『ダンピール』

2007.03.09(15:53)

 薄暗い教会の廊下を、女は歩いていた。
 
 着ているのは白と紫を基調とした、男物の簡易法衣に黒いストラ(首掛帯)。
 
 白は純粋な信仰を表し、職務にかける信念を示している。
 紫は改悛の色で、不浄を滅するために武器を持つこと、血を流すことへの懺悔を表す。
 そして漆黒のストラは、人の罪と異端を嘆く悲しみを意味する。
 そのストラには、女が司教であることを表す紋章が刺繍されていた。 
 
 彼女はフェリス ラザハッド。
 異端討滅組織“神の鉄鎚”の指令であった。
 
 普通司教の位は、都市レベルの教区を統べる高僧に与えられるものである。
 しかし、異端を見つけ場合によっては討伐するその特殊な仕事柄、超法規的行動が取れるように法王庁から特権を与えられた“神の鉄鎚”の指令官は、司教を兼任することが通例だった。
 特別な任務で与えられる聖職、名義司教である。
 
 吸血鬼や悪魔といった恐るべき邪悪は、時に都市や国家レベルの滅亡を招くことがある。
 素早く、確実にそういった邪悪を滅ぼす力。
 状況次第では、一都市の教会の戦力をそのまま指揮できる権力。
 必要だからこそ与えられた特権であった。
 
 しかし、フェリスとすれ違う者たちはその誰もが羨望と同時に、侮蔑と軽蔑の視線をその法衣に注ぐ。
 
「…く、あの“灰もどき”がっ!」
 
「…女の分際で、司教座など、何と嘆かわしい…」
 
「…呪われた化け物め…」
 
 怨嗟をこめて、すれ違う者たちが聞こえる声で陰口を吐く。
 それを、風を切るように無視して進む。
 
 やがて、ある一室にたどり着くと扉をノックする。
 そして、中から聞こえた入室の許可を受け、その扉をくぐった。
 
 そこは調度品の類も無く、祈りのための小さな祭壇以外は神学の書がずらりと本棚に置かれた、少し手狭な部屋だった。
 中では1人、緋の僧衣を着た初老の僧侶が、机でペンを走らせていた。
 
「…マグヌス閣下。
 
 “第七の鎚”討滅指令官フェリス、聖務を終え、ただ今帰還致しました」
 
 机の前で簡易の礼をとる。
 
「…ふむ、御苦労。
 
 楽にして、少し待ちたまえ。
 この書類の印を終えたら、報告を聞くとしよう」
 
 しばらくは紙の上をペンが走る、小気味良い音が鳴っていた。
 
 やがて男が書類を巻き、赤い蝋を熔かして封印を終えると、それを机の脇に置く。
 
「これでいい。
 
 さて、話をしよう。
 おおまかなことは報告書で知っているよ。
 
 相手は〈騎士〉並の異端だったようだね。
 デップ〝元〟司祭は、昨日の裁判で、東の修道院に派遣されることに決まった。
 …体のよい追放だが、あのビール樽には少し甘い処分かもしれないな。
 さすがに司祭を破門するには、教会の体裁が悪い、ということだ。
 
 書類を見れば、破門にすべきだと私は思うのだがね。
 
 彼は最後まで君のことを悪魔だの、異端だのと叫んでいたそうだが…
 終いには、罵詈雑言の言葉も尽きてしまった様子だよ。
 
 ただ、殴りつけるのは遠慮したほうがよいな。
 つまらない詮索をするものもいる。
 今回の場合は、君の信仰ゆえの〈愛の鞭〉ということにしておいたから、今後は自重するように。
 
 私個人としては、喝采したいところだがね。
 
 安心したまえ。
 君はよくやっている。
 
 さすがはエリヤ君の秘蔵っ子だけはある。
 
 私も先代の無能者を放逐して、君を推挙した甲斐があるというものだよ」
 
 男はマグヌス。
 西方の聖北教会において、その中枢となる人物の1人である。
 
 40代で緋の僧衣…枢機卿まで登り詰めた手腕からも、その実力が伺い知れた。
 緋は、信仰のためならば、いつでもすすんで命を捧げるという決意を表す色である。
 
 枢機卿とは、法王庁から称号を与えられた貴族のような者だ。
 多くは僧侶としての位階も持ち、その多くが司教座である。
 マグヌスの場合、フェリスと同じ司教だが、格が違う。
 大都市の教区を統べる大司教でさえ、それに及ばない権力を持っていた。
 
 彼は西方に客分として滞在しているが、その目的は広大な西方各教区の監督であり、同時に他の要職にある枢機卿や司教に法王の命を伝える、法王直下の監視官であった。
 あらゆる聖北の組織が円滑に動けるように、法王庁からお目付け役として派遣された橋渡しのような職務をこなしている。
 面だって活動したり、名が残るような仕事ではないが、教会組織を裏で支える要職であった。
 
 若い頃から次期法王候補の1人と目されていたが、自身は聖北の正義に尽くすと宣言し、城塞都市ベルンでその辣腕を振るっている。
 彼がリューンなどの大都市にいないのは、ベルンが地理的に法王庁にも近いからだ。
 
 またベルンは、西方のあちこちに伝令や命令を行き渡らすのにも都合が良い場所にあった。
 東方の異教徒の進行を阻止し、宗教都市であるラーデックやペルージュに通じる街道の要所を守っているのがベルンである。
 
 マグヌスの性格は、合理的で実力主義。
 かつ、差別や偏見を、人間の持つ心理として視野に入れながら、それに囚われて大局を見誤らない聡明さ。
 この時代にあって、稀有な気質の聖職者であり、英明な人物であった。
 
 彼は、数十年前まで燻っていた悪習の魔女狩りと異端審問のありかたに異を唱え、活動してきた。
 彼の登場によって、西方における魔女狩りで、誤って殺される女性は激減したと言われている。
 
 加えて、男女の差別もしない男だった。
 
 本来女性であるフェリスの、異端討滅官指令=司教という大抜擢は、前代未聞のことである。
 教義的な理由によるのだが、女性の聖職者は少なく、司祭以上の位階のものなど無いに等しい。
 しかもフェリスは普通の人間ではない。
 そんな彼女を、今の地位に押すほどの発言権が、マグヌスにはあった。
 フェリスの役職が、公表された役職ではなかったことも、その要因ではあったのだが。
 
「…君は優秀だよ、フェリス君。
 
 しかし、あまり過激には動かないでくれたまえ。
 君の信仰は、秘蹟の発現からも十分証明されている。
 …が、それすらできない愚か者たちにも言い分はあるらしい。
 
 君の出自はそれだけ特殊なのだ。
 その銀の歯が、君の信仰の証だと言っても、愚か者たちは聞こうともしないが、ね。
 
 私が君を庇えるのはあと20年ほどだ。
 それまでに愚かな因習が改革できるかは、分からないが…
 君の寿命なら、20年など、我々の数年に過ぎないね。
 
 もっとも、聖戦という激務で、私より先に殉教されてしまうと話は違うが、ね。
 そのようなことが無いように、日々神に祈っているよ。
 
 君が神に召される時は、エリヤ君やアンゼルムス君と同じ形で無いことを願うばかりだ」
 
 そう言って、優しげな目でフェリスを見つめるマグヌス。
 出会った時に比べ、髪には白いものが目立ち、顔にも随分と皺が増えていた。
 
「お気遣い感謝いたします、閣下。
 …呪われたこの身、“ダンピール(半吸血鬼)”である私が、主の御膝元で戦えるのは閣下のおかげです。
 
 ですが、この身が役尽きるその時まで…不浄と戦うのは、私が主より賜った使命。
 そして、このような形でしか、私には閣下やエリヤ元指令、そしてわが師父の大恩に報いることができないのです」
 
 フェリスはそう言って苦笑する。
 
「ふふ、私が思うに…
 
 聖地の総大司教より、君の方がよほどその聖職に相応しいよ」
 
 マグヌスの言葉を聞きながら、フェリスは遠い過去に思いを馳せていた。
 
 
「…迷わず神の御許に行くがいい」
 
 それは双剣を構えた大男であった。
 
 赤いちぢれたくせ毛は炎のように風になびき、その眼光は稲妻のように激しい。
 左右に持つのは、十字架を模した黄金の剣。
 鋼のような筋肉と、厳つい髭面。
 
 対するは、不浄の存在、グールたち。
 人の屍肉を漁る亡者である。
 
 男が一刀を振るう度、グールは次々に灰となっていく。
 動く度に、胸に下げた聖印が揺れて煌いた。
 
 そして男は、そこにいた最後の亡者を浄化した。

 
 
 汗を拭い、大男はその村に足を踏み入れた。
 西方東部の辺境にある小さな村である。
 
 近くに家から飛び出すように現れた老人が、男の前に跪く。
 
「あ、ありがたやぁ~!!」
 
 大男は、薄汚れていたが、司祭の僧衣を纏っていた。
 僧職に不釣合いな双剣を除けば、外見こそ厳ついが、一応は聖職者である。
   
 この周辺に出没するという亡者(アンデッド)を倒すためにやってきた。
 すでにこのグールたちの原因だった死霊術師は、男が倒していた。
 
「御老人、面を上げられよ。
 
 自分は、自分の責務を全うしたのみ。
 さあ、立たれるがよい」
 
 なおも畏まる老人の肩を抱いて抱き起こし、大男は微笑んだ。
 
「失礼。
 
 自分はアンゼルムス ラザハッド。
 この地に現れた不浄を討つために、聖北教会から派遣された者。
 
 御老人はこの村の?」
 
 老人は、アンゼルムスと名乗った男に頷く。
 
「そうですじゃ。
 
 他の連中は、あの鬼たちを恐れて、今は籠もっております」
 
 油断無く周囲をうかがいながら、アンゼルムスは、出てきた家の方に老人を連れて行く。
 
「おそらくもう、グールどもはおらぬでしょうが…
 
 自分はもう少し、周囲を調べてきます。
 村の衆は、それまで家の中で待っておられよ」
 
 アンゼルムスがそう言うと、老人は村はずれの丘を指差した。
 
「この鬼どもは、丘に住む鬼子の仕業に違いありません。
 
 まったく、あんな鬼子を村に入れるからじゃ…」
 
 苦々しい声で、老人は毒づいた。
 
「…鬼子?
 
 はて、御老人。
 それはいかな?」
 
 アンゼルムスの目が鋭くなる。
 
「…5年ほど前のことじゃ。
 
 1人の若い女が、子供を伴ってこの村に来たんじゃ。
 若い女は、それは美しい女子での。
 
 随分さまよってきたのじゃろう、その親子を、村長が哀れに思って村はずれの空き小屋に住まわせたのじゃ。
 
 ところが、その子供は鋭い牙を持ち、血のような赤い瞳をしておった。
 しかも、薄気味悪いほど白い肌は、日に当たると肌が火ぶくれを起こすんじゃ。
 噂に聞く吸血鬼に違いあるまい。
 
 わしは、あんな鬼子は追い出すべきじゃといったんじゃが、村長の息子が母親の色気に毒されての。
 おそらく、美人の母親とねんごろにななっておったんじゃろうが…
 
 それからじゃ…
 日照りが続き、疫病が流行り、ついには化け物がやってきおった。
 
 あの親子は、化け物じゃっ!」
 
 アンゼルムスはふむ、と目を閉じ考え込んだ。
 そして老人に頷く。
 
「まことにその親子が悪鬼の類であるなら、自分が退治いたそう。
 
 あの丘の小屋でよろしいのか?」
 
 老人は、ところどころ抜けて黄ばんだ乱杭歯をむき出して、何度も頷いた。
 
 
 老人の言った丘には、粗末な小屋があった。
 
 隙間だらけで、屋根が傾いでいる。
 人が住んでいるのかも、怪しかった。
 
「…失礼。
 
 少しばかり聞きたいことがあるのだが、この家の主殿は御在宅か?」
 
 律儀に扉をノックし、アンゼルムスは家主を呼んだ。
 
 しばらくして戸が開き、みすぼらしい格好の子供が現れた。
 
「…おかあさまはびょうきです。
 
 このいえには、わたしとおかあさましかいません」
 
 見つめ返したのは、紅玉のような赤い瞳だった。
 くすんだ髪は真っ白で、肌も病的に白い。
 覇気の無い、怯えたような、あきらめたような表情。
 
 力無い様子の子供は、しかし端整な顔立ちの女の子だった。
 
 アンゼルムスは屈んで、その娘の口元に手をやった。
 娘がびくりと後ずさる。
 
 アンゼルムスは逃げられないように、娘の肩を掴むと、その唇を指で押し上げた。
 子供には似つかわしくない、鋭い犬歯。
 
(これは…、ただの白子(アルビノ)かと思ったが、本物のダンピールかっ!)
 
 娘は少し抵抗したが、やがてあきらめたように動かなくなった。
 
「娘…
 
 お前、血が飲みたいと思ったことはないか?」
 
 娘の肩を掴んだまま、アンゼルムスは聞く。
 
 娘は少し考えると、首を横に振った。
 
「…そうか。
 ならばまだ間に合う。
 
 自分は、お前たちを殺しに来たのではない。
 話がしたい。
 
 それに、この家の様子では、母上にまともな薬など与えておらぬのだろう?
 
 自分の薬をわけてやろう。
 家に、入れてくれないか?」
 
 アンゼルムスは笑顔を浮かべて薬を見せ、娘の頭を撫でた。
 娘はまた少し考えて、小さく頷いた。
 
「自分はアンゼルムスという。
 
 娘よ、お前の名は?」
 
 扉を開けてくれた娘に問うと、娘は下を向いてぼそりと言った。
 
「…ウルヴェチカ。
 
 でも、このなまえはきらいです。
 おかあさまはエリカとよんでくれます」
 
 エリカとはこの地方の言葉で、愛娘を呼ぶ愛称だ。
 因習の多い地方であり、本名で呼ぶと悪魔に攫われる、といった伝承がたくさんある。
 
 アンゼルムスは厳つい髭面を、さらにしかめた。
 
(ウルヴェチカ…だと?!
 
 淫蕩で殺戮を好み、悪魔に国を明け渡したという伝説の王女の名。
 このあたりでは、口に出すのも避けられる忌み名ではないか。
 
 このような悪趣味なことをするのは、おそらくこの子供の…)
 
 そして、アンゼルムスはその娘の出生がどんなものか、およその見当がついた。
 
 
 小屋の奥に進むと、粗末な藁葺きのベッドに、やせた女性が横たわっていた。
 くすんだ髪、こけた頬。
 しかし、そうなってさえ、美しいと感じさせる女性だった。
 
「お休みのところを、失礼する。
 
 自分はアンゼルムス。
 ある使命のために、この村までやってきた。
 
 貴方は、この子の母上か?」
 
 アンゼルムスが問うと、女性は薄く眼を開けて弱々しく頷いた。
 
「…聞きたいことがあるのだが、まずはこの薬を。
 
 滋養となり、すぐに効く。
 …うむ、失礼」
 
 とても起き上がれないと知ったアンゼルムスは、口移しで薬を飲ませた。
 この時代、道具の無い場所で口移しの投薬は、それほど珍しいことではなかった。
 加えてアンゼルムスは、そのようなことに躊躇っては命を落とすほど、死が近い生活をしている。
 
「…いけ、ません。
 
 お坊様の、身体が汚れます」
 
 構わずアンゼルムスは、水筒で湿らせた布で女性の口元や汚れた頬を拭った。
 
「汚れるというのは、病のことか?
 
 あいにくと、この身は神にささげておるゆえ、簡単には汚れぬ。
 
 そなたを不幸にした悪鬼の類ならば、この聖なる剣で打ち払ってみせよう。
 
 それに、娘御の悪趣味な名はそなたがつけたのではなく、父親がつけたのだな?
 
 そなたを汚すことは何人にもできぬ。
 心と魂の汚れぬ者は清いのだ。
 心清く無い者が、どうしてこの子を育てられよう。
 娘をエリカ(愛子)と呼ぶ母に、汚れた者がいるものか。
 
 この娘がヴァンピール(吸血鬼)の子ということも知っている。
 
 安心されよ、殺す気は無い。
 信仰と神に誓って、だ。
 
 ただ、そなたにきちんと話が聞きたいのだ。
 
 私ならば、この娘に呪われた宿命と戦う術を与えられるかもしれぬ。
 
 だから教えてほしい、あの娘のことを…」
 
 アンゼルムスは真摯な瞳で、女性を見つめた。
 
 
 ダンピール(半吸血鬼)と呼ばれる者がある。
 
 蘇った死者の伝説は、西方東部に多いが、ダンピールもそんな中で生まれた種である。
 
 西方東部からその東、中東、中原にかけて、古代の神話の神々は血を好む性質が多い。
 生贄、虐殺、破壊…
 血なまぐさい伝説がたくさんある。
 
 ウガリッドの主神バアルの妻、鮮血の女神アナトは悪名高い女悪魔リリスのモデルとも言われる。
 夫を奪った神を、その武勇で八つ裂きにしている。
 その妹アシュタロトは、悪魔として有名である。
 
 生贄を求め、敵を残忍なやりかたで殺す神も多い。
 そういった古の神々の多くは、聖北教会の登場によって悪魔に変えられていった。
 
 神とは本来自然の化身であり、土着の精霊でもある。
 残虐性は自然の暴威そのものだ。
 聖北の唯一神を受け入れた人は、その暴威を神として畏怖することから、悪魔として忌み嫌うようになった。
 
 血なまぐさい信仰は、聖北の登場で掃討されたかに見えた。
 しかし、長く信仰で培われてきた恐れの念がある。
 土着の神を悪魔とした民衆は、悪鬼となった神の復讐を恐れ、その恐怖が歪んだ因習を残していった。
 
 死後、首を刈り取る葬儀。
 心臓に杭を打ち込む行為。
 
 邪神や悪魔に魅入られて、怪物にならないようにするための行為。
 
 だが、そういった人々の恐怖と歴史の影に、本当の悪鬼邪神が付け入り、おぞましい怪物が現れることになる。
 
 吸血鬼。
 古今様々に呼ばれるが、その特徴の本質は同じだった。
 
 曰く、人の生血を糧にする。
 曰く、蘇った亡者である。
 
 血を啜る悪霊(悪鬼)だから吸血鬼、というわけだ。
 
 怪力、邪眼、飛行能力、魅了の力…
 数々の欠点と共に、それを補ってあまりありたくさんの能力を持つ、恐るべき不死の怪物。
 
 様々な状況で生まれるとされるが、その多くは呪いで生まれるという。
 何かによって魂を呪われ、汚された者は、死に切れずに人の命とその欠片である生血を奪う怪物となる。
 
 死者に呪いをかけるのは、人に放逐された邪神や悪魔。
 死という尊厳を奪われたものは、血を啜る亡者に堕ちる。
 
 この呪われた亡者は、何度も人間社会を脅かしてきた。
 
 そして、この亡者は戯れに人と交わって子供を残すことがあった。
 
 亡者の生殖ゆえ、命を育むのは、決まって命を孕むことができる女。
 母体に注ぎこまれた魔性が育ち、生まれるのは矛盾した存在。
 死者の、生きた子供。
 
 それはダンピールと呼ばれる。
 
 ダンピールには子をなす能力が無い。 
 なぜなら、半分は死人だからである。
 命を作り出すのは、正しい命の表れ。
 対して、歪んだ命。
 
 一代限りの特異な鬼子である。
 
 ダンピールは、亡者の不死性を持つ故に寿命が長い。
 吸血鬼の種類にもよるが、その寿命は人間の5倍とも10倍とも言われる。
 老いも遅い。
 
 中途半端に親の吸血鬼の欠点を引き継ぐが、同時にその怪力や異能を得る。
 
 加えて、思春期を過ぎると、親のように血を求めるようになる。
 呪われた悪鬼の子供…
 
 アンゼルムスが出逢ったアルビノの少女は、そういったダンピールの1人であった。
 
「…この子の父親はグラウス。
 
 不死の王を名乗る、大吸血鬼の継嗣です。
 
 グラウスは、戯れに私を辱め、この子を身ごもらせました。
 でも、私にはこの子を殺すことが出来なかった。
 
 生まれて目も開かない、子兎のように小さな赤子を…どうして殺すことなど出来ましょう。
 私は女であり、母なのです。
 
 だから、私は生家を出て、放浪しながらこの子を育てました。
 慣れない生活をしながら、ついにこの村にたどり着きました。
 
 私を捕まえた村人は、私に食べ物と住処を与えるかわり、生活の場を与えるかわりにこの身体を求めました。
 
 このような場所の村人に、色町で遊ぶ金などありませんから。
 それに、私はもう子供が出来ない身体…都合がよかったのでしょう。
 
 まるで家畜のような生活でした。
 逃げ出さないように足の腱を切られ、歩くことも出来ません。
 
 この子が生かされているのは、村人の慈悲ではなく、私が命を絶たないようにするためです」
 
 アンゼルムスは眉をひそめた。
 
 おそらく、村の者がこの女性の美しさに懸想し、このような暴挙に出たのだろう。
 辺境の貧しい村では、歪んだ心を持つ人間たちも多い。
 このような暴挙を止める人間も、罪を裁く人間も、いないのだ。
 
「地獄のような毎日でしたが、それでもこの子がいたから耐えてきました。
 どんなにこの身が汚れても、私にとってこの子と生きることがすべてだったのです。
 
 でも、私の身体はもう長くないでしょう…
 こうやって死を待つ身です。
 
 この子は私が死ねば殺されてしまいます…きっとひどい方法で。
 この村に来た時から呪われた子供だと蔑まれ、そして1人で生きていく力もありません。
 
 母として、それだけは、それだけは耐えられないのです…
 
 この私の衰えた身は、魔女として罰してくださって結構です。
 でも、娘だけはどうかお助け下さい。
 
 この子に罪があるというなら、産んだ私こそが罪。
 
 どうか、どうか、この子の命ばかりはお助け下さい」
 
 涙ながらに話す女、名をエレーニアという。
 
 かつては貴族の娘であり、その美貌と気品から、若い貴族の若者たちの憧れであった女性である。
 しかし、彼女は呪われた者に蹂躙され、その地位を追われた。
 
「グラウス。
 
 知っているとも。
 我が天敵、悪魔アガウスの眷属、不死の王デルフトが継嗣。
 呪われた〈夜の貴族〉…しかも〈王族〉だ。
 
 生れ落ちてより、邪神に見入られ、邪術を行うクドラク(妖術師)となった。
 そして、最凶のヴァンピール(吸血鬼)デルフトに気に入られ、その継嗣となった邪悪な男。
 
 彼の下劣な輩に出会うとは、貴女の心中と苦労の数々、お察しする。
 
 安心なされよ。
 この娘はまだ〈血の渇き〉を覚えておらぬ。
 今ならば、その呪われた疼きを封じることができる。
 
 この娘は、自分が責任もって預ろう。
 
 自分が育て、神の子としての生き方を教えるつもりだ。
 呪われた出生は取り払えぬが、己が運命は切り開ける者に育てると約束いたそう」
 
 アンゼルムスの言葉に、エレーニアは思わず、「ああ神様…」と呟いた。
 
「…お坊様はなぜ、私たちのような者に、こんなにも良くしてくださるのですか?
 
 私の出会った聖職者は、皆、私を娘を殺すか追放しようとしました。
 見ず知らずの私たちに、なぜ…?」
 
 エレーニアの問いに、アンゼルムスは大きく息を吐く。
 そして語りだした。
 
「ここよりさらに東。
 
 中原に差し掛かる場所に、ヒョルドと呼ばれる大地がある。
 自分はその地の小さな村で生まれた。
 
 彼の地には、吸血鬼を作り出すという、亡者の主にして混沌…アガウスという邪神の伝承が伝わっている。
 古き神ゆえ、その名も知る者は少ないが。
 
 自分の出生は、その邪神に呪われたものだったのだ。
 
 自分は、生まれた時に血のように赤い、呪われた胞衣(えな)につつまれて生まれてきた。
 自分のような者を、ヴィエドゴニヤ(赤の申し子)と言う。
 邪神に見入られ、クドラクとなり、最後はヴァンピールに堕ちる宿命を与えられた鬼子だ。
 
 ゆえに、迫害され、泥を啜り砂を齧って生きてきた。
 
 そんな自分を引き取り、育ててくださった方が、聖者と呼ばれたドミニク様だ。
 
 ドミニク様は、自分に戦う術と生きる道を与え、そして信仰を教えてくださった。
 
 このような身の上だからこそ、人事とは思えぬ。
 この娘との出会いは、主が与え賜うた奇跡。
 
 必ずや、立派な神の使徒として育てて見せよう」
 
 アンゼルムスもまた、呪われた宿命と戦い続けている男だった。
 エレーニアは安心したように、微笑んだ。
 
「私は何年も神様を憎んできました。
 
 そんな神様も、私を見捨てなかったのですね…
 主よ、感謝いたします。
 思い残すことは、もう…」
 
 そう言うと、エレーニアは愛娘を呼び、抱きしめた。
 
「私のエリカ。
 かわいそうな娘。
 
 どうかお前は生きて、幸せになって。
 
 貴女を産んだせいで、貴女に不幸な死を与えたなら、私は死んでも死に切れません。
 
 貴女には神様が道を下さった。
 だから、どうか生きて…
 私が貴女を産んだことが、過ちではないということを、生きて示して。
 
 貴女の幸せな生が、私の最後のお願いよ」
 
 母は娘を強く抱きしめた。
 
 そして数時間後、エレーニアは神に召されたのだった。
 
 
「行くぞ、娘よ」
 
 エレーニアの葬儀を終え、アンゼルムスは娘を連れて村を後にする。
 母子を忌み嫌う村人に死体を蹂躙されぬよう、火葬にした。
 
 村人は、厄介者を追い払えると思ったのか、アンゼルムスが娘を連れて行くことに異は唱えなかった。
 
 襤褸を纏い、娘はアンゼルムスに手を引かれて歩き出す。
 
 村が見渡せる場所まで来た時、娘は村を振り返った。
 そこにはまだエレーニアを焼いた煙の残りが、霞のように漂っている。
 
 娘はじっとそれを眺め、一雫、涙を流した。
 
 アンゼルムスは、聖水の瓶を返して娘にふりかけ、己が掛けていた聖印を娘の首に掛けた。
 
「今日からお前は使徒フェリスだ。
 
 フェリスとは、不屈の祈りで人を救う奇跡を起こしながら、魔女として列聖されなかった不遇の聖女の名。
 それでも信仰を捨てず、愛を説いて生きた、わが師の友だ。
 その生き方は、私の目に焼きついている。
 
 お前に、その信念と、優しさを願ってこの聖名を送ろう。
 
 名に恥じぬ生を、神と母に誓うがよい」
 
 その娘、姓はアンゼルムスの『ラザハッド』をもらった。
 
 …20年以上昔、フェリスが10歳になる前の話である。

 
 
 フェリスの過去その1です。
 
 ところどころ、やばい表現がありますが、フィクションということで。
 登場人物、人名や地名、宗教や組織は、現実のものとは一切関係ありません。
 
 アンゼルムスのモデルは洗礼者ヨハネで、髭面の屈強な神父さんのイメージです。
 彼はフェリスの師であり、養父として彼女を育てます。
 フェリスの登場した話で、彼女が使っている黄金の柄の剣はアンゼルムスのものです。
 
 フェリスの母エレーニアは、元貴族の御令嬢で、フェリスも5歳ぐらいまでは、実家で幽閉されて過ごしていました。
 かなり不幸な生い立ちです。
 
 私、こういう主人公ばかり書きますね…Sかも。
 
 アンゼルムス、キャラクター的にすごく好きです。
 髭親父、萌えません?
 
 『灰色の嵐』、ぼちぼちと書いていく予定です。
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