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『甘い香り』

2018.07.29(08:03) 472

 闘技都市ヴァンドールから、シグルトはリューンに戻って来た。
 拠点である『小さき希望亭』に立ち寄るためである。

 北西に位置するヴァンドールから、リューンはそれほど離れていない。
 仲間もいないので、シグルトの移動速度なら半分の時間で踏破可能だ。

 剣術を修める過程で、シグルトは徹底的に足腰を鍛えた。
 それがリハビリになったのか、感覚の無かったアキレス腱は反応が多少鈍いものの機能するようになっていた。
 さらに身に宿したトリアムールの力で身体を支え、飛ぶように移動する。

 …常人が見れば仰天する速度である。

 おかげで、たった二日で『小さき希望亭』に到着することができた。
 ヴァンドールには半日ほど滞在していたので、リューンに着いたのは夕刻近くであったのだが。

 ドアにかけられたベルを鳴らして中に入ると、現在の『小さき希望亭』は閑散としていた。
 他の冒険者たちは出払っている様子で、宿の親父が一人黙々と食器を磨いている。

「親父さん、ただいま」

 シグルトが声をかける。

「おう、お帰り。

 シグルト、お前ひとりか?」

 親父は手を止めて迎えにカウンターを出てきた。

「ああ。
 薬なんかを調合すると言ってたロマン以外は、アレトゥーザで技能習得だ。

 俺は剣を学んで、半日ほど闘技場で新しい技を慣らしてところだ。
 リューンを通りかかったんで一旦ここによって、その後はフォーチュン=ベルでロマンと合流してから、アレトゥーザに向かおうかと考えている」

 シグルトが一人旅の理由と今後の予定を教えると、親父は思案顔になった。

「そうか。

 実はお前らが旅に出てから、“風を纏う者”目当ての教導希望者や依頼が多くてな。
 うちみたいな構成員が少ない宿では回し切らん。
 新しくうちに入る新人どもの吟味をしたいから、仲間と合流したら早めの戻ってくれ。

 “煌めく炎たち”は今日も討伐系の依頼をしに行ってる。

 回せなかった依頼は、お前たちと相談していた通り他の宿に回すことになったんだが、一件だけシグルトを指名の貴族の依頼があってな。
 面倒なやつなら不在を理由にお断りしようと思ってたんだが、紹介者があのヴェルヌー伯なんで、どうするか困ってたところだ。

 旅立つ前に、ちょっと確認して対応してくれんか」

 ふむ、とシグルトは承諾して封蝋のされた紋章入りの依頼書と添え書を受け取った。
  
 それは、「ある貴族の身辺護衛」をしてほしいというものだった。

 ヴェルヌー伯イザベルは、聖遺物の所有権をめぐった騒動をきっかけに、シグルトと“風を纏う者”の擁護者を名乗るようになった有力貴族だ。
 宿に紋章付きの感状を与え、“風を纏う者”が推進している孤児救済機構にも、少なからず名を貸し援助をしてくれている。

 優秀な冒険者のパトロンになることは、貴族のステータスの一つだ。
 時に他者の息のかからぬ私兵として戦場以外でも活躍し、護衛や私用を頼むにはもってこいである。

 “風を纏う者”は、普通は結成から一年以上かかる駆け出しの期間を大幅に短縮して、すでに中堅冒険者に近い実績を上げている。
 しかも、まだ貴族のお手付きではなかった。
 先日引き抜きを迫ってきたヤニックも、“風を纏う者”の人気を見てことに及んでいた。

 聡明なヴェルヌー伯は、シグルトとの接触後すぐに動き、宿のカウンターに飾れるように高級羊皮紙に金箔で装飾を施した感状を贈ってきた。
 ヴェルヌー伯は以前の依頼内容はぼかしつつ、シグルトへの報酬として〈銀貨一千枚と、伯爵との面識を有効に活用する権利〉を授けている。

 〈貴族との面識を活用する権利〉とは遠回しな支援宣言でもある。
 こういった貴族側からの囲い込みは、本来冒険者の方が喉から手が出るほど欲しい特権なのだ。

 自由を愛する冒険者であるが、実際は異国を旅し、怪物退治によって名声を得、遺跡の発掘に寄って宝物を獲得し、それらによって柵が生まれる。

 怪物退治では英雄としての名声を得るが、強大な武力を持っていると警戒される。
 遺跡の発掘によって得た宝物は、それを購入するのが有力者であり、販売先に関してもめる場合もある。
 出る杭は打たれるもので、力を持った冒険者ほど注目され、活動がままならなくなるのだ。

 ここで必要となるのが、権力者を後援者にすること。

 冒険者同士には縄張り争いもあり、下手をすればそれが抗争にもなる…冒険者とは武力を持った暴力集団なのだ。
 多くが食い詰め者…口減らしで村を追放されたり、敗戦により逃げてきた難民だったり、曰くつきの人間が多い。
 連盟の息がかかった冒険者の宿に所属することによって、少しはその身が保証されるとしても、無法者と紙一重の立場である。

 彼らがより大きな活動をするには、身分を保証し、問題が起きた時に尻拭いをしてくれる権力者が必要となる。
 そう、貴族や高位聖職者、地方有力者といった力ある後援者が。

 ヴェルヌー伯が賢かったところは、感状というごく平凡な感謝の形でジワリと宿の側に接近を図ったことである。
 冒険者の宿としては、【貴族に認められた】として感状の存在を有難く受け取るし、この類のものは宿の勲章として「見える場所に飾る」ものだ。
 そう、ヴェルヌー伯は一番にそれを行うことで、誰が見ても「自分が最初に目をかけている」と分かるようにしたのだ。

 このことに、シグルトやレベッカはむしろヴェルヌー伯を高く評価した。

 高飛車に縛るでもなく、宿という冒険者の本拠地へ配慮し、親父の顔を立てている。
 感状には伯爵からの謝意がつづられており、なんら“風を纏う者”を拘束する文章ではない。
 気配りができる貴族として、後援者にするには最適という評価となった。

 “風を纏う者”は、ヴェルヌー伯を自分たちの後援者の有力候補として定め、他の宿所属の冒険者に相談をした上でシグルトと宿の親父の連名で礼状を返し、「ヴェルヌー伯有事の際は『小さき希望亭』をあげて協力する」という返答をしておいた。
 これに対し、ヴェルヌー伯はすぐに返事をよこして、“風を纏う者”に限らず『小さき希望亭』の冒険者をヴェルヌー伯御用達と任じてくれた。

 以前ヤニックからの引き抜きに対して、“風を纏う者”は苛烈にこれ拒否をしていた。
 その後の復讐もありえたわけだが、ヴェルヌー伯の名はここで大きな力を発揮する。

 ヤニックの『金色の栄光亭』はバラチエ男爵という貴族の子息が後援者となっていたが、〈紋章入りの感状〉を受けている『小さき希望亭』にちょっかいをかけるということは、遥かに爵位が上位にあるヴェルヌー伯の威光を軽んじるということなのだ。
 貴族同士ではことさら面子というものにこだわるため、バラチエ伯爵は『小さき希望亭』に手を出すことはまかりならんとヤニックに厳命し、現在まで騒動は起きていない。

 このように有力者のコネクションを得ること。
 それもまた、優れた冒険者にとって大切な要素である。

 とはいえ、デメリットもある。
 ヴェルヌー伯の寵愛に対して、宿の側としても彼女を重んじなければならない。

 以前のアフマドの情報や、ヤニックの件で恩人でもあるヴェルヌー伯の頼みともなれば、義理堅いシグルトは無下にできなかった。
 短期間であることを条件に、引き受けることにしたのである。

 期間は、依頼人がリューンに滞在する二日間。

 一日目、護衛の仕事は順調にこなした。
 まともな武装が無いため、剣は借り物になったのだが。

 シグルトが関わった護衛任務は、成功率が極めて高い。
 これは、彼が単に強いという理由ではなかった。

 護衛対象をいかに守るか。
 そのための戦術を立てさせた時、シグルトの戦術観は最も冴えるのである。

 シグルトは優秀な戦士であったが、自分が最強ではないことをよく分かっている。
 自分に足りないものを理解し、対策を考え、神経質なほどの作戦を練る。
 特に人の命を守る依頼に対しては、どんな仕事よりも熱心だった。
 
 依頼人の市街の視察に随伴し、途中貴族嫌いの悪漢に絡まれるというハプニングがあった。

 絡んできた男は平民ではなく、リューンに交易の交渉に来ていた共和制都市国家の元首という身分である。
 貴族階級で言えば侯王に当たる地位であり、並の貴族では相手にならない。

 この時代貴族性が幅を利かせているが、全てが封建制の王政ではない。
 昔ながらの、部族・豪族の合議制を行う国家もわずかだが存在する。
 そういう国家に限って自国の政治形態を自慢にするもので、はなから貴族というものを軽んじていたのだ。

 しかし、シグルトの名を聞いたその男は途端に態度を改めた。

「お前のことは何度か名を聞いている。

 “風を纏う者”のシグルトが護衛するなら、その貴族には守る価値があるんだろう」

 そう言って、絡んだ男は態度を軟化させて去って行った。

 シグルトたちが信頼第一で行って来た行為は、このような形で確実に実を結びつつある。

 実力ある成功者たちは少なからずいる。
 でもリューンの若手冒険者で、“風を纏う者”ほど好ましい名声を得たパーティは少ないだろう。
 
 しかし、シグルトは過大な評価を受ければ受けるほど顔をしかめた。

「分不相応の評価は、同業者の嫉妬を呼ぶ。

 俺たちの仕事に、差しさわりがなければいいがな」

 どんなに褒め千切られても、シグルトは慢心しなかった。
 彼の心には、過去に味わった苦渋と後悔が重くのしかかっていたからだ。

 結果として、シグルトは大きな失敗をしていない。
 
 護衛対象の貴族…シャノワーヌ子爵は、そんなシグルトを大いに気にって、晩餐に招待してくれた。 
 子爵はシグルトの武勇譚を聞きたがったが、自分は口下手だからと、なんとか話をそらし気が付いてみればかなり遅い時間になっていた。

 泊まっていけと言う子爵の誘いを、けじめだからと断り、シグルトは夜道を急いで帰ることにしたのである。
 思案の末、早く宿に帰るために、普段は通らない歓楽街…酔夢街を横切ることにした。
 
 交易路の発展でつとに大きくなったリューンは、人口が密集する都市の一面として、多くの歓楽街や貧民街を抱えている。
 さらに、都市の外にそれらが出来、他の都市と関わりながら、混沌とした発展を遂げていた。

 荒んだ場所が増えれば、荒んだ職業も増えて行く。
 歓楽街には、艶やかな格好した娼婦たちが沢山見受けられた。

 シグルトは、こういった商売女を買ったことが無い。
 それは娼婦たちに魅力が無いわけでも、彼が極端な女嫌いだからというわけでもない。
 
 身を懸けて生きる女たちを軽い気持ちで買うのは、彼女たちを冒涜する気がする。
 病んだ自分には性欲など皆無に等しく、金銭を浪費する気にもなれない。

 シグルトは、娼婦という職業を尊敬さえしていた。

 伝承に詳しいシグルトは、娼婦が世界で最初の職業として成立したことを知っている。
 娼婦の始まりは聖娼と呼ばれた聖職であり、その性愛を受けられるということは、大地の女神を象徴する女性から受ける祝福だったのである。

 教会勢力の台頭によって、父性中心の倫理観が広がると、娼婦はいかがわしい仕事として卑下されるようになった。
 また、男の嫉妬心や独占欲によって起こる血生臭い争いも、彼女たちを貶める原因になっていたのである。
 
 一部の例外はあるだろうが、なりたくて娼婦になる女は少ない。

 仕方なく春をひさぐ者には、苦境の中で精一杯生きることに敬意を。
 性愛に奔放で、娼婦を天職と言う者には、大地母神に対するような尊崇を。

 一般的に見て、シグルトは少し変わった価値観と倫理観を持っていた。

 シグルトは、誰か一人を愛することと、操を守ろうとする気持ちは尊いとも思う。
 操という尊い宝を捧げる行為には、確かに愛を捧げることに通じると。
 
 彼の言う操とは〈精神の操〉…セカンドヴァージンのことである。
 誰かを心から愛そうとする時、想い人だけに捧げる心の操だ。
 娼婦は身体を売る職業だからこそ、その一面で高潔である者が意外と多い。

 性病や妊娠というリスクに対し身体を張って懸命に生きる娼婦たちは、決して穢れた存在ではない。
 心の操を持ち、男を愛し、宿した子を育てる彼女たちは偉大であるのだ、と。

 とまれ、そういう風に娼婦を考えるシグルトには、娼婦に対する蔑視の情が全く無い。
 生きるために客を良く見る娼婦たちには、それが分かる。

 それ故か、多くの街娼がシグルトに声をかけてくるが、取り合う彼ではなかった。
 彼は過去に自分の愛を捧げた女性がいる…娼婦を抱きたいという欲望も無い。
 それが理由だった。

 流石に夜の賑わった歓楽街で、その高速移動を披露するわけにもいかず、シグルトはただの速足で、帰りを急ぐ。

 そうして、人混みを避けるため裏道に入った時である。
 
「ねぇ、お兄さん…」

 声をかけられるのが流石に煩わしく感じていたシグルトは、掛けられた声の方にやや剣呑な様子で振り向いた。

 尊敬する職業にも、しつこくされれば疲れもするのだ。
 どんなに優れていても、彼も人間なのである。

 裏道まで追ってきた娼婦なら帰って貰わねば、と振り向いて、その声の主を見た時、シグルトは思わず目を見張った。

 見目麗しい女である。
 その美貌は、人間離れしていた。
 
 だがシグルトが目を見張ったのは、傾城の容姿に見とれたからではなかった。
 その娘は、かつてシグルトが巻き込んで死なせてしまった親友の妹、エリスに背丈や面影が似ていたのである。

 エリスはブロンドで、その少女はブラウンの髪…顔だってこの少女の方が垢抜けて美しい。
 なのに、目の大きさやはにかみ方がそっくりなのだ。
 透通るような白い肌も、故郷の人々を思い出させた。

 しばし黙っていたシグルトを見上げた女は、彼女自身もシグルトの美しさに見惚れているようだった。
 
 シグルトの容貌もまた、神々しいほどに美しい。
 雑な髪型とその仏頂面がなければ、まるで南海の芸能神アポロもかくやという美丈夫なのである。

「…びっくり。
 こんな綺麗な人だったなんて。

 ね、少しだけ、私とお話しない?」

 好奇心の籠った、人懐っこい口調で女が誘う。
 
 まだ少女のあどけなさがあるのに、 立ち居振舞いの一つ一つが妖艶だった。
 上目がちにこちらを眺めるその仕草だけで、普通の男なら虜になっていただろう。

「…本当に少しだけでいいの。 
 駄目かしら?
 
 貴方なら、狼さんになったりしないと思ったんだけど…」

 からかうような彼女の言葉に、シグルトは我に返った様に無愛想な態度で睨み返した。

「妙齢の女が、会話目的だけで裏道を通る男を呼びとめるのは考えものだ。
 相手次第では勘違いされるぞ。

 話をしたいのなら、御夫人にすればいい。
 俺は女性と話すような話題を持たない、武骨者なのでな。

 それに、急ぎの帰り道だ」

 彼のあまりに素気無い返事は、予想外だったのだろう。
 女は少しだけ眼を見開いて、シグルトをもう一度じっくり見つめる。

 …何かが入って来そうな視線だった。

 シグルトは腹の底に軽く力を込め、目を細めて、その視線に真っ向から抵抗する。

「…そんなに睨まないで。
 少し、人寂しかったから、お話したかったの。
 
 ここなら、静かだし、誰も通らないわ。
 ね?
 お話、しましょ」

 シグルトは、軽く息を吐くと、口をへの字に歪め首を横に振った。

 …この女の視線は危険だ。
 自分のように性欲の枯れた男に対しても、情動を喚起させる何かがある。
 話す言葉には前後に脈絡が無い…話す事と人気が無いことの脈絡が。

 それがさらに警戒心を起こさせた。

「話をするだけなら、こんな夜半に歓楽街の裏道で男を誘うなど、正気の沙汰ではないぞ。
 
 仕事柄こういった場所に知り合いがいるが、街娼ですら、普通は一人で立つなどありえん」

 本来娼婦という職業には、盗賊ギルドのような背後組織がついている。
 女性という立場は弱いため、客が代金を踏み倒したり、過剰なサービスを要求して娼婦を傷つけることがあるからだ。
 どこかに〈梟〉…見張りが立って、娼婦が強姦されたり変な客に捉らない様に監視しているはずである。

「それに、君の言っていること、やっていることは矛盾している。
 
 人寂しく話をしたいなら、何故表通りに出ない?
 こんな裏道を通る者など、俺みたいに近道をする部外者か、後ろ暗い奴ぐらいだ。
 
 好奇心で初めてこの町に入ったのなら、女衒(せげん…色街の女を売り買いする仕事)に見つからないうちに、すぐに出た方がいい。

 …もしここに迷い込んだというなら、家の近くまで送ろうか?
 君の家に立ち寄らないことを、条件にさせてもらうがな」

 有無を言わせぬシグルトの言葉に、女は円らな目を最大まで見開いた。
 だが、「送ろう」というシグルトの不器用な優しさを感じたためだろうか…
 
 結局、一緒に歓楽街を出ることになった。

 
 並んで歩く美女の表情は、嬉しそうである。

 シグルトに好意を持つ女性なら、このように並べれば有頂天になっただろう。
 だが、女のそれは美貌の男と歩くそれではなく、単に誰かが隣にいることへの悦びだった。

「私はアンジュ。

 貴方の名前、教えてくれる?」

 好奇心いっぱいの目で見つめる女に、シグルトは仕方ないという様子で名乗った。

「…シグルトだ。

 アンジュ、天使か。
 名付けた人は、きっと、とても君を愛していたのだろうな」

 ふ、と微笑んだシグルトに、アンジュと名乗った女は、少し寂しげな笑みを浮かべて頷いた。

「うん、気に入ってるの。

 貴方も素敵な名前ね。
 確か、不死身の竜殺しの名前よね?

 ちょっと発音が違うけど」

 シグルトは「故郷の訛りだ。名は分不相応だがな」と苦笑した。

「そうかな?
 武器を持ってないけど、貴方って戦士みたいに力強い目をしてる。

 とても似合ってるわ」

 クスリ、とアンジュが笑う。
 はにかんで目を細める仕草は、花が咲きそうなほど愛らしい。

(本当にエリスに似ているな。

 顔など、まるで似ていないのに)

 故郷の生活を思い出し、シグルトも少し目を細めた。

「仕事は何をしてるの?

 傭兵さんなら、武器を持ってるわよね?」

 好奇心が強い娘なのだろう。
 色々と聞こうとしてくる。

 知り合いに雰囲気が似ていたからだろうか、シグルトは渋々、彼女のおしゃべりに付き合うことにした。

「―…冒険者だ。

 今は別行動中だが、仲間もいる」

 仲間、と言う言葉に、アンジュは羨ましそうな顔をする。
 こんなところで話し相手を求めて来たのだ…孤独な生活をしているのかもしれない。

「冒険者かぁ。

 うん、分かる。
 貴方って、旅人の目をしているもの。

 大変な仕事って聞いたけど、順調なの?」

 話を途切れさせない様に、アンジュは問いを続ける。

「…好い仲間に出逢えて、それなりに成功しているよ。

 少なくとも、食うのには困らないでいられる。
 多分これは、幸せということなんだろうな」

 そう言ってシグルトは、現状に満足している自分にまた苦笑した。

 故郷で恋人と別れ、心の傷はまだ癒えていない。
 なのに、仲間たちの存在は頼もしく、仕事には充実感がある。
 
 それが心地良いと感じていた。

「羨ましいな。

 私なんて…」

 言いかけて止めるアンジュ。

「…私なんて、何だ?」

 シグルトが先を促すと、アンジュは誤魔化す様に頭を振った。

「秘密。

 その方がミステリアスでしょ」

 そう彼女が口にした時、歓楽街の出口が見えた。

 残念そうにアンジュは、シグルトから一歩離れる。

「有難う、送ってくれて。

 ね、最後に握手、しよ?」

 アンジュが手を差し出す。
 シグルトは、ふう、と溜息を吐いた。

「若い婦女子が、始めて歓楽街であった男に、握手など求めるな。

 そんなことでふしだらとまでは言わんが、少し無遠慮だぞ」

 シグルトの硬い返答は、彼が年頃の妹を持っていたことに起因する。

「…もう、さっきからお爺ちゃんみたいに説教臭いわ。

 私と大して歳、変わらないわよね?」

 最後が疑問形なのは、シグルトの年が分からなくなったからだろう。
 過去の悲壮と諦観を秘めたシグルトの青黒い瞳は、その年齢をもっと年寄りにも見せるのだ。

 シグルトがふと考えた時、近くの娼館から低い手振り鐘の音が響いた。
 日の終わりを告げる合図であり、歓楽街の本当の始まりを告げる音でもある。

「たった今、日が変わったようだな。
 西方の数え方なら、丁度十九になる。

 今聞かれて、気が付いたよ」

 シグルトの誕生日は、つまりたった今からである。

「っえ?、え~!!

 じゅ、十九?
 背、すごく高いし全然っ見えない…二十五歳ぐらいだと思ってた」

 驚くアンジュに、シグルトは少し仕返しを思いつく。
 そう、かつて妹や友人にした時のように。

「俺が目測二十五歳ということは、大して変わらないという君もそのぐらいということだな。

 もっと若いかと思っていたんだが…」

 シグルトにからかわれたアンジュは、真っ赤になった。

「ひ、ひど~い!
 
 私、そこまで年増じゃないよぉっ!!」

 この時代、女性で二十歳過ぎは行き遅れ、二十五歳は年増と呼ばれてもおかしくなかった。
 戦争や疫病の関係で、平均寿命が五十歳を下回ることも多いのだ。

 女の役目は早く子を産み、次世代を残すこと。
 古臭いこの御題目が、田舎の農村ではあたり前のように根付いている。
 
 さらに、難産や出産後の産褥熱で死ぬ女たちも多い。
 この当時の出産は、二十回に一回、母か子あるいは両方が死ぬ命懸けの苦行であった。
 高齢の女性は、初産が遅ければそれだけ出産での死亡率が跳ね上がる。

 女性の冒険者には二十歳過ぎも結構いるが、結婚適齢期過ぎなのを劣等感にしている場合が多い。
 〈年増〉や〈行き遅れ〉は禁句である。
 
 “風を纏う者”のレベッカもいつぞや、ある行商が口を滑らせた時に、「尻の毛まで毟る」程激昂したという。

 この場にレベッカがいなくて良かったな、と思いつつシグルトは「冗談だ」と言ってアンジュに謝った。

「うう、罰として、絶対明日も会って!

 そうしないと許さないからっ!!」

 そうくるか、とシグルトは苦笑する。
 拗ねた様にアンジュは口を尖らすと、シグルトの手をそっと握った。

(…ぬ?)

 一瞬、何かが身体から抜き取られる気がした。

「約束…だからね?」

 そう言って離れたアンジュは、夜の街に消えて行った。
 ――花のような、甘い香りを残して。


 次の日、シグルトは気だるい朝を迎えていた。 
 早起きの彼が、寝過ごすほどである。

「…もう〈お早う〉ではないな。

 起きるのが遅くなって、すまない」

 顔を合わすなり、シグルトは宿の親父に謝った。
 親父は気にするな、と首を横に振った。

 他の冒険者からすればずっと早い時間である。
 
 シグルトは、五時間以上寝ることがほとんど無い。 
 普段は一番鶏の鳴き声で起床し、一刻(二時間)程で日課の鍛錬を終える。
 
 鍛錬後はクールダウンをしっかり行い、宿の誰よりも早く朝食の席に着く。
 その規則正しさは、仲間内では有名なことだ。

「何、まだ早い。

 昨日は帰りも遅かったんだろ?
 無理もないさ」

 親父は、もう少し寝てても良いんだぞ、と付け加える。 
 …不真面目な他のメンバーには、こんなこと絶対に言わないのだが。

 すぐに、朝食を手際よく用意する。
 シグルトは、親父の作る暖かな手料理が好きだった。

「ふむ、思えば久し振りに親父の手料理を食えるな。

 小洒落た高級料理を上品に食べるよりも、この宿の朝飯に齧り付く方がずっといい」

 手渡された、鍋で炒めた塩漬け肉とチーズとハーブを挟んだパンは、まだほのかに暖かい。
 きっと冷めないように、オーブンの余熱で温めていたのだろう。

 こういう親父の気遣いが嬉しい。

 リューンが属する西方中部名産の、硬いパン。
 パン用の小麦にグルテンの含有が少ないためだ。

 対して、外国の焼き方を参考にした親父特製のパンは、かすかな甘みもあって軟らかく美味である。

 出された飲み物は、山羊のミルクだ。
 
 骨を強くするこの飲み物は、滋養強壮にも優れ、シグルトのスタミナ源となっている。
 普通は臭みが強いのでヨーグルトやチーズにして食べるのだが、シグルトは平気だった。
 彼の故郷では、病人以外めったに飲めない御馳走である。

 パンを齧り、山羊のミルクを飲む姿は決して品が良いとは言えないのだが、美貌のシグルトがやると妙に様になるから、不思議なものである。

「お前、少し顔色が悪いぞ。

 疲れてるなら、無理するな。
 丁度マルスたちがいるから、仕事の代理は立てられるしな」

 親父が皿を拭きながら、心配そうに声をかけてくる。

「朝稽古を休んだ上、仕事まで他人任せなら看板を下ろすさ。

 俺たち冒険者は、信用第一。
 シャノワーヌ子爵には、今日も是非にと言われている。

 あと一日頑張れば達成する仕事だ、これぐらいは大丈夫だ」

 生真面目なシグルトの体調管理は、宿でもピカ一だ。
 ならばと、親父もそれ以上は言わなかった。


 その日の仕事は、体調不良もあってかなり厳しいものになった。
 我慢強いシグルトのこと、そんな様子はおくびにも出さなかったが。

 顔色の悪さを補うため、シグルトは血色を良くする薬草と、結晶化した蜂蜜を湯で溶いて作った薬湯を飲んでから仕事に出かけた。
 蜂蜜の結晶は、多くがブドウ糖であり、てっとり早い疲労回復にはもってこいだ。
 ロマンが好んで疲労回復に使う方法である。

 高価な蜂蜜や黒糖を溶く甘い薬湯は、金がかかるので普段はあまり摂れない。
 だが、シグルトは肝心な時に動けないなら意味が無いと、妥協しなかった。

 甘いもので疲労を回復する方法は、多用すれば身体が慣れて効果が出ないまま、しかも高過ぎるカロリーのせいで身体に毒となる場合もある。
 反面、正しく希に使う場合は、絶大な効果が現れる。

 こういった薬湯を飲む時、シグルトは湯気を吸ってから飲むようにしていた。
 身体が疲弊すると、鼻や口、気道の粘膜も荒れる場合があるからだ。
 
 湯気は、気管を温め潤いを与えるため、程よく行えば呼吸が楽になる。
 医師に学んだことのあるシグルトは、こういったさりげない健康法を上手に使い、身体の故障を癒し、戦える身体を維持していた。
 
 普段から摂生に努めているシグルトだからこそ、回復の効果は顕著に表れた。
 湯気の熱気も手伝って、すっかり血色を回復したシグルトは、何事も無く一日の仕事を終えたのである。

 目聡い貴族を相手にする時、顔色が悪いなど不手際でしかない。
 この辺りのプロ意識も、周囲が優れた冒険者としてシグルトを認めている要因と言えた。
 
 無様な姿を見せず仕事を終えたシグルトは、昨晩から気になっていたことを見定めるため、仕事の休憩中に施したとある仕掛けを確かめると、酔夢街の入り口…アンジュと別れた場所を目指して歩き出した。

 
 辺りはすでに暗い。
 
 シグルトは近くの壁に寄り掛かると、目を閉じてアンジュが現れるのを待った。

 やがて、待ち人は現れる。
 アンジュはシグルトを見つけると、ぱっと笑顔になって息を切らして走って来た。

「うふふ、待たせちゃった?

 今夜も、良い夜よね」

 嬉しそうなアンジュに、シグルトはしばし空を見上げた後、軽く頷いた。

「…今日もお仕事帰り?」

 アンジュの言葉に、シグルトは目を瞬いた。

「何故、俺が仕事帰りだとわかった?」

 聞き返されたアンジュは、鼻白んで目を寄せる。

「何故って…

 少し疲れた顔してたでしょ。
 それに、どこかいらいらしてたみたいだし。

 今日もちょっと疲れ気味?」

 アンジュの説明に、シグルトは静かに耳を傾けていた。

 薬湯で回復したはずの体調不良を見抜いたことに、シグルトは内心あることを確信する。
 彼女は、目に見えない精気を感じ取れる、ということを。

「君は洞察力が優れているな」

 シグルトの評価に、アンジュは「人間観察が趣味だし、勘も鋭いのよ」と胸を張った。

 しばらくは何気ない会話を続ける。

「そう言えば、貴方って今日が誕生日よね。

 一人で寂しくない?」

 不意に聞き返したアンジュに、シグルトは苦笑して首を横に振った。

「俺の祖国があったグロザルム地方は、統一帝国時代の名残で回年という年齢の数え方が主流だった。
 さらに北から入って来た暦の影響だ。

 貧しい国でな…貴族であっても一人ひとりの誕生日を祝うなんてことはしない。
 
 皆、正月になったら一律に歳をとるという、考え方だ。
 祝うのも同じ日で、正月はすごく楽しみだったよ。

 東洋にも、〈数え年〉という考え方があるな。
 あれは一歳から数えるらしいが。

 妹が西方の暦で言う誕生日に憧れていて、自分以外の誕生日には、知り合いに贈り物をする癖が付いてしまった。

 考えてみれば、珍妙だ。
 しばらく自分の年齢は、忘れていたよ。

 俺のような根無し草の仕事に年齢なんて、関係無かったからかもしれんが」

 思い出すようなシグルトの言葉には、言い様の無い寂しさがあった。
 

「ねぇ、また明日も会える?」

 しばらく一緒に話していたアンジュは、シグルトに問うた。

「…いや、無理だ。

 仕事がなければ、俺は明日にでもリューンを発つ。
 仲間がいるからな」

 出たのは決別の言葉だった。
 アンジュは信じられないという風に、シグルトを見た。

「君が何者かは知らない。
 知るつもりも無い…君が話さない限り。

 今夜は約束だった。
 だから会った。

 だが、俺には俺の行く道がある。

 君が何故俺に関わって来たのかは分からないが、俺も君が知り合いに似ているから甘んじた。
 一晩考えれば、それがいかに弱い考えだったか思い知ったよ。

 君に対してもう亡くなってしまった知人を想うことは、君にも彼女にも失礼だった。

 だから、心から詫びよう…すまない」

 シグルトは頭を下げた。
 その静かな誠意が、返ってアンジュの胸を締め付ける。

(だめ、行ってしまう…この人は!)

 そして、シグルトは苦笑して別れを告げた。

「さよならだ。

 幾、健やかに」

 シグルトは答えを待たず、背を向けた。
 
 たとえ恨まれてもいい…
 互いの惰性でこれ以上は傷つくのは止めようという、シグルトらしい不器用な誠意だった。

 アンジュは堪らず、その背に抱きついた。
 自分と同じ、とてつもない何かを背負った、その背中に。

「…くっ…」

 それは彼の予想通り、起こる。
 根こそぎ体力を奪われる脱力感に、シグルトは耐えた。

「…あ、あぁ…」

 アンジュが呻くように 呟く。
 彼女の瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
 
 前に別れた時の、甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 シグルトはそのまま、崩れるように意識を失っていた。


 忘れられない情景があった。

 綺麗なハニ―ブロンドが自慢で、少し男勝りだが、そばかすの可愛らしい円らな瞳の娘だった。
 照れたり困った時、両手で一房ずつその髪の毛を掴む癖があった。

 ある日少女は、精一杯の化粧をして、シグルトに愛を告白した。
 もう一人の兄のように側にいた、シグルトを女として愛していると。

 その時シグルトには、すでに心から愛する女性がいた。

 少女を、シグルトも愛していたと思う。
 恋人や女性では無く、妹のような…幼馴染みというありふれた親しみで。

 不器用だが誠実な性格のシグルトは、その場の流れでうやむやになることを善しとしなかった。
 アンジュに別れを告げたのと同じように、恨まれることを覚悟して、きっぱりと自分の心を告げた。

 最後に別れた時、少女の顔は、言いようの無い悲しみで歪んでいた…
 彼女の顔に、アンジュの泣き顔が重なる。

 それは誤りではなかったのだと、自分の信念は告げていた。
 なのに、結果は誰も救われなかった。

 愛を告白し振られた少女は、シグルトへの想いを利用されて汚され、そして自ら命を絶った。


「――…ぬ?」

 目覚めた時、シグルトは狭い部屋の寝台に横たわっていた。
 
 壁画の描かれたその部屋には、迫られるような圧迫感がある。

 四角い机と赤い古びた大椅子が一つずつ。
 壁画以外、目立つ者も無い殺風景な場所だった。

 どこかの廃教会の一角、だろう。
 部屋の装飾の剥れ方から、何となく予想が付いた。
 起きてすぐに周囲を観察するのは、冒険者の性であった。

 覚えのある、花のような甘い匂いを嗅ぎ取り、そこが誰の部屋かも見当をつける。
 部屋の主を探して、周囲をもう一度見まわした。

 やがて足音と気配。
 女のものだ。
 奥にあった扉が開き、予想通りにアンジュが部屋に入って来た。

「…気が付いたのね、シグルト」

 心配そうに、アンジュはシグルトを見つめた。

 シグルトの観察力は、即座に必要な情報を導き出す。
 応えるように、一つだけ頷いてみせた。

「倒れた俺を、君が自分の部屋へ運んでくれた。

 そして介抱してくれたのだな?」

 そう、と彼女は頷いた。

「私、貴方に謝らなければならないことがあるの」

 絞り出すような告白に、シグルトは一瞬迷いそしてまた頷いた。

「礼を、言うべきではないのだろうな。
 そうしたら、もっと君を傷つけるだろう。

 君は、サキュバスかリリムの類か?
 精気を吸うという、化生なのだな。

 心をあやふやにする甘い香りと、目が覚めるような美貌。
 男なら吸い寄せられる妖艶な雰囲気。

 人の体力を奪い取り、食事とする。

 その、俺の知る限りでは、〈こと〉に及んでそういった力を使うと、聞いていたんだがな」

 言い難そうに語るシグルト。

 その全てに、アンジュは何度も頷いて肯定した。
 
 シグルトは、伝承に関する優れた知識がある。
 淫魔や夢魔とも呼ばれる、サキュバスとインキュバスの伝説も良く知っていた。

 女のサキュバスは男から精を奪って殺し、インキュバスと交わって精を渡し、インキュバスが人間の女にその魔精を植え付ける。
 生まれた子供は、魔の者であった。

 有名な騎士王の知恵袋である伝説の魔法使いは、こうした淫魔の子であると言われた。

 普通ならば、そういった化生に対して人が持つのは、怪物に対する敵意であろう。
 冒険者ならばなおのこと。
 鉄火場で怪物と刃を交わす武辺者であれば、このように悠長に問い返したりはできないはずである。

 シグルトは別だった、
 自身も精霊や妖精から力を引き出す力を持ち、実際に見定めたアンジュの人となりで、彼女がただ危険なだけの人間の敵ではないと断ずる。

 そんな特異を感じることも無く、アンジュは淡々と話し始めた。

「私は、触れるだけで食事ができるみたいなの。

 本来のサキュバスは、人間を食料か繁殖の道具にしか考えない。
 寝込みを襲う、魔物よ。

 でも、男女の交わりで食事をしない私は、普通のサキュバスじゃない。
 異端児なのよ。

 だから、サキュバスの世界を追われてこの都市に来たの」

 シグルトはふむと頷いた。

「淫魔が人に植え付ける魔精を、インキュバスがサキュバスの胎に植え付けた時、男ならインキュバス、女ならサキュバスが生まれる。

 異説では、性交で破滅させた者の魂を媒介に、子が生まれるともあるな。
 だから、奪う存在でありながら人間に依存する…そんな話を、聞いたことがある」

 シグルトの博識に、「私の説明はいらないわね」とアンジュは苦笑した。

「…たまにいるらしいわ。
 とても人間に近い、私のようなサキュバスが。

 だからかな?
 人間を殺せなかった。
 精を奪えなかったの。

 そんなのだから、人間の食事で我慢してたけど…
 
 それはあくまでも応急処置で、たくさん食べないともたないから、すぐに資金が尽きちゃった。
 私は、魔物だからお金の貯め方なんて分からないもの。

 何も食べないと、苦しくて、だから使いたくなかったけど、貴方から精気を貰ったの。
 貴方って、厳しい雰囲気を持ってるのに、とても優しい人だと分かったから。

 でも、悔やんだわ。
 貴方から力を奪って…貴方の顔色が青ざめて行くのが怖かった。

 だって、貴方はこんなにも私を真っ直ぐ見つめてくれるもの。
 何より、心配してくれた…下心を持たずに。
 
 なんとなく、貴方が私の正体に気付いているんじゃないかって感じてたわ。

 私たち淫魔は、その気になって見つめれば相手を欲情させられる。
 力の弱った私の視線にも、その魔力があったはずなのに…
 貴方は耐えて、なのに逃げなかった。

 分かっているのに、女の子を心配するみたいに、接してくれたわ。

 私を普通の女の子のように見てくれた、初めての人間。
 そんな貴方を、私は殺してしまいそうだった。

 凄く、嫌だったの…」

 俯いたアンジュは、死人のような顔で床を眺めていた。
 真っ直ぐシグルトを見れないのであろう。

「でも、貴方にきっぱり別れを告げられた時、頭が真っ白になったの。

 貴方は多分、私と同じように孤独な人。
 仲間がいるとしても、語れない大きな過去を抱えて苦悩している、孤高の人。
 私を分かってくれる人だと思ったわ。

 やっと見つけた、心の許せる人が行ってしまう…
 だから行かせたくなくて縋りついたの。

 でも、その時思わず貴方を望んでしまったから、生気を奪ってしまった。
 屈強そうな貴方が、すぐに倒れるほど。

 そんな自分が、許せなくて、悲しかった…」

 アンジュは顔を上げると、どこか悟ったようにシグルトを見つめた。

「もう、こんな風に奪って生きて行くのは嫌。

 私を理解してくれる人間なんていない…私は簒奪者だから。
 私を理解してくれる同族はいない…私は出来損ないだから。

 貴方以外、私を真っ直ぐに見てくれた人はいなかった。

 私は中途半端。
 殺して奪う淫魔であることも、耐えて人であることもできそうにない」

 何時の間にかぽろぽろと涙を流しながら、アンジュは自身の心を吐き出した。

「誰も認めない。
 認めてくれない。

 今まで、ずっとそうだった。
 でも、私は貴方と出会ってしまった。
 
 別れるなんて、怖くてできなかった。
 寂しくて、心細くて、気が狂いそうで。
 
 だから、お願い…
 私が孤独で壊れてしまう前に、貴方の手で、私を殺して…」

 悲痛な声でアンジュはシグルトに乞うた。
 今まで心にため込んだものが、シグルトというきっかけで決壊したのだろう。

 救いを求める幼子のように、たおやかな両手がシグルトに向かって差し出された。
 その名の如く、天使が翼を広げるように。

「それはしない。

 それが可能でも、だ」

 シグルトは即座に、強く強く拒絶した。

「どうして?

 私は貴方から、力を奪ったのよ?!」

 アンジュはなおも食い下がった。

 シグルトは、天井を一度見上げ、そして出逢った時のようにアンジュを睨み据えた。

「…都合のいいことを抜かすな。

 君が人を殺せないように、俺もまた殺せないものがある。
 
 少しでも親しく話した者を殺すのは、つらいことだ。
 君が俺を吸い尽くさず助けた…俺にだって似たような気持ちはある。

 俺にだけ求める君は、とても身勝手だぞ。
 
 自分の弱さを他人に処理させる、逃げ口上だ」

 シグルトの叱責は厳しかった。

「殺してほしいなら、何故俺と知り合ってから死を望んだ?
 殺す者の、見送る者の痛苦を、君は考えないのか?

 不幸に酔って、死ぬことまで他人任せか?

 …甘えるのも大概にしろっ!!」

 炎を吐くような苛烈な叫び。
 様々な苦しみを経て、なおも生き足掻いてきたシグルトの、魂の咆哮だった。
 
「…アンジュ、君に問おう。

 君は本当に死んでもいいのか?
 生きて、その業を克服したいとは思わないのか?

 何故生きて、足掻かない?」

 悲壮なシグルトの言葉には、茨の道を歩んで来た彼の血が染み込んでいるかのように、重く切実な響きがあった。
 
「…何故俺に、助けてくれと願わない?
 
 俺に死を望むのは、俺の無能という傷を抉る侮辱でしかない。
 親しくなった者に、〈殺せ〉と願うのは、そういうことだ」

 シグルトは諭すように告げると、手に巻いた布を解いた。
 生々しい傷痕に、アンジュの顔が引き攣る。

「――…見ろ、これが俺だ。

 この傷痕は、俺が取りこぼし抉られた過去そのものだ。

 俺は愛する人を手放した。
 友を護れなかった。
 父を失った。
 母を泣かせた。
 妹を巻き込んだ。
 
 俺を愛していると言ってくれた女の子を拒絶し、みすみす死なせてしまった。

 大切な人を誰も護れず、絶望の砂を噛みしめて、それでも俺は生きて来た。
 何故なら、生きることでしか償えず、生きることでしか贖えなかったからだ。

 だが俺にも、一緒に歩んでくれる仲間ができた。
 今、俺は生きて来た事を素直に喜べる。
 
 重い後悔が、夢で俺を苛む時があっても。
 今の我が身が、どれほどの罪と嘆きの上にあるのだとしても…

 俺は生きて来たことを、今胸を張って誇ろう。

 生きるということは、途方もなく痛苦に満ちている。
 だからこそ、乗り越えてある今の生は、様々な物を取りこぼしてしまった俺に残された、希望という名誉なんだ。
 俺にとって、生はそれ程尊い。

 だから、痛苦を歩む親しい者の生も、俺が守りたい名誉そのものだ。
 今日を、明日を、生きている親しい者は、命を賭けて救いたい存在だ。

 一度失ってしまったからこそ、俺はそれをもう零さないように足掻くと誓った。

 俺に君を殺せと頼むことは、俺にその名誉を捨てろと言うことだ。
 抱いた希望を踏み躙れということだ。

 そう…俺を殺すのと同義だ。
 過去に絶望した昔の自分を背負い、今を生き足掻くこの俺を。

 一時何かに頼ってもいい。
 君が孤独で潰れそうなら、俺が他に君を分かってくれる人間を探してやる。
 俺の時が許すなら、話し相手にもなろう。
 
 絶望に酔うな。
 そして甘えるな。

 不幸ばかりの生にも、幸福という先があり…
 それは自ら選んで求め努力した者だけが掴み、到る場所だ」

 諭すようにシグルトは言う。
 青黒い瞳は、厳しくそしてとても優しかった。
 
「だから、もしまだ心の奥底に、少しでも生きたいと願う心があるのなら…
 辛くても、生きろ。

 君が孤独なのは、今の君が諦め、新しい友を探さないからだ。
 求めない者に、足掻かない者に、与えられる結果はとても少ない。

 俺も孤独だった…かつてはな。
 だが、絶望を背負って生きた先に、肩を並べて戦える仲間と出逢った。
 
 こんな暗い場所でうずくまって、どうして一緒に歩める人を見つけられる?
 異端として殺されることが怖いからか?
 なら、死を求めるのは矛盾している。

 無いなら探せばいい。
 孤独な何も持たない者には、新しく探すべき余地が沢山ある。
 
 一時得られない、あるいは失ったからと、探すのを投げ出したのなら、その結果が今の孤独を形作っているんだ。
 俺も、その寂寥を乗り越えたから、はっきり言える。

 死ぬのは、求め続けた先でも遅くない。
 俺が得られたように、君にも未来はあるんだ。

 だから、死を求めるぐらいなら、生を求めてみろ。
 君が掴み取るべき未来と、友を夢見て。
 願うんだ、捨てるぐらいなら。
 
 願って選び、歩み出す。 
 それが〈生きる〉ということだ」

 もう一度、今度はゆっくりと、シグルトはアンジュを諭す。

「俺には、救えなかった人がいる。
 彼女は、我が身に起こった不幸に耐えられず、自ら命を絶った。
 彼女の兄は、彼女の無念を晴らそうとして命を落とした。

 残された俺は、とても無力で悲しかった。
 死後の先に救いを求める者もいるが、それは残されるものにとって新しい悲しみを残すだけだ。

 だから、君には生きてほしい。
 一時でも、親しく言葉を交わしたからこそ。
 
 その道が茨と刃の痛苦に満ちているとしても… 
 これは、苦しんで来た君の話を聞いても、変わらない俺の願いだ。

 君が俺に助けてくれと求めるのなら、それは惰性にならない。
 知り合った運命と、親しく話した時に懸けて、俺は俺のできる形で君の力になろう。

 俺が君に示してやれる道は、自殺の手伝いではなく、辛くても必死に生きることへの手伝いだけなんだ」

 シグルトは、話す間ずっと目をそらさず、真剣に語りかけた。
 アンジュは彼の瞳にただ説得しようとするための虚構が無く、とても真っ直ぐな想いがあることを強く感じていた。

 そして、彼の言葉を聞いて、胸の中に暖かな光が灯るのを感じていた。
 自分の生は、こんなにもこの男に望まれているのだと。
 
 自然とその頬を、先程とは違う涙がつたって零れ落ちる。
 それは暖かな、歓喜の涙だった。


 アンジュは、生きることを選んだ。

 彼女の「生きたい」という一言に、シグルトはしっかりと頷くと、迷わず彼女の手を取った。
 また命を奪うかもと真っ青になったアンジュに、シグルトは微笑んで手を見せる。

 何時の間にか、そこには夢精除け(精気を外に漏らさない)のまじないとアンジュの名前が記されていた。
 古くから伝わる、淫魔からの防衛手段である。
 
 そのまじないには、淫魔を追い払う力こそ無いが、夜に寝込みを襲われても殺されなくなるのだという。
 ただ、名前を知らなければ効果は薄まるらしい。

 アンジュに抱きつかれても倒れるだけで済んだのは、そんな仕込みのおかげだった。 

 シグルトは、貴族から得た謝礼金をアンジュに渡し、当座の資金にする。
 彼女を冒険者として生きられるように宿に迎え…またその知恵を振るった。

 宿の親父は新しい冒険者を探していたところで、シグルトの紹介という美しい娘を迎えることには反対しなかった。

 そして、自分が知る伝承の中からたった半日で、彼女が救われる光明を見つけ出したのである。

 かつて聞いたある物語。

 東洋のある鬼女が、人の子供たちをさらって血肉を食らう子供たちに与えていた。
 それを悲しむ親を憐れみ、偉大なる者が、智慧を持って鬼女を諭した。
 最も愛する末の子を隠された鬼女は、同じように悲しい親の気持ちを理解した。
 だが、鬼女もその子供たちも、人間の血肉を喰らわなければ生きられなかった。

 その時、血肉の代用品として登場したのが〈柘榴〉である。

 〈柘榴〉には、途方もない生命力が宿っており、主に婦人病に効果があるとされてきた。
 ものは試しに、とシグルトが柘榴酒を与えたところ、アンジュの飢えは嘘の様に消えたのである。

 酒精(アルコール)には魂が宿ると考えた者がいた。
 神々が、そして人が愛して止まない酒は、根本たる精力の宿るものだ。
 
 そう、血肉を意味する木の実を、魂たる酒に付け込んだ柘榴酒は、生そのものである。
 人と生きたいと願いながら、精気を奪って生きねばならない魔物が、求めて止まない希望なのだ。

 この日リューン郊外の小さな宿で、ささやかな救いの道が示された。
 人と生きることを願うサキュバスの、救いの道が。

 高価だが、人間の食事よりも代用品として優れている柘榴酒を手に入れるため、アンジュは冒険者として働くことになった。

 美貌のアンジュを見て、男たちは気色ばんだ。
 彼女の魔性の美貌は、希望に満ち溢れ、とてつもなく美しい。

 彼女をパーティにと願う声もあったが、一切を無視した。
 自分を命を賭して救うと言ってくれた、意中の男がいるからである。

 アンジュは何とかシグルトと行動したいと申し出たが、シグルトは「俺の役目はとりあえず終わったから」と、別件で仕事に勤しんでいる。
 何でも、ある子供から依頼を受けたそうである。
 
「あ~もう、ほんと鈍感っ」

 その日もアンジュは、シグルトに対する不満を口にした。
 
「何が、生きろ~よ。

 もう、こんな可愛い娘放っておいて仕事行っちゃうなんて、あいつ絶対○○よ、○○!
 女の子が瞳を潤ませて、〈お願い連れて行って〉って頼んだのよっ!

 ほんとに、もう…」

 不平を言うアンジュだったが、その表情は生き生きとしている。

 シグルトはきっと、自分と同じように子供を助けようとしているのだろう。
 なら、とても彼らしいではないか。

「…ライバルが多いわ。

 宿の娘さんなんて、最初っから警戒オーラ全開だし。
 でも、負けないんだから」

 そう言って艶やかな唇に指をあてると、サキュバスの少女は、普通の男ならばいちころの妖艶な笑みを浮かべた。
 とても幸せそうに。

 生きるために必要になるもの…それは生甲斐である。
 シグルトは、サキュバスの少女にそれを示した。

 生甲斐を得た者はそれを目標にできる。
 とても充実感のある生を歩める。

 時にそれは、幸せに成り得るのである。

 アンジュがにこやかに笑うと、えも言われぬ芳香が辺りに満ちる。
 彼女から薫るその甘い香りも、どこかそんな幸せに溢れているのだった。



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特殊型と強さに関する考察(ぼやき)

2018.07.28(08:56) 471

◆特殊な才能型
 カードワースには特殊な才能型が存在します。
 隠しキャラに近いもので、その発生率は低め。

 特殊型は全部で6種類。
 条件を満たすと界の才能型選択で生まれます。

 標準型・万能型の上位型である英明型。
 勇将型・豪傑型の上位型である無双型。
 知将型・策士型の上位種である天才型。
 あらゆる能力値が一般人並、その代りレベルが12まで上がる凡庸型。
 万能で勇者のような才能と、レベル12まで上がる英雄型。
 そして、最も発生し難く能力値が高くてレベルも15まで上がる神仙型。

 その中で、Y2つは2世代目に英明型を発生させ、その特殊型の子供が英雄型になったことがあります。
 キャラクターを作った順番の遺伝子の変移を測って、狙ってやれば発生させられるのですが、最も発生が難しい神仙型とかは4世代めぐらいまで育てないと生まれなかったような…

 特殊な才能型…特殊型は、現在は新しいエンジンのBuilderで連れ込みPCを割と簡単に作れます。
 ただ、Builderで作成したキャラクターって特殊型の遺伝子持ってるんでしょうかね?
 遺伝子は親同士の持つ数列の組み合わせで発生したはずなので、連れ込みPCは遺伝称号を打ち込んでないと結局は能力値だけの凡人ということになるのではないかなと。
 カードワースの連れ込みキャラの遺伝情報はオール0だったような。

 拙作『特殊な種EX』を使えば、「遺伝子を持つ特殊型」を一応作成できます。
 本当は遺伝子のバリエーションを考えると、もっとやりようはあるかもなんですが、さすがに対応しきれません、と申しますか。

 特殊型発生について知りたい方は、ネットの海を検索しながら泳いでみてください。


◆特殊型は強い?
 Y2つめが特殊型を使った感想を言いますと、強いというよりは得意分野が多いだけのような気がしました。
 カードワースでは、宿で作成したキャラクターの能力値が12を超えることは基本的にありません。
 Pyでは特殊な計算をしていて、基礎値が高いと13を超えることもあったような。でも、13以上は下がったり上がったりしなくなったような気がするんですよね…Ver1.50やNEXTのシステムが元来のシステムを継承したものであるなら、たぶん12で止まるはずです。

 Y2つめは『特殊な種EX』を使って、Ver1.28で生まれるキャラクターの能力値変動をバイナリエディタで何度も何度も調べました。(実は、『特殊な種EX』の原型はこれらのデータ検証用に作ったものなのです)
 その時のシステム特徴から申しますと、特殊型は「バランスよく総合的に能力値が高め」なのと「正当な発生を経た特殊型は特殊な子を発生させやすい遺伝子を持っている」と言ったところです。
 特別ぶっちぎりで強いわけではありませんでした。


◆神仙型は強いが、性格的面白味は無いかも
 Y2つ、実は特殊型の中でも神仙型はあまり好きではありません。
 レベル15まで上がり、平均能力値8ぐらい。確かに強いですが…実は性格的な数値が平たんなのです。

 むしろ主人公っぽくて、ぎりぎり【ごく一部の人間のみが到達しうる領域であり、後世に“英雄”として長く語り継がれる存在】を体感でき、ほどぽどに発生する身近な特殊型のは英雄型かもしれません。

 神仙型は唯一レベルが15まで上がるじゃないか!とおっしゃる方。

 Y2つは、思ったのですがね。
 レベル15になって、無双スキルを山ほど付けて、防御無敵ギミックかます敵を防御貫通即死スキルで強敵をぶっ殺しても、虚しさが残るだけでした。
 いや、その時だけは痛快なんですけど、やった後に不毛だなぁ(自分の行為が)と。
 それにレベル上限は…これは最後の最後にしましょうか。

 神仙の世界は孤高です。
 神仙型を6人並べても、だから何なんだろう?と。

 レベル15を並べて思ったことは、「対応シナリオ少ないね」でした。

 圧倒的な強さで、今まで勝てなかった強敵を打ち破る。
 なろうのチート転生ものですよね、まるで。

 他の底辺キャラが持ってない特別な才能で無双しても、一時期優越感を得た後に「パワー的なごり押し」をしただけだと感じて、ゲームとしての達成感があまり無かったのです。

 あと、「ある意味でこれ以上が無い」ことでレベリングを極めることに飽きてしまいました。


◆特殊型的な強さの果てに
 結果としてY2つめは、「ごく一般的な」勇将型や「一般の限界よりちょっぴり強い」英雄型などで、レベルも能力値も高いチート敵キャラに工夫で勝つ楽しみに目覚めました。

 同時に、ASKさんがどうして通常レベル10を上限としたのか、何となく感じました。
 上限を設けないということは、キリがないのです。

 人間は不老不死に憧れます。
 永遠とは魅力的に見えますが、変化がありません。

 強さもそうです。
 限界の超越合戦をしてても、システムを握ってる製作者側がさらに上を用意できるんですよ。

 この事実に行き当たった時、Y2つめは「ただ数値が高いだけなのは、バランスを壊すばかりで好ましくない」と感じるようになりました。
 いつぞや、闘技場シナリオに関して「魔界闘技場」という表現を使いましたが、Y2つの最終的に至ったバランス感が、レベルや能力値を基準以上にすることにいくらか忌避感を与えていて、そう感じたのでしょうね。

 一般人を能力値平均4とする考えは、これで一般人より平均6の冒険者が少しだけ優位を感じられ、普通のキャラクターの実力を「主人公的若干の優位性を感じて」楽しめるのです。
 6を平均と考えて6を下回ると「劣る」と考える場合、得意分野を持つには神仙型の能力値バランスが「普通の優秀ライン」に見えてしまう恐ろしい勘違いを回避できるのだ、と考えるようになりました。

 多くの人間は、平均以下って言葉には忌避感を覚えるものです。
 6が平均って考えると、凡庸型って能力値がほぼ平均を下回ってしまうんですね。
 同時に普通に作成できる冒険者が、なんとなくちんけなキャラに見えてしまうのです。
 私は、だいぶ昔に自身がそういう歪んだ価値観に一度囚われたことがあるため、バランス感覚を見直した過程があります。

 そして、人型の能力値限界12でいいよね、と。
 レベル上限10で足掻いてこそ、人間らしいなぁと。

 Y2つは能力値平均5ぐらいでも、そこそこのキャラクターができると考えます。
 この理念のもと、「逆境や欠点、凡庸さ…へっぽこを楽しもうぜ!」的にできたのが、カードワースダッシュコモナーです。

 NPC作成は合計値を振り分けて作ることもできるので、能力値は普通よりそこそこ高め、性格は極端で作れば、十分な実力になります。
 無理にレベルを上げなくても、PCの実力は能力値1~12と考えれば、そっちに合わせた方が極端にならないのでは?とY2つは考えます。

 「普通の能力値のキャラクターだと一撃必殺される」と感じた方は、たぶん防具や防御バフのセットがいまいちです。

 単一ボスモンスターなら、PC6人分を相手にしていると考えて、体力3倍の防御力+5ぐらいで確かにちょうどいいでしょうね。まぁ、拙作のカウンターのような「集中攻撃で発動するギミック」や適性高めの【薙ぎ倒し】を適度に入れれば、緊張感は保たれるでしょう。巨体による部位を増やすことで、あたかも集団のスペックを持っているようにもできるでしょうね。

 これはPCにも言えることなのですが、高レベルのギミック戦闘は多くが【魔法の鎧】や【シルフィード】【硬練気】前提なんですね。

 拙作の【防具屋】は、「3~4レベル高いボスキャラに【甲冑】を装備させると、回避補正を含めてちょうどいい」という考えでして、雑魚にも防具を配ればそれなりに強くなります。
 
 カードワースでは、アイテムカードが「即使用できるので自動使用されやすい」「どんな設定でもできる」「スキルのような基準がない」「手札の循環を妨げる」などの理由から、嫌われている傾向があるように思われます。

 あまり使ってほしくないアイテムは、適性を苦手なものにすれば(あるいは使用効果をオフにすれば)調整はできるのでやり方次第だと思うのですが。

 レベルアップやステータス調整をして、無理にバランスを取ったギミック戦闘は「スキルの出し合い」に代わります。
 そこで、使用すると防御や見切りに類する効果を発生する防具は、アクションカードの延長的な意味で「普通に」使えますし、使わせたくなければリサイクルのキーコードを付けて使用回数を0にしてしまえばいいわけです。
 
 とまれ、強化対策が「人外方向」に向くとバランスが崩壊しやすくなる、とY2つは考えています。
 何十回もテスト戦闘をして、ものすごいピーキーな設定を維持することは凄いことですが、能力値やレベルの逸脱は、たぶんプレイヤー側にも「それが普通」と誤解させてしまう可能性をはらみ、結果として作り手とプレイヤーとの間で、人外 VS 凶悪装備、の比べっ子が起こるのではないかと。

 Y2つはプレイヤーとして、バランス論を出し、その上で自身が作り手として守る・バランスの保持をするための手段を考える、という考えも前提に、最近のシナリオを作成しています。

 旧シナリオのスキルも結構強そうに見えて、癖が強いので威力は据え置きのものが多かったり。
 召喚系+魔力溜めに時間がかかる【蹂躙の災禍】とか、超効果である石化は成功率が低くて事前の効果である睡眠効果が発動していないと強敵にはまず効かない上、召喚獣が攻撃でガスガス減る【氷雪の君主】など。
 あの当時も一応考えてたかも。


 閑話休題。

 特殊型は、通常冒険者に比べた微妙な優越感を遊ぶには適した才能型です。
 同時に、プレイヤーの特権としてNPC側には乱発は避けてほしいな、とも。
 普通に優秀なNPCは、一般冒険者並でも十分だと思います。

 遊ぶプレイヤー側は、玉に使ってみるとしても突出した才能がある特殊型(英雄型・神仙型)は抑えめでいいのではないかなと。
 特殊型ばっかりの“風を纏う者”リプレイを書いてて思うのですが、あれらは「シグルト以外は普通の特殊型+一般型もあり」で「5人でプレイする縛り」と「連れ込みキャラを加えて偉業達成(例えば某シナリオのクラーケン撃破)を狙う」目的もありますので、参考には多分ならないかも。
 私もお遊びが過ぎますかね?


 まぁ、これもリプレイ書きの戯言ということで。

 この記事は誰かやシナリオの在り方を貶すつもりで書いたものではありません。
 また、【バランスについて考える】啓蒙活動の一環だとも思うので、悪影響を与えるとかそういうつもりで書いたものでもありません。
 悪しからず御了承下さい。



 最後まで読んでいただいた方に、とっておきの裏技をお教えしましょう。
 どうせなら、某闘技場で一般作成キャラクターを使って神様に挑んでみたい方とか、古い作品に登場する親父に挑んでみたいなと言う方にお勧めの技です。

 それは…【バイナリエディタ等を使わなくてもできるレベル上限突破(15を超える)の方法】です。
 まさに、禁術中の禁術、バランスブレイカーの極致。

 Y2つはこれによって何が起きても責任は取りません。
 Y2つめはこの裏技を体感し、レベル上限突破した世界の虚しさを知りました。
 あれは…なんというか、山のてっぺんで寒風に吹かれる様な孤高感だったような。

 Y2つがこの裏技を紹介することを気にいらないと考える方に。
 〈一度バランスブレイカーの極致、超越レベリングの孤高を感じてもらうのもいいだろう〉、という意味で紹介するものですが、そういうのがいまいちわからない方は続きを読まないことをお勧めします。

 Y2つは、体感してみないとわからないこともあると思うのですよ。
 
 やる場合は、くれぐれも自己責任でやってください。

 ユーティリティを使えば、Ver1.50(たぶん同系列のNEXTでもできるでしょう)エンジンでしたら簡単にできるので、「どうしても強さを極めたいんだ!」と言う人のみお試しください。
 神仙を越えた、神の世界を体感できますよ。

 こういうのが嫌いな方は、この先は読まないでください。
 再度のお願いです。

 必要な方のみ、続きをお読みください。

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『棒杖のお店』

2018.07.25(01:18) 470

 序盤用の低価格回復アイテムや解毒効果、準メジャーキーコード、マイナーキーコードの補てんなどを意識して、某TRPGのコモンルーンみたいな感覚で使えるアイテム供給を目指して作成されました。

 精神点消費の無いカードワースにそれらのシステムを導入する場合、低価格で魔力をチャージできるといいなぁということで、最大6回使用でき、『防具屋』と同じく販売価格の2割リサイクルできます。
 とっても経済的です。

 棒杖はただ価格破壊をしたのではなく、杖を振るう時に呪文を唱え、効果はインスタントな魔法として扱われるようになっています。ただ安価になったのではなく、魔法使い向きで適性も影響します。
 ソロプレイにおける回復補助や、ちょっとほしいバフ、強すぎないラインの攻撃魔法をキーコードを兼ねて、といったものがありますが、マニアックな内容の普通は何の役にもたたない品物までありますよ。

 某シナリオの憑精術が持つ特殊キーコードや、耐環境時限消滅称号(耐環境称号)と名付けた冒険中耐環境能力や特殊能力を得る時限消滅称号付与の杖があり、それらで、疫病のウイルスや放射能に汚染された場所に行く時の防護服代わり、火山や深海に行く、トンネルを掘ったり、透明化したり、探索から隠れたり、自分が魔法をかけられたり探されていたりすることを感じ取ったり…

 他にも『隠者の庵』の一部スキルに関するクロス、店主がする話題にニヤリとさせられるかもしれません。

 敵側の補助アイテムとして使ってみたり、使用回数が無い状態でも報酬として使えたり。
 いろいろなシナリオに対して、リソースデータとして使えそうなネタを入れてみました。
 リソースとして扱う場合のやり方や解説など、付属テキストで紹介しています。

 拙作『防具屋』とともに御活用いただければ幸いです。


ダウンロード場所は Y字の交差路別院


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2017/12/20 Ver0.10 
2017/12/21 Ver0.11 【命知の棒杖】が消えないバグ・誤字などを修正。
           テキスト誤字修正。
2017/12/28 Ver0.12 来店初顔のループバグ修正。
           さつきさん、バグ報告有難う御座います!
2018/01/03 Ver0.13 #インポート利用書式例 のテキストを追加。
2018/01/08 Ver0.14 棒杖の敵に影響するものを必中(バグ)から抵抗に変更。
           【烈風の棒杖】の高威力バグを変更、ダメージだいたい半減。  
           展示速度に弊害があったので、商品をカスタムで並べました。
           一部テキスト修正、誤字の修正など。
           さすらい人さん、詳細なバグや不具合の報告有難う御座いました! 
2018/07/16 Ver1.00 新商品【秘匿の棒杖】【発覚の棒杖】追加。
           テキストの誤字修正、内容の加筆。 

Y字の交差路


タイトル画像

◆CWリプレイ2:PyDSガイド◆

2018.07.25(01:10) 469

 最終更新 2018年7月25日

 現在カードワースのリプレイ2をカードワースダッシュスタンダードのPYスキンで再録をしています。
 この記事は目次代わりであり、旧リプレイより読みやすくなっています。

 更新の日付が変わっている時は、たいてい再録されたリプレイがアップされているので、「この記事が最新のまま変わらないよ」ってときも、よろしければ確認をしてみて下さい。
 知らないうちに話数が増えていたりするかも?


 第2パーティ“嵐を砕く者”のリプレイです。
 導入が長いですが、ぼちぼちと。

 リプレイ1の伏線なんかもたくさんあるので、是非読んでくださいね!


目次

・序章 パーティ結成(PC紹介)
PC1:オルフ
PC2:エルナ
PC3:フィリ
PC4:バッツ
PC5:コール
PC6:ニルダ



Y字の交差路


タイトル画像

PC6:ニルダ

2018.07.25(00:55) 468

「また勝手なことを…」
 
 ハーフエルフの男、コールの同行という話を聞いて、バッツは渋い顔をさらに引きつらせた。
 
「そう言うな。
 
 船捜しも考えなきゃいけないって話だったし、条件は悪いものじゃない。
 それに、この人は恩人でもあるしな」
 
 オルフがなだめるように言うと、バッツは肩を落とした。
 
「こういうのは今に始まったことじゃないが…
 
 せめて相談してからにしてくれ。
 俺のほうにも都合があるからな」
 
 そしてハーフエルフの男に向き直る。
 
「すみませんね、コ-ルディンさん
 
 貴方の申し出に不満があるからじゃないんですよ。
 ただ、一緒に行動するならそれなりに他の仲間を重んじろってだけでして」
 
 言いつくろうようにバッツが言うと、ハーフエルフは唇の端を軽く吊り上げて、首を横に振った。
 
「私のことはコールで結構。
 
 貴方の言い分も確かに一理あります。
 しかし、状況からすれば、素直に喜んでいただけてもよかったと思いますよ。
 
 都合を考える立場であれば、それぐらいの機微を見せるべきでしょう。
 あなたの言葉に即すれば私もこれから同行する仲間ということになりますから、心得てもらえると幸いです」
 
 ハーフエルフ、コールの言葉に、バッツは一瞬怒りで表情を引きつらせた。
 
 鼻で笑う仕草…明らかにオルフやエルナに対する態度と違う。
 
(…この野郎、俺が盗賊だからなめてるな。
 
 性格悪そうなやつだ)
 
 何とかこらえて愛想笑いを浮かべるバッツ。
 
(…ふん。
 
 随分と軽薄そうな男ですね。
 こんな人と同行は御免ですが、父を納得させる手前。
 我慢するとしましょうか)
 
 二人は顔でこそ笑っていたが、眼光はぶつかり合っていた。

 世の中には、邂逅した瞬間から相性の悪い相手がいるものである。
 
 ぴりぴりした雰囲気に耐えられなくなったフィリは、早々に挨拶を済ませて部屋から退散してしまった。
 エルナはぼんやりと窓の外を眺めていて、場の雰囲気に気がついていない。
 
 所在無げにオルフは、大きな肩を揺らして眉間にしわを寄せた。
 
 
 フィリは今日泊まる宿近くの街道を、のんきに歩いていた。
 要領がよいのがこの娘の特技である。
 
(はぁ~。
 
 あの二人、絶対仲悪くなるよ。
 神経質そうなところとか、自分勝手そうなところとか、そっくりだよね。
 
 近親憎悪ってやつになりそう)
 
 首の後ろで腕を組み、足をぶらぶらさせながら歩く。
 
(それに、二人ともエルナさんに気があるの、見え見えだよね。
 
 そのエルナさんは、戻ってきてからなんだか上の空だし、どうしたのかな?
 …って、決まってるよね、これは。
 
 きっと助けてくれたっていう、噂の美形さんにほの字なんだ~
 
 くふふ、二人の男の心を掴みながら、その女の心は別の運命の男に一心に注がれていた…
 ロマンスだね~)
 
 自分がその場にいなかったことを残念に思いつつ、フィリは随分勝手なことを妄想して、楽しそうにほくそ笑んだ。
 
 
 エルナはその男のことを考えていた。
 フィリの言うような、恋心に悶える乙女としてではない。
 
(なんて寂しい目をした人。
 あの傷も、きっとあの人が持つ悲しい過去の一つ、なのだわ。
 
 どこか、お父様に似た人だった。
 
 あんなに調子が悪そうだったのに…一人で大丈夫かしら)
 
 エルナはこういう娘だった。
 昔から弱い者や傷ついた者を放っておけない。
 
 逃げる状況でも、本来は殺すべき追っ手を、オルフにしがみついて殺さないように頼んだ。
 
 その優しさが仇にならなければいいと、父も侍女のマーサも心配していたものだ。
 
 シグルトという青年の腕の傷痕を見たとき、あの青年がいかに壮絶な人生を歩んできたか少しだけ窺い知れた。
 きっと他にも、あのような傷を数多く負っているのだろう。

(あの髪と瞳…どう見ても【青黒の相】よね?
 統一帝様と全く同じ相をした方なんて、初めて見たわ。
 ラトリアなら貴族がこぞって養子縁組を持ちかけたでしょう。

 マルディアン帝国の“天剣の将”レグジードに発現したとは聞いているけれど)

 ラトリア王国やマルディアン帝国の全身、統一帝国を建国した建国帝は、青黒い髪と瞳の美しい男だったと伝えられている。
 その【青黒の相】は帝王の相とされ、ラダニール地方の貴族にはとりわけ珍重されるのだ。

(シグルト…名前の語尾にシグヴォルフ訛りがあったから、あの国の王族の方かしら?
 貴族年鑑の上位貴族には載っていなかった名前。
 
 ふふ、おかしなものね。
 今更貴族のことなんて。

 ラトリア王国はきっともう、元には戻れない。
 …お父様の〈思惑通り〉に。

 仮に勢力を盛り返して王都を奪還しても、正当な王家の血筋がセリニア様ただ御一人では。
 王族と貴族が、あまりに死に過ぎてしまったわ)

 冷静になって思い出す事実。

 エルナが南方に逃れようと考えた理由は、オルフに言った通り「父や教会に迷惑をかけたくない」ということが一番である。
 だが、それはすべてではない。
 
 聡明なエルナは。ラトリア王国の滅亡をずっと以前から予感していた。

 彼女にはかつて、親戚筋の婚約者がいた。
 侯爵家の嫡流で一人娘だったエルナは、ラトリア王国の〈貴族は男子相続〉という決まりによって、婿養子を迎えることが決まっていた。

 紹介された婚約者は線の細い少年で、母の従妹となる伯爵夫人の息子。
 生粋の貴族として育ったエルナにとって、政略結婚は貴顕の義務であったし、紹介された同い年の再従弟(はとこ)とは幼馴染として愛称を呼び合って育ち、決して結婚することが嫌ではなかった。

 ことが暗転したのは、エルナが十二歳の時。
 立太子した第一次王子が、美しく成長し社交界デビューしたエルナに懸想し、王太子妃に指名したのだ。

 父ワイルズ侯爵は、これを「一粒種で家督存続のため、嫁に出すのは不可能」と却下したのだが、王太子は諦めず、婚約が纏まらない鬱憤をエルナの婚約者へと向けた。
 婚約者の実家に無実の罪を着せて断絶に追い込み、婚約者の両親は処刑され、当人も行方不明となる。

 王太子は「婚約者がいないのであれば、自分との子供か王族から侯爵家の跡継ぎを出せばよい」と強硬な姿勢でエルナとの縁談をごり押しし、婚約者の実家や関係者を貶した。
 仲が良く姉妹同然の付き合いであった従妹を処刑され、実家の親戚筋を謂れの無い暴言で貶められた侯爵夫人…エルナの母は心労で倒れ、間も無く亡くなってしまった。

 妻を深く愛していたワイルズ侯爵は激怒し、エルナを修道院に逃すと「我が妻の親戚、娘の婚約者の家に瑕があったとおっしゃるならば、王太子に我が娘は〈不相応〉と存じます」とつっぱねた。
 この不相応とは〈侯爵令嬢に対し王太子の方が不相応〉という意味だと、宮廷ではもっぱらの噂となり、侯爵もあえて否定しなかった。

 当然身勝手な性格の王太子は怒り狂った。
 しかし、王国南部最大の貴族であるワイルズ侯爵は、国王に自領の独立をほのめかせて王太子の我儘を黙殺し、さらには「自分を陛下の貴下に置かんとするのならば、現王太子の王位継承はありえませぬ」とまで告げて、普段からはっきりとした反意を示すようになっていた。

 王名でワイルズ侯爵を謀反人にできれば話が早いのだが、ラトリア王国の軍部と食料の流通は侯爵が大半を掌握しており、現国王は圧政が目立つ暗君として人気も無かったため、国王派の王侯貴族たちは侯爵に連動して南部の貴族たちが一斉に反乱することを恐れ、王太子の望みは引き下げるしかなかったのである。

 国王と王太子はほぞを噛み渋々と引き下がったが、この時の屈辱をずっと恨んでおり、事あるごとにワイルズ侯爵に嫌がらせを行うようになっていた。

 この時すでに王家を見限っていたワイルズ侯爵は、自領の侯国化とラトリアからの独立・離反を半ば決意しており、きっかけがあれば決行すると、娘のエルナだけには告げていたのである。

 その実、王国一の知将とも謳われるワイルズ侯爵は、ギマール共和国侵攻の際に王太子の軍勢が自分の手柄をかすめ取って使い捨てにするため、侯爵軍の後ろに布陣していたことまで分かっていた。
 王太子をたきつけて王都に残っていた国王や王家の人間、貴族たちも、謀略を仕掛けてきた敵として見捨てる算段であった。
 そして、敵国にワスロー中将という水軍の名将がいて、ギーガー河を使った作戦を必ず使うと確信していて、わざと中将を王太子軍にぶつけるように、巧妙に深く南下して戦ったのである。

 侯爵は元々マルディアン帝国の南征も予見しており、王太子軍が配置していた場所は「危険地帯であり近づいてはならない」と警告していた。そう言えば王太子が反発すると見越して、である。
 侯爵の言葉を無視した王太子が勝手に破れたことは、自軍において敵軍の名将と戦い退けることに成功した侯爵の失態とはならなかった。

 その上で、苦渋の選択という形で兵の撤退を迅速に行い、戦争に駆り出されて不満を募らせていた南部貴族たちに王女と南部を守るという大義名分を掲げて行動したワイルズ侯爵は、見事に人心を掌握したのである。

 ギマール軍勝利後の鮮やかな南部への撤退、マルディアン帝国の王都侵攻後には迅速な臨時政府の樹立、同盟国としてエルトリア王国との交渉。
 事前に備え、計画していたからこそできたことだ。

 ワイルズ侯爵の最初の誤算は、王太子が予想外の愚行を犯し、愛する妻と親しい親族を失う羽目になったこと。
 侯爵は王族の暴虐を看過していたことを深く悔やみ、妻の墓前に復讐を誓っていた。

 その次の誤算は、あまりに早く別勢力となるマルディアン帝国が王都を陥落させてしまったこと。
 帝国がラダニール随一と呼ばれる傭兵の〈雪狼団〉を雇い、一気に南征してくることまでは読めなかった。
 王太子の戦士や捕虜化によって、ある程度混乱が生じてから攻めてくるだろうと考えていたのだ。

 最後の誤算が、進撃が早かったマルディアンの兵士の中に、戦時条約を無視して鬼畜な働きをする工作兵がいて、各地の修道院や村落が襲われてしまったこと。これは聖北教会を信仰する国家としてありえない蛮行だ。
 さらに、〈ギマール兵に偽装する〉という工作が、現場の正規兵たちが正義感からそれらの工作兵を討伐しようとしたことから露見してしまい、兵士同士に深刻な摩擦が生じてしまった。
 他の部隊の華々しい活躍に嫉妬し、功を焦る工作部隊指揮官の独断であり、大義名分を掲げて侵攻を開始したマルディアン帝国総司令部としては最悪の事態である。
 この事件が原因で、侯爵の手勢が保護するよりも早くエルナのいる修道院が襲われ、彼女はと他国に逃亡して現地では〈行方不明(死亡か誘拐)〉扱いとなっており、ワイルズ侯爵はマルディアン帝国の行いを非難して徹底抗戦を宣言する。

 〈雪狼団〉から事の次第を聞いた帝国軍総司令は、即座にそれらの工作兵たちと命令を下した司令官たちを裁判無しの極刑に処した。帝国側としても、エルナを人質にワイルズ侯爵と交渉する方が戦後処理に面倒がなかったはずなのだ。
 これに対して、工作の内容を暴露され、部下を殺された帝国軍工作部隊を率いる大貴族が、総司令官に対して抗議し、軍部が割れてしまった。

 まさに泥沼である。

 自分が原因で戦争の火種が大きくなってしまった。
 今父の元に戻れば、非難されていたマルディアン帝国側から「ワイルズ侯爵は娘を隠し、帝国を非難していた」と言われかねない。
 何しろ帝国は、言いがかり同然の宣戦布告で攻めてきたのだ。

 それに父の元にいれば、エルナは新しくできる侯国の跡継ぎとして、南部の有力貴族で父と一緒に逃れた者の誰かに嫁ぐこととなる。
 そうなった時、現在の旗印として保護された旧ラトリア王族のセリニア王女は、新興国の邪魔になるのだ。

 王女は、暴虐で愚か者が多いラトリア王族の中では優しい性格で、エルナとも仲が良かった。
 彼女をこれ以上過酷な運命に突き落としたくはない。

(優しかったお父様は、お母様の死で変わってしまった)

 オルフに救われた時、エルナは父の暴走を止められなかった自身は地獄に落ちるものと覚悟していた。
 共にあったマーサが死んだのも、自分が至らなかった故だ。

 あの時はせめて、貴族としての誇りに殉じようと思っていた。

 でもオルフに助けられた時、エルナは「殺された命」を背負ってしまう。

(私を救うために殺された人間がいる。
 マーサも、私を襲おうとした兵士たちも。

 なら、生き足掻かなければ、彼らの命は無駄になってしまう。
 
 私には、自ら命を絶つことも、運命に身を任せて諦めることも…もう許されない)

 故に誓う。
 それが自己満足であろうとも…
 自分が横死するまで、癒せる傷を癒し、救える命を救いたいと。
 
 エルナは、心の底からそれを願っていた。
 
 
 その頃、シグルトはイルファタルを後にしようとしていた。

 身体は痺れと苦痛で悲鳴を上げているが、彼は常人が狂気に陥るほどの苦痛を、ただ顔をしかめるだけで耐えていた。
 
 不意に彼の前を一陣の風が駆け抜ける。
 軽く目を閉じ、そして開くと、黒い外套を纏った老婆が立っていた。
 
「…ほほ、これなるは刃金の如き英雄か。
 
 絶望に心を犯されながら、愛する女への未練を捨てきれず、どこを彷徨う?」
 
 謎かけのような言葉に、シグルトは苦笑した。
 
「では、人ならぬ御老体は、俺のような女々しい男に何の用だ?
 
 からかうには、俺はあまりに落ちぶれている。
 その価値すら無いだろう」
 
 シグルトが驚きもせずに淡々と述べれば、老婆は肩を震わせて低く笑った。
 
「さすがはオルテンシア…青黒き姫が末裔よ。
 
 その本質はすでにわしを見抜いておったか。
 精霊や女神どもが惚れ込むのも、よくわかる。
 
 儂の選んだ精霊の担い手と交差する、運命の男よなぁ」
 
 突風が吹き荒れるが、シグルトは動ぜずに、砂埃が目に入らないよう外套で風を遮った。
 
 いつの間にか老婆は消えていた。
 ただ、きらきらと銀色に輝く大きな羽根が一枚、ふわりと落ちてくる。
 
「行くがよい、南の地へ。
 碧い海、清水の姫君が眠る地で、お前は我が風とまみえるだろう。
 
 その身に尽くす心があるのならば、お前は死すら乗り越え、神霊の領域に足を踏み入れる。
 
 風は誘い、お前が纏う道標となる。
 この地で邂逅した獅子は、お前のかけがいの無い未来の友。
 
 お前が持つ宿命は、英雄の道と慟哭の離別。
 そしてお前が至るのは、その二つ名が持つべき刃の名を冠する絶技。
 
 麗しき刃金よ。
 風のように歩む者となれ。
 
 旅と仲間がお前を立ち向かう運命へと導くだろう」
 
 甲高い鳥の鳴き声。
 稲光が一閃すると、静寂が訪れた。
 
「ほほほ。
 
 風の后(きさき)様に導かれるとは、幸運な若者じゃて」
 
 新しい声にシグルトが振り向くと、小柄な老人が先ほどの銀の羽根を拾い、目を細めていた。
 派手な刺繍の服、身体のあちこちに飾り帯を巻いている。
 羽根を持つ手の甲には銀色の刺青。
 
「…今日はよく話しかけられるな。
 
 俺に何か用でもあるのか?」
 
 シグルトが尋ねると、老婆はあいまいに笑った。
 
「何、お主との再会はいずれ訪れる。
 
 お主が風ならば、わしは嵐を砕く獅子の同胞(はらから)。
 いずれまた、南の地で見(まみ)えよう。
 
 此度はその前触れよ」
 
 老婆は謎めいた微笑を浮かべたまま、手をかざして聞いたことも無い言葉を唱える。
 その手が輝き、冷たい空気があたりに満ちる。
 
 空気を白く染め、日の光に反射して、小さな妖精がふわりと現れると、妖精がシグルトに手をかざした。
 粉雪が舞い、柔らかな光がシグルトに降りかかった。
 一瞬シグルトは、心も身体も凍りついたように動かなくなる。
 
 嫌な感触は無かった。
 身体の中の不快な何かが、すっと消えていくような心地。
 
「…お主の苦痛と身体の毒を凍結したのじゃ。
 
 この先少しは楽な旅になるじゃろうて。
 礼は、すでにわしの未来の同胞を救ってもらったでな。
 
 また会おうぞ、刃金の勇者殿」
 
 嘘のように消えた身体の不調。
 シグルトが声をかける前に、その不思議な老人は踵を返して去って行った。
 
「…今日は不思議な婆さんによく会うな」
 
 シグルトは苦笑すると、今度こそイルファタルを後にした。
 
 
「うはぁ、まず。
 
 道に迷ったかなぁ…」
 
 フィリは困り果てた顔で狭い道を歩いていた。
 エルナと噂の美形のことを考えながら、適当に歩いていたせいか、ごちゃごちゃしたイルファタルの路地に迷い込んでしまったのだ。
 
(…うう、帰りが遅くなるとまたバッツに嫌味言われるし。
 
 どこか大きな建物を探さなきゃ)
 
 本来、方向感覚はよいフィリである。
 高い場所から地形を把握すれば何とかなるだろう。

 イルファタルは森とは違って、実に地形や建物が混沌としている。
 裏通りの小道は、まるで立体的な迷路のようだ。
 
 心境は半泣きで、フィリが周囲をきょろきょろと見回していると…
 
「お嬢ちゃん。
 
 道に迷ったんだね?」
 
 そこにはいつの間にか、上品そうな顔立ちの老婆が立っていた。
 突然の接触に、思わずびくりとなる。
 
「あはは、おばあちゃん、誰?」
 
 引きつった笑みで、フィリは恐る恐る聞き返す。
 
「わしか?
 
 わしはただの婆ぁじゃ。 
 この街でつまらぬ術を使い、少しばかり人助けをして日銭を稼いでおる。
 
 まあ、人は【精霊術師】なんぞと呼ぶがの」
 
 フィリはさらに顔を引きつらせる。
 
 この街に最初に来たとき、似たような変な老人がバッツの服装にいちゃもんをつけ、二人して沢山の取り巻きに囲まれてわけの分からない言葉で説教されたのだ。
 この手の人物とは関わらないに限る、とフィリは逃げる算段を考え始めた。
 
「ほほ。
 
 前にここに滞在しとったころ、岩の爺さんに因縁をかけられた二人組みの片割れじゃろう?
 
 わしはあのボケ老人とは違うから、安心するがよい。
 無意義な説教なぞ、わしも苦手じゃよ」
 
 優しい笑みを浮かべて、老婆はフィリの思考を止めた。
 
 フィリは、なぜ自分が考えていたことが分かったのが、青い顔で老婆を見る。
 
「怖がらんでよい。
 
 長年、人の相談を受けておったから、普通の若造より多少物事の察しがつくだけよ。
 お嬢ちゃんたちのことも、あれだけ長い時間往来で騒いでおれば、見かけることもあるじゃろう?
 
 ただ、それだけのことじゃて…」
 
 ゆっくり頷きながら、諭すように老婆は言葉を紡ぐ。
 その柔らかな声は、聞いていると安心させられる何かがあった。
 
「だいたいの見当はついておるじゃろうが、お前さんのように道に聡い者でも、このイルファタルの裏道は歩きづらいはずじゃ。
 
 迷いを司る森の王に仕える連中もここに住んでおって、この近くで祈りを捧げておる。
 その霊験は、慣れぬ者の方向感覚を乱すのじゃよ。
 
 婆が案内してやるほどに、よければついておいで」
 
 フィリは直感でこの老婆を信じることにした。
 不思議な雰囲気を持っているが、悪意は感じない。
 
 老婆は、おそらくその昔はたいそう美しい女性だったのだろう。
 皺のある表情すら、まったく醜いと感じさせない
 腰や背筋もすっと真っ直ぐで整っている。
 
 老婆がゆっくり歩く後をつけていくと、すれ違う人の何人かがありがたそうに頭を下げて礼をする。
 それに老婆は軽く手をかざして応えていた。
 
「おばあちゃん、人気者なんだね」
 
 フィリが何気なく言うと、老婆はおかしそうに肩を揺らした。
 
「なぁに。
 
 連中はわしに敬意を示しておるのではない。
 ただ、わしの使う術がありがたいだけじゃよ。
 
 …頼るだけの連中も問題じゃて。
 わしら術師の中にも、自身が特別じゃと勘違いした馬鹿がおる。
 
 世はなるように、神も精霊も泰然と有り、すべてはただの事柄に過ぎぬというのに。
 迫害を忘れた者も、利益に目が眩む者も、何れは苦難に自ら挑まねばならぬのが世の常。
 
 わしの人気など、人の欲の上に生まれた偽りのそれがほとんどじゃなぁ…」
 
 歩きながら、老婆はどこか遠くを見つめるように言葉を紡いだ。
 
 
 老婆の案内でフィリが無事宿に着くと、二階から言い争う声がする。
 
「うわ…案の定、喧嘩してる」
 
 少し品の悪い口調と、甲高いヒステリックな声は、バッツとコールのものだ。
 
 それを止めようと、オルフがなだめる声もする。
 
「…おばあちゃん、案内ありがとね。
 
 少ないけど」
 
 銀貨を数枚差し出すと、老婆はいらないと首を振った。
 
「わしにもちょいと用がある。
 
 お嬢ちゃんのは、そのおまけにしといてあげるよ」
 
 にんまり笑うと、老婆はさっさと二階に上がって行く。
 フィリは、状況が理解できずに首をかしげて硬直した。
 
 
「…黙って聞いてりゃ、恩着せがましい野郎だなっ!
 
 俺はもともとあんたになんか頼んでない。
 それを、さっきからねちねちと嫌味ばっか言いやがって…
 
 だいたい、あんたの船じゃなくてあんたの親父の船だろうが。
 
 俺はお前の手下でも召使いでもないんだぞっ!!」
 
 怒りをあらわにするバッツにも言い分がある。
 
 先ほどからコールは、バッツが暴れ馬の騒動のときに現場にいなかったことをなじり、終いにはバッツの盗賊としての勘がないと侮辱したのだ。
 加えてコールは、態度が悪いだの、下品だのと難癖をつけて、バッツを見下げたように扱った。
 
 つい先ほど、皮肉げな嘲笑をあびて、我慢していたバッツはついに激昂して怒鳴り返したのだ。
 
「ふん、貴方を乗せるなど、私のほうも御免こうむりたいですね。
 
 下賎な盗賊まがいの輩は、何をするか分かりません。
 船の乗員名簿からは外しておきますから、お一人でリューンまで歩いて行ってください。
 
 荷物の心配をしなくて済む分、水夫たちも安心して仕事ができるでしょう」
 
 困り顔のオルフが二人をなだめるが、火に油を注ぐようなものだった。
 あげくはどっちの味方をするか問われ、閉口してこめかみをもんでいる。
 
 エルナは先ほど気分が優れないと言って休んでしまった。
 
 二人の抑止力がなくなって、その後は嫌味の言い合いになり、口論にまでなってしまったのである。
 
「…まったく、子供みたいに騒いでいるねぇ。
 
 しかも、お仲間を困らすなんて悪い子のすることじゃよ」
 
 突然乱入してきた声に、三人は部屋の入り口に目をやった。
 
 不思議な格好をした老婆が立っている。
 
「…何だ、婆さん?
 
 俺たちの話に首を突っ込むんじゃないっ!」
 
 バッツがそういうと、「無関係じゃないんだよ」、と老婆はコールの方を向いた。
 コールは硬直して青ざめている。
 
「…コール坊や。
 
 わしはいつも口をすっぱくして言ってきたね?
 大方、お前さんがその盗賊の坊やをけなしてことが起こったんじゃろう。
 
 そういう偏見はやめないと、学の妨げになると教えたはずだよ。
 自由なる賢者を目指す男が、情けないことだねぇ。
 
 バラルズの旦那がお前さんを心配するのは、その危なっかしい性格と身勝手な態度だと、そろそろ気づくべきじゃないのかい?」
 
 老婆の言葉に、コールはすっかり項垂れている。
 
「…話の腰を折ってすまないね。
 
 この坊やの母親とは旧知の仲なのさ。
 そのおしめを交換したこともある関係なのさね。
 
 この子に文字を教えたのもこのわしでねぇ。
 
 でも、言い返していた盗賊の坊やにも、非はあると思うよ。
 本当の大人は、この程度のことには動じないものさね。
 …そこの大きなのが困ってるじゃないか。
 
 馬鹿にされないだけの自制心も必要だよ」
 
 正論を言われて、バッツも黙ってしまった。
 この老婆には、逆らえない不思議な雰囲気がある。
 
「…さて。
 
 コール坊やがお目付け役としてあんたたちを見つけたってのは、察しがついてるよ。
 それにお前さんがたが船に便乗するのも、いいことじゃろう。
 
 実は、バラルズの旦那が納得するために、わしが一肌脱ぐことになっての。
 コール坊やのお目付け役として、わしもリューンまで同行することに決まったんじゃ。
 
 おまけでさっき、お前さんたちの仲間のお嬢ちゃんを拾ってきたけどね。
 
 コール坊やにはこれ以上馬鹿にさせないから、盗賊の坊やは安心して船にお乗り。
 まあ、乗らなくてもいいけど、あと二週間は他の船は出ないよ。
 情報じゃ、一緒のお嬢さんを追ってるらしい、傭兵風の三人組がいるらしいから、ゆっくりしない方が賢明じゃないかね」

 もたらされた情報に、オルフとバッツがはっとした表情になる。
 
「コール坊やは、断れないことは分かっているね?

 お前の親父さんに泣きつかれたのを、わしが説得したんじゃ。
 断るならリューン行きは無いよ」
 
 あれだけ騒がしかった二人をぴたりと黙らせて、老婆はオルフの方を向いた。
 
「そういうわけで、よろしくの、大きいの。
 
 もう一人のお嬢さんには後で自己紹介するとしよう」
 
 すっかり老婆のペースとなったが、かろうじてオルフは尋ねた。
 
「…婆さん、いったい何者だ?」
 
 老婆はにんまりと笑って、その部屋の窓を開ける。
 冷たい冬の風が入り込んできて、部屋にいた一同、目が冴える気持ちになった。
 
「わしはニルダ。
 
 このイルファタルの精霊術師で、雪の精霊術を使う者じゃよ。
 足手まといにはならんから、安心おし」
 
 悪戯っぽい表情を浮かべ、その老婆は楽しそうに肩を震わせた。



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Y字の交差路


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PC5:コール

2018.07.23(23:03) 467

 グロザルム統一帝国。

 一般には統一帝国と呼ばれる。
 千年ほど前に滅びたが、グロザルム・ラダニール地方すべてを治めていた大帝国である。
 帝都はこの地方の聖北教会の教皇庁が置かれる、聖エンセルデル市国にあった。

 まだ現在の聖北教会が無かった頃、グロザルム統一帝がまつろわぬ蛮族を打倒し、種族を超えた国を建てた。
 非常に優秀な魔法技術があったとされ、現在の下水技術や特別な魔法建築と、亜人たちの優れた力を借りて建立した施設や設備を数多く有していた。それらは西方諸国にも技術的影響を与えたとされる。

 しかし、数百年後に統一帝の後継問題で国内が割れ、魔法兵器を使った内乱が勃発し、国は荒廃。
 その後、聖北教会の登場によって帝都に教会が築かれ、教皇庁を後援とした貴族議員たちによる共和制に移行する。

 強くなり過ぎた教会勢力の影響は、腐敗した貴族政治のもたらす選民主義を歪め、いつしか神に造られたのではない亜人たちを人間ではないと差別し、それに異を唱えた皇族が、異種族への偏見は統一帝の意思に背くとして国を離反。

 件の皇族…統一帝の嫡流である第一皇女は、その当時南部からやって来た異種族の技術集団〈鐵の部族〉の首長と結婚し、西南部にあった亜人・異種族や部族をまとめ上げ、現在のイルファタルの地を王都と定めて、「最初の地」を意味するエアトリア王国を建国。
 これが俗に〈鐵の王国〉と呼ばれる古代王国だ。

 引き続いて、内戦の魔法兵器使用によって虐殺されたその地の遺児を率い、エアトリア王国に連動して第一皇女と仲が良かった末の第六皇子が興した国がツェフトリア王国…〈銀の王国〉である。

 〈鐵の王国〉と〈銀の王国〉は協力し合って、統一帝国西部を平定。
 統一帝国の魔法兵器を破壊して、聖北教会に圧力をかけ、亜人差別をやめさせた。

 この時、内戦の混乱に乗じて俗にダルトリア(三番目の地)という国を作ったのが、〈鐵の王国〉女王の弟で、帝位継承権第一位を主張する統一帝国第一皇子である。
 彼は立太子していなかったが、姉である第一皇女を「下賎と交わって血を汚した」として、教会と結託し非難。
 自らの立てた国を〈真なる地〉を意味するラトリア王国と呼称した。

 この連鎖的な建国ブームに乗って、統一帝国は完全に離散。

 妾腹の第三皇子が建国したフィアトリア王国(四番目の地)。
 東の貴族に嫁いでいた第二皇女を奉じて建国されたフェフトリア王国(五番目の地)。
 先帝が立太子させたものの、謀略で流刑にされていた皇兄によって建国されたザクトリア王国(六番目の地)。
 貴族無き共和制を訴え、皇族を一度は辞めた皇妹が女王となったゼハトリア王国(七番目の地)。
 武断の第四皇子が、高潔な騎士の国として打ち建てたエルトリア王国(八番目の地)。
 魔法兵器を嫌い、親戚降下して北に引きこもった第五皇子が賢者の学び場として建国したナルトリア王国(九番目の地)。
 そして、野心的な皇弟が建国したデントリア王国(十番目の地)。

 十の王国が次々と現れ、時の皇帝は悲観して憤死する。(皇弟が行った毒殺だったともいわれる)

 〈十王国時代〉と呼ばれたその頃から、元統一帝国の地は大陸全土に対して旧グロザルム地方と呼称されたが、ラトリアの初代国王が「自分たちこそが正当なグロザルム統一帝国の後継者である」として、他の国が統一帝国の名を名乗ってはならないとしたことが、東西地名分裂のきっかけである。

 後継の諸国には統一帝国の名を継ぐ権利がある、と先に建国した〈鐵の王国〉と〈銀の王国〉は主張し、ラトリア王国側の主張を却下、西部地域は堂々とグロザルム地方を名乗るようになった。

 激怒したラトリア国王は、できたばかりのデントリア王国(のちのマルディアン帝国)を焚きつけて、東西での名称継承問題に発展。
 この〈統一帝国名称継承論争〉は、教会勢力を巻き込んで泥沼化し、これを理由にした東側諸国の西部侵攻が行われた。
 しかし、異種族や亜人の高い技術と地形を利用して侵入者を退け、勝利したのは西部の側である。
 聖北教会の調停を入れ、晴れて西部はグロザルム地方を名乗ることとなった。

 このことを不服として、ラトリア王国とデントリア王国は東部諸国一帯に同盟を持ちかけ、東部をラダニール…〈真なる光〉を意味する地名としたのである。

 こういった歴史から、西のグロザルム地方と東のラダニール地方は、長い間潜在的な敵同士であった。

 状況が変わったのは、デントリア王国で政変が起き、彼の国が帝国を称した時代からである。
 新生デントリアは、十番目を意味する国名を不服としてマルディアン帝国に改名。
 すべてのラダニール諸国は、帝国の名の下に服従すべきである、とした。

 当然ラダニール地方の各国はこれに反発。

 特に帝国から「たかが三番目の王国」と見下されたラトリアは、マルディアンを非難して「十番目の僭主国」と侮辱し返し、長い両国の確執が始まった。

 マルディアン帝国のラトリア侵攻には斯様な歴史的事情もあった。


 オルフ一行が、西のイルファタルを目指すことを決めてから、二週間が過ぎようとしていた。

 ラダニール地方とイルファタルのあるグロザルム地方は、険しい山地と森が境界となり互いを隔てている。
 ラトリア王国から西に向かってグロザルム地方に入るには、二つの急流と二つの山地を越えねばならなかった。
 
 この時期、川幅の狭い二つの急流…ルフト川・メナス川は、乾燥による水位の減少と凍結によって、浅瀬であれば比較的渡河がしやすい。
 フィリが手斧で杭を作成し素早いバッツが先行してロープを張ることで、上手く踏破する。

 山地では狩人の娘で、サバイバル能力に通じたフィリと、そのあたりの植生に詳しかった元農民のオルフのおかげで、食料や道の確保に成功し、マルディアン帝国軍を撒いてグロザルム地方に入ることができた。

 大河に沿って森と山野を駆け抜ける、過酷な逃亡の旅は間も無く終わりを迎えようとしている。

「連邦に入って随分来たな。

 冒険者を装ったら、こんなにも簡単に越境できるなんて思いもよらなかったぜ」

 適当な岩に腰掛けると、オルフが一口水を飲みながら、額の汗を拭う。

「ラダニールって割と冒険者っていう職種がいないんだよね。
 そのせいで、国境警備の人は僕らが〈南の異邦人〉だって思ったみたい。
 出て行く分には問題ないって感じだったよ。

 あっちで冒険者の活動があるのは、東のアドルリア連邦やエルトリア王国ぐらいだし」

 フィリが不思議そうに首を傾げると、オルフがその理由を話す。

「ラダニールは昔から戦争が多いから、食い詰め者は兵士として徴兵されるか傭兵になるのが普通なんだ。
 魔物や山賊は軍隊や自警団が討伐する。

 マルディアン帝国の侵攻を、ラダニール諸国でも小国のクラウス公国が退けたんだが、それは公国があっちでも数少ない魔術師の育成機関を所有してて、特殊な戦力が得られたからだな。
 昔魔法兵器でドンパチして、グロザルム地方のクローネガルドにある〈魔の爪痕〉ってでっかい不毛の地ができたから、ラダニールは魔法使いに対して警戒心が強くて、魔術師や精霊術師の越境は厳しく制限されてるんだ。
 その分、魔法使い以外にはわりと緩い反応するのかもしれねぇ。
 俺のいたギマールは、少数の魔術師を取り込んで保護してて、だから強いってのもある。

 冒険者に偽装して出て行くやつらがいても、俺みたいなみすぼらしい格好のや、女(エルナ)に子供(フィリ)、戦士っぽくは見えない男(バッツ)の冒険者が流出しても、仮想敵国が弱体化するという意味で、諸侯国連邦にとっては歓迎されてんだろうな」

 フィリが持っていた通行証も、ちょうど四人組用のものであったことが幸運だった。
 まさか厳しい冬の川と山地を越えて、貴族や敗残兵が踏破してくるとは考えず、グロザルム地方の国境を守る兵士は、オルフたちが難民的な亡命でないこと、イルファタルに向かっていること、ちゃんとした冒険者が仲間にいたことを確認すると、驚くほど簡単に通してくれたのである。

 むろん、オルフとエルナは身元が割れそうな装備品を捨てて偽装していた。

 オルフは雪焼けで顔を汚していると、血の滲んだ包帯を顔に巻き(幾度かの戦闘で実際に負傷して本物の損傷は負っていた)、北方の気候に慣れてない様を装った。(この偽装方法はバッツの提案)
 エルナはバッツが調達してきた巡礼者用の衣装に着替え、無駄な装飾品は売って旅費に当てている。彼女の立場からすると、南にある父の治める領地か北の教会関連施設に行くのが筋であり、越境する理由を詮索されることは無かった。聖北教会の影響の強い北方諸国では、巡礼者には一定の敬意が払われるのも援けとなっているのだろう。

 二人が、冒険者が主に使う大陸公用語を読み書きできたことも、各国を旅して言語に明るい冒険者らしい、と受け取ってもらえた。

「エルナさんはともかく、あんたがバドリア語とギマール語、大陸公用語まで読み書きできるのは驚いたよ。最初に言ってくれればあそこまで反対しなかった。
 人が悪い話だぜ。

 貧農出身とか言ってるが、普通は字が読めないどころかまともに話せない農民だって多いんだ。
 どこの教養人だよ!」

 バッツが毒づく。
 彼がオルフを切り捨てようとした理由の一つが、下級兵士然とした教養を懸念したからだ。
 習得した言語や習慣はどんなに隠しても態度に出る。

 話してみると、オルフは言語以外にも算術や地理の知識、厳冬期の北方におけるサバイバル術に通じており、今回の逃亡で随分活躍していた。
 防寒に顔を覆うことも大切で、雪道で目を焼かれないように保護する方法や、寒気を一気に吸い込むと肺を傷めるのだと、戦場で野宿しつつ培った知識を披露する。
 力も強く、荷物運びの強力としても仲間を助けていた。

「まぁ、ラダニールの言葉はもともと統一帝国で使われてた北方なまりの公用語が元だからな。
 文法や単語がほとんど同じなんだよ。

 収監所で強制労働の最中は暇だったから、読み書きを教えて爺さんと単語の発音の練習をしながらツルハシ振るってた。
 やることが無くて二年近く毎日使ってりゃ、俺みたいなとんまでも案外言葉を憶えるってことだ。

 俺に読み書きや学問を教えてくれた爺さんは、ギマールにはよくいる政治犯ってやつで、収監所では知識人として尊敬されてた。
 爺さんが死んですぐに戦争に駆り出されたんだが、文字や算術がこんなに役立つ者とは思わなかったぜ。

 で話を戻すけど…あと一日も行けばイルファタルの国境だ。
 
 随分な強行軍だったが、なんとかなったな」
 
 今回の逃避行は、本業の冒険者である二人にも過酷だった。
 特に北方の冬は尋常ではなく寒い。
 
「…はは、寒さなんてものは嫌なだけなものだと思ってたけど、水がぬるくならないのはいいよね」
 
 フィリが泥と煤で汚れた顔を拭いながら、オルフと同じように体温で温めた水をゆっくりと飲んでいる。
 
「エルナさんが山道に文句を言わなかったのはありがたかったな。
 
 これだけ無茶をしたというのに…たいした方だ」
 
 バッツが周囲を警戒しながら、呟く。
 
「ああ。
 
 だがかなり無茶をさせた。
 これ以上急ぐと、野外慣れしてる俺やフィリも持たない。
 
 しばらくここで休憩しよう」
 
 そう言ってオルフは、毛布に包まって寝息を立てているエルナを眺めた。
 
 エルナは気丈な娘であった。
 オルフでもきついと感じる速度に、歯を食いしばって付いて来たのだ。
 仲間たちも彼女の意志の強さを心から賞賛していた。
 
 つらい旅も間もなく終わる。

 イルファタルは独立都市国家であり、他地方の軍装をした兵士が入ることはできない。
 その手の軍隊をひどく嫌う国柄なのだ。
 戦争より商売と交易を重んじる海の都である。
 
「イルファタルかぁ。
 
 あそこなら、おいしい肉料理を食べられるね。
 由緒正しい歴史があるけど、気候も穏やかだし、異民族や亜人にも寛容なんだよ。
 エルフやドワーフがあんなに見られる国って少ないんだよね」
 
 イルファタルは近くにウッドエルフの集落があり、衣料品や金属と森の幸の取引をしている。
 エルフ制の弓や薬は良質で、貴重だった。
 
 近しいツェーンツヴェルク連邦の山岳部にはドワーフたちが住み着いていて、よく交易に訪れる。
 彼らは優れた鉱山夫であり、良質の銀や鉄をイルファタルにもたらしていた。
 
 ラダニールやリューン近郊で強い影響がある聖北教会ではなく、イルファタルにある教会は聖海教会である。
 主に、西方南海で盛んに信仰される聖海教会だが、異国の神を聖人として取り入れるなどの柔軟性はイルファタルの気質にあっていた。
 加えてこの国は、癒しの秘蹟を多く残した聖海教会の聖女オルデンヌ縁の地だ。
 オルデンヌは、聖海で列聖された聖女であり、異教徒や異端的とされる精霊術師たち、さらには亜人との交流もあったとされる人物である。
 
 聖女の意思を引き継ぐ、というスタイルなのか、このイルファタルは異邦人や異種族にとりわけおおらかな国であった。
 独特の文化があり、旅人用の無料診療所や格安の宿、さらには異種族の職業斡旋を助ける組合などがある。
 他の地では聖北教会の影響で勢力の弱い精霊術師たちにも寛容で、彼らの聖地でもあった。
 
 イルファタルから海を渡った秘境の島にはアヴァロニアと呼ばれる場所があり、樹海の中に大きな淡水湖があるとされる。
 獅子の王が最後にいたった妖精郷に因んでいるとされ、多くの亜人や妖精が生息していた。
 そこでは、上位精霊“湖の貴婦人”モリガンと契約した大精霊術師であるアリエスがおり、水の精霊術師たちにとっては一大聖地である。
 アリエスは来る者を拒まず、出会えればその精霊術を授けてくれるという。
 
「争い無き、自由の国か。
 
 早く見てみたいものだな」
 
 オルフは空を仰ぎ、夢の都と聞いているイルファタルを思った。
 
「…ま、そんなにいい国でもないさ。
 
 あんまり期待すると肩透かしを食らうぞ。
 今じゃ人口が増えすぎて、人間と亜人の諍いがよく起きるし、精霊術師同士の主義の違いから小規模の小競り合いが起きることもある。
 
 イルファタルじゃ、シャーマン、つまり精霊術師は一種の特権階級さ。
 坊さんと同じように権力に固執する奴や、細かい儀式や主義を周囲に強制してあおる馬鹿もいる。
 さらには、魔法使いや呪術師がそれにからむからな。
 
 迷信深い国ってのも、考え物だよ」
 
 バッツは肩をすくめる。
 
「初めてあの国に入ったときは、俺が額に巻いてる布が悪い色だって、変な爺さんと取り巻きにつかまって訛りの強い言葉で一刻(二時間)も説教聞かされたしな。

 あれにはまいったよ」
 
 額のバンダナをなでながら、バッツがぼやくと、フィリが二へへと笑う。
 
「結局、あのときは途中で逃げちゃったんだよね。
 
 また捕まらないように、気をつけなきゃ」
 
 にぎやかに話しながら、一行は和やかに休息を終えた。
 
 
 さらに一週間後、一行は無事イルファタルの国境を越えることができ、国内をさらに西に進んでいた。
 
 この国の国土は狭い。
 しかし、様々な亜人や妖精の住む森や平原に面し、そういった独立した場所との同盟関係を勢力図にすれば、ち大国を凌ぐ広さになる。
 豊かな緑と、北方特有の寒冷な気候。
 様々な宗教や種族、文化の坩堝である。
 
 この国ではとりわけ魔術師や精霊術師が多い。
 妖精や亜人と共に精霊術を学び、自然と生きる者たちや、自由な国風に学問の自由を求めて集結した隠者たち。
 
 混沌としているが、束縛の無い場所である。
 
 だが、そういった文化圏ではならず者も多い。
 海賊まがいの蛮行で生計を立てる荒くれ者や、南で犯罪を犯し逃亡してきた者、外道の魔術に手を出して国を追放された呪術師。
 そういったものたちも流れてくる土地だった。
 
 北方の重要な港を持ち、解放された文化であるが故の弊害である。
 
 一行は文化の入り乱れる賑やかさに目移りしながら、今宵の宿を探していた。
 
「…聞きしに勝る盛況ぶりだな。
 
 こんな賑やかな街は初めてだ」
 
 感心したようにオルフが呟く。
 
「田舎者丸出しだぞ。
 
 リューンにいけばもっと華やかな場所もある。
 ま、ここほどごちゃごちゃした街じゃないがな」
 
 いつの間にか手に数本の肉串を持ち、仲間に配りながら、バッツが要所を説明してくれる。
 
「あそこが賢者の学院。
 
 西方のカルバチアにある魔道学院よりは小さいが、集まってる人材は一級だって話だ。
 噂じゃ、空から星を降らす術を習得した大魔術師がいたって話だがな。
 
 で、あれが精霊宮だ。
 この街の精霊宮はリューンより大きい。
 ま、精霊術師やエルフがたくさんいるから、当たり前なんだろうが。
 
 あっちがこの国で最大の聖海教会の聖堂だ。
 聖オルデンヌ教会って言うんだ。
 
 昔話があってな…
 ずっと昔にオルデンヌっていうすごい聖女様がいて、たくさんの人を救ったが、聖女様は若くして亡くなってしまうんだ。
 残った僧侶たちは聖女様から奇跡を戴こうと、その御遺体をめぐって言い争うんだが、突然大風と共に現れた妖術師が聖女様の御遺体を盗んでしまったんだ。
 困り果てた僧侶たちは、聖女様が纏っていた僧服を棺におさめて、このことを嘆いたんだが…
 その棺の下から突然水が湧き出し、その水は人の難病を癒したんだそうだ。
 後の人々は、聖女様の魂はここにとどまって人を守ってるんだと感動し、ここにあんな大聖堂を建てたってわけだ。
 
 残念ながら、湧き出した泉には聖域で入れないし、泉の水は万能の薬とかで教会が高い寄付金と交換に売ってくれるらしいけどな。
 
 なんでも聖女オルデンヌは聖海教会で、異教や精霊信仰とともに歩んでいくことを説いた穏健派では有名な聖女らしくてな。
 女だから、教会の派閥によっては列聖をどうするか諸説あるんだが、人気のある偉人らしいよ」
 
 オルフが感心して頷く。
 
「ふふん、知ってるんだよ~。
 
 バッツ、エルナさんにいいとこ見せようとして、徹夜で覚えたんだよね、それ」
 
 青筋を立てて怒るバッツから逃れ、フィリが舌を出してからかう。
 
「ふふ、それでもこれだけのことを一晩で調べるなんてすごいわ。
 
 聖女オルデンヌ。
 その行いの素晴らしさは聞いたことがある。
 
 聖北教会にも、彼女のような人物がいたら、歴史も変わっていたでしょうね」
 
 眩しそうに大きな聖堂を見上げながら、エルナは遠い目をした。
 
 
 しばらく行くと噴水に行き当たり、そこで一行は一休みすることにした。
 バッツとフィリは宿を探すといって、オルフとエルナをここで待たせている。
 
 噴水の縁には二人の先客が座っていた。
 
 一人は杖を持ち、複雑な刺繍の長衣を纏っている。
 淡いブロンドの髪と、尖った小さな耳。
 
(ありゃ、ハーフエルフってやつか?
 はじめて見たぞ…)
 
 その男は長衣から小さな本を取り出し、一心不乱に読んでいる。
 
 ハーフエルフとは亜人とも妖精とも言われるエルフという種族と人間の間に生まれる混血種である。
 エルフほど長命ではなく、人間ほどがっしりした体格ではない。
 二つの種族の特徴を中途半端に持っている。
 場合によっては鬼子として迫害されるが、このイルファタルでは普通に過ごしているのだろう。
 
 興味深げに観察していると、その男が不意に顔を上げて迷惑そうにオルフを睨んだ。
 神経質そうな顔立ちである。
 
 オルフはばつの悪そうな顔でごまかし笑いをすると、もう一人の男を観察することにした。
 見るとエルナは、じっとその男の方を見つめている。
 
 興味をそそられ、オルフが男に視線を移す。
 
(…こりゃまた。
 
 なんかやつれちゃいるが、すごい美男子だな)
 
 まるで噴水と一つになったように、泰然としているその男は、目の覚めるような美青年だった。
 
 無頓着な髪型だが、白い肌に映える青黒い髪。
 髪と同じ神秘的な深い色の瞳。
 すっと整った鼻梁、凛々しい口元の造形は端整で、女性もたじろくような美貌である。
 背が高く股下の足も長い。
 引き締まった筋肉と広い肩幅は美しさとは別に、この男をより男性らしく見せていた。
 
(ま、エルナも女の子ってことだな。
 
 あれだけ美形なら、若い娘は騒ぎ出すだろう)
 
 ほほえましい心持でエルナを見る。
 だが、エルナは見惚れてぼんやりしている様子はなく、どこか心配そうに男を眺めていた。
 
「…どうかしたのかエルナ?
 
 あの男にあやしい点でも…」
 
 オルフが小声で聞くと、エルナは首を横に振った。
 
「あの男の人、苦しそうだわ。
 
 額に脂汗をかいているし、マントで隠しているけど胸を押さえているの。
 顔も少し蒼白だし、どこか具合が悪いのかしら?」
 
 オルフはエルナの慈愛深さを見くびっていたことに反省し、あらためて男を見た。
 最初から美しさと一緒にやつれた印象のある青年だった。
 
 よく見れば男はただでさえ白い肌から、さらに血の気を失っている。
 唇は艶を失い、肩が小刻みに震えていた。
 よほどの苦痛を耐えているのか、噛み締めた唇から血がにじんでいる。
 
「ありゃ、そうとう悪そうだな。
 
 声をかけてみるか?」
 
 エルナが頷いて立ち上がる。
 彼女が青年に近づき、声をかけようとした、まさにその時…
 
「あ、暴れ馬だぁ~!!!」
 
 周囲がにわかに騒がしくなり、オルフとエルナは思わず騒ぎの起こっているほうに注目した。
 
 一頭の黒い馬が、よだれを垂らしながら全速力で走ってくる。
 周囲のものをことごとく踏み砕く、凄まじい勢いだ。
 向かう先は丁度、エルナがいる方角である。
 
(まずいっ!)
 
 あっけに取られた数秒、反応が遅れてしまった。
 エルナがはっとしたとき、すでに暴れ馬は彼女の間近に迫っていた。
 
(くそっ、間に合わねぇ!!!)
 
 必死で駆け寄ろうとするが、すでに遅かった。
 暴れ馬は前半身を振り上げ、邪魔なエルナを蹴り倒そうとした。
 
 反射的に目を閉じるエルナ。
 誰が見ても手遅れだった。
 
 馬の蹄が振り下ろされ、もうもうと土埃が舞う。
 
「《眠りをもたらす白雲よ、抱いて沈めまどろみの底に…眠れっ!!!》 」
 
 少し高い男の声。
 土煙の中から現れた黒馬は、よたよたと数歩進んで崩れるように倒れた。
 
「エルナァッッッ!!!」
 
 絶望的だと知りつつ、オルフは纏った襤褸で土煙を払いながらエルナのいた場所に駆け寄った。
 周囲の者たちも騒ぎを聞きつけて走ってくる。
 
 数人が馬を取り押さえ、他の者たちがオルフに続いた。
 
 
 エルナは目を閉じた瞬間、大きな何かに包まれたような気がした。
 
 いつまでたっても襲ってこない痛み。
 とても力強い、暖かな感触。
 土の匂いの混ざった、どこか安心できる薫り。
 
(お父様…)
 
 小さな頃によく抱き上げてくれた、大きな腕。
 父の抱擁を受けているような安堵感。
 
 エルナはその安らぎの元を知ろうとして、目を開けた。
 
 彼女はしっかりと抱きかかえられていた。
 決して不快ではない汗の臭いと、顔の触れている皮の外套の感触。
 
 彼女が顔を上げると、先ほど苦しそうにしていたあの青年が、心配そうにエルナを見下ろしていた。
 
 ポタリ…
 粘ついた赤いものがエルナの頬を濡らした。
 
 青年の額が浅く裂け、血が頬を伝わりエルナに降りかかったのだ。
 
「…すまない。
 
 顔を汚してしまった」
 
 青年は苦笑いすると、そっとエルナを立たせてくれる。
 そして、いささか乱暴に自身の額の傷を手ぬぐいで拭くと、さっとそれを巻き、服のすそでエルナの頬に付いた血を拭いてくれた。
 
「…あっ」
 
 エルナが何か言おうとする前に、青年はそれを制するように言葉を発した。
 
「ああいう時、目を閉じてはいけない。
 
 賑やかなところほど、馬による事故は多いからな。
 女でも子供でも、巻き込まれることだから、気をつけたほうがいい」
 
 青黒い瞳の青年は、優しげに微笑むと踵をかえした。
 
「待ってくれっ!」
 
 そこに、事情を察したオルフが駆け寄ってくる。
 そのときには、土埃はたいがい晴れていた。
 
「すまねぇ。
 
 連れが助けられたな。
 恩に着る。
 
 …怪我したのか?」
 
 オルフは簡素だが心から礼を言い、あらためて青年が血の滲んだ手拭を額に巻いていることに気がついた。
 
「大した傷じゃない。
 
 まず、その女性に怪我が無いか確認したほうがいい。
 どこか打ち身でもあれば、後で腫れる。
 
 それに、礼を言うのは俺だけでは不足だ。
 後ろの御仁が魔術を使ってくれなかったら、もっと惨事になっていたかもしれんからな」
 
 そう言って、青年は、先ほど【眠りの雲】の魔術を用いて暴れ馬を眠らせた、ハーフエルフの男に軽く会釈をした。
 
「…大事にならなくてよかったです。
 
 そちらの女性は大丈夫ですか?」
 
 紳士的で上品な口調だった。
 少し顔が上気しているのは、エルナの美しさを目の当たりにしたからだろうか。
 
「はい、私は平気です。
 
 助けてくださって有難う御座います」
 
 エルナが頭を下げると、ハーフエルフの男は、白い顔を真っ赤にしてしどろもどろに、当然のことをしたまでです、と答えていた。
 
「ありがとうよ。
 
 正直、あの馬が前足を振り上げたときはだめかと思ったぜ」
 
 オルフも頭を下げて礼を言う。
 
「いや、無事で何よりです。
 
 それより、そこの方は怪我をされたようですが…」
 
 ハーフエルフの男は照れ隠しか、話題を青年の方に振った。
 
 先ほどの傷は塞がっていないらしく、手拭いに滲んだ血の染みが広がっている。
 
 青年がまた大丈夫だと言おうとした時、エルナが側により、聖句を唱えて手を青年の傷痕にかざした。
 痛みが引いたことに少し驚いた青年は、手拭いを取る。
 額の裂傷は綺麗に消えていた。
 
 さらにエルナは聖句を唱え、そっと青年の胸に触れる。
 少し青ざめていた青年の顔に、血色が戻ってきた。
 
「…感謝する。
 随分楽になった」
 
 今度は青年が礼を言った。
 
「あんた、さっきから調子が悪そうだったが、病気か?」
 
 オルフが尋ねると、青年は苦笑して首を横に振った。
 
「己がいたらなかった代償だ。
 
 寒さがどうもいけないな。
 いつもは休んでいればおさまるんだが」
 
 はらりと青年の腕から何かが落ちた。
 黄ばんだ木綿の布だ。
 両腕にそれを巻いていたのだが、片方がさっきの衝撃で切れてしまったのだろう。
 
 そして覗いた青年の地肌。
 
 エルナは衝撃を受けて両手を握り締めた。
 
(…こりゃ、ひでぇ)
 
 オルフも思わず顔をしかめた。
 
 うじゃじゃけた傷痕。
 肉が盛り上がって治りかけてはいるが、一生その傷痕は消えないだろう。
 ケロイド状に腕を抉っているそれは、縄のようなものが肌に食い込んで化膿した痕だ。
 
「すまない。
 
 見苦しいものを見せてしまった」
 
 また苦笑して、傷痕を隠す。
 青年はあらためて自身の不調まで治してくれたことに感謝の意を示し、エルナに礼を言うと立ち去ろうとした。
 
「待ってくれ。
 
 俺はオルフ、ラインドの子、オルフだ。
 名を尋ねてもかまわないか?」
 
 オルフが呼び止めると、青年は振り返って、少し考えるように天を仰いだ。
 そして、まっすぐにオルフを見据え直す。
 
「シグルト。
 
 俺には分不相応だが、親から貰った名前だ」
 
 男は伝説の龍殺しと同じ名を名乗り、一礼して去って行った。
 
「…絵になる方ですね。
 
 ああいうのを勇者と言うのでしょうか」
 
 ハーフエルフの男がため息混じりに呟いた。
 
「…あんたにも名を尋ねていいかな?
 
 もう一度名乗れといえば、あらためて名乗るが?」
 
 オルフがそういうと、男は名乗りは不要だと首を振った。
 
「私はコールディン・バラルズ。
 
 このイルファタルで商人をしている者の息子です。
 もっとも、私は商人の道ではなく、知識を求める賢者を志していますが。
 
 見ての通り、エルフの血を引いています。
 
 どうやら先ほどの不躾な視線は、差別の目ではなかったようだ。
 貴方の礼節に免じて、あの無礼は許しましょう」
 
 やや高慢な言葉であるが、品のある態度であった。
 
「すまねぇ。
 
 何分田舎者だから、エルフやハーフエルフを見るのは初めてだったんだ。
 俺は東の出身なんだが、あっちは妖精とか魔法とかは珍しいんだよ。
 
 俺に字を教えてくれた人が、エルフもハーフエルフも魔術師もおんなじ地上に生を受けた命だから、偏見を持つなって教えられてたが、物珍しいって気持ちはどうにもならなくてな。
 
 気分を悪くしたなら謝るよ」
 
 オルフのような大男が、頭をかきながら謝ると実に滑稽だった。
 男は愉快そうに微笑むと、許します、と頷いた。
 
「ところで、あなた方はなぜこんなところに?
 
 随分前からこの噴水にいたようですが…」
 
 男の問いに、オルフは宿を探しにいった仲間を待っていると答えた。
 そして、東からわけあって流れてきたことと、南のリューンを目指していることを告げる。
 
 男は興味深そうに聞いていた。
 
「なるほど。
 
 そうなると、船を探さねばならないでしょう。
 私の父の商会はリューンとの交易に関わっています。
 もしよかったら、私が間に立って差し上げましょう。
 
 知り合った以上、最後まで義理を尽くすことが私の母から受けた教えなのです。
 御婦人には親切にすることも。
 遠慮は要りませんよ」
 
 渡りに船の話に、オルフは感激して何度も礼を言った。
 エルナも感謝の言葉を述べる。
 
「待ってください。
 
 その代わりといってはなんですが、私も貴方たちにお願いしたいことがあるのです」
 
 交換条件を提示されて、オルフとエルナは顔を見合わせた。
 
「何、難しいことではありません。
 
 私もリューンに行きたいのです。
 あの都市はこのイルファタル以上に大きく、大きな図書館もあるとか。
 何かの機会に、リューンに行けるように父に頼んでいたのですが、一人ではだめだと頑固でしてね。
 
 同行者として船に乗っていただく…それが条件です。
 貴方のような立派な体格の男性が一緒なら、父も納得するでしょう。
 
 成人して随分立つのですが、父の過保護ぶりにはいささか閉口しているのです。
 私は新しい知識を求め、新しい世界に旅立ちたいと日々願っているのですが」
 
 そう言って男は空を見上げた。
 
「私のことはコールと呼んでください。
 
 よろしくお願いします」
 
 再び視線を二人に戻し、男は自身の尖った耳の先を軽く撫でた。



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Y字の交差路


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PC4:バッツ

2018.07.23(15:21) 466

 フィリの案内で、オルフとエルナはラトリアの国境を目指していた。
 
 陽気でおしゃべりなフィリという少女、小さい見かけによらずタフで、野外生活においては高度な技能を持つ人物であった。
 鈍感で楽天的な部分もあるのだが、優れた感性も備えており、狩人の娘というだけはある。
 
 十二歳の平均身長から見れば、女子でも低いほうだろう。
 しかし、意外な膂力を持つことは、邪魔な茂みを手斧で軽々と薙ぎ払う様子から感じ取れた。
 
「フィリは、力があるな。
 
 この手の草木はかなり硬いだろに」
 
 オルフが感心したように言うと、ニカッと笑ってフィリは力瘤をつくった。
 
「これでも、父さんが取ってきた獣の皮を剥いだり、薪作ってたからね。
 
 あと、使ってるのが手斧だからさ。
 
 この手斧はその頃から愛用してるんだけど、便利だよ。
 ボクみたいに身体が小さくても、得物自体が重いと威力も増すし。

 今は得意な弓の弦が切れちゃって…ボクの頼れる相棒はこれだけだよ。
 
 短剣やナイフもほしいんだけど、ちょっと財布が寂しいからね。
 お兄さんも、すぐ折れる剣や槍より、斧にしてみたら?
 その体格なら、両手持ちの斧でも軽々と振り回せるでしょ?」
 
 オルフは立派な体格をしている。
 背丈は二メートル近い。
 十分、大男の部類に入るだろう。
 
「…まぁな。
 
 俺は元農民だったから、斧よりは鍬か鎌の方が使い慣れてる。
 人を殺すためには使いたくないけどな。
 
 剣を使ってるのは、俺に武術を教えてくれた旅の戦士が剣術使いだったからだ。
 といっても、技を一つ習っただけだがよ。
 
 正直言って、剣はまともな道具にもならねぇし、槍に比べりゃ短ぇな。
 斧みたいに頑丈でも無し、ナイフみたいに小回りも利かねぇ。
 …それでも剣を使う奴が多いのは、戦いにおいて最も汎用性のある形、だからだそうだ。

 支給される武器っていや、剣か槍だったしなぁ。
 
 どんな状況でも、使い手の技がありゃ、いろんな使い方ができる。
 槍は狭いところじゃ使えないし、斧は敵にぶち当てるのが少しばかり難しい。
 かといって、ナイフみたいな小せぇ得物は、敵を倒すにゃ小さすぎる。
 けど、難しい御託なんて言っても様にならねぇよな、俺じゃ。
 
 とどのつまり、俺が剣を使ってるのは、このがたいと腕っ節でも簡単に扱える〈平凡〉な武器だからさ。
 
 聖北の坊さんが言うにゃ、剣は形が聖印に似てるから持ってると落ち着くんだそうだがな。
 
 俺は…効果的な武器をとっかえひっかえするほど慣れたくねぇ。
 殺傷する武器は、手に一本ありゃ十分だよ。
 
 だから結局、武器も戦う技ってのも、生き残るためにこいつが扱えりゃそれでいいのさ」
 
 オルフは腰に下げた剣を、かちゃん、と軽く叩いた。
 
 
「これは…
 
 間違いありません、エルネード様のお側付き侍女、マーサです」
 
 アレクセイは、転がっていた死体でただ一人だけ外套で覆われていた老婆の顔を確認し、白い貌をさらに青白くして言った。
 
「…ということは、カーティンの姫様は生きてるってことだな。
 
 それに、この婆さんを殺したのはここに転がってる兵士どもだ。
 婆さんは正面から斬られた口だが、兵士どもは剣も抜けずに後ろから殺られてる奴がいる。
 典型的な不意討ちだな。
 
 殺された兵士どもの死体は、どれも力任せなやり方で殺されているが、存外いい筋をした奴だ。
 特に、この隊長格を鎧ごと袈裟斬りにした技…“焔紡ぎ”の【担ぎ颪】かもしれねぇ」
 
 死体を検分していたナルグは、苦い顔をして言った。
 
「…“焔紡ぎ”?」
 
 アレクセイが聞くと、ああ、とナルグが頷く。
 
「“焔紡ぎ”ワディム。
 
 北方の戦場じゃ、知らねぇ奴は笑われるぜ。
 
 俺も若い頃、南の方の戦場で会ったことがあったけどよ…
 腕っ節は、俺より上だった。
 今でも正直、勝てるかわからねぇな。
 
 最近じゃめっきり名前を聞かねぇが、北方じゃうちらの団長と並び称されるほどの剣豪だ。
 
 戦争が無い時は、少しの間同じ場所に留まって、駆け出しの将兵に技を指南して銭をもらうような副業もしてたからな。
 あの男の弟子なら、こんなお粗末な腕じゃねぇだろうが。
 技を聞きかじった程度の奴かもしれねぇ。

 まぁ、油断はするなよ」
 
 アレクセイは目を丸くした。
 ナルグは強い。
 その剣術はラダニールでも一流といえるだろう。
 
 〈雪狼団〉で最強なのは団長のビュリカだというが、実際にアレクセイが見た最強の男はナルグである。
 その男にここまで言わせる“焔紡ぎ”と、その剣士の技を使う者。
 
 ぶるり、とアレクセイは身体を振るわせた。
 頬は少し引きつっている。
 
(…そんな荒くれがエルネード様と?
 
 く、こうしては!!!)
 
 駆け出そうと、マーサの死体の側から立ち上がったアレクセイをナルグが引き止める。
 
「だが、解せねぇこともある。
 
 何でこの婆さんだけ、丁寧に扱っていたかだ。
 まずマルディアンの連中で無いことは判ってるが…
 俺たち傭兵やギマールの鉄血兵どもにゃ、こんなしゃれた甘いことをする奴はいねぇはずだ。
 
 かけてあった小汚ねぇ襤褸だが、多分元はギマールの歩兵が持つ厚手の外套だ。
 こんな状況で身の回りの物を使うなんて、足が付く。
 よっぽどの甘ちゃんか、度の過ぎた阿呆か、戦場を知らねぇ素人だろう。
 
 物を取ってるが根こそぎじゃねぇ。
 必要最低限、小銭と携帯食だ。
 金目のロザリオとか、この連中が修道院から盗んだものには手をつけてねぇから、欲じゃなく必要に迫られてやった口だ。
 物取りとして盗んだ物からバレないように考えてるならそれなりに頭の良い奴だろうが…無いな。
 他の痕跡が分かり易い。
 
 やったのは一人だ。
 足跡がでかいし歩幅があるから、がたいはかなりのもんだな。

 奇襲された最初の兵士は健が折れてるな。
 やっすい剣使ってたんだろうよ。
 みろよ、まるで鋳物だぜこれ。

 こりゃあひでぇ、剣が骨にめり込んで止まってやがる。
 緊張してたんだか、たぶん刃筋が寝てたな。

 やり合いのセンスはいいが素人臭がしやがる。 
 この程度の太刀筋で、武器はしょぼい襤褸着てた食い詰めの兵卒が、物取りで兵士五人を敵にするなんてのはドのつく間抜けな話だ。
 
 怪我もしたみてぇだな。
 途中で血痕が無くなってるから、治療したんだろうが…
 これだけの出血をする怪我をして、娘一人連れて逃げるなんてできねぇぞ?」
 
 少ない情報でこれだけのことを予測したナルグは、さすがは歴戦の傭兵だけはある。
 
「…そういえば、エルネード様は司教様もお認めになるほどの信仰心と不思議な力を使うそうです。
 
 癒しの秘蹟、【癒身の法】でしたか。
 ラダニールでは聖なる奇跡を起こせる聖職者自体、数が少ないそうですから。
 エルネード様は将来、女性でこの辺りでは最初の上位聖職者になれるのではと噂されていたほどです。
 
 その力を使って傷を手当したのなら…」
 
 アレクセイの言葉に、ナルグはさらに渋い顔をした。
 
「そうだとしたら、もっと解からねぇ。
 
 …お姫さんはその男を治したのか?
 ギマール人なら敵国の輩だぞ?
 
 しかも、マルディアンより先に戦争吹っかけてきて、王政や貴族制を何より忌み嫌う国だ。
 生粋のラトリア貴族にとっちゃ、マルディアンより憎たらしい敵のはずだぜ」

 あっ、とアレクセイもそのことに気がつく。
 
「〈政教分離〉を唱え、唯一ラダニールで聖北教会の権力を排斥し、法王庁から破門されたあのギマールだ。
 
 俺たちがマルディアンについたのだって、お前らガチガチの聖北教徒どもがギマールの仕事を嫌ったから、団長が気ぃきかしたんだぞ。
 そんな奴らに、お姫さんが素直に従うと思うか?」
 
 ギマール共和国は軍事拡張において、ラダニールで影響力の強い聖北教会の干渉を退け、聖職者という職業を無くしてしまった。
 それはあくまでも、聖職者からその地位と資格と特権を取り上げ、信仰そのものを排斥したものではなかったが、周囲の国家にとってそれは驚愕の事件であった。
 
 ギマールは他にも貴族や王侯の存在を否定し、軍隊の階級以外の身分制度も全て廃止している。
 貴族、加えて聖北教徒であるカーティン侯爵家にとっては忌むべき国のはずだ。 
 
「し、しかし、エルネード様はお優しい方です。
 
 きっと慈悲の気持ちで治したのでは?」
 
 アレクセイの言葉に、ナルグは首を横に振る。
 
「あのワイルズ将軍の娘が、そんなに浅はかとは思えねぇが…
 ま、仮にそうだとして、だ。
 
 一緒に行動する理由はなんだ?
 
 たとえ命の恩人が相手でも、敵国に素直に捕まるようなことはしないんじゃねえか?
 エルネード姫は聡明で思慮深い人物だと聞いている。
 
 その姫さんが素直に従ったってことが…助けた奴の腕の素人加減と、臆病な兵卒がとるような行動と噛み合わねぇ。
 姫さんを助けるために、ギマールに忍び込んだ将兵なら、腕はもっと立つはずだ。
  
 姫さんは自分を助けてくれて、この婆さんに外套をかけた奴を信頼してついていったってことか?
 怪我した、ギマールの一兵士に?
 
 どっちも分かれて行動すべきだろうに、取られた水袋や食料は二人分。
 
 なんで二人で行動する必要がある?
 
 そこが、解からねぇ。

 …考えられんのは、傷を手当した姫さんを人質としてかっさらったか、美人だったからかっさらった…
 っておい、予想なんだからそんな俺を殺しそうな勢いで、鼻息荒くするなっ!
 
 ったく。
 お前、お袋さんと信仰と姫さんのことになると、とたんに暴れ馬になりやがる。
 
 今の予測は当てはまらねぇから、安心しろ。
 下種が、五人相手取って姫さんを助けるわけねぇだろ?
 そこんところが解せねぇんだからよ」
 
 腕を払って駆け出そうとしたアレクセイをなだめ、ナルグは続ける。
 
「だが、もしギマールの脱走兵なら、少しは話も通じるな。
 殿押し付けられて、こっちに取り残された奴らの一人か。
 
 線としちゃそれが堅い。
 どうして助けたのかはわからねぇが、この兵士どもを殺した奴は、姫さんを助けて共同で逃げることにしたんだろう。
 
 その野郎、おそらくはギマールの恩赦兵…元犯罪人か旧敵国の兵士が恩赦を餌に無理やり戦争に駆り出されていた口だろうな。
 もしそうだとしたら、機を見るのが上手い奴だ。
 
 ふん、なるほど…助けて自分を売り込んだとすりゃ、話は通じるな。
 
 だとしたら、姫さんは金のなる木だ。
 その野郎も乱暴はしねぇだろ」
 
 アレクセイは少し力を抜いた。
 
「ま、貞操は保障できねぇけどな。
 
 男と女、しかも命がけで逃亡するとくりゃ、けっこう女の方が男に参っちまう。
 心細いから人肌が恋しくなるし、世間知らずで年頃の姫さんなら案外今頃しっぽりと…
 
 って、お~い…
 
 行っちまった。
 冗談だったんだけどな」
 
 目を血走らせて全力疾走するアレクセイの背を見つめ、ナルグは人の悪そうな笑みを浮かべた。
 
 
 ガキィィンッ!!!
 
 オルフは敵の剣を受け止め、エルナを背後に庇った。
 
「くそっ!
 
 先行していたマルディアン兵か…」
 
 相手は三人の兵士である。
 しかも、今相手にしている兵士は正規兵らしく、厚手の立派な革鎧を着ている。
 
 北方の冬の戦場では金属の鎧を着る者は少ない。
 寒さで冷えた鎧が体力を奪うからだ。
 
「…そこの娘、カーティン家の御令嬢だな?
 
 おとなしく剣を引け。
 さもなくば―――なんだと?!」
 
 にじり寄っていた一人の兵士が、足を切られて転倒する。
 
「…そこ、血の筋だよ。
 
 手当てしないと、出血して、冷えて死んじゃうかもね」
 
 手斧を構え、不適に笑うのはフィリであった。
 
「ぐ、小僧!!!」
 
 もう一人の兵士をいなし、今度は重い攻撃で反撃するフィリ。
 手斧はその兵士の手の甲を粉砕した。
 
 激痛に膝を突いた兵士は、フィリが振るった手斧の背で頭を強打され、失神する。
 
 オルフを相手にしていた兵士が、フィリに注意を取られて隙をみせた。
 わずかなものであるが、オルフは迷わず踏み込んで敵の膝を斬った。
 
「ぐぅわあぁぁぁ!!!」
 
 よろめいた兵士は、何時の間にか接近したフィリの一撃で昏倒させられていた。
 
「…ふう。
 
 助かったぜ」
 
 オルフが敵を縛り上げると、エルナが簡単に止血をする。
 フィリは小銭と手頃な剣を一本奪う。
 
「はい。
 
 この隊長格の剣は使えると思うよ。
 あと、いいナイフ持ってるやつがいたから、これももらっておこうよ。
 
 命の代金と思えば、安いよね?」
 
 なかなかにフィリという少女は抜け目がなかった。
 
「お前、結構腕が立つな。
 
 大人の兵士二人を相手に、たいしたものだ」
 
 フィリはニカッと笑った。
 
「弓を修理すれば、もう少し役に立つんだけどね」
 
 この少女、特別俊敏ではなかったが、それなりの膂力があり、何より斧の扱いが実に巧みである。
 剛柔あわせ持つ戦い方は、子供とは思えなかった。
 
「ボクみたいな女の子は、多少力があっても体格負けしちゃうから、手数と小技で責めるんだ。
 
 必要なら人を殺すぐらいはやれるよ。
 そうしなきゃ、子供が戦場で生き残ることなんてできないもん」
 
 少しだけ無理をした笑顔だった。
 
「父さんを殺した兵士、ボクがこの斧で殺したんだ。
 
 獣をあわせれば、ボクの方がお兄さんより殺してるかもしれないよ。
 ふふ、あっ…」
 
 フィリを、後ろからエルナが抱きしめた。
 オルフもその頭を、わっしわっしと撫でる。
 
 二人とも、この少女の肩が震えていたことには気がついていた。
 
「無理するな。
 
 人間斬るのなんて、お前みたいな娘が慣れていいことじゃねぇ」
 
 苦笑いしたフィリは、少の間泣きそうな顔になった。
 
「ありがとな。
 
 さぁ、他のやつらがこねぇうちに、逃げるぞ」
 
 拘束した兵士たちを茂みに隠し、
 オルフは回収した剣に持ちかえると、荷物を担ぎ歩き出した。
 
「…お姉さんは言うまでも無いけど、お兄さんも好い人だね。
 
 ボクの相棒なんて、ガサツだのガキは色気が無いだの言うくせに、助けられても小言ばっかり。
 しかも、自分の都合が悪くなるとすぅぐ女扱いだもん。
 
 そのくせ、美人に弱いし、軽いし…
 
 ほんと、組むほうは大変だよ。
 
 仲間になるなら、誠実な人がいいよね~」
 
 フィリのおしゃべりを黙って聞くオルフ。
 
「…そうね。
 
 オルフは、私も助けてくれたわ」
 
 フィリの言葉に頷きながら、エルナは優しげな笑みを浮かべていた。
 
「お嬢ちゃん。
 
 あんたの仲間との合流場所は、まだ遠いのか?」
 
 頭を掻きつつ、照れ隠しでオルフが聞く。
 
「…どうやら、合流地点まで行く必要ないみたい。
 
 アイツと私で交わした符号があったよ。
 この木、刃でつけたささくれがあるでしょ?
 
 ぴったり二つだから、こっちの方角に二十歩で…
 
 ――――――十九、二十と、あった。
 
 ここからしばらく行った先にいるみたい。
 川の音がするから、その辺で休んでるかもね」
 
 フィリの注意力はたいしたものだった。
 何気ない木々の傷や、枝の先をしっかりと観察していたのである。
 
「…バッツ~、いるんでしょ?
 
 ボクだよ、フィリだよ~。
 
 お~いっ!
 いたら…あたっ!」
 
 飛んできた小石が頭を直撃し、フィリは涙目で呻いた。
 
「…ど阿呆!
 
 でかい声だすなっての。
 この辺、武装した兵士が何人もうろついてんだぞ」
 
 小声で、しかしかなり激昂した様子の声が木の上から聞こえてきた。
 
「いた~い。
 
 ヒドイよバッツ。
 何も石を投げなくても…」
 
 頭をさすっているフィリの前に、バンダナで額を巻いた若い男が飛び降りた。
 身軽な動作である。
 
 年の頃はオルフと同じぐらい。
 くすんだ色の柔らかそうなブロンドは丁寧に手入れされていた。
 少し軽薄そうな服装をしているが、フィリを睨む眼は鋭い。
 
「…なんだこいつらは?
 
 俺はこんな知り合いがいるなんて聞いてないぞ?」
 
 腕を組んだ男は、オルフを睨み、エルナまで目が行って硬直した。
 
「あ、いや、何というか…
 
 俺、コイツの保護者みたいなもんで、ああ、そうそう。
 つまり仲間なんですよっ!」
 
 突然態度が変わった男を、一同が注視する。
 
「…なるほど。
 
 わかりやすい奴だな」
 
 視線をエルナに釘付けにしたまま、鼻の下を伸ばしてあたふたと言い訳をしている男に、オルフは苦笑した。
 
 
「…な、なんだって!
 
 じゃあ、この綺麗な女性(ひと)はラトリア大将軍の御息女なのか?!」
 
 とりあえず、追われる立場の四人は歩きながら現状を確認し合っていた。
 
 エルナの身分を知って、男…バッツは目を丸くする。
 
「そっ。
 しかも【癒身の法】が使えるという、ボクら冒険者的には超仲間にほしい人材なの。
 こっちのお兄さんも、なかなか強いよ。
 
 今って、国境抜けしそうな他国人は女子供関係なくみんな捕まってるでしょ?

 ボク一人で兵士たちの包囲を突破するには、ちょっと辛かったから、この人たちが逃げたいっていう西方に行く道を教えて案内するかわりに組んだってわけ」
 
 バッツはぎっとフィリを睨む。
 
「どうしてお前はそういうことを簡単に決めやがるんだっ!
 
 身勝手な奴だよ、まったく…」
 
 金やら、身分証やらとぼやいているバッツは、随分と神経質な性格らしい。
 
「すまないな。
 彼女には随分と助けてもらった。
 
 なんとか南に…いやイルファタルまででいい。
 協力してもらえねぇか?」
 
 バッツはぎろりと、今度はオルフを睨んだ。
 
「迷惑だと思うなら、これで別れてくれ。
 
 あんた、聞けばギマールの脱走兵だって言うじゃないか。
 あの国は逃亡兵は死刑か無期懲役だろ?
 
 恩赦での兵役で逃亡なんて、死刑確定じゃないか。
 側にいたら命がいくらあっても足りない。
 
 マルディアンの兵士何人も殺してるとか、どのはずれたバカか?
 あんたは、ギマールとマルディアンの二国と敵対したってことなんだぞ」
 
 うっ、と言葉につまるオルフ。
 
「しかも、殺さずにふん縛った兵士がいる、だって?
 中途半端なことしやがって…

 フィリ、お前もだっ!
 ったく、顔を見られてるから、指名手配だぞお前たち」
 
 一息おき、バッツは厳しい言葉で宣言した。
 
「フィリはもともと仲間だし、な。
 女らしい格好でもさせれば大丈夫だろう。

 カーティン家のお姫様は、変装するか貌を汚すかすれば何とかなる。
 いざって時は、俺と夫婦だって言って、フィリを子役か俺の妹にでも役付ければいい。
 
 だが、あんたはダメだ。
 どう見ても、刀傷だらけのその面は堅気じゃない。
 そんなでっかい身体じゃ、一緒にいるだけで旗振って宣伝するようなものだ。
 
 俺はあんたとは行けない」
 
 バッツの言葉は最もだった。
 オルフは溜息をついて頷いた。
 
「…分かった。
 
 もう少し行ったら別の道を行こう」
 
 冷徹にバッツは首肯した。
 
 別れを告げようと、オルフが他の二人に向き直ろうとした時、エルナがすっと歩み出た。
 
「…では、私もオルフと行くわ。
 
 お別れね、フィリちゃん」
 
 エルナの突然の言葉に、オルフは思わず振り返った。
 
「な、何言っているんですか?!
 
 こんな男といたら、逃げられるものも逃げられなくなってしまいますよ!!」
 
 随分慌ててバッツがエルナを止めようとする。
 エルナは静かに首を横に振った。
 
「オルフが追われる理由の多くは、私を助けたからよ。
 その人を、犠牲になんてできない。
 
 それに、兵士たちの命を助けるように頼んで、手当てをしたのは私。
 彼に非は無いわ」
 
 凛とした言葉で、エルナは断言した。
 
「…俺と一緒に掴まっちまったら、婆さんの犠牲も無駄になるんだぞ?
 
 それが分かってるのか?」
 
 低い声でオルフがたしなめると、エルナは強く首肯した。
 
「なら、何をしたらいいのか分かるはずだぜ。
 
 つまらない貴族の見栄や、同情ならいらねぇ。
 俺は俺の意思でお姫さんを助けた。
 恩なんて感じなくていい。
 
 あんたはフィリたちと行くんだ」
 
 言い含めるようにゆっくりと言葉にするオルフ。
 エルナは、頑なに首を横に振る。
 
「貴方の意思があるように、私にも意思があるわ。
 
 貴族として、同情して選んだことじゃないの。
 これは私の〈人〉としての誇りよ。
 
 もしこの尊厳を失うのなら、貴族である前に〈私〉ではなくなってしまう。
 ここで貴方と別れたなら、私は必ず後悔するわ。
 
 貴方に助かってほしいというのは、私の希望。
 貴方と一緒に行くというのは、私の我侭。
 だから、見栄でも同情でもない。
 
 それに、私はマーサが守ってくれた〈私〉でいたい。
 そのために、貴方と一緒に行きたいのよ」
 
 蒼い双眸がオルフを見つめる。
 高潔な意思を感じさせる、澄んだ瞳だった。
 
(…ああ、そうか。
 
 この姫さんは、根っからの貴族なんだな)
 
 なぜ貴族が貴いのか。
 
 オルフは今まで貴族という存在を疎ましいと思っていた。
 偉そうに上から命令するだけの、略奪者。
 
 しかし、エルナはきっと本当の貴族、貴い人間なのだと素直に感じていた。
 
「…それで貴方が私を足手まといと感じたのなら、捨てて行ってくれてかまわないわ。
 
 私の考える貴方なら、きっとそんなことはしないと思うのだけれど」
 
 くすり、と微笑むエルナ。
 
「…分かった。
 
 勝手にしろ」
 
 少し呆れた顔で、オルフは苦笑しながら頷いた。
 
「…うん!
 
 じゃぁ、ボクもこんな鬼畜野郎じゃなく、オルフたちと行くね。
 バッツは一人でどこにでも行けば?
 
 すぐ人を切り捨てるやつの側にいたら、ボクも切り捨てられちゃうかもしれないからね。
 …後をついてくるのは勝手だけど、邪魔しないでよね」
 
 そう言ってフィリはエルナに駆け寄る。
 バッツは開いた口が塞がらない様子で、呆然としていた。
 
 オルフには、バッツが哀れに感じられた。
 仲間のことを考えるなら、バッツの出した結論も正しいからだ。
 
「…ではバッツさん。
 
 せっかく御縁があったのに、残念です」
 
 エルナは微笑んで、悪意無く止めを刺した。
 
(…痛ってぇ。
 
 あいつ、〈背中が煙突みたいに煤けて〉やがる)

 〈背中が煙突みたいに煤ける〉は、まっすぐ突っ立って火(酷い言葉や事実)にさらされると煤に塗れて口から煙を吐く煙突のように、呆然と突っ立って開いた口が塞がらないという意味で、女に振られたり金策が失敗して愕然となる人間に使う、北方人独特の比喩だ。
 
 すでにエルナとフィリは歩き出していた。
 オルフもそれに従う。
 
「あわわ、ま、待てよっ!!!」
 
 バッツは情けない声を上げ、慌ててオルフたちの後を追った。



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Y字の交差路


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PC3:フィリ

2018.07.22(20:04) 465

 マルディアン帝国とギマール共和国によるラトリア王国侵攻は、収束へと向かっていた。 

 隙をついて電撃戦を行ったマルディアン帝国軍がラトリア王国の王都を奪い、ギマール共和国軍は敗走。
 現在は、マルディアン帝国軍によるラトリア王国の残党とギマール共和国の敗残兵の掃討戦が行われている。

 帝国の側で、一際派手に戦う男がいた。 

 一見痩せたその男は、見た目に似合わない十字を象った美しい大剣で、近寄ってくる兵士を薙ぎ払った。
 たった一撃で、斬り伏せられた兵士は声も上げす絶命する。
 
 病的なまでに白く血の気の無い顔立ちは中性的で美しく、どこか退廃的な雰囲気を纏っている。
 口元に浮かべた冷たい笑みは、戦場では敵を恐怖させる不気味な迫力をかもし出していた。
 
 派手な刺繍をした、しかし全体的には質素な紺色の上着を着ている。
 それはどこか僧服に似た作りであった。
 首からさげた聖印や持った剣からも、敬虔な聖北教徒であることが見て取れる。
 
 他の兵士が簡素でも鎧姿なのに対し、随分と浮いた格好ではあったのだが…
 
 男が振るう剣は、一撃一撃が必殺。
 兜の上から頭を叩き割られ、また一人兵士が倒れる。
 
「芸のないことですね。
 
 罪深き略奪の輩は、業火に焼かれるのがお似合いです。
 婦女子のいる修道院を襲うなど、許されることではありません。
 
 主の怒りを知りなさい…外道ども」
 
 首を刎ねられ、血を吹いて兵士が倒れ伏す。
 
「ひ、ひぃ…
 
 お、俺は上の命令でやっただけだっ!
 それに、偽装しちゃいるが本当は味方なんだぜ?
 あんたたちを雇ったのは、今回は俺たちマルディアンの方…ぐぎゃぁっ!」
 
 全てを語らせる前に、男は喋りだした兵士の頭蓋を割った。
 
「ここには、光り輝く聖女様がおられたのです。
 
 聖域を汚した貴方たちは、死すら生ぬるい。
 悪魔のいる地獄がお似合いですよ」

 淡々と惨殺して行くその姿は、男の味方たちすら震え上がる迫力だった。
 彼は、修道院を襲ったマルディアンの兵二十名ほどのうち、すでに半数をただ一人で斬り殺していた。
 
「や、やべぇよ…
 
 いくらなんでも、味方を…」
 
 優男の部下らしい男が、引きつった顔でおそるおそる声をかけた。
 
「…おかしいですね?
 私は常日頃から侵攻を態度で示し、〈修道院や教会への狼藉は決して許さない。私の目の前で行ったのならば、味方であっても殺す〉と宣言していました。
 召喚が集まる場所で、他の傭兵団やギマール将兵にもはっきり告げたはずです。

 それに、ここを襲ったのは〈敵国ギマールの兵士〉だったはずです。
 私たちは悪辣な逆賊を退治して、神聖なる園に蔓延る穢れを掃ったに過ぎません。
 
 なのに、私の殺したのは味方だと?

 無抵抗の者から聖印を奪い、修道女に乱暴を働いた下種どもが、味方?
 貴方の目は腐っているのですか?
 
 …それとも、貴方もこの輩と同じ悪の手先だとでも言うのですか?」
 
 優男は剣を振るって、剣についた血をビシャリと払う。
 飛んできた血を浴び、優男に話しかけていた男は、ひぃ、となさけない声を上げた。
 
「…違うというなら、ほら。
 頑張って主の怨敵を屠りなさい。
 まだ少し残っていますよ。
 
 貴方にその大役をまかせましょう」
 
 返り血を拭いつつ、ニコニコと笑う優男。
 壊れた人形のようにコクコクと頷くと、その男は走り去った。
 
「…えげつねぇな、ジョージ。
 
 やる以上は徹底的にやるってのは俺も賛成なんだがな。
 団長が許可した略奪以外は絶対やらねぇのが、俺たち〈雪狼団〉の掟だ。

 友軍として一緒に行動するなら、俺たち雪狼の誇りに誓って、下種には従わねぇし鬼畜の所業は許さねぇ…それも言ってあったはずだが、無視しやがったのは殺された連中だ。
 ま、聖北の札をぶら下げたお前の前で教会の関係施設を襲うなんざ、大馬鹿としか言いようが言いようがねぇ。

 とはいえ、やりすぎだ。
 ちっと落ち着けや。

 全く貧乏くじだぜ、お前のお守りはよ」
 
 髭面のたくましい男が歩いてきた。
 優男をなだめつつも、手に持った剣は血に染まっている。
 
「…ナルグさん、いつも言っていますが、私の名はアレクセイです。
 
 聖名を呼ぶならゲオルグ。
 適当に呼ばないで下さいよ」
 
 拗ねたように口を尖らすと、優男は大剣を背負った。
 
「いいじゃねえか。
 ゲオルグってのは有名な竜退治の聖ジョージのことだろ?
 
 …呼びやすいしよっ」
 
 がはは、と笑う髭面。
 優男、アレクセイは大きな溜息を吐いた。
 
「ま、疲れた顔するのも、問答も後だ。
 
 まだ本物のギマールの敗残兵どもも、いるようだしな。
 まとめてしっかり〈敵〉は狩らねぇといけねぇ…」
 
 歯をむき出して、髭面は下品に笑った。
 
 アレクセイという優男と、ナルグというこの髭面の男は〈雪狼団〉という傭兵団に属す将兵である。 
 
 この度のラトリア侵攻において、勝者がマルディアン帝国になったのは〈雪狼団〉の迅速な活躍故であった。
 “魔狼”の異名をとる隻眼の猛将ビュリカが率いる傭兵〈雪狼団〉の武勇はラダニールで知らぬ者はいない。

 ビュリカは船足の早い小型船を用意してゼセルダ湖を南下し、南のギマール軍に戦力を割かれて手薄になっていたラトリア北端の砦を、即座に攻め落とした。
 後に続いて森を強行軍で抜けたマルディアン帝国の英雄レグジードが、本隊をもって王都を陥落させたのである。
 
 戦争の多いラダニールで、傭兵は花形であった。
 
 〈雪狼団〉の団長ビュリカは、早くから傭兵として大成し、ラダニールの戦場を巡って走り回り、敗戦で生まれた元軍人の浪人や荒くれ者、戦災孤児を集めて数千からなる傭兵団を組織した。
 戦場で生き残り、磨かれ、屈強の精鋭となった戦の申し子たちは、ビュリカという王狼の元、戦いという狩りに酔いしれていた。
 
 〈雪狼団〉。
 ラダニール最強の傭兵団として知られ、団長のビュリカはその武勇と男ぶりから、〈ラダニール五雄〉の一人と呼ばれた。
 
 マルディアン帝国の若き剣聖、“天剣の将”レグジード。
 エルトリア王国の大将軍、“銀髪の猛虎”カーライル。
 ギマール共和国の元首、“静寂の暴君”ジュナス。
 ギマールの大将、“黒龍将”ガダウス。
 そして国無き傭兵団首領、“魔狼”ビュリカ。
 
 五雄以外にも名の知られた英雄たちはたくさんいる。
 ラダニールは群雄割拠の時代であった。
 
 ナルグは〈雪狼団〉の副団長で、実質ナンバー2だ。
 “銀刃の牙”と恐れられる屈強の剣豪である。
 
 アレクセイは、まだ十代後半という若さで小隊を任されている。
 ナルグが拾い、そして育てた秘蔵っ子であった。
 蛮勇の傭兵たちに在って、その剛勇は“裁断者”という二つ名とともに知られ始めていた。
 
「…で、お前のお姫様がこの修道院にいたってことだな?」
 
 ナルグは周囲を警戒しながらアレクセイに問う。
 
 アレクセイはラトリア王国伯爵家の生まれながら、王太子の謀略による家の没落で身を男娼に落とし、その後殺人罪を犯して逃亡。
 戦場で彷徨っていたところをナルグに拾われた、という壮絶な過去を持つ。
 
 今回のラトリア侵攻で、アレクセイの土地勘は〈雪狼団〉に大きく貢献した。
 
 加えてアレクセイはラトリア総大将ワイルズ侯爵の親戚である。
 アレクセイの母は、ラトリア国王の異母妹であるエルナの母親とは父方の従姉妹同士で、アレクセイはエルナの婚約者候補だった。
 幼少の折には一緒に遊んだ記憶もある。 
 
「…“私の”とは恐れ多いのですが。
 
 大切な方です。
 そう、私にとって聖女様なのです」
 
 熱に浮かれたように、アレクセイは拳を握り締めて天を仰いでいる。
 それを見てナルグは口端を引きつらせた。
 
「あいもかわらず、臭ぇこというな、お前。
 
 俺にはできねぇぜ、《私にとって…》、うげ、鳥肌立ってきやがった」
 
 ナルグの失礼な言い草も気にせず、アレクセイは自分の世界に浸っている。
 
「そう、あれは忘れもしない。
 
 私が六歳の頃…
 初めて逢ったあの方は、その白雪のような頬を紅く染めて微笑み、私をアレクと呼んで…」
 
 ナルグは本気で耳を塞ごうとして、しかし急に鋭い目をした。
 
「ふ、副だんちょぉおおおお!!!」
 
 叫んで走ってくる男がいた。
 ナルグたちの仲間である傭兵だ。
 
「どうした?
 
 イエティにでも出くわしたような面しやがって…」
 
 至極冷静にナルグは聞く。
 アレクセイも押し黙った。
 
「そ、それが…
 
 先行していたマルディアンの下種どもが、殺されてやがるんです。
 あと、殺された婆さんが一人。
 
 見てくれからいって、死体の兵士どもは三流っぽいですが、五人もだ。
 
 かなりの使い手かもしれねぇ」
 
 アレクセイは即座に走り出した。
 それにナルグも続く。
 
「…お前の言うカーティン家のお姫様関係か?
 
 ギマールの連中に攫われたとしたら、痛いぜ。
 なにしろ、ラトリアの残党を束ねる総大将の娘だ。
 
 なんとか俺たちが確保しねぇとな」
 
 走りながらナルグが言うと、アレクセイは苛立ったように奥歯をぎりりと噛み締める。
 
「あの方を人質や政治の道具のように言う、ナルグさんの言葉には癪ですが…
 それはまた後で話しましょう。
 急がなければ…
 
 あの方を保護し守るのは、この私の役目。
 ギマールの悪漢などに指一本触れさせるものですかっ!!!」
 
 アレクセイは秀麗な顔を強張らせ、八重歯をむき出して疾走した。
 
 
 その頃…
 オルフとエルナは休息を終え、これからの対策を練っているところだった。
 
「俺はこのまま西に行って、ギーガー河沿いに下りイルファタルを目指すつもりだ。
 
 イルファタルの港からなら陸路でも海路でも南に行けるし、聖海教会の影響が強い独立都市国家で、周囲にグロザルム地方の有力な国が散ってるあの辺までだと、そうそう追ってくる連中もいねぇだろうしな。
 こっからあの森を越えて隣国に出ちまえば同盟結んだ連邦の中だから、おいそれとでかい軍隊は入り込めねぇ。
 
 水賊に注意して上手く行きゃあ、水運を使って難所越えもできる。
 河の道は、海側に出る時に限っては、わりと楽だって話だぜ」
 
 オルフの言う連邦とは、アルトヴァルト諸侯国連邦と呼ばれる連合国家群である。
 大国に対抗するため、〈古の森(アルトヴァルト)〉という広大な森林に網目のような道を作って乱立している小さな国の集まりで、各国そのものの力は弱いが、どこか一つが侵略されたのならば一丸となって攻め込んだ国に対抗する、という盟約がある。

 元はマルディアン帝国に対してできた同盟であり、ラトリア王国とは一応の友好関係であったため、マルディアンに敵対しギマールに捨てられた敗残の恩赦兵としての立場なら、割合亡命はたやすいと踏んでいる。
 敵の敵は味方というわけだ。
 手土産は、敵国の新しい情報でよいだろう。
  
「お姫さんは、何とか河を渡って南のカーティン侯爵領に行くか、近くの教会に保護してもらって、エンセルデルの法王庁まで行けばいい。
 
 カーティンの家柄なら、あの国は無下にはしないだろうからな」
 
 オルフは簡単な地図を描いて説明する。
 各国の分布と簡単に河と湖を書き込んだものだが、エルナは感心したように頷いていた。
 
「…驚いたわ。
 
 バドリアは、普通の民が字を書けるの?
 それに随分正確な地理を知っているのね」
 
 場違いな質問であるが、もっともなことである。
 
 学問は、思想を産み争いの火種となるため、貴族たちは平民が学問を学ぶことを嫌うのだ。
 オルフの出身国バドリアも貴族主義の国だったのだが、オルフのような貧農の識字率は皆無といってよかった。
 
「…バドリアが負けた後、戦争犯罪人扱いで掴まっててな。
 何年かギマールの捕虜収監所で強制労働させられていたんだが…
 
 政治犯って罪状で掴まってた相部屋の爺さんが、夜中にこっそり字や地理を教えてくれたんだよ。
 俺みたいな賎民出の阿呆にも、分け隔てなく接してくれた。
 好い人だったな…
 
 俺は落ちこぼれだったが、学問は面白かったから寝るのを惜しんで教えてもらった。
 よく寝不足で、爺さんと一緒に監守にどやされてたぜ」
 
 余談であるが、オルフが学んだ老人は“共和の父”と呼ばれる北方の革命家サギーニである。
 彼は若き頃、ギマール共和国樹立に貢献したが、軍事国家に変容するギマール政府を非難して政治犯として囚われ、オルフがその最期を看取ったのだ。
 
 オルフが戦場で生き残ってこれたのは、サギーニに学んだ学問のおかげでもある。
 
 ギマールと言えば、かつては学問と自由の国であった。
 
 統一帝国で敷かれたかつての共和制から学び、この閉鎖的なラダニールに新しい文化の一石を投じたとも言われている。
 西のアドルリア連邦樹立の父ハースや、神学に革命をもたらしたガレグリオ枢機卿。
 大国マルディアンを相手に、失われた領土を取り戻したクラウスの摂政“北の麗賢”エルデリーダの師、大賢者グリーデンも、軍事主義に変わる前のギマールの学徒であった。
 
「…ま、こんな話は置いておいてだ。
 
 お姫さん、あんたはどうするんだ?」
 
 話を戻したオルフ。
 エルナは強い意志を宿した瞳でじっとオルフを見返した。
 
「…私も一緒に南に行きたい」
 
 信じられないという顔で驚くオルフに、エルナは弱々しく微笑んで話を続ける。
 
「これから私の父は残ったラトリアの者たちをまとめ、第三王女セリニア殿下を奉じてラトリアの復旧活動を始めるでしょう。
 
 間違いなくマルディアンに、反乱分子として狙われることになるわ。
 そんな時、娘の私がこのラダニールに存在すれば、政治の道具として狙われ、掴まれば父たちにも迷惑をかけることになるでしょう。
 それに、冬のギーガー河を越えるのは無理そうね。

 このあたりの教会も、修道院同様に襲われれば、教会の関係者に迷惑がかかるでしょう。 
 法王庁にも、各国の影響は強いわ。
 ラトリアを滅ぼしたマルディアン出身の枢機卿もいる。
 
 すでにラダニールは私の安住の地足りえず、私という存在は争いの火種になりかねない。
 
 マーサは親戚の貴族を頼って、エンセルデルの法王庁に行くべきだと言っていたけれど…
 私は、ラトリア王都が陥落したのであれば、ラダニール地方から出ようと考えていたの。
 でも結局、行くあても無くて迷っていた。
 
 …そんな時、貴方に逢ったわ。
 
 貴族育ちの私に、できることなんて少ないでしょう。
 けれど、私は利用されるだけの道具にも、親しかった人たちの荷物にもなりたくない。
 だから、その…
 
 オルフと一緒に、南に行くのは、ダメかしら?」
 
 腕を組んでオルフは考え込む。
 やがて、吐き出すように低い声で答えた。
 
「…正直、俺も行くあてなんて無ぇ。
 戻る国も無いし、ギマールに戻ってもたぶん戦争三昧で終わっちまう。
 
 だから、とりあえず南に行くだけだ。
 
 どこで野たれ死ぬかもわからねぇ。
 この国を出るのだって、ほんとはできるかあやしいところだ。
 
 …それでも俺についてくる気か?」
 
 エルナは強く頷いた。
 
「―――貴方が許してくれるなら。
 
 それに、お互い何も無いなら、二人でならできることもあるかもしれないわ。
 迷惑をかけることに、なるかも知れないけど」
 
 オルフは正直なエルナの言葉に苦笑いする。
 
 エルナとは、何れ別れると考えていた。
 しかし、長い間孤独だったオルフは、どこか妹に似ているエルナと別れることを寂しくも思っていた。
 
「…《麦の穂は茎があって実る》か」
 
 頼るもの無くして物は存在できない。
 人も協力して生きるべきである、という意味の故郷の言葉。
 
「…おぉ、いい言葉。
 
 兄さん博識だねぇ」
 
 突然かけられた声に、即座にオルフは剣を構えた。
 エルナも緊張したように、声のした方角を見る。
 
「待った待ったっ!
 
 敵じゃないっての。
 とりあえず話をさせてよぅ…」
 
 そういって近くの茂みからひょっこりと現れたのは、驚いたことに子供の上半身だった。
 
 年の頃は十二、三か。
 発育不良のようで、背は低い。
 頭巾でくすんだアッシュブロンドを覆っていた。
 灰色の瞳はどこか人懐っこい光を宿している。 
 背には弓を背負っているが、弦は張っていない。
 腰に手斧を吊り、動きやすそうな服と革製の簡易防具を身につけている。
 
 子供は愛想笑いを浮かべつつ、慎重に近くの茂みから這い出してきた。
 
「ボクのことはフィリって呼んでね。
 
 西方諸国…というか、ここからだと南になるのかな。
 あっちの方から仲間と旅してきてたんだけど、戦争に巻き込まれてはぐれちゃってね~
 
 この国での目的は果たしたんだけど、一人でほっぽり出されて困ってたんだ。
 
 さっきなんか、血走った目をした兵隊どもが走り回ってて、慌ててここに隠れたんだけど…
 疲れて寝てたら、お兄さんたちが話をしててさ。
 
 そしたら、ここから逃げようって相談してて。
 なんだが仲間になれそうな人たちみたいに感じてね。

 しかも、都合よく南に行こうって話しじゃない。
 
 いや~、天の助けというか、運命だねこれって」
 
 馴れ馴れしくまくし立てる子供に、オルフとエルナはぽかんとした顔になった。
 
「この辺の地理は弱いけど、イルファタルから西方諸国に行くルートは知ってるよ。

 連邦で使える国境の通行証も、先日まで同行者がいたから…じゃじゃ~ん!
 四人まで大丈夫ってのを携帯してる。
 
 お兄さん強そうだし、もし協力してくれるならボクも手を貸す。
 突然な話なんだけど、西方諸国に着くまで仲間にならない?」
 
 待て、とオルフは落ち着こうとして子供の言葉を遮る。
 
「降って湧いた話で、訳がわからん。
 
 フィリだっけか?
 坊主、お前…」
 
 途端、子供はぐいとオルフに近寄って指を突きつけた。
 
「お兄さん、レディに対して坊主は失礼だよ。
 
 ボクは女の子。
 レミ村のフィランヌ。

 ぴっちぴちの十二歳だよ」
 
 よく見れば線の細さや微妙に腰の丸みから、この子供が女であろうと分かる。
 
「この格好は、世知辛い旅で、血の気の多い狼さんたちから身を守る処世術ってやつなんだよ。
 
 女の子だと、こんなつるぺたんな小娘にすら鼻息が荒くなる変態さんもいるしね。
 いたいけな少女に乱暴するなんて、ほんと悪い人たちだよ。
 
 そういうわけで、ま、間違われるのは仕方ないんだけどね~」
 
 すっかり相手のペースに飲まれ、オルフとエルナは顔を見合わせた。
 やがて、エルナが恐る恐る話しかける。
 
「あのね、フィリちゃん。
 
 それで、あなたはとりあえず私たちと一緒にイルファタルに向かいたい、ということなのよね?」
 
 エルナの問いに大きく頷くと、フィリと名乗ったボーイッシュな少女はニカリ、と笑った。
 
「贅沢を言えば、はぐれた仲間と合流して帰れれば嬉しいけどね。
 
 そいつ…バッツて奴なんだけど、根性無いかわりに女の名前覚えるのと逃げるのは得意なんだ。
 アイツの力を借りれば、さらに逃亡しやすくなると思うよ。
 
 気難しい奴だけど、お姉さんがちょっと目を潤ませて〈お願い〉すれば、楽勝、楽勝。
 
 はぐれた時はラトリアの西の国境線にある森で落ち合うことになってるから、そこに向かえばきっと会えるよ。
 二人より三人、三人よりは四人、ってね。
 
 それに、さっきの様子からすると行くあても職のあてもないんでしょ?
 
 ボクたちが来た西方諸国の、リューンていう交易都市にいけば、職の一つぐらいは何とかできると思うよ。
 このあたりより戦争が少なくて楽しいところだってことは、保障するし。
 
 ねっ、ねっ、手を組もうよ~」
 
 オルフとエルナは互いに肩をすくめると、頷き合って苦笑した。
 
 
 その後、オルフ、エルナ、フィリの三人は西に向けて出発した。
 始終賑やかに喋っているフィリは、旅慣れた様子であった。
 
 話の内容は、このラダニールに来てから見た場所や、戦争についてが主である。
 
「…というわけで、南のエルトリア王国はいい国だったのよ~
 さすがは名君“雪原の獅子”が治めてるだけあるよね。
 
 知ってる?
 あの国って、平民出身でも強くて頭さえよければ軍学を学べる、修士館という学校があるんだって。
 最近、修士館を出たあの国の王女様が、上位の軍職に推挙されるって話だよ。
 女の仕官が認められているんだ。
 
 女性の権利が確立されてるなんて、進んでるよね~
 このあたりって、女性差別する国が多いでしょ。
 ボクも子供で女だからって、随分酷い態度を取られてるんだよね」
 
 フィリの賑やかさに辟易しつつも、この少女の陽気さは二人の心を慰めていた。
 
 話によると、フィリはこの年で冒険者という職業に就いているのだという。
 
「いや~、故郷が黒死病にやられてさぁ。
 街ごと燃やされちゃったんだ。
 
 ボクは父さんが町外れに住む狩人だったから、病気には罹らなかったんだけど、街を焼く兵士に怒って抗議した父さんはあっけなく殺されちゃってね。
 母さんはボクが小さい頃に死んじゃったから、天涯孤独になっちゃったの。
 仕方なくリューンに流れていって、そこで子供でもなれる冒険者って職業を見つけて就職したというわけ。
 
 今回の旅は初仕事で、イルファタルまで相棒と荷物を届けるだけだったんだけど、荷物をスリにやられてこんなところまで追いかけて来たんだよ。
 そのスリが、荷物を渡す相手の敵対組織の連中で、何とかこの国のウェイデンの街で捕まえたんだけど、見事に戦争に巻き込まれちゃったんだ。
 
 ところで…お兄さんはギマール軍の兵装だから兵士として、美人のお姉さんはお坊さん?
 それにしてはちょっと服装が違うみたいだけど…」
 
 エルナの衣装は修道服ではあるが、刺繍などの細かい部分が違う。
 全体的にもかなり良質のものだ。
 
「私は…」
 
 自分のことを正直に話そうとするエルナを、慌ててオルフが止める。
 エルナは微笑んで首を横に振った。
 
「仲間に隠し事はいけないわ、オルフ。
 
 …ごめんなさいね、彼に悪気はないの。
 私の出自は、下手に話すと危険を伴うから。
 
 あのね、フィリちゃん…

 エルネード・マリア・カーティンというのが私の本当の名前。
 ラトリア軍の大将軍、ワイルズ・アントニヌス・カーティンの娘よ。
 
 父はこの国の南にあるウェールハインの領主で、侯爵の名誉を戴いているの」
 
 フィリが驚きで目を見開いて硬直する。
 
「え、え~、えぇっ、えっ?!
 
 カ、カーティンって、もしかしてあの“白銀の勇将”ワイルズ将軍?
 ラトリア最強の英雄で有名な?」
 
 ワイルズ将軍といえば、北方では国際的な英雄である。
 彼をラダニール十傑という枠に数える者もいるぐらいだ。
 高潔で民を大切にする気質は多くの支持者を得、人はワイルズを名君と評している。
 また貴族に伝わる古い剣術の使い手で、ある意味、今のカーティン侯爵家はワイルズの武勲と共に語られるほどだ。
 
「そ、それじゃあ、マルディアンの兵士たちが血眼になって探してるラトリア軍総大将の一人娘って、お姉さん?
 
 す、凄い大人物じゃないっ!!!」
 
 そんなことないわ、とエルナが微笑むが、フィリは興奮した様子だった。
 
「わ、わかった。
 
 絶対、秘密にする。
 ボク、約束は守るから。
 
 信頼してくれて話してくれたんだもん」
 
 フィリの言葉に、エルナは嬉しそうにその手を取る。
 照れくさそうに笑うフィリ。
 その横でオルフは安堵したように、ぶはっと息を吐いた。



⇒PC3:フィリの続きを読む

Y字の交差路


タイトル画像

PC2:エルナ

2018.07.22(00:27) 464

 現在オルフは、ラトリア王国の西を目指して逃亡していた。

 ラトリア王国の歴史は古い。
 古代にこの地方を支配していたグロザルム統一帝国が、聖北教会を国教として共和政になった後のこと。

 南方からやって来た鐵の民の首長が、内戦によって逃亡した帝国の第一皇女(統一帝国建国帝の嫡流)と結婚して鐵の王国と呼ばれる国ができると、十王国と呼ばれる十の国が次々と建国されて行くのだが…ラトリアは統一帝国の皇族が三番目に建国した国だ。

 帝国の象徴たる、大いなるゼセルダ湖に面していたため、「我らこそ統一帝国の真の後継である」として、【真なる地】を意味するラトリアと名乗ったのである。

 十番目にできた北のマルディアン帝国とは、常に統一帝国後継の正当性を争い、聖地エンセルデルを挟んで小競り合いを続けていたが、ラトリア王国は貴族の腐敗が酷く、この年に起きた蝗害によって飢えた国民から搾取を行い、農民の小規模な反乱が勃発する。

 これに乗じて「腐敗した貴族政治の撤廃と、領民の救済」を名目に東のギマール共和国が、ダズウェル王国北にある森を抜けてラトリアに侵攻。

 英明で有名な王国総大将のワイルズ侯爵は、マルディアン帝国の南征を警戒し、国の南方を一端放棄して大河を盾にした防衛戦を提案するが、国王がこれを却下。
 王侯貴族たちは南征によるギマール軍撃破にこだわった。

 王命に従いワイルズ侯爵は大河を渡って西に進み、ギマール軍のロタリオ中将の率いる精鋭を戦力に劣る騎士団を率いて激戦の果てに破り後退させるが、水軍を扱ったらギマール一と名高いワスロー中将の率いる別動隊が、ゼセルダ湖から海へと続く大河ギーガーを遡って、侯爵軍の背後に隠れていた王太子軍を急襲し、やすやすと撃破して無能な王太子の首級を上げた。
 このラトリア軍の大敗に乗じて、侯爵の予想通り北からマルディアン帝国が突然の宣戦布告によって侵攻、電撃戦で王都を陥落させ、国王以下王都にいた王族と貴族は皆殺しにされてしまった。

 勝ち戦だったはずのギマール軍は、状況がひっくり返り、慌てて退却を始めた。

 この時、ラトリアの司令官であるワイルズ侯爵は即座に前線を放棄し、背後に回ったギマール軍の目前を川沿いに逃れ、馬を捨てて山地を強行軍で突破。
 ただ一人ワイルズ将軍の警告に従って南に避難していた王族の第三王女セリニアを救出、彼女を奉じて南の自領に逃亡した。
 そこで臨時政府を樹立すると、南方のエルトリア王国に同盟を持ち掛け、突破が難しいイオニスの大森林を背にギーガー河を使った堅牢な防衛陣を敷いていた。

 現在旧ラトリア王国領では、混乱に乗じて王都を奪ったマルディアン帝国軍が大義名分を振るって、ギマール共和国軍を掃討しているところであった。

 ギマールとしてはこれ以上戦うわけにもいかず、ギーガー河を渡った南東部まで引き返してそこに防衛陣を引いた。
 そこは南のエルトリア王国とダズウェル王国の国境も近く、長く陣を張るのは難しいだろう。
 
 現在は、卑劣なマルディアンの奇襲にギマールが抗議文を送り、両国が睨み合っている。
 オルフのような敗残兵は、大河を背に川向うに放置され、自力で敵の領地を突っ切って逃亡するしかない。

 このような状態になっているとは知らなかったが、オルフは迷わず逃亡兵になることを選んでいた。 


 周囲に大勢の人の気配があり、甲冑や武器が擦れる金属音がせわしく響いてくる。
 人の気配のする方角から距離を取りつつ、オルフは足早に夜道を歩いていた。
 
(…マルディアンの兵士だな。
 
 この近くで、誰か偉いやつでも追ってるんだろう。
 
 たぶんさっき見た、炎上していた修道院の関係ってとこか。
 修道院には、偉い貴族の子女が居たりするからな)
 
 修道院を燃やしたのは、マルディアン帝国の兵士のようだ。
 帝国は古代、大陸に君臨していた統一帝国の真の後継を謳う大国で、北方ラダニール諸国の中で最大の軍事国家であり、近年は侵略による国土拡張でさらに領土を広めつつある。
 
 オルフの属していたギマール共和国も大国であり、ラダニールの覇権を争って、長い間マルディアンと小競り合いが続いている。
 ギマールとマルディアンが直接戦争に及んでいなかったのは、両国が互いに別の国と戦争中だからだ。
 
 ギマールはダズウェル王国という小国家と緊張状態にある。
 ダズウェルは、隣国エルトリア王国と戦争していたが、今はギマールを警戒して停戦中だった。
 
 マルディアンは、ラダニールで唯一の魔術師育成機関があるクラウス公国と戦争中であったが、クラウスの若き摂政にして“北の麗賢”と呼ばれる公女エルデリーダの登場で戦況は覆り、占領していた領土は全て奪還されていた。
 
 停滞した状況を好転させるため、近年、とりあえず弱い国を滅ぼして敵国を牽制しようという理由でギマールとマルディアンは盛んに周辺の小国や自治都市の侵略を繰り返していた。
 それに脅威を覚えた小国群がアドルリア連邦を樹立して対抗し、さらなる膠着状態となる。
 
 そんな大国に挟まれていたラトリア王国は、特別優れた産業もない歴史だけの小さな国だ。
 貴族による腐敗した政治のせいで、すでに黄昏の時代だった。
 敗戦で、間も無くその古い青史も終わろうとしている。
  
 今回のように二つの国が一国を争奪する戦いでは、謀略も大いに使われ、ライバル国の人気を落とすために虐殺や略奪が容認される場合もある。
 非道な行為を働いて、ライバルの国の仕業だと噂を流し、罪を押し付けるだ。

 自国の民の啓蒙と、大義名分をもっているのだということを兵士に刷り込ませるために、いつしか専門の汚れ役が生まれていた。
 
 こういった仕事を率先して行う、野盗同然の部隊。
 捕虜を奴隷として人身売買し、裕福な家や僧院を襲ってその蓄えを奪う。
 戦争を言い訳に略奪三昧を行い、それを楽しんでさえいる下種である。
 
 先ほどの修道院は、そういった者の暴虐にさらされたのだろう。
 
 ラダニール地方の人間は多くが聖北の徒であるが、異国人であれば異教徒ととこじつけもするし、統制の取れていない下級の将兵にとって、戦時のどさくさにまぎれての略奪は当たり前だった。
 加えて、オルフが見た修道院は、おそらく女性のためのものだろう。
 
 下劣な下級の兵が集団で略奪者に豹変し、身勝手な正義をかざして修道女に狼藉を働いたのだ。
 
 神に純潔を捧げた世間知らずの美しい女たちがいると聞いただけで、好色そうに舌なめずりしていた者を、オルフは見たことがある。
 噂ではその男が、ある村の教会を襲い、修道女や村娘をなぶり殺しにしたという。
 
 このような鬼畜が現れても、戦場では弱い者が虐げられるだけだ。
 
 燃える修道院と、近くで死んでいた裸の女性。
 略奪を受けて装飾の引き剥がされた壁や、ロザリオ一つ着けず惨殺されている老いた修道女たち。
 
 湧き上がる不快感に眉をひそめ、オルフは足を速めた。
 
 
 しばらく行くと、人の気配や喧騒からだいぶ離れることができたようだった。
 オルフは近くの茂みに身を潜めると、大きく息を吐く。
 緊張した状態で走るのはなかなかに骨が折れた。
 
 息を整え、また逃亡に移ろうと思案する。
 
 …不意に近くで人の気配がした。
 どこか争うような声も聞こえる。
 
 様子を探るため、オルフは茂みの間から声のした先を覗き見た。
 
 白いものが髪に混ざる上品そうな修道女姿の老婆と、フードを目深に被った背格好から女らしい人物が兵士たちに囲まれていた。
 老婆は女を後ろに庇い、じりじりとこちらの茂みに後ずさっている。
 
(まずいな。
 
 このままだと、俺が隠れていることがばれる…)
 
 オルフは剣の柄に手をかけ、いつでも飛び出して反撃できるように構えを取った。
 
 一方、老婆は毅然と兵士たちを睨み、甲高い声で叫んでいる。
 兵士たちはニヤニヤと笑いながら距離をつめていた。
 
 下品な兵士たちの態度が頭に来たのだろう。
 老婆が歩み出て兵士たちの歩を止める。
 
「…無礼者っ!
 
 この方をどなたと…」
 
 全てを言う前に、その老いた修道女は斬り伏せられた。
 老婆の細い身体は腹まで袈裟斬りにされ、大量の血潮が噴出し、力なく大地に倒れ伏す。
 
「マーサッ!」
 
 フードを被った女が、悲痛な声で叫んだ。
 
「…あ、あぁ、姫様。
 
 どうか、ど、うか、逃げ…て…」
 
 そう言って動かなくなった修道女を抱きかかえ、女は癒しの聖句を必死に紡ぐ。
 教会の聖職者が良く用いる癒しの秘蹟【癒身の法】である。
 
 だが、虚ろに目を見開いたまま、老いた修道女はもう動かなかった。
 
「おお、姫様だと。
 
 俺ら、もしかして大物を見つけたっぽいなっ!」
 
 修道女を斬り殺した剣の平で、肩をぽんぽんと叩きながら、兵士らしい男が得意そうに口の端を吊り上げた。
 装備は皮製の粗末な物。
 いかにも寄せ集めの兵士の一人、という感じだった。
 
 オルフと同じように徴兵された兵士であろうが…自分たちの立場を最大限に利用し、悪行も平気でするタイプの者たちのようだ。
 略奪を好み、殺人を楽しみ、女と見れば乱暴を働く。
 子供や老人を平気で殺す、戦乱が産んだ悪漢たちであった。
 
「あれだ、確かラトリア王家縁の貴族の一つ、カーティン侯爵家の御令嬢。
 
 さっきの修道院って、カーティン家の隠居所の一つだったからな。
 噂じゃあ、侯爵の一人娘が花嫁修業中だったはずだぜ」
 
 もう一人の兵士が顎に手をやりながら、老修道女を抱いている女を見下ろした。
 その兵士は金属製の鎧を着ている。
 装備品から見て隊長格であろうか。
 
「ひゅうっ♪
 カーティンっていやぁ、あのワイルズ将軍が当主だろ?
 王族から臣籍降下した超名門のお姫様じゃねぇかっ!
 
 大手柄だぜ、俺たち」
 
 兵士の一人が興奮して下品に唾を飛ばす。
 
 女はそっと修道女の身体を地に横たえさせると、毅然と兵士たちを見返す。
 
「私が目的ならば、何故修道院を燃やし、人を殺すような狼藉を行ったですか。
 
 皆、優しくて好い人たちだったのに…」
 
 そう言って女は俯いた。
 泣いているのだろう。
 
「あはは、【狼藉】だってよ~
 
 お姫様は言葉が違うよなぁ」
 
 がはは、と笑い、剣を持った兵士は女に近寄ると被っていたフードを引き剥がした。
 
 美しいブロンドの柔らかな髪が、はらりとこぼれ出る。
 
 兵士は目を見張った。
 周囲の兵士たちも同様だった。
 
 北方人らしい白い肌。
 まだ涙に濡れる長い睫毛の先からのぞく、青く澄んだ瞳。
 悲しげに結ばれた艶やかな唇。
 
「…うひゃぁ。
 
 俺、こんな美人みたことないぜ…」
 
 兵士たちは、驚いて、すぐに好色そうな顔になる。
 
「…なぁ。
 
 貴族の娘には死体でも賞金が出るんだろ?」
 
 先ほど修道女を斬り殺した男が、周囲の兵士たちを見回してにやりと嗤う。
 
「ば~か。
 
 こんな上物、殺すより売った方が儲かるだろ?
 …もちろん、俺たちが楽しんだ後で、でもだ」
 
 にじり寄る男たちを、ブロンドの娘は悲しげに見つめていた。
 
 
(…何やってんだ、あの女はっ!)
 
 オルフは、忌々しそうに唇を噛んだ。
 あれでは女を逃がそうとした修道女が無駄死にである。
 
 苛々するオルフの心など届くはずも無く、女は跪き、目を閉じて冥福の祈りなどを口にしている。
 逃げも怯えもしない女の態度はたいしたものだが、それで改心する兵士たちではない。
 オルフは蹂躙されるであろう、娘の未来を思い、唇を噛んだ。
 
 オルフの脳裏に、熱にうなされながら、天国にいけるように祈っていた妹の姿が思い出された。
 食べる者も無く、いつも痩せていた妹は、信心深くいつも祈っていた。
 
(…あいつが生きていれば、あのぐらいの歳か)
 
 流行り病で死んでしまった妹も、この娘のように美しいブロンドだった。
 オルフの妹は神様が与えてくれた宝物だと、大切そうに髪を撫でながら頬のこけた顔で微笑んでいた。
 
 病に侵され、瞳から光の無くなっていく妹の手を、オルフはただ握ることしかできなかった。
 妹が死に逝く時、オルフはまだ無力な子供でしかなかった。
 
 荒れた唇の鉄臭い血の味を噛み締め、女の方を見る。 
 血走った目をして、女の服に手をかける兵士。
 
「…糞がっ!!!」
 
 オルフは飛び出して突進する。
 迷わず剣を振るった。
 なまくら同然の剣は、女の服に手をかけていた兵士の肺と心臓に半ばめり込んでへし折れる。
 
「…こぉぼぼ、あ?」
 
 肺から血と一緒に空気が出て行く音。
 何が起きたか理解できずに、その兵士は倒れて動かなくなった。
 
「…なっ?
 
 てめ…ごばぁっ!」
 
 折れた剣を金属鎧を着た兵士の口に突っ込み、痙攣するその兵士を蹴り倒すと、剣をぶんどる。
 
(…残りは、三人!)
 
 そこに居た兵士たちは五人。
 奇襲で二人を倒し、前の剣よりは切れそうな得物を手に入れている。
 
(あと一人ぐらいは…!)
 
 担ぐような構えから振り下ろす重い一撃。
 オルフが戦場でとある剣士から学んだ【担ぎ颪】という技である。
 
 ビョウゥゥッ!!!
 
 空気も一緒に両断するような音…
 
 凄まじい斬撃に肩当から腹まで割られた兵士は、言葉も無く絶命した。
 
 骨に引っかかって抜けなくなった剣をあきらめ、オルフは襲い掛かってくる兵士を殴る。
 敵の反撃を受けて脇腹に走った激痛をこらえ、無造作に敵の剣を掴んで、その股間を蹴り上げた。
 嫌な感触が、兵士を男として終わらせたことを教えてくれた。
 しばらくは起き上がれまい。

 少し切れたが、農業で鍛えられた彼の掌は血が滲む程度。
 
「ひ、ひぃぃぃ!!!」
 
 泡を吹いて昏倒する兵士から武器を奪って、最後の一人を睨む。
 四人を瞬く間に倒して返り血を浴び、髪を振り乱したオルフは、さながら食人鬼のように迫力があった。
 
 慌てふためく最後の兵士が、やけになったように剣を振り回す。
 オルフはゆっくりと剣を振り上げ、容赦なくその兵士の頭蓋を叩き割った。
 
 
「…はぁ、ぐっ。
 
 くそ、一発もらっちまったか」
 
 脇腹を押さえ、傷の程度を調べる。
 
(…大丈夫だ。
 
 はらわたまでは、届いてねぇ)
 
 べったりと手についた血を、倒れている兵士の服で拭う。
 布を裂き、脇腹に当てて手で押さえた。
 そして、呆然としている娘を睨みつける。
 
「…この阿呆がっ!
 
 お前、婆さんの行為を無駄にするのかよっ!!」
 
 怒鳴りつけられた娘はビクリ、と震える。
 
「…ったく。
 
 ああ、もう、糞っ!
 これで俺も完全なお訪ね者じゃねぇかっ!!!」
 
 転がっていた兜を蹴り飛ばし、忌々しそうにオルフは唾を吐き捨てた。
 溜息を吐き、灰色の空を見上げる。
 
 かつて剣術の手ほどきをしてくれた、ある戦士の言葉を思い出す。
 よく「お前はお人好しだ」と言っていた。
 
「…《麦を踏んだら霜も踏め》だ…畜生めっ!」

 故郷で、冬の麦を踏んで強くし、ついでに霜の害も忘れずに対策を一緒にやれ…やりかけたことは責任をもって最後までやれという古い言葉を思い出し、オルフは諦めたように返り血を拭った。
 
 そして娘の手を掴むと、引きずるように場を後にしようとして、思い出したように立ち止まった。
 自分が纏っていた襤褸を脱いで老婆に被せると、倒れた兵士から外套を剥ぎ取る。
 
「これで追い剥ぎかよ。
 
 もう、お袋に顔向けできねぇな…」
 
 苦々しい表情で呟き、先ほど受けた傷を押さえて呻く。
 女が近寄ってきてオルフの脇腹に軽く手を添えた。
 
「おい、何を…」
 
 眉をしかめたオルフを手で制し、女は澄んだ声で聖なる言葉を紡ぐ。
 同時に傷の痛みが、すっと引いた。
 
 オルフは、ばつが悪くなって頭をかくと、一番ましそうな剣と携帯品を兵士の死体から奪うと、黙ったまま女を引っ張って、その場を後にした。
 
 
 …どれほど歩いただろうか。
 
 半日近い間、オルフと女は黙々と歩いていた。
 大柄なオルフの足についてくる女の根性も、大したものである。
 
「…少し休むか」
 
 オルフはどっかりとその場に座り込んだ。
 額から汗がこぼれ落ちる。
 
 女もへたり込むように座り込む。
 一言も喋らなかったが、疲労はしているらしい。
 
「今時の貴族は山歩きもするのか?
 
 俺みたいに田舎育ちについてこれるんだから、感心したもんだぜ」
 
 オルフが褒めると、女は首をかしげ、やがて弱々しく微笑んだ。
 
「修道院生活が長かったからだわ。
 
 山中の修道院で労働して過ごせば、このぐらいはできるようになるはずよ」
 
 そんなもんか、とオルフが言うと、そんなものねと女が返す。
 
「…さっきはごめんなさい。
 助けてくれたのにお礼も言わないで。
 
 有難う。
 
 あと、マーサを弔ってくれたことも」
 
 女は深々と頭を下げた。
 
「ああ、いや、俺も強く言い過ぎたかもしれねぇ。
 傷も治してもらったしな。
 
 …あの婆さん、知り合いだよな?」
 
 女は頷く。
 
「私のお目付け役で、小さな頃からずっと一緒だったわ。
 
 修道院にも一緒に来てくれて、二人で司祭様の祝福を受けたの。
 私の、家族同然だった」
 
 女は少し寂しそうに、しかし毅然とした態度で話した。
 
「…もう少しでマーサの行為を無駄にしてしまうところだったわ。
 
 私があの兵士たちに乱暴されて売られたり殺されたりしたら、マーサの死を冒涜してしまうわよね。
 そうなっていたなら、確かに阿呆だわ…」
 
 無理に微笑んでいると分かる顔だった。
 
「俺は貴族って奴は、もっと我侭で身勝手な奴だと思ってたよ。
 あと、肝心なところで屁っぴり腰になって泣き出すような感じだな。
 
 …あんたは違った。
 度胸はたいしたもんだよ」
 
 オルフは女の気丈さに、心底感心していた。
 自分のような一介の兵士に対しても謙虚な態度で接する部分には、好感も覚えている。
 
「死んだ母の口癖だったの。
 
 人の上に立つ貴族は、人の何倍も責任が伴うのだと。
 
 我侭を言うだけなら、子供にもできるわ。
 自制と節度をもって人を導くのが、本当の貴族なんだって。
 
 それに、貴族は生まれが偉いのではなく、己の血を貶めない行為こそが尊ばれるのだと父が言っていた。
 
 でも、私は普通の人よ。
 貴方と同じ、赤い血が流れているもの」
 
 はにかんで微笑むと、女はオルフに向き直る。
 ごく普通の口調だが、仕草は洗練され優雅だった。
 
「まだ名乗っていなかったわね。
 
 私はエルネード。
 カーティン侯爵家の娘、エルネード・マリア。
 
 勇敢な貴方の行いに、感謝を…」
 
 あらためて名乗り、女は頭を下げる。
 
 この地方で、姓を持つ者はそれなりの家柄である。
 
 一介の農民出身であるオルフも、ラトリアの名家カーティンの名は知っていた。
 
 その先祖は、この地をかつて治めていた統一帝国グロザルムが十王国と呼ばれる国に分裂した時代までさかのぼり、同じ北方にあるシグヴォルフ王国やマルディアン帝国同様、統一帝国の皇族を先祖に持つラトリア王家の王族が臣籍降下してできた由緒正しい家だ。
 王家と公爵家に次ぐ名門である。
 王族の血も入っているため、歴史の長いラトリアでは、カーティン家の血を引く王が輩出されたこともある。
 
 現カーティン侯爵ワイルズは武勇でも知られる名君で、善政で領地を治め、ラトリアにあって一番優秀で聡明な貴族だと言われていた。
 他国にその名声が聞こえるほどである。
 
 カーティン家は、ラダニール地方の聖北教会にとって総本山である聖地エンセルデルに縁が深い、熱心な聖北教徒でもあった。
 
 エルネードのセカンドネーム〈マリア〉は洗礼名である。
 聖北教会を国教とするラトリアでは大抵、有名な聖人や聖女、天使や聖職者の名前を洗礼名としてもらう。
 きちんとした洗礼を受けた、教会信徒である証だった。 
 
「…俺はラインドの息子、オルフだ」
 
 オルフも名乗る。
 先に名乗る礼節を尽くした相手には、それに名乗って応えるのが誇り高い北方男の礼儀であった。
 
 女は小さく頷いた。
 
「オルフ…
 
 その訛りはバドリア公国の人でしょう?
 オルフって、獅子という意味だったかしら…強そうな名前だわ」
 
 北方の平民はよく、「~の子」という名乗り方をする。
 西方の文化が聖北教会の伝道とともに入ってきたラダニールでは、西方の公用語が平準になりつつあるが、名前に関しては昔ながらということも多い。
 
「…正しくは狼や獅子みたいな強い〈獣〉ってような意味だな。
 北方男はどこでもそうだが、バドリアじゃ、男は強くってのが普通だったからよ。
 
 でも、生まれは〈賎民農奴〉…下賎の出ってやつさ」
 
 オルフの故国である旧バドリア公国は、大公が治める厳しい身分制度のある国だった。
 彼は卑しいとされる最下級の貧農出身である。
 
(バドリアは滅んじまったし、故郷は焼かれてもうねぇが…
 
 あんな国、滅んでも悲しむのはきっと偉くて幸せだった奴らだけだ。
 生き残った俺は、〈獣〉よか、野良犬みたいなもんだな)
 
 祖国を滅ぼしたギマール共和国は嫌いだったが、かつてオルフが育った祖国も、決して良い国ではなかったと思う。
 搾取されることに慣れ、磨り減っていく生活をしていたオルフにとって、そんな感慨しか湧かないのだ。
 
「あんたの名前、エルネードか。
 
 長くて呼びにくいな」
 
 オルフの故郷では、長い名前は略される。
 いちいち憶え難い名前を呼んでいたのでは、仕事でのコミニュケーションで呼び合うとき不便なのだ。
 
「そうね。
 
 それにこの名前を名乗るのは、きっと危険でしょうし…
 エルナでいいわ。
 
 母はそう呼んでくれていたの」
 
 娘、エルナは風で乱れた美しいブロンドを手櫛ですくと、柔らかな微笑を浮かべた。 



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PC1:オルフ

2018.07.21(13:10) 463

 北風が冷たい二月。
 今日が何日だったかまでは、もう憶えていない。

 北方の戦場で、男は乾燥した土埃に塗れながら戦っていた。
 
 周囲では絶えず剣戟の音が響き、むせ返るような血と鉄の臭いが満ちている。
 踏みしめる雪が、流れた熱い血液で融け、ぽつぽつと斑に穴が開く。
 
 駆け寄ってくる粗末な鎧の兵士を斬り伏せ、刃こぼれだらけの剣の柄でもう一人の敵を殴り倒す。
 返り血の粘りつくような不快感に慣れたのは、どれほど前だっただろうか?

 死体を漁る鴉の鳴き声が、ひときわ耳障りに耳を突く。 
 眉をひそめ、肺に溜まった血の臭いがする不快な空気を吐き出すと、男は再び剣を振るった…
 
 
「…朝、か」
 
 空が白んで、目蓋に鋭い朝日の光が突き刺さってくる。

 身を護るために剣を抱いて寝ていたせいか、触れていた指先が少しあかぎれで裂けていた。
 温めるために軽く口に含むと、血に混じって泥の味と香りがする。
 
 額に滲んだ汗を拭い、水袋からきな臭くなった水を一口啜って口を濯ぎ、雪をゆっくり齧って渇きを癒しながら、ふらりと男は立ち上がった。
 
 がっしりとした体格の巨漢である。
 
 むっつりとした厳つい顔だち。
 絶えず敵を睨んでいたせいか、眉根を寄せて凶悪になった目付きと放たれる鋭い眼光。
 縮れた髪は伸びるにまかせ、まるで獅子の鬣のようだ。
 角ばった顎には無精髭が針のように生えていた。
 顔や首など見える場所には刀傷が走り、雪焼けした浅黒い肌は栄養不足でガサガサしている。
 手の甲と頬には霜焼けの痕…寒冷な北方に住む人間の証であった。
 
 腰にはやや大きな、古びた剣を下げている…古道具屋で二束三文にもならない数打の安物だった。
 防具として 皮製の胸当てを着けているが、寒気による乾燥で撫でれば革の欠片がパラパラと落ちる。
 あちこちに裂けたものを無理に縫い付けた修理痕があり、染み付いた血の跡が汚らしい。

 他に服装といえば、みすぼらしいつぎはぎだらけの外套…というよりは襤褸だ。
 防寒用に襟の部分には毛がついているが、汗と血とよくわからない汚れで薄汚く染まり、嫌な悪臭を放っている。
 この鼻が曲がりそうな臭気に慣れてしまったのはいつからだったろうか。

 その下に着たキルト以外には下着すら身に着けていない。
 隙間風が冷たかった。
 
 …傭兵なら武具には金をかけるから、こんな貧乏臭い装備などしていない。
 詳しい者なら、男の掌にある肉刺(まめ)の潰れて硬くなったものが、農民が持つ手にできる特徴だと分かるだろう。
 
 男は兵役中の農民、といったところだった。
 …元農民といった方が正しい。

 祖国は二年も前に、敵国に滅ぼされてしまった。
 耕すべき畑は、実質作物を作っても搾取されるだけで、彼や家族の所有物とは言い難かったが。

 自分を徴兵してこき使った祖国はあっさり負け、男は半月も立たずに捕虜となった。
 その後は捕虜収監所に入り、一年間は敗戦国の元兵士として強制労働を課せられ、恩赦とは名ばかりの厄介払いで再び元敵国の兵士として配置されると、あっけなく自分の属していた隊は敗北した。
 
 参加した戦争は、いつも負け戦だった。
 
 男は北方にあった小さな国の、国の中でしか威張れない貴族にこき使われる貧農の次男として生まれ、十三歳で無理やり兵士にさせられた。
 彼が初めての殺人をして、死に掛けて…なんとか生き残った後も、負け戦を繰り返した亡き故国は、大国に蹂躙されてあっけなく滅んだ。
 
 諸国の乱立するこの地方は小競り合いが多く、弱い者は戦争で淘汰される。
 男のように、故郷を失った者も多い。
 
 生き残れる者は少数だった。
 
 多くの兵士は、栄養の行き届かない身体で慣れない武器を振るって、ただ死んで逝く。
 自分が何故戦っているのかと考え込めば頭を割られ、悲観すればその胸を貫かれる。
 悩む余裕も無い者は、悪運が強い者だけが生き残り、生き残った者も新しい戦いや虜囚としての苛酷な環境で次々と死ぬ。
 追い討ちをかけるように、北方の冬は弱者にとりわけ厳しかった。

 生き残った者の心にも虚しさがあるばかりだ。
 死ぬのが延びたに過ぎないのだから。
 
 帰る国を失った男のような敗残兵のできることは、ただあても無く彷徨うだけだった。
 
 手持ちといえば、わずかな装備。
 懐には銀貨一枚すら無い。
 これでは一晩の宿すら泊まれないだろう。
 
 ここ数日は雪をそのまま啜り、野草を生のまま齧る日々。
 農民時代、食べれるものなら何でも食べた経験から、食せる類の野草は知り尽くしている。
 それができないものが栄養失調で、壊血病で、脚気で先に倒れて逝く。

 貧しかった故にたくさんの苦労をし、知恵を得て生き残れたことも、果たして幸せと言えるのか分からない。
 生きていても延々と、逃亡と寒さに震える日々が続いているのだ。
 
 男はゆらりゆらりと歩きながら、今までの人生を振り返ると唇を噛み締めた。
 
「…また生き残っちまったか」
 
 自嘲的に呟く。
 
 強制労働から解放された男が、次に送られた戦場はラトリアという小国であった。
 規模は小さいが、とても古い歴史があるのだという。
 
 彼の祖国を滅ぼしたギマール共和国が、ライバルとされるマルディアン帝国と、このラトリアの領土を巡って争っていた。
 男はギマールの歩兵として、恩赦を得られるという名目で最前線に立たされ、ラトリア軍との戦いに参加していた。
 ところが、たいして力の無いラトリア王国軍を破って疲弊したギマール共和国軍の隙を突き、マルディアン帝国軍がラトリアの王都を陥落させた。

 マルディアン帝国軍が越境して攻めてきた理由などは、とても酷い。
 「同じ統一帝国の末裔を名乗りながら、敵の侵入を許すなど許されない。力無きラトリアは帝国に接収されるべきである」、などと宣戦布告したのだそうだ。

 ギマール共和国軍の宣戦理由は、「腐敗した僭主と貴族政治から民を解放するため」だったか。
 蚤の背比べである。

 どちらも盗人猛々しい言いがかりだった。

 その後、得物をかっさらわれたギマール共和国軍は侵略兵として追われた。
 男の部隊は真っ先に見捨てられて殿という名目で放置、すぐに敗走して散り尻となる。
 
 おそらく、男を含めた恩赦と名ばかりの兵士たちは、死んだものとされるのだろう。
 ギマールに戻ってもまた戦わされるかもしれない。

 不幸中の幸いか、敵国は拠点確保に夢中で敗残兵狩りには穴がある。
 戦場からそれほど離れていない場所で寝こけていても、見つからないぐらいなのだ。
 
 男はふと灰色の空を見上げる。
 
 自分が徴兵された時、泣いてすがった母を思い出した。
 風の噂に、男の村が今まで彼の属していたギマール共和国軍によって皆殺しにされたと聞いている。
 
 皺だらけの、肉刺の潰れた武骨な掌で撫でてくれた父。
 男より要領が良く、ひょうきんだった兄。
 二人は徴兵されて間も無く、戦場で死んだ。
 
 美しい髪が自慢だった妹は、ろくな食事が取れず、流行り病であっけなく死んでしまった。
 
 ただ一人の肉親である母も、重税と過労で痩せていた。
 きっと、殺されてしまったのだろう。
 あるいは村が滅ぼされる前に、弱って死んでしまったのかもしれない。
 母と別れた年は記録的な不作で、尻の毛まで毟られる搾取があり、何人もが飢えと税を払えなかった懲罰で死んだという。
 
 群雄割拠する北方ラダニール諸国。
 底辺にいる者は、搾り取られ、こき使われ、磨り減ることに慣れてしまっている。
 男もまた、そんな人間の一人だった。
 
「…でも、俺はまだ生きている」
 
 北方の冷たい風でずれた襤褸を、ぐい、と直しまた歩き出す。
 踏みしめた新しい雪が喘いで、鳴く。
 まだ死んでいないのだ、と主張するように。
 
 灰色の空からわずかに刺す日差しの下を、男…オルフは目的も無く歩いていった。



⇒PC1:オルフの続きを読む

Y字の交差路


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『棒杖のお店』 テストプレイのお願い(終了)

2018.07.16(07:11) 420

 テスト公開を終了致します。
 ちょっとだけ商品を足して(なんつ~マイナーなネタの商品なんだ!)正式版公開です。


↓※過去の記事※↓

 リソースに使えるシナリオ第2弾!ということで、ソードワールドのコモンルーン感覚で使えるワンドのお店を作ってみました。
 耐環境時限消滅称号という、時限消滅称号の使い方を兼ねた実験的なシステムも盛り込んで、リリースとなります。

 しばらくテスト公開しようと思いますが、皆さんの御意見をお待ちしています。

 テストしてほしい点
・バグ・誤字の発見
・バランスや効果に関する御意見
・使った感じのコストの高い低い、300SP購入と60SPリサイクルに対する御意見
・使用回数6回でOKか?
・耐環境時限消滅称号に関しての御意見・御要望
・遊んでみて違和感がある点
・依頼イベントについて(多めの報酬である理由は#解説テキストに記載)
・テキストの誤字脱字
・リソース使用に関する御意見、問題点など


 ダウンロード場所は Y字の交差路別院

 よろしくお願い致します。

◇更新履歴
2017/12/19 Ver0.10 テスト版リリース。
2017/12/21 Ver0.11 【命知の棒杖』が消えないバグ・誤字などを修正。
           テキスト誤字修正。
2017/12/28 Ver0.12 来店初顔のループバグ修正。
           さつきさん、バグ報告有難う御座います!
2018/01/03 Ver0.13 #インポート利用書式例 のテキストを追加。
2018/01/08 Ver0.14 棒杖の敵に影響するものを必中(バグ)から抵抗に変更。
           【烈風の棒杖】の高威力バグを変更、ダメージだいたい半減。  
           展示速度に弊害があったので、商品をカスタムで並べました。
           一部テキスト修正、誤字の修正など。
           さすらい人さん、詳細なバグや不具合の報告有難う御座いました! 

↑※過去の記事※↑

2018/07/16 Ver1.00 新商品【秘匿の棒杖】【発覚の棒杖】追加。
           テキストの誤字修正、内容の加筆。

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『闘技都市ヴァンドール』 “傷難の枝”

2018.07.15(13:39) 462

 グロアの元で剣術を修めたシグルトは、その足で有名な闘技都市ヴァンドールへと向かった。

 目的は、闘技都市で行われている試合に出場し、自身の戦闘力を試すためだ。
 シグルトは剣術を習得したばかりで、まだ技の実戦使用に慣れていないと感じたのである。
 
 技を学んだばかりの者は経験の少なさから、術理を活かし切れずに敗北することも多い。
 かといって顔見知りや仲間と組み手をするばかりでは、どうしても緊張感が少なくなる。

 賞金があることで、より実戦に近い形で敵が本気になり、かつ殺し合いまでにはめったにならない闘技試合は、理想的な訓練の場なのである。
 試合ごとに誰と当たるか分からないことも、実戦の意外性に則したもので、非常にためになるのだ。

 シグルトは、ヴァンドールで最も底辺の草試合から始めることにした。
 剣術の初心者である自分には、そのぐらいの環境が丁度よいと踏んだのである。
 
 〈浅きより深きに入る〉というのは、シグルトの好む言葉の一つだ。

 戦闘術を極めた者が出るヴァンドール最上級の試合は、驚天動地の技が飛び交う凄まじいものだ。
 多少強さを得たとはいえ、シグルトは故障持ちで、剣術は始めて半年にもならない。
 今の技量では足元にも及ばないだろう。

 最近そこそこに名が知られていたが、都市が変われば事情はまるで違う。
 シグルトは、まず分相応を守るところから始めた。

 リューンにも闘技場があるが、柵の無い場所での試合の方が、遠慮なく力を発揮できるはず。
 新しい出逢いを経て優れた好敵手と巡り合う可能性。
 自らを磨く高揚に、久しく忘れていた感覚が甦った。

 シグルトは金銭目的の見世物試合自体を、あまり好きにはなれない。
 しかし、違う技術を持つ者と渡り合い、一挙一動に緊張して知恵と技を競い合う雰囲気は嫌いではなかった。

 故郷で武術を学んでいた頃、祭の出し物として試合を何度か行った経験はある。
 国中のつわものが集まって技比べをするその試合で、シグルトは負け知らずだった。

 故郷では師と家族の名誉のために決して負けられなかったが、今回はその必要も無い。
 シグルトは初心に帰ったような清々しさで、戦闘前に感じる武者震いを懐かしむ余裕さえあった。


 奇しくも、ヴァンドールで最初の試合は最も苦戦することとなった。

 ツァルトという全身装甲のような姿をした紳士は、有名な技師によって作られた機巧人だ。
 話では、もう一人いるダークエルフの魔術師と並んで、草試合で最強と名高いらしい。
 全身が鋼鉄でできており、身体そのものが鎧であり武器である。

 対して、シグルトは預けてきた剣の代わりに適当な棒を持っているだけだった。
 他の選手のように刃引きした剣を持つでもなく、棒一本を手に試合場に立ったシグルトを見て、観客から困惑のため息が漏れた。
 さらに、シグルトの優れた容姿が分かると別の嘆息が満ちる。

 試合開始の合図とともに、シグルトとツァルトは音を立ててぶつかり合った。
 相手は重量もあるのだが、圧し負けていない。

 ツァルトの放つ棍棒のような拳を避けながら、ひたすら突きで関節部分を打つ戦法で対応する。
 火を噴いて飛んでくる拳を耐え凌ぎ、相手の突進に添えるように流し、打ち続けた部分をブーツの靴底で圧すように蹴り飛ばした。

 敵の拳を何発かもらったが、【堅牢】で耐えきってついにはツァルトを跪かせる。

(やはりそうだ。防御を兼ね備えた攻撃にこそ、勝機ができる)

 シグルトは、両刃という剣の特性を掴みつつあった。

 斬る時には、振り下ろす動作と絞めて引く動作を同時に入れて、それを全身でぶつける…三つの力点の集合で力を発揮する。
 突きでは、突進に体重と全身のバネを乗せて、捻るように。
 技同士の連携は、表刃(主に使う刃)と裏刃(逆刃、刀では峰に当たる部分)を意識して、どっちでも斬れるスイッチの速さを。
 振り切った技の残心は、次を意識してすでに用意して。

 剣の技とはすなわち、突出しない要素の集合と合一、隙の圧縮。
 攻撃と防御は、表裏一体。

 己は鎧、己は刃。
 風を纏い、自ら吹く。
 失い、病み、余裕が無いからこそ…研ぎ澄まされる。

 まだ、自分は遥かに弱い。
 弱者故に、強くなれる伸びしろがまだある。

(考えろ…一撃一撃の先に、さらに強くなるための術理を!)
 
 美しい外見に似合わぬ、泥臭く壮絶な打ち込みに、観客は大いに沸いた。

 さすがにこの試合の傷は大きかったため、一度闘技場付属の医務室に寄って、銀貨五十枚を払い治療術を受ける。
 傷が回復したシグルトはスタミナ的余裕を感じて、休みもせず次の試合に参加を決めた。

 習得しつつある、今の感覚を鈍らせたくない。

 今度の対戦相手はゴメスという大男だ。
 "下町の勇者"を名乗り、腕には自信がある様子だったが、シグルトは大技は一切使用せずに剣術の型を確認するような動きでじわじわと圧し切り、たやすくゴメスを下してしまった。

 次の対戦相手である若手のクラインという剣士を相手にも、シグルトは派手な技は使わずに消耗させる。
 棒きれ一本で押し負けそうな現状に憤慨したのか、クラインは大振りの一撃で勝負に出た。

 シグルトは流れるように敵の腕を打ち、すっと剣を上段に持っていく…ここだ。
 〈貴婦人〉と呼ばれる剣を背中に担ぐような構え。

 ブンッと振り下ろされた途端、細いとは言えない棒きれがへし折れた。
 〈憤撃〉と呼ばれる古典的な剣の大技である。

 クラインは受けた剣をへし折られて吹っ飛ぶと、鼻血を吹いて昏倒し、飛んできた係りの者によって医務室に担ぎ込まれた。

 あまりの膂力に周囲が唖然としていると、シグルトは予備に持っていたもう一方の棒きれを取り出して具合を確かめ、さらなる試合に臨んだ。

 ストーミーという優男は何か奥の手を用意していたようだが、試合開始直後にシグルトが、剣先を前方やや下に配置して頭部をさらす〈愚者の構え〉をとると、誘いに乗ってシグルトの頭を狙い、反撃の胴打ちによって一撃で沈められる。

 治療を受け再挑戦してきたゴメスを、鋭い突きでめった打ちにして危なげなく撃破。
 後の二試合は完全に無傷で圧勝、次々と対戦者を降して行った。

 次に出てきたピートというナルシスト気味な戦士はやたらと自慢話を仕掛けてきたが、シグルトは〈半剣〉の構えから突進して地面に押し倒し、首をロックして絞め落としてしまった。
 ピートは早業に成す術も無く、端正な顔を歪めて泡を吹いた。

 ここまで八連勝。
 多少打ち込まれて痣もあるが、体力的にはまだまだ余裕である。

 九試合目はライセという男で、不思議な卵と牙の装飾品を使って傷を回復してしまう。
 卵によって徐々に体力を吸い取られるのがわかる…この感覚に近いのは、魔法の類だ。

 シグルトはトリアムールを召喚して、連携の重い攻撃を仕掛け、当たり難い力技の精度を上げて圧殺する。
 重いだけ気を受け、ライセは即座に意識を失った。

 今までの連勝ぶりからシグルトは、いつの間にか草試合のチャンピオン…〈底辺の覇者〉と呼ばれるようになっていた。

 この称号は勝ち続ける者しか持つことができないのだそうで、チャンピオンのまま上位の試合に進めた者は案外少ないのだそうだ。
 最上位の試合を行うような者たちはこういう下積みを跨ぎ越してしまうことが多く、チャンピオンのまま無敗でいることはとても難しいのである。

 すぐにグローリアという黄金甲冑姿の小人が挑戦してきた。
 素早い動きのグローリアが使ってくるフェイントに苦戦したが、ここでついに習得した【影走り】を使い、十連勝を決める。
 ろくに休息もしないシグルトにまだ技の引き出しがあると知って、見ていた観客はさらに熱狂した。

 あとでわかったことだが、このグローリア…初戦で対戦したツァルトとダークエルフ・ウリュウと並び、草試合では三本指の実力者であった。

 さすがに負傷が蓄積し、十試合目で切りもいいので診療所で傷を治療してもらい、試合を続ける。
 まだ技を出す体力が残っていることを感じ、シグルトはチャンピオンとして防衛に挑戦してみることにする。

 繋ぐ二試合は大した傷も負わない。
 係りの者が焦って結構強い選手を当ててくるのだが、シグルトは土を着けることなく次々と勝利する。

 十三戦目にはもう一人の強豪であるウリュウというダークエルフが現れるが、素早く攻撃をかわす相手にトリアムールを召喚し辛勝する。
 直感から、このダークエルフはとんでもない一発を持っていると感じ、風を纏って底上げした力で一気に畳み切った。

 これで草試合の主だった選手とは皆当たったことになる。

 その後も危ないところはあったが、武器は棒だけで試合を消化して行った。

 最後と決めた二十試合目、再挑戦してきたストーミーが自慢しながらクロスボウの連射をしてきたが、【堅牢】で耐えきりながら連打で下し、二十連勝という驚異的な記録を打ち立てると、シグルトはようやく競技の場から降りた。

 まだ戦えなくはないが、これ以上は無茶というものだろう。

 気が付けば結構な額の賞金がたまっていた。
 銀貨二千枚という金を受け取ると、シグルトは惜しまれながらその場を辞す。

 シグルトの美貌と巧みな技、そして駆け引きに、試合は始終大変な盛り上がりを見せていた。

 仕掛けるタイミングを測っていた時に攻められ、軽くない傷を負った時もあるが、数度の治療を用いたもののシグルトはスタミナを回復させるようなことは一度もせずに全試合を消化し、結局ただの一度も負けなかった。

 目的であった剣技の慣熟には目いっぱいこなした試合が役立ったが、後半は激しい戦闘が続き、全身が打ち身の疼痛で熱くなっている。
 不思議と今は、治療に寄る気にはならなかった。
 身をもって感じた痛みが、自分の未熟さを教えてくれる。

 シグルトは戦いの中で、様々なことに気が付いた。
 まず、これからの戦いには防具が必要であること。

(盾では両手で剣を振りまわせなくなる。
 やはり籠手か。

 しかし、籠手単体を扱う店などあっただろうか?)

 実戦で身を守ることがいかに大切かを再確認していた。
 耐えきって、斃れなかったからこその覇者である。

 しっかりした防具を持たなかったせいもあって、何度か敵の攻撃で手痛い負傷をする羽目になった。

 剣士は手を怪我すれば役立たずになる。
 半剣のように、真剣の刃を直に掴むには掌を守れる防具が必須だ。
 
 剣は槍よりリーチが無い。
 敵に接近する時、どうしても手足に傷を負う。
 
 革手袋程度では、何かの拍子に刃を受ければ大怪我に繋がるだろう。

 思いつく理想的な防具は、頑丈で軽量の籠手。
 その辺の防具屋にありそうな気もするが、良質のものはなかなか販売していない。

 重い鎧まで装備すると、身体に障害のあるシグルトにとって悪影響が予想されるし、何より高価過ぎる。
 鎧の類は、良い剣の数倍の値段がするものなのだ。

(彼の十字軍は、砂漠に鎧を着て臨み、多くの敗北者を出したという。
 重装備は移動にも差し支え、やかましくて隠密行動には向かない。

 ただ戦闘に望むのであれば頑丈な鎧は頼もしいが、俺は冒険者…長旅に悪所の連続はつきものだ。

 ブレッゼンの鎧ならば、音のしない工夫もされた上に軽量で安心だが、俺のような駆け出しを何とか卒業した若造にはいささか敷居が高い。
 それに…あれらの鎧は、防御に使える加工がされていなかった。
 この都市で売っている鎧も、ほとんど同じ〈装備品の鎧〉だな。

 俺の求めるのは〈使い倒せる防具〉だ。
 贅沢を言うようだが、装備品に妥協はできん)

 闘技都市であるヴァンドールでは、武具も素晴らしいものを販売している。
 それでも、今のシグルトの琴線に触れるものは無かった。

 シグルトは試合で治療費滞在費を差し引き、銀貨千八百枚もの賞金を稼いだが、所詮は底辺の草試合によるあぶく銭…高価な魔法の防具を買うには心許無い。

 デメリットを考えれば、重装の鎧は回避能力を妨げる。
 旅の多い生活では邪魔になると踏んだ。

 時々、ごつい全身鎧をこれ見よがしに着た冒険者がいるが、リスクを伴う行為である。

 鎧は手入れに大変な手間がかかり、すぐ錆びる。
 海風の吹く場所では、目も当てられない。
 拠点の一つを南海に置いているシグルトとしては、これも大切な選択要因だ。
 
 鎧は見た目も派手で、戦場に向かうならともかく、街中で着ていれば不審者にしか見えない。
 金属鎧は、陽光の下でびかびか光る。
 通気性も悪く汗臭くなるだろう。
 むさ苦しい印象を与えれば、依頼人を不快にさせてしまう可能性がある。

 鎧を着て窒息死した者や溺死した者もいる。

 鎧が持つ防御力は素晴らしいものだ。
 使いどころを選べば確かに強い。

 だが、普段から装備し続けるのに適した装備ではないのである。
 例外は討伐など、荒事が主流の連中ぐらいだ。

 冒険者たちは、多くが手持ちの武器と簡易な荷物を持つ程度で、重い鎧を着ない者が多い。
 冒険=長旅、すなわち装備品の簡略化がとても大切だ。

 見てくれがごつくなるのも問題である。
 鎧を着用する冒険者の威圧感は凶悪だ。

 近年、外見に配慮の無い冒険者への苦情も増えていると聞く。
 ごろつき扱いされないよう、注意しなければならない。

(せめて全身鎧を着るなら、日除けの外套ぐらいは纏うべきだ。

 この時期の暑さでは…太陽の熱で蒸し焼きになってしまう)

 闘技都市ですれ違う鎧を着た闘士たちは、誰もが暑そうに汗を流している。
 シグルトは、防具の入手はもう少し先にしようと決めた。

 防具以外に、間合いや攻め方のコツも掴めた。

 槍と違い、斬ることが主となる剣術では、剣に遠心力を乗せる予備動作が分かりやすい。
 相手は防御をしやすいので、振り切って攻撃するタイミングや技の構成は考えなければならないだろう。
 
 反面、範囲の広い斬撃は、受けたり流したりする手段が無いと躱し難い。
 突きと斬撃を上手に使い分ければ、応用性が高く様々な状況に対応可能な武器である。

 こういった当たり前の術理を最初から洗い直すのは、熟練の武術家にこそ必要な行程だ。
 他の武術を学んだ時の癖が、術理の深淵を習得する時には妨げとなりかねない。

 剣と槍では、扱い方も違う。

 シグルトは「~を学んだから強い」とか「~の下地があるから習得が早い」という者ほど、初心を重んじるべきだと思っている。
 驕りと慣れは感覚を鈍くするのだ。
 
 参考にし、他の知識を学ぶのも良いが、磨き方が雑では意味が無いと心を戒めていた。
 これこそが、シグルトを強くし続ける要因である。 

 十分な試合結果と得られた経験に満足したシグルトは、ヴァンドールを去ろうとして、不意に懐の重さを思い出して眉根を寄せた。 
 一日の試合で稼いだ金は、冒険者生活であくせく稼ぐのが馬鹿らしくなるぐらい高額だ。

(今回はたまたま運がよかった。

 こういうあぶく銭の儲け方は、甘んじると身を破滅させかねん。
 レベッカに話すのはやめた方がいいな。
 俺も、連日では身体がもたん。

 せっかくだ。
 高い酒の一本も買って、ブレッゼンへの土産にしよう。

 ついでに、籠手のことも聞いてみるか)

 元々金銭目的ではなく、技の慣熟を目的として出場した試合であったが、シグルトはちょっとした伝説を残すことになる。

 一日だけ現れた謎の美形剣士が、草試合で二十連勝して場を荒らし、霞の如く姿をくらました…
 
 戦う時に使っていた棒きれと、北方訛り。
 玩具と見紛う貧相な枝(棒きれ)で突風を纏いながら、嵐のように駆け出しの闘技者たちを蹂躙した…それはまるで、神々の黄昏をもたらした北方の神話にある魔剣の様だった…と試合を見ていた詩人が熱く語ったという。

 〈底辺の覇者〉、“傷難の枝”(レーヴァティン)。
 
 そんな呼び名の、美しい剣士がこの闘技都市にいたと…。



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複合効果のスキルは、バランスを崩壊させているのか?

2018.07.13(23:54) 461

 最近、リプレイの再録ばかりやっていたので、ちょいと箸置きに話題を一つ。

 皆さんは複合効果スキルについてどう考えていらっしゃいますか?

 複合効果スキルとは、一つのスキルで複数の効果を持つスキルのことです。
 分かり易く言うと、毒と傷を一緒に直してしまうものや、ダメージを与えつつ呪縛したり、攻撃と回避を共にこなすようなスキルのことです。
 一枚で二役三役とこなす複合効果スキルは、敬遠される方もたくさんいらっしゃる様子ですね。

 Y2つめは複合スキルをよく作るので、一部では「バランス崩壊だ!」と煙たがっている方もいらっしゃるのではないかなと思います。

 ですが…Y2つは、むしろ複合効果スキルは「バランスの調整に貢献する」と考えます。

 「こいつアホか!」と思った方。

 複合効果スキルとは、正しくバランスを調整したなら…すなわち典型的な器用貧乏なのです。
 多方面に効果が渡っているため、多くはそれぞれの効果は専門スキルに劣るバランスとなります。
 この「特化スキルとして薄くなる」というのが、実はバランス調整に大きく貢献します。

 カードワースのスキルは、リューンスキルのレベル1ですら結構凶悪な効果の物があります。
 【眠りの雲】とか【魔法の矢】、【癒身の法】などは強すぎるという方が今現在もいらっしゃいますし、敵の使う最大効果ダメージや麻痺、アンデッドで抵抗に失敗したものを無条件で消去する【亡者退散】などはレベル1とは思えないですよね。
 そう、このリューンバランスを前提に高レベルのスキルを特化型として作成すると、多くの場合さらにバランスを崩壊させる可能性があるのです。

 考えてもみてください。
 レベル比8とかの威力インフレ特化したスキルと、威力そのものはレベル比5程度で命中精度と使用時の回避力などに恩恵があるスキル、どちらが使われた方がボスキャラとの戦闘で白熱しますか?
 威力を削った方が、ボスを一発KOさせず、レベルと能力値の差で生まれやすい「まったく当たらない現象」を緩和でき、回避力などでプレイヤーが行動不能になり難くなって実力が伯仲しませんか?

 「威力が高すぎるなら、下げればいい!」という考えの方もいらっしゃるかと思います。
 しかし、それは多分、正論を声高に言って普及を要求したとしても、上手く行きません。
 理由は「それができないほど、リューンスキルのバランスが普及している」からです。
 半ば公式スキル的なリューンスキルから見て「劣化した」データのスキルを使ったとして、一般的なバランスで組んでいるシナリオをプレイした時はどうなるでしょうか?
 そこまでしてバランス調整をしても、NPCや敵がリューンスキルバランスなら、損をしてるのはプレイヤー側になってしまうんですよね。
 というわけで、今更「リューンのスキルを弱体化する」というのは、そういうバリアントでも作らない限り難しいでしょう。

 ただ、リューンスキルでは使い難いスキルも存在します。
  【静心の法】や【血清の法】などは使用状況が限られるため手札腐れ(使う意味がなく手札を占領して戦闘力を低下させる。高レベルで多数の特殊スキルがあるほどよく起きる)を起こしますし、効果時間が長い【祝福】【聖霊の盾】【魔法防御】【魔法の鎧】は強力に見えて、一度使うとしばらく使う意味がなくなるためやはり手札腐りしやすくなります。

 複合スキルは、効果そのものは弱めにする代わりに、手札腐りを減らしたり、限りある装備スロットを有効に使えます。
 そして、キーコードに関しては複合性の有利とともに、キーコードクラッシュや優先キーコードの効果しか現れずに「複合効果スキル故にマイナス効果となる」可能性もあったりします。

 典型的なリューンの複合効果スキルを御存じですか?
 【掌破】【居合斬り】【魔法の矢】【暗殺の一撃】あたりですね。

 そう、通常ダメージ+神聖(魔法)属性ダメージとか、通常攻撃+暗殺+回避力アップだったりとか。
 わりとデフォルトのリューンスキルでも当たり前に複合効果スキルがあるのです。

 私は、こういった理由からあえて複合効果スキルを推奨することで、威力のインフレを抑えたり、応用性を高めて使う工夫の振り幅を増してみたりしています。

 さらには、複合効果のスキルには「データの振り幅もある」ことで、スキルの個性も細かく増やすことができ、それを選択するプレイヤーさんが「選んでキャラクターのロールを組み立てていく」楽しみが出るのだと思っています。

 私が出した複合スキルでは【翳み風】あたりが「ヤバイ」という評価も受けている様子。
 あのスキル、本当は風屋みたいに一点ものにする予定でした。ただ、それをしちゃうと二世代三世代キャラが購入できなくなったりするので、放置状態なんですよねぇ。
 私もSIGさんみたいに制限入れた方がいいかなぁ。

 ぶっちゃけ、強いというならレベル比5+固定10ダメージ必中の【双狼牙】なんかも似たり寄ったりでして、防御効果に関してはむしろこのスキルが実用レベルになる戦闘は、レベル10オーバーの敵とかばんばん出るし、能力値13以上の適性ぶっ壊れ敵キャラが出現するギミックバトルには、このぐらいの奥の手が無いと決定力にかけると感じます。
 レベル9~10の冒険者、って西方諸国に数えるほどしかいない(そのうち大半を占めるのがプレイヤーさんが極限まで育てたキャラクターではないかな、と)という公式見解があるので、レベルインフレ無くなるといいなぁ。
 闘技場シナリオの敵とかデータ見ちゃうと震えが来ちゃいます。

 まぁ、強い買えるスキルを同じ札何枚も持つやり方は、チートさではぶっちぎりです。
 そういう持ち方はあまり楽しくないのではないかなぁと思いつつ。

 私はレベル12で筋力15に好戦性+4の敵が【薙ぎ倒し】連打する方が、よっぽどえぐいと思う次第です。回避バフして手も普通に当たるんですよねぇ。

 よく全体回復が強いと思う方がいらっしゃいます。
 全員に回復スキルを持たせるのが普通と考えていらっしゃるのでしょうか?
 正直回復役が2名ほどの構成だと、高レベルの戦闘では全体回復無いと間に合わなくなりませんか?などと私は思うわけです。

 バランスって難しいですね!
 ちょっとでも読んだ方の参考になれば、幸いです。

 「やっぱりY2つのバランス論は狂っててだめだ!」
 という方は、申し訳ありません。

 個人見解ということで、さらっとお流し下さいね。 

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『碧海の都アレトゥーザ』 海風を震わす聖句

2018.07.07(22:43) 460

 南海の大都市アレトゥーザ。
 そこは、南海の聖海教会にとって中核となる場所だ。

 聖海教会とは、西方都市で主流となる聖北教会、東方帝国の主流である聖東教会と並び、救世主が〈新しき契約〉をせし唯一神を信仰する有力な教会勢力である。
 
 聖海の特徴は、神々や精霊の聖人化や、在来宗教と宗教行事を多く取り込んだことであろう。
 聖北とは列聖された聖人が違うだけ、と考えるのが普通であり、親聖北派の僧侶も多い。
 
 最も、〈旧き契約〉と〈新しき契約〉に登場する唯一神信仰は、同一の神を信仰する宗教でありながら、抗争が絶えず、多くの宗派門派に分かれてしまった。
 一神教が持つ排他的かつ保守的な性質は、分裂した後もれぞれの教会に色濃く受け継がれている。

 アレトゥーザの聖海教会にとって、南海の海洋都市を守護していた神であるミネルヴァやネプトゥヌスの教化こそが、その柱となるエピソードである。
 しかし、一部の精霊術師や賢者は、その矛盾を声高に指差す。

 聖人として聖海に帰順したはずの神や精霊が、他の地方で昔ながらに信仰されていたり、精霊として顕現する事例があるからだ。
 これを聖海の聖職者たちは、「聖海の教義こそ正しい」と言って取り合わない。
 
 信仰の真実とは何なのか…
 宗教や主旨の違う集団同士で、血で血を洗う戦いが行われ続けてきたにも関わらず、未だその答えは統一されていない。
 
 スピッキオは、そんな宗教の争いとは無縁の、豪商の三男として生まれた。 
 生まれつき立派な体格と辛抱強さを持っていた彼は、騎士にならないかという話もあったが、資産家の長男以外の就職先と言えばこれがある程度のお決まりで、教会に関わるの道を目指すこととなった。

 純粋な聖職者は、基本的に結婚が認められていない。

 もちろん結婚を肯定し、妻帯した聖職者が存在するカルバチアのような例外もある。
 当時の教会の風潮も大きく影響するのだ。

 だが、それは本流では無い。 
 子供が生まれるとしても、公式にこと認知するには面倒な手続きが必要だったり、私生児として扱われる場合も多かった。

 スピッキオは童貞のまま神に生涯を捧げることを誓った、生粋の信仰者である。 
 少年時代に修道宣言をし、五十歳を超えるまでは世俗から隔絶した修道院で、労働と祈り、そして清貧に勤しんできた。

 本来なら、そのまま修道院で終わるはずの身であった。
 だが、教会内部での勢力争いによって追放されてしまう。
 
 自分には修道院の生活と信仰しか無いと思っていたスキッピオにとって、驚天動地の出来事だ。
 司祭の地位を得、教会すら与えられたが…修道宣言までして祈りの世界に入ったスピッキオにとって、還俗させられるのに等しい屈辱であった。
 
 修道院の外に出ると、現代の教会のあり方にも深い疑念を抱いた。

 聖なるものであるはずの教会では、俗物の派手な衣装を着た聖職者が権力を握って声高に喜捨を求め、貴族たちが我も我もと己の寄付行為を誇って教会をごてごてとした金銀で飾り立てている。
 南海の聖トマスが言う枢要徳は教会の中でこそ踏みにじられ、最大の悪徳とされる傲慢さに心を支配された信徒たちがなんと多いことか。

 〈新しき契約〉をもたらした神の子は「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」と説いたがが、信徒たちは敵味方入り乱れて剣を振るって傷つけ合っている。
 決して暴力で抗わず、代わりに人々の罪を贖った聖者を神の子と讃えながら、神の名の下に流された血は大河ができよう。

 〈教会の教えの何が真実か、知らねばならない!〉  

 答えを求め、スキッピオは長い聖地巡礼の旅に出たのである。

 しかし、その旅で示された真実は混沌そのものだ。
 教会の教えには沢山の答えがあり、そのどれもが誤りのようで、いくつかには感じ入る真実があった。
 
 巡礼の旅を終えて西方に戻ったスキッピオは、信仰とは何ぞや、という根本的な疑念に行きつく。
 
 洗礼を受け、唯々諾々と上位の聖職者が示した道を信じ行ってきた。
 だが、旅の果てに「それで良いのか?」、と思うようになったのだ。

 迷うスピッキオの祈りに、神は変わらず神秘という形で応えてくれる。
  
 …スピッキオは、分からなくなった。

 何故信仰を疑う者にすら、神は力を貸すのか。
 何故救われるべきであるはずの衆生が、これほど苦しんでいるのか。
 何故邪悪と言える者が跋扈し、神はそれを看過するのか。

 悩み抜いて流離い、スピッキオはリューンにたどり着いた。

 だが、ぼろぼろの巡礼姿で金も無いスピッキオに、同じ神を信仰するはずの聖職者たちは冷たかった。
 雨の日に、軒下でも良いから宿を貸してくれ、と頼んだスピッキオは、同じ教えによって教化を受けたはずの寺男によって「異教徒め」と、杖で打たれ追い立てられた。

 傷つき彷徨った末に偶然見つけた、孤児院付属の小さな聖北教会をスキッピオが見上げていると、その教会を預かっているという司祭が迎え入れてくれたのだ。

 スピッキオは、何故自分を受け入れられるのか訪ねた。
 どう見ても、薄汚れ、違う聖人を列聖している聖海の徒と見ればわかろうに、と。

 スピッキオの予測した答えは聖海の穏健派と同じく、「列聖された聖人の違いのみで、同じ神の子である」というものだった。
 でも、それは外れた。

 司祭の言葉は簡潔だった。

「それは、私の神が貴方を救えとおっしゃったからです」

 微笑んで言った司祭の言葉に、スピッキオは大きな衝撃を受けた。

「神は一つだと言われてきたはず。
 そして、公正で絶対であると。

 我々聖職者はその神を求め願い、信仰してきた。
 だが、同じ神を信仰しながら、統一されることも無い別の信仰が存在する矛盾。 

 あなたは同様に、〈我々の神〉ではなく、〈貴方の神〉と申されるのかっ!」

 それは、思い悩んで来た負の感情の爆発であった。
 大罪の憤怒を抱き、スピッキオは身を震わせた。

 だが、司祭はまた微笑んで、教会の天井を見上げた。
 そこには天使たちに囲まれた天界の様子が描かれている。

「…見て下さい、師よ。
 この天井絵を描いた絵師は、この素晴らしい姿をいったい何処から知ったのでしょう?
 
 それは絵師の信仰心だと、私は思うのです。
 
 完全である故に、神はその一欠片である我々の心にも宿っている。
 私たちは良心と言う神の声を聞き、罪と言う神の叱りを受けている不完全なもの。

 だから思うのです…神は全能なるが故に、不完全な者の中では過ちを見定め、試すのだと。
 それは、それぞれ人々の信仰心の中におられる神の試練。

 全能なる神は、全能故に全てを見ておられる。
 だからこそ、私という不完全な窓を通して見える、私の神に祈るのです」

 司祭はそう言って、スピッキオを濁りの無い瞳で見つめた。

 スピッキオは、その言葉が天の光明に思え、司祭の瞳の中に神を見た気がした。
 迷いは嘘のように晴れていた。
 
(海の如き神の御心を、わしという一つの杯に全て汲むことなどできぬ。

 だが、不完全であっても、確かに神の御心を汲むことができるのだ。
 不信こそ、汲まぬということ。

 わしは、汲むことを忘れていた愚か者よ)

 その時から、スピッキオは己の神に、心から祈れるようになったのである。


 スピッキオは新しい秘蹟を修めるため、アレトゥーザの教会で瞑想していた。
 
 秘蹟とは、父と子と聖霊の与えし御業であり、恩寵のしるしである。
 それを行うには、特別な資格が必要であった。
 
 神に愛されること。
 即ち、神の望む信仰を抱き、聖職者となることである。
 ちゃんとした聖職ではないものでも秘蹟による神秘は起きるが、秘蹟を使う者の多くは信仰心を礎にしていた。

 もう慣れてしまったが、本来秘蹟による神秘…聖なる言葉の祈りと典礼によって起きるのが奇蹟であり、道具や手段のように扱うべきものではない。
 このアレトゥーザの聖海教会では『神聖術』と呼ばれ、所によっては魔法と同じ扱いをされて『神聖魔法』などと称される。
 魔術やまじないと同等に扱うこと自体が問題なのだが、世界はそもそも不当なことの方が多いだろう。
 
 この程度のことに目くじらを立てる神では無い、そう割り切ってからは、気にならなくなった。

 奇蹟の発生に謎の多い秘蹟であるが、分かる限りのものは、学問同様に学べば修められる。
 神への祈祷文…正しくは聖句を用いて祈り、その御業を願うのだ。

 スピッキオが望んだ秘蹟は【癒しの奇跡】と呼ばれるものだ。
 癒しの力で多くの者を救うとされるこの秘蹟は、聖海にこそ伝わるしるしである。

 この秘蹟を行って治癒を成すことは即ち、優れた聖職者であることの証でもあった。

 スピッキオにそんな打算は無い。
 傷つく仲間たちや衆生を包んでやりたい…ただそれだけの理由で求めたのである。

 スピッキオは自分の守護聖人である聖アンティウスとともに、強く帰依する聖女がいる。
 奇しくも…“風を纏う者”のリーダーとして活躍するシグルトの守護聖人は、聖海生粋の癒し手である聖女オルデンヌであった。
 シグルトが、聖女オルデンヌが昇天したという聖地イルファタルの方角…西方の北からやってきたと知った時は、神の導きを感じすらした。
 
 聖海教徒の多くは、癒しを求めて聖女オルデンヌに祈った。

 彼の聖女は異端、異端・異種族を問わず、命を削って癒しを続け、神に召されたという聖女だ。
 その行いから聖海以外では列聖されておらず、癒しの御業たる大いなる聖女の秘蹟も今では教会から失われている。

 スピッキオには、どのような気持ちで聖女が祈ったのか、何となく分かる気がした。
 彼女は、ただ癒したいと願ったのだろう。
 こんなにも弱い、罪深き人のために。

 聖女の心境に少しでも近づきたいと、さらなる瞑想に入るべくスピッキオが目を閉じた時、普段から世話になっているパオロという侍祭が駆け込んで来た。

「スピッキオ司祭はいらっしゃいますか!」

 ゆっくりと眼を開けたスピッキオは、司祭に何用かと尋ねた。

「船の衝突事故です。
 多数の死傷者が出て、今でもその命の灯火が消えんとしている者たちがおります。

 どうか貴方も、力をお貸し下さい」

 スピッキオは首を傾げた。
 
「この教会には、高名な司祭もおられるはず…

 わしなどで、力になれるのかね?」

 パオロ侍祭は、項垂れて首を振った。

「マルコ司祭を始め、主だったお方は他の都市の祭典に出かけられており、おらぬのです。

 一人でも、癒しの御業を使える者を探している所です…」

 頭を垂れて同行を願うパオロ侍祭に、応えるように深く頷くと、スピッキオは立ち上がった。


 船着き場は地獄絵図であった。

 手足の折れ曲った者や、木片の突き刺さった者が、水揚げされた魚のように並べられ、呻き声を上げている。
 中にはもう動かない者もおり、骸は端から邪魔にならない場所に積み上げられていった。

 話によれば、停泊所の取り合いで、両方の船の船長が意地を張り合ったらしい。
 結果、二つの船が衝突して大破し、飛び散った船の残骸が、荷物の積み込みに精を出していた水夫たちを直撃したのだ。

 怪我人は数十人、死亡者も二桁近い。

 スピッキオは、呻く水夫たちに歩み寄ると、静かに目を閉じ祈り始めた。

「《いと高き、天の御座(みくら)にまします、我らが主よ…祈りをお聞き届け下さい》

 《今召されようとしている罪の子に、慈悲をお与え下さい》

 《輝くその御業で、どうか御救い下さい》」

 朗々と、スピッキオの唱える聖句が、周囲に木霊していた。
 
 彼の祈りで、この秘蹟がもたらす奇蹟が起きたことは、まだ一度もない。
 だが、スピッキオは「起きる」と確信していた。

 目を閉じて祈っていると、眩い後光を纏い白い衣を着た尼僧が、ふわりと微笑んで両手を天に差し出す姿を幻視する。
 蒼い空に向かって響く爽やかな海風と波の音が、福音のように聞こえた。

「《主よ…癒し給え!》」

 幻視した尼僧に倣って両手を天にかざし、請うように、強く強く祈るスピッキオ。

 刺すような太陽の光が、一瞬だけさらに強く輝いたかのように見えた、その瞬間だった。

「おぉっ、皆の傷が癒えて行く…」

 パオロ侍祭が、感極まった様子で呟く。

 …正に奇跡であった。 
 重い傷を負った者が、自分が癒されたことに気付き驚愕し始める。

 倒れ伏していた者の多くは、次々に意識を取り戻していった。

「主よ、そのお慈悲に感謝致します。
 聖女よ、お導きに感謝致します。

 そしてどうか、御元に旅立つ者をお救い下さい…」

 全ての怪我人が癒された時、スピッキオは柔らかな声で、感謝と鎮魂の祈りを捧げるのだった。



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『碧海の都アレトゥーザ』 空に焦がれる踊り子

2018.07.06(20:42) 459

 ラムーナは潮騒の音を聞きながら、砂浜で飛ぶように舞っていた。
 
 師であるアデイが、軽く振ってくる枝を、ひらりひらりと避ける。
 唐突に足を払われるが、片足の動きだけで姿勢を速やかに整える。
 
 足元が柔らかな砂地であるのに完璧なバランスが維持され、動きの力強さは硬い地面の上で舞うそれに劣らない。

 一枚歯の下駄で疾走する類と同じ、重心の掌握術である。
 違うのは身体の柔軟性と平衡感覚を極限まで高めて、不安定な場所や格好でも体勢を立て直すことができるようになる、というこどだろうか。

 そういった技術を身につけさせるため、アデイはまずラムーナの体躯の矯正から始めた。
 
 長い間虐待されて育ったラムーナは、あちこちに骨格の歪みがあり、栄養不足で背も低かった。
 こんな体格では、美しい舞も激しい踊りも、行うことはできない。

 だから、骨格の矯正を促す念入りな準備運動を教えた。
 骨を真っ直ぐにするよう、その頭の上に物を乗せ、バランスの悪い塀の上を歩かせる。
 呑み込みが早いラムーナは、すぐにそれらをできるようになった。

 最初の闘舞術を学んだ頃、ラムーナの体格矯正に貢献したのが、シグルトだった。
 
 シグルトは自らも重い障害を持っていたが、それを感じさせず、綺麗に動くやり方を知ってた。
 ラムーナの骨格の歪みや、姿勢の悪さに関しても、直し方のアドバイスを与えたのだ。
 骨に好い食べ物から、準備体操の仕方、骨格を伸ばす懸垂の方法まで。

 生徒であるラムーナは、素直な性格の頑張り屋である。
 シグルト程厳しく激しくではないが、目に見えない努力を重ねていた。
 
 今回の技を習得するに至って、完全に自身の体格を直し、動く時にも綺麗な正中線を保持できるようになった。

 正中線とは人体の急所が集中する中心であり、平衡感覚に影響を与える芯でもある。
 この部分を真っ直ぐ保つだけで、姿勢がとても奇麗になり、動作に切れが出てくるのだ。
 所謂、〈背筋を伸ばす〉のである。
 
 バランスが整えば、力の入り方だってまるで違う。
 華奢なラムーナのような身体でも、頭蓋骨を粉砕するような蹴りや、自分の頭の位置を飛び越える跳躍が可能となる。
 
 レベッカが、ラムーナが自分の技で故障しないように、打撃部分に使う防具を作ってくれた。
 靴の爪先と踵に甲、アキレス腱には、軽く硬い樫と緩衝材を付けた簡易のプロテクター。
 肘や膝には、転倒時や敵への打撃時に、衝撃を逃してくれるパッド。
 これらは関節の動きを阻害しないように極小でとても軽い、強靭で携帯性に優れたものだ。
 
 ラムーナの戦い方は、素早い動きから踏み込んで行う肘や膝、蹴りによる打撃が中心で、剣は主に防御とフェイントに用いる。
 敵を足場にしたり、蹴ったり殴った反動も利用してヒット&ウェイを可能にする…魔剣である【スティング】は止めを刺す時は活躍するが、鋭利過ぎて動作を止められてしまうのだ。
 その代り、絶対折れない魔剣は、防御に使う場合頼もしい。
 
 もう一つ防御で活躍するのが金属製のバックラーだ。

 その小さな盾には、握りの部分に硬い半球状のカップがある。
 殴ってもよし、受けてもよし。
 体格に劣るラムーナが、敵を突き放したり押し上げたりする時、盾は大活躍する。

 元々大胆な性格のラムーナは素早い割りに繊細な回避行動が苦手だった。
 舞踏を取り入れて戦う軽戦士として、回避が苦手なのは致命的である。

 重装備ができる戦士たちと違い、素早い動きを重視する軽戦士は軽装になり、それ故に重い一撃を食らってしまうと即座に戦闘不能となり、倒れるまで行かずとも軸足や身体の要所に傷を負えば戦えなくなってしまう。

 ラムーナの悪癖に気付いたシグルトは、資金の目途が立つと早くから盾という補助的な防御手段を与えて対策を施した。
 戦闘においては英断であったが、今度は舞踏家として問題を発生させてしまう。

 片手に剣を持ち片手に盾を持つと、どうしても正中線が乱れてしまう。
 両手に形状と重さの違う物を持ったことで、左右の均衡が崩れてしまったのだ。

 盾の使用によって防御の大切さに気付かされたラムーナは、装備によって崩れた平衡感覚と戦い方の見直しとして、ちゃんとした防御系の舞踏を学ぼうと思い立ったのである。

 本来、生き物は左右対称にできているように見えて、細かい部分では左右非対称であることの方が多い。
 利き腕の筋力が発達して逆腕より太かったり、軸足の方がサイズが大きくなるといったことは普通に起きる。
 闘舞術にはそれを踏まえたバランスコントロールも、当然存在していた。

 それは歩法の〈円(サークル)〉と重心の〈転(スイング)〉である。

 バランスの悪いものであっても、回転している時は遠心力の移動でバランスが保たれている。
 独楽の回転によるバランスを例にすれば分かり易いだろうか。

 ラムーナが学んだ【幻惑の蝶】は、蝶のふわふわした飛翔を参考に、円運動と転運動による重心のコントロールで動きを損なわずに回避行動を続ける技能だ。
 身体にいくつもの円と旋回の力を与えることで〈気流と向かってくる力ににぶら下がる〉それは、決してバランスの均衡を損なうことが無い。

 独楽のような円、上下に浮き沈みする三次元的な歩み、そこに敵の攻撃が飛んできた時はそれに沿ってするりと回る。
 飛んでいる蝶に触れようとすると〈ひらり〉とすり抜ける、あの動作だ。

 複数の旋回点を持ち、時に敵の攻撃の瞬間に旋回点を相手に移してしまうことで、装備や体格のわずかなバランス崩壊を克服する。

 ラムーナは盾の慣熟を行う時、シグルトによって【接迫(バインド)】と、【感受(フィール)】という要素を学んでいた。
 そして、【幻惑の蝶】の動作は「【感受】で空間に【接迫】し【躱す】」ものなのである。
 〈空間〉にというのが最大のポイントで、敵の攻撃に接触することは、ギリギリのラインでしない。
 まさに、紙一重。

 実は、空間には何もないわけではない。
 何かが接近し合う時、間にある空気は移動するし、ぶつかり合う力が起こす振動や気勢というもので空間は常に変化している。
 空間に起きる変化を【感受】してそれに【接迫】するというのが、【幻惑の蝶】の持つ感覚を表現する時、一番近しい。
 だから、攻撃を受ける・流す・弾くではなく、見た目は触れずに【躱す】動きとなる。

 同時に、空間は緩衝材であり鎧だ。
 直接敵の攻撃に振れて防御をする場合、それによる影響が防御する側の動作を崩してしまう。
 皮一枚の空間こそが、防御と回避の境界線になっているのである。

 技能の習得によって優れた空間認識力を得たラムーナは、苦手な回避行動を補えるようになった。
 技の発動が必要ではあるが、【幻惑の蝶】の発動から盾によるディフェンスを行った時、ラムーナの回避力は熟練の戦士の攻撃をたやすく躱す。

 通常、ラムーナの攻撃力は技に頼らなければ低い。
 しかし、仲間に攻撃力を頼る場合、ラムーナは敵の攻撃を引き付けていれば良い。
 パーティによる戦い方に必要な役割分担を理解し、ラムーナは軽戦士が得意とする身軽さをさらに昇華させた。

 闘舞術と同じ南方大陸の武術には、倣獣術があるが、その動作には似通った部分が多分にあった。
 武器術ではなく体術として発展したので、闘舞術も倣獣術も、本来武器が無くても戦える技術を内包している。
 ラムーナの戦い方が、格闘的要素を持っているのは、そのためだ。
 
 より敵に接近する危険性が発生するため、今習っているような回避術の習得は急務であった。

 いつの間にか細かった腕と足は、安定した骨格としなやかな筋肉に包まれれ、スレンダーで綺麗な形に伸びた。
 猫背で歪んでいた腰骨と脊髄は真っ直ぐ延び、頭に十冊本を乗せたまま日常が過ごせるほどに安定している。
 左右の手に違う物を持っていても正中線がぶれなくなり、重心の変化があっても即座に対応できる。

 食生活の改善により、発育不良で貧相だった肉付きは、舞踏に邪魔にならず美しさを損なわないギリギリの範囲で丸みを帯び、爽やかな色気を醸し出す。
 本来リバウンドで腹部に蓄積されるはずの脂肪は、成長と鍛錬による運動で消費され、舞踏によって培われたごつさの無い筋肉によって醜く弛むことも無い。
 背が10㎝以上背が伸びた印象を与え、搾られた芸術的な8の字体形は雰囲気が以前とは全く異なる。
 そこに、民族的な特徴である又下の高さ、締まった少女らしい臀部が、数々の歪みを治すことで猫科の獣のように流麗な機能美を宿すようになっていた。

 ラムーナは元々、卑屈で歪んだ笑顔を作る癖があった。
 暖かい仲間の愛情に包まれ、今は自然に、柔らかく笑えるようになっている。

 色気や美しさを武器にするレベッカの影響もあって、ちょっとだけ化粧も覚えた。

 陽気で、身綺麗にすれば容貌も整っているラムーナである。
 努力が実を結んだ時、文字通り彼女は変身した…蝶の蛹が羽化するかのように。

 彼女が踊ると、周囲はその存在感と美しさに圧倒される。

 苦労から少しだけ憂いを含む濡れた瞳。
 小麦色の肌は躍動的にしなり、飛び散る汗が陽光を浴びてキラキラと煌いていた。

 ラムーナ自身は、自分がそれほど美しくなったとは思っていない。
 だが、踊る彼女を見る者は、華麗さに目を奪われる。

 不幸だった少女は、鎖や頸木から解き放たれた。
 空を舞う蝶のように、遠く、高く舞い踊れるのだ。
 
「…素晴らしいわ。
 
 それが闘舞術の要、【幻惑の蝶】。
 【連捷の蜂】と一緒に使いこなせば、攻防を備えた闘いの舞踏を踊れるでしょう」
 
 師であるアデイの言葉に、ラムーナの瞳が輝く。
 それだけで花が開くように、周囲の空気が変わる。

 アデイは、この愛らしい弟子の成長を自分のことのように嬉しく感じた。
 
「この舞踊は、ぬかるみや砂地でも自在に舞を踊る技。
 
 もし回避の姿勢を奪われても、次の瞬間には即座に体勢を整えることができるわ。
 束縛からも抜け出せる、回避術の極みよ。
 
 闘舞術は拘束を嫌う、解放の技。
 その根本は〈自由〉を体現する。
 
 女の子はね、筋骨隆々である必要はないわ。
 タフネスが無くても、敵の攻撃は躱せばいいの。
 
 〝蝶のように舞い、蜂のように刺す〟
 
 優雅で素敵な踊りでしょう?」
 
 ラムーナが嬉しそうに頷く。

 この少女は気が付いているだろうか?
 自分の笑顔が、こんなにも美しいことを。

「私はこの踊りが好き。
 まるであの空の向こうに、飛んでいけそうな気がするの。

 蝶々って、とても儚い虫さんだけど…凄く一生懸命生きているわ。
 私はあんな風に、綺麗で軽やかでいたい。

 そして何時か、本当にあの空を翔べるような舞踏を踊ってみたい…」

 かつて自由に焦がれた少女は、今はどこまでも続く空のように成りたいと願っていた。
 そこには彼女が抱く、本当の自由があるように思えるのだ。

 少女は、夕日に染まりつつある果てしない南海の水平線と、求めて止まない空を見上げた。
 その情景は、自由という空に焦がれた、ラムーナの心に燃える情熱の炎のように…
 
 赤く、紅く、幻想的であった。



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『希望の都フォーチュン=ベル』 魔法の大鍋

2018.07.04(22:03) 458

 希望の都フォーチュン=ベル。

 この都市が所属する国は女王が統治しており、他国に比べて精霊術師に対する迫害や女性蔑視…特に魔女に対する弾圧が少ない。

 他にも強大な魔力を得てしまった男や、他国から亡命してきた貴族、妖精、魔剣を作れる鍛冶師といった極めて特殊な立場の者が多数移住している。
 外の世界に絶望して逃れてきた者たちにとっては、まさに〈希望の都〉なのである。
 反面、そういった性質から聖北教会など、宗教勢力の影響は弱い。

 そんな都市の一角に、ひっそりと建つ小さな工房があった。
 
 工房の主セラヴィは年を経た魔女であり、悠々自適に毎日を過ごしている。
 この魔女は変幻自在の魔力を持ち、時に妙齢の女性に姿を変えて人を化かすこともある。
 だが彼女は、西方で有数の賢者であり魔法使いであった。

 セラヴィが作り出す品物、特に老化を抑えるという【若返りの雫】や最高峰の薬とされる【エリクサー】は、権力者にとって垂涎の品であり、他国からこれらを求めてやってくる商人や貴族の使いが跡を絶たなかった。
 セラヴィが合成する品々の販売に関しては、ロゴージンという交易商だけが取り扱いを認められている。
 彼女はロゴージンに魔法の品を卸売りすることで十分な財産を得ているので、気が向いた時に材料を持ち込んだ者の調合を請け負う程度で、薬の直接販売は行っていない。

 "風を纏う者"の仲間たちと別れたロマンは、主に向学心からこの謎めいた魔女を訪ねようと考えていた。

 ブロイの館で手に入れた商品価値の低い【魔法薬】と【解毒剤】を、他に余っていた他の品物と調合し、もう少し役に経つ高価な品物に調合し直す、という別の目的もある。

 本来【魔法薬】は銀貨一千枚、【解毒剤】は銀貨三百枚の価値があるのだが…レベッカが余ったそれらを売り払おうとしたところ、「こんな古びた瓶の薬は価値が低い」とごねられて、三分の一以下の価格を提示されたのだ。
 静かに怒りを露にするレベッカの横で、ロマンは「それならばもっと高価な品物の材料にした方が良い」と提案した。

 先日オーク退治をした時に手に入れた【聖別の葡萄酒】であるが…特徴的な瓶がわずかな骨董品的価値を持っていたのだため、調べる過程で同じような代物を売っているフォーチュン=ベル近郊の歴史を知る機会に恵まれた。
 そんな折、道具類を仕入れに訪ねた交易商のロゴージンとの会話で、瓶の中身を作成したのはセラヴィではないかという情報を得るに至った。

 セラヴィは特定の薬品同士を混ぜ合わせることが可能な【魔法の鍋】を持っており、噂を聞いたロマンは派閥内に伝わっていた【魔法の鍋】の専用レシピを試したくなったのだ。

「鍋の中に薬を二つ、四回交えば塗薬

 酒と毒消し、三度祈れば聖なる酒よ

 聖なる酒と塗薬、二巻きすれば活力香る

 エルフの秘密を知らしめる、活力の根元同じく、たった一会が謎を解く

 罪の果実は魔法と毒消し、五芒星が指し示す

 聖なる酒に魔法をかけて、七打の福音若返る

 塗薬と果実を杯に、安息日無くば復活叶う

 薬と聖なる酒を二本ずつ、何も無ければ泡になる

 一の誤り、混ぜるは勝ちよ

 可笑しな顔は助けとなろう

 あとは無情に消え果る…♪」

 セラヴィと同じ【魔法の鍋】を持っていた、先達の魔術師が残した秘歌である。
 昔から秘伝というものは、暗号を含めた伝承や秘密の歌として語り継ぐものだ。

 この歌にはちょっとした魔術概念や遊び心も込められている。

 例えば〈塗薬〉は【治癒の軟膏】のことだが、あえて違う呼び方をして迂遠にしつつ、知る者にしか扱えなくしている。
 他の品物も、鍋で合成できる限られた品目を知らなければ理解できないだろう。

 〈エルフの秘密を知(し)らしめる〉には【しらしめる】という言葉に白日にさらす→偽りのない=純白の意味が隠れていて【純白の秘薬】の調合であることを示す。

 〈活力の根元同じく〉は材料が【活力の霊薬】と同一の品物であること、〈五芒星が指し示す〉というのは回数以外にリンゴを横割りにすると種(すなわち肝要部分が)五角の星に見える(それ故に魔法使いはリンゴを叡智の象徴、シンボルに使うこともある)といった知識を掛けていて、【知恵の果実】の神秘性と重要性を示している。

 練る回数が四→三→二→一と来て、五行目に五を持ってくると、関連性から割合憶えやすい意図的なリズムで並べてあった。
 かといって六行目と七行目は練る回数が逆。これは柔軟に思考的な解読ができる者に伝える暗号であり、いかに計算力や記憶力があっても考え方が単純だと、こういった遊びの部分が理解ができない。

 作成可能な薬では奥義となる【エリクサー】を神聖な七つ目にすることで込められるのは、魔術的数秘である。
 一見バラバラに見えて、呪文的な韻を踏み、魔術的なバランスも重んじていた。

 〈塗薬と果実を杯に〉は、聖北教会の聖者復活を示している。
 槍で貫かれて果てた聖者に、塗薬による癒し(衆生救済)、果実が象徴する原罪(聖者の叫びでその罪は贖われた)、杯はすなわち聖者の血を受けた聖杯…魔法の鍋の原典でもある復活の大鍋を意味し、常人は到達できない蘇生や奇蹟を連想させる。
 偉大な聖者の復活を、錬金術最高の奥義【エリクサー】生成にかけているわけだ。

 〈安息日無くば〉は七(一週間)引く一で六。

 〈可笑しな顔〉は御機嫌な奴と変な仮面を表していて、時々合成の過程で出現するこの混沌の謎物体らが、他の道具に置き換えられることを示している。

 魔術師は魔法に必要となる知能を鍛えるため、様々な暗号を使い、真実=名(実質)を込めつつも暗号として崩すやり方と伝え方、解き方を学ぶ。
 魔法の力を呼び起こす鍵となる…真なる名を隠匿しながら、知恵ある者には感じ取れるように含めることも同時に行う多重性…それは魔法という神秘の本質であった。

 このような調合や技術を伝えるための秘歌は、魔術師の弟子がそのやり方を暗唱するために使われており、韻を踏んだ音楽や詩歌としての形態が呪文の詠唱の鍛錬に用いることもできる。

 師匠から無理やり憶えさせられた秘密の詩や不思議な歌が、実は貴重な財産であると気付けることも、魔術師として与えられる試練なのである。

 閑話休題。
 
 特別な品を合成できる【魔法の鍋】はセラヴィの前で使うという条件で使用を許可されるのだが、失敗すると魔女に嘲笑われ高価な薬をいたずらに消費するとして、挑戦する者は少ないのだという。
 それに、セラヴィは財力で力圧しに秘術を行おうとする者には【魔法の鍋】を貸さないこともある。

 ロマンとしては、特別な魔法の品に触れられ、先達の知恵を確認するチャンスである。
 知識の探求では、嘲笑や損失を恐れるほうが愚かなのだ…ロマンの師はそう教えてくれた。
 
 もしレシピが間違いであったとしても、その情報を持ち替えれば師から何らかの見返りが期待できるので、ロマンはあまり気負っていなかった。

 セラヴィの工房である『象牙の杯』を訪ね、ロマンがいつものように正しく魔術師の名乗りをすると、その金色の瞳を見たセラヴィは楽しそうな表情になり、彼をいたく気に入った様子だった。
 そして、工房の留守を預かる条件を提示され、代わりに都市に滞在中住まわせてもらえることになった。
  
 人相学も嗜んでいるというセラヴィの話では、ロマンの持つ双眸が【黄昏の金目】と呼ばれ、左右の瞳が違う色の【金銀妖眼】よりも珍しい神秘の相であるという。
 先天的に高い魔力を持つ者が、その魔力を体内で昇華しきれず、瞳の色素に溢れているから、金褐色をした神秘的な瞳になるらしい。
 何万人に一人という絶大な魔力を持ち、同時に見たものを決して忘れない記憶力と、あらゆる真実を見抜く観察力を併せ持つという。

 ロマンは、心の中で「ナンセンス」とばかりに笑い飛ばした。
 派閥の大先達たる魔導王イグナトゥスも【黄昏の金目】であったと伝わるが、語られる魔力には覚えがなかったからだ。

 ただ、厚意で工房を自由に使わせてもらえる上に、セラヴィの蔵書を読む機会も与えられたので、他人が勝手に勘違いしてるだけと開き直ることにしたのである。

 工房に滞在を始めたロマンは、レシピを参考に初めて使った【魔法の鍋】で早速にも【治癒の軟膏】の最上級品を合成して見せた。
 立て続けに【聖別の葡萄酒】、【活力の霊薬】、【若返りの雫】、そして【知恵の果実】という優れた品物の最上級品を、すべて一回で生成してしまう。

 工房主のセラヴィも驚愕した様子である。
 彼女でも二十回に一回は失敗があるというのだ。

 ロマンとしては、単に派閥に伝わる秘歌のレシピに従っただけだ。
 先達の知識が正しかったと証明されたにすぎず、ロマンが特別優れているわけではない。

 錬金術のような調合では、過程と分量こそが何より大切なのだ。
 正しいレシピに、正しい行程、正しい分量。
 性格であれば確実に良いものができる。

 周囲が認める素晴らしい品物を生成しながら…ロマンは不満だった。
 彼が合成した品物は、すべての品質が良過ぎて他の合成に使えないというのである。
 鍋に入れて合成に使おうとすると、セラヴィが慌てて止めたのだ。
 「デキが良すぎるのも困りものだねぇ、とセラヴィには笑われていた。

 これでは全てのレシピを試すことができないではないか。

 考えた末、ロマンは持っていた材料でできる品物の中から【治癒の軟膏】をもう一つ、交易所で銀貨百枚払って【葡萄酒】を購入して【解毒薬】と合成することで通常品質の【聖別の葡萄酒】を作り、それらをさらに合成してエルフの秘薬とされる最高品質の【純白の秘薬】を完成させた。
 それを売り払うことで銀貨千枚、材料四つ分の販売価格と同じ価値まで引き上げて銀貨九百枚の収入を獲得する。
 普通に材料の【傷薬】二つに【解毒薬】を売れば銀貨四百五十枚であるから、拾い物から倍の儲け…市場の販売価格と同等の利益を出したことになる。
 仮に使用した素材を標準価格で買い直しても、まったく損が出ていない。
 
 売らなかった数々の品物も普通は購入できない高級品であるから、道具袋に死蔵していたことを思えば、とても良い仕事をしたと言えるだろう。

 それに、儲けを出すために行った合成の過程で、知らなかった秘歌の秘密も判明した。

(〈一の誤り、混ぜるは勝ちよ〉って、わざと作業工程で品質を落として作ると、他の合成に使えるようになるってことだったんだ。
 品質の劣った品物を持っているのは癪だったし、出費はしたけど損は出してないはずだし。

 なんだか上質の品物の売値がおんなじなのは納得いかないなぁ。

 あとは【傷薬】と【解毒薬】が一瓶ずつ残ってる…だいぶ片付いたね)

 ここまでで合成に一度も失敗しなかったロマンは、たまたま工房を訪れていた貴族と商人に見染められ、その後ずっと合成をする羽目になった。
 何しろロマンの合成は確実で、上質の品物を作ることもあるのだ。

 これはロマンにとって不本意な事態であった。
 彼は知識の探求者であって、錬金術師ではない。 

 錬金術の先師が書き残した書物には、霊感や星の運行の影響などといった神秘的な要素を重んじるものもあるのだが、ロマンはそれらを「再現性に問題がある」としてあまり参考にはしない。
 実際、化合の失敗によるアクシデントや、インチキ同然の内容を残している者も過去には存在し、〈錬金術師とは詐欺師である〉と考える一般人も多い。
 ロマン自身、〈錬金〉というジャンルの呼び方が嫌いだった。

 その点、物質合成という一面から見れば、魔力という神秘を呪文によってコントロールする魔術の類と違い、合成するだけなら魔力がいらないものも多い。

(〈錬金術〉なんて詐欺師そのものが名乗るような名称はやめて、素直に〈調合術〉とか〈合成術〉、大仰に言いたいなら〈アルス・マグナ(大いなる術)〉とでもすれいいんだよ。
 名を重んじる魔術師としては、黄金を練り上げるなんて俗っぽい名称にするのはね。

 確かに魔術的神秘と秘匿という意味では、俗物の目をそらすことに関しては理にかなってる。
 〈黄金のように尊いものを練り上げる〉という譬えであるなら、わからなくはないけど…)

 ロマンは材料さえあれば、最高の薬である【エリクサー】も調合可能だ。
 彼が得意とする【若返りの秘薬】は同じ値段でも効果が高く、貴族たちの御夫人に大人気である。
 
 セラヴィの元に滞在を始めて一週間ほどで、あまりに工房が繁盛するため、目的の読書ができずにもやもやしっぱなしだった。
 
 今日も、難しいとされる【知恵の果実】を合成して、貴族の夫人に渡す。

「…はいどうぞ。
 教会勢力が〈堕落の木の実〉といって嫌う物だから、あまり聖北教圏で見せたり自慢しないで下さいね。
 
 お代は何時ものように、物品でセラヴィ師に渡して下さい。
 では、僕は用事があるので…」

 用件を済ますと、味もそっ気も無く待合室にいる次の客を呼ぶ。

(まったく…。
 気軽に本が読めるっていうから引き受けたのに、これじゃ雑用じゃないか!

 この間は他所の貴族の配下に攫われそうになるし…ロゴージンさんが来てくれなければ拙かったよ。
 普段からフードを被って、顔を隠して作業していてよかったね。

 シグルトが修行から戻ったら、僕も一緒に移動しよう。
 魔女術や錬金術関係の書物はほとんど読ませてもらったし、ね。
 下手な薬より、シグルトが教えてくれた【悪風除けの薬】の方がよっぽど価値があるよ。

 でも、【賢者の石】を作る方法は流石に分からないね。
 【エリクサー】を生み出し、鉛や銅を黄金に変える石なんて眉唾っぽいけど、錬金術最大の目的であるそれが存在するなら、僕も見てみたい。
 それがあるとしたら、物理法則をひっくり返すよね。

 今の僕では、あの鍋無しで価値のある品物を合成するとしたなら…黄金の化合物や鉱石から金を抽出するのが精いっぱいだからなぁ…
 
 ま、元々純粋な黄金は、化合物の絶対数が少ないし、あんまり意味無いよね。
 化合物を戻すのも容易だし、うん、行為そのものがちょっと無駄かな。
 そこまでして化合物作って戻すのって、お金かかるだけの道楽にしかならないし。

 昔の、詐欺師もどきの錬金術師やったように、金が入ってるように見えない合金から金を取り出して、〝賢者の石の精製〟に成功した~とか。
 そういうことする人間が多かったから、錬金術の名は貶められたんだよ。

 この手の技術は知的探求心と好奇心の満足を除けば、まず人を騙すぐらいしか使い道が無いね)

 言葉にするとトラブルを招くから、と遠慮して、ロマンは頭の中で好き勝手な毒舌を弄していた。

 半ば魔術的な要素も含む錬金術。

 魔術や秘蹟がまかり通る今の世の中において、ロマンは魔術師の見習いでありながら…魔術の徒であるよりもあくまで知識の担い手であろうとする、異端者だった。
 
 天才と謳われながら、実際には努力勤勉こそとても大切にする秀才肌であり、才能に溺れたり神に祈るよりも、求め磨くことが美徳だと信じている。
 だから、信仰や宗教の必要性は認めても、自身の考えや生き方を拘束するそれらに依存するつもりはまるで無い。
 
 人は禁断の果実を食べて知恵と羞恥心を覚え、堕落して嘘を吐き、楽園を追放されたという。
 だが、神の箱庭に押し込められて裸でも羞恥すら抱かなかった人間は、その飼い殺しの箱庭のような生活に何の意味があったのか。

 親への反逆は、独立への一歩である。
 ロマンには、それを愚かだとする神学者の考えは分からない。

 本来親は、子の独立を願うものだ。
 それが、自分の支配から外れるとしても、子供の成長を願わない親がいるだろうか?
 そうやって子は痛みを知りながら、新しい世界を切り開いて往くのだから。
 
 思うのだ…〈神はわざと人に独立するきっかけを与えたのだはないか〉、と。
 そして、親に反逆する歪み…世界に挑戦する力こそが〈魔〉であり〈魔法〉なのだ、と。

(あ~あ、これじゃどっかの異端神学者だね。
 まあ、見えない部分を論議するのは、連中に任せておけばいいや。

 僕が欲しいのは、理路整然とした真実と事実だけだ)

 詰まらなそうに鼻を鳴らし、ロマンは残った仕事に没頭し始めた。



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