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『碧海の都アレトゥーザ』 鼠たちの囁き

2018.06.28(22:39) 457

 路地裏を歩く女がいる。
 
 最近新調した服は、革を使ったもので身体のラインをしっかりと強調していた。
 胸元も大胆に開いており、扇情的な色香に溢れている。
 
 気だるげな表情。
 だらしのない緩んだ口元。
 
 怠惰な雰囲気が、見て取れる。
 
 だが足音は全くしない。
 滑るように、羽根でも生えているかのように、ふわふわした歩み。
 
 まるで彼女の周囲だけ、音が消えているような違和感。
 
 緊張を見せずにこんなことができるのは、熟練の盗賊だけである。
 
 女…レベッカは路地裏のすえた臭いをよく知っている。
 
(―――昔は私もこんな路地裏にいた、ただの〈鼠〉だったわね)
 
 立ち止まったレベッカは、路地の隙間から見える本通りを眺めた。
 一台の馬車が駆け抜けていく。
 
 レベッカはそれを見てかすかに眉をひそめた。
 彼女にとって、始まりの記憶は馬車だったからだ。
 
 
 男が倒れている。
 女が倒れている。
 
 男は紫色になった舌をベロリと口からはみ出させ、血の泡を吐いている。
 女は綺麗な顔半分と血に染まった髪で、紅い縞模様だ。
 
 少女はじっと二人を見つめている。
 
 雨が降っていた。
 
 男の上に横転した馬車が乗っている。
 女の頭は半分が異様にへこんでいる。
 
 少女の顔に、ぬるりとした何かが張り付いていた。
 人間の脳漿だ。
 
 倒れている二人は少女の両親だった。
 
 たぶん、父親は優しくて頭を撫でてくれたと思う。
 たぶん、母親は美人でよく笑う人だったと思う。
 
 でもそこにあったのは両親だったものの死体と、天涯孤独になった少女だけ。 
 冷たい雨が、少女の顔についた母親の部品を洗い流してくれた。

 泥にまみれて転がった、雨に濡れる母親の眼球が、まるで泣いているようだった。
 
 後で知ったのは、乗った馬車が横転して夫婦が死に、1人の年端もいかない少女が後に残されたという…おせっかいな婦人が同情して泣きそうな、ありふれた話。
 
 数日後、遺産をよく知らない親戚に搾り取られた少女は、下町の孤児院に預けられた。
 
 
 そこは地獄だった。
 
 鞭を持った神経質そうな男と、でっぷりと太った偽の尼僧がいた。
 
 孤児院の子供たちは飢えてぎらぎらしていた。
 食べ物を巡って争う子供たち。
 喧嘩して食器を使って殴り合い、死ぬ者もいた。
 
 諍いの首謀者は神経質そうな男に、鞭で散々ぶたれて泣いていた。
 
 愚かな奴ら…私ならもっと確実にしっかり食べられる、と少女は思った。
 
 太った尼僧が大喰らいなのは知っていた。
 彼女の食べ物をちょろまかすだけ。

 年下の、身体が大きな子供が一人、レベッカを姉のように慕ってくれた。
 少女は兄弟がいなかったので、その子供にだけは目を掛けてあげた。

 「姉ちゃん、姉ちゃん」と慕われることは、地獄で唯一、心が温まる瞬間だった。
 
 だからその少年には、狡猾に生きる方法を教えてあげた。
 二人で協力して、悪戯や窃盗といった悪さをしたこともある。
 
 悪事を知らなければ、出来なければ、そこは生き残るにも困難な場所だった。
 
 時々孤児院の子供たちは数が減った。
 すぐに新しい孤児が連れてこられたが。
 
 神経質そうな男と太った尼僧は、子供が減る度に銀貨を数えていた。
 
「あの生意気な餓鬼はどうしたの?」
 
「今頃、変態親父に嬲られてるさ」
 
「あのぼ~っとした娘は?」
 
「今頃、お人形さんみたいに貴族のボンボンの玩具になってるさ」
 
「昨日の綺麗な子は?」
 
「今頃、怪しい黒服の奴らに生贄にされているさ」
 
 そうして神経質そうな男と太った尼僧は、儲かった、とほくそ笑んでいる。
 
 少女は顔に泥を塗って普段は下を向き、馬鹿な振りをして、来客がある時姿をくらましていれば大丈夫だと知っていた。
 弟分には、同じように逃げる方法を教えてあげた。
 
 足を折った乞食の爺さんに、盗んだパンをあげたら教えてくれた方法だった。
 
 この馬鹿どもはなかなか売れないと、神経質そうな男と太ったシスターは嘆いたが、少女にはこんな阿呆どもに得をさせるつもりはなかった。
 どうせ一定の年齢になれば間引かれる…タイミングは分かっているのだから、それまではこの屑どもを利用すればいい。
 
 二人が酔っ払ったり出かけた隙に、銀貨をちょろまかして貯めてある。
 気付かれないよう、少しずつだ。

 …もう少しで千枚になる。

 少女はお金を使えばいろんなことが可能だと、大人たちを盗み見て知っていた。
 自分がお金を使うなら、太った尼僧のように無駄に太るまで食べたりしないし、神経質そうな男のように財宝を集めたりはしない。
 上手に使って見せる。
 
 お金を溜め切ったらこんな地獄、とっととおさらばする気だった。
 できれば弟分を連れて、だ。
 一人より二人の方がきっと生きて行くのにも楽しいし上手く行くと、あたりを付けていた。
 
 やがて、銀貨が九百九十九枚貯まった時、孤児院が火事になった。
 
 目の前で、太った尼僧が喉を絞められて殺されていた。
 
 神経質そうな男と、頭を布で巻いている男が戦っていた。
 
 神経質そうな男は、脇腹から血を流している。
 頭を布で巻いている男は、片腕が無くて血を流している。
 
 さっき頭を布で巻いている男は、子供を盾にした神経質そうな男に不意を突かれて、剣で腕を切られた。
 頭を布で巻いている男は、きっとお人好しだろう。

 盾にされたのは、あの弟分だった。
 神経質そうな男に、建物を燃やす炎が大きくなって弾けて大きな音を立てた瞬間、見えない位置から焦げた木片をぶつけてやった。
 びっくりした神経質そうな男が手を離した隙に、弟分は逃げてくれたようで、少しほっとした。
 
 少女はわざと、神経質そうな男が自分をまた盾にするように、怯えた振りをして近づいて行く。
 案の定、神経質そうな男が少女を抱き上げて剣を突きつけた。
 少女は神経質そうな男の首に抱きついて、その首の後ろの少し上に、拾ったばかりの錆びた長い釘を思いっきり突き刺した。
 
 神経質そうな男が、前に生意気な子供を殺した方法をその通りやっただけ。
 
 神経質そうな男はあっけにとられた表情で倒れ、びくびくと痙攣していた。
 たぶんこの時、少女は初めて自分の手で…人を殺した。

 案外、何も感じないものだ。
  
 少女は頭を布で巻いている男に近づくと、お礼に私を助けなさい、と言った。

 男はびっくりしたように眼を見張り、そして次の瞬間楽しそうに笑い出した。
 
 後で名乗り合う。
 少女はレベッカ、頭を布で巻いている男はユベールという名前だった。
 
 
「…昔を思い出すほど、年を食ったのかしらねぇ」
 
 レベッカは「ぼやくのがすでに拙いわねぇ」と思いながらまた歩き出した。
 
 前に、この都市の知り合いに聞いておいた目印を探す。
 
 見るとその盗賊は、また立ち番をしていた。
 
「精が出るわね、鎧の置物みたいにさ」
 
 レベッカが声をかけると盗賊は肩をすくめる。
 
「仕方ないさ。

 それに、鹿みたいに角突き(抗争に明け暮れる)するよか、遥かに楽だぜ…」
 
 盗賊…ファビオは、相棒に合図するとレベッカを連れて歩いて行く。
 
 行き先は前とは違う。
 今度は廃教会だった。
 
「あらま…
 
 最近は随分と信心深いわね~」
 
 ファビオは「言うな」、と肩をすくめた。
 
「前の巣は、ロネって〈蝿〉が馬鹿やって叩かれた。
 
 〈蝿〉は残飯か糞溜めに群がってればいいのによ」
 
 〈蝿〉とはちんぴらの隠語だ。
 
「〈蝿〉っていや、最近気障な〈羊飼い〉の小僧が〈蝿〉と〈ハイエナ〉を飼い始めて、お前んとこの〈虎〉のことを嗅ぎまわってるぜ。
 
 『蒼の洞窟』を泳いでる可愛らしい〈お魚〉を食っちまおうって腹みたいだがな。
 
 ま、今回のはサービスしとくぜ、レベッカ」
 
 〈羊飼い〉は聖職者、特に聖北教会や聖海教会などの僧職を意味する。
 〈ハイエナ〉は傭兵やならず者のことだ。
 〈虎〉は戦士でも腕の立つ者に使う。
 
 〈お魚〉というのは、ファビオが作った急ごしらえの造語だろう。
 
 抽象的だったり、長かったり、幅広い意味の言葉を飾って言う時は仕掛けがある。
 水に関係ある言葉、可愛らしい〈お魚〉、つまりはシグルトがよく会いに行く件の精霊術師だろう。
 
「ちんぴらっていや、最近気障な僧職の小僧がちんぴらと傭兵を雇って、お前んとこの戦士(シグルト)のことを嗅ぎまわってるぜ。
 
 『蒼の洞窟』の可愛らしい精霊術師をやっちまおうってことが、目的みたいだ」
 
 ファビオがレベッカに伝えた言葉の意味は、このようなものである。
 
「ありがとう、ファビオ。
 
 お礼と言っちゃなんだけど…
 最近あんたんとこ、随分〈鮫〉に食い荒らされてるわよね?
 
 他の海で馬鹿な〈雑魚〉どもが、次にロアンの港で食事をするって息巻いてたわ。
 たぶんあと二、三日後みたい。
 
 どう、あんたの腹の足しにはなりそう?」
 
 レベッカの言葉にファビオが目を丸くし、続いてニヤリと笑う。
 
「ありがてぇ…
 
 今度一杯奢るぜ、レベッカ。
 ボスが探してたネタなんだ」
 
 貸し借り無しでいいわよ、とレベッカがファビオの肩を叩く。
 
「最近なんか〈鮫〉によく関わってね~
 
 フォーチュン=ベルでも〈鮫〉釣りするはめになったわ。
 あんたんとこ荒らしてるのよりは、綺麗な海の連中みたいだったけどね」
 
 〈鮫〉は海賊を意味する隠語である。
 
 隠語と関係ある言葉で、会話をまとめるのがスマートなやり方だ。
 
 レベッカはロアンという港を二、三日後に海賊が襲撃しようとしている計画があるをファビオに伝え、最近フォーチュン=ベルでやった海賊退治のことを話題にしたのだ。
 ちなみに「あんたんとこのより綺麗な海の連中」とは、「あんたのところの海賊よりは道理をわきまえていた」という意味だ。
 
 最近アレトゥーザ近郊を悩ます海賊の非道ぶり、は有名だった。
 
「まったくだぜ…
 
 最近ボスの機嫌が悪くてよ。
 〈鮫〉の中に獰猛な奴がいるみたいで、陸まで上がって来て喰いやがる」
 
 陸に勢力を伸ばした海賊に悩まされていることを、ファビオはぼやいていた。
 
「ま、がんばんなさいな。
 
 応援ぐらいはしてあげるわよ?」
 
 そういうレベッカに、ファビオは、それじゃ腹はふくれねぇんだよ、と毒づいた。
 
「おっと、いけねぇ…お仕事、お仕事、っと。
 
 今日はどんな用事だレベッカ?」
 
 回り道をして本題に入る。
 情報戦から入る盗賊にとっては何時ものことだ。
 
「あんたんとこ、〈鼠〉に芸を仕込んでくれるんでしょ?
 
 昔の勘を取り戻したくなってさ…
 
 あの頃得意だったちょっとした小技と〈蛇〉の芸を鍛えたいのよ。
 〈大蛇〉が踊るような凄い奴、ね。
 
 しばらく厄介になりたいんだけど、いいかしら?」
 
 ファビオが目を丸くする。
 
「〈蛇〉の芸って、お前…」
 
 言い難そうにするファビオにレベッカは、いいのよ、と言って続けた。
 
「確かに私は〈蛇〉の芸は嫌いよ。
 
 でもあんた、知ってたわよね?
 〈雌蟷螂(めすかまきり)〉に仕込まれてたこと」
 
 〈雌蟷螂〉という言葉に、ファビオが心底嫌そうに眉をひそめた。
 
「…ああ。
 
 そんなことがあったって聞いた時は、相応しくねぇ仕事をやらせた、事に関わった連中を全員絞めたくなったぜ。
 …ユベールの親父や、お前の腕に対する侮辱でしかねぇ」
 
 最高の〈鼠〉をよ、とファビオはむっつりと黙り込んだ。
 
「別にいいのよ。 
 ファビオは〈鼠〉が過去に何仕込まれて何食ってたかって、蔑んだ目では見ないからね。
 
 〈雌蟷螂〉の仕事は一番やりがいの無い仕事だったからねぇ。
 
 上で尻振ってる雄を、さっくり食い殺しちゃうだけなんだけど、臭いし汚いしさぁ…」
 
 さらに嫌そうな顔をするファビオに、ごめんごめんと謝りつつ、レベッカが頭を掻く。
 
 〈雌蟷螂〉というのは、性行為の最中に男を殺す暗殺者のことである。

 蟷螂の雌は交尾中に雄を食べてしまうことから、こう呼ばれている。
 暗殺のやり方の中でも、最も汚れた方法として忌み嫌われていた。
 
 〈蛇〉は暗殺者や刺客を意味し、例えば〈毒蛇〉が毒薬を使う暗殺者、〈大蛇〉が絞殺を専門とする暗殺者のことだ。
 執念深く獲物を狙う様からこう言われている。
 
 レベッカは本来穏健派の盗賊で、得意分野はスリや盗みだったが、今までに殺した人間もたくさんいる。
 
「最初に獲物を食ったのは八つの時よ。
 
 ま、今更聖処女様を気どるつもりは無いけどね。
 
 今まで必要無いから、芸から離れてただけよ。
 これからは〈蛇〉に戻ることがあってもいいと思ってる。
 
 綺麗な奴が汚れるより、慣れてるのが代わってやった方がいいでしょ。
 効率もいいし、さ」
 
 遠い目をして、優しげな笑みを浮かべるレベッカ。
 
「〈猫〉が女王やってた頃と同じ目をするんだな…」
 
 ファビオは懐かしそうに呟いた。
 
 リューンでファビオを助けた時も、この女盗賊は仲間や後輩たちをとても大切にしていた。
 
「残忍なくせに、身内には甘いんだよな、お前」
 
 ファビオの苦笑に、悪い?と返すレベッカ。
 
「いいや。
 
 俺はそういうところ、嫌いじゃないぜ。
 お前の男になるのは勘弁してほしいけどな」
 
 「失礼ね~、私だってあんたなんか願い下げよ」とファビオの脇腹に拳を入れてくる元暗殺者をなだめながら、ファビオは地下にある訓練場にレベッカを連れて行った。
 
 
 レベッカは近くに置いた鉢の中に入っている銀貨を、少し離れた場所にある籠に投げ入れていた。
 ひたすらそれを繰り返している。
 
 だがよく見れば、レベッカが投げる度に、銀貨を挟むその指が変わっていることに気がつくだろう。
 
 親指と人差し指、親指と中指、親指と薬指、親指と小指、人差し指と中指、人差し指と薬指、人差し指と小指、中指と薬指、中指と小指、薬指と小指で1セット。
 
 今度は格好を変えながら行っていく。
 時には座って、時には片手で壁に寄りかかって、時には食事をしながら、時にはワインを瓶ままラッパ飲みしながら。
 
 朝からそれだけを行っている。
 
 銀貨はすべて籠に入っていた。
 
「…やってるな」
 
 ファビオが若い男を連れて訓練場に入ってくる。
 野暮用があるからと留守をしていたようだ。
 
「まったく、生徒をほったらかしてどこ行ってたの…
 
 ファビオって女に興味がなさそうって思ってたけど、そこのはあんたの新しい恋人かしら?」
 
 馬鹿言え、俺は男色の気はねぇぜ、と口を尖らすファビオ。
 
 側にいた軽そうな男は、レベッカの投擲を見ていたが、「上手ぇな」と呟いた。
 
「…その若いのは何よ?」
 
 レベッカはまた銀貨を投げる。
 
「憶えてないのか?
 
 まあ、お前が…」
 
 ファビオが言おうとした言葉を制して、レベッカは薄っすらと笑う。
 
「分かるわよ。
 
 “風を駆る者達”のユーグ、でしょ?」
 
 そして、後ろの男にウインクをしてみせる。
 
「…いい腕だ。
 
 〈盗賊の腕一本は命の半分〉ってわけだ」
 
 ユーグと呼ばれた男はニヤリと笑う。
 それはレベッカとユーグにとって、特別な意味を持つ言葉だった。
 
 レベッカが最後の銀貨を放り投げる。
 それが綺麗に籠に入った。
 
「ひゅぅっ♪
 
 百発百中か?」
 
 ユーグが言うとレベッカは左右に首を振った。
 
「百枚中三枚が裏になっちゃったわ。
 
 まだまだよねぇ…」
 
 ファビオが籠を見て唸る。
 
 籠の中で綺麗に重なっている銀貨の中に、裏向きに伏せられたものが確かに三枚あった。
 こんな結果を出せる者は、盗賊ギルドでも数人しかいない。
 
「ファビオが惚れ込むわけだな…
 
 確かに噂通りだ」
 
 レベッカはしばらくユーグを見ていたが、なるほどねぇと頷く。
 
「…思い出したわ。
 
 ファビオが連れて来たのは、そっちでかぁ」
 
 レベッカはふう、と息を吐くとユーグに椅子を勧める。
 
 近くのテーブルの上にあったワインの栓を、ナイフで器用に抜くと、グラスに注いでユーグの前に置く。
 
「…お父ちゃんの葬式以来ね、ユーグ坊や。
 
 今まで思い出せなかったのは、それだけなまってたって証拠だわ」
 
 記憶術は、盗賊の重要な能力である。
 自嘲的な笑みを浮かべ、レベッカはくいっとワインを一口呷ると、目を細めてグラスを回し弄び始める。
 
「親父が泣くぜ、レベッカさんよ。
 
 俺より目をかけられてた、あんたがそれじゃあな…」
 
 ユーグもワインを呷り、この季節なら冷えたエールの方が美味いな、と言う。
 
 二人は、初めて会った日を思い出していた。
 
 
 昔、ユベールという盗賊がいた。
 
 盗賊の中の盗賊と讃えられた人物で、リューンの盗賊ギルドで幹部をしていた男だ。
 
 しかし彼は組織の縄張りで悪さをしていた男を粛清しようとして、思わぬ反撃から盗賊の商売道具とも言うべき利き腕を失ってしまう。
 ユベールの配下は不幸を嘆き、彼のライバルはお祭りのように喜んだ。
 
 だがユベールは、気落ちした風でもなかった。
 ギルドから去っていく彼の傍らには、八歳ぐらいの小汚い女の子がついていた。
 彼曰く、命の恩人だ、とのことだった。
 
 ユベールは何を思ったのか、家族と離れてその女の子を引き取ると、リューン郊外の小さな家に引っ越した。
 
 誰もが腕を失っておかしくなったんだと言ったが、一月後に様子を見に行ったギルドの盗賊は目を見張った。
 
 現れた愛らしい容貌の少女が、お茶を入れてくれたのだ。
 
 ユベールはその時、盗賊にこう言ったという。
 
「俺は半分死人さ。
 
 あの時食らった傷と武器に塗ってあった毒の後遺症でそんなに生きられんし、周りには醜態を晒しているようにしか見えないかもしれん。
 
 だが俺は宝石の原石を手に入れたのさ。
 今の俺には後継者を残すことしかできないが、全てを譲れる逸材を見つけられた。
 
 腕一本と数年の命でも、最高のお宝に換えたと思えば安いかもしれんな…」
 
 それから二年後に、ユベールは静かに息を引き取った。
 看取ったのはその少女である。
 
 葬儀の席で、泣きもせず葬儀に参列していた黒い喪服の少女。
 
 少女をじっと見ている少年がいた。
 ユベールの忘れ形見ユーグである。
 
 周囲の盗賊仲間はその少女…レベッカを見て、陰口を囁いた。
 ユベールに育てられた盗賊たちなどは、泣きもしないレベッカに「恩知らず」と口汚く罵った。
 
 ユーグはその時に、薄ら寒い笑みを浮かべて盗賊たちに言い返したレベッカをはっきりと憶えている。
 
「あんたたちは三流ね。
 
 お父ちゃんはいつでも冷静沈着にっ、て言わなかった?
 こんなところで私が泣き喚いたら、お父ちゃんが化けて出るわよ。
 
 私は笑って送ってあげたわ。
 それが私の手向け方よ…」
 
 侮辱されて怒り、叩こうとした大人の盗賊を足を引っ掛けて見事に転倒させると、レベッカはユーグの元に来てその頬を両手で優しく包んだ。
 
「…お父ちゃんはあんたに、盗賊にはなってほしくないってさ。
 
 でもお父ちゃんの子供だもんね、分からないよね。
 あんたの人生はあんたで決めるんだよ、ユーグ坊や」
 
 ユーグの周りの人間は、レベッカが父親を奪ったのだと教えて来た。
 だが、ユーグはこの日レベッカに言われたことを忘れなかった。
 レベッカを憎む気は起こらなかった。
 
 
 レベッカがユベールを葬った後のこと。
 
 元々ユベール最後の弟子という肩書きしか持っていなかったレベッカは、ギルドの使い走りをしながら、〈猫〉(スリ。相手にすり寄っていく様からそう呼ばれる)をして糊口をしのいでいた。
 
 少し成長して初潮が来ると、その容貌の美しさを見込んだ暗殺部門の幹部が、色香で男をたらし込み殺す〈雌蟷螂〉としてレベッカを引き取って鍛え、レベッカは暗殺者として数年を過ごす。

 その幹部は目的のためには手段を選ばない卑劣な男で、魅力的な容貌の女盗賊の弱みを握って自分の情婦にしたり、〈雌蟷螂〉や〈女郎蜘蛛〉(娼婦の肩書きを持つ暗殺者で、〈雌蟷螂〉が場所を問わないのに対し、娼館や決まったねぐらに誘い込んで暗殺を行う)といった身体を武器にする女の暗殺者を、多数手下に持っていた。

 まだ年齢が若く、後ろ盾の無かったレベッカは、つけ込まれて〈雌蟷螂〉をやることになったのだ。
 レベッカはその男の下で十人以上殺したが、結局その上司はある日あっけなく首を絞められて殺された。

 実はその上司を殺した男が、レベッカが〈雌蟷螂〉になる代わりに〈女郎蜘蛛〉から足を洗わせた〈猫〉時代の仲間であり親友の、兄だったのだが。

 問題の多かった上司の死には何も感じなかったが、レベッカは身の振り方を悩んだものである。
 
 レベッカの扱いに困った盗賊ギルドは、最初にやっていた〈猫〉の部門にレベッカを送るが、その時、あまりに鮮やかなレベッカの腕と統率力にギルドのメンバーたちは驚嘆した。
 そしてユベールは正しかったと口々に言い、レベッカはあと十年もすれば上級幹部だろうと噂されるようになった。
 十代で下級幹部である〈猫〉の親となり、“猫の女王”という別名を知らしめたことは、多くの盗賊の間で語り草である。
 
 しかし、かつてレベッカの師であるユベールと対立していた老年の幹部が、彼女の台頭を恐れて〈猫〉の部門を縮小したのである。
 盗賊同士では、疑心暗鬼でこの手の牽制がよく行われた。
 
 レベッカはそれを期にギルドを抜けて、冒険者になったのである。

 〈雌蟷螂〉の時代、幹部に請われてレベッカに女の武器…誘惑の仕方や化粧、養生術(いわゆる閨のテクニックである房中術の他に、薬学や健康法、その逆を含めた知識と技術)を教えたのは、当時のギルドの若手で最強の暗殺者だった“黒豹”エイダであった。
 エイダは数ある後輩の中でも、レベッカは特に目をかけて可愛がり、自身が諸事情で盗賊ギルドから抜けて冒険者として大成した後、レベッカが冒険者になる時は様々な場所に口利きをしてくれた後援者である。
 レベッカが冒険者という職業に就いたのは、この大先輩によるところが大きい。
 “黒豹”エイダの弟子、というのもレベッカの持つブランドである。
 
 レベッカの実力を知る者たちは、彼女の腕を惜しんだ。
 なにしろ大盗賊“錦蛇”ユベールと“黒豹”エイダの愛弟子で、二十歳前に、下級幹部に抜擢される程の才媛である。
 
 レベッカ自身は盗賊の前線から身を引いて気楽になったと、落ち込んだ様子もなかったのだが。
 そして、それからは自堕落に過ごすようになった。
 
 時が経ち、また組織の内部が入れ替わり、レベッカの実力を知る者は、彼女を何度も組織に誘ったが面倒だからと引き受けなかった。
 
「組織に属してると、細かい掟やら派閥やらと、しがらみの中で生きなきゃいけないから胃が痛くなるのよねぇ。
 せっかく面倒な手続き無しで、ギルドの檻から出られたんだし。
 
 慕ってくれる若いのがいるのは嬉しいんだけど、看板として担がれて矢面に立たされるのは勘弁願いたいわ」
 
 後年、酒を飲んだ席でレベッカがそうぼやいていたと、ある盗賊は語る。
 
 レベッカ弱みは後ろ盾になるビッグネームが身近にいない、ということだった。

 彼女の最大の後援者である“黒豹”エイダは冒険者として活躍した後、遠方の都市で恋人の子を産み、その都市で盗賊ギルドのトップになっていた。
 大先輩の威を借りるにはいささか距離があり過ぎるし、エイダはリューンの外…他所の組織関連の人間ということで扱いが繊細だ。

 そういう自分が台頭して面に出れば、警戒されて真っ先に潰されることをレベッカはよく心得ていた。
 
 だが、スリの時代に面倒を見た後輩や、彼女自体が作った仲間同士のコネクションはかなりのもので、彼女を慕う者や親しい盗賊も今だ多い。
 
 アレトゥーザのファビオもその一人である。
 
 
「それにしても、あのユーグ坊やが、ねぇ。
 
 今は新進気鋭のパーティで、腕を唸らしてるって話じゃない。
 願わくば、敵同士にならないようにって思うわぁ」
 
 レベッカがワインを飲みながら、うんうんと頷いている。
 ほんのりと頬が赤い。
 
「…その坊やっての、やめてくれねぇか?
 
 あんたとだって大して変わらないはずだぜ」
 
 ユーグは気に食わない、という顔でワインを飲み干す。
 
「そうね、そんなガタイで坊やも無いか。
 
 大きくなったもんよねぇ」
 
 そう言って、レベッカは手の上でくるくるとグラスを弄んでいた。
 かなり際どい扱いをしているが、中身のワインは一滴も零さない。

 格下に扱われているようで、ユーグは不愉快になってくる。
 
 最初からこの女は、ユーグを子供扱いだった。
 盗賊らしく、やり返さねばなるまい。
 
「…ケッ、年くってあんたがババァになったんじゃねぇのか?」
 
 坊や扱いなら年増扱いが意趣返しになる、と毒舌で一本取ろうとしたユーグは、次の瞬間首に綱を巻かれ吊り上げられていた。
 
「…ッッッ!!!」
 
 顔の横には、ぞっとする暗い目で自分を見ているレベッカがいた。
 ユーグは素早く綱を短剣で切る。
 
「…女に歳の話をするもんじゃないわよぉ」
 
 とろんとした様子で、レベッカはすでに座りワインを飲んでいる。
 先ほどの殺意に満ちた目ではもうない。
 
「…だ、だからって、絞めるか、普通っ!」
 
 酔いが醒めて冷汗を流しつつ、ユーグは悪態をつく。
 
「どうやら、俺が教えなくてもすぐ昔のお前に戻りそうだな…」
 
 ファビオがやれやれと肩をすくめている。

「って、おま、こらファビオ!
 
 涼しげに、殺されそうになった俺を無視すんじゃねぇ!!」
 
 激昂するユーグに、ファビオが切れた綱を指差していった。
 
「よく見ろ。 
 この綱は練習用だ。
 
 本物ならもう喋れねぇし、喉の痕もそんなじゃ、すまねぇぜ?」
 
 アレトゥーザの盗賊ギルドには【絞殺の綱】という暗殺芸が存在する。 
 ユーグも得意とするそれは、敵の背後に回りこんで首を絞め、声を上げることもできないままに絞め殺す技である。

 絞殺は古くからある暗殺の技で、絞殺紐(ギャロット)と呼ばれる革の紐を使う。
 実際には、【絞殺の綱】の綱は特殊な鋼糸を仕込んで強度を増し、ユーグが切って抜け出したような防御ができないようにしてある。

 絞殺紐には両端に滑らなくするために鮫の皮が編みこまれ、輪を作って絞めると仕込んだ鋼糸がむき出しになり、発声器官を強烈に圧迫して、綱を外しても少しの間声を上げられなくなる。
 乱戦において締め上げた対象を盾にし、身を守るところまで考えた、実に悪辣な技であった。
 
 絞殺術は大蛇が獲物を絞め殺すのに姿が似ている。
 袋をかぶせて黙らせる方法もあり、これは〈飲込み〉や〈丸飲み〉などとも呼ばれる。
 故に絞殺を得意とする盗賊は〈大蛇〉と呼ばれるのだ。
 
 ユーグは落ちていた綱を摘み上げて、なるほど、と言った。
 
 それは綿で作ったもので、強く締めると普通はすぐ切れてしまう。
 
 首に頑丈な皮と金属の防具を巻いた練習相手が動き回り、それを捕らえて綿の綱を首に巻き絞めて切るのが【絞殺の綱】の訓練法なのである。
 おそらく、ユーグが短剣を使わなくても勝手に切れただろう。
 
「練習用にしちゃ、一瞬身体が浮いたぜ、畜生…」
 
 ユーグが喉を擦りながら言うと、レベッカは艶然と微笑んだ。
 
「お父ちゃんは、それで人を絞め落せたそうよ。
 
 あんたも“錦蛇(パイソン)”ユベールの息子なんだがら、精進しなきゃね」
 
 ユーグの父親は【絞殺の綱】を得意としていたらしい。
 
 絞殺術は窒息させることを目的にしているように見えるが、実際は脳に行く血流を止めて絞め落し、意識を奪ってから窒息させるのが理想的な形だ。
 さらに優れた使い手は、相手を落す前に頚骨をはずすか砕いて殺すこともできたと云われている。
 
 芸が巧みなら、ユーグも落ちていたかもしれないわけだ。
 
「ユベールの親父が現役だった頃にゃ、綱一本でいろんな技がやれたらしいからな。
 
 だから〈大蛇〉の中でも派手な“錦蛇”なんて呼ばれてたそうだ。
 カラフルに何でもこなすって意味でな。
 もっとも、あの親父は『百芸百名』って話だからよ。
 
 その異名もあだ名の一つに過ぎなかったんだろうぜ…」
 
 ファビオがしみじみと言う。
 
 ユーグは面白くも無い顔である。
 
「まぁ、間違ってもガリーナっていう意中の可愛い娘に、今みたいな失言やって呪われないようにねぇ…」
 
 レベッカはワインの栓を手に取ると、素早く銀貨の入った籠に向けて投げる。
 その一擲は迷い込んできた一匹の蝿を打ち落とし、栓は籠の中に落ちた。
 
「…あんた、酔ってないだろ?」
 
 ユーグはこの女に試されたと知って、ぶすっとした顔で言った。
 
「今更気が付いたの?
 
 まだまだ坊やねぇ…」

 さらに痛烈な意趣返し…言葉にはもうできないが、まさに年の功だ。
 
 顔色を操作して自在に表情を作るのも、盗賊の変装術の一つである。
 この女は〈狐〉(詐欺師)にもなれるだろう。
 
 ユーグは、レベッカとの再会を少し後悔した。
 
「…ところで、ユーグ。
 
 あなた、情報を手に入れるとかの理由でたくさん女の子口説いてるみたいねぇ。
 フォーチュン=ベルの『幸福の鐘亭』のママとかさ」
 
 ユーグは、レベッカとの再会を激しく後悔した。
 
「は、ははは、何言ってるんだ、お、俺はガリーナ一筋…」
 
 別の意味での冷汗をかきつつ、ユーグは、レベッカとの再会をとてつもなく後悔した。
 
「あら、本当に?
 
 じゃ、あんたが仲間からちょろまかしたお金を、賭博ですったとかいう噂もあるんだけどぉ…」
 
 ユーグは目の前の女が悪魔のように思えて来た。
 
「し、しらねぇぞ、俺は。
 
 証拠があるとでも言うのかよ!!!」
 
 横でファビオが、この女の地獄耳は情報屋泣かせだぜぇ、とか言っている。
 
「別に証拠なんて無いわよ。
 
 でも一回、あんたの仲間を連れて賭博場に行ってみない?
 行ってないなら、〈旦那、毎度!〉なんて声はかけられないでしょうから、大丈夫よね?」
 
 ユーグは顔が引きつりつつあった。
 
「再会を祝して、河岸を代えて飲むとしましょうか。
 
 もちろんユーグの、お・ご・り・でっ♪」
 
 硬直しているユーグの肩を、ファビオが軽く叩く。
 
「…うわばみで高い酒が好きだから、財布の中身にゃ気をつけてな」
 
 まったく、怖い蛇女だ、とファビオが肩をすくめると、ユーグは恨めしそうにファビオを眺めつつ、レベッカに襟首を掴まれて引きずられて行くのだった。



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Y字の交差路


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『古城の老兵』 【影走り】開眼

2018.06.26(20:53) 456

 仲間と別れたシグルトは、一人『幸運の鐘亭』の裏手で剣の鍛錬をしていた。

 ブレッゼンに宿題として、渡された黒い鉄塊のような剣を実戦で使うように言われていたが、普段の鍛錬から実戦さながらの訓練をするシグルトにとって、難しいことではなかった。
 必要な実戦使用に達した剣は、間も無くブレッゼンに預ける必要がある。

 しばしの愛剣との別れ。
 惜しむならば、やることは鍛錬と決まっていた。

「物凄い剛剣ね。

 でも、剣の基礎がなってない」

 後ろから呟かれた言葉に手を止めて振り返ると、見目麗しい赤毛の女がそこに立っていた。
 鎧を纏い、大振りの剣を腰に佩いているので剣士のようだ。

 すぐに剣を鞘に納めると、女剣士に一礼する。

「見苦しいものを見せてすまない。
 俺は冒険者“風を纏う者”のシグルト。

 あなたは一角の剣士とお見受けする。

 恥ずかしい話だが、剣を始めてまだ三月。
 見ての通り、我流の先輩から幾分学んだだけの素人だ。

 もしあなたが見て、問題があるところがあれば御教授願えないだろうか?」

 振り向いて名乗った美しい男に、女剣士の顔が真っ赤になる。
 鍛錬のため上半身が裸だったためだろうか。

 シグルトが汗を拭いて上着を纏うと、女剣士は幾分落ち着いた様子になっていて困ったように語り出した。

「私はリリィ・ローズレイク。
 あなたと同じ冒険者をしているわ。

 …ごめんなさい。
 盗み見するつもりはなかったのだけれど、見ていたらなんというか、もったいなくて。

 あなたは凄い才能と、戦いの鍛錬を何年も積んできたのは分かるわ。
 技の一つ一つが迷っていない。
 戦闘におけるそれぞれの一動作としてはよく練られているし、そういう意味では後輩に戦い方を教えるのにも問題の無い実力があるのでしょう。

 普通の冒険者は初めて逢った女に、いきなり指摘された言葉だけで教えを乞うようなことはしない。
 武芸者として、きちんと私を測って見てくれたのね。
 〈女のくせに〉とか〈若輩が何を言うか!〉となじられたことはあるけれど、あなたのように素直に問い返した人は初めてだわ。

 私がアドバイスできることは大したことではないかもしれないけれど、一人の剣士が頭を下げて教えを求めたのだから、それに応えるのが同じ剣士というもの。
 深淵無辺の奥義には私自身も至っていないけれど、剣の先輩として応えます」

 シグルトの眉が、ローズレイクの名を聞いてピクリとした。

「あなたは高名なアイケイシアの大剣豪、ライラック・ローズレイクの御親族か?」

 シグルトの口から出た言葉にリリィと名乗った剣士は「父を知っているの?」とびっくりした様子で聞き返した。

「俺の祖国はシグヴォルフ。
 北方の国だ。

 エルトリアの武王が膝を屈して教えを求めた達人の名は、北では有名だ。
 俺の父も、北方ではそれなりに名の知れた剣士だったが、剣士と言えばあなたの父上とその盟友ナルシウス・トランシルブの名をよく語っていた。
 自分などは彼らに比べれば二流三流であると」

 今度はリリィの方が目を見開いた。
 父の名は有名だが、北方のエルトリア王国で剣術指南をしていたことは、西方ではあまり知られていない。

 そして、同じように武芸を志す若手の中に、ある気難しい槍の達人が一番弟子として認めた若者がいたことを思い出す。

「あなたはもしかして、"青黒き稲妻"シグルト?

 "眠れる閃光"アルフレトの息子、三形の槍を極めたハイデンがただ一人認めた高弟の?」

 懐かしい名前にシグルトは苦笑した。
 "青黒き稲妻"とは、一年ほど前までは国で知らぬ者が無かった武名だ。

 腕に巻いた布切れを解く。

 酷い傷痕にリリィの表情が曇った。

「…見ての通り、今の俺は剣どころか半生を尽くした得意技も使えないほど衰えている。
 槍の道は、志半ばで折れてしまった。

 今は冒険者として、何とか並ほどに剣が使えるようになれないか模索している。
 人生のほとんどを剣に費やした人から見れば、なんと身の程知らずと笑われてしまいそうだが。

 呼んでくれた二つ名は、どうか二度と使わないでほしい。
 父と友と幼馴染の墓前に、槍とともに置いてきた名だ」

 青黒い瞳の奥に熾火のように凝る闇を見て、リリィは神妙そうに頷いた。

「あなたたち"風を纏う者"は、このフォーチュン=ベルでも有名よ。
 正直言うと、どんな人たちか知りたくて覗きに来たの。

 もう呼ばないつもりだけれど、あなたの過去の武名を知っていれば納得できる。
 あのブレッゼンが久しぶりに剣を預けたことも納得がいくわ。

 でも、だからこそ不思議なの。
 なぜ【剣】なの?

 シグヴォルフ王国は【帯剣王授(たいけんおうじゅ)】が有名で、王に認められた騎士でなければ剣の所持を許されない国だったのでしょう?
 国を出たからといって、気安く持とうとは考えられない武器のはずよ。

 それに、剣の道はライバルも多い。
 この西方でどれだけの剣術道場があるか知ってる?

 玉石混交。
 そんな混沌とした剣の道を、一度違う武で高みに達したあなたが歩むのは、あまりにも無謀だわ」

 厳しいリリィの指摘に、シグルトは頷く。

「玉石混交…なればこそだ。
 数多くある剣の道であれば、病んだ俺でも振るえる技があるかもしれないと思った。

 あとは、血だろうな。
 国にいた時は諦めていたが、俺は父を尊敬していた。

 理由あって、生前の父は俺が剣を持つことを許してはくれなかったが…亡くなってしまった父の何かを、受け継ぎたかったかもしれない。

 これでは、動機が不純だろうか?」

 リリィはそんなシグルトの瞳をじっと見て小さく「いいえ」と答えた。

 少なくとも、ただ強くなりたいとかなんとなく剣の道を選んだ者達よりは、よほどしっかりとした理由である。
 それに彼の振る剣を見ていれば分かる…純粋でひたむきな剣筋だったのだ。

「おそらくあなたの剣は、普通の剣術道場の師範が見れば〈素晴らしい〉と言われるものだわ。
 あなたはそれに納得しないでしょう。

 最近まで武器を壊さないことに腐心してきたのね。

 でも、優れた武器を持てば、それが自分の未熟さを教えてくれる。
 圧倒的に足りないもの…積み重ねた練度の無さを。

 あなたの剣の振るい方はつぎはぎだらけ。

 武芸書を見て、どうすれば正しいのか模索しながら剣を振るっている…
 あるいは他人のそれを見て、かしら?
 他者の剣を見るのは、その人の未熟さも移ってしまうから…いえ、あなたの正直な剣はそれがよくわかっているから、模索し続けているのね。

 きちんとした正当派剣士であれば、師範や先輩がついて姿勢を見ながら型稽古を繰り返すわ。
 決して歪みが出ないように。
 その術理は剣士たちが何代も時を重ねて至ったもので、教わって繰り返し、身体で覚えるしかない。

 今のあなたの剣は、生まれたばかりの野獣が力任せに角を振るうよう。

 剣の道は術理の道。
 野生を脱却した理知と研鑚の果てにあるもの。

 剣はバランスに優れる武器であり、槍のように突出した間合いや、斧や鎚鉾のような破壊力も無い。
 だから常に器用貧乏で、足りない部分を技で補う必要があるの。

 今のままでは絶対に、壁に行き当たる。
 違うわね…壁を越えられないからこそ、私に尋ねたのね?」

 探るように思案し、女剣士は問うた。

「その通りだ。

 過去に槍があった俺は、父が本気で振るう剣を見たことも無い。
 達人の剣、というものを体感したことが無いのだ。

 俺の知人に優れた剣士がいたが、彼女の剣はとても綺麗だった。
 あなたの言うつぎはぎではない…絶え間なく鍛えた、密度の高い剣を振るっていた。

 彼女が近くにいれば、あるいは学ぶ機会があったかもしれないが。
 今はとても遠い場所にいてそれもかなわない。

 達人が何年もかけて編み出した基礎を、剣を始めたばかりの俺が思いつくはずもないのだ。
 俺は、剣の基礎たる【形】を知りたい」

 武にかける誠実さが、うかがい知れる回答であった。

 リリィはぞくり、と背を駆け抜ける衝動に身震いする。
 この若者は、教えればそれを高みに至るまで続けるだろう。
 ―――彼女が教える【それ】で。

 剣で必ず何かを成す…そんな予感があった。

「まず、私の剣を見て。

 その後には、剣を合わせましょう。
 あなたなら、それだけでいいはずだわ」

 わくわくするような光を瞳に宿し、女剣士はシグルトの前で自分が学んだ剣の一番基礎となる型を演武し始めた。


 キャロライナ・トランシルブは頭に来ていた。

 今日は一緒に剣を交えようと思っていたライバルが、予定の時間になっても一向に宿にやってこないのだ。
 約束したわけではないが、生真面目なそのライバルならば定刻通りにやって来たはずだった。

 仕方がないのでフォーチュン=ベルの街を歩く。
 すると、初心冒険者たちがよく集う冒険者の宿『幸福の鐘亭』の裏手で、目的の女剣士を見つけた。

 いつものように憎まれ口を仕掛けようとして…キャロライナは、ライバルが一緒にいる男性に初めて目が行く。

 …息を飲むほど美しい男だった。
 青黒い髪と瞳に白い肌、長い睫毛と女性と見まごうような顔立ち。

 反面、武骨なほどに鍛えただろう手足は無駄なく締まり、行う動作には一片の無駄も無い。

(…ああ、なんて綺麗…)

 それはライバルが得意とする、ローズレイク流【獅子の剣】最初の型。
 愚直に、武骨に、ただそれを繰り返す美しい男。

 学んで間もないとすぐにわかるが、どうしてこうも惹き付けられるのだろう?
 はっと気づけば、ライバルの方も彼の一挙一動に見惚れている。
 その姿を見た時、耐えられないほどの嫉妬心が燃え盛った。

「…リリィ~?

 修行をさぼって、何男と逢引きしてるんですの!」

 突然現れたライバルに、リリィが驚愕して目を見開き、それから一瞬の後にその赤毛と同じように顔を赤く染めた。

「あ、逢引き!?
 ち、ちがっ、違う!

 私はただ、この人に剣を教えていただけで…」

 そうなの?と美青年の方を見るキャロライナ。
 まともに見ようとすると拙い…顔が良過ぎる。

「リリィ嬢の言っていることは真実だ。

 俺はシグルト。
 冒険者パーティ"風を纏う者"で代表者をしている。

 見苦しい鍛錬をしていたところをリリィ嬢に指摘され、助言を受けていた。

 彼女の名誉のためにも…冒険者の自由に懸けて、逢引きなどという不純なことではなかったと誓おう」

 まっすぐに見返されて、今度はキャロライナの方が真っ赤になった。

「あ、そうなのですか…はい、わかりました」

 こういう時、怒ってごまかす者や照れて否定する者はいるが、シグルトの弁明は理路整然としていて、後ろ暗いものが全く感じられない。

(…"風を纏う者"のシグルト?

 あの海賊ジャドを、防衛装備もろくに無かった商船で迎え撃って、完勝に近い形で撃退したという、魔法剣士。
 新進気鋭の冒険者ですわね。
 なるほど、後々わたくしたちのライバルにもなりうる存在。

 リリィは様子を見に来たというところかしら?)

 思わず目をそらしながら、その理由付けに顎に手をやってみる。
 幾分頬の熱が下がってから、心構えをして美しい黄金の巻き毛を掻き上げ、シグルトの方を見やった。

「初めまして。
 わたくしはキャロライナ・トランシルブ。
 ローズレイク流【飛燕剣】最高師範ナルシウスの娘にして、高貴なるトランシルブ家の血に連なる者ですわ。
 
 そこにいるリリィとは同じ道場時代からのライバルというところですわね。

 あなたの武名は聞き及んでいますわ、シグルトさん。
 勘違いをして、申し訳ありませんでした」

 貴族の生まれであるキャロライナは、ライバル以外に対しては誇り高き令嬢である。
 優雅にカテーシーをしてシグルトに非礼を詫びた。

「なるほど、ローズレイク流至高の双剣…その御令嬢がそろい踏みというわけか。
 どうやら俺はお二人に迷惑をかけてしまったらしい。

 非礼を謝るのは俺の方だ。
 キャロライナ嬢、あなたの尊き血潮と誇りに、敬意と謝罪を。
 あなたの相方の時間を浪費させてしまい、申し訳なかった。

 リリィ嬢、あなたの鍛錬も邪魔してしまったようだ。
 心より謝罪する。

 俺がこのフォーチュン=ベルに滞在する時は『幸運の鐘亭』を使っている。
 アレトゥーザでは『悠久の風亭』を常宿に、所属はリューンの西地区郊外にある『小さき希望亭』だ。

 何かあれば、この恩は必ず返そう。

 あなたの指導に感謝を」

 優雅に胸に手を当て、キャロライナに貴人の礼を返してから、リリィに謝罪して自分の主な滞在先を告げる。
 〈自分の主な滞在先を告げる〉という行為は、教えた場所で寝首を掻かれるのも辞さない=最大級の信頼の意思表示であり、冒険者の礼節としてはとても丁寧なものだ。

 それなりに冒険者としての経験を積んできた二人は、シグルトという男の潔さと義理堅さに感嘆する。

「ふふふ、面白い方ですわね。
 その謝罪を受け入れます。

 あなた、生まれは貴族ですわね?

 同じ高貴の生まれ。
 〈袖触れ合うも多少の縁〉ですわ。

 本来ローズレイク流は、【獅子の剣】と【飛燕剣】が揃って一つの流派。
 リリィの型だけを見せるのは、偏るというものです。
 ローズレイク流の技を学ぶものとして捨て置けません。

 わたくしが、【飛燕剣】の型を教えて差し上げましょう」

 嬉々としてしゃしゃり出できたキャロライナに、リリィは「勝手にすれば」という死んだような目で教導の場を譲った。
 文句を言っても喧嘩になってシグルトに迷惑がかかると思ったからだ。

(それに…たった一回教えただけで、一見素朴に見える型の要訣まで理解してしまったみたい。

 今の演武が初めてやったものだと知ったら、キャリーはどう思うのかしら?)

 リリィが見せた型をシグルトは瞬きすらせずに見取り、取得してしまった。
 自分が習得するのに、父の型を見て何度練習しただろう?
 正直、落ち込むほどの衝撃だった。

 「有難い申し出だ」とキャロライナに感謝しているこの男が、とんでもない規格外と知ってリリィは溜息を吐いた。

 シグルトが先達に対する丁寧な礼を取ったことで、キャロライナは上機嫌になって、優雅に【飛燕剣】の演武をする。
 性格的に苛烈で高慢なところこそあるが、キャロライナは一種の天才だ。
 彼女の型は完成されている上に、芸術的とも言える完成度でとても美しい。

 やがて、演武を終えたキャロライナが、「あなたにできます?」と挑戦的な眼差しをシグルト向けた。

 シグルトは、すっと剣を構えると丁寧に演武を行う。
 功を宿し完成されたそれではない。
 でも、シグルトはその動作を一つも間違えなかった。

 素早さを礎とする【飛燕剣】の型は、動作が速く難しい。
 間違えずにたった一回で模倣することができた者は、ローズレイク流を学ぶ数ある天才たちの中にも、数えるほどしかいなかった。

 見る見るうちに、キャロライナの表情が驚愕のそれへと変わっていく。

「彼は、【獅子の剣】の型も一度で見取ったわ。

 あなたも知っているでしょう…"眠れる閃光"アルフレトの名前ぐらい。
 彼は、その方の御子息よ」

 これ以上にないくらい、キャロライナの瞳が見開かれた。

「"眠れる閃光"アルフレトですって?
 あの"焔紡ぎ"ワディムや、キーレのジュプセタ中将などと並ぶ、北方剣士のビックネームではありませんか?!

 でも、わたくしの記憶ではシグルトという御子息は次男で騎士ではなかったはず。
 御長男のベーオウルフ殿は、近代の剣士では御父上の再来と言われている方。

 御次男の方は、剣ではなく槍の使い手ではありませんの?」

 演武からは目をそらさず、キャロライナが問う。

「ええ。
 その槍を、身体の故障から使わなくなったのだと言っていたわ。

 でも、とても病んだ人の演武とは思えない。
 あれで、剣を始めて三か月なんて…」

 キャロライナの首が高速でリリィの方を向いた。
 開いた口が塞がらないという様子である。

「そうよ…私たちは立ち合っているの。
 彼は、たぶんこのまま強くなれば剣術の歴史に名を遺すわ。

 素質の差は悔しいけれど、そんなものより彼のひたむきで誠実な向上心が恐ろしい。
 彼の剣にローズレイク流が関わった…その事実でさっきから震えが止まらない。

 敵討ちが無ければ…冒険者でなければ、多分彼の先達となって一緒に高みを目指すことを願ってしまうでしょうね」

 ライバルの言葉に、キャロライナもシグルトの方に目を向け直してしっかりと頷いた。

 シグルトは、学んだばかりの【飛燕剣】の型を最後までやり終えていた。

 数年後、シグルトはあちこちで見聞きした技を元に、独自の剣術を編み出す。
 彼の剣に流派の看板は無かったが、ローズレイク流の【獅子の剣】から不動の防御と剛剣を、【飛燕剣】から柔(やわら)と鋭利さの影響を受けたのだと語った。
 その強さは、後の世まで語られることとなる。

 
 演武を終えた後、シグルトは二人に質問攻めにされた。
 なぜ、こんなにも簡単に型を習得することができるのか、と。

「簡単に型を習得?

 俺はただ、〈覚えて行っただけ〉だが」

 シグルトは何を聞いているかわからない、という風に首を傾げた。

「私たちは何故〈たった一度〉で習得できたかを聞きたいの。
 型は何度も先達のものを見て、それを真似し繰り返して覚えるものよ。

 私たちはおかしなことを聞いているかしら?」

 リリィの問いに、シグルトは驚いたような表情になった。
 そういうものなのか、と。

「俺がかつて学んだ師に〈型は一度見ただけですべて覚えなければならない〉と言われていた。

 一度で学び取れない者は〈見て取る機会が何度もあると驕っているのだ〉と。
 次に覚えれば良いという安易な気持ちが、実戦でも〈負けなければ勝てる〉などという甘えに変わる。

 敵の技も見てすぐ対応できなければ、それは死ぬということだ。
 実戦で再度を望む者は、機会が永遠にやってこない可能性を覚悟できていない。
 〈たった一度〉ではなく、その時その時が〈最後の機会〉であると心得て必死になれ…それが師の教えだった。

 師からそのことを言われた時、自分が一度で型を見取れることが学ぶ最低限の資質だと思い、俺なりに記憶術と感覚の鍛錬を模索して、学び取るための素地を磨くことから始めたんだ。
 できるようになってから、師に型の教授を願った。

 教えを漏れずに継承するということは、師の技を見て余さず感じられる感覚と、情報を欠けずに覚えておく記憶力を養わなければならない。
 型の動作とは決まったもので、その通りできて当たり前のものだから、再現するための身体的な柔軟さや体力も学ぶ側が持っていて当然の資質。
 ずっとそうしなければならないと行ってきたことだ。

 他の武術には、繰り返し見て学ぶことを許されることもあるのだな…」

 リリィもキャロライナも絶句するしかなかった。

 シグルトにとっては〈たった一度で見取る〉のが当たり前なのだ。
 同時に〈何度も学ぶ機会がある〉という考えが、戦士としてどうしようもなく甘えたものであると。

 羞恥から二人は赤くなって、顔を伏せた。

 シグルトは天才なのではない。
 ただ、真摯で必死だった。

 習得の速さは、彼の努力によってもたらされた副産物なのである。

 自分たちにはそこまでの懸命さと覚悟があったか。

 黙り込んだ二人に、シグルトは困ったような顔をし、次には決然と話し始める。

「武術にはそれぞれの流派のやり方がある。
 師が許すのであれば、再確認と反復もまた習得法なのだろう。

 師とは、行うべきことを弟子に伝える。
 許されたことが師の方針であり、流派のやり方であればそれに従うのが門弟だ。

 お二人の流派のやり方は、先達が正しいと行ってきたのであれば、その方がしっかり覚えられるということなのだろう。
 俺はじっくり学ぶことが悪いとは思わない。
 武の道も、高みに至る道筋は一つではないのだ。

 俺自身の学び方は、ただ単に修業時代からの癖のようなもの。
 かつて学んでいたものから剣に武器を換えたといっても、今まで行ってきた習慣は簡単に失われるものでもない。
 
 俺は今こうしてお二人に、術理の片鱗を授けて戴いた。
 正しく継承してきたあなた方が、恥じ入ることではない」

 隙無く厳しい、と感じていたシグルトから出たのは優しい言葉であった。
 
(これが、彼の才能なのね。

 己に対してはどこまでも厳格で、教えには誠実。
 でも他の意見を軽んじない柔軟さと公正さ。

 自分と違う者に対して偏見のない視野が、素直に型の特性を受け入れることができるんだわ)

 …台頭してくるわけだ、とリリィは納得する。

 その後シグルトは、「型の教授に対する謝礼になればよいのだが」と、自分が行っている素地の鍛錬法を二人に教えた。

「型のような連続した動作は細かく分けて覚えるのではなく、一つの流れとしてまとめて覚えるのがコツだ。
 無理に整理して分けることによって情報が分割し、憶え難くなる。

 速読の要領と似ているかもしれん。

 文字一字一字で覚えるのではなく、単語、行、文、章…と連ねて一つの流れとするように、自分が使えるあらゆる型も自分の身と連動させて流れとして全身で感じ、物語を憶えるるように吸収する。
 俺はこの方法が一番やり易かったので、できるようになるまでひたすら繰り返して慣れた。

 〈習うより慣れろ〉だな。
 
 俺が練習した方法は、朝起きて鳥や獣が行う動作の推移を記憶する、というものだった。
 街頭で吟遊詩人が謳う物語を、その動作ごと憶えるのでもいい。

 情報一つ一つをたくさんの情報の集合体として一度に憶えれば、その情報の一つから連想して必要な情報を思い出せる。
 他の符合する似た情報から、対策法の予測もできるはずだ。

 俺の母が文字を教えてくれた時、〈この方法を極めると予知すら可能となる〉と言っていた。
 母にこの方法を教えてくれた方は英明で、貴族名鑑を見なくても、そこに書かれていあらゆる貴族の系譜を、読んだ分全て暗唱していたほどだ。

 これは訓練で身につくもので、新しい言葉の習得や冒険者としての契約内容の記憶、戦いで作戦を覚えておくのにも役立っている。

 とにかく、できるようになるまで慣れるのが肝要だ。

 〈識得すべからず、体得すべし〉

 〈できない〉とか〈無理〉と心の中で囁く、【心の悪魔】に囚われず、体得するまでとにかくやる。
 妄想や先入観はその壁だ。

 補助的に雑念を払うための瞑想をするのもいい。
 賢者が山野に交わって知の奥義を極められたのは、心穏やかにこれを行えば至るのだと体得したからだろうな」

 シグルトのかつての師ハイデンは、山野に交わり木の実と草木を食む隠者の様な生活をしていた。
 柵のない深山にはどうしようもない孤独があり、煩悩を喚起する誘惑が存在しない。
 普段は働くことのない雑多な感覚が呼び覚まされ、自然の驚異が容易に命を奪うため、恐怖への耐性ができる。

 後世に聖人、偉人となった者たちの中で、山野に交わって孤独のうちに真理に至った者は多い。
 シグルトは十二歳のまだ純粋な精神だった時に、その境地を垣間見た。
 彼が若いまま様々なことを砂が水を吸い込むように習得していくのは、斯様な理由があったのである。

 だが、彼もまだ知らない。
 この時すでにシグルトのある部分は少しずつ変容を始めていた。


 その後シグルトは、リリィ・キャロライナ両名と剣を合わせた。

 フォーチュン=ベルでも熟練者のみが宿泊を許される『運命の呼鈴亭』から認められた剣士である二人は、とてつもなく強かった。
 精霊術を用いなければ、シグルトの剣はまだまだ未熟。
 勝てる道理など全くない。

 それでも、シグルトは一合剣を交える度にみるみる強くなっていった。

 …いや、強くなっているというのは正しくない。
 優れた二人の剣士の技に触れ合うことで、歯車が合うように剣というものを理解していく。
 上達ではなく、本来の強さに戻ろうとしていた。

(これが"風を纏う者"のシグルト。
 分かります…剣を合わせる度に、わたくしの未熟さとなすべきことが。

 彼は達人の域に達するために必要な答えをすでに持っていて、足掻いている。
 私たちは、その答えを求めて足掻いている。

 簡単なことでしたのね。
 強くなろうとただ頂上を見据え、焦がれること。

 わたくしたちは、並の剣士たちより強くなってしまったからこそ下を見てしまった。

 ただ無心に、達するまで、超えるまで…
 飛んでこその燕。

 彼は弱かった頃の、純粋で飛び立とうとしている自分。
 わたくしは、超えるべき先をただ見つめているただ一人の剣士。

 今ならば!」

 そうしてキャロライナが放ったのは【無影閃】。
 無拍子から繰り出される剣は、すでにシグルトの首元に添えられていた。

 パンッ!!

 剣を止めたのにその後に空気が鳴り、周囲を突風のように風圧が駆け抜けて行く。
 音速を越えた斬撃が衝撃波を生み出したのだ。

「お見事。

 あなたの勝ちです」

 剣を降ろし、シグルトが一礼する。

「キャリー…あなた?!」

 驚くリリィに、キャロライナは壮絶な笑みを浮かべた。

「とても小さなことです。
 でも確かに、超えましたわ。

 ローズレイク流には、まだ先がある。
 そして、わたくしは踏み出したのです」

 普段多くの敵に振るってきた必中の技。
 結果は一見同じ。

 しかし、剣士だけが感じる確かな違いをキャロライナは体感していた。
 歓喜が彼女の細やかな身体を満たしていく。

 続いてリリィもシグルトと剣を合わせる。

 近しい剛の剣。
 意外にも、リリィのそれはいつも以上にひたすらゆっくりだった。

 初歩の大切さ、ただ繰り返してきたなぞるような動き。
 シグルトはそれを剣で受け止めることしかできない。

(ああ、何万回この技の型を振るったかしら?

 リューンの【双狼牙】使いさえ、【獅子功】で耐えきってこの技で破った。
 
 鍛錬は絶対裏切らない。
 私は何を焦っていたのかしらね。

 放った時にすでに結果が決まっているこの技のように。
 剣士には絶対の答えというものがある。
 ゆっくりでいいのだわ。

 進み出した歩みは、必ず到達する第一歩。
 かたつむりのように鈍足でもいい。

 信じて続ければ、功は成る!)

 その一撃は良く見えた。
 子供でもかわせそうなほどにひたすらに遅い。

 すでに、シグルトの胸元に霜が張っている。
 鍛錬によって流れた汗と吐息が湿らせていた熱い空気が、一瞬で凍り付いた。

 ローズレイク流【蝸牛剣】。
 あまりに早く、凍り付いた空気に移る残像が、傍目にはとてもゆっくり剣を振るって見えるという技。

 振るう前に当たっていたのではないかと思えるほどに、凄まじい剣閃であった。

 リリィは花が綻ぶように微笑んだ。

「俺の負けだな。

 素晴らしい一撃だった」

 シグルトが剣を引いて一礼する。

 リリィは自分の手を見つめ、フウッと溜息を吐いた。
 まだ残る冷気がその吐息を白く染める。

「…言葉にできないの。
 でも、必要なのはたぶんこの感覚なんだわ。

 先達だったはずの私が教えられてしまった。
 凄く悔しい…
 でも、それ以上にわくわくして、嬉しくてたまらない!

 達した技が高みの先を超えるというのは、【これ】のことなのね」

 多くの剣士たちが何度もぶつかるという、才能や実力の壁。
 それを超える感覚がある。
 
 視野が開け、悩ませていた雑念が嘘のように消える感覚。
 【三昧(サマーディ)】、あるいは【明鏡止水】などと呼ばれるそれは、武を志す達人の多くが経験する境地である。

 興奮する二人の剣士の前で、シグルトもまた予感めいたものを得ていた。
 自分の求める剣の道は、別の場所にあると。

 二人の見せてくれたローズレイク流の技は、奇しくも両方が必中の剣。
 一方は初動不覚にしていきなり音速に至るほどひたすらに速く、一方は正しい剣速がゆっくりに見えるほど練達して至る。

 シグルトの習得すべきものは、このように努力や技量を極めて達する純粋なだけの剣ではない。
 おそらくはそれ以外の別の要素が混じった、夜の闇ような深く暗いものだ。

(そうか…【刹那の閃き】が上手く使えないわけだ。
 俺の剣は、業を背負った者が足掻いて至る闇の底にある。

 雨でぬかるんだ荒野、月の下に浮かぶ荒れ果てた古城で墓を掘っていた老人。
 あれが、俺の師事すべき剣の師だ。

 病んだ俺が月明かりの下で映す、のっぺりした無駄の無いひたすらに黒く深い…
 慟哭と寂寥の混じり合った、【影(おのれ)】の剣。

 剣は突出した強い武器ではないが、こうも習得した者が多いのは…己を映すことができるからなのだな。
 …父さん、あなたが剣を志した理由が、今になって少しだけ感じられるよ」

 シグルトは二人の女剣士に丁寧に礼を言うと、そのままフォーチュン=ベルを出る。
 
 旅立つ前に、一度愛剣を見せようと、一路桃仙山の『へフェスト』を目指すのだった。


 二度目になる『へフェスト』訪問は、少し日が陰り始める時間帯となった。

 最近の度重なる鍛錬がリハビリ代わりになったのか、アフマドに繋げて貰った腱の感覚が少しずつ戻っている。
 時々言いようのない痺れが身体を襲うこともあるが、一生歩けないかもしれないと宣言された時の絶望に比べれば改善しているとさえ思える。

 病んでいるとは思えない速度で、シグルトは山道を踏破して『へフェスト』へと到着した。

 工房のブレッゼンは、鍛冶の作業で一番神経を使う焼き入れ前に少し休憩をしていたところである。

 西洋剣の焼き入れは日本刀などとは少し違う。
 幅がある西洋剣は、やや高温で焼き入れをした後に油や砂などの冷却材に入れて表面を冷やした後、芯に残った余熱でじっくりと焼き戻す。
 わざわざ焼き戻しをするために、もう一度炉に戻したりはしない。

「暗くなる時が、一番焼き入れの色がはっきり分かるのだ。
 古今、鍛冶師が武器に魂を吹き込むのは黄昏が過ぎてからよ。
 お前の剣に焼き入れを行ったのも、薄暗くなってきた時だった。

 夏場は昼が長くていかん」

 手土産としてシグルトから手渡された葡萄酒を飲みながら、ブレッゼンは上機嫌である。

「今日あたり、来るような気がしていた。

 お前の顔を見ればわかる…どこかに剣の使い方を習いに行くのだろう?
 その間に見事鍛えておいてやる。

 ほら、とっととよこせ!」

 酒を飲み終わったブレッゼンは、酒瓶を工房の隅にある専用の酒瓶入れの中に放り込むと、火傷の目立つ腕をぐいと突き出した。

 シグルトは苦笑して、【アロンダイト】を手渡す。

「…くくく、か~はっはっ!

 なんとも無茶な使い方をしたものよ。
 儂の剣が決して欠けも折れもせぬと知って、力技から慣らしていったのか。
 この黒い塊の状態では、どいつもこいつも遠慮してこんな荒っぽい使い方はせんわ。

 お前、そこそこの使い手に打ち合いで圧し勝ったじゃろう?
 こやつが自慢げに鳴きおる。

 よし、今夜にも焼きを入れてやる」

 フンスッ、と鼻息で髭を揺らすと、ブレッゼンは鎚を持ち上げる。

 シグルトはよろしく頼む、と言って代金代わりに鉱石を二つ手渡した。

「おお、よくぞまぁこの鉱石を手に入れられたな。
 赤いのは最近あまり手に入らんのだ。
 金の方は数はあるんじゃが、どいつもこいつも貴族や商人に売りに行きおる。

 使えもせん鉱石を無駄にされるのは我慢ならん。
 見つけたなら、残らずここにもって来い。

 …今夜は泊って行け。
 相鎚ぐらいは打てるじゃろう?」

 本来鍛冶師は、一人で鍛冶を行うわけではない。
 特に刀剣のような面積の広い刃物を打つ時は、膨大な作業時間が必要になるため、助手に相鎚を打たせるのだ。

 シグルトは「了解した」と、荷物をサンディに預けに行った。
 話を聞いたサンディは「あの人が相鎚を?」と目を丸くしていた。

 その夜。
 シグルトはブレッゼンの指示に従って、無心に大鎚を振るった。

 幼少の頃、シグルトは北方の名工の側で作業を眺めていたことがある。
 熱せられた【アロンダイト】は、火の粉を噴き上げながら外気に触れると、キンキンと澄んだ音で鳴く。

 ブレッゼンが粉末状の何かをふりかけ、炎で熱して赤くなった【アロンダイト】を冷却材の中に刃を下にして、慎重に入れる。
 今回は水ではなく薬液なのだそうだ。

「かけた粉末は、永続化した剣をしばし開放する。
 これで炎を受け入れるようになる。
 通常の武器は鉄を熱してただ鍛えればいいが、魔剣は永続化によって決して壊れぬ。

 この薬液は、次の鍛錬の時に魔力が乗るようにするための物よ。
 薬液で覆われた剣は、三日かけて魔力を定着させる地金を形成しながら、じっくりと焼き戻される。

 あとは三日かけて研ぎ、一晩外気にさらして精気が満ちるのを待つ。
 一週間…こいつの場合は十日は必要だ。

 その間に、剣を学びに行ってくるがよい。

 …儂がなぜ、鍛冶師の秘伝とも言える秘密を教えたか、わかるな?」

 作業中は喋らないブレッゼンが、棚のような場所に取り出した剣をそっと置き、シグルトに語りかけてきた。

「使う剣の特性を理解しろ、ということだな。

 俺は精霊術を使う魔法剣士だ。
 剣に魔法を宿して戦うこともあるかもしれない

 実際に剣を鍛えるのに参加し、永続化…不変の魔力が宿った武器に変化となる魔法を加えるにはどうしたらいいか、焼き入れの時なんとなく考えていた。

 この剣は精霊(たましい)を宿し、生きている。

 加えるのではなく、刀身に鎧のように纏わせて剣精と同調すればいいということだな。
 俺がともに技を成すのは風の精霊トリアムールだから、【風鎧う刃金】というところか。

 このことを前提に剣の技を学ばねば、習得に支障が出ていただろう」

 シグルトは、迷うことなく言葉にした。
 ブレッゼンが「然り」と頷く。

「魔剣の力を十二分に発揮するには、感じ取り知らねばならぬ。

 魔剣の本質を理解せぬ者は、魔剣によって惑わされ、あるいは見限られ…破滅する。
 魔力を持ち、使い手を狂わせる魔性がある故に、これらは【魔剣】と称されるのだ。

 儂ら魔剣鍛冶師はその魔性と対峙しながら、鎚で魔性を打ち延ばし叩き込む。
 
 お前には、儂と同じく剣の声が聞こえるはずだ。
 やり方を教えた鍛冶師がおるのだろう?」

 いつもの厳しい視線ではなく、静かに問う眼差しだった。

「ああ。
 マクラホンという、ドワーフの鍛冶師だった。

 俺は幼い頃、金床の上に乗って、風を、空を掴もうとしたのだという。
 そこに居合わせたマクラホンは、俺が…とある力ある女神に愛されているのだと言ったそうだ。

 彼は妹が生まれて忙しい母に代わって数年間、俺を育み、刃金の扱い方を見せてくれたんだ」

 鍛冶師の名を聞いて、ブレッゼンの眼がくわっと見開かれた。

「"獣を鍛える者"マクラホンか。
 優秀な魔剣鍛冶師でありながら、魔性を宿さぬ武器しか打たぬ偏屈者だそうだな。

 かつてマクラホンが打つ魔剣は、最高の物だったと聞く。

 ある時愚かな貴族が造りかけの魔剣を奪い、試し斬りと称してマクラホンの妻と子供を殺害してしまったのだ。
 マクラホンは魔剣を打つための鎚で貴族を打ち殺し、その魔剣を折った。
 以来、魔剣は決して打たず放浪していると聞いていたが…

 儂ら魔剣鍛冶師は、魔を制する鐵や刃金の精霊と、刃金を唯一溶かすことができる聖なる炎を作る場所…炉や竃を司るヘスティアやブリジットと関わりが深い。
 魔剣の精霊はほとんどが、使い手の半身となるために使い手と異性、すなわち男が使い手ならば女となる。

 英雄…男の剣士が持つ魔剣の精霊や、授ける者は女が多い。
 これは与えられる剣が女神の分霊を宿しているからなどだ、とも言われておる。
 東方の【アメノムラクモ】は斎宮の皇女から、彼の獅子王の聖剣【エクスカリバー】は湖の貴婦人から授けられたという。
 刀身に口付ける古からの礼法は、剣精との儀式的婚儀を表すものでもあるのだ。 

 金床に立った…お前は刃金の大女神に見染められている。
 苦難の道ぞ。

 彼の女神は、見染めた剣士に試練と栄光と破滅を用意するという。
 魔剣【グラム】の担い手、不死身にして竜殺しの英雄シグルズが、栄光と最愛の女を手に入れながら、権力者によって運命を捻じ曲げられ果てたように。

 故に儂らは金床を、子の近くには決して置かぬ。
 金床は刃金の大女神が腰かける神座であり、彼の女神の祭壇なのだ」

 シグルトは頷いた。

「マクラホンが言っていた。
 俺の乗った金床は、マクラホンが借りていた鍛冶場の物だったと。

 マクラホンは俺の母の陣痛が始まる日、宿を求めて我が家にやってきた。
 故国シグヴォルフは亜人への迫害が厳しい土地で、マクラホンはどこにも宿が得られなかった。
 だが、亜人に対して偏見を持たなかった母はマクラホンを宿泊させ、その日に俺を生んだ。
 
 自分が来た日に生まれた俺の成長を見たくなり、マクラホンは父の勧めで蹄鉄を打つための鍛冶場を借りて逗留することにしたのだと言っていた。

 俺は鍛冶師に関わって生まれたからと、鍛冶師レギンに育てられたという竜殺しの英雄シグルズにちなんで、父からシグヴォルフ訛りの【シグルト】と名付けられた。

 故郷には、子供の成長を祈って行う厄除けの儀式がある。
 這って歩けるようになったら、赤子の周囲に様々な品物を置き、最初に触れた物に関わる何かを成すという謂れがある。

 ものを知らない誰かが、鍛冶場から金床を持ち出し、品物の中に置いた。
 鍛冶師が本来は努めて避けるべきものを。
 俺は知らず、その金床の上に乗ってしまった。

 マクラホンは、すぐに立ち去らなかったことを後悔したと言っていた。
 そして、俺が破滅しないように、俺に刃金の精霊との付き合い方を見せて幼少期を過ごさせた。
 父には〈剣に触れさせてはならない〉と言って、去る時に素晴らしい槍を造って渡し、俺はその槍が使いたくて当たり前のように槍の道へと進むことになったのだ。

 …なのに、不思議なものだ。
 俺は一度は破滅同然の目に遭って故郷を去り、こうして異国の地で剣を振るっている。
 手を伸ばして掴もうとした風の精霊に守られている。

 〈宿命から逃げるべきではない〉

 きっと、最初から剣を取り立ち向かわなければならなかったんだ」

 貰った槍は故郷に置いてきたのだ、とシグルトは続ける。

「うむ。
 迷いの無い、良い面構えだ。

 【アロンダイト】の元の主であるランスロットは、武勇に優れながら、王妃に懸想し名誉を失った。
 後に【オートクレール】として継承した聖騎士オリヴィエは、最後の戦いで忠心からの言葉を友に退けられ、果てた。

 だが、これらの騎士たちは立派に戦い、その名を後世に遺した。

 ゆめ忘れるな。
 お前が剣に誠実である限り、魔剣も技も、鏡のように応えてくれるだろう」

 ブレッゼンからの言葉に、シグルトは強く頷き、誠意を示すように己の心臓を拳で叩いて見せた。

 
 数日後、シグルトは一人で辺境の荒野にやって来た。
 腰に武器は無く、護身用に一本の長い杖を携えている。
 
 周囲はもう薄暗くなっていた。

 昼の時間帯お目当ての人物には会えない。
 彼は今でも墓仕事をしているはずだ。

「俺の進むべき剣の道が、見つかるといいがな」

 シグルトはそう言って立ち止まり、遠くに見える廃棄された古城を見上げる。

 遥か昔に攻め落とされたその城は、寒々しい姿を晒したまま、夕闇に佇んでいた。


 シグルトが古城に辿り着いた時、すでに周囲は夜の闇に包まれていた。

 手頃な松明を見つけ火を灯すと、目的の部屋に向かう。 
 そこはかつてこの城の王座があった、謁見の間である。

 焼け焦げたタペストリーが無残に掛かったまま、細工を毟り取られた玉座がポツンとあるだけの広い部屋。
 そこに老人は静かに立っていた。

「…ほう、この間の若いのか。

 シグルト、だったな。
 この儂に何か用かね?」

 シグルトは頷くと、銀貨の入った袋を老人の足下に投げる。

「貴方に剣を学びに来た。

 伏して請う、剣の使い手よ」

 静かにシグルトは片膝をつき、頭を下げて三度床を拳で叩いた。
 シグルトの故郷での師弟の礼だ。

「ほう、古い礼をよく知っている。

 三形の槍使いのものだな。
 あの槍術は絶えて久しいはずだが。

 儂は槍を教えられぬぞ。
 過去に学んだ技を捨て、それでもお前は剣を取るのか?」

 老人が問う。
 
 シグルトは、持っていた杖を槍に見立て、一振りすると目の前で圧し折った。
 槍使いの道を捨てる、という意思表示である。

 古来より武術とは、中途半端に習得すれば技術が濁るとされた。
 故に、師弟の間では絶対の上下関係を結んで、忠実に技を学ぶのである。

 ある不器用な弟子は、師が旅立つに際し一芸を学んでそれを極め、誰よりも師に認められたという。
 
〝知るも良し、学ぶも良し。
 されど極めんとすれば、他に染まるなかれ。
 一芸を修めるは、多芸に浮つくより優る。
 
 驕るならば達せず、鍛えずば欠けるが武。

 最強は技にあらず、使う者なり〟

 シグルトの学んだ、かつての師の言葉である。
 
 純粋に一つの技術に没頭してこそ、純粋な極みに達する。
 それを鍛え抜いた人が使って、初めて最強に至るのだ、という教えであった。

 シグルトは、槍を捨て剣士として生きることを誓ったのである。
 
 老人は細い眼を見開き、深く頷く。

「…よかろう。
 そこまでの決意ある者に、多言は無用。
 
 儂は下らぬチャンバラ遊びはせぬ。
 実践にこそ答えはあるじゃろう。
 
 今夜から、始めるぞ」

 ギラリと睨んだ老人…グロアに対し、シグルトは師を敬うように、黙ってもう一度頭を下げる。

 その夜から始まった鍛錬は過酷を極めた。


 二日目の夜。
 
 上半身裸で岩を背負い、シグルトはひたすら膝の屈伸運動をしている。
 月光に反射し、汗が光っていた。
 
 グロアは、虐待とも言える厳しい鍛錬法で指導していた。
 
(…大したものだな。
 
 儂がこの国の兵士にこの訓練法をさせた時は、今の半分の回数で泣き喚くか岩に敷かれてのびてしまうか、だったが)
 
 無表情のままだが、グロアはシグルトの意志の力に驚嘆していた。
 
(この男には甘えがない。
 
 昨夜の鍛錬の疲労も取れていまいに…)
 
 黙々と屈伸するシグルトの首筋やこめかみに、血管が浮いている。
 足が、腕が小刻みに震え、食いしばった唇が切れて血が滲む。
 夜風に、シグルトの身体から立ち上る蒸気が溶けていく。
 
 そんな中、シグルトの目は静かな光を湛えていた。
 満月の様に清浄で、夜半の闇の様に深淵である。
 
 グロアは、この男のような目をするものを幾人か知っていた。

 歴戦の傭兵、達人と呼ばれた武芸者…
 修羅場と絶望を経験し、どん底から這い上がってきた戦士たちが持つそれは、グロアが何年も戦場を駆けて手に入れたものだ。
 
 岩を持つシグルトの腕。
 
 何時もは手首を守るために巻いている布があるが、邪魔だからと今は外している。
 そこに見えるのは、引き攣れた痛々しい傷痕だ。
 
 肉が抉れ、膿んだのだろう。
 ケロイド状の傷痕は、おそらく縄の痕。
 
「…止めよ。
 
 今夜はここまでだ」
 
 その声にシグルトは慎重に岩を地面に下ろすと、黙って立ち上がった。
 背中は背負っていた岩の凹凸で擦れて、小さな傷が出来ている。
 
 荒い息を吐きがらも、シグルトはへたりこんで休んだりはしない。
 師に対する敬意を表すように、優雅に一礼した。
 
(ふん…、へばったら喝をいれてやるつもりだったが、この男には不要か)
 
 最初に、グロアは自分が教える訓練の仕方はかなり厳しいものだと告げた。
 シグルトはそれで強くなれるのか一度尋ね、グロアが「お前次第だ」と答えると、それからは一切質問も口答えもしない。

 寡黙に、ひたむきに、ただ没頭する。
 
 シグルトの至っているのは、諦観という境地である。
 あらゆる現実を受け入れ、進む意志と覚悟。
 
 それは敗北、悲嘆、不条理などの辛い経験を味わい、砂を齧るような思いをしてやっと至る。
 
(この若さで、こんな目が出来る奴がおるとはな…)
 
 グロアは、優れた資質とそれを腐らせない勤勉さ、鋼鉄のような意志を持っているシグルトを教えるにつけ、錆び付いていた導き手としての好奇心が湧き起こるのを感じていた。
 同時に、わずかに燻る嫉妬の情。
 老いて忘れていたその感情に、滑稽よと厳つい頬を少しだけ緩めた。
 
(惜しむべきは、幼少の時に出逢わなかったことよ。
 
 いや、もしこやつの心が形作られる前に出会っておれば、いかな天稟も慢心に支配されておったかも知れんな。
 今は我が手に来たせっかくの玉、磨くのみよ…)
 
 老いて鈍っていただろう戦士としての高ぶりを感じ、グロアはシグルトを興味深げに見つめていた。
 
 
 心地よい春の日の光が差し込む、巨木の下。  
 シグルトは吹き抜ける微風を感じながら、柔らかな草の上に腰をおろし、飽きることも無く故郷の街を見下ろしていた。
 
「――――シグルト」
 
 横からそっとかけられた声に、思わず頬が緩む。
 
 金色の柔らかな巻き毛が、春の風になびいている。
 北方の民らしい雪花石膏(アラバスター)の様な白い肌。
 形のよい細い眉の下で、少し切れ長のエメラルドのように神秘的な眼差しが、優しげな光をシグルトに届けている。
 紅を注す必要のない薔薇色の唇も、微笑の形に緩んでいた。
 
「ブリュンヒルデ…」
 
 万感の思いを込めて、シグルトはその娘の名前を呼んだ。
 すぐに寂しげな眼差しになる。
 
「これは、夢か。
 
 未練だな…」
 
 いつもの苦笑をしながら、シグルトは娘に手を伸ばし、自分の方に抱き寄せた。
 何度も梳いた甘い髪の匂いも、その華奢な身体の柔らかさも、まだ忘れてはいなかった。
 
「…ええ、夢よシグルト。
 
 だから、目を覚まして?」
 
 からかう様に耳元で囁く娘に、シグルトは「ああ」と頷く。
 
「でも、まだ目覚めたくない…」
 
 そっと愛しい女を抱きしめて、シグルトは目を閉じた。
 

 シグルトが目覚めた時、既に朝焼けの光が、崩れた壁の隙間から差し込んでいた。
 
 しっかりと握りしめられていた手をそっと開く。
 そこには、小さな金色の指輪が一つ。

「俺の手は全てを零し、半生を尽くした技もその象徴とともに折り捨てた。

 そのはずなのに、何故君のことを諦められないのだろうな。
 女々しいと分かっているのに、君の声を、そして姿を思い出す。

 君はすでに、他の男のものなのに…」

 美しく優れた力を持つシグルトに、好意的な女性は数多い。
 だが、シグルトはどうしても他の女性に己の愛を捧げることは出来なかった。

 別れた恋人と婚約した時、友として歩んだある女騎士は真っ直ぐな愛を告白し、涙を飲んで祝福してくれた。
 恋人が破局して傷心のまま国を去ろうとした時、ある姫君は全てを捨てて愛してくれると言ってくれた。

 彼女たちは、傷ついたシグルトが甘えて愛を囁けば、また喜んで愛してくれるのかもしれない。
 だが、シグルトはそれが出来ない。

 男としての矜持もある。
 愛情への誠意もある。

 一番の理由は、かつての恋人に対するほどの情熱を抱けないからだ。
 それほどまでに、シグルトはその女性を愛していた。

 シグルトは指輪を乗せた手をじっと見つめる。
 そこには、過去しかない。
 なのに、指輪の描く輪の中に迷い込んだように、想いは延々と断ち切れない。

「…例え未練だと憎まれても構わない。
 俺はまだ君を愛している。

 俺の想いは止まったままだが、それでも前に進むだけだ。
 この矛盾した輪の中でも、俺は君を想う限り幸せだと思う。

 どうか君を夢見ることだけは、許してくれ。 
 君の幸せを祈る、俺の我儘を…」

 再び指輪を握り締め、シグルトはしばし黙祷していた。


 昼間のグロアは何も教えてくれなかった。
 この滅び去った国に転がる骸を弔い、墓を作るためだ。
 
 シグルトは道具を探してきて、黙って穴を掘った。
 何かを黙々と続けている間、シグルトの心には静寂がある。

 城に横たわった骸を葬るのは、師の仕事。
 だから、屍に触れないし、運ぶこともしない。

 訊ねられれば、ただ「自己鍛錬のために掘っているだけで、穴の後は知らない」と答えた。
 確かに【穴掘り】は、古代武術にもある鍛錬法である。

 グロアはシグルトの言葉を聞いて苦笑した。
 何故なら、彼が掘った穴は一つ一つが丁度墓穴ほどであるからだ。

 ここに技を求めてきた者で、シグルトのように穴掘りが自主的な訓練になると気付いた者は何人いただろうか。
 こうも愚直に無心に穴を掘った者はいただろうか。

 老いてからも技の衰えが無いグロア。
 その秘密は、確かにこの墓掘りにある。

「ならば、穴は儂が使わせてもらおう」

 そして、墓仕事は続くのだった。


 夜になれば石を担いだ。
 三日目には重さが二倍。

 朝から労働を続けて疲労が残った身体…
 血管が弾けるようだ。
 頭痛と疲労を感じ、目の奥が赤く、白く、ぼやけて霞む。

 昼間の穴掘りで磨り潰した手の血豆は、五日目には血を流すことすら忘れて、硬く固まった。

 酷使した身体が、これ以上の力は出せないと悲鳴を上げる。
 無駄な力を振るう余裕がなくなり、絶妙の力加減が理解できる。

 ひたすらに没頭した鍛錬のおかげで、身体と精神が分離したような錯覚を覚えた。
 異様なほどに感覚が冴え渡っていた。
 人間としての制限(リミッター)が外れたのだ。

 せっかく得られた感覚を無駄にはしない。
 周囲が止まって見えるようにゆっくり進むそれを、シグルトは自在に制御できるように試み始めた。

 動体視力は鷹を超え、発揮される反射神経は豹に勝った。
 解放できる時間はほんのわずかであるが…
 一呼吸で放つ技には、それだけで十分。

 夜の闇が、染み込むようにシグルトの中に入ってくる。
 夢の恋人に焦がれるように、暗闇はシグルトの絶望と安寧の場所である。
 
 闇を怯えるべきでなく、影はただ行いを追ってくるものだと理解した。
 自身の影は、光(おこない)によって映し出される…いつの間にか追い抜けることに気が付いた。
 できるはずの無いことが、いつの間にか可能になっていた。
 そうして、すでに影(おのれ)はシグルトの味方だった。

 グロアが的を空に放った。
 さらに、シグルトに向かって雨霰と砂利をぶつけようとする。

 シグルトは疲労困憊の中で、ごく自然に影に身を沈める。
 限界まで解放された動体視力と反射神経が、すべてを止まったように見せていた。
 この世の理はこんなにも遅かったのか。

 訓練用の木剣は的を粉砕し、砂利はただばらばらと落ちて行く。
 歩みは、影を振り切るように速く、影のように実体が無くなっていた。

「これぞ我が剣術における秘宝【影走り】。
 儂が傭兵時代に編み出し、後にこの国の高弟に伝えた。
 
 完全回避と絶対命中。
 独り、戦いで生きようとする者が、当然の答えとして導くそれを形としたものだ。

 流れは〈影〉という戦闘技法に依った技でもある。
 〈影〉の基本は回避と生存。
 その中でもこの技は、その中核を成すものだ。

 七日でこの剣の真髄を悟り、使いこなすか。
 末恐ろしい男よな…」

 グロアの言う〈影〉の秘奥には、縮地術と呼ばれる類の技がある。 
 初速から即座に最高速に達し、一瞬で相手の間合いを侵略する移動術。

 【影走り】は、そういった移動術で、場の流れを支配する技である。

 全ての攻撃を避け、放つ技は回避不可能という恐るべきものだ。
 使い手は、反応の限界を極め、敵の死角を制圧し、場の流れを掌握する必要があった。
 一瞬で全ての攻撃を見切り、確実に一人の死に体を攻撃するのである。

 それを実行に移すには、歩方だけではなく鍛え抜かれた瞬発力が必要なのだ。
 石担ぎは、力の軸となる足腰と剣を振るう膂力を鍛える方法だった。

 穴掘りによって培われた強靱な背筋力が加わり、これまでの要素を同時に加えることで神速に達する。
 その先に、予知という時間の先入観を取り去った感覚の深淵が、技を完成させるのだ。

 そう…放とうと意識するよりも、〈すでに命中させている攻撃〉は遥かに迅い。

 全てがなされた時、敵はその攻撃を見切れず、一瞬で間合いを侵食されて刃に斃れる。
 魔法のようにも見えるが、霊知と技巧の極みこそが可能とする、攻防一体の神速剣であった。
 
「…かつて俺は、同じような縮地術の槍術を一番得意としていた。

 【影なる女王(スカーハ)】。
 最初、何故あの技が影の国の女王の名を冠しているか、俺にはわからなかった。
 技の要訣を得た今なら、よく理解できる。

 過去という影、因縁という柵(しがらみ)は、拭えぬものかも知れないな」

 苦笑したシグルトに、グロアは言う。

「捨てても常は離れぬ、それが影だ。
 過去も己の影よ、拭うことなどできはせぬ。

 身も心も、その影と共に走るがいい。
 捨てず、背負って生きるのだ。
 
 極みに達し先に踏み込むことができた時、お前の一撃は音を超え、刹那よりも速くなるだろう」

 後にシグルトはこの技を磨き続け、さらなる高みに達する。
 “風鎧う刃金”と呼ばれ、攻防一体の剣術を開眼し、剣士としての名を知らしめるのだ。
 
 だがそれは、まだ先の話である。



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Y字の交差路


タイトル画像

『希望の都フォーチュン=ベル』 商船護衛

2018.06.21(15:58) 455

 風を纏う者たちは、海路でフォーチュン=ベルへと向かっていた。 
 彼の都で贔屓にしている『幸福の鐘亭』の名前で、シグルトたちに商船護衛の依頼があったのだ。

 最近西方諸国近海では、海賊による略奪が後を絶たない。
 近年の商業活発化から新しい海路による交易が盛んになった分、海賊たちも自分たちの狩り場を増やし、勢力を伸ばしているのだ。

 仲間たちが心地良さそうに潮風を楽しんでいる中、初めて商船に乗るというシグルトとロマンは、それぞれの理由で緊張気味である。
 
 海の無い北方の陸(おか)育ち(内陸出身者のこと)で、リューンへも陸路でやって来たシグルトは、海上を走る船舶に長期間乗ったことが無い。
 船酔いにこそならなかったが、逃げ場のない船の上で、しかも揺れる船の上での護衛という初めての任務に、頭を悩ませている。

「何時もより酷い仏頂面ね。

 貴方らしくないわ、シグルト」

 レベッカが軽く肩を叩くと、シグルトは大きな溜息を吐いた。

「そうも言ってられんさ。

 船という乗物は、兎角襲撃し易いものなんだ。
 海上故助けを求められないし、逃げ場も無い。

 護衛の任務を預かる以上、対策を考えねばならんが…正直お手上げだ。
 
 こんな危険な乗り物で、大量の物資を送るとは…いくら早いとはいえ理解できんよ」

 シグルトらしくない不満に、レベッカが苦笑する。

 このリーダーは、今までも愚痴一つ無く的確な戦術を立案し、特に護衛戦では大きな結果を残していたからである。
 例え困難なことであっても、最大の結果を出そうとする男なのだ。

「何がそんなに不満なのよ?

 海の上を風で走ってるから、敵が乗り込んでこない限り平気じゃない」

 レベッカの言葉に、シグルトは楽観的過ぎるとばかりに、首を横に振った。

「乗り込む目的がある海賊は、狙ってやって来るさ。
 マストと言う旗印まであるしな。
 
 構造上船というものは、防水のために油や塗料を塗り込んだ木材で出来ている。
 これほど火災に弱い乗り物など他に無いぞ。
 火災が起こったら、この海の真ん中で飛び込むしかない。

 仮に敵が強奪目的の海賊だったとして、燃やされる心配が無いとしよう…
 踏ん張りができない船上では技がぶれやすく、得物を海に落とせば紛失確実だ。
 重装などしていれば、海に落ちると助からない。

 装備を聞けば、この商船は速度向上による軽量化のため構造も脆く、戦闘用に必要な弩砲の類も無い。
 海戦用の投石機を用意しろとは言わんが、せめて矢窓に弩(いしゆみ)数機は欲しい。

 これを、海上装備もろくに無い俺たち五人だけで護衛しろと言うんだからな。
 
 俺たちは今、魔法以外に遠距離攻撃手段が無いんだ。
 一方的に敵の矢玉を受けることになるぞ。

 この船は中古船で、前の船を売って購入したものだという。
 武装はあらかた売ってしまったというんだから、呆れてものが言えない。 

 加え、お前やラムーナが乗ってることに対して、風当たりも強いだろう?
 迷信深い船乗りは女の乗務員を乗せることを、ことさら嫌う。
 船員の協力も、あまりあてに出来ない。

 最悪なことに俺は、海上戦の経験など皆無だぞ。
 船員にも海戦の経験がまるで無いらしい。
 水夫たちはほとんどが、海賊のいない入り江の巡航船の出だというし、今回の航海は初めての外海だという。
 外海での経験がある者たちも、聞けば護衛船がある船団に乗っていて一度も敵に襲われたことが無い。

 こんな急の仕事でなければ、海戦の知識と近海の潮の流れを調べておきたいところだ。

 俺が書物で読んで知っている戦術は、ガレー船用の古典的なもので、しかももっと大規模な武装船同士の戦闘を基準にしたものだからな。
 近代帆船による戦闘など、皆目見当がつかん。
 
 緊張するなと言う方が無理だな。 
 …悪条件極まりと言うことだ。

 この数日海が時化ていないということが、数少ない救いだよ」

 悪条件の中で、初めて乗る船に対し的確に観察して対策を講じようとしているシグルトに、レベッカは頭の下がる思いだった。
 実際、シグルトは船で余っている板を使って簡易の楯を作成している。
 射撃に対して、楯は最も効率の良い防御手段なのだ。

「とにかく火が最も怖い。

 火は風を受けて、上に向かって燃え広がって行くんだ。
 周りが水で囲まれているとはいえ、俺たちが乗っている部分は燃えやすい場所に浮かんでいて、海風という煽りまである。
 
 船のコックに聞いたんだが、火災予防のために、船が動いている時は火を使わないぐらい気をつけているらしい。
 あまりに不用心なので火災予防用の装備を増やすように具申したところ、〝護衛が余計な事を言うな〟と言いだす始末だ。
 
 武装に関しても、俺が作る楯にすら文句をつけるんだからな。
 守って貰う気があるのか、疑問だよ。
 
 こんなずさんな状態で護衛を雇うぐらいなら、中古の砲を一台備える方がよほどましだぞ。
 
 世話になっている『幸福の鐘亭」を通した頼みでなければ、と…愚痴ばかりこぼれるよ。
 
 この船の護衛は、今後受けるべきだはない。
 フォーチュン=ベルに到着したら、知り合いに情報を流しておこう。
 
 少なくとも、責任者があの分からず屋な馬鹿船長の間は、な」

 珍しいシグルトの愚痴である。
 
 シグルトの立てる戦術は、神経質とさえ思える堅実なものであるが、今まであてが外れたことはほとんど無い。
 結成して数か月のパーティが無類の強さを誇っているのは、シグルトの的確な戦術故なのだ。
 
 スピッキオが、気持は分かるとなだめた。

「まぁ、称賛を受けてばかりのお主も、時に人間と言うことじゃな。

 こんなに憤慨するとは思ってもみなかったぞ」

 スキッピオが場を慰めるかのように少しからかうと、シグルトは歯痒そうに唇を歪めた。

「対策が立てられないということは、万が一に死地に陥るということだ。

 何かを護るということは、護り切ってこそ意味がある。
 勝敗で言うなら、護れないことが敗北するということなんだ。

 俺は、共に戦うお前たちの命だって預かっている。
 皆に少しでも勝算のある戦い方をさせるのが、戦士でありパーティの代表を任された俺の仕事だ。

 思う様に出来ないのは、悔しいな…」
 
 リーダであるシグルトがそんな風に悩んでいる最中、ロマンは船乗りたちの態度に閉口していた。
 
 兎角、船乗りは迷信深く、ヒエラルキーや掟に煩い。
 女子供を一段下に見るし、体格的に肉体労働に向かない者は軽視される。

 女顔のロマンに至っては、衆道好みの船員に絡まれる始末。
 近海の諸国には【少年愛】という風習がある地方もあり、暖かい地方には裸の男性と少年が仲睦まじく寄り添い油の入った入れ物とスポンジが一緒に描かれた壺や壁画などが見つかる遺跡もある。油とスポンジは、スポーツで汗を流した男と少年が身体をそれで磨き合いながら戯れる官能の暗喩だ。

 先日乱杭歯の船員に後ろから忍び寄られて尻を触られそうになり、拒絶すると生意気と怒られるということが起きた。
 その船員は、シグルトが叩きのめしてくれたのだが。

 甲板に強かに叩きつけられた船員は船長に泣きつき、船員たちと“風を纏う者”との間で一触即発の状態になった。
 この船において、船員の方が護衛より格上であり、逆らったロマンや拳を振るったシグルトが悪いというのである。
 シグルトに装備の悪さを指摘され面白くなかった船長は、掟を持ち出してシグルトを海に放り込むと凄んだ。
  
 だがそこでスピッキオが船長を叱りつけた。

 生々しい話だが、修道院での同性愛も多い。
 スピッキオの所属していた修道院では、男性同士の恋愛であっても修行の妨げとなり、不潔な行為に及ぶこともあるとして、同性愛や少年愛を厳しく禁じていた。
 修道院の風紀を管理していた経験もあるスピッキオは、相手の同意も無いのに、いたいけな子供を手籠めにしようとすることがいかに罪深いか滔々と説教を始めたのである。

 海に関わる仕事の者は、聖北教会より聖海教会の信者が多い。
 その司祭の一喝は船員にも動揺を与え、船員とそれを擁護する船長の暴挙に船の中から多数の反対意見が出たのである。

(…迷信深いのが好いのか悪いのか分からないよね。

 話がまとまったから、よかったけどさ)

 結局、スピッキオの一声で事態は一応収拾した。

 シグルトは「もし仲間に手を出すようなら、次の港で降りる。契約はそちらが破ったと【冒険者の宿連盟】を通じて通達し、この船の護衛を受ける冒険者は一人もいなくなるだろう」と凄んだ。
 スピッキオもその意見を支持し、“風を纏う者”の総意として他の仲間も同意を示している。
 さらにレベッカが船長の耳元で「シグルトは貴族から紋章入りの感状を貰うほどの冒険者よ。彼をこんな理不尽な理由で海に沈めたりしたら、あなた方は全員吊るし首かもね」と囁いて、真っ青にさせていた。
 
 この一件で敵も出来たが、仲間を守ったシグルトに対して好意的な船員も多かった。
 
 レベッカが船の料理長を持っていた砂糖で懐柔していたことも働き、話は大きくならなかったのである。
 船での食事は、質が悪いと船員の反乱が起こるほどだ。
 こういう時、どこを抑えればいいか知っていたレベッカの作戦勝ちでもあった。


 躓きはあったものの、数日の船旅は瞬く間に過ぎて行った。

 海賊たちはまったく現れない。
 このまま何事も無く目的地に着くかもしれない…誰もがそう思っていた矢先である。

「…伝令!

 後方より海賊のものらしき小型船船影二つ!」

 気が弛み切っていた反動から、俄かに騒ぎ出す船員たち。
 戦闘装備の無いこの船では、無駄なことである。

「慌てるなっ!

 敵の射撃に備えて、俺が作っておいた楯を用意しろ。
 足りないなら、遮蔽物になるものの後ろに隠れるんだ。
 その時、頭は遮蔽物より一つ分は下げるんだぞ。
 矢は、弧を描いて上から降って来る。
 
 乗り込んでこようとした敵は、楯で体当たりして海に落せ。
 相手の体格がよくとも、二人がかりでやれば大丈夫だ。
 上半身を低くしてバランスを保っている奴は、下から頭を持ち上げて亀をひっくり返すように、だ。
 
 各自身を低く、敵船の突撃に備えるんだ。

 長物(長い柄武器)を持っている者は、敵が船に乗り込もうとした時に海に払い落せ。
 掛け板を転がすのでもいい。
 
 万一敵が火を使って来たなら、消火を最優先するんだぞ。
 火が燃え広がったら終わりだ。

 皆、肝を据えろっ!」

 シグルトが一喝して混乱を収拾する。
 鋭い指示に、船員たちは慌てて対応を始めた。

 その間にも船足の速い海賊船は、見る間に近づいてくる。

「スピッキオ、俺たちに守りの秘蹟を頼む。 
 ロマンは眠りの術で敵を眠らせ、後方から援護してくれ。
 レベッカとラムーナは、倒せる奴から対応しろ。
 術で寝た奴を海に落とすだけでもかまわん。

 スピッキオ、ロマン…妖精の術を掛けてやるからこっちに来い!
 レベッカは例の指輪の魔力で身を守ってくれ
 ラムーナは盾を活用だ」

 檄を飛ばし、精霊術で準備をするシグルト。
 横でスピッキオが【聖別の法】を使い、仲間たちに防御の加護を施していく。

 敵が矢を構えていることを確認したシグルトは、船の一つに向けて手をかざした。

「《トリアムール、敵船の帆を固定したマストのロープを切れ。

  あっちの船だっ!》」

 シグルトの精霊術で、風の精霊トリアムールが一隻の海賊船を足止めする。
 メインマストから帆を落とされた船が、速度を失い停止した。

 友軍を止められた反撃にと、もう一つの船が矢を浴びせて来た。
 しかし、楯による遮蔽で守りを固めていた商船の船員たちは、掠り傷程度の被害しか出ない。
 
「ぬぅ、危なかったわい」

 加護の術と妖精の護りによって、敵船から放たれた固定弩(バリスタ)の直撃を免れたスピッキオは、急作りの盾の後ろで冷や汗を流していた。
 巨大な太矢を受けた楯は粉微塵である。
 
 味方の傷が取るに足らないものと確認したシグルトは、ほっとしたように頷くと、敵が乗り込もうとする場所へと走って行った。

「いたた…」

 ロマンの逆腕が、破片で浅く傷つき血が滲んでいる。
 楯を用意していなければ、死者が出ていただろう。

 船同士が接舷することで衝撃が走り、シグルトは剣を甲板に突き立てて踏み留まった。
 見れば、すでに海賊の何人かが乗り込んでいる。

 スピッキオが杖で真先に飛び込んで来た指揮官らしき海賊を殴りつけ、トリアムールの風が近寄る海賊たちを打ちのめす。
 シグルトは、もう一人の指揮官らしき盗賊と切り結んだ。

 一方ロマンは二人の海賊に囲まれて牽制され、船の揺れに足を取られて転倒してしまう。
 
 防御しながら、ラムーナがそっちに駆けて援護に回った。

 敵の反撃でスピッキオが掠り傷を負うが、掛けた術で差し障りは無い。
 ロマンも、転倒したところを狙われるが、妖精の加護が働いて、避けた拍子に腰を打った程度である。

「フッ!」

 トリアムールの風でよろめいた手下の海賊野分を通り抜け、船に取りついた一人の海賊に斬りつけて、海に落とすシグルト。
 慣れない解錠での戦闘を意識し、バランスのくずれる技は極力使わない。

 その横で、海賊の指揮官が傷薬を使用して仲間を癒していた。

「ロマン、あの指揮官は厄介だ。

 眠りの呪文で足止めをしてくれ!」

 応じるように、ロマンが呪文を唱え始める。

「《…眠れっ!》」

 この呪文で三人の海賊が倒れる。

「ラムーナ、体勢を整えろ!

 起きてる奴から沈めて行くぞ!」

 シグルトの号令で、“風を纏う者”は一斉に動く。

「《…穿てっ!》」

 ロマンの呪文で【魔法の矢】が飛来すると、海賊の胸を打った。
 普通なら即死の攻撃を、その海賊は武器でブロックすることでどうにか耐えている。

「…ハァァっ!」

 ラムーナが、シグルトの前にいた指揮官を回し蹴りで吹き飛ばした。
 蜂の一撃の様に鋭いそれは、ラムーナの必殺技【連捷の蜂】である。

 レベッカが巧みなフェイントで、起きた海賊を翻弄していた。

 一人の海賊をシグルトが剣の鍔で殴って海に叩き落す。

「あと四人!」

 ラムーナが盾の重さを利用した体当たりでもう一人の海賊を船べりに追いやった。

「《張り巡らすは白蜘(はくち)の楼閣(ろうかく)、呪詛が羅網(らもう)で絡み捕らえよ》

 《縛れ!》」

 ここでロマンがブロイの屋敷で手に入れた呪文【蜘蛛の糸】を使い、眠っている指揮官の海賊の一人を床に縛り付けた。

「セェヤァアアアッ!」

 ラムーナが大きく跳躍してくるりと一転、海賊の一人を海に蹴り落とした。
 盛大な水飛沫を上げて海賊は水没する。

「キョエアアアアアァァ!!!」

 魂消る突然の奇声に、皆がそちらを向いた。

 レベッカが縛り付けられた海賊の股間を踏み砕き、痛みに悲鳴を上げて目が覚めたところを、シグルトの振るった鉄塊ともいうべき剣が気絶させている。
 ある意味、慈悲であった。

(え、えぐい…)

 一同は砕け散るナッツを幻視した。
 思わず「ヒュッ」とうなるロマン。

 周囲にいた男たちの多くは皆、「ヒュンッ」と身震いし、やや前屈みの内股になった。
 自分のことではないのに、皆痛そうな顔である

 次に放たれた【眠りの雲】が大勢を決していた。

 瀕死の海賊一人はシグルトが止めを刺し、ラムーナとスピッキオが眠ったもう一人の海賊指揮官をぼこぼこにしてロマンの【魔法の矢】が止めを刺していた。


「ああ、もうっ!

 なんてタフな連中なのよっ!!」

 苛々したレベッカが、汚いものを落とすように靴裏を甲板に擦り付けている。
 それを見る船員の目が恐怖で泳いでいた。

 戦いは若干眺めになったが、乱戦ともなれば指揮能力の高いシグルトのいる“風を纏う者”が圧倒的に強かった。

 バランスの悪い船上は、平衡感覚に優れたラムーナの独壇場である。
 闘舞術【連捷の蜂】で勢いづいた後は、切り合う端から海賊を押しやって優勢に持ち込んでいた。
 
 最後の海賊がロマンの魔法で海に吹き飛ばされるところを確認したラムーナは、船縁を蹴って一転、ふわりと甲板に着地する。

 “風を纏う者”は軽傷を負う者もいたが、スピッキオの守護の秘蹟の効果が切れる寸前、治癒の秘跡無しで海賊を撃退することに成功していた。

 見れば、先ほどマストを落としたもう一隻が、慌てて去っていくところだった。

 商船の船員たちは、“風を纏う者”の勝利に歓声を上げ、海賊たちの残した渡し板を海に落とし、船上で気絶した海賊たちを拘束する。

「どうにか勝ったな」

 仲間に怪我人が出たことに対し、シグルトは不満顔だったが、仲間の健闘を褒めることは忘れない。

 この襲撃は、“風を纏う者”の実力を証明するきっかけとなった。
 船員には軽傷者が数人出ただけで済み、船の損傷も簡単な修繕で十分なレベルである。

 取り巻きと身を隠していた船長は、戦いが終わると現れて、船の受けた被害をあげつらって報酬の減額を求める暴挙に出た。
 あまりの浅ましさに、“風を纏う者”と一緒に戦った船員たちの方が激昂し、船長はたちまち袋叩きにされてしまった。

 このことが原因で横暴だった船長は無能の烙印を押されて船倉に放りこまれ、副船長をしていた若い男が船の指揮を執ることになった。

 解任された船長は反乱を起こして今の地位に就いた男であり、今までの悪行が祟って擁護してくれる者は誰もいない。
 彼は船長として一番大切な公平さを欠き、取り巻きばかり大切にしたからだ。

 船乗りは地上よりも迷信的だが、同時に民主的で結果を大切にするコミュニティを形成しているのである。

 
 それから数日は平穏であった。

 中継地である小さな港を経由し、商船は順調にフォーチュン=ベルに向かっていた。
 海鳥の声を聞きながら、“風を纏う者”も充実した航海を続けている。

 新しい船長はシグルトの意見に従い、雨水を溜める防火水槽とその中に虫が涌かなくするための薬草を船に常備することに決めた。

 水に湧くボウフラは蚊の幼虫だ。瘧(おこり)…マラリアを媒介する。
 腐った水で食あたりを起こせば、下痢によって貴重な水分を失うことになるのだ。

 海で水が少なくなった時、倍の水に海水を混ぜたものが普通に飲める…ただし煮沸はした方がいいと、ロマンが豆知識を話している。
 この方法は簡易の経口補水液を作る様なもので、シグルトがアフマドから聞いたものをロマンに教えたものだ。
 水を失った時最も頼りになるのは、新鮮な水を生成できる水の精霊術師だな、とシグルトが苦笑した。

 “風を纏う者”のアドバイスに耳を傾けながら、新船長はいくつか弓を買い求め、捕鯨用の中古品を改造した固定弩も、後々購入する予定らしい。
 中継地で海賊と一緒に下ろされた前の船長はかなり金を貯め込んでおり、それを使えば装備の充実は一通り出来そうだという話だ。
 
 シグルトは「俺も船上での戦闘はこの間のが初めてだったんだがな」と言いつつ、求められて基本的な戦術を船員たちに手ほどきしていた。
 彼が基本とした戦術は、南海で数百年前に勃発したアレトゥーザとフォルトゥーナの戦役を参考としている。

 当時の戦闘は、船に積んだ石を投石器(カタパルト)で投げ合う乱暴なものであった。
 海戦では、船同士が接近して戦うのは最後の手段だ。

 相手の装備を奪うことを目的としていた戦い方もあり、有限の矢玉で敵戦力を削いで突入し、矢玉を補給しつつ次を攻めるのである。
 遠距離攻撃による初撃が重要であり、それを防御する手段が肝要だとシグルトは教えていた。

 紐を使って作成できる簡易の投石紐(スリング)の作り方も伝えた。
 慣熟に時間がかかるため、木の的を作って、娯楽代わりに船上で石当ての鍛錬をするように提案する。
 金のかからないこの申し出はとても歓迎された。
 
 敵の矢に対して絶大な効果を発揮した楯は、もう少し改良が加えられて、船員全員分が用意されている。

 舞う様に海賊を叩きのめしたラムーナは、船員たちに【幸運の乙女】だと持て囃される様になっていた。
 お調子者のラムーナはそれが嬉しいのか、得意のダンスを披露して今やすっかり人気者だ。
 最近はふっくらとした身体の線も見え始め、魅力的になって来た少女である。

 船旅は娯楽が少ないため、舞踏のような芸は好評だった。

 一方、船員を賭け事に引っかけ、レベッカは小金代わりにこの海域の貴重な情報を入手していた。
 同時に夜に飲むための酒も、しっかり調達している。

 ロマンは文盲の船員に文字を教えてくれと請われて、教師気取りだ。
 毒舌入り混じる厳しい指導も、彼の美しい顔見たさに集まる船員たちのおかげで大盛況だった。

 スキッピオの方は布教に励んでいる。
 新たに聖海の洗礼を受けたいという者が三人出て、スキッピオは彼らの洗礼名を考えることに夢中になっていた。

 前半の船旅に比べて、“風を纏う者”には船旅を楽しむ余裕が生まれていた。


 そして、後一日で目的地と言うところまで来た時である。
 
 見張りの甲高い声が、甲板を震わせた。

「後方より、大型船接近!」

 一同に緊張が走り、シグルトがすぐに警戒と武装を命令して、新船長の元に駆けつけた。
 
「こちらの方が小さいはずだ…振り切れんのか?!」

 船長の言葉に、青ざめた操舵士は首を横に振る。

「無理です…信じられない速度で追って来ます。

 逆風でこの速度。
 とても普通の船とは…」

 シグルトが大型船の帆を見上げ、困ったように息を吐く。

「あれはいくらなんでも船足が速過ぎる。
 風下なのに順風満帆の如し…十中八九風を起こす術を使っているな。
 風の魔法にはこういう使い方もあったか。
 
 あの規模の船を高速移動させる風だと…ロマン、勢いが付いてるから今更風や帆をどうにかしても止めるのは無理か?」
 
 常ならぬ力で走って来る大型船は、とてもではないが止められそうにないと、即座に計算したロマンも請け負う。
 自重のある船は、走り出すとすぐに止まれないのだ。

「風を操る海賊船だって?

 もしかして“蒼き疾風”のジャドか」

 新船長は絶望的な表情で、噂に聞いていたというその名を口にした。

「マジ?
 厄介な奴ね…
 
 この近郊じゃ一番知られてる奴らじゃない」

 レベッカが名前に反応する。
 情報に通じたレベッカは、すでに航路に出没する海賊の構成を把握していた。
 
 船という乗物は兎角金がかかる。
 食糧、水、修理費用の資材…
 必ずそれらを補給するために、最寄りの港を持つのだ。

 海賊は、船の形状や海賊団の気質にあった航路…縄張りを持っている。
 一回の出港で確実に略奪を成功させ、消耗品を補給するための資金や資材そのものを奪うためだ。

 必然、良く寄る補給場所やその航路から、情報が割れてくる。

 “蒼き疾風”とは、海賊団の首魁の二つ名であり、海賊団そのものの名前でもある。
 今通っている海域では、最強の誉れ高き海賊であった。

 彼らが有名なのは、強さもあるが、その略奪の巧みさにあるのだ。
 
 まず、船足の速さで逃げ切れた船は無い。
 海賊団を構成するメンバーは猛者揃いで知られていた。
 彼らが海賊退治のために出向したフォーチュン=ベルの軍船を沈めたという話もあるほどだ。

 略奪は根こそぎではなく、また商売を始められる程度には物資を残す。
 そうすることで、次の獲物として戻って来る可能性があるからだ。
 これは「小魚は釣っても海に戻す」という、海賊なりのリサイクルなのだ。 

 さらには、無力な女子供や老人は殺さず、無意味な殺戮もしない。
 義賊に近い矜持を持っていると聞いている。
 仲間想いで部下を大切にする首魁ジャドは、同系列の海賊が敗れた場合、面子を潰されたとして報復に出ることも多いという。

 所謂、義侠心の強い海賊であり、生き残って彼らの名を広めた者が多いのである。

 この海賊団が優れた実力で成功を続けたからこそ、伝わった話であった。

 商船の一同が苦い雰囲気にある中、まだ距離もあると言うのに敵船から大声が聞こえて来た。

「ハァ~ハァッハッ!!

 この間は、よくもうちの子分を可愛がってくれやがったな。

 久しぶりに骨のある獲物のようだぜ。
 今ぁそのツラ見に行ってやるから、小便ちびりながら待っていなっ!!」

 それは、大型船の船先に立った逞しい白髪の男である。
 顔の傷痕が、その男を一層凶悪に見せていた。
 
 脇に二人の部下を従え、威風堂々と立つ姿に、商船の船員たちは一気に士気を失った様だ。

「うわ、人相書通りだわ。

 最悪ね」

 レベッカが眉をしかめて相手を観察している。

 シグルトは今可能な対応策を検討し、知恵袋であるロマンに質問をした。

「…ロマン、あの船を風の精霊術で揺すってやるには、どの辺を狙えばいい?」

 シグルトの意図に気付き、ロマンは苦笑しながら計算する。

「無茶言うね…

 そうだね、やっぱりメインマストの帆に大きな大きな横風かな?
 この速度だと、下から吹き上げるようにこのぐらい。

 梃の原理と、向かってくるための力でぐらっと揺らせるよ。
 まあ、あの船体の場合は一回が限度だと思うけど、シグルトの精霊術ならあの高さでも大丈夫だよね。
 
 あそこに昇ってる見張りの、一人分下、マストを繋いでいるフックみたいなのがあるあたりに、角度をつけて下から刺す様に横風をぶつければ…」

 ロマンの言葉に頷き、シグルトは精霊に呼びかけ始めた。
 仲間に支援を求めつつ、妖精の術をロマンとスキッピオに施す。
 
「攻撃した後に、射撃で応酬があるぞ。
 
 皆楯か、厚めの遮蔽物の後ろに隠れてるんだ」

 スピッキオが仲間たちに護りの術を掛け、終えてもらったシグルトは、トリアムールを召喚しその身に宿す。

「…どうぉした?

 怖気付きやがったか、腰抜けどもっ!!」

 首魁である白髪の海賊が、恫喝するように大声を上げる。
 シグルトは、敵が好奇心から船に乗りだしてこちらを見ようとした瞬間、絶妙なタイミングでトリアムールの起こした突風を敵船の帆に叩きつけた。

 揺れは小さかったが、身を乗り出していた者たちにとっては堪らない。
 特に船に慣れた海賊たちは、「ありえない揺れ」に対しとても無防備だった。

 数人の海賊が悲鳴を上げながら海に落ちて行く。

「おぅわっ!
 糞、小賢しい真似しやがってっ!!

 野郎ども、衝角(ラム)で突撃しろっ!
 あの細っこいどてっ腹に、風穴開けてやれ!!」

 物騒なことを言っている海賊の首魁。
 シグルトは新船長に命じる。

「あの速度だ、完全には避け切れない。
 船首を曲げて直撃しないように、衝撃を流せ。
 
 相手はまっすぐ向かって来ることが分かってるんだ。
 何とか出来る!」

 新船長はシグルトの言葉に肝を据えたらしく、間一髪のタイミングで舵を切った。

 敵船の舳先を間一髪で躱し、船の横腹が擦れ合う。
 摩擦による焦げ臭い臭い…凄まじい衝撃に、周囲全ての者の頭が揺さぶられた。

「…敵が撃ってくるぞ!

 楯構え~」

 シグルトの号令と同時に、敵が矢を放ってくる。

「…畜生っ!

 掠ったわ」

 持っていた即席の楯が貫かれ、レベッカとシグルトは軽傷を負っていた。
 反撃にレベッカが、拾った弓で海賊の一人を射落とす。

 商船側の被害は少ない。

「この女ぁ…

 サザーラード、アザレア、行くぜっ!!」
 
 接舷の瞬間、あろうことか首魁と幹部二人が、商船に飛び移って来た。

「はぁっ~はっはっ!
 見参つかまつったぜっ!!

 俺の名はジャド・ヴァイスマン。
 人呼んで、“蒼き疾風”のジャドよっ!!!」

 白髪の首魁は口端を歪めて大笑しながら、詰まれた商船のマストをクッション代わりに蹴って船に着地した。
 駆け寄るとともに、シグルトが名乗り返す。

「俺は冒険者“風を纏う者”のシグルト。

 此処からは剣で応えようっ!」

 互いに交差して一合。
 振るわれた得物同士が火花を散らした。

 シグルトの苛烈な挨拶に、ジャドは感極まった様に身体を震わせる。

「~~~けぇっ!!!

 面白そうな奴が出て来たじゃねぇかっ!
 こうでなくっちゃ、楽しめねぇ。

 やっちまえ、野郎どもっ!!!」

 ジャドの号令に、一緒にやって来た幹部たちが頷いて応じた。
 
 ラムーナが【連捷の蜂】をアザレアという女海賊に仕掛けるが、技量の違いから回避されてしまう。
 返す刀ででラムーナが軽く傷を負うが、堅牢な加護が致命傷を許さない。

 その簡、ロマンとスピッキオがそれぞれ呪文と秘蹟を準備にかかる。

「ッ!」

 ラムーナの作った隙をついてレベッカがアザレアに交差攻撃を仕掛け、軽く手傷を負わせた。
 女海賊は流れる血を指にとって舐め、挑戦的に目を吊り上げて持ったサーベルをくるくると回転させた。
 小賢しい、と言うように。

 その近くでシグルトがトリアムールの起こす突風をジャドに叩きつけ、勢いに乗って斬りかかった。

「ぬぉおおっ!
 
 てめぇ、魔法剣士かっ!」

 突風からの鋭い攻撃で完全に守勢に追いやられたジャドが、背面から放たれたラムーナの連撃をかわしながら驚きに目を剥いた。

 ザザーラードがカットラスを振るってスピッキオに強力な技を仕掛けるが、スピッキオは何とかそれに耐える。

「なっ!耐えきった、だと?

 聖海の守りの秘蹟かっ!」」

 僧服で明らかに戦闘は専門家に見えないスピッキオが、自分の秘剣を、甲冑で弾き返しすように耐え切った。
 海に関わる稼業のサザーラードは、軽装で戦う海戦において、防御力を増す秘蹟がいかに絶大な効果をもたらすか知っている。

(まずい、そこいらのにわか護衛じゃない…)

 冷や汗が海賊幹部の頬を伝う。

「畜生、なんだこいつらは?

 その辺の冒険者とは段違いじゃないのさっ!」

 最初は余裕があったアザレアだが、“風を纏う者”の軽妙な連携で有効打が全く与えられないと知ると、文句を言いながら魔法を唱えて仲間の支援を行う。
 仲間に技を出しやすくするための呪文だ。

「《…眠れ!》」

 ロマンの魔法でサザーラードが微睡み、膝を折った。
 支援効果が発揮される前に足止めするのは、戦術の一つである。

「ラムーナ、そいつは起こすな。

 先にこっちの二人を沈めるぞ!!」

 ジャドと切り合いをしながら動きを抑え、シグルトは次々に命令を出す。

 長い船旅で船上で剣を振る時のコツをつかんだシグルトは、武器が壊れないという利点を生かして〈受け止められることが前提〉の攻撃を仕掛けていた。
 足を踏みしめられないタイミングの時、相手の剣と自分の剣がぶつかる状態まで〈足場代わり〉に利用しているのだ。

 受けるジャドにしてみれば、これでは防御しかできない。
 力を抜いていなそうとすれば、途端に鍔や柄で殴ってくるシグルトだ。
 避けようとした時反撃の肘が頬をかすめ、擦過の熱さに海賊の首領は高揚でにんまりとする。

 一方、アザレアを狙ったラムーナの【連捷の蜂】はまたもかわされるが、側面からロマンの【魔法の矢】が突き刺さって追い詰めていった。

「――ちぃいいいい!!!!」

 アザレアはレベッカ、ロマン、ラムーナによってかかって集中攻撃を受けてすでに息が乱れている。
 これではまともに呪文を唱えられない。

「…イヤァアアアアアッ!!!」

 ラムーナは、今度は技を回避されることを見越していた。
 レベッカに目配せをして、その場から大きく飛翔すると飛び掛かるようにアザレアの肩を斬る。
 激痛によろめいたアザレアは、連携で襲い掛かったレベッカの飛び蹴りを避けることができなかった。

「…格闘は専門外なんだけどね」

 身軽に着地しウインクしたレベッカの前で、大きな水飛沫が上がる。

 シグルトは重く堅実に攻撃を繰り返し、完全にジャドをその場に縛り付けていた。
 剛腕から振り下ろされる剣を受け続けたことで、ジャドの持つ大剣に歪みが生じ始めている。

 勢いづいている仲間の陰で、悠々とスピッキオが傷ついた自身を【癒身の法】で癒し、立ち直った。

「アザレアッ!

 この、女狐がぁああ!!!!」

 仲間を倒されたことに怒り狂ったジャドが、シグルトの斬撃を食らいながらも攻撃権から飛び出す。
 そこから飛翔して回転しながら炎を纏い、ロマンから放たれた魔法に耐えきってレベッカに斬り込んで来た。
 フォーチュン=ベルの英雄が得意としていた剣技、【獅吼斬】である。

 爆音とともにレベッカが吹っ飛んだ。
 だが、必殺の攻撃もスピッキオの秘蹟でかなりダメージを軽減されていたようだった。

 服を焦がす炎を叩いて消したレベッカは血反吐を吐き捨てると、追撃を警戒して姿隠しの指輪【シャイ・リング】を使用し姿を消す。

「あ、このアマ、どこ行きやがった!」

 ジャドが唾を吐いて怒鳴る横で、ロマンが呪文を完成させる。

「《…穿て!》」

 剣を前にかざして【魔法の矢】を防ぐジャドだが、シグルトの剛力を受け続けていた大剣の柄が終に砕け散った。

「な、なんだとうぅ!?」

 食らった衝撃の余波で、ついに膝を折る。

「はっ!」

 【アロンダイト】の柄頭が、頭一つ下がったジャドの頬骨を殴打した。
 目の焦点を失った海賊の首領は、派手に吹き飛んで甲板にあった空の樽を粉砕する。
 見事なノックアウトである。

 そして、立ったまま眠りの呪文でぼんやりしているサザーラードに目標を変えた。

 スピッキオが姿を現したレベッカに癒しを施す。

 恐ろしいほどの連携。

 長い間シグルトの優れた戦闘指揮を受けて戦っていた“風を纏う者”は、呼吸を合わせてフォローし合う時のパーティの強さというものを肌で感じていた。
 本来は、連携を構築する技量も経験も仲間同士の信頼も獲得できずに、多くの冒険者は命を落とすか辞めていく。
 
 レベッカは、自分が見込んで仲間になったパーティの強さ再確認して、高揚に一度身をブルリ、と振るわせる。
 これが武者震いというものだろうか。

 目前ではラムーナが【連捷の蜂】で攻撃を開始し、ひたすら連続の大技を繰り返す流れに入っていた。
 覚醒したサザーラードは五人に囲まれ、防戦一方である。

(は、反撃ができないっ!)

 二発目の【連捷の蜂】とシグルトの剣を段平で受けて、何とか攻撃をかわそうと防御に専念する。
 
「《…縛れ!》」

 攻撃を回避することに専念していたサザーラードは、ロマンが準備していた呪文に反応することができなかった。
 【蜘蛛の糸】によって雁字搦めになった海賊は、容赦なく海に蹴り落とされた。

 …彼は知らないが、ナッツを砕かれなかっただけましである。
 
「…今畜生っ!」

 見ればもう目が覚めたジャドが、大型船に垂らされたロープに飛び移っていた。

 ジャドは後ろに跳ぶことで、シグルトの一閃の威力を殺したのだろう。
 無残に柄が砕けた大剣を抱え、火を噴く様な目で商船を睨むジャド。

 その下でサザーラードも、部下に糸を切ってもらってようやく海賊船に取り付き、救出用に垂らされたロープにしがみ付く。

「…雑魚を釣るつもりが、鯱を怒らせちまったぜ。

 おう野郎ども。
 生きてる奴ぁ、海から引き上げてやれ。

 “風を纏う者”のシグルトだったな?
 今回は俺らの負けにしてやらぁ。
 
 けどよ、次にこの海域を通るときゃ、覚悟しやがれっ!!!」

 捨て台詞を残して、ジャドたち海賊は気持好いほどあっさりと逃げて行った。
 撤退も疾風の如し、三倍以上の速度である。

「深追いするな!
 まず被害を確認しろっ!

 怪我人がいたら、重傷者からスピッキオに癒してもらえ。

 …俺たちの勝利だ。
 よくやったぞ、皆」

 シグルトが一度周囲の気を引き締めてから、笑みを作り剣を掲げて勝鬨を上げる。
 船員たちが一斉に歓声を上げた。

「ぜぇ、はぁ。

 なんつう逃げ足の速さ…」
 
 敵の牽制に、奇襲にと、動きまわっていたレベッカが荒い息を整えようとしていた。

「…この程度の被害なら、航行に問題は無さそうだ。

 よし、負傷者を手当てしつつ、航路を戻そう」

 シグルトは、倒れた船員を助けながら矢継ぎ早に命令を出す。

 船員たちは、強大な海賊を少ない被害で追い返した“風を纏う者”を、崇めるように見つめ、嬉々としてその命令に従うのだった。


 次の日。
 船を降りてフォーチュン=ベルに到着した“風を纏う者”は、『幸福の鐘亭』に立ち寄り、報酬を受け取ることが出来た。
 
 無理な仕事を頼んだことに宿の女主人であるメイフィールドが、すまなそうに酒を奢ってくれた。
 
「女将さん。

 今度からは、依頼主を選んだほうがいい」

 自分たちを頼ってくれるのは嬉しいが、人によっては仕事を受けないのが冒険者だと、シグルトは強い口調で釘を刺した。

「依頼主の元船長さんは、うちの常連だったんです。

 一番の冒険者を紹介しろというので、有名な貴方たちの名前を出して、紹介状を書くと言ったんですが…
 次の朝使いを寄こして銀貨二百枚を置いていき、勝手に契約したぞって。

 貴方たち“風を纏う者”を雇うなら、いくらなんでもこのお金では無理だと言ったんですが、まさか受けて下さるなんて。 
 新しい船長さんは貴方たちのことをとても評価していらっしゃいました。
 
 私も“蒼き疾風”のジャドの噂ぐらい知っています。
 
 …本当に銀貨五百枚でよろしいんですか?」

 二回も海賊を退け、この海域で最強の海賊を追い払った“風を纏う者”に、新船長や船員たちはいたく感動した様子で、報酬をかなり増やしてくれた。
 しかし、船に被害をだしたからと、全部は受け取らなかったのだ。

「こちらが誠意を見せなければ、依頼人に誠意を求めることは出来ないだろう。

 臭い話かもしれんが、〈実績〉と〈信用〉こそ資産になりうるからな」

 これは、“風を纏う者”が属す『小さき希望亭』の基本方針である。
 無法者扱いされる冒険者だからこそ、他人の数倍誠意を見せるのが大切だと、宿の主ギュスターヴは言う。

 こういった真摯な姿と、名のある海賊を退けたことで、“風を纏う者”の名は鰻昇りだった。
 
 だが、シグルトの表情は暗いままだ。
 生還は喜ぶべきだが、妥協を覚えれば仕事が雑になるからと、自己評価は何時も辛い。

「とりあえず、今日はもう休もう。

 慣れない船旅で、疲れたよ」

 早々にシグルトは部屋に籠ってしまった。


 部屋に入ると、シグルトは大きく息を吐き、ベットに倒れ伏す。
 
(力技を使い過ぎたな。

 【刹那の閃き】は、使う余裕がなかった。
 この技は威力も鋭さも優れているが、今の俺の身体ではそう連発出来ない)

 バランスの悪い船の上で緊張しながら戦ったシグルトの身体は、思わぬダメージを受けていた。
 踵の腱が上手く動かないのに、シグルトは無茶をして踏ん張り戦い続けたのだ。
 
 そうしなければ“風を纏う者”の中に死者が出ていた。
 だから後悔は無い。

 先日から微熱が続き、軽い吐き気を覚えている。
 その不調は後輩の教導も含め、身体を動かし続けた代償であった。

(急を要したとはいえ、身体が整わない状態で新しい剣技を使うなど自殺行為だな。

 今後は気をつけねば)

 呼吸を整え、身体をもみほぐしていると、ラムーナが部屋に入って来た。
 心配そうな顔である。

「大丈夫?

 顔色が悪いよ、シグルト」

 この娘は勘が鋭い。
 異変があると、真っ先に気が付いたのだろう。

 安心させようと、シグルトは何時もの様に苦笑して見せた。

「少し悪い足場で、慣れない戦いをしたからな。
 船を降りてしばらく経つのに、今でも足場がふわふわして落ち着かん。

 何、陸で休めばそのうち回復する。

 ラムーナも、ああいう派手な技を連発した後は、筋を整えておけよ」

 シグルトの忠告に、素直に頷くラムーナ。

「そう言えば、随分姿勢が直ったな。 
 パーティを組んだ頃は酷い猫背だったが。

 お前の師匠は、姿勢が技の根であることをちゃんと知ってるらしい。
 まだ右肩に歪みがあるから、それは真っ直ぐな塀にでもぶら下がって伸ばしておけ。
 あれは、腕力の良い鍛錬にもなる。

 お前ぐらいの年なら、姿勢はすぐ直せるさ」

 シグルトの強さは、こういった生理学も基本としている。

 そもそも武人は医術に明るいべきなのだ。
 怪我を自分で治せるし、体の壊し方を知るために治す方法を知るのは理にかなっている。

 身体の動きをコントロールすることもまた然りである。

「シグルトって姿勢は綺麗だけど、技が強過ぎて間接痛めてるよね?

 無茶しちゃだめだよ」

 手に水桶を用意し、手際よく湿布を作ってくれる。
 同じ戦士だからこそ、シグルトの身体について一番分かってくれるのもラムーナだった。

「…ああ。
 こうやって休むのも、たまにはいいな。

 ここしばらく、張り詰めてばかりだった」

 そんな事を話しながら、シグルトは今後どうすべきかを考えていた。


 翌日、ゆっくり休んだ“風を纏う者”は『幸福の鐘亭』で朝食を採っていた。

「皆、聞いてくれ。

 俺たちはここ数日働き通しだった。
 だから、少し休日を兼ねて別行動を取らないか?

 俺は武器をブレッゼンに預けて、しばらく剣術修行をしたいと思ってる。
 娘さんに貰った新しい剣術書だが、慣熟するにはどうしても専門家から剣の基礎を学び直したい。
 先輩冒険者から学んだ剣術は我流で、技も荒っぽくて考えさせられるものがあってな。

 独学では限界もあるのだろう。
 少し専門家の意見を聞いて、今後にあの技を使っていけるか検討したいと思う。

 昨日レベッカとも話したんだが、今のところは財政的余裕も少しはありそうだし、な」

 シグルトの提案に、レベッカが続ける。

「いったん解散すれば、それを理由に仕事を断れるでしょ?
 仲間で揃ってると頼られちゃうからね。

 前にも話題になってた案件で、互いの技術強化すべきだとみんな考えてたじゃない。

 私もアレトゥーザの馴染みに頼んで、昔使ってた技の勘を取り戻したいと思ってる。
 どうかしら?」

 ラムーナが頷く。

「私、攻撃以外に防御の技が学びたい。
 大技を使うと、どうしても隙が出来てしまうから。

 もしここで別れるなら、レベッカと一緒にアレトゥーザに行って、アデイ先生を訪ねようと思う」

 スキッピオがそれならば、と同行を申し出た。

「わしも、仲間全てに及ぶ回復の術を学ぶべきじゃと思っておる。
 あれだけの戦いが続いて思ったんじゃが…何時も生傷が絶えんからの。

 アレトゥーザは西方の聖海教会で秘蹟を学ぶには、一番良い場所じゃ。

 レベッカたちと一緒に行くかの」

 最後にロマンが自分の意見を述べた。

「僕は、特に今学びたい技術は無いかな。
 【蜘蛛の糸】を貰ったばかりだしね。
 
 そういうことなら、このフォーチュン=ベルで、少し薬学の勉強をしているよ。
 手持ちの薬を調合すればもっといいものが出来るし、持ってる薬品類預かってもいい?」

 一同の意見がまとまり、シグルトたちは一月後にアレトゥーザで再会する約束をして、解散することになった。

「そうね。
 当座の資金として、シグルトとロマンにはそれぞれ銀貨二千四百枚分のお金を渡すわ。
 今護衛の報酬も含めてうちの財産は銀貨一万二千枚で、ちょうど五分の一。
 無駄遣いしたら〈捻り潰す〉から、大切に使ってね。

 あと、シグルトにはブレッゼンへの手土産の葡萄酒一本と剣の代金代わりに、鉱石を二つ。
 ロマンには薬類を全部預けておくわ。
 活用して頂戴。

 他はみんなアレトゥーザ行きだから、残りの資金は共有でもいいわよね?」

 一同レベッカの会計っぷりに笑みを浮かべつつ了承する。

 こうして“風を纏う者”は一月後の再会を約束すると、解散してそれぞれの目的地へと旅立つのだった。

⇒『希望の都フォーチュン=ベル』 商船護衛の続きを読む

Y字の交差路


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『開放祭パランティア』

2018.06.18(23:12) 454

 カルバチアからリューンに帰還した“風を纏う者”は、拠点である『小さき希望亭』で久しぶりにゆったりとした一日を過ごしていた。

 仲間たちがくつろぎながら眺める横で、訪ねて来た冒険者に、シグルトが戦い方の指導をしている。
 面倒見の良い、彼らしい光景である。
 
 その冒険者とは他の宿出身の女性で、ディーサという。
 まだパーティを組む前で、心得を教えてほしいとシグルトを頼って来たのだ。
 
 シグルトたち“風を纏う者”は今やちょっとした成功者である。

「お前らも、“僭主殺し”に“食人鬼殺し”か。

 パーティ作って二か月ちょっとで銀貨一万枚を貯めるほどになるなんてな。
 俺も鼻が高いってものよ」

 宿の親父も、彼らの隆盛に気を良くして、他のパーティにはくどいほどする小言を今日は一言もしていない。
 むしろ、先輩冒険者として頼りになりつつあることを喜び、初心冒険者の教導を任せようと言い出すほどだ。

「親父さん、“僭主殺し”ってなぁに?」

 ラムーナが不思議そうに尋ねる。

「ああ、それか。

 冒険者ってのは偉業を達成すると、【名声】ってやつを得る。
 その時呼ばれるのが“竜殺し”や“剣聖”みたいな二つ名や通称なんだ。

 “僭主殺し”ってのはロード種がいるゴブリンやオークの群れを討伐した連中が呼ばれる称号でな。
 勝手に領主(ロード)を気取ってるから偽者ってことで僭主、それを殺したから“僭主殺し”ってわけだ。
 これが【キング】とか【クイーン】て呼ばれるクラスの奴が率いる百体以上の群れを退治すると“僭王殺し”になる。

 冒険者ってのはこういった名があっての商売だ。
 一流の冒険者はパーティで偉業をいくつも達成し、それが〈冒険した〉っていう箔になる。
 優れた名声を持つ冒険者はたくさんパトロンができて、下手な騎士や下級貴族とも渡り合えるようになるし、頼られるようになるから仕事を探すのにも困らない。
 勢いで貴族になれる奴や、武勇に優れた奴ならそれを看板にして道場開いたり…引退後の生活も困らないってわけだ。

 そのクラスになると必ず個別の〈二つ名〉を持つようにもなるんだが…
 昔盗賊ギルドで活躍してたレベッカなんかはすでに“猫の女王”っていう名持ちだったな。

 ま、普通はパーティの名に関連付けた二つ名になることが多い。
 その方が憶えてもらいやすいからな。
 こういう意味でも、早くパーティを組んで【会名(パーティ名)】を名乗っていくのは大切なんだ。

 【会名】は単純に【~たち】ってのが多いんだが、シグルトはチームとして一つに団結することを意図した意味で、あえて単数形の名乗りを考えやがった。
 確かに連携力があるお前らには相応しい。
 最近はあやかろうって、単数形の名乗りをする後輩も結構いるんだぞ?

 ま、お前らの呼び名の候補は連盟の会合に行った時、同業者で話し合いしながら考えてるんだ。

 レベッカは“風の繰り手”、ロマンが“叡智の颶風”、お前が“踊り風の妓(あそびめ)”、スピッキオが“海風の聖者”。
 シグルトだけはなかなか決まらないんだがな。
 シンプルに“風纏う刃金”じゃ、“風を纏う者”と被ってしまうだろう?」

 質問に答えつつ、嬉しそうに親父は余計な話に脱線している。
 ラムーナは聞き上手で、ニコニコしながら「うんうん」と頷いていた。

 親父の期待に、一番応えようとしていたのはシグルトである。
 放浪してボロボロだった彼を拾ってくれたこの宿に対し、シグルトは恩義と義務感の様なものを抱いていた。

 面倒見の良いシグルトは後輩受けも好かったが、戦闘の指導に関しては生徒泣かせで有名にもなっている。
 普段優しく紳士的なシグルトは、戦いに関する教導において全く容赦しなかった。
 
 舐めた気持で冒険者になろうという者は、シグルトの行う厳しい鍛錬の洗礼で半数以上が辞めて行ったほどである。
 
 だが、宿の親父はシグルトの指導法を支持しており、先輩冒険者たちもシグルトの指導のやり方に納得している。
 彼の指導は厳格だが、決して後輩を軽んじたものではなく、身になることばかりだからだ。

 シグルトの指導を受け、冒険者を続けることを選んだ者は口を揃えて、シグルトへの感謝を口にする。
 そして彼の指導が原因で冒険者の道を諦めた者の幾人かも、「現実を知ったから退いたのだ」と言った。シグルトの優秀なところは、そうやって夢破れた人間のために適業に関したアドバイスやフォローまで行う点である。

 戦闘の稽古では、鼻血を吹いたり青あざだらけになる後輩たちであるが、その後の戦い方や意識の持ちようはがらりと変わる。
 冒険者という職業は最初の依頼で死ぬ者も多いのだが、シグルトの教導を受けた後輩のいるパーティは概ね仕事を成功させ、全員が生還するのだ。

 戦闘経験が皆無だというディーサに、シグルトは護身術を叩き込んでいた。

「…女の冒険者が気をつけなければいけないのは、髪の毛だ。
 実戦でこれほど掴みやすい部分は無い。
 
 髪の毛は掴まれると痛いし、屈辱感から逆上したり、混乱する。

 だが、上手く使えば敵を倒すきっかけにもなることを覚えておくといい。

 髪の毛は頭の近く、すなわち身体の高い部分にある。
 それを掴んだ腕は、必然的に掴まれた者の頭より高い部分に固定されるんだ。

 ここで、髪を掴んだ相手の腕を逆手で巻くように固定する。
 相手の腕は、髪を掴むことで〝髪に引っ張られる力〟が働いているから、片手でその肘を極めることで力が少なくても腕を封じられるだろう。
 
 その上で、腕を上げたままがら空きになった脇の下に、身体を捩るように肘先から体当たりし、極めた腕を絡め込む様に押してやる。
 脇の下は鍛え難いから、かなりの痛みを与えられるし、相手は慌てて髪を放そうとするだろう。

 その離れようとする力に、押す力を加えてやれば、相手を転倒させることだって出来る。

 弱点になる場所は、狙わせて相手を絡め取る餌にすること。
 そのくらいの強かさがあって、初めて怪物や悪党の相手が出来るようになる」

 シグルトの講義に、場に居合わせた他の冒険者も興味深そうに耳を傾けていた。

「力任せの相手には、脱力して身を任せると一瞬だが動きを封じられる。
 
 人の身体は動いてる時の方が、軽くなるんだ。
 例は悪いが、死体や気絶した人間を持つのと同じ原理だ。
 動こうとする者は、逆らうことで返って相手に力を与えてしまう。

 相手がオーガの様な怪力ならば別だが、成人男子程度の体格であれば、この戦術はなかなか役立つはずだ。

 あと、耳や鼻といったでっぱた部分を掴んで体重をかけてやるだけで、相手は悲鳴を上げて離れようとする。
 女性にこんな事を言うのは失礼だろうが、案外身体は重いものなんだ」

 丁寧に状況を説明しながら、シグルトは体重をかける場合の姿勢を実演する。

 子供の体重でも、耳の付け根や毛根は耐えられないのだという。
 ニ十キログラム程度でも、ちょっとした土嚢より重いのだ。
 真下にぶら下がるだけでダメージを与えることができる。

「こういった動作は、休憩時間にでも反復して、咄嗟に使えるようにしておけ。

 身体は積み立てた行いに正直だ。
 裏切られないように、磨いておくんだぞ」
 
 最後にそう締めくくると、シグルトは軽くディーサの肩を叩き、頑張れと励ました。
 
 頬を赤らめ、嬉しそうな顔で宿を出て行くディーサを見送ると、シグルトはカウンターに座って水を一杯頼む。

 シグルトは、昼間であれば付き合いでもほとんど酒を飲まない。
 飲むならば、かなり強いのに、である。
  
 仲間には強制しないが、小さな摂生を繰り返せば息災が保たれるのだとシグルトは言う。

 それは、ばれないように気を使いつつ、自身の故障を隠しているためでもある。
 足の腱が切られ、思うように動けないシグルトは、徹底した身体操作によって、高い戦闘力を発揮出来た。
 
 必要ならば敵の身体を杖代わりとし、不自由な身体の脱力すら力に変える。
 世の中にある無駄なものは、使わず損をしているだけ、というのが彼の持論だ。
 
「相変わらず見事な指導だな。

 あの娘の所属する宿が指導料にって好い酒を回してくれたから、頼んだ条件通り向こう三日は宿代はチャラだ。
 お前たちみたいにこういった副業もしっかりやってくれて、ツケ無しにできる優秀な奴ばかりだと、俺も楽なんだがな…」
 
 親父が苦笑しながら、ややぬるい水を出す。
 冷えは案外身体を疲れさせるから、普段は生ぬるい水で十分だとシグルトが言うからだ。
 そうやって不快な環境に慣れておくことで、冒険中に野外生活が長くても、シグルトは特別我慢強かった。
 
 泥水、生水を煮沸して腹を壊さないようにすれば、どうしても温くなる。
 革袋に入れた水は、革臭い上に体温や陽光のせいで閉口するほど不味いものだ。

 自身のモチベーションを維持するためにも、苦境に慣れることは大切である。
 
 シグルトのこういった実践的な姿を見習う後輩も多く、そういった若手は軒並み良い結果を出していた。

 宿の親父としては、目論見以上の成果が得られ、頬の緩みを抑えられない。
 連盟の定例で冒険者の宿の主人たちが集まる会合があるのだが、“風を纏う者”の活躍ぶりは、良く話題に出て羨ましがられるのだ。

 冒険者家業は信用第一だ。
 口コミや実績こそが重要になる。

 リーダーシップの強いシグルトは、カリスマ性とその美貌、そして武骨ではあるものの誠実で人の好い性格から、慕う後輩が非常に多い。
 彼の先輩にあたる人物たちは、決して増長しないシグルトの姿勢を高く評価しているし、実力は御墨付きだと言っている。
 同輩では中心人物としてまとめ役的な立場になっている。
 気難しい新人や、古参の偏屈者でも、シグルトが間に入ると話が纏まるのである。

 もう少し実績を積めば、間違いなく『小さき希望亭』一番の看板冒険者(エース)になると、誰もが認めていた。
 
 手放しに評価されながらも、シグルトは難しい顔で「俺の様な新参者が、そこまで評価されるのは大げさだ」とやや謙虚である。
 先輩の顔を立て、同輩、後輩にもチャンスを回す義理堅さで周りには応え、嫉妬や嫌がらせには堂々としている。
 
(完全無欠って言や大袈裟かも知れないが、シグルトに関してはそう評価しても皆納得するだろう。

 本人は横に首を振って、〝俺は欠点だらけだ〟とでも応えるんだろうがな…)

 最近の親父は、シグルトを見本に理想的な冒険者を語るようになっていた。
 
 他の宿から「仁義云々がなければ席を移してほしい」とぼやかれることも多い。
 親父としては手放す気などさらさらないが、義理堅いシグルトにそういった心配は無用だ。
 
 冒険者には難しい法律的な調停を必要とする難解な仕事があれば、“風を纏う者”に話が来るようにもなった。
 他所から入ってくる仕事に対してシグルトは、他の冒険者との衝突を避けるために、できるだけ断るか信頼出来る冒険者に仕事を回してトラブルを避けている。

 仕事のバッティングを避けるために、村巡りを兼ねた出張を繰り返して、他の都市でも活躍しているらしい。
 旅先の村が金銭での報酬を支払う能力が無い場合や、冒険者に対する効率的な依頼の仕方ができないなら、村独自でできる自警手段を指導しながら、板に方法を書き残して伝え、〈冒険者=ならず者〉という偏見を払拭して回った。
 それが、結果的に“風を纏う者”の名声をさらに高めることになっていた。
 最近は「自分たちの村にも来てほしい」と嘆願書が届くこともあるほどで、シグルトは「縄張りを冒さない範囲で」と釘を刺した上で対応している。
 
 他に“風を纏う者”でもう一つ話題となっているのが、レベッカだ。

 冒険者歴がそこそこにあったにも関わらず、過去のレベッカは怠惰で仲間も作らずに腐ってばかりいた。
 だが“風を纏う者”に所属するようになってから、水を得た魚の様に結果を出している。

 本来レベッカは、盗賊ギルドから再三スカウトが来るほどの凄腕だ。
 最近までは飲んだくれていたので腕はかなり落ちていたが、彼女がかつて盗賊ギルドで下層の幹部職に就いていたことは、同業者では周知の事実である。
 その頃世話になったという者が多数おり、若手の盗賊で元スリやギルド出身の盗賊たちは、彼女には頭が上がらないという者も多かった。
 かつての腕と勘も取り戻しつつある。

 他の仲間が腹黒くなれない部分をレベッカがサポートするため、“風を纏う者”の仕事はそつがない。

 パーティでの実績と言えば、初心冒険者が何人も死ぬというオーガ…話では年を経た狡猾で恐ろしい上位種を…相手にその討伐を成功させてしまった。
 最初の“食人鬼殺し”が上位種で、すでにそれより強いトロールの討伐まで達成している。

 最近「誉ある“風を纏う者”の代表であるシグルトは、我の寵厚き冒険者である」と西方でも有名な女伯が、紋章入りの感状を『小さき希望亭』に届けさせた。
 これは正式に貴族が“風を纏う者”を認めたということ。
 “風を纏う者”を子飼いの冒険者にしたい貴族や豪商からいくつかの問い合わせも来ていて、女伯のそれは牽制であろう。
 
 それにシグルトが伝説的な工匠に認められて、その武具の所持を許された。
 彼のブレッゼンから魔剣所有の試練を許された冒険者は、数えるほどしかいない。

(…嬉しい限りだが、成長が早過ぎだ。

 シグルトはまだ十代、レベッカだって二十の半ばだぜ。
 変な失敗して躓かなければいいんだが)

 時折そんな心配もするが、“風を纏う者”なら大丈夫だろうと信頼もしていた。


「…お前たち、仕事も落ち着いて、懐にも余裕が出来て来たんだろ?

 どうだ?
 明日はリューンでも最大規模の慈善市が開かれる。
 
 技能書や武具だって掘り出し物があるから、羽を伸ばしに出かけてみてはどうだ?」

 “風を纏う者”が、夕食のシチューを啜っていると、親父がそんな話を持ちかけて来た。

「あら、もう『パランティア』の時期が来たのね?」

 リューンでの生活が長いレベッカは、したり顔で頷いた。

「レベッカ、『パランティア』ってなぁに?」

 事情を知らないラムーナが小首を傾げ尋ねる。
 清貧な生活に慣れているラムーナは、そもそも買い物という行為そのものに疎いのだ。

「このリューンで、年に一度開かれる商人たちの祝祭よ。

 『中つ国の伝説』に登場する七つの魔石パランティーアから名を貰ったていう、大きな慈善市が開かれるの。
 遠見の石として伝わるパランティーアは、多くの地を見通し、互いが繋がっていて連絡を取り合うことが出来るという話。
 
 この祝祭では旅商たちが一堂に集って、様々な商品を網羅するからこの名で呼ばれるらしいわ。
 まあ、単純に解放…叩き売りやるってことだけどね。
 
 出た儲けから、慈善金がでるわけ。
 孤児院や教会に寄付されるお金だから、貴族や教会からも庇護を受けて、税金無しで商売が出来るのよ。

 捻出される慈善金が税金代わりなんだけど、商業ギルドや都市に納める税金が免除された上で、売上からお金を出すことになってるからリスクは少ないわ。
 特に露店を生業にする旅商にとっては、大きなチャンスになるのよ。

 お祭りまで金儲けするなんて、商人たちはがめついわよねぇ」

 レベッカの説明に、「お前には負けるわい」とスピッキオが突っ込む。
 
「うるさいわねぇ。

 私のちゃんとした管理があるからこそ、あんたたちは無駄遣いしないで毎日の美味しい食事にありつけるんじゃない。
 お金で全てが賄えるとは言わないけど、出来ることだって多いんだから。

 おっと、話を戻すわね。

 『解放祭』なんて呼ばれてるこのお祭りでは、最近便乗して教会のバザーも開かれるみたいね。
 一日で回り切るのはとても無理よ。

 商品の当たり外れはあるけど賑やかなイベントだから、一生に一度ぐらいは見に行っておくべきだわ」

 レベッカの説明に、ラムーナは好奇心で目を輝かせた。
 この辺り、やはり年相応の少女である。

「行くなら僕も付き合うよ。
 パランティアは、四海の珍品が集まるんだ。

 それはつまり、世界中の英智も集まるってこと。
 賢者としての知的好奇心からも、是非行くべきだと主張するね」

 ロマンも乗り気である。
 
 シグルトは、偉ぶっているが子供らしいロマンの態度に頬を緩めた。

「ふむ。
 
 わしも元は商家の生まれじゃからの。
 見聞のために、一度見てみたいと思っておった。
 
 教会も関わったバザーが開かれるというなら、それに応えるのも大切じゃて」

 反対意見が無かったので、シグルトが「決定だな」と話をまとめる。

「いいわねぇ。

 せっかくだし、商人どもと久しぶりにやり合ってみようかしら?」

 自身の商魂を刺激され、レベッカがにやりと笑う。

「…大概にしておけよレベッカ。

 お前に破産させられた悪徳商人が、うちの宿の悪い噂を流した時は迷惑したんだからな」

 親父の突っ込みに「分かってるわよ~」と、レベッカは小さく舌を出した。
 
 
 次の日…
 
 あちこちで露店が開かれ、客寄せのために雇われた旅芸人たちが、自慢の芸を披露していた。

 火吹き芸人の吐く焦げた油の臭気に閉口しつつ、六人の冒険者が買い物を楽しんでいた。
 “風を纏う者”とともにリューンで名が知れつつある冒険者パーティ“風を駆る者達”である。

 多くの人が集まり大した喧噪だが、商人たちの声はそれを越えて響き、露天市場を飛び交っていた。

 武具を買う者、書物を抱える者、大きな袋を引き摺りながら歩いている者。
 ここに訪れた誰もが、何かしらお気に入りの品物を見つけて購入しているようだ。
 
「いつ来ても、凄い人だかりね」

 南方大陸出身者としての黒い艶やかな美貌を陽光に晒しながら、魔術師ガリーナが「私はこういうの苦手なのよ」といった顔で、腰に手をあてながら一人ごちた。
 このあたりではあまり見かけない黒き民であるガリーナは、奇異の目で肌を見られるのが嫌なのか、賑やかな場所はあまり好かない。

「へへ、俺は好きだぜ。
 
 昔は結構稼がせてもらったしよぉ」

 ユーグが眼を細めて、にやりとする。
 細身の狡猾なこの盗賊は、惚れたガリーナに好い所を見せたくて仕方無いらしい。

「ふ~ん、ユーグってここでお店出したことがあるの?」

 冒険者としては場違いな可憐な少女エイリィが、何とも純朴そうな質問をしていた。
 こういう態度が子供っぽいと言われては拗ねている、背伸びしたいお年頃である。

「ふん、どうせぼったくりの店をやっていたか、スリでもしておったんじゃろ。

 このコソ泥が、まともな理由で此処に来ておるわけがないわ」

 ドワーフの戦士であるオーベが、図太い樽の様な身体を揺すりながら、嘲るように言った。

「…フン」

 途端、面白くなさそうにそっぽを向くユーグ。
 こめかみに吹くのは暑さのためでは無い汗だ。

「図星じゃな」

 してやったり、とオーベが嘲笑した。
 
 ユーグはますます不機嫌になって、終いには芸人に絡み出した。
 その横で彼らを宥めるのは、仲裁役が板についているレイモンである。

「あなたも何とか言って下さい、ニコロ。

 まったく、困ったものです」

 ストレスから、元々の厳しい顔にさらに皺を増やし、レイモンは疲れたように項垂れた。

「あはは…ま、いいんじゃないかな。

 せっかくのお祭なんだし」

 頼り無げな返答をしつつ、ニコロは半ば商品の方に気を取られている。 

 リューンで年に一度開かれるという慈善市『解放祭パランティア』。
 
 “風を駆る者達”はこの大規模な市を訪れていた。
 
 会場は大きく三つに分かれていて、それぞれ武具区・道具区・書物区に分かれている。
 どの地区も世界中の様々な地域から人々が訪れていて、時にとても貴重な品や奇妙な品が置かれているという。
 
「さぁ、行くわよ」

 ガリーナが無理矢理ユーグの手を引いて書物区へ向かう。
 どうやら荷物持ちをさせるつもりらしいが…手を繋がれたユーグは心持幸せそうだ。
 
「では、ワシらも行くとしようかの」
 
 オーベが呆れたように先導し、残りの四人もそれぞれに目当ての地区へ向かって散っていった。


 一方やや遅く『小さき希望亭』を出立した“風を纏う者”は、賑わう市を前に圧倒されていた。

「凄いな…
 俺の故国でも年に一度、建国記念の祝祭があったが、ここまで賑やかじゃなかった。
 
 西方の要衝たるリューンの祭とは、こうも規模が大きいのか」

 国家級の大きさを誇る大都市だからこそ、この規模なのでである。
 
 シグルトの故国は、歴史こそあるが小国だった。
 首都の大きさを、西方でも最大級の交易都市であるリューンと比べるのは酷であろう。

「ま、こんだけ騒がしいと全部は廻れないでしょ?

 そうね、取りあえず今日は、安売りしてるところを中心に見て行きましょうか」

 この祭りに参加した経験を持つレベッカの提案に、一同は茫然としながら頷いた。

 
 最初に行ったのは、道具区である。
 
 ちょうどタイムサービスを行い大きく値段が下がっていたところを、レベッカがさらに値切って珍しい道具を買い漁る。

「クリスにお土産を買って行かなきゃいけないからね。

 あの娘が喜びそうな装飾品って、他の区画では売ってないわ」

 レベッカの言葉に、ロマンが首を傾げる。

「…クリスって、そんな人知り合いにいたっけ?」

 するとラムーナがにこにこしながら、とんでもないことを答えた。

「駄目だよぅ。

 クリスティアーヌさんのことでしょ。
 そんなことだと、また女装されられちゃうよ」

 頭を疑問符でいっぱいにしながら、「なんで僕の女装と関係が…」とロマンが憤る。
 その頭に、シグルトがポンと手を置いた。

「俺たちの間では〈宿の娘さん〉で通ってる、彼女のことだ。
 長い名前だから、覚えてる連中の方が少ないんだ。

 うちの宿の親父さんの、〈ギュスターヴ・オジエ〉という名前を、知らない奴も多いしな」

 ロマンとスピッキオが同時に目を丸くした。

「ありがちな名前だから、名乗らないのよね親父さん。

 渋くて好いじゃないっていうと、結構照れるのよ」

 品物を物色しながら、レベッカが補足する。
 
「うちの宿の正式名称は『オジエの小さき希望亭』なんだ。
 看板が摩耗して、字が読み取れなくなってるが、リューンじゃ老舗の宿らしい。

 せっかくの機会だ、2人とも覚えておけ」

 このリーダーはすでに知っていたらしい。
 判明した新事実に、ロマンが興奮気味に頷く。

「連盟じゃ、“寂寥の荒野”オジエって有名なのよ。
 結構強かったって噂の、元冒険者だしね。

 二つ名を言うと包丁持って暴れるらしいから、本人に言っちゃだめよ」

 何故、とロマンが聞く。

 レベッカは髪を掻き上げて自身の額を剥き出しにすると、そこを指さして厳しい顔をして見せた。
 
 途端納得したようにロマンもスピッキオも深く頷く。
 二人とも笑いをこらえるのに必死な様子だ。

「親父さんの頭、寂しいもんね~」

 ラムーナが止めを刺し、一行は皆吹き出していた。

 笑いながら賑やかに買い物を進めていると、不意にシグルトが厳しい目をし、近くにいた少年の手をがっしりと掴む。

「な、何すんだよっ!」

 威圧するように睨む少年。
 シグルトの握力によって痺れたのか、その手から小さな宝石が零れ落ちた。

「…っ!!!」

 明らかに盗品と分かるそれを見て、近くの露店の店主が怒りを露にして向かって来た。

「こいつ、この神聖な慈善市で盗みを働くなんて許されないぞ。

 官憲に突き出してやるっ!!」

 激昂する店主を前に、シグルトが空いた手で止めろと制する。

「むしろ慈善市で子供をしょっ引いたなんて話になったら、店の名が堕ちるぞ。

 それに、盗賊ギルドの縄張りでこういったことをした者は、確か〈人形遊び〉だったな?」

 シグルトが問うと、レベッカが頷く。

「昔ながらで野蛮なんだけどね。

 ま、子供で初犯なら〈生木鳴き〉か〈石臼〉かしら。
 流石にばっさりは無いと思うけど、今の〈猫〉や〈烏〉の掟はあまり分からないわ」

 隠語で話す二人に、少年も店主もきょとんとしている。

「…〈人形遊び〉は手足を引っ張って千切る私刑のこと。

 〈生木鳴き〉は音を立てて圧し折るやつで、〈石臼〉は石で叩き潰すって意味よ。
 二度とスリやかっぱらいなんて、出来なくなるってこと」

 レベッカが凄んでみせると、少年の顔が蒼白になった。
 こういうことは初めてやったのだろう。

「坊や、教えといてあげるわ。

 ここ数年こういう慈善市では、こわ~い盗賊ギルドが関わってるのよ。
 出来るだけ、盗んだ追っかけたって荒事が起こらないように、大商人が裏でお金を納めて犯罪防止を頼んでおくのよ。
 毒は毒をもって…ってやつね。
 
 頼まれた盗賊ギルドは、面子をかけて見張ってるわ。

 もしお金を納めたのに盗みが起これば、商人からクレームが来るし、ギルドの面目は丸潰れよ。
 そうなった時は、見せしめになるぐらい残酷な罰を与えるってわけ」

 商品を取られた商人は、そういったことまで知らなかったのだろう。
 何もそこまでしなくても、という顔だ。

 レベッカはそこで片目を閉じると、少年が盗んだ宝石を商人に返す。

「この子は、〈品物を見ていた〉だけ。
 貴方は子供の素行に〈勘違いした〉だけ。

 品物は戻ったんだし、とりあえずそれで納めない?」

 レベッカの言葉に、しばらく考えた商人は頷くと露店に戻っていった。

 残された少年は、事情が分からぬまま震えたままだ。
 
 シグルトは少年の肩に手を置くと、屈んで目線を合わせた。

「お前、親はいるのか?」

 尋ねるシグルトに、少年は震えながら首を横に振った。
 目尻には涙が溜まって見える。

「お前一人なら食べていくぐらいの子供にも出来る仕事が、この都市にはたくさんある。
 
 なのに、盗みを働かなければいけないほど切羽詰まっていたのか?」

 シグルトがまたゆっくりと問うと、少年は遂に泣きはじめ、幼い妹が腹を空かせているのだと言った。
 少年の両親は、最近のたちの悪い風邪で無くなり、貧乏な少年の家では家財を売りさばいて凌いでいたらしい。
 そうした私財もついに尽き、盗みに及んだという。

「…馬鹿ねぇ。
 例え盗みが成功しても、盗品は故買屋の知り合いがいなと足がつくのよ。

 すぐに捕まって、さっき言ったような怖い目に合う。
 坊やに妹がいるなら、その娘も人買いに売られてしまうわ。
 その先は、坊やも妹ちゃんも生地獄。

 盗みは、これっきりにしなさいな」

 そう言うレベッカの眼は、どこか優しかった。

「これから盗みを二度としないと誓うなら、お前と妹のことは何とかしてやろう。

 誓えるか?」

 シグルトが厳しい顔で少年に問う。
 誠意が伝わったのか、少年は強く頷いた。

「よし。
 では、お前は妹を連れて、ここから南にある聖北教会のクレメント司祭を訪ねるんだ。
 この羊皮紙を渡して“風を纏う者”の紹介だと言えば、しばらくは面倒を見てくれるはずだ。
 俺も慈善市が終わってから立ち寄ろう。

 職人ギルドに知り合いがいるから、お前の年でも出来る丁稚奉公を世話してやる。
 教会に妹を預けたら、明日以降、西地区郊外の『小さき希望亭』を訪ねて、“風を纏う者”のシグルト…俺に言われて来たと言え。
 その時も羊皮紙を無くさず持ってくるんだ。

 あと三日はリューンにいる。
 俺がいない時は、その宿の主人に話を通しておくから、その人から話を聞け。
 今後どうするかを一切手配しておく。
 
 器用なその手には、芸を付けて役立てるんだ。
 そうすれば、食いっぱぐれることはないからな。

 辛いかもしれんが、お前たちの住んでいた家や土地があったら処分して、妹が働けるまでの養育と食費にあてるといい。
 金の管理はクレメント司祭に、妹を預かってもらえるように司祭の懇意にしている教会系の孤児院を紹介してもらえ。
 
 レベッカ、この子たちの不動産処理で、交渉を頼んでもいいか?」

 仕方ないわね、とレベッカは快く請け負った。
 背景には、もちろん子供に同情したというのもあるが、上手く交渉すればコネクションを作れるからだ。
 
 孤児に仕事を斡旋したり、その私財を処分することに関わると、少ないながらマージンが貰える。
 レベッカはそういった裏事情に詳しかった。

 そして人徳のあるシグルトは細かく地味な仕事を大切にしているために、様々な人脈を持っている。
 彼の一声で信用してくれる者も多い。

 シグルトとレベッカは、まだ冒険者になるには早い孤児に関わった場合、互いの得意分野を活かして孤児院への紹介や仕事の斡旋を行い、お金や人脈を作る手段を確立していたのだ。
 荒事の多い冒険者は、ヤクザ紛いの犯罪組織とも渡り合うため、元々この仕事とは相性が良かったとも言える。
 
 儲けた金のほとんどは、世話になっているクレメント司祭への謝礼や、コネクションの維持のために使っていた。
 金を使わず綺麗ごとなどできないのである。

 お金そのものは全くと言っていいほど手元に残らないが、人脈と人材を作り出し、それが結果的に都市活動における“風を纏う者”の助けとなるのだ。
 世話をした子供たちから集めた情報を盗賊ギルドに売ったり、探しものをする時に手伝って貰ったりと、後に得られるちょっとした利益も得られる。

 シグルトたち“風を纏う者”が短期間で有名になったのは、こういった他の冒険者がまずしない地盤作りの結果もあった。

 元は人の好いシグルトが、冒険中に出会った困った子供たちに何とか生きる道をつけてやりたいと考えて始めたことだが…
 結果的には、良い結果を招いていた。

 最初は渋っていたレベッカも、今では過去の仲間や盗賊ギルドにも関わらせて、大々的に手伝っている。
 特に情報力の強化(仕事の斡旋先から、各組織の情報を仕入れ易い)に役立つと、盗賊ギルドから多少の無茶を認めてもらえるほどになっていた。

 半年もかからずにこのシステムを確立したシグルトとレベッカが名を売ったのも、当然と言えよう。

 少年はシグルトたちに何度も礼を言うと、嬉しそうに去って行った。

「…すまないなレベッカ。

 リューンに戻ってから、この手の雑用ばかりだ」

 少年が見えなくなってから、シグルトは申し訳無さそうにレベッカに詫びる。

「いいって~。
 実際、この副業のおかげで盗賊ギルドの上納金は、向こう数年ただで良いってことになったわ。

 それに、この仕事って泣く奴がいないから、私の繊細な心が痛まないのよ。
 後輩にも新しくできた伝手で小遣稼ぎを紹介して喜ばれてるし、表向きほとんど慈善事業だから、教会や慈善団体にかなり好感持たれてるし。

 チンピラ扱いだった冒険者も、今んところうちの宿限定だけど、扱いが変わって来たしね。

 最初、相談された時には呆れたけどさ。
 話が膨らんできて思ったんだけど、シグルトって結構商才あると思うわ」

 この方法で救った孤児や浮浪児は十数人いる。
 規模はまだまだ小さいが、レベッカは確かな手応えを感じていた。
 
(私の子供ん時は、こんな方法なんて考えもしなかった。

 シグルトがいつも言ってるけど、やっぱ子供は笑ってないとね…)

 レベッカは幼少期、孤児院にいたことがある。
 あの頃の生活はどん底で、思い出すのも嫌だ。
 
 感情的と笑われることもあるが、同じような立場の子供には少し同情してしまう。

(そういやヴァルの奴、あの〈人売り市〉が潰れてから音沙汰が無いわね。

 元気でやってるのかしら…)

 孤児院時代、鼻垂れでいつもレベッカの後を付いて来た弟分を思い出し、レベッカは懐かしそうに眼を細めた。
 

 ニコロは風を感じて立ち止まった。
 
 ふと見ると老婆が立っている。
 この暑い日差しの中で、目深くローブを被って、だ。

「…風の声が聞こえるかい、お若いの。

 お主、精霊術師だね?」
 
 皺枯れた声。
 だが、聞く者を捉える不思議な力があるように感じられる。
 何より、ローブの下からニコロを射る眼光が、猛禽のように鋭かった。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように、ニコロはぴくりとも動けない。

「強くなるために、力が必要なんだね。

 ならば、一つ導いてあげるとしよう」
 
 老婆は声も出せず固まっているニコロに、書物を差し出した。

「…【風刃の纏い】じゃ。
 
 ちょいと悪戯好きの小娘がおったんでの。
 ワシが閉じ込めて芸を仕込んでやったんじゃ…」

 ニコロは吸い寄せられるように書物を手に取った。
 そして、幾分焦ったように銀貨の詰まった袋を老婆に手渡す。

「ほほ、殊勝じゃの。
 銀や金には力がある。
 同時に〝借りぬ〟という志も好い。

 お主は、良き術師となるじゃろう。

 風は気紛れ。
 しかし万里を駆ける翼ともなろう。
 
 若き精霊術師よ、力の使い方を誤らぬことじゃ…良いな?」

 ニコロが釣られるように頷く。
 老婆はにやりと笑った。

「お主、波乱万丈の人生を歩みそうじゃな。
 近い将来、大きな敵と相対するじゃろう。

 やがて失い、そして得る。
 慟哭を知って、人は生まれ変わのじゃ。
 
 水は風を通さず、刃金は風を切る。
 されど、共に歩むならば道となり、未来へと続くものよ。
 
 一人歩まず、共に立ち向かうがよかろう。
 強き風を纏えるのは、お主だけでは無い。

 風とは語り部、そして謳う者。
 出逢いを紡ぎ、お主を導く。
 
 しかと覚えておくことじゃ…」

 予言めいた言葉を告げ、老婆は皺ばかりの頬を歪め背を震わせて、楽しそうに笑った。

 ニコロは感じていた。
 この老婆が、ただの人間では無いことを。 

 その時、ニコロを見つけたエイリィが、遠くから声をかけて来た。

「ねぇ、見て!レイモンに買ってもらったの」

 エイリィが、首に下げた青い宝石を掲げながら走り寄ってくる。
 ニコロはすぐに行くと手振りで伝え、再び老婆の方へ向き直った。

 しかし、そこには既に老婆の姿は無い。
 
 ただ銀色に輝く羽根が一枚、ふわりと風に舞っていた。


 仲間たちから離れると、この祭に関わる盗賊ギルドの幹部を捕まえ、レベッカは先ほどの騒動の後始末をしていた。
 見ぬ振りなどすれば、ギルドの面子を潰してしまうからである。

 案の定、盗みのあった場にも〈梟〉(見張り)がいた。
 少年が場を離れたところで捕まえて尋問し、商品はそっと返す算段だったのだろう。

 不機嫌そうな顔をしていたその〈梟〉は、関わったのがレベッカだと分かると、途端に態度を改めた。
 奇しくも、昔盗賊ギルドで面倒を見てやった後輩の友人だったからだ。

 〈梟〉に案内されて幹部の所に行く。
 祭の中央で情報を売りながら、場の盗賊を統括していたその男は、レベッカを見ると人懐っこい笑みを浮かべて彼女を迎えた。

「いよう、レベッカ!

 会えて嬉しいぜっ!!」

 抱きつこうとしたその男をひょいと躱し、指先で向こうに追いやると、レベッカは断りも無く彼の座っていた椅子に腰かけた。

「相も変わらず女と見たら抱きつくのね、ギスラン。

 あんたが今の〈ボス猫〉?」

 ギスランと呼ばれた男は、首を横に振って否定し、自分もそそくさともう一つ椅子を出して座った。
 同時に眼も座る。

「俺は〈耳〉(情報担当)関係さ。

 此処の統括は“赤髪”さんな。
 で、この地区は俺担当ってわけ。
 一応あの人の直参だからな。

 “坊や”がいる方じゃなくて良かったぜ、レベッカ。
 あの糞真面目は、面子気にし過ぎるからよぉ…」

 恩着せがましいギスランの言葉に、レベッカがにやりと返す。
 
「じゃ、“赤髪”の奴に直で話を持ってくわ。

 そうすりゃ、その生意気な口も叩けなくなるでしょ?」

 強気には強気で切り返すのが、盗賊同士の交渉で大切なことである。

 レベッカは話をつけるために敬意は払うが、相手を選ぶ。
 中には調子付いて、様々な要求をしてくる輩がいるからだ。

 因縁をつけてたかってくるちんぴらを、盗賊用語では〈蝿〉と言うが、その手の連中に弱い所をみせれば餌食である。

「…かぁ~、やっぱ“猫の女王”には勝てねぇか。

 足抜けしたとは言え、未だにギルドの連中は半数があんたに頭あがんねぇからな。
 あんたに言うこと聞かすなら、“黒豹”の姐御でも担がにゃ無理だわ」

 ギスランは「止め止め」とばかりに姿勢を直し、始末書代わりの羊皮紙にサインを求めて来た。
 綺麗に処理されたので、お咎め無しを上告するための内容が書かれている。
 レベッカが来る前から結果を予想して用意していたのだろう。

 羊皮紙に、一筆書きで王冠を被った猫の顔を描く。
 艶っぽい唇と睫毛も忘れない。
 “猫の女王”…レベッカがギルド時代から許されている、本来は幹部以上しか持てないシンボルサインである。

 シンボルサインは日本でいう花押のようなものだ。
 面子を大切にする盗賊は、要職であったり名が売れてくれば、こういったシンボルサインを作る。
 これは、手先の器用さを表すのと同時に、示威行為のための手段になるのだ。

 敵対組織に喧嘩を売ったり、誰かに話を通す場合、自分を端的に表せる。
 同時にこういったシンボルサインを汚す行為は、最大級の侮辱とされている。

 レベッカは現在盗賊ギルドの構成員ではないが、現在でも名誉幹部的な扱いを受けている。
 だからこそ、幹部時代から使える〈特権〉があり、これもその一つだ。

 就いていた幹部職はスリの頭…重役ではなかったのだが、当時の同輩たちは多くがもっと上の幹部職に就いたので、その連中と同格とみなされているのである。

 シンボルサインがまかり通ること、それこそがレベッカの影響力の強さなのだ。
 地道な下積みと、たくさん売った貸しや持ったコネクションがなければ、これほどの効果は持たない。

「流石だな。
 こんな精緻なサインを、ほとんど一瞬で描いちまうんだから。

 だけどよ…
 あんたが調子付いてるって、面白くねぇ顔してる連中もいるんだぜ。
 特に、ちょっと前まであんたが腐ってたのを喜んでた、ロドリグとか。

 気ぃつけな」

 意外そうにレベッカはギスランの方を見た。
 盗賊でも情報部門を司る〈耳〉は、情報を決して安売りしない。
 たとえ身内であっても。

 こういう情報が来た時、まずは意図的に流している、と疑うのが普通である。

「あ~、信じなくても構わないけどな。

 気になるなら、自分で裏取れよ。
 “赤髪”さんあたりなら、安くしてくれるぜ」

 そこはのらりくらりとしているギスランである。

 ロドリグは、レベッカの先輩である女盗賊“黒豹”エイダとライバルだった男だ。

「…抜ける時、少し虐めてやったからねぇ。

 でも、まだ根に持ってるなんて、相変わらず小さい男だわ」

 ロドリグは独占欲の強い男で、レベッカの部下だった小悪党を一人身代りにして殺してしまった。
 レベッカはギルドを抜ける際、嫌がらせでロドリグがちょろまかしていた金のことをばらし、復讐している。

 ロドリグは上級幹部への昇進を目前にして幹部職を解かれ、ギルドの掟で利き腕の親指を切られてしまった。
 今までの功績から、一盗賊としてギルドに残ることは出来たが、盗賊としての出世は絶望的になったのである。

 酒浸りになったロドリグは、今でも顔を合わせれば食ってかかって来る。
 
 レベッカがギルドに戻らないのは、こういった盗賊同士のいがみ合いに辟易していたからだ。
 嫌な話を聞いたことで、レベッカは渋い顔のままギスランと別れた。

(…っち。

 ケチがついたわね)

 詰まらなそうに歩きながら仲間を探していたレベッカは、不意に自分を見る鋭い視線に気付き、出来るだけ何気なく振り返った。

 少し離れた場所から、黒髪の男がじっとレベッカを見つめている。
 腰に剣を下げ一見剣士風だが、感情を感じさせない泰然とした雰囲気を持っていた。
 どこか、シグルトに気配が似ている様に思えた。

 レベッカは、その男の視線が自分に向いているのだともう一度確認し、大胆にもまっすぐ向かっていった。
 男にもう少しで手が届きそうな距離まで近づくと、レベッカは腰に手を当てて不機嫌そうに鼻息を一つ吐く。

 威嚇するようなレベッカの仕草に、男は少しだけ眉をひそめた。

「誰だか知らないけど、私に何か用?

 そうでなければ、女性をじっと睨むのは不躾ではないかしら」

 少し強い口調でレベッカが問うと、男は少しおいて静かに頷いた。

「それにおいては詫びよう。

 俺はイサークという、旅の剣士だ。
 昨今珍しい、人助けというものを見たのでな…
 
 如何なる理由で助けたか知りたいと思った」

 訥々と低い声で名乗り、理由を告げる。
 
 レベッカは、訝しげに眉をひそめた。
 人助けとは、先ほどの少年のことだろう。
 
 確かにあのような状況では見て見ぬ振りをする者も多いが、慈善市という環境ではお節介する連中も多いはずだ。
 じっと観察されるほどのことでは無いと思う。

「この市には、聖北の坊さんも沢山来てるわ。
 私たち冒険者が子供一人にお節介したところで、じっと見つめられる理由にはならないわよ。

 それとも、あんたの周囲にはそんな連中がいないほどささくれてたわけ?」

 きつく問い返すレベッカに、男は首を振って「そういう意味ではない」と告げた。

「俺が珍しいと思ったのは、あの少年の道をきちんと示したことだ。

 同情で人助けをする連中は多いが、ほとんどは自己の心を満たすためにやる独善的なもの。
 しかし君とあの男は、〈関わったことの責務〉を果たした。
 これは中々出来るものではない。

 もし君たちが、あの少年にお説教だけして盗みを止めるように注意したとしても、あの少年の貧困は解決しなかっただろう。
 再び盗みをするか、あるいはもっと重い罪を犯したかも知れん。

 何故他人のためにそこまでする?
 それが知りたいのだ」

 生真面目な男の口調に、レベッカは内心苦笑した。

「他人、ねぇ。

 そうね、他人を援けるってのが独善的だってのは賛成だわ。
 でも、それを言えば何だって独善よ。
 人は結局自分のために何かをする。

 要は気分の問題。

 うちのリーダーも言ってるけどね。
 〈子供は笑ってる方が好い〉と思うわ。

 ああいう子供は大人の多くが過去において来た、かつて幼く拙くて途方に暮れ、救ってほしかったことがある自分。
 人を見る時、多くは相手の中にある自分を見るわ。
 俗っぽい私みたいな人間は、特にね。
 
 私が助けてほしいなんて少女してた時は、待ってても誰も救っちゃくれなかった。
 救いを求めて足掻いてる連中には、あんたたちで勝手にやれって言うことも出来るけどさ。
 私は私の時にしてほしかったことを、自分でやって自己満足したのよ。

 うちのリーダーがお人好しで、尻拭いしたのもちょっとあるかな?
 
 人はそういう個人的な理由があってこそ、親身になって動けるのよ。
 私の場合無駄を出さないように、やる以上は利益を作るけどね。
 
 一番得して、敵を作ってなくて、泣くやつがいない大団円なら最高かなって思うわ。
 好い気分も利益の一つ…それが私の信条なのよ」

 そこまで一気に言って、レベッカは肩をすくめた。

「貧困はあの子のせいではない…
 そう言って救ってあげるのも、有りかもしれない。

 でも、私はただ貧困のせいにしたくないのよ。
 責任転嫁してて得があればいいけど、言い訳で腹は膨れないし、ね。
 〈私〉だって得るものは無い…あの子の中に見える〈過去の私〉も含めて。

 あの子にとって一番大切だったのは、〈妹と一緒に救われること〉。
 私は関わる以上それを満たし、一緒に自分を満たそうとわけよ。

 必要なことを自然に行った…運命任せじゃなく、必然だったってわけ」

 これはレベッカの本心でもあった。
 
 彼女は利己的であるが、同時にお人好しである。
 だからこそ、両方を満足させる道を探し実行する。

 聞いていた男は、何かを考えるように唸る。
 
「…なるほど、〈多くを満足させる独善〉か。

 流され捨てる者は多くを得られないが、難しくともそれを実行する者は多くを得る。
 これは武道にも通じることだ。

 為になった。
 貴女に感謝を」

 男は一礼すると、そのまま去って行った。
 その足取りは心なしか軽い。

「何だったのかしらね。

 まぁ、いいか」

 さっさといなくなった男には目もくれず、レベッカはまた仲間を探しはじめた。


 夕刻となり、うっすらと空が赤い。
 楽しい祭は間もなく終わろうとしている。

 『パランティア』を堪能した“風を駆る者達”は、集合して帰途についていた。

「くっくっく、ちょろいもんだぜぇ」

 ユーグのにんまりとした顔を見ながら、ガリーナが溜め息をついた。

「あんた、ホントにそういうところは抜け目がないわねぇ。
 こっちは気に入った本が見つからなくって落ち込んでいるのに」

 お眼鏡に合う魔術書を見つけられず、ガリーナは落胆していた。
 そんな姿に、オーベが呆れた様子でたしなめる。

「ガリーナよ、お主は拘り過ぎじゃ。

 つまらん形式なぞ無視すれば、良いものも沢山あったじゃろうに」

 その言葉に少し憤慨した様子で、ガリーナは靴音高く言い返した。

「…そういうオーベだって、良い斧が無い、とかぶつぶつ言ってたでしょ」

 むう、と唸りオーベの眉間に皺が寄る。

「あるにはあったんじゃが、とても冒険で使いこなせるものでは無かったわい。
 
 あれは、死刑執行人が使う類の物じゃから、携帯性が最悪じゃ。
 なんであんな物が売っとるんじゃい」

 思い出したようにオーベも肩を落としていた。

「ま、おけらの漁師の様な面すんなって。
 資金がたっぷり増えたんだからな。

 俺に感謝しろよ。
 銀貨二千枚だぜ、二・千・枚!

 欲しいものを手に入れた上に、物々交換だけでこれだけ稼いだんだ。
 もっと感謝してもらわなくっちゃな」

 さっきから威張ってばかりのユーグに、ガリーナが「そうよねぇ」と頷く。

「…癪だけど、確かにユーグの功績は大きいわね…」

 肩で二度目の溜め息を吐くガリーナ。

「そう言えば噂で聞いたんだけど、“風を纏う者”もこの祭りに参加してたみたいだね」

 ニコロが手に入れたばかりの技術書を読みながら、なんとはなしに呟いた。

「道具区で起きた問題を調停したようですね。

 最近彼らの名をあちこちで耳にしますが、私たちもうかうかしてられませんよ」

 レイモンが気遣わしげに補足する。

「…リーダーのシグルトって人、教会の人たちからも凄い評価されてるみたい。

 この間も冒険者孤児を一人、施設に入れる仲介人になったって」

 冒険者孤児とは、冒険者の親を持っていた孤児のことだ。
 死と隣り合わせの冒険者は、事故や怪物との戦いで、ベテランでも命を落とすことがある。
 
 冒険者をする者は脛に傷を持つ者も多く、片親だけという場合もざらだ。
 そんな親が死んでしまえば、子供は生きて行くことが難しくなる。

 教会育ちのエイリィは、そういった子供たちを救う手助けをしているシグルトたちに好印象を持ち始めていた。

「ああ、あれな。

 もしかしたら、冒険者の新し副業が出来るかもってんで、宿の親父どもが話題にしてるぜ。
 孤児を拾って来て里親見つけたり、孤児院へ食料配達とかの安い仕事をしてやって、パトロンの貴族や教会から金貰う仕事だ。

 施しすると市民受けがいいってんで、市民権が強いリューンじゃ、貴族院や市会議員の連中には馬鹿みたいに金出す奴もいるそうだ。
 金回りがいいから、駆け出し冒険者が食いっぱぐれないですむかもって、嘘みてぇな話だが。

 始めたのはシグルトたちで、小さい話だったんだが、宿同士でコネ作ってでかいことになって来たらしい。
 冒険者の子供相手にした託児所なんかも、これに関わって、連盟からも援助するとかしないとかで騒いでるみたいだな」

 孤児院にパトロンをつけ、育った子供は人材として派遣する。
 言葉にするのはた易いが、実際に活動すると夢物語のような話である。

「なんともまぁ、格好付けた話ねぇ。

 そういう偽善ぶった事や、貴族を毛嫌いしてる連中、冒険者に多いのよ。
 シグルトって奴、絡まれて刺されたりしないのかしら?」

 辛辣なガリーナの言葉に、「そうでもねぇんだよ」とユーグが首を振る。

「実際にシグルトどもがパトロンにしようって連中は、子供を戦争で亡くした貴婦人や戦争未亡人、孫子が独立して寂しがってる裕福な老人とからしい。
 名誉目的で名を宣伝しろってパトロンは、性格確認した上で話を蹴ることもあるとか聞いたぜ。

 だからこそ話が成立すると〈そのパトロンは人格者〉なんてブランドがついて、乗り気な奴が増えるって寸法だ。
 たぶん、こんな小賢しいことするのはレベッカだろう。

 あいつは昔盗賊ギルドに所属してたんだが、その時分に、スリやかっぱらいの組織で〈危険と恨みは少なく、利益は多く〉って妙な仕組みを作って、いまだに信奉者がいるからな。
 レベッカが好んで使った割引(財布をスリ取って少しだけ盗んで返す)や恩着せ(スリ取っておいて拾ったと称し礼をせしめる方法)は、今でも穏健派の盗賊たちに主流になってるやり方だ。

 職業変えて、〈狐〉(詐欺師)にでもなりゃいいのによう」

 ユーグの言葉には、少しの嫉妬と同じ盗賊としての誇らしさと入り混じったような、複雑な気持ちが見え隠れしていた。
 
 
 一方、噂になっているとは露知らず、夕方まで“風を纏う者”は存分に買い物を楽しんだ。
 安く買った品物を上手に売ったり交換したりしてレベッカがかなりの利益を出し、ちょっとした土産を持ち帰ったほどである。

 宿に帰って、レベッカの指示に従いシグルトがクリスティアーヌ(宿の娘)に土産のお洒落な髪飾りを渡すと、舞いあがった彼女はお礼にツケ代わりに貰ったという貴重な技術書をくれた。
 結果的に一千枚以上の銀貨と、非常に優れた魔法の指輪も入手し、レベッカは上機嫌だ。

「【姿隠しの指輪】が手に入るなんてね。

 盗賊の隠形術代わりにも使える、掘り出し物だわ」

 【シャイ・リング】と呼ばれるその指輪は、【妖精の外套】に代表される自身の透明化を可能とする品である。
 集中していなければ効果は持続しないが、姿を隠していれば攻撃を受けることも無い。
 
 金銭的な貢献が多かったレベッカは、今回一番の品物であるそれを貰うことが出来た。

 そしてスピッキオは、手に入れた技術書と交換である剣士から、心に関する不思議な力を授けられたと言っていた。

「そやつは、不思議な雰囲気の黒い髪の男でな。

 わしはシグルトに、手に入れた剣術書をやろうと思ったのじゃが、どうしてもと頼まれて気軽に譲ってやったのじゃ。
 祭の界隈で再会した古い友人に、若い頃に貸した金の代わりと言ってもらった物じゃが、聖職のわしにはあまり意味の無かったものじゃからの。

 男は他にも、わしの知り合いに為になることを聞いたと言って、わしの肩に触れていきおった。
 そうしたら、不思議な力が流れ込んで来ての。
 
 祈りに役立ちそうな、不思議な感覚を得られたわい」

 それは心と身体を縛られなくなるという特殊な能力である。
 【「無」の法】というそれは、修行する戦士や術師が理想とする不可視の力で、人に譲り渡すことも出来る神秘だ。

 一方、単独行動時に美術品として価値のある刀剣や優れた盾を持ち帰り、知り合いの冒険者に売って稼いでいだシグルトも、宿の娘から貰った技術書の一つである剣術書を貰えることになった。
 
「参考になる文献だが、この本にある技を使うには少し工夫がいるな。

 使えるかどうか、よく読ませてもらおう」

 勤勉なシグルトは早速読みはじめ、その研究に没頭している。
 その剣技がどんなものか、皆楽しみにしていた。

 祭で高揚した気分を夜気で冷ましながら、“風を纏う者”は満足気な夜を過ごすのだった。



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Y字の交差路


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『見えざる者の願い』

2018.06.17(00:10) 453

 フォーチュン=ベル近郊でいくつかの仕事をこなした“風を纏う者”は、有名な魔導都市カルバチアに逗留している。
 伝統ある都市として知られるカルバチアは、出入りする冒険者たちも多く、あちこちで剣を帯びたり杖を持った冒険者風の人物が見受けられた。
 
「この都は魔術師を〈魔道師(ウィザード)〉と呼ぶんだ。
 職業の名乗り方でカルバチアか、それに関係した魔術結社の出身だって分かるんだよ。
 
 僕はリューンの〈魔術師学連〉に名を老いてるけど、所属魔術師の弟子見習いという立場で〈魔術師(マギウス)〉と名乗るんだけどね。
 〈メイジ〉とか〈マギ〉と名乗る方が今風みたいで、古くさいって言われることもあるけど、魔術を使う者にとって肩書きは第二の名前みたいなものだから、とても大切なんだ。
 
 属する組織やそのスタイルは、名乗り方や所持品、肩書きの名乗り方から類推する。
 直接相手に所属を聞くことは、〈勉強不足〉の恥をさらすし、礼を失することにもなるしね。
 
 …最近はそういった伝統さえ馬鹿にする人も出てきたけど、術師としての教養が知れるというものさ。
 
〝学を怠るは智者ならず、知を棄てるは愚者なり。
 
 賢者は常に事(こと)を語り、術(すべ)を為して術者と名乗るべし〟

 学ばない人間は賢くなれず、知ろうとしない人間はお馬鹿さんのまま。
 賢いなら常に行動し、あらゆる手段を講じて術者と名乗れる人間になりなさい、ってことだね。
 
 魔術師として自覚を持っているなら、そのぐらいの矜持は守るべきだよ」
 
 ちょっとした蘊蓄と共に、辛辣な言葉がロマンの口から語られる。
 年齢に似合わず、この少年の思慮は深淵で、どこか皮肉を含んだ考えの持ち主だ。
 
「〈魔術師〉といえば、ロマンはやはりヘルメス派なのか?
 
 南出身の女流魔術師は、少数派なところでダイアナ・アラディア系の女神信仰を保った魔女たちがいたか。
 男では南方大陸発祥のイシス派も多いな。
 
 東方のソロモン魔術は、俺たちの近くで見かけないが…
 
 俺のいた北方では、ルーン魔術や、ゴール(ガリア…ケルト系)のオガム文字を使った魔術が主流だった。
 
 差し支えなければ、恥を覚悟で聞くんだが…お前の〈魔術特性〉を教えてくれないか?」
 
 シグルトの語った言葉に、ロマン以外は訳の分からない、という顔になった。
 暗号のような人物名と言葉の羅列に、ラムーナが首を傾げていた。
 
 魔術には、パワーベース(神や精霊)に応じたルーツがある。
 
 シグルトの言うヘルメス派とは、盗賊の神であり知恵を司るヘルメスが魔術師として転生して【緑玉の石版(エメラルド・タブレット)】に刻んで残したという言葉を真理とし、魔術を行使する魔術師たちだ。
 彼らは錬金術にも深く関わっており、西方の魔術師では数が多い。
 
 ヘルメスが携えていた伝令の杖【ケリュケイオン】は、【カドゥケウス】の別名でも知られ、魔術師が杖を持つのはその知恵にあやかるためであり、魔道という長い旅の寄りかかるべき杖=知識…の象徴だからと云われる。
 【緑玉の石版】の作者であるヘルメス・トリスメギストス(三倍も偉大なるヘルメス)といえば、古典派の魔術師の代名詞である。
 
 ダイアナ、アラディアというのは、主に魔女に信仰崇敬される女神の名前だ。
 夜の象徴たる月の女神ダイアナは、兄たる光(ルシフェル)を愛して最初の【魔法師(ウィッカ)】アラディアを生む。
 魔女が使い魔に黒猫を好んで置くのは、ダイアナが愛する兄を魅了するために彼が愛した猫に化けたから、などという話もある。
 南海近郊の半精霊術師的な女流魔術師に時折見られるが、狂気をもたらす月の女神を信奉し、堕天使(悪魔)と同じ名の兄と近親相姦で生まれためた魔女を祖とするということで、聖北教会との折り合いが悪く異端扱いされ、過去に異端審問官が行った悪名高き魔女狩りでは多くの女性魔術師たちが無実の罪で殺された。
 その歴史的背景から、表だってダイアナ・アラディア系を名乗る者はあまりいない。
 ざっくばらんにその名を話題に出せるのは、信仰よりも魔術が重んじられるカルバチア故である。

 なお、本当に邪悪な行いをする悪しき魔女は、むしろ淫祠邪教を崇拝する悪魔崇拝者であり、魔術師というよりは反教会の悪魔主義者で、一般的な教会の定める倫理を破壊することに普請する反社会的な犯罪者集団である。
 ダイアナ・アラディア系の魔女は、それらの悪魔崇拝者的な魔女を【邪術師】と読んで忌み嫌っており、精霊術や白魔法を含めた範囲の広い呪文や儀式を駆使する自分たちを【魔法師(ウィッカ)】と呼ぶ。
 【邪術師】と【魔法師】は完全に別物であり、黒衣(夜空を表す)に鍔広帽(陰がダイアナを表す三日月に似て見えるから)や箒(ダイアナの命を受け地上に下ったアラディアを意味する箒星…彗星や流星…を象ったシンボル、塵を払う=不幸を退けるという呪術具でもある。箒に乗って飛翔する魔女は箒星の姿から来ている)を用いる一般的な魔女の姿も【魔法師】の方がルーツであり、【邪術師】が自分たちの身を隠すためにそれらを利用したというのが真相らしい。
 密儀を重んじる【魔法師】は肩書も正確に名乗るのを嫌うため(夜の闇=秘密は神秘であり、隠すことで力が純粋で強くなるという呪術的概念から)、普通に【魔法使い(マジックユーザー)】や【呪術師(スペルキャスター)】などと自己紹介し、隠れ蓑として【魔法師】を利用した【邪術師】とは不倶戴天の敵同士である。
 
 イシス派とは、南海近郊の魔術師に時折いる、錬金術系魔術のもう一つの大きなルーツである。
 元々ヘルメス派と同じ南方発祥で、その内容は同一のものも多数あった。
 有名な不死者(アンデッド)である木乃伊(マミー)を作る技術はこれから発祥したとも言われ、不老不死の研究や死霊術(ネクロマンシー)にも強い影響を与えた。
 その象徴である女神イシスは、死んだ夫を木乃伊にして復活させ子を宿した処女神と伝わり、慈母心として子を慈しむ優しい女神であるという特性の反面、太陽神ラーを奸計で脅して魔術行使の権利を獲得した狡猾な女神であるとされる。
 彼の女神こそ【処女受胎】の元祖であり、教会の信奉する聖母は、イシスの処女性や女神としての神格を取り込んで、イシス信仰そのものを取り込んでいったのではないかとされる。
 イシスの文言「わが面布を掲ぐる者は語るべからざるものを見るべし」は、「私の顔にかけたヴェールを取り払って素顔を見たものは(それが口にはばかるほどおぞましいので)言葉にできないものを見ることになる」というような意味で、神秘を求めて魔道の探求をすれば、言葉にできない恐怖を味わうとともに、真理そのものを表すとして、魔術師や賢者が好んで引用する。
 
 ソロモンは大変有名な中東圏の王で、七十二の魔神を従えていたという。
 本来魔神たちは異教の神や精霊たちであったのだが、唯一神を重んじる聖戒教徒は古代、「異教の者を唯一神の名のもとに従える」という権力の構造を示し、唯一神の神格を奉った。
 そのうち「神や偉大な存在が唯一神と天使たち意外あってはならない」という考え方が生まれることで、これらの魔神は悪魔扱いされるようになるのだが、本来のソロモンの魔術とは精霊を召喚して魔術で支配・使役する類のものだったようである。
 ソロモン王は魔法の指輪で魔神たちを召喚したため、中東で「指輪やランプから魔神が出てくる」というおとぎ話は、ソロモン王の影響を受けているのかもしれない。
 魔方陣や召喚系の魔術で有名で、六芒星や五芒星を使った儀式魔術は、ほとんどがソロモンの術の影響を受けている。
 印章(シジル)や円陣(サークル)を使った魔術の多くがこの系統からインスピレーションを受けており、聖戒教徒が使う数秘術(カバラ)の影響から「図形・文字・数字・時間によって緻密に計算されて行使される魔術」と言えば、ソロモン系の魔術がそのルーツと言えよう。
 
 ルーン魔術は北方で信仰されていたアース神族の主神オーディンが、片目を代償に得たとされる魔法の文字を用いるものだ。
 その文字がルーン文字で、力ある言葉を示す〈呪文〉…魔法文字を表す【ルーン】という言葉はこのルーン魔術から生まれている。
 文字そのものが力を持つ【言霊】という魔術概念は、ルーン魔術に影響を受けて生まれたものかもしれない。
 だが本来ルーン魔術は北方の魔術の一部に過ぎない。
 悪神ロキや戦乙女の女王フレイアから発生した魔術の系譜もあり、混沌としているのだ。
 魔術師の使い魔として猫が定着しているのは、フレイアを乗せて走る戦車を引くのが猫だから、という話もある。
 力ある言葉や呪文をとりわけ重んじ、それ故に言語を用いた魔術のルーツとも言える。
 
 オガム魔術も言語系の魔術だが、失われた森の民が使ったとされるもので、精霊術の匂いも内包した古い術系統である。
 ドルイドが用いた魔術として有名だが、その魔術も系譜は混沌としていて、そのルーツを探るのは難しかった。
 ドルイドは【樫の木の賢者(ドル・ウィド)】という意味で、森の鹿神ケルヌンノスや古い自然の神をパワーベースとすることが多い。
 木に生える木、宿り木を魔術の触媒とし、様々な植物を用いてその植物が持つ魔力を行使できる。
 一般的に吸血鬼に止めを刺す事ができるという白木の杭は、本来は山査子で造るものとされるが、もとを辿ればこの魔術から出たものかもしれない。
 実はまじないの歌を行使する吟遊詩人の呪歌のルーツも、この系統から影響を受けているとも云われる。
 発音と韻を重んじる呪文の詠唱は、呪術的な音楽や詩歌とも系統を同じくするもので、歌のような詠唱を用いて心霊を讃嘆し力を得る魔術が複数ある。
 陰惨な生贄を使った呪法も伝わるとされ、胴が檻になっている木人に生贄を入れて燃やすウィッカーマンは、魔術師の世界に衝撃を与えたという。
 代償のために捧げたり行なわなければいけない物事を【贖い(エリック)】、魔術的に犯してはならないことを【禁忌(ゲッシュ)】(後に相手に制限や拘束を与える制約の呪詛…ギアスはゲッシュの同源の言葉ギャザなどと同じ系統のものと思われる)、魔術師が重んじる名前の重要性…真なる名前を知られると魂を支配されるという考えも、正しい韻で発音して呼ぶ名前の持つ拘束力を使うというこの魔術の影響が強い。
 
「…そこまで知ってれば、大したものだよ。
 確かシグルトって、まじない師のお婆さんから魔術とか精霊術について学んだことがあるんだよね?
 
 僕の所属する門派は、ヘルメス系の傍流…というところだね
 言葉巧みな神の言葉から始まったから、ヘルメス系の下層派はほとんどが理屈っぽいって言われてるけど。

 割合近しいイシス系の影響も強いから、ヘルメス一色でもないかな?」
 
 ロマンの話も、難解な専門用語を多分に含んでいた。
 頭を使うのが得意な方だというレベッカでさえ、話しについて行けず困り顔だ。

「…話が分かるのはシグルトだけだよね、やっぱり。
 
 簡単に言うと、僕ら魔術師は大抵師匠がいて、その師匠に師匠…そうやって魔術の系譜みたいなものが出来上がっているんだ。
 そして、門派の開闢を行った術者や神様なんかを開祖とか太祖って言うんだけど…僕にとっての開祖はギリシア系の盗賊神ヘルメスってことになる。
 
 ただ、そんな居たか居ないか分からない開祖に関しては、普通は概念として取り込むだけ。
 僕らにとって、最も大切な主義というかシンボルになるものの一つが、〈魔術師祖(マギック・ルーツ)〉と呼ばれるものなんだ。
 遠い師匠様ってことになるね。
 
 多くは、その派が出来るきっかけになった術者なんだけど…
 
 イグナトゥスという大魔術師が、僕の〈魔術師祖〉。
 ヘルメス系魔術を中興し、その魔力で王国を築いたとされる魔術師の王だよ。
 
 そして、系譜や〈魔術師祖〉によって術者の傾向や癖が決まってくるんだ。
 それがシグルトの聞いた〈魔術特性〉。
 
 イグナトゥス派が使う魔術は様々な〈魔術特性〉をもっているけど、その考えが難解で嫌われてるかな?
 
 僕は智を重んじたイグナトゥスは尊敬してるんだけど、その最後が悲惨だったからあまり同系統は見かけないね。
 イグナトゥスは全てを見通す黄金の瞳を持っていたため己の死を予言し、最後には契約した魔神に目を抉られて、自分で予言した通りに破滅したと言われてるんだ。
 
 彼の発案した魔力を貯蓄する術式は、驚異的な技術革新をもたらした魔術の宝とも言えるものなんだけど…
 人に尊敬される人格ではなかったし、イグナトゥス派は古典派とされるヘルメス系ではその歴史も浅いから。

 イグナトゥス派の主立った〈魔術特性〉は、貯蓄した魔力を用いて多様な術を使えることと、術式を調整することでその質を変容させる可変魔術。
 魔力付与(エンチャントメント)なんかも得意で、幅広い種類の魔術があるね。
 
 でも、今の僕が使える術は、魔術師共通で使われる基礎魔術だけだよ。
 多少は儀式魔術も知ってるけど、それらは知恵の副産物さ。
 
 僕は魔術師である前に、賢者だからね」
 
 シグルトだけが分かった様子で頷いた。
 
「…勘弁してよ。
 
 私たちの使う暗号より、複雑だわ」
 
 レベッカはこの話は此処でおしまいね、と宣言して、一足先に今日の宿を探すべく足を速めた。
 
 
 その日泊まった宿の一階には立派な酒場があり、酒や料理も安く上質だった。
 
「頭を使ったら、お酒を飲んで休めるのが一番よ」
 
 根拠のないレベッカの言葉に、「酒精は知恵を腐らせるんだよ」とロマンが茶々を入れた。
 ロマンが属すイグナトゥス派は、酒精が知恵の妨げになるとして、その服用を避けるのだという。

「…酒が美味いことを知っていながら、飲まないというのは心が荒む。
 たとえ馬鹿になると分かっていても、酒飲みが減らないのはそのためだ。
 
 酒浸りは忌むべきだが、行動を充実させるために飲む酒はあっても構わないだろう」
 
 シグルトがエールを飲みながら、苦笑していた。
 
「さぁて、酒も使いようじゃの。
 
 儂はこれの方が好きじゃが…」
 
 スピッキオは相も変わらずナッツばかり摘んでいた。
 
 その時である。
 酒場がにわかに騒がしくなった。
 
 “風を纏う者”一行が酒場の入り口を確認すると、二人の護衛らしき人物を従えて、頭の禿げ上がった恰幅の良い小男がのっしのっしと歩いてくる。
 
「うわぁ…
 
 親父さんより、てかてかだねぇっ」
 
 ラムーナが小男の貧相な額を指差して言うと、意味を理解した仲間たちは、次の瞬間に吹き出していた。
 内心、全員が「あのブー何某よりは愛嬌がある」などとも考えていたが。

 遠くリューンで、ふんぞり返っていたオーク面の男が何故かくしゃみをし、かつらが吹っ飛んでいたのは誰も知らない話である。

 
 酒場にやって来た恰幅の良い小男は、自らをガストン・オリバーストン男爵と名乗った。
 男爵は“風を纏う者”一行に、カルパチアの南にある『コフィンの森』近郊の屋敷を探索する、という依頼を持ちかけた。

 男爵が着た成金趣味丸出しの服装を観察しながら、「鴨が来たっ!」とばかりにレベッカは交渉に応じる。
 
 さして問題も無く、依頼の契約はとんとん拍子で進んでいった。
 貴族で「儂は太っ腹」と自分で言っている男爵の提示した依頼料は、単なる屋敷の捜査にしては破格だった。
 
「では、屋敷で見つけた物は全て我々の物と言うことで…」
 
 捜査だけで銀貨壱千枚。
 そこにいる魔物がいて、それを駆逐した場合には追加報酬。
 無事に屋敷を明け渡せば、さらに銀貨五百枚。
 加えて、屋敷にあったものは備え付けの調度品と屋敷以外は全て報酬に加えて良い。

 男爵が帰った後に、交わした契約書を見ながらレベッカがほくそ笑んでいた。
 
「随分好い仕事が舞い込んだの」
 
 残り少ないナッツを囓りながら、スピッキオが依頼書を眺める。
 
「『コフィンの森』には妖魔が多数生息してるから、長年放置された屋敷の場合、高い確率でゴブリンなんかのねぐらになってるよ。
 
 楽観視はできないからね」
 
 好調な時にこそ慎重な意見を述べるのは、ひねくれ者のロマンらしい反応だった。
 
「怪物が出た時は、そいつらが追加報酬になるわ。
 
 武器も新調したんだし望む処よ…ねぇ、シグルト?」
 
 冗談めかしてレベッカがけらけらと笑う。
 割の良い仕事を得たためか、彼女は上機嫌だ。

「…戦闘が増えるような依頼は、避けるに越したことはないんだがな。
 命あっての物種だ。
 
 とは言っても、すでに交わした依頼だから、慎重にこなす他あるまい」
 
 リーダーとして真面目なシグルトは、ロマンと同じく堅実な思考だった。
 こんなリーダーだからこそ、仕事の成功は間違いないのだとレベッカも確信している。
 
 それに戦闘でのシグルトは、今まで指示や選択をしくじったことが無い。
 実に頼りになるのだ。
 
「…コフィンの森に近づいた後は、すぐに妖精の加護をかけておこう。
 
 この場合、探索で最前線に立つレベッカが妥当か」
 
 シグルトは、すでに屋敷への探索に必要な戦術を練り始めた。

 横でラムーナが突然、怪訝そうな顔で壁を眺める。

「どうしたの?」
 
 ロマンが壁を見るが、そこは少し染みのある白壁があるだけだ。
 
 首を傾げながら、ラムーナは壁を指差す。
 
「さっきから、誰かが見ているような気がするの。
 
 レベッカは?」
 
 この手の観察力が最も優れているのは、レベッカだ。
 ラムーナの直感力は盗賊並だが、専門家のそれでは無い。
 
「そうねぇ、多分何もないわよ。
 
 ほっ、と」
 
 レベッカはパン切りナイフを手に取ると、突然壁に向かって投げつける。
 それは深々と壁に突き刺さった。
 
 ナイフの先には、大きな蛾が縫い止められていた。
 先ほどから飛び回り、薄汚く鱗粉を振り撒いていた奴である。
 
「まぁ、五月蠅い虫はこれで片付いたわけだし、明日に備えてもう寝ましょうか…」
 
 ちらりと壁に目をやると、レベッカはからかうような笑みを浮かべて席を立った。
 
 “風を纏う者”一行が去った後、何かがへたり込んで大きな息を吐いた。
 
「…何よあの女、ちょっとちびっちゃったじゃないっ!!」
 
 虚空から聞こえた声に、宿の主人が驚いてそちらを見つめるが、そこには壁に縫い止められた蛾が一匹、弱々しく羽ばたいているだけだった。


 次の日、“風を纏う者”は早朝から起きて、件の屋敷に向かっていた。
 しばらく行くと、不意に物音がして一行はそちらを注視することになる。
 
 しかし、そこには誰もいない。
 
「グレムリンでもいるのか?
 
 皆注意しろよ。
 妖しいところがあったら、ロマンの術と、俺が〈トリアムール〉の風で攻撃を…」
 
 即座に構えを取ったシグルト。
 慌てたように、そこの空気がざわめいた。
 
「待った!!ストップっ!!
 
 攻撃はだめぇっ!!」
 
 そのざわめく虚空は、かなり慌ててそう言った。
 一行がそこを見つめていると、空中からにじみ出るように一人の少女が現れる。

「ああ、昨日の羽虫ね。
 
 悪戯が過ぎるから、今度は本気で刺してやろうと思ったのに…」
 
 レベッカが抜いた自分の短剣を、こちんと指で弾く。
 
「…ばれてたわけね…」
 
 蒼白な顔で、少女はその場にへたり込んでしまった。

 
 少女はルティアと名乗った。
 カルバチアの魔導学園に通う学生で、遮蔽魔法の研究をしている、と自己紹介する。
 
 何でも、これから調査に向かう屋敷の元主が、彼女が研究する魔術の第一人者だという。
 その研究素材に興味があるのだ、と少し甲高い声で宣った。
 
 そして、“風を纏う者”に同行させてほしいと頼んで来た。
 
「…だめね。
 
 お嬢ちゃんの目的は、あの屋敷の魔術書とかでしょう?
 そういうの、私たちにとってもお宝なのよ。
 
 行きたいなら自力で行きなさいな。
 もちろん目的がかちあったらライバルよ。
 
 必要なら排除しちゃうわよ~」
 
 レベッカは冗談めかしてルティアを脅しつつ、きっぱりと同行を断った。
 
「え~?
 まじで~?
 
 こんなかわいい女の子が頼んでいるのに~?」
 
 ぶりっ子するルティアに対し、レベッカは指を突き出して、ちっち、と横に振った。
 
「色仕掛けするなら、もう少しお馬鹿な男の冒険者にするのね」
 
 ルティアが目を潤ませてシグルトを見るが…
 
「俺たちはすでに、君以外の人から依頼を受けて行動している。
 君は、その依頼人から許可を取っていないだろう?
 
 二重契約に繋がることは、依頼人と仲間の了承が得られない限り、してはならないのが立前だ。
 こういう仁義を重んじることが、俺たち“風を纏う者”の方針でな。
 
 それに、君を連れて行くこと自体有益とは思えない。
 君には失礼な言葉と知って、あえて言わせて貰うが…

 俺はこいつらのまとめ役をしている以上、【足手纏い】を増やしたくない。

 【魔法の矢】か【眠りの雲】ぐらいは習得しているのか?」

 シグルトの問に、「攻撃魔法は使えないかも…」と思わず返してしまうルティアである。
 彼は美しいが、その目力は怖い。

「…戦力にならん上に、人数が増えたら陣形の邪魔になる。

 これから行くのは妖魔が多数生息する森だ。
 目的の屋敷には、魔物がいるかもしれないと予測される。
 君と、俺たちの命に関わることだから、同行は認められない。

 仲間の危険に繋がることには、神経質なぐらいが丁度いい。
 俺たち冒険者とはそういうものだ。
 この間も、ちょっとしたアクシデントで全滅しそうになったからな。
 
 同行を求めると言うことは、俺たちに力を求めているんだろうが…
 それは君の力不足を宣言するようなものだぞ。
 
 初めて会った非友好的な冒険者に、報酬も提示せず、依存が前提の同行を求めるなど…君は道理を知らんのか?」
 
 〈子供〉を諭す口調でシグルトが言った。
 どんな相手に対しても、シグルトはほぼ確実に誠実な対応をする。
 
 このハンサムな美丈夫には、別の意味で「かわいい(子供っぽい)」が通じていたが、結果は裏目である。
 
 次にラムーナを見るが、ただニコニコしているだけだ。
 ルティアの術に感心しているようだが、交渉出来る様子はない。
 
 スピッキオの方を見ると、この立派な体躯の爺さんは、若い娘が無茶しちゃいかん…と説教を始めた。
 この手の老人の説教はとても長い。
 一番苦手なタイプであった。
 
 最後の希望、とロマンを見て思わず頬を染める…ロマンは黙っていれば飛びっきりの美少年だ。
 数年後が楽しみである。
 
 しかしロマンは目を細めると、馬鹿にしたような様子で両手を広げ、「お手上げだね」と首を横に振った。
 
「お姉さん、【遮蔽】なんて随分マイナーな魔術を研究してるんだね。
 
 あれって装置とかたくさんいるし、お金の無い人だと研究するのには向かないよ。
 こんなところでライバル勢力と言っていい僕らの力を当てにしてるようじゃ、ちゃんとした研究なんて無理だよね。
 
 そうだね、まず精神操作系の魅了の魔法とか修得すれば?
 非合法で場合によると牢屋行きだけど、仲間を作ることができるかもしれないよ」
 
 辛辣な言葉で止めを刺され、幅の広い涙を流しそうな気分になりながら、ルティアは叫んだ。
 
「信じらんない!
 
 いいよ~だ。
 勝手にくっついてっちゃうんだからっ!!!」
 
 そんなルティアを置いて、一行はすでに屋敷に向かって歩き始めていた。
 
 
 屋敷は森に囲まれた丘の上にあった。
 
 箚しがに攻撃して追い払ったりはしないが、ルティアをまったく無視した一行は、玄関の扉をくぐってホールを調べ始めた。
 
 探索に関してはレベッカの独壇場である。
 壁を調べていたレベッカは、すぐに隠し扉を発見した。
 
「うっふっふ~、お・た・か・らの気配ね~」
 
 隠し扉に普通は罠などないだろうに、しっかり調査を行いつつ、レベッカは嬉しそうだった。
 この手の屋内探索こそ盗賊の本分だ、といつも言っている。
 良い仕事が出来る、ということは、冒険者名利なのだ。
 
 罠が無いことが確認されると、一行は扉を開け中に入ろうとした。
 寸前、レベッカがそれを止めた。

「えへへ~、お先ぃ!」
 
 ルティアが、その隙を見て先に飛び込もうとした。

「あっ!

 この馬鹿…っ!!!」
 
 レベッカが舌打ちする。
 すでに、中に何かの気配を感じていたので仲間を留めたのだ。
 
 ルティアが部屋に入った瞬間、一斉にそれは襲いかかって来た。

「うきゃぁ~っ!!!」

 悲鳴を上げながら、ルティアが慌てて後退する。
 転がるように、というより文字通り転がりながら。

 三体の骸骨(スケルトン)だった。
 最下級で最弱とも言われるが、立派な不死者(アンデッド)である。
 
 素早い動作でルティアを飛び越え、場を入れ替わったシグルトが、正面の骸骨を切り払った。
 その骸骨は、左半身のほとんどを粉砕されて後退する。
 
「くっ…

 ここの館の主、死霊術も使えたの!」
 
 ロマンもルティアの横に沿って、薄気味悪そうに身構える。
 
「だが、油断しなければ…敵では無い」
 
 シグルトは仲間をを鼓舞するように一言一言強く言葉にすると、さっと剣を構え、真っ向から骸骨に立ち向かった。
 
 その後ろ姿を見つめる仲間たちに、微塵の不安も無い。
 常に先頭で戦い、的確な指示を出すこのリーダーを皆信頼していた。
 そのリーダーが、余裕を見せたのだ。
 
 ラムーナがかすり傷を負ったが、骸骨どもには大した抵抗ができるわけも無く、元の骨に戻されることになった。
 
 
「一緒に来るなら、せめて団体行動のマナーは守ってくれ。
 
 それが出来ないなら、君を結果的に泣かしても、無理矢理帰って貰うぞ」
 
 独断専行を咎められ、ルティアはシグルトに厳しく説教されることになった。
 シグルトは、故郷で同年代の纏め役をしていたこともあり、躾には厳しいのだ。

 床に正座させられ、続いてスピッキオからも厳しくお説教される。

「…若い娘が、目先の欲で命を落としそうになるとはの。
 
 いいか、娘さん。
 そもそも主は…」
 
 半泣きで足の痛みに耐えながら、ルティアはすでに生返事しか出来ていない。

 その脇でレベッカは、面倒ごとは任したとばかりに自分の仕事に集中した。
 
 隠し扉の奥には金属製の宝箱が二つもあり、一つには火晶石、一つには小さな緑色の宝石が入っていた。
 それほど高価なものではないが、売ればそれなりの金になるだろう。
 
「嬉しい臨時収入だね」
 
 ロマンが幾分興奮したように言った。
 
 ようやくお説教から開放されたルティアが、いいなぁ~、綺麗だなぁ~と言ったが一同に睨まれてしゅんとなる。
 結局、宝石類は“風を纏う者”の荷物袋に入ることになった。

「この様子だと、他の何かと戦うことになるかもしれないな。
 
 …少し手を打っておこう」

 説教の続きはスピッキオに任せ、シグルトは精霊術を準備していた。
 彼の詠うような呪文で、屋敷の壁がピリリと震える。
 
 敵を怯ませ、仲間を鼓舞するシグルトの美声は、普段は容貌と相まって女性を虜にする。
 この間シグルトが偶然手に取った詩集から一つ詩を吟じて見せると、『小さき希望亭』の娘が大げさに目を閉じて感動し、脛をテーブルにぶつけて呻くことになった。
 
 どこまで優れているのだろうと、レベッカはシグルトを妬ましく思うこともある。
 
 生まれながらに容貌と声。
 磨いて得た武勇と、不屈の精神。
 人を導けば、慕われるカリスマ性がある。
 戦いでは勇敢で、戦術にも明るい。
 さらには精霊に愛され、力を振るう加護を得られるのだ。
 
 きっと冒険者の歴史に名を残すだろう。
 そんなことを考えながら、レベッカは呪文を唱えるシグルトを見つめていた。
 
 自身は〈トリアムール〉の風を纏うと、シグルトは先頭で調査を行うレベッカに妖精の加護を授けた。
 妖精の与える魔力により、うっすらとぼやけるレベッカの姿を見て、ルティアが感心したように声を上げる。
 
「そう言えば、この館の主が研究していたのって遮蔽の魔術なんだよね?
 
 シグルトの使うような姿隠しの術は、遮蔽の術にも強い影響を与えたんだよ。
 【妖精の外套】という古典魔術で、隠者シュレックが書いた『セル』という魔導書に記されていたはずさ。
 
 お姉さんは当然知ってると思うけど…」
 
 話を振られたルティアが愕然としていた。
 その表情は、全く知らなかったという顔である。
 
「…はぁ?
 
 もしかして、有名どころはブロイぐらいしか知らないとか?
 そんなので、よくもまぁマイナーで専門家が少ない遮蔽魔術の研究者を名乗ってるね」
 
 知識については、特別辛辣なロマンである。
 彼は知識の探求者たる賢者としての自覚があり、それを貶める輩が研究者を名乗ると、容赦ない皮肉で責め立てるのだ。
 
「カルバチアに帰ったら、ガギエルの『神隠しと妖精』やアジューリンの『魔境』、レゾナンスの『星と月の影』あたりは読んでおいた方がいいよ。
 最近の書物では、遮蔽と隠密の術で一番まともな話が載っていたからね。
 
 あんなに資料が豊富な都で学んでるのにその知識量なんて、恥ずかしくないのかな?」
 
 さらに責め立てるロマンの台詞に、ムキーとルティアが青筋を立てた。

「失礼ねっ!
 
 これでも私、天才って呼ばれてるんだからっ!!!」
 
 ルティアが天才と呼ばれているのは事実である。
 事実、彼女の記憶力や感性はずば抜けており、進む分野さえきちんとしていれば大成すると言われていた。
  
 だが、彼女の感情一直線なスタイルは、他の術師から敬遠される要因になっていた。
 無謀な行動から、失敗談は数知れない。
 
 書物を読むより、感性で信じたものに傾向し過ぎ、思慮深さに欠けるのだ。
 神経質で慎重なロマンとは、正反対のタイプである。
 
 いきり立つルティアの様子に、ロマンは目をそらしてフッっと笑った。
 相手にするのも馬鹿らしいという態度である。
 
「ぬぐぐ…この餓鬼ぃ。
 
 見てなさいっ!
 絶対この館にあるっていう書物を見つけて、見返してやるんだからっ!!」
 
 噛めば鉄板でも歪めそうな勢いで、ギリリと歯ぎしりするルティア。
 
「そういえば、この館の造り…
 
 ああ、そう言うことかっ!
 だからお姉さんは、この館に来たんだね」

 ロマンが急に思案顔になり、納得するように頷いた。
 
「ここは、遮蔽術の大家グリシャム・ブロイの屋敷なんだね?
 
 まあ、第一人者という見解は大げさだと思うけど、近代の遮蔽術の研究では優れた人物だよ。
 目の付け所は悪くなかったね…間抜けだけど」
 
 明確に馬鹿にされたルティアは、ついに激昂して地団駄を踏んだ。 

 
 一行はその後も調査を続けた。
 
 途中小部屋で鼠の大群に遭遇し、追い払うことになったが、まだ使えそうな毒消しが手に入る。
 被害はスピッキオがちょっと咬まれた程度だ。

「鼠から受けた傷は化膿しやすい。
 
 軽い傷でも、手当てしておいた方がいいだろう」
 
 鼠たちを吹き飛ばす時に〈トリアムール〉の風を全て開放してしまったシグルトは、術をかけ直しながらスピッキオに傷の手当てを指示する。
 
「手に入った解毒剤があるから、これで消毒して早い治療を行えば大丈夫だよ」
 
 ロマンが解毒薬の小瓶を振ると、とんでもないとレベッカが瓶を奪い取った。
 
「鼠の噛み傷程度に解毒薬を使っていたら、すぐに破産しちゃうわ。
 
 今度、この手の傷に向いた薬を仕入れておくから、高値のこれは取っておきましょ」
 
 しみったれたレベッカの言葉にシグルトが顔をしかめるが、大丈夫じゃ、とスピッキオも余裕の様子だった。
 せめて化膿止めぐらいしておけ、とシグルトは鼠の噛み傷を絞って汚染した血を出させて水で傷口を雪ぎ、木タールと自前の薬を煮込んだものを混ぜた塗り薬を塗って、植物の油で作った軟膏を塗る。

「もし十日ぐらいから痺れや熱が出たら、例の白い粉薬を使え。

 鼠咬症は思ったより恐ろしい病気だ。
 治ったと思ってもぶり返すからな。
 あれには普通の毒消しが効かん」

 手際の良い応急処置である。
 この時代の医療とは、呪文や魔法の薬によるものでなければ、半ばインチキのようなものも多い。
 シグルトのそれは、開業医ができるレベルである。

「儂のおった修道院では、穀物倉の鼠に噛まれる修道士が毎年おったものじゃが…
 死んだ奴は聞かんわい。
 
 ま、油断しなければだいじょうぶじゃよ。
 ちゃんと傷も塞ぎ、妙な傷みや頭痛も無い。
 
 それに、儂は身体が丈夫なのは取り柄での」
 
 厚い胸を張って応えるスピッキオ。
 彼は、背の高いシグルトを見下ろす体格である。
 
 ロマンが、油断しちゃだめだと釘を刺す。

「シグルトの言うとおり、鼠はたちの悪い病気を媒介するんだ。
 スピッキオの修道院にいた鼠は、ごく普通の穀物ばかり食べていたから、あまり病気の温床にはならなかったんだよ。
 
 下水道や墓地に近くに出没する鼠は、疫病を持ってることもあるから、注意しなくちゃね」
 
 そういうもんかの、とスピッキオ。
 
「鼠なんて…大っ嫌いっ!!」
 
 和やかな“風を纏う者”の後ろで、鼠の襲来に驚いて腰を抜かしているルティアが、幅の広い涙を流しながら転がっていた。
 
  
 その後、一階をくまなく捜査すると、レベッカもお手上げらしい特別な鍵の扉で閉じられた離れを発見する。
 そこまでは敵との遭遇もなかった。
 
 離れに続く庭で辺りを見回していると、ロマンが使えそうな薬草を見つけたが、茂みに隠れていた大蛇が襲いかかって来た。
 おそらくは森に住んでいた蛇なのだろう。
 
 シグルトとラムーナが連携して、その大蛇に対抗する。
 大蛇はわりと見掛け倒しで、仲間の猛攻ですぐに斃されてしまった。
 
「丸々と太っておいしそうだよ~」
 
 蛇に噛まれたため少々怪我を負ったラムーナだが、スピッキオが癒しの秘蹟でそれを治す。
 この蛇は大型の無毒のものだったので、解毒の必要はなさそうだ。
 治療の間、手持ち無沙汰の間に蛇の死体をつつきながら彼女が言うと、ルティアの顔が、ひぃ、と引きつる。
 
 食料が無い場合はこういったものも充分な食べ物になるし、蛇の肉は臭みは強いもののまだ食べられる。
 それに血がかなりの強壮作用を持つのだ。
 
 結局、蛇を食べるなんて野蛮よ~、と横で頭を抱えているルティアの側、側で昼食となった。
 ルティアは今までの行動(ほとんど邪魔しかしていなかったので)から“風を纏う者”に完全無視され、目を四角くしながら、自前のビスケットを鼠のように齧っている。
 
 食べるものはあるからと、大蛇の死体はシグルトが庭に埋めて処分した。
 
 
 午後は、屋敷の二階を調査することなった。
 そこは結構な広さがあり、シグルトたちはまず階段を上って西側から調べることにする。
 
 左の通路から入って一番奥には、二つ空樽の置かれた部屋があった。
 レベッカが観察を始める。

「ふへ…?」
 
 何かが頬に滴り落ち、ルティアが天井を見上げると、急に黒いものが舞い落ちて来る。
 
「うきゃぁぁあ~!!!」
 
 鼻の上にしがみついた〈それ〉を必死に引き離しながら、逃げ回る少女の横で、シグルトは溜息を吐いて剣を抜いた。
 
「蝙蝠程度に、何驚いてるのよ…」
 
 他の面々も呆れ顔だった。
 湿気のあるその部屋は、蝙蝠にとって最高の住処だったのだろう。

 シグルトとラムーナが髪を引っ張られたが、治療も必要なさそうだった。
 
 ロマンが【眠りの雲】を唱えると、蝙蝠たちはばたばたと眠る。

「館の中にいる危険な生き物は、駆除するんだったな?」

 暴れたルティナがせっかく眠らせた蝙蝠を起こしてしまうといったハプニングもあったが、端から倒していく流れであった。 
 結局眠らせた蝙蝠を窓から追い出したり、逃げ回る蝙蝠を仕留めるまで、ルティアは始終逃げ回っていた。

「ぜぇ、はぁ…」
 
 激しい息切れをしている少女の横で、“風を纏う者”の一行は手分けして掃除と調査を始める。
 ルティアはいちいちオーバーなリアクションをするので、付き合っていても疲れるだけだからだ。

 その部屋では、樽の下からこの屋敷の地図らしきものを見つけ出した。

「これは、一階の見取り図よ。
 さっき入れなかった離れはこれね。

 これは樽の絵があるから、酒倉かしら。
 人型のような記号は、骸骨が居た当たりだからガーディアンだと思うわ。
 
 隠し部屋についても書かれているけど…こっちの記号は何かしら?」
 
 レベッカが離れの南に、人型と一緒に描かれた記号を指差す。
 ロマンがそれを覗き込み、ああこれかと頷いた。

「多分、巻物(スクロール)だね。
 書庫かも知れないよ。
 
 これは、カルバチア出身の古い魔道師が使っていた書物を著す象形記号だから。
 それに、ホールと同じく隠し部屋になってるみたいだ。
 
 ほら、扉が書かれてないでしょ?
 
 遮蔽魔術をやってただけあって、この館の主人は隠し部屋を作るのが好きみたいだね」
 
 地図を囲んで話を始めたシグルトたちの横で、ようやく行きが落ち着いたルティアは、再び幅の広い涙を流しながら孤独と疎外感に耐えていた。

「えぅ…
 
 もしかして放置?
 完全無視って奴?
 
 この人でなし~っ!!!」
 
 床をばんばん叩き、喚いているルティアは、やはりいないかのように無視されるのだった。
 

「この辺りで今日は切り上げないか?
 
 蝙蝠の駆除に随分掛かってしまった。
 もう薄暗いし、照明の無い時間帯に無理に調査するのも問題がありそうだから、此処で一泊しよう。
 
 さっき調べた廊下から続く二部屋の寝室があったから、男女別に分かれて休めるはずだ。
 二人ずつ眠れるから、見張りは二人出ると丁度いいな、
 
 俺が廊下で最初の見張りに立つから、もう一人女の方から出て、他は眠ってくれ」
 
 シグルトは魔物の襲撃に備えて〈トリアムール〉の風を纏うと、一行に休息を勧める。

 館の客室だったのか、屋敷二階西側に面した二部屋はベッドが置かれ、まだ使える蝋燭も置かれていた。
 1部屋にベッドは二つずつ…四人は休める計算だ。
 
「あう~
 
 そうさせて貰うわ…」
 
 先ほど走り回って疲れたのか、ルティアは真っ先に部屋に籠もって休んでしまった。

「じゃ、私は先に休ませて貰うわ。
 
 二刻(四時間)眠った後、交代するから…
 スピッキオとロマンはあっちで寝て。
 シグルトを休ませて上げなくちゃ、だめだからね。 
 
 ラムーナは…私と交代で、先に見張りにする?」
 
 ルティアにベッドの一つが占拠されてしまい、休むことが出来ないのだ。
 ラムーナが快く見張りを引き受けると、一行はその館で一晩を過ごすことにした。
 
 見張りに立ったシグルトは、ラムーナと交代で互いの武器を整備し始めた。
 
 シグルトの持つ剣は繰り返し鋭い斬撃を放っていたが、刃こぼれ一つ無い。
 一見武骨にも見えるが、これは銘工が鍛えた逸品なのだ。

「ラムーナの剣は調子がいいようだな。
 だが、ブレッゼンも言っていたように、斬るための武器を考えるのもありだな。

 確かに小剣の類は、正直お前向きの武器ではない。
 
 突く時以外は、ほとんど肘や蹴りで戦っているだろう?
 それは、お前の戦い方が斬撃に向いているからだ。
 
 自身が非力な場合、自然と軽量の武器を使うことになる。
 敵に大きな傷を負わせるには、体重をのせるか勢いをつけて振り回すのが一つの方法だ。
 お前は小柄で体重も無から、精度と振りで威力を増すべきだが…
 
 小剣(ショートソード)は、突きを主体にした武器になる。
 刃渡りがない分、振り…難しくは遠心力と言うんだが…それには全く向いていない。
 
 遠心力を最大に活かせる武器は、片刃の刀。
 効率よく引きながら裂き、斬れるように、反りのある物が理想的だ。
 
 具体的には、軽量の月氏刀(タルワール)か獅尾刀(シミター)。
 刀剣類は、東方の品が軽量で、特に切れ味が優れている…」
 
 武具の講釈を始めたシグルトは、不意に話を止めてラムーナを見つめた。
 愛らしい大きな瞳でシグルトを見上げ、彼女は一言も聞き逃すまいと、真剣な顔で聞いている。
 
 ラムーナはひょうきん者だが、素直で真面目な娘だ。
 “風を纏う者”の中で、一番仲間の言うことをよく聞いてくれる。
 
 シグルトは滅多に見せない優しい笑みを浮かべると、そっとラムーナの頭を撫でた。
 そして、今まで疑問に思っていたことを口にする。

「…ラムーナは、生まれが月氏族なのか?
 
 お前が西方に来たばかりの頃、掌にあったのは指甲花(ヘナ)でするというまじないの痕だろう?
 最初は装飾品の痕だけだと思っていたが…」
 
 ラムーナが大きな瞳を丸くした。
 シグルトが何気無く聞いたことは、西方では知られていない文化なのだ。
 
「…昔少しだけ聞いた、月氏のラーマ王の物語や驚天動地の神話は衝撃的な話だった。
 
 お前の踊ったという月の女神の舞踏は、宿曜(星の運行による運命の変動)を司るチャンドラ神の舞踏なのか?
 好ければ色々と教えて…」
 
 話しかけて、シグルトは照れたように頭を掻いた。

「…すまん、一人で話をしてしまったな」

 シグルトはいつも難しい話はロマンとしているから、このような事を聞くのは珍しい。
 
 ラムーナは少し小首を傾げて、すぐににっこりと笑うと頷いた。

「シグルトは詳しいねぇ。
 クリシュナ様やシヴァ様ならともかく、チャンドラ様を知っている西方の人なんて、私いないと思ってたのに。
 
 私、月氏族って呼び方は知らないけど、チャンドラ様は知ってるよ。
 
 スーリヤ様が昼を照らし、夜のお星様たちはチャンドラ様が司って、人の運命を良くしてくれるの。
 だから、私の踊っていたチャンドラ様の踊りは、幸せになれるっていうおまじない。
 
 私の国では、誰でも綺麗な宝石や飾りで身を飾るの。
 お金持ちでも貧乏でも、それが普通なんだ。
 
 身に付けたキラキラ…それはチャンドラ様の幸運の欠片で、お星様を表すんだって。
 
 別の国では全然違うらしいけどね」
 
 故郷のことを思い出したのか、ラムーナは饒舌になって、嬉しそうに神話のことや国のことを話す。
 この国が寒いところで故郷はいつも暖かい、と言う話になると、シグルトは「羨ましいな」と微笑んだ。

「俺の故郷は、寒い国でな。
 年の四分の一は、どこかに雪が残っていた。
 
 冬場は塩漬けした、もの凄い匂いのする肉や魚を食べる。
 魚は水をやらなければって、蝿も逃げ出しそうな魚の悪臭を隠すために、香草入りの辛い麦酒をがぶがぶ飲むんだ。
 
 幼少の頃住んでいた家は、近くに宿があってな。
 腹の弱い異国の旅人が、胃もたれを起こして目を回したと、時々聞いたよ。
 
 肉か魚ばかり食べるから、脚気になって、終いには歯茎から血が出て死ぬ奴もいる。
 食べ物が偏っていて、だから母が作ってくれた手作りのジャムをつけたパンは、御馳走だった。
 
 妹は苔桃のジャムが大好きで、泣きそうな顔で俺の分を見るから…結局全部渡していたよ。
 小さな頃は味を忘れていたな。
 
 ぼそぼそしたパンを囓るのは、気分が荒む。
 だから、母の話してくれる異国の物語を聞いて…
 
 異国の食べ物はどんな味がするんだろうか?
 雪の無い冬とは、どんな感じなのか?
 海から吹くという潮風は、どんな香りなのか?
 
 そんなことを考えて、悶々と夜を過ごした。
 
 皆雪が溶けると、理由を見つけて祭を開く。
 酒を飲んで、冬に溜まった鬱憤を晴らすために。
 
 粗悪な酒に酔って、普段は顔をしかめて食べる煮込みを御馳走にして…
 わびしい気持ちになったら、皆で歌う。
 寒い時は肩を寄せ合う。
 
 昼は太陽と空を見上げ、夜は星と月を眺めて…
 
 貧しい国だったし、嫌な思い出もたくさんある。
 だが、それでも故郷とは懐かしいものだ」
 
 見上げれば屋根しかないが、シグルトの瞳には故郷の空が見えるようだった。

「…うん。
 
 私もね、お姉ちゃんに踊りを教えて貰う時は、いつも楽しかった。
 
 お母さんがね、一度だけ腕輪をくれたことがあるの。
 木の腕輪で、上から赤く塗っただけのなんだけど、とっても嬉しかった。
 国ではずっと着けてたんだよ。
 
 賭け事に勝って上機嫌だったお父さんが、一度だけお小遣いをくれたことがあったわ。
 それで買ったお菓子を、弟と分けて食べたの。
 
 …凄く、美味しかったぁ~」
 
 二人とも故郷を追われた身だった。
 
 シグルトは愛に破れ、傷心を抱えて国を去った。
 ラムーナは父親に売られ、奴隷として海を渡った。
 
 だから二人とも、互いの気持ちがよく分かるのだ。
 痛苦と共にあった故郷を懐かしむ事が出来るのは、今が幸せなのだと知っているから。
 
 シグルトとラムーナは、互いに穏やかな笑みを浮かべて故郷を想った。
 

 次の日、早朝から“風を纏う者”の面々は探索を再開した。
 筋肉痛で呻いているルティアは、自業自得と言われ、半泣きで一行についてくる。

 さらに調査を進めると、二階の東に念入りに鍵と罠が仕掛けられた扉があった。

「罠の残り方からいって、この先は荒らされていないわね。
 
 お宝の見つかる可能性が高いわよ」
 
 わくわくとした様子のレベッカに、シグルトは首を振った。
 
「これだけ念入りに封じられたエリアだ。
 
 何か守護者を置いている可能性がある。
 これまでの構成だと、隠し部屋にすら骸骨どもを配置していたからな。
 
 油断無く開けるぞ」
 
 シグルトの言葉に、一行は緊張した様子で扉を開けた。
 
 ギギギ…

 部屋に入った瞬間、置いてあった木製の人形が動き出す。

「うきゃぁぁっ!!
 
 またぁっ!?」
 
 騒ぐルティアは無視され、“風を纏う者”の面々は戦いの構えをとった。
 
 ゴーレムとは魔法によって仮初の命を吹き込まれた、主に忠実な魔法生物である。
 この木製ゴーレムは丸太を人型に組み立てたような形をしていた。

 レベッカが転倒を狙って足払いを仕掛けるが、逆に大振りの一撃を振るわれて後退する。
 妖精の加護で攻撃がそれたため、傷は受けていない。
 
 そこにシグルトが斬りかかった。
 放った〈トリアムール〉の風で隙を作り、押し切るように剣を振るう。
 
 相手のゴーレムは硬く、大きな傷を与えられない。
 シグルトはゴーレムの首に斬りつけるが、剣はめり込んで抜けなくなる。
 抜けないならと、そのまま振り回して壁に叩きつけ、終にゴーレムを粉砕した。

 スピッキオが殴られて傷を負うが、癒しの秘蹟で傷を回復し、続けて守りの秘蹟を自身に宿すことで壁になって耐える。
 
 しかし、大きな動作の隙をつかれ、もう一体のゴーレムが振るった拳がシグルトの頬に突き刺さった。
 よろめきながら、切れた口に溜まった血を吐き捨て、シグルトは何とか体勢を整えた。
 
 スピッキオがシグルトをフォローするように、杖で反撃に転じている。
 主力はシグルトとラムーナに任せて、補助的な攻撃に専念していた。
 彼の杖では硬い敵に大きな効果を与えられない。
 
「…《穿て!》」
 
 ロマンの【魔法の矢】が、シグルトを襲ったゴーレムを粉々に粉砕する。
 この手の魔法生物に対して、この魔法は大砲のような効果があるのだ。

 最後の一体に向け、シグルトは風で勢いをつけ、アロンダイトを叩き込む。
 ゴーレムの放った拳を躱し、鋭い突きで敵の逆手を粉砕していた。
 
 ラムーナがシグルトの影から、フェイントを仕掛けるが、魔法生物であるゴーレムはそれに乗ってこない。

「こんにゃろっ!
 
 これだからこの手の魔法生物は嫌いなのよっ!!」

 レベッカが悪態を吐くが、満身創痍で反撃してくるゴーレムは関節を軋ませるだけだ。
 
「…《穿て!》」
 
 ロマンが放った二本目の【魔法の矢】で、最後のゴーレムが砕ける。
 それが力なく崩れ落ちると、シグルトは大きく息を吐いて剣を下ろした。 
 
「苦戦したな…」
 
 自分の傷を【堅牢】による集中で緩和し、トリアムールの召喚で万全に備え直すと、シグルトが呟いた。
 さすがに要所警護用のモンスターである。

「シグルトがかけてくれた援護の術が無かったらやばかったわ。
 
 でも、シグルトって、勘が良いわよね。
 貴方の打つ手って、的確に守ってくれるもの」
 
 レベッカが周囲を探りながら、半透明にぼやける自分を指差す。
 
「…たまたまだ。
 
 何はともあれ、大怪我にならなくてやかったよ」
 
 体術によって血流を操作して出血を抑えると、シグルトは殴られた箇所を調べつつ答えた。
 通常なら数本の歯が折れているだろうが、そこは普段から骨などの硬い物ばかり食べているシグルトである。
 見かけの美しさに反し、屈強だ。
 
 シグルトが水をかけた手拭いで頬を拭く程度の応急処置を終える間、奥の方にあった小部屋を調べていたレベッカが隠し扉を見つけた。
 入ると、それは一方通行の回転扉である。
 
「うげ…」
 
 下品な声を上げるルティアに、スピッキオが説教を始めた。

 とりあえずその部屋には他に出口があったので、レベッカはほっとしつつ部屋を調べ始める。
 
 奥には宝箱があり、宝石と貴重な【魔法薬】があった。
 
「これは…今回一番の発見だね。
 この【魔法薬】って市販されてないんだよ。
 
 僕たち魔術を使うものにとっては、その力が枯渇しても、これがあれば回復出来るし。
 
 ま、僕ならちゃんとした工房があれば他の安い薬と調合して、もっとすごい薬を作れるよ」
 
 その横で、この部屋で手に入った宝石を鑑定していたレベッカが言った。
 
「さっき一階で手に入った宝石と一緒にすれば、銀貨で八百枚ぐらいにはなるわね。
 
 依頼一回分ぐらいの稼ぎになったわ」
 
 さらなる収入に、レベッカは嬉しそうに宝石を磨いていた。
 
 「一個ぐらいくれても…」というルティアの呟きは、当然無視されるのだった。
 
 
 二階にあるもう一つの部屋で、シグルトたちはこの館の主であったグリシャム・ブロイの亡霊(ゴースト)に出会うこととなった。
 
 最初、亡霊という強力なモンスターの出現に、一行が緊張し、ルティアは泣きながら逃げ回った。
 その中で、意外にもスピッキオが仲間の構えを解かせたのである。
 
「どうやらこの亡霊、戦意はないようじゃ。
 
 邪悪な雰囲気を持っておる様子も無いの」
 
 グリシャムの亡霊は一行の話を聞き、シグルトたちがこの館を勝手に探索していたことは責めなかった。
 だが、妻との思い出の場所を他の人間に盗られたくは無いので隠してしまいたい、とこの屋敷のどこかにあるという遮蔽装置を持ってきてくれるように頼んで来た。
 
 ルティアが安請け合いをしてレベッカに頭を小突かれていたが、シグルトはグリシャムの頼みを承諾するべきだと提案する。

「この館の、本来の持ち主がこう言っているんだ。
 
 俺たちが依頼を受けたのは、この屋敷の持ち主がオリーバーストン男爵であることを前提にしていた。
 男爵は、形はどうあれ館の主から承諾を取っていなかったことになる。
 
 俺たちは依頼主に、情報の不提示を問い正して調査分の金を貰えばいい。
 交わした契約の内容から、調査費として銀貨五百枚ぐらいは請求可能だ。
 
 レベッカが交渉してくれれば、容易いはずだが…」 
 
 スピッキオは亡霊の昇天のためだといい、ロマンは偉大な魔道師の最後の願いなら、と承諾する。
 欲が無く仲間に合わせるラムーナの意見はわかりきったようなものだった。
 
「はいはい。
 ま、あの太っちょからはいくらかせしめてやるわ。
 
 その〈遮蔽装置〉ってのを使うと、館ごと完全に隠蔽されるんでしょ?

〝館が消えてしまいました。
 
 今では跡形もありません〟
 
 みたいに言えば、問題ないわよ。
 私たちの仕事って〈屋敷の調査〉だから。
 調査対象が無いんだもの。

 嘘じゃないしね。
  
 この館の宝石類を変わりに貰えるわけだし、十分元は取れるわよ」
 
 レベッカも仕方ない、と請け負う。
 
「相変わらず強欲だのう」
 
 レベッカの守銭奴ぶりにあきれるスピッキオだが、あんたたちが揃いも揃って馬鹿正直なだけよ、とレベッカは肩をすくめた。
 
 
 グリシャムがいた部屋には隠し部屋に通じる扉があり、その奥の部屋には書物と火晶石、鍵が置かれていた。
 
 それらを回収すると、ルティアが遮蔽魔法の巻物を勝手に奪ってしまった。
 彼女は勝手にグリシャムと交渉し、彼の遮蔽魔術に関する書物を貰い受けられるように話を進めてしまったのだ。
 
 レベッカがそれを咎めようとすると、ロマンが止める。
 
「ロマン、あなただって古い魔法書に興味があるんじゃない?」
 
 するとロマンはそっと耳打ちした。
 
「グリシャム・ブロイは偉大な魔道師だったけど、魔法の研究は日進月歩だよ。
 
 ブロイが活躍していた時代の魔法より、優れた魔法が数多く開発されてるんだ。
 
 あの巻物、実はリューンの大学に写本があるんだよ。
 今じゃ読む人いないと思うけどね。
 
 遮蔽魔術は、後に次元操作の魔術に取って代わられるんだ。
 系統として空間操作系の魔術に集合され、近代にアジューリンとか有名どころがもっと簡単で効率的な魔術を開発してる。
 
 この魔術は、術の方向性と応用性において研究すべき余地が多過ぎたんだよ。
 ほとんどの術が静止状態を基本とするから、他の術と一緒に使えないし、ちょっとした要素…空間の振動なんかで術式が破綻するし。
 
 加えて、進化形である次元魔術の研究過程で、遮蔽装置の暴走が起きて研究者が行方不明になったりしたから、前身の遮蔽魔術を含めて学連はこの魔術の研究に消極的なんだ。
 
 お姉さんが持ってる魔術書の写本を読んだ事があるけど、儀式の複雑さが問題視されてて、ものすごく高価な装置が必要なわりに、出来ることが限られるんだよ。
 隠れる、隠す程度しか出来ないし元が取れないからって、魔術師はほとんど手を出さないんだ。
 この館は、館そのものが魔術装置だから、大がかりな遮蔽術式が展開可能だと思うんだけどね。
 
 それに、お姉さんが持ってるの、あれも写本なんだ。
 本物はブロイの弟子が譲り受けて、今はカルバチアの図書館で貸出禁止書物になってるね。
 
 あの巻物は、ほとんど価値が無いと思う。
 末端で銀貨百枚ぐらいかな。
 好事家が出しても、銀貨三百枚になれば上等だね。
 虫食いが酷いみたいだし。
 オリジナルなら銀貨千枚ぐらいになるはずなんだけど。
 
 …装置とか触媒が必要になる魔術の書物は、基本的に触媒とセットでないとほとんど売れないんだ。
 そうだね…例えるなら、イヤリングを片方だけ売ってる感じかな? 
 
 ま、あのルティアってお姉さんにあてがって、黙らせるには丁度よさそうなものだと思うけど?」
 
 このあたりは流石に“風を纏う者”の頭脳である。
 きっちり鑑定価値まで言われて、レベッカも納得したようだ。

「その代わり、今後手に入る物は、遮蔽魔術以外全部貰えばいいよ。
 
 まぁ、ほとんどの本は虫に食べられて、穴だらけみたいだけど」
 
 それは好い考えね、とレベッカがほくそ笑むと、スピッキオがまた呆れたように溜息を吐いた。
 シグルトとラムーナも苦笑する。
 
 少し離れたところで邪な相談がされているとも知らず、ルティアは手に入れた虫食いだらけの魔術書をうきうきした様子で読むのだった。 
 
 
 二階を探索し終えた“風を纏う者”は、未調査だった離れの開かずの扉を手に入れた鍵で開き、先に進むことが出来た。
 
 手に入れた地図に従い、隠し扉を見つけて中に入ると、館に住み着いていた小悪魔インプが襲い掛かって来た。
 混乱の魔法に苦戦しつつも、シグルトの召喚したトリアムールとロマンの魔法で撃ち落とし、あっさり勝負がつく。
 
 奥には遮蔽装置と、【蜘蛛の糸】という魔術の巻物が置かれていた。
 
「これは僕らが貰うよ?
 
 遮蔽魔法とは関係無いものだからね」
 
 ルティアが何か言い出す前に、ロマンはぴしゃりと釘を刺し、巻物を懐に入れてしまった。
 
(類は友を呼ぶ…かしら?)
 
 レベッカは笑い出しそうになるのをこらえつつ、愉快そうにロマンを見ていた。
 
 
 その後、離れの酒蔵では年代物のワインを二本見つけ、レベッカもホクホク顔だった。

 手に入った物が多く、皆で分けてそれらを背負っている。
 前にレベッカが「ロープはかさむし古くなるからいらない」と言っていたが、慎重過ぎて手荷物を増やしても持って帰れるものが少なくなるのである。
 戦利品を持ち帰る懐の広さも、大切な要素であった。

(た~くさん荷物が入る、魔法のカバンでもあればいいのにな~)

 ラムーナはぼんやりとそんなことを考えていた。
 
 館の調査をし終えて、一行はホールに向かうと、約束通り遮蔽装置をグリシャムの亡霊に渡す。
 外に出ると、魔術装置が発動し、館は跡形も無く姿を消した。

「これで良かったんだよね…」
 
 黄昏るように呟くルティアに、何を今更、とレベッカが戯けて見せた。
 
 
 グリシャムの願いを叶え、屋敷が完全に隠蔽されると、一行はオリバーストン男爵の屋敷に向かった。
 館が消えてしまったことを告げると男爵は不機嫌になったが、それにレベッカが対応する。
 
 依頼主の不手際や法律上の問題をロマンと一緒に指摘し、レベッカは銀貨千枚をせしめた。
 ただ、お金を取るばかりではなく、レベッカは男爵が求めるような物件をカルバチアの盗賊ギルド経由ですでに見つけており、咎められることは無かった。
 
 自分の別荘が見つかってほくほく顔の男爵は、また仕事を依頼すると宣言し、一行は〈依頼を失敗した〉という扱いにはならず、名を貶めずに今回の依頼を終えるのだった。
 
「なかなか実のある仕事になったわね~」
 
 狡猾な女盗賊は、懐の銀貨の重さに頬を緩めていた。
 
 
 “風を纏う者”一行がルティアと別れる時のことである。
 
 ロマンはルティアに何か伝える。
 こてん、と魂が抜けたかのようにルティアが地面に倒れた。
 
「何を言ったの…
 
 あの娘、髪が抜けそうな落ち込みようよ?」
 
 大したことじゃないよ、とロマンは言った。
 
「あの本の装置を、現代で用意するための費用だよ。
 
 人件費や貴重な材料費を考えると、銀貨十万枚ぐらいは必要だよって…」
 
 そりゃ落ち込むわ、と今までの扱いを棚に上げ、レベッカは初めてルティアに同情するのだった。



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Y字の交差路


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『希望の都フォーチュン=ベル』 オーガ討伐

2018.06.15(20:26) 452

 〈希望の都〉と称される、『フォーチュン=ベル』。
 偉大な英雄たちを多数輩出した冒険者の都である。
 
 四方を美しい自然に囲まれたこの都市は、風景同様に美しい女王が治めるという都市国家だ。
 
 その街道を賑やかに進む冒険者たちがあった。
 “風を纏う者”である。
 
 一行は、先日立ち寄った『魔剣工房ヘフェスト』の話題で盛り上がっていた。
 
 シグルトが工房の主であるブレッゼンの作業が終わるのを待っていた間に日が暮れてしまい、一行はブレッゼンの家に一泊させてもらったのだ。


 …遡って前日のことである。
 
 ブレッゼンが打った剣をシグルトが譲り受けたと知ると、サンディは「やっぱり」と微笑んでいた。
 
 そして、剣の料金について話そうとした時である。

「金よりもまずは酒だ。
 一日槌を振るったら、喉が渇いた。
 
 今日は、新しく頼んでおいた酒が来る日じゃろう?」
 
 そう言ってブレッゼンが酒を求めると、サンディが困った顔になった。
 
「それが…いつも配達してくれる酒屋さんが、ぎっくり腰でね。
 頼んでおいたお酒が届いてないのよ。
 
 倉庫から秘蔵のお酒でも出してくる?」
 
 途端に凄まじい形相になったブレッゼンは、テーブルを金槌のような拳で叩いて怒鳴った。

「あの馬鹿もんがっ!
 
 ええいっ!
 今から行って、そのへたれた腰を鍛え直してやるっ!!!」
 
 地団駄を踏む匠は、まるで子供のようだ。
 ロマンやラムーナなどは、ぽかんとしている。

「この人、三度の食事よりお酒が好きなの。
 
 今日は遠方の珍しい地酒が飲めるはずだったから、上機嫌で仕事を始めたんだけど…」
 
 今にも飛び出しそうなブレッゼンを押し止めつつ、サンディが事情を説明してくれた。
 
 しばらく悔しがるブレッゼンを見ていたレベッカは、何かを思いついたように、にやりと笑って荷物袋から酒瓶を取り出した。
 それを見たブレッゼンが、ぴたりとその動きを止める。

「も、もしやそれは…やはり【フォレスアス】かっ!!!」
 
 ブレッゼンの興奮は、尋常ではなかった。
 酒屋を鍛え直すと息巻いていた時より、鼻息が荒い。
 
「ふふふ…酒好きなら、この酒に心が動かないわけないわよねぇ。
 
 ポートリオンなら、銀貨二千枚の価値が付く超一品、シグルトの武器代とお近づきの印ってことで…」
 
 レベッカがそう持ちかけた途端、ブレッゼンは目にも止まらぬ速さでその酒瓶をかっさらった。
 
「乗ったっ!!!!!
 
 …ええいっ、お近づきと言わず泊まっていけぃっ! 
 この粋な計らいに応えずば、酒好きの名が廃るわっ!!!」
 
 即答して、急に上機嫌になったブレッゼンは、もう待てぬとばかりに手に入れた酒をやり始めた。
 
 その後、サンディが振る舞った御馳走を食べながら、“風を纏う者”一行は大いにブレッゼン夫婦と親交を深めたのだった。
 特に自身も酒好きかつ大酒豪のレベッカは、すっかりブレッゼンお気に入りの飲み友達になっていた。
 
 十年来の友のように酒について話すレベッカとブレッゼンに呆れながら、一行はサンディから様々な武具をゆっくり見せて貰うことが出来た。
 
 ロマンがブレッゼンの作った武具や魔法の道具がいかに貴重か興奮して話し出す。
 後はラムーナが踊り出し、サンディが手拍子をして、その勢いで夜が明けてしまった。
 
 結局サンディの作ってくれた朝食まで御馳走になった一行は、昼近くになってようやく重い腰を上げたのだ。
 
「…また良い酒を持ってこい。
 
 美味いなら、泊めてやるぞ」
 
 灰色の髭を撫でながらニヤリと笑い、ブレッゼンが表まで送ってくれた。
 シグルトは新しい愛剣を軽く叩くと、ああ、と呟いて工房から出発したのだった。
 
 
「ねっ、私の勘は当たったでしょう?」
 
 レベッカは、工房を訪れる前にシグルトがブレッゼンに気に入られるだろうことを予測していた。
 
「気に入られたのはお前の方だろう?
 
 飲むペースが速すぎて、サンディさんが随分心配していたぞ?」
 
 苦笑して応えるシグルトに、レベッカは冗談めかして舌を出した。
 
「ま、気持ちの好い酒好きはみんな友だちって奴ね。
 
 サンディさんの話だと、あんなに嬉しそうな顔をする爺さんは最近見たこと無かったそうよ。
 
 シグルトだって、お酒を飲んでる時も無言で並んでて、まるで親子みたいだったわ」
 
 しかも出発の時など目で会話してたし、とレベッカがからかう。
 
「…そうだな。
 
 また来よう、こいつのためにも」
 
 シグルトは、武骨な腰の剣の柄を撫でた。
 
「でも、今はどう見ても鋳物や骨董品と大して変わらない鉄の塊に見えるわ。
 
 それがあの【フォレスアス】との交換なら、普通じゃ怒るわよ。
 …あのすごい武具の数々を事前に見てなかったらね」
 
 レベッカの意見に同意するように、ロマンもサンディに武具を見せてもらっていた時のことを話し出した。
 
 ある意味、一番驚いていたのはこの少年である。 
 
 
「す、すごい!
 
 この鎧、真なる銀だよ!!」
 
 翼のような肩当てのついた秀麗な細工の鎧を見て、ロマンが興奮したように溜息を吐いた。
 
 銀には攻撃的な魔法を遮り、実体の無い存在にその光を及ばせ、影響する力を持つ。
 鏡に映らない吸血鬼も銀製の鏡に映り、幽霊や精霊のような存在も銀の武器で倒すことが可能なのだ。
 しかし、銀は鉄の2倍近い重さがあり柔らかい。
 銀の有用性は知られていたが、高価なことに加え加工の難しさに使い勝手の悪さから、それほど銀の武具は普及していなかった。
 
 だが、銀の効果をそのままに軽く頑丈になったものが真なる銀である。
 
 ミスリルという特別な鉱物がある。
 魔法の金属として、オリハルコンと並んで称される高価な物質だ。
 
 本来魔法の金属ミスリルは、銀貨一枚分の量で銀貨千枚に匹敵する価値になる。
 ミスリルは希少金属なのでめったに手に入らず、それのみで出来た鎖帷子は龍の鱗よりも固く羽根のように軽い…それ一つで国が買える程だ。
 
 だが生成が難しいものの、ミスリルと銀で合金を作ると、堅牢な固さと鉄より軽い魔法の金属になる。
 これがミスリル銀、あるいは真なる銀と呼ばれるものだ。
 
 含有するミスリルの量によって効果が違うが、銀に対して1%を切る割合でもかなり優秀な金属となる。
 極めてまれだがミスリルを含んだ銀の鉱石が発見されることもあり、これは加工すると真なる銀になるので、真なる銀そのものをミスリルと呼ぶ場合もある。
 ミスリルはそれほど世に出回らない幻の金属なのだ。
 
 基部になる銀そのものの価値、ミスリル含有の希少性、合成して真なる銀を作り出す手間、それを鎧に加工する技巧。
 
 ロマンが驚いた軽量の金属鎧を、こともなげにサンディは銀貨三千枚でよいと言った。
 それが市場に出たらとしたら、どれほど天井知らずな価格になるだろうか…
 
「いいのよ~
 
 あの人と私が食べていく蓄えはあるし、私たちが損をしない程度にお金を貰えればそれで充分。
 
 ただ、これらの武具は市場に出さないでほしいの。
 もし必要なくなったら、うちで半額出して買い取るわ。
 
 この“子”たちは、あの人の作った子供のようなものだから。
 貴方たちを見込んでのことよ…お願いね」
 
 サンディは愛おしそうに、並べられた武具を眺めて、そう言った。
 
 一行は皆頷き、引き続いて武具を見せて貰う。
 
 やがて、ある道具を見てロマンの動きが固まった。
 
「う、嘘…!
 
 これ、アスクレピオスの知恵の杖じゃないかっ!!」
 
 アスクレピオス…人のために医学を発展させた異国の賢人である。
 後に人間を死から蘇生させた咎で、主神の放った雷に打たれて死んだが、天に昇って医学の神になったという。
 
「うちにある武具は、伝説ほどの力は出さないんだけどね。
 
 前に夫が忠実に魔法の武具を再現したら、あまりに凄まじい効果で、その威力を狙う人たちが現れて、戦争が起きそうになったことがあったのよ。
 
 それ以来、あの人は作る武具の理不尽すぎる力は眠らせて、売る相手も選ぶようになったわ。
 人の手に余る武具は、持つ人の運命を歪め不幸を呼んじゃうから。
 
 でも、人に扱える状態にしただけでもその効果は凄いの。
 
 その杖も、人を生き返らせることは無理だけど、魔術師の知恵が込められていてたくさんの魔術を使うことが出来るらしいわ」
 
 ロマンはサンディの言葉にいちいち頷いて、その杖をしっかりと手に取った。
 
「…カドゥケウス。
 
 原典は魔術師の頂点を象徴する、ヘルメスの双頭の蛇の杖。
 ヘルメスの杖ケリュケイオンとも、医学と蘇生の象徴であるアスクレピオスの一蛇(いちだ)の杖とも、本来は別のものなんだけど形が似てるから同一に見られることもあるね。
 
 アスクレピオスはヘルメスの知恵を模すために、同じような一蛇(いちだ)の杖を持っていたと異説が残ってるほどだよ。
 
 だから、あらゆる魔法を封じ、両方の杖の由来を模して生み出され、ヘルメスの杖の別名カドゥケウスの名をあえて冠して、大魔術師が傍らにおいたのがこれ。
 
 この翼の形をした杖の先は、知識への飽くなき探究心と飛躍を表してる。
  
 アスクレピオスの【知恵の杖】とも呼ばれた伝説の杖だよ。
 人であったアスクレピオスが知識の研鑽の果てに神になった、その業績と知識を讃えてつけられた異名だね。
 
 いろんな魔法の力を魔術書の助けなく、魔術師の付帯領域…自身の深遠にある魔術回路の要所に喚起することができる。
 
 まさに偉大なる知恵と技術の証。
 この歳で見ることが、触れることが出来るなんて、僕は、僕は…!」
 
 拳を握り締め、ロマンは感涙していた。
 
 横で他の者たちは、そうすごいんだね、と意味も分からずなんとなく相槌を打っておいた。

 
「あの時のロマンは目が怪しかったわよ。
 
 あの杖は高くて買えなかったけど、まだロマンには早いってことよね~」
 
 レベッカにからかわれてロマンがむっとしている。
 
「あの杖がどれほど貴重か分かってないから、そんなことが言えるんだ…
 
 あれだけで複数の魔法が使えるんだよっ!
 それに杖に込められた太古の魔術の知恵…すごいんだよ、あれはっ!!」
 
 むきになったロマンはむせてしまい、ラムーナに背中をさすって貰う。
 
「求め続ければ、いつかお前の手に来る。
 それが優れた道具というものだ。
 
 あの杖が、お前が持つべき杖になるといいな」
 
 シグルトはそう言ってロマンの肩を軽く叩いた。

 その姿を見て、ラムーナも昨晩話した匠のことを思い浮かべる。


「あ、これ…私の持ってる剣に似てるよ?」

 ロマンの横でラムーナが、非売品だという特別な棚にあった剣を指差した。

 その言葉に、いい気持ちで酒を飲んでいる様子だったブレッゼンが近づいてくる。

「ふむ…娘、お前の剣を貸してみろ」

 ブレッゼンの有無を言わせぬ言葉にラムーナは困ったように仲間を見るが、シグルトが頷くので黙って自分の【スティング】をブレッゼンに渡す。

「ほう、これは…

 娘、良いものを手に入れたな。
 これは儂のような【魔剣鍛冶師】が打ったものだ。

 制作されたのは二百年ほど前か。
 威力調整の癖からして、儂の師の同門かもしれん。

 この【スティング】は…ちょっとした欠陥があるな。
 武器を振るった時に【生命感知】が攻撃の魔力領域と同化しておるから、一度攻撃をしないと力を発揮できん。
 付与された感知の魔力を使いこなすには扱いづらかろう。

 ただ、精度向上の魔力がかけられており、儂の打った【スティング】より手先の巧みさ扱うことに向き、命中精度が高い。
 儂の方は威力が優れている、といった感じだな。
 武器としての性能は良いものだ。

 お前は成長期じゃろう?
 これは今のお前には少し長すぎるし、悪くはないが最高の相性とは言えんな。

 儂の見立てでは、お前は舞踏を取り込んだ技を使うだろう?
 こいつの特性である〈刺し貫く攻撃〉より、シャムシールやタルワールのような曲刀で撫で斬る方が良いかもしれん。
 突き技は剣が肉に刺さると動きが硬直してしまうからな。

 この武器を使い続けるのもまた良いかもしれんが、行き詰まったら儂の言葉を思い出して装備を工夫してみるといい」

 さすがは稀代の鍛冶師である。
 さっと持って見ただけで、ラムーナの魔剣の特性をいとも簡単に鑑定してみせた。

「【魔剣鍛冶師】?」

 聞き慣れない言葉に、ラムーナが首を傾げた。

「武器に剣精を込め、超常なる力を持った剣を打つことができる、儂のような業を持った刀剣鍛冶師よ。

 儂は防具職人(アーマースミス)や、他の武器を作れる武器職人(ウェポンスミス)でもある。
 一番得意なのは剣や刃を持つ槍なんだがな。

 魔力の込められた武具は凄まじい力を持つ。
 故に戦争でよく利用される。

 良き戦士が戦場で振るうのはいい。
 血に飢えた所業とはいえ、武器は戦うための器械だ。

 だが、腕も志も無い愚物が、虚飾のために振るうのは我慢ならん。
 それは儂ら【魔剣鍛冶師】に対する、侮辱に等しいのだ」

 そしてぐいと酒を呷る。

「多くの先達が権力者の下らぬ虚栄心のために打ちたくもない魔剣を造ることを強要され、迫害と弾圧によって鍛冶師は斃れ、多くの業と伝統が奪われた。
 かつてともに酒を飲み、その武勇に惚れ込んで会心の一本を譲った友も、そやつを妬む愚か者によって暗殺された。
 
 魔剣の力は強く、魅惑的だ。
 それを振るう者はその力に溺れやすく、意志強靭にして賢明なる使い手が力に飲まれずとも…魔剣を扱う者を、妬み、羨み、奪おうとする輩がいる。

 力とはそういうものだ。

 魔剣を持つ娘よ。
 ゆめ忘れるな。

 そして身も心も屈すること無く、健やかにあれ」

 語る刀匠の目には、どこか寂しげな光が宿っていた。


 ラムーナがブレっ禅の言葉を思い出し、感慨にふけっていると、スピッキオが興奮したロマンをなだめるようにほっほと笑う。
 
「薀蓄はそのあたりにしておけぃ。
 
 もう、街が見えてきたわい」
 
 傾きかけた日差しの下、希望の都は赤く染まりつつあった。
 
 
 フォーチュン=ベルにある冒険者の宿『幸福の鐘亭』で一晩過ごした“風を纏う者”は、次の日に日用品の買い出しをすることになった。
 立ち寄ったのは、先日アレトゥーザで魔法の指輪を売ってくれた商人、ロゴージンの店である。

「おう、あんたらか。

 なるほど、ブレッゼンお目にかなったってわけだな?
 爺様が造った剣をあずけられた奴、久しぶりに見たぜ。
 やっぱり俺の眼に狂いはなかったな。

 アレトゥーザじゃあたんまり勉強したんだから、俺んとこの店を贔屓にしてくれよ」

 調子よく片目を瞑って見せるロゴージンに「あんたの品揃え次第ね」とレベッカが返した。

 ここでいつもの商才を振るったレベッカは、よく吟味の上いくつか道具を仕入れる。
 
「【ランタン】に【鏡】、あとは新品の【火口箱】…うん、準備万端ねっ!」
 
 資金に余裕が出来たからと、レベッカは今まで間に合わせだった道具を新調していた。
 
 レベッカの持つ道具を見ながら、シグルトは首を傾げる。
 
「【ロープ】は買わなくて良かったのか?
 
 この際、購入しておけば…」
 
 レベッカはチッチ、と指を振ってその意見を遮ると、道具袋を指差した。
 
「ただでさえいろんな道具が溜まってるんだから、荷物を増やし過ぎるのは良くないわ。
 ロープの類は意外とかさばるし、どこにでも売ってるから、現地調達がベストね。
 それにロープは、古くなるとすぐ切れるのよ。
 
 持てる範囲で、よく使うものを揃えればいいの。

 今回買った【ランタン】や【火口箱】は野営で頻繁に使うし、【鏡】は髪の手入れから合図の道具になるわ。
 荷物袋は、いつも整頓しておかなくちゃね」
 
 レベッカは道具の管理に余念が無い。
 無駄な物は即売りさばき、あるいは別の物に交換してしまう。
 
 彼女の差配で“風を纏う者”の荷物が最小限で済んでいるのも事実である。
 
 金銭に関しても、大量の銀貨を持ち歩くことは無かった。
 
 “風を纏う者”の持つ金銭は、総額で銀貨八千枚を超えるほど貯蓄されていた。
 だが金持ちに見えると厄介を招くからと、レベッカは銀貨で千枚程度を小分けにして所持し、多くはすぐ都市部で換金可能な金貨に換えてある。
 
「…今回ちょっと買った物が多かったから、手持ちの銀貨が少なくなって来たわ。
 まぁ、手持ちの金貨を両替すれば、使う分ぐらいはすぐ用意出来るんだけど。
 
 せっかく大きな都市に来てるんだし、少し仕事を探しておきましょうよ」
 
 「あいかわらず守銭奴じゃのう」、とスピッキオが呆れる。
 
「新しい剣が手に入ったから、俺の方は問題無い」
 
 そう言ったシグルトに応えるように、柔らかな風が吹いた。
 
(「私もいるんだからっ!」)
 
 オーク退治の時妖精の力を得たシグルトは、精霊の言葉を聞くことが出来るようになった。
 今でもその姿を見ることは出来ないのだが、風の精霊〈トリアムール〉と意思の疎通が以前より容易に行える。

 妖精の術が持つ力も含め説明しているが、精霊との感応は特殊性が高いため、仲間にはいまいちその優位性を理解してもらえない。

 シグルトはその反応に、あれトゥーザのレナータが感じているだろう、精霊術師の疎外感というものを味わっていた。

(扱いには注意しなければいかんな。

 俺への評価が仲間に及ぶなら、つまらない迫害も道を塞ぐ驚異だ)

 そんなことをリーダーが考えている間に、依頼を受ける話は決まっていた。

「それじゃ、『幸福の鐘亭』で、張り紙を探そっ!」
 
 ラムーナが、早く仕事を取らなきゃと、早速駆け出していた。
 
 
「…また討伐なんてね。
 
 しかもオーガ退治なんて、随分危ない仕事だよ」
 
 数時間後、フォーチュン=ベル近郊の林道を歩きながら、ロマンがぼやいていた。
 
「仕方あるまい。
 食人鬼とも呼ばれるオーガは危険な上、放っておくと被害が大きいからの。
 
 これも人助けじゃよ」
 
 スピッキオの言葉に、忌々しそうな様子でレベッカが髪を払った。
 
「オーガの討伐で銀貨五百枚って、受ける奴がいないわけよ。
 
 普通は一体の討伐で、最低線が銀貨六百枚。
 話では三体以上いるってんだから、相場は銀貨千枚の仕事になるわ。
 
 その半額なんて…」
 
 オーガは、凶暴で危険な巨人系の怪物である。
 性質は好戦的で怪力。
 好んで人肉を喰らうため、一体出現すれば村一つを壊滅させることさえあった。
 
 オーガとの戦闘で死亡する冒険者は年間何人も出ており、その討伐は冒険者の仕事の中でも難易度が高いとされている。
 反面、オーガの討伐を成し遂げたパーティは、“食人鬼殺し”という称号で呼ばれ、討伐のプロフェッショナルとして高い名声も得るという。
 
「オーガの巣穴がヘフェストのある桃仙山で見つかっただけに、放ってもおけん。
 ブレッゼンがオーガどもに後れを取るとは思わないが、奥方や客が襲われる可能性もある。

 とにかく、依頼を受けた以上は最善を尽くす他無い。
 正面からぶつからずに、出来るだけ絡め手で行こう」
 
 シグルトは報酬額に依らず「すぐに依頼を受けるべきだ」と断じた。
 魔剣工房へフェストに住む夫婦を心配してのことである。

 “風を纏う者”の誰もが同感であったので、彼の言葉に一同は頷いた。
 
 
 “風を纏う者”の一行がオーガと対するためにまず行ったのは、念入りな周囲の調査だった。
 調べた地形を参考に、様々な罠を張り巡らしていく。
 
 敵の巣穴から少し上にある丘では、大岩を準備してラムーナが待機することになった。
 
 レベッカが巣穴の近くに蔓で、敵の転倒を狙った罠を張る。
 倒れた先を予測して尖らした木の枝を何本も隠しておく。

「シグルト、例の糸分けてくれる?」

 レベッカの言う糸とは、ヒバリ村の廃坑で手に入れた酢になった酒を使って作った、強靱な糸のことである。
 オーク退治の帰り、シグルトはそのあたりに住む大きな蛾の幼虫から糸を作り出していた。
 芋虫を解剖して絹糸腺を引っ張り出すグロテスクな作業に、ロマンが青くなっていたが、作成された糸は強靱でなめらかである。

「わかった。

 貴重な糸だから、大切に使ってくれ」

 了解と、レベッカは茂みに草で輪を作った罠を仕掛け、その中に一本件の糸を螺旋状に絡ませた蔦を潜ませる。
 簡単なものならば切れてしまうだろうが、これならば足を捻挫させるぐらいはできるだろう。

「…よし。
 
 後はオーガを燻り出して、煙に紛れながら罠に誘導するぞ」
 
 シグルトが【堅牢】で防御を固め、〈トリアムール〉に呼び掛けて風を纏い、スピッキオは秘蹟による加護を仲間たちに与えていく。
 
 皆の準備が出来たところで、レベッカが火打ち石を取り出すと、オーガの巣穴の前に積まれた生木に火を着けた。
 
 その少し後ろで、ロマンは緊張に眉根を寄せている。
 シグルトが、彼の細い肩に軽く手を置いた。
 励ますように、置いた手に力を加える。 
 
「…ロマン、お前は魔術に集中しろ。
 
 少しだか、お前の姿を隠しておく」
 
 その時、ぼんやりとシグルトの手が輝き出した。
 
「《“環を為す隠者”よ、神隠せ。
 
  集う妖しの輪環は、常若の扉にして見えざる処。
  縛られぬ惑いの門。
 
  輝く連なり、姿を隠す…》」
 
 シグルトが朗々と詠うように言葉にすると、ロマンの前を輝く蝶と蜉蝣の翅のような物が沢山横切った。
 そして、翅は連なりとなり、終いには光の環となってロマンを包み込んだ。
 ロマンの姿が少しだけ風景に溶け込み、ぼんやりとその姿が霞んでいく。

 『山の洞窟』でシグルトが得た、妖精の加護である。

「…〈妖精の環(フェアリー・リング)〉の術だ。
 
 これで敵に見つかり難くなる」
 
 数ある妖精伝説の中に、〈神隠しの環〉と呼ばれるものがある。
 妖精たちが集い環を作ると、環の中は異界へと続く扉になるという。
 
 シグルトが用いたのは、小さな〈神隠しの環〉を作り出す精霊術だ。
 環を構成する妖精は、束縛された者を解き放つことが出来る。
 
「しっ!!!
 
 こっちの準備は出来たわよ」
 
 レベッカが仲間たちに注意を促す。
 もうもうときな臭い煙を上げて、積み上げた生木が燃え始めていた。

 数分後、巣穴の中から身の毛もよだつような唸り声が聞こえ、地響きのような音が近づいてくる。

「来たぞっ!
 
 まずは、ラムーナの下まで引きつけるんだ」
 
 巣穴から飛び出したオーガは三体。
 その赤銅色の胴体は、岩のような筋肉で覆われている。
 
「拙いわ…
 
 こいつら、長生きした連中よっ!」
 
 怪物たちの中には長い年月を生きて、その力や体力を増した上位種が存在する。
 普通は単独で活動するが、これらの上位種は数匹が共同で生活し、連携して戦うのだ。
 
「焦るなっ!!!
 
 手はず通りやる。
 まずは足を動かせっ!」
 
 シグルトは剣を鞘払うと、食人鬼の前に躍り出る。
 挑発するように、背を低くして素早く一歩下がった。
 
 多くの知能の低い肉食の生物は、体格の小さい者が逃げようとすると反射的に追ってしまう習性がある。
 特に気が立っていたり驚いている時は、ちょこまかと目の前で動かれると逆上するのだ。
 
 熊などに出遭った時はこれらの挑発と全く逆の、相手を睨み付けてゆっくり油断無く下がるやり方が、正しい対処法である。
 
 シグルトの挑発にまんまとのせられたオーガたちは、競うように向かって来た。
 
「…掛かった!!!」
 
 一体が張り巡らせてあった蔓に引っかかり、派手に転倒する。
 さらに仕込んであった鋭い木の枝が、その食人鬼に幾重にも突き刺さった。
 
 仲間が傷を負ったのを見て、たたらを踏む後続の食人鬼たち。
 
「ヤャァァァァァァッッッ!!!!!」
 
 そこに絶妙のタイミングで、ラムーナが仕掛けておいた大岩を落とす。
 弾んで勢いの付いたそれは、狙い過たず一体のオーガを木立の方へ吹き飛ばした。
 
「…グゥァァァァァァアアアアアッ!!!!」
  
 直撃した大岩は巨人の腰骨をやすやすと粉砕し、そのままオーガは巨木と岩に挟まれて動かなくなった。
 
 残った二体の前を、ラムーナが一気に駆け抜けた。
 転倒していた一体が立ち上がり、無傷のもう一体とともにラムーナを捕まえようと腕を伸ばしてくる。

「こっちよ、ラムーナっ!!!」
 
 レベッカの指示に従って、最も素早いラムーナは跳ねるように疾走する。
 食人鬼の丸太のような腕は、残らず空を切った。
 
 忌々しそうに鼻を鳴らし、怒り狂ってそのオーガたちは咆哮する。
 
 ズズゥゥゥンンッ
 
 その罠もまた絶妙な形で決まっていた。
 レベッカが茂みに隠して作っておいた、特殊糸入りの足取り(スネア)である。
 
 転倒して身動きが取れなくなる食人鬼たち。
 
「…ォォォォオオオオ!!!!!!」
 
 そこに雄叫びを上げて、シグルトは斬り込んでいった。
 〈トリアムール〉の巻き上げる土埃が、白く舞い上がる。
 
 渾身の一太刀が、オーガの太い腕を斬り落とす。
 だが、名匠の打った剣はびくともしない。
 
(…行けるっ!!!)
 
 返す刀で、その食人鬼の喉笛を斬り裂く。

「あと一体っ!!」
 
 その言葉に合わせてラムーナが跳んだ。
 溜め込んでいた力を解放し、最後の敵を蹴り上げる。

 オーガの人間の頭蓋骨すら噛み砕くという下顎。
 それを支える骨が、鈍く砕ける確かな手応え。
 
 反撃しようとオーガが振り上げた力任せの拳を、防御に専念したレベッカが囮となって引きつけ、素早く躱す。

「《…穿てっ!!!》」
 
 立て続けにロマンの【魔法の矢】が炸裂する。
 
 敵がふらついたためか、“風を纏う者”が用意していた後続の攻撃がなかなか当たらない。
 
「《…眠れっ!!!!》」
 
 逃がさぬとばかりに、ロマンが【眠りの雲】で敵を動けなくしていた。
 
「もう少しだっ!」

 シグルトの掛け声で、仲間たちが一斉に攻撃を仕掛ける。
 突き立った刃と【魔術の矢】でどす黒い血が飛沫き、傷みに覚醒した食人鬼は最後の足掻きと、腕を振り回した。
 
 シグルトは素早い号令で仲間を離れさせる。
 そして仲間たちを庇いながら、向かってくる図太い腕を剣で貫き隙を作り出す。
 
「―…タァァァァッッッ!!!!!!」
 
 機を逃さず、ラムーナが【連捷の蜂】で猛攻撃を仕掛けた。
 強いバネの利いた攻撃が繰り返しヒットし、オーガの目の焦点がおぼつかなくなる。
 
 くるり、と旋回したラムーナは、【連捷の蜂】の動作からつなげた【飛襲】で動けなくなった食人鬼の心臓を刺し貫いていた。


「…ったく、何てタフな奴なのよっ!!!」
 
 全員無傷ではあったが、報酬の安さと出てきた敵の凶悪さに、レベッカは悪態をついていた。
 
「これだけの化け物相手にかすり傷一つ負わんかったのじゃから、ましと思えぃ。
 
 あんな腕で殴られておったら、秘蹟による防御でも重い手傷を負ったはずじゃ」
 
 前もってスピッキオがかけていた防御の秘蹟は、仲間に思い切った行動をさせていた。
 迅速に一歩踏み込んだ攻撃ができるということは、それだけでも大きい。
 そうでなければ体勢を立て直した食人鬼の太い腕によって、重傷となった仲間がいたかもしれないのだ。
 
 腹が爆ぜる自分を想像して、レベッカは嫌そうに眉を顰めた。
 
「今度こういう荒事になった時は、ロマンにかけてた精霊術、私にもかけてよね。
 
 私は苦手なのよ、戦うの」
 
 幾分げっそりした雰囲気のレベッカが提案すると、シグルトは軽く頷いた。
 
「この術は何度も使えない。
 
 ただ、前もってかけておけばやや不安定な条件になるが、長時間恩恵を得られる。
 余裕がある時には、備えて使おう」
 
 召喚術、あるいは付帯能力を与える類の術は、その効果が長時間持続するものもある。
 力の発動がやや不安定であるが、上手に用いれば大きな恩恵になりうる。
 
 シグルトが使う【妖精の護環】という術は、その典型だ。
 特に自分以外にも付与できるという召喚術はとても珍しい。
 
「俺の本業は剣士だ。
 この手の術は本分では無いし、あまりあてにはしないでくれ。
 
 …ブレッゼンのおかげで武器が安定したことだし、俺もそろそろラムーナのように本格的な剣術を身に付けねばならないな…」
 
 ぽつりと漏らしたシグルトの言葉に、レベッカが目を丸くした。
 
「…はっ?
 
 シグルト、貴方が今まで使ってた技って、剣術じゃなかったの?」
 
 ロマンやスピッキオも、驚いた顔だ。
 
「…当然だ。
 今までは、基礎的な戦闘の動作を反復していたに過ぎない。
 使っていた【強打】も、父に幼少の時に教えてもらた武芸の初歩で、純粋な剣の技ではない。
 
 あんなものが【剣技】だと言ったなら、磨き抜いたそれを持つ剣士を冒涜することになるぞ」
 
 つまりシグルトは、ごく最近まで持った武術の知識と基礎のみで剣を振るっていたのである。
 緻密に戦術を立てて振るう基礎動作は、中途半端な技を凌ぐのだ。
 
 もしシグルトが、本格的な技を使いこなしたならどれほど強くなるだろうか。
 
 自身も戦いの技を使うラムーナは、好奇心で背筋がぞくぞくしていた。
 
「それなら、すぐ技を学びなさいよ。
 あんたの場合、〈こうなる〉って言ったことは的を外したことが無いでしょ。 
 投資は惜しまないわ。
 
 ねぇ、みんな?」
 
 レベッカが仲間に同意を求めると、皆首肯して賛同に意を示す。
 シグルトの戦闘力は、それだけ仲間から信頼を置かれているのだ。
 
「…皆がそう言ってくれるなら、考えておくよ。
 
 身体も大分剣術に合ったものになったから、な」
 
 シグルトは中途半端に技を学べば故障を招くと、今までひたすらに基礎訓練と身体作りを行って来た。
 
 戦士とは本来血の気が多く、強くなることに貪欲で、安易な技に流れがちである。
 対しシグルトは、技に相応しい素地を作るために徹底的な肉体作りを行っていた。
 その方が、戦士として高い次元に届くことを理解していたからだ。
 
 シグルトが非凡な戦士である一番の理由は、鍛え方から戦い方まで合理性を重んじることにある。
 そして、錬磨のためにはいかなる努力も惜しまないのだ。
 
 この時代、このような鍛え方をする戦士は至極希であった。

 ただ、そうやって慎重過ぎたためか、今のシグルトは剣士と言うより、多少武術を使う魔法使いである。
 これは腕っぷしを本分とするシグルトにとっても不本意で、せっかく手に入れた剣が泣くというものだ。

「まず、流派を成すような剣の師を見つけなければならないな。
 最近は魔法を含め我流が過ぎる。

 投資してもらう以上、中途半端にはしたくない」

 リューンの闘技場で教えられている剣術を思い出し、シグルトは誰を師と仰ぐべきか思案を始めた。
 

 その二日後のこと。
 
 報酬を受け取ったシグルトたちがフォーチュン=ベルを去った直後に、一つのパーティが『幸福の鐘亭』にやって来た。
 
「ええっ、オーガ退治の依頼って解決されたの?!」
 
 一応パーティの代表者だというその青年は、困ったような声を上げた。
 
「…驚いたぜ。
 
 オーガの討伐が出来るパーティなんて、俺たち以外にそうそういねぇぞ」
 
 やや痩せた盗賊風の男が、頭を掻きながら驚いた顔で言った。
 
「…しかも、年を経たやつを三体ですって?
 
 私たちが、アリメ村でやった仕事より難儀じゃない」
 
 肌の黒い魔術師風の女が、やや不機嫌な様子で頼んでいた酒を煽る。
 彼女の負けず嫌いは、仲間内でも抜きん出ていた。
 
「何はともあれ…先を越されてしまったようですね。
 
 ですが、危険な仕事をしなくて済んだ、とも考えられます。
 話ではかなり報酬が少なかったようですし。
 
 あきらめて別の仕事を探すとしましょう」
 
 僧服を着た中年の男が、穏やかな口調で仲間たちをなだめた。
 
「ふん、醜いオーガどもを斧の錆にしてやるつもりじゃったが…残念じゃ。
 
 今後、仕事がかち合わんとも限らん。
 そやつらは、何という連中なのじゃ?」
 
 このパーティで一番異色の戦士であった。
 斧を担いだその老人は、随分背が低い。
 彼はドワーフと呼ばれる亜人なのだ。 
 
 かつて事故で指を失ったという、武骨な手を撫でながら、そのドワーフは鋭い口調で仲間に問うた。
 
「…“風を纏う者”ですって。
 
 また聞いたね、この名前」
 
 その少女は冷たい井戸水で喉を潤しながら、首を傾げていた。
 
「…ああ、デオタトさんが言ってた新進気鋭の。
 
 確かに僕らと名前が似てるよね」
 
 青年は少女の言葉に頷くと、疲れたようにカウンターに腰掛ける。
 食人鬼が出たと聞いて、かなり気負っていたのだろう。
 
 前に行った同様の依頼があり、それを受けた時点でかなりの犠牲者が出ていた。
 青年は、同じ悲劇は何としても避けるのだと息巻いているのだ。 
 
「俺らの少し後に出て来たってのに、今じゃかなり名前が売れてる連中だぜ。
 
 ま、中でも盗賊のレベッカって奴の腕前は、俺もちょっとばかり知ってる。
 切れ者だぞ、あの女は」
 
 盗賊風の男が高い評価を口にすると、黒い肌の女が呆れたような目で睨め付けた。
 
「また女?
 
 この宿の女将も含めて、あんたってほんと…」

 慌てて盗賊風の男は首を横に振った。
 この男は、今呆れている黒い肌の女魔術師に惚れていると言ってはばからない。
 
「よせよ…俺はあいつにゃ興味ねぇ。
 
 それにあの女のことを知ってりゃ、盛ったオークだって逃げ出すぜ。
 怖ぇ女なんだ…」
 
 そう言う盗賊男の目には、過去を偲んでいる様子があった。
 惚れていた女を思い出すというより、苦手な身内を懐かしんでいるような感じだ。
 
「…中に子供や成人して間もない小娘がいるじゃと?
 
 ふん、そんな構成…しかも五人で先んじて冒険者になった儂らより名が売れておるのは気に食わん。
 最近はエルフどもが混じった冒険者のパーティも見かけるというし、実に気に食わん!」
 
 ドワーフが、忌々しそうに麦酒(エール)を飲み干すと、女将に酒のお代わりを求めた。
 古今東西、ドワーフとエルフが犬猿の仲だというのは有名な話である。
 
 “風を纏う者”以外にも、話題にあがる他の優秀な冒険者のパーティに、まだ子供のエルフがいるという。
 自尊心の強いこのドワーフにとって、嫌いなエルフの子供がいる連中より名が劣るのは、相当に不愉快なのだろう。
 
「…仕方ありませんよ。
 
 私たちだって多数の仕事をこなして来ましたが、“風を纏う者”など噂に上がるパーティのメンバーは、仕事での粗が無い上に秀才揃いと聞いています。
 
 外見の美しい方も多いとか。
 話題性と人気は、時に同時に高まるものですからね」
 
 僧服の男は、苦笑しながらドワーフにお代わりの酒杯を渡した。
 
「何時までも他人の噂してるより、次の仕事を探しましょうよ。
 
 〈商船護衛〉…これなんかどう?」
 
 暗い雰囲気を変えようと、少女がつとに明るい声で呼びかけ、一枚の依頼書をカウンターに置いた。



⇒『希望の都フォーチュン=ベル』 オーガ討伐の続きを読む

Y字の交差路


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『魔剣工房』

2018.06.14(21:14) 451

 『山の洞窟』で、オークを討伐した“風を纏う者”一行は、依頼のあった村で報酬を受け取ると、その村に一つだけある宿で豪勢な夕食にありついた。
 村の依頼を完遂したことに感謝した宿の主人は、その日の宿と夕食を無料で提供してくれたのだ。
 
「あのオークのせいで、随分一般客が減ってしまったんだが…
 あんたたちのおかげで、また客足が戻って来そうだ。
 感謝してるよ。
 
 田舎の宿だから大したことは出来ないが、今日は存分にやってくれ」
 
 宿の主人は上機嫌で、上等の葡萄酒を惜しげもなく振る舞ってくれる。
 
 オークとの激闘で動き回り、空きっ腹を抱えていた一行は、しばらくものも言わず、思う存分暖かい食事を頬張った。
 
 食事が一段落付くと、一行は食後の談笑をしながら、今後のことについて話し合うことになる。

 
「今後のことって言えば、シグルトの剣よね。
 
 うちの主戦力が得物に難ありじゃ、困りものよ」
 
 レベッカがそう切り出すと、シグルトが気まずそうに頭を掻いた。
  
「すまん。
 
 俺の技量が足りないばかりに、皆には迷惑をかけるな…」
 
 シグルトが申し訳なさそうに言うと、仕方ないよ、とロマンが首を振ってくれる。
 
「おぬしは常人離れした膂力を持っておる。
 オークの図太い身体を輪切りにするほどじゃ。
 並の剣ではそれに耐えられまい。
 
 剣の手入れをいつも熱心に、丁寧にしておったのはわしらも知っておるからの。
 
 ましてや、今回は儂らを助けるためじゃったろうが。
 気に病むことではないぞ」
 
 スピッキオが、ほっほ、と苦笑する。
 その横でラムーナも、うんうんと頷いていた。

「私だって、シグルトを責めてるわけじゃないのよ。
 実際、罠が発動した状態のままじゃ全滅だったんだから。
 あの判断は正しかったわ。
 
 私が言いたいのは、現状をどうするかということよ。
 
 戦士にとって、武器は商売道具じゃない。
 それがオークからぶんどった粗悪品じゃ、今後が不安でしょ?」
 
 パーティで一番の現実主義者であるレベッカは、ことに装備に関して厳しい考えの持ち主だった。
 その慎重さが“風を纏う者”の安全を支え、命を長らえてもいるのだが。
 
「確かにそうだが…困ったな。
 
 ここには剣を売る商人などいそうにないし、とりあえず前回のような討伐ものでなければしばらくはオークの蛮刀でも何とかなると思うんだが…」
 
 パーティの資金を気遣って遠慮するシグルト。
 それ以上言うな、とレベッカが制した。
 
「リーダーのあんたが、しみったれたこと言わないっ!
 
 シグルトの豪腕は私たちにとって絶対必要よ。
 元は素人だったラムーナだって、良い剣を持ったらあの働きだったじゃない。
 貴方の力に見合う武器は早急に必要だと思うの。
 
 その腕力に耐えられない武器じゃ、今回みたいにいつ折れるか分からないし、安物や数打ちはいくら買っても無駄になるわ。
 今回みたいに、仕事が終わる間際に武器が壊れるとは限らないしね。
 
 そこで、よ…
 今の私たちはかなり資金もあることだし、この際、銘工の剣というやつを奮発して買ってみない?」
 
 そう言うとレベッカはフォーチュン=ベルに住んでいるという、噂の銘工について語りだした。
 
 
「…ブレッゼンっ!?
 
 もしかして“神の槌”か!!!」
 
 レベッカが語った銘工の名に、シグルトが目を丸くした。
 
「…?
 
 何、シグルト…知ってるの?」
 
 誰も知るまい、と自慢げに話していたレベッカは鼻白んだ。
 
「…俺の住んでいた地方では有名人だ。
 一部の好事家では、その傑作に城を代金にしたという話もある。
 
 “神の槌”ブレッゼンの〈魔剣〉か、ドワーフの銘匠“生み出すもの”マクラホンの〈獣の銘〉。
 武具の、中でも刀剣では、故郷でこの二つが不動の銘だった。
 
 俺が生まれた国では、まともな剣は騎士か優れた戦士しか持てないというしきたりがあったんだが…
 ブレッゼンの銘を持てるということは、その中でも別格扱いされたものだ」
 
 シグルトが冒険者になるまで剣を持たなかったのも、故郷の風習からだった。
 彼の故郷では、刀剣は神聖なものとして珍重されていた。
 
 そして半世紀も経たないうちに、シグルトの故郷を含め北方に名を知らしめた銘工といえば、件のブレッゼンがいるのだという。
 
 “神の槌”と呼ばれるこの人物は、古に存在した伝説の武具を再生出来るという噂だ。
 彼の作った武具、特に刀剣は〈魔剣〉と称され、威力と宿した不可思議な力ゆえに、天井知らずの値段で取引されていた。
 
「ブレッゼンは気難しい人物で、貴族から身を隠すためにどこかに工房を変えたと聞いていたが…」
 
 シグルトの話を聞いていたレベッカは、「その件の銘工がこのフォーチュン=ベルにいるらしいのよ」、と続けた。
 
「シグルトの言う通り、ブレッゼンはもの凄い気難しい人物だって話だわ。
 今では、自分の造った武具を認めた人にしか売らないらしいのよ。
 
 でも、〈魔剣〉以外に普通の武具は作って卸してるみたい。
 無銘の形で市場に出回った業物が、ちょっとした話題になることもあるそうよ。
 
 本物の〈魔剣〉は、市場でも銀貨で万の桁、って世界だから、魔力付きには手が出ないけれど…
 ダメで元々、一度覗いてみましょう。
 運がよければ、そこそこの業物が手にはいるかもしれないわ。
 
 それに私の勘だと、シグルトってその手の職人に気に入られそうなタイプなのよね~」
 
 レベッカの言葉を聞いて苦笑しながらも、シグルトは頷く。
 
「武具に関係無く、偉大な銘工なら俺も会ってみたい。
 
 武器をどう振るうべきか、それを語ってくれるかもしれないしな」
 
 決まりね、とレベッカが手を打った。
 
 
 一度リューンに戻って為替手形などの処分を終え、宿の親父にまたしばらく旅に出る旨を伝えた“風を纏う者”一行は、数日後フォーチュン=ベル郊外へとやってくる。
 
 『ヘフェスト』と呼ばれるブレッゼンの工房は、フォーチュン=ベルにほど近い桃仙山の山裾、森の中にひっそりと在った。
 
 とりあえずは、と「武具の修理、販売承ります」と書かれた販売所の方に顔を出す。
 呼び鈴をならすと、陽気そうな婦人が出てきて対応してくれた。
 
「いらっしゃいませ!

 初めてのお客さんね」
 
 サンディと名乗った人の好さそうなその婦人は、ニコニコと微笑んで一行を迎え入れるとお茶を出し、もてなしてくれた。
 
「俺は冒険者“風を纏う者”の代表者シグルト。
 
 ここの噂を耳にしてやって来たのです。
 活動拠点はリューンなのですが、フォーチュン=ベルには仕事で来たことがあります。
 
 今回は仕事で武器を破損してしまったので、修理か新しい武器の購入を、と思ったのですが…」
 
 シグルトが事情を正直に話す。
 サンディは相槌を打ちながら聞いていたが、それなら、と工房の方を指差した。
 
 工房からは、離れていても休むこと無く鋼を打つ甲高い音が響いてくる。
 
「シグルトさんっておっしゃったわね。
 
 あなたなら主人も武器を打ってくれると思うわ。
 腰の剣、折れてしまったっていうけれど、とても大切に手入れをしていたのがわかるもの…」
 
 この工房では武器の修繕もしてくれると聞き、シグルトはオークの剣を処分して愛用していた剣を持って来た。
 今護身用に持っている得物は、ラムーナが魔剣を手に入れる前に使っていた小剣である。

 壊れた剣の砕けた刃は袋に収めてあるが、磨かれた柄を見れば、どれだけ大切に使われていたか分かるとサンディは言う。
 
「…主人が〈魔剣〉を与える人を選ぶのは、〈魔剣〉にも意思があるからなの。
 
 〈魔剣〉は、使い手に応じて邪剣にも、聖剣にもなりうるわ。
 意思を持つ故に使い手を支配することさえあるのよ。
 愚か者が使えば…剣を振るうはずが、剣に振り回されるような羽目になるというわけ。
 
 優れた〈魔剣〉には、それがあるだけで運命を変革する力を発揮するわ。
 だからこそ、主人は使い手の資質を見極めて〈魔剣〉を託すの。 

 私の勘だと、貴方は剣の方から求められる素質がある…
 きっと、貴方は〈業物〉と称されるような武具を持ったこともあるでしょう?

 匠に対する礼節をわきまえているもの」

 サンディの洞察に、シグルトは内心かなり驚いていた。
 
 かつてシグルトは、世界に一本しかないという特別な槍を所持していたことがある。
 ドワーフの鍛冶師マクラホンの銘を刻んだ、漆黒の槍だ。
 当時シグルトの技量は、その槍を扱うのに相応しいものだった。
 
 だが現在は、身体中に故障を抱え頻繁に武器を破損する始末だ。 
 サンディの言う素質など自分にはあり得ない。
 そう、シグルトは思っていた。

 シグルトの心を知ってか知らずか、サンディはそれ以上は追求しなかった。
 
 「他の方はここでお茶でも飲んでゆっくりなさってね」、と手作りの茶菓子を用意してくれる。

「なんなら、待つ間、商品でも見せましょうか?」
 
 そのように、親しげに話してくれた。
 
 仲間たちがサンディの言葉に甘え、くつろぎ始める。
 ロマンやラムーナなどは、好奇心に目を輝かせて武具を観察し始めた。
 
 シグルトはサンディに一礼すると、販売所を後にして工房に向かった。
 
 
 絶え間無く鉄を打つ音が響いている。
 鍛冶は熱した鉄を叩いて伸ばし、不純物を火花として弾き出す根気のいる作業だ。

 音が大きくなるにつれ、胸が自然と高鳴った。
 
 剣士にとって、優れた刀工とは医者のような存在である。
 武器は使う度に摩耗し、消耗していく。
 それを直すことが出来るのは、専門の技術を持った刀工だけなのだ。
 
 良い刀工に巡り会えば、優れた剣が使える。
 それは、剣士が最大の技量を発揮するために無くてはならないことだ。
 
 優れた剣は、優れた刀工しか直すことが出来ない。
 銘剣の類とは、研ぎ手が達人であって最高の切れ味を取り戻す。
 
 逆に愚鈍な刀工が扱った刀剣は、どんな銘剣の類でもなまくらと化すのである。
 
 シグルトは、自身の剣を普通の鍛冶師に扱わせなかった。
 彼の目に適う刀工がいなかったからだ。
 
 幼少の頃、シグルトは鍛冶師のところに通っていたことがある。
 その鍛冶師は最高レベルの刀工であり、武具の手入れはその鍛冶師から学んだ。
 
 鍛冶師…マクラホンが作った〈獣の銘〉と呼ばれる刀剣は有名だ。
 シグルトの国においては、剣を志す者にとってあこがれの銘柄だった。
 
 優れた武具を見ていたので、自分の目が厳し過ぎるのだという自覚はあった。
 だからシグルトは、あえて今まで優れた剣を使わなかったのだ。
 優れた剣は、手入れをする人間も選ぶのである。
 
 金銭的な余裕ももちろん理由の一つだった。
 だが、本当の理由は別である。
 
 己の腕を磨き、武器の性能に甘えないために。
 そして、思う存分力を込めて振るえるだけの剣が見つからなかったためだ。
 
 妥協を許さないシグルトの鍛錬から繰り出される技は、武具に多大な負担をかける。
 武器そのものが、技によって生まれる力に耐えられない。

 優れた才能が凡庸な剣を壊してしまうことは、剣士の世界では時折あることだ。 
 シグルトが本気で技を放っていたならば、今までの剣では数回の使用で使い物にならなくなったはずだ。
 
 今回の剣の破損も、同様だ。
 堅牢な石の扉を穿つほどの刺突は、頑強だった剣を粉微塵にしてしまった。
 
 初めて振るった剣はロマンを守るために、悪漢の重い得物を止めてへし折れた。
 最初の依頼で振るった剣は、敵の骨に食い込んでやはり折れた。
 
 仲間には話していないが、本当は自身の力と武器の折り合いが取れず、故障だらけの身体の負担にさえなっている。
 
 そんな状況だからこそ、シグルトは伝説的な名を持つブレッゼンに期待していた。
 彼になら、せめて力一杯振るえる剣を作ってもらえるのではないか、と。
 
 高望みはしていなかった。
 魔剣である必要などない。
 シグルトが第一に望むのは、武器の耐久力である。
 
 そのような妥協したことを言えば、匠の誇りを傷つけることも分かっている。
 匠の武器とは、全てを備えているものだ。
 
 伝説の刀工から魔剣を買うことが難しいだろう、とも感じていた。
 ブレッゼンの作る魔法の武具は、一番安い短い物でも銀貨五千枚を下らないで売られている。
 
 この間まで金に困っていた仲間たちに、剣一本で大きな負担をかけるわけにはいかない。
 
(まずは、砕けたこの剣が修理出来るのか尋ねてみよう)
 
 しみったれたことを考えているな、と苦笑したシグルトは、足を速めて工房の扉の前に立つ。
  
 数回ノックしてみたが、聞こえるのは鉄を打つ音ばかり。
 
〝主人は仕事に集中していると、周りのことが見えなくなるわ。

 ノックして返事がなければ、遠慮無く入って待っていてね…〟
 
 サンディが事前に言ってくれた言葉に従い、シグルトは工房の扉を遠慮がちに開けた。
 
 
 そこはむっとする熱気のこもった空間だった。
 
 シグルトが一歩足を踏み入れると、今まで鳴り響いていた金槌の音が不意に止む。
 
「…何者じゃ?
 
 わしはここに入ることを許しておらんぞ」
 
 厳つい、見るからに頑固そうな老人であった。
 不躾にシグルトを見ると、事情を察したのか、ふんと吐息を吐く。
 
「サンディめ、また勝手なことをしおって…
 
 貴様はそこの腰掛に座っておれ。
 今は手が離せん」
 
 そう言うと、老人はシグルトがそこにいないかのように、また作業を再開した。
 
 シグルトは黙って老人の言葉に従い、その作業を静かに眺めていた。
 
 かまどの炎によってぼさぼさにちぢれた灰色の髪と、立派な髭。
 眼光鋭い瞳が、太い眉の下で一心に赤く熱せられた鋼を睨み、武骨で逞しい腕がハンマーを振り下ろす。
 
 火花を散らして響く金属の声。
 
 シグルトは、子供の頃に見た鍛冶の風景を思い出していた。
 
 外で皆で騒ぐ子供たちと違い、シグルトはこうやって鍛冶屋や細工師の作業を眺めるのが好きだった。
 そこには匠と材料との会話があり、何かが形作られていく様は魔法のようだと思ったものだ。
 
 鉄の溶ける匂いと、空気に混じる水分が熱せられる独特の音。
 吸い込むとむせ返るような熱い空気は、シグルトの頭をぼんやりとさせる。
 
 …どれくらい時間がたっただろうか。
 老人はやっとこではさんだ熱い鉄塊を、慎重に水につける。
 
 ジュッゥゥゥゥウ!!! 
 
 直後、もうもうと蒸気が立ち上った。
 老人は取り出したそれをじっと窓にかざして見つめ、その後一心に磨き始める。
 
 また地味な作業が続く。
 リズミカルな、砥石と鉄のこすれる音が繰り返される。
 砥石を変え、時に鑢を使い刃の形にするまで長い時間がかかった。

 用意してあった金属製の鍔に柄。
 手慣れた様子でそれらを取り着け、一本の武骨な剣ができる。
 
 やがて老人の手がようやく止まった。
 
 老人は手に持ったそれを見つめ、一つ頷くと石でできた台の上に同じように置かれた他と一緒にそっと並べる。
 それはまるで、子供をベッドに寝かせようとする父親のようであった。
 
「…待たせたな。
 
 最近の若い者にしては、辛抱というものを知っておるようだ」
 
 そう言って自身の肩を叩きながら、ぎろりとシグルトを見た匠は、隙の無い足取りで側にやって来た。
 
 かつて戦士だったのだろう。
 老人の鋼鉄のような腕には、火傷や作業でついたものとは明らかに違う刀傷や鏃を引き抜いた痕があった。
 
(優れた作り手であるということは、優れた使い手でもある、ということか…)
 
 そんなことを思いつつ、シグルトは名を名乗り、ここにやって来た理由を簡単に告げた。
 
 老人は黙って聞いていたが、その武骨な腕をぐいと前に突き出した。
 
「…砕けた剣を見せてみろ」
 
 低く恫喝するような声であった。
 子供がいれば泣き出してしまっただろう。
 
 シグルトは、鞘に入ったままの折れた剣と袋に入った破片を差し出した。
 
 老人はそれを受け取ると、砕けた破片や剣の全体を丁寧に調べていく。
 いや、調べるというよりはいたわっているかのような手つきであった。
 
「…こやつを産んだ親は未熟者よ。
 そして貴様の前に振るっていた主も未熟だった。
 
 だが貴様は、己の未熟を知って振るったのだろう?
 欠片の一つまで、繰り返し研ぎ磨いてある。
 最後に可愛がってくれる奴に出逢えたのは、幸せというものよ。
 
 得物には領分がある。
 こやつも、己が領分を超えた故に砕けただけだ。
 
 だが、鋼がちゃんと教えてくれるわ。 
 本望だったと。
 
 完全に精が死んでいるが、実に見事な壊れっぷりよ。
 これでは、直すなど無粋というもの。
 鋼に戻し、生まれ変わらせてやるのが一番だ。
 
 形あるものには、何れ終焉が訪れる。
 主の技で結果を出し、死んで逝くのは武器の冥利。
 
 器械の生を全うし役目を終えた、果報者だ」
 
 その剣を静かに石の台に乗せると、老人は幾分優しげな目でシグルトを見た。
 
「お前は未熟だが、武器に愛されている。
 武器を愛でるということも知っているな…
 
 だから、お前にも鋼の声が聞こえるだろう?」
 
 シグルトは黙って頷いた。
 
 剣が砕ける瞬間、シグルトは握っていた剣の悲鳴と、同時に主を守りきったという誇らしげな音を聞いたのだ。
 
 戦い続ける間、剣はシグルトに武骨な歌と頼もしい重さでいつも応えてくれた。
 握り締めるたびに呼び覚まされる勇気と力。
 だからこそ、恐れることも無く剣を振るい続けられた。
 
 そう語ると、老人はシグルトの肩に手を置いた。
 
「…この中から選べ、シグルトとやら。
 
 ここに並んだ鉄の子供らは、お前と同じ未熟なやつらよ。
 
 しかし、貴様が腕を磨くうちに、その精が高まっていく。
 お前と共に強くなるだろう。
 時が来たら、それをわしが磨き、鍛え直してやる。
 
 お前が鋼の声を聞き続ける限り、わしも応えてやろう」
 
 老人は、節くだった太い指で石の台を指差した。
 そこには、この刀工が作り上げた数々の刀剣が並んでいる。
 
 シグルトは、先ほどまで老人が打っていた両刃の長剣を迷わず掴んでいた。
 
「かつて不倫の不名誉を負って、王国を去った最強の騎士ランスロット。
 汚辱の中で、王への忠義と王妃への愛に生きた武骨な心の英傑よ。
 
 これはその騎士の武における伴侶。
 銘はアロンダイトという。
 
 後にはキアレンツァ、アルタキアラ(オートクレール)と呼ばれ、甲冑を断つ無双の切れ味は騎士の誉れと謳われた。
 伝説の英雄ローランの友、騎士オリヴィエもこの剣を振るって武勇を轟かせたという。
 
 これは、その剣を摸して打ったものだ。
  
 お前が来た時に鍛えておったのは、必然だったな…」
 
 にやり、と老人…“神の槌”と呼ばれる匠ブレッゼンは、不敵な笑みを浮かべた。
 
 握った武骨で黒い鉄の塊。
 
 シグルトは、その産声と歓喜の声を確かに感じていた。
 愛おしげにその剣を撫でる。
 
「アロンダイト。
 お前の主となるために励むことを誓おう。
 
 そして生涯の友になれるように願う、幾久しく…」
 
 そっと刃に口付ける。
 古い古い、剣士と剣が交わす契りの儀式だ。
 
 コォォォン…
 
 震えるように啼き、その黒い刃は新しい主の誓いを受け入れるのだった。



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Y字の交差路


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『シンバットの洞窟』

2018.06.14(14:11) 450

 ヒバリ村を出て二日目。
 “風を纏う者”一行はリューンに帰還し、『小さき希望亭』に戻る途中である。

 彼らが常宿とする『小さき希望亭』は、このあたりでも老舗の冒険者の宿だ。

 “風を纏う者”が『小さき希望亭』の専属になったのは、仲間のレベッカがこの宿の専属だったためだ。

 宿専属の冒険者には様々な特権があり、例を挙げるなら宿の共有基金の使用権や、宿の倉庫に持ちきれない道具を預かって貰う、などがある。
 専属同士では、情報のやりとりや、状況に応じてメンバーチェンジを行ったりもする。
 
 宿専属の冒険者でも、他の地方や他の冒険者の宿で仕事をすることは可能だ。
 しかし、宿を背負って立つ冒険者としてそれなりの責任が伴う。
 
 反面、属する冒険者の宿からの全面的なバックアップを受けられるし、宿の主人が身元引受人になってくれるので、有事には大きなメリットがある。
 一番大きな特権が仕事の優先的斡旋であった。
 
 宿の専属冒険者は、名指しで仕事を受けられる。
 宿が冒険者たちの住所代わりとなり、宿の店主が冒険者たちの留守の間、代わりに対応してくれるのだ。
 急ぎの仕事でなければ他のフリー冒険者に仕事が流れたりしないので、専属でない者たちよりは仕事を確保しやすくなるのである。

 『小さき希望亭』は表通りに面した街道から間もなく、都市郊外の入り口に建っていた。
 リューン全体から見るとやや中央寄りの西地区、あまり裕福ではない住人が住むリューンの南地区からもそれほど離れていない西南西付近だ。

 このあたりは住宅街から飲みに来る職人たちを相手にした酒場や、旅人を相手にする木賃宿とともに冒険者の宿も多数点在している。

 『小さき希望亭』ができた頃、その周辺は閑散とした田園地帯であったという。
 リューンは交易都市として発展してきたため、少しずつ広がった表通りに隣接するようになったという歴史がある。
 近郊には人情味のあるさっぱりとした下町気質が強く残っており、外からやって来る脛に傷を持った冒険者を暖かく迎え入れきた。

 『小さき希望亭』の主人、ギュスターヴ・オジエは元冒険者でもあり、強面だが、荒くれの冒険者をよくまとめていた。

 現在、『小さき希望亭』を拠点にする冒険者パーティは“風を纏う者”と、同期である“煌めく炎たち”の二チームだけ。
 最近ベテラン冒険者が相次いでパーティを解散してしまい、宿を去っていった。

 戦いに身を置き、身体を張る家業である以上、何時かは引退の時期が来る。

 シグルトたちが世話になったレストールとコッカルトは現在東方に遠征している。
 冒険者たちの中には、特定の宿の専属にはならずフリーの状態で各地を放浪する者も多い。
 この方が柵(しがらみ)が少ないからだ。

 ソロ活動をするベテラン冒険者が数人、『小さき希望亭』に席を置いているが、彼らはしばらく宿に帰還しておらず、【冒険者の宿連盟(以降連盟)】という組織から情報更新の勧告が来ていた。
 行方不明でない限りは二年に一度、冒険者の宿が所属する連盟に、宿を拠点とする冒険者の名簿を提出する義務があり、その期限が数週間後に迫っている。

 立地から、"風を纏う者"が常宿とする『小さき希望亭』はリューンの連盟西支会に所属していた。

 連盟は、冒険者の宿が集まって運営する互助組織だ。
 この組織が成立したのは、冒険者という職業の扱い難さが要因であった。

 冒険者は武辺者の集団である。
 食い詰め者の集まりでもあり、自由を愛する風潮から国や都市の政治が関わった堅苦しい組織への帰属を嫌う。
 身分や出生もほとんど問わず、偽名でも他国の元犯罪者でも、能力とやる気さえあれば職業的に受け入れてしまう傾向があった。

 このようなわけのわからない人間たちが集まって都市活動をするということは、国や都市で人間を管理する立場の者から見れば大変な【問題】だ。
 しかも多くが、他国からの移入者や、職を失って流れてくる放浪者、難民、亡命者、没落した貴族や騎士、傭兵、孤児、旅の武芸者、芸人、研究者、組織に馴染めないはぐれ者、一般的な社会人から逸脱した考えを持つ変人奇人の類などである。
 定住する都市の十人とは一線を画するのだ。

 そういった【不穏分子】を距離を置きつつ管理するためには、と考え出されたのが「【冒険者の宿】に管理役を申し付ける」という方策であり、宿同士が所属する冒険者の情報を交換し冒険者とお役所の間に入って緩衝役となり、軋轢が発生するのを防ぐ【冒険者の宿連盟】という組織であった。

 冒険者の宿経由で依頼を融通するギルドや、冒険者の活動を支援する団体などは各都市ごとに様々なものが存在するが、多くは冒険者の職業的性格の面からまとまりがない。

 都市側でも冒険者の勢力を管理しないと、都市内で起きた暴動などで脅威となる可能性があり、連盟を通じてリューンの自警団から所属する冒険者の人数や活動状況をチェックされる。
 冒険者の宿がある都市や街、あるいは近隣の町や村などが、ドラゴンなどの強大な怪物やモンスターの軍団に襲われた場合、冒険者は臨時の兵役あるいは傭兵として招集される可能性があり、その時は連盟から通達がある。
 
 冒険者が遠方に行く場合は、二年に一度の届け出に間に合わない可能性がある場合、〈冒険者としての活動を停止している〉と届けでる義務があり、活動停止した冒険者は連盟経由の依頼や特権の恩恵を受けられない。

 連盟のブラックリスト…冒険者の業界から除名された冒険者は連盟に属する宿から退去せねばならず、連盟に所属してない冒険者の宿は都市法の関係から営業権を取り上げられ、宿の営業停止や…最悪で取り壊しが行われる。
 無論もぐりの冒険者の宿も存在するのだが、そういう宿はまともではない犯罪者などの巣窟だ。

 非公認の冒険者を、都市に住む貴族や上流市民は人間扱いしない。
 野良犬や社会の屑と呼ばれ、まるで被差別賎民のように扱われる。
 そういう連中の扱いが転じて、冒険者全体を差別する輩もいるのである。

 冒険者の宿に属さないフリーの冒険者は、都市活動のために連盟の公認登録をしておく必要がある。
 これは都市の外から来て冒険者を名乗ると、街門の衛兵に手続きを取らされるごく一般的な処置であり、あるいは宿の専属をやめて活動する場合にも必要だ。

 都市で活動するということは、住人として税を収め、その都市の人間たちと付き合っていくということであり、そういう事務処理ができない冒険者の代わりに手続きを行ってくれるのが冒険者の宿であり連盟である。

 たとえ冒険者であっても宿を住所として連盟に所属しない者は、都市や国にとどまる期間が定められ、期間が過ぎると市外・国外に退去せねばならない。
 こうしないと、都市が冒険者を名乗る難民で溢れてしまう可能性があるのだ。

 貧民街や犯罪組織に隠れて生活するといった抜け道はあるが、税金も払わず好き勝手している者は公共の権利を持てない。
 最低限の権利…生きる権利すら剥奪されるのである。
 すなわち、暴行されても犯されても殺されても、法に訴えることすら許されない。

 この時代、階級制度は当たり前にあり、術との人間に対して人権を尊重するという考えは希薄である。
 封建制度のある国に属したリューンは、交易都市ということで様々な民族が入り乱れはするものの、こういった社会的歪はあちこちに存在していた。

 連盟の利点は一度【冒険者の宿】を経由し、その宿が連盟という組織を組むことで「冒険者の求める自由」を〈直接縛らない配慮〉がされている。
 問題の多い出身の冒険者でも、宿というホームがあって、一応の住所を持つことができる。
 冒険者の宿帳はいわば冒険者たちの戸籍であり、宿は組合、連盟は自治会のようなものであった。


「お前たちが、“風を纏う者”か?」

 “風を纏う者”の五人がいつものルートで宿に向かおうとしていると、それを遮るものがあった。
 恰幅の良い商人風の男で、護衛らしき人物を二人連れている。
 豚面で目付きが嫌らしい、典型的な悪人顔である。

「そうだが、あなたは何者だ?」

 先に名乗らない無礼に少しムッとしつつ、シグルトが誰何する。

「私は、冒険者の宿『金色の栄光亭』の主をしているヤニック・ブーシャルドンだ。
 現在の連盟西支会の支会長でもある。

 私を知らんとは、なっておらんな」

 上から目線で語るヤニック。

 レベッカの眼が剣呑な光を宿す。
 ラムーナ以外の面子も表情を硬化させている。
 
「それは失礼。
 俺はシグルト。
 “風を纏う者”の代表者をしている。

 何分、ひと月以上リューンを離れていたので、支会長の交代があったとは知らなかった。

 あなたも冒険者に関わる立場ならば、こういった遠征から戻った冒険者が拠点とする宿に戻る前は、この手の情報をまだ知らないことも御存じだろう?
 勤労の冒険者とは絶えず〈冒険に出ている〉ということなのだから」

 シグルトはまず自分の立場を名乗って一応の礼儀は尽くし、その後にヤニックの配慮の無さをバッサリ切って捨てた。
 ロマンがその痛快さに思わずニンマリする。

「ふん、生意気な。
 まぁいい。
 今回はお前たちに良い話を持ってきた。

 お前たちは、私の『金色の栄光亭』に移籍するのだ。
 すぐに手続きをするから、私に従え」

 そのぶしつけさな言葉に“風を纏う者”の一行は全員失望をあらわにした。
 「時間の無駄だ」と。

「断る。

 冒険者の宿の移籍は、宿の店主を通じて行われるのがこの業界の伝統だ。
 たとえ『小さき希望亭』が閉店していて店主が亡くなっていても、一度宿の場所に帰らずにそのようなことには従えない」

 シグルトはきっぱりと断ると、これ以上聞く価値も無いとばかりに去ろうとした。

「ふん、少し名が知られればこの様か。

 私の『金色の栄光亭』は、バラチエ男爵家の寵厚く、その御子息が所属している。
 熟練冒険者として名高い“明けの先駆者”や、英傑と言われる“閃傑”レアンドルが所属し、他にも数多くの有力な冒険者が集まっているのだ。

 その教導を受ける栄誉を与えてやるというのに…

 古臭い冒険者の仁義など、新たな秩序の前にはゴミのような物。
 お前たち冒険者は、管理する我々に従わなければ野良犬同然だということを忘れているようだ。

 オジエなどと言う冒険者くずれの経営する、屋根の傾きかかった宿にこだわるなど、愚かなことだぞ?
 お前たちに選択肢は無い。

 もう一度言う、私に従え!」

 シグルトの行く手を遮るように、不本意そうな表情をしたヤニックの護衛が一人立ち塞がる。
 命令されてしかたなく従っている様子だった。
 
 シグルトは眉間にしわを寄せて目を一度閉じ、上を向いて一呼吸置いた。
 そしてヤニックに向いて、かっと目を見開く。

「とっとと失せろ、ブー何とか。
 俺たちは、おつむの緩んだオークの出来損ないからたわごとを聞く気はない。

 連盟は冒険者を支配する組織ではない。
 ただの互助組織だ。
 もし連盟支会の名で我々の自由を縛るというなら、俺は連盟の本部に行って、リューンの都市法からこのことを糺し抗議する。
 その時は、貴様が職権乱用の罪で裁かれて宿が潰れ、自慢のお偉い冒険者たちはその多くが路頭に迷うだろう。

 バラチエ男爵家の威をかさに着て脅しても無駄だ。
 この場に貴族家の者がおらず、与かる紋章も見せずに威を騙るのは、貴族法に違反する詐称行為だぞ?
 軽々しく無断で貴族の名を恐喝に使うのは、斬首に値する愚行と知れ。

 話は終わりだ。
 そこをどけ…通行者の迷惑になる」

 普段罵詈雑言の類はあまり口にしないシグルトであるが、この時の舌鋒は鋭利だった。
 その迫力と目力に護衛は思わず後ずさってしまう。

 本来貴族の関係者は、その貴族当人か親族でない限りシグルトの言うように紋章や証書を示して名乗るもので、単に貴族と仲良くしている程度の者が勝手に庇護されていると思い込み名を騙るのは明確な越権であり、貴族の名を軽んじる侮辱行為である。
 貴族の初歩も知らないと知り、シグルトはわざと名を覚えない形でホームである『小さき希望亭』や冒険者を蔑んだヤニックを侮辱し返し、切って捨てた。
 今回のように虚栄心の強い人間にやり返す時、一番効く手である。

 わなわなと震えるヤニックの横を、シグルトは颯爽と通り過ぎる。
 その後ろからレベッカが続き、ヤニックの耳元で呟く。

「豚ちゃん、オイタが過ぎたわね。

 言っておくけど、私はリューンの裏社会でとっても偉い“片眼鏡”とは仲良しなの。
 そっち経由で嫌がらせとかは無駄だからね?

 あんたが昔、よその花街で強引な女衒やって荒稼ぎした亡八の屑だってことも知ってるわ。
 ありえない借金の利子で、人生台無しにされて恨んでる女の子やその肉親、多いのよぅ?

 朝になったら〈喉笛から真っ赤な水を吹いてた〉、なんてなりたくないでしょ?

 分かったんなら、私たちの前では目を閉じて震えながら息も止めてな。
 吐くもんが全部臭せぇんだよ、ブー何とか」

 一度ぽんとヤニックの肩を叩き、通り過ぎた後に手入れ用のぼろきれを取り出して手を拭き、投げ捨てる。

 口元は優雅に微笑みながら、目は全く笑っていなかった。
 黒い感情を出した時、“風を纏う者”で最も怖いのは彼女である。

「…おじさん、馬鹿でしょ?

 僕はこれでもそれなりに地位のある導師についた魔術師見習いだから、僕の道を閉ざすなら賢者の塔に訴えて抗議するよ?
 多分今みたいなことをしてたら、冒険者やってる魔術師の大半を敵に回すんじゃないかな?
 賢者たちに睨まれたら、連盟の支会長なんて、鼻息で貧民街のどぶまで吹き飛ばされちゃうよ。

 わかったなら、邪魔しないでね…ブーなんとかさん」

 こういう時にまったく遠慮しないロマンである。
 その上、レベッカの捨てたぼろきれをわざと両足で交互に踏みにじって行った。

「う~んと、ブーさんだっけ?
 ええと、〈冒険者の自由を縛るのは、オーガーに平和を説くようなもの〉なんだって。

 シグルトたちを怒らせると怖いのよ。
 この間だって、でっかいハゲの巨人が怒って追いかけてきても【くぅる】だったし。
 もうこういう話しないでね。

 じゃ、ばいば~い」

 ラムーナはなんとなく仲間に合わせた。
 「えいっ」と、しっかりぼろきれを踏んづけて行くあたり、容赦はなかったが。

「…わしは、聖海教会にて司祭職を賜っておるスピッキオじゃ。

 おぬし、冒険者が下級貴族や騎士の継嗣に成れぬ子息がよく就く稼業だと、知ってはおるんじゃろう?
 商人崩れや、魔術師、わしのような聖職にありながら布教伝道と救済を志して野に下った者が多数混じっておることもの。

 今のようなことをやっておったら、その多くを敵に回すじゃろう。
 連盟とはそんな一癖も二癖もある連中と世間の橋渡しをするためにできた組織じゃ。
 幹部たる者が職務に必要な礼節を損なって、冒険者たちが連盟の指示を無視するようになったら、都市騒乱の罪で文字通り首がとぶぞぃ。

 おぬしの顔と役職は覚えた。
 決してこれ以上の悪さをするんじゃないぞ、ブーなんとかよ」

 説教しつつ、さらりと名前はまともに呼ばないスピッキオである。
 商人の子としてヤニックの無礼は目に余るし、聖職者である自分が服従するのは神の御意思にのみ…である。
 教会側から多数の人材が冒険者となっている点からも、教会勢力を完全に無視したヤニックの発言は許し難い。

 加えるなら、教会の司祭として名を出すということは、「冒険者とともに救済活動することを容認している教会の意思を軽んじるのか?」ということ。

 長い話でだいぶ仲間と離れてしまったので、慌てて後を追った。
 そこに狙ったように、風で舞ってきたぼろきれを、本人は知らないまま踏んづけて行く。
 精霊トリアムールの悪戯であろうか。

 扱いが酷かったそれは、スピッキオの体重に耐えられず、ついにびりっと破けた。

「おのれ、おのれぇっ!
 
 私はヤニック・ブーシャルドンだぁ~!!!」

 キレたブー何とかが地団太を踏んで叫ぶ声が聞こえたが、周囲で様子を見ていた者たちは護衛も含めて、〈溜飲が下がった〉とばかりに完全な無視を決め込むのだった。


「あの男の詳細を知っているか?」

 ヤニックの姿が見えなくなった後、シグルトは歩きながらレベッカに問うた。

「もちろん。
 リューンの連盟に入ってる冒険者の宿についての情報は、全部あたしの頭の中に入ってるわ。

 あの糞豚野郎は、三年前ぐらいに西地区の一等地に冒険者の宿『金色の栄光亭』を建てた。
 そのやり方が地上げ同然だったんで商工会ともめたんだけど、リューン市議会のお偉いさんや貴族にたんまり貢いで、示談金を山ほど払ってこの件は治めたの。

 リューンの南にある色町で娼婦になる女を探して売り捌く女衒の元締めが、あいつの父親なのよ。
 青年期は実家の稼業で随分荒稼ぎしてたみたいね。

 地元では美人で有名だった騎士の娘を娼婦にしようと企んで罠にはめ自殺させちゃったもんだから、その父親と婚約者に恨まれて殺されかけたみたい。
 冒険者の宿の店主になったのは、地元にい辛くなったんでしょうね。

 で、過去に稼いだ金に物を言わせて、新人で有力な都市外の冒険者を集めて、そいつらを中心に宿の名声を上げてきたわけ。
 所属してるパーティは、私がリューンを出る前は十二あって、登録してる冒険者は五十人を越えてたわ。
 入れ替わりが多いから今の規模は分からないんだけど。
 二軍みたいなのがあって、『金色の栄光亭』の本館に籍を置けるのは一流だけみたい。

 古株の“閃傑”レアンドルは正統派の剣士で結構な実力派みたいね。
 酒癖・女癖が悪いのと、よく暴力沙汰を起こすから嫌われ者でパーティには所属してない、所謂シングルよ。
 たぶん私たちが束でかかっても、素面の時に勝つのは厳しめね。
 悔しいことに 魔法の武具持ちで、レストールやコッカルトと同格ぐらい。
 才能もあるわ。
 この間のトロールに再生力と岩みたいな硬さが無ければ、いい勝負ができるんじゃないかしら?

 “明けの先駆者”は、アレトゥーザの一流冒険者“海風を薙ぐ者達”と多分同格かちょっと劣るぐらいね。
 昔キーレで飛龍を落としたとか、オーガを倒したって武勇譚があるわ。
 ま、今はロートルの集まりね…みんな五十近い爺ばかりだし。
 一回引退したんだけど、過去の栄光が忘れられなくて再結成したそうよ。

 で、一番厄介なのが…あいつが名を出さなかった“緋の聖騎士”ジスラン。
 まぎれもなく天才よ。
 秘蹟が使えて剣術の才能もある【二重能力者】。
 聖北教会の厚い信者で、父親が御堂騎士団の騎士なの。爺様が子爵様ね。
 普段は品行方正で善良らしいけど、精霊術師や亜人は人間扱いしないっていう差別主義者。
 気障でなまじ美形だから女にもてるのよねぇ…あんたと比べたらその辺の美形が全部凡人になるんだけどさ。

 構成員の特徴としては、仁義知らずの吹き溜まりよ。
 引き抜きに平気で応じる奴とか、実力はあっても素行に問題があって一回連盟のブラックリストに載った奴とかばっかり。
 〈更生のためだ〉とか言って、あの豚がブラックリストから無理やり削除したり、〈支度金〉なんてこと言って実質は金に困ってる冒険者買い取るとか。
 他には後輩冒険者を丁稚扱いで荷物持ちや召使い扱いにしてるわ。

 話が違うって勝手に宿を出た連中は、連盟にブラックリスト入りされた上に、手や足を壊される【仕打ち】をがあるの。
 穏便に宿の所属から抜けるには、高い違約金を払わせるそうよ。

 今のところ、他の宿の冒険者には暴力沙汰を仕掛けていないわ。
 さすがにそれは連盟の規則で禁じられてるからね。

 でも、あの豚は〈報復のために実力行使は必要〉とか言って、規則の改訂をしようとしているわ。
 そんな法案、都市で冒険者の抗争を活発化させるだけだから、たぶん連盟の総長や他の支会長が許さないでしょうね。
 
 私たちへの勧誘は、さしずめ連盟総長を目指す上での兵隊集めってところかしら?」

 よくぞそこまで調べたという情報量である。
 レベッカ曰く「リューンにとって不利益になる存在」として、盗賊ギルドに監視されている人間らしい。

「とりあえず、次の会談で今日あったことを盗賊ギルドに伝えておくわ。

 ちょっと前に“緋の聖騎士”が盗賊狩りやろうとして抗争になりかけたから、盗賊ギルドの連中は目の敵にしてるのよ。
 あれだけぼこぼこに論破してやったのは、多分もうギルドに伝わってるでしょうね。

 シグルト、あんたしばらくは盗賊たちの英雄よ?

 【ブー何とか】…プフッ、やばい、思い出した。
 クフフッ、笑いこらえるの大変だったのよ。

 見たでしょ、【おつむの緩んだオークの出来損ない】って呼ばれた時の顔!
 一瞬あっけにとられて、ゆでだこみたいに真っ赤になって…鼻の穴の広がること。

 あんた、頭に来てる時に、よくもあんな絶妙な呼び方ができたわね。

 いかん、苦し…横腹よじれる!」

 近くにあった商店の壁に手をついて、レベッカは笑いまくった。

「ふむ、あいつを二つ名で現わすなら、“輝く地団太”ブー何某、か。

 あれは絶対【かつら】だ。
 横目で見たが、激しい足踏みで明らかにずれかかっていた…
 あの時吹いた風で落ちていたら、俺も平静ではいられなかっただろう。

 秘めたるものは、宿の名前に相応しい眩さかもしれん。
 黄金ではなく、【真っ赤な栄光】の方が相応しいとも思うんだが。

 だが俺たちは〈頭が寂しい〉とは間違っても言えない。
 それは隠しもしない『小さき希望亭』の親父さんに対して、あまりに失礼だ。

 …このことは親父さんには内緒だぞ?」

 片目を軽く閉じ、真顔でシグルトが冗談を言うと、ロマンとラムーナが同時に噴き出した。
 スピッキオは後ろを向いて、何かを耐えるように肩を震わせている。
 レベッカは会話ができないほどツボにはまって、笑い転げていた。

 普段生真面目なシグルトが、まさか諧謔を弄ぶとは。

 何故か…近くから同じように、笑いに喘ぐ声が続いた。


 『小さき希望亭』に到着すると、"風を纏う者"はヤニックのことを真っ先に報告した。

 宿の親父はその話を苦虫を噛み潰したように聞いていたが、シグルトが啖呵をきったあたりから鼻の穴が膨らみはじめ、スピッキオの説教のあたりで涙を流すほど笑い転げた。
 そして、勝手なことをしてすまなかったと謝るシグルトに親指を突き出して、一言「よくやった!」と褒めてくれた。
 無論、“輝く地団太”云々は、"風を纏う者"全員が墓の中までもっていく秘密扱いである。

「あの野郎は西地区の鼻つまみ者でな。

 他の冒険者の宿は揃って抗議したんだが、役所のお偉いさんが賄賂を弾んだあいつを勝手に支会長にしちまった。
 一週間前のことだ。

 今の連盟総長は俺の古い知り合いなんだが…
 他の連盟幹部の許可が無い人事だったもんだから、完全な会則違反でな。
 総長のブチ切れっぷりは、市長の机をひっくり返す勢いだったそうだぜ。

 支会長って役職は、市議会で推薦はできても、対応した地区にある連盟に属した冒険者の宿の店主から、過半数から承認が必要なんだ。
 当然あんな奴にそれだけの承認なんてあるわけがない。

 奴の息がかかってないリューンの冒険者の宿が揃ってまとめた意見書で、総長がついさっき市議会と市長ををつるし上げたところでな。
 ヤニックの子飼いの宿以外が満場一致で、別の西区支会長を立てるってことで話がまとまってる。
 あの豚野郎には明日一で、支会長解任の辞令が届くだろうぜ。

 本当は連盟から排除したいんだが、お貴族様が関わってるもんだから早急にってわけにはいかないんだよ。

 『金色の栄光亭』に関しては、問題児ばかりでもそれなりに優秀な奴らがいるから、とりあえず様子見に決まった。
 とりあえず野郎がちょっかいかけてこないか今のところ見通しが立たないから、しばらくは用心しておけ。
 そんなことをしたら、必ず奴の店を潰すけどな。

 大丈夫だ…シグルトの啖呵の話を総長にすれば、ククッ、悪いようにはならない」

 親父が請け負ったことで、この話題は終わりになった。

 尚、余談であるが…
 その日の夜、『小さき希望亭』の"風を纏う者"宛で複数の酒樽が届いた。

 添えられたメッセージは一様に、「『真っ赤な栄光亭』の"輝く地団太"に乾杯!」とあった。

 それを読んだレベッカが笑い過ぎて酒を飲めない事態になったのだが、腹筋を痙攣させて息も絶え絶えな彼女に癒しの秘蹟まで使ったスピッキオが「これは仕方あるまいの」と肩を震わせ、ロマンもラムーナもしばらく飲食物が喉を通らなかった。

 シグルトは一人、「拙いな…」と眉間にしわを寄せていたが。


「オークの討伐か。
 随分と冒険者らしい荒事が回って来たな」

 次の日。
 久しぶりにゆっくりと睡眠をとったシグルトは、ラムーナを相手に朝の鍛錬を済ませると、起きてきた仲間たちと朝食をとっていた。
 そこに、連盟経由で"風を纏う者"への【指名依頼】だと、羊皮紙に書かれた依頼書が届けられた。

 妖魔討伐の依頼は中堅として認められた冒険者に回ってくることが多い。
 危険度もさることながら、妖魔の集団を相手とする戦術を立てられ、対処可能な技量が求められるのだ。

 依頼に失敗すれば妖魔側からの復讐もあり得るし、依頼中に妖魔に捕らえられればなぶり殺しにされる。
 
「こういうのを中心にやっている“煌めく炎たち”の連中に回さなくてよかったのか?

 討伐ものは、火力のあるあいつ等の方が得意だと思うんだが」
 
 依頼内容を確認しながら、シグルトが宿の主人に確認する。
 
 “煌めく炎たち”は、戦士マルスを中心とする冒険者たちだ。
 サブリーダー的な存在のゼナは性格が過激で難はあるものの、炎の精霊術師であり戦士としての技量も持つ。
 回復術を得意とする尼僧のレシールもいて、一番大切な治療に関しては及第点。。
 攻撃魔法が得意な魔術師のカロックがおり、探索力に長じた盗賊のジェフという男もいる。

 彼らは総合的に戦闘力が高く、特に炎の精霊術師であるゼナの攻撃能力は極めて高い。
 命懸けの危険な依頼が多い討伐依頼ばかりを受け、高い達成率を誇っていた。
 
 シグルトたちと同期の冒険者であり、近隣の若手では“風を纏う者”と実力を二分するとさえ言われている。
 
 彼らの実力を認めているシグルトは、宿の親父に問うた。
 “風を纏う者”に依頼するというのは、どういう意味があるのか、と。
 
 宿の親父は「確かにあいつらに頼むのが普通だろうが…」と前置いて、話を続けた。
 
「場所は隣町になるんだが、依頼のオークが占拠した洞窟がフォーチュン=ベル方面に向かう街道の近くにあるんだ。
 
 お前たちは、あっちでも討伐依頼をこなしてただろう?
 向こうでの活躍を噂に聞いてたっ、てわけで依頼人の覚えがよくてな。
 
 それに、“煌めく炎たち”の連中は戦闘力こそ高いが、罠の解除や慎重さはまだ未熟だ。。
 元傭兵のマルスは戦術的なセンスはあるんだが、シグルトに比べるといささか力圧しの傾向があってなぁ。
 血の気の多い猪女がいるし、オーク相手には時期尚早だろう。
 
 今回の依頼は、場所が半ば遺跡で、探索能力も必要になりそうなんだ。 
 この宿でレベッカ以上の探索能力を持ってる奴はいないだろ。
 
 あと、この仕事はちょっとばかり因縁があってな。
 一回同じような依頼が、他の宿で出されて、そこそこの冒険者どもが出張った後なんだ。
 その時討伐し損ねたオークが逃げて、戻って、また増えたらしい。
 
 高い金払って仕事をして貰ったのにまたオークに住み着かれちまったから、依頼人にとっちゃ、より完璧にやってくれる奴が良いってことだ。
 だから宿としても、仕事を確実にやってくれるお前たちを推薦したってわけだ。
 
 事前に聞いた情報では、重武装したオークの姿を見たって話もある。
 おそらくは上位種のロードがいるんだろう。
 きっと何かでその洞窟を離れていたロードが、帰ってきたんだな。

 ただのオークどもならたいしたことはないが、ロード種がいるとなれば話は別だ。
 優れたリーダーのいるオークたちは、結束力と戦闘力が段違いになる。
 実際、見張りは二体もいて隙が無く、偶然通りかかった冒険者たちに頼んだところ、太刀打ち出来そうに無かったらしい。
 
 そこで戦術に明るいシグルトの名前が出たってわけだ。
 
 お前の巧みな戦術は、最初にお前たちがやったゴブリン退治の頃から語り草なんだよ」
 
 親父の高い評価に、レベッカがウインクして、「こういう評価には応えなくちゃね」と微笑んだ。
 
「…話は分かった。
 
 だが、馬鹿力のオークどもが相手となれば、ゴブリンを相手にするのとはわけが違う。
 やる以上は、かなりの危険を覚悟する必要があるが、皆構わないか?」
 
 シグルトは、いつものように仲間たちに問うた。
 彼はせっぱ詰まった状態でもない限り、仲間の意見を出来るだけ確認するようにしている。
 
 反対意見は特に無かった。
 此処まで期待されているのに、断るとなれば、名折れとなるからだ。
 
 シグルトはハーティの総意を確認し終えると、すぐにこの依頼に必要な契約を済ませた。
 
「まだ昼前だから、今から立てば今日中に依頼が遂行出来るな。
 
 旅の準備は万端か?」
 
 契約書にサインし終えてシグルトが問うと、抜かり無しとばかりにレベッカが道具の入った袋を持ち上げた。
 
「ではすぐに立とう。
 
 貪欲で気性の荒いオークどものこと。
 依頼の達成が遅くなるほど被害も出る…討伐ものの依頼は、迅速さが大切だ。
 
 昼食は軽く、道中で済ませよう。
 あまり腹が満たされていない方が、仕事は出来る。
 美味いものは、依頼を終えてから食えばいい

 飲む酒は、何故かしばらく困りそうにないしな。
 親父さん、“煌めく炎たち”にマルス経由で昨日の酒を一樽やっておいてくれ。
 指名依頼を貰った前祝だとでも言ってもらえば、あいつらへの不義理を雪ぐ誠意にもなるだろう。
 
 飲む酒があれば、ゼナがごねることも無いはずだ」
 
 あくまでも荒事は“煌めく炎たち”の領分として彼らを立てる。
 この義理堅さがあるからこそ、【瞬間湯沸かし】とか【暴走する炎】と呼ばれる短気なゼナも、シグルトに対してだけは悪意を見せない。
 レベッカと口喧嘩をしていても、シグルトが間に入れば借りてきた猫のように黙るのだ。

 才能がありプライドの高いゼナは、"風を纏う者"が自分たちを飛び越えて討伐の指名依頼を受けたと知れば、必ず機嫌が悪くなるだろう。
 その時の親父やマルスのフォローにもなると、シグルトは細かな気遣いを見せる。

「お前がそれをできるから、冒険者を始めて半年もたってないのに連盟経由で指名を貰えるんだ。
 
 昨晩報告してくれたヒバリ村の一件も、お前たちが商業ギルドで為替のやり取りをすれば、すぐ広まるだろう。
 トロールとやりあって生き残った、しかもその石像が残ってて魔剣持って帰ったなんて話、ちょっとした英雄譚だぞ?

 近いうちに目聡い吟遊詩人どもに追っかけやられて、ゼナとレシールあたりにやっかまれるから覚悟しとけ」

 ニヤリと笑うと親父は、“煌めく炎たち”のフォローを請け負った。

 シグルトは「名が売れるのは冒険者として臨むところだが…話が大きくなり過ぎだ」と困った顔をすると、きびきびと仲間に指示を出し、得物の具合を確認し始めた。
 
 
 数時間後の夕刻近く、シグルトたちは件のオークたちが占拠したという、『山の洞窟』の前に来ていた。
 
 洞窟には見張りのオークが三体。
 そのうち二体は洞窟前方、もう一体は洞窟の入り口から少し上にある岩棚に陣取っていた。
 
 “風を纏う者”は、一端洞窟の風上にならないよう戻って距離を取り、どうするか相談を始める。
 
「…厄介ねぇ。
 
 下手に正面の連中を倒せば、後ろの奴にすぐにばれるでしょう。
 しかも二匹もいるから、忍び寄って暗殺ってわけにもいかないし。
 
 かといって、後ろの奴をロマンの魔術でちまちま攻撃していたらばれるかもしれない。
 やっぱり、岩棚の奴をロマンの魔術で寝かせて、続けて正面でのんきに話してる2匹も眠らせるのが妥当かしら?
 
 飛び道具を持っていないのが痛いわ。
 あれば、同時に仕留める方法とか考えられるのに」
 
 連続で魔術を使うという案に、「疲れそうだね」とロマンが溜息を吐く。
 魔術の使用回数には限りがあるのだ。
 
 そこでシグルトが、話に割って入った。
 
「レベッカのやり方は堅実だが…ロマンの魔術は今後にもっと必要になるはずだ。
 ここは魔力を温存しておくべきだろう。
 
 眠りの魔術は、オークのような群れを作る連中に絶大な効果がある。
 中にいる敵の数が分からない以上、切り札は多い方がいい。
 
 岩棚の一匹は俺の精霊術で何とかする。
 戦闘中は制御が難しいんだが、ゆっくりやれば狙うこともできるだろう。

 ロマンは正面の二匹を眠らせてくれ」
 
 シグルトの言葉に、一同は「あれか」と納得顔になった。
 
「あの精霊術があったの。

 聖海の秘蹟にも【魔法の矢】に似たものがあって、その登場が異教徒との争いを終わらせたほどじゃが…遠距離の攻撃手段はもう少し用意しておいた方がよいかもしれんの」
 
 スピッキオがちらりとレベッカを見て、「だいぶ稼いだはずじゃが」と呟いた。

「そうね。
 延び延びになってたけど、各自の装備や技能向上はやっておいた方がいいでしょう。

 この話は帰ってから、ゆっくりね」

 一行は話を止めると、行動に移る。

 シグルトが虚空にすっと手を差し伸べた。
 それに応えるかのように、ふわりと風が渦巻く。
 彼が虚空に「〈トリアムール〉」と呟くと、彼を包むように一陣の風が吹いた。
 
 
 そのオークは、見張りという貧乏クジを引いたことに不機嫌だった。
 
 もとより真面目にやる気などまるで無い。
 この岩棚からなら周囲を一望可能だし、見張りは他に二匹もいるからだ。
 
 下の連中も暇なので、のんびりと談笑しているではないか。
 
 「〈王〉は神経質過ぎるのだ」、とぼやき、そのオークは下品に鼻を鳴らした。
 
 前に人間たちの襲撃があっが、その時ちょうど〈王〉が他の〈王〉に逢うために巣を留守にしていた。
 〈王〉とその護衛たちがいなかったせいでまとまりの無かったオークたちは、その半数が殺された。
 
 それは、〈王〉がいなかったから仕方なかったのだ。
 今は賢く強い〈王〉がいる。
 
 そしてこの巣には、〈王〉が様々な仕掛けをしてある。
 強欲な人間ならコロリと引っかかるように。
 だから大丈夫だ。
 
 そう思ってオークが下を見下ろすと、下の二匹は呑気にあくびをしている。
 …寄り添って仲良く眠るつもりのようだ。
 
 オークは、「さぼるな」と声をかけようとする。

 …その時不意に、強い風が吹き付けて来た。
 
「…?」
 
 自分の声が出ないことに気付き、オークは目を見開いた。
 だらだらとどす黒いものが、自分の喉からこぼれ出て行くく。
 
「…ヵ…ヒュッゥ―」
 
 それが自分の血ではないかと気付いた時、オークの視界は濁り始めていた。
 
 何故だろう?
 とても眠い。
 
 遠くで人間の牡が立っていた。
 その人間が、自分に向かって手をかざしている。
 
 下の連中に知らせなくては…
 
 続きを考える前に、オークは喉からの失血によって目覚めることのない眠りについた。
 
 
「―――すっご~いっ!!!」
 
 鮮やかに岩棚のオークを仕留めたシグルトを見て、ラムーナがこっそり驚嘆の声を上げた。
 
 シグルトが使ったのは、精霊〈トリアムール〉の力を用いた風の斬撃である。
 敵が気付いておらず油断していたため、正確に遠距離から喉を切り裂いたのだ。
 
 同時にロマンが放った呪文によって眠りについた二体の見張りに止めを刺すと、レベッカが戻って来た。
 
「…この手の術が便利なものだとは聞いていたけど、これじゃ飛び道具がお役御免になるわよ。
 
 使いどころを考えれば、奇襲にはもってこいだわ」
 
 感心するレベッカの言葉に、誇らしそうに強く風が吹いた。
 シグルトの風の精霊〈トリアムール〉が自慢でもしているのだろう。
 
 シグルトは、ふんぞり返った〈トリアムール〉を想像し、戦いの緊張に強ばっていた頬を少しだけ緩めていた。
 
「…この術そのものは数回の使用が限度だ。
 一度の術で、二回風を起こして攻撃が出来るが、乱戦時に狙いを定めるには制御が難しい。
 剣を振るいながら準備するのは、おそらくほとんど無理だと思う。
 俺は専業の精霊術師ではないからな。
 
 今俺に宿っている風の力はあと一回解放できるから、このまま維持して、出会い頭の敵に対する即応攻撃にするつもりだ。
 
 斃したのは見張りだけだから、まだ敵の本体は他にいる。
 中の連中が、この異常に気付く前に攻めるぞ。
 
 油断せず、進むとしよう」
 
 はしゃぐ仲間を軽くいさめ、話を終わらせるシグルト。
 そのまますぐに洞窟進入後の手順を確認する。 
 
「まず俺とレベッカが先頭だ。
 レベッカは罠と敵の気配に注意してくれ。
 俺が敵と遭遇した時には壁になるから、無理せず後衛に下がるんだ。
 
 ロマンは…可能なら小出しでいい、前衛の後ろから魔術で援護を。
 ロード種との一戦までは、可能な限り魔力は温存するんだ。
 特に【眠りの雲】は四体以上の敵と遭遇しない限り、無駄撃ちしないこと。
 
 スピッキオとラムーナはその後ろで、後続の敵に備えつつ付いて来い。
 
 スピッキオが癒しと【聖別の法】による援護を頼む。
 防御の秘蹟も小出しでいい。
 俺の方は自前の体術で補うから、他の仲間優先でな。
 ロード種との戦いまで、治癒の秘蹟は出来るだけ温存する。
 無理はいけないが、使い過ぎにならないよう気を付けてくれ
 
 ラムーナはロマンとスピッキオを護るように、敵と遭遇したなら体勢を崩すように動く。
 前に型合わせをした時のことを思い出して、新しい技が必要なら臨機応変に織り交ぜてくれ。
 お前の剣は俺たちの装備の中で一番良いものだ。
 焦らず盾で身を守りながら、狭い洞窟で武器を振り回さないよう突きを主体で攻めるといい。
 いざ戦いになったら、レベッカと組んで敵を翻弄する形で動くように。
 
 レベッカは調査と探索、罠に対する対応の要だ。
 戦闘では無理せずに、戦いがきつい場合はラムーナと隊列を交代すること。
 ラムーナは戦士として防御もできるように鍛えてあるから、心配は無用だ。
 
 俺は、体勢の崩れた敵を確実に斃していくつもりだ。
 オークは力が強いから、組み合いや正面からのぶつかり合いは止めておくんだぞ。
 
 皆、油断無く自分の役回りに集中してくれれば、不足なく通用するはずだ。
 早々に俺たちの存在が敵にばれたその時は…攻めるが、無理なら意地を張らず引くこと。
 
 …さっき道すがら話した通りだ。
 
 何か問題や提案はあるか?」
 
 オーソドックスな作戦だが、セオリーを守ることが確実な強さになるのだとシグルトは言う。
 奇策に頼るのは時々だからこそ大きな効果になるのであって、本来戦いに必要なのは実力と手堅さであると。
 
 実際、多人数の混乱を利用する大規模な戦略が可能な軍隊同士の戦争とは異なり、冒険者の行う戦闘は堅実さや実力がものを言う。
 そして、満遍なく力を活かせる状況をつくれることがとても重要なのである。
 
 個々の能力があり結束力の強い“風を纏う者”にとって、このスタイルは最も合っていた。
 
「頼りにしてるわよ、リーダー。
 
 こういう荒事ではあんたの戦術眼の方が、臨機応変に対応出来るからね」
 
 レベッカがそう言ってロマンを見ると、彼も頷く。
 
「僕だって古今東西の戦術書は読んでるけど、実際の状況に合わせて素早く指揮をとって対応することは出来ないからね。
 
 頭で考えるのと行うのは、それぞれ専門家がやればいいよ。
 その点で、僕もシグルトのことを信頼してるから」
 
 この少年はひねくれものである。
 だが、目の前の事実には誠実だった。
 
「ここから先は完全に敵の領域だ。
 素早く、静かに、力強く。
 
 では…行こう」
 
 仲間たちの表情と覚悟を確認すると、シグルトはレベッカと並んで洞窟へと足を踏み入れた。
 
 
 洞窟の内部は、硬い岩肌に覆われていた。
 二人並んで歩くにはやや狭い。
 
「この構造であれば、多少なら剣を振り回すことも出来そうだ。
 落盤の心配も無いだろう。
 
 横に並ぶのは、確実に後ろを守る時でいい。
 動き回れる空間を確保しながら戦おう。
 小柄なラムーナなら、俺と並んでも戦えるはずだ。
 
 レベッカ、敵を見つけた後はすぐに下がってくれ」
 
 具体的な指示を出すシグルトに頷きながら、レベッカが周囲を調査していく。
 
「この先が二つに分かれているわ。
 
 敵の気配は全く無し。
 気付かれた様子もないわね」
 
 レベッカの言う分かれ道に着くと、シグルトはすぐに行く先を示した。
 
「このまままっすぐ行くと、洞窟の入り口があった岩壁沿いに進むことになるはずだ。
 
 奧に敵の首領がいるはずだから、こちらには高い確率で伏兵がいる気がする。
 まず後顧の憂いを断ち、挟み撃ちされないようにしよう。
 
 それに、別の入り口があったりすると何匹か逃がす恐れもあるからな。
 今回の依頼は、オークの殲滅だ。
 敵の退路を塞ぐように、まず手を打つとしよう」
 
 レベッカが、ぱっと外から見た様子を思い出して洞窟の構造を予測する。
 
「その入り口を、私たちの退路にするのもありね。
 
 敵地を攻略する時、端から確実にってのは、時間に余裕があれば悪くない選択よ」
 
 他の仲間たちもその意見に反対することなく、一行は真っ直ぐ進むことにした。
 しばらく歩くと、突然景色が変わる。
 
「…これって人造の壁だね。
 
 ということは、此処が遺跡なんだ」
 
 そこはテーブルが二つ置かれた、やや広い部屋だった。
 石を組み上げて作られた壁は堅牢で、周囲が崩れないようしっかりと塗り固められている。
 
「構造から思うに、此処は人間が隠れ住んだ跡だと思う。
 石壁の古さや建築様式だと…数百年前の統一帝国のものだね。
 
 この壁を固めてるのは、帝国が馬車を走らせる石畳を造る時にも使った、砂や石の粉を練って作る接着剤だよ。
 リューンの下水道や水道、賢者の塔にも使われている、優れた建築技術なんだ」
 
 ロマンがレベッカが調べ終わった壁を触りながら、説明する。
 
「大抵の古代建築はこの技術で作られてるのよね。
 
 ま、規模は小さいけど一応遺跡みたい。
 オークが住んでる程度だから、お宝は期待出来ないわね」
 
 一度調べられたって聞いてるし、と付け加え、レベッカは部屋をくまなく探す。
 
「…見るからに怪しい箱が一つあったわ。
 
 それと、棚にあったんだけど…掘り出し物よ」
 
 調べ終えたレベッカが掲げたのは、一本の酒瓶らしきものである。
 
「…ほう、それは聖別した葡萄酒じゃな?
 
 毒や麻痺、加えて石化の呪いすら解除出来るという優れものじゃ」
 
 スピッキオが、瓶に刻まれた不思議な形の十字を示して言った。
 
「この紋章は、異端とされる教派の聖印だね。
 ドルイドたちの文化を吸収して生まれた、古い聖北の一分派が使っているものだよ。
 
 この遺跡は、彼らが弾圧から逃れるために作ったのかもしれない」
 
 ロマンの言葉に、詳しいのうとスピッキオが相槌を打つ。
 
「うへぇ、なんか抹香臭い話ね。
 
 年代物だと思ったんだけど、確か【聖別の葡萄酒】って、味は渋くて薬臭いって奴でしょ?
 後で飲もうと思ったのに…
 
 まあ買うと高価な薬の一種みたいだけど、美味しくない酒はオークの豚面ぐらい罪なことだわ」
 
 レベッカが戯けたように揶揄した。
 スピッキオが、「罰当たり者め」、とそれを睨む。
 
「確か、此処で手に入る物は報酬にしていいという契約だったな?
 
 役に立つなら貰っておこう」
 
 シグルトが決定すると、ラムーナが嬉しそうに酒瓶を受け取って荷物袋に仕舞い込んだ。
 
「さて、次の問題はそこにある箱ね。
 
 さくっと行くわよ」
 
 説教を始めそうなスピッキオをなだめると、レベッカが見つけた小箱を丁寧に調べる。
 
「ほほう?
 外さずに開けると、どこかで鳴り子かベルでも鳴る仕組みね。
 
 で、ちょいなちょいな…と。
 
 やっぱり引っかけの箱だったか。
 中は空っぽ」
 
 レベッカが素早く箱を調べて罠を解除すると、素早く箱を開け、つまらなそうに鼻を鳴らした。
 
「ふん、お前のような欲深には宝よりその空箱の方がお似合いじゃ。
 
 少しは清貧という言葉を知ればよい」
 
 スピッキオの言葉に、疲れたようにレベッカが肩を落とした。
 舌戦を始めれば説教好きのスピッキオは後に引かず、結局付き合った分だけ疲れるのだ。
 
 奧に続く道を見つけ、即座に入って行く。
 
「こ、こりゃ…待たんかっ!」
 
 無視されて怒り出すスピッキオを、シグルトがなだめる。

「説教は後だ。
 
 今は敵地の中なんだから、大声は控えてくれ」
 
 「ぐむぅ」と唸って押し黙るスピッキオ。
 気付けば、シグルトもレベッカに続いて奥に進んでいる。
 
「もう歳なんだから。
 
 あんまり怒らない方が長生きの秘訣だよ」
 
 辛辣にそう言ってロマンも奧に進む。
 
 呆然とするスピッキオの大きな背中を、優しくラムーナが叩いた。
 気にしちゃダメ、という風に。

「おお、主よ。
 
 これは試練ですかの…?」
 
 大きな身体を折り曲げて項垂れ、スピッキオも仲間の後を追うことにした。
 
 
 部屋の奥はまた部屋になっており、石段が上へと続いていた。
 レベッカを先頭に石段を登ると、扉のある部屋に出る。
 
「扉の向こうに気配がするわ。
 多分オーク…複数よ。
 
 どうするリーダー?」
 
 扉を調べていたレベッカが、シグルトを振り返ると小声で囁いた。
 
「討伐が俺たちの仕事だからな。
 
 罠が無いなら、俺が先頭で飛び込もう。
 この広さの扉なら、俺の横はラムーナだ」
 
 仲間を集め、小声で伝えるシグルト。
 その後も扉を調べていたレベッカは、「連中、気付いていないわ」と付け足す。
 
「それなら呑気に援護の術を使うより、一気に踏み込んで奇襲しよう。
 
 3つ数えて踏み込むぞ…1、2、3っ!」
 
 滑るように同時に、シグルトとラムーナが部屋に飛び込んだ。
 
 部屋の中では4匹のオークがひしめいていたが、突然の来訪者に言葉も無い。
 
「ヤァアアアァァッッッ!!!」
 
 全力でラムーナが石畳を蹴ると、部屋の中にあった二段ベットの枠を足場に飛び上がって、半身を起こした状態で身動きの取れないオークの肺に魔剣を突き立てた。
 紙を刺すような容易さで、オークの呼吸器官は完全に破壊される。
 この一撃で即死である。

 トリアムールの起こした突風でよろめいた一体にレベッカがフェイントを決める。

 その横で、シグルトは特攻しつつ硬直しているオークの首に剣を突き刺す。
 致命傷を受けたオークは何もできずに痙攣すると事切れた。

 ロマンとスピッキオはそれぞれ呪文と秘蹟を備えるため集中に入っていた。

 一瞬で二体を反撃も許さず無力化し、レベッカのフェイントで一体は死に体である。

「…ハッ!」

 ラムーナが飛び乗っていたオークを足場に、ようやく硬直から脱したらしいオークを【スティング】で突く。

「《…穿て!》」

 片目を貫かれて後ろに下がったオークの神像をロマンの放った【魔法の矢】が貫通した。
 脱力して、オークは血だまりに沈む。

 最後のオークは、一呼吸前にトリアムールの風が直撃し、レベッカの短剣の動きに反応してバランスが崩れていた、
 シグルトは確実に消耗したそのオークに近寄ると、コメカミ部分を断ち割るように剣を振るった。
 壁と剣に挟まれるようにして、最後のオークは頭蓋を三分の一ほどまで割られると、大きな鼻の穴から血をぼたぼたとこぼして白目を剥き、その最期を迎える。


「…っはぁっ」
 
 シグルトは最後のオークが倒れる数秒、完全に呼吸を止めていたのだろう…すうと息を吸い込み、オークたちの遺骸が放つ生臭い臭気に眉間を寄せた。
 頭蓋にめり込んだ剣を一度突き込んでからぐっと引き抜く。
 返り血を浴びないように、ゆっくりとだ。
 
「…無傷で、完全勝利ってやつね」
 
 レベッカが、一太刀で屠られたオークたちを見下ろして息を吐いた。

 戦いの流れは全く無駄がなかった。
 連携に関しても玄人のそれである。。

 シグルトの使う精霊術には、術者の能力を強化する作用がある。
 吶喊では風に身体が乗るようにその精度や威力をさらに高めるため、一気にたたみかける時には有用な攻撃なのだ。

 ラムーナのは、手に入れたばかりの魔剣の性能が尋常ではなかった。
 使う側のラムーナ自身、前に使っていたお下がりの武器との落差に戸惑っているようだ。

「…鋭利過ぎるのも考え物だな。
 トロールの硬い肉体をやすやすと貫くわけだ。

 それでも、この戦いで実戦での慣らしは終わったな?
 刺し過ぎて抜けなくなったりしないように、気を付けて使うんだぞ」
 
 あまりに迅速な奇襲だったため、オークは仲間を呼ぶ隙も無かった。
 戦闘の結果としては文句のつけようがない。

「あまり消耗しなかったのはよかったね。

 オークの死体の状況は無惨なんだけど」

 部屋に満ちた血臭と肉の放つ湯気の生臭さに、ロマンが青い顔をしている。
 人型の生物を殺すのは、すぐに慣れるものではない。
 
「…ふむ。
 此処で行き止まりか。
 ベッドか…寝室だったようだなこの部屋は。

 今の騒ぎで、他のオークが来ると拙い。
 素早く調べて、さっきの分かれ道に戻るとしよう」
 
 シグルトは剣に着いた血糊と脂を、その部屋にあった腐りかけたシーツでぬぐうと、鞘に剣を納めた。
 
「はいはいっと。
 
 あら、ベッドの下からこんな物が出てきたわ」
 
 調べ終えたレベッカが手に取ったのは、純金製の小さな鍵だった。
 
「何かの鍵みたいだけど、金だから鋳潰せばそこそこで売れるわよ」
 
 思わぬ副収入に、レベッカの顔がほころんだ。

「綺麗だね~」
 
 ラムーナも好奇に瞳を輝かせて、その鍵を見る。
 ロマンは鍵の造りから、出来た年代を推測しているようだ。
 
「宝探しは、討伐の後だ。
 
 どうせやるなら、ゆっくり探したいだろう?」
 
 苦笑してシグルトが肩をすくめると、「戦闘の時とは違って、まとまりが無いのう」と達観したようなスピッキオがばそりと呟いた。
 
 結局その部屋には鍵以外は無く、“風を纏う者”の一行は来た道を慎重に引き返すと、先ほどの分かれ道から奥に進む。
 しばらく天然の岩壁が続いていた。

「…止まって!」
 
 突然のレベッカの鋭い、静止の声。
 一同がはっとなると、その先には黒い影が浮かび上がった。
 
 2体の禍々しい悪魔像が立ち並び、奧を守るように配置されている。

「…これはガーゴイル像だね。
 時々門番…一種のゴーレムだったりするんだけど、この奧にオークがいるとするならただの飾りだと思うよ。
 そうでないと、通る度に襲いかかってきたり、馬鹿なオークが攻撃して傷くらい残ってるはずだからさ。
 
 この像はさっきの遺跡とは建造の時代が違うし、こっちは像以外天然の洞窟だね。
 魔術師の類が、後になって置いたんじゃないかな?」
 
 ロマンがそう推測する。

「【スティング】の能力で調べてみようか?

 命があるなら感じ取れるかもしれないよ」

 ラムーナの持つ魔剣には【生命感知】の魔力が込められている。
 シグルトはそれを止めた。
 
「攻撃してくる魔法生物でないのなら、下手に弄らないのが得策だな。
 その剣で傷をつけたことで罠が発動する可能性もある。
 用心しながら奥に進むとしよう」
 
 危険が無いと判断したシグルトは、自身が先頭になって奥に進む。
 
 その奧には、梯子が掛かった縦穴があった。
 
「私が先頭に行くわ」
 
 レベッカが、しなやかな動きで素早く梯子を駆け上る。
 やがて、縦穴から彼女の白い手が出て手招きした。
 
 全員が登り切ると、さらに奥に進む。
 
「…ストップ。
 
 この先に部屋があるみたいね」
 
 窓のように開いた横穴から、やや赤く夕日が差し込んでいた。
 先ほどシグルトが仕留めたオークが、横穴の外にある岩棚に倒れている。
 
「この分だと、この先気付かれてると考えてもいいでしょうね。
 
 最初に聞いた話だと、この奧は行き止まりの広間になってるから、ロード種のオークはこの先にいるんじゃないかしら?」
 
 レベッカの言葉に、ロマンが頷いた。
 
「少しだけど石壁が見える。
 多分、王の間のつもりなんじゃないかな?
  
 オークロードの性質から言って、こういういかにも高くて、煙と一緒に上がりそうな場所にいる可能性が高いよ。
 見張りの配置から考えてもかなり神経質な奴みたいだし、聞いたとおりの部屋なら、残りの戦力全てで戦いを挑んでくると思う」
 
 言葉にするロマンは、少し緊張して顔が蒼白だ。
 ロード種に率いられたオークはとても強いからである。

「ロマン、こういう時は嫌な奴を蹴っ飛ばすつもりで戦えばいいんだよ?

 ほら、あの輝くブーさんとか!」

 ラムーナが自分の鼻を指でくいと上げて「オークそっくり豚の鼻~♪」と変な掛け声を出す。

 ブフッとその場にいた全員が噴出した。
 そのおかげで強張っていた仲間たちの表情に余裕が生まれる。
 
「…そうだな。
 あのブー何某の代わりに、オークで憂さ晴らしさせてもらおうか。

 皆、決戦の構えで行くとしよう。
 
 スピッキオ、出し惜しみ無く俺以外の皆に防御の秘蹟をかけてくれ。
 ラムーナと俺は突撃する。
 レベッカは援護を頼む。
 ロマン、攻撃魔法は使わなくていい。
 とにかく【眠りの雲】で、敵の出足をくじいてくれ。
 他のことは、一回【眠りの雲】を唱えるまで考えるな」
 
 シグルトは素早く指示を出すと、【堅牢】で防御を固め、手をかざして〈トリアムール〉の名を呼んだ。
 横からシグルトを包み込むように、柔らかな旋風が巻き上がる。
 
 スピッキオが仲間の一人一人に【聖別の法】で、防御の加護をかけた。
 トロールの投げた岩の直撃からレベッカを守った、鉄壁の秘蹟である。
 
「…では、突撃するぞ。
 
 3つ数えたら、一気に、だ。
 
 1、2…3っ!!!」
 
 一気にシグルトが部屋に飛び込む。
 
 景色が一変し、角張った人工の石壁が目に映った。
 
 奧には、重装備のオーク二匹と多数の手勢を引き連れ、大きな体格のオークがシグルトたちを睨み据えていた。
 オークたちはにわかに騒ぎ出すが、大きな体格のオークが一喝すると静かになる。
 
 そして、大柄なオーク…ロードは自身の剣を抜き放ち、がなり声で攻撃を命じる。
 
 素早く二匹の重装備をしたオークが前に出た。
 刺々しい兜をかぶり、気勢を上げて迫ってくる。
 
「むう、この陣形では親玉に攻撃が届きそうにないぞ?」
 
 スピッキオが十字架を前にかざしながら、歯ぎしりをする。
 
「ならば、前衛から切り崩すまでだっ!!!」

 トリアムールの風が迫ってくる一体のオークを打ち据え、シグルトは勢いのまま前衛の重装オークに斬りかかった。
 
 その横から高く飛び上がったラムーナが、重装備のオークを蹴り飛ばした。
 
「…《眠れっ!!!》」
 
 開戦早々、先ほどのラムーナの冗談で緊張が解けていたのか、絶好調のロマンが早々に【眠りの雲】の詠唱を終えて発動した。

「…ぶひぃ!」

 仲間のオークたちが次々と眠りに倒れ、護衛を置いて余裕綽々だったオークロードも驚きの声を上げたと思った瞬間眠ってしまった。

 数匹攻撃の衝撃で目を覚ますが、完全に"風を纏う者"のペースである。
 目を覚ました護衛のオークの反撃でシグルトがかすり傷を負うものの、あとは起きているオークを端から倒していけばいい。
 シグルトが攻撃してきた護衛を壁際に追い詰め、スピッキオが杖でその頭部を殴打して轟沈させる。

「起きている奴から倒して行くぞ。
 ロマンの使った呪文の効果時間をじっくり使いきれ。

 一呼吸に一体でも十分に全部を斃せる!」

 トリアムールの風で消耗しているオークに止めを刺し、シグルトは負った傷を【堅牢】でほぼ完治させると、用意した大振りの一撃で端から殺していくつもりのようだ。

「《…穿て!》」

 十分に魔力を集中したロマンが【魔法の矢】で一匹を即死させた。

 ラムーナの攻撃で重傷を負っていたオークが何とか立とうと震えるが、具体的な行動を許さずシグルトが剣の鍔で殴り床に叩きつける。

「―――イィィヤァァァァッ!!!」

 その時、呼吸を整えていたラムーナが疾った。
 アレトゥーザで習得した闘舞術、【連捷の蜂】である。
 魔剣を加えてその威力が怪物的に転じた必殺の一撃は、もう一体残っていた護衛のオークを即死させた。
 ラムーナが駆け抜けた後、【スティング】のあまりの切れ味に、兜をかぶったままオークの首が断たれてくるくると飛んで行く。

 彼女と同時に確実に止めを刺すつもりで撃ったロマンの【魔法の矢】は、首の無い護衛オークの死体に鞭打つように突き刺さった。

「あ~、いくらあのブーが憎たらしいからって、やり過ぎよ二人とも?」

 レベッカが肉塊になったオークを哀れそうに見て呟いた。
 どう見てもオーバーキルである。

 シグルトが起き上がったオークをまた一匹仕留める。
 交差した瞬間脛を払い、傾いで姿勢が硬直したオークの胴体を、一回転した勢いで一刀両断していた。

 ラムーナが続く動作でオークを吹き飛ばして起こしつつ…くるりと一転していつの間にか構えに入っていた。
 これこそ【連捷の蜂】の神髄、大技の連鎖である。

 闘舞術の基礎となるこの技は、蜂が飛びながら連携して顎と針で交互に攻撃するように連続攻撃を仕掛ける。
 腕が上がれば、その動作からさらに身体を回転させたり、バク転のような動きから戦場を縦横無尽に走って敵を薙ぎ払う動作にもなる。
 その応用性は、初心から玄人になるまで末永く舞踏家の十八番として駆使される妙技であった。

 気づけば残っているのは寝こけたオークロードのみ。

「一気に叩くぞ!」

 シグルトの号令に「応!」と"風を纏う者"の仲間たちが一斉に、巨体のオークロードめがけて殺到した。
 レベッカの狙いすました一撃で叩き起こされたオークロードは、何とかシグルトの斬撃を受け止めるが、その側頭部をラムーナの蹴りが襲って左の鼓膜が弾けた。

「…《眠れっ!》」

 反撃を考える前にロマンの呪文が意識を刈り取る。

「――セェイ、ヤァッ!!」

 【連捷の蜂】の動作で朦朧としているオークロードの逆腕を斬り落としたラムーナはさらに体勢を整え、踵落としと新たに繋いだ【連捷の蜂】の初動作で咽喉を断つ。
 おそらくこれで致命傷だが、まだ動くタフネスが豚鬼の王には残されていた。

(この雌を道連れに…)

 そんな怪しい決意をオークロードが実行しようと、武器を振り上げるため力んだ矢先…

「はい、これでおしまいっと」

 背後に回ってオークロードの背中を駆け上ったレベッカが、首の後ろから性格に短剣を延髄に突き刺した。
 
 オークの王はろくに剣を振る暇も無く、あっけない崩御を迎えたのである。
 それは同時に、洞窟に築かれた小さな王国の終焉であった。


「なんだか、あっさりじゃったのう」

 治癒の秘蹟を用意しつつ、一度も使う必要が無かったスピッキオは「これはこれで重畳」と表情を緩めていた。
 
 スピッキオが、度重なる秘蹟の行使に応えてくれた神に感謝の言葉を捧げつつ、腰をとんとんと叩いている。
 
「部屋は此処で最後のようだし、依頼は達成だ。

 怪我人は俺以外…いないようだな」

 前線で一番危ない場所にいたシグルトも、序盤で負った傷以外受けていなかった。
 その傷も呼吸と体術によって、今はすべて塞ぎ治療すら不要になっている。
 
 ラムーナが心配そうに走ってきた。

 シグルトは自分の肩口にできた傷を確認している。
 「治すかの」と聞くスピッキオには、首を横に振った。
 
「軽い打ち身だ。
 血が出る傷にすらならなかった。
 
 他にも多少打撲はあるが、鍛錬で作る青アザや打撲に比べれば、治癒の秘蹟や薬を使う必要すらない程度のものだ。
 休んでいればすぐ治るだろう」
 
 そう応え、不意にシグルトはラムーナの頭を撫でた。
 
「戦いの舞踏か…凄いものだな。
 
 今回はお前の技に救われたよ、ラムーナ」
 
 賛美を受けて、照れたようにラムーナが頭を掻いた。
 
「本当よ、ラムーナ。
 
 敵のほとんどは貴女の舞踏で、こてんぱんにやっつけてたじゃない。
 投資した価値があるってものだわ」
 
 レベッカもラムーナを絶賛して、抱きしめていた。 

「ロマンもいい判断だったぞ。
 最初の術で趨勢は決したが、その後も起きてくるオークを片端から眠らせたから、体勢を整えながら削り切る理想的な展開に持って行けた。
 
 お前の【眠りの雲】が無ければ、俺たちの装備では、この数のオークを相手にするのは難しかったはずだ。
 今の感覚で術を使ってくれれば、前衛はとても助かる。
 だが、敵の思わぬ攻撃には気をつけるんだぞ」
 
 仲間たちを労いながら、シグルトは仲間の細かいコンディションを確認していく。

「癪だけど、スピッキオの秘蹟のおかげね。
 
 防御の秘蹟があったから、防御とか気にせずに攻撃優先で思いっきり行けたもの。
 ロマンの呪文も、いつも思うんだけど、本当に便利よねぇ…」
 
 自分は仲間の様子を見ながら撹乱に徹し、最後に首魁の止めでいいところを持って行ったレベッカが上機嫌に言った。
 
「ふん、だから言ったのじゃ。
 お前も少しは信仰心というものを持てい。
 
 まあ、皆が無事のようでほっとしたわい」
 
 スピッキオが仲間に無断で秘蹟を修得し、教会への寄付を払ったため、そのことをレベッカが咎めたことがあった。
 だが、件の秘蹟は一行にとって悠々と全力を出すための貴重な手段となっている。
 
「ふんっ。
 
 言っとくけど、無断でお金を使うのはこれからだってダメよ。
 私たちみんなのお金なんだからね」
 
 会計役がすっかり板についているレベッカは、負けずに言い返すと、部屋を探索し始めた。

「この部屋だけ遺跡っぽいから、何かありそうな気がするのよ。
 
 …と、やっぱりあったっ!」
 
 レベッカが壁のひびに紛れて動く石を見つけて慎重に押すと、壁がスライドしてやや小さめの扉が現れた。
 扉を調べて、眉間に皺を寄せる。
 
「…うはぁ、隠し扉に鍵付きねぇ。
 この隠し扉は最近まで使われてたようだから、そこで転がってるロード種がお宝を隠しているんでしょう。
 なんとも用心深いことだわ。

 この間のヒバリ村の時と言い、妖魔の頭目が神経質になる病気でも流行ってるのかしら?
 
 さっき拾った鍵が合いそうね。
 開けるわよ?」
 
 心持ちうきうきした様子で、レベッカが振り向く。
 こういうところは盗賊らしいな、と苦笑してシグルトが頷いた。
 
 先ほど拾った金の鍵はぴったりと鍵穴に合い、隠し部屋の古びた扉が軋んだ音をたてて開いた。


「うわぁ…」
 
 ラムーナがやや狭い天井の部屋を見回して、感嘆の声を上げた。
 
 その部屋は一片の隙もなく石壁に覆われ、ひんやりとした空気が滞っている。 
 部屋の中央には滑らかな肌の禍々しい悪魔像が一体そびえ立ち、その左右に大きな箱が一つずつ置かれていた。

「ちょっとした宝物庫ね。
 
 あの用心深いロードのことを考えると、罠があるかも知れないわ。
 調べるから、少し後ろに下がってて」
 
 前に出たレベッカが、まず像を調べ始める。

「…この石像、これ見よがしに立派な宝石の指輪を持っているわ。
 
 この宝石、百年昔だったなら銀貨千枚は下らない代物だったんだけど、技術の発達と鉱脈が見つかったってことで価値が暴落したものなの。
 今では、通常ルートで銀貨三百枚ぐらいかしら。
 
 価値はそこそこにあるんだから、取って帰りたいところなんだけど…
 像がやけに綺麗なところを見ると、完全な罠ね。
 
 罠でないなら、あのオークロードが身に付けてそうな代物だもの」
 
 レベッカの後ろで悪魔像を観察していたロマンが、同意するように頷いた。

「これはおそらくガーゴイルだよ。
 
 魔法生物の一種で、作り手…魔力付与者にもよるんだけど、そこそこの戦闘力があるんだ。
 何より恐ろしいのは、宝物なんかの守護者として石像に擬態している奴で、正しい手順を踏まないと襲いかかってくるんだ。
 
 それと、この石像って他にも罠がありそうだね。
 普通の擬態したガーゴイルは、近づくだけで襲いかかってくるから。
 指輪を取った瞬間、魔法攻撃を受けるかもしれないよ。
 
 この像からして、キーワードで宝石が外れるか、あるいは完全な囮で指輪は付属品、ということかも知れない。
 
 もしその指輪を取るつもりなら、誰かが犠牲になるか、罠を解除する何かを見つけるしかないよ」
 
 ロマンのアドバイスを聞き、少し思案したレベッカだったが、やがてにんまりすると一同を見て言った。

「…取ると襲ってくるなら、まず壊そっか」
 
 過激な提案に、“風を纏う者”の一行は顔を見合わせた。


 その後、不本意だと言いつつロマンが【魔法の矢】を悪魔像に叩き付ける。
 遠距離から、ガスの罠などが無いことを確認するためだ。
 
 石像に攻撃する、という行為は野蛮な方法ではあったが、それなりに理に適ってる。
 宝箱を開けている最中に襲われては危険だからだ。
 
 シグルトは、もう一度〈トリアムール〉の力を身に宿していた。
 悪魔像の反撃に備えてのことである。
 
 だが、ロマンが唱えた【魔法の矢】が直撃すると、奇っ怪な悲鳴を上げた悪魔像は、びくりと手を動かしたがすぐに動かなくなった。
 念入りにシグルトとラムーナが二人で押して、石像を台座から落とし粉々に破壊する。

「【魔法の矢】は、この手の魔法生物にとっては致命的な威力になるんだよ。
 シンプルな魔法による破壊の力は、ゴーレムの魔導回路や、魔力によって生命を吹き込まれた魔法生物の活動回路を破壊する効果があるんだ。
 
 ガーゴイルは比較的魔法生物としては弱い方だから、一溜まりもなかったんだね」
 
 乗り気でなかったロマンであるが、使った魔術に関しては自慢気であった。
 
 その横で、「はいはい」と適当に相槌を打ちながら、レベッカは飛び散った破片の中から先ほどの指輪を探し出すと、布で綺麗に磨いて包み込んだ。
 
「さて、邪魔なトラップを一つ片付けたし、次は箱の方よね~」
 
 手に入れたお宝を懐に仕舞い込むと、レベッカは壊れた悪魔像の向かって左側にある宝箱に近づく。
 調べるのか、とスピッキオが近づいた時には、がちゃりと鍵の開く音がしていた。

「ふふん♪
 私の手にかかっちゃ、この程度の鍵は可愛いものよ。
 
 それにしても、解除に失敗すると剃刀が出てきて箱が壊れる仕掛けなんて、あのオークロードはほんと性格が悪いわよね」
 
 鮮やかなレベッカの手際に、ラムーナが「すご~い」と感嘆の声を上げた。
 
「盗賊やってて一番楽しいのって、この瞬間よね~♪
 
 さぁて、何が入ってるやら―」
 
 レベッカの後ろから、開いた箱を仲間たちが覗き込む。
 
 箱にはその辺に転がっている綺麗な石や、見方によっては人型に見えなくも無い木の枝、獣の牙などがぎっしり詰め込まれていた。
 だが、古びた銀貨も何枚かがらくたにまみれて入っている。
 
「…ま、オークの宝だものね。
 銀貨で二百枚ってとこか。
 
 あとはほとんどゴミみたいなものだけど…」 
 
 それらをより分けていたレベッカが、やがてやや大振りの綺麗な石を見つけ、目を丸くする。

「これって、魔法の武具を作る時に使うっていう鉱石じゃないっ!
 
 …紅に金か。
 この【金鉱石】なんかはポートリオンでものすごく高値で取引されるのよね~
 ある意味、一番のお宝だわ。
 
 あの石像の指輪を含めれば、今回の報酬込みで銀貨二千枚は堅いわよ」

 「おお~!?」とラムーナがわざとらしく感嘆する。
 この娘はお調子者ではあるが、こういう時は空気を読んで絶妙な相槌を打つのだ。
 ごくたまに調子っぱずれな場合もあるのだが。
 
 他に金目のものが無いことを確認すると、レベッカはもう一つの宝箱に近づいた。
 途端に渋い顔になる。

「これって解除不能の罠、っていうか封印じゃないっ!
 
 だぁあっ、もう~腹立つっっ!!!」
 
 ぷりぷりと怒るレベッカによると、かなりたちの悪い魔法の罠らしい。
 下手に開けたり解除すると、大がかりな罠が発動するかも知れないということだった。

「大抵の盗賊はそうなんだけど、魔法系の罠って専門外なのよ。
 
 これを解除出来るとしたら、魔術師の専門魔術とかなんだけど…」
 
 やや期待の込められた目で、レベッカがロマンを見つめる。

「…だめだね。
 
 そもそもこの罠って、解除を前提に作られてないんじゃないかな?
 レベッカの言う通り、封印に近いよ。
 
 中にあるものは気になるけど、危険だから開けない方がいいよ」
 
 悔しさに身悶えしているレベッカの横で、こんなこともあるよ、ロマンが肩をすくめていた。
 
 その時である。
 突然周囲が揺れ出し、“風を纏う者”はさっと身構えた。
 
 しばらく続いた地震は、ぱらぱらと天井から土埃を落とすと、間もなく静まった。
 
「地揺れか?
 
 余震があると拙い。
 とにかく用心して部屋を…」
 
 シグルトが仲間に脱出を促そうとした、その時である。
 
「な、何でこうなるのよ~っ!!!」
 
 レベッカが頭を抱えていた。
 
「…箱、空いちゃった」
 
 ラムーナが指差す先には、先ほどの激しい地震の衝撃で開いた宝箱が転がっていた。
 
「ぐむぅ…何か臭いぞぃ」
 
 スピッキオは周囲に満ちてきた悪臭に、口元を押さえた。
 もうもうと白い煙が壁から吹き出してくる。

「と、扉が閉まっちゃったよっ!」
 
 ロマンが焦った声で、この部屋の唯一の出口があった場所を指さした。

「やばいわっ!
 
 これ、大量に吸うと昏睡に陥る毒煙よっ!!」
 
 切羽詰まった仲間たちの言葉に、シグルトは即座に行動を起こした。

「《トリアムールっ!》」
 
 シグルトの声に応えるように、渦巻く煙を退けて、旋風がビョウッと吹いた。
 
 ドゥォォオオオオンッ!!!
 
 風を纏いシグルトが起こした行動は単純だった。
 
「煙が晴れるまででいいっ!
 
 隙間を空ければ、すぐに窒息することはないはずだっ!!」
 
 仲間を励ますように叫ぶと、シグルトは繰り返し閉ざされた扉に体当たりをする。
 衝撃で僅かに扉が歪み、そこに出来た隙間めがけ、抜いた剣を突き立てた。
 
 乾いた音を立てて、剣が弾き返される。
 
「くっ…ならばっ!!!」
 
 シグルトは大きく後ろに下がり、全身の筋肉に力を溜め込んだ。
 そうして、ばね仕掛けのように扉に向かって腕を突き出す。
 
 低い体勢から稲妻のように走る、会心の刺突。
 
 何かを壊そうという時、力は線より点の方が効果的である。
 岩盤を破壊するためには鍬よりも鶴嘴の方が向いているように、剣を叩き付けるよりも穿つことを選んだのだ。
 シグルトなりに剣の機構を理解した上での咄嗟の判断だった。
 
 ガシィィィィイインッ!!!!!
 
 その突きを受けて、扉が大きく軋む音。
 
 しかし、絶えきれなかったシグルトの剣は砕け散った。
 
「…―ゥォォオオオオオオッッッ!!!!!!」
 
 腹の底から絞り出すような声を上げ、シグルトはそのまま渾身の体当たりを行う。
 
 歪んでいた密室の扉は、〈トリアムール〉が起こす旋風に守られたシグルトの突進で砕け散った。
 勢い余って部屋から転がり出る。

 転倒によって痺れる身体に鞭打ち、何とか立ち上がって振り返ると、仲間たちが一目散に走り出て来た。
 
「…皆、無事か?」
 
 体当たりをした時、砕けて自分の腕に突き刺さった石の欠片を引き抜きながら、シグルトは周囲に問うた。

「…何とかね。
 
 助かったわ、シグルト」
 
 レベッカが咽せて乱れた呼吸を整えながら答え、忌々しそうに瓦礫を蹴飛ばした。
 彼女が罠を発動させたのではないが、罠で命を落としそうになったこと自体が彼女の自尊心を損なったのだ。

「あ、危なかった~」
 
 蒼白な顔をしてロマンがへたり込んでいる。
 毒煙を吸い込んでそうなったわけではないようで、呼吸は徐々に落ち着いている様子だ。

「シグルトこそ、だいじょうぶ?」
 
 心配そうにラムーナが聞き返した。
 彼女はロマンの手を取っていち早く脱出したので、ダメージは無い。
 
 安堵して自分の腕を見ると、シグルトの腕は大きく裂けて、血が溢れ出していた。

「ふぅ…
 
 儂らよりも、お前の方が酷いようじゃの。
 どれ、手を出すがよい」
 
 頑健なスピッキオは、老いたとは言え全く疲弊していない。
 すぐにシグルトに近寄り、傷ついた腕に癒しの秘蹟をかけてくれる。
 
 無事を確認した“風を纏う者”の面々は、しばし脱力したように押し黙った。
 
 少し経って、シグルトは思い出したように砕けた剣の破片を拾い始める。

「…折れちゃったね」
 
 ラムーナがシグルトを手伝い始めた。
 感謝の言葉を口にすると、シグルトは破片を拾う行為を再開する。

 一通り欠片が集まると、シグルトはそれを袋にしまい、深い溜息を吐く。

「…これで三本目か。

 剣士たるものが、こう頻繁に剣を折るようでは話にならないな」
 
 肩を落とすシグルトを、仲間たちは気まずい心持ちで見つめていた。
 
 シグルトが武器を大切に使うことを、皆知っている。
 彼は手入れを怠ったことはないし、出来る限り折らないように気をつけて使っていた。
 
 砕けた剣は先輩冒険者のお古で、年代物だった。
 厚く屈強な造りだが、現代の優れた鍛冶技術から見れば骨董品と言える代物だ。
 
 度重なる血糊を浴び、激しい鍛錬と戦闘で使われ続けた武器は、何れ壊れる。
 ちゃんとした使い方をして壊れたこの剣は、寿命が来たとも言えるだろう。
 
「仕方ないわよ。
 
 私たちを助けるために無茶したんだし、石の扉をぶち破るなんて芸当…普通は斧か鶴嘴でも使わなきゃ出来ないわ。
 
 それに、太ったオークをぶった斬るシグルトの力じゃ、斧を使っても刃が欠けるんじゃないかしら?
 肉を斬り骨を断つのって難しいし、一回やるだけでかなり切れ味が悪くなるものなのよ。
 
 今までそのなまくらを斬れるように使いこなしてたんだから、大したものよ」
 
 レベッカが自分の得物である短剣を撫でながら、私には無理だわ、と戯けて見せる。
 
 シグルトの使っていた剣は、斬るためのものというよりも、鎧の上から殴り合うことを想定した鈍重な物だった。
 時代としては重装の板金鎧(プレートアーマー)が増えた現代よりも少し昔、鎖帷子(チェインメイル)や鋲鎧(スタデットアーマー)が主流だった頃に使われていたものだ。
 現代では、先端が鋭利になり鎧の継ぎ目から刺すか、穿ち抜くタイプの刀剣が増えている。
 
「仕方ない…不本意だが、この場はこの中から適当なのを探して使うとしよう」
 
 シグルトはまずオークロードが使っていた剣を拾い上げると、具合を確かめていた。
 それは、背の高いシグルトの手にも余るような大剣だ。
 
「…使えそう?」
 
 ラムーナが尋ねると、シグルトは首を横に振った。

「それほど打ち合わなかったから、使えないことは無い。
 ロードが力任せに振り回していたのだろうな。
 あまり良い品とは言えん。

 俺の剣も、トロールとの戦闘で相当ガタが来ていたようだ。
 そうでなければ、あのこまで派手に砕けはしないだろうし、な。
 
 この剣は俺の体格では大き過ぎるし、握りが太すぎるな。
 リカッソ(大剣を振り回すときに掴むための刀身の鍔元で刃の無い部分)も無いのか。
 人間が使うようにできていないな、これは。

 刀身が重いから少しばかりの補強も意味を為さない。
 目釘を換えて、柄を別の物にすれば振り回せなくはないが…
 この刀身の重量なら、分解するのがおちだな。
 
 こんな危なっかしい得物を使うぐらいなら、素手の方がいくらかましだ。

 他も同様だな…
 錆びていたり刃が欠けていたり…量産物の粗悪品ばかりだ。
 たぶん、死体から剥ぎ取った類の物だと思う。
 
 皆手入れがされてないから、傷み方が酷い」
 
 シグルトは慣れた手つきで目釘(刀身を柄に固定するボルト)を抜くと、柄から刃を外し、根本の部分も念入りに確かめる。
 力がかかるこの部分は、よく壊れるのだ。
 そして、鍔迫り合いをした時にこの部分から折れたりすれば、高い確率で大きな手傷を負うことになるだろう。
 
「…とりあえずは、オークの護衛が使っていた得物にするよ。
 
 多少錆びているが、傷みは比較的少ない」
 
 シグルトが最後に手に取ったのは、厚刃の蛮刀(ファルシオン)だ。
 剣士の持ち物、というよりは山賊が振り回す類の武器である。
 
 慣れない武器の性質を確かめるように、シグルトは素振りをしては、重さや握り具合を調べていた。

「―…部屋の中の毒霧が晴れるわよ」
 
 取り損なった宝物を得るために、レベッカは剣の物色をするシグルトの脇で宝物庫の罠が落ち着くのを待っていた。

「死にかけたというのに、がめついのう」
 
 呆れた様子でスピッキオが眉を動かした。

「なればこそよ。
 
 罠まで発動したんだから、お宝を拝まなきゃね」

 レベッカは恥をかいた分、利益で取り戻すつもりのようだ。
 ある意味、このパーティでレベッカが一番図太いと言える。
 
(折れない分、剣よりレベッカの方が強いよね…)
 
 そう考えたことは隠しておこうと、ロマンは笑いを噛みつつ、胸に秘めた。
 同様に感じたのか、シグルトが苦笑している。

 そんな2人の態度は目に入らないかのように、さっさと宝箱の前に来たレベッカが、慎重に空いた箱の中を覗き込んだ。

「…な、何よこれっ!」
 
 レベッカが怒りを露わに箱から取り出したのは、鉄で出来た粗末な輪だった。
 赤く錆びたそれは、まるで何かを拘束するための首輪のようだ。
 売ったとして、銀貨一枚にもならないだろう。

 落胆するレベッカの横で、ロマンが首を傾げた。
 
「こんな物を大げさに罠付きの宝箱に入れるなんて、あのオークは変わった価値観を持っていたみたいだね。
 
 まぁ、ゴブリンロードが動物の手をコレクションしていたり、グリフォンが宝石の変わりにタイルを集めていたって話はざらだから。
 こういうのもアリなんじゃないかな?」
 
 落ち込むレベッカの横でシグルトがその鉄の輪を覗き込むと、何事か考え込む。
 そして、ロマンの言葉を否定するように、首を横に振った。

「…これはかなりの拾い物かも知れんぞ。
 
 輪に付いている紋章…蝶のような形をしているだろう。
 これは古の零落した神々を表しているんだ。
 
 太古に権勢を誇った彼の神々は、聖北の台頭によって追いやられ、姿を虫や獣に変えた。
 それが妖精の起源だとする説がある。
 
 さっきの【聖別の葡萄酒】に描かれた聖印は、確かその時代の名残だったはずだが」
 
 シグルトの言葉に、ロマンが「ああっ!」と叫んで手を打った。

「確かに…かすれてるけど、その紋章の横にあるのは四つ葉のクローバーを表す十字と、三位一体を示す正三角形だ。
 シグルトの言った聖印は、似た紋章を取り込んだって説のものだよ。

 その神々って、〈ダヌの眷属(トゥアハ・デ・ダナーン)〉のことだよね?
 だとすると、古の鉄の民…この西方で最初に鉄器を使った古代人の物じゃないかな。
 
 骨董商に売れば、その手の蒐集家なら結構なお金で買ってくれるかも…」
 
 価値があるかもしれない物だと分かった途端、レベッカの表情がぱっと輝いた。
 
「しかし…何か祭器の類かもしれないぞ。
 鉄の指輪や額冠(サークレット)は、鉄の民が好んで用いた呪物だったはずだ。
 
 確か鉄には妖精や精霊の力を封じる力が宿っていたはずだが…」

 シグルトは伝承に詳しい。
 古い神話や物語では、ロマンが知らないようなことも数多く覚えていた。
 
 感心するロマンやラムーナの横で、やや渋いかををするレベッカ。
 彼女にとっては、金になるかも知れないという以外、この輪は薄汚い鉄の塊でしかないのだ。
 
 とりあえず持ち帰ろうと言うレベッカに、シグルトが注意を促そうとしたとの時…

 パキィィィン…

「…あっ!!!」

 さほど力を入れたわけでもないのに、鉄の輪は真っ二つに割れてしまった。
 
 愕然となるレベッカ。
 仲間たちも肩すかしを喰らったように渋い顔になった。

「…ま、こんなこともあるよね?」
 
 仲間たちを励ますようにラムーナが声をかける中、シグルトは突然視界が霞むのを感じ、目をこする。
 鉄の輪が割れた瞬間、光のようなものが溢れたように感じたのだ。

(「…出られたっ!
  …出られたっ!
  
  暗いところから、やっと出られたよっ!!」)
 
 突然甲高い声が聞こえ、シグルトは周囲を見回した。
 
「どうしたんじゃ?」
 
 挙動不審なシグルトの行動に、スピッキオが声をかける。

「…いや、何か聞こえたような気がしたんだが…」
 
 周囲を見回すシグルトに、レベッカが「止めてよね~」と落ち込んだ様子で言う。

「私の耳には何も聞こえないわ。
 
 敵の残党がいるなら、聞き逃さないわよ」
 
 そうだな、と返事をしようとしたシグルトは、次の瞬間また緊張に眉根を寄せ、身を固めていた。

(「…そこにいるのは白き森の姫君、オルテンシア様の血を引く人間…
  鉄の呪いに囚われた、青黒い髪の一族、“鐵の王家”の末裔だね?
 
  私を解放してくれたのは、貴方?
 
  長い長い時の頚木から開放してくれた、私の恩人。
  風を連れ、〈お母様〉の祝福を受けた、“屈せぬ者”)」
 
 今度は確かに、自分に向かってかけられた〈声〉を聞いたのだ。

「俺に話しかけているのは、一体何者だ?!」
 
 シグルトは、訝しがる仲間たちを制して続きを問うた。
 新しい敵ならば、立ち向かわなければならない。
 そう決意して、虚空を睨む。
  
 空間から滲み出すように、くすくすと笑い声が聞こえる。

(「私は古の者。
 
  貴方たちが“妖精”と呼ぶ、古い神の眷属。
  物語に語られる〈翔精(フェアリー)〉たちの古い始まり。
 
  私は“環を為す隠者”。
  〈常若の国(ティル・ナ・ノーグ)〉より迷い出たる、彷徨う者。

  貴方は“屈せぬ者”。
  私は、暗い闇の底から出してもらえたこの代償に、同じように〈縛られぬための力〉を授けるよ。
  
  私の環は、束縛の頚木から解き放つ、姿を隠す魔法の環。
  妖精の国に通じる、神隠しの環。
  
  私の代わりに〈常若の国〉の入り口を探して。
  それまで、代わりに環の力を貸して上げる」)
  
 そこまで言って、不思議な声はぴたりと止んだ。
 同時にシグルトの右手の指先が、かっと熱くなる。
 
 よく見れば、爪と皮膚の間に小さな模様が浮かび出ていた。
 それは、あの鉄輪に刻まれていた蝶の紋章と同じ形をしている。
 
 シグルトの頭に、ぼんやりと輝く光の環の形がイメージとして伝わり、すぐに理解する。
 声が言う〈縛られぬための力〉のことを。

(…神隠しの環、か。
 妖精が悪戯をする時に現れる、〈妖精の環(フェアリー・リング)〉のことだな。
 
 それにしても…〈常若の国〉の妖精とは。
 〈トリアムール〉の時といい、この間の戦乙女や死神のことといい…
 俺はつくづく、こういった連中と縁があるらしい)
 
 シグルトが苦笑すると、怒ったようにその周囲を風が舞った。

(「何よぅ、新参者のくせにシグルトの身体に宿るなんてっ!
 
  私の方が先輩なんだから、挨拶ぐらいしなさいよねっ!!」)
 
 風の中から聞こえた声に、またはっとする。
 シグルトは、風から感じ取れる確かな〈声〉を聞き取っていた。
 
(今のは〈トリアムール〉の声…?
 
 そうか。
 妖精が身に宿るということは、精霊や妖精に近くなるということだ。
 この感覚を覚えておけば、俺でも精霊の声を聞くことが出来るということか。
  
 これは、怪我の功名かもしれんな…)

 一人感慨深げに頷くシグルトを見て、“風を纏う者”の仲間たちは、揃って心配そうな面持ちになった。
 
「…すまん。
 この鉄輪に封じられていた者が、話しかけてきたのでな。
 
 輪は壊れてしまったが、ちょっと便利なものが手に入った。
 帰る道すがら、説明するよ」
 
 苦笑するシグルトの言葉に、仲間たちはぽかんとしていた。
 
 その時、終に一同は気が付かなかった。
 割れた鉄の輪から、碧い視線がずっとシグルトを眺めていたことを。

(「まずは耳。
  次は目を与えよう。
  
  代わりに何を捧げて貰おうか?
  
  ふふふ、間もなく微睡みで見えよう、愛し子よ…
  お前が【開闢】に届く、その時を夢見ながら」)
 
 〈それ〉は、さも楽しそうに笑みを浮かべると、目を閉じた。



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Y字の交差路


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『ヒバリ村の救出劇』

2018.06.09(08:09) 449

 アレトゥーザを旅立って数日。
 “風を纏う者”の面々は村巡りをしながら旅をし、街道を少し外れてリューンから二日ほどの場所にあるヒバリ村で宿を取っていた。

 村に着いたのは夕方であり、村に唯一の宿…といっても、客人があれば料理を出して泊める程度の、村で比較的大きな農家…の場所を確認して直行し、パンと豆スープ程度の粗末な夕食振舞ってもらってから、すぐ休むことになった。

 田舎の夜は寝静まるのが早い。
 ほとんどの家が自給自足の農夫であり、彼らの行動は〈日が昇った時に起きて労働し、日が沈んだら眠る〉という生活をしている。
 例外は下世話な話、子作りする夫婦ぐらいだ。

 街のように街灯や夜の店があるわけでは無し、倹約家の農民は灯明のために貴重な油を使うといった浪費はしない。
 活動時間は太陽が照らす時間、というのが村落の一般的な生活サイクルであった。

 長旅で疲れていた“風を纏う者”一行も、この日ばかりは晩酌もせずに皆眠りについていた。
 明日は村長宅に行って仕事が無いか尋ねるつもりである。

 村に着いた時、畑から帰ろうとしていた農夫を捕まえてこの宿を手配してもらったが、その農夫は最初冒険者たちの武装に少し怯え、体格の良い司祭の姿を見て安堵し、残り四人の美貌に見惚れて目まぐるしく表情を変えていた。
 冒険者が珍しかったのだろう。

 レベッカは、村人の初々しい反応に内心舌なめずりしていた。

 こういう村は他の冒険者の縄張りから外れている場合が多い。
 小さな村は非常時に近隣の村と連携を取っているものだ。
 たとえお金がほとんどなくても恩を売っておけば、その村が所属する所領の領主や、近くの村落へのコネクションができるかもしれない。
 なにより、宿に案内してくれた農夫が最後に縋るような眼差しを向けたことと、宿を与えてくれた主人が「宿代はいらないので、何もないがゆっくりしていってほしい」と歓迎してくれて、遅い時間にもかかわらずわざわざ専用の料理を作って振舞ってくれたのも、この村が何かしら冒険者が必要な問題を抱えているということを暗示していた。

 だからこそ、朝一番に村長宅に迎えるように英気を養っているというわけだ。
 
 しかし、レベッカの予感は的中を通り越し、的を突き破る大事件となるのである。


 “風を纏う者”が休む部屋の扉が、ガンガンと叩かれている。
 窓から見える外は真っ暗で雨音もしない。
 時間はまだ夜であることが分かった。

 尋常では無い焦った扉の叩き方。

 シグルトが暗闇で瞬きしながらレベッカの方に数度頷く。
 こうするとわずかな明かりを目が反射して合図代わりになる。

 レベッカは言葉で答えずに、手元にあったランプに火をともし、ハンドサインで「準備万端」と返答した。

 何があってもいいように、熾火を壺に貰って置いてある。着火は驚くほどスムーズだ。
 この用心深さこそが、優秀な冒険者の証である。

 仲間はすでに「打ち合わせ通り」とばかりさっと荷物をまとめ、一瞬で武装を整えた。
 それぞれが暗闇の中で取り出した普段スプーン代わりに使っている木べらで素早く靴を履き紐を縛り、外套を纏うところまで一分もかからない。
 
 村巡りをしていると、その村が旅人を殺して装備を剥ぐ盗賊村だったということもありうる。
 だから“風を纏う者”は、仲間内で非常時の申し合わせをしておき、すぐ装備を整える訓練を行っていた。

 北方の兵士が雪明りを頼りに行うこれらの対策をシグルトの提案で取り入れたのだが、今までに数回使う機会があり、盗賊の奇襲や、鍵の無い宿での置き引きを回避できた。

(この対応術と非常訓練、うちの宿に広めるべきね。

 冒険者の生存率が様変わりするわ)

 “風を纏う者”で寝坊助な者は一人もいない。
 全員の装備と準備が整って明かりが着くのに、扉が叩かれ始めて約一分。

 シグルトとレベッカは扉に近づく足音を聞いた時点で目覚め、すぐに隣に寝ていた者を起こしていた。
 ぐっすり眠れるのは、所在のはっきりした信頼できる宿のみ。
 〈険しきを冒す者〉とは、枕の下に危険という刃が見え隠れしているのが日常茶飯事なのだ。

「こんな夜中に何者だ?」

 シグルトは明かりを頼りに仲間に頷くと、扉に近寄って外の人間を誰何した。
 仲間たちはそれぞれの得物に手をかけている。

「私はこの村の村長で御座います。
 冒険者様に至急のお願いがあって参りました。

 どうかお話を聞いて下さい!」

 シグルトとレベッカは同時に息を飲み、頷き合う。

 他のメンバーが少しだけ扉から離れて集まるのを確認し、シグルトが慎重に扉を開けると、年老いた男が会釈をして入ってきた。
 老人に続き、若い女性が入ってくる。

 女性の目元は暗がりでもわかるほど、赤く腫れていた。

「…お休みのところ、申し訳ありません。

 しかし、どうしてもあなた方にお助けいただきたいことが…」

 若干青ざめた顔で、老人はすがるような眼差しを向けてくる。

「…お話を伺います。

 まずはそこのベットにでも腰かけてください」
 
 強く頷いて促すシグルト。
 すでにいつでも動ける準備を整えていた冒険者に、老人…村長の目が驚きによって見開かれた。

「では、お話を伺いましょう。
 俺はこの冒険者パーティ“風を纏う者”の代表者シグルト。

 お願いということは御依頼でしょう。
 我々に助けを求めてこられた以上、冒険者の自由に懸けて、力と知恵をお貸しすると約束いたします。

 随分緊張しておいでだ。
 無理はせず、俺の質問に答えてください。

 レベッカ、水を二人に」

 ランプに照らされて浮かび上がる妖精のように美しい男が、力強くはっきりとした口調で約束したことで、老人が少し安堵した表情を浮かべた。

「では、お尋ねいたします。

 我らにご依頼の仕事とは何でしょうか?」

 レベッカが水差しに入れられた水を汲んで二人に渡す。
 そのタイミングでシグルトは切り出した。

「それは、妖魔の退治…いえ、違います。
 子供を一人助けていただきたいのです。

 村の子供が一人、妖魔にさらわれました。

 九歳になる女の子です。
 賢い子なのですが、好奇心が強すぎまして。

 夜な夜な村を荒らしに来る妖魔を近くで見ようと、家の外に出てしまったのです。

 妖魔どもは無防備なこの子を捕まえ、森の中に消えていきました。

 どうか旅の方々、あの子を妖魔から救ってください」

 ぽつりぽつりと語る村長。
 話が子供の拉致に及んで、シグルトの眉が跳ね上がった。

「失礼。

 ロマン、緊急依頼用の書式でまとめた羊皮紙を出して、内容を筆記しろ。
 報酬は事後の成功報酬の奴だ。

 レベッカは夜間行軍用の装備をみつくっておいてくれ。
 ラムーナはその手伝い。

 スピッキオは俺と一緒に話を聞いてくれ。

 …話を折ってすみませんでした。
 妖魔にお子さんが拉致されたとのことですが、その妖魔に関して情報はありますか?」

 待つ間に無駄な時間を過ごさないよう指示を出し、シグルトは話の続きを促す。

「は、はい。
 緑のイボイボの肌、甲高い鳴き声。
 確かとは言えませんが、あれがゴブリンというものでしょう。

 村の外れにある、廃坑に居ついております。
 一月ほど前、村の猟師が気付いた時には、もう結構な数が住んでいたようです」

 村長の答えにシグルトは少し思案する。

「具体的な数は分かりますか?

 あと、並外れて巨体の者や、入れ墨をしたりローブを纏ったり杖を持った後頭部が大きな個体、顔の体毛が多い個体。
 他と違った特徴の妖魔がいれば教えていただきたい」

 シグルトの問いに、「10匹よりは多いかと思うのですが、細かいことは分からない」と答える村長。

「作物を盗んだり農具を壊したり、悪さはしていましたが、それでも人が脅せばすぐ逃げました。
 とてもとても、子供をさらうような凶悪な生き物だとは考えていなかったんです。

 …今思えば、そうして警戒を怠っていたせいで、連中が増長し、今回の事態を招いたのかもしれません」

 村長は目を瞑り、顔のしわをさらに深くする。
 自分の責任と、攫われた子供のことを考えているのだろうか。
 
「過ぎ去ったことに愚痴を言っても、状況は決して良くなりません。
 あなたが過ちを犯したと思うなら、未来に何かをして雪ぐ以外にない。

 依頼が終わって戻りましたら、妖魔と盗賊に対する対処法と、村に負担の少ない冒険者へ救援を求める方法をお教えしましょう。

 奴らに対応できる俺たちがここにいます。
 今は攫われた子供のため、可能なすべてを尽くしましょう」

 悲観的なことを言って口ごもった村長を、シグルトは正論で叱る。
 はっとした村長に、シグルトは「そのために我々がいるのだ」と励ました。

 不安は蔓延する。
 特に、集団の指導者が弱気になっている時は顕著に。
 負の感情によって暴走した村人は、依頼の障害になる。
 
 そこで手をこまねいて何もしないのは、状況の悪化を見過ごすのと同義だ。
 リーダーとはそういった時、行動して責任を取る者である。
 
 シグルトはこの村長が誠実で責任感が強い人物だと感じていた。
 こういう人物が弱気になった時は、ただやるべきことを示し背中を押すことだ。
 
 瞳に覇気を取り戻した村長に、シグルトは続きを聞く。

「話を戻しましょう。

 攫われた子供の名前と特徴を教えてください」

 子供がマリアという九歳の女の子で、髪は長いブロンド、母親に編んでもらった黒と赤のフードを被っていたこと。
 そしてこの村の宝物であること。

 村長の言葉には、子供が成長することが難しいのだという思いが滲みだしていた。
 貧しい村で五歳まで成長できる子供は、半数を切ることも珍しくない。
 栄養面、衛生面、そして今回のような安全面の欠落。
 出産でさえ、二十回に一回は母か子が死ぬ。

 だから、無事成長した子供は、村の次代を担うかけがいの無い存在なのだ。

 この村は貧しい。村長が次に提示した報酬も銀貨四百枚が限界だ。
 元々自給自足を生活基盤にする村落には、通貨そのものが流通しない。
 食べることもできず、道具として役に立たない金と交換する意味が無いからだ。
 報酬として支払われるはずの銀貨は、時々やってくる行商人と村人が物々交換をして、渡された釣銭をいざという時のために貯金していたものだろう。

 銀貨四百枚。
 妖魔を相手にする危険な依頼で、冒険者を雇う報酬の目安は一人銀貨百枚ぐらいからである。
 五人組を雇うなら、最低ラインは銀貨五百枚。
 
 それでもシグルトは、「受けるぞ」という意思を込めて仲間を見回す。

 レベッカは仕方ないわね、という表情で賛成する。
 ロマンとラムーナは、構わないと賛同を示す。
 スピッキオは、当然だと杖で床を打つ。

 冒険者にとって、時に金より大切なものがある。
 社会的弱者を救うという、名誉だ。

 冒険者になる者は、多くが脛に傷を持っている
 喜んで冒険者になる者は少ない。
 危険で汚く困難な冒険者という稼業になった者は、多くがそうなる前は弱者の側であったのだ。

 過去の自分、あるいは過去に救えなかった誰かのために、今の弱者を救うという矜持。
 偽善でも良いから、力無き者を救いたいという英雄願望。

 そのような冒険者は、案外多い。

 生き様を自慢するのではなく、「やってよかった」と安心するために。
 己の良心と命に懸けて、選ぶ自由を謳って険しきを冒し。
 安い報酬、明日の名誉を夢見る無謀を、蔑まれるなら不敵に笑い返す。
 冒険者とは、そんな、蛮勇にして憎めない存在である。

 だが、偽善という綺麗ごとを貫いて弱者を救った時、それを成し得た者こそが真の英雄と呼ばれるのだ。

 シグルトは村長の方を向くと強く頷いた。

「この依頼、“風を纏う者”が請け負います。
 冒険者の仕事に絶対の成功は確約できませんが、冒険者の自由に懸けて力を尽くしましょう。

 報酬額の補填は、妖魔の塒を捜査をする時に手に入った食料品以外の物で戴きますが、よろしいですか?」

 会計役のレベッカの心情を察して、シグルトは別の手も打っておく。
 提示した報酬から食料品を除いたのは、この村にとって盗まれた食料も貴重品だろうからだ。
 あらかじめ、手に入れたとしても後々軋轢が起きそうな物品は省いて提案する。

「ありがとう御座います!
 もちろん、それで結構です。
 少ない金額で受けて戴いて、感謝致します。

 報酬の足しになるかは分かりませんが、何か物品で役に立ちそうなものをお渡しいたしましょう」

 村長の提案に感謝すると、シグルトはロマンに書かせていた依頼書に素早く自分のサインをする。
 これは、依頼内容、報酬額、達成条件を簡潔で分かり易い一定の書式にしてまとめたもので、今回のような緊急の依頼でスムーズに契約が結べるようにあらかじめ作成しておいたものだ。

 シグルトは村長にサインできるか識字の有無を尋ね、確認と記入を促す。
 仲間に命をかけさせる仕事を受ける場合、どんな状況でも口約束にしないのが、リーダーとして行うべき誠意であった。


 村長の案内で、“風を纏う者”は妖魔が住むという廃坑に向かう。
 途中、村長は「このぐらいしかできませんが」と、【コカの葉】二枚と【傷薬】を一瓶渡してくれた。

 【コカの葉】は冒険者が応急処置に好んで使うハーブである。
 高山病の対策にお茶として飲まれることもあり、傷や疲労の痛苦を回復するまで忘れるために摂取したり、毒や麻痺を中和する効果もある万能薬である。
 若干精神毒性があるため戦闘時の使用は推奨されず、依存性も高いため、一部の医者や賢者は多用するべきではないと警告している。

 【傷薬】はいくつかのハーブを合成して作られた薬品である。
 その効用は熟練者の治癒術に匹敵するほど。
 冒険者も重傷への備えとして携帯することがあるが、リューンでの流通価格が銀貨三百枚と非常に高価であるため、「冒険者泣かせ」と言われている。

 医学に詳しいシグルトは【傷薬】の成分を知っていて、「使わないことが一番好ましいが、緊急時でも一度使ったら一月は使うな」と仲間に言い渡している。
 主成分であるヒヨス草は使う容量を誤ると猛毒に様変わりするのだ。
 熟練の冒険者が、晩年光を忌避する奇病になる場合があるが、これは傷薬の多用によって瞳孔散大を繰り返したことの副作用である。毒性によって手足に麻痺が残り、引退後にまともな職業に就けなくなる者もいる。

 冒険者や一般人が副作用があるこれらの薬を使うのは、それだけ使用時に効果が早く発揮され薬効もあるからだ。
 使用すれば寿命を縮めるとしても、危険の中で明日をもしれない命であれば、その一瞬を生きるために劇物にも頼る。
 薬の取捨選択もまた冒険なのだ。

 小さな集落で貴重な品であると承知していたから、“風を纏う者”は有難くそれらの提供品を受け取った。

 その日の月は明るく輝き、夜道に灯火が不要なほど。
 一行の歩みに障りは無い。

 廃坑へと続く森の小道を案内していた村長が、急に足を止めた。

「…この道をしばらく進めば、古い鉱山があります。

 目的地はそちらです」

 立ち止まった村長は、何かを耐えるようぶるりと身を震わす。

「妖魔は子供をそこに。

 案内有難う御座いました。
 あとは我々にお任せください。

 万一、斃し損なった妖魔が村に向かうといけません。
 村人に戸締りを徹底させ、我々が帰還するか少なくとも朝までは各家に籠るよう伝達を。
 素人の生兵法な助力は無用です。
 決して誰もこちらに来させないように。

 特に、攫われた子供のお身内や親しい方の動向には注意を。
 犠牲者が出て、子供を迎え入れる者がいなくなってはいけません」

 シグルトの厳しい言葉に、村長が苦渋に満ちた表情を浮かべた。

「…言っておかねばならないことがあります。

 実はあなた方に頼む前に、村の者が廃坑に向かいました。
 攫われたこの父親です。

 彼は娘が攫われたと知るや、一人で飛び出して行きました。

 それが一刻(二時間)も前のことです。
 おそらくはもう…」

 先ほど泣きはらしていた女性が脳裏に浮かぶ。
 
 “風を纏う者”には食事をし休む時間があった。
 事件が起きてすぐに助けを求められていれば、こんなことにはならなかっただろう。

 金のかかる冒険者を頼るの最終手段で、あるいは“風を纏う者”が宿を取っていたことを当事者たちが知らなかったのかもしれない。
 こういう〈手遅れ〉や〈損失〉をともなった行き違いは良く起きることである。

 だが、求められなければ、その時に知ら無ければ、どんな後悔も無意味なのだ。
 〈今〉できることに力を尽くすよりない。

「これでもし、子供まで死んでいたとしたら…あの母親は生きていけませぬ。
 我々村の者たちも怒りと悲しみに震えるでしょう。

 冒険者様。
 あの子がすでに死んでいたら、村に戻らずそのまま去ってください。

 村の者はみな、あの子を愛しております。
 それを理不尽に失えば、冷静ではいられません。

 その感情は命を奪った妖魔より先に、あなた方に向かうかもしれません。
 いえ、向かうでしょう。
 死力を尽くし、疲労したあなた方を、責め立てるでしょう。
 暴力を使う者もでるかもしれません。

 そうなれば、村長の私でも止められません」

 ロマンやラムーナが息を飲む。

 貧しい村ではまともな教育が受けられない。
 人間として必要な倫理の代わりに、共同体の大切さや村に貢献することを最優先として学ぶ。
 そういう村落の人間は、思考が驚くほど単純で、恐怖とストレスで心の均衡が崩れれば、悲しみや怒りが加わることで容易に暴走する。

「…ですから、これは先にお渡ししておきます」

 村長が貨幣の入った袋を大事そうに取り出した。

「約束通り、銀貨四百枚入っております。

 どうぞ受け取ってください」

 村長の目には半ば諦めが見てとれた。

 無理もない。
 子供が攫われ、その後に父親が救出に向かって戻らなかった。
 この時点で、子供の生還を絶望視しているのだろう。

 しかし、村長の申し出をシグルトは手をかざしてきっぱり断った

「我々が受けた依頼は〈子供の救出〉だったはず。
 先ほど、報酬をいただくのは成功時にと契約しました。

 我らは子供の死を確認するために仕事を受けたのではありません。

 冒険者として集団の名を名乗り自由に誓った以上、依頼を遂行するために力を尽くすことが義務なのです。
 不正をして逃げるのは、我らの名を貶め、職務を投げ捨てること。
 それは冒険者として死ぬことなのです」

 “風を纏う者”の名を出して誓うことは、冒険者として、不退転の覚悟で臨むということである。
 口コミで勇名や仕事ぶりが伝わる冒険者は、パーティの集団名を名乗ることに大変なこだわりがあるのだ。

 パーティ名で名乗った以上は、その依頼が遂行できない=冒険者としての汚名、ということ。
 特に仲間の名誉を重んじるシグルトにとって、名を損なうことは自分が傷つくことに等しい。
 パーティが所属する宿の看板に泥を塗り、拾って貰った恩を仇で返すということにもなる。

 武辺者である冒険者たちは、とりわけ面子にこだわる。
 面子を損なえば仕事を得られなくなるのだ。

 シグルトは善意だけで報酬の前渡しを断ったわけではなかった。

「…これは俺の知識からの推測なのですが。
 
 攫った子供がすぐに殺されることは無いでしょう。
 奴らはものを考えると言っても、多くは単純です。
 〈その場で殺害せずに攫った〉ということは、すぐ殺す意思が無いということ。

 以前あった類似する事件でも、半日から一日は〈殺されない〉ことが大半だったと聞いています。

 マリア嬢はおそらく、生きています」

 シグルトがマリアの生存を確信しているのには、ゴブリンの生態に関して詳しいからだ。

 ゴブリンなど一部の人型妖魔は、雌となる個体が異様に少ない、あるいはまったくいないことがよくある。
 そういった妖魔は、とてもおぞましい話だが…別の人型種族の雌を攫ってきて子を増やす苗床にしたり、獣の胎を使って増えるのだ。

 これがオークの場合、女性であれば老若問わず性的な暴行を受ける。
 繁殖のためだけではなく、その旺盛な性欲のはけ口として。
 情報から相手はゴブリンらしいので、この線は消える。

 もし繁殖のためにゴブリンが女性を攫ったのであれば、数日懸けて苗床になる処置をする。
 そのためには呪術的薬物を用意する必要もあるため、攫って半日で救出不可能なほどの施術をされる可能性はまずない。

 考えたくない話だが直接繁殖するために、性的暴行をする可能性も低いはずだ。
 吐き気の催す話だが、異種族に対する性的暴行は、人間が一番凄惨で変態的である。
 人間がゴブリンの緑の肌を嫌悪するように、ゴブリン側も人間などといたしたいとは思わないのである。

 そして、これらの線も無いと断言していい。
 九歳のマリアは明らかに子供で、村の栄養状況から初潮を迎えていないはずだ。そういう目的に利用される可能性は体格的・生理的にあり得ない。

 では、食料として攫った場合は?

 活かして攫うのは【保存食】として虜にしておくためだ。

 もし〈すぐ食べる〉ためならば、〈殺してから遺体(食材)を持ち去る〉はずだ。
 攫うというのは逃げられる可能性があり、子供であってもゴブリンの体格であれば下手をすれば手痛い反撃をされるから、リスクが高いのである。

 絶対の無事とは断言できないが、シグルトはマリアの生存をほぼ確信していた。

 対して、先に侵入した父親の生存は絶望的である。妖魔にとって救出に来た大人の男性は脅威にしかならない。
 廃坑に時間からして、救出に失敗したのだろう。
 このことは、村長も予測し覚悟している。
 今更繰り返し言うことではない。

「…そうですか。

 では、これをお渡しできることを、私も願っております」

 村長は申し訳なさそうに頭を下げると、冒険者を残してその場から去って行った。


 “風を纏う者”がしばらく進むと、月光の下にぽっかりと口を開く廃坑の入り口が見えた。

「…廃坑かぁ。
 多分入り組んだ地形だよね。

 一度通った道順は僕が憶えておくけど、上下に伸びた通路があれば方向感覚が狂うかもしれない」

 ロマンが洞窟や廃坑などの調査で問題となることを口にした。

「ふむ、手は打っておくか。
 幸い今夜は乾燥している…上手く行くかもしれん。

 レベッカ、周辺の調査を頼む」

 そう言うと、シグルトは道具袋から簡易裁縫道具を取り出した。
 中には、縫い針や糸の他に釣り針や傷を縫う銀の針、釣り糸やほつれを繕うためのフェルトなどが入っている。
 その中から二つに折れた平べったい針を取り出した。

 宿の娘が革製品を繕うために使っていたものだが、折れたので処分するものを、シグルトが使い道があると言って貰い受けていたものだ。

 シグルトは羊毛でできた布切れを取り出すと、二つに折れたものの尖った方を選び、擦り始めた。
 上下にでは無く、先に向かって擦るのを繰り返す。

「何をしとるんじゃ?」

 スピッキオが首をかしげると、シグルトは苦笑して作業を続けながら語りだす。

「昔まじない師の婆さんが教えてくれたまじないでな…【ユピテルの愛の針】、あるいは【導く針】という。

 これぐらいか」

 シグルトが擦った針を折れた針に近づけると、両者がピタリとくっつく。

「うわ~」

 ラムーナがその不思議な現象に思わず感嘆の声を上げた。

「…調査終わりっと。
 蛇と蛙が追っかけっこしてたぐらいね。
 異常は無いわよ。

 って、何その珍現象!?」

 周囲の調査を終えて戻ってきたレベッカもくっついた針を見て目を見張っていた。

「どうやらユピテルの加護が宿ったようだ。

 これを小さな葉に着けて、小盃に水を半分ほど注ぎ浮かべると…」

 シグルトがくっついた針を引き離し、その辺に落ちていた楕円形の木の葉を拾い、針の尖った先端で刺してから、足が折れた小さな盃の中に水を注いで浮かべた。
 針はくるくると回って、やがて一方を指し示す。

 不意に空を見上げたシグルトは、「北はこちらだな」と葉の針の先端付近がある部分にインクで黒く線を引いた。

「愛多きユピテルの加護が宿ったこの針は、近づけると折れた半身を引き寄せる。
 戦争に行く恋人が戻れるように、尖った先を男が、もう片方をその恋人が持つ…そうすれば互いが引き合い再会できるのだという。

 好色で浮気性のユピテルの加護であるから、他の針に近づけるとそちらも節操なく引き寄せてしまう。
 そうなると再会を促す魔力は失われるという話だ。

 ただ、ユピテルの加護が宿った針はしばらく北か南を指し示す。
 まじないの伝承では、戦場で自軍の本隊からはぐれた兵士が、この力で故郷に無事たどり着くことができたそうだ。

 金属の鉱物が多い鉱山や一度雷が落ちた場所ではまじないの効果が狂うとされているんだが、あの鉱山は別の鉱山だったようだし、方向を見失った時は役立つだろう」

 シグルトが行ったのは、静電気で針に磁力を持たせ、簡易のコンパスを作る方法である。
 科学が発達していない時代、それはまじないとして伝わっていたが、天然磁石(ロードストーン)を使った似たようなまじないもある。
 静電気と、雷霆を操るユピテルの符合など、なかなかどうして的を射たものであった。

 過去にシグルトは、恋人にせがまれてこの針を作ったことがある。
 まじないの効果は表れず、今は離れ離れになってしまったのだが。

 新しい知識に、ロマンが鼻息荒くシグルトからできた簡易コンパスを受け取った。

 得物が短剣のレベッカが、空いた片手にランプを持つ。

「さぁ、ここからが本番だ。

 …急ぐぞ」

 シグルトの号令で、一行は地獄の底に続くかのような、真っ暗な夜の廃坑へと入って行った。

 廃坑の中は、すぐに二股の分岐路になっていた。
 夜気で冷やされた空気にわずかに混じる、鼻にこびり付くような悪臭。
 妖魔が放つ体臭と生活臭だ。

「…いるわ。
 多分予想通りゴブリンね。

 少し残った足跡がそれよ。
 ただ、気になるのは…人間の奴じゃない、血の匂いがする。

 特攻した父親が、何匹が殺ってるわねこれは」

 先んじて調査をしていたレベッカが眉をひそめていた。
 敵が減っているなら行幸だが、その分たぶん警戒している。

「まっすぐ行くか、左だね。

 どっちに行く?」

 レベッカが罠や警報装置が無いことを伝えると、次は分かれ道をどう進むかとなる。

「最初に先輩から習った時は、左回りの法則を守れだったよね?
 壁伝いに左回りに進めば、よほど複雑な構造でない限り迷わないって。

 背後を取られたくないし、脇道からおさえて行こうよ」

 ロマンの提案に一同は頷く。
 左に伸びた道を選び、長い通路を進む。
 途中壁に【クリスタル】が光っているのを見つけ、回収する。

「臨時収入ゲットね。

 まぁ、この程度のサイズじゃ、それほど高額にはならないだろうけどさ」

 そんなことを言いながらさらに抜けると、扉と不自然に転がった岩がある。
 むっとする血臭に、ロマンが顔をしかめた。

 岩の下には圧し潰されたゴブリンの死体があった。

「レベッカ、あの大岩を人間が振り回せると思うか?」

 シグルトは険しい表情で問うた。

「無理ね。

 つまり、〈別〉のがいるってことよね?」

 レベッカの言葉に、仲間たちも真剣な顔立ちになる。

「こんなことができるとしたら、ゴブリンなら【チャンピオン】、他ならオーガーなどの巨人種だ。
 目撃情報が無く、同族同士で殺し合う可能性も低いから、たぶん後者の可能性がある。
 その場合俺たちの今の装備や実力で対処できる相手じゃない。

 その手の奴に遭遇したら、全力で逃げるぞ」

 一行は警戒を強めてから扉を調べ、開けて進んだ。

 そこは鉱山労働者が休む部屋だったようだ。
 ベット代わりの藁が、いくつか小山を作っている。

 藁は黒ずみ湿気を帯びていた。
 ムカデやナメクジの温床となっており、今はとても休憩などできないだろう。

 その薄汚い藁の中に、小柄な体格の生き物が隠れていた。
 よく見てみると恐怖に震えるゴブリンのようだ。

 シグルトが剣を一閃、その首を斬り落とす。

 攻撃の意思がない妖魔だからと言って、放置すれば背後から襲われることもある。
 彼らはすでに子供を拉致し、村に被害を与え、人の土地に勝手に住み着いている外敵なのだ。
 ならば、率先して殺す汚れ仕事は戦士の自分がやるべきである。

 苦しめなかったのが慈悲であった。

 一行は死体を部屋の隅に寄せて藁で覆う。
 元々あった遺体ならともかく、斃した敵の死体は隠蔽するのが鉄則だ。

 その間にレベッカが扉を調べる。

「こりゃ、専門の道具を使わないと開かないわね。

 さび付いていやがるわ」

 手慣れたようにレベッカは油を注し、頑丈な千枚通しのような道具で錆をこそいでから、針金とピッキングツールを差し込んでやすやすと解錠した。
  
 扉を潜り次の部屋に向かうと、そこは湧き出した地下水でもあったのか、濡れそぼって腐った藁と泥土のある部屋であった。 

「…これ葡萄酒みたいだけど、完全に賞味期限切れっぽいわね」

 レベッカが調査中に泥土の中から葡萄酒の瓶を発見するが、それはもう熟成というよりは中身が完全に酢か…得体のしれない物体になってしまっただろう、葡萄酒の瓶である。
 「こりゃ敵にぶつけるぐらいしか効果が無いわね」とはレベッカの談。

「後で酢になっていないか確認してみよう。

 飲めなくても、別の使い方がある」

 意外にもシグルトが回収を提案した。

「こんなもん、何に使えるってのよ?」

 飲めない酒、と言うのはレベッカにとっては忌々しいものだ。
 顔をしかめている。

「酢になっていれば、丈夫な糸を作る時に薬液になるんだ。
 虫の糸を出す部分を薄めた酢に漬けると、透明度の高い切れ難い糸が取れる。

 そうやってできたものは、釣り糸や傷を縫う糸としては最高のものだ」

 シグルトの言う糸とはテグスのことだ。
 絹糸昆虫の幼虫の絹糸腺を取り出して3%ほどの薄い酢酸に一分~十分ほど漬け、それを伸ばす。
 
 紡いで作った糸は繊維の隙間に汚れが付着して汚染されやすく、傷の縫合をする場合感染症を起こしやすい。
 
「あ~、あれってそうやって作るのね。
 たまに手妻で物が浮いてるように見せたりするトリックで使うけど、あの糸って高いのよね。

 作る時は私の分もよろしく」

 役立つとわかれば現金な女である。

 その後、扉の先にある曲がり角で物陰に隠れた蛇がいたが、一匹目はやり過ごし、もう一匹は駆除した。

「あっぶな~、噛まれたらことだったわよね♪」

 そういいつつ、ちゃっかり蛇の潜んでいた岩の亀裂から【クリスタル】を回収しているレベッカである。
 今回の報酬は安いので、こういう小さな収入が増えると有難い。

 その先は三差路。
 鉱山の元食堂だった場所のようだ。

 ツルハシを持ったホブゴブリンの死体と、片腕をもがれて失血した男の死体があった。

「…マリアちゃんのお父さんだよね?」

 ラムーナが沈痛そうな顔で言うと、スピッキオが十字を切りその瞳を閉じさせた。

「屈強な体格をしている。
 おそらくは猟師か樵をしていた人間だろう。

 愛娘の危機を看過できなかったのだろうな。
 残念だが、妖魔の巣窟に単身で飛び込むということは、冒険者でも自殺行為だ。

 俺たちにできるのは、彼の死に様をきちんと伝えること。
 彼の無念を晴らし、その娘を助けること。
 できれば無くした腕も見つけてやろう。

 レベッカ、何か形見になりそうな品物があったら回収しておいてくれ」

 軽く遺体に黙とうをささげると、シグルトはホブゴブリンの遺体を調べ始めた。

 レベッカは男がかけていた【青い首飾り】を形見として回収する。
 売れば金にはなるだろうが、そんな気にはならない。

 自分たちも下手を打てばこの骸と同じになる。
 それがわかっているからこそ、勇気を示し死んだ人間には、それが愚かな行為であっても敬意を示すのが冒険者というものだ。

「…やはりな。
 巨体のホブゴブリンが肋骨を出すほどの衝撃。

 今のところ気配は無いが、とんでもない怪物がいるのは間違いないようだ。
 この依頼、一筋縄ではいかないかもしれん。

 できる対抗策を打っておこう…〈来い、トリアムール!〉」

 シグルトの周囲にふわりと風が舞った。

「えっ?

 何、魔法?」

 シグルトが振るった新たな力に仲間たちが目を見張った。

「そういえば〈新しい力を手に入れた〉程度しか言ってなかったな。

 これは、風の精霊の力を纏う精霊術だ。
 一度の使用で二度風の魔法を放てる。
 精霊の召喚時と風の魔法の発動時には身体能力を高められ、俺の動きに連動して攻撃と撹乱を兼ねた風撃で敵を打ちのめすことができる。

 まだ慣熟しているわけではないから、召喚は三度が限度だが、手数が増やせるし、不意討ちを食らった時には対抗手段として使えるはずだ」

 簡単に説明するシグルトに、レベッカが「うが~!」と食って掛かった。

「何さらっと言ってんのよ!
 それって魔法じゃない!
 才能あっても、習得に金と時間がかかるやつ!

 あんた、武器振るって戦うのが本職の戦士よね?
 冒険者の中で【武芸と魔法】を同時に使える【二重能力者(ダブル)】がどんだけ稀少で高等技術か、知らないわけじゃないでしょ?」

 魔法。
 魔術師や精霊術師、大きな意味では秘蹟を使う聖職者も含め、呪文・奇蹟・能力によって超常の力を起こす力を、人々は魔法と呼んだ。
 それを使える人間を魔法使いと呼ぶ。

 実は、本業の技能に添えて副能力的に魔法を使える冒険者は結構いる。
 代表的なのはリューンのような大都市で大枚を払って学ぶという手段を取る。
 聖北教会から【癒身の法】を学んでいる戦士や、護身のため賢者の塔で【魔法の矢】を習得する盗賊など。
 だが、それは冒険に慣熟し、金銭に恵まれた中堅以上の冒険者だけだ。

 魔法は、〈教えてくれる師〉を見つけなければ基本習得できない。
 あるいは技能書を見つけて、自身で学ぶしかない。
 その機会こそが大変稀少なのだ。

 シグルトは、レベッカと別れていた数週間の間に、特別な浪費もせず(アフマドを救うために銀貨千枚を使ったが、後に稼ぎで補っている)その稀少な魔法を習得したのだ。

 そして、レベッカが感情をあらわにするほどのこと。
 シグルトがただの器用貧乏なマルチユーザーなのではなく〈戦士として極めて優秀である上で魔法を習得している〉点。

 剣と魔法を同時に専門職並みの実力で使いこなせる者は、冒険者の中で【特別】だった。

 【二重能力者】。

 古来、書物に名を遺す聖騎士や魔法剣士と言った特別な技能職となり、時と場合によっては【勇者】などと呼ばれる者たち。
 彼らは、歴史を動かした王に仕えたり、英雄として強大な怪物を倒して名を残す者がほとんどである。
 在野の冒険者に甘んじているなど、ありえない。

 先ほどのまじないといい、時代を無視したような高度な医療知識といい、この男はどこまで規格外なのか。

「…そんなことを言われてもな。
 縁あって習得したものだ。

 今度細かい精霊術の手ほどきをレナータから受けてみようとは思うのだがな。
 柵(しがらみ)になる精霊術の師はいないから、皆の迷惑にはならないだろう」

 〈自分に魔法の師はいない〉というシグルトの言葉に、今度こそレベッカは絶句した。
 師がいないということは、使える術の開祖ということ。

「あ~、シグルトや。
 この仕事が終わったら、一度その精霊を召喚できるようになった所以を詳しく話すんじゃ。

 わしもあんまりのことで頭がついていかんわい」

 スピッキオも治癒の秘蹟を習得するため、長い間潔斎し修行したものだ。
 剣術の類と違い、魔法の類はとにかく感覚が特殊で、簡単に習得はできないものなのだ。

「うん、今更だよね。
 シグルトなら、そのうち新しい流派とか開きそうだし。

 僕はもう驚かないよ」

 ロマンは子供らしくない、遠い目をした。

 あまり分かっていないラムーナは「すごいね~」と目を丸くするだけだった。


 結局シグルトの新しい能力に関しては棚上げとなり、一行は地面についた血痕を追って北に向かう。

 さらに北に向かう通路と、その途中にある扉。
 血痕は扉へと続いている。

「この扉、鍵はかかってないけど開かないわ。
 奥に敵がいるとみていいわね。

 どうする?」

 シグルトは当然とばかりに武器を構え、一堂に促した。

 直接ぶつければ武器が壊れる。
 シグルトが風を纏って強力なタックルを仕掛け、ラムーナが盾を構えて突進する。
 二度目のタックルが行われた後、ロマンが【魔法の矢】をぶつけると、度重なる攻撃で脆くなっていた古びた扉は砕け散った。

「行くぞ!」

 シグルトとラムーナが先頭となり部屋に入ると、そこは小枝の束と壺が立ち並ぶ倉庫のような場所だった。
 吹き飛ばされたのか、一匹ゴブリンが転んでいる。
 全部で三匹いたゴブリンは、興奮したように襲い掛かってきた。

 ラムーナが攻撃をかわすと、その後ろにいたロマンに襲い掛かってくる。

 シグルトがそのゴブリンを殴り倒した。
 壺が邪魔となり、剣を振り回すには狭い。

 ロマンが呪文を唱え、レベッカとラムーナが手に持った武器で牽制をしかけるとゴブリンが特攻してきた。
 頑丈な防具の無いシグルトはとっさに割り込んでそれを腕で受ける。
 硬い手袋で防ぎ切り、反撃に足を払って敵を跪かせると、組みついて首を剣の鍔でロックし、足を踏んでジャッキのように頸部を捻り上げた。
 身長差故に脛骨を外されたゴブリンは、支えを失った首の気道と頸動脈を捩じり潰され即死した。
 これは、剣術などに伝わる格闘の技である。
 剣は斬ったり刺したりだけに使われるのではない

 もう一匹をラムーナとレベッカ、スピッキオが三人がかりで攻撃し、めった刺しの上に杖で頭蓋骨を砕いた。

「《眠れ!》」

 ロマンの【眠りの雲】で最後の一匹が意識を手放す。
 その一匹の首をシグルトが切断すると、戦いは終了した。

「シグルト、大丈夫?」

 駆け寄ったラムーナに「傷はない」とシグルトが答えた。

「やはり、こういう狭い場所で戦うには、揉み合いを前提にして籠手ぐらいは装備しておくべきだな。

 革製の手袋では最悪防ぎきれん」

 シグルトがゴブリンの攻撃をブロックしたのは、ロマンを狙われないようにするためだ。
 このゴブリンたちは魔術師を狙う戦い方を心得ていたような気がした。

 大事を取ってスピッキオが【癒身の法】をと聞くが、手を開いて無事なところを見せた。

 その間にレベッカは周囲を見渡して、壺の上に隠れていた黒い鉄の箱を見つける。
 複雑な鍵がかけられていたため、レベッカは鍵開けの道具と技を駆使してそれを開けた。

「これは、この廃坑の地図だわ。
 後わけのわからない模様が書かれた本と、真新しいインク壺。

 誰か最近までこの廃坑に住んでいたのかしら?」

 こういうものはロマンが専門分野ね、とその本を渡す。

「うん、たぶん何かの文字の筆記体だね。
 模様のように見えるのは文字同士が繋がってからだよ。
 単語や文章の形成も独特みたい。

 ゴブリンにしか視認できない書き方をしていたら、僕には読めないかな。
 こういう時こそ、この間手に入れた魔法の指輪を使ってみよう」

 仲間の同意を得ると、ロマンは先日ロゴージンから手に入れた魔法の指輪をはめて呪文を唱える。

「《仮の綴りよ、真の言葉を示せ!》」

 そうやって召喚した指輪の精を、吹きかけるように本に解き放つ。
 瞬間、ロマンの目には本に書かれた内容が飛び込んできた。

「…驚いた。
 これはゴブリンたちを率いていたものが書いた記録だよ。
 廃坑のゴブリンを統率していたリーダーは、下手な人間より知能が高かったみたいだね。

 筆者はベインガマ=レイントルグストエン。
 著名は『我らが足跡』。

 間違いなく、これを書いた…おそらくシャーマン種は、特別な変異種だよ。

 ここにやってくるまでの苦労とか、人間に対する警戒とかが書いてある。
 おや?これって…」

 ページをめくっていたロマンが、挟まっていた紙きれのような物を取り出した。

「使い捨ての呪文が封じ込められたスクロール(巻物)かな?
 大した威力はなさそうだけど。
 好事家に売ればいくらかお金にはなるかもだけど、攻撃手段としてはサラマンダーの攻撃程度かもしれないね」

 ロマンが読んだ本の内容によると、ベインガマというシャーマン種は、他の地から仲間を引き連れてこの廃坑に流れてきたらしい。
 人間との軋轢を避けるため、神経質なほどに人を避けるように命じるベインガマだが、仲間たちは安住の地を手に入れたことによる楽観から次第に油断し、人の物を盗んだり出歩くようになる。
 ある時そのベインガマの仲間が何者かによって無惨に殺害された。
 調べるうちに、【森の悪魔】と彼らが呼ぶ怪物に遭遇し、それが仲間の敵だと判明した。

 【森の悪魔】は太陽が致命的で、驚異的な再生力を持ち、魔法を使えるベインガマと仲間と一斉に襲いかかっても勝てない強大な敵だったようだ。

 怪物を避けるため、行動を制限したことで食料の備蓄が無くなり、仲間たちが村から窃盗を繰り返すようになった。
 ついには人間の子供をさらってしまい、ベインガマは言うことを聞かない仲間を見限り、親しい仲間だけを連れて逃げようとしていた、というところでその内容は終わっていた。

 ロマンが説明している間に、レベッカは手ごわかった鉄の箱を調べ、盗賊の勘でそれが二重底だと見抜いた。
 ベインガマの日記に挟まっていたのと同じ呪文のスクロールが入っていたという。
 
 並んでいた壺の一つにはゴブリンが隠れていた。
 怯えて居たゴブリンはすぐに始末される。

 一度敵対した妖魔には、決して慈悲をかけてはならない…それが冒険者の鉄則だ
 涙を流して哀れを誘ったゴブリンを放置し、背後から刺されて殺された冒険者もいる。
 子供のゴブリンを見かけたら、「必ず殺せ!」とも。
 生き延びたゴブリンは人間に警戒し、知恵をつけ、もっと恐ろしいゴブリンを率いる群れの長になる。

 もう一つの壺には蛙を乾燥した保存食らしきもの。
 流石に何かに役立つとは思えない。

 最後に中央に置かれていた取っ手付きの大きな鍋を確認すると、その中で赤と黒のフードをかぶったブロンドの女の子が震えていた。
 
「君はマリアだね?

 俺たちは君を助けるために、君のお母さんと村長さんに頼まれてやって来た冒険者だ。
 もう安心していい」

 シグルトがそう声をかけると、少女はシグルトを見上げた。

「…お母さんが?」

 子供の問いにゆっくり頷いてやると、青ざめていた頬に幾分生気と赤みが差す。

 シグルトは彼女を抱き上げ手鍋から出すと、地面に下した。
 さっと見て、大きな怪我がないことを確認する。

「怪我はないようね。

 一人で歩ける?」

 かがんで目線を合わせレベッカが問うと、マリアはぴょんと跳ねて見せて「うん!」と答えた。

 部屋の探索を終えたシグルトたちは、手に入れた地図を見て、廃坑の最奥へと向かう。
 もしゴブリンがいるのであれば、背後から挟み撃ちにされると危険だからだ。

 途中途中に大きな岩が転がっていた。
 よく見ると、先ほどのベインガマが書いていたような幾何学模様の文字が刻まれている。
 魔法の指輪によって解読を試みると、それはベインガマが可愛がっていたゴブリンの子供が書いたものだった。

「ああ、なるほど。
 ベインガマはレイントルグストエンの方が名前で、レントが愛称だったんだね。
 トッチはペットの鼠だったんだ。

 そこに書かれていることはベインガマ…レントと呼ばれていたシャーマン種が日記に書いていたことと大差ない。
 子供が書いた徒然日記という感じだ。

「うん、面白いね。
 帰ったら、これを絵本のネタにでもしてみようかな。
 こんな珍しい事例は少ないから、貸本屋が買い取ってくれるかも」

 独り言を言うロマンに、そうだといいわね、とレベッカが肩をすくめて言った。
 その横でスピッキオが一休みと、文字の書かれた大岩によりかかる。

 グラリ…
 
 ほんの少し寄りかかっただけの大岩はごろごろと転がって、北に向かう下り坂を転げ落ちて行ってしまった。
 ドンガラガッシャンとすごい音がする。

 全員の目がスピッキオを見つめる。

「…す、すまんの」

 そんなスピッキオを無視して、レベッカが地面を見る。

「なるほど、ちょっと違和感があったんだけど結構な勾配になってるわ。

 この先にゴブリンがいたらぺちゃんこね」

 横でシグルトが「気をつけような」とスピッキオに注意を促していた。

「内容は覚えておいたからね。

 ゴブリンの子供が残した文字が無くなってしまったのはちょっと残念だけど、あんな岩持ち帰れないし」

 ラムーナはマリアに「大回転~」とバク転しながら冗談を言っていた。

 坂を下りると落盤があったらしく岩がいくつも転がっており、行き止まりになっていた。
 レベッカが調べたところ岩の下に何かある、とのことで拾ったつるはしで岩を破壊すると、白骨死体が現れる。
 おそらくはこの鉱山の労働者だろう。

 遺体が持っていた銀貨と【クリスタル】を有難く頂戴し、代わりにスピッキオが祈りを捧げ、近くの砂地にその骸を埋葬した。
 これでアンデッド化することはないはずだ。

 金品などの遺品は貰い簡易の葬送をする、というのは冒険者が良く行うことである。
 無念で死んだ者がゾンビやスケルトン、ウィスプといったアンデッドにならないように弔いで遺体を聖別すること。これは冒険者の中に教会関係者がいれば義務として行う。
 冒険者は遺跡発掘と称した〈墓荒らし〉をすることもある。
 遺跡と呼ばれる古代の遺産の中には、墳墓もよくあるのだ。

 この世界にはアンデッド…人に害をなす亡者たちが存在する。
 発生を防ぐには、遺体を聖別して埋葬するのが最も手っ取り早い。

 教会の教えでは、死者は最後の審判の後に復活するとされる。
 遺体に欠けた部分があればそのまま復活するとされ、五体満足の状態で葬るのが一番理想なのだ。
 故に、首を切られたり火葬にして完全に焼き尽くしてしまうのは、死後の復活が許されないということ。
 葬送として好ましくないことだ。

 簡単に黙祷をすますと、スピッキオが遺体を聖別する間に、さっき転がってひびが入った大岩を砕く。
 文字のサンプルとして、ロマンが岩の欠片が欲しいと言ったのだ。
 シグルトがひびの入った部分につるはしを叩き込むと、【クリスタル】が出てきた。
 ロマンが欠片を回収し、レベッカはお宝を手に入れ、二人ともほくほくである。

「【クリスタル】は全部で六つね。

 一つで銀貨五十枚として、ざっと銀貨三百枚。
 遺体の持ってた銀貨百五十枚。
 依頼料が銀貨四百枚だから、手に入れた雑貨を合わせれば銀貨千枚はくだらないわ。

 マリアちゃんも救出できたから、後は連れ帰れば依頼は完遂ね」

 元来た道を戻りながら、レベッカが上機嫌な様子である。
 だが、三又の交差路に差し掛かると、一行の表情が引き締まる。

 そこにはマリアの父親の遺体があった。
 
「パパ…」

 マリアが目に涙をため、血に塗れた遺体を見ていた。

 レベッカが、先ほど岩を砕く時に使って折れたつるはしの柄を取り出し、器用に削って腕の形にすると、そっとマリアの父親の失われた腕のところに置いた。
 身体の一部を失ってしまった者に対する葬礼の一つだ。

「君のお父さんは、大切な君を助けるために命を懸けて頑張った。
 たった一人でたくさんの妖魔に立ち向かい、命を落としたんだ。

 君はこれからそうやって救われた命を、大切にしなければいけない。
 お父さんが助けたかった君の命を粗末にしてはいけない。
 そして、天国に行ったお父さんが心配しないように、お母さんを支えるんだ。

 これから先、君みたいな悲しい思いをする子供が無いように、村のみんなで注意して頑張るんだよ」

 シグルトはレベッカがしたのと同じようにかがんで、マリアと目線を合わせると、噛んで含めるように言った。
 励ますように言葉をかけながらも、婉曲な言葉だが、マリアの行動を戒めてもいる。

 シグルトの眼差しはまっすぐで、誠実で、どこか強い願いがこもっていた。
 怒りで降伏した貴族の子弟を撲殺し、その復讐によって父を失ったシグルト。
 子供の行う過ちが周りを巻き込んで取り返しのつかないことになるのだと、その神秘的な瞳で強く語る。

 マリアは涙をこらえて頷いた。

「よし、強い子だ。

 お父さんは、村に戻ってから村のみんなに迎えに来てもらって、弔おう。
 まずはお母さんに、無事な姿を見せてあげないといけないからね」

 立ち上がったシグルトは、優しい眼差しになってマリアの頭を撫でた。


 地図に従い、シグルトたちはそのまま時計回りに移動する。
 L字路を回って十字路まで来ると、その先にはうっすらと洞窟の入り口が見て取れた。

 通路には強力な力で引きちぎられ、開けられた扉が転がっている。
 痕跡の新しさにレベッカが渋い顔をした。

「最初の予測が正しいなら、でかいのが本当にいそうね。

 そっちの方の事後処理も、覚悟しておいた方がいいわ」

 扉やゴブリンの死に方から、人型の力の強い魔物が他にいる。
 シャーマン種の書いていた日記にも、【森の悪魔】という記述があった。

 周囲に気配は無いが、きっと近くにいる。

「…おそらく、トロールだ」

 シグルトが呟くように言った。

「うん、僕もそう思ってた。
 ベインガマ=レイントルグストエンは、太陽が致命的で、驚異的な再生力があり、火に弱いと書いてたから。
 その上でこんな力任せなことができるとしたら、奴しか該当しないよ。

 甲冑を着た兵士がいるちょっとした部隊でも、トロール一匹に壊滅させられたって記録があるから、今の僕らの装備で真正面からぶつかったら同じことになる。
 【炎の玉】みたいな強力な火の呪文がほしいね。
 ここで手に入れた複数のスクロールは、たぶんあのシャーマン種が対抗手段として用意してたものじゃないかな。
 予想できる威力じゃ、正面から使っても〈降りかかる火の粉〉どまりだろうけど。

 この廃坑に罠を仕掛けて焼き殺すっていう手段もありだろうけど、お勧めしない。
 こういう閉鎖された空間で炎を使うと、炎が大気を食らって呼吸ができなくなるらしい。
 熱く煤の混じった煙を吸えば咽喉が焼けて死んでしまうんだって、炎の魔術を研究していた先人が書いた書物を読んだことがあるよ。

 他の手を考えないと」

 ロマンの意見に皆頷く。
 こんな閉鎖された場所で火を使えば蒸し焼きになってしまうだろう。

 ちぎられた扉のあったらしい西側の部屋に向かうと、そこは血の海だった。
 手足を失ったり、ひしゃげたゴブリンの死体が散乱している。
 原形をとどめている死体はひとつもない。

 元はゴブリンたちの食糧庫だったのだろう。
 村から盗んだらしい穀物や野菜が転がっているが、どれもゴブリンの血をかぶっている。
 これを食べられるようにするには大規模な洗浄が必要だ。

「…うっ」

 ロマンが顔色を無くして部屋の外に出る。

「これ、見ちゃいかん!」

 スピッキオがマリアを部屋から連れ出した。

「ラムーナ、護衛を頼む。

 ここはレベッカと俺で調べよう」

 刃傷沙汰に慣れなければいけない戦士だとは言え、長く見ていて平気なものでもない。
 リーダーであるシグルトと盗賊のレベッカが調べるのが適任との判断であった。

 ラムーナが了解とばかりに部屋を出ると、シグルトは医学的見地から死体の分析を始めた。
 レベッカも死体が何か持ってないか調べ始めた。

「おそらくこの洞窟をトロールが襲撃したのだろう。
 
 そして、この頭の大きなのが、おそらくあの日記を書いたシャーマン種だ」

 シグルトが腕を失ったゴブリンの死体を指し示す。
 そのゴブリンの杖を持った腕は、三メートルほど吹き飛んで転がっていた。

「そうね、念入りに調べてみるわ」

 レベッカがシャーマン種の遺体を検分していると、ローブの隠しポケットから小さな鍵を発見する。

「何かの鍵ね。
 二重底の箱とか、日記の中にスクロールを隠すような奴だし、大事なものをしまっている場所のものかもしれないわ。

 たぶん、地図にある最後の部屋のものね」

 他には特別な発見も無く、シグルトとレベッカは部屋を後にした。

 一行は残された最後の部屋に向かう。
 ゴブリンが残っていれば増えて問題であるし、知能が高く用意周到なシャーマン種のゴブリンが隠し持っていた鍵のことを考えれば、何か隠されている可能性があると判断したからだ。

 シグルトとしては後顧の憂いを断つために。
 レベッカとしてはお宝の予感に胸を膨らませ。
 ロマンとラムーナは好奇心から。
 スピッキオはこの際この廃坑を徹底的に調査し、遺体等あればアンデッド化を防ぐという気持ちで。

 最後の部屋への調査は決定された。
 マリアの方も、「村の安全のために調べておく必要があるかもしれない」と判断したシグルトの言葉から、異存はないようだ。

 途中で大量の蝙蝠と遭遇するが、慌てずに対処すると大半は逃げてしまった。

 長い通路の先はL字になっており、背に斧が突き刺さったゴブリンが扉の前で倒れている。
 おそらく肉にめり込み過ぎて抜けなくなっていたのであろうか。
 シグルトが力を入れるとたやすく抜ける。

「こういう金属製品は、村にとっても貴重品のはずだ。
 この廃坑で手に入れたつるはしやこの斧のような金属製品は、この村が懇意にしている行商人の交換レートを聞いて、穀物や食料品の為替手形を作って交換してしまおう。
 
 さっきの部屋にあった穀物類から使えそうなのを村人に回収してもらい、それを交換品として受け渡せばいいはずだ。
 多少血をかぶっているが、洗浄して乾かし、粗悪品扱いで貧困者や孤児院向きとすれば販売ルートは十分にある。

 レベッカ、リューンの食料品用の為替書式で作っておいた札がまだあったな?」

 シグルトは元貴族の息子だけあって、こういった物品の交換手段の法規や制度に明るい。
 彼の祖国は土地が痩せていたため、隣国から入ってくる食料品にも頼っていた。
 木材や鉱物の為替はよくやり取りされていたのである。

 行商人にとって為替は、お金を持ち歩かなくて済むために便利であるが、冒険者が金銭の無い村落から報酬を引き出す時、村長が領主から預かる印章を押した為替手形を作るのは、賢い冒険者ならばよく使う手段である。
 商業ギルドも冒険者からそれらの為替手形を買い取って、穀物などが値上がりした時に上手く用いれば、一定の物資を安易に手に入れられるといった恩恵があるため、信用のある冒険者は商業ギルドからそれらの書類を手に入れることができた。

 “風を纏う者”が使う為替は、窃盗や不正な偽物ができないようにあえて扱う金額を低額に絞ったものだ。
 上限は銀貨五百枚まで。
 発行枚数も商業ギルドで管理してもらっており、作り過ぎないように注意している。
 羊皮紙では費用が高くなるため、それらの手形は木札で作成し、リューン近郊の村に絞って使えるようにしたもので、シグルトが提案してリューンの商業ギルドに発行してもらった特別なものだ。
 現在はアレトゥーザやフォーチューン=ベルの商業ギルドで同じような為替を作ってもらえるように売込中である。

 過去に似たようなものはいくつかあったのだが、焼き印でギルドの印章を入れ割り印にして、軽い木製の札を安価で作成できる点が使いやすく、現金を持っていない農村で支払ってもらう報酬が用意でき、扱う金額の上限が低額で交換が必要になった時村落の負担が軽く、細い針で開けた透かし穴と裏面にシグルトが書いた花押(手書きの特殊なサイン)や発行者の冒険者と商業ギルドしか扱えないというセキュリティの高さから盗賊が換金できないため、商業ギルドはかなり乗り気で試験的にこの方法を取り入れてくれた。
 すでに“風を纏う者”と知り合った行商人たちがその為替を信頼して取り扱い、なかなか好評である。
 
 シグルトは提案した立場ではあるが、誠実で信頼できる立場の人間としかこの為替を交わさない。
 ヒバリ村の村長は前金で銀貨を渡すぐらいの善人であるため、シグルトのお眼鏡にかなったというわけだ。
 発行の堅実さから、“風を纏う者”の扱う手形は、他の冒険者が真似て作った類似品とは一段違った扱いを受けている。

 後に優れた冒険者として名を上げるシグルトは、こういった冒険者にとって役立つ知識的・技術的・法規的パラダイムシフトをいくつも行うことになる。
 彼は武名でも知られていたが、冒険者の立場向上のために行った数々の提案でも有名であり、シグルトが新しい発案をすると「また風が吹いた」という言葉で話題に上った。
 駆け出しであるこの頃から、すでにその片鱗を見せ始めていたのである。
 
「お、それは名案ね。
 あの人の好い村長さんなら、良い契約が交わせそうだわ。

 私たちの名前を売って貰うついでだから、勉強しましょ」

 拾って手に入れた中古の雑用品は、普通に売り捌いても二束三文にしかならない。
 価値のある農村で引き取ってもらえば、リューンに持ち込む時の余計な税金もかからないしお得である。
 これ以上の金銭が無い村としても、悪い話ではないはずだ。

 そんな話をしつつ、レベッカは周囲を調べ、先ほどシャーマン種から入手した鍵を使って最後の部屋の鍵を開ける。

「ドンピシャね。
 さて、宝物庫の確認と行きましょうか。

 …ゴブリンのだけどね」

 その部屋は壺が並ぶ部屋であった。
 壺の中身は火薬や油である。
 
 あとは鼠の飼育容器となっていた壺と、ヒルやナメクジをを入れた気味の悪いものだ。

「気持ち悪い話だが、ナメクジは咳止めの薬になるそうだ。

 労咳になった時、これを生で飲み込んで治ったという事例がわずかだがあると聞いている。
 ただ、ナメクジは地に這う生き物で汚染されている場合もあるから、治療に使うのは賭けだな。
 〈薬草になる岩苔だけを食べるものが望ましい〉、とその知識を教えてくれた薬師は言っていた。

 シャーマン種が呪術やまじないで使っていた素材かもしれん」

 見た目が不快なものなのでそれは放置を決める。

 鼠の方はシャーマン種が育てていたという、ゴブリンの子供が飼っていたトッチだろう。
 
 「逃がしてもいい?」とラムーナが言ったので、壺を倒して解放することにする。
 自由になった鼠は、少し戸惑ったものの、足早に逃げ去った。

 その間にレベッカが部屋の片隅にあった隠し扉を発見する。

「ほんと用心深い奴だったのね。

 さすがにここには鍵がかかってないけどさ」

 奥の部屋には宝箱が3つ置かれている。
 一つはゴブリンが前で死んでいて開いていたが、レベッカがにやりとした。

「この鉄の箱…さっき見たやつと同じ奴だわ。

 多分予想通りなら…」

 箱の底が外れて、その中に入っていたスクロールが見つかる。
 三つ目の【炎弾の巻物】だ。

「これ、鱗があるわ。
 罠として毒蛇でも入れていたんでしょう。

 やっぱり。
 一つ目の木の箱は毒蛇入りね。

 最後の箱は、不用意に開けると三方に毒針が飛び出す凶悪な奴。
 ふふん、結構いい毒使ってるじゃない。
 盗賊ギルドにもっていけば、この針売れるわね」

 レベッカは巧みに盗賊の技を用いて罠を解除すると、毒針はしっかり回収してから箱を開けた。

「【解毒剤】一瓶に【コカの葉】一枚。
 ま、ゴブリンの宝物なんてこんなもんね。

 村長さんからもらった分を合わせた【コカの葉】三枚と、この【毒針】で銀貨三百枚になるわ。

 【解毒薬】だけ取っておいて売っちゃいましょ」

 廃坑で手に入れた品物を売れば、報酬と合わせて銀貨千枚以上になる。
 最初は割の合わない仕事だと思っていたが、なかなかどうして、冒険の副収入というやつは馬鹿にならない。

「これで調査すべきところは見て回ったな。
 坑内に何かいる様子もなかったし、油断せずに村に帰ろう」

 シグルトの号令で一行は廃坑の入口へと向かう。

「あ、これ、ネズミ捕りだ」

 廃坑の入り口にはネズミ捕りが仕掛けられていて、鼠がかかっていた。
 それは先ほど逃がしたやつらしい。

 妙に動産が人間的だ。

 ラムーナがとを外してやり、鼠を逃がす。

「もう捕まっちゃだめだよ、トッチ」

 声をかけられた鼠は、了解とばかり、一目散に去って行った。

「そういえば、宿の親父さんが屋根裏の鼠に悩んでたわね。

 これ、持って帰って売りつけましょ」

 なかなかに高度な仕掛けだと見て取ったレベッカが、ネズミ捕りを拾い上げる。

「がめついの。
  
 レベッカらしいとも言えるんじゃが」

 呆れてみているスピッキオに「小金も貯まれば金貨に化けるのよ」と、レベッカは得意そうだった。

 その横で、シグルトは思案顔だった。

「…嫌な予感がする。
 廃坑がこれだけ凄惨な状態だったのに、襲った当事者がいない。

 スピッキオ、すまないが仲間に守護の秘蹟を使ってくれ。
 俺の分はいい。
 こっちは自前の体術で備え、精霊術を用意しておく」

 用心深いシグルトの指示に、仲間たちは真剣に従った。

 準備を万端にして廃坑を出ようとすると、血走った眼をしたゴブリンが二匹現れる。
 いざ決戦と、皆が武器を構えた時…

「――――ウオオォォォォオオオ!!!!」

 凄まじい咆哮とともに現れた巨大な影が、二匹のゴブリンを吹き飛ばした。

「…やはり入り口で待ち伏せていたか!」

 慎重5mを超える巨人、トロールである。
 中堅の冒険者がやっと倒せるというオーガ…その一回りもでかい、最悪の敵だ。

 シグルトが覚悟を決めて剣を構えると、廃坑の外を確認したロマンが叫ぶ。

「シグルト、何とか振り切って外に出よう!

 もうすぐ日が昇る!」

 伝承に詳しいシグルトは、トロールに関する故事を思い出し、すぐにロマンの意図を察した。

「レベッカ、マリア嬢を背負え!先頭でさっきのルートを入口に向かって逆にたどるんだっ!
 スピッキオとロマンはそれに続いて行け!

 ラムーナ、俺とともに殿(しんがり)だ…正面からぶつからずに左右に分かれて、気を引きながら敵のリーチギリギリで引っ張るぞ。
 攻撃は絶対受けるな…武器も防具も多分耐えきれん。

 スピッキオのくれた加護を信じて、皆…走れ!」
 
 レベッカがマリアを引っ抱え、首にしがみつかせると全速力で走りだした。
 ロマンとスピッキオもそれに続く。

 シグルトが纏っていた風が突風へと変わり、ほんの一瞬トロールを足止めする。

 その隙にシグルトとラムーナも走った。

 周囲の邪魔な障害物を吹き飛ばし、トロールは怒りをあらわにして追いかけてくる。

 扉のある部屋まで逃げるも、トロールは壁事粉砕してしまった。

「だぁ~、脚速いっての、このデカブツ!」

 子供というお荷物を背負ったレベッカの息は荒い。
 それでも力は決して緩めず走り続ける。

 廃坑を一周し、目に見えたのはうっすらと白む外の光。

「もう少しだ。
 あとは走って逃げれば勝手に相手が死ぬ。

 振り切れ!」

 シグルトの号令に、一同が「おおよっ!」ばかりにさらに走った。

「――ブオォォオォオオォォ!!!」

 猛追するトロールもさらに速度を上げる。

(くっそ、こちとらブランク長いってのっ!

 やっべ、足、つってきた!)

 長い不摂生のツケで、レベッカの体力は限界である。
 寝不足による消耗も地味に体力を奪っていた。

 泡を吐きそうな思いで、何とか洞窟を出た時…

「レベッカ、よけろ!」

 岩が投げられた小石のようにびゅうんと飛んできた。

「――ちっくしょう~!!!!」

 避けきれないと察したレベッカは、叫びとともにマリアをふり捨てる勢いで放り投げると、岩を食らって吹っ飛ぶ。
 そのままゴロゴロと転がって草むらの中に消えた。

 その間に、トロールは悠々と現れ、泣き叫ぶマリアの方に向かって行く。
 ――絶体絶命。

 シグルトが巨人の前に躍り出た。
 ラムーナも続く。

「この蛆虫野郎…俺たちの仲間に手を出して、次の夜が迎えられると思うなっ!」

 眉をつり上げ、憤怒の表情を浮かべたシグルト。
 〈蛆虫野郎〉は、トロールやドワーフの前身である闇の妖精(デックアールヴ)が、巨人にたかった蛆虫であったという伝説からつけた分かり難い蔑称である。

「そうだぞ、でっかいハゲッ!」

 ラムーナが微妙に力が抜ける追撃の叫びをあげた。
 トロールにはこちらの方が効果があったのか、歯ぎしりをしている。

「これで僕らの勝ちはほぼ確定…しぶといレベッカなら大丈夫だよ」

 ロマンが後ろで杖を構える。
 低俗な罵りは口にしないとばかり、すました様子だ。

「ほ、あやつが報酬貰う前にくたばるもんかの」

 スピッキオは祈るために聖印を握り締めた。
 命を懸けて子供を庇った仲間にも、そのお説教が容赦無い。

「マリア!
 いい子だから下がってるんだ。

 こいつを俺たちが、石くれに変えてやる!」

 最後の戦いが、ここに始まった。

 戦いの狼煙はシグルトの纏った風、トリアムールの奇襲である。
 突風で行動を遮られたトロールは何もできず、たたらを踏んだ。

 ラムーナは盾を正面に構えて防御の構えだ。
 トロールが暴れて飛んでくる小石を器用にカンカンと弾く。

 ロマンはじっくりトロールを見据えながら、隙を探っていた。
 時間稼ぎする気満々である。

 スピッキオは祈り、いつでも傷を回復できるように準備していた。
 聖印を握る手に、じんわりと汗が滲む。

 きらりと、日の光が周囲を照らし始めた。

「よし、朝日が効いてきてる!」

 ロマンの声に、シグルトは全身を巌のように固めた。
 筋肉が盛り上がり、首筋に血管が浮き立つ。
 防御の構え【堅牢】である。

 朝日で巨人は縄でもかけられたかのように硬直していた。
 次の行動を用意する隙は十分。

「《トリアムール!》」

 シグルトの掛け声に風の精霊が再び召喚された。

 朝日を振り払うようにトロールが暴れ、【薙ぎ倒し】によって飛散した石や樹木が飛んできた。
 ロマンが飛来した太い枝に当たり、衝撃で後ずさる。
 木のささくれが服を破り血をにじませていたが、すぐにスピッキオが【癒身の法】で傷を癒す。

 【堅牢】を発動したシグルトと、盾で防御を固めたラムーナはかすり傷しか負わない。

「一呼吸だ。
 奴は朝日を受けて一呼吸ごとに動きが鈍る。

 攻撃に転じた時に全力で防御し、奴が動きを損なったら体勢を整えろ!

 耐えきれば…俺たちの勝ちだ!」

 ゆっくりと変移が見て取れる速度で昇り出す朝日を確認し、シグルトは仲間を叱咤する。

 苦しむトロールの皮膚は徐々に石化を始めていた。
 仲間たちの顔に希望の色が差す。

 足掻くようにトロールが暴れる度、瓦礫が飛んで皆小さな怪我をするが、シグルトのトリアムールが攻撃の手を足止めする。

「《…眠れ!》」

 スピッキオが防護の秘蹟をロマンにかけ、ロマンは【眠りの雲】で一呼吸分の攻撃を封じた。
 ここまでで重傷の者は一人もいない。

 飛び回るラムーナは、敵の攻撃の時だけ盾を構えて攻撃の余波を食い止めている。
 敵が日光によって怯んだ時に、剣で敵の厚い皮膚を引っ掻き、まとわりついて相手を混乱させていた。

(【感受】、【剛】、【柔】、それを聴く!)

 実戦で使ってみてはっきり感じる。
 バックラーはラムーナにとても適していた。
 今まで避けるしかなかった攻撃のうち、小さくてかわし難い攻撃だけを遮断すれば、体力を削り切られることを避けられる。
 少女の華奢な体格は、軽く小さいこの盾でも十分隠すことができた。

「――ガ…」

 敵の剛腕を掻い潜って、膝裏を蹴飛ばすぐらい余裕があった。
 レベッカのフェイントに翻弄され、トロールが攻撃を空振りする。

 その時、ついに朝日が昇った。
 刺すような光、ビキビキと音をたてて石化が一気に進む。

「ゴオオオォォォオオオオアアアアア!!!」

 魂消るような終の咆哮…断末魔だ。

 暗闇に慣れていたため、曙光の強烈な白い日差しに、全員が目を閉じた。
 再び目を開くと、そこには一体の巨大な石像が天に向けて吼えた姿勢で、立ち往生していた。

 緊張と逃亡の疲労がどっと押し寄せたのか、ロマンがぱたりと後ろに倒れる。
 スピッキオも膝を折り荒い息だ。
 ラムーナは飛礫で少し頭を切っていたが、元気そうである。

 シグルトは完全な敵の死とマリアの安全を確認すると、レベッカが転がって行った草むらに走って行く。

 岩が当たった時の轟音、どこか甲高かった。

(スピッキオの施した加護が切れたのは、ぎりぎりあの時。
 あの転がり方は、岩を食らったというよりは自分から吹っ飛んだ感じだった。

 あいつなら、大丈夫だ)

 シグルトは確信をもって、寝転がったレベッカの元に向かうのだった。


 その後。

 “風を纏う者”一行は、マリアを無事村長宅に届けると、シグルトを除いて泥のように眠る。
 夜を徹しての冒険で精魂尽き果てていた。

 約束の時間になって村長が起こしに来ると、一同は良く寝たという風に立ち上がった。
 すでに旅支度は整えている。

「もしよろしければもう一泊なさってもよろしいのですよ」

 村長の申し出に、シグルトは「仲間がリューンでパーっとやりたい、と言うのでね」と苦笑する。
 
 シグルトは仲間が眠っている中、村長に経過報告をして、廃坑にある二人分の遺体の回収と葬儀を指示、廃坑で手に入れた鍵と道具類に関する引き取りの為替手形を作成、再びこういう事件が起きた時の対策法などを村長に教えた。
 通貨を持たなくても報酬を作る為替という方法や、出没しやすい魔物や獣への対策法は、立ち会った村人たちに喜ばれていた。
 これを機に行商人との関係を密にするというので、知り合いの商人で誠実な者を何人か紹介し、悪質な商人のブラックリストも木の板に書いて渡しておく。

 さらに、悪人がトロールを利用しないように石像の急所に鉱物系の毒を塗った鉄杭を打ち込んでおくことを提案した。
 トロールはもしかしたら石化しただけで、夜に石化を解除されればその再生力で復活してしまう可能性も否定はできない。
 今回のトロールも、そうやって封印が解けたものが何処かからやって来て森に住み着いたのではないか、と。

 これほどの巨石像は珍しいため、村の観光資源として使えば、領主の覚えも厚くなり村の活力を向上する手段に使える…事件に関わったマリアを語り部とすれば、母子二人きり、これから生活していくための日銭を少しは稼げるかもしれないとも。

 生真面目なリーダーはろくに休みもせず、出発前まで村人に細やかなアドバイスを行っていたわけだ。
 いつもながら、驚異的な精神力である。

 村長はシグルトの申し出に大変感謝していた。
 村人たちに至っては、“風を纏う者”一行にこのまま誰かと結婚して村にとどまってもらえないかと熱烈な勧誘をしたほどである。

 死闘の後の数時間で今後の不安を取り除く方向性を示し、廃坑に残った汚染されて捨てるしかない盗難品を家畜の飼料やリューンの貧困層の食べ物として使う方法や、こういった辺境で有効な風邪・発熱・切り傷や刺傷・打撲・捻挫・骨折への応急処置法、穀物や保存できる野菜の標準的な流通価格など、知っていれば役立つ知識を惜しげも無く授けてくれたシグルトに、村人は神像でも拝むようにキラキラした目を向けていた。

 シグルトがこれらのアドバイスをしたのはちゃんとした打算があり、自分たちの名を売り込んで冒険者への偏見を無くしてもらい、死亡者が出てネガティブになる村人の不安を取り除くために、今後の課題をたくさん出して忙殺させる目算であった。
 だが、シグルトは気付いていなかった…そこまで気が回る冒険者など、普通は存在しないということに。

 後にヒバリ村を訪れ、シグルトと比べられた冒険者は思わず叫んだ…「あんな規格外と一緒にするな~!」と。

 そういうわけで、このままでは興奮した村人にしばらく拘束されかねない、と当初の目的通り出発を断行したのである。

 「あなたは一睡もしてないのでは…」と村長が気の毒そうに言うと、「何、先ほど茶をもらった後に四半時(三十分)ほど仮眠したので十分です」と疲労を見せない毅然さで対応し、周囲を黙らせた。
 本当は疲労回復と幾分かの覚醒作用がある、植物の根を焙煎して作った副作用の少ない粉薬を黒砂糖と一緒に茶に混ぜて摂取している。
 一般人にコカの葉茶などが疲労軽減に飲まれるように、シグルトはいくつか滋養強壮の手段を用意していた。
 こういったものを中毒になるほど日常的に頼るのは良くないことだが、ごくまれに使えば活力維持の手助けとなる。

 まだ疲労が抜けきっていない仲間もいたため、「後の休憩で薬湯でも摂らせよう」とシグルトは考えていた。

 宿を出ると、多くの村人たちが手を振って送ってくれる。
 “風を纏う者”一行は、にこやかに手を振り返し、村を出た。
 その中にレベッカの姿は無い。

 本来は街道に向かうべきであったが、一行は先日死闘を繰り広げた廃坑の前に向かっていた。

 すぐにあの巨大な石像が見えてくる。
 今日も、“風を纏う者”を救った太陽の光は眩しい。

「う~ん、出発には最高の天気だね!」

 ラムーナがぴょんと前に出て振り返り、にっかりと笑う。
 激しい戦いで彼女が活用した盾は小さなへこみや傷が無数についていたが、燦々と降り注ぐ日差しを反射して輝き、主の健闘を讃えていた。

 彼女の背後には天に吼えた姿で固まる巨像が立ち、大きな日陰を作っている。
 元が生き物だけあって、その精巧さや迫力は、作り物など比べ物にならない。

「いかにしてこの虚像は、ここに立つ?

 …黒死病への勝鬨。
 …魔女裁判への悲嘆。
 …あるいは、度重なる戦乱への怒り…」

 ロマンが冗談めかして、詩作じみた言葉を口にする。

「――戦友の犠牲に…なんて続いてたら拳骨だったんだけどね」

 石像の頭の上からポンと飛び降り、レベッカが合流した。

 自分はこの怪物が石になる瞬間を見れなかったとを理由に、先にここに来ていたのだ。
 実のところ、レベッカがまだ独身だと知って、やたらとねちっこい目で見てくる村の男やもめどもが鬱陶しかったのが本心であろう。

 レベッカはトロールの投げた岩によって気を失っていた。
 スピッキオが使った【聖別の法】のおかげで即死は免れ、岩が当たった瞬間に盗賊の使う受け身を用いてあえて吹っ飛び、転がって衝撃を殺していた。
 肋骨に数本ひびが入ったが、幸い内臓に骨が刺さることも無く、戦闘後に駆け着けたスピッキオの【癒身の法】で完治している。

 スピッキオに「これも、荒波の啓示で授かった秘蹟のおかげじゃ。主の慈悲に感謝するのじゃぞ!」と説教を受けると、「有難い神様に、大枚ガメられた御利益があったわ」とおどけて見せ、しこたま叱られていた。

「あの防御の秘蹟は良いものだ。

 下手な鎧を着るよりよほど硬い」

 しきりと感心していたシグルトである。

「あれより広範囲に早く防御付与ができる【魔法の鎧】って呪文があるけど、消耗する魔力が多くて扱い難いからね。
 呪文書も高価だし。

 この間シグルトが防具について丁寧に教えてくれたけど、僕も何か防御系の呪文を検討しないとね。
 鎧の着れない僕の守備力は、鋏の前の布切れ同然だからなぁ…」

 重傷でこそなかったが、今回の戦闘で痛い思いをしたロマンは、新しい呪文の習得を検討していた。

「戦士ほど防具なんて必要ないけどさ…防御に使える技は必要ね。
 今回の依頼でかなり実入りがあったから、リューンに戻ったら宿で相談して戦力強化を考えておきましょ。

 どんなに金を稼いでも、廃坑で押し潰されてた死体みたいに、死ねば持ち腐れるってのはたまんね~わ」

 鬼の倹約家レベッカも岩を食らった時を思い出したのか、口端が引きつらせて同意を示した。
 嫌な思い出はこれまで、とすぐに表情を戻す。
 
「ま、そっちはおいおいね。

 実はね、このデカブツを調べてたら、口の中に剣が刺さってるのを見つけたのよ。
 業物っぽいから回収したいんだけど、場所が悪くて私の細腕じゃ抜けないの。

 というわけで、シグルト…お願いね!」

 廃坑でもゴブリンの背骨に突き刺さった斧を、軽々と抜いたシグルトである。

「…了解だ。

 選定の剣を抜かんとした彼の獅子王の如く、励むとしよう」

 とある英雄王の逸話を口ずさみ、シグルトは地上から四メートル以上ある巨像に登る。
 
 石化したトロールの口に突き刺さった剣は、あれだけの激戦でも欠けた様子無く、深く突き立っていた。
 柄を掴んだシグルトは一度ぐっと力を入れ、その後に持っていた剣の柄で刺さった剣の鍔を左右から叩く。
 ほんの少し剣が揺れるのを確認してから、両手で横に突き出した鍔をひっつかんで脚に力を込めた。

 メキャッ…

 きしんだ音を立てて、その剣はゆっくりと抜けた。

「刀身四十cm、柄は二十cmで、全長六十cm。
 短剣と言うには倍ほど長い。
 分類としては片手用のショートソードか。

 軽いな…細身だが、この輝きは銀、いやミスリル銀かもしれん。

 柄に刻まれた銘は…【スティング(つらぬき丸)】?
 小人族の英雄が伝説の指輪を探す冒険で手に入れた、持ち主に危険を教えるという名剣を模したものか。

 うむ、握ると周囲にある生命の息吹を感じる…レベッカ、これは【魔剣】だ。
 魔法的手段を持たずとも、物理攻撃の効かない敵に攻撃が届く。
 おそらくは伝説になぞらえて作られた模造品の一つだと思うが、今回一番の掘り出し物だぞ。

 俺には軽すぎるし、レベッカには少々大きいな。
 扱うならラムーナに渡そう」
 
 武器を調べ、関連した伝承からシグルトがその剣の性能を予測する。
 渡されたラムーナが試し斬りで枯れ枝を放り投げて切ると、バッサリと切断された。

「すご~い!

 剃刀みたいに切れるよ!」

 レベッカはシグルトの目利から、頭の中でそろばんを弾く。

「売値は銀貨七百五十枚、好事家にはもう少し高く売れそうだけど、魔法の剣なんてそうそう手に入らないからパーティの資産にしておくべきね。
 シグルトの判断通り、当面はラムーナに使ってもらうのが良さそうだわ。

 武装強化の資金が浮いてラッキー!」

 ロマンとスピッキオが「そっちかよ…」というジト目になった。
 ラムーナが喜びの剣舞を踊っている横で、「そんなものだ」と達観した微笑みのシグルトが実にシュールである。

「こんなものが口に刺さっていたのだから、あの暴れっぷりにも納得だ」

 刺さっていた深さから、この剣の前の持ち主に思いをはせる。

「こんなのが口に刺さってたら、普通死んじゃうよね。

 誰がこれを使ってたのかな?」

 鞘が無いため持っていた布で刃を巻こうとして、あまりの切れ味に失敗するラムーナ。

「シャーマン種が可愛がっていたメイというゴブリンがいただろう?
 岩に文字を刻んでいた奴だな。
 ロマンが岩の文字の解読をした時、光る剣をもらったと書いてあったはずだ。

 …そうだ、あのゴブリンのはずだ。
 それの鞘に心当たりがある。

 少し待っていてくれ」

 シグルトはそういって廃坑の中に入っていくと、しばらくして四十cmほどの鞘を持ち帰った。

「壺の部屋の前で、背中に斧を打ち込まれて死んでいたゴブリンがいただろう?
 彼がおそらくメイだ。

 剣を失ったところを、マリア嬢の父親と戦って敗れたのだろうな」

 その鞘に剣はぴったりと収まる。
 前に使っていた剣と対になる位置に佩き、ラムーナはニコニコしていた。
 
「さて、だいぶ時間を喰ってしまった。

 そろそろ行こうか」

 雑談と鞘の回収に少しばかり時間を割いてしまった。
 急がなければいけない、と一行が街道の方を向く。

 そこで、静止をかけるように軽快な足音が響いた。

「冒険者さ~ん、待って待って~!」

「…ああ、間に合ったんですね」

 それは廃坑で助けたマリアとその母親であった。
 見送りに来てくれたのだろう。

「良かった。
 もう村を出てしまったと村長に聞いて。
 旅立ってしまった後かと。

 …マリア、冒険者さんに」

 マリアが進み出て、少し大きめの籠を差し出す。
 中には飲み物が入った陶器の瓶と、焼き立てのパンが入っていた。

「おう、もう昼過ぎじゃったの。

 これは有難いわい」

 スピッキオが感謝の祈りを捧げ、籠を受け取る。

「急いで作ったので、そんな大した物ではありませんが。

 道中食事の足しにしてください」

 マリアの母親がそう言って頭を下げた。
 娘が無事に戻った時は泣き崩れて会話にならなかったが、今は少し目が赤いぐらいで穏やかな表情をしている。

「これは何よりね。

 お礼をしなくちゃいけないわ」

 シグルトに目配せして、レベッカは荷物袋から【青い首飾り】を取り出すと、マリアの母親に差し出す。
 手を出しかけて、「それを売ればいくばくかのお金に…」と母親は目を伏せる。
 
「詳しくは村長に報告しました。
 これをかけていた人は、あなた方に持っていてほしいと思うはずです。

 彼は残念でしたが、子のために勇敢でした。
 どうかお子さんとともに健やかに。

 そうでなくては私も、死にかけた意味がありませんから」

 レベッカの言葉に、母親が感謝して首飾りを受け取り、自分の首に大事そうにかける。

「よっしゃ、これですべての任務完了よ!
 あとは大急ぎでリューンに行って、しこたま飲むわ。

 あたしゃ、今回勤労超過驀進して、肩凝った~!」

 バイバ~イ、とマリアに手を振って、レベッカは真っ先に踵を返す。

「元気でね~!」

 それにラムーナが同様の動作で続く。

「御飯ありがとうございます。
 お酒でない飲み物はすごく嬉しいです。

 では、御壮健で」

 ロマンが優雅に礼をし、背を向けた。

「親子二人、困難もあるでしょうが頑張って下され。
 主と、御主人…御父上は、その行いを見守っていて下さるでしょう。

 あなた方に父と子と聖霊の祝福あれ」

 母親とマリアを交互に見つめて声をかけ、別れの十字を切ると、スピッキオも歩き出す。

「我々は行きます。
 もし困ったことがあれば、どうぞ遠慮なくリューンの冒険者の宿、『小さき希望亭』の“風を纏う者”に声をおかけください。

 あなた方の未来に、幸運の風が吹かんことを」

 最後にシグルトが一礼して、“風を纏う者”は旅立つ。

 輝く太陽の下で母娘は、冒険者たちの姿が見えなくなるまで、手を振って見送っていた。



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Y字の交差路


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『碧海の都アレトゥーザ』 風は留まらない

2018.06.02(11:53) 448

 レベッカとスピッキオが合流するまでの数日、ラムーナの新しい技と新しい装備バックラーの習熟のため、シグルトは時間を割いていた。
 ロマンはその見学である。

「今日は武術の重要な要素である【接迫(バインド)】と、【感受(フィール)】について教えよう。

 盾を構えてくれ」

 ラムーナが盾を突き出すと、シグルトはその盾に手に持った棒を当て少し力を込める。

「手に持った武具や素手が触れ合っている状態、これを【接迫】と言う。
 あらゆる武術で基礎となる状態の一つだ。
 鍔迫り合いや戦闘前に武器を合わせるのも【接迫】の動作になる。

 この状態からの展開は、武器を受けた時や攻撃を流す時、弾く時、押しやる時、引っ張る時、引っ掛ける時と様々に変化する。
 どんな武器であっても体験する姿勢であり、武具の特性がことさらに影響する機会でもある。

 今俺が盾にかけている圧力は肌を通して感じるだろう?
 目で見なくても、押す力も引く力も、その力の加減で感じ取れるはずだ。
 例えばこうやって【接迫】した武器を滑らすと、どう動くか感じ取れるな?

 皮膚で感じる圧力や空気の流れ、持った武器を通して力の流れを知覚すること…これを【感受】という。

 【接迫】の状態で強い力が加わるか圧し合っている状態を【剛(ハード)】、相手の攻撃をいなしたり力が足りない状況で【接迫】から逃れようとしている状態などを【柔(ソフト)】と言う。
 東洋の言葉に〈柔よく剛を制す〉というものがあるが、突き詰めれば武術において必ずの正解じゃない。

 〈柔を以って剛を制し、剛を以って柔を制す。剛柔を重ねて技とし、剛柔を超えて自在神速なれば芸の極みなり〉。

 【剛】の状態をいなすのが【柔】で、【柔】の状態を壊すのが【剛】。この二つの要素を合わせて活用すれば技として成り立ち、剛柔を臨機応変に使いこなして合わせた力を昇華した極みに、奥義への扉がある。
 ラムーナは、腕力や体格が【剛】には向かないから【柔】に優れているが、かといって【柔】の状態ばかり使っていても頂には遠い。
 苦手な【剛】の要素も【柔】に〈足して〉技を振るえ、ということだ。
 
 剛柔を合わせて臨機応変に活用するのには【感受】の熟練こそが最も大切になる。

 まずは盾を地面に突き立てた木の棒に当て【接迫】、力を加えて【剛】、力を抜いて【柔】、その感覚を【感受】で聴く…感じ取ることを繰り返せ。
 専門用語が多くて難しいなら、〈【接迫】、【剛】、【柔】、それを【感受】!〉と言葉にして呟きながら、手に感じる圧力の変遷を聴いてひたすら続けるんだ。

 言葉が頭に入ったら、今度はそれを対人でやる。ゆっくり、ゆっくりだ。相手も力加減を変えて、その上で絶対に【接迫】の状態を解除しない。
 その時は【接迫】が離れない状態になるようにしつつ、自分が【剛】と【柔】どちらをしているか言葉にして、感覚を身体に染み込ませる。同時に相手がどのようにし、どこで力を入れ抜いているか感じ取れるようにも意識する。

 一千回やればなんとなく、一万回やれば身体が憶える。
 その後はひたすら鍛錬を続け、だんだん早くして行く。

 敵の攻撃がぶつかった瞬間、こちらが攻撃をぶつけた刹那、それらが理解できるようになってやっと第一段階だ。
 意識して巻き込みやフェイント、攻撃まで【剛】と【柔】を応用して相手を攻められれば第二段階。
 自然に身体が応え、憶えた舞踏のように〈行おうとする意思〉より速く行えれば、そこが到達点。

 そのために、ひたすら繰り返し身に刻む。

 …俺が師に学んでいた頃、体格も膂力も俺に勝る兄弟子が、なかなか奥義の伝授を許されず、師に抗議した。
 師は、"師を信じずして無漏の継承は成らず。愚直に器を成さねば、すでに壊れ漏れ出しているのだ"と兄弟子を叱り、基礎の継続を強要した。

 俺は、才気あふれる兄弟子すら叱られる…師の奥義の深淵はまだ遠いのだと、ひたすら型を繰り返し、気付けば〈体得〉していた。

 武芸というのはそういうものだ。
 浅きより深きに入るため、愚直にできるようになるまでやる。

 考えるより、繰り返しやってみることだ」

 シグルトの教えているのは、【聴勁】の鍛錬法である。
 【聴勁】というのは東方武術において詳しい概念で、皮膚感覚によって敵の力の強弱を感知し、それに合わせたカウンターや巻き込みを仕掛ける時に必要となる。
 過去の達人は指先に鳥を止まらせ、鳥が羽ばたこうとして足に力を籠めるのを察知して手を引き、飛び立てないようにする訓練を行ったという。

 【接迫】は西方の武術ではとても重要な要素だ。
 特に西方北部でとある剣聖が残した武術書に、その状態からの変化で様々な技を仕掛けるものを記したものがある。

 こういった古流武術は、一時期衰退することになる。
 闘気や呪文で技を強化する技法が流行したからだ。

 【勁】と呼ばれる力学と鍛錬の研鑚によって生まれた武術的な力の出し方や技術は、力が少なくても可能な〈力の付与〉の技術の登場によって薄らいでしまうのである。
 無論、古典的な技術を頑なに継承してきた武術家もいるのだが、非力な僧侶が素手で放つ【掌破】でアンデッドを砕き、物理攻撃が効かない幽霊を軽々と断つ【居合斬り】などは戦士の在り方を大きく変えた。

 シグルトはその時代に、あえて古典的技術をラムーナに教える。
 彼が至った武術理論とは、〈力の集合こそ強さである〉ということ。
 安易な強化ができる闘気や魔法の前に、修められる古典的な技術を最大限まで修め、その延長線上に闘気や魔法を重ねた技こそがより頂に近い。

 器用さも俊敏性も剛腕も…フィジカルな才能に影響された技は才能にこそ支配される。
 真の武が、そうあってはならない。

 鍛錬によって才能で表現できる部分をひたすら繰り返して模倣し、一番得意な才能を基準として、苦手な才能の分野すら習合した力を、最大限という形で発揮する。
 武術とは、すなわち才能の希薄な者が、至難の技術を鍛錬によって修め、天稟という弱者を阻む壁を超越することにあるのだ。

 このような哲学を口先で語ったとしても、多くの者は理解を示さないだろう。

 実用的で安易な技術こそが大衆に求められるもので、その究極となるのは未来に登場する火器や兵器の類である。
 それは後に白兵戦の手段の多くを無用の骨董品に変える。
 武術はスポーツとなり、破壊と殺戮の術理は変化して古いものから伝統や歴史という枠に収まり薄れていく。
 武術家の黄昏はそうやって訪れると、聡明な者はすでに予感している。

 シグルトの理論は、その時代まで武術を存続させるために足掻く者たちが行き着く答えの、一つであった。

 ラムーナやロマンに理解までさせるべきこととは思わない。
 それでも、先達が足掻き続け到達した術理を少しでも取り入れて最新の武術とするのが、後進の武術家が担うべき役割ではないかと思う。
 だからこそシグルトは、頑なに基礎を取り入れ、愚直に繰り返すことを伝える。

 そのやり方を継承するか、効率という枠に収めて無駄とともに削り落として自分なりの吸収をするかは、学ぶべき後進が選ぶ自由である。

 幸いラムーナは好奇心旺盛で、ロマンはシグルトの語る古い術理を興味深く聞いていた。
 シグルトの語る武術は先達としての高慢さがない。かみ砕いてわかりやすく、磨いた鋼のように効率的で、知識では修められない感性での継承を〈体得〉という言葉に置き換えて伝えている。

 伝える側は誠実に、受ける側は愚直に。
 その信頼関係が成り立った時にこそ、漏れずに武術の継承はなされるのである。


 その日の夕刻。
 『悠久の風亭』にレベッカが到着した。
 
「…元気だったか、レベッカ?
 いや、少し顔色が悪いか。

 スピッキオもいるようだな」
 
 穏やかな微笑を浮かべ、シグルトが宿を見渡す。
 カウンターに座っていたレベッカが、お帰りとばかりにアレトゥーザ名物【イル・マーレ】の瓶を掲げた。
 数日前にしくじって少し怪我をしたので、病み上がりなだけだということだが、先ほどスピッキオに治癒の秘蹟を施してもらったらしい。
 
 その横でナッツを摘んでいたスピッキオが、ほほ、と笑った。
 
「遅いよ、もう。
 
 書棚2つ分の本を読むくらい待ったんだからね」
 
 すねたようにロマンがそっぽを向くが、再会が嬉しいのか少し頬が赤い。
 この少年のひねくれた態度は、相変わらずだ。

「お前たちが来るまでに、ラムーナの新しい技はすぐ戦闘で連携に取り入れられるように調整しておいた。

 それに合わせて新しい装備、バックラーを買って前衛の守備力強化を図ったから、承知しておいてくれ」

 合わせて装備の代金は自分の稼ぎから出したこともレベッカに告げ、シグルトは、銀貨の袋を取り出すとカウンターに置いた。
 “風を纏う者”の他のメンバーたちは、結構な額の銀貨に目を丸くしていた。
 
「驚いた…

 貴方の方で使うかも知れないと思って渡した銀貨の他に、幾分増えてるじゃない」
 
 渡した時に比べて増えた銀貨を確認し、レベッカも銀貨を懐から取り出してその横に置いた。
 銀貨五百枚ほどである。
 
「私もちょっとばかり収入があったのよ。
 
 別れる前にシグルトと私で稼いだお金の合わせると、これで銀貨六千枚以上あるわ。
 その仕事で見つけた魔法のお宝なんかもあるし、しばらくは資金に困らないわね。
 
 余裕も出来たことだし、今夜は久しぶりの再会を祝して豪勢にしましょうよ」
 
 レベッカがそう言うと、宿の女将であるラウラがやって来て、皆の前に料理の大皿をどさりと置いた。
 
「これはうちの奢り。
 
 ラムーナたちには、留守番や宿の雑用をやって貰ってたからね」
 
 新鮮な海産物をふんだんに使ったボリュームたっぷりの料理に、レベッカが目を輝かした。
 
「すまない…馳走になる。
 長旅で保存食ばかりだったから、楽しみだ。
 
 レベッカは…手持ちの酒があるようだな。 
 ロマンには、蜜入りの果実水を。
 ラムーナには、ミード(蜂蜜酒)でいいか?
 スピッキオはいつもワインだったな。
 俺はエールを貰おう。

 それと、魚の〈あら〉があったら、いつもみたいに辛めの香草を使って一料理頼む。 
 仲間には、適当な料理を見繕って出してくれ」
 
 ラウラが呆れたように肩をすくめた。
 
 シグルトは、余り豪華な食事を頼まない。
 硬い筋の肉や、魚のあらを好む。
 あげくに、あまり好まれない海草や、臓物の煮込みなども好き嫌い無く食べる。
 
 硬い物ばかり食べるシグルトの顎は強靱で、胡桃や動物の骨を容易く噛み砕けるほどだ。

「あんたさぁ…

 こんな時ぐらい、もっと良い物食べなさいよ」
 
 レベッカがそう言うと、シグルトは苦笑した。

「古くなった塩漬けの魚に比べれば、みんな御馳走だ。
 
 それに、〈あら〉は煮込みにするとなかなかいける。
 なにより、身になる食い物だからな」
 
 魚の骨や目玉も残さず食べるというシグルトは、やや痩せた体格にしては骨格ががっしりしており、かなりの力がある。
 彼より二回りも大きい男を、軽々と投げ飛ばすぐらいだ。
 
 戦士は食事から、というのがシグルトの言い分だ。
 脂肪の少ない物を食べ、鍛錬を怠らないシグルトは余分な贅肉など全くなく、猫科の野獣のようにしなやかな筋肉をしている。
 持久力が高く、打たれ強い。
 
 祝いの席ですら酒の量を守る徹底ぶりも、リューンの『小さき希望亭』では有名だった。
 シグルトが好むのは辛口のワインかエールだが、ぐいぐい飲むのではなく、ちびちびやる。
 
 素面を保ち腹八分であることが、どんな時でもすぐ動き回れる条件だからという言い分だ。
 そのあたりでも優秀な戦士である。
 
 己の腹についた脂肪を思い出し、レベッカは少しやけになって杯をあおった。
 
(まったく、美味しいから仕方ないじゃないっ!)
 
 心の中で愚痴を言うレベッカの横で、遠慮無く食べているのはラムーナである。
 
 育ち盛りのラムーナは、今までが痩せ過ぎだったので、食事は大いに必要なのだ。
 最近の鍛錬が過酷だったのと、激しい戦いのダンスを習得したため、その分活力を求めておいしそうに食事をしている。
 
 ロマンは小食だが、甘い物が好きである。
 食べても一向に太らない体質で、ニキビすらない端整な顔立ちは女性に羨ましがれる程。
 曰く、適度に食事を摂取をしないとさらに太りやすくなるそうである。
 決まった時間に量を計算して摂取するのが、肝要らしい。
 
 スピッキオは老人ではあるが、長身のシグルトよりもさらに一回り大柄である。
 だが、見た目に似合わず大食いではなかった。
 彼の好物はナッツ類で、胡桃や南瓜の種には目が無い。
 肉類よりも海産物が好きで、それは南海地方の出身らしいとも言える。
 
 久しぶりになるパーティ揃っての食事は、それぞれ思うところはあるものの、和やかな時間となるのだった。


「皆、食事をしながら聞いてくれ。
 
 今後のことなんだが…
 最近アレトゥーザ近郊には、随分余所の冒険者が集まって来たようだ。
 噂では地元の冒険者と、俺たち外様の冒険者の間で摩擦が起きているらしい。
 
 こんな競争状態の状況では、あまり仕事が無いと思うんだ。
 
 この手のことは、リューンやアレトゥーザのような大都市では頻繁あることだが、そのうち落ち着くだろう。
 だが、暇を持て余すのも考えものだ。
 
 早いうちに別の都市に移動した方が仕事にありつけるかもしれないし、今なら路銀にも余裕がある。
 通る街道の、選択肢も増えるはずだ。

 明日には出立したいと思うんだが、どうだろう?」
 
 都市に訪れたその日に旅立ちを提案するシグルト。
 気が早いようにも見えるが、リーダーとしてのシグルトは迅速な決断力を持っていた。
 彼のこういった提案は、大概が正論である。
 
「それには私も賛成ね。
 
 良いだか悪いんだか、私たち“風を纏う者”は、仕事が出来るからって、地元の冒険者に煙たがられているのよ。
 名が売れることは、大切なことなんだけど。
 
 さっき都市の知り合いと話したんだけど、露骨に私たちをライバル視してる連中もいるって聞いたわ。
 
 この都市の業界で“海風を薙ぐ者達”っていう地元のベテラン連中を中心に、ちょっとばかりきな臭い噂もあるみたいだし。
 連中、でっかいへまをやらかしたらしくて焦ってるって話ね。

 地元の連中に、目の敵にされたらやっかいよ。
 少なくとも今の私たちじゃ“海風を薙ぐ者達”に、足下にも及ばないわ。
 こいつ等の武勇伝は有名だしね。
 
 それに、聖海教会の派閥闘争が激しくなりそうだわ。
 あの教会は、保守派と穏健派で真っ二つに別れてるけど、最近特に保守派が派手に動き回ってるみたい。
 
 今の司教はバリバリの保守派で潔癖症って話だから、私たちにもとばっちりが来るかも知れないわ。
 教会って、時には仕事をくれるお得意様だけど、教義とか信仰が絡まると途端に石頭になって文句を言ってくるし。
 保守派の何人かは、国外の人物…特にラムーナみたいな東方の民や、南方大陸出身の黒き民を目の敵にしているしね。
 
 この間、チーロとかいう保守派の坊主がラムーナに因縁をふっかけてきたのよ。
 いかがわしいとか、なんとか。
 しばらくふんぞり返って椅子に座ることが出来なくしてやったけどさ。
 
 小耳に挟んだ話じゃ、この都市近郊の〈鮫〉…海賊の動きが活発になってきたみたいだし、アレトゥーザの宿敵といえる隣国フォルトゥーナとの緊張が高まって、騒がしくなってるわ。
 戦争が起こりそうな感じで、しかも仕事がやり難い規制がかかりそうな気もするのよ。
 軍人どもやお役所は、余所者の活動を嫌うからね。
 
 今後、動き難くなるかもしれないし、出入りが緩やかなうちにこの都市を出るのが賢明でしょう?」
 
 レベッカの言葉に、ロマンが続く。
 
「最近『賢者の塔』で、馬鹿な同業者が礼儀を欠いたことをしたんだよ。
 おかげで、僕らも貸し出し書物に制限がかかちゃったんだ。
 
 今読める類の本はわりとどこにでもあるし、僕も別の都市に移るのは反対しないよ。
 修理に出しておいた手袋も直ったしね」
 
 確認するように皆の視線がラムーナの方を注視する。
 
「ここで習ったダンスは、後は実戦で磨くだけだって言われてるよ。
 盾の扱い方もシグルトに教えてもらったし。
 私はいつでも大丈夫。
 
 仕事を探すのなら、すぐにでも出発しようよ」
 
 ラムーナの横で、一人渋い顔をしているのはスピッキオである。
 
「儂としては、レベッカの言った教会のことが悩ましいところなんじゃが。
 教会での後進にすべき教導は、ちゃんと終わったからの。
 
 他に反対もおらんようじゃし、仕方あるまいて」
 
 決まりだな、とシグルトが決を出した。
 
「…お前たち、此処を離れるのか?」
 
 話を聞いていたらしい『悠久の風亭』のマスターが、ぼそりと野太い声で問うた。
 シグルトが、悪漢たちに絡まれいたレナータを助けて彼女と親しくなって以来、このマスターのシグルトを見る目は大きく変わっている。
 
 最初は余所者として少し粗雑な扱いを受けていたのだが、“風を纏う者”の仲間が長く逗留したせいもあってか、今ではこの宿に属す地元冒険者たちに対するように扱ってくれた。
 
「ああ。
 落ち着いたらまた来るつもりだが、しばらくは別の都市で仕事をすることになるだろう。
 
 俺たちは冒険者だ。
 旅をするのは職業柄、だな」
 
 シグルトが苦笑して応えると、マスターは深く溜息を一つ吐き、不意に面を上げて言った。
 
「…お前たち、この宿の専属にならねぇか?」
 
 “風を纏う者”の面々が、一様にマスターを注視する。
 
「余所者から、この都市の宿で専属になる冒険者も沢山いる。
 もちろん専属にするなら、宿の店主の目に適った奴じゃなきゃいけねぇんだがな。
 
 その点、お前たちは問題ねぇ。
 名声って意味じゃ発展途上だが、仕事の誠実さはあちこちで聞いてる。
 地元の連中を立てて依頼を譲るから、騒動も少ない。
 パーティとしての結束力もつえぇ。
 
 レベッカはこの都市の盗賊ギルドにコネがあるだろ?
 そこの爺さんは、聖海の司祭様じゃねぇか。
 縁だって十分にある。
 
 その気がありゃ、問題はねぇよ」
 
 やや頬を赤らめているマスターである。
 褒めることが苦手なのだろう。
 
 マスターの横で、ラウラが片目を瞑った。

「この人がこんなことを言うのは珍しいのよ。
 
 でも、あんたたちを認めてるのはこの人だけじゃない。
 私としても、あんたたちには専属になって欲しいわ。
 
 仕事が出来て信頼に値する冒険者を、より多く抱えるのは冒険者の宿でとても大切なことなのよ。
 特に盗賊と僧侶が揃っていて、シグルトのように優れたリーダーがいるパーティは、喉から手が出るくらい需要があるの」
 
 ラウラの言葉を横で聞いていたマスターは、動きを止め、真剣な顔になった。

「シグルトはレナータと仲良くしてくれてるだろ?
 
 美人なレナータ目当ての軟派野郎なら、ぶん殴って追い出すところだが、お前は見返りも求めずあいつを助けてくれた。
 恩を着せたりしてねぇ。
 お前がどんな奴かしばらく見てきたつもりだが、レナータの知り合いの中じゃ、一番男気がある奴だ。
 いっつもあいつに気を遣ってくれてるし、お前と会ったって後、レナータがよく笑うんだよ。 
 
 あいつはこの都市で、一人で頑張ってるんだ。
 だがよ…
 この間みたいにいわれのねぇ因縁ふっかけられて、酷い目に遭うこともある。
 女一人で生きてくにゃ、世知辛い世の中だ。
 あいつが不憫でよぅ。
 
 俺たちはレナータにでかい借りがある。
 その借りを返してぇんだが、俺たちがしてやれることっていえば、せいぜい食い物の差し入れをするぐれぇだ。
 
 レナータには、もっと側で支えてやる奴が必要だと思っちゃいるんだが、よ。
 だから、あいつと仲の良いシグルトが此処に留まってくれると、ありがてぇんだ」
 
 マスターは期待の籠もった目でシグルトを見つめる。

 シグルトは少し目を伏せ、そして首を横に振った。
 
「マスターの申し出は凄く嬉しい。
 
 だが、俺たちはリューンの冒険者だ。
 仲間の意見はそれぞれあると思うが、俺は流浪していたところをリューンの『小さき希望亭』で拾って貰った恩義がある。
 
 安易に宿を換えるのは、冒険者として不義理の極みだ。
 それをやれば冒険者の世界では、村八分に近い扱いをされるのはマスターたちも知ってるだろう?」
 
 登録した宿を抜けて他の宿の冒険者になるということは、一見当たり前に出来そうだが、実は最大の禁忌の一つである。
 何故なら、特定の冒険者の宿に属す冒険者は、宿独自のコネクションや秘密に関わり、特権と共に多くの責任を有するからだ。
 
 宿を通して受けた依頼人の秘密や、宿独自のルール。
 宿を換えるのは、そういったものを捨てるということだ。
 同時に宿に所属する冒険者たちにとって目障りな存在となり、裏切り者同様の扱いとなる。
 
 過去にそのような宿抜けをしたことがある冒険者は、「裏切る可能性のある者」として扱われることが多い。
 だから、冒険者として再び迎え入れる宿は少なくなり、そう言う人物だと知って迎え入れた宿は、常識知らずだと不名誉な扱いをされる。
 そんな宿は、冒険者に関わる組織から爪弾きにされ、経営がおぼつかなくなるだろう。
 
 冒険者が宿を移籍する場合は、互いに友好的な関係の宿同士で、片方から紹介状を携えて行うのが普通だ。周知も行う。
 これはそれなりに実力のある冒険者がやることであり、冒険者になって間もないシグルトたちは紹介状を書いてもらえる立場ではない。
 実績は積みつつあるが、“風を纏う者”の面々は組んで一年にもならない駆け出しである。
 
 遠方からの移籍である場合、例外となる場合もある。
 これは、あまり褒められたことではないが仕方ない、程度に扱われる場合がほとんどだ。
 最も、不義理だと白い目で見られる可能性は捨てきれない。
 
 他には、冒険者その者が独立して冒険者の宿のようなコミュニティを作る場合もある。
 これは引退した冒険者などの選択肢で、現役の冒険者がすることではない。
 
 こういった背景から、冒険者は離れた地域で活動していても、何れは所属していた冒険者の宿に帰還するのが常識であった。
 冒険者にとって所属する宿は、根無し草とも言われる冒険者たちの故郷であり、帰るべき拠点(ホーム)なのである。
 
 宿の移籍はつまり、故郷の家族を見限るような行為なのだ。
 
 無論、このような綺麗事だけで冒険者がやっていけるわけではない。
 実際に無理な移籍をしつつも、実力で周囲に認めさせた者たちもいるし、止むに止まれぬ事情で移籍に踏み切った者たちもいる。
 
 だが、義理堅いシグルトとしては出来る限り仁義を守るのがスタイルだ。
 マスターの申し出を有り難いと思っていても、裏切り者の汚名を世話になっている『悠久の風亭』にもたらすのは絶対避けたいという気持ちだった。
 
 シグルトの言いたいことが判ったのか、マスターは残念そうに肩を落として、「そりゃ、仕方ないよなぁ」と呟いた。
 
「あんたみたいな義理堅さがあるからこそ、声をかけたんだけどね。
 最初にこの宿に来てくれなかったことを残念に思うわ。
 
 でも、もし何かあって行き場所が無くなったら、うちに来ることを最優先にしてね」
 
 ラウラは結果が判っていた、とばかりにそう付け加えた。
 
 シグルトは、「すまないな…」と謝罪の言葉を言うと、出されたエールを一口啜った。
 “風を纏う者”の面々も、シグルト同様の意見らしく、皆申し訳なさそうにしている。
 
「…だが誓おう。
 
 俺が及ぶ限り、レナータのために尽くすつもりだ。
 彼女は、この都市で出来た最初の友だからな」
 
 何気ない言葉であったが、シグルトは誓いのために命を賭けられる男だった。
 誓いのために己の力を尽くすことは、彼の名誉なのだ。
 
 誠実で公正なシグルトが誓う言葉に嘘は無い。

「それに、レナータは強い女性だ。
 誰かに護られることを、好しとはしないだろう。
 
 親しいということは、信じられることでもあると俺は思ってるよ。
 
 だから、彼女が本当に助けを求めた時…
 俺が助けるべき時が来た時に、力を尽くす。
 
 彼女を背負うわけでも、恩を売るわけでもない。
 共に歩む時がある、けれど互いの誇りと別の道を歩むことを尊重して並ぶことが出来る…
 
 俺は、そんな友でありたい」
 
 シグルトの言葉に、マスターが目を見開いた。
 
 レナータが自身の道を必死に生きていることを、シグルトはちゃんと見ているのだ。
 だからこそ、彼女の誇りを重んじ、友として横に並ぶのだと。
 
 レベッカが誇らしそうに鼻を鳴らした。

「うちのリーダーはこういう奴よ。
 
 だから、この私が認めてるの」
 
 自慢げなレベッカの態度に、マスターがまた一息大きく吐いた。
 今度は諦めたような、溜息だった。


 翌日。
 “風を纏う者”は『悠久の風亭』の主人とラウラにしばしの別れを告げると、旅の装備を整えるためアレトゥーザの朝市に出かけた。

 港を持つ都市の市に特有の人の熱気と海産物の生臭さが混じる空気を嗅ぎながら、食料品や消費した道具を買い揃える。

「シグルトのくれた粉薬、使い切ってしまったのよねぇ。
 あれって凄いわ。

 特別な奴でもう手に入らないのよね?」

 以前別れて行動していた時に、崖から落ちて重傷を負ったレベッカは、悪い風を防ぐという秘薬を使った。
 それはシグルトが所持していた特別なものだ。

「あれを作れる者は今ペルージュにいるはずだ。
 とはいっても、材料をそろえるには酒蔵のような設備と時間がいるからおいそれとは作れないだろうが。

 俺の所持する物やレベッカに渡した分は、俺が故国を旅立つ時に餞別で貰った物だから量はそれほどない。
 薬には寿命もあるし役立ったなら何よりだが、何れ使い切るものとして、今後は別の手段を探すべきだろうな。

 思うに、悪い風の対策で最も優秀なのは水の精霊術だ。
 適量ずつ精霊の作り出す浄水で傷を清め、傷に含まれた毒素を流し去って傷を癒す。
 悪い風によって発生した毒素も、水の精霊が汗や血から見つけ出して浄化してくれるから、あの粉薬が効かない緑青の膿が出る毒や労咳の緩和にも効果がみられるだろう。

 だが、水の精霊術師はとても稀少だ。
 教会の治癒の秘蹟より病気に有効という点から既得権益を奪う者として、水の精霊術師は目の敵にもされるため、立場を隠す術師も多い。
 リューンの精霊宮で召喚術を習得するのも手だが、あれは高等技術だ。儀式呪文と割り切らない限り、素人が手を出せるものではないだろう。

 他の手段としては解毒薬の類だが…高価だし、毒が発生しない限り使えない。

 予防処置としては解毒性の強い木タールを使うことだが、あれは傷が化膿するのを少しばかり防ぐのがせいぜいだ」

 アフマドに学んだ高度な医療知識を語りながら、シグルトは「怪我をしないことと、清潔・早期の治療が大切だ」と語る。

「水の精霊術師かぁ。
 そういえば、シグルトの知り合いっていう精霊術師さんはそっちの専門家よね?

 今後もし新しい仲間を入れるとしたら、水の精霊術師か野伏(レンジャー)ねぇ。

 野伏の医療術も馬鹿にならないのよ?
 あの連中は不潔な極限環境の専門家で、生存術に関しては冒険者の上に行く連中だから。

 機会があったら、私たちも野伏から専門の野外知識を学んでおくべきかもね」

 レベッカの言う野伏(レンジャー)は、狩人に近い素養を持つ野外活動の専門職だ。
 彼らの中には薬草の調合や優れた医療技術を持つ者もおり、盗賊と並ぶ斥候としての能力から僧侶・魔術師・盗賊の次に重宝がられる。
 ただ、野伏となる者は厭世的な性格の人間が多くあまり世に出ない。精霊術師や吟遊詩人と並んで存在数が稀少だ。
 本職ではなく戦士などが兼業する場合もあるが、そういう者たちは職業専門の特技(スキル)が使えない場合も多い。

「無いものねだりしとってもらちがあかんの。
 今は道具で補えるようにするしかないわい。

 あらゆる病を治したという聖女オルデンヌの秘蹟でもあれば別じゃが、あれは聖女の遺体ごと奪い去られてしまったから遺失して学べんのじゃよ。

 教会にも病や悪風に対抗する秘蹟はいくつかあるんじゃが、ほとんどが奥義の類での。
 解毒の秘蹟は戦いの高揚時に他の術の発動を阻害しやすく、冒険者の仕事向きとは言えん。

 わしとしてはそっちよりも対不死者の術を補っておきたいしの」

 スピッキオが自分の知る知識から、現状での保留を言葉にする。

「魔術師にも治癒術はあるんだよ。
 でもその中でも有名な術を書いた魔術師は隠棲してどこかに身を隠してしまったらしいね。

 僕としてもいろんな分野に手を出して器用貧乏になりたくないから、治療魔術の習得は却下。
 治癒術を使える魔法の杖でもあれば別だけどね。

 何かで治療面を補えるように、薬に関して機会があったら調べておくよ」

 シグルトに防御や回復手段の重要性を教えられたロマンは、別のアプローチを提案した。

「う~ん、仲間を癒す様な特別な【呪舞】は凄く稀少だって先生が言ってたよ。
 私の使える舞踏はどっちかって言うと戦士向きで、自分を強くしたり、攻撃に使うものが多いから。

 先生がそういう踊りをいつか編み出したいって言ってたけどね」

 ラムーナは「私にも無理~」とぐんにゃりする。

「今度ペルージュに立ち寄った時、知り合いに相談しておこう。

 これで買い物はだいたい済んだな…」

 会話をしながら、各々で必要な装備を整えている当り、この面々もだいぶ冒険者として慣れてきたと言えるだろう。
 かくして、いつもの不機嫌な衛兵のいるアレトゥーザの街門に向かおうと一行が思考を切り替えたとき、不意にそれを遮る者があった。

「おう、あんたらは確か一度俺の店を冷やかしに来てくれた“風を纏う者”だよな?」

 ガラの悪い男であったか、顔に覚えがある。

「あなたは…フォーチュン=ベルの交易所の店主だったわね?」

 「ロゴージンだ。こんなところで奇遇だな」と答えた男は、以前立ち寄ってゴブリンや狼退治の依頼を受けたフォーチュン=ベルで交易商を営む男だった。
 目付きが悪いわりになかなか口が上手い男で、取りそろえた交易品も一級の品ばかりである。

「珍しいな、南海まで来るなんて。

 商品の仕入れか?」

 旅先で出会った知り合いの商人は貴重な情報源だ。
 世間話も大切な情報収集と、シグルトが「少し会話をしよう」と仲間に目配せして切り出した。

「まぁな。
 聖典教徒の連中がいる地方の遺跡で発掘される魔法の指輪がやっと届いたんだよ。
 貴重品なんで、フォーチュン=ベルの冒険者を雇って受け取りに来たわけだ。

 こいつはあんまり強力な魔法の品じゃないんだが、小器用にいろいろできて便利なんだぜ」
 
 そう言ってロゴージンが取り出した指輪。
 施錠・解読・魔力感知・生命感知・灯火の魔法を可能とするもので、あらゆる願いをかなえるという伝説の指輪をモデルに、古代沢山作られたものだという。

「こっちの遺跡なんかでも、大昔の魔術師が研究で取り寄せたものがまれに見つかるんだが、売り物にするには数が少なくてな。
 風の噂で、向こうで大量に見つかったって話を聞いたもんだから、交易商人に仕入れさせたんだよ。

 この指輪で使える魔法は、日常生活やってると役に立たないものばかりだから、コレクターか遺跡専門の冒険者でもないと需要がない。
 で、趣味人や冒険者を相手にすることがよくある俺としては、良い飯の種ってわけだ。
 どんな奴でも呪文を理解して唱えれば使えるっていう、すごい代物なんだぜ?

 あんたらも一つ買わないか?」

 降って湧いた商談に、“風を纏う者”の面々は顔を見合わせる。

「魔術・魔法の専門家として言わせてもらうと…【解読】の魔法が使えるのは凄い。
 この魔術はほぼ遺失扱いで出回っていないからね。

 どんなに知識を学んでも、遺失した言語の発音や読解はできない場合もあるんだ。
 僕ら人間には、発声器官の違いや可聴領域が異なって聞き取れない言語、思考の違いから学んでも読み取れない言語っていうのがあって、そういう特殊な言葉を一次的に理解できるようにするには、こういった裏技を使わないと無理。
 倫理観や性格の素養も影響するものがあって〈狂気に陥らないと読めない〉魔導書もある。

 【解読】は術の影響する範囲が不安定で、術者の理解力と解読しようとする言語に込められた魔力や残留思念を利用するから、そういうものを残せる素養の無い人が書いた書物には効果が無いなんてことを言ってる研究者もいる。
 再現性が不安定過ぎるということから、正規の魔術書には載せられなかったらしいよ。

 とはいえ、可能性として未知の言語を理解できるかもしれない点で、僕ら賢者にとっては反則的に魅力のある手段。

 【魔力感知】や【生命感知】も使いようによっては探索に役立つから、僕は迷わず購入を推奨するよ」

 ロマンの言葉にシグルトが頷く。

「俺も購入に一票だ。
 専門家のロマンが言うその能力は、遺跡探索に関わることも多い冒険者が用意すべき手段のはず。

 冒険者をやっていれば、未知に対する対策はいくらでもあっていいはずだ」

 その声にレベッカも同意する。

「間違いなく買いね。
 魔術師じゃなくても使えるっていうのがいいわ。

 財布に余裕もあるし、パーティの共有財産ってことで買いましょう」

 レベッカで五人中三人目ということで、多数決も成立している。
 パーティの資材購入を担当し倹約家のレベッカが同意するということは、反対の余地がないとも言えるが。

 ラムーナやスピッキオも問題無いと同意を示した。

「それじゃあ、一つ購入ということでお願いするわ。

 そっちが持ち掛けてきた話だし、当然値引きしてくれるのよね?」

 向き直ったレベッカは、にっこりと笑う。
 その笑みの背後に底知れない威圧感を感じたロゴージンは、冷や汗を浮かべて首肯した。

 結局銀貨五百枚の売値から銀貨二百枚ほどを値引かせて、“風を纏う者”は魔法の指輪を購入する。
 
 「フォーチュン=ベルに寄ったら、うちの店を贔屓にしてくれよ」と約束を取り付け、ロゴージンは苦笑しながら去って行った。

「ま、滞在費と旅の準備に銀貨二百枚ぐらいかかってるから、値引いた分でとんとんなのよねぇ」

 そんなことを言いつつ上機嫌なレベッカに呆れながら、“風を纏う者”はアレトゥーザを後にするのだった。



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Y字の交差路


2018年06月
  1. 『碧海の都アレトゥーザ』 鼠たちの囁き(06/28)
  2. 『古城の老兵』 【影走り】開眼(06/26)
  3. 『希望の都フォーチュン=ベル』 商船護衛(06/21)
  4. 『開放祭パランティア』(06/18)
  5. 『見えざる者の願い』(06/17)
  6. 『希望の都フォーチュン=ベル』 オーガ討伐(06/15)
  7. 『魔剣工房』(06/14)
  8. 『シンバットの洞窟』(06/14)
  9. 『ヒバリ村の救出劇』(06/09)
  10. 『碧海の都アレトゥーザ』 風は留まらない(06/02)