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『聖なる遺産』

2018.04.28(21:21) 443

 街道での仕事を終えたシグルトたちは、当初目的としていたリューンには行かず、東に戻ってポートリオンに向かった。
 リューンに面した街道がある領地の隣で農民の大規模な反乱が起き、それに教会の騎士が加わって街道の関所の通行が難しくなったのだ。 
 
 新港都市ポートリオンは、交易の盛んな新しい都市だ。
 この都の倉庫街には、各国の名産品を取引する商人がおり、レベッカが手に入ったものを換金しようと考えたのだ。
 
 ちょうど香辛料の値が上がっていた時で、手持ちの【森黄】とともに商人に見せたところ、銀貨三千六百枚という大金になった。
 
「笑いが止まらないって感じよねぇ~♪
 
 大きな仕事数回分ぐらい、儲かったわ」
 
 財布の中には、すでに銀貨が四千枚以上貯まったのだから、レベッカが上機嫌なのも頷ける。
 
「どうせなら、一緒に手に入れたあの酒も売ればよかったんじゃないか?
 
 ここで売れば銀貨二千になると、さっきの商人が言っていたぞ」
 
 街道沿いの村で報酬として手に入れた地酒の【フォレスアス】。
 酒好きには垂涎の品であり、大変高額で取引きされていた。
 
「ふふ~ん、分かってないわね。
 
 お酒の類はもっと上手な使い方があるのよ。
 貴族に取り入ったり、珍しい酒を蒐集するコレクターに売ったりね。
 
 場合によっては、とんでもない貴重品と交換できるかもしれないわ。
 
 香辛料と木の実を売ったお金で十分稼いだし、無理に売らずに取っておくべきよ」
 
 レベッカの言葉に、そういうものか、とシグルトが呟いた。
 
「他にもデオタトから譲って貰った品物を売ったら、それなりの路銀も確保できたわ。
 
 2日ばかり羽目をはずして休んでいっても、平気よ」
 
 十分な蓄えが出来た途端、レベッカはいつものように怠惰になっていた。
 だが、彼女のここ数日の頑張りを思うと、シグルトも仕方ないだろうな、という気持ちになり、いつものように苦笑して頷いた。
 
「それなら、俺はもう少し自分にやれそうな仕事をやってみるよ。
 レベッカはしっかり休んでてくれ。
 
 実は、先ほどお前と商人が交渉している時、使いの者が来てな。
 
 旧知の貴族殿から揉め事の調停をしてほしいという話しだ。
 俺一人への依頼みたいだから、可能ならやってくるよ。
 報酬も期待できるが、それ以上に彼の御仁からバックアップが得られれば、いざという時に大きな力になる。
 
 この手の仕事を断るのはリスクも大きいし、な」
 
 シグルトが羊皮紙に書かれた依頼書を、懐から取り出す。
 その紋章を見てレベッカが目を丸くした。
 
「それ、ヴェルヌー伯の紋章じゃないっ!
 
 あの女伯爵からの依頼なんて…」
 
 ヴェルヌー伯イザベルは、女性でありながら爵位を継承したという有名な貴族である。
 依頼書によると、シグルトがポートリオンに来ていることを聞き知って、是非にということらしい。
 
「その昔、北方諸国に大使として来た女伯との面識がある。
 彼女が俺の祖国に滞在する間、話す機会も得てな。
 何かと目をかけて下さった。
 聡明で面倒見の良い方だ。
 
 俺が西方に流れて来たと知って、機会があれば呼ぶつもりだったらしい。
 誠実な方だから、悪質な依頼にはならないはずだ。
 
 とにかく会ってくるから、そうだな…どんなに遅くても20日後にはアレトゥーザで、直接落ち合おう。
 場所はいつもの『悠久の風亭』だ。
 
 どんな依頼か分からないから、時間は多めに取っておいた方が好いだろう」
 
 分かったわ、とレベッカが路銀として銀貨千枚をシグルトに預ける。
 
「このお金や、稼いだお金は自由に使っていいわ。
 
 出稼ぎしてるんだから、それぐらいは特権よ」
 
 大切に使うよ、とシグルトは金を受け取り、その日のうちに北へと旅立った。


 シグルトとヴェルヌー伯イザベルが知り合ったのは数年前。
 ヴェルヌー伯が国王の命で北方諸国への親善大使として、シグルトの祖国に立ち寄った時である。

 ヴェルヌー伯が親善大使として選ばれた背景には、女性で伯爵という貴族的に見ればやや珍しい立場にあった。
 外交や社交に関して、男よりも女性の方がよいという理由である。

 事実、ヴェルヌー伯イザベルは誠実な性格で女性にしては優れた胆力を備え、西方諸国の社交界でのコネクションも豊富で、かつてゼーゲ十字軍で活躍した英雄を父に持つ。
 無事に北方親善大使の役目を果たした彼女は、帰国後にその地位を確固たるものとしたのである。
 
 イザベルの父が参加した十字軍遠征は、伯爵家において大変な名誉だ。
 しかし代償も大きく、イザベルの2人いた兄は相次いで戦死。
 先代の晩年に後妻の子として生まれたイザベルのみが正当な爵位継承権を持つという、複雑な事態に陥っていた。
 十字軍遠征による戦費調達のため裕福な商家に降嫁して、嫁ぎ先から実家に援助を獲得した姉もいたが、父親の身分が貴族ではないために、その姉の子の爵位継承はできなかった。

 中位から上位の爵位を持つ貴族の家は、何よりも血統を重んじる傾向がある。
 【青い血】…庶民とは別の血が流れるということが、貴族のステータスなのだ。

 貴族でも最下位の騎士爵(正しくは五等爵に含まれないため正式な爵位ではない)や男爵に準じる準男爵は一代貴族に与えられる名誉爵位的な意味が強く、法衣貴族と呼ばれる領地の無い称号的爵位として扱われることが多い。
 そもそも国王が貴族を領地に封じる場合、割り振られる領地には限りがあり、貴族とは「増え過ぎてはならないもの」なのだ。
 
 単純に功績をあげただけではまず貴族にはなれない。貴族家の養子になって〈格を上げて〉から結婚する例もあるが、そういう背景は徹底的に調べられ、正当でない血筋とわかれば貴族同士の婚姻に障害となる。
 そんな特別な階級と付き合えるようにするために名誉爵位があり、戦争などで断絶した領地に封じる新しい貴族を選ぶ場合、様々な格・血統が考慮された上で決定されるのだ。

 これらは複雑化した貴族の慣例では絶対ではないが、常識として重んじられる。

 イザベルが女伯となるには、血筋は全く問題なかったものの、その性別が妨げとなっていた。
 明確な差別基準がある貴族社会とは男系の継承が主流であり、男尊女卑が当たり前であった。
 
 親戚や隣接する領地の貴族は女が爵位を継ぐなど言語道断と、強引にイザベルへの縁談を持ち込む貴族が押し掛け、お家騒動となりかけた。

 だが、イザベルは王家と世話になった聖職者を通じて爵位があるうちは独身を通す宣言をすると、遠縁の貴族の次男を養子として迎える条件で後ろ盾を得て襲爵。
 立場上は養子が成人するまでの間、つなぎとして爵位を持つ形に収めたのだ。

 なぜ結婚しないか、という点は婚姻でできる外戚の悪影響を抑えるためである。
 養子にする予定の男子は祖父の妹の曾孫になり、家柄は格上の辺境伯家。しかもイザベルが伯爵になった時寄親となって支援してくれた家で、血筋的・家格的に問題が無いというものだ。

 貴族の婚姻は血統を守り高めるためであり、逆を言えば余計な血を入れないことも大切である。
 有象無象の影響を断ち切ることでより近しい親族の血統を保護し、後々生まれやすい厄介な後継者争いにおいて他家の口出しをさせないために、主流が同じ血統で派閥を作って固めるのもまた貴族の常識であった。
 貴族同士で親族婚が多いのも、貴族の子孫が増えることで分家と領地の割譲が多発して勢力を衰退させる悪循環が起きないため。
 かように貴族の婚姻とは複雑なのである。

 イザベルは、爵位継承に乗じて領土拡大のための戦争を始めようと画策していた近隣の貴族たちを、それによって国力が落ちることを嫌っていた王家まで巻き込む形で掣肘し、家を守った女傑であった。
 彼女の北方親善大使就任は、面子を潰された他の貴族が復讐のために画策するのを王家と寄親の辺境伯家が抑え、伯爵家の内情が落ち着くまで「重い役目を与える」ことで北方に逃がして時間稼ぎする目的もあった。

 王名による親善大使を害すれば、王の面子を潰すことになる。どの貴族もそんなことはできない。
 役目を終えて戻れば、その功績で賞されたイザベルは伯爵としての地位をより確固たるものにできる、というわけである。

 無事襲爵して、うまく北方に出立したイザベルは1年ほどかけて北方諸国を回り、シグルトの故国に立ち寄った時、とある伯爵家がその歓待を任された。
 その家は当主が病床にあり、伯爵の一人娘がイザベルの面倒を見ることとなる。
 彼女の名は、ブリュンヒルデ。シグルトの元婚約者であった。

 イザベル逗留の間、館の護衛として婚約者と一緒にいたシグルトは、その時イザベルと知己になった。

 ブリュンヒルデは病床の父に代わって伯爵家を差配する女主人であり、イザベルもまた女性の身で伯爵までなった。
 2人は互いに似た苦労をしていたためかすぐに意気投合し、親しく交流することになったのである。

 イザベルは伯爵に襲爵すると、普段は奇っ怪な仮面をかぶって顔を隠すようになった。
 色恋を断つためという方便であったが、本当は情が強く顔色が変わりやすいのを隠蔽するため。
 貴族の社交において腹芸やポーカーフェイスとは、そのぐらい大切なものである。
 元々女伯というある意味「色モノ」であったイザベルは、さらに奇抜な格好で周囲の度肝を抜きながら、社交の武器としたのだ。

 婚約者と別離し、冒険者となった己の数奇な運命を感じたせいだろうか。 
 ヴェルヌー伯爵の領地に到着すると、シグルトは女伯のことを思い出して微妙な表情になった。


 領主の館がある街を囲む城壁の門に向かい、どこか緊張したような門番の衛兵に呼び出しの手紙に付属されていた通行証を見せると、衛兵は何度も通行証を見返し貴族に接するように頭を下げると、シグルトにヴェルヌー伯爵の館の場所を教えてくれる。

「お客人様。

 現在、当地には【御堂騎士団】の方々が逗留されています。
 その宿にはかの騎士団の旗がありますので、くれぐれも騒動の無いようにお願い致します」

 シグルトの片眉がピクリと跳ね上がった。

「それはタイラン派の息がかかった御仁か?」

 シグルトが問うと、衛兵は「ああ分かってらっしゃる」という風に少し安堵した表情で深く頷いた。

「…了解した。
 
 このまま直接伯爵邸に向かわせてもらおう」

 深く頷き返すと、口元を戦争に向かうかのように引き締めたシグルトは、足早にその場を去った。


 歴史上宗教組織が武力を持つことは多い。
 信仰を礎とする武力団体は、目的のために頑なである。

 悪名高き【御堂騎士団】と呼ばれる組織がある。
 元々は厳しい規律と財産を持たず組織のために奉仕する崇高な騎士団であったが、権力者の介入によって徐々に歪められていった。

 一部の狂信的な権力者がバックボーンとなり、時に信仰のためと称して過激な活動を行い目的のために恫喝と暴力行使を辞さない派閥ができるに至って、【御堂騎士団】は諸国に恐れられるようになった。
 過激派の【御堂騎士団】が活動の根幹としてよく行うのが、〈聖遺物の保護〉を大義名分とした略奪である。

 【聖遺物】とは列聖された聖人の遺骸や所持物で、それ自体に奇跡を起こす力が宿っているとされる。

 十字軍に遠征した名高い騎士は、遺骨を仕込んだ武器、遺髪を編み込んだ防具、聖人が殉教した時に身に着けていた聖印などを身に着けていた者も多く、実際に奇跡が起きたという話も多い。
 癒しなどの利益をもたらす【聖遺物】は、安置した教会にたくさんの参拝者を呼び込み莫大な利益をもたらす。辺境にあって聖遺物を祀った教会を中心に巨大な都市ができた事例もある。
 時の権力者たちは聖遺物によってもたらされる富のため、それを激しく奪い合った。
 【御堂騎士団】は複数の聖遺物を確保することで組織として大きくなってきた背景があり、現在では「聖北教会最強の暴力」とまで呼ばれるようになった。

 シグルトの故郷にも聖北教会の横暴な組織があり、「神が創造された純粋な人間ではない」亜人の排斥と教会による統治を掲げ、暴虐の限りを尽くした。彼らは異端とされた者は天国に行けないように首を切り落として、墓に埋葬することも早々も許さない組織のため【首切り団】と呼ばれて恐れられている。
 国にいた頃にシグルトはその教団の有力者と何度も渡り合い、論戦と武勇でやり込めてきた経験があった。

 同様の過激な宗教組織が伯爵のお膝元に滞在していて、しかも【御堂騎士団】の中でも特に黒い噂の絶えない【タイラン派】の息のかかった過激派であるということを知り、シグルトは自分が伯爵に呼ばれた理由がおぼろげに理解する。

(伯爵は、貴族の生まれでこういったことの処理の経験がある俺に、【リスクブレイカー】をやってほしいのだろう。
 もしタイラン派と癒着がある御堂騎士団が相手とするなら、貴族法を知った冒険者でないと太刀打ちはできまい。
 相手は国を超え手存在する巨大な武力集団だ。

 交渉や調査で動いて顔を出せば、最悪タイラン派を相手にして仲間を巻き込む可能性がある。
 できれば表に出ないまま解決できる内容だと良いのだが…)

 厄介事の予感に、シグルトは腐った野菜で腹を壊したような不快感を覚え、唇を噛み締めた。


 伯爵邸を訪れたシグルトは、まず裏口に回って屋敷の者に「伯爵の家令に先触れを頼む」と頼み、与かった紹介状と手間賃として銀貨数枚を渡した。

 貴族のような身分の高い者に接触する時、直接正門から名乗って訪ねるというのは同じような貴族の身か目上の者でなければ無礼討ちにされても仕方ない。冒険者のような武辺者であればなおさらである。
 突然の来訪にならないよう、間接的に【先触れ】という仲介者を通じてあらかじめ目的と訪問を告げておく。
 訪ねる貴族から「直に訪ねることを許可されている」のでない限り、このルールは守らねばならない。
 最低限これができないと、いくら目的の貴族の方と交流があっても、屋敷の召使いたちによって門前払いを食らう。

 あとは伯爵から呼び出されるのを静かに待つ。
 待つ間に出された茶と菓子は「主の許しを得るまで戴けない」としてがっつかない。
 高級なソファを勧められても、安心してだれるなどもってのほか。
 こういった小さな礼法を、最初に訪れた貴族の屋敷の使用人は憶えていて、訪ねる度に嫌味で言われることになるのだ。

 事実、シグルトが正式な貴族の接触方法をきちんと守ったので、対応した伯爵家家令の態度はとても丁寧なものであった。

「シグルト様、ようこそいらっしゃいました。
 御主人様よりお話は聞いて御座います。

 まず、当方の持て成しが不十分だった様子。
 お詫び申し上げます。

 これは召しあがらなかったお菓子の代わりにお持ちください」

 家令が差し出したのは、シグルトが先触れで使ったのと同じ枚数の銀貨である。

 貴族とは富貴の者だ。
 吝嗇な者は付き合うに値しない。
 下々の者に気遣いができることを見せたシグルトに対し、家令は合格サインを出して「こういう気遣いはもう不要」という返事をし、貸し借りを無くしたのである。

「心遣いに感謝する。

 では、菓子は後程戴こう」

 シグルトは差し出された銀貨を「菓子を包むように」ハンカチに包んで懐にしまう。
 自分が敬意を払われている立場の時は、口調は尊大に。

 貴族は遠慮をされることを嫌う。だから差し出された品物は謙遜しないで丁寧に受け取るのが礼儀だ。
 即座に押し戴くことで、伯爵家に敬意を払っていると示す。

 家令の眉が柔らかに下げられた。
 ここまでは完ぺきだ、という風に。

 婉曲な茶番。

 貴族は直接的な会話を嫌う傾向がある。
 発言一つで最悪地位そのものが奪われかねないからだ。

 貴族の教養とは舌戦を鍛えるためにこそある…元々シグルトはこういったまどろっこしい貴族の在り方が嫌いだった。

 父が男爵で、母親が正妻として認められるまでは庶子として育ち、友人は城下町の子供たち。
 暮らしは貧しく、平民に混じって育った。
 その上で類稀な教養があるのは、母親が王家に次ぐ名家の出だからである。

 シグルトの母は、教会勢力の陰謀によって取り潰された公爵家の令嬢であった。しかも極めて王族に近い特別な家の。
 曾祖父は先々代の王弟、祖母は侯爵家に降嫁した王女…たどれば、建国王の時代に宰相として国の礎を築いた王弟まで遡る。
 王家に極めて近い血統を維持するために近親婚を繰り返し、その家の血筋の者は特別に王族と同じ待遇を受けていた…だから公爵家なのだ。

 王家とその公爵家には、血の濃さに応じて3種類の血統的特徴が現れる。

 一つ目がとてつもない美貌。シグルトの母親は王国どころか北方でも名の知られた美姫であり、公爵家の後を継ぐはずの一人娘でありながら他国からも縁談が来るほどであった。
 二つ目は青黒い髪と瞳。これは健国王やその王弟が持っていた特徴で、さらに古い特別な王系の血を引く証であるという。
 最後に、三つ目の特徴が隔世遺伝で現れるハーフエルフやエルフ…取り換え子である。

 母親はブロンドだが美貌を、妹は青黒い髪を引き継いだ。
 シグルトは美貌と青黒い髪に瞳…今上の国王よりもはっきりとした王族の特徴を持っていた。

 シグルトの母は、王家に近しい特徴を息子が持っているのを見て親しかった王族に相談し、密かに英才教育を施すことにした。
 将来息子が必ず厄介ごとに巻き込まれると予感していたからだ。
 
 シグルトが多くの言語を習得し、飛び抜けた知識と教養を持つことができたのは特別な生まれだけではない。師になる人物と出会えた幸運、加えて彼の資質を見抜いていた者に仕組まれたことであった。
 そういった背景があったことを知ったのは、シグルトが婚約した時であったのだが。

 成人した後に顔を合わせ、貴族の礼法や法衣の着こなしを叩き込んでくれたとある王族の姫はこう言った。
 
「本来であれば、貴方は私の婚約者になるはずだった。私が貴方の妻として降嫁して、生まれた子供が公爵家を復興するために。

 貴方を伯爵家如きの跡継ぎにするのは不本意なのよ」と。

 シグルトが国を追われた背景には、“腹黒姫”と呼ばれたその王族の寵愛故に、嫉妬から国王がシグルトを嫌ったという裏事情もあった。
 意地悪で国王が“腹黒姫”を拘束し、その隙にシグルトとその妹が拉致監禁される事態になってしまったのだ。
 シグルトは妹ともに暴行を受けたために、反撃で貴族の息子を殺害した。どう見ても正当防衛だが、やり過ぎた。

 顔面が陥没するほど殴られて死亡した貴族の子息は教会勢力における中心人物である司教の甥であり、「遺体を損壊された」と難癖がつけられた。
 その教会勢力には「不具の遺体であると天国には行けない」という考えがあった。
 国王は教会勢力の申し出を却下し、シグルトと妹を傷害した子息の実家を連座で取り潰した。
 シグルトは情状酌量の余地ありと、伯爵家との婚約破棄と負傷から回復した後に一年間の国外追放のみ。

 この待遇に怒った教会勢力が、国王の友人でもあるシグルトの父親を事故に見せかけて殺害。
 母と妹は教会勢力から逃れるため、別勢力の修道院に入ってしまったが…国はまだ「シグルトの家格」を正式には剥奪していない。
 
 経験から、シグルトは貴族の世界というものを胸焼けを起こすほど熟知していた。
 それが今は役に立つ。
 
 シグルトはもう、情熱と若さで何でも乗り越えられると信じていた青臭い若造ではない。
 冒険者の仲間を率いるリーダーであり、これから冒険者という仕事で大成するために必ず必要になるのが、権力者とのコネクションだ。
 だから、嫌いな世界であっても目を背ける気にはならなかった。
 幸い、これから会う貴族は知己で、その性格が貴族の中ではまともであるということもわかっている。

「では奥の部屋に。

 応接間で御主人様がお待ちです」

 家令の言葉に頷くと、シグルトは優雅な動作で立ち上がった。


「よく来てくれた、シグルト。
 久しぶりであるな。

 まずは面を上げよ。

 遠慮はいらぬぞ、そのたもまた青き血潮を受け継ぐ者。

 この屋敷には纏わりつく霧も、疎ましい鴉のお喋りも無い。
 忌憚の無い直答を許す」

 鳥の嘴を模したようなけったいな被り物をしたその貴婦人は、大仰に手を広げて歓迎の意思を示した。
 彼女こそ、若くして女伯となったヴェルヌー伯イザベルである。

 青き血潮を受け継ぐ者とは、貴族の血筋であるということである。
 纏わりつく霧とは良くない関係の人間、疎ましい鴉のお喋りとは口の軽い小狡い人間のことであろう。
 気にせず、遠慮なく普通に喋って良いという許可である。

 部屋にいた家令に向くと、一度頷く。
 家令は分かりましたというように礼をして下がり、控えていたメイドに一言二言耳打ちした。

 これでシグルトがこの伯爵邸においては気安く伯爵と話してよい人物であり、貴族に連なる身分であるということが周知されたことになる。

「お久しぶりで御座います、伯爵閣下。
 直答をお許し頂き、恐悦至極。

 聞けばこの非才の身を必要とのことでしたので、まかりこしました」

 たとえ「忌憚の無い直答を」と許可があっても、頭に乗ってはいけない。
 まどろっこしくても適切な挨拶から入る。
 硬い言葉遣いと敬語は必須だ。

 基本的に公侯伯子男の五等爵のうち、公爵以外は目上の場合〈閣下〉で呼ぶ。
 直答を許されていなければ、一階級下までの爵位でない限り身分が上の貴族に気安く声をかけるのはもってのほかで、必ず先触れが必要になる。
 貴族階級であっても、身分が釣り合わなければ肉親や寄親などの身分の高い仲介役がいなければやはり声をかけるのは好ましくない。

 シグルトが直答を許されたのは、知る人ぞ知る高貴な血筋であるからだ。
 父方も曾祖父が騎士から武勲を立てて叙爵した侯爵家の末子という名門の傍流で、男爵家でありながら祖母と父親の前妻がどちらも名門の伯爵家の出。
 母親の血統に至っては断絶したとはいえ、生粋の王族と言っていい公爵家の令嬢で、そのルーツはさらに古い王朝の王族と白エルフという伝説の稀人とその娘の神仙を祖にしている。
 庶民に混じって育ち冒険者となった身の上ではあるが、古今の貴族も真っ青な貴顕の血統と言える。

 女伯はそれを分かっていて、こうも気安く対応するのだ。

「うむ、活けた花もしおれてしまうほどに待ちくたびれたぞ。

 謙遜はいらぬ。
 そなたの有能は我の目が憶えておる。

 早速だが、知恵を貸してほしい」

 良く通る力強い声をしていたはずのイザベルであったが、今は心なしか弱々しい。
 よほどのことがあったのだろう。

「閣下のお悩みは、今この領地に蔓延っているタイラン派の奴儕(やつばら)でありましょうか?

 あの暴れん坊どもが原因とすれば、家宝でも強請りに来たのではないかと愚考するのですが」

 顎に手をやり、問う前に予測を述べる。
 貴族は自分の考えを察し、動いてくれる者を好む。聞き出すために多くを語らせるのは好ましくないこと。
 高貴な人間の言葉、というものにはそれだけの重みがあるのだ。

「然り!
 さすがは名高き賢人宰相の末裔よな。

 先日行われたヴィルロワ公会議において、わが父と交流のあったイグノティウス師が列聖されたのだ。
 師に関わる遺品は聖遺物に認定され、師が生前愛用していた【聖印の首飾り】もその一つとされた。

 父はイグノティウス師の俗世における協力者であり、かつ唯一の親友であった。

 我は父の晩年の娘ゆえ、師が在りし日の姿を知らぬ。
 が、聞けばゼーゲ十字軍が父と師の親交の始まりという。

 僻地で連絡を絶たれた師の軍営を蛮族面が十重二十重に囲んだ折、主の導かれた運命の如く遣わされたのが他ならぬ我が父であったのじゃ。

 父はわずかな手勢で囲みを突き、奇蹟的に師を救出した。
 それを師は痛く感激なされ、この首飾りを父に賜った…」

 イザベルが取り出して見せた聖印の首飾りは、所々擦り減ったいかにも素朴な首飾りだった。
 普段から豪奢な装飾品で飾ることの多いイザベルが、その首飾りだけは肌身離さず持ち歩き大切にしていることを、シグルトも見知っている。
 なるほど、列聖されるほどの人物が身に着けていた品物であれば、それは伯爵家の家格を示す品にもなろう。

「…わかるな?

 これは父と師の友情の証。
 容易には手放せぬのじゃ」

 女伯は万感を込めて長くため息を吐くと、聖印を胸に抱きしめて動かなくなった。

「なるほど。

 聖遺物とされたその聖印の首飾りを、財宝漁りに余念のない御堂騎士団が出しゃばって奪おうと、当区の教会に圧力をかけてきたというところですか。
 連中は聖遺物に関しては血臭をたどる狼ともなりましょう。

 しかしながら、ヴェルヌー伯爵と言えば名門。よほどの理由が無ければ遺品の簒奪はできないはず。
 教会法だけならば、貴族から継承した財産を当主の許可なく取り上げることはできなかったと記憶しています。

 この教区の慣習法に該当するものがあるか、教会や御堂騎士団に負目か恩義となる問題がおありですか?」

 盛大に脇道にそれるのは情に厚い女伯の特徴である。
 相槌を打ちながらしっかり話を本筋に戻すと、イザベルは「我が事を得たり!」とばかりに大きく頷いて、手に持った扇をパチンと閉じた。

「まさにそれじゃ。

 慣習法は先々代に成文化され、相続の規定も記載されておる。
 その413条、すなわち聖遺物の相続に関する項が教会側の根拠とする所じゃ。

 …師の列聖によってこの聖印も聖遺物となり、教会は法文を盾に我に譲与を求めてきた。
 我は首飾りにまつわる当家と師の浅からぬ因縁を諄々と説いたが、それに対する教会の返答は恐喝以外の何ものでもなかった。

『期日までに譲渡が行われねば、法の権威に基づき強制的に行為は行われねばならない!』と」

 被り物の下でイザベルが悔しそうに唇を噛み締めた。
 その手にはテーブルに積み上げられていた羊皮紙の一つがある。

「得心がいきました。

 教会の要求の背後に御堂騎士団がいる、しかもそれがあの悪名高いタイラン派の息がかかった騎士たちであると。
 連中の暴走には『聖女フリジアの殉教』のような酷い前例もあります。

 教会に要求をさせた上で後に奪う腹積もり。
 領内に居座って威圧、強制執行をちらつかせて閣下の動きを封じているというわけですか」

 『聖女フリジアの殉教』は数年前に過激派の御堂騎士が起こした痛ましい事件である。

 辺境の寒村にフリジアという信心深い娘がいて、彼女は病気治癒の秘蹟を使うことができた。
 教区の司教が権力の強化のために、フリジアを聖女として大げさに教皇庁に紹介して列聖が認められた。
 その話を聞きつけたタイラン派貴族出身の御堂騎士が『聖遺物の保護』の名のもとに聖女フリジアを謀殺し、遺体を聖遺物として奪った事件である。

 聖女フリジアの遺体は教会の中の派閥同士で奪い合いになってバラバラにされ、特に病気平癒の秘蹟の力があるという右手は剥製にされ、聖遺物として現在タイラン派の貴族が治める領地の教会が所持している。
 フリジアの頭部は「せめて遺体の一部でも故郷に」と願った彼女の両親に依頼されて匿名の冒険者が奪い返し聖女の両親とともに行方不明、左手はフリジアを聖女として紹介した司教が所持して教会を設立しようとたくらむも…穏健派の御堂騎士が司教の汚職を見つけ出して解任破門に追いやり保護の名目で奪取、胴体やその他の四肢はすでに微塵にされ「不老不死と病気平癒の霊薬」にされてタイラン派の資金源になっていたという猟奇的な話である。

 あまりの陰惨な事件に、同様の事態を恐れて生きたまま列聖された一部の聖人が身をくらましたり、聖体分散を防ぐ理由で各地の聖人の遺体が専用の棺桶…鉄格子のついた鋼鉄の箱に収められるなど数々の椿事を喚起させて教会の汚点となり、事態の収拾を図った教皇庁と御堂騎士団の間で諍いが起きて多くの血が流れた。その抗争は『聖女フリジアの血涙』と呼ばれている。

 御堂騎士団が各地で恐れられる理由は、その武力もあるが…聖遺物奪取のためにはいたいけな少女すら殺して遺体を切り刻むという躊躇の無さに対してであった。
 
「閣下、そこにお持ちなのは教会が写し根拠として提示した慣習法の写しでありましょうか?」

 シグルトが事例として出した事件を思い出し、顔色を青くしているイザベルは、少しひきつった声で「うむ」と頷いた。

「今回の話は我が土地の司祭殿から最初に耳にしたのじゃが、司教殿が司祭殿に通達する折、御堂騎士等に言が及んだそうじゃ。

 そなたの言う通り、教会も御堂騎士団に脅され、今回の事を強要されておるのよ。
 彼奴等の横暴は有名じゃからな。

 教会側が根拠とする慣習法413条にはこうある。

"もしある人が聖遺物を所有し、それを遺産として残す場合、しかるべき人物に遺贈される。

 しかるべき人物とは、土地の小教区を統括する聖職者である。

 主に奉仕すべく存在する物は俗人の手に留まるべきではない"

 と。

 我の先々代が関わった慣習法ゆえ、伯爵家として法の強制執行は止められぬ。
 彼奴等に手を出すこともできぬ。

 法の根拠を持つ御堂騎士団には我と雖も抗する術は無いのじゃ」

 法に基づいて動く宗教組織は強硬で容赦が無い。
 手段を択ばぬことで悪名高い御堂騎士団はその急先鋒である。

 大義名分を掲げられて成す術無く、悔しさに震えているイザベル。
 彼女の依頼とは、この事態の穏便な解決である。

「…閣下、慣習法というものは過去の慣習に従って定められるものであり、必ずなんらかの前提条件や執行期間が定められています。
 特に貴族の財産を徴収するような法に関しては厳しい制限があるはず。

 教会がその法を根拠とするなら、関連する一切の条文を写してよこしたはず。
 失礼ですが、それらの条文をすべて見せて戴いてもよろしいですか?」

 移動する領地の税法をできる限り事前に調べ、記憶しておくシグルトである。
 慌てずに情報を確認して、いくつかの手段を提案するつもりであった。
 慣習法の法案を知らない現時点でも、今回のことを予想してすでにいくつか対策を考えてはいた。
 とはいえ、法に基づく懸案ならば、法に基づいて論破できるようにするのが理想である。

「うむ。
 そういうことならば、この写しを自由に見るがよい。

 そなたは、貴族や教会の法律にも詳しかったな?
 頼りにしておるぞ!」

 イザベルの許可と声に、「恐縮です」と応えると、シグルトは積み上げられた羊皮紙の法文にすべて目を通した。
 最後の羊皮紙を読み終わると、それらを整理してまとめる。ただし、一枚だけ手元に残したままで。

「閣下、お待たせさせて申し御座いませんでした。

 確認致したいのですが、現ヴェルヌー伯として襲爵なさっているということは、すでに先代の遺言などは全て確認されて処理を終えているはずですね?
 現状で、継承問題の未解決案件、先代の遺言状における諸問題があるといったことはありませんか?」

 それが無いと知りつつ、大切なことなので女伯の言質をとる。
 イザベルか問題は無いと頷くと、シグルトは大きく息を吐いた。
 まるで、すべて解決したという風に。

「ならば御安心ください。
 件の慣習法413条は、まったく法的効力を持たないものです。
 
 教会側も今回の件案が強引であることを懸念していたのでしょう。
 婉曲ではありますが、解決手段までつけてあります。

 添付された法文の写し、361条に

"本章では各種の遺言についてそれぞれどのように行われるかをひとつひとつ述べることとする。

 また、いかなる遺言が有効か、或いは無効であるかを示す。

 これは遺言が執行される際に効力を発するものである"

 とあります。
 この慣習法は【遺言が執行される際に効力を発するもの】と定められているのです。
 すでに遺産の相続が終わり遺言の執行が済んでいる伯爵家には適用できない法、ということですね。

 極めて不当な要求であり、法的根拠が無いと教会と教皇庁に訴え、恐喝行為に抗議して穏便な解決を願えば御堂騎士は即座に退散し、聖印における所有権剥奪の問題はすぐ解決します」

 361条の部分を示しきっぱりとシグルトが言い切ると、「見事じゃ!」と喜色もあらわにイザベルが開いていた扇をパチンと閉じた。

「もう少し補います。

 現状では何らかの形で遺言状の再確認を要求された場合、その執行に付随して今回の問題がぶり返す恐れがあります。
 件の慣習法は『今回の事件で誤解が生まれたため、このままでは不適当』として、こういった聖遺物の譲渡に関して『遺産の聖遺物認定が後に起きた場合は所有者の権限が優先される』ように補うか、そういう条文を探しておくべきです。

 教会側に『今回のことは遺憾である』と抗議の上、聖印の所有権のお墨付きを教皇庁から書類にて獲得しておくとよいでしょう。
 教会側は効果の無い法文で財産の徴収を迫ってきた負目がある手前、嫌とは言えないはずです。

 事後にあえてこの件は『不幸な行き違いもあった』として閣下が譲歩し、御堂騎士団には借しを与え、法の改正等は穴の無い無いようにした上で…過激派に加え穏健派にも周知します。
 同時に穏健派に今回の事件の内容を伝えておき、『次は無い』と暗に釘を刺しておけば、仮にタイラン派と騎士団の過激派が似たようなことでさらに難題を押し付けてきても『御堂騎士団全体の名誉のため』に穏健派が圧力をかけてくれることでしょう。

 また、今回の事例は他の領地で同様の事件があった場合は引き合いに出され、当事者として他領から問題解決の協力を求められることが予想されます。
 その時は巻き込まれないために、きっぱりと『ヴェルヌー伯爵領における慣習法に関したことである』として他の領地のそれらとは関連性が無いものと、親しい貴族の方の依頼でも協力はしないようにしてください。
 もしそれらの他領の貴族が対応に失敗した場合、閣下が巻き込まれるばかりでなく、今回のことを恨みに思った御堂騎士団の者がいらぬ介入をしてくるかもしれません。
 狂犬には近寄らぬが一番。
 ある程度責めた後には身を引いて穏便にことを済ませ、あとは過去のことと距離を置かれるのが一番安全と思われます」

 普通のリスクブレイカーは、さらなる仕事を獲得するためにこういったアフターケアの助言はしない。
 だが、シグルトはヴェルヌー伯に最大限の仕事をして恩を売ることを選んだ。
 そうして得た女伯のバックアップならば、同様に誠実な対応が約束されるからだ。

 「誠意には誠意を」

 それが貴族の名誉であり守るべき面子である。

「〈霹靂の如し〉と謳われた鋭意即断の知恵は健在じゃの。
 やはり我の見立てに狂いはなかった。
 
 こうも早く妙案を出してくれるとは」

 感嘆するイザベルに、シグルトは頭を深く下げる。

「伏してお願い致します。
 此度のことは、すべては閣下の手柄として私が関わったとは公言なさらないでください。 

 今後タイラン派に睨まれたとあれば、各地を旅する冒険者にとっては大変な障害になります。
 私は冒険者集団"風を纏う者"のリーダーとして、それを看過するわけにはまいりません。

 名を売る機会は我々冒険者にとって垂涎ですが、欲をかけば破滅することも御座いましょう。
 この保身を認めてくだされば幸いです」

 さらに名誉も女伯に譲り、自身は仲間を含めた安全確保に動く。
 社交に長けたイザベルはその意図を察して、感嘆の息を吐いた。

 聡明な女伯はシグルトの願いを快諾して部下に事後処理を命じると、シグルトに報酬として銀貨千枚を与えてくれる。短時間の相談に対して破格の報酬であった。
 同時に、何かあった時はこの女伯が力を貸してくれる確約も得る。
 
 各国を渡り歩く冒険者にとって、有力な貴族にコネクションを作ることはとても優位となる。
 虜囚にされた場合、貴族の名前を出せば解放されることがあるし、違う貴族と会う時に紹介状を書いてもらったり、利害が合えば資金などで支援してくれる場合もある。
 また、そういった貴族がコネクションのある冒険者に再度依頼を出したり、他の貴族が必要とした場合にはその冒険者を紹介してくれることも多く、大概は高額報酬の仕事が得られるのだ。
 
 世の中には冒険者を使い捨てるように使う悪質な輩もいるが、貴族の庇護を受けている冒険者にそれをすると、庇護していた貴族を蔑ろにするということにもなる。
 依頼人と庇護してくれる貴族との確執や利害にもよるが、庇護を受けた冒険者を粗末に扱う者は少なくなるのだ。
 
 シグルトは元からこの女伯と知り合いだったが、今回のことでさらなる信頼を獲得しより強いコネクションを得ることとなった。 
 
「のう、シグルトよ。
 お主、我の下で働く気はないか?
 
 そなたほど文武に秀で、誠実で信頼できる者は、まずおらぬ。
 
 今のそなたの不遇は、嘆かわしいぞ。
 本来ならばそなたは彼の令嬢と結婚し、我と同じ爵位を得ておったはずよな。
 それを思うと、不憫でならぬのだ。
 
 国を背負って立つとまで言われていたそなたが、今では遠い地で一冒険者をしているなど、人材の放過であろう」
 
 女伯の言葉に、シグルトは苦笑する。
 
「閣下の御温情、実(まこと)に有難く存じます。
 かつて何をするべきか分からず、彷徨っていた頃でしたら喜んでお受けしたでしょう。
 
 今はこの仕事を誇りと思い、共に歩む仲間もおります故、どうぞ御容赦下さい」
 
 丁寧に、しかしきっぱりと断るシグルトに、女伯は「惜しいのう」と呟いた。
 
「そうか、仕方あるまい。
 今宵はゆるりと休み、旅立つとよいぞ。
 
 …そうじゃ、話は変わるが、お主に伝えておかねばならぬことが一つあった。
 
 ブリュンヒルデ嬢の下におった、あの聖典教徒の医者もどき…今ペルージュにおるぞ。
 虜囚としてな」
 
 女伯の言葉に、シグルトが驚いた顔をした。
 彼にしては珍しい。
 
「…やはり知らなかったな。
 
 そう、あの聖典教徒、異端として捕まり、まじないで人を呪ったなどと冤罪をかけられて、異端審問官に捕まったそうじゃ。
 我にとってはただの旅の異教徒に過ぎぬが、そなたにとってはよく知る知人なのだろう?」
 
 シグルトは困ったように頷いた。
 
「…命の恩人です。
 
 今こうやって立っていられるのは、あの老人が力を尽くしてくれたからでしょう。
 
 申し訳ありませんが、閣下。
 私は急ぎ、ペルージュに向かいたく存じます。
 
 彼に報いねばなりません」
 
 口元を引き締めたシグルトに、仕方ないという風に女伯も苦笑すると、部下を呼んで馬を一頭手配してくれた。
 
「この馬は、ペルージュにおる我が甥に預けてくれればよい。
 教会で司祭をしておるゆえ、渡した紹介状を見せれば力も貸してくれよう。
 
 ではな、シグルト。
 近くに寄ったなら、顔を見せに来るのだぞ」
 
 シグルトは、女伯に深く頭を下げると、足早に屋敷にある馬小屋に向かった。
 
(…裁判が終わって刑が決まれば、下手をすれば火炙りか。
 
 アフマド、無事でいろよ…)
 
 馬に飛び乗ったシグルトは、恩人の安否を気遣いながら、北にある宗教都市ペルージュへ向うのだった。



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Y字の交差路


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『街道沿いの洞窟』

2018.04.19(20:19) 442

 今シグルトとレベッカは、仕事を探しながら2人で旅をしている。

 先日まではポートリオンという比較的新しい都市に、アレトゥーザから届け物をするという仕事を行っていたのだ。
 その一仕事の後、「一端リューンに行こう」ということになり、その近くの街道にある村で休息を取ることになった。

 ロマン、ラムーナ、スピッキオはそれぞれの目的のためアレトゥーザに残っていた。

 新しい知識を手に入れたいロマンは、アレトゥーザの賢者の塔で客分扱いとして図書室通いをしていた。優れた写本を執筆できるロマンは、単独であればその能力だけで生活費を確保できる。

 現在舞踏家として修練中のラムーナは、基礎から師についてマンツーマンで指導を受けている。アレトゥーザの海岸で潮干狩りをし、それで飲食代と宿泊代を稼ぎ食料にも充てるそうだ。良質の筋肉を養うのに貝類のタンパク質は理想的な食材である。

 スピッキオは司祭として自分の担当する教会に行き、もう一人の司祭と助祭の教育をしながら聖務に当たっている。冒険者として活動することが多い司祭は、受け持つ教会がある場合には布教伝道を主な活動の理由としておくことが多いのだが、時々本拠地である教会に戻って聖職者としての活動することが義務付けられていた。
 
 現在シグルトたちが逗留している村からリューンまでは、さほど距離が無い。
 馬車を用いれば数時間だろうか。
 標準的な冒険者の足なら、急げは今日中にもつけそうな距離である。
 
 本来、リューンとポートリオンは海路で移動する方が遥かに近い。
 そのためか、この村は普段から閑散としている。
 アレトゥーザへの新しい街道ができてからはより顕著になったという話であった。

 今2人が休んでいるのは、この村で唯一の食堂だ。
 
「ここ5日ばかりで、お金になる仕事がほとんど無かったのは痛いわね。

 いくら交通量が減ったからって、あの関所の関税はぼり過ぎよ!
 商隊に混じってる依頼遂行中の冒険者からも依頼主とは別に人数分出せとか、ふざけてるわ。
 リューンについたら、あのクソ領地の情報流して代官のケツを蹴りだしてやる。
 
 届け物で稼いだお金も、道中商隊に随伴してやるおまけみたいなものだから報酬は安いし…あの関税と路銀で使ってしまったわ。
 ここに来て、手持ちの銀貨がこればかりなのは、ねぇ…」
 
 休息するために使ったお金を引いて、残ったのは銀貨が二百枚ちょっと。
 残りは、いざという時の費用として三百枚ずつアレトゥーザ残留組に預けてある。
 
「泊まらずにリューンに行けば、『小さき希望亭』ならツケが利くわ。
 
 あそこに行けば、私が冒険者になった頃から稼いだお金が少しばかりあることだし。
 いざって時の蓄えで、使いたくはないんだけどね」
 
 井戸水で冷やしたエールを味わいながらつまみの揚げ物を齧り、レベッカが他人事のように言う。
 
「ここまで借金も作らず来れたことの方が、幸いだった。

 依頼主に聞いたんだが、すでに領内から関所抜けの逃亡者が多発して、収集が使いないらしい。
 あの領地は商人や冒険者が来なくなって、すぐに統治ができなくなるだろう。
 領内は八公二民、税を払えない領民の子供を人質に取って、払えなければ檻の中で餓死させるそうだ。

 今の代官は、領主の代替わりで就いた取り巻きらしいからな。
 噂ではすでに反乱の兆しがある。

 新しい領主は前領主の愛妾の子供で傀儡同然、母親が親族に役職を割り振っている典型的な外戚政治だ。
 見る限り、斜陽どころかもう末期だな。
 噂を流す手間をかけずとも、親族の貴族が出てきて領主一族は一掃されるはずだ。

 時にこんなこともあるということだ。
 以後の教訓としておこう。
 
 リューンに戻ったら別の仕事を探すとしよう。
 寝起きする場所さえ確保できれば、俺たちだけでも受けられる依頼があるだろう」
 
 冷えたエールでは、これからの旅で余計疲れると言って、シグルトは温めた葡萄酒一杯と干した果物、塩を一つまみ用意してもらっていた。
 そのドライフルーツに軽く塩をかけ、齧っては少しずつ葡萄酒を飲んでいる。
 
「…美味しいの、それ?」
 
 レベッカの問いに、シグルトは軽く首を横に振った。
 
「決して美味いものじゃないな。
 
 だが、この乾物はこうするとすぐに身になる。
 塩と葡萄酒と一緒に食べれば、疲れ難い。
 
 昔、ある婆さんから習ったんだが、鍛錬でへとへとになる度にこうしたものだ」
 
 レベッカは、試しにシグルトと同じように一齧りして、眉間に皺を作った。
 
「うへ~、なんか渋いわね。
 
 しかも、塩の味で微妙な甘さがくどくなって、もっと不味くなってるじゃない。
 これじゃあ、熱さましに使う薬草の根の方がましだわ。
 
 休んでる時ぐらい、美味しいものにしなさいよ」
 
 顰め顔をしているレベッカに、シグルトは苦笑を返した。
 
「休む、というのは体力を回復することだ。
 
 これからリューンまで帰るわけだからな。
 レベッカはしっかり英気を養うといい。
 
 心を休めるために、美味いものを食うのも理には適っているさ」
 
 シグルトは、率先して一般的に不味い物…骨の多い部分や硬い筋身を食べる。
 筋肉や骨を強くするのだそうだ。
 そのせいか、シグルトの顎や歯の力は強靭で、胡桃を軽々と噛み砕くほど。
 
 武術において顎を鍛えることは、瞬発力を発揮するために必要な鍛錬なのだという。

 塩と葡萄酒はミネラル、果物の乾物はビタミンと果糖を補給するためだ。
 激しい鍛錬をして大量の汗をかくシグルトは、水分が吸収されやすい分量でそれらを適度に摂取し水分を補給する。
 
 戦士の強さを追求していくと、必然何らかの栄養補給法に行きつく。 
 
「あんたって、医者みたいなことを言うわよね?
 
 そういうの、盗賊ギルドでは毒の克服なんかのために習うけど、あんたほど徹底してるのはなかなか無いわ」
 
 レベッカは自分のつまみで口直しをしながらエールを飲む。
 
「戦い方というのは、最終的に自他の構造、自己と対象、地形と扱う器械における運動について理解し、その術理を利用することだ。
 武術において、効率的に力を発揮することを【勁(けい)】と言うんだが…
 
 相手の骨や血肉の配置を知って欠点を突き、自身の骨や血肉を効率的に鍛えて有事に正確に力を発揮する。
 俺の鍛錬法や養生の知識は、昔武芸を学んだ師から習ったものに、知り合いの医者とまじない師の婆さんから聞いた知識を加えたものだが、それなりに効果はある。

 昔師が、おさえの肢はあるが刃が一つしかない枝切り鋏を見せ、『これが分かり易い【勁】だ』と言った時の衝撃を昨日のことのように覚えているよ。

 刃物で物を切る時、対象が固定されているかある程度の重さや抵抗が無いと刃が入らず切れない。

 剣や槍は、素早く振るったり突き出して力を乗せる。それが【溜め】だ。そうできない技だと威力が弱い。
 【溜め】が無い状態で突いたり刺したりして攻撃するには〈挟む〉ことで刃を滑らせれば引き切れる。
 対象を押さえつけて刃を引き、硬い物でも挟み切る…単純な道具にそういう術理が秘められていることを知り、東洋で言うところの〈目から鱗が落ちる〉思いだった。

 その時に、戦いには智慧が必要だと強く感じたんだ。
 技能(スキル)は覚知と合理の深淵に入り、技芸(アーツ)になる。
 知っていればより強くなれることがたくさんあるんだと。
 
 自身の欠点を知らず克服できないうちは、結局どこかで負けてしまう。
 時間をかけてでも要訣を学び、できることをやった奴がより勝てるようになる。

 …少なくともそう考えて実践しろと、師は言っていたな」
 
 あんたの修業時代って興味があるわ、とレベッカが聞くと、シグルトは天を仰いで何かを思い出すように語りだした。
 
「俺は、国でも高名だった武芸者に師事していた。
 戦争の多い北方で、かつては傭兵として腕を磨いた方だ。
 
 師は“槍戟の武仙”と謳われた槍の達人でな。
 仕官せず、森に籠って野草と木の実を食べ露を飲む、隠者のような人だった。
 
 師の鍛錬法は厳格で、兄弟弟子と鼻血が止まらなくなるぐらいに練習用の硬い棒で殴り合って鍛えられる。油断すれば事故で不具や死人も出るぐらいだ。
 弟子入りしたうち九割近くが槍を握れなくなって去るか、耐えきれず逃げてしまったが…そうやって淘汰されて残らなければ本弟子として認めてもらえなかった。
 辛いことや陰惨な思いもしたが、師の言う通りにしていれば、途中からどんどん強くなっていくのが分かったよ。
 
 後は、鍛錬することに夢中になった。
 
 俺の故郷は、尚武の国だ。
 惰弱な男は踏み殺される。
 鍛えて強くなるしかない。
 
 国にいた頃は強くなって、何かをやれる人間になりたかった。
 強く賢くなれば、結果は後から付いてくると信じていた。
 
 世の中それほど単純じゃ、無いのにな…」
 
 シグルトが、槍か竿状武器(ポールウェポン)の扱いに通じていることは、レベッカも気付いていた。
 出会った頃、シグルトは何故か遠い間合いから詰めていく戦い方をしていたからだ。
 今思えば、剣に慣れるまでは無意識に槍の間合いを取ってしまったのだろう。
 
「俺は、一度極めようと志していた道を諦めた。
 技も、ずっと愛用していた得物も。

 だから今は剣を使っているんだ。
 
 …そうだな。
 そのうち話す機会もあるだろう。
 
 長話して、リューンに着く前に、日が暮れてしまってはいけないからな」
 
 饒舌になっていたことに気付いたのか、シグルトは過去を飲み込むかのようにその話を終わらせた。
 
「楽しみは後に取っておくわ。
 
 …行きましょうか」
 
 レベッカは温くなったエールを干すと、主人に礼を言って店を出ようとする。
 
 扉を開けると、そこには一人の女性が困ったような顔をして立っていた。
 所在無げに伸ばされた手は、本来ドアノブがある辺りだ。
 
「…ええと、この店に用事?」
 
 間を取り繕う様にレベッカが言うと、女性は頷いた。
 
「あの、こちらに冒険者の方はいらっしゃいますでしょうか?」
 
 彼女の言葉に、シグルトとレベッカは顔を見合わせた。
 
 
 女性の名はセーナ。
 村の香油屋で働いているという。
 
 セーナの話によると、街道に妖魔らしき者が現れ、被害が出ているという。
 状況を重く見た村長は、村に冒険者が立ち寄ったと聞いて妖魔退治を依頼しようと考えたらしい。
 
「依頼としましては、妖魔の棲家の探索と掃討です。
 私が見届け役として同行致しますので。
 戦いは得意ではありませんが、無理には割り込まないように致しますので護衛は不要です。
 
 報酬は銀貨六百枚用意してあります」
 
 レベッカが大きく息を吐く。
 そして情報を得るため、セーナに質問を始めた。
 
「…なるほど、妖魔の正体も分からないと。
 
 でも、被害が小さいことや人間より矮躯で肌は緑…行動範囲から予測するに、ゴブリン辺りかしら。
 
 依頼内容は〈探索〉と〈掃討〉ね。
 〈護衛〉は不要、ただ見届け役が被害を受けると問題だからフォローはしましょう。
 
 ゴブリンの〈掃討〉だけなら銀貨六百枚で最低線だけど、〈探索〉を含めるならもう少し報酬を増額してほしいわ。
 手間がかかるわけだし。
 飛び込みの仕事だから、それも考慮して、ね。
 
 あと、探索中に見つかった妖魔の持ち物や、盗品の扱いはどうするの?
 それをこっちで自由にしていいと言う条件なら、〈探索〉の方は銀貨四百枚で請負うわ。
 
 〈掃討〉は不確定要素があるから、仮に達成できた時は危険手当込みで銀貨を追加で四百枚。最終的に銀貨八百枚ね。状況次第で撤収して〈探索〉のみの扱いになる可能性もあり。
 追加のお金が用意できなければ、銀貨二百枚に何か価値のある物品でも構わないわよ。
 
 と、もし受けるならこの辺りの条件でお願いしたいんだけど、シグルトはどう思う?」
 
 冷静に報酬を提示し、レベッカがシグルトに話を振った。
 シグルトは地元の人間であるセーナに、詳細な周囲の地形についての情報を引き出しにかかる。
 周囲に敵が潜伏する大きな茂みは無いか、妖魔が潜伏する街道沿いの洞窟の行程に分岐路は無いか、洞窟の中はどの程度暗く蝙蝠などの他の生物が生息していないか…
 
「…正直、俺たち2人でどうにかなる仕事とは思えないな。
 討伐は命懸けの仕事だ。
 俺とレベッカだけでは厳しい。
 
 だが、この街道では冒険者を呼ぶには少なくとも1日以上かかる。羊皮紙代や仲介料も必要になるだろう。
 リューンに行って冒険者の宿や組合に依頼を出し、仕事を受けた冒険者が着く頃には新たな被害が出ないとも言い切れない。
 すでに行商人が荷物を奪われる被害が出ているそうだな?放置もできまい。
 
 俺たち2人で何とかやらなければならないとして、問題はその方法だが…
 話を聞く限りでは、妖魔のねぐらは分かっているし、指揮を執るやっかいな上位種は確認されていない。
 
 棲家だという洞窟の規模からして、経験則と洞窟の規模にゴブリンの生態から予測して、敵数は10匹前後というところか。
 村人と小競り合いがあった時点で、奴らは見張りを立てるだろうから、それを含めての数だな。
 とりあえずは先行で調査、そのまま討伐できそうならばやる流れがよかろう。

 配置されていれば見張りの排除を行い、威力偵察を兼ねた〈探索〉の費用に銀貨四百枚、調査の上で〈掃討〉が不可能な状態であれば冒険者の斡旋も含めて要相談。
 〈掃討〉が難しそうなら声をかけるので、これはセーナ嬢が見届けた上でその後どうするか決定でどうだろうか。

 〈掃討〉まで成功した時はあと銀貨四百枚、これで普通に冒険者にゴブリンの【小集団】を討伐を依頼する基準では銀貨八百枚程度になる。
 用意された銀貨は六百枚ということだから、あと二百枚分は〈掃討〉の達成の上で交渉。

 うん、レベッカの目算で適当だろう」
 
 シグルトは、セーナに目をやるとその答えを待った。
 
「あの、お金の増額は私の権限ではできませんので、成功時に【フォレスアス】という地酒ではどうでしょうか。
 
 リューンやポートリオンでは、珍しくて高く売れるんです。
 報酬の追加はそれで許してくれませんか?
 
 盗品や見つかった品物は、村の物でなければ御自由になさって結構です」
 
 酒、という言葉に、レベッカは目を輝かせた。
 
「問題ないわ。
 
 どうせ、仕事をしなくてはいけないんだし、1日ぐらい行程が遅れてもいいでしょう」
 
 シグルトは危険だからとあまり乗り気ではなかったが、セーナが道案内で同行することに加え、切羽詰った村の状況は問題だと渋々承諾した。
 
 
 依頼遂行は速やかに、ということで、シグルトたちはそのまま妖魔の棲家となっている洞窟に向かう。
 
「私はこれでも癒しの秘蹟が使えるんです。
 
 香油屋というのは、所謂修道院の副業みたいなもので、私は幼い頃修道女見習いだったんですよ」
 
 労働に勤しむ修道院は、薬、油、蝋燭、酒等を作る。
 教会の洗礼で使われる香油や葡萄酒も、修道院で作られていることが普通だ。
 
 こういった小さな村が、修道院と関わる産業を一緒になって行う例は多い。
 人手が足りない場合は、関係者として修道士見習い、修道女見習いの名目で一定期間修道院に入る。
 そのまま修道院に残って正規の修道士や修道女となって修行する者もいるし、還俗してただの村人に戻る場合もある。
 還俗した者の中には、修道院の産業を助けるサポーターのような職業に就く者も少なくなかった。
 
 見習いのうちは、剃髪(トンスラ)や純潔の誓いなどしない場合もあり、あるいは学校の無い村では文字や教養を学ばせるために修道院で一定期間修業させられることもある。
 もちろん、入れたら一生聖職者、という厳しい修道院もあるのだが。
  
 よく見れば、セーナはどこか服装も堅苦しい感じである。
 生真面目についてこようとするのは、修道院で学んだ誠実さ故だろう。
 
「ま、怪我をした時は安心よね」
 
 結局、セーナは出来るだけ後ろから付いてくる、ということで話はついた。
 
 お目付け役に怪我をさせてはいけないと、レベッカは先行して妖魔の気配が無いか探っていた。
 そして、妖魔のものらしき足跡を見つける。
 
「初めての依頼を思い出すわね。
 
 こいつはゴブリンの足跡よ。
 見る限り戦士種やロード、ホブゴブリンみたいなデカイ奴はいないみたい。
 違う足跡や靴跡もないから、妖魔を僕にする妖術使いやダークエルフが裏にいる可能性は低くなったわ。
 
 問題はシャーマン種がいた場合。
 魔法を使ってくるあいつは厄介だわ。
 
 今回はロマンやスピッキオがいないから、慎重に行きましょう」
 
 レベッカの言葉にシグルトはゆっくり首肯すると、いつでも剣を抜けるように柄に手をやった。
 セーナが緊張でごくり、と喉を鳴らす。
 
 やがて、歩いていたレベッカが立ち止まり、さっと掌を開いたままシグルトたちに向けた。
 待て、という意味だ。
 
「…洞窟があって見張りがいるわ。
 
 予想通りゴブリンね。
 ちょっと肌の色が違うけど、変異種かしら?
 体格的には普通のゴブリンよね。
 
 見張りは一匹だけだから、奇襲をしかけるとして、あいつは私が仕留めましょう。
 
 ちょっと待っててね」
 
 シグルトに暗殺の許可をもらうと、レベッカは音も立てず滑るように見張りのゴブリンに接近する。
 ぼんやりとしたそのゴブリンは、レベッカの動きに気付く様子は全く無かった。
 
 その背後でゆらりと立ち上がったレベッカが、ゴブリンの気管ごと喉を切り裂く。
 そして、暴れないようにゴブリンを羽交い絞めにした。
 
 喉から濁った血を溢れさせ、目を見開いたまま、しかし音一つ立てられずゴブリンはやがて痙攣し絶命する。
 
 ゴブリンの遺体を近くの茂みに隠すと、レベッカは近くの森から木の葉や乾いた土を持って来て血痕の上に振り撒く。
 最後に周囲を手早く確認すると軽く息を吐き、シグルトたちに手招きした。
 
「上手くいったわ。
 
 さあ、行きましょう」
 
 レベッカは、腰に下げた袋に何かを詰めながら血の痕を踏み固め、目立った足跡を踵で擦って消している。
 
「…?
 
 何をしているんだ?」
 
 シグルトが首を傾げると、レベッカは親指と人差し指でつまんだ黄色い木の実を見せた。
 
「【森黄(しんおう)】が群生してたから、可能な範囲で集めてたのよ。
 
 これ、ポートリオンで買ってくれる所があってね。
 それなりにお金になるのよ。

 この量なら私たちの旅費ぐらいは捻出できそう。
 結構な臨時収入ってやつね」
 
 【森黄】はこの辺りの森でよく見つかる植物だ。
 葉は特殊な加工すれば毒消しに使えるし、その実は果実酒の材料になる。
 
「…レベッカさんて、抜け目ないんですね」
 
 目の前で行われた虐殺に声を失っていたセーナが、少し呆れたように呟いた。
 
 
 洞窟の入り口にいた見張りのゴブリンは、ただの色違いだったようだ。
 
 この矮躯の妖魔は、知能は人間より幾分低くとも獣よりは賢く、言葉を話し武器や防具も器用に使いこなす。
 統率する存在があって群れれば、小さな村落などはひとたまりもない。

 シグルトが懸念していたのは、回復役がいるとはいえ3人だけでゴブリンに対処することだった。
 広い地形で囲まれれば、少数ではまず対処ができない。

 依頼を受ける時、シグルトは前もってセーナに洞窟の地形を念入りに確認し、依頼を遂行できるかを入念に検討していた。
 さらにくどいぐらいに釘を刺した…「本来2人でこのような討伐依頼を行うことなどありえないのだ」と。
 
「ふむ、このゴブリンは【外れ者】だろう。

 白子や色違いだと、妖魔のような魔物の集団では迫害されて見張りや最前線に立たされることも多い。
 妖魔は典型的な強者優先のヒエラルキーだから、このゴブリンが迫害の対象で見張りに追いやられた最底辺とすれば、コボルトが一緒にいる線はほぼ無いかもしれんな。

 ホブゴブリンやシャーマン、ロード種がいるかはわからんが、1匹の見張りならば群としての規模は小さいかもしれん。
 狡猾なロード種がいれば2匹以上を哨戒に配置するものだ。

 もう一度確認するが、シャーマンやロード種がいる場合は、俺たちだけでは対処できんから撤収する。
 ホブゴブリンなどの亜種がいる場合は要相談。

 これでいいな?」

 見張りを見つけて偵察から戻ってきたレベッカに、シグルトが確認する。

「シャーマン?ロード種?」

 セーナが首をかしげる。

「ゴブリンには知能の高い亜種が存在する。
 魔法を使うシャーマンや、戦闘能力が高く狡猾なロード種がそれだ。
 ホブゴブリンは基本、体格が大きい程度なんだがな。

 他に【チャンピオン】というホブゴブリンの亜種の噂はある。ホブゴブリンと違い勇猛で、オーガ顔負けの怪力と戦闘力があるらしい。
 千匹を超える群を従えるというロード種の変異種、【キング】がいたという話もある。

 ウルフやワイルドボアを従えて騎乗する、【ライダー】という希少種も確認されているらしいな。
 
 洞窟は一本道でそれほど大きくないという情報から、ロード種が率いる3桁超の群はまず生息できないと言える。
 狭いことからホブゴブリンやチャンピオンのような巨体のゴブリンが活動している可能性も低いだろう。
 ライダーが騎乗する動物の足跡も無いから、予測できるのはゴブリンとシャーマン、従僕にコボルトを従えている可能性だ。

 目撃例や足跡、撃破した見張りを見る限りコボルトの線はほぼ消える。他の妖魔の目撃例がないということも〈従僕であるはずのコボルトが外に出てきていない〉という状況だから、いないと断定していいだろう。
 聞き及んだ被害状況に魔法の痕跡もないことから、シャーマンがいる可能性も低そうだな。その手のリーダーがいれば襲撃の指揮をしている可能性が高い。

 そうなれば一番可能性が高いのは、年を経て狡賢くなった【チーフ】(酋長)あたりがいる小規模な群か」

 パーティの作戦担当でもあるシグルトは、敵戦力の分析が得意である。
 冒険の経験があり情報通であるレベッカも聞いたことが無いゴブリンの亜種の名称を口にするあたり、このリーダーがいかに規格外かわかるというものだ。

「そんなネタどこで仕入れるの?

 【チャンピオン】なんて聞いたことないわよ私」

 情報担当としてプライドを刺激されたレベッカは、口をとがらせて尋ねる。

「…妖精学者エルマイヤーの『鬼種』という書物だ。
 妖魔の派生はもともと妖精だった存在が零落するか邪悪な存在の力を受けて変異したもので、妖精と妖魔はその境界が曖昧であるという内容だった。
 彼はレッドキャップやブギーマンなどの邪悪な妖精を例に挙げて、妖精としての神秘性を完全に失った亜人種の一つだとゴブリンを定義していた。

 【チャンピオン】は英雄や覇者を意味し、ゴブリンで最も戦闘力が高い先祖返り、突然変異種らしい。

 歴史的登場はあまりないんだが、鬼の英雄ギーナ・イーの知名度が高い。
 ギーナ・イーは古い童話にも登場し、その力を誇示するために手形を巨岩につけたと言われていて、現在でもそれが残っているんだ。
 その【チャンピオン】はホブゴブリンの二倍の背丈があり、山羊を捻り殺して食らったという。

 ゴブリンに混じって、一緒にオーガがいたという話を聞いたことは無いか?
 【チャンピオン】は外見がオーガによく似ているらしい。
 普通オーガは番や家族でもない限りは単独で行動し、ゴブリンも食料として見るから、一緒に生息することはないそうだ。
 エルマイヤーは希少な目撃例から、【チャンピオン】はオーガとして見間違われる例が多いのだと述べていた。

 エルマイヤーは神話に登場する妖精、アールヴやドヴェルグを研究していた北方出身の学者で、西方諸国にはその書物が無い。
 俺が聞き知っていたのは、父がその手の書物の蒐集をしていて読んだことがあるからだ。

 この間ロマンに話したら、随分興奮していたな」

 シグルトには優れた点がいくつもあるが、特に各地の伝承や神話についての含蓄が飛び抜けている。
 その手の話題を尋ねれば、泉から水が湧き出すように知識を語るのだ。

「エルマイヤーはゴブリンはドワーフやコボルトと同じく大地…とりわけ鉱山や洞窟に関わる妖精から派生したと考えていた。
 妖魔や鉱山に関わる巨人は、ドワーフと同じドヴェルグ…古い神話に登場する始祖の巨人の身を食んだ蛆虫をルーツとするらしい。
 日の光を浴びると石になるというトロールの特徴は、元々はドヴェルグの特性とされていたものだ。それは他の古い伝承にも記録がある。

 ゴブリンが洞窟を好むのは、高山や大地の中といった暗黒に住むドヴェルグ…スヴァルトアールヴ(闇の妖精)だった時の名残。
 そして巨体で凄まじい怪力を誇る【チャンピオン】は、同じルーツから派生したトロールと同じように、食らった始祖の巨人の影響で巨大化したのではないか、と書かれていた。
 ドワーフなどの亜人・妖精と違ってゴブリンに亜種が生まれやすいのも、人間の文明から距離を置き古い密儀と文化を維持してきた野蛮な種族である故に、始祖の巨人の特性が先祖返りとして現れやすいのだとも。

 『鬼種』という書物はオーガやヴァンパイアといった闇の因子を強く継承する存在を、そういった妖精も含めて【鬼】と定義する形で締めくくられていた。
 読み物としてはなかなか面白かったよ」

 話しながらシグルトは自分の左手にさらしを巻き、掌の部分に革の切れ端を仕込んでいる。
 目の前でゴブリンが暗殺されたことで顔を青ざめさせていたセーナは、シグルトの余談を聞いて気がまぎれたのか、幾分顔色が良くなってきていた。

「さて、おしゃべりはこの程度にしておこう。

 セーナ嬢は明かりを頼めるか?無理をせず、危険だと思ったら逃げてほしい。
 俺たちが怪我をした時は、可能な範囲で癒しを行ってくれれば助かる。

 俺が先頭、レベッカは俺の左やや後ろでフォローと罠への用心をしてくれ。予備の明かりも頼む。
 地形を利用して囲まれないようにするから、俺の攻撃範囲に入らないように敵を牽制しながら戦ってくれ。

 この人数なら狭い洞窟内でもそれなりに動けるはずだ」

 迷わず自分が一番危険なポジションを選択する。

 冒険者のリーダーは前衛の戦士であることの方が多い。
 最前線で指揮を執る者の方が尊敬され、人を従えやすいからだ。

 矢面に立って仲間を鼓舞する。
 これはセーナのような武外の戦闘力が低い仲間がいる時に、無理をさせず戦いやすくする方法である。
 

 洞窟に入ると、3匹のゴブリンがいた。
 見張りを隠密裏に撃破したためか、まったく気づいていなかったと見えて恐慌状態となっている。

 シグルトは混乱するゴブリンに、次々と斬り付けていた。
 必死に受けるゴブリンを岩の出っ張りにそのまま叩きつけ、弱らせた後はレベッカに目配せをして無傷の個体に向かって行く。

 レベッカは弱ったゴブリンに止めを刺し、陣形を維持してセーナには指一本触れさせない。

 終わってみれば完全な無傷であった。

 セーナはさらに凄惨な殺傷を見て、再び顔を青くしている。
 人型のものが殺される所を見て、気持ち悪くならないはずがないと、シグルトが励ました。
 
 レベッカは、洞窟に籠る血臭に自身も眉を顰めながら、セーナの意外な気丈さに驚いていた。
 普通は吐いたり、貧血を起こして気絶してしまう女性もいるのだ。
 
「…気付かれた様子もない。
 
 喧嘩でもあったと思ったんだろうな」
 
 シグルトは剣から血糊を拭うと、急ごうと促した。
 
 行く先でまたゴブリン3匹と遭遇したが、シグルトは閉所を利用して一匹ずつ仕留める作戦を用い、血路を開いていく。
 素早いゴブリンが逃げに回っているというのに、シグルトの剣は的確にそれを捕捉し、倒すのだ。
 
 ここに来るまでの戦闘では、掠り傷一つ負っていない。
 
「…流石よね。
 
 この狭い洞窟で、そんな大きな得物を操るんだから、大したもんだわ」
 
 シグルトが今使っている剣は、1世代昔の古さだけは骨董品、と呼べる剣だ。
 柄の長さが、片手剣としては僅かに長く、それ以上に刀身がかなり長く重い獲物である。
 一応は片手半剣(バスタードソード)と呼ばれる類だが、洗練された刀剣とは言い難い。
 イメージとしては、金属の角柱のような、厚い刀身の剣だからだ。
 耐久力は大したものだが、重く無骨で鈍器のようだ。
 
 その剣を、シグルトは巧みに狭い場所で問題なく扱う。
 
 レベッカは、さらしを撒いた手で剣の刃の半ばを握り敵を攻撃する、その独特の戦い方に感心していた。
 
 シグルトはその状態で剣を前に構え、敵の斬撃を受け流しながら、カウンターで鍔元や刃先で斬り込むか、突く、という戦法を使っていた。
 狭い洞窟でこの戦い方は実に効率的で、見たことも無い構えに、敵はペースを乱され見る間に敗れ去る。
 
「普通剣を扱う人間は、怖くて刃を握るなんてできないわよ。
 
 貴方は怖くないの?」
 
 シグルトは、自身の持つ剣の半ばを指差した。
 
「この手の重い剣は引いて斬るか、あるいは叩き付けてかち割るものだ。
 麻や革の手袋、あるいはこうやって切れないように手を防護して、鞘のようにしっかり刀身を包むように握れば、手を切ることは無い。
 
 これは【半剣】という古流剣術の構えで、狭い場合や状況に合わせて技を変える場合には重宝する。
 戦士が実戦で編み出した知恵だな。
 
 甲冑を着た騎士の喉や脇に、刃を正確に突き込むためにも使われていた。
 昔はさらに切れ味の悪い刀剣を用いていたから、頑強な鎧を着た敵を相手にするには工夫が必要だったんだ。
 
 それに、普通は剣の刀身を握る構えなんて予想しないから、次の手を読まれ難い。
 相手がそれなりに剣術に通じているなら逆に対応策を講じられるから、間合いの狭いこの構えは不利になるだろうが。
 
 俺のこれは見様見真似だから専門家のそれには及ばないが、こういう場所ではなかなか役に立つな」
 
 シグルトの武芸に関する知識もまた幅広い。
 
 戦い方も、実戦を踏まえた技が多く、敵を殴ったり投げ飛ばしたりもする。
 剣の鍔や柄頭を迷いなく使う殴打の技は荒っぽい傭兵のようなものもあるが、シグルトが巧みに使うと野蛮さは影を潜め、流麗にすら見える。
 
 正統派剣術を習っている剣士が、シグルトの戦い方は卑怯で野蛮だとなじったことがある。
 シグルトは、苦笑して相手にこう言った。
 
「爪や牙を巧みに使う獣に襲われた時、それを卑怯だと言っても、食い殺されるだけだろう。
 
 自身の文化だの戦い方だのを押しつけて、礼節や美しさをのたまうのは実戦用の剣では無い。
 卑怯、野蛮と決め付けるのは、訓練の時だけにしておいた方が身のためだぞ。
 
 その考えで言うなら、剣に対して槍は卑怯だ、斧は野蛮だというような屁理屈にもなりかねない。
 命を奪い合う戦いで、どうしても〈卑怯な戦い〉をされるのが嫌なら、まずその我侭を通せる程度に強くなるべきだな」
 
 実際シグルトは奇襲や汚いとされる戦い方をされても、卑怯だと貶したことはなかった。
 彼に学び同じような心構えをした他の冒険者の何人かは、おかげで命を拾ったと後に語っている。
 
 レベッカはシグルトの戦士としての心構えも、高く評価していた。
 彼が戦闘の指揮を執るなら、自分たちの生存率が格段に上がるからだ。
 
「その調子で、残りも頑張ってよね」
 
 期待を込めてレベッカが言うと、シグルトは「励むとしよう」と短く返した。
 
 
 その後洞窟を調査し、ゴブリンが行商人から奪った香辛料らしきものを手に入れる。
 大きな袋にぎっしり詰まった黒いそれを見て、レベッカは何を思ったか、随分上機嫌だった。

 さらに奥に進むと、また3匹のゴブリンが出てくる。
 1匹は皺が多く、ゴブリンの言葉で前にいる2匹にがなっていた。

「一番奥の奴が【チーフ】だ。
 【シャーマン】もいない。
 
 油断抜きで、手早く仕留めるぞ」

 シグルトは半剣の構えで、前衛のゴブリンのフェイントを振り切って突進し壁に叩きつける。
 3度目の戦闘で慣れたのか、セーナがそのゴブリンの頭に目を閉じて杖を振り下ろしていた。

 その隙にレベッカが残った前衛の手を浅く切る。
 怯ませて姿勢がやや低くなったところにシグルトが突っ込み、腰を捻るように全身を駆動させて剣の刃をゴブリンの頭蓋に叩きつけた。

 返り血を避けたシグルトは最後のゴブリンに躍りかかると、突き出される錆びた短剣をさらしを巻いた腕で弾いて、鍔元でゴブリンの喉を引っ掛け、壁に押し付けてぐいと持ち上げる。
 自重が首にかかり衝撃の直後に絞められて、【チーフ】は思わず短剣を落としてしまう。
 シグルトは刃を握った側の手を押し、鍔側に体重をかけて両腕を突き出しながら横に滑らせた。

 ごりっ、とゴブリンの頸部が挟み切られる。
 半ばまで咽喉を断ち切られ血泡を吐いたゴブリンは、間も無く絶命した。

「そいつが鋏の【勁】ってやつ?

 えぐいわね~」

 短剣についた血糊を拭いながら、レベッカは倒れたゴブリンが呼吸していないか首を確認する。
 死後の痙攣すら終わっているのを確認して、漸く安心したように息を吐いた。
 ゴブリンは死んだふりもよくやるのだ。

「この狭さでは剣を振り回せんからな。

 重い甲冑を着た戦士を相手取る時にも、首を守る防具ごと捻り潰して倒すために編み出された介者剣術だ。
 背の低い相手ならこんな感じで吊るして、先に脛骨を外してしまえばすぐに意識を奪う。

 不潔な爪で引っ掻かれると傷が悪い風に罹るから、早めに沈めたかったんだ」
 
 3人とも迅速な奇襲によって始終優位に戦いを進め、かすり傷すら負っていない。
 掃討の依頼は見事に達成したと言える。
 
 用心のため洞窟のさらに奥を調べていくと、レベッカが洞窟の最奥に隠し扉らしきものを見つけた。
 
 扉の奥には、岩塩らしき鉱脈のある狭い道が続き、そして人の暮らしていたような形跡があった。

「あ~これはダメだわ。
 不純物が多すぎ。
 一回水に溶かして精製するとかしないと使い物にならないわ。

 良い塩なら交易商人に売りつけられるんだけどね」

 岩塩の欠片をこそぎ取って鑑定していたレベッカが、残念そうに言った。

「この量なら、食料品以外の保存であれば大量に使える。
 冬場凍結箇所に撒けば転倒防止にはなるな。鉄が腐るからやり過ぎはお勧めできんが。
 質が悪い塩は色のある物で工芸品を作って売る、なんて方法もある。

 俺たち冒険者には意味の無いものだが、上手く使えば村興しには使えるかもしれん」

 使えない塩について話しながら先に続く階段を見つけ、一行は慎重に進む。
 
「うわぁ…」
 
 階段を降りた後、その先にあった部屋に灯っていた明かりを見て、セーナが驚きの声を上げた。
 
「これは…魔法の光か?
 
 ここは魔法使いの隠居所だったのかも知れないな」
 
 そう言ってシグルトも、物珍しそうに周囲を見回す。
 光を魔力として取り込み半永久的に稼働する仕組みのようだ。

 魔法の明かりは固定型で取り外すことはできない、とまたレベッカが残念がっていた。
 
「…おっ?
 
 これって魔法の杖かしら。
 お宝発見ね」
 
 諦めず探索を続けていたレベッカが、三日月を模った小さな杖を見つけ、さっそく鑑定を始めた。
 
「これは、かなりの貴重品だわ。 
 魔術師垂涎の品って言われてる、【賢者の杖】と同種の魔法の品ね。
 
 でも、ピンク色…少女趣味なデザインがちょっと頂けないわ。
 ロマンなら、半泣きになって嫌がるでしょうね。
 この間、宿の娘さんに女装させられそうになって、逃げ回ってたもの。
 
 売ってもそれなりに高価でしょうけど、欲しい冒険者に格安で譲って、恩を売るのもいいかも知れないわね」
 
 レベッカは大切そうにファンシーな杖を布に包むと、荷物袋にそっと入れた。
 
 
 帰ることを促すセーナに「隠れたゴブリンが残っていれば厄介だ」と洞窟の隅々まで調査し、何も危険が残っていないことを確認した一行は、日暮れ前に依頼を受けた食堂に戻った。
 
 洞窟で手に入った香辛料の話をすると、店の店主が是非買い取りたいと申し出たが、店主の提示した価格にレベッカは「論外ね」と言って、さっさと香辛料を仕舞い込んでしまった。
 事前に依頼があるのでもない限り奪われた商人に返す、という選択肢はもうない。
 冒険者のルールで、盗賊やモンスターが持っていた品物は、一度冒険者の手に渡れば適正価格で買い戻すのが暗黙の取り決めなのだ。
 こうしないと、持ち主を名乗る人物が複数現れ、所有権を主張して諍いが起きる可能性がある。
 
 仕事の一部始終を見ていたセーナは、シグルトとレベッカの手際を称え、報酬の銀貨六百枚と約束の【フォレスアス】という酒を渡してくれる。
 懐の膨らみに頬を緩めながら、レベッカは何かを考えているようだった。
 
 その日は村長の取り計らいで村に一泊し、次の日シグルトとレベッカは旅立つのだった。


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Y字の交差路


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『碧海の都アレトゥーザ』 デオタトの依頼

2018.04.10(13:11) 441

 現在シグルトたち“風を纏う者”はアレトゥーザに近い林道にいた。
 途中の町から急遽護衛を、ということで銀貨三百枚で雇われたのである。
 雇用主はデオタトという商人だ。
 
 最初シグルトたちは、「あんたたちを探している商人がいる」という話を受けて、依頼主を訪ねた。
 それがリューンでアレトゥーザで活動することを勧めてくれた商人のデオタトだったのだが、彼は呼ばれてきたというシグルトたちを見て、「あちゃあ…」と額を押さえた。
 
 どうやら手違いがあった、とのことだ。
 しかし、結局必要だからと、急遽シグルトたちは護衛を依頼されることとなったのである。

 
「“風を駆る者たち”?」
 
 デオタトが最初に依頼するつもりだったのはシグルトたちではなく、“風を駆る者たち”という冒険者グループであった。
 
「ああ、リューンでよく聞く人たちだよね」
 
 ロマンが頷いて言った。
 
 “風を駆る者たち”は、“風を纏う者”と同じく、新進気鋭の冒険者パーティである。
 レベッカの知っている限りでは、シグルトたちより若干早く活動を始めたという冒険者たちで、冒険者の宿『風の旅路亭』を中心に活躍する6人構成のグループらしい。
 
「中にドワーフがいるから、新しい冒険者グループの中では結構知名度が高いのよ」
 
 大地の妖精族と呼ばれるドワーフは頑固で屈強な亜人である。
 本来細工や鍛冶を生業とすることが多い彼らは、人間と時折交易を持つことがあるし、彼らの作る品物はどれも優れたものだという。
 
 ただ、土地や仕事に強い執着を持つドワーフが冒険者となることはあまりない。
 戦士としてはとても頼りになるが、気難しい彼らを仲間にすることは困難でもある。
 
 エルフや獣人といったものを含め、亜人は数も少なくめったに見かけることはないが、旅をする冒険者は一般人よりは出会う確率が高い。
 中には、亜人のはぐれ者が冒険者となることもよくあることだ。
 特に、人間やエルフの両サイドから迫害されがちな両種族の混血、ハーフエルフなどは、絶対数が少ないにもかかわらず冒険者になることが多い。
 生まれでは無く実力で評価される職業とは相性が好いからだ。
 
 そんな話をしながら、シグルトは何故手違いが起きたかをデオタトに尋ねた。
 
 デオタトが伝言を頼み、間違えてシグルトたちに声をかけた伝達者は、シグルトたち“風を纏う者”とよく似たグループ名の“風を駆る者たち”を勘違いしたのだろう、との話である。
 
「確かに似ておるの…」
 
 スピッキオがふうむ、と唸った。
 
「まあ、今回は得したんだし、いいじゃない」
 
 それに件の連中はいなかったんだから依頼は他の冒険者が受けなきゃいけなかったでしょ、とレベッカは続けた。
 
「マルスから、噂は聞いている。
 優秀なパーティらしいな。
 
 リューンの新しい冒険者パーティでは、十指に入るほど期待されている、という話だ」
 
 歩きながら、シグルトが話す。
 
「メンバーのバランスも良いらしいわよ。
 結成の時点で、冒険者の宿におけるパーティ登録人数上限六人フルメンバーで揃っていた幸運さもあるからかしらね。
 一般的なパーティは3~5名が多いんだけど、僧侶・魔術師・盗賊が全部いる時点で有力、戦士や精霊術師まで補完している点で、依頼における対応能力が段違いになるわ。
 
 若い一応リーダー格って奴が精霊術師で、そこそこに剣も使える万能選手。
 参謀格の坊さんとドワーフの戦士。
 盗賊に魔術師もいるから、大抵の仕事が可能ね。
 魔術師は南方大陸の民らしいわよ。
 もう一人女の子がいるらしいんだけど、秘蹟の才能があるってくらいしか情報がないわ。
 
 リーダーの精霊術師がアレトゥーザ出身とかで、私たちと同じリューンやアレトゥーザ、フォーチュン=ベルを中心に仕事をしてるって話よ。

 活動地域が被ってるし、私たちのライバルになるかもね」
 
 レベッカは、同業者の情報収集にも余念無い。
 冒険者は、数少ない仕事を競って奪い合うことが多いのだ。
 時に手を取り合って協力することもあるが、対立すれば戦いになることもある。
 
「“風を駆る者たち”か、どこかで遇うかもしれないな…」
 
 シグルトは“風を駆る者たち”という冒険者の名前に、不思議な縁(えにし)を感じていた。


 無事に護衛の依頼を完遂しアレトゥーザへ着くと、デオタトは約束より多い銀貨四百枚を“風を纏う者”に渡してくれた。

「儲けたわね~」
 
 レベッカは手に入った銀貨を数えながら、まともな金銭を得たことに喜びを隠せない様子だ。
 ついでに商人であるデオタトと、旅で手に入れた雑多な品物をトレードして携帯食や調味料などを手に入れる。
 
「姐さん、商人の素質があるぜ…」
 
 レベッカの交渉術に参った参った、と笑いながらデオタトも御機嫌である。

 前に立ち寄った村で近隣を荒らす猪狩りを頼まれ、報酬代わりにもらったものの中に、珍しい植物の種があったのだが、それが随分貴重なものだったと、デオタトは言うのだ。

 銀貨のみしか報酬にしない冒険者なら、それは都市近郊でしか活躍できない連中である。
 西方でも森に隔絶されたり辺境に点在するなど閑散としている傾向の村落では、銀貨より物品で仕事の報酬を渡されることも多いのだ。

 旅先で手に入れた様々な物品を他の地域で旅費や更なる資材に交換し、シグルトたちは少ない貴重な銀貨を節約してきた。
 本来そういった物々交換にも領地によっては多少の関税が発生するはずなのだが、領主も代官もいない村落で物々交換の税金を取り立てる徴税人など存在しないため、律義に税金を払う者など皆無である。

 関税の抜け道に関して話題が出ると、「税があるのに払わないのは危険ではないのか?」とラムーナが尋ね、その問いに答えたのは意外にもシグルトであった。

「取れない税金を定める領主は暗君である」

 複雑な税をかけると村と村を行き来する行商人がいなくなって領民が反感を持ち、最悪領地から逃げ出してしまうため、分かり難い関税をかけないようにするのが優秀な統治者である。
 あまり税金の種類を増やしても、識字率が低く経済的概念を学ぶことが少ない僻地の住民は、税金のシステム自体が理解できないし、交付される法律や税制も守ることができない。

 的確な法律の浸透と住民の理解力がそろわなければ高度な税制は無意味である、とシグルトは言う。

「都市でも優秀と名高い官吏が、辺境で新税法を定めて失敗する話はありふれている。

 都市などの人口密集地で酒場や賭博などの娯楽を知り金を使うことに慣れているなら、数字的な意味で税を取られることも金払いの慣れから多少は理解できるだろうが…普段から金を使わない僻地の人間は多くが両手で指折り勘定程度しかできないから、不相応に数字を示されて搾取されることに慣れていない。

 麦などの作物の接収は、種籾や食料という生命の維持に直結するものだから、命を奪うのと同じこと。よく戯曲に出てきそうな悪代官風に搾取すれば小さな村落など簡単に経済破綻し、領地に失業者や盗賊が増えて村落が潰れ、そのために悪代官そのものは統治者としての面目を失って免職されるのがおちだ。
 領民も村をあげて徴収の無視をしたり、他の領主の庇護下に入ろうとする、あるいは不満を持つ同じような村落と結託して反乱を起こす場合もある。過酷な環境で生きるからこそ、そこに住む人間は厚顔で狡猾だからな。
 搾取をする領主が苛政を強いても、隠し田や税のごまかしが発生するだけで鼬ごっこだ。法律を守って飢え死にするぐらいなら、民は簡単にそれを破る悪人に変貌する。

 辺境の村落から上手に税を徴収するには、最初に領主の名で橋を作る・街道を整備する・新しい開墾をする・移住者用の住居や公共施設を建てる、といった公共事業を領主側ができるだけ少ない投資か地元民に財が落ちる形で行って税使用の事例を示し、分かり易く何のために金を使うか徴税人や村の統治者を通じて村落の住人に周知する、といった手段で《目に見える利》を示しておくといった工夫をしなければ難しいだろうな。領主が贅沢をするのは領内の流通を活性化する意味で必ずしも悪ではないが、領民に金が落ちるように使うことが大前提だ。
 村落の住人は金勘定が苦手であっても、体感的な自分たちの実利には聡い。
 領民から信頼を得て、時に目こぼしもする清濁備えた政を心がけ、予想した年間実利を超える結果を努力して出し続ければ、結果的にそういう領主が名君になれる。
 民意が強まり、支持を得た領主はさらにことがやりやすくなる。

 といっても、これは理想論だな。
 実際は飢饉・官吏の不正・執政の失敗などで、そう上手くはいかん。

 話を戻すが…関税の周知の難しさから、物品の私的交換にかけられる税は《払ってもらえれば理想》程度の扱いなんだ。
 小規模の交換では馬鹿正直に払う者はいないし、公の目がある大規模な物々交換では関税の適用がされることを知っておかなければならない。

 村落における物々交換への関税は、《私的物々交換》の範疇で事実上無いような扱いだから、その領地の税制が厳しく苛烈でない限りは【よくわからないか、知らなかったふり】で、要求されるまでは出さないのが暗黙の了解ということだ。
 物々交換ではなく《利子無償の賃貸》や《単なる謝礼・贈答品》で交換という形にし、事実をごまかしてしまうこともあるな。

 賢い者なら《物々交換して得をした》とは他人の前であまり口にしない。
 こういうグレーゾーンのやり取りは冒険者をやる以上、建前として知っておかないとな。

 それに私的物々交換まで細かく関税をかけていちいち取り立てるような領地の法律は反感による突き上げで頻繁に変わるし、俺たちのような領地外から訪れる部外者に厳正に適用するのは難しい。
 払おうとしたらそういった税がすでに撤廃されてたなんてよくあることだ。

 少々狡いが、領内に入る前に特別な関税の説明が無ければ《指摘されなかった》ととぼければいい。
 領地内で関税を徹底させるなら、税法の内容が書かれていて確認できる通行証を持たせるといったことをやらなければ《周知がされていなかった》とでも言えばいいわけだ。
 わざと周知しない関税を理由に罰金を吹っ掛けてくる役人もいるから、領地にもよるんだが…そのあたりは酷い領地ならば近隣に噂が広まっているものだから、事前情報を確認してその領地を避ける、あるいは特定の習性がある怪物に気を付けるように物々交換をしなければいい」
 
 高度な経済の話をするシグルトに、デオタトが「おお~!」と驚きの声を上げた。
 このリーダーは「自分は不器用で腕っぷしだけ」と言っているわりに、時々貴族もかくやという教養や学識を垣間見せることがある。
 彼ぐらいの若さであれば強引な政策か理想論で政を語ることが多いのだが、生々しい僻地の税事情や公共事業による領民への売り込みを語るあたり玄人はだしだ。

「…商人のデオタトが驚くようなことか?

 俺たち冒険者は時に僻地の住人から、なけなしの金銭を報酬として貰う。
 この手の事情に通じていないと、報酬の獲得ができなかったり、余計な税金を分捕られて路頭に迷うからな。

 訪れる土地における税制と法律で公開されてるものは三年間ぐらいの情報を調べて諳んじておくのが、調停と交渉に関わる冒険者集団の統率者が行っておくべき義務だ」

(ないない!一般的な冒険者なんて【税金は踏み倒す】を地で行く傍若無人猪が普通だから!)
(地方の税制ってご当地の人間がわかってないぐらい複雑だから、普通は知らないふりをするものなんだよね…)

 心の中で突っ込むレベッカとロマンであった。


 護衛の依頼は結果的に大成功であった。
 
 行路で道が封鎖されるトラブルもあったが、レベッカが盗賊の出ないルートを割り出し、早く確実な行程で「安全」にデオタトをアレトゥーザに届けたのだ。
 道中何事もなかったことに、デオタトは大変満足していた。
 
 優れた護衛とは、何事もなく確実に護衛対象を守ることが何より大切である。
 山賊の闊歩する地域を無理に通り抜けたり、災害や事故などのリスクが起きやすいルートを勧める冒険者は、護衛対象のことを考えていないという意味で「質が悪い」扱いを受ける。

 商人などを護衛する場合、一番大切になるのはリスクヘッジなのだ。
 本来は依頼主が望む護衛方法に従いつつ、可能な限りリスクを減らすのが理想だ。

 護衛のような依頼では、襲撃を受けた時に「危険手当」が発生することがある。
 これが欲しいがために危険なルートを推奨する悪質な冒険者がいたりもするのだが、それをやった場合は再び依頼を貰える可能性が低くなるのだ。特に商人などは同業者との情報交換が頻繁なため、「危険手当」の割り増しをやった冒険者は商人たちのブラックリストに載ってしまうことになる。
 商人たちは荷物を強奪されたりする大損をせず、身の危険に遭いたくないので護衛を雇うのだから、奪われるリスクに近づけたり危険に誘導して小金を稼ごうとする冒険者は依頼の趣旨を守らない三流という評価になるのだ。

 “風を纏う者”の方針は、「誠実で良い仕事」である。
 余程追いつめられないと危険な行動にはでないし、特別好戦的なメンバーもいない。
 結果として、護衛の依頼はまったく揉めずにすべて完遂している。
 
 護衛の仕事はデオタトのもので実に5つ目だが、結成して半年もたたないパーティが、これほど揉めること無く依頼を達成することはまず無い。
 冒険者にとって比較的多い護衛の仕事は、依頼人の小さな怪我や危険手当の有無などで揉めることが多く、難しい仕事なのだ。
 
 レベッカは、危険手当を要求はするが、あえて危険の少ない慎重なルートを選ぶ。
 危険なルートを選ぶと依頼人に悪印象を与え、結果として次の仕事が得られなくなる。
 きちんとした危険手当のある契約を結びつつ、それはあくまでも保険として、安全な仕事をして見せることは依頼主に得をしたような錯覚を与え信頼を得る交渉テクニックであった。

 報酬もやや高めから標準ぐらい、初見の依頼主にはサービスして安く請け負う。
 護衛の依頼は往復などで再度発生することが多く、その時に指名をもらえれば更なる儲けになるのである。
 
 初心の冒険者は、最初このことがわからずにとにかく報酬の高い依頼ばかり求めて、結果として悪質な依頼主に足元を見られたり、依頼の失敗によって違約金などを要求されて身を持ち崩すことも多い。

 賢明な冒険者が依頼料を多額に吹っ掛けるとすれば、それは相手が悪質な依頼主と知っていて「二度と話を持ってこないようにさせる」か「相手に雇う気を無くさせる」か「一回の依頼でできる限り報酬をふんだくって縁を切る」ため。

 "風を纏う者"が誠実な仕事をしたということは、デオタトが「長く付き合っていきたい依頼主」ということである。

 言伝を頼んだものが間違いを犯したことは、デオタトにとってある意味幸運だったとも言えた。
 “風を纏う者”を名指しで依頼しようという商人も、少しずつ現れていたからだ。
 
 “風を纏う者”は、報酬を法外な値段には決してしない。相手が悪質な相手でも、だ。
 レベッカは実力を安売りはしなかったが、先を見越した誠実な価格で仕事を請け負い、適度にサービスをして信頼を得る方法を得意としていた。
 彼女曰く、〝目先の儲けしか考えない奴は、損をする〟そうである。
 
 実際“風を纏う者”は、ここ数日仕事に恵まれ、財政難をなんとか凌ぐことができた。
 物々交換が多かったので、手元の銀貨はたいして増えなかったが、それが減ることは避けられたのである。
 
 
 仕事を終えた後、レベッカはアレトゥーザの拠点『悠久の風亭』で銀貨の枚数を確認しながら一息ついていた。
 
 ロマンとスピッキオには、固く買い物禁止を言い渡してある。
 他の2人、シグルトやラムーナは、無駄遣いとは縁遠いタイプだ。
 特にシグルトは、レベッカにとって協力的なリーダーだった。
 彼が誰よりも禁欲的にことをするので、最近は仲間の中で倹約を重んじ、それに慣れつつある。
 
「普段はなんとか銀貨千枚ぐらいはキープしておきたいわ。
 
 適当な仕事を見つけて、もう一踏ん張りしましょうか」
 
 いったん解散していた“風を纏う者”は、『悠久の風亭』に集結し、夕食を食べながらこれからのことを相談していた。
 
 宿の女将ラウラと仲良くなったレベッカは、アレトゥーザに出入りする商人と交渉して、格安で調味料や宿に必要な資材を買い付ける仕事をし、代わりに数日の宿代を確保する、という芸当をやってのけた。
 普通なら大金がかかる高級油や良質の塩、最上品質の小麦粉に、珍しい産物。
 レベッカはそれらを、ほぼ原価…市場の四分の一程度で仕入れることができる。
 
 結果として、高級素材の料理で客足が増えたことに満足したラウラは、これからもそういった交渉を受け持つことを条件に、向こう一月の宿代を半額、しかもツケにしてくれた。
 “風を纏う者”が海風に震えながら野宿をしないで済むのは、レベッカのおかげだった。
 
 レベッカは怠け者だ。
 しかし、快適な怠け方や遊び方をするために、その仕事ぶりはとても優秀だった。
 
「………」
 
 上機嫌なレベッカに対し、何故か何時もの様に陽気な雰囲気では無く、ラムーナはそわそわした様子だ。
 
「…どうしたラムーナ?
 
 さっきから何か言いたそうだが、話せないことか?」
 
 シグルトが幾分穏やかな声で話しかける。
 このリーダーは一見朴念仁だが、仲間への気配りは的確だし、懐が広い。
 仲間が迷う時は、その決断を助けるために橋渡しをしていた。
 
 幾分慎重なレベッカやロマンが迷った時や、仲間同士で意見が対立した時は、シグルトの意見がいつも鶴の一声であった。
 シグルトは、仲間の意見をすべてを考慮した上で決断し決定する。
 彼の決定は常に妥当であり、文句を言う者はいなかった。
 
 それに、シグルトは我欲というものがまるで無い男だ。
 無欲、というのとはちょっと違うが、仲間を優先する意識が強く、辛抱強さと禁欲においては超人的だった。
 道中は一切間食をせず、水や食料は毒見ならば率先してやり、節約する場合は自身がもっとも我慢する。
 水は、仲間に余裕を与えるために、自分の体力を維持できる最低線で節約し、ペースを誤った仲間に与えるほどだ。
 
 普段からリーダーとしての責務を果たし、その公正で誠実な判断力と、私情を極限まで抑えるストイックな態度。
 利己的なレベッカや、理屈っぽいロマン、老練で正義感の強いスピッキオが独りよがりにならず、シグルトの決定を無条件で信用するのは、シグルトが信頼できるリーダーだからだ。
 
 理想が高過ぎて仲間をつくらなかったレベッカが、〈最高のリーダー〉と臆面もなく言うくらいなのだ。
 能力的にも優秀だが、何より優れているのは統率力と決断力、そして調停する力だと、レベッカは評価している。
 
 かといって、誇りや自主性の無い男かというと、そうではなかった。
 付き合ってきた“風を纏う者”のメンバーは理解しているが、シグルトは一見は冷静に見えて、実は義理堅く、意外にも情熱的だ。
 仲間を侮辱する言葉には毅然と抗議して相手をたしなめるし、悩むことなく自身の考えをまとめ、即座に意見の一つとして提示する。
 卑屈な部分はまるでなく、シンプルではっきりしている彼の考えは、大概そつが無く適正だった。
 一度決めた目的には全力で取り組み、自分の役割はしっかりこなす。
 そして、“風を纏う者”の誰よりも仲間を信頼し大切にしていた。
 
 これだけのリーダーである。
 さらには、それが作ったものでも演技でもない自然体なのだ。
 
 “風を纏う者”が属する冒険者の宿『小さき希望亭』の主人も、シグルトは宿で最も理想的かつ模範的なリーダーだと評価している。
 
〝あいつの何が凄いって、あれだけの完全無欠ぶりを普通に似合ってるって感じさせる雰囲気だな。
 ああいうのをカリスマって言うのか?
 
 嫌味にすら感じさせないんだから、よく考えるとそこが化物じみてる。
 もし領主や王様だったとしても、何の不思議もない。
 
 むしろ、何で冒険者をしているのか、と考えてしまうくらいだ…〟
 
 シグルトについて、宿の主人が評した一説である。
 
 こんなシグルトを、ラムーナも心から慕っていた。
 だから、信頼するリーダーに促されると、自然と迷っていた言葉が出る。
 
「あのね、別に今でなくてもいいんだけど…
 
 実はこの都市である人と知り合いになったの。
 その人は、南の方から伝わったっていう闘いのダンスを知ってる人で、私ってもともと踊りとか得意だから。
 
 機会を見てその人から、その闘いのダンスを習ったなら、もっと戦う時役に立てるかなって…」
 
 遠慮がちに切り出したラムーナに、レベッカはしばし沈黙すると、息を吐くように尋ねた。
 
「ラムーナが習いたい技って、どのぐらいの授業料がいるわけ?
 
 さすがに仲良くなったからって、無料ってわけにはいかないんでしょ?」
 
 レベッカの問いに、ラムーナは小さく頷き返した。
 
「…銀貨六百枚。
 
 一番基本的な技だって聞いてるけど、素早さに自信があるなら確実に強くなれるって言ってたよ」
 
 レベッカは思案するような仕種をし、そして少し困ったようにシグルトを見た。
 そんな彼女に、信頼するリーダーは強く頷いて見せる。
 
「分かったわ。
 
 今までラムーナって、こういう我侭はまるで無かったし、ね。
 ちょうど手元にはそのぐらいのお金があるし、ラムーナには早速その技を習ってもらいましょう」
 
 レベッカの言葉に、ロマンとスピッキオが意外そうな顔をする。
 
「…いつもお金に煩い私が、ぎりぎりの状態でお金出すのが変なんでしょう?
 
 勘違いしないでほしいんだけど、私は節約するように言ってただけよ。
 パーティにとって必要なら、お金を惜しむつもりはないわ」
 
 驚いて目を丸くしているラムーナに、レベッカはぴったり銀貨六百枚を手渡した。
 
「ロマンとスピッキオには文句言わせないわよ。
 
 あんたたちの方が、無駄遣いしてるしね。
 私たちのリーダーも賛成してるみたいだし」
 
 シグルトがレベッカに相槌を打つ。
 
「ラムーナは、本来その身体能力を最大限生かせる戦い方をすべきだ。
 残念だが、俺が教えられる技術にそれは少ない。
 彼女は膂力を重んじた技よりも、急所を狙ったり、素早く動いて敵を翻弄する技の方が優れているからな。
 
 元からダンスが得意だったというラムーナだ。 
 舞踊は、戦いの技術を秘匿したまま後世に伝えるために、武術を練りこんだものが数多くある。
 剣術に近しい剣舞を見たことがあるが、ある種の効率性すら感じさせられたものだ。
 
 普段、戦闘の指揮を執っている俺としては、ラムーナの戦闘力を高めるならむしろ有難い。
 
 強いて問題を挙げるとすれば、ラムーナが技を習う間、俺たちはどうするかだが…」
 
 レベッカが肩をすくめた。
 戦力を高めることは、シグルトにも必要なのである。
 
 シグルトは、冒険者になってから剣を学びだしたという。
 彼は豊富な戦闘経験を持ち、かつ専門家に師事して戦術を学んでいる様子だが、剣は素人だった。
 
 先輩の冒険者が、シグルトは槍か竿状武器(ポールウェポン)を使っていたのではないかと言っていたが、それが得意なのかと聞くと微妙に言葉を濁すのだ。
 はっきりものを言うシグルトには珍しいことである。
 
 シグルトの戦い方は、正式な剣術というよりは、膂力と戦術を生かした総合的な戦闘力によるものだ。
 磨きぬいた複雑な技の類は習得していない。
 
 むしろ、先輩の使い古しの剣を使うシグルトが、剣術の素人にもかかわらずパーティの先頭で戦えることが驚きだった。
 ある時シグルトがぽつりと洩らしたのだが、〝本当に強くなるなら、基礎から身体を作り、最初から技を磨くべきだ〟と彼は考えているらしい。
 
 シグルトの鍛錬法は常軌を逸している。
 それぞれの指一本で床がへこむほど腕立て伏せをする鍛錬は誰も真似できないと言うし、片手倒立や剣先に水が満たされたいくつもの水桶を下げたまま一時間以上動かずにいる訓練、一回の鍛錬で石畳が粉砕するまで踏み込みを繰り返す反復動作などは、見る者を唖然とさせる。

「なぜ同じ動作を繰り返すか。
 できるようになった回数が伸びた力そのものだからだ。

 武を磨いて到達する術理を【勁(つよ)さ】という。
 これは効率的に無駄なく正確な力を発揮するため、繰り返して強靱に精密に再現できるようになること。

 鍛冶師が鉄を打ち、火花とともに不純物を弾き出して器械を研ぎ澄ますのに似ているな。
 無駄を弾き出しながら、その時最も理想的な状態を模索し鍛え続ける。

 だから【鍛錬】と言うんだ」

 シグルトは、動作の邪魔にならないよう筋肉の密度のみを高めるために宿にいるときは食事にも気をつけている。
 宿に戻ってきた冒険者が自堕落になりがちなのに対し、シグルトは仕事の成功による宴会などには無理のない範囲で付き合うがその次の日からすぐに鍛える。
 しかも、彼がいた場所だけが雨に降られたあとのように汗で濡れるほど、厳しい練武を続けているのだ。
 
 自身も、体格すら改造する訓練で技を習得する盗賊のレベッカである。
 シグルトの行う鍛練法が、緻密な解剖学に基づくものだと何となく気が付いていた。

 無茶な鍛錬は身体組織を破壊する。
 故障しないギリギリで行い、食事で壊れた肉体を再生させる。 
 一から剣に適合した体格を作ろうとしているのだろう。
 無理に単純な技を習得するより、まず身体を完成させることから考えている、というわけだ。
 
 言うは易し、行うは難しである。
 
 一度習得した何かを完全に捨て、身体を作り直すことがどれほど難しいか。
 シグルトをよく知る者は、彼が〈才能を与えられた天才〉ではなく、〈磨き研ぎ澄ました秀才〉であると理解している。
 
 レベッカとしては、シグルトが必殺の技を得たなら、どれほど強くなるのか早く見てみたい気もする。
 
「ま、戦闘の専門家であるシグルトが言うんだからね。
 
 ラムーナが鍛練中、一月は宿が自由に使えるし、私は出来る仕事を単独なり、残ったメンバーでするつもりなんだけど、他の皆はどうするの?」
 
 気持ちを話題に戻し、レベッカが聞くと、仲間たちは皆考え始める。
 
「ふむ。
 
 わしはアレトゥーザに残って、教会にでも通っておるわい。
 
 アレトゥーザには様々な人間が出入りする。
 若いラムーナ一人残すのも、気が引けるでな」
 
 商人の子だったスピッキオは、かつてラムーナを虜にしていた奴隷商人が現れることを危惧していた。
 シグルトもレベッカもそのことに思い至り、それが良いと頷いた。
 
「それなら、僕も残るよ。
 
 実は調べたい書物があるんだ。
 この辺りの歴史や地理、周辺都市との関係をもう少し詳しく調べておきたいし。
 
 リューンは、僕やレベッカはホームグラウンドだけど、知らないアレトゥーザのことは地元で学ぶのが一番だからね。
 
 それに、南方の言葉の詳細な辞書が、この都市の賢者の塔にあったんだ。
 実際に南と交易のあるアレトゥーザ出身の賢者が書いたものだから、実践的で参考になると思う。
 
 図書室の本って、主要な本は持ち出し禁止だから、塔に通う以外方法は無いし。
 
 どうせアレトゥーザは、南における拠点にするんだし、いろいろ調べておけば役に立つと思う」
 
 ロマンの言葉に、レベッカはそうねぇ、と頷いた。
 
「まあ、3人も残るなら、宿のツケの保障にもなるわよね。
 
 じゃあ、シグルトと私で出稼ぎってことでいいかしら?
 さすがに懐が寂しいしね。
 
 浜が近いし、3人そろってれば、暇な時にでも前みたいに食材探しで食費を稼げると思うわ。
 後で、ラウラさんに頼んでおくわね」
 
 すまなそうに項垂れるラムーナ。
 
「ラムーナ。
 
 これは投資なんだから、強くならないと承知しないんだからね」
 
 レベッカが片目をつぶって、人差し指でラムーナを優しく小突く。
 
「…うんっ!」
 
 ラムーナはいつものような笑みを浮かべて、大きく頷いた。



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2018年04月
  1. 『聖なる遺産』(04/28)
  2. 『街道沿いの洞窟』(04/19)
  3. 『碧海の都アレトゥーザ』 デオタトの依頼(04/10)