顔をゆがめた。
 足を捻ったのだろう、少し腫れている。
 すでに癒しの術は使い切ってしまった。
 
 シグルトは足首がぐらつかないように手早く応急処置をすませると、レナータを抱き上げた。
 びっくりして、降ろすように言うレナータに、この方が早いと黙らせると、ニコロにも急ぐよう催促する。
 
「こいつらを自警団に突き出して、理由を話していたら夜が明けてしまう。
 俺のパーティは明日依頼に向かわなければならんし、時間を無駄にしたくない。
 
 死んだ奴も、死にそうなやつもいないみたいだし、いつも不機嫌な番兵に絡まれる前に退散したほうが得策だと思うんだが?」
 
 こんなむさ苦しいやつらに構うのは自由の浪費だ、と続ける。
 
「言えてる…」
  
 二人の男は頷き合うと、『悠久の風』に向けて足早に歩き出した。
 
 これこそが後に語られる“風を纏う者”と“風を駆る者たち”二つの風の最初の交差、眠れる両雄の邂逅である。 



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『碧海の都アレトゥーザ』 風は南海に集う

2018.11.16(21:59) 484

 ウェーベル村での仕事を終え、シグルトはジゼルを連れて、ロマンの待つヴィスマールに帰還した。
 
 ロマンは、シグルトがジゼルを伴って帰ると目を丸くしたが、詳しい事情を聴くと納得した様子で同行を認める。
 毒舌家ではあるが、理が通れば文句を言わない…そんな少年だとジゼルは評価した。

 シグルトの美しさにもびっくりしたが、ロマンの中性的な美しさも群を抜いている。

 柔らかな銀髪に、金褐色の瞳は黄昏の光を閉じ込めたよう。
 白く肌理細やかな肌。
 まだ声変わりをしていない高い声を聞くと、少女だと言っても信じるだろう。

 ジゼルが持前の好奇心でロマンを眺めていると、その横でシグルトが繕い物を始めた。
 明日は出発なので、装備のメンテナンスというわけだ。
 
「…上手ね。

 男の人でもそういうことするんだ?」

 少し新進的な考え方はするが、それでもジゼルはこの時代の女性である。
 男が裁縫をすること自体が異様に感じられるのは、田舎の山中で「それが当たり前」として育ったためもあるだろう。

 実家での裁縫事は、器用なこともあいまってジゼルが一手に引き受けていた。
 彼女がいなくなったことで父である村長は苦労することになるだろう。
 
 見た限りでは、シグルトの裁縫技術は「普通の主婦」程度に手慣れている。

「…冒険者をやっていれば、自然とこの手の作業は増える。

 道無き道を行き、怪物と切った張ったをすれば、ほつれや鉤裂きは付きものだからな」

 そう言いつつ、すでに愛用の外套を縫い終えていた。
 目立たぬように上手に縫い目を隠し、繰り返し丁寧に縫って頑丈にしてある。

 針を片付けるため、シグルトが革製の針刺しを手に取った。
 そこに見慣れない形の針が数本差してある。
 すぐに別の好奇心が首をもたげてきた。

「…この返しのついた小さいのは、釣り針よね。

 でもこっちの弧を描いた針の形はあまり見ないわ。
 職人が絨毯を縫う大きな針に似てるけど…しかも銀製?」

 細工物のように細く、銀で出来た不思議な針を見つける。

 針が弧を描いているのは、平坦な動かせないものを縫うためだ。
 用途も、布のように縫い易く折っやり曲げたりできない物のために使うのだろう。

「ああ、この弧針(こしん)のことか。

 特注の品だからな」

 丁寧に磨かれ、薄く油を塗付したそれは、装飾品のように美しい。

「でも、銀じゃ硬いものを縫う時曲がっちゃうでしょ?
 
 何に使うの、これ?」

 首を傾げるジゼル。

 シグルトは苦笑してその針を取った。

「これは傷を縫うための、医療針だ。

 見た目より柔軟で、曲がってもすぐ折れたりしない。
 銀製なのは、血に触れても錆び難く、錆の毒で身体を害さないためだ。

 弧を描いてるのは、手早く肉を縫うためであり、また片手で縫うことを容易にする工夫だな。
 真っ直ぐの針は、肉の弾力で押し戻されるし、深く刺そうとすると血脂で滑ってしまう」

 実演するように、指の腹に曲がった針を掛ける。
 巻き込む感じでくるりと回す。
 繕いものをするより、随分手慣れていた。

 生々しい話を聞いて、ジゼルの顔が引き攣る。
 
「…鋭利な刀剣による裂傷は、包帯で巻いても傷が癒着し難いし、すぐに開いてしまう。

 手っ取り早いのは、昔からの方法で縫うことだ。
 直針など使えば、縫い難く患者は痛い思いをする。
 下手をすれば、折れた針先が肉に残って危ない。
 針が弧を描いているのは、刺した先端が肉の外に出るという、その特性を考えているんだ。
 
 傷口はある程度深く縫わないと、糸で肉が裂けて傷を広げかねない。
 膿んだ傷口を縫う時は特にな…腐った肉が削げないように、より深く縫う必要がある。
 
 だから、こういった専門の針を使う。

 傷の縫合は、医療的にとても大切な技術だ。
 応急処置でも基本的なことだから、生肉や皮を使って近い感触を確認しながら縫う練習をしておくことも大切だ。

 矢傷や血管からの大量出血を、血管の桔索で止めることもできる。
 止血には、洗濯挟みのようなもので出血点を挟むのも手っ取り早い。
 紐や帯で止血すると、どうしても組織上部分の止血になって、下部が壊死を起こし易くなるからな。 

 専門の知識と技術は必要だが、こういったことができるなら、誰かの命を繋げることもあるだろう。

 獣の牙や爪で肉を抉られたり、戦場で腐った手足を切り落とすことになっても、手当の仕方と道具があれば生き残る可能性は高くなる。
 死ぬ者がいる時は、傷が深過ぎるか治療手段が分からない時がほとんどだ。
 
 俺は戦士だから刀傷や裂傷が絶えないが、治癒の秘蹟で何時も治して貰えるとは限らない。
 仲間の持つ有限のそういった力が尽きれば、すべてを手当てしきれない状況に出くわすこともある。

 …一番嫌な用途だが、死体を見目良くする時にも役に立つ。

 備えあれば憂い無し、ということだ」

 その針は、実際に使ったための摩耗や変色が見受けられた。
 シグルトの言う用途も、随分と具体的だ。

 つまり経験があるということだろう。

 話を逸らそうとして、ジゼルは咄嗟にもう一つの針を取った。

「…こっちの、穴の空いた筒みたいな奴は?」

 まるで見たことの無い形状のそれは、一言で言ってまさに筒だ。
 先端が尖っているから、針の一種なのだろうが。

「それは穿孔刺。

 膿を抜いたり、気道…喉が詰まった時や、打撃の衝撃で潰れて肺が膨らまなくなった時、溜まった血や空気を抜くのに使う。
 この膨らんだ部分は、深く入り過ぎないように肉に掛かる部分だ。

 内出血が酷い時には、適切な応急処置ができるから重宝する。

 ゴブリンやオークは棍棒を武器にすることも多い。
 打撲で内出血したり、肺が破れて息が体内に留まる症状があるんだが…これを使うと効果てき面だ。

 食い物が喉につかえたり、火傷や毒での喉の入り口がで呼吸が止まった時は、これで喉の下の方に穴をあけて気道を確保する方法もある。

 俺が学んだ医者は、腫れ物の中に溜まった患者の膿を出したり、頭に血や水が溜まった患者の治療にも使っていた」

 シグルトが話す言葉の中には、高度な外科の医療知識が含まれていた。

 だが、傍から聞いていれば異質で痛々しい話である。
 ジゼルは聞いたことを少し後悔し始めた。

「他にもこの薄い尖った剃刀は、切開のためのものだ。
 今は糸切りに使っているが、本来は簡単な手術に使う。
 俺は使うのが下手だから、精々鏃の摘出や鬱血の切開にしか使わないが。
 
 …こういった切開手術は、腐ったら切り落とすのが当然と考える現代の医者から見れば、異端とされるものだ。

 だが、手足と泣き別れしたくない時は、異質と呼ばれても頼る必要がある。
 俺は祈って秘蹟が起きる坊主ほど、敬虔ではないのでな。

 こういった罰当たりをするのにも、抵抗は無い」

 腐敗した患部を蛆に食わせることが、一番優れた壊疽の治療法だと教えたら、目の前の娘はどんな顔をするだろう?
 シグルトは筒状の医療針を弄びながら、肩をすくめた。  

「…それでシグルト、これからどうしよう?

 相変わらず湾は時化ているよ。
 悪天候じゃないんだけど、漁にも出られない有様なんだって。
 
 暫くは、状況も変わりそうにないみたい」

 ジゼルが青褪めて硬直している中、横からロマンが現状を切り出した。
 針を手早く仕舞い、しばし思案するシグルト。

「…湾沿いの街道を通り、アレトゥーザに向かうことにしよう。

 ジゼルのことを、『小さき希望亭』の親父さんに紹介しておきたいんだが…
 ついこの間出てきて、今更リューンに戻るのも非効率的だ。

 ここまでくる道中でジゼルと話し合ったんだが、一旦アレトゥーザに行って仲間と合流する。
 ジゼルには可能な旅に連れて行くか拠点で留守居番をして貰い、俺とラムーナで養生術を叩き込んで、冒険者として食っていけるように基礎を教えようと思っている。

 ジゼルは目が良く弓が得意で、斥候向きの資質がある。
 そっちの教導は俺よりもレベッカの領分だから、彼女に早めに面通ししておく必要もあるだろう。

 ジゼルは南海の闘舞術に興味があるらしいから、無駄な寄り道にはならんはずだ。

 南海の湿った空気や暖かい気候は、いくらか心臓にも優しい。
 これから急激に気温が下がる時期だからな。
 冒険者として旅に身体を慣らすのにも悪くないだろう。

 一区切りついたら、仲間との相談次第だが…一旦ペルージュにジゼルを連れて行って、俺の知り合いの医者に見せる。
 聖典教徒の中でも飛び抜けた賢者で、俺の医術の師だ。
 
 ロマン、お前の知的好奇心もきっと満足させてくれるぞ」

 シグルトの提案に、ロマンは「それは楽しみだ」と頷く。

「ジゼルの父親から紹介状を貰った。
 ヴィスマールから馬を借りて移動するとしよう。

 体格的にジゼルとロマンが相乗りだ。
 ジゼルは乗馬を得意にしているから、時間の節約はできるはずだ」

 相乗りという部分で、ロマンは露骨に嫌そうな顔をした。
 都会の人間のように垢抜けてはいないが、ジゼル自身は村一番の美女とも言われていたほどなので、男の子からここまで忌避されるとショックである。

 ロマンがここまで女性を忌避するのは、自身の容姿から女性にもてあそばれることが多く、純朴な一面を持つ彼にとって煩わしいことが多かったからだ。
 特にレベッカ、『小さき希望亭』の娘、“煌めく炎たち”の女性陣にはからかわれているので苦手意識が強い。

 だがロマンの歩く速度はシグルトに遠く及ばないし、ジゼルは女性でしかも病を患っている(実際に心臓は完治しているが)。
 シグルトの提案が最も効率的であった。

「…秋の野営は寒いだろうからね。
 湾沿いに行くなら、絶対海風が冷たいし。

 ヴィスマールで寄り道した分を取り戻せるし、仕方ないかな」

 ウェーベル村を出発する準備中、シグルトは特に念入りに冬支度をしておくように言っていた。
 旅人は野宿する機会も多い。

 病気持ちの自分のことを配慮して貰えていると気付き、ジゼルは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「…そうへこんだ顔をするな。

 君をペルージュまで護衛することは、君の父上から依頼された俺の仕事でもある。
 報酬として金を預かっているし、取引して高価な熊胆を全て貰えたから、まだ面を合わせていない他の仲間たちも悪い顔はしないだろう。

 明日は早い。
 もう休もう」

 シグルトの言葉に従い、一行は早めに休むことになった。

 
 次の日、紹介状を使って借りた二頭の馬に乗り、一行は朝早く出発した。
 秋の気候となり、明け方はまだ空気が冷たい。

 馬の身体に披露が蓄積しないように速度を調整しながら、一行は波音のする湾に沿って旅路を進んだ。

 ジゼルにとって、愛馬のホーリー以外に乗るのは久しぶりだった。
 相乗りするために体格の好い馬を選んだため、目線が少し高くて違和感はある。
 けれどその感覚は新鮮で、決して不愉快ではない。

 ここまで来るのに、不思議と心臓は平気だった。
 生まれた時からずっとジゼルを悩ませていた病は、何故か森神の祭の後、ピタリと治まっている。
 いつもならば、これだけ慣れない体験をすれば、息苦しさになって自分を締め付けてきたのに、だ。

 つい馬の歩みを速めてしまうと、同乗したロマンが美貌には似合わないじっとりとした非難の目で見上げてくるので、どきどきしながら普通の速度を維持する。

 一緒に並んで乗馬して分かったことだが、シグルトも乗馬には慣れている様子だった。
 ジゼルのように乗馬を日課にしていた者から見れば劣るのだろうが、十分に熟練者のそれである。

「シグルトは乗馬もできるのね。

 冒険者って徒歩のイメージがあるから、驚いたわ」

 気をそらすために話題を振ってみると、並足で巧みに馬を操りながら「ああ」とシグルトが返事をよこす。

「俺は一応貴族の出でな。
 乗馬は嗜み程度にだがこなせる。

 父は世襲貴族じゃなかったから、嫡子であっても…実力で騎士になってから武勲を立てて下級貴族の爵位を目指すか、尚武の国風に応じて武芸者として身を立てるか…出世する方法はあまりない。
 俺のような、嫡子以外の子供には普通に貴族になる選択肢が無いんだ。

 だから、自立するために学べることを貪欲に学んだ。
 いつか人生をともにする家族や、母や妹を守れるように。

 武術、言語、医学、伝承に乗馬。

 幸い生家には厩もあって、母から乗馬を教わることもできた。
 〈馬が暴走して森に取り残され、父と出逢った〉という惚気話を聞きながら、将来のためにということでな。

 十歳になる頃には裸馬に乗れるほど習熟したが、ここ半年は時々移動に使う程度で、故国より馬体の大きな奴が多いものだから苦労している」

 秋空を見上げながら、シグルトは独白するように過去を語る。
 背中でロマンが息を呑むのが感じ取れた。

「シグルトのお父様とお母様の出逢いですって?!

 すっごく興味があるわっ!」

 ジゼルは目をキラキラさせて馬から乗り出すと、シグルトを問い詰めるように話をせがんだ。

 今度は「そういう反応するところじゃないよね?」というふうに、呆れたような溜息が漏れる。
 少し嫌そうに、ジゼルとロマンを乗せた馬が嘶いた

 苦笑したシグルトは、旅の間はせがまれるままに、夫婦仲の良かった両親の邂逅を語る羽目になったのである。


 アレトゥーザへの旅は、少し夜が寒かったものの…獣や野盗に襲われることもなく無事に終わった。

 いつも不機嫌そうな門番に挨拶をすると、シグルトたちはすぐに『悠久の風亭』へと向かう。
 宿の扉を開けると、カウンターに座って貝の蒸し料理を肴にイルマーレを飲んでいるレベッカが見える。
 間近の席にはスピッキオとラムーナが座って食事をしていたが、シグルトたちに気づいて手を振った。

「皆揃っているようだな。

 すまん、少し遅くなったか?」

 外套を脱いで壁に掛けると、ラムーナが「大丈夫だよ~」と間延びした返事をする。

「約束の日まで、まだ数日は余裕があるわい。
 とはいえ、皆なんとなく今日あたりには集合できそうだと感じておったようじゃの。

 これぞ神のお導きというものじゃ」

 胸の前で十字を切るスピッキオに、不心得者のレベッカとジゼルの眉間が同時に皺を寄せた。

「せっかくいいお酒で気持ちよく飲んでるのに、寺院の乳香で咽るような気分にさせないでよね。

 とはいえ、私は知り合いに頼まれてた野暮用を済ませてさっき戻ったばかりだし、ラムーナは舞踏の方がモノになったからってことで、あんたたちが来なければ三人で軽い依頼でもやろうかって話てたところよ。
 タイミングはバッチリ…って言いたいところだけど、まずは後ろの可愛子ちゃんのことを教えてくれる?」

 軽くジゼルにウインクをすると、仕事の目になってレベッカがシグルトに問う。

「うむ…彼女はジゼリッタ。
 いろいろとわけありなんだが、彼女の父上から彼女の護衛と知り合いへの仲立ちをする依頼を受けていてな。

 長くなるが…俺の方でかなりいろいろなことがあったから、報告を兼ねて話をしようか。

 何も注文せずにだべるのも他の客に失礼というものだ。
 食事をしながらにしよう。

 女将さん、俺は烏賊のパスタを。
 飲み物は鉱泉水を頼む」

 ジゼルの分まで椅子を引いてくれ、腰掛けたシグルトが昼食を注文すると、宿の女将ラウラが「あいよっ」とすぐに鉱泉水を注いでくれた。

 海辺の都市というのは水質が悪い。
 特に下町の井戸は、海水が混じっているのかわずかに塩辛く、海辺に近い『悠久の風亭』最寄りの井戸も酷いものだった。

 南海地方では初夏の頃に、南方大陸から砂埃混じりの季節風が吹く。
 それによっても井戸が汚れるため、綺麗な飲水は有料となり、酒や果実を絞ったものを飲むものも多かった。

 アレトゥーザには水の大精霊が湧かしたとされる清らかで大きな泉もあるのだが、交易で発展した今のアレトゥーザの民全てを潤すほどの水量ではない。

 こういった井戸水の問題に対処できるのは、水の精霊術だけだ。
 泉の精霊ネレイドや水の精霊ウンディーネは、飲水を浄化させたり、真水を作り出すことができる。

 一昔前のアレトゥーザにはそういった水の精霊術師が多数いて、井戸や溜池や瓶に雨水を溜めたものを浄化して日銭を稼いでいた。
 現在そういった水の精霊術師は、聖海教会の保守派によって迫害され、その多くがアレトゥーザを離れている。

 アレトゥーザの都市名は、水姫と呼ばれる大精霊の名前に由来していた。
 昔、不毛の地にカヴァリエーリという優れた精霊術師がやってきて、この地を水姫の浄化の力によって清めて人の住めるようにしたのがアレトゥーザの始まりだという。

 それから月日は流れ…教会の一派である聖海教会がこの土着の精霊や神を聖人として吸収して、精霊信仰を飲み込んでいった。
 教会は、都市の発生に関わったアレトゥーザの【聖女化】をも画策する。

 だが、アレトゥーザ発祥に関わるこの都市一番の名家カヴァリエーリ家が、断固として水姫の聖女化を認めなかったのである。
 というのも、力ある精霊の幾柱かが、聖海教会に帰順しないことを理由に封印されてしまう事件が起きていたからだ。
 上位精霊の水姫に「帰順か封印か」迫るような無礼を働けば、最悪アレトゥーザが元の不毛の地に戻ってしまう。

 当時精霊術師の多くが教会の横暴に怒っており、聖海教会の穏健派も「急激な布教の推進は乱暴すぎる」と異を唱えたが、教会保守派は精霊術師を多く排出したカヴァリエーリ家や水の精霊術師を目の敵とし、特に女性の精霊術師を魔女として攻撃するようになった。

 このことをきっかけに精霊術師と聖海教会の関係がますます険悪化し、十字軍の遠征と共に南海を拠点として聖典教徒を攻めようとした聖北教会の騎士団と聖海教会の保守派が結託し、水の精霊術師を捕らえて【妖術師】や【魔女】として異端審問にかけ、ついには精霊宮で重要な地位についていた女精霊術師が強引な魔女裁判で火刑に処されるに至り、南海の各都市にいた精霊術師のほとんどが精霊宮を放置して出奔してしまう事態に陥った。
 教会によって箝口令が敷かれたが、精霊術師がいなくなったことで不便になったことや、都市を出た者たちの口まで塞げるわけではない。

 精霊宮は、精霊や悪魔などが実際に存在するこの世界においては、霊的な自然の災害を防ぐ防衛装置として古くから各都市に配置されていた。
 そこに勤める精霊術師が精霊たちを鎮めることで、都市を見舞う災害が激的に減少するのだ。

 精霊術師の出奔で、アレトゥーザをはじめとする南海の各都市は精霊術師の不足により精霊宮が機能しなくなってしまった。

 当然、暴風や波浪などによる災害が激増し、特に深刻な被害をもたらしたのが水質の汚染である。
 豊富な水の精霊たちによって海水を浄化して清浄な泉を湧かせていた南海の村落が、水源の枯渇や飲料水の汚染によって維持できなくなり、村落を放棄する者も出始めた。

 ここで都市における権力の向上を機会を狙っていた第三者…魔術師学院連盟こと〈学連〉の魔術師たちが、古代の下水浄化技術を用いた魔道具で水質の劣化を抑えることになるのだが、水の精霊術の持つ完璧な浄化には及ばず、しかも高価な魔道具はすぐに普及することができずに権力者たちを潤すにとどまった。

 汚染された水源を使っていた下町や貧民街の住人に、特殊な病気が発生しやすくなったのもその頃からだ。
 
 『悠久の風亭』の女将ラウラもまた、水の毒に侵され瀕死の状態になった一人である。
 偶然通りかかったレナータがすぐに井戸水の汚染が原因の病であると見抜いて、ウンディーネの浄化による解毒治療を行い、ラウラは一命を取り留めたのだという。

 それ以来、『悠久の風亭』のマスターは近くの井戸水をそのまま使用するのを忌避するようになり、都市の郊外でレナータが見つけたという安全な鉱泉水や浄化した水を有料で出すようになった。
 『悠久の風亭』の夫婦はレナータに恩義に感じており、聖海教会保守派によって迫害される彼女を庇い、仕事を干されていたレナータに昔同様生活用水の浄化を依頼して仕事を斡旋していた。

 最近新しい街道が完成し、アレトゥーザへの交通事情が変わると、どっと冒険者たちが仕事を求めてアレトゥーザに訪れるようになった。
 これにより冒険者としての精霊術師が入ってきたことで、共和制のアレトゥーザでは精霊術師に対する迫害を止めて人権を尊重する動きが出始め、聖海教会保守派との間に新たな火種が燻っている。

 リューンで後輩の冒険者ができたことや、ディリス王家と知り合うことになった経緯などを話しているシグルトの横で、ロマンから現在のアレトゥーザの話を聞いていたジゼルは、頭から煙が出る思いだった。

 “風を纏う者”の面々は高度な政治的事情を含め、食事をしながら王族や貴族の話題を出し、各都市の情報を政治・商業・学問・宗教の動きなどを論じるため、田舎の村長の娘であったジゼルにはほとんど理解できないのだ。

 別の方に意識を向けてみれば、独特の巻き舌でまくしたてる南海の言葉はさっぱり聞き取れない。
 話の途中で、ロマンは肩をすくめてレベッカたちとの話し合いの方に行ってしまった。

 疎外感を受けていると、すっと近寄ってきたのがラムーナと呼ばれていた女戦士である。
 
 歳の頃はジゼルよりも下で、少女から女に成長する過程の微妙な起伏をした体格。
 美人というより、愛らしいという印象を受ける。
 服の間から見える手足はすんなりとしなやかで、身体を動かす職業独特の躍動的な筋肉が程良い女性の脂肪に陰影を加えていた。

「大丈夫だよ、お姉さん。
 シグルトたちはいつもあんな感じだから。

 お話が難しいよね?
 適当に分かるところだけ頷いていれば、そのうち終わっちゃうよ」

 残念なお仲間認定を受けて、内心複雑なジゼルであった。
 仕方ないので、ジゼルも魚介をふんだんに使った南海の料理を味わうことにする。

 試しに頼んでみた烏賊墨のパスタは、真っ黒な見た目によらず大変美味で、おかわりをすることになった。


 食事を終え、互いの状況を確認した“風を纏う者”は、今後の活動について話し合うことになった。

「事情は分かったわ。
 とりあえず、ジゼルちゃんの方はいずれペルージュに連れて行くとして…
 私達の後輩として冒険者やってくなら、一通り仕事のやり方を叩き込まないとね。
 
 才能は相当なものみたいだけど、身体がひ弱過ぎよ。
 弓を使う職業をしながらできる斥候役は私と微妙に被るし、旅慣れもあんまりしてないみたいだから、“風を纏う者”に迎え入れるのは論外。

 私たちの中で一番体力が無いロマンだって、今は一日に四十キロを普通に踏破するけど、ジゼルちゃんにできる?」

 確認するようにレベッカが聞くと、ジゼルは困ったように首を横に振った。
 舞踏をやるし田舎育ちで、基礎的な身体能力には自信もある。

 それでも、長い間心臓に負担をかけないために生きてきたため、運動量は限られていたのだ。
 アレトゥーザまでの乗馬による旅ですら、かなりの疲労を感じてシグルトやロマンに迷惑をかけている。

「うん、やせ我慢して、できない無理ができると嘘を吐かないのは美徳よ。
 そういう類の偽りはパーティ組んだ仲間が迷惑を被るから、忘れないでね。

 まぁ私たちは、結成して半年ぐらいだけどかなり特殊だから。
 熊と一騎討ちできるうちのリーダーについて行くの、大変なのよ。
 無茶はさせないから安心してね。

 旅の合間にちゃんと冒険者の基礎を教導するわ。
 斥候に関してのノウハウも叩き込むから、覚悟しておいてね」

 レベッカの評価は厳しかったが、仕方ないことだとも思う。

 一緒に数日旅をして感じたが、明らかにシグルトやロマンは規格外だった。
 知識や体力はもちろん、経験や意識が違う。
 修羅場を経験し生き残った冒険者の貫禄は、森で鳥や小さな獣を狩ったのがせいぜいの小娘と比ぶべくもない。

「方針はそんな感じとして。

 これから先、ペルージュの方は寒くなるのよねぇ。
 行くとしたら年内、できれば十二月になる前がいいかしら?

 一応は冬支度しないと、風繰り嶺の吹き颪はつらいかもしれないわ」

 そんなことをレベッカが言い出すと、『悠久の風亭』のマスターが空っぽになった食器を下げながら話しかけてきた。

「今日着いたばかりで、もう他所に行く相談たぁ、忙しい話だな。

 だがよ、ちょいと出発は待ってくれねぇか?
 実は厄介なことになってて、あんたらの手を借りてぇんだ。

 ゴブリンが住み着いて近隣の村で被害が起きてるんだが、最近南海で海賊どもが大暴れしてやがってな。
 このあたりの冒険者パーティが、軒並みそっちに引っ張られてるんだよ。

 あんたらぐらいならわかってると思うが、ゴブリンって奴は群れるから、単独や少数の冒険者には任せられねぇんだ。

 報酬は銀貨五百枚。
 ゴブリンの群れの規模は十匹程度。
 ロード種やシャーマン種はいねぇって話だが、中に田舎者(ホブゴブリン)が交じってるって情報がある。

 群れの規模が二桁になってるのもあって、報酬額の基準的に依頼の受け手がいなくてなぁ」

 討伐依頼の報酬は、二桁のゴブリンの群れであれば最低銀貨六百枚ぐらいが目安である。
 ホブゴブリンのような大型種がいるなもう少しほしいところだ。

「ふむ…討伐の依頼は、冒険者の手が余ってるなら銀貨五百枚でも受け手には困らないはずだが。
 提示された報酬の規模からして、近隣の村々が金を出し合ったものだろう。

 依頼が発せられる時点で、相当に困っているから依頼に踏み切った…海賊騒ぎもある中で銀貨五百枚は周辺村落に出せる限界。
 アレトゥーザのお役所から補助が出ていれば銀貨八百枚ぐらいにはなっているはずだから、海賊の討伐の方に財政を圧迫されて余裕がなくなっているというところか。
 まさに〈泣きっ面に蜂〉の状況だな。

 俺は受ける方に一票だ。

 銀貨五百枚ならば討伐報酬として及第、各自が習得した技能を確認した上で実戦の慣らしをするには良いかもしれん。
 世話になってるこの宿のマスターからの指名、断るのは不義理でもある。

 南海で村を巡っている立場からも、受けるのが道理だと思う」

 シグルトはこういう時、自分たちの実力を考慮した上で義務と道理に従った判断をすることが多い。

「〈鮫〉ども…海賊が騒いでるってのは確かね。
 私の野暮用も、リューン近郊の海賊の勢力情報について調べてる人間からの呼び出しだったわ。
 
 南海の冒険者どもは政府から金が出るってことで、船に乗って遊覧の真っ最中よ。
 船酔いで吐いてる連中もしこたまいるんでしょうけど。

 とりあえず私も受けるほうに一票。
 ゴブリンが溜め込んだ何かを獲得できるかもだし。
 ああいう人型の妖魔は、小銭や宝石を捨てずに持ってることもあるのよ」

 リーダーに加えて、慎重派のレベッカまで依頼を受けることに賛成したので、残りの三人もそれに合わせるように頷いた。

「まぁ、当然かな。
 ああいった妖魔の集団には、【眠りの雲】を習得した魔術師がいるパーティで対応するのがセオリーだから。

 ゴブリンって放置すると地味に鬱陶しいから、僕は構わないよ」

 もっと強いロード種が率いていたオークの討伐も経験しているので、ゴブリンごときには負けないと自負するロマンである。

「私もいいよ~?

 盾と新しい戦いのダンスで、頑張る!」

 ラムーナはガッツポーズを取り、とんとんとステップを踏んだ。
 彼女が習得したのは防御系の戦闘技術なので、早く試してみたいようだ。

「わしも異存はないから、決まりじゃの。
 苦しむ民草を妖魔から救うのも、神の思し召しじゃ。

 さしあたって、ここにおるお嬢さん…ジゼリッタさんじゃったか?
 依頼遂行の間、彼女にどうして貰うかじゃの。

 基本的な教導も終わっておらん新人を、討伐の依頼に連れて行くなど論外。
 どうしたものか」

 スピッキオが確認するようにジゼルを見た。
 急に話題の矛先が自分になってびっくりした彼女は、両手を大げさに振って「構わないで」のポーズをとる。

「私がアレトゥーザに同行したのって、こっちで本格的な南海の舞踏について学びたいのもあったんだ。
 故郷で習った巫女の舞踏は儀礼的なもので、それ以外の技術は我流に近いのよ。

 ラムーナちゃんの先生って、戦いの舞踏を教えてるんでしょ?

 興味があるし、みんなが依頼に行っている間にそっちを訪ねてみるわ」

 護衛対象でもある彼女が方針を示したことで、“風を纏う者”はゴブリン討伐を受けることに決めた。

「滞在場所に困ってるようなら、皿洗いや料理を手伝ってくれる条件で、討伐依頼が終わるまでの間は宿代は取らないで屋根裏を貸してあげるけど、どう?」

 こういう時、絶妙のフォローをする女将のラウラである。
 願ったりの申し出だったので、一行はその好意に甘えることにした。
 
 いつか夢のためにと少しずつ小銭を貯めていたジゼルだが、手持ちの資金はゴブリン討伐の報酬よりも少ない。
 シグルトたちと数日旅をして分かったことだが、旅には思った以上に金がかかる。

 まず関税。
 領地の住人が他領に流出するのは、領地に貢献する領民を失うリスクがある。
 そのため、税をかけることで貧しい領民を囲う。
 税を払わずに領地を出ると里帰りの時に多大な罰金を科せられることもあるので、領民は外の世界に出ることを嫌うのだ。
 さらに他領とのトラブルを避けるため、国や領地を超える時にも関所で税がかけられる。
 大きな都市に入る時も、ちゃんとした通行証が無ければ金で身分を保証するのが普通だ。
 都市を出るまで問題を起こさないための保険として、多額の金銭を預かるという場合もあった。

 次に、食事や宿泊費などの旅費。
 宿が無い村落でも、宿泊する時は労働や物品を対価とするか、最低限の謝礼を払うのが筋だ。
 無断で都市や村落で野宿することは、治安上好ましくないため認められないことも多い。
 道中山野で野営すれば、獣や盗賊、最悪魔物に襲われる危険を冒さなければならない。
 野営中の事故は法律が適用されないことも多いので、自己責任となる。

 他には施設の利用費や、防寒具や保存食などにかかる装備の費用。

 武装のメンテナンスにも金が必要となる。
 ジゼルのような弓使いにとって、矢玉にかかる費用は馬鹿にならなかった。
 時々、「使った矢を拾って再利用すればいい」と簡単に考えている輩がいるが、撃ち込んだ矢の鏃は歪み欠けるし、矢羽も触れることで傷んで命中精度が落ちる。
 獲物から矢を抜く時にシャフトが曲がったり裂けるのは頻繁に起き、弓の弦は張りっぱなしにすると張力が落ちるので普段は緩めるか外す必要もある。
 女性の弓使いは弦が胸部に当たらないように胸当てを着けるし、弦を掛ける人差し指と中指には関節部を切らないように弓籠手や特殊な手袋などで保護するのだ。

 さらにジゼルはダンサーを目指しているわけで。
 そのための衣装代まで考えると、資金繰りに気が遠くなりそうだ。

 仕事の間におけるジゼルの滞在先が決まると、“風を纏う者”は明日にでも依頼に出発することに決め、そのための相談を始める。

 そうして、相談を兼ねた長い昼食の後、“風を纏う者”とジゼルは次の行動の準備を兼ねてアレトゥーザの散策をすることになった。

 シグルトは、妖精が帰還して失った術に代わり、持っている剣術書の技を慣熟させるため、アレトゥーザで兵士に武芸を教える教官を訪ねるとのことだ。

 レベッカは、ゴブリンや海賊の情報を聞き出してくると言って盗賊ギルドに向かった。

 ロマンは賢者の塔に行くとのことだ。

 ラムーナは、ジゼルに請われて舞踏の師であるアデイの仲介をしつつ、しばしの別れを告げてくるらしい。

 スピッキオは、しばらく厄介になっていた聖海教会に挨拶してくるという。

 夕食は各自で済ませ就寝する前には宿に集合という約束をすると、一行はそれぞれの目的のため、一時的に解散するのであった。



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Y字の交差路


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『ジゼリッタ』

2018.11.02(18:06) 483

 出発の朝、シグルトとロマンは早々に食事を済ませると、フォーチュン=ベルの朝市に立ち寄っていた。
 旅の間の保存食や、油などの消耗品を手に入れるためである。

 この時代の旅は、身体一つで踏破できるような甘いものではない。

 山賊や野盗はもちろん、獣や怪物に襲われる危険性。
 崖崩れや地割れで街道を逸れた時の備え。
 旅の最中に負傷したり病に陥った時の対策。

 この時代一般人のほとんどが、故郷を出ることなくその土に還るのが当たり前だった。
 旅とは命懸けなのである。

 シグルトは、故国から西方諸国にやって来るまで、多少は旅慣れしていた。
 西方人がその名を聞けば震え上がる、城塞都市キーレや蛮族領を通過して来たのだ。

 対してロマンは、子供という身の上と華奢な身体つきから、あまり旅に向いていなかった。
 今回は馬があるので移動は楽だが、“風を纏う者”では一番体力も無い。

 シグルトは、ロマンがパーティに居る時は、その体力配分にも気を掛けるようにしていた。

 この少年は要領が良い。
 自分が一番疲れない動作を心掛けているので、並の大人より沢山の距離を歩くことができる。

 シグルトは馬に乗せられる分量を考え、水で増やせる保存食を中心に、重量が軽い物品を購入していた。

 購入といっても、シグルトたちはほとんど通貨を使わない。
 無駄な出費を抑えるためだ。

 商人が儲けるのは、利益が出るからである。
 販売に関する税金も、商品に上乗せされていた。
 その分だけ、消費者は金銭を失うのである。

 だが、ほとんどの都市の場合、「金銭の使用によって税金と利潤が発生する」仕組だった。
 物々交換をした場合、この関税が掛からなくなるので、安く済むのだ。

 普通に、それを見逃すほど役人も甘くない。
 一般人は通貨で購入し、売買には税金が生まれるようにちゃんとなっている。
 商人たちは、組合を作ってまとめて税金を納めたり、豪商は個人で税金を納めて、商業権を得るのだ。

 彼らのような商人たちには、沢山の権利が認められており、税金の分保護されているわけである。

 だが、何事にも抜け道はある…それが時間や売り場の制限がある市だ。

 朝や夕べに立つ市は、指定した時間内に安い税金と場所代で商売を許可することが多い。
 故に、特別な権利を持たない農夫や猟師、旅商などが露店を開く機会にもなる。

 市では「一定時間内に商品を売り尽くす」のが理想となり、結果的に物品はとても安く売られていた。
 そこで生まれた利潤は、それぞれが商人から買い物をする金になり、この状態まで権利云々で口を出す商人は少ない。
 役人も、都市の活性化や、市民の懐を潤し多少なりとも税金を取れるので認めていた。

 此処で重要になるのが、「税金を払った者は、その市において商業権を得る」ことである。

 物品の仕入れに関する権利が、認められる可能性があるのだ。
 しかも、市は「取引する物品の限定が少ない」のである。
 細かい制限を説明していたら、露店を出す前に市が終わってしまうからだ。

 冒険者が珍しい物品で、「税金を払って商売している者」に取引を持ちかけた場合、持ちかけられた側はそれを「仕入れ」る事ができる。
 対価として、その商人は冒険者の求める物品を与えて、取引を成立させる。

 事実上の物々交換が可能なのだ。

 ほとんどの旅商や、市に立つ〈にわか商人〉は、生活のために商売をしている。
 通貨を得て買い物をするのは当然だが、自分たちが欲しいものを安く手に入れたいのが本心だ。

 砂糖や塩は、商人が高く扱う高級品で、中々手に入らない。
 それを交換の対価として呈示すれば、大抵は取引に応じてくれるのである。

 市における物々交換は、税金があまりかからないマジックであった。
 これを利用すれば、圧倒的に安く品物が手に入るというわけだ。

 斯様な抜け道を禁止する厳しい都市も、もちろんある。
 だが、下手な拘束や制限は、都市への人の出入りを停滞させてしまう。
 税金が発生しなくなり、都市は活力を失う。

 それに、農夫や漁師などのにわか商人は、難しい制限を理解できず別の取引先を探す。
 ただ複雑であっても、弊害を起こすのだ。
 
 時間制限を設け地域的にも限定的に行うという条件で、多くの都市はこういった商いの自由化を認めていた。

 人気のある塩や砂糖、香辛料は物々交換に適している。
 〈にわか商人〉に「材料」として取引を持ち掛ければ、どの商売でも必需品であるため、他安く物々交換が成立する。

 古い保存食品は据え置きで引き取って貰い、塩や砂糖のような調味料を加えて必要なものをまとめて手に入れる…それは旅をする冒険者の、処世術なのだ。

 シグルトは、このやり方をレベッカから学んだ。
 彼女に付き合ううち、彼自身もそれなりに交渉ができるようになった。
 まさに、「門前の小僧」である。

 シグルトは、贔屓にしている露店を回り、干した無花果(いちじく)や胡桃、干し肉などを仕入れる。

 相手は若手の行商や子供が多かった。
 これは、シグルトが子供贔屓なわけでは無く、ちゃんと理由がある。

 若手や子供は、どうしても客に舐められて足元を見られる。
 だから、シグルトのように交渉を持ち掛ける客は有り難いのだ。
 
 顔見知りであればおまけもしてくれるし、持ちつ持たれつである。
 
 気がつけば、数片の砂糖と塩一袋、道中で摘んで来た珍しい香草だけで、荷物袋いっぱいの食料が揃っていた。
 交換する時、割ががいいのはやはり香辛料や砂糖である。

 揃えた食品は、多彩だった。

 干し肉は保存食の代名詞とも言えるが、それだけでは身が持たない。

 ビスケットやパン、保存用の香草に、干した果物。
 林檎などの、多少は日持ちする果物類は、水分補給にもなる。

 塩や香辛料は、虫除けや食糧保存のためにも使うが、大量に使うと身体を害する。
 薄味に慣れることは、旅する者に必要であった。

 シグルトは、アレトゥーザ商人の知り合いが喜びそうな物も少し手に入れ、買い物を終えた。
 先を見越して品物を仕入れるのは、次の機会に自身を助けてくれる。

 荷物を揃えた二人は馬に乗り、ヴィスマールを目指した。
 
 『緑の都』と呼ばれるヴィスマールは、周囲を深い森で囲まれている。
 街道の周囲も林道が多く、野営地も森ばかり選ぶ羽目になった。

 二人は夜間、蚊に刺されないように、露出した肌に虫除けのつんとした香りの香草を塗り、蚊帳を張って休んだ。
 ロマンは虫や鼠が病気を媒介することを知っており、嵩んでも蚊帳を手放さない。

 シグルトは香草で作った香を焚き火にくべて、虫や獣を寄せ付けないようにしていた。

 虫と蛇の対策として、彼の持つ荷物袋は香草で煮て、処理してある。
 短時間置いている間に、毒蛇が袋に入り込んだという話が実際にあった。
 
 春から秋にかけての間は、こういった気遣いも冒険者に必要なことだ。

 大人と子供二人を乗せれば、馬には無理ができないだろうと思われるが、そこはシグルトがしっかりしていた。
 馬車を引いたり、甲冑を着て走る、軍用にも使われる大型の馬を借りていたのだ。

 幸い馬の餌は、豊かな森の中にいくらでもあった。
 その馬は、疲れた様子もなく二人を乗せて良く走ってくれた。

 四日目の昼前には、森林に囲まれた都市ヴィスマールに到着する。
 そこは、丁度フォーチュン=ベルとアレトゥーザの中継点辺りにあった。

 さらに行って湾を船で渡れば、アレトゥーザまで間もない距離だ。
 カルバチアやヴィズマールからの移動では、このルートが最も近い。

 二人は、この都市の宿で一泊することにした。


 旅の冒険者が良く泊まるという宿で、シグルトとロマンは食事をしていた。
 だが、そこで聞いた噂にロマンが困った様に眉をひそめた。

「…この先の湾が荒れていて、渡れないみたいだね。
 船乗りの話じゃ、数日は荒れそうだよ。

 少しヴィスマールでお休みかな?」

 季節は九月初頭。
 秋口ともなると、海岸近くの天候ほその日任せだ。

「三日待って渡れそうになければ、時間はかかるが湾沿いの街道で回り道をするか。

 湾越えが最短ルートとはいえ、天候任せなのは困ったものだな」

 馬による移動は、こういった状況では不利だ。
 飼葉や馬屋を借りる賃金も、馬鹿にならない。 

「あんたたち冒険者だな?

 もし湾が渡れずに立ち往生しているなら、一仕事してみないか?
 この近くの村で、羆が出たってんで、退治の依頼が来てる」

 羆、という言葉にシグルトが眉をひそめた。

「村人でも狩れそうだってことだが、祭りの前で流血沙汰は御法度なんだと。
 この辺りの村落は、妙に仕来たりに拘るからな。

 あんた強そうだし、どうだい?」

 シグルトとロマンは同時に溜息を吐いた。

「この時期の羆を相手にするだって…獣を舐めてるね。

 侮って手負いにさせたりしたら、その村は大惨事だよ」

 ロマンの言葉に、シグルトも頷く。

「秋口は、豊富な餌で肥え太った熊の力が強い季節だ。

 しかも、〈腕の立つ冒険者一人〉とは…危ういな。
 熊狩りは、凄腕の狩人でもない限り人海戦術を使わないと難しい。

 誰かこの依頼を受けたりしているのか?」

 シグルトの問いに、「んなわけないだろ?」と店主が笑った。

「流石に、羆に一人で挑もうなんて勇者、いないさ。
 この辺りの森の民なら、なおさらだ。

 あの村は、ここ数十年熊が出なかったんで、日和ってるんだろ。
 聞いた話じゃ、森の神様を祭る古い祠があって、その神様は豊穣と村の安全を約束してくれてたらしい。
 その手の時代遅れな信仰がある村は、得てして無謀なんだよ。

 最近じゃ、聖北の坊さんもうろついてるから、その手の神さんの行事はすっかり廃れて来てる。
 だから、罰が当たって熊が出たんじゃないか?

 しかも、熊一頭に銀貨四百枚じゃ、まるで割に合わない。 
 ま、祭りが終わったら、村人総出で熊狩りってもんだな」

 他人事の様に話す宿の主人の胸には、聖北の聖印が掛かっていた。
 先ほどから依頼して来た村に対しても、どこか偏見を持っている様子がある。

 ヴィスマールは、周囲を森に囲まれた特性上、林業や薬草取り、狩人の類が多いと言われる。
 彼らは得てして、森のように寛大に振る舞い、その実とても排他的だ。
 森の民は獣同様に、縄張り意識も強い。

 もちろん、全ての民がそうではないだろう。
 しかし、雰囲気というものは、必然多数側に傾く。

「ロマン…」

 シグルトが全てを言う前に、ロマンは頷いた。

「行くんだね…お人好しだなぁ。

 まぁ、どうせ湾が渡れないなら足止めだしね。
 人助けしておいでよ。

 僕は此処の図書館で、森に関する書物でも読んでるから」

 シグルトは、仕事を選ぶのにはとても慎重だが、依頼が切羽詰まったものだと優先して受ける傾向がある。
 それに、シグルト程の武勇と慎重さがあれば、羆一匹に後れは取らないだろう。

「…気をつけて」

 そっぽを向きながらぼそりと言葉にするロマンに、シグルトは強く頷き返した。


 シグルトは、その日のうちに羆退治を依頼したという、ウェーベル村へと向かった。
 
 村へと続く近道は、急な坂が続き馬が使えない。
 足に障害を持つシグルトにとって、木の根や石が浮き出した坂道を踏破するのは正直きつかったが、シグルトはその身にトリアムールを宿して、風のように駆け上っていった。

 トリアムールの精霊術は、すでにシグルトの一部と言っていい。
 精霊の姿を見ることができず、その声も聞けないシグルトだが、トリアムールの意思ははっきりと感じ取れた。

 精霊と四六時中側にいるせいか、シグルトは精霊の気配を察する力が増している。
 森そのものが、シグルトの味方だった。

 彼は、精霊に愛される資質を持っている。

 何とはなしにシグルトは、妖精や精霊が嫌う鉄の籠手を戦闘に臨むまで外すことにしていた。
 それに山道では暑苦しく、汗がつけば錆の原因にもなりかねない。

 名工の作った剣と籠手は、耳障りな金属音がほとんど鳴らなかった。

 小気味好く急な坂を登り切り、平らな道は滑るように歩く。
 シグルトは気付いていなかったが、彼の歩みは馬による移動と大差なかった。

 ヴィスマールから西へ徒歩で半日。
 シグルトはその距離を、さらに半分の時間で踏破していた。


 ウェーベル村の入り口を潜ると、そこには目印のように大きな噴水があった。
 噴水は清涼な水を湛え周囲の空気を冷やして、一帯は少しひんやりとしている。

 この村の特産品は、その豊富な水源と豊かな森を利用した果樹栽培だ。
 柑橘類に梨や林檎、そして葡萄。
 中には、この村でしか取れない稀少な果物もあるという
 
 そのまま売る時もあるが、多くは酒や蜂蜜漬け、ドライフルーツにして、一年の間村の財政を潤していた。

 時刻は夕刻近くだが、村の広場に敷物を広げて果物の皮を剥いている村人が何人かいる。
 恵みの秋に差し掛かったこの季節、仕事は山積みなのだろう。

 村人の一人がシグルトに気がつき、その美貌に見とれてぽかんと口を開けていた。

「…お仕事中、失礼する。

 私はシグルトという、冒険者だ。

 ヴィスマールの宿で羆退治の依頼を知り、やって来た。
 依頼主であるこの村の村長に会いたいのだが、案内して貰えないだろうか?」
 
 声を掛けられた夫人は、言葉も無く何度も頷くと、シグルトを村で一番立派な建物まで案内した。
 立派な荷馬車と大きな馬屋があり、戸口には魔除けの意味か、大きな木の枝が結わえつけてあった。


 その日、娘は何時ものように乗馬を楽しんでいた。

 実り豊かとは言え、この閉鎖的な村の生活は息苦しい。
 馬に乗っている時、そして踊っている時だけが彼女に自由な気持ちを与えてくれた。

 少し無理をしたせいか、胸が苦しかった。
 彼女の身体は、先天的に重い病を抱えている。

 もう婚期が気になる年頃であるが、彼女の立場と病とが、結婚する気持ちを奪っている。
 美しい彼女に求婚する男たちは多いが、皆腫物を扱うように彼女に接した。

 娘には、それが辛かった。

「ジゼルゥ~!」

 乗馬服に身を包んだ娘とは全く違う、エプロンに農夫の女性が使う粗末なヘッドドレス姿の村娘である。

「どうしたのよ、マリー。

 慌てなくても、私、今から帰るところよ」

 幼馴染の彼女は、娘にとって数ない心休まる相手だ。
 同じ年頃の娘はほとんどが結婚してしまい、子育てに忙しい。

 この幼馴染も婚約者がいて、来年の春には結婚する。
 結婚した相手のために作る蜂蜜酒の作り方を学ぶと言って、最近まで大騒ぎしていた。

 時々、騒いで興奮できる彼女がとても羨ましくなった。
 娘の身体は、それすら許さない。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、この幼馴染は大きくて愛嬌のある両目をくりくりと動かした。
 とても興奮した時の、彼女の癖だ。

「あのね、村長が言ってた熊退治の冒険者が来たの。

 皆大騒ぎよ!」

 「騒いでるのは貴女でしょうに」と心の中でぼやきつつ、娘は相槌を打った。

「そうなんだ。

 あの依頼、いくらなんでも割に合わないから、受ける人いないと思ってたのに。
 よっぽどお金が無い人なのかしら?

 その人が山賊みたいな強面だったら、私隠れるわよ」

 すると、幼馴染の村娘は首を横に振った。

「逆、逆!
 まるでどっかの戯曲に出てくる森の妖精王みたいに綺麗な人で、立派な剣を腰に下げてたわ。

 どこか品があって、道を尋ねる時に自分から名乗って来たみたい。
 声を掛けられたカトラおばさんなんて、年甲斐もなく頭の中が桃色よ」

 興奮して顔を赤らめる幼馴染。
 彼女もどこか、夢見心地の様子だった。

「この間までホラントのことで惚気てばかりいたのに、浮気な娘ねぇ。

 彼の前で、そんな顔しちゃだめよ」

 幼馴染の態度をたしなめつつも、娘は久しぶりに感じる新たなものへの好奇心に、心躍っていた。

 
 村長の家についたシグルトは、ドアをノックした。
 程無くして迎え入れられる。

「よく来てくれた…」

 屈強な身体つきの男である。

「私は、村長のシュバル。

 この村を代表し、貴方を歓迎しよう」

 堂々とした村長の態度には、礼儀半分、舐められまいとする態度が半分。
 穏やかな表情しているが、その実豪胆さを持ち合わせた人物であると感じられた。

「俺はシグルト。
 リューン郊外の『小さき希望亭』に所属する冒険者集団“風を纏う者”の一人だ。

 歓迎の言葉、痛み入る。

 短い間になるだろうが、滞在の間宜しく頼む」

 武骨な口調だが、綺麗な礼をして応えると、村長はうむと頷いた。

「…では、早速話に移ろう。

 依頼の内容は羆の退治。
 報酬は銀貨四百枚。

 …村を出て西に少しの所に、広場がある。
 この村では、『森神の箱庭』と称される場所だ。
 そこまでは簡単な一本道だから、迷う心配はないだろう。

 村では十年に一度、その広場で収穫祭が行われる。
 それは間もなくのことだが…こともあろうに若い羆がその場所を餌場にしてしまったのだ。

 村の掟で収穫祭に近い時期は、村の者すべて、森の動物を殺傷することが禁じられている。
 我々は手を出せずにいるわけだ。

 そこで、村の外の人間に依頼した、というわけだ。
 過去にも、その広場を獣が縄張りにし、同じように狩った事例があってな。
 今回もそのようにしたのだ」

 シグルトは黙って聞いていたが、村長が一通り話を終えたのを確認すると質問を始めた。

「事情は理解した。
 だが、いくつか質問させてもらおう。

 羆は、油断できない相手だ。
 それに対応するには、相応の情報と準備がいる。

 その羆は、どの程度の体格で、特徴はあるか?」

 刺すような厳しい目付きで聞き出したシグルトに、村長は少し気圧された様子である。
 たかが熊一匹…簡単な依頼だと思っている節があった。

「…取り立てて冒険者殿が騒ぐような、大きな羆では無い。
 若い雄で、縄張りを追われてやって来たのだろう。

 村の狩人でも、容易く狩れるはずだ。
 冒険者殿ならは、造作もあるまい」

 シグルトは村長の言葉を、苦いものでも飲み込む様子で聞いていた。
 そして、大きく溜息を吐くと、言い含めるかの如く話し出す。

「まず、誤解が無いように最初に断っておく。

 報酬の増額要求をするつもりはない。
 条件付きで、この依頼は受けると約束しよう。

 だが、忠告したいことがいくつかある。

 まず、この時期の羆はたらふく食べて、とても力が強いのだ。
 もし過去に熊を狩ったことがある者がいるのなら、それは春先では無いか?

 越冬を終えた熊は、痩せ細り体力が無く、容易く狩れることがある。
 多くの熊殺しが、それ故に侮って次の熊に挑み、返討ちになった事例は多い。

 手負いになった狂い熊が襲い、ほぼ壊滅した村が実際にあったことを告げておく。
 人によって傷つけられた熊は狡猾になり、人を喰らって襲うようになる。

 恐れを知らず死ぬまで狂ったように戦う狂戦士…ベルセルクのベルとは熊のことだ。

 狂い熊の強さや狡猾さから生まれた言葉だろう、と話してくれた老婆は語っていた。
 北では、熊のように強くあろうと、都市や人の名にもベルを冠した話が多数ある。
 
 熊の縄張りは案外広い…そうして怒らせ、狂ってしまえば、近隣を巻き込む恐ろしい火種になる。
 沢山の無辜の人や獣が、巻き込まれることにもなりかねんのだ。

 我々冒険者は、時々そういった「狂い熊」を狩らされる。
 その時は、功名に逸った若手が良く死ぬと聞く。

 どうか、今後は熊狩りに関して、〈容易く狩れる〉などと侮った見識は改めて戴きたい。

 報酬の銀貨四百枚だが…
 熊狩りの最低報酬は銀貨五百枚、羆相手なら八百枚は用意した方がよかろう。

 報酬の基準は、仕事の難易度に関する目安になる。
 つまり報酬が相場より安いと、実力の無い者が受けることになる。

 熊の毛皮や肉を報酬に加えるのは、対策法の一つだ。
 その道の熟練者が受けてくれるし、依頼人の見識も推測できる。

 羆の怪力は、オーガーに次ぐと言われ、危険度の高い依頼として扱われる。
 相場を知らんと、悪質な冒険者に足元を見られることになるだろう。
 同業者にそういった悪辣な輩が居ることを否定できんのが、とても残念だが。

 雇う人数は、一人ではなく三人以上の多少熟練した冒険者に頼むこと。
 ただの宿の張り紙では無く、冒険者の宿か組合を通じて、ちゃんとした冒険者を雇ってほしい。

 あのような厳しい条件の依頼では、まず受ける者がいない。
 受けるとしても程度の低い、食いつめ冒険者がやって来て、熊を怒らせて終わるだろう。

 今後、これらのことを考慮してくれることを、この依頼を受ける条件としたい」

 村長はシグルトの厳しい言葉に、目を見開いていた。

「我々冒険者の多くは、依頼達成のため誠心誠意尽力する…命を掛けて。
 だからこそ、貴方たち依頼人にもこういった厳しさを知って戴きたいのだ。

 貴方たち依頼人の誠実さと注意が、多くの命と、同時に我ら冒険者の名誉と身を救うことになる。

 どうか、頼む」

 頭を下げたシグルトに、村長は慌てたように頷いた。
 厳しい口調の中にも、シグルトの態度はとても誠実だったからだ。

「…承知した。
 貴方の言葉は、今後村の皆に伝え、徹底させよう。

 一目見た時から、普通の冒険者とは違って見えたが…
 その深い見識と誠実で高潔な様子、もしや名のあるお方では?」

 この問いに、シグルトは首を横に振って否定する。

「…名は、父が有名な竜殺しの名からつけたものだが、正直不相応だと感じている。
 ことは思うままに行かず、日々喘ぎ、最近やっと駆け出しを抜け出したばかりの、粗忽者だ。

 だが、頼れる仲間のおかげで、なんとかやっている。
 今では導くべき後輩も、少しばかりできたところだ。

 その後輩可愛さに、初対面で厳しいことを言った無礼は、御容赦願いたい」

 ふ、と小さく笑うシグルト。
 爽やかで誇らしげな微笑みだった。
 
 彼がこの仕事を受けた一番の理由は、無知な後輩同輩たちを守るためだった。
 
 もちろん、見過ごすこともできた。
 だが、それは彼の信じる義に反する。

 シグルトは、言葉だけの正義に酔って謳うだけの偽善者になりたくなかった。
 自ら行うことこそが義を示し、後に続く者たちの道標になる。
 そうして、後輩たちに恥じない先達になろうと励むのだ。

 自身に問いかけ、己にこそ恥じないための信義を重んじる。
 それこそが、名の誉れよと、亡くなったシグルトの父が言っていた。

 シグルトの父は王を救った武勲で、シグルトの母の名誉を回復した。
 望めば高い爵位と、土地を得ることもできたのにである。

 口下手な父は、「私の名誉は、誇らしげにしてくれる妻と子の笑顔なのだ」と恥ずかしそうに言っていた。
 シグルトはその言葉を残してくれた父を、心から誇りに思う。

 そして、それがシグルトの重んじる名誉そのものとなった。
 つまらない自尊心で貶めてはならないと、強く自戒している。
 
 他者の名誉を守れぬ者に、己の名誉は背負えない。
 何かを見捨て、何かを蹴落として得るのは増長慢心だ。
 共に喜び称え合えることこそが、誇るべき名誉である。

 それは、シグルトの揺るがない信念であった。

〝明日飢えるとも、一つのパンを友と喰らい、その美味を分かち合って死ね。
 身は飢えて原野に朽ちるとも、心と魂は満たされよう。

 姿と言葉は忘れ去られても、屍(しかばね)が汚く泥にまみれても、妻と子と大地はきっと誇ってくれる。

 強きは弱きを守り胸を張ろう。
 臆病者はせめて覚えていよう。

 死に急ぐのは愚かだが、心満たされ逝くことこそが生なのだ。

 その一生が尽きるまで、どうか恥じずに生きて行こう。
 だから死ぬ時は、誰かのために笑って逝こう。

 残る者には一欠片の幸福を。

 どうかこの心と魂には、ささやかな名と誉れあれ〟

 シグルトは、故郷の兵士たちが歌え伝えた『明日の英雄』と呼ばれるこの歌が好きだった。 
 明日の同輩後輩が、ささやかな微笑みで幸福を謳歌した時、シグルトはその名誉を実感できるのだ。 
 
「では、早速明日にでも仕事を遂行しよう。

 契約書を作成したいので、この紙に署名を願えるか?」

 シグルトは宿から貰って来た張り紙の空いた場所に、先ほどの条件をさっと箇条書きにし、契約書を作成する。
 この方法は、貴重な紙を無駄にしないための知恵だ。

 “風を纏う者”のリーダーとして、多くの署名をして来たシグルトの作業は慣れたものだった。

「…これで契約成立だ。

 申し訳ないが、今夜はこの村のどこかで一泊させてもらいたい。
 どこか泊まれる場所があれば、手配して貰えると助かるのだが、お願いできるだろうか?」

 村長は、「もちろん」と大きく頷いた。

「客人は、我が家の客室を使うといい。

 大変な仕事に安い報酬で申し訳ないが、代わりに今夜は村を上げて歓待したい。
 いかがなものか?」

 シグルトは、首を横に振った。

「お気持ちは有り難いが、迷惑だろう。

 泊まれるだけで、充分だ」

 すると、村長は声の高さを少し落とした。

「いや、冒険者殿には悪いが、すでに手配済みだ。

 熊騒動で、すっかり村人の覇気が無くなってしまってな。
 十年に一度の祭を前にしているというのに。

 祭の練習を兼ねているが、その実村人にうっ憤晴らしをさせたいのだよ。
 このような森の奥の村では、きっかけがないと騒げないのが、悲しいところだな」

 笑う村長の申し出に、それならばと、シグルトも歓待を有り難く受けることにした。

 厳しい環境で生活する者たちは、とにかくお祭好きである。
 それは、祭や何かの宴会程度しか羽根を伸ばす機会が無いからだ。

 労働の妨げとなる酒は、普段は飲もうにも物が無く、特別な時にしか振舞われない。
 シグルトは厳しい環境で育ったので、その気持ちが良く理解出来る。
 
 粗悪だが独特の辛味があった故郷の酒の味を思い出し、シグルトは懐かしむように目を細めた。
 

 村長の言う通り、シグルトの歓待は大仰なものとなった。
 
 祭で行う芸の練習だといって騒いでいたが、村人たちは早くから酒に酔い、御馳走を並べて貪り食っている。
 ただ、殺生禁止というのは確かで、並ぶ肉類は塩漬けばかり。
 代わりに並ぶ果物や山菜料理は、とても豪勢だ。

 塩気の強い味付けに、喉が渇いて自然と酒が進む。

 シグルトは果実酒や蜂蜜酒など甘味の強い酒は、あまり好まない。

 今は余計な風味が無い酒に、干した棗(なつめ)と生姜を薄く数片切り入れたものを飲んでいた。
 生姜の微妙な辛みは苦手な者も多いが、シグルトは好んで入れる。

 村の女たちがこぞって酌をしようと訪れるが、「手酌で飲むのが好き」と自分のペースで嗜んでいる。
 本心は、明日は熊退治というのに、節度の無い飲み方は命取りになるからだ。
 最も、シグルトの場合、どんな時でも暴飲暴食は決してしないのだが。

 村の広場には大きな焚火が焚かれ、それを囲んで男と女たちが手拍子で踊っていた。
 
 シグルトは、こういった祭の情景が好きだ。

 日々をささやかに生きる者が、その情熱を炎にくべて燃え上がらせる時。
 自身もそれを見ることで、強く生を実感する。

「よう、アンタ。

 楽しんでるかい?」

 不意に声を掛けられて、幻想的な炎からそちらに目を移す。
 そこには若い男が一人立っていた。

 好奇心に満ちた不躾な目で、シグルトを眺めている。
 少しだけ男の鼻の頭が赤いのは、酒に酔っているせいだろう。

「俺はヒラリオ。
 よろしくな英雄サン。

 アンタは、なんてんだ?」

 シグルトは、この男の態度や口調から、虚栄心が少し強い、典型的な若者の性格を感じ取った。

「…シグルト。

 英雄というのは言い過ぎだ」

 応えて、間を持たすために、一口酒を啜る。

「なんだ、そりゃ?

 生姜なんて、薬臭くなるだろ」

 からかう様子に、シグルトは苦笑する。
 
「生姜は消化を助け、棗は強過ぎる生姜の効果を和らげてくれる。

 俺はまだ仕事を終えていない。
 歓迎して貰って、次の日仕事ができませんじゃ済まないからな。

 酒は、身と心を助けてこそ、だ」

 正直用意された御馳走は、多過ぎて食べきれない。
 シグルトが食べたものと言えば、薄く切った塩漬け肉と香草をライ麦の硬いパンに挟んだものと、スープぐらいだ。

「いけねぇなぁ。

 せっかく歓迎してるんだ。
 しっかり食ってくれよ」

 そういう勧めも、はっきり断る。

「健康を考えるなら、こういった宴は夜より昼やる方がいいんだ。
 次の日、寝込んでも良いなら別だがな。

 暴飲暴食の後に寝ると、寝ざめも悪い。
 次の日吐くくらいなら、明日の弁当にとっておくさ。

 うまし糧も身を活かすために取らねば、今どこかで食えずに喘ぐ貧しい者たちに申し訳ない」

 祭の席では無粋な言葉。
 だが、シグルトは貴族として生まれた母が教えてくれた志…〈高貴なる責任〉について、一番最初にこう習った。

〝貴方がありつける日々の糧は、持たざる者の血と涙。
 当たり前とただ貪るだけなら、美味の真意は理解できないでしょう。
 
 力無き者の小さな捧げ物を心から尊べないなら、貴方は自身が一番蔑む者にすら劣ります。

 貴方が食べている糧には、お腹を満たす幸福と、身を繋ぐ恩恵…
 そして、それを食べて生きながらえる者としての責任が込められているのです。

 与えられた幸福と恩恵に感謝し、食べることで担った責任を忘れてはいけませんよ。
 生きてそれを果たした時、人は初めて誇るべき自分になれるのです〟

 シグルトにとって責任や名誉とは、威張るものではなく、守るものだ。
 彼が高潔でいられるのは、こういった基本的な部分から実践しているからである。

 小食な反面、水代わりに飲んていた酒量はそこそこになっていた。

 最も、北方人であるシグルトは酒に強い。
 故郷で飲んでいた酒には、「酔った気分を無理やり起こすために、悪酔いさせる」薬草をぶち込んだ凄いものもあったぐらいだ。

「それに肉を食い過ぎると、体臭を強くする。

 明日、熊にばれるからな」

 ふうん、とヒラリオは鼻を鳴らした。
 彼には、理解できないことなのだろう。

「ま、頑張ってくれよ、兄弟。
 アンタが熊を殺らなきゃ、十年に一度の祭が駄目になっちまう。

 俺たちみたいな連中は、祭と女ぐらいしか楽しみが無いんだ。

 真面目なアンタに、これ以上無理に酒を飲ませるのは止めるさ。
 でも、気が向いたら女と踊ってみないか?

 あそこの娘と人妻どもは、あんたに誘われたくて、うずうずしてる」

 酒を飲んだ男らしい、やや品の無い会話。
 ふとシグルトは、女好きで知られていた親友を思い出し、笑みを浮かべる。

「人に勧めるより、そっちが誘ったらどうなんだ?

 女の尻に目を取られて、踊りの最中に転ばない自信があれば、だがな」

 客人の痛烈な反撃に、ヒラリオはガハハと笑った。

「言うねぇ…だんまりな朴念仁かと思えば。

 ま、俺みたいなイイ男は、慣れ親しんだこの村の女どもに食傷気味でね。
 だからこのとろけそうなワインで、甘い夜を過ごすのさ」

 そう言って、ヒラリオはよたよたと去って行った。

(酒に酔った男など、皆あんなものだな)

 故郷を懐かしみつつ、シグルトはもう一口酒を飲んだ。
 生姜の辛みと、ほんのり匂う棗の香り。

「今晩は、冒険者サン。

 楽しんでる?」

 次に声をかけて来たのは、ブロンドの愛嬌の好さそうな娘だ。
 頬が赤いのは、熱気とやはり酒のせいだろう。

「うむ。

 正直、本番の祭りでもないのに、賑やか過ぎるとも思うがな」

 うんうんと、娘は頷いた。

「そうでしょう。

 だって、此処はとても退屈なんですもの。
 騒ぐためのきっかけは何でもいいのよ。

 私、もうすぐ結婚するんだけど、嬉しい反面〈人生の墓場〉かなぁ、なんて思っちゃう。

 つまり、私たちは貴方というきっかけを利用して、はしたなく盛大に騒いでるわけ。
 来てくれて、有難う~♪」

 どういたしまして、とシグルトは肩をすくめて見せた。
 祭りの雰囲気は、普段頑なな彼の表情を柔らかにしている。

「…それにしても、冒険者サン、本当に綺麗な顔してるわよね。

 もう、この村の女の子は貴方に夢中よ。
 人妻まで、潤んだ瞳でロマンスを求めてるんだから。

 熱に浮かされてないのは…あの娘ぐらい」

 不意にその娘が見やった先を見ると、煌びやかな服を着た髪の美しい娘が立っていた。
 青っぽい不思議な色の髪をした、神秘的な女である。

「彼女が今回の巫女。

 収穫祭の時、村一番の踊り手が伝承にある舞踏を捧げ、森神様に感謝するの」

 舞踏と聞いて、シグルトはラムーナのことを思い出していた。
 妹のように思っている彼女は、無事に新しい舞踏を習得できただろうか。

「あの娘は、村の誇りよ。

 だって、幼馴染の私よりずっとダンスが上手なんだもん」

 軽い嫉妬と憧憬。
 そして、寂しげな様子は憐みだろうか。

 シグルトは、巫女と呼ばれた娘を見やる。

「ふふ、ね…冒険者サン。

 良かったら踊って来たら?
 貴方みたいな美男子が口説けば、あの娘も受けてくれるかも。

 それじゃ、良い夜を―」

 娘はそう言い残して、一人の男の元に向かう。
 彼が、結婚相手だろう。

 シグルトはしばしそのカップルを眺め、とても優しい顔をした。
 まるで、その幸せがずっと続けと願うように。

「ねぇ、貴方…」

 そんなシグルトに、また呼びかける者があった。
 張りのある美しい声に、シグルトはゆっくりとそちらを振り向く。

 何時の間にやって来たのか、先ほど巫女と呼ばれた娘が立っていた。

 華奢で可憐な容貌は、巫女の装束と化粧でさらに磨きあげられている。
 間違いなく、この村で一番美しい容貌をしていた。

「貴方、冒険者の人よね?

 噂通りの凄い綺麗な顔だから、すぐに分かったわ」

 薄っすらと浮かべた笑みと、好奇心に満ちた大きな瞳には、意志の強さも込められていた。
 そこにいるだけで、空気が変わるような強い印象を与える娘である。

「…シグルトだ。

 名乗るのはこれで何度目かな」

 苦笑して返すシグルトに、娘は嬉しそうに眼を細めて笑った。

「…うふふ、そうよね。
 でも私は貴方と会うのが初めてだから、勘弁してね。

 良かったわ。
 遠目に、あんまり楽しんでる様子が無かったから、帰っちゃったかと思った」

 そうやって胸を撫で下す。

「それなりに楽しんでいる。

 だが、帰るとは…
 その口振りだと、君は村長の身内か?」

 シグルトの洞察に、娘は頷いて手を叩いた。

「すごい…冒険者って、そんなことまで分かるのね?」

 笑顔の娘に、シグルトは首を横に振った。

「ただの推測だ。
 君は村長と雰囲気が少し似ている。

 …今晩は世話になるが、よろしく頼む」

 真っ直ぐに見つめ返したシグルトに、娘はしっかりと頷いた。

「…私はジゼリッタ。

 よかったら、ジゼルって呼んでね」

 差し出された手を、軽く握り返すシグルト。

「了解した。

 俺のこともシグルトでいい」

 シグルトの提案を、娘…ジゼルは目を輝やかせて受け入れた。


 ジゼルは、好奇心の強い娘だった。
 シグルトの横に座ると、根掘り葉掘り聞いて来る。

 簡潔明瞭にジゼルの問いに答えつつ、シグルトも会話を楽しむことにした。

「…まぁ、リューンから来たの?」

 シグルトの所属する冒険者の宿が、リューン郊外にあると聞くと、ジゼルは目を丸くした。

「故郷は、ずっと北の方なんだがな。
 他にもフォーチュン=ベルやアレトゥーザでも仕事をする

 この辺りはヴィスマールが一番の都市になるわけか」

 そして、シグルトは先日までフォーチュン=ベルに居たと告げる。
 
「凄い…あんな遠くから、よくこんな田舎まで来たわね。

 そんなに仕事が無いの?」

 ジゼルの素朴な質問に、シグルトは苦笑した。

「それなりに忙しい。

 今回は、通りがかりにヴィスマールで張り紙を見つけて、忠告がてらやって来た」

 村長とのやり取りを話すと、ジゼルは目を丸くしていた。

「シグルトって、好い人なのね。
 私たちは、貴方に依頼を見つけてもらえて、凄く幸運だったわ。

 私も言ったのよ、銀貨四百枚はちょっと酷いかもって。

 でも、こんな森の中ではお金がとても少ないのよ。
 果物やお酒は、商人と物々交換で渡すから、通貨そのものが手に入らないの。

 この辺りの村なんて、お金を持ってても使い道が無いでしょ。
 自給自足してることが多い村なら、なおさらね。

 聖北の教えには帰依してないから、あんまり他の村とも交流しないの。
 ううん、交流できないっていう方が正しいかな。
 もしかしたら、聖北の文化圏からは、仲間外れかも。

 年に何度か訪れる、旅芸人や吟遊詩人が語るロマンスなんて何も無い、退屈な村よ。
 皆して、世界はここだけだって思い込んでるような…

 そうして村人は村で結婚して、村で一生を終えるの…」

 閉鎖的な環境に慣れつつも、外への憧憬を捨て切れていない、そんな目をして、ジゼルは苦笑した。

「実は私、リューンに行きたいの。

 もっとダンスの勉強をしたいなって思って」

 遠い地に思いを馳せ、目を輝かせるジゼル。

「俺の仲間にも、踊りの得意な娘がいる。 
 今頃、アレトゥーザで新しい舞踏を習い終えたかもしれないな。

 君が求めるなら、村を出て学びに行かないのか?」

 直球な質問をすると、ジゼルは肩を落とした。

「そんな風に言って貰ったのは初めてよ。

 皆、私をこの村に縛り付けて、放そうとしない。
 この村で生まれた女は、この村で子供を産み、この村で一生を終えるの。

 もう、ウンザリ。

 パパったら、食事の度にお説教するんだから。
 おかげで、スープが文字に見えてきちゃう。

 いつか、食当たりになりそうよ」

 そんな愚痴を言って、肩を怒らせているジゼル。
 
「…人は背負うものがそれぞれ違う。
 考え方の違う者のせいにして嘆いても、空しいままで報われることは決して無い。

 君が望むなら、やってみるといい。
 何が答えかは、踏み出してみなければわからないが、少なくとも不毛な愚痴を吐かなくてすむだろう」

 シグルトは、自然とそう言葉にしていた。
 驚いたようにジゼルが見つめてくる。

「…選んでから後悔することは必ずある。 
 だが、その場に留まって延々と何かを責めているぐらいなら、歩み出した方がきっとずっといいはずだ。

 俺もまた自分で歩んだことで、失ったり、悲しい思いを繰り返しながら、それでも生きて来た。
 その経験から言えることは、自ら選んだ道ならば、愚痴を言う時も他人のせいにしなくて済む。

 望むのならば、求めて進み出せばいい。

 自身のことを選ぶのは自分であるべきだ…少なくとも俺はそう思う」

 それは、シグルトの生き方そのものであった。

「俺の言葉は俺のものだ。

 君に与えてやれるのは、君とは違う者としての言葉だけ。
 それは、君の父上も同じこと。

 選ぶのは、何時でも君自身だ。
 今の状況も、君が選んだ先にある。

 誰かを責める前に、自分が見るべき先を見据え、行ってみるといい」

 そして、こう付け加える。

「ただし、自分で道を選んだ時は、自身で責任を果たさねばならない。

 〈自由〉という言葉がある。
 とても高潔で、俺たち冒険者はこの言葉を愛している。

 だが、本当に〈自由〉を得る冒険者は希だろう。
 何故なら、己自身で選ばずに依存する、その弱さは誰にでもあるからだ。

 〈自由〉の本質は、他から解放されて自ら成すこと。
 同時に、選んだために負うべき責任や業をも内包する。

 全てを自身で受け入れ、それでも歩める者にしか〈自由〉は無い。 
 君が、今の生を誰かのせいにする限り、その生は縛られている。
 たとえ、君が村を出た後でも、だ。

 何かを得るとは、失うことの表裏。
 
 もし、君が後悔も痛苦も覚悟して〈自由〉であろうと願うなら…
 君の〈自由〉が〝リューンでダンスを学ぶこと〟なら…

 最初にすることは、〈自由〉がもたらす責任を負う覚悟と、勇気を持って第一歩を踏み出すことだ。

 〈自由〉を勝ち得るか、それとも後悔しながら愚痴を言い続けるのか。
 それも、また君次第だな」

 とても深い意味の言葉だった。

 ジゼルは、シグルトの青黒い瞳に見つめられ、どきりとする。
 どうしてこの人はこんなにも深い想いを、その双眸に宿しているのだろう、と。

 まるで、森の夜空のような眼差し。
 そこには、様々な苦しみや悲哀を内包しているのに、一片の迷いも無い。
 今の彼の言葉と同じように。

 胸が弾けそうに痛い…
 見透かされた恥ずかしさが半分。
 そして、病の身が半分。

(…そう、私はいつも〈コレ〉のせいにして来た。

 負けないように明るく冷静に振る舞って…その実留まっている。
 私は…)

 ジゼルはふと広場の篝火を見た。
 間もなく燃え尽きようとしているのに、こんなにも周囲を照らしているその灯を。

(ああ、この火は私と同じ。
 燃え尽きるその瞬間まで、周囲を精一杯照らそうとしている。

 時間は有限で、やりたいことが私にはある。

 私は…踊りたい!)

 溢れる想いで胸をいっぱいにし、ジゼルはシグルトの手を取っていた。

「…ねぇ、シグルト、踊りましょう!」

 瞳を輝かせ、ジゼルは誘う。

「…俺は、上手くないぞ?」

 シグルトは、苦労性の彼らしい何時もの苦笑を浮かべた。
 それがとても可愛く見えて、ジゼルは笑う。

「うふふ、適当にふらついていれば良いわ。

 だって、お祭本番じゃないんだから」

 そう言って、ジゼルはシグルトを上目遣いに見る。
 戸惑う彼に、今度は拗ねて口を尖らせた。

「もぉっ…

 こういう時は男の人がエスコートしてくれなきゃ、駄目じゃない!」

 一瞬考えたシグルトは、また苦笑する。
 そして、大仰に片膝を地に着き、繋がれていた自分の手を、ジゼルの掌を上に載せる様に返す。

「…では、巫女にして舞姫たるジゼリッタよ。

 そのたおやかな御手を拝借。
 今宵の舞踏へ誘う名誉を、許し給え」

 片手は胸に、静かに一礼。
 かつて、恋人や妹に言われて覚えた、一つだけしか知らないダンスの誘い方。

 夜は更けていく。
 酒に、御馳走に酔いしれ、村人たちはもう微睡みに誘われつつある。

 残った観客は、星空と森の木々たち。
 
 篝火の照らすその舞台で、一組の男女は、とても不器用で微笑ましいワルツを踊るのだった。


 早朝、シグルトは外が白む前に起き出していた。
 周囲が薄暗い中で、広場へと向かう。

 日課の鍛錬のためである。

 朝が早いはずの村人たちを、誰も見かけない。
 昨晩しこたま酒を飲んだせいか、まだ眠っているのだろう。

 それはシグルトにとって、願ったりだ。
 できれば、昼過ぎまで寝ていてほしいと思う。

 最悪の結果になった場合、熊はこの村を襲うだろう。
 そうなれば、家の中にいる方が安全だからだ。

 敗れるつもりは毛頭無い。
 だが、敵を刃に掛け、死を前にし続けてきた戦士の心は、驕りを許さない。

 最悪の結果が起きた時どうするか…その手段は村長に伝えてある。
 自分が夕刻近くなっても戻らなかったら、次の冒険者を早く雇い、村人の外出は極力避けるように、と。

 残す憂いは無い。
 ならば、備えて刃を磨くのみ。

 シグルトは、広場に立ち鍛錬を始めた。

 剣や籠手は、万一村人に会って驚かせないために、外している。
 剣を持ったつもりで、手に馴染んだ愛剣の重みと太さをイメージしながら、時にゆったり時に激しく、演武の様相で動作を繰り返す。

 やがて身体が温まったところで、次のステップに移行した。

 一歩で地面が抉れ、吐き出す息は炎の如く。

 目前には、故郷で一度屠ったことがある羆をイメージする。
 そいつは、食らった人間の血で口元を真っ赤に染めていた。

 シグルトは、放たれる圧迫感に抗うため、深く集中した。

 心は氷…敵への憐憫と恐怖を消し去るために。
 腹は炎…敵を打ち破る猛々しさと力を得るために。
 手は刃…確実に敵を斃し、未来を切り開くために。

 睨み据えるのは、羆の身体の中心…心臓だ。

 羆が低く構える…突進で吹き飛ばされれば、圧し掛かられて、頭や喉笛を食い千切られる。
 立ち上がった時は、横薙ぎの一撃が来る…離れていれば身体一つ分覆い被さるように伏せて、すぐに飛びかかって来る。

 野獣の瞬発力は凄まじい。
 距離が近ければ近いほど、重量感が獣臭とともに押し寄せて、身体の芯から縛り付けるのだ。

 羆の横薙ぎは腕の反対に下がって躱す、あるいは屈んで避け、脇を抜けて背後を取る。
 突進は真横に躱す…森の中にそれだけの広さがあるか…無ければ木を盾に、それが折れ砕ける一瞬で凌ぐ。

 熊の巨体と、剣を足した自身のリーチ。
 どれだけ自分が有利で、敵の急所を刺した後、死に際の一撃を貰わないように、どう残心するのか。

 集中するごとに、敵の輪郭がはっきりしていく。

 羆のごわごわした毛並、そして鋭い爪や牙。
 円らに見える瞳に宿るのは、意外にも獰猛な野生の本性。
 生きるために食らう、畜生道の業。

 怒涛の圧力と恐怖を受け流し、貫くべき急所を意識して睨む。
 そして、達するべき結果は必殺。

 命を奪う自分には、苦しませずに相手を屠る義務がある。
 仕留め損なえば、悪鬼の如き獣を世に放つことになる。

 敗れれば村人が危うくなり、仲間は悲しむだろう。
 そして、大切な人が救ってくれた、自身の命が無駄になる。

(俺は戦い、己の生をもぎ取る。
 それが自然に食い込み腐らせる、人間の欺瞞だとしても。

 せめて、死をもたらす覚悟を持って、この刃を振るおう)

 一切の躊躇は無かった。

 動作は決まっている。
 ただ息を吐いて呼吸を止めた後、砲弾のように駆け、羆の心臓を抉る。

 手の刃金は、シグルトの牙であり爪なのだ。

 心臓を破砕され、獲物がびくりと痙攣する殺伐とした風景。
 剣を引き抜いて、敵の余力を躱し切る。

 羆が倒れ伏し、その目から命の灯火が消えていく。
 死をもたらすおぞましさすら飲み込んで、シグルトは最後まで敵を睨んでいる。

 そう、殺した者の務めとして、敵を死の世界に見葬(みおく)るために。

 高まった気合いで、側にある噴水の水受けに溜った水の波紋が、さかしまになった。
 シグルトの髪や産毛が立ち、空気がびりびりと震える。

 殺気の澱んだ悪意では無く、闘う者の澄んだ一念。

 ふわり…

 羽根が浮き、風によって舞い上がるような初動。
 地を滑るように駆ける。
 イメージした敵の目前、大地から力を吸い上げるように力一杯踏みしめ…

 剣は、敵の心臓を穿ち抜いた。

 実際には数歩駆けて、空手を突き出しただけ。
 それでも、踏み込んだ足は地に減り込み、剣先をイメージしただろうその部分の空気が、弾けるように飛散した。

 優れた武術家が最後に至るのは、心技体の三位一体と、それを引き結ぶ〈氣〉の領域。
 必ず成すと強く思う故に、必勝を呼び込む、迷い無き一撃であった。

「…フウゥッ…」

 腹の奥底から、溜めこんでいた雑念と後悔の全てを吐き出す重い吐息で終える。
 
 全身汗だくになり、身体中の関節が緊張からの解放で悲鳴を上げた。
 押し寄せる疲労と、痛苦…それすら吐き捨てる。

「…行くか」

 見れば、村を囲う木々の隙間から、刺すように朝日の清浄な光が通り抜けた。


 ジゼルは、鍛錬に励むシグルトを見つめていた。

 早起きできたのは、理由があって酒が飲めなかったからだ。

 早朝に屋敷を出たシグルトは、ジゼルの部屋からも見下ろせる、広場の噴水の近くで鍛錬を始めた。
 剣を持っていないので、最初は珍妙な踊りか滑稽な道化のようだと笑いそうになった。

 だが、見るうちに飲み込まれそうになる。
 
 シグルトの背には、とてつもない悲壮があり、動作の一つ一つが強く繊細だ。
 それが魂の籠った技だと気付いた時、ジゼルは呼吸すら忘れそうになるほどに、見入っていた。

 やがて、シグルトの動作がぴたりと止まり、次の瞬間裂帛の気合とともに突きを放つ。
 彼の空いた手には、無いはずの剣がしっかり握られ、貫かれた何かが霧散したように見えた。

 技が決まる瞬間、近くに稲妻でも落ちたように空気が震え、壁がビリリと震える。
 木々に羽根を休めていた鳥たちは、一斉に飛び立った。

 周囲から一瞬音が消える。
 刺激物の匂いを嗅いで、一瞬耳の奥が痺れたような感じ。

「…凄い」

 溜息の後には、驚嘆の言葉が溢れた。

 同時に思う…自分は彼のようにひたむきな覚悟ができていたのか、と。
 
 昨夜、シグルトに言われた言葉が思い返される…
 
〝選ぶのは、何時でも君自身だ。
 今の状況も、君が選んだ先にある。

 誰かを責める前に、自分が見るべき先を見据え、行ってみるといい〟

「…そう、だよね」

 森に向かうシグルトの背を見つめながら、ジゼルはある決意をしていた。


 シグルトが森に向かおうと歩き出すと、後ろからジゼルが追いかけて来た。

「…貴方、又下長いね~

 追いつくのにも、一苦労だったわ」

 昨晩の巫女装束では無く、活動的な麻の上着に、革の上下。
 一見すれば男ものである。

「…何だ?

 まだ起きるには早い時間だぞ?」

 鍛錬の汗で濡れた髪を拭いながら、シグルトが聞く。
 
「…お弁当よ。
 
 しっかり入ったこっちはお昼用。
 簡単にまとめたこっちは、朝ごはんだから、道中食べて。

 昨日の余りもので悪いけどね。

 私も弓をやるから、獣のことは分かってるつもり。
 すぐに熊が見つかるとは限らないから、食べ物ぐらい、ね」

 ふむ、とシグルトは頷いた。

 当たり前のことであるが、熊をはじめ動物の縄張りはなかなかに広い。
 羆が『森神の箱庭』をねぐらにしていたとしても、遭遇するかは分からないのだ。

 そうなれば、戻ってくるのを待つか、探しに行くか…どちらにしても長期戦である。

「有り難く戴こう。

 保存食では味気無いからな」

 そして、一緒に果実酒の瓶を受け取る。

「あ、お酒は拙かった?

 確かそういうお酒飲まないんだったよね?
 でも、生水よりはいいと思うんだけど…」

 しかし、シグルトは笑って首を横に振った。

「これはこれで別の使い方がある。
 この地特産の酒なら、尚更な。

 貰っていこう」

 別の使い道?、とジゼルが小首を傾げた。
 
「…捧げ物だ。
 神も精霊も妖精も、酒好きが多い。
 
 葡萄酒の起源は南海の酒の神ディオニソスが教えたものだというが、彼の神は森の鹿神ケルヌンノスと集合して考えられることもある。

 昔から森の神域に入る時、酒を捧げるのは森人の習いとされている…この辺りでは違うのか?」

 ジゼルは目を丸くした。
 そういった風習は廃れたものも多い…特に聖北の教えが入って来てからは。

 この村に残る祭の儀式には、シグルトの言うようなやり方の名残らしきものがある。
 
「博学ね、シグルトって。

 そういうことって、冒険者や外の世界の人って、軽んじてるのかと思っていたわ」

 ジゼルの正直な感想に、シグルトは苦笑する。

「そも、信仰とは畏怖から生まれたものだ。
 
 神とは超常にして及ばざる領域…それを恐れた者たちが信仰を始めた。
 神や精霊をなだめるために、神官や巫女という役目が生まれ、君のように舞踏を踊ったり、あるいは呪文や詩歌を用いることのルーツとなった。

 超常なる者への畏敬とは、生きるために慎重になることそのものなのだ。

 畏敬を忘れる者は、即ち危険に対する恐れも無いということ。
 
 それは勇気ではなく、無謀でしかない。
 怖れを知る者は、恐ろしいものに挑むための勇気と、危険を避けるための心構えを得られる。

 俺は敬虔では無いが、偉大な存在が無いとは思わない。
 目前に神の領域があるなら、他人の家に入るように敬意を尽くすべきだと思うのだ。

 特に、俺は余所者だからな」

 精霊術師の老婆に学んだシグルトは、神や精霊についてそのように考えている。
 
「…あなたって、年幾つ?

 昨晩みたいに、舞踏の礼法とか知ってるし、説教臭いし。
 まるで村の長老みたいかと思えば…

 己の道は自分で選べ、みたいな開放的な一面もあって…

 外見は若そうだけど、経験豊富っぽいし、年齢が予想できないわ」

 ジゼルが突拍子もなくそう聞いた。

「…先日十九になったところだ」

 二十歳前だと知り、ジゼルは驚いて、だらしなく口を開ける。
 あいた口が塞がらない、そんな様子だ。

「…うそぉ、私と同い年?

 外見は若いけど、見えない…ぜ~んぜん十代には見えないっ!」

 奇しくもそれは、シグルトがアンジュに出逢った頃に言われた感想とほぼ同じだった。

 シグルトは、その泰然さと強い意志から、老人のような雰囲気を持っている。
 それは、先輩先達として後輩や年下の者を導き、リーダーとして仲間の中心となって皆を引っ張って行く、彼の指導力の表れなのだが。

「…よく言われる。

 きっと、武人故の不精さから老けて見えるのだろうな」

 的外れな自推を口にし、困ったように首をめぐらしたシグルトは、年相応の青年だった。
 ジゼルはその可愛らしい仕草に、思わず吹き出してしまう。

「ぷ、ククク…

 変なの」

 美しくまっすぐで、とても聡明。
 なのに、踊りは不器用で、どこか憎めない鈍さもある。

 周囲を震わすほどの武勇を見せたかと思えば、同い年の娘に笑われて困った顔をしている。

 ジゼルは、出逢って一日で、すっかりシグルトのことが好きになっていた。
 それは、恋というには漠然とし過ぎた、憧れのようなものだが、胸の奥がむず痒くてとても温かくなった。

(きっと、沢山の女の子が夢中になってるんだろうな…)

 シグルトは、村の若者が自分に向ける青臭い好色さや、押しつけがましい好意を感じさせない。
 素朴で慈しむような、爽やかな親しみで、今もジゼルを見つめている。

 その態度がシグルトを一段と落ち着いて見せ、側にいるとほっとできるのだ。

「…熊退治、頑張ってね。

 あなたが無事に帰って来たなら、今夜がお祭の本番よ。
 びっくりするダンスを踊ってあげるから…

 それが一等席で立って見られるように、怪我しないで」

 そう言って顔を伏せ、弁当の入った袋を押し付ける。
 こんなちょっとした動作が、無性に照れ臭い。

 シグルトはしっかりと弁当を受け取り、頷いた。

「…楽しみにしよう。

 では、行って来る」

 羽織った外套を翻し、シグルトは振り向かずに森へと向う。
 その広い背中を朝日の眩さに目を細めながら、ジゼルは無言で見送るのだった。


 林道を歩きながら、シグルトは真新しい鋼鉄の籠手をはめ、昔習った狩人のまじないをする。

 森から冷たく匂う土を、上に伸びた若枝から葉を数枚。
 握りしめて混ぜ合わせ、籠手と剣になすりつけた。

 これで鉄の匂いを消し、獣に気付かれなくなるという。

 残った土と葉の汁で右頬に一本、戦化粧を描いた。
 感じる遺物感と一体化して、やがて森に溶け込むイメージ。

 そして、地に剣を置き森に一礼する。

 山や森は妖精や精霊が住む異界なのだ。
 敬意を持たず、支配しようとすれば惑わされる。

「これから、貴方の神域で狩りを行う。

 この大いなる森を司る御方(おんかた)よ…
 俺は信無き故に、敬意と誠意で祈ろう。

 どうか、森の気まぐれより護り給え。

 木々と草花の精霊たちよ、大地の精霊たちよ、風の精霊たちよ…
 俺に、小さな祝福を与え給え。

 願わくば、森の命のように永らえる力で、鉄の臭いを隠し給え。
 この身を、彼の獲物へ至らしめよ」

 シグルトの言葉に応えるように、森がざわめいた。
 何か大きな存在に抱かれるような安心感で、胸が一杯になる。

「その慈悲に、感謝を…」

 剣を収め、ジゼルから貰った地酒を大地に少し振り撒く。

「残りは、獲物を狩り終えた勝利の暁に捧げよう…」

 全て捧げると、森の神威は満足してしてしまい、力を貸してくれないという。
 酒を大半残して、焦らすのもまじないのコツであった。

 こうして、シグルトは『森神の箱庭』に向かった。


 その聖域は、欝蒼とした深い森だった。
 踏み慣らした道がなければ、容易く人を惑わせるだろう。

 その林道半ばでシグルトは、立ち止った。

「《…トリアムール、お前の風で、俺が風下にならないよう護ってくれ》」
 
 シグルトが精霊術の詠唱を始めると、周囲にふわふわと風が漂い始める。
 その風は、どこか不機嫌だった。

「…?

 《どうしたトリアムール?》」

 言葉に言霊を含んだ韻を踏んで、シグルトは呼びかける。
 こうすれば、精霊には必ず言葉が届くからだ。

「「…あのお色気過剰女といい、さっきの痩せっぽちといい…最近シグルトってば、女の子に優し過ぎ。
 
  私という者がありながら…頭に来てるんだからっ!!」」

 神域で精霊の力が強まったせいか、トリアムールの囁く声がはっきりと聞こえた。

 普段は、精霊そのものの影響力が現実世界に及び難いのと、シグルトの精霊術師としての視覚や聴覚が弱いため、トリアムールとの交信は感覚的なものである。
 だが、このような神域や幽体離脱でそのバランスに変化が起きると、今のように声を聞き取ることも可能になることがある。

「…なんだ、何時もの嫉妬か」

 シグルトは言葉が交わせない時でも、トリアムールの行動や思考を把握できるようになっていた。
 この可愛らしい風の精霊は、子供っぽい性格で悪戯好きだが、さらにはちょっと嫉妬深い。

 シグルトは、異性に好意を持たれやすいので、こうやって機嫌を損ねることがよくあった。
 さらには、トリアムールとシグルトが普段できない言葉による会話ができることも、トリアムールとしては面白くないのだろう。

「「…お、もしかして話が通じてる?

  そうか、この森って〈信仰の残った神域〉だから、私たちのような古の神の眷族の力が及びやすくなるんだ。
  よし、ではさっそく戻ってあの娘っ子の髪をかき乱して…」」

 不遜なことを考えているらしいトリアムールに、シグルトは呆れたように溜息を吐いた。

「…嫌がらせは、妄想の中だけにしておけ。

 それより、これから熊狩りをするから、力を借りるぞ」

 シグルトの眉が少しばかり釣り上がっているのを見て、トリアムールは「やだなぁ、冗談だよぉ」とひきつった笑みを浮かべた。
 前にしつこくシグルトに付きまとっていた取り巻きを、悪戯で転倒させたことがあり、その時に大目玉を食ったのだ。

「「りょーかいしたよ。

  でも、シグルト、無茶は駄目だからね。
  風で勢いに乗ると力は強まるけど、身体の負担になるんだから」」

 トリアムールの力を借りる【飄纏う勇姿】は、切り裂く突風を放ちながら、自身の能力を高める精霊術である。
 風に乗って勢いに乗れば、技の破壊力も格段に高まるが、同時に故障の多いシグルトの肉体に負担を掛けていた。

「もちろんだ。

 だが、羆は手加減して無傷で勝てるほど、弱くあるまい。
 むしろ、即決するために一切容赦無しだ。

 限界まで攻勢で行くぞ」

 さらに術を駆使してトリアムールの風を纏い、体術の【堅牢】によって筋肉をパンプアップさせると、シグルトは剣の柄に手を置いた。
 精霊術によって研ぎ澄まされた感覚が、森の何処に目的の羆がいるかを探し始める。

 少し歩くと、やや開けた場所に出た。

(此処が、『森神の箱庭』か?)

 そこは樹木の根が所々の地面から突き出し、でこぼことしている。
 聖域としては随分と荒れているようで、特別な神聖さも感じない。

(…いや、何かとても小さいが気配がある。

 ここは何らかの問題があって、聖域としての用をなさなくなっているのだ。
 だから、ああいった獣が住みつくわけだ)

 シグルトの目前には、我が物顔で寝転がっている羆が一頭見えた。
 体格は並の羆に比べて、やや小さめ。

 足元には、腐りかけた獣の死体が転がっている。
 悪臭が立ちこめ、蝿の群れが煙のように立ち上っていた。

(若い雄だな…
 縄張り争いに負けて、外れて逃れて来たのだろう。
 
 なるほど、ここは奴にとって楽園というわけか)

 だらしなく欠伸している羆を見据え、シグルトは静かに集中し始めた。

(…距離で五十歩。
 だが、乱立した木の根が邪魔だな。

 俺の脚なら全速力で二呼吸ぐらいか。
 仕掛けるには、あの辺りから…)

 殺気を飲み込み、周囲の空気に自分の存在を溶け込ませていく。
 トリアムールが、熊に向かって風が吹かないようにしてくれていた。

 やがて、熊の背後を取る。

(…よし、仕掛けるか)

 シグルトは剣を鞘払い、転がっていた石を叩いて金音を立てた。
 
 びくりっ、と羆が背を震わせこちらを見る。
 その時には走り出していた。

 案の定、思わぬ奇襲に羆は浮足立つように立ち上がった。

「《トリアムール!!》」

 シグルトから二筋の突風が吹き上がり、羆を切り裂いていた。
 完全な奇襲に、敵は慌てふためき首をめぐらすだけ。

 地を蹴る両足。
 膝下に力が入らないシグルトは、踏み切る時、全身で大地を蹴るイメージをする。
 風に乗った、鋭利な突進でシグルトの姿がぐらりとぼやけた。

 周囲に突き出した木の根が、疾走を遮る。
 それを姫垣を飛び越えるようなステップで、勢いを落とさないまま接近し、足りない部分は身に着けた籠手の重さを加えて剣を突き出す。

 全身全霊の一撃が、羆の心臓を抉った。

(…浅いっ!)

 風に強く押されていたためか、熊は思った以上に後ろによろめいていた。
 その分、刃は心臓を貫くまでには至らない。
 
 即座にシグルトは剣を引き抜き、バックステップする。
 敵の反撃は凌いで、再度の一撃で終わらせるつもりだった。

 しかし、その羆はすでに後ろに向けて倒れる寸前である。
 シグルトの剣が既に致命傷を負わせていたのだ。

「《トリアムール…楽にしてやれ》」

 羆の頸動脈を示し、短く告げる。
 一瞬の突風で羆の首筋が弾け、血飛沫が散った。

 羆はどうと後ろに倒れ、ひくりと一度痙攣して動かなくなった。
 失血による死は、眠る様な気だるさの中、苦しまずに死ねるはずだ。

 そのままシグルトはしばし、眼を閉じ黙祷する。

 全身を駆け巡る疲労を、飲み込むイメージで抑えて行く。
 添え木が足の肉を締め上げる激痛は、歯を食いしばって耐えた。

 背筋を下る冷たい汗。
 シグルトは何時も戦いの後に、眉間に皺を寄せる。
 それは、常人ならば数度は気絶しそうな痛みを耐えるためだ。

(…拙いな。

 身体は動くようになってきているのに、できるようになった運動量に比例して少しずつ、耐えられる時間が短くなっている)

 シグルトが絶えず鍛錬しているのは、身体の温度を上げるためだった。
 軽快なステップは上半身の体重移動で引っ張り、襲ってくる眩暈はこめかみに力を入れて耐える。

 空気を噛んだような、歯が浮く独特の脱力感。
 人が思った以上に力を出せない時に感じる、背筋の底から這い上がってくる無力感。

 シグルトは、長時間瞬発力を持続できない。
 だから、敵を引きつけてここぞという時に技を発揮する。
 必然、振るうのに何時も以上の力を使う技には、使用限度があった。

 シグルトの技が鋭いのは、彼の才能と努力よりも、彼が悲壮な程の覚悟で身を削って振るうからだ。
 溜まり続けた無茶のツケが、少しづつシグルトの身体を蝕んでいるようだ。
 
 眼を開けた時、熊の巨体は土に還ったかのように動かなくなっていた。
 シグルトは遺体の泥を拭い、余っていた酒を少し獲物の頭に振りかける。

 転がっていた獣の腐乱死体は、そのまま引きずって行き、近くの窪地に捨てた。
 拾ったしなやかな枝葉を束ねて、死体からこぼれ落ちた蛆虫を掃き、羆の遺体の周囲を清めて行く。

 熊の死体の側によると、血抜きの処理を施し、零れた血は敷き詰めた枯れ葉に落とす。

(近くに川があれば、沈めて熱を奪うのが理想なんだが)

 熟練の野伏に教わった獣の扱い方によれば、肉に残る独特の獣臭さは血の腐敗によるものなのだそうだ。
 本来獣の血液は命そのものであり、血液で作る腸詰があるほど。
 それをすぐに抜き去るのは、血が熱をもっている状態で滞り固まって血管から腐敗して終うと、血生臭さが移り肉を臭くしてしまうためである。

 さらに理想的なのは、まだ心臓が動いているうちに動脈を切って出血を促して血抜きを行い、毛細血管にわずかに残った血や体液を悪臭を放たないようにすぐに冷やすこと。
 優秀な狩人は肉を旨くするために、沢の近くを狩場にするという。
 
 内臓を抜き、熊の胆嚢を取って口を糸で縛る。
 内臓には様々な酵素が含まれており、残っていると肉を劣化させやすくなる。
 熊の胆嚢…熊胆は高価な薬になり、肉よりも高価だ。
 今回の報酬があまりに安価だったため、交渉したところ追加報酬としてもらえる約束を取りつけていた。

 羆の巨体を運ぶのは大変なので、葉のついた大きな枝を数本敷いて、その上に熊を乗せ、毛皮を土でこすらないように引き摺って日陰に運ぶ。
 冷たい日陰の土の上で、日陰にある枝をかけておけば多少は肉が腐るのを妨げられるはずだ。

 熊の処理が落ち着くと、シグルトは改めて『森神の箱庭』を見渡した。

 小さな祠らしきものが一つある以外、何も無い。 
 シグルトはその祠に近寄ろうとして、足を止めた。

 小さな土饅頭(土を盛り上げただけ)が、少し離れた場所にある。
 見れば、その周囲には丸い石が転がっていた。

(これは、『妖精の塚』の跡か)

 『妖精の塚』とは、零落した神々が聖北のような外来の信仰によって追い出され、違う世界に旅立つ時に使ったとされる門である。
 その塚がある限り、精霊や妖精として去った神は現世に力を及ぼせるが、それを知った教会の信者たちが塚を壊して回り、今はめったに見なくなった。

 その塚も、中心となる石柱を壊され、丸石で囲ったサークルは歪められている。
 もう一度祠を見ると、祠を置く敷石は、塚の物を使っているでは無いか。

(これでは、森神も出て来れまい)

 このように、祭祀のやり方が歪んで人間の元を去った神々は多い。

 祀る側は伝統を守っていると思っているが、この村では、本当の祀り方は廃れて久しいのだろう。
 または、廃れた祭をもう一度再興したのか。

 村の者は、十年に一度の祭だと言っていた。
 本来豊穣や収穫の祭は年に春秋の二回、少なくとも年に一度はあるものだ。

 飢饉や大きな災害があったためか、あるいは教会勢力から隠れるために祭をしなくなったのだろう。
 形式的に残った祭は省略化され、終いには元の祭とは別の、ただの儀式と化す。

 そうやって、古きものは消えていく。
 伝統とは、必死に守ってもやがてはこぼれてしまうのだ。

 此処の森神は随分優しいのだな、とシグルトは感じていた。
 ないがしろにされていた神や精霊は、そのほとんどが怒り祟る。

「…ならばせめて、俺の知る礼を尽くそう。

 古き森の神よ、その古の栄光を称え、森の恵みと慈悲に感謝を」

 歪んだサークルを直し、塚に生えた雑草と小さな木々を抜く。
 敷石にされた石柱の代わりに、手頃で大きな石を持って来て、塚の中心に立てる。

 そこに酒を注ぎ、持ってきた弁当から供物代わりの供え物を用意する。

「《輪の先には、林檎並木の黄金の園。

  古の栄光は、母なる大地の胸にある。
  神々の時は過ぎ、妖精は微睡むだろう。

  私は覚えている。
  時が過ぎても、神々が偉大だった頃の昔話を。

  その姿は見えずとも、時無き楽園で安らかに。

  精霊の歌が風となって駆ける時…
  見えざる世界で、緑の褥で、貴方たちは古の夢を見る》」

 シグルトは歌う様に詠唱した。
 忘れられた古い神々の安らぎを願う、祝詞である。

 ある吟遊詩人が、荒ぶる神々の御霊を鎮めるために作った呪歌を元にしていた。

「…残念だな。

 この輪が無事なら、お前たちを帰してやれたかもしれんのに」

 シグルトが腕を撫でると、囁くような声が聞こえた。

「「平気、私たちは幸せだもの。
  シグルトは覚えていてくれている。

  忘れられるのは淋しいけれど、人の誰かは覚えていてくれるから。

  だから、私たちはまた旅をするの。
  もう少し、貴方の物語を見ているの…」」

 シグルトは、妖精の力を借りることができる。
 彼の身体を借りているその妖精たちは、自分たちの世界への帰還を望んでいた。

 シグルトはその願いを果たしてやりたいと思っている。

「「安心、安心♪

  森の神様、喜んでるよ。
  きっと何かで応えてくれる。

  優しく大きな、森の神様♪

  うふふふふっ…」」

 しばし古い時代の神や妖精のために祈っていると、そんな風に妖精たちが騒ぎ出した。
 
「ならば、いいがな」

 シグルトはそう言うと、適当な木の根に腰を下ろし、弁当を広げて遅い朝食を食べ始めた。


 荒れた『森神の箱庭』を綺麗にして、シグルトは村に戻る。
 それなりの時間がかかったので、有り難く昼の弁当も貰って食べた。

 森から村に入ると、昨晩話したヒラリオが入口に立っていた。
 シグルトの姿を見かけると、すぐに長老の家に走って行く。

(なるほど、あの男の仕事は森番か)

 家の窓を少し開けて、不安げに村の者たちがシグルトを見ている。
 シグルトは、籠手をはめた手を軽く掲げ、勝利を示した。

 途端に家々の扉が空き、村人たちが嬉しそうに声をかけてくる。

 シグルトは、彼らに軽く応えると村長の家に向かった。

「ヒラリオから話は聞いている。

 依頼は、無事にすんだのか?」

 出迎えた村長は、シグルトに事のあらましを聞いてきた。

「羆の遺体は『森神の箱庭』の中央に残して来た。
 日陰に置き、目印として組んで蔦で結んだ二本の枝を近くの木の枝にかけてある。

 その処理はまかせよう…できれば自然に従って、村の皆で食べてやってくれ」

 狩った獲物は、不味かろうと食ってやるのが森や山での礼儀とされていた。
 腹に収まれば、その獣は誰かの血肉として生きられるからだ。

「ふむ、御苦労だった。

 しかし、驚いたな…かすり傷一つ負っていないとは」

 村長は、無傷で依頼を完遂したシグルトに、いたく感服している様子だ。

 だが、シグルトは渋い顔をした。

 怪力の熊によって傷を負えば、致命傷になりかねない。
 無傷でいることで、ぎりぎり及第点なのだ。

「一瞬で仕留めるつもりだったが、叶わなかった。
 仲間がいれば怪我人が出たかもしれない。

 生き延びることはできたが、今後に考慮すべき反省点が沢山ある」

 このように、シグルトはとても厳しい自己評価を下していた。 
 村長は、謙虚さと受け取った様子だが。

 約束だった熊胆の所有権の移譲を確認してから、羊皮紙に契約終了の署名と報酬の銀貨四百枚受け取る。
 その時、村長が思いついたように口にした。

「…どうだろう?

 収穫祭まで残って、是非一緒に祝ってくれまいか。
 村人たちも、皆貴方の誠実さを褒めていた。

 金で、というわけにはいかないが、せめて恩人をもてなす機会を作って貰えれば嬉しい。

 森神様も、きっと喜んで下さるだろう」

 村長の横で、ヒラリオも強く頷いている。
 その好奇に見開いた瞳は「残って武勇譚を語れ」と催促していた。

「…思ったよりも依頼が早く終わったので、明後日の朝までなら問題無い。

 これより厄介者となるが、それでもよろしければ」

 一礼したシグルトに、村長は深く頷いた。

「俺は、このことを村人に伝えてこよう」

 そう言ってヒラリオは、去って行った。

「では、世話になる。

 ところで御息女は?
 今宵世話になる挨拶と、弁当の礼を言いたいのだが」

 空いたバスケットを掲げると、村長は、ああと鷹揚に頷いた。

「ジゼリッタならば、何時もの乗馬だ。

 冒険者殿が熊狩りを終えるまでは、村の外に出るなと言ってあるから、村のどこかを周回しておるだろう」

 村長に礼を言い、馬小屋のある裏庭から見ようと、裏口から外に出させてもらった。
 それに表には、我先に熊殺しの武勇譚を聞こうと、村人たちが集まっていたからだ。

 屋敷の裏庭はよく整理が行き届いていた。
 馬が怪我をしないように土が慣らされ、小石は道端に寄せられている。

 秋口の爽やかな微風が、果物の甘い香りを乗せて吹きつけて来た。
 獣を一頭殺して染み付いた、血生臭さが洗われるようで、シグルトはまだ高い太陽を目を細めて見上げる。

 すると、風に乗って心地良い蹄の音が近づい来た。

 立派な白馬に跨り、乗馬服を着たジゼルがこっちに向かって来たのだ。
 彼女はシグルトの側まで来ると、馬からするりと下りて、愛馬の鼻面を撫でてやる。

「有難う、ホーリー」

 手綱を引きながら、彼女はシグルトに向き直った。

「…依頼はもう終わったの?」

 小首を傾げて、ジゼルが聞いてくる。
 シグルトがどこも怪我してないのを見て、ほっとした様子だ。

「うむ。

 先ほどは弁当を馳走になった。
 入れ物は、厨房の入り口に置いてきたが、問題無いか?」

 ジゼルは微笑んで頷く。
 しかし、シグルトが何時もの外套を纏っているのに気が付くと、表情が曇る。

「もう旅立つの?」

 ためらうように尋ねるジゼルに、シグルトは首を横に振って苦笑した。

「…いや、村長の御好意を受けることになってな。
 収穫祭が終わるまで残ることになった。

 もう少しの間厄介になるが、よろしく頼む」

 ぺこりとシグルトが頭を下げる。
 
「…そう。

 なら、またお布団に、干したてのシーツをかけなきゃね」

 ジゼルは胸を撫で下ろしていた。
 その様子を見ていたシグルトは、不意にジゼルの胸元に目をやる。

「な、何?

 もしかして女の子の胸が好きとか?」

 決して好色な視線では無かったので、ジゼルは目を瞬かせた。
 虫でも付いていたのだろうか、と。

「…やや呼吸が荒いと思ってな。

 早く中で休むといい。
 俺も、明後日には旅立てるよう、準備をしておこう」
 
 シグルトはそう言って、屋敷に戻った。
 どこか悲しげな様子で。

 残されたジゼルは、訳が分からず小首を傾げた。
 

 その日の夜、ウェーベル村の収穫祭が前倒しで行われることになった。
 熊肉の腐敗を避けるためである。

 狭い『森神の箱庭』には、村人が総出でひしめいていた。
 中央に場を設けるため、さらに詰めて座っている様は滑稽ですらある。

 中央には、巫女が踊れるスペースとやや小振りな篝火。
 火柱が赤々と夜空を照らし、天の月を食らうかのように火の粉を捲き上げている。

 皆の前には足場もないほどの皿が並び、御馳走が積み上げられていた。
 中には、シグルトが仕留めた熊の肉もある。

 若く栄養の生き届いた羆の肉は、すぐに血抜きをしたためか味も良く、好評だった。

 シグルトは武勇譚を請われる度に適当に受け流しながら、ジゼルの到着を待っていた。
 伝承好きなシグルトにとって、古来から続く奉納の舞踏は興味深い事柄だ。

 すると、ジゼルが薄い舞踏服姿で、こちらに駆けて来る。

「…シグルト!」

 上気した白い肌はほんのりと赤く染まり、そこはかとなく色っぽい。

「寒そうな衣装だな。

 舞踏が始まるまで、何か羽織らなくても大丈夫か?」

 男性として、女性の魅力に興味が無いわけでは無い。
 だが、シグルトは好色な目で女性を見ることを決してしない。

「ええ、踊れば暑くなるから、これで丁度好いぐらい」

 踊る前の緊張と興奮で、弾む声で話すジゼル。

「…ねぇ、どう本番の収穫祭は?

 熊肉の方じゃないわよ…」

 冗談めかして、ジゼルがシグルトに尋ねる。

「そうだな。

 素朴だが、暖かい」

 シンプルなシグルトの返答に、ジゼルは嬉しそうに頷いた。

「ね、せっかくだから、詩の一つも吟じてみて。

 都会の人の感性って、興味があるわ」

 不意に振られた話に、シグルトは目を瞬かせた。

「詩など、幼い頃に母の膝元で真似て作った程度だ。

 俺にはまったくセンスが無いぞ」

 眉間に皺をよせたシグルトに、尚もジゼルは迫った。

「だからいいんじゃない。

 荒削りな男の人の詩って、森の神様に踊りに乗せて届けたら面白そうでしょ?
 それに、あなたは村の英雄なわけだし」

 一行に引く気の無いジゼルの好奇心に、シグルトは困った様子で最後には折れた。

「では、笑わず聞いてくれ…

《十の年が巡り、森神の園は宴に賑わう。
 微睡む神々の足音を、人々が称えるだろう。

 篝火の煌きは、宵闇に火花の手拍子を上げる。

 天の星たちは夜の闇に静寂(しじま)を奏で、
 月は眩い太陽に思いを馳せ、満ち欠け続ける。

 水は涼風を起こしてこの情熱を包み、
 大地には、樹木の芽生える命の声が豊穣を謳う。

 たわわな果実は、天地の慈しみで甘美に実り、
 獣たちの肉で腹を満たし、酒の熱さに心は躍る。

 夜空は深く、いかなる望みも吸い込んでくれる。

 明日に焦がれ、有限の時を生きるとも、
 人々に受け継がれる血潮と魂は、未来へと続くだろう。

 願わくば、清浄な日の出を焦がれて待つ。
 朝露で歓喜の涙を流す草花があるように。

 栄える幸福がどうか恵みの雨をもたらし、
 森の神よ、この民草に豊かな収穫を幾年も与え給え。

 旅人たる私は、この出逢いを忘れない。

 舞姫よ、どうか我が拙き言葉を天に舞い上げよ。

 千の木の葉が落ちるとも、
 万の草花が芽吹くように。

 このささやかな喜びに満ちた、感謝の吐息を…》」

 朗々とシグルトは詩を吟じた。
 
 彼の深い声が、夜の闇に溶けながら、聞く者の胸に沁み込んでいく。

「…俺ではこんなところか。

 やはり難しい。
 母なら、もっと良い詩を吟じただろうが」

 黙って聞いていたジゼルは、首を横に振った。

「ううん、十分よ。

 とても温かで優しい詩ね。
 あなたの喜びが分かるもの。

 この際、詩人に転職してみたら?」

 祭の熱気で頬を染め、ジゼルが微笑んだ。
 
「…勘弁してほしいな。

 戦いよりも詩を作る方が緊張する。
 無精者の俺には、命を代償に詩の才能を与えるという〈妖精の恋人(リャナン・シー)〉に愛されずとも寿命が縮む思いだ」

 肩をすくめたシグルトの言葉に、ジゼルがくすくすと笑った。

「…有難う、シグルト。

 貴方のその気持ち…きっと森神様に届けて見せるわ」

 そう言って、ジゼルは『森神の箱庭』の中央に設けられた舞台へ向かった。
 
 しなやかに、静かな梢の囁きの様に、最初の動作が始まる。

 奉納された舞踏は、決して激しいものでは無かった。
 だが、動作の一つ一つには、見るものの魂を揺さぶる情熱が込められている。

 篝火の炎を反射して、ジゼルから飛び散る汗が、宝石のように輝いた。
 応えるように、火の粉が空に舞い上がる。

 ジゼルの瞳は、夜空の星よりも強く輝いていた。
 熱意を炎にくべ、天に昇る勢いで繊細な舞を踊り続ける。

 そんな中、ジゼルの双眸がシグルトのそれと合い、どちらからともなく笑みを浮かべ合う。

 互いに生じた想いは、恋などという洗練されたものでは無く、二人の仲は同じ祭を楽しむ巫女と旅人に過ぎない。
 だが、詩を捧げた者とそれを奉納する者…祭の熱気の中で常には無い一体感を感じていた。

 ジゼルはくるくるとシグルトの側まで踊って来ると、何かを持ち上げる所作で天を仰いだ。
 また篝火が弾けて、祭はクライマックスを迎えようとしていた。

 そんな二人の姿を、木の陰から睨む影があった。

「…何故だ?
 余所者が、どうしてあいつの側にいて親しくしている?

 ジゼルも、何故あのように微笑むのだ?
 同じ村で共に過ごしたこの俺には、振り向きもしないと言うのに。

 …気に食わん。
 まるで劇の勇者と姫にでもなったつもりか?

 どうして、そんなに満ち足りた笑顔を浮かべるのだ…
 お前の病を知り、それでもお前を見つめ続けているこの俺をないがしろにして。

 次第に赤らんでいくその頬は、恋する乙女だとその男に告げたいのか?

 見ていろ…俺こそが相応しいと思い知らせてやる!」

 その男、ヒラリオは血が出るほどに唇を噛みしめ、嫉妬に狂った血走る眼で睨んでいた。
 幻想的な祭の二人を、まるで呪い殺す勢いで。


 踊り終えたジゼルは額の汗をぬぐいながら、手を振る村人たちに応える形で優雅な礼をした。
 
 それを遠目に見ながら、シグルトは酒を啜る。
 
(祭とは不思議だな。
 忘れた多くの物を思い出すようで、とても騒がしく熱い。

 それほど経っていないのに、これほどまでに郷愁を覚える)

 酒が切れ、口に入った生姜の味が酔いを覚まさせる。
 何時だって夢は覚め、祭は終わるのだ。

 黄昏ていたシグルトの隣に、ジゼルが腰かけた。
 祭の熱気と踊りで赤く染まった白い肌を汗で輝かせ、大業を成し遂げた充実感で満ち足りた笑みを浮かべながら。

 シグルトは優しく微笑みかけ、彼女を讃え頷いた。
 嬉しそうにジゼルは目を細め、夜空を見上げる。

「ああ、まだ踊り足りないわ。

 今夜だけは、ウィアに魅入られた男のように踊っていたい気分!」

 祭の音楽に合わせて指を鳴らしながら、首を音に合わせて振っているジゼル。
 
「ウィア…ああ、ウィリーのことか。

 此処にも、不埒な男を踊り狂わせるという妖精の伝説があるのだな」

 シグルトが、何とはなしに口にした。

「あら、伝承を知ってるの?

 貴方の知る話も似たものなのかしら?」

 何気に口にした、ジゼルは興味深げにシグルトを見る。

「多分同じルーツの伝説だろう。

 非業のまま死んだ森に住む乙女は、その怨念を晴らすため、不埒な男を死ぬまで踊らせる妖精になって、月光の下舞うという。
 その始まりは、〈ウィル・オ・ザ・ウィスプ〉…鬼火伝説の一種らしいがな」

 シグルトが知った顔で話すと、ジゼルは持ち前の好奇心で身を乗り出して来た。

「貴方の知るそのお話を聞きたいわ。

 鬼火伝説って何?」

 シグルトは、祭の熱に酔ったのか、少し饒舌になることにした。
 元々伝承を語ることは、嫌いでは無い。

「…ある所にウィルという不埒な男が居た。

 ウィルは、強欲で口が軽く、それ故に生前に沢山の罪を犯したまま死ぬ。
 しかし、天国と地獄を分ける場所で人を裁くという聖者を言い負かし、一度は生き返るのだ。

 だが、反省せずに悪行を重ねたまま、再びウィルは死ぬ。
 その時もウィルを迎えた聖者は、彼の業の深さに呆れ果て、天国にも地獄にも行けないよう、扉を閉ざし追いやってしまったという。
 
 以来、ウィルは中有…死と生の狭間を彷徨ったまま、誰からも見つけられず淋しく孤独に彷徨うこととなった。
 それを見た悪魔は不憫に思い、煉獄に燃える一つの木炭をかぶのランタンに入れてウィルに手渡し、彼はそのランタンを持って闇夜に現れる。
 
 その時からウィルは自分の仲間を増やすため、底なしの沼地や淵にその青白いランタンで誘うそうだ。

 その伝説にちなみ、アンデッドとなって鬼火を燃やすものをウィル、あるいはごく一般的な男の名前…ジャックと呼ぶ。
 鬼火…アンデッドの〈ウィスプ〉とは、この燃える木炭やランタン、火を付けたひと房の藁束等が元の言葉となっているそうだ。

 そこから派生したのがウィリーだ。
 女の鬼火から、果てはウィスプを妖精とする説から、男に騙されたり不幸にされた乙女が死ぬと、ウィリーという恐ろしい妖精になると。

 ウィリーは、自身に非業を与えた男を憎み、生きている者を羨み、そういった者を見つけると死ぬまで踊らせるか、自由を奪って底なし沼に沈めるという。

 おそらくは、真夜中に踊る妖精の伝説と、生者を惑わす鬼火の伝説が集合して生まれたのだろう。
 斯様な伝説が残る地では、実際に物語に出てくるような怪物や妖精が生まれるそうだ。

 伝説は信じる者がそれを行った時、真実になる。
 案外、君がその話を知っているなら、この森にも件の妖精が居るのかもしれないな…

 何時までも踊りたいなどと言葉にしたら、本当に休まず踊り続けさせられるかもしれないぞ?」

 流れるように民俗学的な知識を披露し、最後に不遜なジゼルの言葉を取り上げてからかう。
 流石にシグルトも、祭の酒に酔ったのだろうか。

 同時に、ジゼルの身体を気遣って〈無理は良くない〉という願いを込めた言葉でもあった。
 シグルトは、ジゼルが病を抱えていることを見抜いていたのだ。

「こわ~い。

 分かりました。
 今日は休むから、脅しちゃ嫌よ」

 目は笑ったまま、ジゼルがおどけて見せる。

「そうしろ…休めば、またもっと踊れるはずだ。

 きっとこれからも、いい踊りをたくさんな」

 そう言ってシグルトは立ち上がり、近くの空いた皿に、使っていた杯を伏せて置いた。

 篝火は火勢を弱め、酔った村人たちも少しずつ帰りつつある。
 祭の終焉は近いのだ。

 天を仰ぎ、シグルトは一度静かに目を閉じる。

 たまたま依頼先で出逢っただけの縁。
 それでも、このジゼルという娘が心の底から自由に踊れるように…
 夜空に祈りを捧げるのだった。


 次の日の朝。
 シグルトが朝の鍛錬を終えて村長宅に戻ると、火急の用事と村長に呼び出された。

 少しだけ後ろ髪を引かれる思いはあった。

 この村の空気は、故郷のそれに似ている。
 土臭くて素朴な、あやまちすら飲み込むような閉鎖された世界。
 だからこそ、常の世界には無い独特の安らぎもある。
 もう少しだけ留まりたくなる、微かな逡巡。

 村長の一声はその迷いを完全に打ち消すものだった。

「昨晩は、楽しませて戴いた。
 誘って貰えたことを、心から感謝している。

 久しく忘れていた故郷を思い出し、立場を忘れてはしゃいでしまったようだ。
 迷惑をかけていなければよいのだが…」

 村長は苦笑して頷いた。

「迷惑などでは無い。

 貴方の詩は私も横で聞いていた。
 その気持ちに胸が打たれた。

 貴方の喜びも、祭に招いた者としてとても喜ばしい」

 だが、不意に眉を寄せ暗い顔になる。

「…しかし、貴方には本日中に村を出てほしいのだ。

 これは、貴方が迷惑をかけたからでは無い…
 一人の父親として頼みたい」

 明らかな拒絶の嘆願。
 シグルトは黙してその先を待った。

「…ジゼリッタが昨晩、貴方と村を出たいと言いだした。
 冒険者としての貴方の強さと高潔さに触れ、決意したのだろう。

 私も一人の父として、それを応援してやりたい。

 しかし、ジゼリッタには外の世界は耐えられない。
 あの娘は重い病を患っているのだ。

 だから、これ以上娘を惑わせないで貰いたい」

 黙って聞いていたシグルトは静かに頷く。

「…あの細い呼吸や、裏手に干された薬草で見当は付いていた。

 娘御は、心の臓を患っているのだな?」

 村長の目が見開かれた。

「…かつて、医者を師に学んだことがある。

 ジゼルの病は、初めて会った時にそれとなく感じていた。
 吐息に薬草の匂いが染み付いているのだ。
 慢性的な病を抱える者でなければ、ああはなるまい。

 親としての貴方の気持ちを分かるなどと増長するつもりはないが、気の毒に思う。

 申し出は最もだ。
 俺は、すぐにも村を去ろう。

 今まで世話になった。
 感謝する。

 だが、今一つお願いしたい。

 もし貴方が、父として娘に望む道を歩ませてやりたいと願うのなら…
 今なら、俺の医術の師がペルージュにいる。
 彼は、同じような症例を数年の治療で完治させたことがあると言っていた。

 ここにその医師への紹介状と、会うための手順をしたためておいた。
 変った風体をした異国の人だが、高い金を取る人では無いし、消毒用に使える強い酒を二~三本代金代わりに渡せば診てくれるはずだ。

 お節介かもしれないが、このまま座して死に怯えるよりは希望もあるだろう。
 願わくば、彼女に運命に挑む機会を与えてやってほしい。

 俺はまだ親では無いが、子として親を思ったことはある。
 だからこそ、ジゼルの気持ちを汲んでやりたい。
 
 どうか、あの娘の夢が叶うよう、決断してくれ」

 巻いた羊皮紙を机に置き、シグルトは静かに村長の決断を待った。
 降って湧いた希望に、村長は何度も頭を下げて礼を言う。

「…幸せになる者は、多いに越したことはない。

 もしその手助けになるなら、何よりだ。
 ペルージュは聖北の領分だから、この村の信仰のことは隠して行くと好いだろう。

 では、荷を持ったら失礼する。
 ジゼルに、よろしく伝えてくれ」

 一礼して、シグルトは去って行く。
 その後ろ姿を見つめながら、村長は呟くように口にした。

「…冒険者、か。 
 なんと気持ちの好い男なのだろう。

 ジゼリッタが興味を持つのも、当然だ。
 だが、あれほどの器では、この村で娘の婿にとも言い出せんな。

 娘の見る目は確かだが、目を付けた男が特別過ぎた。
 あれは、風のように止まらない、そんな男だ」

 紹介状を握り締め、村長は寂しげな笑みを浮かべた。


 シグルトが屋敷を後にしようと荷を纏めていた頃、ヒラリオは村長邸の馬小屋に忍び込んでいた。

「良し、誰もいないな。

 あの阿婆擦れめ…
 俺を怒らせたことを後悔させてやる。

 ククッ、この薬でお前の愛馬は大暴れさ」

 手に持った粉薬を一摘み、ヒラリオの侵入を警戒して鼻息を荒くしているジゼルの愛馬ホーリーに振りかける。
 見る間にホーリーの目から理性が消えた。

 ヒラリオは小屋に設けられた柵を外し、扉を開けてホーリーの脱走をお膳立てる。

「…シグルト。

 アンタは、あの馬を止められるかな?」

 自身もまたその粉薬によって惑わされたかのように、ヒラリオの目は嫉妬の炎によって燃え狂っていた。


 シグルトが旅支度を終え、屋敷を出ようとすると、村長が見送りに玄関まで現れた。

「では、世話になった」

 短いシグルトの挨拶に、村長は「こちらこそ」、と応え頭を下げる。
 
 そうしてシグルトが、この村での逗留を終えようとした矢先である。

「キャァァッ!!」

 甲高い女の悲鳴。
 人々が怖れ戦く声があちこちから聞こえてくる。

「な、何事だ?」

 村長が動揺して思わずに声にした。

「…蹄の音がする。
 
 この様子は、暴れ馬か?」

 シグルトの落ち着いた判断に、村長の顔が青ざめた。
 村落で、高価な馬を飼うことができる家は限られる。

「ま、まさかうちの…!!」

 それ以上聞く事無く、シグルトは外に飛び出した。

 案の定、外ではジゼルの愛馬ホーリーが、狂ったように暴れていた。
 目は血走り、口端から泡をこぼす姿は、まさに「狂乱した」様子である。

 周囲は、果物の収穫のために出された木箱や荷車が蹴倒され、酷い有様だ。
 何人か巻き込まれて怪我をしたのか、倒れた数人が呻いている。

(…死ぬほどの怪我人は居ないようだな。

 しかし、気難しそうだったとはいえ雌馬で、これほど暴れる気性には見えなかった。
 何故こうまで昂ぶっている?)

 シグルトは【堅牢】で防御を固めつつ籠手で頭を庇うようにして、ホーリーに近づいていった。

「…ホーリー!

 止めろっ!!」

 前に立塞がって、その気を誘うと、怒り狂ったホーリーはシグルトに襲いかかって来た。
 近寄った拍子に、飛び散ったホーリーの涎から何とも言えない刺激臭がする。

(…これはエパか?

 く、何者かが意図的にホーリーを狂わせたな。
 いったい誰が…)

 襲い掛かって来たホーリーの蹄を、見切って躱す。

 しかし、着地場所には砕け散った木箱の欠片が落ちており、ホーリーはそれに足を取られて派手に転倒した。
 骨の折れる音と、壁に激突する凄まじい音。

 土埃が舞い、ホーリーは一度悲しげに嘶いて、地に倒れ伏した。

 耳と鼻から血を噴き出し、舌をだらりと出す。
 当たりどころから、頭蓋骨が砕けたのだろう。
 馬の突進力とは凄まじいのだ。

 シグルトは動かなくなったホーリーの側によると、さっと脈を測り、唇を噛みしめた。

 その時、騒ぎを聞きつけてジゼルが走って来た。
 荒れ果てた周囲の様子と、変わり果てた愛馬の姿に目を見開く。

「えっ…これは?」

 悲壮な様子でシグルトを見るジゼルに、シグルトは静かに首を横に振った。

「ね、ねぇシグルト…

 これはどういうことなの?」

 信じられないという顔で、ジゼルはシグルトに問いただした。

「あなたが、あなたがホーリーを殺したの?」

 しばし黙ったシグルトは、肯定も否定もしなかった。

「俺に襲いかかって来たので、攻撃を避けた。

 その時着地に失敗して壁に突っ込んだが…事故と一言で片付けられる状況でもあるまいな。
 このような結果になって、すまない」

 静かにシグルトはジゼルを見た。
 否定しても、状況はそれを許さない。
 故に一旦ジゼルが話を聞けるようになるまで、待つつもりだった。

「…どうしてっ!」

 ジゼルが手を振り上げる。
 それを横から割って入った村娘が止める。

「違うわ、ジゼル!

 その人は悪くないのっ」

 彼女の静止に、力無くジゼルの手が下げられる。

「マリー…」

 マリーと呼ばれた村娘は、荒れ果てた村の様子を指さした。

「見ての通りよ…

 ホーリーが突然暴れ出して、それを冒険者サンが止めようとしてくれたのよ!
 そうしたら、ホーリーが冒険者さんに襲い掛かって…

 そのまま受けたら死んでしまうから、冒険者サンは攻撃を躱しただけ。
 ホーリーはそのままこけて、運悪く頭を強くぶつけて…

 だから、冒険者サンは悪くないわ」

 ジゼルの目に諦めの光が宿り、そして彼女は項垂れた。

「…そう。
 分かったわ。

 ホーリー、今…うっ!」

 力無くジゼルは、死んだ愛馬に近寄ろうとして、突然苦悶の表情になる。
 胸を抑え、脂汗が額から落ちた。

「…いかんっ!」

 シグルトは、すぐにジゼルの心臓が発作を起こしたのだと気がついた。
 強い緊張の後の僅かな脱力…心臓の病にとってこれらの急激な変化は大きな危険を伴う。

「…く、苦しい…!」

 喘ぎながら、細い息を繰り返し、パクパクと口を開閉するジゼル。
 駆け寄ったシグルトは、血流を制御するツボを押さえ、彼女の体勢が楽になるように抱き抱える。

(くっ、唇が紫になっている…

 血が息が意思に逆らい始めているのだ。
 このままでは拙いっ!)

 処置を続けながら、シグルトは強い口調で側にいたマリーに声をかけた。

「…マリーと言ったな?

 すぐにジゼルの家の玄関に掛かっている、尖った葉の薬草を持ってきてくれ!」

 ジゼルの乗馬服を緩め、体温が奪われないように、自分が纏っていた外套でその身体を包む。

「う、うん!」

 慌てて駆け去るマリー。

「い…嫌っ!

 まだ、死にたくない…助けて」

 弱い痙攣を繰り返しながら、ジゼルが助けを求めるようにシグルトに手を伸ばす。

「ゆっくり息を吸えっ!

 惑乱に意識を捉われるな。
 ゆっくり、背中の後ろまで吸い込み、ゆっくり吐くんだ」

 血流を落ち着けるため、優しく肩を擦ってやりながら、シグルトは懸命にジゼルを励ました。

「…シ…グル、ト…」

 弱々しい一息の後、ジゼルはシグルトの名を呼び、だらりと脱力した。
 触れた身体から、脈拍による振動が消える。

「…逝くなっ!」

 シグルトはジゼルの心臓を何度も加圧し、ジゼルの鼻をつまんで口移しで息を吹き込む。
 時折心臓を叩くように胸の中心を圧し 、手に気を集中して心臓に送り込む。

 だが、何度蘇生処置を施しても、ジゼルが目覚めることは無かった。

 側には、薬草を抱え蒼い顔したまま立ち尽くすマリーと、急を聞いて駆け付けた村長が祈るような目でシグルトを見つめていた。
 諦めず、ずっと蘇生処置を続けるシグルト。

 時間が立つのも忘れて、行為に没頭していたシグルトは、背に男の嗚咽を聞き、終にその手を止めた。

 泣き崩れた村長の姿があった。
 その手から、シグルトの渡した紹介状が零れ落ちる。

 シグルトは、手拭いでジゼルの泥で汚れた顔と口を拭き清めると、乱れていた衣服を整えそっと地に横たえた。

「…力及ばなかった。

 すまない」

 周りには村人たちが集まって来ていた。
 中には、壊れた木箱を片付ける者もいる。

 ホーリーの遺体はすでに無かった。
 空の太陽は、真上からシグルトをギラギラと照らしていた。

 それだけ長い間、蘇生処置を続けていたのだろう。

「…冒険者サンは悪くないわ」

 泣き腫らした顔で、マリーが言った。
 今でも両手には、祈るように薬草が抱えられている。

 シグルトは耐え切れない激情をかみ殺すように歯を食いしばり、憎い何かを叩き潰す勢いで石畳を殴りつけた。
 飛び散った石の欠片が、シグルトの額をかすめ、血が一雫だけ汗と混じり合って地面に落ちる。

 それはまるで、シグルトの流した慟哭の涙のようだった。
 

 ジゼルはホーリーの遺体とともに、すぐに埋葬された。
 この村には、事故死の者が出た場合、魔物に成らぬためにすぐ葬る仕来たりがあるのだという。

 美しく、才能に恵まれた森神の巫女は、その夢を叶えることなくその一生を終えた。
 天は彼女に才能と美しさを与えたが、病という重い宿命も背負わせたのだ。

 シグルトは、村長と村人に請われ、ジゼルを埋葬するのを手伝った。
 村の誰もがシグルトの必死さを目にし、その資格があるのだと認めていた。
 
 墓穴を掘るのを手伝い、遺体を地に横たえ、土を掛ける間…シグルトは一言も喋らなかった。
 涙一滴流さない。
 だが、彼が泣かないのはその誠実さ故だと、誰もが感じていた。

 シグルトは、親しい者の死を経験したことが何度かある。
 それ故に悲しむのは、親である村長と、ジゼルの親しい者たちが行うべきと身を律していた。
 
 冷静に振る舞うシグルトの唇は引き結ばれ、軋むように歯を噛みしめる音が、心情を物語っていた。

(俺は何人、親しくなったものを見送ればよいのだろうな…)

 シグルトの背中は、そんな彼の本音を正直に語っていた。


 その夜のこと。

 誰も居なくなったジゼルの墓の前で、泣きながら謝る男の姿があった。
 ヒラリオである。

「ううっ…許してくれ!

 まさかこんな酷いことになるなんて、思いもしなかったんだ。
 ただ、お前とあの冒険者が楽しそうに話していたのが、妬ましかったんだ。

 すまない…すまないっ!」

 だが、ヒラリオは知らなかった…あるいは信じていなかった。
 夜半過ぎ、人の悲しみや後悔が、人ならぬものを招くことがあることを。

 そして、此処は墓場である。
 時には未練を残したものが弔われる、死と生の狭間…中有の領域なのだ。

 ヒラリオは嘆くのに夢中で、何時の間にか自分が沢山の鬼火に囲まれていることに気がつかなかった。

 不意に自分の涙が何かの光を反射して青白く光り、漸くそれに気付く。

「…ひっ!

 ひぃぃぃっ!!!」

 不気味に揺れる無数の火の玉を見て、ヒラリオは正気を失ったようによたよたと走り去った。

 やがて、鬼火の一つが古びた墓の上で人の姿を取る。
 それに習う様に、無数の鬼火たちは次々と人型に転じて行った。

 中央で最初に人型を取ったそれは、美しく白い顔を嘲りの表情で歪め、ヒラリオの逃げ去った先を詰まらなそうに見やった。

「…薄汚い人間の男め。

 我らが聖域を、言い訳と鼻汁で汚した罪は万死に値する。
 すぐに殺してくれようが…

 それよりは、新しく生まれる同胞(はらから)の祝福が先。
 
 ウィアの女王ミレトの名において命ずる…
 皆も妾と祝うのだ」

 女は、透けた白い霧の衣を纏い、捩じくれた一本の棒杖を天に掲げ、一つの墓を示す。
 それは、先ほどジゼルが埋葬された墓である。

 高らかに女が呪文を唱えると、合わせるように他の人外たちも唱和する。
 杖を持ったその女が、その杖でジゼルの墓を打ち据えた時、地面から弾けるように小さな鬼火が一つ飛び出した。
 その鬼火はやがて、人の姿を取る。

「…あ、あれ?

 私は何を…」

 それは、少し透けた姿だったが、間違いなくジゼルである。

「ふふ、ジゼリッタと言うのか。

 お前も、無念非業の死を遂げたのだな?」

 薄い唇を歪め、杖を持った女は笑う。

「えっ…

 私は、心臓の病で――」

 目をぱちくりと開閉し、分からないという風にジゼルは首を傾げる。

「――そう、お前は心臓の病で最期を迎えた。
 愚かな男の嫉妬によって起こされた、無情な仕打ちのせいでな。

 故に、妾たちの同胞として復活させた。

 この辺りでは〈ウィア〉と呼ばれている、その妖精になったのだ」

 女の言葉によって思い返されるシグルトとの会話。
 
〝…非業のまま死んだ森に住む乙女は、その怨念を晴らすため、不埒な男を死ぬまで踊らせる妖精になって、月光の下舞うという…〟

「ウィア…」

 舌に乗せて言葉にすると、不思議な感じがする。
 祭の中、隣でシグルトが語ってくれた妖精に、自分自身が成ったという神秘。

「―むっ…?

 珍しい夜だ。
 こんな夜更けに、二人も人の気配を感じるとは。

 ジゼリッタよ、その獲物はお前にやろう。
 我らの存在意義、しかと体認するのだ」

 女は促す様に頷くと、他のウィアを伴って飛び去った。

 残されたジゼルは、自分の墓の前で途方にくれる。

「…身体の奥底から湧きあがってくる、この衝動と知らない知識。
 私は、ウィアになったのね。

 でも、この衝動を否定する自分もいる。

 どうすれば…」

 思い浮かぶのは、自分の最期を看取ってくれた美しい一人の男。
 彼なら、どうするだろう?

 ジゼルは透ける身体で立ち尽くしたまま、思案に耽った。


 ミレトが感じたもう一つの気配は、シグルトだった。
 
 彼は、村人の勧めを断り、今晩のうちにヴィスマールへ帰還するつもりである。
 夜間の道は暗いが、その気になればランプも持っていたし、一度歩いた山道は記憶している。

 シグルトの胸には、封じていた暗い気持ちが呼び起されていた。
 助けようとしても叶わぬ不遇があることを、再び強く感じたせいだ。

 もっと早く駆けより、ジゼルに治療を施していれば…
 あるいは、ホーリーを止められていれば…

 様々な〈もし〉が頭に浮かんでは消えて行く。
 ジゼルを失った今では、それが詮無い愚痴に過ぎないことも分かっている。

 シグルトは多くの死を看取って来た。
 その中にはもっと身近だった者の、さらに残酷な死様もあった。

 一個の人間が努力したとしても、痛苦別離は世の常であり、逃れられない。
 それをよく分かっているシグルトであっても…やはり死別の虚しさは深い。

 ジゼルはもしかしたら、新しい未来を歩めるかも知れなかったのだ。
 希望に満ちた、夢を叶えるための未来を。

 だが、彼女は死んでしまった。
 とてもあっけなく、悲しい結果で。

 それがとてもやる瀬なく感じられた。

 天衣無縫に見えるシグルトも、その内は一個の人である。
 親しい者の死を悼み、憤懣に身を焦がす。

 ただそれが、人には見えないほどに、表現が下手なだけだ。

 一番許せないのは、すでにジゼルの死を認め断念し、悼んでいる無力な自分。
 死者にしてやれることは、いつでも弔いと思い出を語ることぐらい。

 このようなことが起こらないために、日々努力して来た。
 報われるためだけに励んで来たのではないが、どこかで大切な人たちを守れると自負していた。

 うぬぼれが、慢心が、許せない。

 でも、シグルトは決意を新たにしていた。
 嘆くだけでは前に進めないことを、何度も経験していたからだ。

 まずは村を出、日々の生活に戻る。
 やるべき時にやるべきことを行いながら、今回のことを身に刻んで生きてゆこう…

 嘆き澱んでも、それは決して死者のためにはならないと知っている。
 ならば、この痛苦を背負って生きること。

 これがシグルトという男の、生き様である。

 故に、旅立つ前に、もう一度だけジゼルの墓を訪れておきたかった。
 決意を新たにするには、きっかけが必要だからだ。

 夜道をジゼルの墓へと歩みながら、シグルトはすでに冒険者としての生存能力を発揮し始めている。

 周囲に満ちる哀愁と鬼気。
 何時もにもまして憂鬱に感じるのは、夜の森に満ちた瘴気のせいだろう。

 不意に思い出す、ジゼルとの会話。
 〈ウィア〉という化生の伝説。

 張りつめた表情のシグルトを、トリアムールの起こす風が心配気に撫でて行く。
 分かったという風に、シグルトは精霊術を行使した。

 トリアムールの風術とともに定着しつつある、妖精の隠形術。
 この術の力をもってすれば、多少の呪縛は退けることができる。

(嫁入り前の娘が非業の死を遂げ、妖精となった慣れの果て。

 夜に墓から抜け出して、森に迷い込んだ愚か者を死ぬまで踊らせ…
 あるいは底なしの沼に誘う)

 〈ウィア〉とは悲しい伝説である。
 
 シグルトは、妖精に生まれ変わった死者を弔うために、古いまじないの詩を口ずさみ、夜道を歩き始めた。

「《月夜の晩に踊る〈よきひとたち〉よ、
  星はこんなにも輝いている。

  死は悼まれ、そして消える。

  乙女は蝶に、戦士は獣に、
  可憐に雄々しく生まれ変わり、

  未練は果てて夜を謳歌する。

  ならば〈よきひとたち〉よ、
  死と夜の暗がりは、
  恐ろしいはずがあろうか。

  月は太陽よりも優しく包んでくれる。
  日差しに焼かれることはないだろう。

  夜の風はこんなにも静かなのだ。
  生の喧騒は忘れられよう。

  闇の安らぎで微睡むように、
  夜はあなたたちの揺り籠なのだ…》」

 【妖精の護光】に身を包み、詩を吟じるシグルトは、当人も妖精のようだった。
 当然であろう…シグルトもまた、白エルフと呼ばれる古い妖精の血を引く者なのだ。

 夜の森は不気味であると同時に、郷愁を感じさせる。
 寡黙なシグルトが、詩を捧げるほどに。

 シグルトの周りだけ、森の憂鬱な気配が消え、柔らかな静けさに包まれて行く。
 
 詩とは言霊の芸術である。
 言葉とは、本来高貴で高尚なものなのだ。

 神に捧げる呪文があり、賛美する歌がある。
 今シグルトは、言葉の持つ神秘によって、周囲の意味を変えた。

 弔いの言葉は、死に意味を与え死者を葬る。
 喜びの言葉は、生を祝福し力を与える。

 何気なく使われる言葉を、古の民はもっと大切に使っていた。
 森のような古からある場所は、それ故に美しい言葉を好むのだ。

 シグルトは、そんな伝承をとても尊いと思う。

 気付けば星空の下、ジゼルの墓の前に辿り着いていた。

 そこにあるのは、聖北の信仰が影響しない墓石。
 多くは魂を沈め、死者が甦らないようにするための重しの標。

 この時代、土葬が中心だった故に、死者復活の畏れがことさらに強い。
 
 聖北では、死者の復活は尊いものとされる。
 死を超越する救世主の奇跡だと。

 だが、生前の姿を残したまま葬られた者の復活は、本来は忌むべきものとされた。
 復活と同時に、生者を脅かす別の存在に変わるのだと。

 多くはウィスプやグールなどのアンデッド。
 ウィアのような妖精的な側面を持つものも存在する。

 それでも人が土葬を好むのは、死者がどこかで戻ってくることを願う意味があるのか。
 あるいは、生きた時の姿を壊すのが恐ろしいのか。

 埋葬された死体は見えず応えない。
 そこには、目印として重々しい墓石が一つあるだけなのだ。

 シグルトは、墓の前に跪くと、風で降りかかった土埃を払い落し、ジゼルの墓碑銘をなぞった。

〝麗しき森神の巫女ジゼリッタ、愛馬ホーリーとともにここに眠る〟

 簡素な碑文である。
 
「…ジゼル。
 謝罪が君の命を繋ぐものだったのなら、俺は迷わず何度でも君に頭を下げただろう。

 だが、君はこの冷たい土の下にホーリーと横たわっている。

 今の俺にできることは、君を忘れずにいて、思い出し語ること。
 悲しいことだが、せめて忘れないと誓おう。
 君を思い出す度、あの時の詩を、そして君の舞踏を思い出す。

 君に寂しさと無念が取り憑かぬよう、楽しい思い出が君の心を慰めるように祈ろう」

 素朴な誓いとともに、シグルトは墓石を撫でた。

「…あなたは強くて優しいのね、シグルト。

 そうしてくれるなら、とても嬉しいわ」

 空気の中から、響き湧きあがる声。
 そして、墓石の向こうからその娘は微笑んで、こちらを覗きこんでいた。

「…ジゼルなのか?」

 シグルトの状況判断能力が現状を把握し、何が起こったか理解した。
 同時に、彼女から危険な鬼気が発せられないことを知って、力を抜く。

「…また逢えたわね、シグルト」

 出逢った時から彼女の平素であった、好奇心と陽気さに満ちた笑顔。

「…そうか、伝説通りウィアになってしまったのか。

 だが、君は邪な存在にはなっていないようだな」

 落ち着いた様子でシグルトは、苦笑した。

「うん。

 正気のままだから大丈夫。
 踊り殺したりしないわ。

 でも、驚かないなんて凄いのね」

 好奇心で目を見開く仕草。
 少し透けていても、それは変わらなかった。

「…死神だの神殺しだの、色々なものに会ったからな。

 驚くよりも、今がどういうことなのかそちらに気が行くようになってしまった。
 因果まことだ」

 肩をすくめて見せるシグルトに、ジゼルがそうなんだと微笑み返す。
 まるで生きていた時と同じように。

 ジゼルには少しだけ恐れがあった。
 もしかしたら、ウィアになった自分に敵意を向けて来るのではないかと。

 だが、シグルトがそういう人間でないことは、直感で分かってもいた。
 彼は目に見えないものすらとても大切にし、真実を見据えていることを感じていたから。

 シグルトは続いて何かを言おうとするが、ジゼルは待ってとそれを制した。

「もし謝るのなら、止めてね。

 シグルトは村を救うために、ホーリーを止めようとした。

 そして、死ぬ間際に、あなたの温もりを覚えているわ。 
 必死に私を生かそうとしてくれたことも。

 謝られたりしたら、パニックを起こして死んじゃった私が恥ずかしくなっちゃう。

 ね、男の子は、女の子に恥をかかせないものよ?」

 唇に一本人差し指を当て、片目を瞑ってそんな言葉を口にするジゼルに、シグルトは「ふむ」と頷いた。

「…それにね。 
 私、たぶん長くなかったわ。

 だから、いいの。

 今はウィアになっちゃったけど、あなたとまたこうして話せるなんて、嬉しいわ。
 こんな夜に来てくれたから、逢えたのよね。

 有難う」

 そう言って、ジゼルはシグルトの手に自分の手を重ねる。
 透けて見えるが、実体がちゃんとある。

「ふふ、ちゃんと触れるわ。

 これなら、またあなたとワルツが踊れるわね」

 シグルトは両手を広げて困った顔をして見えた。

「踊り殺されない程度なら、お受けするがな。

 でも、知っての通り、踊りは苦手だぞ?」

 シグルトの言葉に、ジゼルは晴れやかな笑顔を浮かべていた。


 その頃…ヒラリオは必死に逃げていた。

 何時の間にか、夜気で冷やされて霧に覆われた沼の前に辿り着く。
 
 村からは随分離れてしまった。
 冷たい汗が、ぽたぽたと地面に滴り落ちる。

「な、何なんだ、あの鬼火は?

 後を追いかけて来やがって…」

 荒い息で、休みながらヒラリオは毒づく。

 すると、先回りしたかのように、沼地に四つ鬼火が現れた。

「ひぃっ!」

 怯えて尻餅を突く。

 やがて鬼火は人型を取り、中央にいる杖を持った女が滑るように近付いて来た。

「お、女?」

 目を見開くヒラリオを睨み据え、杖の女は蔑んだ様子で首を巡らした。

「――愚かな人間よ。
 我らの静かな月夜に、土足で踏み込み、やかましい靴音で眠りを妨げた罪は重いぞ。

 妾こそは、この森のウィアを統べる女王ミレト。

 夜の森は、我らあやかしの領分であるのに、そこに踏み入るとは恐れを知らぬ。
 その愚行を後悔するがいい…」

 ヒラリオは、この地方に伝わる伝承を思い出し蒼褪める。

「…ウィ、ウィアだと?」

 震えるヒラリオの足に向け、ミレトと名乗った杖の女は、その捩じれた杖を一振りする。
 途端、痙攣するようにヒラリオの両足が波打ち、勝手に上下に歩き始める。 

「か、身体が…!」

 必死に身体を制御しようとするが、まるで別の何かに足を乗っ取られたようだ。

「――踊り…死ね。

 滑稽な舞踏で我らを楽しませつつ、散り逝くがいい」

 薄い唇を吊り上げて、ウィアの女王が笑う。
 周囲のウィアたちが拍手する。

 まるで、虫の足を夢中で千切る子供のように、無邪気なのに邪悪な笑みを浮かべて。

「う、うわぁっ!

 止めてくれ、止めてっ!
 助けてっ!!」

 そのままヒラリオの足は、不器用なステップを踏みながら沼に向かっていく。

「ひ、ひぃっ!
 死にたく、死にたくないっ!

 だ、だれかぁ、誰かぁっぶぉ!!!

 がぼぉ、ぐふぉ、がぼぼ…」

 沼に入ったまま深水でぐるぐる回り、鼻から口から沼地の生臭い泥水が入ってくる。
 必死に陸を求めてもがくうち、何か細いものを掴み、必死に引き寄せる。
 それはヒラリオの肩にがしがみ付いた。

 ヒラリオはそれがなんであるか知って、息が止まった。

 自分と同じ様に沈められた男であろう、腐って眼窩から魚が飛び出した骸骨だった。
 そのままヒラリオの心臓は凍りつく。

 奇しくも溺れ死ぬ前に、ヒラリオは自分がジゼルにもたらした死と同様、心臓の停止でその一生を終えたのだ。

 死体になったヒラリオは、ぐるぐると骸骨と踊りながら沼に沈んで行った。
 その姿を、ウィアたちは腹を抱えて笑う。

「ほほ、醜い者同士、お似合いの舞踏よな。

 …さて、ジゼリッタの方は手間取っておる様だ。
 仕方ない、妾が手を貸してやろう」

 沈んでいく死体には目もくれず、ウィアの女王ミレトは鬼火に姿を変え、ジゼルの墓に向けて飛んで行った。


 二人の短い歓談は、ヒラリオの甲高い悲鳴によって終わった。

「…男の悲鳴…

 北の方からか?」

 籠手をはめ、剣の鞘を返す。
 即座に抜刀可能な状態とし、柄に手を掛け、シグルトの目は猛禽のような鋭さを宿した。

 後ろで見つめていたジゼルは、それがシグルトの日常だと気付いて少し淋しさを覚えるも、気持ちを切り替えて彼に向き直る。

「…シグルト、逃げて。

 多分、ウィアの女王が間もなくやって来るわ。
 あなたを、殺すために」

 シグルトは首を横に振った。

「…森の広さから言って、逃げるのは無理だ。
 鬼火になってやって来るウィアの移動速度は、とてつもなく早い。

 一応は対抗手段も備えて来ている。
 場合によっては、一戦も止むを得ないだろう」

 ジゼルは、浮かび得たウィアの知識で反論する。

「彼女を甘く見ては駄目。

 魔法の木の枝で、相手を想いのままにできるのよ」

 シグルトは頷いた。

「【支配の枝】とも呼ばれる棒杖(ワンド)だろう。

 それならば、俺の装備で何とか出来るかもしれん」

 シグルトは、籠手を打ち鳴らした。
 
「…駄目よ、無茶は。

 最後にあなたに逢えて良かったわ。
 私は、安らかになれる方法を探して、貴方との思い出を抱きながら眠るから…

 だから、さよなら」

 決意に満ちたジゼルの顔。
 シグルトは、彼女の気持ちを酌むことにした。

「…分かった。

 だが、もし君が生まれ変わることがあったら…
 或いは俺が一生を全うしたのなら…
 どこかで逢おう。

 何時かの昼には、君の墓に来て、良い酒と都会の話を捧げると約束する」

 シグルトの言葉に、ジゼルは深く頷く。

「…じゃあ、お別れ…あっ!」

 ジゼルの表情が、見る見る絶望に染まって行く。
 
「ウィアの女王が来るわっ!

 早く、お墓の影に隠れてっ!!」

 苦肉の策であろう。
 シグルトは、無駄と分かりつつも頷いて、ジゼルの墓石の後ろに姿を潜めた。
 同時に、ある決意を持って籠手に古い言葉を描きつけていく。

 シグルトが隠れるのと同時に、鬼火がふわりと降りて人型を取る。
 ウィアの女王ミレトである。

「――男を殺せなんだな、ジゼリッタ」

 現れるなり、刻薄な表情でミレトはジゼルをねめつける。

「も、申し訳ありません、女王様…」

 芯の所にあるウィアとしての本能が、創造主であるミレトへの畏怖を起こさせる。

 墓の後ろで、シグルトは剣と籠手に土で三角形と二十六夜の月(逆三日月)を描く。
 まじないを終え息を潜めるが、何時でも飛び出す備えはできた。

「何人足りとも、この夜に此処に足を踏み入れてはならぬ。

 妾の安息を守るため…そこに隠れておる男も始末せねばな…」

 元より、妖精は気配で存在を知る。
 姿を隠す故に、見つけるのも得意なのだ。

 シグルトは、隠れるのを止め、姿をミレトの前に晒した。

「はははっ!

 この森は妾の庭。
 全てを見通すのも容易い。

 ジゼリッタ、殺せ。

 その男の自由を奪い、踊らせて精気を奪い去るのだ!」

 即座にジゼルは反発する。
 頭を大きく振って、ミレトを睨みつけた。

「嫌よ、たとえ女王様の命令でもできないわ!」

 呼応するように、シグルトは暗がりからミレトの前に歩み出た。
 その美しい顔立ちに、ミレトが息を飲む。

「もし、ジゼルに俺を殺すことを命じるのなら、俺はお前に確実な破滅をもたらすだろう。

 〈ダナの子供たち(トゥアハ・デ・ダナーン)〉たる妖精ならば、【滅びの鎌】を恐れぬはずがない」

 強い言霊を持ったまじないの言葉に、ミレトが一瞬怯む。

 二十六夜の月は、欠け落ちんとする月夜を象徴した収穫の刃。
 魔の雲に乗ってくる全ての神妖を刈り取り、滅びをもたらす神殺し。
 かつて天空を不能とし、不死身の蛇女の首を跳ね、ドルイドが宿り木を刈り取るのに使ったという黄金の鎌の原型である。

 この世の者でないからこそ、このまじないを付与した攻撃は魔の領域に軽々と踏み込み、常ならぬ命を終わらせられるのだ。

「…ふん、小癪な人間め、片腹痛いわ。
 何処で知ったかは知らぬが、そのようなはったりで妾を貶められると思っているのか?

 ならば、望みどおりジゼリッタでは無く、妾自らお主を踊り殺してくれよう!」

 そうしてミレトは、呪文を唱えながら杖を一振りする。

「《魔法の杖よ。

  あの者を踊らせよ!》」

 しかし、ミレトが放った魔力は霧散した。

「ば、馬鹿な…

 何故杖の魔力が…」

 驚愕に染まったミレトの耳に、くすくすと小さな笑い声が聞こえた。

「「愚か愚かと笑うけれど、ほんとに愚かなのはウィアの女王。
  妖精の加護を受けた勇者の前に、癇癪起こして杖を振る、ただのおばさん!

  白エルフの血を引く王子様には、〈お母様〉の加護もある。
  きっと、刈られる、怒られる…」」

 シグルトが纏った【妖精の護光】が、呪縛を打ち破ったのだ。
 目には目を、妖精の力には妖精の力で対応した、シグルトの作戦勝ちである。

 その一瞬に、シグルトが踏み込んで剣を振るった。
 あっけなくミレトの杖が折れ飛ぶ。

 剣と籠手に描かれた紋章を見て、ミレトの顔が恐怖にひきつった。

「な、何故お前が、我らの〈偉大なる母〉の収穫の紋章を使っている!

 それは、それは…失われた?!」

 ミレトを諭すように、シグルトが紋章を指さす…三角形に二十六夜の月の紋章を。

「俺の先祖の一人に、償い(エリック)と呼ばれた男が居た。

 滅んだ神代にあって光の神としてあがめられた者の血を引く、末裔だ。
 この青黒い髪と瞳は、邪眼の王を屠った呪いで、つけられた祖父殺しの徴。

 ならば、お前たちの終焉の言葉を知ってもいよう」

 シグルトは強い言霊を持って、ミレトを縛る。

「かつて、神々は人のいない世界に去って精霊や妖精になった。
 後の妖精は皆、去りし神の眷族だ。

 ならば、俺が最初に告げた言葉に従わなかった時点で、理不尽な妖精の力は全て失われている。

 偉大なる母神は、ことさらに力に酔い磨くことを忘れた、増長する者を嫌うからな。
 彼の女神の怒りで、どれだけの終焉が訪れたのか、それは神々の時代が終わり今は神話になっていることが示しているはずだ。
 
 【滅びの鎌】…神を斬る【金剛の鎌】は、お前たち全ての妖精を産み、魔の黒雲に乗ってやって来た神々の母〈ダナ〉のこと。
 産み与え、刈り取り奪う太古の、神性すら語られざる女神。

 俺は、奇しくも〈ダナ〉の申し子として生まれて来た。
 彼女の骨盤を象徴する金床に乗り、天を掴もうとしたそうだ。

 〈ダナ〉の本性は、歪みを歪ませ正す破魔。
 燃える炉の子宮で、子を鍛え直す刃金の母。

 全てを切り裂くその御名で、理不尽な妖精の力は去る」

 シグルトが言っているのは、ケルト神話を元にした妖精のルーツである。
 妖精となった神々の母…それが、刃金の精霊として知られる、謎多き大精霊ダナであった。
 
 シグルトの先祖とされる白エルフの姫君は、一人の旅人と恋に落ちた。
 その男の名はエリック…「償い」や「贖い」を意味する名を背負わされた、光の神ルー(ルーグ)の末裔である。
 
 ルーは〈ダナの子供たち(トゥアハ・デ・ダナーン)〉と〈フォーモル〉と呼ばれる魔神族の混血の神で、伝説の英雄クー・フーリンの父親だ。
 祖父であるフォーモルの王、邪眼のバロールを屠り、終には神々の王となる。

 だが、ルーの子供や血筋に関しては後の記録が残っていない。
 ケルトの神々については、多くが散失し残っていないが、シグルトは容貌に色濃く名残を残す、ルーの神魔の血と古き妖精の血を引く混血の末裔であった。

 ジグルトの才能、そして美貌。
 それらは血筋故である。
 同時にその波乱万丈の運命もまた、然り。

 シグルトは何時も、自分の才能に否定的だ。
 それは、背負わされた理不尽と孤高と引き換えに、彼に優れた才能を与えていたことを伝承で知ったからだ。

 自らの呪われた宿命を打ち破るには、努力より他無い。
 遠い昔にシグルトは、美しいハーフエルフの女性からそれを聞いた。

 その女性とは、エリックと白エルフの娘で、シグルトの遠い先祖に当たる神仙オルテンシア姫である。

 シグルトは、選ばれた英雄の相を持って生まれた。
 ケルトの多くの英雄たちがそうであったように。

 だが、英雄の相は才能故に持つ者を堕落させ、増長させ、破滅させる。
 シグルトもまた、増長こそしなかったが、運命に翻弄された。

 そんなシグルトだからこそ、憎むのだ。
 ミレトのように傍若無人に振る舞う、運命を弄ぶ古の者を。

「もう一つ教えてやろう。
 お前たちのまじないで、俺は踊らない。
 
 俺はすでに踵を切られ、普通に踊れないのだから」

 ミレトの持つ魔の杖は、舞踏で最も重要になる腱の一つ…アキレス腱を支配する。
 まともな踵の腱をすでに切り裂かれたシグルトを踊らせるなど、不可能だったのだ。
 シグルトが〈踊りは苦手〉という最もたる理由。
 妖精の加護が無くとも、シグルトは支配されて踊ることなど無かっただろう。

 折れた杖を握り締め、ミレトは悔しさの余りその顔を憤怒で歪めていた。
 薄い唇が波うち、悪鬼の様である。

「ぐぅ、これではジゼリッタに命じても…
 されど、ここで男を取り逃がすなどウィアの名折れ。

 かくなる上は、妾直々に屠ってくれるわ!」

 杖を投げ捨てたミレトの前に、ジゼルが躍り出る。

「シグルトを傷つけると言うなら、私も戦うわ。

 この村一番の誉れを持った私の弓で、貴女を射抜く!」

 ジゼルの手には、何時の間にか弓矢が握られていた。
 一緒に埋葬された愛用品は、死者の持ち物となるのだ。

 シグルトがトリアムールの風を召喚し、身に纏う。

「…ジゼルには安らぎを。

 人の敵である貴様には牙を剥こう。
 何故人が、神々や妖精に長じてこの世に蔓延ったか、知るがいい」

 剣先をミレトに向け、宣告するシグルト。

「身の程を知れ、人間、そして小娘がっ!

 我が魔力で、粉微塵に粉砕してくれるわ!!」

 その言葉をきっかけに、戦いが始まった。
 ジゼルが弓を構え、ミレトに狙いを定める。

「同じウィアでありながら、女王たる妾に矢を向けるとは。
 この無礼者めが!

 男ともども、殺してくれようっ!!」

 その言葉に、ジゼルは挑戦的な笑みを浮かべた。

「あら、私はもう死んだはずよ。

 死人をどうやって殺すのかしらねっ!」

 見え透いた挑発にも、逆上したミレトは面白いように乗って突っ込んで来た。

「《トリアムール!》」

 二筋の風がミレトの霧の衣を切り裂く。 
 シグルトはその間に接近して、渾身の力でミレトを殴りつけた。
 妖精の嫌う鋼鉄の籠手が、整った鼻をへしゃげさせる。

「ぐふ、き、貴様、女の顔を何だと…!!」

 鼻血こそ出ていないが、歪んだ顔はもはや美しさも気品も無い。

「後ろがお留守よ!」

 ジゼルの弓が、ミレトの腕に突き刺さる。
 血飛沫の様に、身体が霞んで夜の空気に融けて行った。

「…調子に乗るなぁぁぁ!!!」

 崩れかけた腕を鉤爪に変え、ジゼルを狙う。
 しかしそれを、シグルトが籠手で受け止めた。

 衝撃が骨まで響くが、耐えてさらにトリアムールの風を叩きつける。
 今度は左の拳で腹を殴りつけた。

「が、はぁっ…

 な、何故こうも人間如きの攻撃が…」

 よろめき後ろに下がったミレトに、シグルトは腕を突き出して見せる。

「…妖精は昔から鉄を嫌うからな。

 鋼の拳はさぞや効くだろう?」

 シグルトが剣で攻撃せず、籠手で殴りつけたのはそう言う理由だった。

「それに、この籠手も紋章入りだ。

 …死人に戻るがいい!」

 再びトリアムールの風を身に纏い、シグルトはミレトの攻撃を籠手で弾き飛ばした。
 即座に接敵し、風を叩きつけ、勢いに乗ってさらに右拳でミレトの顎を打ち抜いた。

「凄いわシグルト。

 まるで拳闘士みたいよ」

 ジゼルの矢が、ミレトの体勢を突き崩すと、シグルトはもう一度風を叩き込み、アロンダイトでミレトの身体を切り裂いていく。

「ぐは、や、止めろ…人間。

 それ以上すれば、容赦…」

 返す刃がその口を黙らせる。

「…消え去れ!」

 熊を屠った時と同じ突進から、アロンダイトをミレトの喉仏に突き徹す。

「―!…、ぉ、ぉ…れ!!」

 声にならぬ叫びを上げたミレトの首を、アロンダイトを捩って抉り、刃を立てたまま身体の旋回で分断する。
 そして、千切れ飛んだ頭を、拳で殴り飛ばした。

 首を失ったミレトの身体はふらふらと後ろによろめき、そしてぱっと青白い炎を上げて消え去る。
 恨めしそうに歪んで転がった首は、断末魔の悲鳴を上げる間もなく、同じ炎となって霧散した。

 拳を交えた格闘のような戦い方…荒っぽいこの戦い方こそ、冒険者が扱う本来の剣術である。

 戦場における刹那の攻防で、全身を使えぬ者はそれ故に命を落とす。
 籠手は防具にあらず、立派な武器にもなるのだ。

「…もう気配はないな。

 勝ったようだ」

 残心を終えて剣を鞘に収め、シグルトは静かに息を吐く。

「…ねぇ?」

 後ろから、ジゼルの声がする。
 でも、その気配は薄れかけていた。

「…ああ、何だ?」

 努めて平静に、シグルトは振り向いてジゼルを見る。
 思った通り、その透け方が酷くなっていた。

「…今度こそ、本当にお別れね」

 淋しげなジゼルの顔。
 その頬を、籠手を外した手を伸ばして優しく撫でる。

「ああ、そうだな」

 母体であるウィアの女王を倒した時点で、こうなることは分かり切っていた。
 ジゼルは、こうして呪縛から解放され、元の死者に戻るのだ。

 だが、二人とも清々しい顔をしていた。
 
 ジゼルはウィアとして人を殺すことを望まず、シグルトは彼女に安らぎを与えてやりたかったから。

「…本当に有難う。

 そして、御免なさい。
 最後まで付き合ってくれて。

 …ほら、もうこんなに透けて来てる。
 もう、あなたとワルツを踊るのは諦めた方がいいわね」

 シグルトは、何時ものように苦笑した。
 ジゼルの頬を撫でていた手には、すでに感触が無い。

「…俺は少し安心したよ。

 下手な踊りをしても、寿命が縮む」

 ここでは笑顔で見送ろうと、シグルトは決めていた。
 でも、彼の不器用な仕草では、苦笑が精いっぱいだ。

「…ふふ、貴方って苦笑してばかり。

 でも、素敵だわ。
 誰かのために精一杯やせ我慢してくれる。

 そんなあなたの顔が好きだったわ」

 愛おしそうに伸ばされたジゼルの手は、虚しくシグルトをすり抜けていた。

「…お願い。

 祈っていてね。
 私も、あなたとの思い出を夢見ながら、祈るから」

 シグルトは静かに頷いた。
 もう、ジゼルの身体はほとんど見えない。

「…で、何を一番に祈ったらいい?」

 優しくシグルトが聞くと、ジゼルはふふと笑った。

「月並みだけど…『君に幸あれ』ってね!」

 もう一度シグルトが頷いた時、ジゼルは朝日に融けるように消えて行った。

「…必ず祈ろう。

 君を思い出す度、無力に負けそうになった時。
 俺は、君を忘れない」

 見ればすでに朝日が完全に顔を出していた。
 一夜の不思議な体験は、幕を閉じたのだ。

 シグルトはそのまま、ヴィスマールを目指して歩き出した。


 暫く歩いていると、周囲が濃い霧に包まれていた。
 精霊術を使うシグルトの直感が、ただの霧では無いと告げている。

 シグルトの中に宿っている妖精たちがざわめいた。

「「ここは幽世。

  妖精界と物質世界の間にある、ぼんやりした場所だよ」」

 妖精たちの言葉に思案顔になる。 

(ウィアの復讐か?

 それにしては、戦う前に感じた瘴気が無いし、此処の時間は昼間だ。
 とすると、いったい何者が?)

 そんな事を考えていると、不意に大きな何かの気配がした。

「やあ。

 僕の声が聞こえるかい、美しい勇者くん」

 野太いが、どこか愛嬌のある深い声。
 人ならぬものの声だと、直感的に感じ取る。

「…何者だ?」

 シグルトは立ち止まって油断なく構え、声に問い返した。

「人は森神と呼ぶ。

 君には、祠のことや熊のこと…もろもろで礼が言いたくてね。
 ちょっと異界に招いて、話しかけてるのさ。

 まあ、大雑把に言うと、夢の世界ってところか。
 
 この霧は、魔の雲。
 僕たちの乗物で、違える時間や異世界を繋ぐ事ができる。

 当然、夢のようなあやふやな世界でもね。
 君は、普通の疑り深い人間と違って分かるはずだよ。

 夢は、僕たちがいる幽世と現実を繋ぐ装置のようなもの。
 それを忘れてしまった人間の方が多いけれど。

 そうだね。
 僕らを信じない人間にはこんな風に言うべきかな?

〝神を信じることは、常識や倫理の問題では無く感情の領域である。

 神の存在を立証することは、それを反証することと同じく不可能である〟

 哲学的に吟じてみたけど、どうだい?」

 どこか人を食ったような雰囲気が伝わってくる。
 
 シグルトは目を閉じ、その声が聞こえて来た方向に大きく足を踏み出した。
 覆っていた粘つく霧の感覚が晴れた時、シグルトは頃合いかと目を開ける。

 そこは、『森神の箱庭』だった。

「…ようこそ、僕の箱庭へ」

 そこには人懐っこい目をした、熊のような大男がどっかりと切り株に腰を下していた。
 体躯に合わず、その喋り方は穏やかで丁寧だ。

「…貴方がこの森の神か?」

 怖気付くこと無く尋ねると、男は嬉しそうに頷いた。

「流石は、僕らの末裔だね。

 神を前に堂々としたものだ。
 或いは慣れたかい?

 “貪欲”につけ回されて、生き残った君だ。
 普通の人間は僕らと邂逅すると驚愕するものだけど、僕ぐらいでは何ともないか」

 何もかも知っているかのように、森神は話す。

「…貴方の感想など興味はない。
 俺たち人間とは、考え方も価値観も違うはずだ。

 できれば、待ち人が居るので早くこの森を出たいのだが。

 用件を聞こう」

 神に対していささか不遜な物言いだが、この神は多分怒り出したりなどすまい。
 諧謔じみた視線が、そう告げているからだ。

「御褒美の時間ってとこかな?

 君には三つ借りが出来てしまった。

 一つは、祠を直してくれたこと。
 君の吟じてくれた言葉には心打たれた。
 長生きはしてみるものだね。

 二つ目は羆退治。
 祠が歪んで力が及ぼせなかったから、あんな獣に僕の庭を蹂躙させてしまった。
 安い報酬なのに、正義感で僕の民人の願いを叶えてくれたことも特別評価出来るね。

 三つめがウィアの退治。
 あの魂が汚れたアンデッドもどきの女王は、僕の力が森に及び難くなってから我が物顔で悪さをしていたから、やっつけてくれてとても感謝している。
 これで、僕の神としての威光も守られるというものさ。

 仮にも神と崇められている僕だ。
 何のお礼もせずに、君を返すのは忍びないと思ったんだ。

 そこで、君を此処に誘ったというわけ」

 ふむ、とシグルトは静かに頷く。
 神々とは元々契約や義に五月蠅く、気まぐれな存在だ。

 それを考えれば、森神の行動も頷ける。

「何でも望みを言うといい。

 巨万の富でも、歴史に残るような名声でも構わない。
 
 そうだね、時間を戻して死者を蘇らすことも可能だよ。

 僕は神だ。
 それができると断言しよう。

 君は、何を望むかな?」

 シグルトはこの神が何故出て来たのか、はっきり理解した。
 さまざまな伝承から、神と呼ばれる高等存在が願いをかなえる時のルールを知っていたからだ。

 彼らが望みを叶えるには、「誰かから強く望んでもらう必要がある」のだ。

「…では、ジゼリッタという貴方の巫女が、いまわに望んだ夢を、生きる道を叶えてやってくれ。
 彼女は死にたくないと望んだのだから。

 願わくば、彼女に夢を叶えるための生の存続を…」

 不意に森神は目を閉じ考え込んだ。
 そして、シグルトに問う。

「本当にそれでいいのかい?

 君が失った友人を生き返らすことも、あるいは失った恋人と愛を取り戻すことだってできるかも知れないよ?
 君は、何故自分のための望みを願わない?」

 戻すならば、もっと昔も可能だと言っているのだ。
 そして、失った友や恋人を取り戻す機会を与えると。

「…死んだ友のことは今でも悲しい。
 失った恋人との時間も、懐かしむことがある。

 だが、それはすでに起き、過ぎ去った遠い過去だ。
 その先に出逢ってともに歩んで来た仲間があり、成してきた現実があり、今の俺がある。

 嘆き、出逢い、そして歩む。
 ならば、俺の望みは叶えて貰うのではなく、自ら叶えるために励むのみ。

 過去を含めて、今を生きているのが俺だ。

 全ての死者を生き返らせれば、過去を取り戻せるわけでは無い。
 起きてしまったこと…すでに辱められた友たちが、救われるわけでもない。
 
 もし過去に戻ることが出来たとしても、今の仲間たちと築いてきた時間が軽んじられよう。

 仮に時の逆行が叶ったとして、代償は多分…今の記憶だろう?
 結果、俺は同じあやまちを〈時が戻ったと知らないまま〉繰り返すはずだ。
 そんな可逆など、死んでいった者たちへ同じ苦しみを追体験させる冒涜でしかない。

 俺自身に、再びの機会など必要ない。
 どれほどの慟哭も、結果である今も…それは俺が選び得た生なのだから」

 迷いの無い回答だった。
 しかし、少し意地悪な顔をして、さらに森神が問う。

「君の言葉は矛盾しているね。

 その言葉をたどるなら、ジゼリッタを救うことは過去を振り返ること。
 綺麗事を言っていても、結局は…」

 シグルトは強く頷いた。

「そう、綺麗事だ。

 俺は綺麗事とは花を愛でるようなものだと思う。

 咲いた花しか愛でない者もいれば、咲く花を夢見て育てることから愛でる者もいるだろう。
 でも、それが美しい、尊いと知っているなら、不完全なりに求めても悪いとは思わない。
 むしろ、人らしいとさえ思う。

 少しぐらいの歪みなら、かえってゆとりにもなるだろう。

 俺は完全無欠では無い。
 間違い、後悔する人間だ。

 人間として、目の前にある成したいことを、自分の欲で行う。
 それは、俺の矜持であり、我儘だ。

 綺麗なだけの人間でいるつもりもない。

 だが、綺麗なものを愛でないつもりもない。
 綺麗事でも、それが選ぶべきことだと信じたのなら、望むだけだ。
 自分の中の汚いもの、醜いものを知っているのなら余計にな。

 もし、それが誰かにとって喜ばしいことなら、道理や矛盾など知ったことでは無い。
 
 受ける謗りも含めて、俺は迷わずそれを選ぶ。

 …森神よ、いい加減試すのはやめてほしい。
 貴方の欲しい正解は多分、貴方の巫女が生きるはずだった未来を、村人ではない最後のピースである俺が望むこと。

 この閉鎖された箱庭で、因果律を歪めずにできる神の奇跡は、村人全てに惜しまれていながら亡くなってしまったジゼリッタの生。
 貴方の全ての民草が願った、彼女の生存。

 確かある神が死んだ時、冥界の神が望んだ条件の中にあったな。
 〈世界のすべての者が悲しんだのなら、生き返らせよう〉だったか。

 その条件を満たすことこそが、貴方が遠回しに仕掛けてきたなぞかけの答えだ」

 真っ直ぐに、目を逸らさずそう答える。
 
「万古不易であることは尊いだろう。
 完全無欠であることは凄いことかもしれない。

 俺は目前にある混沌とした小さな人の生こそが愛おしいと思う。

 永遠不滅では無く、老いて失うことがあるとしても…
 限りある一生を、悔いと悲しみで染めながらも…

 その先にある死を受け入れて尚、生きて来てよかったと言える、人として死ぬために。
 俺は生き、選んで行きたい。

 そんな刹那の輝きと綺麗事に、たまらなく焦がれるのだ。
 たとえ、明日に死すとも、誇りを持ってその明日を選べる者でありたい。

 逆に、俺が貴方たちのように不老を得て悠久に生きる事があったとしても…
 刹那の美しさを忘れずに、長い時を尊んで、何かの拍子に滅ぶまで生きたいと思う。

 刹那も悠久も、それは違う美しさのある綺麗事だ。
 俺は両方それぞれの美しさを、胸を張って讃えたい。
 それが、御都合主義で欲深なことであっても。

 不完全であることは何かに欠け、失うこともあるだろうが…
 無いからこそ求め尊ぶこともあるのだ。

 俺は、数日の刹那にジゼルに逢い、彼女の笑顔と願いを知った。
 だからこそ、この時この場所で、彼女のささやかな〈幸せ〉を、人間として身勝手に祈り願う。

 〝君に幸あれ〟と。
 そう祈ると約束したからな。

 神である貴方に、特にその願いを込めて今ひとたび祈ろう。

 俺は、そんな、我儘な人間だ」

 爽やかにシグルトは笑った。

「クックック、ハァ~ハッハッ!

 好いな、君は。
 人であることを悟り、清濁合わせ持ちながら、恐れず恥じない。
 僕らの偉大なる母が気に入るわけだ。

 失うことを嘆きながら、それでも得ようと高みを目指す…
 君の道はとてつもなく孤高で、武骨で美しい。
 
 かつて神々は、永遠不滅を得るために骨を選んだ。
 人には、一時の美味はあっても腐る肉が与えられた。

 だが、君は骨と肉の両方を選ぶことができる。
 だからこそ血が、両方を備えた身体を流れて生かすのだ。

 血の道とは、鋼鉄の生き様。
 〈揺るぎないもの(アダマス)〉の意味が、金剛石から鉄に受け継がれたのは…

 折れ欠ける脆さすら内包しながら、それでも貫く鉄の如き生き方が揺るぎないからだ。

 君は、確かに〈刃金〉の相を持っている。
 僕らの偉大なる母が、司っているそれを…」

 森神は満足気に頷くと、切り株から立ち上がった。

「…良いだろう。

 ついでに、彼女の病も除いてあげよう。
 納得できる答えを示した御褒美だ。
 彼女もウィア退治に貢献したのだから、その分も含めてだね。

 君の記憶もそのまま残そう…僕のことを忘れられると淋しいから。

 時間を戻して、あのお馬鹿君がホーリーを狂わせた所に、解決手段付きで戻してあげよう。

 でも、それだけのことをするんだ。
 僕は神らしく、もう少し代償を貰わないとね」

 ぎらり、と森神の目が見開かれる。

「…その代償とは?」

 やはり一筋縄ではいかない。
 これが神や精霊と言う存在だ。

「…僕に一太刀浴びせること。

 ただし、君が失敗した時は命を貰う。
 僕は本気で向かうから、手を抜くとあの世行きだ。
 
 神様らしい、試練だろう?」

 獰猛に歯を剥き出す。

 やはり古の神。
 どこか残忍で享楽的だ。

「さあ、君の一念を剣で示してくれ。

 言葉の次は行動さ。
 心の強さは願いに通じる。

 特に君たち〈刃金〉は、常に道を切り開くことを試されるのだから」

 どこから取り出したのか、岩でも粉砕できそうな巨大な斧を構え、森神は構えを取った。
 紛う事無き、達人の気配だった。

 並の剣士ならば、その一睨みで逃げだすだろう。
 しかしシグルトには、譲れないものがあった。

 目を閉じてジゼルの笑顔を浮かべる。
 会って数日の娘だが、確かに心を通わせた、夢に輝くその娘の瞳を想う。

「…全身全霊で、応えよう」

 そうして取った構えは、奇しくも突きではなく斬撃である。
 道を切り開くという、シグルトなりの意思表示だ。

「…行くぞ!」

 森神が、猪のように大地を蹴る。
 その巨体からは信じられない速度で、大斧はシグルトの脳天をかち割るべく振り下ろされる。

 シグルトは呼吸を止め、最上の技で応えるべく静かに待った。

 森神の大斧はシグルトが居た場所の大地を大きく抉り、土塊を撒き散らして減り込む。
 縦に割られたのは、果たしてシグルトの残像であった。

「…がぁ、は。
 クク、本当に容赦ない。

 だが、見事だ」

 不死の神は死なない。
 ましてこの森は、彼の神の領域だ。

 シグルトの一太刀は森神の図太い脇腹を七割がた分かっていた。

 【影走り】…必中にして天衣無縫の回避力を誇る、恐るべき秘剣である。

 周囲が霧に包まれて行く。

「ジゼリッタの死んだ未来は、僕の夢になる。
 こうやって神の試練に打ち勝ち、望みを叶えた君のことを僕が覚えているためにね。

 そう、単なる夢で、彼女は…」

 ぐるぐると周囲の霧が濃くなり、森神の声が遠くなって行く。

 その時、シグルトの身体から何かが離れる気配がした。

「「この夢はあっちとつながってる。
  ミレトの眷属にも、余計なことをしたって恨まれちゃったから、帰るね。

  今までありがとう」」

 【妖精の護環】で手を貸してくれていた妖精たちであった。

「随分と助けられたな。

 あっちでも元気で」

 妖精たちとはもともとそういう約束だった。
 いつの間にか現れたトリアムールが、あっかんべーをしている。
 
 そして、シグルトは〈あの時〉まで戻るのだった。


「ちょっと、待ってよ!」

 足早に急な森の道を下って行くシグルトを、必死にジゼルが追いかけてくる。

「…村一番の狩人なんだろう?

 ならば、山歩きも村一番でなければな」

 収穫祭の翌日、シグルトとジゼルはウィスマールに向かって林道を下っていた。
 
 ホーリーが、ヒラリオの悪さによって暴れるという問題があったが、シグルトが偶然に持っていた鎮静効果のある香水の一振りで片が付いた。
 嫉妬に狂ったヒラリオは罪を暴かれ、今は村にある小屋に閉じ込められている。
 
 もしかしたら死人が出てもおかしくない騒動だったので、ヒラリオの断罪はこれから村の会議で決まるそうだ。
 まあ、祭の直後で酔いが残っていたんだろう、と罪はそれほど重くならないかもしれない。

 シグルトが、村長の言葉通りすぐに村を出ると、ジゼルはなんと村長を説き伏せて、一人で村を出て来たそうだ。
 村長をはじめ、馬のホーリーまでまた暴れて反対したらしいのだが、彼女の意志は固い。

 ヴィスマールまで行き、その後一旦アレトゥーザで“風を纏う者”と合流を果たした後、護衛として“風を纏う者”を雇ってペルージュのアフマドを訪ね、心臓を診療して貰うことになっていた。
 実は森神のおかげで心臓は完治しているのだが、実際に完治を医者に宣言してもらった方がいいだろう。

 ジゼルは、心臓が治ったら、そのままリューンでダンサーを目指すそうだ。
 その間、本業として稼げるようになるまでは、シグルト同様に冒険者をして稼ぐと言っている。

 「なんだか朝起きてから視力が良くなって、思うように身体が動く」という話だ。
 遠方に見える雲のかかった山の見える部分に生えていた木の本数を数えられるよになり、できたことを本人が驚いていた。
 そんなことはレベッカでもできない…悪戯好きの森神が何かしたのだろう。

 体力や筋力はまるでないが、俊敏さはラムーナに匹敵する転生の物を持っている様子だし、斥候としての訓練を受ければ大成するとシグルトは予測している。

 彼女の呼吸も顔色も、見違えて良いので、シグルトは甘やかさないことにした。

 ジゼルの弓の腕が驚異的なことは、見知っているので大丈夫だとも思う。
 それに、ジゼルは野伏(レンジャー)としての優れた能力がある。
 『小さき希望亭』には稀少な人材故に、とても重宝することだろう。

 また女性を連れ込んだと、宿の人間に何か言われるかもしれない。
 脳裏に頬を膨らませたアンジュの姿が思い浮かぶが、先の話と割り切った。

 不意に立ち止ったシグルトは、ジゼルが追いつくのを待って聞いた。

「…ジゼル、君は神を信じるか?

 羆のような立派な体格の、神様を」

 そんな言葉に、ジゼルは肩をすくめた。

「具体的な例えね。
 
 姿に関しては、想像がつかないのよね。
 森神様は〈森そのもの〉で、その姿を現す神像が無いの。

 敬虔さなんてお母さんの中に置いてきちゃった私は、ぜんぜん信じてないかな?
 巫女になっておいて、なんだけど…」

 晴れやかに笑って、彼女は続ける。

「神様が居るのなら、これほど不公平なことは無いはずだもの。
 今私は、世界中に振り分けられた幸せを、とてもたくさん独り占めしていることになるわ。

 心臓の調子が良くて、しかも名医さんを紹介して貰えた。
 そのまま自分の夢にも邁進できそうな状況にある。

 …ね?
 一つ叶っても夢みたいなのに、村を出ようとしている私にそんな贔屓をする神様なんて、誰も信じてくれないわよ。

 こんなに幸せでいいのかって、思っちゃう。
 神様がいたら、罰を当てられちゃうわ」

 目を細めて、心から幸せそうに…ジゼルは微笑んだ。

 シグルトは、森神が御大層に述べていた哲学的な言葉を思い出しながら、苦笑した。

「…何?

 可笑しかった?」

 可愛らしく小首を傾げたジゼルに、「思い出し笑いだ」とシグルトは告げて、また足早に歩き出した。
 見上げれば、空はどこまでも高い。

(〝君に幸あれ〟か…)
 
 神に祈れば叶うこともあるのだな、とシグルトはまた苦笑して、必死に追いかけてくる可憐な供に仕方なく歩調を合わせるのだった。



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Y字の交差路


CW:リプレイPyDS
  1. 『グリュワ山中の護衛』(01/20)
  2. 『碧海の都アレトゥーザ』 闇窟の妖魔(12/03)
  3. 『碧海の都アレトゥーザ』 午後の余暇(11/27)
  4. 『碧海の都アレトゥーザ』 風は南海に集う(11/16)
  5. 『ジゼリッタ』(11/02)
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