Y字の交差路

 ここはY2つめがノリで作ったブログです。  カードワースを中心に、私が思ったことや考えたことを徒然なるままに書きたいと思います。

『ある日森の中』

 その日、アンジュはとても御機嫌だった。
 シグルトが一対一で、冒険者としての教導をしてくれることになったのだ。

 2日ほど急な仕事で飛び回っていたというシグルトは、彼を目当てにしていた新米冒険者たちの目を搔い潜って、かなり大きな仕事を達成したらしい。
 銀貨がどっさり入った袋を三つほど(一つ一つに銀貨五百枚ぐらい入っていた様だ)持って帰ったので、その時宿にいた他の冒険者たちも目を丸くしていた。

 現在、シグルトが属する“風を纏う者”は一時解散中で、それぞれが技術修練中だというが、シグルトはその修練を終えてたった一人で仕事をしている。
 技術の習得には、教えてくれる師に数回分の依頼に匹敵する謝礼を支払わねばならないが、シグルトは最近使った分を一人で稼いでしまった様だ。

 シグルトが非凡な冒険者であることは、アンジュが宿に来て数日で嫌というほど耳にすることになった。
 武勇譚も物凄いが、彼の人徳や人気が飛びぬけているからだ。

 シグルトは、後輩の指導が上手く、依頼人をとても大切にしている。
 仕事が出来るが驕らず、いつも聡明博識で、その上で人一倍努力する。

(こんな小さな冒険者の宿に、納まる器じゃないわよね…)

 騎士仕官の話や、貴族の相談役としての勧誘まである上、仕事の依頼もまた多い。
 おかげで、シグルトが受け切れな仕事のお零れに預かっているこの宿の冒険者たちは、結構稼いでいた。

 シグルトが歩けば、女たちはその美貌に目を奪われるし、男たちの中には嫉妬する連中もいるものの、そのなりを知る古株たちは皆彼に一目置いている。

 彼に直接連れてこられたということで、アンジュは随分、宿の女性冒険者やシグルト目当てに宿に訪れる女性たちにやっかまれた。
 シグルトがそういう態度をことさらに嫌うので、もちろん隠れた場所でだが。

 シグルトがこの宿に来た頃、宿の実力派だった専属冒険者が相次いで止めていた。
 そのせいで、この宿の評判は下がり気味だったらしいのだが、今ではこの宿専属になりたがる冒険者も多いという。

 しかし、宿の主人ギュスターヴは、冒険者としてのプロ意識に五月蠅いので、最近は宿への入居を保留にされる者が増えて来た。
 話によると、この宿のメンバーの紹介を得ない限りは入居を認められなくなったそうだ。

 アンジュも、シグルトの紹介でなければ宿の一員として認めてもらうのは難しかったはずだ。
 この宿で看板とも言える彼の発言力は大きく、シグルトの「頼む」の一言で、ギュスターヴ他皆首を縦に振った。

 最近賑やかになって部屋が足りなくなったため、宿の拡張工事を始めたそうで、もうしばらくすれば宿のメンバーを増やせるそうだ。

 『小さき希望亭』の許容人数は20名ぐらいだが、“風を纏う者”を含める2パーティの専属と、個別活動する冒険者で部屋はほぼ満員。
 そんな中で、アンジュはやや特別扱いになっている。
 
 一応専属として登録も終え、一部屋個室を確保している単独冒険者扱いだが、副業として小物を販売するお店の店員も始めた。
 冒険者としての技術を習得し、仲間を見つけるまで安穏に生活出来る場は出来たのである。

 当然アンジュは、シグルトのと同じパーティに入りたいと希望した。
 頭の回転には自信があったし、サキュバスとしての能力は戦闘に役立つと踏んでいたのである。

 だが、シグルトは「他の仲間次第だが、おそらく無理」とすげない返答をして来た。

 アンジュもショックだったが、それを他の宿のメンバーも意外と思ったらしい。
 彼女の面倒を親身に見ようとしている、シグルトらしくないと感じたからである。

 だが、シグルトは「アンジュの技能は“風を纏う者”では必要ない」とまで断言した。
 あまりの評価に、言葉を失ったアンジュばかりでなく、宿の娘クリスティアーヌや他の女性メンバーも彼女を擁護する側に回った。

 だが、シグルトはその後にこう続けた。

「俺たちは冒険者という仕事を、遊びでやっているわけではない。

 必要とする技能を持っていないのに、アンジュを仲間にするということはパーティの均衡を崩すことになる。
 シビアで命懸けの仕事もあるからこそ、アンジュと個人的に親しいという俺の私情を優先するわけにはいかない。

 アンジュには才能があるが、それはこれから磨く必要と余地があるし、技術や心構えが〈肩を並べて認められるもの〉でないうちは、どちらにも悪影響でしかないはずだ」

 とさらに厳しい返答をした。

 そして、最後にこう加えた。

「誇りを傷つけるかもしれんが、あえて言わせてもらう。
 今のアンジュは、俺にとって〈保護対象〉であり導く〈後輩〉でしかない。

 俺たち“風を纏う者”と活動したいなら、並んで文句を言わせない冒険者になってくれ。 
 もしそういった目標を持って鍛錬し学ぶ気があるなら、時間が許す時、俺も様々なことを教えよう。

 仲間とは、実力を含めて信頼し合い、補い合える存在のことだ。

 きつい時に頼るのはいい。
 だが、必要なことが出来ないうちや、互いの関係に甘えて縋るだけなら、仲間には出来ない」

 これは公私のけじめにことさら厳しい、シグルトの性格を裏付ける話となった。

 シグルトはアンジュに対し「救うために努力する」とは言ったが「仲間にする」とは言わなかった。
 彼に悪気は無く、アンジュに生活していくための道を付けるために、あえて厳しい態度をとっている。

 シグルトが後輩指導に厳しいことは元々有名で、半泣きになって冒険者の道を諦めた者もいるくらいだ。
 彼は、安易な妥協や容赦を決してしなかった。
 
 落ち込んだアンジュであるが、自分が冒険者という仕事を舐めてかかっていたことも感じていた。
 そして、「いつかシグルトに認められる」という目標を持ったのである。

 シグルトは夜遅くまでアンジュのために駆け回ってくれたし、彼女の手を掴んでくれた時の優しさは変わり無かった。
 もし、「冒険者以外の仕事を探す」と言えば、シグルトはそのために間違いなく奔走してくれるだろう。

 それら一連の騒動を乗り越え、それでもアンジュは冒険者の道を選んだ。


 その日の朝、アンジュは彼女の個室で、シグルトと二人きりになっていた。
 しかし、話の内容は色気も浪漫も全く無い、仕事の話である。

「アンジュ。

 君の能力は、短時間の間接攻撃が可能な呪縛と、魔法的な接触型の精気吸収の能力を使えるということで、間違いはないな?」

 シグルトは、まずアンジュが使える能力を尋ねた。
 彼女の冒険者としての役割を見極めるためである。

「そうよ。

 特に精気の吸収は命綱だったけど、【柘榴酒】と並の食事で、今は無理に使わなくても何とかなる感じ。
 力が落ち着いたおかげで、今ならゴーレムとか生物以外の魔力を吸収したりも出来るわよ。

 そうすれば、相手はしおしおね」

 こんな能力なかなかないでしょ、と胸を張ると、シグルトは首を左右に振った。

「能力的に希少でも、問題は〈どういう役割に役立つか〉だ。

 話してみて感じたが、君は、賢者か精霊術師としての資質は十分ありそうだ。
 だが、魔術師になるにはいかんせん、組織的なつてが無い。

 冒険者としての魔術師は、案外、学連や特定の私塾似通ったという、印可が重要になるんだ。
 にわか魔術師には自警団が目を付けるから、真面目に師を持って数年修行し印可を受けるつもりがなければ、この道はあきらめた方がいい。
 必要になる、時間というコストが大き過ぎる。

 習う気があるなら、俺の使えるつてを使えば出来ないことは無いが、魔術師の類は、君の様な希少な種族を人と思わず、実験対象扱いする連中も多い。
 その特殊な出自を考えるならば、大事をとって連中と距離を置くべきだろう。

 賢者としての道は、多少何かに博識なのは強みになるが、専業では、冒険者として少し物足りないと評価される。
 何か副業としての能力を習得していればいいが、そうでない者が知識だけで生き残れるほど、冒険者の世界は甘くない。
 
 ここで、君の正体を大声で職業として名乗れればいいのだが、そんなことが出来たのなら、歓楽街でその日の糧に困ることにはならなかったはずだ。
 この都市は聖北を中心として、教会勢力の影響が強いから、サキュバスというその性質が知れれば、過激な連中に追い回されて火焙りにされかねん。

 ともすれば、その優れた霊的資質から精霊術師か、あるいは召喚師の様な職業を目指すのも良いだろうが…これらも結局偏見を受けるからな。
 知り合いの精霊術師など、魔女扱いされて随分苦労している。

 俺の様に、本業では無い精霊術使い程度ならば、使える術は制限されるが、多少は扱いもましになるかもしれん。
 ただ、俺の場合は戦士という本業で補っているからな。

 そう言った前提を考えた上で、今のところお勧めは、呪歌や呪曲を奏でる吟遊詩人だが…君は楽器演奏は出来るか?」

 「うっ」と詰まるアンジュ。
 どちらかというと、手先は不器用だった。

「それならば、歌だけを使う歌手になるのも手だ。

 呪歌は歌えるし、街頭で歌えば生活も出来るからな。
 こういった芸で稼ぐ時は、地区を管理する組織に許可を取ってないと、風当たりも強いから、挨拶回りをする必要がある。
 その時使う金銭や贈り物で、資金が圧迫されるから、あまりあてにしてはいけないがな。

 それに、伴奏を誰かに頼まねばならないというデメリットもある。

 ふむ、まずは職業に縛られずにやってみるか。
 これから数日、俺が教導を行いつつ、君の才能を吟味しよう。

 君が成りたい役割を見つければ、後はその技術を伸ばせばいい。

 俺の仲間ラムーナも、最初は戦士をしつつ適業を探し、舞踏家と軽戦士を兼業する今のスタイルに落ち着いたからな。

 自分に何が向いているのか、意識して探してみてくれ」

 自分がどんな適性を持ち、どういう技術を得意にするかは、即冒険者としての仕事に直結する。
 パーティとして役割分担をする場合、どんな専門技術を持つのかが、パーティにおける自分の位置を決定するのだ。

 職業的な自覚の無い冒険者も中にはいるが、大抵は器用貧乏でうだつが上がらないか、食いつめ者になってしまう。

 シグルトの様に、戦士、賢者、精霊術師、軍師といった多岐に渡る技術を発揮出来る天才肌の冒険者は至極希なのである。
 それに、シグルトは戦士という領分を、専門家として高い次元で維持しているので、器用貧乏に陥ることが無い。
 
 一つでも役割として担える才能が見つかれば、後はそれを必要にするパーティに所属して、磨けば良いと、シグルトは言う。

「君の資質は、完全な術者(キャスター)向きだな。
 
 そういった才能は稀有なのものだから、俺たち戦士の様に腕っ節だけでありふれた才能より需要がある。
 君の持つ大きな優位性と言っていい。

 それが活かせる技術を、探してみよう」

 厳しいことも言うが、褒めたり認めることも忘れないシグルトである。
 アンジュは頷いて、自分の適性を思い浮かべてみた。

「この話は、とりあえずここまでとしよう。

 次からは、実際の仕事を通して、冒険者としての心構えや基礎知識を教えていく。
 君の足りない部分、得意な部分を確認しながら、出来る仕事を探してみるとしよう。

 初めての仕事で、まだ仲間のいない君を一人放り出すのは危なっかしい。
 特にこれからすぐに仲間が揃わなければ、俺が近くにいる間は、教導しつつ一緒に仕事をしよう。

 君は、俺から学べるもの、盗めるものを吸収して自分を磨くといい。

 それと…サキュバスの力は、心の知れた仲間や、君の正体を教えても構わない人物の前以外では遠慮して使うんだぞ。
 自分の力の危険性を理解出来ない者は、必ずそのしっぺ返しを受けることになる」

 この話を聞いて、アンジュは内心躍り上がりそうだった。
 教育とはいえ、シグルトが直接一緒に仕事をしてくれるというのである。

 この事実を知れば、シグルトの教えを受けたい他の冒険者にはかなりやっかまれるだろうが、お釣りが来る。
 普段忙しい彼がそこまでしてくれることは、滅多にないのだ。

「まずは君の武具を見つくろうか。
 確か、今着けてる指輪が優れた魔法の品だったな。
 
 先輩が『小さき希望亭』に残して行った護身用の短剣があるから、武器はそれでよかろう。

 君の華奢な身体に重装備は無理だ。
 鎧の類、盾の類は持たなくてもいいが、となれば、戦闘時は後衛からの支援を意識してくれ。

 こうして見ると、君が使える吸収の力は、案外扱いが難しいな。
 接近してからしか使えないのは、敵に近づくリスクを冒すことになる。

 あまり公に使えるものでも無し、伸ばさずに最低限の力に封印して、別の術を磨くのも良いだろう」

 シグルトは、アンジュに軽量の短剣を用意してくれた。
 鍔が大きく、護身に優れた形状である。

 自身も手頃な短剣を選び身に着ける。
 今シグルトは、愛用の武器を持っていないのだ。

「日用品はそのうち、君が前に住んでいた場所から持ってこよう。
 前準備はこんなところか。

 では、時間があるうちにやれることを進めておくぞ。
 店に出て、張り紙を見つつ、仕事の選び方を教える。

 もし可能な仕事があったら、前倒しで仕事をするのもいいだろう」

 始終このペースで、部屋に二人っきり、という時間は終わってしまった。


 2人が降りてくると、店のカウンターで宿の親父ギュスターヴが、いつもの日課とばかりに食器を磨いていた。
 
「お、講義はもう終わりか?

 …その顔だと、しっかり絞られたなアンジュ」

 「ええ…」と力無く苦笑するアンジュ。

 もの覚えは良い方だが、シグルトが矢継ぎ早に教えてくれる知識は、とてもすぐに覚えきれるものではない。 
 それは、本来数週間かけて教えて貰う内容だ。

 教えるのが上手なシグルトだからこそ、半日で数日分の知識を得ることが出来るのである。
 その分、頭の疲労も大きなものになったが。

「いろいろ覚え過ぎて、知恵熱が出そうよ。

 充実してるんだけどね」

 こんな風に誰かから物を学ぶのは、久しぶりのことだ。
 彼女は勤勉なほどではないが、学ぶことには、確実に自分を高める充実感がある。

 アンジュは、その日の糧を得る危機感に追われていた時には無かった、喜びを感じていた。

「時間は惜しい。

 アンジュ、張り紙を見て、出来そうな仕事を見つくろってみろ。
 当てずっぽうや、報酬の多さで決めるんじゃないぞ。

 自分の実力や、持った知識の範囲で、それが可能か吟味して選ぶんだ」

 シグルトはそう言って、椅子に腰かけると、アンジュの出方を待った。
 これが、能力を試す試験であることは、あらかじめ聞いている。

 アンジュは、よく吟味した上で、3つほど張り紙を選び、剥がしてシグルトの前に置いた。

「まずは『鉱山のコボルト退治』。

 報酬は銀貨四百枚と少ないけど、場所はリューンからほど近いし、大体五匹ぐらいだって情報が書いてあるわ。
 討伐モノでは、なかなかのものでしょ?」

 するとシグルトの容赦ない添削が始まった。

「不合格だ。

 まず、少人数で仕事をこなす時は、〈討伐〉を避けるのがセオリーだ。

 自分の装備を見ろ。
 同行する俺の装備は?

 こんな貧相な装備で、戦いを前提とした依頼を受けるなど、先が思いやられるぞ。

 それから、報酬の項目を見ろ。
 これは〈成功報酬〉の依頼だ。

 つまり、失敗して逃げ帰って来た時は、ただ働きになる。
 そのリスクを背負うほど、君の懐は暖かいのか?

 加えて、場所。
 洞窟で、しかも鉱山だぞ。

 灯りの準備は出来ているのか?
 油は案外高価な品だ。

 誰がその明りを持つ?
 俺たちは今二人きりだ。
 まともに剣を取って戦える者は、一人ということになるな。
 
 鉱山の規模は、依頼の張り紙から予測出来るか?
 近いというだけで、どの鉱山か明記されていない。

 それと、コボルトの危険性を話しておこう。

 こいつらは世間一般では雑魚とされるが、狡猾で、よく落とし穴や毒針を仕掛ける。
 闇にあって彼らに襲われると、多数で囲まれ、玄人の冒険者でも死ぬことがあるんだ。
 戦闘力は低いが、集団で一人を攪乱し、一気に襲いかかる意外な戦術巧者だ。

 それに鉱山では、〈腐れ銀(コバルト)〉と呼ばれる鉱石が見つかるほどだ。
 つまりコボルトは、鉱山の坑道に生息しやすいとされる妖魔なんだ。

 こういった敵の庭に向かうには、専門の技術を持った先導役が必要になる。
 鉱山に詳しいドワーフか、罠を発見する能力に長けた盗賊がな」

 ギュスターヴが肩をすくめた。
 つまりシグルトは、これだけのことを視野に入れて依頼を受けていた、ということである。

「うう、分かったわよ。

 でも、次は自信あるわよ。 
 まず戦闘は無いはずだわ。

 ずばり『猫を探して下さい』よ!」

 シグルトはその貼り紙をしばらく見て、大きな溜息を吐いた。

「…不合格。

 広い都市部で探索する…しかも生き物探しに一番必要なのは、手数だ。
 その次に必要なのは、探す技術。
 さらに、情報を入手するためのつて。

 君はそれらが、今の俺たちに恵まれていると思うのか?

 この手の依頼は、失敗することが多い。
 捜査対象が自分の意思で動くからだ。

 それから、探す対象がいなくなった期間を確認しろ。
 件の猫が居なくなったのは、一月以上前だぞ。

 失せ物探し、行方不明者の探索は、紛失あるいは行方不明が出た瞬間からの経過時間がポイントになる。
 一週間以上経っていたり、探して貰ったことがあると注意書きがある依頼は、よほどの装備があっても見つからない可能性が高い。
 
 依頼主が子供だからという同情もあるだろうが、かえって希望を裏切るはめになる。

 老いた猫は死に場所を探すが、人目につかない場所で死ぬという。
 飼い慣らされた猫は、生き残るために殺し合いすらする野良猫の世界では、生きていけない。

 例え見つけることが出来ても、悲劇的な結果になることも多いんだ。

 一月以上飼い主を離れた猫は、生き残っていれば野生を取り戻している。
 再び主に懐くかは疑問だ。

 逃げられて、探し直す羽目になることもある。

 あと、捕獲の難しさもあるな。
 アンジュは、動物を捕まえるのは得意か?

 上手く君の力で呪縛出来ればいいが、猫は鼠を捕まえるほどに素早く、頭蓋骨が通る場所ならどこでも潜れるほど身体が柔らかい。 
 高所から飛び降りるのも得意で、人間が登れない木の上にだってあっという間に駆け上がる。

 これだけのデメリットがあるのに、まだやってみる気はあるか?」

 はたり、とアンジュは机に突っ伏した。
 噂には聞いていたが、シグルトの教導は本当に容赦が無い。

「じゃ、これ。
 『蜂蜜の輸送』。

 馬車があるって話だから、私たちの人数で丁度ぐらいだと思うし、やることが決まってるから、確実性もあるわ」

 きっといろんな突っ込みがあるだろう、と予想したアンジュであるが、シグルトはここで微笑んだ。

「ぎりぎり及第点だ。

 〈輸送〉を選んだのは大したものだ。
 初心者は粋がって、この手の依頼を受けたがらないが、大抵は目的に戦闘が含まれないため、安全に行える。

 成功すればまた頼む、という新たな依頼に繋がる可能性も高い。

 馬車に目を付けたのも評価しよう。

 移動が容易で、体力も温存出来る上、少人数で出来る環境だ。

 今みたいな夏場の徒歩は、なかなか重労働だからな。
 荷物だって、直接持たずに済む。

 期間も半日~一日と短いし、馬車という休む場所もある。
 見張りは交代で出来るし、日陰になるから熱射病で倒れる恐れも少ない。

 ただ、この〈熊が出る可能性がある〉というのと〈成功報酬〉であることは大きなマイナス面だ。
 
 後の方は交渉次第だが、〈輸送〉という依頼形式の達成し易さから考えれば、大きな問題にはなるまい。

 問題は熊の方だ。
 俺がこの依頼を認めたもう一つの要素があるが、何だと思う?」

 突然の意地悪な問いに、アンジュは悩む。
 そして、半ば自棄になって答えた。

「んぅもう、分かんないわよ。

 夏の日差しが暑くて熊は出ないとか?」

 すると、シグルトは頷いた。

「やや当てずっぽうだが、一応は正解だ。
 熊の生態が関わっている、というのが正しい答えだな。

 毛皮が厚い熊みたいな動物は、日中涼しい川や森の中での行動を好む。
 カンカン照りの道に出てくる可能性は、かなり低い。
 馬車の通る露出した道は、照り返しで暑いしな。

 絶対ではないから、注意は必要だが。

 そしてこの季節、熊が食べるものが、山森に溢れている。
 虫や木の実、川には魚。
 リスクを冒してまで、人間を襲うことは少ない。

 熊の多くは本来臆病な獣で、特に自分より大きな動物は襲わないんだ。
 縄張りを木に爪で刻む習性があるんだが、一説では〈爪の高さ〉=〈身体の大きさ〉で支配力が決まると言われている。
 
 テリトリーを荒らされると、熊は逆上する場合があるから、覚えておくといい。

 話を戻すが、馬車の様な巨大で動く物には、まず怖がって近寄ってこないはずだ。
 車輪の音も大きいしな。

 熊除けの鈴でもぶら下げて走れば、熊の方から避けてくれるだろう。

 後は、馬車の走行中に木の枝を折ったりして、熊のマーキングを荒らさないことだ。
 まあ、通り過ぎた後なら、馬車の速度に追いつかれる可能性の方が低いだろう。

 熊は一日数十キロを踏破することもあるから、縄張りはかなり広いと言われている。

 …さらなる注意が必要なのは、夏の熊が強いということだ。
 春先に穴籠りから目覚めたばかりの奴と違い、餌を食って体格も良くなっている。

 実際に戦闘ともなればかなりの危険も伴うから、万が一の時に備えて対抗手段を吟味しておくべきだろう」

 シグルトが語る熊の知識に、アンジュは「ほえ~」と感心した様に唸った。

「こういった知識は、時に生に繋がる大切な情報になりうる。
 ある偉大な冒険者が、〝含蓄は旅人を助ける〟という金言も残しているしな。

 俺も、小さい頃に学んだ伝承や、習った医術で幸運を拾ったことは、一度や二度では無い。
 君の【柘榴酒】だって、そうだ。

 君は頭が良いし、記憶力もある。
 それらを生かし、学ぶ機会があるなら疎かにしない様にな」

 シグルトの博学ぶりは、もう説明する必要もないだろう。
 単に知識の広さで言えば、ロマンの方が優れているが、一部の専門知識と実用知識の深さではシグルトに分が上がる程だ。

 彼の知識の豊富さは、勤勉さ故である。

 シグルトが酒に酔って遊んでいた姿とか、ごろ寝をして休日を過ごす姿を見た者は誰もいない。
 平時は誰かにものを教えているか、武芸の鍛錬をしているか、読書をしている。

 その読書量は、『小さき希望亭』ではロマンに次ぐ。
 人との会話からもかなりの知識を仕入れており、専門知識を持つ者との交流も広い。
 好事家や隠者、知的好奇心が強い貴族とも話が合い、気に入られることも度々だ。

 シグルトの多才さは、彼が並外れた努力家であるためなのだ。

 見る者が見れば、「何と無駄の無い生活をしているのだろう」と思うだろう。

 彼は、風呂や用を足す時間すら、哲学する時間に用いる。 
 生徒となる後輩に物事を教えている時は、その中で感じた自省で自分を高めていた。

 この様な彼が、洗練されないはずが無い。

 アンジュは、人間観察が得意である。
 人の精気を通して、その力の迸り…オーラの様なものが分かるのだ。
 
 彼女から見るシグルトは、与えられた生の一時一時を、本当に大切に生きている様に見える。

 冷たさと熱さ、剛と柔、光と闇…背反するそれらを内包し、その上でどちらに染まっているわけでもなく、純粋だった。
 その老人の様に静かで、若者の様に熱い彼の内面の知る度、外見以上に魅力的に感じてしまう。

(彼の外見だけしか見られない人は、もったいないわよね。

 シグルトの魂は、決して聖者の様な純白ではないけれど、まるで磨かれた金属の様に気高くて、綺麗だわ)

 霊的なものが視認出来る多くの精霊術師や霊能者は、シグルトに対しアンジュと同じ様な印象を受ける。
 それは、〈刃金の相〉と呼ばれる魂の形だった。

 彼らに共通するのは、失うことを嘆きながらも覚悟し、自らを鍛え道を切り開く心を持った、業を背負う挑戦者である、ということだ。
 刃物が持つ実用的で鋭利な美しさにも似た、危うさと猛々しさが他者を魅了して止まない、英雄の相である。

 同時に〈刃金の相〉を持つ者は、英雄の多くがそうである様に、波乱万丈を天命としていた。
 彼らの多くは、自らが欠け果てるまで挑戦し、多くは夭折する宿命である。

 そんな深い人相までは知らなかったが、アンジュはシグルトの持つ儚さの様なものに気付き始めていた。

 アンジュがぼんやりとシグルトを見つめていると、彼は呆れた様に苦笑する。
 そして、張り紙から依頼人の住む家を確認すると、アンジュにその依頼を受ける意思があるか確認したのであった。


 依頼人から馬車を預かり、シグルトが御者となって、2人は運ぶための蜂蜜を受け取るために、養蜂場に向けて林道を進んでいた。

 依頼人との交渉は自分でやれとばかりに口を出さないシグルトの前で、アンジュは初めて冒険者としての交渉を行った。

 結果は惨敗だった(そもそも、報酬を払う人物に品物を渡さないとお金が出ないようになっていた)が、今後『小さき希望亭』に優先的に仕事を回して貰える約束をしてもらったので、シグルトは「及第点」をくれた。

 その後、シグルトはアンジュを補う様に、依頼人に森の情報を確認していた。

 彼は「森でクマに襲われた者がいるか」と聞いた程度だった。
 襲われた者は誰もいない、と聞いて、シグルトは何かを確認し終えたのか、それ以上は尋ねなかった。

「ねぇ、シグルト。

 もっと熊の情報とか、出現ポイントとか、聞かなくて大丈夫だったの?」

 依頼人の前を辞した後アンジュが聞くと、シグルトは肩をすくめて溜息を吐いた。

「それは君がすべきことだったんだぞ。

 俺はあくまでも、行動を共にしているが、教導側だ。
 減点だな」

 思わず返答に詰まるアンジュ。
 
「…まぁ、初の仕事だから、大目に見てやろう。
 良い質問をしたことだしな。

 聞くことは大切だ。
 情報はやって来るものではなく、自分で集めるものだ。
 覚えておくんだぞ。

 …俺が熊のことを聞いたのは、出現した熊が〈人食い熊〉か確認するためだ。
 もしそうなら、依頼を断らせていた」

 シグルトは少し言葉を切り、思い出すように空を仰ぐ。

「…熊は〈手負い〉、〈穴持たず〉、〈腹ぺこ〉、〈物狂い〉、〈人食い〉は危険だ。
 一切、普通に伝えられている常識が通じなくなる。

 この何れかに類する熊がいる場合、即討伐に依頼変更する羽目になると、覚悟しておいた方がいい。

 〈手負い〉は分かるな?
 怪我をした獣は気が立っているから、感情的になって暴れる。
 痛みで我を忘れ、何をするか分からない。

 〈穴持たず〉は、冬籠りしそこなったり、何かをきっかけで冬籠りを止めてしまった熊のことだ。
 冬季には餌が無いから、飢えて、目に付く生き物を食べ様と襲いかかって来る。

 〈穴持たず〉にも関連するが、〈腹ぺこ〉は、食事にありつけず飢えている熊だ。
 森の無計画な伐採や、森の食べ物が不作の時にもこうなることがある。
 やはり、目に付く生き物を食べ物にしようとするから、襲われやすい。

 〈物狂い〉は、病気や、出会い頭で驚かされ、興奮したり、狂乱している奴。
 暴れるし、目につく者に八つ当たりすることもあるから、とても危険だ。

 最後は〈人食い〉。
 一度でも人肉を食ったことがある熊のことだ。
 こいつは、最も危険と言える。

 熊は、人を食うと狂うと言われている。
 これは、半分間違いで、半分当たりだ。
 人間にとって、恐ろしい存在になることは確かだがな。

 人間は、他の獣に比べて体毛が少なく肉が柔らかいから、熊にとって御馳走なんだ。
 他の獣の様に素早くないし、鋭い爪を持ってるわけでもない。
 その上、大きな獲物だから腹も膨れるし、埋めておけばしばらく食べられる。
 
 熊は腐りかけの肉が大好物で、墓を掘り起こして死体を食らうこともある。
 味をしめた熊は、率先して人を襲う様になるんだ。

 そうなった熊は、何故かとても狡猾になる。
 ある賢者の話では〈人の知恵も食らうから〉らしいが」

 恐ろしい話に、アンジュの顔が青ざめる。
 彼女の頭の中では、リアルに死体を貪り食う熊の姿が浮かんでいた。

「…前に、故郷で一度〈人食いの穴持たず〉を相手にしたことがある。
 俺が熊の生態に詳しくなったのは、それが理由だ。

 有志を募って、二十人がかりで、村一つ壊滅させたその羆を追った。

 だが、ろくな知識も無く冬山に入った討伐隊のうち三人が食い殺され、半数以上が大小の怪我を負うという散々な結果になった。
 逃げだすメンバーもいて、雪山がそいつらの血で斑になった。

 雪に隠れ、地形を利用し、足跡を使って人を騙す熊を相手に、俺は半日かけてそいつを追い詰めた。
 なんとか倒した時も、化けて出そうな形相で目を剥き出し、唸っていた姿を思い出す…」

 シグルトの話す昔話に、半泣きの様子で周囲を見渡すアンジュ。
 欝蒼と茂った森は、いかにも熊が出そうな雰囲気である。

「…少しは安心して良いぞ、油断はいかんがな。

 聞いた話から推測すれば、この森に〈人食い熊〉は出ないはずだ。
 そう言う噂も聞かない。

 …そうだ、アンジュ。
 熊の対処法は知っているか?」

 唐突に聞かれて、アンジュはびくっとした。

「ええと、確か睨みつけて牽制するのよね?
 
 死んだ振りしてると、熊の好奇心で遊ばれて大怪我したり、齧られたり…」

 シグルトは御名答と頷いた。

「そうだ。

 決して背を見せず、じりじりと距離を取ること。
 焦って逃げようものなら、ほぼ確実に追いかけてくるし、人の足では逃げ切れん。

 四足で駆ける獣は、まっすぐ走る時に、もの凄い速度を出せる。
 もし咄嗟に逃げてしまって、追いかけられているなら、ジグザグに障害物の間を縫う様にして、熊の進行を止めながら振り切ることだ。

 熊の重い突進を食らえば、内臓破裂や骨折で無力化され、熊の胃袋に収まることになるだろう

 熊が立ち上がって威嚇して来たら、立ちすくんだりせず、とにかくその腕の届かない横方向から、熊の背後に大きくい回り込む様に走る。
 横殴りの一撃は、大人の頭骸骨が粉砕する破壊力を持つから、喰らわない様にな。

 相手がまた四足に戻ったら、繰り返し障害物にひっかけて距離を取る。

 熊を飽きさせるか、疲れさせることが出来れば、逃げ切ることも出来るかもしれん。
 大概は体力切れで、人間の負けだろう。

 熊の鉤爪に捕まったり、抱すくめられたら、一巻の終わりだ。

 奴らは器用で怪力だ。
 民家に侵入した熊が、驚いて湯を掛けた老婆を逆さ吊りにして、股裂きに殺した事例がある。

 木登りもダメだぞ。
 熊は高い木に登って蜂の巣や木の実を採る。

 火で追い払うのも危険だ。
 返って怒らせてしまうし、気性の激しい熊は火の燃えるキャンプを襲ったりもする」

 「救い様が無いじゃない…」とぼやくアンジュに、シグルトは首を横に振った。
 それでは駄目だと言う風に。

「だから備える必要がある。

 仕事とは、依頼を受けてから始まるわけでは無いんだ
 仕事そのもに関わる瞬間まで、どれだけの下積みをしているか。

 〈だって〉、〈仕方ない〉…そんな言い訳を言う度に、それは敗北と同意義になるだろう。

 愚痴が言えるうちは、まだ幸せかもしれない。
 くよくよ悩めるのは、余裕があるということだ」

 シグルトの言葉には実感がこもっていた。
 彼は実際にそうやって、数々の成功をおさめて来たのだ。

「とにかく、死ぬまで挫けないことだ。
 何があっても、挫折しなければ、まだ終わっていない。

 実際に熊に襲われた時、ただ震えているよりは、どう動くか、どう逃げるか、どう倒すかを常に考えるんだ。
 それは、襲われる前から覚悟し、心構えが出来ていた時に、初めて出来る。
 出来ない、起きないと準備を怠った者は、動けないまま食われる末路になるだろう。

 常に備え、常に挑め。
 それはどんな道であっても、活路になる。

 熊を倒す時は、その動きを止めて斧や鉈の様な硬く重い武器で眉間を割るか、喉を貫くか、心臓を一突きにしなければならない。
 体力がある熊は、多少の傷を負っても怒り狂う一方で逃げないからな。

 熊が立っている時はそういった急所を晒すが、位置が高く長い武器でなければ仕留められないだろう。
 致命的な一撃を放つには、屈強な力も必要とする。
 必殺が叶わないなら、下手に攻撃することはかえって危険だ。

 手負いの熊は執念深く、執拗に追いかけてくる。

 さあ、またこれで少し詳しくなっただろう?
 要は、それを続けて慣れて行けばいい。

 習うより慣れ、学ぶより真似るんだ。
 俺や、他師の助言が常にあるわけではないのだからな。

 〈黙念師容〉(言葉ではなく師の見様見真似で体得すること)。
 君自身で自分を磨いて、浅きより深きに入れ。

 答えは常に今にある。
 何をして来たか、何をするべきか。

 どうなるかは、君次第だ」

 馬車の速度を弛めて、栗鼠の横断を見守りながら、シグルトは言い含める様に締めくくった。


 森の中の養蜂場は、修道士風の男が一人いて、巣箱と蜂蜜の番をしていた。
 熊の話をすると、養蜂場を荒らして困ると苦笑する。

 この時代、養蜂は労働を美徳とする修道士たちの仕事である。
 蝋燭の原料となる蜜蝋の収集も盛んであった。

 砂糖と果物以外で、甘味となるものは蜂蜜ぐらいである。
 高い栄養価を持ち、腐敗せず、美味な蜂蜜はとても高く取引された。

 果物を漬ける蜂蜜漬けや、蜂蜜酒(ミード)を作るのにも必要で、女性用の化粧品として使われる場合もあり、需要が高い。
 何時も品薄だと、その修道士はぼやいていた。

 シグルトは、約束の蜂蜜を受け取る他に、手持ちの塩や香辛料を対価にして、蜂蜜を少し分けて貰っていた。

「蜂蜜ば、何の食料も無くなった時、持っていれば素晴らしい携帯食になる。
 そのまま舐めるのはもちろん、食べ物に塗って好し、湯や茶に混ぜて好し。
 腐らないから、保存が容易なのが有難いな。
 ただ、寒い場所では、固まると瓶から出なくなるぐらいか。

 未開地では物々交換する時に重宝するし、病気で倒れた時には滋養強壮にも使えるんだ。

 使用の注意としては、決して赤ん坊に与えないこと。
 知ってる者はとても少ないんだが、乳幼児は蜂蜜に当たる場合がある。
 加熱しても効果が無く、身体が麻痺して死ぬこともあるから、乳離れするまで絶対禁止だと、この知識を教えてくれた人が言っていた。

 それと、自然界で蜂蜜を見つけた時は、近くに毒草がないか確認した方がいい。
 トリカブトの周囲で採った蜂蜜に、当たった奴がいたと聞いたことがある」

 自らも蜂蜜を愛用するシグルトは、荷物を馬車に積み込みながら、そんな説明をしてくれた。
 知らない知識に興味をそそられ、アンジュも真面目に聞いている。

 女の子の例に漏れず、アンジュもお菓子や甘いものは好きな方だ。
 蜂蜜菓子の話に話題が逸れた頃、荷物の積み込みは終わっていた。


 帰りは、アンジュが馬車の御者になった。
 来る途中の会話の中で、シグルトが馬車の簡単な操り方を教えてくれたので、それに従って手綱を操る。

「乗り物の操作法は、一通り習得しておくといい。

 特にボートや筏(いかだ)、馬、馬車は良く使う乗り物だから、乗れないと沢山の仕事を逃すことになる。
 同時に移動手段、という選択肢が狭くなるから、並には使える様になっておくんだぞ。

 冬場、機会があったら、そりの扱い方も教えよう」

 シグルトは、質問すれば丁寧に教えてくれる優秀な教師だった。
 小さなコツや逸話を交えての教導は、時に厳しいが分かり易く面白い。

 そうして、馬車の操縦に夢中になり、帰り路も後半に差し掛かった頃である。
 
 森の奥から、何かがやって来る気配がした。
 さらに聞こえる木々がへし折れる音と、無気味な唸り声。

「く、熊?

 出たの?!」

 焦ったアンジュが思わず手綱を引きそうになるのを、シグルトが止めた。
 
「ゆっくり引いて、馬を驚かせない様に。

 あれは熊じゃない、多分猪だ」
 
 上手く馬車を止めさせると、シグルトは馬車を降りて、注意深く周囲を観察する。
 その時、100m程先に、森の中から躍り出た灰色の巨体があった。

 〈ワイルドボア〉と呼ばれる猪の一種である。
 好戦的で知られ、人里近くにも頻繁に現れる害獣であることから、よく冒険者にも駆除の依頼が来る。

「で、でかっ!」

 アンジュの第一印象の通り、その〈ワイルドボア〉はとてつもない巨体だった。

 苛ついた様に地を蹄で蹴り、砂埃を上げている。
 それは、威嚇の姿勢だ。
 
「ね、何かやばくない?

 こっち睨んでるよ…」

 不安そうにアンジュが聞くと、シグルトがゆっくり頷いた。

「…拙いな、あの猪は、手負いだ。

 アンジュ、臨戦態勢を…アンジュ?」

 恐怖心で完全に身がすくんでいた。

 背筋を流れる冷たい汗が気持ち悪い。
 あの鋭い牙で突かれたら、命は無いだろう。

 明確な敵意を受け、死を感じた時、それはとてつもない恐怖に変わる。

 だが、不意に視界が遮られた。
 アンジュの両頬を、力強い手が挟む。

「…しっかりしろ!」
 
 目前から睨み、シグルトが手に力を入れる。
 不意に襲った痛みに我に返ると、力が弛み、シグルトが強く頷いた。

「呆けるな、対処するんだ。

 その心構えは、して来たはずだろう?」

 強くゆっくりと、シグルトに言われ、アンジュは正気を取り戻した。
 必死に頷いて返す。

「そう、焦らなくていい。
 こんな時のために俺がついて来たんだ。

 いいか、俺があの猪の気を逸らすから、君は呪縛の力であの猪の動きを止めろ。
 よく狙えよ。

 出来る出来ないと考えるな、必ず〈やれ〉!」

 指示を出すと、シグルトは励ます様にアンジュの肩を叩き、すぐに離れて馬車を降りた。
 そのまま、恐れる様子もなく大猪を睨み据える。

 怒りをぶつける目標を見つけたためか、その獣は目を血走らせ、泡を吹きながら駆けて来る。
 
 シグルトは、大猪を馬車から引き離す様に、斜め前に歩み出た。
 そちらに大猪の注意が向き、進行方向も変わる。

 アンジュはその頼もしい背中を見つめながら、すべきことのために集中した。

 シグルトは、必ず〈やれ〉と命じた。
 それが出来なければ、彼が死ぬかも知れない。

(絶対嫌よ、そんなの!)

 高らかに唱えられた、サキュバスに伝わるまじないの言葉。
 元々、確実に接触して精気を吸える様に、サキュバスが体得するものである。

 大猪が射程に入った瞬間、アンジュの手から鈍色に輝く幾条もの魔法の鎖が発せられる。
 鎖に雁字搦めにされた大猪は、大きく転倒して地面を転がった。
 
 だが、この呪縛は長く続かない。
 躱すのが困難な分、維持が難しく魔力が分散してしまうのだ。

 しかし、出来た隙をシグルトが見逃すはず無かった。
 大猪の急所に二度、正確に短剣を突き刺す。

 魔法の鎖が光の塵に変わり、空気に分散した時、大猪は弱い痙攣を一度して絶命した。
 動かなくなった大猪を、しばらく観察していたシグルトは、完全な相手の死を再度確認すると、馬車に戻って来た。

「や、殺ったの?」

 シグルトが頷くと、アンジュの力がふにゃりと抜ける。
 へたったアンジュを置き、シグルトはまた大猪の方に向かうと、足を掴んで森まで引っ張って行った。

 暫くしてシグルトが森から出てくる。

「…死体を片付けてたの?」

 何とか落ち着いたアンジュが聞くと、シグルトは軽く頷いた。

「血抜きと腸を抜いて、蔦で手頃な木に吊るしておいた。

 帰ったら、手の空いてる奴に取りに来させよう。
 獣を殺したら、せめて有効活用してやらねば浮かばれまい。

 知り合いの猟師に処理を頼んで、毛皮は報酬の足しにしよう」

 ちゃっかりしたシグルトの言葉に、アンジュは驚いて瞬きした。
 
「…信じられない。

 私が震えてる時に、猪の解体作業やってたの?!」

 やや怒りを込めてアンジュが言うと、シグルトはしっかりと頷いた。

「血抜きは早い方が肉を傷ませないからな。
 こういった解体で血生臭くなった手は、乾燥した灰や土で拭って落とし、その後水で洗って、消臭の香草があれば最後の後処理をすると理想だ。

 こいつに怪我を負わせた熊の死体も見つけて来た。

 牡の若い熊だから、仔はいまい。
 熊騒動も、これで解決したかもしれん。

 …驚いたか?
 だが、冒険者をやるなら、これぐらいは図太くならんとな。
 
 日々の糧は、金で贖うのがほとんどだが、それ以外の手段を持っていれば節約も出来る。

 俺たち“風を纏う者”が冒険を始めた頃は、資金不足で、この手の稼ぎ方をよくやったものだ。
 レベッカという交渉上手がいたおかげで、裕福とまではいかなくても、その日の糧には困らずにすんだよ。

 君も飢えた時のひもじさを経験しているだろう?
 せめて、鳥一匹をしめるやり方ぐらいは、覚えておいた方がいい」

 アンジュはもう怒る気持ちも萎んでいた。
 心の中で、頭の下がる思いだった。

(シグルトも、苦労してたのねぇ)


 こうして、シグルトによるアンジュの実習教導は終わる。
 まずまずの成果に、多少説教したものの、シグルトは褒めてくれた。

 シグルト2人きりだったと言う話で、他の女冒険者やクリスが騒いでいたが、猪の解体云々の話をすると、逆に同情されてしまった。
 こうしてシグルトの伝説は、また一つ増えたのである。
 
 報酬の銀貨八百枚は、そのままアンジュの資金としてもらうことが出来、シグルトは猪と熊の毛皮や肉を処分して、それを報酬代わりにする。
 そうして手に入れた金や肉は、彼が関わった孤児や知り合いに配ったらしい。

 『小さき希望亭』の晩の献立は、猪肉である。

 ちょっとだけ臭みのあるそれは、アンジュの初仕事の味がした。



 シグルトの珍道中4、アンジュ教導編1、いかがだったでしょうか。

 連れ込んだPCを題材に、シグルトが後輩冒険者を教育する話は、どっかでやろうと思っていました。
 色気0なシグルトの教育ぶりが、いかんなく発揮してたと思います。

 今までも何度か紹介してきましたが、シグルトは中世世界では最高レベルの医療知識と、多彩な伝承に通じた賢者タイプの剣士です。
 蜂蜜の乳児ボツリヌス症をしっていたり、熊の生態に詳しかったのは、それを知るきっかけがあったからですが。

 倒した猪からちゃっかりと資金を生み出すあたり、レベッカの影響もあるでしょうね。

 シグルトは生徒としても優秀で、先輩から学んだことをほぼ確実にものにしてきました。
 冒険者として、アンジュに教えている知識は、彼が経験から学んだものや、先輩から学んだことの受け売りです。

 
 レベル的にはシグルトと同等のアンジュですが、スキルが冒険者向きでは無いとシグルトは仲間として認めてくれません。
 戦闘力がそこそこでも、サキュバスとしての黒いスキルの乱用は、彼女を危険にさらす恐れがあると危惧してもいます。

 シグルトは、過激な教会勢力を悪用した者たちに、友人を殺されていますし、レナータを救った過程もあるので、いかんせん慎重になっています。
 アンジュも、本来は自分の異端性で人に溶け込めて無かった過程で、歓楽街に隠れてましたから、シグルトの配慮は的外れではないかと思います。

 保身を臆病という人もいますが、シグルトは「仲間を含めて立場を守るための保身」と「ただの臆病」はきっちり区別して考えるでしょう。
 まずは本質を捉えようと考えるのが、シグルトの行動パターンです。

 最後の猪戦ですが、「キャンセル」→「眠りや呪縛といった無力化キーコード」で完全勝利出来ます。
 アンジュの呪縛、早速役に立ちました。

 
 今回800SPを報酬として得ましたが、これはずべてアンジュのスキルアップのために使います。
 シグルトの報酬は0ですが、食費やら諸費用は猪を使って埋め合わせています。

 何か、だんだん所帯じみてきてますね。


〈著作情報〉2009年07月20日現在

 『ある日森の中』はぐすたふさんのシナリオです。現時点でオフィシャルファンサイトのギルドにも登録され、下記サイトで配布されています。
 シナリオの著作権は、ぐすたふさんにあります。
  
・ぐすたふさんのサイト『Gustav's Homepage_CW』
 アドレス: ■ttp://gustaf.hp.infoseek.co.jp/CardWirth.html(■をhに)

・今回活躍した連れ込みPCアンジュは、楓さんのシナリオから連れ込んだものです。
 著作情報等、リプレイRの『甘い香り』を御覧下さい。
 
 カードワースはgroupAskに著作権があり、カードワースの管理、バージョンアップ、オフィシャルな情報等はgroupAsk official fansiteにて、カードワース愛護協会の皆さ

んがなさっています。
 このリプレイは各シナリオをプレイした上で、その結果を小説風リプレイとしてY2つが書いたものです。
 書かれた記事、書かれる記事は、特定のシナリオの名前が出たときは、そのシナリオの著作権はすべてそのシナリオの作者さんにあります。
 
 また、リプレイ中に使われる内容には、各シナリオで手に入れたスキルやアイテム、各シナリオに関連した情報等が扱われることがあります。
 それらの著作権は、それぞれのシナリオの作者さんにあります。
 またカード絵等の素材に関しては、シナリオ付属の著作情報等を参考にして下さい。
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この記事のコメント

がんばれアンジュ! 色気はないけど負けるな!(笑

小鳥に噛まれただけでも痛いのに、クマさんにぶん殴られたら、人間は即死ですね。
ウチの近所は山と田んぼしかありませんが、クマさんはさほど出てきませんので安心しております(いますが)。
イノシシは頻繁に出ますよ。牡丹鍋名物です。
温泉につかりに来るんです。イノシシ除けの洗濯方法が編み出されたくらい(笑
野生の獣って、何しでかすか全然わかんないですよね。

常識で考えてみれば、6人がかりとはいえ、グリズリーを1ターンで倒す冒険者って、本気でおかしい人種ですね。
グリズリーやワイルドボアは、CWにおいては結構低いレベルの扱いですもんねぇ……
今回のシグルトたちの会話みたいに、野生の獣に脅威を感じる描写のほうが、自然で普通だと思います。ロビンソン漂流記みたいなスリルと興奮が味わえます!
シグルトはともかくとして、慣れないアンジュが怪我しなくて、本当に良かったです。
2009-07-23 Thu 08:03 | URL | マルコキエル #SFo5/nok[ 編集]
>マルコキエルさん
 続編書きました。

 アンジュは、色気たっぷりなんですが、シグルトがトウヘンボク過ぎるでけです。
 実際シグルト以外には、もててますし。

 私の本籍の方でも猪出ます。
 熊肉や猪肉は、食生活や季節で当たりはずれがあるので、本籍の方では害獣扱い。
 猪が大発生すると蛇が食べられて鼠が大発生するので、病気やらノミが大発生して注意が必要です。
 う~ん生態系は神秘。

 熊との戦闘は、一発貰えば死んじゃうので、むしろ短期決戦に出来なかったら、被害甚大かも。
 ワイルドボアは、レベル1ですからちょっと弱めかな?

 野性の獣は、おそらく軒並み敏捷度が高いでしょうね。
 平均7ぐらいかな?
 パワーとスピード、ウルフなんかは群れるので怖いです。

 シグルトに言わせると、「怪我をした時点で、前準備が至らなかった」ことになるでしょう。
 本来戦闘って、そういうものですよ。
 
 無事に実習を終えてホッとした感じですね。
2009-07-24 Fri 13:46 | URL | Y2つ #-[ 編集]

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