Y字の交差路

 ここはY2つめがノリで作ったブログです。  カードワースを中心に、私が思ったことや考えたことを徒然なるままに書きたいと思います。

『深山の帝王』

 ブレッゼンの工房で行った宴会の次の日。
 
 二日酔いで呻く野郎どもを工房から追い出すと、ブレッゼンは篭って魔剣製作に取り掛かった。
 
 “風を纏う者”は手に入れた資金で新しい装備をサンディから購入し、ロマンも念願の【カドゥケウス】と、新しく古代の文献から掘り出した技術を身につけた。
 立派な杖を握るロマンの姿は、どこか荘厳である。
 
 シグルトは回避するより、庇える装備をと鎧を購入することにした。
 それはかつてロマンが驚いていた【真なる銀の鎧】である。
 
「昔の体調では鎧をまとって動くことは出来なかったが、今の状態なら問題ない。
 
 癒し手もいるなら、攻撃を受けて耐える武装の者がいても良いと思ってな。
 どうせ装備するなら、錆びず軽くて頑強なブレッゼンの魔法の鎧にしたんだ。
 
 サンディさんには随分代金をまけてもらったよ」
 
 金属鎧を装備したシグルトはより戦士らしい雰囲気になった。
 その上から冬用の外套を纏い、剣を下げる。
 
 ブレッゼンがくれた【トールハンマー】はスピッキオの腰に下げられている。
 本来投擲武器であり、携帯するのに相応しいサイズである。
 護身の武器としても有難い装備だった。
 
 
 新装備に身を固めた一行はフォーチュン=ベルでダークエルフの討伐を成功させ、もう一度ブレッゼンの元でレベッカのために【ミストルティン】を求めた。
 ブレッゼンはそのぐらいならサービスだ、とレベッカにただでその魔剣の元本になる短剣をくれた。
 
 ここ数日でレベッカも〝昔の動きができるようになった〟と言っていた。
 首をかしげたロマンの前で、レベッカは壁を蹴ってくるりと空中でトンボをきると、背の高いスピッキオを軽々超えてその後ろに着地した。
 
「ふふ、最近少し体重を落として手足の筋肉を徐々に戻しておいたのよ。
 
 だいぶかかったけど、ラムーナ並に身が軽くなったわ。
 こういう技術は盗賊の本分だから」
 
 【猫の業】と呼ばれる盗賊のアクロバット技術である。
 登攀などももっとスマートに出来るようになったと、レベッカは語る。
 
「わしも昔、聖北で習った秘蹟を使うことにしたわい。
 
 シグルトの装備が重くなったのと、ラムーナが防御の支援を出来るようになったのでな。
 
 攻撃を反らすシンプルなものじゃが、ラムーナの舞踏とわしの【祝福】の秘蹟とあわせれば冒険で無事におれることも多かろう。
 
 【聖別の法】とはまた違って、範囲が広いからの」
 
 こうして、装備を充実させた一行はリューンへと向かった。
 ブレッゼンは、次の機会には魔剣が出来ているだろうと言って見送ってくれた。
 
 
 そしてリューンに戻る最中のこと、シグルトたちは重傷を負って倒れている若者を助けることになった。
 巨大な獣に襲われたらしく、体中に惨い傷痕があり、泥にまみれたそこが化膿していた。
 
 レナータの浄化の癒しが毒を除き、若者は命を取り留めたが、一行に震える手で手紙を差し出すと、疲労と失った血のために気を失ってしまった。
 
 若者を聖北教会付属の施療院(無料奉仕で治療の秘蹟を行ってくれる施設)に預けると、シグルトは手紙の内容を確認した。
 
 それは冒険者に当てた依頼書で、開拓村エチェの窮状を救って欲しいという依頼書であった。
 冬篭りから目覚めた巨大な羆(ひぐま)が暴れ周り、家畜も襲われ、村人は外には出られない…
 もはやこのままでは村が全滅するまで待つしかなく、犠牲者も出ており、至急この羆を退治して欲しいという内容だった。
 
 報酬は銀貨九百枚。
 貧しい開拓村ではそれだけの銀貨を出すのも大変だろう。
 
「…エチェといえば、今冬真っ盛りで、雪の中を行かなきゃならないわ。
 
 冬山は恐ろしいところよ。
 防寒具はとりあえず揃ってるから、行けないことはないけど」
 
 レベッカが少し渋った反応をする。
 防寒具を纏い、雪に足をとられた状態では、羆との戦闘が難しいと彼女は言う。
 
「しかし、この状態ではかなり切迫した状態のようだ。
 
 それにあの青年は件の羆にやられた様子だ。
 次の依頼をする間に、村が無くなってしまうかもしれん。
 
 手紙を開封した以上、どうにかしてやるべきだと俺は思う」
 
 シグルトが珍しく真っ先に意見を言った。
 義に厚いシグルトらしいと、皆納得したのだが。
 
「僕はシグルトに賛成するよ。
 
 装備も整ったんだし、他の冒険者に依頼を渡すようなら信頼を損なうよ」
 
 これにスピッキオが頷く。
 
「村人たちは震えながら待っておる。
 
 それを救ってやれるのはわしら冒険者だけじゃ」
 
 ラムーナもすがるような目でレベッカを見る。
 貧困を経験しているラムーナにとって、この話は人事ではないのだ。
 
「私も行くべきだと思います。
 
 もし村人に怪我人がいるなら、癒し手の力が要るのではないかと。
 獣の爪や牙は時としてその傷が毒を持ちますから」
 
 レベッカはため息をつくと、分かったわ、と言った。
 
「エチェっていうのは、疫病にかかった連中をソルモントって領主がまとめて追放し、その流浪民が開いたいわく付きの開拓村でね。
 
 村の連中も排他的で、世捨て人の村、みたいなところなのよ。
 
 まぁ、北西に1週間はかかるわ。
 途中から雪道で距離があるから皆覚悟しておいてね」
 
 こうして、“風を纏う者”はエチェへそのまま向かうことになった。
 
 
 途中、やや強行軍で距離を短縮したが、雪道で思わぬほどに時間を取られ、着いたのは1週間後の夕刻であった。
 
 夕日に赤く染められたエチェの雪景色は、何とも言えない趣をかもしだしている。
 
「…美しい眺めですね。
 
 でも、リューンから非常に険しい道でした」
 
 レナータが呟くと、ラムーナが頷く。
 
 エチェ村は四方を深い森と山に囲まれ、街道からも離れた場所に位置する為、夏場にこの地の良質な木材を買付けに来る一部の商人の他には、訪れる者は殆どいない。
 
 特に冬場は周囲が深い雪に閉ざされ、旅慣れない者では辿り着く前に遭難することだろう。
 もっとも、降り積もる雪の他には何も無いこの時期に、この村を訪れようとする者は、依頼を受けに来た“風を纏う者”くらいしかいないのだが。
 
「さ、もう少しだよ。
 
 急ごう」
 
 ロマンに急かされ、そしてほどなく一行はエチェ村の中心部に到着した。
 
 立ち並ぶ家屋の屋根は、通常のものより角度のついた見慣れない形である。
 
「このあたりのものすごい降雪量への対策だよ。
 
 貧しい装備の家屋だと、普通の造りならすぐに雪に潰されてしまうからね」
 
 そしてロマンが一際大きな家を指差す。
 
「あれが村長さんが村の代表が住む家だろうね。
 
 あの特徴的な造り、見たことあるよ」
 
 ロマンの言葉にシグルトが頷く。
 
「まずは手紙にあった村長に会おう。
 
 状況も確認しないとな」
 
 シグルトは買ったばかりの鎧は担いでいる。
 雪道を踏破するのには動きにくかったからだ。
 しかし、通常の鎧より軽いつくりのそれを、シグルトは苦も無く他の荷物と一緒に背負い、雪道を慣れた足取りで踏破していた。
 
 シグルトの故郷も雪が多い国であり、シグルトの的確な助言とレベッカの技能により、一行は迷わずエチェに到着できたのである。
 
 そのシグルトは、件の大きな家の前に行くと扉を叩いた。
 
「…失礼する。
 
 ここを開けてはもらえないか?」
 
 シグルトの声に、慌てて駆け寄ってくる足音がすると、ほどなく扉が開かれた。
 半分は禿げ上がった白髪の老人が目を見開いて一行を見つめる。
 
「…!?
 
 あなた方は、もしや…
 
 おぉ、おお…
 この雪の中をよくぞ、よくぞ来てくださいました」
 
 跪いてシグルトを見上げた、どうやら村長らしいその男は、憔悴しきっていたが、シグルトを見る目には希望の光が宿っているようだった。
 
「立ってくれ。
 村長、で違いないな?
 
 俺はシグルトと言う。
 リューンの冒険者“風を纏う者”の代表者だ。
 
 羆の一件の依頼を受け取った者だ。
 俺たちに出来ることは尽くそう。
 
 6人の大所帯だが、入っても大丈夫か?」
 
 シグルトの言葉に、男は慌てて一行を家の中に誘った。
 
 椅子が足りず、ラムーナとスピッキオが床に腰を下ろす。
 
「手狭なところで申し訳ありません…」
 
 恐縮する村長に、シグルトは優しい笑みを浮かべ首を横に振った。
 
「…俺は北方の出でな。
 
 大きい家は雪の被害も大きくなる。
 このぐらいが丁度よいだろう。
 
 強く良い造りだ」
 
 シグルトの柔らかな対応に、安心したように村長がテーブル脇にあった空の樽に腰掛ける。
 
「…早速本題に入ろう。
 手紙の状況ではかなり逼迫した状態なのだろう?
 
 詳しい状況を聞かせてもらえるか?」

 村長はシグルトの言葉に頷くと、淡々とことの顛末を語り始めた。
 
「村を脅かしているのは、我ら村の者たちが《ミーシャ》と呼んでいる年老いた雄の羆です。
 
 4m程もある巨躯と、我々人間との無用な争いを避ける賢明さを併せ持つ、この一帯の、“深山の帝王”と呼ぶに相応しい獣でした」
 
 一同が息を呑む。
 
「なっ、4mだって!?
 
 食人鬼(オーガー)や牛頭鬼(ミノタウロス)よりも巨大じゃないか…」
 
 ロマンが目を丸くしていた。
 
 村長が一息置いて話を続ける。
 
「ところが、つい一月程前の話です。
 
 数人の冒険者の一団がこの村にやって来たのです。
 
 ある貴族が、どこかで噂を聞き付けたのでしょう、ミーシャの毛皮の入手依頼を出したらしいのです。
 
 我々は彼らを止めました。
 
 見るからに駆け出しである彼らでは、ミーシャを屠ることなど出来はしないと…
 そしてミーシャに危害を加えようものなら、ミーシャの怒りの矛先は我々にも向くであろうと…
 
 結局彼らは我らの制止も聞かずに山へと向かい…そして、誰一人として戻っては来ませんでした。
 
 ミーシャが村に姿を現したのは、それから1週間程経った、吹雪の夜でした。
 
 …ミーシャはある民家に、扉と壁の一部を破壊して侵入し、家族を護ろうと彼に立ち向かった主人に瀕死の重傷を負わせ…
 子供達を庇って前に出たその家の主人の妻を打ち殺し、彼女を咥えて吹雪の中に消えたそうです。
 
 吹雪が晴れた翌日の昼、村の男達で結成された捜索隊により、その家の妻は無残な姿で発見されました。
 
 しかも、事件はそれだけでは終わりませんでした。
 
 …その日の黄昏時、彼女を納棺し、祈りの儀式が行われている最中に、ミーシャが再び姿を現しました。
 ミーシャは、獲物を、彼女を取り返しに来たのです。
 
 恐怖して静かに道をあける我々を尻目に、ミーシャは棺を打ち壊し、彼女の亡骸を引きずり出して再び山へと消えて行きました。
 
 …その後も、食料庫を漁る、家畜を襲う――既に一頭一羽も残っていません――等、ミーシャの凶行は止まる所を知りません。
 
 それどころか、3日前には村の墓地を掘り返し、遺体を食い荒らす、という状況にまでなっております。
 
 ミーシャが、次に村に姿を現す時には、再び村の者が襲われることになるでしょう。
 
 ミーシャを討って頂けなければ、我々にはもう、ミーシャに皆殺しにされる他には、残された道は無いでしょうね。
 
 …村を拓いて十年、多くの者は歳を取り過ぎました。
 仮に村を捨てたとしても、頼れる当てなどは無いのです。
 
 …どうか、我々をお救いください」
 
 深々と頭を下げる村長。
 
「村長、言ったはずだ。
 俺たちに出来ることは尽くすと。
 
 それに、今回の原因を作ったような愚かな冒険者ばかりではないことを証明したい。
 
 この村からこれ以上の犠牲者が出ないように尽くす。
 だがら、信頼してもらえないか?」
 
 シグルトの言葉に、村長は目を潤ませ、もう一度頭を下げた。
 
「途中、鹿を1頭仕留めて、その肉を持ってきた。
 
 俺たちが見張りに立つ間、少量だが村人に配ってくれ。
 腹がふくれれば落ち着く人間もいるだろう」
 
 シグルトが大きな布袋を下ろす。
 
「私たちの食料は数日分あるわ。
 だから遠慮なく使って頂戴。
 
 あんまり長丁場にしたくはないけど、そうなった時から食料はお世話になるわ。
 少し塩もあるからつけておくわね。

 安心して。 
 私たちは強いわ」
 
 シグルトたちの好意に、村長は嗚咽し始めた。
 1人重責を背負ってきたこの男にとって、この数日間はとても辛いものだったのだろう。
 
 しかし、男は涙を拭くと遠慮がちに尋ねる。
 
「あの、手紙を持った者が伺ったはずですが…
 
 その者は…?」
 
 シグルトが大きく頷く。
 
「彼は件の羆に襲われたらしく怪我をしていたが、今は聖北教会の施療院で治療を受けている。
 
 彼の体力では冬山を踏破出来ないだろうと、いまは治療に専念してもらっているが、ことが片付く頃には回復して戻ってこれるだろう。
 
 たいした男だよ」
 
 安心したように村長が息を吐いた。
 
「…そうだったのですか。
 
 実は、依頼を届けに行った、ユーリ――彼の名です――は、私の息子なのです。
 
 彼がミーシャに襲われたことを嘆くよりも、襲われたにもかかわらず、命が助かったことを喜ぶべきなのでしょうね」
 
 村長は、絞り出すように、まるで、シグルトにではなく、自分に言い聞かせるかのように語った。
 
「…ああ。
 
 生きていれば出来ることがある。
 親しい者の死は辛いが、残った者は生きるために尽くすべきだ。
 
 だから、今はその羆を倒すことに専念しよう」
 
 シグルトは信念のこもった目で村長を見つめ、断言した。
 その力強い言葉に村長も頷く。
 
 疲弊した者には支えが必要なのだ。
 シグルトはそれをちゃんと心得ている。
 
 支えになり、それを背負うことをシグルトはまったく躊躇しない。
 理不尽に立ち向かうと彼が誓った時、迷うことは無くなった。
 それが彼の強さであり、魅力的なところだと、レナータは後に語る。
 
 
「では問題の羆について対策を練ろう。
 
 俺は一度これに似た狂い熊と戦ったことがある。
 俺の故郷では、人を食った熊は昔から狂うと言われていた。
 
 そして人の血肉を好んで喰らう怪物になると。
 
 俺が戦ったことのある熊も、件のミーシャほど巨体ではなかったが、恐ろしく強く人間ばかり襲って喰らっていた。
 
 人を襲った熊は何故か狡猾になる。
 不意討ちをし、罠を感知し、人の裏をかく。
 
 俺は地味だが、この村で見張るべきだと思う。
 
 下手にミーシャを探しに山を歩けばその隙に村が襲われる。
 山は奴の庭だ。
 俺たちが山で出会っても不利だろうし、な。
 
 特にそれだけの巨体をもつ羆なら、間違いなく何年も生きた老獪な奴だろう。
 
 あとは村人に被害を出さないよう、羆を足止め出来る罠か地形があるとよいのだが」
 
 シグルトの経験から話された的確な作戦に、レベッカやロマンが唸る。
 確かに雪山を歩き回るより安全である。
 
「加えて冬の山にはそいつの巨体を維持する食料は無い。
 
 必ず業を煮やして村を襲ってくるだろう。
 狩りをする時、最も大切なことは辛抱強さだという。
 
 俺は、村で羆を迎え撃つ準備をしながら待つことを提案する。
 
 他に何かあるなら、皆の意見を聞かせてくれるか?」
 
 レベッカが手を上げる。
 
「見張りは寒いのと重ねて体力を消耗するわ。
 
 万全の体制で挑めるよう、パーティを半分ずつに分けて交互に休んで見張ること。
 それとこのあたりの地形や熊の習性に詳しい人を探して、少しでもその羆の癖や性格を知っておきたいわね」
 
 ロマンがそれに付け加える。
 
「村人にはできるだけ被害が出ない頑強な建物に篭ってもらうこと。
 
 そいつが怒り狂って被害者が出るといけないからね。
 この家ならそういう対策を立てれば堅牢な砦にできるよ」
 
 ラムーナがそれに頷く。
 
「村長、ミーシャが主に活動する時間帯はわかるか?」
 
 シグルトが尋ねると、村長が少し考え語りだす。
 
「このような事態になる以前に、村の者たちが山中でミーシャを見かけたのは黄昏時のみでした。
 
 元々大半の村の者が山中に行くのは、昼間と黄昏時のみでしたが。
 
 しかし、ミーシャが村を襲うようになってから、彼は主に夜中に姿を現すようになりました。
 
 基本的に用心深い性格をしているからでしょう。
 
 彼が黄昏時に村に現れたのは、遺体を取り返しに葬儀に現れた時のみです。
 
 それを考えるなら、ミーシャの活動時間は、黄昏時から夜明前までということになると思われます」
 
 ふむ、とシグルトは腕を組んだ。
 
「重ねて聞きたい。
 
 このあたりでその羆にもっと詳しい人物はいないか?」
 
 ああそれなら、と村長が首肯した。
 
「村の猟師セルゲイならば、そういうことには詳しいでしょう。
 
 セルゲイは山や、羆の生態などを知り尽くしています。
 少々偏屈な男ですが、事情を話せば皆様のお役に立つかと思います。
 
 彼の家は我が家の隣ですので、すぐに分かることでしょう」
 
 レベッカが、私が尋ねてみるわねと言った。
 
「この村には皆さんの寝泊りできるような宿泊施設がありません。
 
 村の教会で休めるよう手配しておきますので、そこにいる神父にお話下さい」
 
 一行は村長に挨拶すると、まず全員で教会を訪れることにした。
 
 
 “風を纏う者”の一行が教会に入ると、祈りを捧げていた年老いた神父が振り返った。
 
「お前さん方は?
 
 …そうか、ボリスの所のユーリは、無事に町へ依頼を届けてくれたのか。
 
 この季節の我らが村に、よくぞおいで下さった。
 さぞかし辛い道程だっただろう。
 
 申し訳ないが、部屋の奥はいま怪我人が寝取るし、皆さんを泊めるには少し狭くてな。
 休息はここでとってもらえるかね?」
 
 神父が礼拝堂を見回す。
 
「…うん、大きな暖炉があるわ。
 
 ここは村人の避難場所としても設計されているのね。
 休憩場所としてはまったく問題なく使えるわよ」
 
 床が木製だから石畳より暖かいしね、とレベッカが請け負った。
 
「ところで、ミーシャに立ち向かって傷を負った村人の具合はどんな状態なんですか?」
 
 レナータが尋ねると、神父はため息を吐くように語りだした。
 
「…エフゲニーはこの奥で、息子のオーシャに見守られながら眠っておるよ。
 
 ミーシャの爪による傷は、エフゲニーの骨まで達し、さらに悪いことに傷口が化膿し始めておってな。
 
 手は尽くしたが、【癒身の法】程度の秘蹟しか使えぬわしの力では、もう手の施しようが無い。
 ここ数日が限界かもしれん」
 
 するとレナータとスピッキオが頷きあう。
 
「スピッキオ、私が化膿によるエフゲニーさんの体内の毒を浄化します。
 
 貴方は同時に傷の治療を…」
 
 レナータがそう言うとスピッキオが、心得たと答え奥に向かう。
 
「安心して。
 
 2人とも優れた癒し手なの。
 レナータ…女性の方は毒の浄化が出来るから、本人の生きる意志と体力さえあれば化膿ぐらいなら回復するはずよ」
 
 レベッカがそう言うと、神父は目を見開いた。
 
 
 レナータとスピッキオが部屋に入ると、部屋の奥では男が眠っており、また男の息子なのだろう、少年が今にも泣き出しそうな表情をしていた。
 
 男の表情は苦悶に歪み、時折苦しげに呻きながら、うわ言のように妻子の名を呼んでいる。
 その声が漏れ聞こえる度に、少年はうつむき、耳を押さえながら首を振っている。
 
 男…エフゲニーの様子を観察していたレナータは、両手を彼の胸の上にかざした。
 
「《ウンディーネ…浄化の力をっ!》」
 
 澄んだ彼女の声の高まりと共に、輝く一滴の雫がエフゲニーの身体に降り注いだ。
 幾分か、青ざめていたエフゲニーの表情が和らぐ。
 
「…化膿して全身に回っていた毒気を浄化し、傷を清めました。
 
 後の大きな傷はスピッキオの【癒身の法】で癒せば、命の危険はないでしょう」
 
 スピッキオが頷いて祈りの言葉を捧げる。
 彼の手から溢れた柔らかな光がみるみるエフゲニーの傷を塞いでいく。
 
「ふむ、元々の体力はあるようじゃ。
 
 傷は大体塞がっておるから、後は休養して血を作り、毒で失った体力をよく眠って回復すれば助かるの。
 
 まぁ、もはや死の影に怯えなくても大丈夫じゃ」
 
 その言葉を受けて、レナータが少年に微笑みかける。
 
「貴方のお父さんは助かりますよ。
 
 だから安心してね」
 
 少年の顔が喜びに輝いた。
 
「ほんとうに!?
 
 おとうさんを助けてくれてありがとう」
 
 そして、母の名を呼び涙を流した。
 
 レナータは黙ってその子を抱きしめて頭を撫でた。
 
 
 猟師セルゲイの家をシグルトとレベッカは訪れた。
 
 羆に関する情報と、協力を頼むためである。
 扉を叩き呼び出すと、最初セルゲイの反応は冷淡なものであった。
 
「…なんだぁ、あんたらは。
 
 押し売りなら間に合ってるし、今はそんなヒマねぇんだ。
 ほら、帰った、帰った」
 
 しかし、シグルトたちの姿を見ると納得したように頷いた。
 
「…んー?
 
 あんたらか、ミーシャを退治するってのは。
 この季節にこんなところまで、よく来てくれたなぁ。
 
 聞きてぇことがあるんなら、何でも聞いてくれよ」
 
 招き入れられた狭い小屋のような家の中には、小動物を狩る時に使うトラバサミや機械式の弓などが置いてある。
 
 2人はセルゲイが勧めた切り株を加工した簡素な椅子に腰掛けると、早速本題に切り出した。
 
「例の羆の情報を教えて欲しい。
 
 まず聞きたいことだが、冬篭り穴はここから近いのか?」
 
 そうするとセルゲイは苦虫を噛み潰したような顔をした。
 
「ミーシャのねぐらを知ってどうするんだ?
 
 寝こみを襲おうってのか?
 
 最後に確認したミーシャのねぐらはここから山に入って真っ直ぐ西に進んだ先の、斜面辺りの茂みに隠れてる辺りだ。
 
 …んだが、やめといた方がいいぞ。
 羆ってのは鼻が利くんだ。
 
 ミーシャに不意討ちかける前に気付かれるのがオチだ。
 
 …この前来た馬鹿どもは、止めろっつうのに山に入って、穴に向かってそれっきりだ。
 ったく、馬鹿どもだけならまだいいが、こっちまでミーシャに皆殺しにされちまいそうだ。
 
 それに、もうミーシャは目覚めちまってるんだ、のん気ねぐら使ってに休んでるとは限らねぇぞ?」
 
 シグルトは横に首を振った。
 
「そいう意味で聞いたんじゃない。
 
 距離が近いならやってくる時間や、周期が読めるかもしれないと思ってな。
 山の中で羆とやりあう気は毛頭無いよ。
 
 だが、冬篭りから起こされた熊は好戦的で飢えている。
 
 やはり、村で万全を期して迎え撃つべきだろう。
 だとすれば、こちらの存在に気付かれにくくするように、建物の間を抜ける風を読んで、こちらが風上にならないように注意しないとな」
 
 そう言ったシグルトに、セルゲイが目を見開く。
 
「あんた、熊を狩ったことがあるのか?
 
 随分詳しそうだが…」
 
 シグルトは軽く首肯する。
 
「俺が戦ったのは雌だったがな。
 
 子を殺され、手負いで気が立っていたそいつは人を食って狂った。
 
 馬鹿な奴が功を焦って風上から鉄の臭いをぷんぷんさせながら近づいたんだ。
 見事に不意討ちを食らって、死人が2人、怪我人が続出だ。
 
 その二の轍は踏みたくない」
 
 そう言うとシグルトは質問を続ける。
 
「奴の活動時間は黄昏時から夜明け前までだと聞いたが、それ以外の時間帯に活動したことは無かったか?」
 
 セルゲイは幾分シグルトたちを認めたらしい態度で話し始めた。
 
「んー、確かにオラも、村の皆同様、ミーシャの奴を見かけたのは、黄昏時から夜明け前までだ。
 
 …んだが、羆ってのは元々、腹が減った時に食い物食って、寝たい時に寝る奴らだ。
 ミーシャも昼間寝てるとは限らねぇなぁ…
 ただ、見張るんなら夜中が一番あぶねぇだろうけどな」
 
 シグルトはなるほど、と腕を組んだ。
 
「奴と対峙する時、注意したほうがいいことはあるか?」
 
 それは長年の経験を積んだ狩人への質問だった。
 シグルトはどんな小さなことも聞き逃すつもりは無い様子だ。
 
 セルゲイは腕を組んで考える素振りをする。
 
「…ミーシャが立ち上がる素振りを見せたら、気ぃ付けることだな。
 
 後ろ足2本で立ち上がったら、ミーシャが全力で攻撃する合図だ。
 その時に殴られちまったら、普通の人間だったらイチコロだ。
 
 もし、ミーシャから逃げる場合は走ったりするんじゃねぇぞ。
 
 アレだけデカけりゃ小回りは利かねぇだろうけんども、人間が走って逃げ切れるもんじゃねぇからな。
 目ェ逸らさずに、ゆっくりと下ってくんだ。
 
 そうすりゃ、食われるのは1人2人くらいで済むだろうよ」
 
 それぐらい凶悪な相手なのだと、セルゲイは呟いた。
 
「…さっき、随分忙しそうにしてたけど、一体何をしていたの?」
 
 レベッカが周囲の罠を見ながら言う。
 
「おっと、すっかり忘れとった。
 
 あんたらが来るまでミーシャに対抗するための罠の準備をしててな。
 
 …無駄かもしれねぇが。
 
 何しろ奴は鼻も利くし頭も働く。
 ただ仕掛けるだけじゃあ多分見破られちまうだろうからなぁ。
 
 誰かが上手く誘い込めりゃ、少しの間足止めくらいは出来るんじゃねぇかと思うんだが」
 
 パチンとレベッカが指を鳴らした。
 
「渡りに船ってやつね。
 
 その罠、私たちに使わせてくれない?
 丁度私たちも、奴が戦闘で村を暴れまわらないように、足止めの罠を作ろうと思っていたのよ」
 
 セルゲイは少し憮然とした顔でレベッカを見る。
 
「…豪気な女子だなぁ。
 
 オラは引っ込んでろってか。
 
 ま、いいさ。
 使うからには上手く使ってミーシャをキッチリ仕留めてくれよ。
 
 あんたらで出来るのか?」
 
 シグルトは大丈夫だ、と頷く。
 
「羆は罠まで誘い込んで動きを抑えよう。
 引きつけ役は鎧を持っている俺がやる。
 
 罠の設置はレベッカ、お前が頼む」
 
 レベッカが頷く。
 
「任しておきなさい。
 
 これでも私、仕掛けた罠が不発だったことって無いのよ」
 
 手馴れた調子で罠の機構を確認するレベッカに、セルゲイが目を丸くしている。
 レベッカはセルゲイが苦戦していた仕掛けの不調を瞬く間に直してしまった。
 
「たまげた…
 
 とんでもない女子だなぁ、あんた」
 
 レベッカはセルゲイに軽くウインクした。
 
 
 その後、一度教会に集まった一行は、これからのことを相談していた。
 
 レナータとスピッキオが行った治療でエフゲニーが助かり、偏屈者のセルゲイが、あいつらなら大丈夫かもしれん、と言ってくれたおかげで皆村人は好意的だった。
 
 何より、貴重な食料を分けてくれたことが、前の冒険者と違うと手の空いた村人たちはシグルトたちの作戦に協力してくれた。
 
 シグルトたちが立てた作戦は極めてシンプルなもので、ミーシャがやってきたら囮役が罠まで誘導し、そこで捕縛して一気に片をつける、というものだ。
 
 だが、その作戦を確実なものにするために、ロマンが風の動きや地形を探し、なければ障害物等でそれらしく作った。
 
 シグルトたちが決戦に選んだ場所は、石造りの井戸と巨木にはさまれた閉所だ。
 羆サイズの動きは制限されるが、シグルトたちが剣を振るうスペースに余裕はある。
 ミーシャがよく現れるという場所からも近い。
 
 そこにレベッカが罠を仕掛けた。
 
 
 行動中、“風を纏う者”は2つのグループに分かれて休息を取りつつ見張りをすることにした。
 
 まずシグルトのグループ。
 ロマンとレナータがいる。
 
 2つ目はレベッカのグループ。
 ラムーナとスピッキオがいる。
 
 人選の基本は戦士1人、癒し手1人で指揮ができる人物がおり、いざというときに、素早くて連絡役になれるものがいることである。
 戦士が囮役になり、癒し手はそれをサポートする、という作戦だ。
 
 こうして1日目、まずシグルトのグループが見張りに立ち、レベッカたちは休息した。
 
 そして、休憩を終えたレベッカたちがシグルトたちの様子を見に行く。
 
 鎧を着たシグルトがそれを出迎えた。
 
「御苦労様。
 
 奴は出てきた?」
 
 レベッカの問いにシグルトが首を横に振る。
 
「今のところは出ていない。
 
 だが、今がちょうど夜中だ。
 話通りならそろそろ…
 
 来たみたいだな」
 
 シグルトの目が鋭くなる。
 
 そこには巨大な影が、まるで品定めをするようにこちらを見つめていた。
 かなりの距離が離れているものの、その大きさが並の羆とは比べ物にならないことは、容易に見て取れる。
 
「…大きい」
 
 ラムーナが唾を飲み込んだ。
 
 ミーシャは、今はまだ、村を襲撃する機ではないと判断したのか、それとも、村にはいつでも攻め込めると判断したのか、悠然と夜の闇に姿を消した。
 
 その晩が過ぎ、昼間にシグルトたちが休んだ。
 
 そして2日目の夜中。
 シグルトたちが見張っていると、山へと続く森の中から、驚くほど巨大な羆が姿を現した。
 ミーシャである。
 
「…なんという巨躯なのでしょう」
 
 レナータが、少し近くに現れた羆の巨体に目を見張る。
 
 鋼のように屈強な剛毛。
 盛り上がった筋肉。
 丸太のような4本の足。
 子供を丸呑みに出来そうな頭…
 
「ミーシャだー!!!
 
 ミーシャが出たぞー!!!」
 
 村人の誰かが叫んで、その声が村内に響き渡る。
 
「この騒ぎなら、レベッカたちも飛び起きてくるね」
 
 ロマンがシグルトの側に来る。
 
「…俺が作戦通りに囮をする。
 
 2人とも準備を頼む」
 
 シグルトの声に従い、ロマンが杖に魔力を込める。
 レナータがシグルトにナイアドの防御をかける。
 
「では、行くぞ」
 
 シグルトは泰然と羆に近づいていった。
 
 じわりじわりとミーシャもその歩みで距離を狭めてくる。
 シグルトは、罠を決して見ない。
 
 ひたすらミーシャへと歩んでいく。
 
 それを一足先に駆けつけたセルゲイが目を見開いて見つめていた。
 
「あの男、なんつう糞度胸だ…」
 
 自分の2倍以上もあるミーシャを見上げ、決して目を逸らさず、シグルトは一定の歩調で歩いていく。
 
 じりじりと互いに距離を詰めながら、罠の在り処へと近付いていく。
 
 ガシャァァァンッ!
 
 そして罠ががっちりとミーシャを捉えた。
 
「ガアッ!?」
 
 激痛にミーシャが牙を剥く。
 
「…っ!」
 
 しかし、近くにより過ぎてしたシグルトに、ミーシャの一撃が振り下ろされる。
 
「ぬっ!!!」
 
 シグルトはその一撃を受けながらも、耐え切った。
 そして、その勢いで後ろに下って攻撃範囲外に逃れ、体勢を立て直すと剣を抜く。
 
「お前に恨みは無い。
 
 だが、狂って人を殺め、お前は“深山の帝王”では無くなった。
 今、お前はこの村の、俺たちの敵でしかない。
 だから全力で俺たちが仕留める。
 
 行くぞ、ロマン、レナータっ!」
 
 シグルトが剣でミーシャに斬りかかる。
 
「グァァァァァ!!!!」
 
 鋼のような胴に走った傷に、ミーシャが凄まじい咆哮を上げた。
 
 ロマンが魔導書に向けて呪文を詠唱する。
 レナータが精霊の力を感じるためにその目を見開く。
 
 そしてシグルトは一歩下ると大きく剣を振り上げた。
 
 罠によってミーシャが傷ついていく。
 
 ロマンは杖に込めた魔力に呪文で呼びかける。
 レナータがナイアドに呼びかけて己の周りに水の膜を張る。
 
「はぁぁぁっ!!!」
 
 シグルトの剣がミーシャの肩を突く。
 
 喰らいつこうとするミーシャの顎をすっとかわし、シグルトは次の一撃を準備する。
 その瞳が淡い緑の燐光を宿し、まるで炎が宿ったようだ。
 シグルトの中のダナが目覚めたのである。
 
「《魔弾よ、撃てっ!》」
 
 ロマンが突き出した【カドゥケウス】から光の弾丸が打ち出されミーシャを打ち据える。
 
「《ナイアドっ!》」
 
 即座にロマンの周囲に水の防護膜が張られる。
 
「はぁっ!」
 
 シグルトの剣が確実にミーシャを傷つける。
 
「ウガァァァ!!!」
 
 罠を引きちぎろうと暴れるミーシャ。
 
 再び杖を構えたロマンの横に、ふわりとレベッカが舞い降りた。
 
「お待たせ、皆生きてるみたいね」
 
 シグルトが頷いて剣を構える。
 
 ラムーナとスピッキオも駆けつけた。
 
「行くぞ、皆っ!」
 
 シグルトの渾身の一撃が、ロマンの光の弾丸が巨体に叩きつけられる。
 
「グゥアァァァァァ!!!」
 
 バキャァッ!
 
 遂に罠が耐え切れず砕け散る。
 
「喰らえぃ!」
 
 スピッキオが投擲した【トールハンマー】がミーシャの鋼のような構えを打ち崩す。
 
「《眠れ!》」
 
 襲い掛かろうと巨体を持ち上げた瞬間、ロマンの【眠りの雲】がもたらした睡魔にミーシャがよろめいた。
 
「《風よっ!!!》」
 
 シグルトが風と一体化し、その隙に斬りかかる。
 盛大に飛沫くミーシャの血。
 
 目が覚めたミーシャに向けてラムーナが急激に接近する。
 
「イヤァァァァァァッ!!!!!」
 
 攻撃の直後に屈んでラムーナの足場となるシグルト。
 素早いラムーナが、シグルトを踏み台にものすごい跳躍を見せる。
 ブレッゼンがくれた【早足の靴】という魔法の装備のおかげである。
 
 体当たりのように飛び込んだラムーナの刺突が、ミーシャの眼窩から脳を貫く。
 
 ふらりとその巨体がよろめくと、ミーシャは轟音を立てて、地に倒れ伏した。
 
 倒れた直後は、浅く、荒い呼吸をしていたが、やがて大きく息を一つ吐くと、それっきり動かなくなった。
 
 ロマンが力が抜けたように座り込む。
 
 シグルトは黙ってミーシャに近付くと、鎧の上に羽織っていた上着を、その頭部にそっとかけた。
 
「戦いで決したこと。
 …謝りはすまい。
 
 だが、お前という犠牲者のことは憶えておく。
 お前の死後の世界での幸せを、お前に殺された人間たちの冥福を。
 今の俺にはただ祈ることしか出来ない。
 
 だから、この俺を恨んでもいい。
 この村に祟らずに、静かに逝け…」
 
 シグルトはミーシャの巨躯を見下ろして厳かにそう言うと、目を閉じて黙祷した。
 
 
 その後、シグルトは村長にことの顛末を説明した。
 
 村長は安堵の表情を浮かべて感謝の言葉を述べつつも、どこか寂しげにも見えた。

「…我々人間がミーシャに手を出さなければ、彼は今も賢明なる“深山の帝王”であったのだろうと思うと、複雑な気分でして。
 
 我々にとって、彼は厳しくも恵み豊かなこの山の、雄大なる自然の象徴でしたから」
 
 シグルトが静かに語りだした。
 
「俺のいた故郷では、熊は祖霊として祀られていた神聖な動物だった。
 
 熊が暴れるのはいつも人間がその世界を侵すからだ。
 あの羆の遺体は、そっと埋めて欲しい。
 
 俺の個人的な願いだが」
 
 村長がその言葉に頷く。
 
「例の羆のことは片がついたって噂を流しておくから、毛皮を求める馬鹿はもう来ないわ。
 
 それに、ユーリさんだっけ?
 貴方の息子がリューンに来る少し前に、ソルモント郷は失脚したそうよ。
 
 死んだ冒険者たちも馬鹿だったということ。
 
 というわけで、憂いは消えたわけだから頑張って村を立て直してね」
 
 村長が感無量という感じで、深々と頭を下げる。
 
「皆さんは村の恩人です。
 
 いつか機会があれば、またいらして下さい」
 
 シグルトたちは報酬を受け取ると、その日教会で一泊し、次の日に村人に見送られながらエチェ村を後にした。
 
 助かったエフゲニー。
 その子のオーシャ。
 狩人のセルゲイ。
 
 彼らに見送られながら、シグルトは広大な白い峰々一度振り返る。
 
「シグルト?」
 
 レナータがその横顔を見る。
 シグルトは空を見上げると、一度目を閉じ、そして次に目を開いた時にはレナータに微笑むと、リューンに向けて歩き出した。
 
 それはまるで山々と自然に別れを告げるように厳かだと、レナータは感じた。
 
「…俺たちも、何をしても自然の一部に過ぎない。
 
 そのことを忘れ、驕った時にミーシャのような狂うものが現れる。
 それも自然なのだろうが…歯痒いよ」
 
 そう言って眉をひそめるシグルトの横顔はとても人間らしくて、不謹慎と思いながら、レナータはシグルトの別の一面を見つけられたように嬉しくも感じていた。
 
 日に照らされた眩い雪の光に照らされながら、“風を纏う者”はまた旅立つのだった。

 
 
 藤四郎さんの傑作、『深山の帝王』をリプレイです。
 
 何というか、読む前に未プレイの方は遊んで欲しいこの1本、という感じです。
 丁寧に作りこまれたシステム。
 濃厚な深山の雰囲気を感じさせる文章。
 場を盛り上げる緊張感の演出と、音楽。
 
 文句なしに勧めるこの1本、という奴でした。
 
 下手をすると村がとんでもないことになります。
 戦略や冒険者の配慮も問われるので面白いシナリオです。
 
 今回、シグルトの故郷のことがまた少し出てきましたが、彼の故郷は北欧をモデルにしています。
 
 ついに鎧を纏ったシグルトですが、ものすごくこれでタフになりました。
 他のPCも装備が豪勢に。
 
 ちなみに、このシナリオプレイ時の装備は…
 
・シグルト
 【影走り】(スキル)
 【縮影閃】(スキル)
 【風疾る利剣】(スキル)
 【剣叫ぶ雷霆】(スキル)
 【ロングソード】(アイテム)
 【真なる銀の鎧】(アイテム)
 【鋼鐵の淑女】(付帯能力)

・レベッカ
 【盗賊の眼】(スキル)
 【盗賊の手】(スキル)
 【小細工】(スキル)
 【絞殺の綱】(スキル)
 【鉄塊(ミストルティン)】(アイテム)
 【猫の業】(付帯能力)
 
・ロマン
 【魔法の矢】(スキル)
 【眠りの雲】(スキル)
 【焔熱の仕手】(スキル)
 【魔導の昇華】(スキル)
 【ジュムデー秘本】(アイテム)
 【カドゥケウス】(アイテム)
 
・ラムーナ
 【連捷の蜂】(スキル)
 【幻惑の蝶】(スキル)
 【咒刻の剣】(スキル)
 【戦士の勲】(スキル)
 【早足の靴】(アイテム)
 
・スピッキオ
 【癒身の法】(スキル)
 【聖霊の盾】(スキル)
 【祝福】(スキル)
 【癒しの奇跡】(スキル)
 【クルシス】(アイテム)
 【トールハンマー】(アイテム)
 
・レナータ
 【泉精召喚】(スキル)
 【水精召喚】(スキル)
 【海精召喚】(スキル)
 【水精の一雫】(スキル)
 【交霊の異能】(アイテム)
 
 となっています。
 
 強くなったもんですね~
 
 シグルトとレベッカの付帯能力は、彼らの実力やリプレイ上の性格表現のため、くっつけてますが、この手の付帯能力が苦手な人もいるかもしれませんね。
 
 
 さて、今回の動向は…
 
・『風たちがもたらすもの』(拙作)
 【焔熱の仕手】購入-1400SP(ロマン)
 【魔導の昇華】購入-1400SP(ロマン)
 
・『希望の都フォーチュン=ベル』(Djinnさん)
 ダークエルフ退治 報酬+700
 
・『魔剣工房』(Djinnさん)
 【ミストルティン】購入-1000SP(レベッカ)
  ※ソウルイーター売却分処理
 
・『風たちがもたらすもの』
 【猫の業】-3000SP(レベッカ)
  ※ソウルイーター売却分処理
 
 【治癒の水薬】
 【消毒の水薬】
 【言葉の飲薬】
 【黒い投剣】
 【破魔の護符】各購入、合計800SP
 
・『交易都市リューン』(齋藤洋さん)
 【聖霊の盾】-1000SP(スピッキオ)
  ※ソウルイーター売却分処理
 
・『深山の帝王』(藤四郎さん)
 【捨身の盾】
 報酬+900SP
 
 ※ソウルイーター売却処分はソウルイーターを売った5000SP分のアイテムを購入したという表現ではなく、ストーリー上の都合で手に入った形にリプレイで表現したものです。
 
 というわけで現在の所持金は…
 
 
◇現在の所持金 4001SP◇(チ~ン♪)
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『鉱石と銘工』

 新しいメンバーを加えた“風を纏う者”は、1週間ほどの休日を過ごして準備を済ませると、フォーチュン=ベルへと旅立った。
 
 先日、リューンへの帰路で訪れた時にブレッゼンは留守だった。
 今回の訪問は手に入れた2つの鉱石を換金するためである。
 
 レナータはここ数日でさらに仲間のためになる術を、とパーティが相談して出したお金を使って精霊術を1つ習得していた。
 
 南方の大河近郊に住むシャーマンが使うという治癒術である。
 
 レナータの【水精召喚】は、今は1度の使用が限度だ。
 そこで、数回は使える呪文をと【水精の一雫】という術を習ったのである。
 水の精霊の力を圧縮して治療を行うこの術は、解毒と傷の治療を同時に行える上、1度精霊を召喚して行使する呪文と違い、即座に効果を発揮できる。
 同時に精神の異常も癒すこの術は、極めて効果が多様で、“風を纏う者”が求めていた力に合うものである。
 
 加えてレベッカが簡単な解毒薬を調達してきた。
 毒に関する装備が随分減っていたためである。
 
「レナータの術とあわせれば、毒対策は万全ね」
 
 今回の買物でだいぶ消費した資金を補うべく、一行は“風を駆る者たち”との道具交換で手に入れた鉱石を売ることにしたのだ。
 
 
 フォーチュン=ベルに到着した一行は、早速ブレッゼンの工房に向かった。
 
 その日は好い天気だった。
 ブレッゼンの妻のサンディのはからいで、一行は野外でお茶を御馳走になっていた。
 
「ふむ、黒に紅か。
 
 2つも鉱石を手に入れられるとは重畳(ちょうじょう)。
 最近はなかなか鉱石が手に入らず、困ったものよ…」
 
 昔は数多くの鉱山があったという、不思議な5つの鉱石。
 強い魔剣を作成するにはどうしても必要だという。
 
 ブレッゼンはレベッカに礼として盗賊王バロの道具のレプリカをくれた。
 加えて銀貨千五百枚である。
 
「うん、鉱石の売買は互いに利益が大きいわ。
 
 なんとか大量に手に入れることはできないかしらね」
 
 レベッカが考え込む。
 
「では、お前たち…
 
 最近、風の噂に聞いた鉱山に行って掘ってこぬか?」
 
 その言葉に、一同が振り向く。
 
「めったに見つからぬが、まだ鉱石の鉱脈が生きている鉱山があるらしい。
 儂としては工夫か冒険者を雇って掘りに行かせようと思っておったところよ。
 報酬は鉱石の買取、加えて特別な武具を売ってやろう。
 
 お前たちならば、悪い結果にはなるまい」
 
 レベッカが、なるほどと腕を組む。
 
「ただ、危険な鉱山らしい。
 
 奥の方には古い坑道があり、そこでは鉱石も出やすい分、毒ガスが吹くという。
 厄介な仕事になるが…」
 
 レベッカが頷く。
 
「毒対策が出来たところで、降って湧いたような仕事だわ。
 
 少しギャンブル要素はあるけど、上手くいけば見返りも大きい。
 私は乗りたいけど、どう?」
 
 ロマンが頷く。
 
「1度、鉱石の鉱脈を見てみたかったし、僕も賛成。
 
 シグルトがいればこういう時頼りになるし」
 
 シグルトは何故か宝を掘り起こす天性の勘がある。
 前に遺跡の発掘を行った時も、彼が見つけた宝はパーティの貴重な財源になった。
 
「ふむ。
 
 骨休めには良いかも知れん。
 温泉でも近くに湧き出しておればさらに、都合が良いが」
 
 スピッキオも特に反対ではないようだ。
 
「お宝探しだよね。
 
 私も頑張って掘るね~」
 
 ラムーナも乗り気のようである。
 
「正直、いきなりモンスターとの戦闘というのも。
 
 私は非力ですけど、できることは頑張ります」
 
 レナータも頷く。
 
「分かった。
 
 少なくともいくつか鉱石を持ち帰るつもりで、やってみようか」
 
 そして、一行はブレッゼンに別れを告げ、件の鉱山へと向かったのだった。
 
 
「…また鉄鉱石?
 
 まるででないわね~」
 
 一行は数日かけて寒風吹きつける鉱山へと到着した。
 冬の鉱山は身が切れるように寒い。
 
 防寒具に身を包んだ一行は、鉱山にたどり着くと鉱山の管理人に会った。
 そこで鉱山に出入り自由の登録をし、つるはしを1本買い込んで、早速その日から採石を始めた。
 
 シグルトが豪腕で穴を掘り、その疲労をスピッキオが癒す。
 掘り起こした土をレベッカが丁寧に調べる。
 ロマンが知識を頼りに、鉱石の出そうな場所を予測し、ラムーナが調べた土砂を捨てる。
 
「あの、私も何か…」
 
 近くで休んでいるように言われたレナータが所在無げに言うと、レベッカが首を振る。
 
「レナータは秘密兵器よ。
 
 毒ガスが出たり、スピッキオの秘蹟が底をついたらお願いね」
 
 ロマンも頷く。
 レナータもそれ以上のことは言えず、黙って岩に腰掛けていた。
 
 そして黙々とつるはしを振るうシグルトの後姿を見つめていたが、不意にシグルトが作業を止めた。
 
「…ここはよほど掘らないと鉱石は出ない。
 
 少し危険だという奥を掘ってみるから、皆は少し離れていてくれ」
 
 ロマンが、何を根拠に、と首をかしげる。
 
「…鉄は俺と縁が深い。
 
 この鉱山に来てから、鐵(てつ)の精霊ダナの力を強く感じるんだ。
 ここは彼女の眷属の領域で、あまり鉱石の魔力は感じない。
 
 ダナは最初に俺がその息吹を感じた精霊でな。
 
 かつてはダヌという名で、鍛冶や山の女神として信仰されていたこともある古い金属の上位精霊だ。
 その神格の分霊から生まれた精霊だと言うが、鉱山でダナの声を聞くと宝にありつけるという。
 
 レナータも聞こえないか?」
 
 シグルトは蘇生した後、さらに精霊と干渉する力が強くなっていた。
 
「…ごめんなさい。
 
 鐡の精霊は他の精霊と仲が悪いので。
 存在は強く感じるんですけど、私の呼びかけにはあまり応えてくれないようです」
 
 鐡の精霊は、孤高の勇気と屈強さを司る精霊である。
 気難しく、そもそも気に入られること自体がとても稀有なのだ。
 
「ただ、私もここでは鉱石は出ないと思います。
 
 勘ですけど…」
 
 しかし、ロマンはそうか、とため息をついた。
 
 精霊術師の勘はよく当たる。
 実際、シグルトの勘が仲間を救ったことは1度ではない。
 
「ま、今日中に少しは結果が出したいから、ねぇ」
 
 そして奥に進んで発掘を始めたシグルトたちは、頻繁に噴出する毒ガスに悩まされることになった。
 
「…はぁっはぁっ、私の力で行える解毒はこれが限界です」
 
 レナータの召喚したウンディーネの最後の力でシグルトを侵す毒が和らぐ。
 
「ここの鉱山の毒素はかなり強いな…」
 
 完全に毒が抜けないシグルトが脂汗をかきながら言う。
 シグルトだからこの程度でいられるのだが。
 先ほど誤って少量の毒ガスを吸ったロマンは1度昏倒し、今は休んでいる。
 
「仕方ないわ。
 
 まぁ、変わった石が発掘できたからよしとしましょう」
 
 シグルトたちは珍しい石をいくつか発見していた。
 鉱山労働者の持ち物だったのだろう、それは鉱山での事故や疲労から身を守るという守り石である。
 少なくともそれらの入手で数日分の報酬には十分になるだろう。
 
 レベッカの言葉に従い、鉱山を出る一行。
 
 その日は1つの鉱石を見つけることも出来ずに、何とか鉱山にある宿泊施設に帰り着いた。
 
 しかも、次の日もその次の日も、鉱石は1つも見つけられなかった。
 
「…もう4日目ね。
 
 甘く見すぎていたかしら」
 
 爪の間に入り込んだ土を穿り出しながら、レベッカが呻くように言った。
 
「簡単に見つかるようなら、あれほど高額で買い取ってはくれない。
 
 根気よくやらなければな…」
 
 水筒の水を飲みながら、シグルトが力なく微笑む。
 この数日、文句1つ言わずに黙々とシグルトが掘り続けたおかげて、鉱石とはいかないまでも沢山の鉱物が見つかった。
 それらを売り払えば、数日の報酬にはなりそうである。
 
 この数日、シグルトたちは毒ガスと格闘する羽目になった。
 レナータがいなければここまでの強行な採掘は出来なかっただろう。
 
「さて、頑張ってもう少し…うん?」
 
 シグルトが立ち上がると突然坑道の奥に向かって歩き出した。
 
 そこには立入禁止と書かれた古びた立て札と、閉鎖された坑道がある。
 
「…どうしたのよ、シグルト?」
 
 仲間たちが近寄ってくる。
 
「…間違いない。
 
 この奥に鉱石がある。
 だが、どうやらただの坑道ではないようだな」
 
 坑道を塞ぐ木の壁は腐りかけ、簡単にどけることができるだろう。
 
 だが、一行はその不気味な雰囲気に立ち止まっていた。
 
「…昔、ここが普通の鉱山だったころ、落盤で大量の死人が出たらしいよ。
 
 そして封鎖されたって。
 たぶんこれ、その坑道だよ」
 
 ロマンが唾を飲み込む。
 
「ここまで来たんだ。
 
 …結果を出そう。
 それに、呼んでいるんだ…」
 
 シグルトはすっと坑道を塞ぐ木の壁に触れる。
 それは見る間に朽ちて崩れ、暗い洞が姿を現した。
 
 迷わず進むシグルトに、一行はおっかなびっくりついていく。
 
「…凄まじい負の力じゃ。
 
 この奥は亡霊の巣窟じゃよ」
 
 スピッキオにシグルトは頷いた。
 
「ブレッゼンの頼みでなければ遠慮したいな…」
 
 そう言ってシグルトは黙々と採掘を開始した。
 
 
 数時間後、一行は崩れた坑道を疲弊しきった顔で見つめていた。

 鉱山の奥ではひっきりなしに亡霊の呻く声が聞こえ、精神と肉体を病ませた。
 ロマンが、ラムーナが、レベッカが脱落する中、シグルトは驚異的な精神力で鉱石を次々と発掘していった。
 
 しかし、さすがのシグルトも疲弊して引き上げると、亡霊たちがシグルトたちを引きずり込もうとし、一行は何とか逃げ出したものの坑道は完全に崩れてしまったのだ。
 
 だが、持ち出したレベッカの担ぐ袋には、大量の鉱石が詰まっている。
 
「…大漁だったけど、2度とこの奥には行きたくないわね」
 
 一行はこれ以上この坑道の話は止めだとばかりに、宿泊施設に引き返した。
 
「シグルト、大丈夫ですか?」
 
 やつれた口調でレナータが聞く。
 
「俺は平気だよ」
 
 そう言って振り返ったシグルトの目が、淡い緑の光を放っていた。
 
「シグルト、眼がっ!」
 
 ロマンが声を上げるとシグルトは微笑んだ。
 
「大丈夫だ。
 
 なぜ、俺があそこに呼ばれたか分かったよ。
 あそこで俺の中に入ってきたダナが呼んでいたんだ」
 
 レナータがその力の脈動にはっとする。
 
「【鋼鐵の淑女】…
 
 人の付帯領域に宿るダナの分霊。
 眠れる上位精霊の力を、手に入れたんですね」
 
 ダナは鋼の勇気を宿り主に与えるという、不思議な特性がある。
 もちろん、それはダナを受け入れられるほどの強力な精神力と魂を持つ必要があるのだが。

「確かに、シグルトほどの高い霊格ならばダナが宿るのも…」
 
 シグルトが眼を閉じ、再び眼を開けると元の深い青黒い瞳に戻っている。
 
「かつて、俺の先祖のオルテンシアというハーフエルフの姫君も、【鋼鐵の淑女】ダナを使う精霊術師だったという。
 青黒い髪と目はその祝福だと言われていたそうだ。
 
 俺の中にいるダナはオルテンシア姫に宿っていた分霊だ。
 ここは受刑者が流されて強制労働させられていた時代もあったらしい。
 その中に、北方から政治犯として流されてきた、ダナの担い手もいたようだ。
 
 ダナが眠る前に教えてくれた」
 
 シグルトの話だと、このダナの分霊…力の欠片はここでずっとシグルトがくるのを待っていたという。
 
「正しくはオルテンシア姫の血筋の戦士らしい。
 
 …問題は無いよ。
 彼女は普段眠っているからな。
 
 ダナに悪意は無い。
 
 この狭い坑道から出してやる代わりに、俺に力を貸してくれるらしい。
 彼女を宿すと、鎧を纏ったような屈強さも得られるから、戦士の俺としては有難いな。
 
 彼女が俺から出たくなるまではそっとしておくよ」
 
 そう言って微笑んだシグルトは、また少し人間離れした雰囲気を放つようになっていた。
 
 
 一行は鉱石以外の鉱物を管理人に預けておいた。
 いざという時の資金にするためである。
 
 今回、4泊5日の日程でシグルトたちは30個近い鉱石を手に入れていた。
 
 売り払えば数万の銀貨に換わるだろう。
 
 しかし今回の精神的疲労は大きなもので、一行はしばらくフォーチュン=ベル近郊で休日をとることにした。
 
 防寒具や滞在費、旅費に細かい出費を加えると銀貨数千枚になったが、ブレッゼンに鉱石を渡した見返りは大きかった。
 
 鉱石の駄賃だと、ブレッゼンは魔法の靴や短剣をくれた。
 加えて、シグルトの剣を真なる魔剣に打ち直してくれる準備ができたという。
 
 あまりに多くの鉱石で一度には買えないと言われ、数度に分けて鉱石の取引をすることになった。
 
 シグルトは今回の功労者として銀貨を二千枚ほど持って、古城の剣の師グロアの元に向かった。
 数日後にはそこで出会ったという東方の剣士から新しい剣術を習って身につけ、ブレッゼンに預けた【アロンダイト】の代わりに古びた長剣をグロアから買って帰ってきた。
 
 ラムーナもフォーチュン=ベルを訪れていた踊り子から、仲間を鼓舞するという南方のダンスを習得していた。
 
 レナータはフォーチュン=ベルの湖の前で瞑想し、精霊を見る力をより強化することができた。
 
 ロマンは新しい魔術を習得するためと、宿にこもって呪文の触媒になる魔術書のページを呪文で埋めていった。
 
 スピッキオはフォーチュン=ベルの教会で説教しつつ、祈る生活をしていた。
 
 レベッカは疲れたからと、酒場で飲んだくれていたが、何時の間にか必要な道具を買い込んでいた。
 
 一行が集結して魔剣工房にやってきたのは1週間経ってからだった。
 冬の最中であるフォーチュン=ベルは、その日雪が降っていた。
 
 
「やっほ、ブレッゼン。
 
 魔剣の出来具合を確認に来たわよ」
 
 レベッカが声をかけると、めずらしく慌てた様子のブレッゼンがやって来た。
 
「お前ら、良いところに来たっ!
 
 サンディが攫われたんじゃっ!!!」
 
 下手糞な字の書かれた手紙を握り締め、ブレッゼンは眼を血走らせてごついハンマーを握り、甲冑を纏っていた。
 
 
「…人騒がせな話よねぇ」
 
 レベッカがぼやくと、ロマンが大きく頷く。
 
「まったくじゃ。
 
 肝が冷えたぞ」
 
 ブレッゼンがそう言うと、そこにいた赤毛の男が申し訳なさそうに頭を下げた。
 
「俺もとんだ人選ミスをしたもんだよ。
 
 悪かったな」
 
 その男はキッド。
 ブレッゼンの息子である。
 
 ことはキッドが静かに母親と食事をしたいと言い出したことだった。
 
 この場所を根城にしている“金色のハイエナ”という盗賊団の首領ハリーがキッドと知己で、この場所を提供したのだ。
 しかしハリーは誘拐の脅迫状めいた書体で手紙を書いたので、ブレッゼンが勘違いしたのである。
 
「…〝奥方は『デッドマンズ・マウス(死人の口)』にて『金のハイエナ』が預かった〟って、どう見ても脅迫状よ。
 
 まぁ、よく見れば要求が書いてないんだけどね。
 でも、まさかあんたがねぇ」
 
 レベッカが隅で小さくなっているブロンドの男を小突く。
 
「か、勘弁してくれよ。
 
 もう俺は悪さはしない義賊なんだぜ?」
 
 ハリーは昔レベッカと面識があった。
 レベッカを口説こうとして酒の飲み比べをし、見事潰されて尻の毛まで抜かれたというのは部下の野郎どもの談。
 どうやらレベッカには頭が上がらないらしい。
 
「まぁ、良いわ。
 
 それよりお前たちには鉱石の件といい、世話になっているな…」
 
 そういうブレッゼンに、レベッカがいいのよ、と笑う。
 
「今回、このダンジョンでそれなりに好い物を得たし、それに飲み友達じゃないの。
 
 固いことは抜き抜き」
 
 レベッカたちは広大なハリーたちのアジトをくまなく調査し、鉱石2個とお宝を2つ発見していた。
 
「まさか風の精霊術の禁呪が書かれた巻物が見つかるなんて、ね」
 
 それは東方の風の魔神を召喚する精霊術が記された書物だった。
 レナータによると、とても今の彼女には使いこなせないという。
 
「妖霊(ジン)の一種で…竜巻を呼ぶ風の上位精霊です。
 
 このような上位精霊は名前を大変重んじるので、召喚して契約を交わすまではその真の名はわかりませんが…
 
 嵐の竜リンドヴルムや鳥神ハルピュイアイに匹敵するものすごい精霊で、今の私では魔力の全てを奪われてしまいます。
 そもそも、このレベルの上位精霊を召喚するなんて、常人のできることではありません。
 
 上位精霊の召喚や顕現は、気をつけなければ地形が変わってしまったり、多くの死人を出してしまいます。
 …それほど力が強いのです。
 
 シグルトさんの中で眠っているダナも上位精霊ですが、彼女は深い眠りについているので力の大半を封じているのです。
 今、シグルトさんを護っているのは、彼女からあふれた魔力のほんの一部のようです。
 
 上位精霊は多神教の神格に匹敵する、あるいは神として信仰される存在そのものなんです」
 
 神にも匹敵する存在を呼ぶ…だから《禁呪》なのである。
 
「まぁ、いつかそれが使いこなせるようになればいいわね」
 
 そう言ったレベッカに、必要な状況がこないことを祈ります、とレナータがため息を付いた。

 
「…ふむ。
 
 サンディ、今度こいつらに特別な値段で武具を売ってやれ」
 
 ブレッゼンはしばらく考えていたが、そうサンディに言った。
 サンディはニコニコして頷いている。
 
 話では半額で武器を売ってくれるという。
 
「ちょっと、ブレッゼン。
 
 半額って原価じゃないの?」
 
 レベッカが訪ねると、ブレッゼンはにやりと笑った。
 
「何、飲み友達じゃからな。
 
 固いことは抜きだ」
 
 サンディが大きく頷く。
 
「いいのよ。
 
 貴方たちが持ち込んだ鉱石、本来は商人を通して買っているから価格が数倍もするの。
 うちもおかげで商売が出来るんだから、安心してね」
 
 半額、という言葉にロマンが乗り出した。
 
「じゃ、じゃあ、あの【カドゥケウス】も半額!」
 
 いつ工房を訪れてもロマンはもの欲しそうにその杖を見ていた。
 銀貨四千枚という大金で、今までとても買えなかったのだが。
 
「それなら、今回手に入った鉱石を加えて、また10個ばかり引き取ってもらえば買えるわね。
 
 最近ロマンには我慢してもらってたし、次の買物はロマン中心でいいわよ」
 
 レベッカが子供に玩具を買い与える心境で頷いた。
 
「うむ、次の来店までには調整しておいてやろう。
 
 あの杖の価値が分かるものはなかなかおらんかったからな」
 
 ロマンが瞳を輝かせて頷いている。
 
「賢者にとって、杖はシンボルみたいなものなんだ。
 
 僕は今まで杖は持たなかったけどね。
 必ず、【カドゥケウス】に相応しい賢者になって見せるよ」
 
 ブレッゼンが目を細める。
 その横でキッドがにやりと笑った。
 
「随分親父に気に入られているな。
 
 ま、“風を纏う者”っていえば、そこそこ有名だからな。
 フォーチュン=ベルじゃ、食人鬼(オーガ)を倒したってのは有名な話だ」
 
 まぁね、とレベッカが少し胸を張る。
 胸元を故意に露出させているレベッカのそのポーズは、かなり扇情的だった。
 
 後ろの野郎どもが唾を飲みつつ、ちょっと嬉しそうな顔をしていた。
 
 
 次の日、シグルトたちはフォーチュン=ベルの郊外にある屋敷に巣くうという怪物を退治する仕事を請けていた。
 
 屋敷に近づくにつれ、周りが異様な雰囲気になっていく。
 
「なに?
 
 ここって植物が枯れて、石ころばかりじゃない…」
 
 周囲の淀んだ悪臭に、レベッカは顔をしかめて言った。
 
「…原因はあれだよ」
 
 それは石の彫像だった。
 
「…何?
 
 随分リアルな格好をしてるけど」
 
 ロマンが頷く。
 
「正しくは《その格好のまま石になった》からだね。
 
 可哀想だけど首が落ちてる。
 これじゃ、戻っても生きられないよ」
 
 レベッカがぞっとしてその像を確認する。
 首の無い像の前に、苦悶の症状のまま頭部が転がっていた。
 
「たぶん、この状況から考えるとコカトライスかバジリスクがいる。
 
 どっちも石化能力をもつ、恐ろしい怪物だよ。
 でも、腐ったり枯れたりした植物を見るとバジリスクの線が濃厚だね。
 あの怪物は強力な毒を持ってる。
 このあたりの植物は、バジリスクの唾液や血に含まれる毒、呼吸から放たれる瘴気にやられたんだ。
 
 あのモンスターには亜種が沢山いて、基本的に砂漠に生息しているんだけど、趣味の悪い好事家か頭の変な魔法使いが、捕まえて持ってきたんじゃないかな?
 卵や子供のうちなら、運んでくることは容易だからね。
 
 まぁ、怪しい研究をする魔法使いがいたとすれば、この屋敷に怪物が巣くっていることも説明がつくよ」
 
 歩みを進めつつロマンが説明する。
 
 やがて、少し先行していたレベッカが一同を留める。
 
「でかい蜥蜴がいるわ。
 
 足がいっぱいある薄気味悪い奴」
 
 それは異様に大きな蜥蜴であった。
 屋敷の入り口で目を閉じ、眠っているようである。
 
「…間違いない、バジリスクだ。
 しかも、まだ若いけど成体だね。
 
 正直、石化対策をしてないとあの怪物とやりあうのは自殺行為だよ」
 
 ロマンは、バジリスクの視線には強力な石化能力があり、さらに血飛沫の一滴すら大人を瞬殺する猛毒があることを告げる。
 
「…困ったな。
 
 さすがに一滴の血飛沫も被らずに戦うとなると、俺の新しい奥の手かロマンの魔法による遠距離からの攻撃を使うしかないのだろうが…
 あの巨体…簡単に倒せるほど弱くはなさそうだ」
 
 バジリスクは、ロマン程度の体格ならば飲み込めそうなほどの巨体である。
 
「…危険だけど手が無いわけじゃないよ。
 
 ただ、すごく難しい方法なんだ」
 
 ロマンがレベッカを見て言った。
 
「…私にしか出来ないのね?」
 
 ロマンの意図を少し理解して、レベッカが頷く。
 
「…バジリスクの目は石化の光を放つんだ。
 驚いた時によく使う能力だよ。
 
 その光は鏡で跳ね返すことができるんだ。
 そしてバジリスクの目以外に当てると、逆にアイツを石化できる。
 
 バジリスクが砂漠で、繁殖期以外は単体で生活しているのは、同族を石化しないためだとも言われてるんだ。
 
 でも、光線を跳ね返す、そんな器用な芸当が出来るとしたら、うちのパーティじゃレベッカだけだよ」
 
 レベッカはため息をつくと、手持ちの鏡を取り出した。
 
「サイズが心もとないけどやりましょう。
 
 ま、私が石になったときは回収よろしくね」
 
 シグルトが頷く。
 
「安心してよ。
 
 僕が調合した石化回復のアイテムがあるから、これを使えば壊れてない限りは大丈夫だから」
 
 ロマンが正直に現状を語ると、レベッカは少し眉をひそめた。
 
「大丈夫。
 
 絶対レベッカならできるから」
 
 ラムーナが微笑んでくれた。
 
「まぁ、貴女が大丈夫って言うなら成功するわね」
 
 レベッカは微笑み返すと、素早い動きでバジリスクに10メートルほどのところまで駆けていき、手に持った小石をバジリスクにぶつけた。
 
 驚いたバジリスクが目をかっと開き、同時に石化の光線を放つ。
 
 レベッカは手に持った手鏡の角度を上手く調整して、こともなげに光線を跳ね返した。
 そしてバジリスクは見る間に石化していく。
 
「…凄い」
 
 レベッカの手際にレナータが息を呑んだ。
 
「ふむ、レベッカの奴は戦闘ではなく、この手の手先を使った仕事が本分じゃからの」
 
 スピッキオが特に心配した様子もなく頷いた。
 
「さぁて、通路の確保は出来たわ。
 
 行くとしましょうか」
 
 レベッカは石化したバジリスクを一瞥すると、慎重な歩で屋敷に入っていく。
 
 一行もすぐにそれに倣った。
 
 
 屋敷の奥に進むと周囲は蜘蛛の巣だらけだった。
 
「これは普通の蜘蛛の糸じゃない…
 
 魔獣を作る過程で生まれた、強靭な糸を出す巨大な毒蜘蛛のものだよ。
 呪縛対策を考えておかないと…」
 
 ロマンは周囲を警戒しつつ、糸を調べる。
 
「油分が多いね。
 
 これなら炎に弱いはずだよ」
 
 ロマンの声に誘われたのか、巨大な蜘蛛が数匹、張り巡らされた糸を伝ってやってくる。
 
「どうやら、あっちはやる気みたいだぞ」
 
 シグルトが剣を抜き放つ。
 魔剣ではないそれは、無名だがそれなりの業物である。
 しかし、【アロンダイト】に比べればやはり心許無い。
 
「…僕が蜘蛛の巣を焼いて、眠りの魔法で牽制するよ。
 
 腕力の仕事は任せたよっ!」
 
 ロマンが【焔の竜巻】で周囲の蜘蛛の巣を一掃する。
 みるみる巣は焼かれて消えて行き、蜘蛛たちが怯んだところでさらに【眠りの雲】を放つ。
 
 数匹がロマンの魔力の前に動きを止める。
 しかし、耐えた残りが襲い掛かってきた。
 
「《風よ…》」
 
 シグルトが剣に疾風を纏い、敵陣を駆け抜ける。
 その攻撃に眠っていた蜘蛛が目を覚ますが、切り裂かれた腹部から体液を流し、喘ぐように足を蠢かせている。
 
 ビュワっ!
 
 一匹の蜘蛛が吐いた糸にレベッカが捕縛された。
 
「ちょっと、何よこれっ!
 
 ねばねばして動けないったら…」
 
 その横でロマンが【魔法の矢】を撃ち放った。
 
 
 毒蜘蛛との戦いは長期戦になった。
 頑強で数の多い蜘蛛は連携して休みながら攻撃してくる。
 
 対して“風を纏う者”はシグルトが猛烈な剣で敵を押していく。
 ロマンの魔法が糸を焼き敵を穿ち、眠らせる。
 レベッカが呪縛から開放されると、巧みに蜘蛛の気を引きながら仲間が攻撃する隙を作る。
 スピッキオが傷を癒しながら祝福で援護する。
 ラムーナは新しく憶えた【戦士の勲】を踊り、仲間を鼓舞しながら戦いの舞踏で疾走する。
 
 そして、今回仲間に有難かったのがレナータの精霊術だった。
 彼女の癒しは毒を消すため、強力な麻痺毒を持つ敵に対し、一行は驚くべき堅牢さで戦うことが出来た。
 加えてレナータはナイアドを召喚して仲間に防御支援をする。
 
 数分続いた長い戦いは、ラムーナが最後の1匹を蹴り飛ばしてかたがついた。
 
「うげぇ、気持ち悪ぅ…」
 
 蜘蛛の糸と体液のネバネバにレベッカが顔をしかめていた。
 
「早く帰って風呂に入ろう。
 
 皆、よくやった。
 今日はゆっくり休むとしよう」
 
 シグルトが剣についた脂を拭き取り、鞘に収める。
 彼の獅子奮迅の戦いぶりは仲間にとって頼もしかった。
 
「シグルトの新しい必殺技、凄いねぇ~」
 
 ラムーナがニコニコとしながら言う。
 
「本当だよ。
 
 剣から稲妻を放つなんて、僕初めて見た…」
 
 ロマンが知的好奇心で目を輝かせている。
 
 話題となっているのは、シグルトが使って1体の蜘蛛を黒焦げにした技…【剣叫ぶ雷霆】のことである。
 
「あれは東方の剣士から習った技でな。
 
 丹田、臍の近くにある器官に木気…風や雷を象徴する闘気を収束して剣の圧力と一緒に打ち放つ、という技だ。
 剣術でありながら、魔法に近しい射撃攻撃となる。
 
 当てるにはコツがいるが、俺たちのように白兵戦ばかりしている戦士は、距離の掌握が気になるところだ。
 
 俺たちのパーティは距離をとって戦うことが苦手だった。
 この間もロマンに頼ってしまったからな。
 
 この技なら威力も高いし、敵を痺れさせる効果もある。
 実体の無い敵のも通じるから、今の剣でもその類の敵と戦える利点も有難かったんだ…」
 
 シグルトは戦士として優れた戦術観を持っている。
 力任せに戦っていた最初の頃にくらべ、最近は攻撃の中に巧みに大きな技を加えた戦い方をする。
 
 シグルトと単純な技量が同じぐらいの者は割と多いが、彼ほど手持ちの技術を巧みに発揮する剣士は希であろう。
 
「ふむ、ラムーナの使った鼓舞の舞踏は有難かったぞ」
 
 スピッキオが言うとレベッカが頷く。
 
「私やロマンみたいな装備が貧弱な後衛には嬉しいわ。
 
 おかげで何度もあの蜘蛛の牙や爪に耐えられたし」
 
 照れたようにラムーナが頭を掻く。
 
「フォーチュン=ベルの酒場に来ていた南方出身の踊り子さんに習ったんだ。
 
 【戦士の勲】って言って、戦う前に戦士が見る舞踏なの。
 鎧を着たように頑強になれるし、魔法を退ける力も得られるんだって。
 
 ただ、儀礼的なダンスだから効果はあんまり長くもたないんだけど」
 
 そしてシグルトがレナータの方を向く。
 
「加えて、今回はレナータの癒しが有難かったな。
 
 毒に関して弱かった俺たちにとって、やはり水の浄化と癒しは助かるよ」
 
 レベッカが頷く。
 
「シグルトが麻痺毒を喰らった時はどうなるかと思ったけど、【水精の一雫】だっけ?
 
 あれは傷ごと毒を回復できるから本当に便利だわ」
 
 レナータがはにかんで説明しだす。
 
「海の向こうの南方大陸、そのさらに南にある大河近くの出身の方に習ったのです。
 
 効果は強くないのですが、毒と傷を同時に癒し、加えて心の障害も癒せるというもの。
 スピッキオが、精神の癒しも必要かもしれないとおっしゃっていたので、相応しい術だな、と。
 
 海蛇の一件で、どうしても召喚して使う術の発動の遅さがもどかしく感じましたので。
 それに私ではウンディーネを1度召喚するのが限界ですから、私に期待されている癒し手としての部分を強化しておきたかったんです」
 
 ロマンが大きく頷く。
 
「こういう弱点の補強は大切だね。
 
 できる仕事が増えるし、危険の中で生存していく確率も高くなるよ。
 僕も、あの杖が手に入ったら術のスタイルをある程度変更するつもりなんだ。
 
 もっと多様な行動が可能になるはずだよ」
 
 “風を纏う者”の一行は、互いの成長点を讃え合いながら、フォーチュン=ベルへと帰還した。
 
 
 次の日、仕事の報酬の銀貨七百枚を受け取った“風を纏う者”は、またブレッゼンの工房へと向かった。
 
「うむ、来たのか。
 
 すまんが、魔剣はまだ出来んぞ」
 
 どこか嬉しそうに、ブレッゼンが顔を出す。

「そっちは急かすつもりは無いわよ。
 
 今回はサンディさんに鉱石を買い取ってもらうことになってるの。
 10個2種類ずつ用意したわ。
 
 それとロマンの杖。
 調整できてる?」
 
 伝説の匠はにやりと頷いた。
 もはや、“風を纏う者”とブレッゼンの付き合いは親友のそれに近いものだ。
 
「…ふむ。
 
 この間は山中で分かれたからな。
 よし、今日の仕事は止めじゃ。
 
 おぉ~い、サンディっ!」
 
 ブレッゼンは妻を呼ぶと、酒と食事の準備をさせる。
 
「この間の慰労をやっておらん。
 
 付き合え…珍しい酒を飲ませてやろう」
 
 サンディの食事付きとあって、一行は有難くブレッゼンの好意を受けた。
 
 そしてこの後、この間の窃盗のわびをしに、キッドに連れられたハリーと盗賊団がやってきて、勢いでそのまま大きな酒宴となった。
 
 そのまま夜になり、工房はやがて酔いつぶれた男たちであふれかえった。
 美しいレナータを酔いつぶして口説こうとした野郎どもの末路である。
 影でレベッカが、片端から野郎どもの酒を強いものに換えるという、暗躍があってのことだが、レナータの酒豪ぶりはそれでもたいしたものであった。
 
 まだ飲んでいるレベッカたちを置いて、シグルトは少し風に当たるために外に出た。
 
 冷たい冬の風は身を切るような痛みを感じさせたが、今のシグルトにはあまり堪えない。
 
「…ここにおったのか」
 
 そう後ろから声をかけたのはブレッゼンである。
 
「…ああ。
 
 少し冷たいが、酔いには程好い」
 
 そう応えたシグルトの瞳は、淡い緑の光を放っている。
 
「…ダナの加護か。
 
 お前はいつも儂を驚かせるな」
 
 ブレッゼンが近くの岩に腰を下ろして呟く。
 
「…知っているのか?」
 
 シグルトの言葉に、ブレッゼンは少しむっとしたように言う。
 
「…儂は鍛冶屋だぞ。
 
 ダナは今でこそ信仰が薄れたとはいえ、かつては鍛冶の守護神として祀(まつ)られていた女神。
 それに鐡の精霊は儂らの友よ。
 彼らの息吹が聞こえぬ奴は、良い鍛冶師にはなれん」
 
 シグルトが目を閉じて頷く。
 
「ここは心地よいとダナが喜んでいる。
 
 ブレッゼンの子供たち(武具のこと)のことも讃えていたよ。
 どうやらもう眠ってしまったようだがな」
 
 シグルトがもう一度開いた瞳は元の青黒いものに戻っていた。
 
「…どうやらお前の中のダナは、力を随分失っている様子だな。
 
 その精霊の源流は主神級の力ある女神、ダヌだった。
 
 時代を経るごとに沢山の地方で祀られ、司る者が増え、多くの司るものを持ち、その性格ごとに神格として分離して祀られた。
 
 だが、聖北の到来でその信仰は駆逐された。
 その後に精霊としてその存在を世界に止めながら、あまりに力あるゆえに、自らの存在を維持する力が足りず眠ったという。
 
 ダナはそうして残ったわずかな数の、強大な力の化身、分霊の1つよ。
 
 儂の信仰する鍛冶の神もまた、聖北の到来で信仰が廃れていったが、その魂は武具に宿って生きておる。
 
 お前に宿る神格は、北方のハーフエルフの姫が大地より救いその身に宿した分霊のようだな。
 かつて、彼の姫君の弓を再生したことがある。
 【紺碧の宝弓】と呼ばれ、風を矢にして放つ宝の弓だ。
 その武勇伝は、心躍るものだったぞ。
 
 ダナの精霊術は堅牢なる守備の力。
 使いこなせれば不死身になれると聞いたことがある。
 
 その貴重な力の欠片。
 
 お前ならおろそかにはすまいが…」
 
 ふうとブレッゼンは白い息を吐いた。
 
「…心無き戦士が多くなった。
 強く正しい姿の戦士が少なくなった。
 
 その精霊は正しき戦士の守護者だった。
 
 この工房を訪れる輩の多くは、下らん虚栄心や見栄のために魔法の武具を求める。
 武具は振るわれるべきだが、それを飾り物にする愚物どもよ。
 
 主に使われ、主を守り、主を助ける…
 それが武具の悦びなのだ。
 だが、そんなことも分からん愚か者ばかりだった。
 
 …お前は違ったな、シグルト。
 
 【アロンダイト】に触れれば分かる。
 真の戦士は黙して鋼を振るう。
 
 武具を使い、武具に委ね、武具を愛すること。
 それでいいのだ。
 
 久しぶりに良い剣が打てた。
 礼を言うぞ…」
 
 最初あったころのブレッゼンは、どこか退廃的な隠者のような雰囲気があった。
 しかし今のブレッゼンはとても穏やかで優しい目をしていた。
 
「お前を見ていると、ある男を思い出す。
 かつて共に肩を並べ歩んだ戦友をだ。
 
 クハハっ、昔の奴は男を語るには可憐過ぎる容貌だったがな。
 
 あの頃は楽しかった。
 
 命を失いそうなこともあったが、儂が一番輝き、そして充実していた時だ。
 
 魔剣を打つ業(わざ)を得てから、下らん奴ばかりが儂の元にやってきたが、今思えばあ奴のような男もおった。
 
 思い出せたこの昂ぶり。
 また良い武具が鍛えられるだろう。
 
 お前のその鋼のような心と姿、変わらんでほしいものよ」
 
 そう言ってブレッゼンは立ち上がった。
 そして、手に持った何かをシグルトに突き出す。
 
「これは…」
 
 それは片手に持てる鎚だった。
 
「ミョルニール、【トールハンマー】か…」
 
 シグルトがそれを掴む。
 ズシリとした重さ。
 
「儂が冒険者だった頃愛用していた武器だ。
 
 お前たちにやろう。
 今の儂では使ってやれん。
 
 お前やあの司祭あたりならば使いこなせるだろう。
 
 大切にしてやってくれ」
 
 シグルトは黙ってブレッゼンを見つめ、頷いた。
 
「…好い夜だ。
 
 もう少し飲もう。
 行くぞ、シグルト」
 
 そう言ってすでに踵を返した銘工の背を、シグルトは微笑して見つめ、後を追った。

 
 
 久しぶりの更新は佐和多里さんの新作『鉱石集め』と『魔剣工房』です。
 根性で掘りましたよ鉱石。
 その数実に27個。
 凝り性です私。
 
 このリプレイでは私のシナリオ『風屋』のスキルも試運転で使っています。
 バグの無いやつオンリーですが。
 
 一応ブレッゼンとの交流は今回で一段落ですが、また彼には武具を作ってもらう予定です。
 次は【ミストルティン】です。
 渋い武具が好きです、私。
 
 資金と一緒に大量のアイテムが転がり込みました。
 ただ、“風を纏う者”の性格上【ソウルイーター】は貰わなかったことにして何か売った代金分のアイテムを買おうと思っています。
 
 今回の複雑な経路は以下の通り…
 
 
・『魔剣工房』(Djinnさん)
 【紅曜石】売却+500
 【黒曜石】+1000
 【バロの手】入手
 
・『風たちがもたらすもの』(拙作)
 【消毒の水薬】購入-200
 【水精の一雫】購入-1400
 
・『鉱石集め』(佐和多里さん)
 【つるはし】購入-300
 滞在費-400(四泊五日)
 
 このシナリオプレイ中【消毒の水薬】完全消費
 
 【鉄鉱石】28個
 【水晶】12個
 【黄色い原石】13個
 【赤い原石】11個
 【青い原石】10個
 
 【金鉱石】3個
 【紅曜石】5個
 【黒曜石】4個
 【緑曜石】4個
 【碧曜石】11個(鉱石はすべて最深部)
 
 【炎水晶】
 【星水晶】
 【森水晶】まで入手
 
・『魔剣工房』
 【金鉱石】2個売却
 【紅曜石】2個売却
 【黒曜石】2個売却
 【緑曜石】2個売却
 【碧曜石】2個売却
 
 合計+8000SP
 
 【早足の靴】入手(ラムーナ)
 【スワローナイフ】入手(レベッカ)
 【魔崑石】入手
 
 アロンダイト魔剣化依頼(【魔崑石】消費)
 
・『風たちがもたらすもの』
 【剣叫ぶ雷霆】-1400SP(シグルト)
 【鋼鐡の淑女】-3000SP(シグルト)
 …シグルトは自分でこの精霊を目覚めさせたとしその分の3000SPは滞在費などに消えたことになりました。
 
 【戦士の勲】-1400SP(ラムーナ)
 【交霊の異能】-3000SP(レナータ)まで購入
 (ここで『風屋』販売表示バグ発覚。1400SPではありません。単に値札が間違ってるだけのバグなので、Ver0.99J以降で修正します)
 
・『古城の老兵』(SIGさん)
 【ロングソード】(シグルト)
 …しばらくアロンダイトが使えないことを考慮して手に入れた予備の剣。
 
・『魔剣工房』
 デッドマンズ・マウス編
 
 【碧曜石】
 【金鉱石】
 【風精王召喚】
 【活力の霊薬】まで入手
 
・『希望の都フォーチュン=ベル』(Djinnさん)
 館の魔物退治
 
 報酬+700SP
 
 
・『魔剣工房』
 最終イベント
 【トールハンマー】入手

 【金鉱石】2個売却
 【紅曜石】2個売却
 【黒曜石2】個売却
 【緑曜石】2個売却
 【碧曜石】2個売却
 
 合計+8000SP
 
 【ソウルイーター】(お金にする予定)
 【魔崑石】
 【バロの指輪】
 
 【カドゥケウス】購入(-2000SP)
 【真なる銀の鎧】購入(-1500SP)

◇現在の所持金 6001SP◇(チ~ン♪) 
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CWPC6:レナータ

 “風を纏う者”と“風を駆る者たち”の別れは、アレトゥーザから少し離れた街道の分かれ道で訪れた。
 
 南下してフォルトゥーナに行くという“風を駆る者たち”に、シグルトはこれが長い別れになるだろうことを予感していた。
 
「ニコロ、君たちには世話になったな。
 
 また逢おう。
 …約束だ」
 
 そっと差し出されたシグルトの手を、ニコロがしっかり掴む。
 
「さよならは言いません。
 
 また何れ逢いましょうっ!」
 
 そう言うとニコロは一度目を閉じ、そしてシグルトの青黒い目をしっかり見つめた。
 
「…レナータさんをよろしくお願いします」
 
 ニコロにとって、レナータは憧れに近い感情を抱いていた女性である。
 彼女との別れもつらいが、違う道を歩むことを、ニコロは心に決めていた。
 
 レナータはシグルトたちとリューンに向かうことになっている。
 そして、シグルトたちはレナータを6人目のメンバーとして誘ったのである。
 
 レナータはリューンに向かうまで答えを考えてみるらしいが、ニコロにはレナータがシグルトたちの誘いを受けるだろう、となんとなく分かってしまった。
 
 シグルトたちの仲間は魅力的で、そのスタイルは家族のようである。
 レナータが家族というものに憧憬を抱いていることを、ニコロは精霊術を習う最中、聞き及んでいたからだ。
 
(シグルトさんなら大丈夫だ…)
 
 見つめる先でニコロにしっかり頷き返す男は、死の淵から蘇ってレナータを救おうとしたのだ。
 その仲間や親しいものへの責任感は、ニコロがシグルトに抱く好感の最もたる要因である。
 
 別れを惜しむ2人の横で、それぞれのメンバーたちも別れを惜しむ。
 
「ユーグ、たぶん長い別れになるわね。
 
 ま、戻ったらリューンのうちの宿に顔出しなさいよね。
 面白い話をしたら、高級酒の一本ぐらい奢ってあげるから」
 
 レベッカの言葉に、ユーグがにやりと笑う。
 
「お前みたいな怠け者は鈍りやすいんだぜ。
 
 贅肉がつかないように食いすぎには気をつけろよ」
 
 しかしレベッカはこの挑発に乗らず、軽く肩をすくめ、ガリーナに目線を向けた。
 
「…コイツの面倒見るのは大変そうだけど、ガリーナさんも頑張ってね」
 
 そういったレベッカに、ガリーナが頷く。
 
「まったくよ。
 
 もう少しいろんなことで洗練した奴になるよう、教育しておくわ」
 
 レベッカと同じように肩をすくめるガリーナに、ユーグが、そりゃひでぇ、と情けない顔をする。
 
「帰ってきたら、またお話しようよ。
 
 それまでに僕も、もっと勉強しておくから」
 
 ロマンがその横で言うと、ガリーナは黙って少年の手を取って握手し、頷いた。
 
「…私は東にある聖地に行ってみようかと思います。
 
 スピッキオ殿、お名残惜しいですが…」
 
 レイモンが頭を下げると、スピッキオは黙って首にかけていた小さな銀のクロスを外し、手渡した。
 そのクロスにはトルコ石の飾りがある美しいものだった。
 
「このクロスは…?」
 
 スピッキオは聖地なある方角を遠い目で見つめると、ふっと微笑む。
 
「かつてわしも彼の地に巡礼し、そして帰って来たのじゃ。

 それは私が司祭となって旅立つとき、形見として友がくれたもの。
 ともに信仰の道を求める者として、レイモン殿に差し上げよう。
 
 わしはこの聖印に誓ったことを既に果たしたのでな。
 
 貴殿の求める道が得られるよう、祈っておりますぞ…」
 
 トルコ石。
 渡した相手に幸運を贈るとも信じられている宝石である。
 
 レイモンは頷いてそれを首にかけた。
 オーベがそれを頷きながら見つめている。
 
 そして手を取り合って別れを惜しむラムーナとエイリィ。
 
「エイリィちゃん、私たち離れてもお友達だよ」
 
 ラムーナの言葉に頷くエイリィ。
 
 分かれて先に旅立つ“風を駆る者たち”。
 名残惜しそうにレナータが、彼らの姿が見えなくなるまでずっと見送っていた。
 
 2つの大きな風はこうして別れを惜しみ、違う道へと吹いて行くのだった。 
 
 
 別れの後、“風を纏う者”とレナータはフォーチュン=ベルを経由してリューンにたどり着いた。
 
 宿の親父は、一行の帰還を喜んだ。
 
 レナータは、シグルトたちの誘いを受けて、冒険者をすることになった。
 今の彼女は手持ちの財産がほとんどない。
 それに、冒険者ならばまたアレトゥーザを訪れることも出来る。
 彼女1人で行動するよりも安全だろう。
 
 それに、今回の一件でレナータはシグルトの持つ危うさが気になっていた。
 自分のために死の淵から蘇った男。
 この男の行く末を見届けることも自分がすべきことなのだと、レナータは決心した。
 
 宿の親父は、“風を纏う者”の新しい仲間を暖かく歓迎してくれた。
 親父の話では、精霊術師は数が少なく、特に水の精霊術の専門家であるレナータのような技術を持つ者が、宿にはほとんどいないというのだ。
 
 そしてレナータがやってきたことを知り、かつて彼女に精霊術を学んだという者たちが尋ねてきた。
 レナータは新しい自分の居場所が出来たことに、暖かな気持ちになるのだった。
 
 
 レナータが宿に来て数日。
 
 彼女にとっては冒険者としての心得を学んだり、レベッカと生活のための備品をそろえたり、リューンを散策して精霊宮を訪ねたりと、忙しい毎日だった。
 
 “風を纏う者”の者たちはレナータをとても大切にしてくれた。
 
 レベッカはここ数日、つきっきりで世話を焼いてくれた。
 同性のレベッカは、気兼ねなくいろいろなことを尋ねることができたし、女性特有のさまざまな悩みにどう対処すべきかも、こと細かく教えてくれた。
 
 ロマンは、理知的なレナータに精霊の性質や、精霊術の話をよく質問した。
 かわりに、歴史や言語のことでレナータが相談すると、ロマンはとても頼りになる先生だった。
 ロマン曰く、“風を纏う者”は冒険者たちの中でも知性派らしい。
 
 シグルトは武芸の知識が豊富で、そのほかにも伝承に詳しい。
 レベッカは俗っぽい知識や雑学に優れ、料理が上手。
 ラムーナは踊りや音楽、東方の文化をよく覚えている。
 スピッキオは神学に詳しく、その方面の歴史に明るい。
 そしてロマンは魔術に詳しく、博学である。
 
「レナータは精霊のことに詳しいでしょ?
 
 僕らは酔狂で仲間を選んだりしないよ。
 実力も専門知識もあって、性格的に問題が無いから仲間に誘ったんだ。
 
 僕らは組んで1年近いけど、今はちゃんとしたプロ意識がある。
 
 そうじゃなきゃ、冒険者で名を売ってやって行くことはできないよ」
 
 レナータが正式に仲間になった夜。
 “風を纏う者”主催で歓迎会が開かれた。
 
 “風を纏う者”のメンバーは、仲間になるからと、レナータを皆呼び捨てで呼ぶことになった。
 レナータはまだ慣れず、ついいつもの丁寧な口調で敬語をつけてしまうのだが、“風を纏う者”の仲間たちは、認めた仲間に対してはかなり踏み込んだ付き合いをする様子だった。
 
 レベッカが女性冒険者としての教育。
 ロマンがまだ不自由な西方の様々な言葉や基礎知識を教えてくれる。
 
 そして、レナータを一度仲間として認めた“風を纏う者”のメンバーは、遠慮の無い行動で応えた。
 
 本来毒舌な傾向があるロマンは一番厳しかったが、教えてくれる知識は分かりやすく、特別扱いしない態度がレナータには嬉しかった。
 
 レベッカは少しレナータに甘かった。
 優しいのとは少し違う。
 
 ラムーナに言わせると、
 
「話の分かる女の子同士だから浮かれてるんだよ」
 
 とのことだ。
 
 確かにレベッカは親切だったが、それ以上に困惑するほど食事や買物に連れまわされた。
 
 生まれてこの方贅沢とは無縁だったレナータにとって、食堂で美味しいものを食べたり、綺麗な衣装を見て歩くのは衝撃的だった。
 
 だが、レベッカは優れた教師でもあった。
 
 買物をする中で、上手な値引き交渉の仕方や、良い商人と悪い商人の見分け方を丁寧に教えてくれた。
 
「冒険者っていうのは狡猾さも必要よ。
 
 誠実さ…人間として貴女が護るべきプライドは大切にすればいいわ。
 
 でも、仲間を助けるためや生活するために、騙されないことや商売敵を出し抜く狡さは持ってないと損をするの。
 
 レナータ、貴女は遠慮しすぎるところがあるわ。
 仲間として適度な謙虚さは大切だと思うけど、卑屈さやあきらめは仲間の迷惑にもなるのよ。
 やる時は遠慮なく。
 意見を出す時もはっきりと。
 
 仲間の義務って、そういう気兼ねの無さにもあるんだから…」
 
 自発的に仲間のために行動することが大切だと、レベッカは言う。

「あと貴女は美人だから、自分の女という部分を護るのに遠慮しちゃだめよ。
 
 ゴロツキや酔っ払いに絡まれたら、ちょっとぶちのめすぐらいは自分でしなきゃなめられちゃう。
 
 本番の戦闘ではシグルトやラムーナをどんどん頼っていいけど、最低限は自分を守る力を備えておいてね。
 
 貴女は私たちの仲間であり、家族なんだから、貴女が傷つくのは私たちの損失なの。
 それを理解したうえで、自身を大切に護らなきゃいけないわ」
 
 短い間にレナータはレベッカを姉のように慕っていた。
 正直、限定的な部分ではシグルトより心を許している。
 
 ラムーナはレナータの側にいることが多くなった。
 彼女に言わせると、彼女の死んだ姉にレナータは雰囲気が似ているのだそうだ。
 
 ラムーナが冒険者になるまでの経緯を話してもらった時、レナータは衝撃を受けて涙を流した。
 ラムーナのような愛らしい娘が、砂を噛むような少女時代を送ったこと。
 それは、レナータにとっても自分に重ねて感じさせられることがたくさんあった。
 
 自分のために泣いてくれたレナータを、ラムーナは大切にしてくれた。
 それはレナータの心を暖かくしてくれた。
 
 スピッキオは、最初聖職者として近寄りがたい部分があった。
 増してスピッキオはレナータを迫害した聖海の徒である。
 
 しかし、レナータの警戒はここ数日で綺麗になくなっていた。
 
 スピッキオは己の倫理を語ることはあるが、強制はしない。
 
「わしの説く話から、聞いたものが己で倫理や信仰を抱くこと。
 
 これが聖海の《大海の寛大さ》というものじゃ。
 こう言うと高慢に聞こえるかの?
 
 わしが強制したとして、それは《信仰》ではないのじゃよ。
 自身で信じ仰ぐのが信仰じゃ。
 
 保守派の連中は、そんな単純なことが理解できぬ。
 
 わしは歴史を説くが、それが真実かどうかなどは、正直どうでもよいのじゃ。
 説かれた話が、その人の心と生を救うために信じられること。
 
 それが神の教えというものなのじゃ」
 
 スピッキオは人としての倫理を説くが、信仰については説教したとしても強制はしなかった。
 
 レナータにとって、アレトゥーザのマルコ司祭と同様、スピッキオは信頼できる聖職者となった。
 それに、精霊術を使うとはいえ、レナータは聖北や聖海の神に対しても畏敬は抱いていた。
 
 レナータにとって、スピッキオは《精霊術と聖海の信仰は同居できる》と信じさせてくれる存在になった。
 
 
 ここ数日、レナータはシグルトとはそれほど行動をともにしていなかった。
 
 シグルトがレナータを蔑ろにしたのではない。
 彼なりに時間を作り、レナータに護身の体術を教えてくれたり、リューンを案内してくれたりした。
 
 しかし、シグルトは人気者で多忙だった。
 
 宿にいる時のほとんどは後輩冒険者の指導をしている。
 
 シグルトの話だと、シアという引き取って冒険者の道に入れた娘や、シグルトたちが宿に誘った後輩冒険者もいるらしい。
 
 後輩を指導しているシグルトの行動は、彼の面倒見の好い性格を如実に表していた。
 だが、シグルトの《仲間》という《特別》になれたことが、レナータには少し誇らしく感じられた。
 
 そして、レナータはだいぶリューンの生活に慣れはじめていた。
 
 
 ある時、レナータが精霊術の指導を請われ宿で生徒に術を教えていると、これ見よがしにレナータの陰口を言う2人の女性冒険者がいた。
 
「あんな小便女(水の精霊術師への揶揄)のどこが気に入ったのかしらね」
 
 そう言ったのはゼナという火の精霊術師だった。
 精霊宮で会ったことがあるが、こちらの会釈を無視した女性だ。
 
 くすんだ赤っぽい茶色の髪に切れ長の目。
 火の精霊は好戦的な術者を好む。
 そして、火の精霊術師と水の精霊術師は基本的にエルフとドワーフほど仲が悪い。
 
「さあ、顔は良いみたいだけど。
 
 あの暑苦しい外套とかセンスがありませんわ」
 
 神官風のブロンドの女性だ。
 レシールという聖北教会の元神官である。
 
 さすがにむっとするが、むきになって相手をするのも馬鹿馬鹿しい。
 
 そんなレナータの表情をみて、生徒のアルダという女精霊術師がそっと言った。
 
「レナータさんに嫉妬してるんだよ、あいつら。
 
 前に“風を纏う者”に仲間にしてくれるように売り込んだら、レベッカさんとロマン君に追い払われた連中なの。
 高飛車で性格悪いんだよ~
 
 それに2人ともシグルトさんにお熱なんだ。
 
 シグルトさん、格好良いからもてるんだけど…レナータさんみたいに親しくする女の人って、ラムーナさんやレベッカさんぐらいだから、面白くないみたい」
 
 アルダの言った話はレナータも聞かされていたことだ。
 レベッカが確か同じようなことをぼやいていた。
 
 レナータはもともとあまり人に接触しない生活をしていた。
 せいぜい水の精霊術に興味を持った冒険者や精霊術師に、術を教えるぐらいで他での付き合いは限られていたのだ。
 だが、実際に冒険者の宿という場所に住んでみると、人間の付き合いが好い意味でも悪い意味でも大きくなったように思う。
 
 自分を慕ってくれるアルダのような知人や冒険者たち。
 反対にゼナたちのように嫉妬やライバル意識を燃やして嫌味をいう者。
 
 レナータは正直こういう人付き合いはまだ苦手だった。
 
 ふうっ、とため息をついたレナータに、アルダも苦笑する。
 
 すると、ゼナが立ち上がってこっちに向かってきた。
 
「ねえ、そこの後輩…
 
 その水っぽい奴より私の方が先輩なのよ?
 馬鹿犬みたいに、尻尾振ってさ。
 
 あんたは将来男にもそんなに尻軽になるのかい?」
 
 レナータたちが何も言わないと分かると、調子に乗って暴言を吐く。
 見れば少し酒が入っている様子だ。
 
「…いやだなぁ、先輩。
 
 私だってお尻を振る相手ぐらい選びますよ。
 少なくとも昼間からお酒を飲んで絡むような頼りない人にはしませんから」
 
 ゼナの暴言に痛烈な皮肉で返すアルダ。
 
「…何だってっ!」
 
 真っ赤になって怒るゼナは、釣り目がちな目をさらに鋭くして向かってくる。
 
「別に先輩のことじゃありませんよ~
 
 でも、怒るってことは自覚あるんですね」
 
 アルダが挑戦的な目でゼナを睨む。
 
 ゼナが肩の力を抜いた。
 
「…よく言ったわ、後輩。
 
 その薄汚い尻を焦がしてやるから外に出なさい」
 
 ゼナの使役する火蜥蜴(サラマンダー)がちろちろと燃える舌を出しながら現れる。
 さすがにアルダも言い過ぎたと思ったのだろう、ごくりと唾を飲み込んだ。
 
「…大人気ないですよ、ゼナさん。
 
 それに、正気ですか?
 頭にきたからって火の精霊を街中で召喚するなんて…
 
 そんな無茶をすれば精霊宮の出入りだって禁止になります」
 
 レナータは本来こういうことの仲裁に入ったりはしなかった。
 かつて魔女と呼ばれていた自分では状況を悪くする一方だったからだ。
 
 だか、このリューンではレナータはごく普通の精霊術師の1人である。
 それに、同じ精霊術師の暴走を止めるのも、自身の属する《精霊術師たち》という見えないグループの1人として必要だと感じていた。
 シグルトたちの中に入って、1人の暴走がひとつの社会にとってどれだけ迷惑になるか、ということを考えさせられるようになったからだ。
 
「…っちぃ。
 
 あんた、町の外であったら覚えておきなよ」
 
 そう言って踵を返すゼナに、レナータは優雅に礼で返した。
 
 レナータは見かけによらず大胆だとレベッカが評していた。
 迫害に挫けずアレトゥーザで、たった1人で生きてきたレナータである。
 
 いざ行動を思いつけば迅速だった。
 
「…お見事だったわ、レナータ」
 
 すっと扉を開けて現れたレベッカに、ゼナたちがぎょっとしている。
 
「私たちがレナータを仲間に入れたのって、その豪胆さと聡明さからってのもあるのよねぇ。
 
 今の行動を見れば、人選ミスはなかったわ。
 ま、私たちが選んだ仲間にこれ以上何かちょっかいかけてたら、私も容赦はしなかったけど?」
 
 レベッカの冷たい微笑みに、ゼナたちがブルリと震えた。
 
「あ、あはは。
 
 嫌ねぇ、冗談よ。
 私たちだって、“風の繰り手”レベッカに喧嘩を売るようなことはしないわよ」
 
 “風を纏う者”を陰で動かし、地獄耳で抜け目の無いと言われているレベッカは、中堅冒険者たちの中でも特別恐れられていた。
 レベッカの時には冷酷非情な行動は、静かな畏怖として語られているのである。
 
 そそくさと逃げていく2人組みに、あきれたようにレベッカは息を吐いた。
 
 普段はだらしなく怠け者で遊ぶのが好きなレベッカだが、行動に無駄が無く抜け目も無い。
 
「お、アルダちゃん勤勉、勤勉。
 
 今の頑張りはよかったわ。
 今晩、一緒に飲みにいかない?
 
 奢るわよ」
 
 レベッカはものすごい酒豪である。
 話によると、毒や酒精(アルコール)を抜く訓練をしているそうだ。
 
 そして、実はレナータもお酒には強かった。
 
 普段はお金がかかるので飲まないのだが、水の精霊の浄化能力を持つレナータはレベッカと差しで飲めるほどだ。
 酒精の分解が早いのである。
 それにお酒は決して嫌いではない。
 
 近くで奢ってもらえることに喜んでいるアルダが、おそらく真っ先に酔いつぶれることを予測しつつ、レナータは軽くため息をついた。
 
 
 次の日の朝、二日酔いで呻いているアルダを水の精霊を使って癒し(この能力は宿で重宝がられていた)、レナータはなんとなく宿の外を散歩していた。
 
 朝のリューンはまだ賑やかではないが、足早に歩く職人や商人たちの足音が早く、小気味よく聞こえてくる。
 賑やか過ぎるのは嫌いだが、これから仕事に精を出そうと歩く人々の息吹は、レナータには眩しく感じられた。
 
「…おはよう、レナータ」
 
 ぼんやり人の歩を見ていたレナータは、深くよく通る声に振り向いた。
 
 シグルトである。
 見れば大きな荷物を抱えていた。
 
「おはようございます。
 
 どうなさったんですか、その荷物?」
 
 シグルトは、ああこれか、と中身を1つ取り出して見せた。
 
「…玩具?」
 
 それは木で出来た粗末な玩具だった。
 かなり使い古されている。
 
「前に、とある老婦人の家に物を届けたことがあってな。
 
 その孫が昔使っていたというものだ。
 いらないというからもらってきた」
 
 レナータにはどうしてもシグルトと玩具の関係が浮かばず、ついぽかんとしてしまう。
 
「…一緒に来るか?」
 
 少し秘密めいた笑みを浮かべ、シグルトが誘った。
 どうやら論より証拠ということらしい。
 
 頷いてレナータがシグルトについていく。
 
 シグルトは荷物の量を苦にもせず歩いていくが、レナータの歩幅に合わせてくれていた。
 彼は口より行動するタイプの人間だ。
 
 そして数分。
 シグルトがやってきたのはこじんまりとした教会であった。
 その正門の隣の小さな入り口に入っていく。
 
 そこには『聖サミュエル孤児院』と書かれている。
 
「ああ~っ!
 
 シグ兄ちゃんだ~」
 
 庭で遊んでいた1人の子供が声を上げると、子供たちが駆け寄ってくる。
 
「…皆、好い子にしていたか?」
 
 レナータはふわりと微笑んだシグルトの横顔に、思わず見とれてしまった。
 戦う厳しさ、いつもの苦笑…
 その時に感じる厳しさや悲壮感の無い、素直な笑み。
 
 荷物を降ろし、一人一人の頭を優しく撫でるシグルトは、いつもの勇敢で厳しい彼のイメージとは違って見えた。
 
「あらあら、シグルトさん。
 
 また来てくださったのですねぇ」
 
 現れたのは、ふくよかな中年に差し掛かる僧服の女性である。
 
「シスター、御無沙汰しています。
 
 良い物が手に入ったので」
 
 そう言って、シグルトは一つ一つ袋から玩具や人形を取り出し、子供たちに配っていく。
 
「…あら、貴女は?」
 
 シスターがレナータに気付き、声をかける。
 
「はじめまして。
 
 私はレナータ アスコーリと申します。
 シグルトさんの、その仕事仲間で…」
 
 シスターは大きく頷く。
 
「あらあら。
 
 それじゃ、とっておきのハーブティーを御馳走しますわ。
 奥にいらして」
 
 手を引かれて、レナータが困ったようにシグルトを見ると、シグルトは大きく頷いて微笑んだ。
 
 
 奥でハーブティーを御馳走になりながら、レナータはシスターと向かい合っていた。
 
「…その御様子では、ここにシグルトさんがいらっしゃるのは初めて知ったのでしょう?」
 
 レナータが頷くと、シスターは優しげな笑みを浮かべて、窓の外を見た。
 
「前にここは暴力的な手段で地上げされそうになったことがあったのです。
 
 私は銀貨三百枚で冒険者の宿に依頼をしましたの。
 ここを護ってほしいと。
 
 でもそんなわずかなお金で依頼を受けてくださる方はいなかった。
 そんな時、ここを通りかかったシグルトさんが助けてくださったの。
 
 もう1人のお仲間のレベッカさんという方が交渉してくださって、ここには手を出さないと嫌がらせをしていた商人に約束させて、時々様子を見に来て…
 
 そして、子供たちと遊んでくださるの」
 
 レナータはシグルトらしい、と思った。
 彼は硬派で厳しい、孤高の印象を他人に与える。
 しかし、見た目よりかなり情に厚い人物である。
 
 彼の信条は弱者を見捨てないこと。
 
 レナータという友のために、その命を賭すことを躊躇うことはなかった。
 
 リューンに向かう道中、何気ないことからシグルトの無茶をレナータが咎めたとき、彼はこう言った。
 
〝俺に出来ることなんて、ほんの少しのことでしかない。
 
 でも、それでも手が届きそうな場所に、理不尽に嘆く人がいるなら…
 俺はおそらく救いたいと思う。
 
 これはかつて友を救えなかった俺の独我(エゴ)だ。
 
 でも、俺がしたいと思う本心なんだ〟
 
 その言葉を聞いた時、レナータはシグルトの側で彼を助けたいと思った。
 そして冒険者になることを心に誓ったのである。
 
「レナータさんはシグルトさんを愛していらっしゃるの?」
 
 ふと聞いたシスターの言葉にレナータは少し考え込んだ。
 
 そして、静かに頷く。
 
「…私は彼を男性として愛しているのかは分かりません。
 
 でも、彼の側で彼のために尽くしたい…それは今の私の本心です。
 それが愛というなら、私は間違いなく彼を愛しています。
 
 シグルトさんは私を友であり、仲間だと呼んで下さいます。
 そして私のために命をかけて戦ってくれました。
 
 私もたぶん、今はシグルトさんと同じ気持ちなのだと思うんです。
 
 私が彼の側にいると、男性と女性の関係として受け取る方は多いです。
 でも、今の私たちは家族であり友人であるような気がするのです。
 
 これからどうなっていくのかは私も分かりません。
 
 彼が男性として魅力的なことも分かります。
 けれど、今はただ側で一緒に生きてみたい、そんな気がするんです」
 
 レナータは正直に今の気持ちを口にした。
 
「ふふ、レベッカさんと同じことをおっしゃるのね。
 
 でも、貴女がもし女性として彼を愛するようになったのなら、辛い試練が待っているでしょう」
 
 少し言いよどむように眉をひそめるシスター。
 
「…前に聞いたことがあります。
 
 シグルトさんは故郷で愛し合った女性がいたと。
 レベッカさんもそのことを私に言いました。
 
 それに、彼に思いを寄せる女性は多いけれど、シグルトさんは故意に恋愛を避けているって。
 
 でも、私はそれもシグルトさんだと思います。
 私はそんな一途なシグルトさんを尊敬しています。
 
 そして、彼と仲間になって下さった皆さんと…生きたいんです」
 
 レナータの言葉にシスターは目を丸くする。
 そして優しげな笑みを浮かべる。
 
「…レナータさん、それが本当の愛であり、慈しむということです。
 見返りを求めない純粋な好意と献身。
 
 余計なことを言ってしまいましたわね」
 
 レナータは軽く首を横に振った。
 
「今、自分の言葉にして私も確信できましたから。
 
 来て、よかったです」
 
 そう言ってレナータは、窓の外で子供たちと戯れるシグルトを眩しそうに見つめた。
 
 
 孤児院からの帰り道。
 シグルトとレナータは並んで歩いていた。
 
 爽やかな微笑を浮かべるレナータ。
 子供と遊んだ疲労で汗に濡れながら、どこか安堵したようなシグルト。
 
 端整な顔立ちの2人が並んで歩いていると、とても絵になった。
 すれ違う人々が興味深げな顔で振り返ることもあった。
 
「半日つき合わせてしまったな。
 
 疲れなかったか?」
 
 シグルトが汗を拭いながらレナータに聞く。
 
「いいえ、ちっとも。
 
 子供って可愛いですね…」
 
 レナータが微笑み返すと、シグルトは、ああ…と頷いた。
 
「…シグルトさんはどうして子供のために、一生懸命になるんですか?
 
 聞きました。
 シアという女の子の身元を引き受けているって。
 
 シグルトさんが子供を好きなのは今日分かりましたけど、そこまでしたいと思うのは…何故ですか?」
 
 レナータの突然の問いに、シグルトは少し黙った。
 
 そして空を見上げると、流れる雲を見つめながら呟くように口にした。
 
「よくはわからん。
 
 だが、子供たちには何というか、笑っていて欲しいんだ。
 孤独は子供を荒ませる。
 餓鬼の頃、俺はただ母と妹を護ることにこだわって、親しい者を作らず力んでささくれていた。
 
 だけど、初めて友ができて、一緒に遊んだり一緒にいることの暖かさを憶えた。
 その時に思ったんだ。
 
 子供のうちは笑えるだけ笑って、大人になれたら子供を笑わせられる大人になりたい、と。
 
 俺が何かしたからって、子供が常に笑ってくれるかはわからない。
 でも、できることを何かしたいと思ってる…」
 
 そう言って、わけわからないこと言っているな、と苦笑するシグルト。
 レナータはその碧い瞳に幸せそうな光を湛えてじっとシグルトを見つめ、華が咲くように微笑んだ。
 
 そしてそっとシグルトの手を取る。
 
「遅くなってしまいましたね。
 
 早く帰らないと、夕食に間に合いません。
 急ぎましょう…《シグルト》」
 
 レナータに手を引かれ、一瞬ぽかんとしたシグルト。
 しかしすぐに笑顔でレナータの手をしっかり握り返す。
 
「そうだな。
 
 うちの宿の冒険者は、大喰らいばかりだった…」
 
 シグルトの鍛えられた武骨な手を握り締め、レナータは想う。
 
(私はこんな彼が好き。
 
 私と歩んでくれる皆が好き。
 
 だから、一緒に生きたいっ!)
 
 そして…
 夕日に照らされて寄り添う2つの影は、足早に『小さき希望亭』を目指すのだった。

 
 
 久々にリプレイ更新です。
 
 連れ込んだレナータをPCにするために、実は5人で始めました。
 これからレナータは少しずつ孤独から共に仲間と歩むスタイルに変わっていきます。
 
 Martさんの考えるレナータのイメージとずれてないとよいのですが。
 
 私がレナータに持つイメージは、水のような泰然さです。
 生き方も歩み方も、水のように深く自然であるような気がしたのです。
 
 シグルトとレナータがくっつきそう、という予想だった方は多かったみたいですが、赤くなって照れて嫉妬乱舞して、というイメージが、私にはどうしてもピンと来なかったのです。
 
 そこで、今回みたいな爽やか路線にしました。
 
 重ねて言いますが、シグルトとレナータはまだ恋愛関係ではありません。
 2人の間にあるのは親しみと信頼であり、恋とは微妙に違うのです。
 ストレートなシグルトと、泰然としたレナータのイメージで、信頼しあって手を携えるような…
 
 私、手を繋いで真っ赤になる初心な描写も、性描写のあるエロティックな描写も、いろんな恋愛描写を興味深く感じていますが、この2人の関係はまず第一に《友愛》のイメージで描きたかったのです。
 
 レベッカもシグルトに対して《家族愛》を抱いていますから、どんな風にこの先なるのか、私にも見当がつきません。
 
 シグルトが女性に人気があるのは、誠実で強いからです。
 この時代、女性を護れる甲斐性って大切だったと思いますし、そこに容貌がよくて将来有望で、性格が信頼できるとくれば、人間的に魅力を感じる者は結構いるんではないかと思うのです。
 異性なら《恋愛》に繋げる考えもあるでしょうし。
 
 実はシグルトが女性に人気があるというある意味俗っぽい描写、したくありませんでした。
 でも、まったく女性にもてないというのは、容貌と性格からしてありえんなぁ、と考えて仕方なく…
 こういう描写、書いてると背筋が痒くなるのですよ。
 
 次は“風を纏う者”の強化作戦です。
 5レベルに向けて頑張りますね~
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『荒波を裂く風』

 “風を駆る者たち”と“風を纏う者”が『蒼の洞窟』に集結したのは、その日の夕方だった。
 
 まずレナータのもとに真っ先にニコロとエイリィが駆けつけ、彼女に事件の発端となる理由を聞きつつ、彼女を守っていた。
 
 そしてレイモンとオーベが『悠久の風亭』のマスターと到着。
 
 最後、日が傾いてきた頃にユーグとガリーナ、そしてシグルトを欠いた“風を纏う者”の4人が洞窟にやってきた。
 
 先に洞窟にいたメンバーは互いの情報を交換しながら励まし合い、士気を高めていた。
 だが、皆一様に何か胸騒ぎと不安を感じていた。
 突然アレトゥーザの臨む碧海が凪いでしまったこともその不安を強いものにしていた。
 ニコロやレナータには精霊たちが、塞ぎこんでしまったように感じられた。
 
 おそらくは今回レナータを生贄にしようとする魔女狩り騒動と、聖海保守派の動き、そして近海で蠢く海賊たちも関わっているのかもしれない。
 
 やっとユーグたちが到着した時、待っていた者たちはほっとしたのである。
 
「遅かったじゃないか!」
 
 ニコロが焦りと安堵が入り混じった顔で、ユーグとガリーナを迎えた。
 しかしやって来た2人は、ともに暗い表情である。
 
 レイモンは、一緒にやってきた“風を纏う者”のメンバーの悲壮な様子に驚いた。
 
「…シグルトはおらんのか?
 
 まぁ、あの身体では宿で休んでおった方がよいじゃろうがの」
 
 オーベががそういうと、やってきた者たちは一様にびくりと反応した。
 
「…あのね、オーベ。
 
 何というか、話し難いことなんだけど…」
 
 いつもはっきりものを言うガリーナがこのように言いよどむのは珍しい。
 他の面々も、ただ事ではないことが起起きたのだと推測できた。
 
「…シグルトはいないわ」
 
 意外にもレベッカがはっきり言った。
 彼女のやつれた様子に、“風を駆る者たち”のメンバーも息を飲む。
 
「どういうことですか?」
 
 レイモンは嫌な予感がしつつ、それでも聞いた。
 
「…シグルトは死んだわ。
 
 ジョドっていうレナータちゃんを襲った侍祭に殺されたの」
 
 死んだ、という一言で場が凍りついた。
 
「なっ、あのシグルトが死んだって?
 
 冗談にもほどがあるぞ、レベッカ!!!」
 
 いつもの大声で『悠久の風亭』のマスターががなる。
 だが、“風を纏う者”のメンバーの様子は側で見れば酷いものだった。
 
「う、嘘だ、そんなの嘘だっ!!」
 
 そう言ったニコロは、小さな風の動きを感じてそちらを見る。
 それは所在無げに“風を纏う者”の周囲を飛び回る風の精霊たちだった。
 
 ニコロやレナータには見覚えがある。
 
 その精霊たちは、いつもシグルトの側に居たがった風たちだ。
 特に、海風の強いアレトゥーザでは決してシグルトから離れずに側にいた。
 そして、その精霊たちは半分狂いつつあるのが分かる。
 
 精霊が狂うのは、依存していた主や寄り代を失った場合が最も多い。
 
「「なんだい、このシルフどもは狂いかけているじゃないか」」
 
 ニコロの側にいるナパイアスが鼻白む。
 
 ニコロは精霊たちの声を聞く。
 
「「居ない、居ない、シグルトが居ない。
 
 殺された、刺されて海に沈んだ。
 
 どこにも居ない。
 シグルトが居ない…」」
 
 普通は澄んでいる瞳が赤黒く濁り、風の精霊たちは呻きながらふわふわと飛び回っていた。
 
 そして、ニコロの目にはっきりとその映像が映る。
 
 澱んだ目で嗤い、短剣を振りかざすジョド。
 何度も刺され、血を吐いて、縛られたまま海に蹴り落とされるシグルト。
 刺された箇所の一箇所が胸の辺りで、致命傷であることがはっきりと分かった。
 
「っっ、ぃ、いやぁぁぁぁっ!!!!!」
 
 目を見開いたレナータが絶叫した。
 
 おそらくはニコロと同じく、精霊の記憶を垣間見たのだろう。
 風の知らせというぐらい、風の精霊は記憶や情報を精霊術師に伝えることがある。
 
「嫌、嫌、嫌ぁぁぁ!!!!」
 
 パニックを起こして叫ぶレナータを、マスターが慌てて抱き押さえる。
 
 ニコロは何も出来ず呆然としていた。
 そのくらい、風の精霊が見せた映像はショッキングで凄惨なものだった。
 
 レナータはマスターを振り切って水の精霊を召喚すると、シグルトを探すように頼む。
 特別水の精霊力が強い『蒼の洞窟』では、精霊の力を高め、情報を精霊に探らせることも出来るのだ。
 
 しかし、その水の精霊の言葉は残酷な真実を告げた。
 
「「その人は海の底。
 
 姫様のいる、海の底。
 
 血を流して沈んでいった。
 
 息吹も血潮の流れも、止まったまま沈んでいった。
 
 そのままずっと、海の底…」」
 
 ぺたりと、レナータは力が抜けたように座り込んだ。
 
 ニコロの前であれほど苛々していたレナータが、倒れそうな疲労の中で心の平静を取り戻していたのは、シグルトの言葉があったからだ。
 
 レナータはニコロたちに、洞窟でシグルトが励ましてくれたことを誇らしそうに話してくれた。
 自分に友として生きていてほしいのだと言ってくれたことを、大切な宝物のように。
 
 ソレント渓谷に行く前、ニコロを励ましてくれたシグルトの姿が浮かぶ。
 公正で優しくて、いつも苦笑していた少し年上の冒険者。
 沢山の悲しみを味わいながら、それでもしっかりとした意思で立つことを示し、ニコロの旅立ちを支持してくれたシグルト。
 
「畜生…こんな、こんなことって…」
 
 何も出来なかったことが悔しくて、ニコロは拳を痛いほどに握り締めた。
 
 レナータが誕生日にシグルトからもらったペンダントを握り締める。
 
「…嘘つき…
 
 待っていてくれって、言ったのに」
 
 レナータの碧い瞳から、涙が零れ落ちた。
 
 
「…起きろ、ルト」
 
 シグルトは懐かしい呼び方に、目を開けた。
 ルト。
 シグルトの幼馴染は、妹と同じ発音がある名前をそのまま呼ぶことを面倒くさがり、略してそう呼んだ。
 彼の妹のシグルーンも、ルーンと呼ばれていた。
 
 もう決して聞くことは出来ないと思っていた声。
 シグルトが声の主を探すと、くすんだブロンドの陽気そうな若者が悪戯っぽい笑みを浮かべて立っていた。
 
「…ワイス、か?」
 
 シグルトにワイスと呼ばれた若者はしっかりと頷いた。
 
「とうとうお前もここに来ちまったな。
 
 無茶ばっかりしやがってよ…」
 
 仕方ない奴だ、とワイスは肩をすくめた。
 
 そこは蒼い空と、清らかな川のある美しい場所だった。
 シグルトが起きた所は川辺の柔らかな草の上である。
 そしてワイスの後ろには大きな森が広がっていた。
 
「…そうか、俺は死んだのか」
 
 納得したように胸を撫でる。
 そこはまだ血で紅く染まっていた。
 
「…おかしなものだな。
 痛みも苦しみも無い。
 
 これが、死か…」
 
 ふわふわと浮いたような所在の無い感触に、シグルトは眉をひそめた。
 
「俺やエリスは教会に神の園へ入ることを神の言葉で否定されたから、まだここを彷徨っているんだ。
 
 ここは赤銅と青銅の魂の者たちが、その記憶が融ける前に訪れる、混沌の海へ続く死の川のほとりだ。
 生への執着が強いものや、俺やエリスのように信じた信仰の世界に否定された者が留まる場所でもある。
 
 エリスはお前の恋慕。
 俺はグールデンへの復讐。
 
 未練と執着があったのさ。
 
 そして、教会の名でエリスは自殺者としてその死を汚され、俺は聖職者に刃を向けた罪人としてここにいる。
 だが、狂わず、地獄に落ちず、死霊になって彷徨っていないのは…
 
 ルト、お前やルーンが俺たちのために泣いてくれたおかげなんだ。
 
 お前たちの祈りが俺たちを救ってくれた。
 
 グールデンの野郎は、死神がそのまま地獄に引っ張っていったけどな…」
 
 …ワイス。
 シグルトの幼馴染で、親友だった男である。
 がさつだが、陽気で気の好い男だった。
 
 かつてシグルトは国一番の美女と噂の貴族の娘ブリュンヒルデと恋仲だった。
 そして、そのことを嫉妬していた男がグールデンである。
 
 グールデンは何度もシグルトを貶めようとし、ついにはシグルトに想いをよせるワイスの妹のエリスを拉致し、数人の男たちで彼女に暴行をしたのである。
 悪漢に乱暴され、自慢の美しい金髪すら剃り落とされて、絶望したエリスが自殺すると、ワイスは激憤した。
 
 シグルトはそんなワイスに復讐を手伝ってくれと言われ、怒り狂うワイスを留めた。
 
 シグルトには守るべき妹と母がいた。
 だから慎重になり、そしてワイスは煮え切らないシグルトを罵って1人で復讐しようとしてグールデンに掴まり、なぶり殺しにされたのだ。
 
 シグルトの国の教会の権力は強く、同時に自殺者や聖職者への危害は重い罪に問われる。
 エリスは自殺者としての罰で首を切り落とされ、なます切りにされたワイスは死体を広場に晒された。
 シグルトは、墓に葬ることを許されなかった2人の遺体を、グールデンの目を盗んで取り返し、郊外の森に墓を作った。
 
 すべてはグールデンがシグルトに嫉妬して行った凶行から起こったこと。
 シグルトの大切な幼馴染の兄妹は死んでしまった。
 
 シグルトは2人を守れなかったことに嘆き、そして自分が原因であったことに苦しんだ。
 
 そして、ついには妹シグルーンをグールデンに攫われ、自身は捕まり、身体を切り刻まれた。
 遂には妹が暴行されそうになり、激昂したシグルトはぼろぼろになりながらグールデンを殴り殺した。
 
「…ワイス、すまない。
 
 俺はお前の力にもなれず、エリスを救うことも出来ず、結局お前たちを死なせてしまった。
 俺の側にいたせいで、お前たちは…」
 
 不意にシグルトの目から涙がこぼれた。
 
 シグルトにはずっと罪の意識があった。
 巻き込み、そして失ったことを忘れた日は無かった。
 大切な友を守れなかった己の不甲斐なさに、ずっとその悲嘆を抱えてきたのだ。
 
 膝を屈して謝るシグルトを、横からそっと起こす手がある。
 
「ルト兄ちゃんのせいじゃないよ。
 
 それに、ルト兄ちゃんを好きだったのは私の誇りだよ?」
 
 それは、そばかすの残る陽気そうな、美しい金髪の娘だった。
 
「エリス…?」
 
 金髪の娘はにっこりと笑って、シグルトの手を自分の手でそっと包む。
 
「強くて、優しくて、格好良くて。
 でも、人一倍頑張り屋さんで、いつも苦笑いしてるルト兄ちゃんが好き。
 
 ブリュンヒルデ様に、恋人の席はとられちゃったけど、今でもルト兄ちゃんを愛してるよ。
 
 そんなに自分を責めて泣かないで…」
 
 優しくエリスはシグルトの肩を撫でた。
 
「…ルト。
 
 俺たちは理不尽に膝を屈して死んでしまった。
 
 だけど、お前は嘆きながら、俺たちを忘れずにずっと戦ってくれた。
 俺たちが飲まれた理不尽と戦ってくれた。
 
 だから、とっくに許しているよ。
 
 それに、おまえの一番の親友だったのは俺の誇りなんだぜ?
 
 だから嘆かずに、もう休んでもいいんだよ」
 
 そう言ってワイスもシグルトの肩を抱く。
 
「…ワイス、エリス。
 
 ありがとう」
 
 シグルトは2人を抱き寄せた。
 その目から新しい涙がこぼれる。
 
「泣くなよ、お前らしくない」
 
 そう言ってワイスは晴れやかに笑った。
 
 
「…なぁ、ワイス、俺は死んだのか?」
 
 しばらくしてシグルトは落ち着くとそう聞いた。
 
「ああ。
 
 今、お前の身体は海の底に沈んでる。
 そしていつかは魚たちに食われるんだ。
 
 お前は精霊に愛されているから、今はネレイデスがお前の身体を守っているがな」
 
 シグルトは一度目を閉じ、そして立ち上がった。
 
「ワイス、エリス。
 話せてよかった。
 
 俺は行く。
 待たせている奴らがいるんだ」
 
 ワイスは肩をすくめた。
 
「死んだ身体に戻っても生きられないんだぞ?
 
 それでも留まろうとすれば、お前はアンデッドに堕ちる。
 摂理を歪めても生きたいのか?」
 
 シグルトは少し考えるように目を閉じ、そして頷いた。
 
「俺には残してきたものがある。
 果たしていない約束がある。
 
 そして失いたくないから足掻く。
 身体の一片が果てるまで、終えていないことをやり通すよ。
 
 生きてほしいと思った人がいる。
 大切な仲間がいる。
 
 だから、目的を果たすために行く、ただそれだけだ」
 
 迷いの無い目でシグルトはワイスを見返した。
 
「あのぼろぼろの身体でか?
 
 それだけのことをしたって、お前に何が残るんだ?
 アンデッドになって、最後に無理やり聖北の坊主に、【亡者退散】で消されて終わりかもしれないんだぞ。
 
 勝って、生き返って、ハイ幸せでしたなんて奇跡、起きると思うのか?」
 
 ワイスが現実の厳しさを示唆する。
 だが、シグルトは爽やかにワイスに微笑んだ。
 
「奇跡が起きるかなんて分からない。
 
 でも、動かなければ、尽くさなければ結果は生まれない。
 俺は奇跡を待つような人間じゃないよ。
 
 それに、奇跡は起きるのをただ待つのではなく、自分で励み起こすものだ。
 
 必要なら、そうなるまでやるだけだ」
 
 こともなげに言って見せたシグルト。
 ワイスは額に手をやり、こういう奴だったよなぁ、と肩を落とした。
 黙ってエリスがワイスを見て、首を横に振る。
 
「…無茶な野郎だ。
 
 そして女泣かせだ。
 罪作りな親友だよ、お前は」
 
 寂しげな妹を見て、ワイスは深いため息をついた。 
 そしてシグルトの背後を指差す。
 
「この先に真っ直ぐ走れ。
 
 まぁ、やってみろ」
 
 シグルトは苦笑して頷いた。
 
「ルト兄ちゃん…
 
 ルト兄ちゃんはいつかまた苦しむことになるよ。
 この先に行くと…」
 
 そう言ってエリスはしかし、すぐに寂しそうに微笑んだ
 
「でも行くんだよね。
 
 じゃあ、お願い。
 ルト兄ちゃんが帰れて、迷いも消えたら、いつかブリュンヒルデ様やルーンにも会ってあげて。
 2人とも、ルト兄ちゃんを待ってるから…」
 
 2人の女性の名前の登場に、シグルトは驚いたようにエリスを見る。
 
 最愛の恋人だったブリュンヒルデ。
 自分の半身のように大切だった妹のシグルーン。
 
 やがてシグルトはしっかりと決意した顔になった。
 
「わかった。
 いつか、会おう。
 
 …約束だ」
 
 頷くと、シグルトはワイスとエリスに別れを告げ、後は振り返らずに走った。
 
 
「…行ったな。
 
 あいつは、本当に苦労性だよ」
 
 ワイスが言うと、エリスが頷く。
 
「ルト兄ちゃんは“鋼の魂”。
 
 死にそうになるたびに、挫けない意志があれば運命に打ち直されて生まれ変わる。
 
 私たちはルト兄ちゃんを鍛える薪なんだよ。
 だがら、その身を焦がして与えた熱さがルト兄ちゃんを強くして、その身と心に宿るの。
 
 私はここで見守ってるんだ。
 そして待ってる。
 いつかきっと、また逢えるから…」
 
 そう言って涙を流す妹の肩を兄は優しく抱いて、親友が走って行った先をいつまでも眺めていた。
 
 
 レナータが泣いていると、レベッカがその側に屈んだ。
 
「あなたがレナータちゃんね?
 
 私はレベッカ。
 シグルトの仲間よ。
 
 悲しいかもしれないけど、今はやらなきゃいけないことがあるわ。
 
 あなたが封じているっていう怪物ともう1匹をどうにかするの。
 
 悲しむのは後でも出来るわ。
 私も、ことが終わったらきっと泣くわ。
 
 でも、今は目の前のことをやらなくちゃ。
 
 あなたを犠牲にしたりしない。
 必ず助けるわ。
 
 私たちのシグルトがそう願ったのよ。
 
 だから、お願い…
 今はやることをやって、そして後で女同士で一緒に泣きましょう」
 
 悲しみと寂しさに囚われながら、それでも決意に満ちた目で、レベッカはしっかりとレナータの瞳を見つめた。
 レベッカの言葉にロマンがしっかりと頷き、ラムーナが胸に手を当ててじっとレナータを見る。
 
「…ジョドという男のしたことは、同じ聖海の徒としてわしが生涯懺悔しても足りぬことじゃ。
 そして、聖海の一部がお前さんを追い詰めてしまったことを、お詫びしたい。
 
 …すまぬ。
 
 じゃが、レナータさんや。
 すべての懺悔の前に、シグルトの望んだことをさせてほしいのじゃ。
 
 シグルトはわしの子も同然じゃった。
 
 その死を汲んでほしい。
 どうか、この老骨に免じて、あと少し堪えてくだされ」
 
 スピッキオは膝をつき、レナータに頭を下げた。
 
 レナータがシグルトを信頼していたように、彼女の目の前の“風を纏う者”の面々は、皆シグルトを愛し大切に思っていたのだ。
 本来なら、シグルトが死ぬ原因ともとれるレナータを、彼らは責めたりしなかった。
 “風を纏う者”が示す心。
 それはシグルトがレナータに向けてくれた親しみの感情と同じだった。
 
「どうか、お2人とも立って下さい。
 
 私は大丈夫です。
 シグルトさんが生きてくれって、言ってくれたんです。
 
 私、頑張りますから…」
 
 レナータは涙を拭うと強い意志を込めて一同を見返した。
 
「さぁ、そろそろ仕事にかかるわよ」

 それまで沈黙を守っていたガリーナが口を開いた。

「…レベッカのいうとおりだ。今は海蛇を倒さなくちゃな…」

 ユーグがぎり、と歯を噛みしめながら言葉を繋ぐ。
 頷く面々。
 
 そしてニコロとレベッカを先頭に奥へ進む。
 闇が深みを増していく中、マスターがぼそりと言葉を呟くと、周囲に明るさが広がった。

「【魔法の灯火】
 …へへ、俺にだってこれぐらいのことはできるぜぇ。
 
 おめぇらに無駄な力は使わせたくねぇからな…」
 
 一行は光を頼りに洞窟の奥に進み、そして中にあった威容に一同は息を飲んだ。
 
「…なんと大きいのじゃ…」
 
 その巨体に、オーベは息を呑んだ。
 
 てらてらと光る胴は巨木のように太く、体当たりされれば骨が砕けるだろう。
 金属片のような大きな鱗は、重装の鎧を連想させる。
 額の部分が大きく突起し、首周辺に無数の棘がある。
 
 その凶悪な外見はまさに“怪物”であった。
 
「いいかみんな、一斉に行くぞ!?」
 
 ニコロが言うと、皆戦闘の構えを取る。
 
 そしてガリーナが練り上げた【氷柱の槍】が海蛇の巨体を穿った。
 
「…ゥグガァァァァアアア!!!!!」
 
 驚いたように眠りから醒めた海蛇は咆哮し、そして怒り狂って襲い掛かってきた。
 
 近寄ってくる海蛇を待ち構えていた“風を駆る者たち”と“風を纏う者”。
 しかし、洞窟の海に通じる部分で何かが蠢いたのをレベッカが目ざとく見つける。
 
「あれはっ!!」
 
 ぬらりと巨体が水を裂いて出現した。
 
「ギィシェァァァァアアアアアアァッ!!!!!」
 
 新たに現れたそれは、水からその巨体を露にし、鎌首をもたげて凄まじい咆哮を上げた。
 
「…なんてことっ!
 
 あれは雄ですっ!!」
 
 レナータが叫ぶ。
 
「くそ、件のもう1匹が雌を守りに来たってわけかっ!
 
 とんだ騎士様ねっ!!」
 
 レベッカは素早く頭で次の行動を計算する。
 
「ロマン、ラムーナ、スピッキオ!
 私たちは雄を引き付けるわよっ!
 
 ユーグッ、そっちのデカブツはあんたたちが何とかしなさいよね!!」
 
 シグルトを欠いた状態で、しかしレベッカは迷い無く決断した。
 
「…分かったぜっ!
 
 すぐにこっちを片付けて行くから、持ちこたえろよ!!」
 
 応えるユーグに親指を突き出して不適に笑うと、レベッカは新たに現れた雄に向かって疾走した。
 
 その後ろで“風を駆る者たち”と大海蛇との壮絶な死闘が始まった。
 
 
 シグルトは闇をひたすらに駆けていた。
 そして、自分のおかれた状況がその脳裏に浮かぶ。
 縄で拘束されたまま、シグルトの身体は海に沈んでいた。
 その身体をネレイデスが取り囲んで魚たちから守っていた。
 
 すぐに場面が変わる。
 
 泣いているレナータの姿。
 項垂れるニコロの姿。
 
 そこは記憶が風となって吹き抜ける空間だった。
 
 シグルトは己の身体をイメージし、ひたすら走った。
 
 闇を振り切るつもりで速度を上げる。
 同時に胸の傷が痛み出す。
 
 それでも怯むことなく走るシグルト。
 
 やがて、大きく自分の身体が見えたとき、シグルトはそれに飛び込んだ。
 
 周囲に海の冷たさを感じ目を見開くが、死んだシグルトの目蓋は閉じたままだった。
 肉体に魂は戻っているのに、身体が生きていないのだ。
 冬の海に冷え切ったシグルトの身体は、猛烈な寒さをシグルトに感じさせた。
 
 歯を食いしばり、目を開こうとする。
 何度も何度も繰り返す。
 
 見える景色はシグルトの魂が見ている映像だった。
 目に感じる海水の違和感は無く、冷たいという事実のみが身体を凍えさせている。
 
(寒さを感じるのは、まだ魂と身体に接点があるからだ。
 
 このまま果てるものか…
 俺はレナータに待っていてくれと言ったんだ!)
 
 無為に見える行いをひたすらシグルトは繰り返す。
 
 やがてネレイデスが騒ぎ出す。
 見れば、一匹の巨大な鮫がやってくるのが分かる。
 
 あの巨体をネレイデスでは押さえきれないだろう。
 
 シグルトはその心の奥底で吼えた。
 
(食ってみろ!
 
 俺は、お前の身体を乗っ取っても、皆のところに行ってみせる!!!!!)
 
 次の瞬間、何かが光った。
 無心でそれを掴み振るうイメージ。
 
 シグルトを拘束していた縄が切れとんだ。
 
 海底を転がるシグルトの頬を、鮫の鑢(やすり)のような肌がこすり、擦過傷ができる。
 頬の皮をこそぐ痛み。
 
 同時にシグルトの身体の支配がほんの少しだけ戻る。
 体内にウンディーネが流れるのをイメージし、シグルトは掴んだ光を向かってきた鮫の目に突き立てた。
 
 激痛に暴れる鮫がシグルトの身体を吹き飛ばすが、シグルトは身体の鈍い痛みに耐え、次の一撃をイメージする。
 
 腹部に戻る痛み。
 まだ動かない心臓。
 
 ついに目もかっと見開く。
 
 シグルトは今、執念で体を動かしていた。
 思えば死ぬまでの間、普通ならまったく動かないはずの身体を、シグルトはこうやって動かしていたのだ。
 
 今のシグルトの身体は命の通わない死体である。
 そして痛みきったそれは常人が数度死ねる致命傷を負っている。
 心臓が動いても、呼吸が戻っても、シグルトはおそらくすぐに死ぬだろう。
 
 それでも目前の敵と対峙し、シグルトはがむしゃらに動いた。
 
 手に握った光はシグルトに応えるように、赤い燐光を放つ。
 
「「我が主。
 
 存分に戦われよ。
 私は貴方の剣。
 
 折れ果てるまでともにありましょう!」」
 
 手元の愛剣【アロンダイト】を握り締め、突進してくる鮫に向かって突き出す。
 シグルトはその魂の一念で鮫の眉間を貫いた。
 
 シグルトはぐったりとして流れていく鮫に見向きもせず岸を目指そうとして、折れた自分の左腕に気がつく。
 鮫との激しい格闘でシグルトの身体は擦り傷だらけだった。
 
 シグルトは愛剣をくわえると、まるで外れた部品をはめる様にねじ折れた腕を元の形に戻した。
 
 目的を遂げる一念で眉間によった厳しい皺と、瞳孔が開いたままの青黒い眼。
 歯を食いしばって足掻くシグルトは、さながら羅刹のような形相である。
  
 それは凄絶の一言に尽きる光景だった。
 今のシグルトはまさに動く屍である。
 
 だが、息をしなくて海中では都合がよい程度に己の状況を受け流し、シグルトは目的のために泳ごうとした。
 そして、不意にあたりに満ちる暖かな気配にふと、その顔に浮いていた鬼相を緩ませた。 

 シグルトの居る場所の水が奇妙な揺らぎを見せる。
 それは温度の違う水が混ざり合う時に生まれる、煙るような揺らぎである。
 海底で真水が湧き出しているのだ。
 
 真水は大きく揺らぐと、やがて1人の女性の姿を取った。
 
 半透明の身体。
 目を閉じたまま、柔らかな微笑を宿した神々しいほど美しい顔(かんばせ)。
 そして、何よりシグルトを絶句させるほどにすごい存在感がある。
 
(…なっ、上位精霊かっ?!)
 
 精霊とは本来は零落した神や地霊であるとも言われる。
 
 そして、精霊の中でも多神教の神に匹敵する高次元の存在を、上位精霊と呼ぶ。
 その力も存在も神に匹敵し、あるいは神そのものとして信仰さえされるのだ。
 
 上位精霊の顕現は地形を変え、天地の法則すらひっくり返ると言われている。
 
 まさに、それは奇跡の存在の現界(世界に現れること)であった。
 
 シグルトの心を、偉大な存在との邂逅による感動と畏怖が打ちのめした。
 
 唖然とするシグルトの前で、完全に姿を現した精霊はその碧い瞳をゆっくりと開き、じっとシグルトを見つめた。
 それだけで甘美な憧憬と、激しい慄きがシグルトの魂を刺激する。
 
「「…死しても戦う、鋼を魂に宿す人の子よ。
 
 貴方は何故、死した身で刃を振り続けるのですか?
 
 ここは私の分霊(精霊や神の魂の分身)が眠る褥(しとね)。
 水の娘たちが踊る安らぎの地。
 
 貴方の流す血潮と鬼気に、私の眷属が怯えています。
 
 事と次第によっては、争いを嫌う私でも貴方を外海まで追い払いますよ…」」
 
 少したしなめるような雰囲気の声だった。
 
 シグルトは言葉を出そうとして、初めて海中でそれが叶わぬことに気がつく。
 
 どう自分の伝えるか考え込んだシグルトに、その上位精霊はあきれたように眉をひそめた。
 
「「…本当に驚いた人間ですね。
 
 普通なら、己が死んでいることに気付いて狂うか混乱し、歪んで不死の魔性に身を落とすか消えてしまうものですよ。
 貴方は己の死体を魂の力で操りながら、なお邪悪な歪みを持っていない。
 
 むしろ、己の霊性を開花させ、半分精霊になりかけていると言うべきでしょうか。
 
 何が貴方をそこまで駆り立てるのかは知りませんが、そのまま肉体に固執すれば、己の肉体が死の理によって腐りゆく様を見ながら何れ狂ってしまいます。
 肉を捨てて新たな精霊となるか、昇華して貴方の信じる冥府の世界へ旅立つか。
 どちらかを選びなさい。
 
 その輝く強い魂に免じて、私が手助けしてあげましょう」」
 
 上位精霊がそう言うと、シグルトは首を横に振り、海面を仰ぎ見た。
 そして、なんとなくこうすれば通じるだろうと、魂を震わせて声を放った。
 
「「俺は行かなくてはならない。
 
 戻ると約束した。
 この身が果て、擦り切れるとしても、理不尽と戦っているあの娘を救うために。
 
 貴女の寝所を汚してすまないが、俺は死んだままでも行くつもりだ。
 
 あの海蛇を倒し、彼女を理不尽の頚木から解放するまで。
 彼女を生かすために俺は行く」」
 
 シグルトの強い言葉に、上位精霊はさらに驚いた表情になった。
 そしてシグルトに問う。
 
「「気骨ある人の子よ。
 
 それは貴方の命よりも大切なのですか?」」
 
 シグルトは頷いた。
 
「「命は大切だ。
 
 だが、その命を賭しても守りたいものがある。
 俺は後悔しないようにしたいだけだ。
 
 その結果で滅びても構わない。
 
 今、俺がすべきことを、できることをやりたいだけなんだ」」
 
 そう言って、シグルトは折れた腕に【アロンダイト】の鞘で添え木をし、自分を拘束していた縄で縛る。
 上手く動かないその腕を振るい、シグルトは海面を目指そうともがく。
 
 シグルトの瞳は真摯に海面の一点を見上げていた。
 
「「…そうまでして助けたい者とは誰ですか?」」
 
 シグルトの背後から上位精霊の声がする。
 
「「…レナータ。
 
 俺の友の精霊術師だ。
 彼女と、約束したんだ。
 
 戻ると、助けると。
 
 それを果たしていないのに、おめおめ死んでいられるものか」」
 
 そしてシグルトは強い意志を胸に、上位精霊を見つめた。
 
「「俺は誓った。
 
 死んでいった友たちに。
 彼らのような理不尽な悲しみを持つ者を、必ず助けると」」
 
 上位精霊はシグルトのそんな瞳を見て、やがて優しく微笑んだ。
 
「「レナータ。
 私の眷属たちの主ですね。
 
 そして貴方の言う海蛇は、近海を悩ます魔物。
 
 私の褥を荒らすのは貴方だけではなかったようです。
 あの魔物は、海の恵みを受けるにはいささか貪欲。
 
 それに引き換え、貴方は死んでも精霊に愛されている様子。
 そして私の眷属の主を救うというのですね?
 
 ならば、私は水を司るものとして成しましょう」」
 
 美しい上位精霊は居住まいを正し、謳う様に言葉を紡ぐ。
 
「「聞きなさい、人の子よ。
 
 私は湧き出でる原初の清水。
 混じる物無き清らかなる水。
 水の娘たちを束ねる泉の主。
 
 私の“水姫”の御名をもって、貴方に力を授けましょう。
 
 レナータという娘と、私の眠る碧海の都を護ると言うのならば…」」
 
 そう言って上位精霊は手を差し伸べた。
 彼女の両手の間に、美しい花弁の花が咲く。
 
「「貴方が望むなら契約をします。
 
 貴方が目的を成せるように、私が貴方の肉体を再生しましょう。
 
 汚れぬ精霊となるほどの魂。
 貴方ならば、蘇生はたやすいはず。
 
 海蛇を討ち、レナータという娘を助けなさい。
 
 それを成せば、蘇生し生き返ったその身は貴方のもの。
 ことを成せねばまた骸に戻り、その魂は海の藻屑と消えるでしょう。
 
 私の条件を聞き入れて、戦いますか?」」
 
 シグルトは迷わず頷いた。
 
「「たとえ、貴女の助けが無くとも。
 
 必ず護ろう…レナータも、この都のまだ見ぬ親しくなるべき人々も。
 
 そして結果的であれ、この美しい碧海の都を救うというなら、本望だ」」
 
 シグルトの言葉に、上位精霊は満足そうに頷いた。
 
「「契約は成りました。
 
 “水姫”アレトゥーザの名において、貴方に清水の癒しと祝福を」」
 
 上位精霊…アレトゥーザは手に出した花をシグルトの胸に押し込んだ。
 花から滾々と湧き出でる力が見る間にシグルトの身体を再生していく。
 皮膚が戻り、骨が繋がり、断裂しかけた腱も神経も再生していく。
 
 シグルトの脳も身体も、海中に落ちたショックで心臓が止まり、血流が完全に止まっていた。
 冷たい冬の海はシグルトの身体の劣化を防いでいたのだ。
 
 水難事故にあっておぼれたものが、水の冷たさのショックで心臓が止まり血管が収縮していると、長時間経っていても障害無く蘇生することもあるという。
 
 水の精霊の守りもあったシグルトは見る間にその身を癒し終えた。
 身体に戻り、水中の息苦しさを感じた瞬間、ドクンと血が流れ出し心臓が動き出す。
 
 アレトゥーザに伝わる、全てを癒す水の伝説がある。
 これはその伝説が真実であったことを証明していた。
 
 アレトゥーザの加護でもたらされた空気を再生した肺にいっぱいに吸い込むと、シグルトはアレトゥーザに一礼し、海面を目指して浮かび上がっていった。
 
「「何れまた逢いましょう、人の子よ。
 
 貴方の歩む道に多くの幸があらんことを…」」
 
 “水姫”アレトゥーザはシグルトの武運を祈るように目を閉じ、碧海に融けるように還って行った。
 
 
 大海蛇の雌と“風を駆る者たち”が戦う向こうで、“風を纏う者”は絶望的な戦いに挑もうとしていた。
 
 主力の戦士を欠きたった4人、獰猛で巨大なこの海蛇の雄と戦わねばならないのだ。
 レナータも“風を纏う者”と“風を駆る者たち”の間に立って精霊術の準備をしている。
 
「やるしかない…
 
 ユーグたちが勝つまでは粘るわよっ!」
 
 レベッカは利き腕に短剣を持ち、逆腕に絞殺紐を用意する。
 
「…絞め殺すにはその首は太いけど、そのでかい口ぐらいは黙らせてやるわ!」
 
 レベッカの後ろでロマンが魔導書を用いて、呪力高め魔術を準備している。
 そして、聖印を手にスピッキオが祈る。
 
 ラムーナが囮になるように防御の体制を取り、“風を纏う者”は迫り来る海蛇と対峙した。
 
 だが、突然海の水から人間の手が現れ、海蛇の背びれの突起を引っつかむ。
 
 驚いた海蛇が暴れる寸前、海水を割って彼は現れた。
 突起を踏み台に大きく跳び、赤い燐光を放つ魔法の剣を振り下ろす。
 硬い鱗が砕け、海蛇の血が飛び散った。
 
 現れた男は“風を纏う者”の前に、身体から落ちる水と一緒に着地する。
 濡れた髪を払って水気を切り、男はいつものように苦笑して言った。
 
「すまない皆。
 
 遅くなった…」
 
 それは冷静なレベッカがぽかんとするほど、鮮烈な登場だった。
 
「…シグルトっ!!!」
 
 ロマンが歓喜の声を上げた。
 
「話は後だ。
 こっちを倒す。
 
 スピッキオ、防御の秘蹟を。
 レベッカはアイツを撹乱しながら援護してくれ。
 ラムーナは俺と交互に攻める。
 ロマン、魔法を撃ちながらあいつの動きをおさえてくれ。
 
 行くぞっ!!!」
 
 走り出したシグルトに、一同が頷いた。
 
「この、馬鹿!
 
 後できっちり説明しなさいよねっ!!」
 
 レベッカが短剣を絞殺紐に持ち替えて走った。
 
 その横でラムーナが大きく跳躍した。
 宙返りをしながら海蛇の頭を蹴り飛ばす。
 
「…まずは勝とう!」
 
 空中でラムーナが微笑む。
 
 そしてロマンが【魔法の矢】を撃つ。
 
「納得する説明をしてもらうよ、シグルトっ!」
 
 そう言って嬉し涙を拭うロマン。
 
 スピッキオが祈りの言葉を唱える。
 
「…これぞまさに奇跡。
 
 主よ、感謝します」
 
 そしてレベッカが見事に絞殺紐で海蛇の口と牙を封じた。
 同時に吹き飛ばされるが、その隙をシグルトが剣で穿つ。
 
「…いつつ、こんにゃろうっ!」
 
 痛みと嬉しさに、レベッカは少しだけ泣いた。
 
「シグルトさんっ!!」
 
 駆け寄ってきたレナータに、シグルトは1つ頷いて微笑んだ。
 レナータも頷いて、ナイアド召喚しロマンを援護する。
 
 ラムーナの華麗な連続攻撃がみるみる敵の体力を奪っていく。
 倒れたレベッカをスピッキオが癒し、ロマンが呪縛で海蛇の動きを削ぐ。
 
「いくら怪力で引きちぎっても、一瞬の隙くらいは出来るんだっ!」
 
 シグルトがその隙に乗じて素早く海蛇を剣で斬る。
 
(…腱や筋もほぼ完治しているな。
 
 身体の不調の頃の感覚がまだ残っいて慣れるまでは少しかかりそうだが、痛まずに動くのは好い)
 
 その動きは実に巧みで素早かった。
 シグルトは身体を慣らすように、堅実な技で相手の体力を削いでいく。
 
「《岩をも穿つ、呪いを刻めっ!!》」
 
 ラムーナがまじないの剣舞で海蛇の防御を砕き、そこにシグルトの鋭い突きが決まる。
 
 海蛇は体力を奪われ、攻撃をレベッカの撹乱やロマンの魔法にそらされて苛立つと、間近にいたシグルトを襲う。
 しかし、シグルトの姿は突如かき消えた。
 
 岩に激突した海蛇の脇腹を、シグルトの剣が大きく抉る。
 シグルトの得意技、【影走り】であった。
 
「グァァゴゥォォォォオオッ!!!!!」
 
 海蛇は身体に走る激痛にのたうつ。
 
「今だっ!」
 
 ロマンが再び呪縛の魔法で動きを削ぐ、その瞬間。
 
 シグルトを緩やかに取り巻いていた風の精霊が、突風に姿を変え剣を被い尽くす。
 
「ハァァァァアアアアッ!!!」
 
 気合とともにシグルトはその斬撃を海蛇に打ち込んだ。
 アロンダイトが巨体を切り裂いた瞬間、剣から解き放たれた風の精霊が刃になって、血飛沫を巻き上げながら飛び立っていった。
 
 これが止めと放ったシグルトの秘剣【縮影閃】。
 
 風の精霊が削ぎ落とした血肉の奥に海蛇の白い骨が見えた一瞬の後、さらに大量の血を吹いてその巨体は海水に倒れ伏した。
 
 ザパァァァン!!
 
 血の混じった赤い海水が盛大に弾け飛ぶ。
 
 舞い戻って来る風の精霊に感謝の言葉を告げ、シグルトが振り向く。
 向こうからレナータと、戦いを今終えた“風を駆る者たち”、そして仲間たちが走ってくるのが見えた。
 
 シグルトは微笑むと、張り詰めていた糸が切れたように海水に倒れ伏した。
 水の冷たさでほてった身体を冷やしながら、シグルトは生き返ったことを実感していた。
 
 
 水に倒れたシグルトに駆け寄ったレベッカは、シグルトの胸が規則正しく動いていることを確認し、ほっと息を吐く。
 だが、胸と腹部に血の跡を見つけて、念入りに調べ、シグルトの傷が消えていることを確認して驚く。
 そればかりか、目に見える腕や身体の古い傷までもが消えてしまっていた。
 
 一瞬偽者ではないか、と考え、それがありえないことを即座に確認する。
 シグルトの衣服や持ち物、そして彼とレベッカしか知らない装備を、シグルトはちゃんとしていたのである。
 
「…疲れて眠ってるだけよ。
 
 本当に、困ったリーダーだわ」
 
 レベッカが苦笑すると、集まってきた皆は安心したように胸を撫で下ろした。
 
「…微かですが、とてつもなく高次元の精霊の力の形跡を感じます。
 
 おそらく、上位の精霊と何らかの関わりを持って、その力で回復したのだと思います」
 
 レナータの推測をニコロが頷いて肯定する。
 
「「…とんでもない男だね、こいつ。
 
 魂が半ば精霊に変化してる」」
 
 ナパイアスがレナータとニコロにしか聞こえない声で呟いた。
 
「どういうことだ、ナパイアス?」
 
 ニコロが訪ねると、ナパイアスは腕を組んで話し始めた。
 レナータがその会話を皆に通訳する。
 
「「精霊ってのは、もともと自然の精…力の結晶みたいなものが霊気をもつ意思ある存在になることなんだよ。
 
 だから、似たような状態にさえなれば精霊は生まれる。
 
 人間なんかも、英霊様とかで奉られると、人の信仰の念で精霊や神になるのさ。
 
 この男は、自身で魂をこの状態まで昇華させたみたいだね。
 もっと高い次元まで魂を成長させれば死んだ後には神様として信仰されるかもしれないし、生きたまま魂を神域まで高めたなら神仙(ディヴァイン)って呼ばれる高次元の存在になれるかも知れない。
 
 神仙は上位精霊や多神教の主神、準主神と同等の存在さ。
 
 東の国に、“仏”になろうって連中がいるらしいけど、そいつらも魂を昇華して精霊や神霊を超えた高次元の存在になろうとしているんじゃないか?

 この男を、精霊としての格付けで言うなら、中のちょっと前くらいだね。
 まあ、私ほどじゃないけど、たいしたもんだよ。
 
 たぶん、それだけのことをやって見せたから、このあたりの主である“水姫”様が気まぐれに力を貸したんだろう」」
 
 傍若無人なナパイアスが敬称をつけたので、ニコロが首をかしげた。
 
「「なんだいっ、私をそこいらのお馬鹿なネレイデスやウンディーネどもと一緒にするんじゃないよ。
 
 “水姫”アレトゥーザ様は、このあたりの水の精霊の最高峰。
 
 この地はあの方が精霊になられた聖地でもあるんだ。
 己の領域でこそ、その力を余すこと無く発揮できるのさね。
 
 上位精霊…その絶大な力から、時に神として崇拝される。
 
 ナイアドやウンディーネの上に居られる大精霊様さ。
 
 水の初源、清水の主。
 浄化と癒しを司り、生命を愛する慈悲深いお方だよ。
 ナイアドの大ボスみたいなものだね。
 
 昔、ある精霊術師の志を支持なさって、この地を清めて緑豊かな大地に変えたのも“水姫”様なんだよ。
 
 このあたりの生まれの精霊術師が水の精霊を好むのも、生まれたときから“水姫”様の霊気を含んだ水で育つ…つまり恩恵を受けているからさ」」
 
 意外なナパイアスの博学ぶりである。
 
「「この男は、いわば〝生まれ変わった〟んだろうね。
 
 一度肉体から魂が外れて、それが半精霊の高い次元になり、“水姫”様が再生させた器に戻って蘇生したというわけさ。
 まぁ、今は見てくれも力も普通の人間と大差は無いだろうが。
 細かいことを言うなら、魂の関してはもう人じゃなくて高等の妖精や妖魔に近いね。
 
 私も、こんなとんでもない男は見たことも聞いたこともないよ」」
 
 感心を通り越して半ばあきれているナパイアスの話に、皆押し黙る。
 
 だが周りの心も知らずに、シグルトは安らかな寝息を立てていた。
 
「お~い、大丈夫かっ!」
 
 洞窟の入り口に少数の人の気配がする。
 
「…って、もう終わってるじゃねぇかっ!」
 
 大剣を肩に担いだ冒険者である。
 
「グィードじゃねぇかっ!」
 
 『悠久の風亭』を中心に活躍する冒険者で、“風を纏う者”も“風を駆る者たち”も面識があった。
 
「くそ、またやり損ねたぜ。
 
 いや、盗賊ギルドからアレトゥーザ中の冒険者の宿に依頼が出回ってよ。
 何でも、でかい蛇を退治するっていう仕事らしいんだが、あっちにあるでかい2匹の死体だろ?
 
 銀貨二千枚の仕事だって言うから急いできたのに、くたびれ儲けだったぜ」
 
 他の数人の冒険者も落胆した感じだった。
 
「いや、仕事はまだあるぜ。
 
 お初にお目にかかりやす。
 あっしはバッコってぇケチな野郎で、盗賊ギルドで世話になっておりやすが…
 
 レベッカの姐御やユーグの兄貴の噂はうかがっておりやす」
 
 それはごつい顔をした小柄な盗賊風の男だった。
 
「“風を纏う者”と“風を駆る者たち”には、聖海教会から異端に手を貸したとかいう嫌疑がかかっておりやして、今都市の中では危険。
 
 あっしが明日早くに、抜け道を使って皆さんを外に案内いたしやすから、それまで『悠久の風亭』近くにあるギルドのアジトの1つで皆さんをお護り致しやす。
 ほとぼりがさめるまで、レナータさんも御一緒にリューンあたりにいらっしゃるとよろしいでしょう。
 
 なぁに、1月もすれば盗賊ギルドの情報操作で、姐御たちは蛇退治の英雄になっておりやすので、それまで御辛抱を…」
 
 そう言ってバッコと名乗った男は頭を下げると、グィードたちに向き直った。
 
「グィードさん方は、蛇の死体を解体するのをお願いしやす。
 
 蛇の首2つは、官憲どもに姐御たちの名誉の回復をしてもらうよう持ち込みますんで丁重に扱ってくだせぇ。
 聖海の保守派連中に死体が渡ると、あいつらの手柄にされちまいますから、手早く塵も残さずお願いしやすぜ。
 
 お1人銀貨百枚ぐらいは出しやす。
 お嫌なら、本当にくたびれ儲けになりやすね。
 
 あと、もしレナータさんや“風を纏う者”、“風を駆る者たち”の方々のことを情報を含めて売るような方がいらしたら、盗賊ギルドを敵に回しますんで御承知くだせぇ」
 
 アレトゥーザ冒険者たちが海蛇の巨体を見て、うんざりした顔になるが、仕方ないと死体の解体作業を始める。
 
「さぁて、じゃあ皆さんはあっしについて来てくだせぇ…」
 
 
 バッコにしたがって身を隠した“風を纏う者”と“風を駆る者たち”は、アジトに着くと勝利の宴などやる気力もなく、『悠久の風亭』のマスターとラウラの差し入れてくれた食事を食べると、泥のように朝まで眠った。
 
 次の日、シグルトが眼を覚ますと、彼の側の椅子に腰掛けたままレナータが眠っていた。
 そっとその髪のほつれを直すと、周囲に仲間たちが肩を寄せ合って眠っている姿が見えた。
 
(…ワイス、エリス。
 
 今の俺には護りたい仲間がある。
 そっちにはいつか行くだろうが、きっともっと先だろう。
 
 俺はこの命を後悔の無い様に使いたい。
 
 だから、それまでお別れだ)
 
 そっと眼を閉じて、友を想う。
 
「…うぅん…」
 
 レナータが身じろぎする。
 そして目覚めた彼女に、シグルトは穏やかな微笑を浮かべて言った。
 
「ただいま、レナータ。
 
 遅くなってすまなかった」
 
 
 起きた後のシグルトは皆の質問攻めにあい、1つずつ律儀に答えていった。
 
 自分が一度死んだこと。
 死後の世界らしきところで亡くした幼馴染に再会したこと。
 海中で死体に戻って行った鮫との格闘。
 そして“水姫”アレトゥーザとの邂逅。
 遂になしえた蘇生。
 
 シグルトは健全な若者としての肉体を取り戻していたが、戦いのスタイルを変え筋肉も違う形についてしまったため、昔の強さにはまだ及ばなかった。
 しかし、もはや身体の不調に悩まされることはないことも感じていた。
 
 シグルトの腕のうじゃじゃけた傷痕も、歪に繋がった骨や腱も今の肉体にあわせて綺麗に治っている。
 
「…うん、シグルトの雰囲気変わってる!」
 
 ラムーナがそう言うと、レナータとニコロが頷いた。
 
「ナパイアスの言ったとおり、魂が高い次元に昇華したからだと思います。
 
 今のシグルトさんはどこか、精霊のようです」
 
 シグルトからは清廉で涼しげな霊気が発せられている。
 レナータやニコロには、それが凛とした白銀色の力として見える。
 
「僕には雰囲気が変わったというより、前から感じてたものが強くなったように感じるよ」
 
 シグルトは、出会った当初から俗人とはちょっと違う不思議な雰囲気を持っていた。
 
「俺自身は何も特別な感じは無いんだが…」
 
 そうシグルトが言うと、ラムーナが微笑む。
 
「シグルト、いつもより笑い方が綺麗になったんだよ」
 
 ラムーナの言葉に、皆はっとなる。
 
 シグルトは微笑むときも、いつもどこか悲壮な感じがあった。
 それが《苦笑》のような形になっていたのだ。
 
 今のシグルトは憑き物が落ちたように、雰囲気が穏やかなのだ。
 
「〝泰然たる静けさを持ちて、功は極まる〟か…」
 
 シグルトが何気なく言った言葉に、皆が首をかしげる。
 
「昔、俺が武術を習った師がおっしゃっていた言葉だ。
 
 穏やかに自然体でいられるならば、目指すべき技巧を習得する、というような意味だな。
 
 俺は張り詰めすぎていたのかもしれん。
 今なら、師の言葉がなんとなく分かる…」
 
 そう言って、シグルトは穏やかに微笑んだ。
 
「…おう、その様子は生きてるな。
 
 また逢えて嬉しいぜ、シグルト」
 
 そこに現れたのはファビオだった。
 まだ包帯が痛々しいが、その眼はいつものように油断無く鋭い。
 
「ファビオ、あんた動いて大丈夫なの?」
 
 レベッカが訪ねると、ファビオは軽く首肯した。
 
「外回りはもう少し休むがな。
 
 重要な仕事だけは俺自身でやっとかないと気持ち悪いんだよ」
 
 そう言うとファビオはズシリとした銀貨の袋を2つと、小さな銀貨の袋を2つ、それらを“風を纏う者”と“風を駆る者たち”に等分して渡す。
 
「今回の報酬だ。
 
 でかい方はどっちも銀貨千枚。
 五百枚が盗賊ギルド、もう五百枚が正式なこの都市からの報酬ってことになる。
 もう三百枚は『悠久の扉亭』からの六百枚を三百枚ずつ折半って形だ。
 
 全部で銀貨千三百枚ずつ。
 
 あのでかい声のマスターが、何でも自分で払うって言ったが、あの宿にいきなり二千六百枚もの銀貨を出させるのは酷だし、あんたたちも《正式に都市から依頼されて報酬をもらった》ことになりゃ、後々面倒がないだろ?
 うちのギルドのボスがすげぇお偉いさんと会談して決めたことだ。
 ま、ギルドの方からは《善意の市民》からの報酬って、形の上ではなってるけどな。
 
 これならマスター1人で責任云々にゃ、ならねぇだろ?」
 
 盗賊ギルドの粋な計らいであった。
 
「それから、お前さん方は『悠久の扉亭』ではただで宿泊出来るってことになったみたいだぜ。
 あのマスターは外見も気風も太っ腹って奴だよな。
 
 1月もすりゃ、あんたたちやレナータの嬢ちゃんは大手を振ってこの都市を歩けるようにしておく。
 
 ただ、『蒼の洞窟』は新しい司教が動いて聖海のものになった。
 あの司教、かなりのやり手だ。
 この手の仕手戦で盗賊ギルドが後れを取ったのは久しいから、ボスが嘆いていたぜ。
 ま、近海の鮫…海賊どもに目がいってる隙にやられた感じだな。
 
 この借りは、そのうち返すけどな…」
 
 借りを返す、の部分でファビオの眼がギラリと光る。
 
「まぁ、そこなレナータ嬢ちゃんの身柄を聖海保守派は血眼になって探してるぜ。
 
 あんたらを捕まえられなきゃ、何人か坊さんが職を解かれて左遷になるらしい。
 
 …安心しろよ、一端聖北教会の縄張りまで逃げりゃ、大丈夫だ。
 あんたたちは坊さんたちの首がすげ変わったら、堂々と戻ってくりゃいい。
 
 外までは昨日のバッコが案内する。
 あと一刻(2時間)もしたら脱出だから、準備しておいてくれ。
 
 シグルト。
 あんたにはいつか借りを返すよ。
 
 レベッカ。
 約束の酒は今度な。
 今は傷にしみて付き合えねぇからよ。
 
 ユーグ。
 あの技をマスターしたからってサボるなよ。
 身体は正直だからすぐ鈍る。
 
 じゃ、俺は他の仕事があるから行くぜ。
 
 …またな」
 
 ファビオは一同を見回すと、軽く手を振り去って行った。
 
 
 その後“風を纏う者”と“風を駆る者たち”は、やってきたバッコについて、アレトゥーザの1つの噴水に通じる地下水道を通り、郊外の泉に出た。
 そこはアレトゥーザの立役者となった偉大な精霊術師が、“水姫”の力を借りて湧き出させた泉であり、今でも清浄な水が湧き出している。
 
 感じられるいくつかのナイアドの気配に、ニコロが少し感傷的な顔で立ち止まると、レナータが側に寄ってきた。
 
「…ニコロさん、水の精霊術についてもっと学びたいですか?」
 
 レナータの言葉に、少し考えたニコロは頷いた。
 
「私に精霊術を教えてくれた恩師、“水の詠い手”レティ-シャ先生なら、きっと貴方の精霊術に必要なことを教えてくださるでしょう。
 
 風の噂に、先生がここから遥か西北の山脈の向こうにある、ラグリアという国にいると聞いています。
 先生には、詩聖と呼ばれ、かつてともに冒険者だったという吟遊詩人にして歌い手の御友人がいらっしゃいますから、エイリィさんにも行く価値はあると思います。
 
 北方の精霊術には風と水の両方の力を宿す、雪や氷の精霊と関わるものもあるとか。
 
 ラダニール地方のエルトリア王国には雪の女王と契約を結んだ、“時を凍結せし”リャニエンという獣人の大精霊使い。
 北の大樹海アレウローディアには森の精霊術の奥義を知る翔精(フェアリー)の女王“新緑の主”オフェーリア。
 その西に広がる麗しき湖の孤島には“水姫”と並ぶ水の上位精霊“水の貴婦人”モルガンの契約者、“悠久の灑ぎ手”アリエス。
 
 これらの精霊術師たちは伝説とされる存在ですが、北方に行き、その足跡を追えば、あるいは貴方が求めるものに出会えるかもしれません。
 
 私がニコロさんに教えてあげることはもうすべて伝えました。
 恐れから私でもその力を使えないと思っていたナパイアスですら、貴方は従えています。
 
 きっと、貴方も私も新しい道を歩くときが来たのです」
 
 そこまで言うとレナータは、その碧い瞳で優しくニコロを見つめた。
 
「水は流れるうちに川となって別れ、違う道を歩んでいきます。
 私たちも、師弟という1つの流れから分かれるときが来たのです。
  
 水と風の精霊の担い手は、その精霊の気質から旅人が多いそうです。
 行くべき道を、お互い探すことになるでしょう。
 
 だから、もうすぐお別れです。
 
 でも、水はまた海で交わるのです。
 再会の時も生きていればきっとあるでしょう」
 
 その言葉は2人の別離の兆しであった。
 
 ニコロはレナータに何かを伝えようとして、しかし黙ってしまった。
 同じ系統の精霊術師は冒険者として一緒にいることはまずありえない。
 
 それに、レナータはニコロを一人前の精霊術師として認めてくれたのだ。
 側にいたいというのは甘えになる。
 
「…考えてみます」
 
 ようやく言えたのはそれだけだった。
 
 
「我々はここから別々に行くべきだと思います」
 
 レイモンのその提案に、シグルトが頷いた。
 
「この人数では目立ち過ぎるからな。
 
 バッコの案内も此処までだし、どちらかがレナータを連れてリューンを目指すのが妥当だろう」
 
 シグルトは何故か眼を閉じると、少し何かを考え、そしてレナータに向き直った。
 
「これはさっきレベッカたちとも話し合ったんだが…
 
 レナータ、冒険者になる気はないか?」
 
 シグルトの言葉に、レナータが眼を丸くする。
 
「本来、冒険者は6人で組むことが理想とされている。
 
 俺たちは今まで5人でやってきた。
 だが、やはり冒険中に困難を感じることもある。
 
 特に、うちはスピッキオに癒しを頼り切っているが、万全を期すなら癒し手は2人置くべきなんだ。
 それに、俺たちには毒を癒せる力が無い。
 今回の海蛇との戦いで感じたが、他の術も含めて君の精霊術は、俺たちにはありがたい能力だ。
 
 君さえよければだが、俺たちと来ないか?」
 
 突然の申し出にレナータは黙り込んだ。
 
「レナータちゃんなら、私たちは歓迎するわ。
 
 それに、うちのリーダーは不器用だから言わないけど、側にいるほうが護れるっていうのが本音なのよ。
 私たちなら協力して好いパーティになれると思う。
 
 それに、女が3人になると男と3人ずつで切りも好いし。
 
 うちのパーティはノリが家族だから、これでも人選にはうるさいのよ。
 人格、能力…いろんな意味で考えて、私たちが決めたことだから、あとは貴女次第。
 
 でも冒険者は、あの海蛇と戦ったときのような危険なことが沢山あるわ。
 女の私が感じてることだけど、女の冒険者って時と場合で扱いが酷かったりもする。
 食べ物や飲み物だって、場合によっては何日も草の根を齧り、露で喉を潤すようなこともありえる。
 女には環境だって不潔だし、辛いことも多いわ。
 とても過酷な仕事よ。
 
 だから無理は言えない。
 
 そのかわり、パーティに入ってくれたら、私が貴女の面倒を見るわ。
 女の冒険者としての知識、生き方、戦い方…
 私が全部教えてあげる。
 
 答えはリューンについてからで構わないわ。
 考えてもらえると嬉しい…」
 
 レナータには特に行くあても無い。
 この提案は彼女にとって何も無かったところに湧いた身の振り方の1つである。
 
 世間を生きていく以上、就職は重要な問題である。
 
 この時代、一人旅は何かと物騒なことが多い。
 何かのグループに属すことは、この時代の人間にとっては生きるために重要な処世術であった。
 
 それに“風を纏う者”にはレベッカという優れた女性冒険者の先輩がいる。
 歳の近い同性の先輩がいることはレナータにとってもメリットは大きい。
 
 もう遠くに見えるアレトゥーザを一度振り返り、レナータは考え込む。
 
 海風の戻った碧海の都は、冬の眩しい日差しを浴びて輝いているだけだった。
 
 今、道が分かれようとしていた。
 激しい戦いの後に、訪れた選択。
 
 天を見れば美しい蒼穹がある。
 
 レナータは碧い瞳に空を映し、未来へと思いを馳せた… 

 
 
 お待たせしました。
 レナータ編の後編です。
 
 シグルトファンの方は、前回かなりはらはらしたと思いますが、結果はこんな形になりました。
 
 一応、答えは《半精霊と化し生まれ変わった》になるのですが、これもお約束っぽいですね。
 
 死後の世界とか、“水姫”様登場とか、伝説の人物とか、スケールの大きな話も出しちゃいました。
 今回は気合が入っていた感じです。
 
 今回、シグルトが本来かなりホットな奴であることがはっきり分かったと思います。
 コイツ、生きる死ぬより、誠実であろうとする兄ちゃんです。
 
 神仙(ディヴァイン)についてですが、高い次元の魂を宿した高等存在で、古龍や神様級の存在という考えです。
 レベルが二桁に行った、高次元の超越者みたいなイメージです。
 シグルトは精霊化した魂が肉体という入れ物に宿っている、言わば受肉した精霊のような感じです。
 死んでそのまま普通に復活というのは芸がないかな、と思って、人外に行ってしまいました。
 でも、《人》とか《神》の境とは何なのでしょう?
 ファンタジーっぽい哲学をここで使ってみました。
 
 少なくとも、シグルトは別の存在になっても、心は人であろうとしています。
 シグルトは変質していく自分の魂に悩むことになるでしょう。
 
 今回登場したワイスとエリス兄妹ですが、彼らはまた番外編みたいな形でその生前を描きたいと思ってます。
 槍使いだったシグルトのストーリー、書きかけがあったりしますが。
 
 次回はリューンでレナータ編のエピローグです。
 最終回が近づいた“風を駆る者たち”の冒険も見逃せません。
 最終的にはこっちのブログに移りますが、それまではMartさんのブログにも御注目下さいね。
 今回はそっちを読んでないと分からないこともあったりしますし。
 
 では、また次回を…御期待いただければ幸いです。(ペコリ)
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『凪』

 コツコツコツ…
 
 明け方のことである。
 
 眠そうな半眼にいらついた表情で、レベッカは『悠久の風亭』のカウンター席に腰掛け、指でカウンターをノックしていた。
 
 シグルトの帰りを待って、結局徹夜してしまったのだ。
 もしかしたら、シグルトはレナータという精霊術師のところに泊まったのかも知れない。
 無理に起きて待つ必要も無かったのだが、レベッカは眠ることが出来なかった。
 
 昨日の夕方、盗賊ギルドを訪ねるとファビオはおらず、訓練場の仮眠室で痣だらけのユーグがぐっすりと眠りこけていた。
 いつもなら顔に悪戯描きの1つもするのだが、その日のレベッカにはそういういつもの余裕が無かった。
 
 “風を纏う者”のメンバーは皆調子が悪かった。
 
 個性的で才能豊かなメンバーを束ねていたシグルトというリーダーの存在の大きさを、一同は改めて感じていた。
 おそらく、彼らをレベッカではまとめ切れない。
 シグルトという大きな存在の裏方に回ってこそ、レベッカの策略も技も冴えていたのだ。
 
 だが、ついにやってきたリーダーの故障。
 
 レベッカにはシグルトの状態がどれほど悪いかよくわかっていた。
 人体の器官や生理について、レベッカは師であるユベールに一番最初に叩き込まれたものだ。
 暗殺、潜入、尾行、脱出…
 盗賊の多くの技術は、身体のあらゆる機能を知らなければ使えないのだ。
 
 そのレベッカをして、シグルトの身体を診断した結果…
 さじを投げて溜息しか出ない。
 
 シグルトの身体はぼろぼろだった。
 
 まず、筋や腱ががまともに機能していない。
 シグルトは器用に動かせない身体を、他の部分の運動エネルギーを利用することで動かしているのだ。
 もしシグルトにまともな筋肉と腱が備わっているなら、おそらくは西方でも指折りの戦士になっていただろう。
 
 そしてあちこちの骨に歪がある。
 歪な動きのし過ぎで姿勢が少しずつ歪んできたのだ。
 老人の曲がった腰のように、動くたびに激痛が走るだろう。
 
 触れて分かった臓器の異常。
 消化と呼吸の器官がまともに機能しなくなってきている。
 長時間の運動は呼吸不全を起こすだろう。
 
 体温調整がまともに働いていない。
 周囲の温度に身体がついていけなくなっている。
 冬の寒さで冷えていってしまう。
 
 心肺機能も弱っている。
 心不全が起きる恐れもある。
 
 腎臓肝臓が弱っている。
 ちょっとした毒素も大きなダメージになるし、他の臓器に負担にもなるだろう。
 
(本当、あれだけ動くのが不思議なくらいだわ…)
 
 おそらくシグルトは無意識に体内に精霊を宿して、その一部の機能を肩代わりさせているのだろう。
 そうでもなければ動くことの説明がつかない。
 それほどにシグルトは危険な状態だった。
 老衰で死ぬ寸前の老人のような状態を連想させる。
 
(あの身体じゃ、もう冒険者なんて続けられるわけない。
 
 …でも、シグルトを失ったら私たちの結束も無くなるわ。
 
 アイツの行動力と度胸、そして戦士としての戦力。
 リーダーとしての公正さと決断力の速さ。
 
 うちのパーティの連携はあいつが半分作ったようなものよ。
 
 私は慣れてるけど、シグルトの欠落はロマンやラムーナには酷ね。
 
 シグルトが治るまで、パーティを1回解散すべきかもしれないわ…
 アイツが治る可能性が無いのは、皆薄々気がついてる。
 だけど、いつかは治るかもしれないと一端現実から目を背けたほうが、まだ若い2人には結果的に良いかもしれない。
 
 忘却もまた最良の治療法だから。
 
 後の身の振り方は、ラムーナを私が引き取って、ロマンは大学なり家なりに帰還。
 スピッキオの爺さんは教会に転がり込めばいいわね。
 
 …やっぱり憂鬱だわ。
 
 どんな状況も予想して動くのが盗賊ってものだけど、こんな消極的なこと考えるのは…)
 
 レベッカにとって、シグルトは自慢の弟のような存在だ。
 彼女が出会ってきた誰より信頼している。
 おそらく、シグルトと別れて新しくパーティを組むとしても、レベッカは長くそこにはいられないと感じていた。
 
(畜生…
 
 アイツが隣にいないとこんなに頼りないなんて、私はいつからこんな甘ちゃんになったのよ!
 
 何度も私は1人になったはずなのに…)
 
 そしてレベッカは師であるユベールの言葉を思い出す。
 
〝仲間は掛買いの無い宝だぞ、レベッカ。
 信頼できること、信頼させること、信頼し合うことが最高の得物になる。
 
 盗賊という仕事は自分も他人も信頼出来ない職業だ。
 だが、《間違いない》切札と《予想外のとき》に助けてくれる仲間は何より有難いものだ。
 
 真に信頼できる仲間を得るために、汚れても邪(よこしま)になるな。
 
 売った信頼は後で返ってくるものだ。
 だが、それ以上に信頼を無償で生む人間関係こそが、黄金に勝る。
 
 盗賊が義理や掟を重んじるのは、最終的にそのことを理解できた奴が優れた首領になるからだ。
 
 無一文になったとき、お前が信頼でき信頼してもらえる仲間って奴が残っていたなら、それは儲けものなんだよ〟
 
 1人でやっていた頃、この言葉は理解が出来なかった。
 
(今なら分かるよ、お父ちゃん。
 
 アイツのためなら、この都市の全部の黄金だって惜しくない。
 私の大切な仲間のためなら、国を売る事だって惜しくない。
 
 仲間って、そういうものなんだね…)
 
 レベッカは、シグルトを愛しているのだと思う。
 だが、それは他の仲間に対して持っている感情に近い。
 家族愛とでも言おうか。
 
 だが、レベッカがここまで執着した仲間は今までいなかった。
 
(…私、馬鹿ね。
 
 何とかなるように考えるのが私の《お姉ちゃん》としての役目じゃない。
 そうと決まれば、またファビオを探して名医や癒しに優れた聖者様の噂でも見つけてもらいましょう)
 
 そう考えたレベッカは、眠気覚ましに辛い酒を一杯やると、盗賊ギルドに向けて出立した。
 
 
 レベッカがいつものように路地をうろついていると、ふと嗅ぎ慣れた臭いがした。
 
 鉄のような錆びた臭い。
 血臭である。
 
 臭いの元を注意深く探ったレベッカは、路地の壁に寄りかかって喘いでいる人物を見つけ、目を見開いた。
 
「…ファビオッ!」
 
 髪が濡れたまま放置したようにぼさぼさで、潮と泥の混じったような異臭を放っている。
 服は生渇きで、応急処置に巻いた血止めらしい布が乾いた血で黒く染まっていた。
 
「…ぐ、レベッカか?
 
 はは、ようやくツキが巡ってきたみてぇだ」
 
 目を閉じたまま、ファビオは何とか吐き出すように言葉を紡ぐ。
 
「…あんたほどのやり手を、ここまで追い込むなんて。
 
 とにかく、話は後で聞くわ。
 
 肩を貸す?
 それともギルドの三下どもを連れて来る?
 
 まずは治療をしないと…」
 
 レベッカがそう言いながら駆け寄ると、ファビオは首を横に振った。
 
「さっき、仲間を呼ぶ笛を鳴らした。
 直に来るから、俺の事はいい。
 
 それより、シグルトは昨日戻ったか?」
 
 ファビオは眩しそうに目を開くとレベッカに問うた。
 
「…昨日夜を明かして待ってたけれど、戻らなかったわ。
 
 あのレナータって娘のところにいるんじゃないかしら?」
 
 レベッカの応えに、ファビオは舌打ちした。
 
「く、じゃあ戻ってないのか…
 
 掴まっちまったようだな、シグルトの奴」
 
 ぐい、とレベッカがファビオの服を掴んだ。
 
「…何があったの?
 
 シグルトが関わってるっていうの?!
 あいつ、今戦える状態じゃ…」
 
 そこまで言って、苦しそうなファビオに気付き、慌てて手を緩める。
 
「…余談抜きだ。
 
 シグルトは昨日、俺とこのアレトゥーザの危機に関わる話をしていた。
 ところがその最中に、この間レナータって精霊術師を襲った奴らが用心棒を雇って仕返しに来やがった。
 
 俺はシグルトが隙を作ってくれたから何とかこうやって逃げ延びた。
 …この様だがな。
 
 レベッカ、お前はシグルトを仲間たちと助けに行け。
 東にある岬の上の廃教会だ。
 俺は、シグルトとの約束を守らなきゃならねぇ。
 
 後で回せる連中がいたら、そっちに回すから急げ。
 
 シグルトには借りを返さなきゃならねえんだ。
 必ず助けろよ。
 
 いいか、ザハっていう緑の服の仮面野郎と、ヒギンっていう魔術師風の男に気をつけろ。
 あいつら、多分アレトゥーザでも最強の冒険者“海風を薙ぐ者達”の連中に次ぐ一級の腕前だ。
 
 ザハって奴は闘舞術と南方の体術を使う格闘家だ。
 全身が武器みてぇな野郎だ。
 
 ヒギンはこのアレトゥーザで導師をしてたこともある魔術師だ。
 堅実で地味だが、嫌な防御の魔法を使いやがる。
 賢者の塔のすかした魔術師の兄ちゃんをライバル視してたが、それぐらいの実力はある野郎だ。
 噂じゃ竜巻の魔法を使えるらしい。
 俺の背中もこのおっさんにやられたが、剣を飛ばす魔法も使うから注意しろよ。
 
 あと、前にシグルトと闘ったバドゥーリって傭兵崩れは腕が立つ。
 ロネって腕の長い盗賊野郎は腕もそこそこだが、汚い手をよく使う。
 
 注意しろよ…」
 
 そこまで一気に言ったファビオは、息を吸いすぎて派手にむせた。
 その背を撫でながら、レベッカはこれからすべきことを頭の中で整理していく。
 
「…分かったわ。
 
 私は仲間を集めつつ、岬の廃教会を目指す。
 そしてシグルトを助けるわ。
 
 その後は?」
 
 仲間がいる場所を思い浮かべながら、ファビオの応急手当をするレベッカ。
 
「ことが片付いたら、そのまま『蒼の洞窟』を目指してくれ。
 そこに、もう1つ問題ごとがある。
 
 かなりやばい怪物がこのアレトゥーザの近海にいるらしい。
 2匹のでかい海蛇だ。
 1匹はレナータが封じ込めてるらしいが、もう1匹はどこにいるかわからねぇ。
 話じゃ、体長15mになる特大サイズらしいな。
 こんなのが暴れたら、海に近い場所の住人や漁師たちにかなり死人が出るだろう。
 
 そいつらの退治が仕事だ。
 
 俺はこの様で動けねぇから、ボスに掛け合ってあんたたちの報酬を都合つけておく。
 ただ働きにはしねぇから、頼む。
 
 あと、“風を駆る者たち”にも手伝うよう伝えてくれ。
 1パーティじゃ手に余る仕事だからな。
 シグルトが闘えないんじゃ、余計に戦力が必要だ。
 
 俺も出来るだけ声はかけてみるが、拙いことに、最近“鮫(海賊のこと)”の動きが盛んで、ギルドの連中が出払ってる。
 何とか手を回してみるが…
 
 たぶん出せる報酬は、全部で銀貨二千枚ぐらいだ。
 “風を駆る者たち”の連中と組むなら山分けってことになる。
  
 この件の解決はレナータって娘を救うことに繋がるし、シグルトも望んでることだ。
 
 …正直、時間が無ぇ。
 無茶な依頼だが、何とか仲間を説得してやってくれ。
 
 必ずこの借りは返すからよ…頼む」
 
 レベッカはしっかり頷く。
 
「わかったわ。
 
 その傷が治ったら、あんたの奢りで高級酒1本。
 それでチャラにしてあげる。
 
 私はもう行くわ。
 あんたは…」
 
 見るとファビオは気が抜けたのが意識が無い。
 
 レベッカは苦笑すると、ファビオのいる場所を知らせるために、その路地の入り口にある木の壁に小型ナイフを突き立て、その柄に彼の衣服の切れ端を特殊な結び方で結わえておいた。
 
 こちらに向かってくる数人の気配がするが、歩き方が素人ではない者もいるようだ。
 笛に気付いた盗賊ギルドの者たちだろう。
 ファビオは彼らが回収するはずだ。
 
「…さて、行くか」
 
 そう呟くと、レベッカは疾風のように走り出した。
 
 
 ザザ…
 
 波の音が聞こえ、シグルトは目を覚ました。
 全身が軋むように痛む。
 
 身体に巻かれた感触は治療のための布の他に、拘束するための縄の感触もあった。
 
(…生きてはいるが、掴まったわけか)
 
 縄の感触は初めてではない。
 冷たい石の床の感触も。
 
 あの時は嫌らしい笑いを浮かべた男たちがいて、妹が拘束されていた。
 
(…ファビオは、いないみたいだな。
 
 なら、何れ助けが来る。
 俺は耐えて待てばいいだけだ。
 
 あのときに比べれば、かなりましだな)
 
 そう思って目を開けると、そこは日の光が差し込む窓のすぐ側だった。
 海が近いのだろう、潮騒の音が聞こえる。
 窓から吹き込んでくる風は、すでに冬の冷たさを含んでいる。
 
「…ドウヤラ、気ガ付イタヨウダナ」
 
 くぐもった独特の発音の声だった。
 
 確認すると、シグルトの意識を奪った緑衣に仮面の人物が、シグルトを見下ろしていた。
 
(ザハ、とかファビオが言っていたな)
 
 闘って分かったが、かなりの使い手だった。
 おそらく、総合的な技量ではシグルトに勝るかもしれない。
 
「…マァ、私ト慣レ合イナドシタクハ無イダロウガ、オ前サエ暴レナイナラ、手ハ出サナイ。
 
 依頼主ハ、ワカランガナ」
 
 そう言うと仮面は縛られて動けないシグルトの横に腰を下ろした。
 
「…オ前ガコレカラドウナルカハ知ラナイガ、何カ起コル前ニ、伝エテオキタイ。
 
 オ前ハ偉大ナ戦士ダ。
 ソノ武勇、讃エヨウ。
 
 オ前ノヨウナ戦士ト闘エタコトト、ソノ闘争ヲ我ガ手デ終ワラセタコトヲ、私ハ誇ル」
 
 そう言うと、仮面はシグルトがつけた緑衣の裂け目の修復痕を指差した。
 
「アノ見エナイ剣モ、風ノ剣モ素晴ラシイ。
 
 久シクナカッタ、甘美ナ勝負ダッタ。
 敵ニコノヨウニ言ワレテモ、嬉シクナドナカロウガ、コレダケ言イタカッタ」
 
 そう言って、仮面は小首をかしげた。
 
「…あんたは女か?」
 
 シグルトはその小さな動作で、その性別を見破った。
 
「ソノ通リダ。
 
 コンナ格好デモシナケレバ、南方出身ノ黒イ肌ノ元奴隷女ガ、男ニ混ジッテ仕事ヲスルノハ難シイ。
 ソレニ、コノ格好ハ正体ヲ隠スニハ最適ダ」
 
 仮面はその面に手をかけ、外す。
 
 道化の仮面の下から現れたのは、黒い瞳の、20代後半ぐらいの女性だった。
 黒曜石のように黒い肌は磨かれたように光っている。
 厚い唇は笑みの形に結ばれていた。
 
「俺に見せても大丈夫なのか?」
 
 そうシグルトが言うと、女…ザハはニッと笑った。
 
「少ナクトモ、今ノ依頼主タチニ見セルツモリハ無イガ、オ前ハ見セルニ値スル。
 
 ソノボロボロノ身体デ私ヲアソコマデ追イ詰メタ。
 私ノ故郷デハ、強ク、ソレ以上ニ勇猛デ誇リアル者ニハ、最大ノ礼ヲ尽クス」
 
 ザハは無愛想な仮面には似つかわしくないほど、感情豊かな顔で、胸を張って言った。
 
「…そうか」
 
 少し苦笑すると、シグルトは黙った。
 
「…私ガ何故アノ男タチニ従ウノカ、聞カナイノカ?」
 
 やがてザハの方から話しかけてきた。
 
「人には色々な理由や考えがある。
 その全てを理解することは俺には出来ないが、金にしろ人にしろその理由が命をかけるほど大切なら、俺がどうこう言うまでもない。
 
 あんたは戦士なんだろう?
 闘う理由はそれだけで事足りる。
 
 あいつらに従う理由があんたの中にあるなら、それで十分だろう」
 
 聞くのは野暮なことだ、とシグルトは苦笑した。
 
「…ソウイウモノカ?」
 
 また小首をかしげたザハに、シグルトは苦笑して頷いた。
 
 そのとき、石の床を歩く硬い靴音が聞こえてきた。
 
「…依頼主ノオ出マシノヨウダ。
 私ハモウ行ク。
 
 …サラバダ」
 
 元のように仮面をつけ、ザハは流れるような動作で去っていった。
 
 その後すぐ、部屋に2人の男が入って来た。
 
「…よぉ、芋虫みたいな格好だな。
 
 気分はどうだい?」
 
 傭兵崩れの男、バドゥーリである。
 
「…最悪だな。
 
 床の冷たさが心地よかったが、あんたたちの顔を見たら吐き気がしてきた」
 
 憎まれ口で返すシグルト。
 
「へっ、言うね。
 
 むかつくのを通り越して、気持ち好いぐらいだ。
 そういうてめぇを見下ろすのもな」
 
 下品な顔で笑うバドゥーリ。
 
「…余計な話はしないで下さい。
 
 用件があるのは私なのです」
 
 もう1人の男はジョドというレナータをバドゥーリたちに襲わせた侍祭だった。
 
「今回もあんたが黒幕か?
 
 うちの司祭の爺さんが嘆きそうだ。
 いつから、聖海の徒はこんな下種になったのかってな」
 
 ガスッ!
 
 鈍い音とともにシグルトの身体が転がった。
 
「…黙りなさい、魔女の手先の分際でっ!」
 
 目を吊り上げるジョド。
 
 シグルトは咳き込んだ後、哀れむような目でジョドを見返した。
 
「…何ですか、その目は!」
 
 ガスッ!!
 
 もう一度ジョドがシグルトを蹴り飛ばす。
 だが、シグルトは歯を食いしばって転がらず、黙ってそれを身体で受け止めた。
 
「…あんたと同じ目をした奴を、俺は知っている。
 
 権勢や組織の威を自分の都合のいいように解釈して、狂信に走った壊れた奴の目だ。
 
 縛られていて残念だよ。
 殺さない程度にぶん殴ってやれないからな」
 
 低い声でシグルトははっきりと言った。
 
「な、なにぃ!」
 
 怒り狂ったジョドが、さらに暴力を振るおうと構えたわずかな呼吸のとき、シグルトはくっと睨みつけた。
 
「…いい加減にしろっ!!!」
 
 そして一喝。
 
 驚いたジョドは体勢を崩して尻餅をついた。
 
「…邪悪な奴は今のお前の方だ。
 
 そうやって、正義のためだと1人の女の子を悪人に仕立てるのか?
 聖海の教えは異国の神すら改宗させて列聖させたんだろう?
 
 自分たちと違うから、レナータを悪にするのか?
 
 俺は坊主じゃないから、あんたの言う御大層な魔女だの悪魔だのという話は理解できん。
 
 だが、心を救い、魂を救うのが宗教じゃないのか?
 
 抵抗しないものをいたぶって、それを正義とほざくお前はその辺の害獣よりよほどたちが悪い。
 
 都合よく作り上げた使命感や、誰かを不幸にする大儀を掲げても、俺には醜い行いにしか見えない。
 誰かを貶めることに固執して、何の正義があるって言うんだ?
 
 …お前の中で俺が魔女の使徒なら、それでもかまわん。
 お前と同類扱いされるよりは、よほど居心地がいいだろう」
 
 迷い無い瞳で、迷い無い言葉でシグルトはジョドを貫いた。
 
「…だまれぇぇぇえっ!!!!!」
 
 逆上したジョドはシグルトの顔面を蹴り飛ばした。
 
「私が、私が怯むとでも思っているのかっ!
 
 異教徒の分際で、魔女の下僕の分際で、よくも、よくも、よくもぉぉぉっ!!!」
 
 狂ったようにジョドはシグルトを蹴り続けた。
 
 やがて、疲れて動きを止めたジョドを、シグルトはまた哀れむような目で見つめた。
 
「…きっと、お前の狂信は俺が殴っても治らないんだろうな」
 
 何か言い返そうとしたジョドは、荒い呼吸しかできなかった。
 
「がははっ!
 
 痛快だったぜ、シグルトさんよ。
 
 けどよぉ、あんたは人質なんだぜ?
 そんなにのん気に、坊さんに説教してていいのかぁ?」
 
 バドゥーリが下品に嗤いながらシグルトを見下ろした。
 
「…こんなときでもなければ説教も出来まい。
 
 お前らはいつも問答無用で襲い掛かってきたからな」
 
 シグルトの泰然とした態度に、バドゥーリが鼻白む。
 
「丁度、休暇の予定だったからな。
 …存分に説教してやるぞ。
 
 人質なんて三流の悪役のようなことを続けていれば、そのうちにボロが出る。
 
 俺といた男は逃がしたみたいだな?
 のん気なのはお前たちの方じゃないのか?」
 
 バドゥーリは押し黙った。
 シグルトにはどんな脅しも無駄だと分かったからだろう。
 
 だが、バドゥーリの後ろでゆらりとジョドが立ち上がった。
 
「………」
 
 ジョドの目は狂気に犯されていた。
 
「バドゥーリ、この男を立たせなさい」
 
 何をする気だ、と聞こうとしたバドゥーリをジョドが睨む。
 
「…へいへい。
 
 三下は辛いねぇ」
 
 バドゥーリはシグルトの縄を掴んで立ち上がらせた。
 
「なぁ、旦那。
 
 何するつもりだ?」
 
 ジョドは黙って短剣を抜くとシグルトの右手の掌を刺した。
 
「…っ!」
 
 焼けるような痛みに対し、シグルトは歯を食いしばって耐えた。
 
「おいおい、治療するのは俺たちなんだぜ?
 
 あんまり血が出るやり方はしねぇでくれよ」
 
 バドゥーリがうんざりしたように言う。
 
「無用ですよ、手当てなど。
 
 処刑すればいいのですから」
 
 恍惚の表情を浮かべてジョドが嗤う。
 
 バドゥーリが止めるまもなく、ジョドはシグルトの腹を短剣で貫いた。
 引き抜き、すぐにその胸も刺す。
 肺腑を刺されたシグルトは小さく咳き込んで吐血した。
 
 そしてよろめくシグルトを、ジョドは教会の窓から海に向かって蹴り落とした。
 
「…旦那?」
 
 少し青ざめてバドゥーリがジョドを見る。
 
「…悪の1つはこれで滅びました。
 
 次は魔女ですよ、バドゥーリ」
 
 光の無い狂信の目で微笑むジョドに、バドゥーリの背筋を冷たい汗が滑り落ちた。
 
「あと、悪魔の武器は危険ですね。
 
 大いなる海に委ねましょう」
 
 そしてジョドは、バドゥーリが持っていたシグルトの愛剣【アロンダイト】も、ゴミを放るように海に投げ捨てた。
 
 
 シグルトは落ちていた。
 
 教会の窓の下は崖だった。
 その下は海である。
 
 身体を動かそうとして喀血し、そして激しい衝撃が身体を襲った。
 
 高所から落ちると、水面すら岩のような硬さを持つ。
 まともに身体の動かせなかったシグルトは、海面に叩きつけられたのだ。
 
 全身の血肉が逆流するような感触。
 跳ね上がる大量の水飛沫。
 
 見る間にシグルトの血が、碧い海水に紅い帯を引いた。
 
 シグルトの意識はそこで途切れ、筋肉質の重い身体はゆっくりと海に沈んでいった。

 
 ビュオォォォォォッ!!!!!
 
 風が一度大きく逆巻くと、碧海を望む都の風は突然止んだ。
 同時にアレトゥーザの臨む碧海の潮騒も波も、ぴたりと静まる。
 
 突然の凪(なぎ)であった。
 
 船の出入りが多いアレトゥーザにとっては大きな問題である。
 
(…何なんだ、この凪は?
 
 まるで風も水も塞ぎこんでるようだ。
 
 それに、このどす黒い不安はいったい…)
 
 ニコロが眉間に皺を寄せていると、エイリィが心配そうに見つめてきた。
 
「ああ、ごめん。
 
 なんだかすごく嫌な凪だから」
 
 そういうニコロにエイリィも頷く。
 
「…私もそう思う。
 
 孤児院で仲のよかった子が死んじゃった朝、こんな不安な気持ちになったわ。
 皆、大丈夫かな?」
 
 不安そうなエイリィの肩を、ニコロは優しく叩いた。
 
「大丈夫だよ。
 
 皆も、レナータさんも、シグルトさんもきっと」
 
 ニコロとエイリィは『蒼の洞窟』へと急いでいた。
 
 “風を駆る者たち”は3グループに分かれて別行動をとっていた。
 時間を節約するために、レイモンが提案した案である。
 
 レイモンとオーベは教会に。
 ガリーナとユーグは盗賊ギルドに。
 
 事の起こりは、『悠久の風亭』のマスターの依頼である。
 
 聖地である『蒼の洞窟』を巡って、聖海教会の保守派がレナータへの迫害を強め、洞窟からの立ち退きを勧告しはじめたのだ。
 それに対して首を縦に振らないレナータを、教会の保守派は近く行われる《ネプトゥヌスの祝祭》で魔女として裁く予定だという。
 
 レナータを師として慕うニコロが、これに黙っているはずがない。
 “風を纏う者”もシグルトの故障でまともに動けないだろうと、マスターは“風を駆る者たち”にレナータが立ち退かない理由の調査と、彼女の保護を依頼したのだ。
 
(…今行くよ、レナータさん!)
 
 ニコロは焦る気持ちを必死に抑えながら、足を速めていた。
 
 
 “風を纏う者”の面子は、レベッカの行動で集まっていた。
 
 そして、そのまますぐに岬の廃教会をめざしていた。
 仲間が揃い、“風を駆る者たち”に増援を頼もうしていた時、突然顔色を青くしたラムーナが先に行くといって駆け出してしまったからだ。
 
「…変なの。
 
 ものすごく嫌な予感がする」
 
 走り出す途中で、ラムーナは一度立ち止まり空を仰いだ。
 
「…風が止んだ?」
 
 いつも海から吹き上げる潮風は、大きな一吹きの後にぴたりと止んでいた。
 同時に周囲の海も沈黙する。
 
「…凪ね。
 
 でも、この場所でこの時期におかしいわ」
 
 ラムーナは自分の肩を抱き、震えていた。
 
「ラムーナ?」
 
 レベッカがその表情を伺う。
 
「…怖い。
 
 よくないことが起きてる」
 
 こんなラムーナを見たのは初めてだった。
 足の遅いロマンやスピッキオがようやく追いつく。
 
「…はぁ、はぁ。
 
 2人とも足、速すぎるよ」
 
 ロマンが荒い息で言う。
 
「…まったくじゃ。
 
 年寄にこの坂を走らせるのは、酷というものじゃよ」
 
 汗を拭いながら杖で身体を支えるスピッキオ。
 
 2人がラムーナを見ると、蒼白な顔でレベッカに支えられている。
 
「…お姉ちゃんが死んだときと同じ…
 
 あの日も風が止んじゃった…
 
 だめ…急がなきゃ、急がなきゃっ!!」
 
 ラムーナはまた走り出す。
 
 ロマンとスピッキオがそれを見て、仕方ないという風にまた足を速める。
 
 なぜかもう不満の声は出なかった。
 
(…くそ、私も嫌な予感がするわ。
 
 何だっていうのよ、この不安な気持ちは)
 
 レベッカも怠惰な彼女には珍しく、真剣な顔で走るのだった。
 
 
 走り通しだった“風を纏う者”は、昼には廃教会の前までやってきていた。
  
「今回は相手が強いわ。
 
 相手の主力は4人。
 戦士が2人に、魔法使いが1人、盗賊が1人。
 
 どうやら秘蹟を少しばかり使うボス猿がいるみたいだけど、白兵戦はからっきしみたいだから、まずは主力を一気に潰す。
 
 目標はシグルトの救出よ。
 お互い無理はしない。
 
 いいわね?」
 
 一同は黙って頷いた。
 
 本来は彼らをまとめるシグルトがいない。
 しかし、シグルトのためという意識が強い連帯感を生んでいた。
 
「OK。
 
 じゃあ、いくわよ!」
 
 レベッカが廃教会の壊れかけた窓から忍び込んで、正面の戸を開け、一気に侵入する。
 そこには、昔礼拝堂だったらしい場所で、数人の男が酒を飲み交わしていた。
 
 その中に腕の長いチンピラ風の男、ロネもいる。
 
 レベッカが1人の男を刺し殺し、ロマンの【眠りの雲】の呪文で半数が無力化する。
 ラムーナは即座に2人の傭兵を蹴り倒していた。
 
 慌てたロネが叫びながら、逃げていく。
 
 おそらく連中はシグルトを盾にしてくるだろう。
 そう思っていたレベッカは、逆にその時にシグルトを救出する腹だった。
 
 しかし、一行が奥の広間にたどり着くと、そこには5人の敵がいるだけだった。
 
 ジョドという侍祭を囲み、仮面に魔術師、そして傭兵と盗賊。
 
 敵の1人、ザハという仮面が前に出て来た。
 
「…シグルトはどこ?」
 
 レベッカは恫喝するように、低い声で言った。
 
 一瞬仮面がちらりと窓の方を見た。
 その先には、南海の強い日差しが差し込むだけだ。
 
「さぁて、なぁ。
 
 知りたきゃ、俺らを倒すんだなっ!」
 
 傭兵…バドゥーリが剣を抜く。
 
 そしてザハから動いた。
 
 ラムーナがザハの拳をひらりとかわすと、鋭い蹴りを見舞い、即座に体勢を整える。
 両名の激しい攻防が行われるが、どちらも高い回避力でまったく互いの攻撃が当たらない。
 
 【幻惑の蝶】と呼ばれる回避術。
 
 素早い闘舞術の使い手が使うと、そのフットワークは驚異的なディフェンスとなる。
 
「《…穿て!》」
 
 一方ロマンは【魔法の矢】を撃つ。
 
「こしゃくな小僧めっ!」

 接近してきたバドゥーリが【魔法の矢】の直撃を食らって転倒するが、相手の魔術師はロマンに対するように複雑な印を結ぶ。
 そして東方の発音を含んだ独特の詠唱。
  
「《砂塵が装束、猛る輪舞を踊れ妖霊ぃ!》
 
 《叫べ、竜鳴く風の暴虐を!!!》」
 
 ロマンの顔色が青くなる。
 
「気をつけてっ、【砂の旋風】だ!!!」
 
 廃教会の壁を裂きながら巻き起こった竜巻。

 巻き込まれたレベッカたちは、風に裂かれ壁や床に叩きつけられて傷ついた身体を庇い、後ろに引いた。
 アレトゥーザでも伝授されるこの魔法は集団に大きな打撃と、深刻な能力低下を招く。
 
 砂の混じった風は目を霞ませ、身体を大きく切り裂くのだ。
 
「…主よ!
 
 我が主よ!
 
 我等に祝福を与えたまえ!」
 
 スピッキオの祈りの声が柔らかく仲間を包む。
 そして即座にスピッキオは【癒しの奇跡】を用いて仲間を癒した。
 
 敵は【魔法の鎧】による補助で堅牢であるが、“風を纏う者”もスピッキオの【聖別の法】で守られている。
 しかも、スピッキオの唱える【祝福】の言葉が、“風を纏う者”の能力を高めていた。
 
 砂塵による行動の阻害が【祝福】によって洗い流され、“風を纏う者”は奮い立つ。
 
「!!!」
 
 激闘の末、レベッカが絞殺紐でロネを絞め落とした。
 回復の援護の無い敵側は、スピッキオの回復の秘蹟を破れずに一方的に疲弊していった。
 
「《刃の精霊、剣の主よ、斬り裂け、断ち斬れ、血潮を出だせ…》
 
 《岩をも穿つ咒(のろ)いを刻め!》」
 
 ラムーナがザハとの膠着状態から隙をついてその頭上を跳び越し、ヒギンを襲った。
 
 空中で舞われるまじないの剣舞。
 
 相手の防御を紙同然にする【咒刻の剣】である。
 ラムーナが新しく習得したこの技が、【魔法の鎧】の防御を無力化して大きな傷を与える。
 
 着地と同時に紫色のまじないが、ヒギンを袈裟斬りにした。
 
「ぐぅぅ、このようなまじないもどきに…」
 
 あふれる己の鮮血を押さえ、ヒギンは呻いた。
 
 この世界の法則では、常に防御の魔力は塗り変えられる。
 ラムーナの剣は、鉄のような防御の魔法を打ち破り、その上でさらに防御を奪ったのである。
 
 そしてザハが庇いに入る前に、ラムーナの鋭い突きがヒギンに止めを刺した。
 
 直後に対峙する2人の舞い手。
 闘舞術の使い手同士の激しい戦闘がまた始まる。
 
 レベッカは綱を構えながら、バドゥーリと激しくせめぎ合う。
 
 ジョドの唱える【聖なる矢】にロマンが【魔法の矢】で返し、腕を貫かれたジョドは慌てて遮蔽物の後ろに隠れた。
 
 舞い手同士の凄まじい攻防は、目まぐるしい動きで続いていた。
 
 ザハが不意に不自然に顔を向け、瞬間ラムーナが石の様に硬直する。
 即座に【幻惑の蝶】の【幻蝶舞踏】の動作で、ラムーナは間一髪でザハの拳を避ける。
 
「…知ってるはず。
 
 呪縛や緊縛に対して、その脱出は闘舞術の基本だよ」
 
 ラムーナは相手を威圧するように言う。
 
 南方大陸から伝わった戦いのダンス《闘舞術》。
 足場の悪い場所や拘束された状態から脱出して闘うその技法。
 一説には、その舞踏を生み出した先達には奴隷階級だった者もいたという。
 
 一方、ザハの使った《倣獣術》も南方大陸から伝わった武芸だ。
 相手を即座に硬直させる【妖狐の呪眼】。
 邪眼(イビルアイ)の1つとして恐れられる金縛りの瞳術(どうじゅつ…目や視線を使った技術)である。
 
 身体能力を高め、非力な舞い手が体重や遠心力で力を得られる《闘舞術》。
 相手の体勢を崩し、身体の躍動で恐るべき破壊力を生む《倣獣術》。
 
 この2つは相反する部分と共通する部分を持つ武芸であり、両方を揃って使いこなしたときこそ、恐ろしい効果が生まれるとされる。
 その典型であるザハは強い。
 しかし、一芸を磨いてきたラムーナも強かった。
 
 だが、【妖狐の呪眼】受けた直後のラムーナの行動は守備に徹している。
 
「…我ガ瞳術ノ封ジルハ、身体ダケデハナイ。
 
 闘ウベキ心ヲ奪ワレタ者ニハ、敗北アルノミダ」
 
 【妖狐の呪眼】の恐ろしいところは、相手の心に恐怖や慎重さを刻み付けて、防戦一方に追いやる効果にある。
 
 目に見えてラムーナが押され始めた。
 
「《…眠れ、穏やかに》」
 
 その背後から不意に響くロマンの詠唱。
 
「…ヌカッ…タ」
 
 奇襲で放たれた【眠りの雲】の起こす激しい睡魔に体勢を崩すザハ。
 ラムーナは準備していた【連捷の蜂】の初動作でザハの延髄を蹴る。
 挫けそうな心を叱咤し、次の攻撃を放つ。
 それは目覚めたザハにかわされたが、即座に【咒刻の剣】の構えを取った。
 
「《…縛れ!》」
 
 ロマンの呪縛の呪文が相手の動きを一瞬縛る。
 
「…グッ!!!」
 
 呪縛を解こうとする直前のわずかな隙。
 
「《岩をも穿つ咒いを刻め!!!》」
 
 ザハが【蜘蛛の糸】を解く前に、わずかに速かったラムーナの剣がザハの防御を破りその身を穿った。
 
「…潮時カ」
 
 何とかその攻撃に耐えたザハは、呪縛を破ると傷を押さえながら窓の外を見る。
 
「契約変更ノ時間ダガ 、私ハ人質ヲ激昂シテ殺スヨウナ依頼主ニハ、コレ以上ツイテイケヌ。
 
 私ノ仕事ハココマデダ」
 
 あっさりとザハは逃走する。
 
「ま、待ちなさい!
 
 逃げたら、後金は払いませんよ!!」
 
 ジョドが必死に呼び止めるが、ザハは入り口で立ち止まり振り向かずに手を振った。
 
「…結構ダ。
 最低限ノ仁義ヲ守レヌ奴ニ、後金ナド期待シナイ。
 
 今マデ闘ッタノハ、キチントシタ契約デ前金をモラッテイタカラナ」
 
 実にクールなしぐさでジョドを黙らせる。
 
「…シグルト。
 
 アノ男ハ、真ノ戦士ダッタ。
 私ハ、戦士ノ死ヲ軽ンジル者ハ信用シナイ」
 
 そう言い残し、ザハは去って行った。
 
「…あ~あ、こりゃ俺らの負けだわ」
 
 バドゥーリが剣を投げ捨てる。
 降参の構えか、両手を大きく万歳の形で上げる。
 
「…待ちなさい!
 
 今の仮面野郎の言ってたことってっ!!」
 
 レベッカが目を剥く。
 普段冷静沈着な彼女が焦った様子だった。
 
「…言葉通りだよ。
 
 俺らの依頼主は、切れて縛られたままのシグルトをぶっ刺して海に投げ落としちまった。
 
 この辺は鮫が多いし、傷の1つは肺のあたりだった。
 おまけに船はこの凪で通らねぇだろうし、泳ぎついで這い登れる岸も近くに無いからな。
 
 死んだのは間違いねぇだろ」
 
 そう言うとバドゥーリは疲れたような顔で苦笑した。
 
「う、嘘だ!
 
 シグルトが、シグルトが死ぬはずないよっ!!」
 
 ロマンが取り乱して否定する。
 
「あの野郎とは、剣で決着をつけたかったぜ。
 多分勝てなかっただろうがな。
 
 つまらねぇ話だ。
 
 あんなに強くて、憎たらしいぐらい男前だったのによ。
 死ぬときは、あっけなかったぜ。
 
 世の中ってやつは、いっつも理不尽だ」
 
 バドゥーリは頭をぼりぼりと掻きながら、海を眺めた。
 
「…戦争がなくなりゃ、俺たち傭兵はお払い箱だ。
 
 ちんけな野郎について、酒飲んで、盗んで、女犯して、人殺してよ。
 でも、な~んも感動が残らねぇ。
 
 シグルトの野郎、縛られて蹴飛ばされても真っ直ぐな目で居やがった。
 あんなに理不尽に死んじまう時まで、あの目のまんまだった。
 
 …すげぇよなぁ」
 
 それはとても疲れた男の目だった。
 戦場で戦い、修羅場を何度も経験して戻れなくなった男。
 
 そんな彼は心の隙を埋めるために、魔女狩りという大儀に半信半疑で加担したのだ。
 
 戦場では腕利きとされた彼は、平和な世界では鼻つまみ者だった。
 そして、彼が選んだ道は悪人の道だった。
 
「にわか正義はだめってことだな。 
 
 俺も、こんな奴につくのは止めるぜ。
 
 …戦場で死んでりゃ、よかったな。
 
 官憲に身柄がいきゃ、余罪で縛り首だからなぁ。
 こんなちんけな野郎の側じゃ、どうせ神の国なんて、いけねぇだろうしなぁ。
 地獄行き決定だわな。
 
 …俺も逝くわ。
 無様に晒されるよりゃ、いくらかましだろ。
 
 んじゃ、バ~イって、な」
 
 バドゥーリは走り出すと窓から海に飛び込んだ。
 冷たい水音の前に、一度岩で身体がひしゃげる鈍い音が鳴った。
 
 だがシグルトの死というショックに、一同は動けないままだった。
 
 数秒後、レベッカだけはジョドの隠れる場所に向かっていく。
 そこで震えていたジョドを蹴り倒し、仰向けにして馬乗りになる。
 
「ひぃ、止めろ!
 
 私は、私は聖海の…」
 
 暴れる邪魔なジョドの腕を止めるために、レベッカは能面のように無表情な顔でジョドの肩の腱を断ち切った。
 
「うぎゃぁぁぁ!!!!」
 
 凄まじい絶叫があたりに響く。
 
 グシャッ!!
 
 騒がしい叫びを止めさせるため、レベッカは短剣の柄で、ジョドの鼻っ柱を粉砕した。
 
 ジョドがくぐもった呻き声しか上げられなくなると、レベッカはその胸倉を掴む。
 
「…あんたがシグルトを殺したの?」
 
 ひぃひぃと言うだけのジョドの頬を強く張る。
 
「返事をしないなら、耳を削ぐわ」
 
 短剣をその耳に当てられたジョドは、失禁しながら何度も頷く。
 
「…縛ったまま刺して海に落としたって、本当?」
 
 ジョドは必死に頷くだけだった。
 
「…そう」
 
 レベッカはそう言うと、ジョドの喉笛を短剣で掻き切った。
 
 ひゅう、ひゅう…
 
 気管から空気の抜ける音。
 ジョドが泣きながらレベッカを見つめる。
 
「…あんたの神様に祈ったら?
 
 無理か。
 もう喋れないもんね。
 
 その腕じゃ、十字も切れないし、地獄行きね」
 
 冷たい目でレベッカは一瞥して立ち上がった。
 
 ジョドは白目を剥き、そしてこと切れた。
 
「…畜生」
 
 レベッカはそう言って寝転がってるロネのところに行く。
 
 冷たい目のままレベッカは、ロネが目を覚ます前に止めを刺した。
 
 凄惨な殺人を冷たい表情で行うレベッカに、スピッキオは動けなくなっていた。
 怠惰だが、陽気で情に厚いレベッカとは思えない行動だった。
 
「…いけね。
 
 あんたたちがいたんだよね」
 
 その暗い瞳は、奈落を目に映した亡者のようだ。
 
 だが、ロマンはそれにも気付かずにシグルトの姿を探している。
 
「嘘だ、嘘だ、嘘だ…」
 
 うろうろとシグルトを探し続けるロマンの瞳もまた暗い。
 
 そして、ラムーナは脱力したように座り込んで海を眺めていた。
 
「…主よ。
 
 かくも慕われる若者を、何ゆえ召された?」
 
 しかし、スピッキオの言葉に応えるものは無く、静かな風の無い海が陽光を反射して輝くだけだった。
 
 
「くそ、4人だけで向かうなんて、無茶しやがって」
 
 “風を駆る者たち”のユーグとガリーナは、“風を纏う者”と合流するため、岬の廃教会を目指していた。
 
「無駄口叩かずに走る!」
 
 ガリーナはユーグの俊足について走っている。
 ユーグのお姫様は見た目より健脚だった。
 
 やがて廃教会につくと、入ってすぐの礼拝堂跡には激しい戦いの後が残っていた。
 
「この人数をシグルト抜きの4人で突破したのか…」
 
 倒れた傭兵たちを見て、ユーグはその鮮やかな手並みに感心する。
 
「…私たちと同格って言われてるんだから、この程度は当たり前よ」
 
 ガリーナは冷静な顔で奥をめざす。
 
 そして奥の広場。
 
「…うわぁ、こりゃ何があったんだ?
 
 柱がぼろぼろじゃねぇか」
 
 そう言うユーグの横で、屈んだガリーナは床を指で撫でる。
 
「【砂の旋風】よ。
 
 使った奴はかなりの実力ね。
 この惨状…私やロマンより格上かもしれないわ」
 
 ガリーナは立ち上がって歩き出そうとして、立ち止まった。
 
 さめざめと泣いている子供がいた。
 柱に寄りかかって呆けている娘がいた。
 娘を抱きかかえてぼんやりしている女がいた。
 そして小さな血の染みの前で、静かに祈る老人がいた。
 
「お、皆無事だった…ムグッ」
 
 じゃべり出そうとするユーグの口を塞ぐガリーナ。
 
「な、何を…」
 
 目を剥くユーグをガリーナが睨む。
 
「場を察しなさい。
 
 こんなのおかしいでしょう?」
 
 ユーグも、あらためてその異様さに気付く。
 
「…何があったんだ?」
 
 その呟きに、ラムーナを抱いて撫でていたレベッカが立ち上がった。
 
「…ユーグ、来たんだ。
 
 戦いは終わったわよ、無駄足になっちゃったけど」
 
 その瞳を見て、ユーグは背筋が震えた。
 
(…こんな濁ったドブみたいな目しやがって、何があったんだ?)
 
 ユーグを押しのけ、ガリーナが核心を言葉にする。
 
「ねぇ、《シグルト》はどこ?」
 
 《シグルト》という言葉に、“風を纏う者”の一行がびくりとする。
 その行為で、ユーグも事情を推測できた。
 だがその推測が外れていてほしいと、ユーグは思う。
 
 レベッカがすっと凪いだ碧海を見つめる。
 
「たぶん、あそこ。
 
 刺されて、海に投げ込まれたんだってさ。
 手足を縛られて…
 
 アイツ、もう手足もろくに動かせなかったのに」
 
 その言葉にまたロマンが泣き始めた。
 
「…嘘だろ?
 
 あのシグルトが、死んだって言うのか?」
 
 ユーグが呆然とした様子で言うと、レベッカは壊れた機械のように小首をかしげた。
 
「…嘘だとよかったんだけどね。
 
 そこにあいつの血糊が残ってるのよ」
 
 スピッキオが、飛び散った血の跡に向かって祈りの言葉を捧げていた。
 
 ユーグは何か言おうとするが、言葉にならなかった。
 ガリーナも黙ったままだ。
 
 しばしの沈黙の後、レベッカは軽く首を振り、少しだけ生気を取り戻した瞳になった。
 
「…さて休憩終わり。
 
 レナータちゃん、助けに行こう」
 
 レベッカがラムーナの肩を叩く。
 
「お前ら、そんな状態で…」
 
 そう言ったユーグに、レベッカは潤んだ瞳で苦笑した。
 
「アイツが望んだ仕事よ。
 アイツの言葉が生きているの。
 
 だから、私たちがやらなきゃ、ね」
 
 スピッキオが立ち上がる。
 
「悲しむのは後じゃ。
 
 シグルトの意志を全うするのが、今のわしらに出来ることじゃよ」
 
 涙をこすって拭き取ると、ロマンも頷く。
 
「僕たちのリーダーが決めたことだから、やらなきゃ」
 
 最後にラムーナが立ち上がる。
 
「これ以上、悲しいことはダメだよ」
 
 傷つき、疲れ、失った“風を纏う者”はともに手をとって歩き出した。
 
 ユーグはどうしていいか分からずにガリーナを見た。
 
 唇を噛み締めながら、ガリーナは吐き出すように呟いた。
 
「…ニコロたちに何て言えばいいのよ…」
 
 その呟きも、凪いだ南海の静寂(しじま)に融けて消えていくのだった。

 
 
 ようやくお届けします、レナータ編の中です。
 
 シグルト、逝きました。
 心臓止まってます。
 
 カードワースは3~6レベルぐらいが一番スリリングで面白い頃です。
 召喚獣が2種類セット可能になり、スキルカードも4~5枚とバリエーションが豊富になります。
 今回の敵、ザハやヒギンもかなり高レベルらしい闘い方をしていました。
 ヒギンは【魔法の鎧】を使い、ザハは【幻惑の蝶】を使っていました。
 実際のシナリオで、NPC側がこういうやや健全なドーピングをしていることは少なく、反則的なドーピング(能力改造とか)の方が多いような気がします。
 能力をUPし、堅実な勝利を狙うのは5レベル前後のベテランであれば当然のことだと思います。
 敵も味方もどっちもです。
 
 私はMartさんにアレトゥーザの新スキル案をデザインして送ったとき、利点と欠点を含めた傾向を作ってみました。
 
 《闘舞術》は能力向上があり、決定的な破壊力は無いものの、能力低下や呪縛に強い仕様。
 《倣獣術》は能力低下と破壊力が高く、直接的な効果の変わりに単体では呪縛や能力低下に弱い仕様。
 《盗賊術》は威力ではなく嫌らしさや狡さを強調したトリッキーな仕様。
 実は三つとも、非実体や、まともな血肉と精神を持たない連中が苦手になるようになっています。
 《闘舞術》はいくらか補えますが、もともとの破壊力の低さから考えるとやっぱり苦手が残ります。
 
 私は利点を活かし、いかに欠点を補うかを考えることが、プレイヤーとしてのやりがいに繋がると思っています。
 
 アレトゥーザのサブシナリオは、このあたりを考えてデザインしてらっしゃるので、何度もやりたくなります。
 
 《闘舞術》のダンスは面白い特性があって、能力ダウンを受けたら、それから即座に体勢を立て直す瞬発力があります。
 回避ダウンが毎ラウンドイベントで起こるシナリオで【幻惑の蝶】を使うとかなり痛快です。
 
 スキルの効果や使われた状況をイメージしつつ、リプレイを読んでいただくと、また味わいが違うかと思います。
 私の文章では美味しくないかもしれませんが…
 
 
 雑談が過ぎました。
 
 今度はいよいよレナータ編最終話です。
 
 Martさんがレナータ編最終話の後に、リプレイのブログを閉鎖するに当たり、それに花を添える話にしたいものですが…
 
 なお、Martさんの“風を駆る者たち”のリプレイはうちのブログに引っ越す予定です。
 今準備をしていますので、また読めます。
 
 詳しくは別の記事にて書きますので。
 
 私の方のブログはゆっくりマイペースに続けるつもりですので、今後ともよろしくお願い致します。
 
 これからも沢山の人が愛せるカードワースでありますように。
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