Y字の交差路

 ここはY2つめがノリで作ったブログです。  カードワースを中心に、私が思ったことや考えたことを徒然なるままに書きたいと思います。

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『シグルーン』

 建国祭は最高潮に盛り上がっていた。
 そんな祭の熱気にやや疲れた様子で、シグルトは妹のシグルーンを探して城を歩き回っている。

 先ほど国王に拝したばかりだが、謁見による挨拶は別件の公務で貴族としての責務だ。
 国王に貴族として謁見するには、身内に夫婦なり姉妹なりの男女がいる場合、男女同伴が一応の決まりである。
 それに、謁見する予定は2人と連絡してあるので、どちらかが欠けても駄目なのだ。 

 何としても見つけなければならないパートナーだが、待ち合わせ場所にはすでにいなかった。

 シグルトは、いざという時のために合流場所を伝えていた。
 こう言うことには抜かりが無いのだが、諸般の事情に巻き込まれたために、遅れてしまったのだ。
 
 歩く最中に聞いた話では、シグルトが離宮に迷い込むといった不手際の間に、親切な騎士がシグルーンをエスコートしたらしい。
 その時、シグルーンは随分蒼い顔をしていて、とても放っておけなかったと、その騎士は言っていた。
 
 ミハエルというその騎士は、異母兄ベーオウルフの部下で、誠実な男である。
 シグルトと同じ16歳にして、間もなく騎士隊長に抜擢されると噂されているほどだ。

 年代的にはシグルトもミハエルも、かなり若い。
 しかし、厳しい場所に生まれ育った場合、若者の成長は早い。
 そうしなければ、生きることも台頭することも出来ないからだ。

 高潔なミハエルに誘導されたと聞いて、シグルトは少しだけ安堵している。
 グールデンの様な輩が徘徊している王宮で、面倒事に巻き込まれた様子が無いことは幸運だったと思う。

 だが、このままでは謁見が出来そうにない。

 ミハエルは、何なら自分が事情を上に伝えつつ謁見を済ませ兄を待ったらと持ちかけたが、シグルーンは兄を待つと言って断ったらしい。
 事情は兄に恥をかかせないため、だそうである。

 結局、蒼い顔をして奥に消えたと言うから、シグルトを探しに行ったのだろう。
 冷静な判断が出来ていない…来る前に飲んだガルツの酔いが相当回っていた様だ。

 シグルトは困った様子で、妹の姿を探した。
 
 シグルトもそうだが、金髪や淡い色が多い中で、シグルーンの髪はこの地方には珍しい黒色である。
 目立つのですぐに見つかるだろうと思っていたが、思う様にはいかなかった。
 
「さて、どうしたものか。
 
 酔っ払って、周りに迷惑をかけていなければいいが」
 
 渋い顔をして、シグルトは城の形を思い出しながら、探してない場所を割り出して行った。

 
 その頃シグルーンは痛む頭を抑えながら、兄の姿を探していた。
 
 無理に飲んだ酒のせいで気持ち悪くなり休んでいた所、寝過して待ち合わせ場所に遅れてしまった。
 しかし、待てどもシグルトは来る様子が無い。
 
 待つ間に気分が悪くなり、倒れそうになっていたところを、親切な知り合いの騎士に助けられ、休める場所までエスコートしてもらった。
 兄を待つつもりだったが、あまりに気分が悪いので風に当ろうと窓を探すうち、迷ってしまったのだ。

(…あんな粗悪なお酒をがぶ飲みするんだから、兄さんたちって絶対おかしいわ)

 祭りで市民に振舞われるガルツは、水で薄めて増やした上に辛さと苦みを強くして飲み難くし、その刺激の強さで酔ったと錯覚させる物凄い代物だ。
 さらには、入れた薬草の効果で悪酔いを引き起こし、少ない量で酔える(つぶれる)ための細工がされている。
 美味い酒は皆が大量に飲んでしまうため、あっという間に無くなってしまい、ほろ酔いで酒が切れたりすれば振る舞われた方はかえって激昂してしまう。
 だから、安作りで不味く悪酔いする酒を出すのだ。
 
 しかし、こんな代物でさえ男たちは浴びる様に飲む。
 思う存分酒が飲める時など、祭りの時しか機会が無いからである。

 シグヴォルフは貧しい。

 幼少の頃、比較的裕福だったシグルーンの家庭でさえ、匂いのきつい魚の塩漬けと酸になりかけた葡萄酒しか飲めなかった時期があった。
 幼かったシグルーンはひもじさによく泣いて、兄に迷惑をかけた。
 優しい兄は、いつも自分の分の美味しい物があれば、全てシグルーンに与えてくれた。
 
 冬は雪深く、国土は作物の育たない荒地ばかり。
 特産物など無く、鉱物と実の成らない針葉樹があるぐらい。
 主な産業といえば植物性の織物や染物、樹木を切り出して作る家具と細工物ぐらいだ。

 農民はいつも赤貧に喘ぎ、餓死者の無い年は無い。

 水を飲むににも、冬には雪を溶かすために薪がいる。
 凍えて冬を越せない者は、餓死よりもっと多いのだ。
 
 そして、国は北方諸国の例外に漏れず、戦争をよく行う。
 戦争が無い時でも、戦災によって様々な弊害が残っていた。

 山野には半ば山賊と化した暴徒や敗残の兵士たちが蔓延り、国内では過激な聖北教会の聖職者たちが我が物顔で闊歩している。
 貴族たちは自分の権力を拡張するために、私兵団を残したまま武装を解除せず国内で頻繁に小競り合いを繰り返し、不作が起これば搾取によってさらに飢えた貧農が何人も凍え死ぬ。
 王は暴君ではないものの、決して名君ではなく、そういった苦しむ民を救うことも出来ていない。
 異母兄ベーオウルフが属す騎士団は、気難しい者たちが揃っており、王宮守護を理由に出兵せず、実際は悪人討伐よりは自身の強さと矜持を保つために動くばかりだ。

(…噂では隣国が宣戦布告してくるという噂があるもの。
 
 酔いたい人は、皆不安なのよね)

 この所は外交政策が上手く行き、大きな戦争は起きていない。
 国内でも貴族の反乱など絶えて久しく、最近は作物の不作が起こっていないので、十年ばかりは比較的平和と言えた。

 だが最近になって、シグヴォルフの宿敵である隣国クローネガルドが軍事増強を活発にしている。
 その仮想敵国はシグヴォルフより食糧事情が悪く、年間の餓死者はシグヴォルフの数倍だという。

 領土拡大は、北方のどの国もが抱く野望であった。

 戦争が起これば、兄も国の男たちも皆戦に赴くだろう。
 聡明なシグルトは、幼少からそれを見越して武芸に没頭して来た。

 克己心が強く禁欲的なシグルトは、成長が速い北方の若者において、とりわけ貫禄がある。
 16歳なのに、その考え方や行動は老人の様に深淵だと評価される程だ。
 
 才能に恵まれていたシグルトは、自身の能力に驕ることなく、他人以上に努力を惜しまず研鑚を重ねた故に、国で屈指の戦士となった。
 
 秀麗な顔のシグルトであるが、身体には鍛錬で負った無数の傷跡があり、何度も血豆を磨り潰した手の平は武骨で硬い。
 シグルトが愛用する肌着は、元は白かったが、泥と自身が流した血で黒く染まっている。
 
 顔色一つ変えず黙々と汗を流し、人が10日で習得することを1日で習得する兄。
 12歳で槍の奥義を受け、しから総伝(全ての奥義の伝授)を受けるのも、20代前にするだろうと噂されている。

 そこまでシグルトが励むのは、家族や大切な者を守るためだ。

 シグルトは大切な者を守るためなら、自分がいかに傷ついても構わない。
 幼少の折、狼に襲われられた時には、泣き叫ぶ子供たちにあって、たった一人で立ち向かった。
 無愛想なシグルトが、シグルーンや母を守るために、身を粉にして励んできたことを、シグルーンは誰よりも知っていた。

 そんな心配性の兄のことだ。
 きっと今でも自分を探しているだろう。
 
(一度入口を聞いて、戻るべきかしら?)
 
 そんな風に考えて、周囲を見回すと、ちょっとした人だかりが出来ていた。
 よく見れば、その中央にいるのは見知った顔だ。
 
「…ブリュンヒルデ様、グウェンドリン様?
 
 ああ、やっぱりっ!!」
 
 シグルーンは、豪奢を絵に描いたような美貌のブリュンヒルデと、戦乙女の如き凛々しさのグウェンダの姿を見つけ、嬉しそうに駆け寄った。
 
 この地方の貴族には、年頃になる前の娘を数年間修道院に預けて、花嫁修業をさせる時期があるが、シグルーンもまた数年を修道院で過ごした。
 2人はその頃に、修道院の中心的な人物として活躍していた者たちである。
 シグルーンは珍しい色の髪のせいか、謂れのない迫害を受けることになったが、そんな中で庇い目をかけてくれたのだ。
 
 近寄るシグルーンの姿を見つけると、青年貴族たちに囲まれて辟易していたブリュンヒルデが、相好を崩して手招きした。
 横に護衛の様に付き添っていたグウェンダも、細い目をさらに細めて強く頷く。

 ほぼ1年ぶりに再会する2人は、一層その美しさを開花させ、魅力的になっていた。
 やや痩せていて貧相な体格のシグルーンに比べ、ブリュンヒルデは丸みと艶を増し、グウェンダはまた背が伸びている。
 
 内心劣等感に恐縮しながら2人の前に立つと、シグルーンはスカートの裾を摘んで優雅に頭を下げた。

「お久し振りで御座います、ブリュンヒルデ様、グウェンドリン様。
 
 御壮健そうで、何よりですわ」
 
 ブリュンヒルデもより上品に応え、グウェンダは胸に手を置いて簡略の挨拶を済ませる。
 
「久しぶりね、シグルーン。 
 貴女とこうやって再会出来る日が、とても待ち遠しかったのよ。

 同じシグヴォルフの出身だとは聞いていたけれど… 
 3人また揃うことは難しと思っていたから、嬉しいわ」
 
 この2人は、ことさら家柄の威を借ることを嫌っていた。
 ブリュンヒルデは才能至上主義であり、グウェンダは武勇こそ誇る女傑である。
 
 貴族の子女としては珍しいが、だからこそ仲良くなれたと言えた。
 
 貴族の庶子として日陰の生活していた過去を持つシグルーンは、家柄を公然と名乗ることを控えていた。
 それが生意気にとられたのか、一部の貴族の子女から目の敵にされたのだが、シグルーンの謙虚で素直な性格を気に入ったブリュンヒルデが側に置いて守ってくれたのだ。
 
 ブリュンヒルデは互いに家名の威は借りるまい、とただの娘として付き合ってくれた。
 彼女の親友であるグウェンダとは、互いの敬虔さで共感し合い、すぐに仲良くなった。
 2人の武勇譚の一緒に、その出自は噂ですぐに知れたのだが。
 
 ブリュンヒルデとグウェンダには人を従える気品と魅力が備わっており、地味な雰囲気のシグルーンは、その傍にいると随分浮いていたと思う。
 だが、特別な人物が身近にいたシグルーンは、上手に合わせ2人を立てることで身を守ることが出来たのである。
 
 概ね3人の修道院での生活は、楽しいものだった。
 向学心の強いシグルーンは、求める者に教えることを好むブリュンヒルデから、多くのことを学んだ。

 最後まで自分の家を名乗らなかったシグルーンだが、2人は彼女を差別したりしなかった。
 そんな中で修道院の生活を終えて故郷に帰る時、今度3人で再会した時には貴族として名を名乗ろうとも約束していた。
 
「さあ、一緒に話しましょう。
 
 では、皆様。
 私たちは待ち人が来ましたので、これにて失礼致しますわ。
 御機嫌よう…」
 
 ブリュンヒルデは素早く取り巻きから抜け出すと、シグルーンの手を取って近くの小部屋に移動する。
 慌てて取り巻きたち…ブリュンヒルデへ求婚しようと集まっていた若者たちが後を追おうとするが、グウェンダに一睨みされるとすごすごと退散した。

(ふふ、相変わらず…)

 気丈な2人の様子に昔を思い出しながら、シグルーンは2人の後についていった。
 
 
 部屋に入ると、ブリュンヒルデは嬉しそうに両の手でシグルーンの手を握った。

「本当に嬉しいわ、シグルーン。
 
 貴女の家がどこか分からないから、お手紙も出せなくて。
 グウェンダが使節として来る噂を聞いた貴女が、私に使いを寄こしてくれた時は夢かと思ったのよ。
 お別れしてから、貴女やグウェンダのことを想わない日は無かったわ。
 
 あの時連絡方法ぐらい、決めておくべきだったわね」
 
 今度再会する時は、互いに貴族として社交場で会うつもりだった。
 しかしながら、連絡がまったく出来ない状態となり、再会は伸び伸びとなっていた。
 
「ブリュンヒルデ様にこの様に話してもらえるだけでも、光栄です。
 理由があって、中々社交の場に出ることが出来ずおりました

 私の母は、男爵家に後添えで入った者なのです。
 お恥ずかしながら、それまでは平民として暮らしていたほどで。
 
 でも、今宵お2人がお揃いと噂に聞きつけ、何としてもと…不精な兄に頼んで参った次第です。
 今はその兄を探していたのですが…先にお会い出来て、一番の目的を果たしてしまいました」
 
 少し緊張して喋るシグルーンを優しい目で見つめ、ブリュンヒルデが頷く。
 そして、ふとブリュンヒルデが羽織っている外套に目をやったシグルーンは、目を丸くした。

「それは兄さんの…
 
 どうしてそれを、ブリュンヒルデ様がお着けなのですか?」
 
 えっ?とブリュンヒルデが首をかしげる。
 
「すみません…
 ブリュンヒルデ様が羽織っている外套が、私の兄の物にそっくりだったので。

 いえ…やっぱりそれは兄の物です。
 飾り紐の縛り癖、兄に何度言っても直さない武人の結び方…
 
 それは私の兄シグルトが…」
 
 シグルーンが兄の名を出すと、ブリュンヒルデは目を見開いた。
 
「シグルト様?
 
 では、シグルーンはあの方の妹なのですか?!」
 
 ブリュンヒルデの頬は高潮し、まるで薔薇の花が綻ぶ様に喜色に染まった。
 それは、多くの金持ち貴族たちが望んでも成し得なかったことだ。

「…ブリュンヒルデ様は、兄を知っているのですか?」
 
 少し表情を硬くして、シグルーンが聞く。 
 胸がどこかもやもやする…それが嫉妬だとすぐに気がついた。
 
 シグルーンにとって、シグルトは母と並んで一番大切な、血を分けた肉親だ。
 自分が兄に強く依存してしまうことは、彼女の悩みの一つである。
 
 その兄のことで、知らないことがあるのは嫌だった。
 
「…先ほどまで、そのシグルト殿のことを散々聞かされて辟易していたところだ。
 ブリューネが悪漢に絡まれていた所を、颯爽と助けてくれたそうでな…
 
 なるほど、シグルーンの兄上だったとは、面白い偶然だな」
  
 貴族たちを追い払ったグウェンダが部屋に入って、開口一番にそう言った。
 
(…またなのね、兄さん。
 
 しかも、よりによってブリュンヒルデ様に…)
 
 シグルーンは状況がすぐに飲み込めた。
 
 お人好しで面倒見の良いシグルトは、困った婦女子を放っておけない。
 特にこの国では社会的弱者とも言える、女性や子供に対する義務感は、過剰とも感じさせるほどだ。
 
 そうやって人助けをして、相手が妙齢な女性だった場合は、十中八九相手の方が恋をする。
 無理も無い…シグルトは美しく、加えて北方の男の見本になる誠実な好漢だ。
 
 鈍感でまったく自覚の無いシグルトだが、そうやって乙女の心を虜にしたことは数知れない。
 
(まったく…人が好いんだから。
 
 でも外套を渡してしまうなんて、いくらベーオウルフお兄様が嫌いだからって…
 ロマンティストなブリュンヒルデ様には致命的だわ。
 
 この様子だと…手遅れよね、やっぱり)
 
 すっかり恋する乙女になったブリュンヒルデを見て、シグルーンは溜息を吐いた。
 
 シグルトに恋をする女たちは、それこそ枚挙に暇が無い。
 女性と見紛う美貌ながら男らしい性格のシグルトは、幼少から年頃の娘たちを、恋の虜にした。
 幼馴染で一番仲の良い友達のエリスさえ、シグルトに惚れているのが見え見えである。 
 他の女友達の間では、一回シグルトに振られるのが通過儀礼だ、と言われていたほどだ。

 そんな兄とブリュンヒルデを比較してみる。

 才能も美貌だけとれば、とてもお似合いだった。
 むしろ、この国で兄に相応しい才能と美貌を持つのは、この女性ぐらいだろう。

 元々ブリュンヒルデは自身も向上心が強いためか、伴侶としての相手に求める理想がとてつもなく高い。
 「容貌や地位は二の次」と言ってはばからないが、教養はもとより、武勇と自制心、優しさ、決断力…
 内面に求めるものには妥協が無かった。

 搾取すること、傲慢であることを当たり前とする貴族社会で、そんな要望を満たす貴族がどれほどいるだろうか。
 何より優しくて決断力がある男、というのが難しかった。

 貴族のほとんどは日和見主義であり、優しさは優柔不断である、と公言する者がほとんどである。
 決断力があるとする場合、苛烈断行を善しとして、さらに優しさとは正反対のタイプになてしまう。
 地位がある分極端な性質になりやすい貴族は、優しさと武徳を備えた人物など、皆無に等しかった。

 もし、ブリュンヒルデの求める厳しい理想を備えた人物がいるとすれば、シグルーンには2人しか心当たりがない。
 それは、シグルーンの父であるアルフレトと、シグルトだ。
 
 英雄と呼ばれる父アルフレトは、剣豪の誉れ高く勇敢な人物として語られている。
 だが、実際は領民からの搾取を嫌い、普段は書庫で各地の伝承を読みながらお茶を飲んでいるのが好きな、穏やかな人である。
 詩作好きの母とは夫婦仲がとてもよく、一緒に戯曲や伝説の話をしながら、のんびり過ごすのが何よりも幸せだと言っていた。
 
 シグルーンは父に怒られた記憶がほとんど無い。
 小さな頃、母と平民として暮らしていた時はめったに訪ねて来なかったが、希に人形や玩具を持って、照れくさそうに玄関先をうろうろしていた父の姿を覚えている。
 
 山野を駆け回っていることが多かった兄は滅多に遊んだ記憶が無いらしいが、シグルーンには父親に愛してもらった記憶が沢山あった。
 優しくて口下手で、その細い瞳が可愛らしいと感じられる…そんな男性だと感じていた。

 貴族として男爵家に迎え入れられてからも、アルフレトはきつい言葉でシグルーンを叱ったことは、一度も無い。
 シグルーンが過ちを犯せば、なぜそうなったか聞くだけ。
 もうしないと約束さえすれば、信じていると微笑んでくれた。
 
 だが、そんな父の中に勇敢で激しい一面があることも知っている。

 数年前、父と母、シグルーンが乗った馬車を賊が襲撃したことがあった。
 その時のアルフレトは、一度だけ賊に警告しただけで、後は躊躇うことなく一瞬で、全ての賊を斬り捨てた。
 片腕と足が不自由なはずだが、まるでそんな様子も無く、剣を納めた後に賊が倒れるほどの早業でである。
 
 アルフレトは、怯えるシグルーンを抱きしめて優しく撫でて言った。

〝彼らは、私の大切なお前たちを傷つけようとした。

 たとえこの残忍な姿を見せてお前に嫌われるとしても、私はそれを許せなかったのだよ〟
 
 大切なものを守るためなら、躊躇わない。
 そういった決断力が父にあることを、初めて知った事件である。

 父の気質は、兄にも色濃く受け継がれていた。

 シグルトは父親から武勇と決断力を、母親から優しさと美貌と聡明さを受け継いでいた。 
 考えてみれば、やや武骨者ではあるものの、シグルトはブリュンヒルデの理想を満たす人物だと言える。
 美形で英雄の子供だという分、凌駕していると言って良い。
 
 だが、シグルトの心を射止めた女性は、今の今まで皆無である。
 
 シグルトは、恋よりも槍を振り回していることを選ぶ男だ。
 彼に恋し、後にすぐ失恋して泣いた女性のなんと多いことか。
 
(絶世の美女と名高いブリュンヒルデ様でも…やっぱり無理よね。
 
 この間、この王都の商家で一番の美人と名高いマティルダさんを、「その気は無い」の一言であっさり振った兄さんだもの。
 まったく、難しいことになってしまったわ)
 
 すでにブリュンヒルデが振られたと想定して、難しい顔をするシグルーン。

 どんな美人にも、シグルトはなびかないだろう。

(それに兄さんは、今でも…)

 シグルトが何故女性を愛さないか。
 それには大きな理由がもう一つある。

 シグルトの槍の師は厳しい人で、シグルトが12歳で弟子の中で最も優れているい言われた時、一番弟子だった先輩と殺し合いをさせたのだ。
 とりわけ、武術に厳しい面を持つ武人の世界では、よくあることである。

 武人たちは誇りや名誉を重んじ、一番長じるためなら身内や同門の兄弟弟子すら殺す。
 内輪の恥となるため隠蔽されることが多いが、武人が事故死や病で夭逝した中には、口外出来ない死を隠蔽した場合も多かった。

 師から免許皆伝には殺し合いに勝った者に与えると聞かされたシグルトは、最初敬する兄弟子の立場を守るため「自分の負けでいい」と辞退したという。

 シグルトは、最強に拘っていたわけでは無い。
 ただ大切な存在を守れる力が欲しいのだと、何時も言っていた。

 だが、相手の兄弟子は違った。

 倍近く年下のシグルトに一番弟子の名誉を奪われそうであり、とりわけ虚栄心が強かった。
 また、シグルトの辞退を「名誉を傷つけられた」と怒っていたという。

 そして、すぐにも免許皆伝が欲しいとばかりに、シグルトを襲ったのだ。

 兄弟子はシグルトに強い劣等感を持っていた。
 20歳を超えて、まだ免許皆伝に至らぬ自分と…わずか12歳で天才と言われ、自身に切迫する実力を持つシグルト。
 その殺し合いの数日前まで、兄弟子は酒浸りで、シグルトへの憎悪を隠そうともしなかった。

 だから免許皆伝を得るという理由を背に、妬ましい生意気な弟弟子を殺すつもりだったのである。

 無精で多少衰えているとはいえ、シグルトとともに同門で首席を争う人物である。
 手加減して勝てる相手では無かった。
 
 シグルトは奥義を尽し、その兄弟子の頚骨を粉砕して殺したそうである。

 12歳で初めて人を殺し、しかもそれが同門の兄弟子だった…
 師と対戦相手が認めた正式な試合だったとしても、優しいシグルトにとって驚天動地の出来事だったに違いない。

 その頃から、シグルトは何時も瞳の奥に静かな闇を持つ様になった。

〝なればこそ、その死を背負わねばならない…〟

 シグルトは、さらに努力した。
 何度も挑み、一度だけだが師を地に伏せる偉業を成し得ると、陰惨な免許皆伝の儀式を師に止めさせる約束を取り付けたのである。

 師の名誉を守るため、シグルトはこのことを口外しない。
 けれど、側にいれば真実の噂は耳にする様になる。
 事実、シグルトの師ハイデンは、殺し合いによる免許皆伝を止めた。

 シグルトの愛用する槍の石突は、殺した兄弟子のものを貰ったものだ。
 言葉にせず血涙を心で流し、背負うことを選んだ…シグルーンの兄はそういう男である。

 今、シグルトは武芸を究めるつもりでいる。
 その道に、恋愛をする余地はまだ無いのだ。
 
 黙り込んでしまったシグルーンを見て、ブリュンヒルデとグウェンダは顔を見合わせた。


 突然黙ったことを詫びたシグルーンに、ブリュンヒルデはならばとばかり、いろいろなことを尋ねて来た。

「そう…シグルト様の妹君ということは、シグルーンは、あのオルトリンデ様とアルフレト様が御両親なのね?」

 ブリュンヒルデは、訥々と語られる言葉の中から、即座にシグルーンがを取り巻く家庭の事情を理解した。
 
「だから、あんなに頑なになって家名を明かさなかったのね。 
 無理もないわ。

 アルフレト様と言えば、男爵家ではあるけれど、救国の英雄と名高い方。
 そしてワルトのオルトリンデ様と言えば、本来は五貴族筆頭の御家柄だった方ですもの。

 取り巻く事情の複雑さをもってすれば、詰まらない自尊心ばかり膨れた貴族の子女たちに事情を知られていたなら、きっと大騒ぎになっていた。
 貴女が聡明な娘だということは知っていたけれど、改めて見直したわ。

 このことは、これからも気をつけなければいけないわね。
 貴女の血筋は、形式上無くなったとはいえ王族に連なるものですもの。
 
 アルフレト様の御活躍で公家の名誉は回復され、今オルトリンデ様は貴族の地位を再び得ることが出来た。
 事と次第によっては貴女やお兄様はワルト…王家の親戚であるヴァイスシュピーゲルを名乗ることになるかもしれないわ。
 
 そうなれば、貴女の血筋を利用せんと暗躍する輩も出てくるでしょう」
 
 優れた洞察力を持つブリュンヒルデは、その様に言葉にして、最後に優しく微笑んだ。
 シグルーンが蒼白な顔のまま黙り込んだ様子から、心配したのだろう。
 
 シグルーンは「無骨な兄が失礼をしたのではないか心配だから」と慌てて付け加えた。
 さすがに、蒼い顔をしているのは粗悪な酒を飲んで酔った後遺症で、その上ブリュンヒルデが兄に振られる様子を考えていたとは言えなかったからだ。
 
 「そうなの」と、そこですぐにシグルーンを気遣うブリュンヒルデもまた、兄同様のお人好しである。
 
 身内がブリュンヒルデを失恋させることを予想し、シグルーンは罪悪感を覚えて表情を翳らせた。
 
 シグルトとブリュンヒルデが結ばれる可能性は、まず無理だからという結論からである。
 武術云々のことや、兄のトウヘンボクぶりももちろんあるが…最大の理由は身分の違いであった。

 血筋こそ特別だか、所詮は男爵家の後添えの息子でしかも次男、騎士にはなれず槍の道を選んだ兄なのだ。
 生粋の貴族の子女であり、五貴族と呼ばれる名門の伯爵家において一粒種であるブリュンヒルデとは、住む世界が違う。
 
 この恋は、早く終わる方が傷が少ないだろう…だからこそ、シグルーンは傷が浅いうちにどうやったら兄を諦めてくれるのか、思案していた。
 
 適当に話す中、なし崩しで、シグルトやシグルーンがどうやって貴族になったかを話すことにもなった。
 
 突き詰めればシグルトもシグルーンも、公爵家の血を受け継いではいる。
 それはシグルーンの血筋が、王族の親戚筋にあたると言うことであり、実際にそういう目的で声をかけられたり、拉致されそうになったことさえある。
 何時も兄が守ってくれたのだが。
 
 公爵家の領土とされていたワルト領の別名ヴァイスシュピーゲルとは、王家の血筋を受け継いでいることを白い鏡に例えて与えられた地名である。
 同時にヴァイスは白エルフの血筋を引くことも意味し、王家の鏡…王族のスペアであることを暗に示した名でもあった。

 だが、家門断絶の汚名を雪ぐことは出来ていない。
 結局シグルトもシグルーンも罪人の孫であり、その事実は消えないのだ。
 
 ブリュンヒルデは、貴族がいかに血や名誉に汚いかを、骨身にしみて知っている。
 だから、シグルーンが持つ複雑な事情に理解を示し、とても同情的だった。
 
 シグルーンにとって、ワルトの名は重荷でしかない。
 今まで家柄のことを知られると、他の貴族の娘たちには悉く嫉妬された。
 母から受け継いだワルト領公爵家の血は、それだけ強力なブランドであり、影響力があるのだ。

 だからこそ、シグルーンは家のことを話したがらない。 
 シグルーンの血筋を知った上で、態度を変えないブリュンヒルデやグウェンダの反応は、心休まるものだった。
 
 ブリュンヒルデは、そういった心の高潔さも含めてとても魅力的だ。
 これほど清廉で美しい貴族の子女は、この国では、他にいないだろう。
 増して、姉の様にも慕う人物である。
 
 シグルーンは、そんなブリュンヒルデに内心を隠していること、そして暗く燻る嫉妬心で複雑な心境だ。
 
「何ともシグルーンの兄上とは、話題に事欠かない人物の様だな。
 
 私も先ほどから他の貴族どもに、悪口と賛嘆を含めて様々な話を聞いたが…
 まるで、どこぞの伝承にいる英傑の様だ。
 
 確かに、夢見がちなブリューネなら夢中にもなるだろう」
 
 からかう様なグウェンダの言葉に、拗ねた様にブリュンヒルデはそっぽを向いた。
 
 シグルーンも、兄のことを思い出すとグウェンダの言葉に頷きそうになる。

 それなりに美人ではあるが、父親に似てどこか地味で平凡なシグルーンと違い、シグルトは容貌も才能も飛び抜けて優れていた。
 この国で兄ほど特別な男は、他にいないとさえ思う。
 
 シグルーンはそんな兄のことを考えると、肉親であることの劣等感と優越感に、いつも複雑な気持ちになる。
 同時に、そんな兄と他の男性を見比べてしまい、今まで恋することも出来なかった。
 
(…はぁ。
 
 まったく、兄さんには悩まされてばかりだわ。
 勝手に乙女心を虜にしてしまうんだもの。
 その事後処理は、いつも私がすることになるんだから、少しは気付いて労ってほしいなぁ…)
 
 兄の世話を焼く事が、すっかり板についているシグルーン。
 しかし、その口元には幸せそうな笑みが浮かぶ。
 
 とまれ、シグルーンは筋金入りのブラザーコンプレックスであった。



 大分間が空いてしまったシグルト外伝です。
 
 今回は、シグルトの妹シグルーンについてのお話。

 シグルーンは地味な感じの美少女ですが、兄があまりに飛び抜けた人物だった故に、常にコンプレックスを抱えてきました。
 同時にシグルトはそんなシグルーンに特別愛情を注いでいます。

 シグルトの世話好き気質は、妹の面倒を見るうちに養われたもので、シグルトの自立心の強さの背景にもなっています。
 大切な家族や妹を守るため、兄であるシグルトは我慢し、耐え、己を磨いてきたわけです。

 反面シグルーンは、そんな兄に憧れ、強い依存性があります。
 同年代の異性に見向きもしませんが、シグルトと比べられる異性は、身内の贔屓目を加えて評価されたら、シグルトに勝てようはずがありません。
 ただでさえ、北方の貧しい国で、周囲には擦り切れた様な人物たちばかりなのですから。

 ですが、シグルーンはそんな兄の足を引っ張る自分を嫌悪しています。
 悲観的で神経質で、繊細な感性を持ったごく普通の娘であり、その内面の弱さが彼女を苦しめているのです。

 シグルーンという名前は、アルフレト(シグルト父)が戦乙女の名から付けたものです。
 マイナーな戦乙女ですが、ヘルギという英雄が出逢った一番美人の戦乙女だった、ということで、この名を授けられたのです。
 ヘルギは原典のサガに出てくる英雄シグルズと兄弟にあたる血縁がありますから、ある意味で義理の兄妹の関係が成立してたりします。

 シグヴォルフでは戦乙女にちなんだ名は「高貴で犯され難い誇り」の代名詞として、貴族の女性につけられることが多いのです。
 本来公爵家の直系であるシグルーンは、母と同じくオルトを冠した名になったはずですが、彼女の名はそういう柵に苦しまない様に、強く気高くあれ、というアルフレトの願いが込められています。


 話は変わりますが、今回はシグルトの過去について少し興味深い話があったと思います。
 兄弟子との殺し合いですね。

 シグルトの張りつめた厳しさは、こういった悲しい経験に依ることもあります。
 シグルトが槍を捨てた背景にも少し影響しています。
 「兄弟子を殺してまで究めようとした技を活かせなかった自分には、資格が無いのかもしれない」という感傷的な一面があります。シグルトは、こういう女々しいことは決して口にしないでしょうが。

 シグルーンは後々、シグルトを絶望につき落とす要因の一つとなります。
 ある意味、多くの戦乙女との恋愛が、英雄を不幸にしたのと同じように、シグルーンという名前は、どこか悲劇を内包したキーワードだったのかもしれません。
 ま、北欧のサガは、悲劇的で刹那的なほど、語られてるような気もするのですが。

 元々戦乙女って、戦士の死神ですからね。
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