Y字の交差路

 ここはY2つめがノリで作ったブログです。  カードワースを中心に、私が思ったことや考えたことを徒然なるままに書きたいと思います。

『遠野の鬼姫』 壱

 蒸せるような暑い日であった。
 
 匂い立つ様な萌える緑。
 初夏も終わろうとする森は、虫や鳥の鳴く声にあふれ、絡みつくような湿気と土の香りに満ちている。
 
 獣もよろめきそうな細い獣道。
 木々の鋭い枝を避け、歩むものがいる。
 
 色あせた墨染の水干を纏い、冠もなく無造作にその黒髪を束ね、腰には武骨な一本の太刀。
 背は五尺五寸を越えるほどあるが、筋骨隆々というほどではない。
 しなやかでどこか優美な身体つき。
 秀麗な顔立ちと、漆黒の深さの中、よく見ればわずかに蒼い輝きを宿した神秘的な双眸。
 粗雑な出で立ちでありながら、見たものがはっとするような美丈夫である。
 
 その男、歩き方からして尋常ではなかった。
 
 まず歩みが速い。
 走っているわけでもないのに、一歩で常人の五歩、十歩を見る間に踏破していく。
 
 これだけ草木が茂っている中、枝に触れることも葉を落とすことも無い。
 進むたびに枝や葉が勝手に避けていくのである。
 
 そしてただ無造作に歩いているだけであるのに、滑るように音一つしない。
 
 山の民の長老でもこうはいかないだろう。
 
 不意に開けた場所に出ると、男はふわり、と立ち止まった。
 
「もはや、彼の御方の庭に入ったはずだが…」
 
 1人呟いたその声は深くよく通る。
 
 周りを静かに見回すとまた歩みだそうとして、ぴたりと止まる。
 
 …虫も鳥も鳴くのを止めていた。
 風さえそよぐのを止め、そこには不気味な凪がある。
 
 男はすう、と一息丹田の下に力を込めて呼吸する。
 男の涼しげな顔。
 その頬を冷たい汗が伝わり、落ちた。
 
(…凄まじい威圧感だ。
 
 先ほどまで気配も無かったが、姿も見えぬのにこの有様か。
 噂通りの御方よな)
 
 男は完全に歩みを止め、目を見開く。
 
 びゅぉぅ、と風が舞う。
 
 そして瞬きする間もなく、目前にそれは立っていた。
 
 思わず退きそうになった男は、く、と腹に力を入れて、しっかりとそれを見た。
 
 ファサリ、と白銀(しろがね)の滝が波打った。
 瞳を閉じ、雪のような白い面に丹を塗ったような紅い唇が浮き立つように生える壮絶な美貌。
 藍染の狩衣を纏い、大木の下に立ちながら、その木よりも大きな気配を持つ女であった。
 見ればその輝く髪から横に大きく二本の異物…角のようだ。
 
 …異形である。
 
 腰は徳利のようにくびれ、胸と臀(しり)は程よくでて艶のある身体であるが、女人にしては背が高い…五尺三寸(175cm以上)はあるだろう。
 腰よりも長い絹のような髪がしゃらり、しゃらりと女を取り巻く光に交わって揺れていた。
 
 長く流麗な睫毛の奥、その眼がゆっくりと開かれる。
 黄金(こがね)が流れ出すように、輝くばかりの金色の瞳が顕われ、男に向けられた。
 
 男はごくりと唾を飲み込む。
 
 女は男がするように腕を組み、尊大そうに立派な胸を張り、自分よりも背の高い男を見下ろすように見やった。
 女の周囲はそれだけですべてが凍結したように静まる。
 
 しかしそれほどのものを、男は目をそらすことなく見据え先に言葉を発した。
 
「貴女様がこの貴澄山(たかすみやま)、遠野(とおの)の主殿でありましょうか?」
 
 どもることもなく、臆することもない涼やかな問いであった。
 
 女の美貌が興味深げな笑みの形に変わる。
 その艶やかな唇が、白く輝くような歯が、謳うように言葉を紡いだ。
 
「…近頃は吾(われ)を畏れ、人は誰もが近寄らぬこの山深く。
 
 のうのうと入って来たそなた、憶えなく吾(われ)を問うのか?」
 
 咲いた椿を思わせる深紅の唇から生まれ出る、鈴を鳴らしたような美声。
 聞くだけで魂が絞めつけられるような威圧感がある。
 
 そして、くくっ、と女は嗤った。
 
 男は恐れのない顔でしっかりと頷いたからである。
 しかし男の脇の下にはじっとりとした冷たい汗が伝い落ちた。
 
(…並の人ならば、睨まれるだけで死に、その一言で魂を奪われるという言い伝え。
 
 これならば偽りとはいえぬな)
 
 表情には出さず、心の奥で男は戦慄していた。
 しかしそれ以上に女の姿に見惚れている。
 
(…恐ろしい以上に、何と美しいのだろう。
 
 これが人ならぬ者が持つ、完成された美貌というものか)
 
「……………」
 
 男と異形の女は、しばらくの間押し黙って互いを見詰め合った。
 
 やがて女がまた嗤う。
 すうっ、とその陽の光を飲み込んだような黄金の双眸が男を真っ直ぐ見据えた。
 
「くく、吾の目をこうも長く見返した人なぞ、絶えて久しい。
 
 汝(なれ)の強き心に免じて応えてやろう」
 
 一歩、女は男の方へと進んだ。
 大気が揺らぐような威圧感と圧倒的な存在感が嵐のようにのしかかって来る。
 
 辛うじて男は下がらなかった。
 
「…吾こそはこの遠野が鎮守の女神(めかみ)。
 
 古(いにしえ)には“綾の姫神(あやのひめかみ)”なぞと謳われもしたが、数多の鬼を統べるが故に人間どもにはこうも呼ばれておるな…」
 
 にたりと嗤って女は続けた。
 
「“遠野の鬼姫”と」
 
 美しい鬼の女神は忌み名であろうそれを、面白そうに口にした。
 興味深げに目を細めて男を見つめる。
 そして胸を張り、誇らしげに付け加えた。
 
「吾にここまで語らせるほど忍んだ、汝の胆力を誇るが善い。

 そう、あえて吾を名乗るなら“綾(あや)”である。
 畏まって呼ぶが良い、武士(もののふ)よ」
 
 異形の女は心底可笑しそうに、口元を吊り上げた。
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