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『防具屋』

2018.05.30(14:07) 447

 アレトゥーザにある、古びた劇場の跡。
 苔生した石畳が、海から吹き付けてくる粘ついた風と燦々と降り注ぐ陽光を受け、白く光っている。

 この地方の劇場の舞台は、客席に囲まれて低い場所にある場合が多い。
 アレトゥーザにあるそれも、斜面を削って座席とし、海を背景に伴奏の楽団が配置する平土間があるオーソドックスなものだ。
 
 少女は座席から見下ろされる舞台の中央で、しなやかに舞っていた。
 
 鞭のようにしならせた脚で、頭上から落ちてくる布で巻いた木片を蹴り上げる。
 手に持った木剣が手前に置かれた木偶人形を叩き、そのまま一転して肘で落ちてきた木片を叩き飛ばした。
 
 小麦色の肌は汗に濡れ、呼吸はやや乱れている。

「そこよっ!
 
 踏み込みを躊躇ってはだめっ!!」
 
 観客席に腰掛けた黒人の女が、鋭く指示を出す。
 
 少女は、木偶人形に向かって疾走した。
 
 汗を散らせて少女…ラムーナは踏み込んでから高く跳躍する。
 その身が、彼女の背丈程までふわりと浮き上がった。
 
 腰を曲げ空中で下半身を振り上げて高さを稼ぐと、木偶人形の頭部を踏みつけ、その反動を利用してさらに高く跳ぶ。
 胸を中心にくるりと反転、逆しまの状態から手に持った木剣でさらに木偶の頭部を殴った。

 くるりと蜻蛉を切って着地。 
 ラムーナは学んだ歩法と動きで、鋭い突きを放つ。
 跳ねるように木剣の先端が、背後にあった木偶の胸板をガリリ、と削った。
 嵐のように凄まじい連続攻撃が、木偶人形の形を歪めていく…
 
 南方大陸より伝わった闘いの舞踏がある。
 
 時には奴隷として連れて来られた南方の黒い肌の民は、戦いを禁じられていた故に、舞踊の中に練り込んで戦いの技術を秘匿し、それを後世に伝えた。
 やがて南方の情熱的で激しい動きを取り込んで生まれた闘いの舞踊は、力と速さに分かれ武芸として昇華する。
 
 苛烈で華麗なそれを〈闘舞術〉という。
  
 ラムーナが学んでいるのは【連捷の蜂(れんしょうのはち)】。
 
 蜂が連携して敵を突き刺すが如く、流れるような連続攻撃を行う戦士の舞踏だ。
 流麗でありながら、優れた使い手が使うなら攻撃が2倍にも3倍にもなる。
  
 〈闘舞術〉は、南方大陸から〈倣獣術〉とともに伝わった闘いの舞踏である。
 獣の猛々しい様を倣った、徒手空拳と武器を用いた武芸である〈倣獣術〉は、アレトゥーザの片隅にある訓練場で、南方大陸出身の元船乗りが教えている。
 より実戦的で対人戦闘に向いた〈倣獣術〉は、アレトゥーザ出身の船乗りや傭兵の中で好んで使われるようになっていた。
 
 正規兵や、聖海教会の保守派に属する僧兵の類からは野蛮な異端の技として、〈闘舞術〉も〈倣獣術〉も忌み嫌われている。
 だが、実戦を重んじる冒険者の中には、わざわざアレトゥーザを訪れて技の伝授を請う者もいた。
 
 元々は〈倣獣術〉を学ぶつもりだったラムーナだが、シグルトに普通の武芸を習うことは止めた方がよいと言われていた。
 
〝ラムーナには、柔軟で身軽さを生かせる技が向いている。
 無理に力業や戦意を剥き出しにした技を身に付けたりすれば、余計な癖が出来て後の技の習得に障るかも知れない。
 
 それに身軽さを活かして籠手や身体を守る防具を身に着けないなら、徒手の技では身体を故障する恐れもある。
 特にラムーナは、戦士としての教養がほぼ無かったのだから、むしろ小柄な体格と才能を最大限生かせる技術を新しく探してみた方が好いだろう〟
 
 己も剣を持つのには慣れてなかったというシグルトであるが、短期間のうちに剣術向きの身体を作り、若手の冒険者では一目置かれるほどである。
 実際戦闘では初心者同様で、特攻的な飛翔技以外奥の手を持たないラムーナが、そこそこの戦士を相手取るほどの戦い方が出来るようになったのは、シグルトの助言に寄るところが大きい。
 
〝無理に複数の技を学ぶより、戦いに慣れるまでは一芸を磨いた方が迷わなくていい。
 
 だからこそ、最初に修得する必殺の技はよく考えて決めるんだぞ〟
 
 戦士として含蓄があるシグルトの言葉は説得力があった。
 彼は着実に基礎訓練を繰り返し、地道に身体を作り、今後修得する技のために準備をしている。
 その戦術観や訓練法は画期的で、若手の冒険者の中には真似る者も何人かいたが、悪い結果に出たとは聞いていない。
 
 アレトゥーザの〈倣獣術〉を学んではどうかとレベッカに勧められたこともあったが、シグルトは苦笑して断っていた。
 技の習練に必要な経費を節約する目的もあったようだが、何より適当な気持ちで技を習得して技に溺れるようなことがないように、とのことだった。
 
 目的のためにとことんストイックになれるシグルトの姿は、ラムーナにとって理想的な戦士に見えたのである。
 
「―――ィァァアアアッッッ!!!」
 
 止めとばかりに放った回転斬りが、終に木偶人形の頭部を吹き飛ばした。
 
「…そこまで。
 
 十分よ、ラムーナちゃん」
 
 ラムーナが、次の技に備えて振り上げていた踵をゆっくりと地面に下ろす。
 
 張り詰めていた太腿と臀部の筋肉が緩んでいく感触。
 静かに息を吐くと優雅に踵を地面に置き、ラムーナは舞踏を踊り終えたことを告げるため軽く一礼した。
 
 元々舞踏として発展した闘舞術は、芸術として人を魅せる礼法や技術も内包している。
 師の前ではこの小さな演舞用の作法でさえ、忘れれば大目玉だ。

 激しい舞踏を演目の間ずっと続ける舞踏家の身体能力は凄まじい。
 体力も跳躍力も、攻撃の時に繰り出される瞬発力も、下手な本業戦士を凌駕している。
 各国を渡り歩く専業戦士の傭兵や武芸者には、〈舞踏家とは喧嘩するな〉などという戒めの言葉もあるぐらいだ。
 酒場の踊り子に欲情した傭兵が強靱な脚力で蹴り倒されて腰の骨を折り、再起不能になったなどという話も、時折酒場の酔っ払いがする馬鹿話にまことしやかに出るほど。

 ラムーナはもともとあった舞踏家の素養を、徹底的な基礎を学ぶことによってさらに発展させることができた。
 今は戦士としても十分な素養を持ち合わせている。
 
 パチパチ…

 上機嫌で手を叩き、観客席に座っていた女性が立ち上がった。
 
 南海の太陽を受けて、黒曜石のように黒くその肌が輝いている。
 陽気に白い歯を見せて笑う様は、まるで自分のことを喜んでいるかのようだ。
 
 女性の名はアデイ。
 アレトゥーザに住む女性で、元は南にある大陸から渡って来た黒い肌の民である。
 
 アデイが闘いの舞踏を教えることは、あまり知られていない。
 腰を患い舞踏そのものをもう踊れないというアデイは、おおっぴらに技術を伝えようとはしなかった。
 
 アデイと同じ黒き肌の民である、訓練場の元船乗りの紹介でも無い限りは、その技術を学ぶことは難しい。
 
 黒き肌の民は、高い身体能力と屈強な身体を持っていた。
 一部の心無い者は、黒い肌を悪魔のものとして忌み嫌った。
 外見の違いや文化の違いは、曲解されれば差別の種となる。
 南征のための口実と結びつけば、人の欲望と敵意を喰らって巨大な悪意が生まれる。
 
 奴隷同様の扱いを受ける黒き肌の民は、未だ多かった。
 比較的移民が多いこのアレトゥーザでも…いや、多数の民族が集まる場所だからこそ、露骨な差別が起きるのだ。
 
 都市に住む者は、総じて知性が高い傾向にある。
 人口の多さとともに、自然と他者とのコミュニケーションを取り、そうやって他人から知識を吸収するからだ。
 
 それは他者に影響されやすいということでもある。
 差別という行為が大多数のものになった時、それは常識となって迫害を行うための口実となる。
 
 黒き肌の民は、そうやって行われる迫害をよく被っていた。
 それ故にアデイは、迫害されないよう目立つことを避けているのだろう。
 
 アデイの黒い瞳は、どこかしか、いつも哀愁を湛えていた。
 
 ラムーナは、初めてアデイに出逢った時のことを思い出す。
 レベッカと雑貨屋に買い物をしに行き、悪漢に絡まれていたアデイを助けたのが縁だ。

 その後、フィーリングが合ったラムーナとアデイは親交を深め、ラムーナの舞踏家の才能を知ったアデイが「闘舞術を学んでみないか?」と勧めてくれた。

 仲間に許可を取って、滞在費と授業料を獲得したラムーナは、喜び勇んでアデイに会いに行った。

 ラムーナは聡い娘である。
 自分が、仲間に比べてどこか中途半端であるとずっと感じていたのだ。

 そも、“風を纏う者”のメンバーは全員が頭一つ抜けて優秀だった。

 リーダーのシグルトは振り回す武器が何度も壊れるほどの剛腕で、賢く統率力に優れる。
 盗賊のレベッカは技術も優秀だが、狡猾さと交渉力に長けている。
 魔術師のロマンは生き字引のように博学で、子供なのに優れた魔術の使い手でもある。
 司祭のスピッキオはちゃんとした地位を持つ聖職者で、稀少な秘蹟を扱うことができる。

 勢いでこのパーティに加わったラムーナには、踊り子としての素養以外何もなかった。
 力がほしいと切実に望んでいたから、アデイの誘いは渡りに船だったのである。

 ラムーナが大急ぎで向かうと、身動き一つせずにずっと南海を眺め、アデイは人目を避けるように一人ぽつんと大運河の桟橋に腰を下ろしていた。
 
 それは、かつて奴隷船から逃れた後、途方に暮れていた自分を思い出させるものだった。
 共感を覚えたラムーナは自然とアデイに近づき、隣に腰を下ろしていた。
 
 しばらくはその格好で、一緒にただ碧い海原を眺めた。
 やがて目が合った時、何気なく話をする。
 
 互いに遠く離れた地の出身で、同性同士。
 
 弾む会話の中で、ラムーナが舞踏を習いに来たことを告げると、アデイは子供のように目を輝かせた。
 嬉しそうに故郷の舞踏のことを話してくれるアデイ。
 
 ラムーナは、本格的な舞踏を知らなかった。
 
 彼女にとって舞踏とは、日々の糧を得るために他人のそれを真似て適当にやっていたものだ。
 それに、ラムーナの知る舞踏は人の目を引くための、どこか卑屈に媚びたものでしかなかった。

 ラムーナは、東方にあるグルカという貧しい小国の出身である。
 
 他国に囲まれ、貿易の中継点でもあるグルカは、地の利から求められ、絶えず戦火にまきこまれていた。
 
 グルカの民は驚異的な身体能力を持つ者が多く、男の多くが戦争に関わる戦闘民族である。
 そして、本質的に残虐で利己的だった。
 
 武勇で名を残したグルカ出身の傭兵や軍人は数多い。
 繰り返し戦争に関わった国柄故か、国民は奪われることに慣れ、多くの国民たちは心が病んでいた。
 
 国には厳しい身分制度があり、特に男尊女卑の傾向が強い。
 親の権力が強く、家長には逆らえない。
 
 そんなグルカの民の中でも、ラムーナの父親は酒癖が悪く、平気で女子供に暴力を振るい寄生虫のように子供たちの稼ぎにたかるろくでなしだった。
 ラムーナの母は美しかったが、蹂躙されることに慣れてしまった、消極的な女性だった。
 
 兄2人と姉が1人。
 自分の下に、大きな身体の末の弟。
 他にも兄弟姉妹はいたらしいが、死産であるか、口減らしのために名前をつけられることもなく捨てられて野犬の餌になったようだ。
 
 生活は貧しくて、虫の湧いたものや腐りかけたものでも、食べられればよい方だった。
 グルカの貧民層で、食中りで死ぬ子供は間引いて捨てられる子供よりもはるかに多い。
 
 後に判ったことだが、ラムーナは父の実の娘ではないらしい。
 父の話では、美しい容貌の母親が兵士に乱暴されてラムーナを身籠もったという。
 
 一番母親に似ていた美しい姉に比べ、ラムーナはやせっぽちで、度重なる父親の虐待で酷い猫背だった。
 乳歯が抜け替わるまでは乱杭歯で、周りからは醜い子供だと思われていたようだ。
 
 奴隷として売られるまでは、父親から受ける虐待を恐れていつも顔を伏せていたし、人前では父親に殴られた痕を隠すために面を被ったり、滑稽な表情を浮かべていた。
 愚か者の振りをするのも、身を守るための処世術だったのだ。
 ラムーナの行動がどこか道化じみて戯けているのは、そういった背景がある。
 最近になって愛らしい母似の顔立ちになってきた彼女が故国に残っていたなら、春を売ることになっただろう。
 
 戦場で戦うことが出来ないとされた女は、生まれても疎まれた。
 グルカやその近隣諸国で、女はまるで〈負債〉扱いである。
 
 ただでさえ出生に曰くのあったラムーナは殺されるはずだったが、姉が庇ってくれて命を長らえることが出来た。
 他の弟妹たちが間引かれて死んだのを知っていたラムーナの姉は、ラムーナが生まれるやいなや、すぐに匿ってくれたのだ。
 
 他の家族が冷たかったり乱暴だったのに対し、姉だけは可愛がってくれた。
 ラムーナの性格が歪まなかったのは、姉から受けた愛情の結果である。
 
 〈ラムーナ〉という名前は、西方に来て名乗るようになった名前だ。
 故郷の彼女は名前され与えられず、ただ〈いらない子〉という意味の蔑称で呼ばれていた。
 
 父は、ラムーナが人として名乗ることを許さなかった。
 優しい姉は、ラムーナに普通の名前をつけようとして、奥歯が折れる程殴られたことがある。
 
 母は父に従順で、ラムーナとは目を合わせようとしなかった。
 一番上の兄は威張ってばかりで、父親に似て暴力的だったが、煽てれば殴ったりはしなかったので、まだましだった。
 二番目の兄は姑息な上狡猾で、父親そっくりだった。
 弟は愚図で図体が大きかったが、とても貪欲で、よく家族の食べ物を奪っては父にぶたれていた。
 
 ラムーナの姉は近所でも評判の美しい娘だったが、子供のうちから父親に強制されて春を売っていた。
 姉を助けるのために、ラムーナは客寄せのための舞踏を踊り、ひたすら人に媚びた笑いを浮かべる。 
 
 愛想笑いを浮かべ、地面ばかり見る毎日。
 酒に酔った父親が理不尽な暴力を振るえば、謝罪の言葉を言って身体を丸くする。
 背中は痛みが残るけれど、腹を蹴られるよりは安全だ。
 そうやって歪んだ姿勢を取り続けた代償がその猫背だ。 

 それでも、要領がよかったラムーナはまだましだ。 
 親に蹴られて内蔵が破れ、死んだ子供の話など日常茶飯事だった。
 
 子供が産めなくなった娘たちもいたが、売春させても子が出来ないから面倒がないと喜ぶ親さえいた。
 
 貧民の中には、物乞いをする時に同情を誘うため、親が子の手足を千切ることもある。
 痛みで泣く声が五月蠅いと、喉を潰された幼なじみもいた。
 
 泣けなくなった子供に代わって大げさに親が騒ぎ立て、そうやって恵んで貰ったわずかな金はろくでなしのその親が酒代に変える。
 
 貧しさと荒んだ生活は、暴虐の免罪符になっていた。
 親が子を生きるための糧にする…
 
 ラムーナが育ったのは、そんな地獄だった。
 姉が庇ってくれなければ、十日も生きられなかっただろう。
 
 皮肉にもラムーナの身体から父親の暴力によって出来た青痣が絶えたのは、奴隷として売られた後だった。
 足の爪を逃亡防止のために刺し貫かれたけれど、一日一食の食事が与えられ飢えることはなかった。
 故郷では日に一度でも、何か食べられれば幸運だったからだ。
 
 十五才になるラムーナだが、この国の娘たちに比べれば頭半分以上背が低い。
 それは成長期に栄養不足だったことが最大の理由であろう。
 
 故郷では同世代のほとんどの子供たちが、虐待や病気より栄養失調と飢え、あるいは腐った物を食べたことで腹を壊し死んでいった。
 
 度重なる戦争の兵役と重税が重くのし掛かり、一冬越すごとに子供の数は減っていく。
 ラムーナが五歳の春を迎えた時、二十人以上いた同世代の幼馴染みは半数に減っていた。
 無事に二桁の誕生日を迎えられたのは、ラムーナを含めたった三人だけ。

 人口が減らないのは、生まれる赤ん坊が多いから。
 不義の子、娼婦の子、そして強姦によって生まれるラムーナのような望まれない子供。

 軽んじられる命が湧き出る端から刈り取られている、病んだ国であった。
 その故国は数年前、強硬な隣国によって宣戦布告された。
 
 絶えない戦争で鍛えられたグルカの精兵は、残忍さと驚異的な身体能力から善戦したが、敵国との国力差が致命的だった。
 グルカの骨のある男たちは皆殺しにされ、後には卑屈でろくでなしの父親のような人物たちしか残らなかった。
 ラムーナの長兄は国土防衛の戦いで戦死した。
 
 国が戦争に負けた後、国の環境はもっと酷くなった。
 殺されるか飢えて死んだ人間が腐った臭いと、飛び回る蝿の羽音が途切れたことはなかった。
 
 器量の良く春を売って糧を得ていた姉は、乱暴な兵士たちの慰み者にされた。
 その上に父親に労働を迫られ、過労から喀血して死んでしまった。
 
 ラムーナは男性が恐ろしかった。
 彼女の知る男たちは皆酒臭くて、女に暴力を奮うことを何とも思わない連中ばかり。
 数少ない例外は、文字を教えてくれたクレメント司祭と、姉の婚約者だった男ぐらいだ。
 
 だが、シグルトを初めて見た時、ラムーナが持つ男性への恐怖感は無くなっていた。
 ロマンを助けたシグルトから、大好きだった姉のような優しさを感じたのだ。
 
 仲間になってからただの一度さえ、シグルトはラムーナをぶたなかった。
 
 自他共に厳しい性格だが、理不尽な暴力は決してしない。
 よくやれば優しい声で褒めてくれた。
 戦闘でラムーナがシグルトを庇った時は、傷跡が残らないかとても心配してくれた。
 
 シグルトは、ラムーナの姉に何となく雰囲気が似ていた。
 
 底知れない不幸を経験してきた者が持つ哀愁と、不幸を噛みしめて尚も懸命に生きようとする強さを持っていること。
 だから、ラムーナは死んだ本当の兄よりもシグルトを慕っていた。
 
 レベッカは貪欲なので弟を思い出させたが、遙かに要領がよくて理不尽なことはしない。
 面倒見がよくて、ラムーナにはとても優しかった。
 悪賢くて、冒険者としては一番経験豊富だ。 
 
 少女のように美しい容貌をしたロマンは、ひねくれ者だった。
 真面目で落ち着いているし、彼が使う魔術はとても頼りになる。
 何かを聞けば大抵のことは知っているし、教えることと学ぶことには真摯な態度で好感が持てた。
 
 スピッキオは、優しくて大きい、という印象が強い。
 秘蹟で何度も傷を癒して貰ったし、説教臭いけれどその話は面白い。
 宗教的な物語も、信仰抜きで聞く分にはとても楽しいものだった。

 ラムーナがいる場所は、今では地獄ではない。
 決して楽な稼業とは言えないが、日々の糧をちゃんと得られるし、何より謂れのない暴力を振るわれなかった。
 
 仲間たちはラムーナを信頼し、ラムーナも心から仲間を信頼している。
 
 だから、ラムーナは何としても仲間に応えられる力が欲しかった。
 再び役立たずと断じられ、やっと得られた自分の居場所を失うのことがとても怖かった。
 
 生まれた時から家族に尽くすことを教えられて育ち、献身的で優しい姉を見て成長した。
 孤独の辛さを知っており、愛し愛されることに傾向している。
 
 誰よりも気を張って仲間のために尽くす…
 ラムーナにとって、仲間たちは彼女の拠り所だったから。
 
 彼女は楽観的な反面、意外にも…とても繊細だ。
 脳天気に見えるのは、生きるためにそうならざるを得なかったからである。

 ラムーナが、今までに出来ることはとても少なかった。
 役に立てない、という劣等感が彼女の中で燻っている。
 
(強くなって、絶対役に立つんだっ!!!)
 
 技を習得しようというラムーナの瞳には、強い決意が宿っていた。
  
「…凄いわ。
 
 躍動的で変則的なこの舞踏は、修得そのものは容易いけれど、上手に踊るのは難しいのよ。
 素晴らしい柔軟性と、繊細な表現力っ!
 
 ラムーナちゃんは、才能があるわ」
 
 舞踏を教える時とは打って変わって、手放しで褒める。
 アデイはラムーナの上達を、まるで自分のことのように喜んでいた。
  
「憶えておいてね。
 
 【連捷の蜂】はあらゆる動きに繋げる、その発展性と可能性こそが要なの。
 あるときは次の一撃に、あるときは必殺技の予備動作に、あるときは敵陣を切り払う。
 
 基本に組み、そして応用的にも使える優れた術よ」
 
 アデイは、丁寧にその動作を説明してくれた。

「ねえ、先生。
 
 これで私もみんなの役に立てるかな?」
 
 非力で体格の無いラムーナは、戦士として仲間の内にありながらずっと、どんな風に自分が貢献できるか悩んできた。
 
 相手の急所を貫く鋭い一撃は得意な方だが、レベッカには劣るし、力技ではまったくシグルトに適わない。
 自分が必要とされているのか、ラムーナはいつも不安だった。
 
 この少女にとって、無能と断じられることはとても怖い。
 仲間足手纏いになることがたまらなく恐ろしかった。
 かつてラムーナは、見限られて親に売られたのだ。
 
 役に立ちたい、そして仲間たちの側にいたい…
 
 もしラムーナの本心を知ったら、仲間たちは怒るか、笑い飛ばすか、抱きしめただろう。
 ラムーナが家族としての絆を仲間たちと育もうと必死に悩んでいるとき、彼らは心の中でラムーナを大切なパーティの一員として認めていたのだから。
 
 まだわずかに幼さの残る少女を見つめ、アデイは柔らかに微笑んで、とても強く頷いた。


 アレトゥーザに滞在中、ロマンは相も変わらず賢者の塔の図書室に通い続けていた。
 少女のように美しい少年が、時間いっぱいまで図書館で読書に勤しむ姿は最近の風物詩だ。

 ロマンは機械仕掛けのように正確な速読を行うため、傍で見ていると異様なのである。

 数日読書に励んだ後は、貸出で不足している本を率先的に写本して(内容を一字一句、誤字誤植まですべて記憶しているため、ロマンの書いたほうが、内容が正確になるというおまけ付き)納め、賢者の塔を利用する魔術師としての奉仕活動と滞在費の捻出に当てている。

 書籍というものは、実際は材料や表装代こそが高価であり、筆記を行うだけであれば翻訳作業や書写の賃金はあまり貰えない。
 写本の賃金はインクなどの道具代込というのが普通であるので、その場合の賃金はかなり高くなる。

 ロマンが賢者の塔で写本する時は、誤字誤植を行った時はかかった費用を徴収するという条件で、インク・紙・表装代などの材料費・製本代は賢者の塔持ちである。
 図書室や書写台(インクで汚れないように、写本をする時は専用の場所でやるのが規則である)の使用に関する場所金、材料費や製本代の前借りでさらに担保金が発生するのだが、ロマンは滞在費として預かっていたお金から最初にそれらを捻出して、技能だけで重宝がられるようになって賢者の塔から金を出させ、それらで経費を賄うようにまでしてしまった。

 正確なロマンの写本は需要があり、一日に数冊を書き上げる速度から〈本来は渋られる〉備品の使用と貸出しが特別に許されていた。

 賢者の塔を使う場合、魔術師学連などに所属する魔術師は一定の奉仕や労働を要求される場合がある。
 これは高位の魔術師から指名されれば断れないが、あまりに頻繁にそれを強いることも会則で禁止されているため、魔術師側は断ることもできる。

 優秀な奉仕活動には報奨金が出ることもあり、魔術師たちは獲得した報奨金を賢者の塔に預けて、学連の年会費や雑費、施設使用における諸経費を引いて貰うシステムがあった。
 とはいえ報奨金は本当に雀の涙であり、ほとんどの魔術師は日々の生活費のために最低限の奉仕活動に止める。

 写本で稼ぐ場合、きちんとした製本ギルドに所属する写本師にならない限りは難しい。そういった技師は囲い込みをされるし、冒険者の副業として行う場合は発生する税金や要求される強制的なノルマなどからもデメリットのほうが大きいのである。

 ロマンは例外で、図書館の使用時間がとても長い分まめに写本をして報奨金を発生させ、賢者の塔に貯金した預り金は結構な額になっていた。
 ノルマを高速でこなし、誤字脱字や誤植を全くしないという芸当があるからだ。

 ならば預かり金を給金のように引き出せばよいとなるのだが、申請してからかなりの時間がかかる上に引き出す金額に応じて賢者の塔経由での税金や手数料が結構な額引かれるため、賢明な魔術師はそれらの手間と費用が発生しない仕事で稼いで生活し、預り金は極力使わない。
 学連・協会・門派など正式な魔術師の組織に所属していない者や在野の魔術師はシステム自体を使えない上、このやり方を理解していない魔術師のほうが多いぐらいだ。
 幼くしてリューン大学に出入りを許されたロマンは、いわば特待生的な立ち位置であり、高名な師匠からもらった紹介状もあって預り金制度を利用することができている。
 
 金の引き出しに手間と費用がかかるのは、賢者の塔から財貨が流出することを防ぐための対策でもある。
 そういう立て前、預り金の現金としての引き出しは好ましくなく、真面目に預り金ができるほどの奉仕活動を行う魔術師も少ない。

 例外的にロマンは今回の都市滞在に必要な賃金だけを最低限引き出し、ラムーナと同じ宿を使用することによって経費を抑えてはいた。
 このおかげで滞在費用として預かった銀貨二百枚は財布の中にある。
 本心から言えば、パーティから借りているお金は極力使いたくない。無駄遣いをすればレベッカに嫌味を言われるのがおちだからだ。

 金策に煩わされたくはない。
 雑事に有限の時間を割くことは、賢者として疎むべきことだ。

 冒険者として仕事をしている時は良いのだ。
 今まで培った知識が活きるし、成功すれば報酬も入る。
 仲間たちとあれこれ相談して難問に立ち向かうと、お互いに出し合う知恵から新たな発見があって、得るものもたくさんある。
 現場での経験というものは、大いにロマンの知的探究心を満たしてくれる。

 読書をする手は全くぶれず、ロマンはそんなことを同時に悩む余裕があった。

 不意にその手が止まり…本に息がかからないように大きな溜め息が漏れた。

 周囲の者たちが、何事かとロマンを見る。
 そのぐらい、読書中の彼は静謐で規則的なのだ。

 ロマンの目は右手の指に注がれていた。
 彼の愛用する手袋の中指部分に穴が空いている。
 
 本の頁をめくる時は摩擦抵抗を利用する。
 新品の頃、羊皮紙はつるつるしているのだが、同じ本が何度も利用されれば自然と汚れるし毛羽立ってくる。
 中には唾を付けてめくるマナーのない読者もいるため、ロマンは本の作者と管理者に対する最低限の礼儀として絹の手袋を愛用していた。
 摩擦による負担も当然手袋に蓄積する。

 長く使った書籍は消耗するものだ。
 汚れや摩耗があり、それを補修するのも司書の仕事だ。
 障り無く読書するために陰で力を尽くす人がいるのだから、配慮して綺麗に使うのが正しい賢者の挟持。
 それが知恵ある者の品格であり教養であると師からを教わって、ロマンは真摯に続けてきた。

 並列的に考えることはできるが、流石に手袋がくたびれていることまで配慮できておらず、破れてしまったことが落ち度。
 だから漏れた溜め息であった。

 酷使してきた絹の手袋の指先はインクと他人の手垢で薄汚れ、酷く毛羽立っている。
 読む時の取っ掛かりは良くなったが、こんな破れ手袋を使うなど恥ずべきことだ。

 ロマンは名残惜しそうに本を閉じると、それを司書に返却して図書室を出る。

 使っていた絹の手袋は、その昔報奨金で最初に購入したものだ。
 絹製品は高価である。安物でも銀貨百枚は下らないだろう。

 よく見れば長年使ったせいでかなり傷んでいる。
 親指と人差し指の部分には、本をめくりやすくするために特別な革の滑り止めがついている。
 革部分は手袋と同じ白色に塗装されていたのだが、本を傷めないために毛羽立つと高価な白い革で軽く磨いて磨き粉を刷り込み、いつもつるつるにしていた。
 磨くのに革を使うのは羊皮紙に近い材質を使って本を痛めないためだ。

 革部分もかなり摩耗して黒くなっていた。
 何度か修繕に出して張り替えているが革部分は減るのが早いのだ。
 ロマンは写本の時は書写台(図書室にはインクをこぼしてもいいように、磨いた石畳の上に防水性の強い加工がされた机を置いた専用のスペースが有る)で行うし、そこでこの手袋は使わない。この汚れは他人が本につけたものであろう。

 単純な長時間使用という酷使であって、決して乱暴な使い方もしていない。
 本のめくり方は丁寧にやっていたし、力も強くない。

 最初の頃は知識には余分として親に手袋を買ってもらえなかったので、木綿の手袋を使っていた。
 引っかかりはいいが、木綿のザラザラ感は本に優しくない。
 全革製の手袋は分厚くて蒸れるし、感触がないので力加減を誤りやすく論外だ。

 やはり薄く頑丈な正絹の手袋がいい。
 磨いた滑り止めは慣れればまったく滑らないし、汗が出ないため書籍に汚れが伝染らない。
 指先につける滑り止めの加工賃がそれなりにするのだが、そこに吝ん坊なことをすれば長く使えない。

 不幸中の幸い、都市生活のためにいくらか計画的な金を用意している。
 手袋のオーダーメイドをこの都市にもある、魔術師御用達の服飾専門店に頼むことはできるだろう。

 問題は使った資金の補填と、手袋を使えない間の学習時間である。

(この間ラムーナと話した時は、もうすぐ技を習得できそうだって言ってたよね。
 他の仲間も戻ってるかもだし、服飾のお店に寄ってから『悠久の風亭』に行って見よう。

 二人だけでもできる仕事があるかもしれないし、何もなければ宿で張り紙の代筆をすれば時間と宿代ぐらいにはなるよね)

 先日料理の準備と宿の管理で、慣れていても張り紙を書くのが大変なのだとラウラが嘆いていた。
 いかに識字率が高い冒険者たちの宿で経営をしているとはいえ、文章や書式の扱いがうまいとは限らないのだ。
 張り紙の代筆は、字が綺麗で理路整然とした書式と筆使いのロマンにとって得意な分野である。

 今後の行動予定の目処がたった少年は、背筋を伸ばすと足早に歩き出した。


 燦々と眩しいアレトゥーザの太陽を見上げ、シグルトは眉根をしかめつつも柔らかな微笑を浮かべていた。
 南海から吹き付ける湿った潮風の香りが、ここからは見下ろせないが、美しい碧海を想起させる。
 
 アレトゥーザに到着したシグルトは『蒼の洞窟』を目指していた。
 石畳を叩く靴音は、心持ち軽い。
 知った者に間もなく再会する安堵感からであろうか。
 
 ちょっとした冒険を終え、シグルトが『悠久の風亭』に到着したのは今日の昼過ぎである。

 この都市にいる“風を纏う者”の仲間たちはそれぞれ出かけていておらず、夕方には集うだろうと聞き、それまで暇を潰すことにしたのだ。
 ここでシグルトが知り合いと言えるのは、『悠久の風亭』の主人とその妻ラウラ、そして精霊術師のレナータぐらいしかいない。

 遠く北方からやって来たシグルトは、まだ冒険者としての経験も浅く、コネクションも少ない。
 すでにその技量を認められつつあるものの、深い部分ではまだ駆け出しであった。
 
 旅先で縁を作るのも、冒険者にとっては重要なことである。
 冒険中に困った時、最終的にはその土地でのコネが最後の切り札になるからだ。
 
 アレトゥーザでレナータという知り合いが出来たことは、シグルトにとって有り難いことであった。
 
 それにレナータは、きつい訛りのある生粋のアレトゥーザ市民たちとは違い、きちんとした交易語で会話が出来る。
 西方の共通語として広く広がっている交易語以外にも、故国の北方語系列の言葉をいくつか流暢に話せるシグルトだが、南海近くで話される訛りの強い言葉は少し苦手だった。
 澄んだレナータの言葉は訛りが少ないし、彼女はお喋りではない。
 自身も普段はやや寡黙な傾向のシグルトにとって、付き合いやすい人物であった。

 やがて見えてきた洞窟の入り口をくぐり声をかけると、すぐにレナータが出迎えてくれた。 
 
 シグルトは土産代わりに、『悠久の風亭』の女将さんがもたせてくれた焼菓子と、旅先の市で手に入れた新しい陶器のカップをいくつかレナータに手渡した。
 神経質な妹と、資産家でロマンティストな恋人を持っていたシグルトは、意外にも土産や贈り物などで細やかな気遣いが出来る。
 基本的には鈍感で武骨なのだが、知人を大切にする誠実でお人好しな本質はこういったところで表れるのだ。

 安物で悪いな、と言うシグルトに、レナータは思い切り首を横に振って嬉しそうに器を抱きしめていた。
 
 そしてお礼にと、レナータが煎れてくれる香草茶を飲むことになった。
 新しいカップが早速役立つと、レナータは白い肌を喜びに上気させて洞窟の奧に消えていく。
 
 シグルトは適当な岩を選んで腰掛けると、爽やかな洞窟の涼気に身を任せていた。

 戻ってきたレナータにお茶を注いで貰い、その熱さと香りを楽しみながら、ゆっくりとカップを揺らす。
 
 二人静かに、洞窟に光を反射させる美しい水面を眺めてお茶を飲むだけ。
 しかしそれは、シグルトのような闘争に身を置く冒険者にとって、かけがいのない安らぐ時間だった。
 
 またここに来ることが出来たことを尊び、知人との再会を喜び、静寂の優しさを味わう。
 普段簡単に手に入るそれは、実はとても素晴らしくて大切なものなのだとシグルトは思う。
 何故なら、そういったものの多くをシグルトは一度失ってしまったから。

 故郷の妹や愛した女性、友を思い出し、シグルトは少しだけ憂いのある表情を浮かべて昔を懐かしんでいた。

 シグルトが回顧に浸る中、レナータは少し雰囲気の変わったシグルトをぼうっと眺めている。
 原因はよく分かっている…シグルトの周囲を忙しなく飛び回っている精霊のせいだ。 

「…今日は可愛らしいお嬢さんを連れていますね」
 
 過去を思い目を閉じていたシグルトの周囲を、彼の関心を誘うかのようにふわりと風が舞った時、レナータは興味深そうに語りかけた。

「ああ、〈トリアムール〉のことか」
 
 半眼に目を開いたシグルトがさらりと言葉にした名前から、その意味を感じ取ったレナータは目を丸くした。
 
「その名前の韻…強い言霊を感じます。
 
 もしかして精霊に名を贈ったんですか?」
 
 シグルトが軽く頷くと、レナータはなるほどと虚空に目をやった。
 おそらくそこに〈トリアムール〉がいるのだろう。
 
「初めてお逢いした時からシグルトさんには、精霊術師の才能があると思っていました。
 貴方は精霊たちを強く惹き付ける何かを持っています。
 何れは精霊と交信を持つのではないかと…
 
 でも、この娘は普通の風の精霊じゃありませんね?
 まだとても若いけれど、格が高い…
 かなり上位の精霊の、直接の眷属か化身、あるいは分霊でしょうか…
 
 名を与えたということは、契約した精霊なのでしょうが。
 でもその様子では、まだこの子のことが見えないのでは?」
 
 シグルトは頷く。
 
「俺の目は精霊を捉えることは出来ないし、この耳はその言葉を聞くことはかなわない。
 一度、精霊と似たような状態になったことがあって、その時はできたんだけどな。
 
 見たり聞いたりは無理だが、昔から不思議と精霊の存在は感じ取れた。
 
 母の話ではずっと昔、物心つく前には精霊の言葉を聞き、見ることが出来ていたようだ。
 何故か、ふつりとそういった力がなくなってしまった。
 まあ、霊感の強い子供の時分が終わると、こういった力は失いやすいらしいが。
 
 俺が精霊の存在を五感の全てで捉えらなくなったのも、俺が純粋さを失ったせいかもしれない。
 
 いつの間にか戦士として敵を殺傷する感触に馴染み、感受性を捨て、精霊の嫌うという鉄の武具を振るうようになった。
 少なくとも、幼い頃の純粋さを懐かしむぐらいには時を経てしまったと思う。
 
 子供の頃、いろんなことを教えてくれたまじない師の婆さんがいたんだが、よく精霊の話をせがんで聞いた。
 聖北の教えよりも、地に着いた古い神々や精霊の話の方が、あの頃の俺にとって興味深かった。
 
 俺の故郷は聖北教会の勢力が強くて、その教義も聖海とは比べものにならないくらい過激で保守的なんだ。
 坊主たちには、前に君にちょっかいをかけていた助祭のような連中がごろごろしていた。
 異種族はドワーフ以外の入国を認めなかったし、異端として処刑される人間も多かった。
 
 だから、おいそれとまじないや精霊のことを口には出来なかったが、昔から精霊の存在には全く違和感を覚えなかったな。
 俺の母は戯曲や物語が好きで、父は他国の神話や伝承に造詣が深くそういった文化に寛容な人だったから、幻想的な存在の話をよく聞いた。
 …そのためかもしれない。
 
 精霊と強い絆を持ってみると、今になって見過ごしていた多くの存在を強く感じるし、失った感性を惜しむ気になる。
 
 だが、過ぎ去った時は戻らない。
 今俺に出来ることは、精霊術師どころか魔術師や聖職者にも劣るだろう」

 昔を思い出していたからか、少し饒舌になったシグルトを眩しそうに見つめながら、レナータは「そんなことはありませんよ」と優しく声にした。

「シグルトさんは不思議な人です。
 
 きっと戦っている時は炎のように苛烈で、荒ぶる風のように勇敢なのでしょうけど…
 こうやって話している時は、時を経た隠者のように思慮を感じます。
 
 感性を惜しめる人には、それを持っているからこそ惜しめるんですよ。
 精霊術師にもっとも必要となる、〈観る〉力は、そこから始まるんです。
 感じようとする意思こそが、精霊と交信し繋がるための礎なのですから…」

 そうかな、とシグルトは遠い目をした。
 こんな時のシグルトは、老人のような奥深い印象を周囲に与える。
 
「俺が出来ることと言えば、今は覚え始めたばかりのにわか剣術と、〈トリアムール〉の力を身に宿すぐらいだ。
 新しい力を得たばかりの身で、さらなる力を求めるのは貪欲だろうか?
 それとも、力を貸してくれる〈トリアムール〉に失礼かもしれないが。

 戦士の性分だな…得た力の先にさらなる力があるか、つい考えてしまう。
 そして、精霊術師のように、もっと精霊のことを深く知りたいと思う」
 
 シグルトは軽く肩をすくめて、そのあと「愚痴を言うようで悪いな」と謝った。
 
 だが、レナータはシグルトの言葉に小首を傾げていた。
 
「精霊を身に宿す?
 …もしかしてシグルトさんが使うのは〈憑精術〉なんですか?

 精霊術師は普通、精霊を召喚して行動させる〈召喚〉か、精霊の司る精気を現象として振るう〈霊験〉と呼ばれる力から習得します。
 私は師の影響で古典的な精霊術師の呪法である〈召喚〉を主に使い、〈霊験〉や〈憑精術〉を学ぶ機会は無かったのですが。
 
 精霊術の中でも、降霊や憑依はほとんどが高等技術なんです。
 精霊を身に降ろし、霊気を同調させて自らの力として振るう〈憑精術〉は制御が難しく、術者にかかる負担も大きい…何より身に宿す精霊との強い共感が必要になります。
 
 いきなりそんな術を修得出来るなんて…

 見えていないのに見えない存在を認めることってとても難しいことなんです。
 よほど精霊と信頼関係を結ばなければ、誇り高い精霊は術者には宿りません。
 
 …ずっと前から少し不思議だったんです

 シグルトさんからは精霊術師の才能は感じていました。
 戦士としての資質が強いから、その道には進まなかったのでしょうけど、他に何か…
 精霊たちに愛されながらも、どこか精霊たちが距離を取っているような。
 
 その性質…そして雰囲気。
 貴方は精霊を魅了しながら、同時に退けている。
 そんな雰囲気を持つ術師に、一つだけ心当たりがあります。

 貴方からは、微かに鐵(てつ)の精霊の気配がするんです。
 鉄の武器を振るう戦士だからかもしれませんが。
 
 孤高を司る戦士の精霊。
 そして、高貴を司る金属の気質。

 魔の雲に乗ってやって来た神が片腕を失った時、義手である銀の腕に入り込んで肉を食らい病ませた金気の霊虫ダルヴ・ダオルや、魔力を喰い荒らす鐵の蟲。
 異形にして心無き虫の姿をした精霊たち。
 
 しかも、精霊の最上位たる…」
 
 そこでレナータは口籠もり、ぶるりと身を震わせた。
 
「…シグルトさん。
 貴方は滅多に生まれない〈刃金の精霊術師〉になる素質があるかもしれません。
 
 屈強なる戦士であり、同時に精霊術師の才能。
 代償を厭わない勇気と、力を磨く意志。
 そんな者だけが最奥に至れるだろうという、謎の多い特別な精霊の術師。
 
 でももし、その機会が巡ってくるとしても気をつけて下さい…」
 
 不安そうにレナータは呟いた。
 
「…〈刃金の精霊術師〉?
 
 もしかして、それは〈ダナ〉の力を使う戦士のことか?」
 
 レナータの顔が、シグルトの言葉に引きつる。
 
 精霊や神々の名前には、強い言霊が宿っているのだ。
 シグルトが口にした神名には、周囲を凍て付かせるほどの神威を持っていた。
 
 レナータは感じ取っていた。
 シグルトの近くから、何かとてつもなく強大な存在がうっすらと眼を開き、レナータを睨み据えるのを。
 
 トリアムールと、『蒼の洞窟』に存在する精霊の全てが、畏怖から一斉に身をすくませた。
 
「シグルトさん…
 
 精霊たちや精霊術師の前で、その名を軽々しく口にしてはいけません。
 …いいえ、それだけではなく、あらゆる場所で。
 
 その神名は、とてつもない言霊を持ちます。
 開闢の母、創造の母とされる大女神…女神の中の女神と謳われる存在。

 教会が信奉する地上の主、罪を購った神の子の聖母には、彼の女神の別名を持つ母がいたと云われます。
 あらゆる命と魂が生まれ出でる大地を子宮とし、世界を変革するために魔の雲に乗って現れた神々の母。
 女神や聖母として誰かが母性を意識する時、記憶の根源にある混沌にして黒き女神。

 貴方の精霊も、この洞窟の精霊たちもこんなに怯えている…
 
 彼の大女神は、生み出し奪い去る恐るべき者。
 様々な伝承の中でその本質が語られず、ただ〈母〉として太古から畏怖される最上位の精霊です。
 
 その力は海を割り、山を砕き、天を落とし、同種の神魔を滅ぼすことすら出来るとか。
 
 おそらく、聖北の神に匹敵する神格を持った数少ない女神なのです。
 聖北、聖海といった一神教の信仰が強いこの西方で、未だに川や大地にその名を残すほどの。
 
 彼の大女神と微睡で邂逅した者は、恐るべき力を得る変わり、そのために多くの犠牲を捧げる必要があると聞きます。
 女神の子供たちが神としての威勢を振るった時、それに通じるまじないにおいて最高の供物だったものは生贄と犠牲でした。
 
 名前すら力の代償に奪われる…名を奪われれば存在すらも残らず、その者は消えてしまうのです。 
 全てを奪う故に、最後には畏怖しか残らない…彼の女神はそれほど恐れられているのです」
 
 蒼白な顔で言葉にするレナータ。
 彼女の忠告に、シグルトは強く頷いた。
 
「肝に銘じよう。
 
 まともな術師でもない俺が、神名を口にするのは軽率だったな」

 困ったように頭を掻くシグルトに、レナータは少し表情を緩めて頷いた。

「鉄は、かつて偉大な聖戒の王が神殿を建てる時、その使用を嫌ったとされるものだ。 
 南海の古い神話では、鉄を意味する民は殺戮を好む戦闘民族で、滅ぼされたのだという。
 妖精は鉄を嫌い、精霊は鉄の前に力を失って正体を顕すという。
 かつて天空を不能にし、ある英雄が怪物から首を叩き落とした鎌は、アダマス…神鉄で出来ていた。

 きっと俺が口にした精霊には、そんな力があるのだろうな」
 
 はい、とレナータが肯定する。

「孤高にして蛮勇なる戦士の精霊。
 
 最初に西方に鉄をもたらしたという民が崇めていたのが、彼の女神の子供たちなのです。
 あらゆる精霊や妖精は、その女神の子供たちが姿を変えたのだという話もあります。
 
 鍛冶の神としてドワーフたちからも畏怖され、同時に母…つまり生み出す者として発明と利器の象徴とされました。
 それは金属を、富をもたらす大地そのものであり、錆び朽ちる死と荒廃そのもの。
 発展する文明の理解者であり、代償に滅びを与えるという栄枯盛衰、叡智と技術の果てに全てを収穫する周期の終(つい)、滅びそのもの。
 
 そういった、古い古い女神であると聞いています。
 
 きっとシグルトさんは、彼の女神に見初められた戦士なのかも知れません。
 彼の女神は、何かを成せるだけの強く眩い魂と意思を、ことさらに好むと聞きますから」
 
 レナータはまた一つ頷くと、シグルトの瞳をじっと見つめた。
 青黒く深いシグルトの瞳には、深海を思わせる神秘的な魅力がある。
 
「シグルトさんが訪れる時、風や水の精霊たちがはしゃぐんです。
 
 私の師が教えてくれたのですが…
 時々人の器に生まれるのに、精霊のような魂を持った者が生まれることがあるそうです。
 
 多くのそういった人たちは、関わってくる精霊や大きな存在に運命を掻き乱されて、不遇の人生を過ごすそうですが…
 時折、それらの逆境さえ力に換えて大成する人物がいると。
 
 それが〈英雄〉と呼ばれる存在になるのだそうです。
 シグルトさんは、きっとそんな人。
 
 ここを訪れる人の中には、時々シグルトさんのような人がいます。
 可能性と一緒に、精霊たちの様々な期待を背負った人が…」

 レナータは、ここに尋ねてくるたくさんの教え子を思い浮かべた。
 
 ある精霊術師の青年は、その行いと情熱に人を惹き付ける不思議な魅力があった。
 この間レナータを心配して訪れた女性には、迫害に負けない意思を感じた。
 精霊の術は使えずとも、理解を示してくれた屈強の戦士がいた。

 シグルトからも、彼が何か強力な運命のようなものを背負っているように感じられる。
 
 シグルトは優秀でとても強いはずだが、それ以上に危うげな儚い印象も受けるので、レナータは心配だった。
 彼の放つ静かな雰囲気ですら、死を受け入れて待つ老人のようにも感じられて、傍にいると不安になるのだ。
 
 出逢って間もないが、レナータはシグルトに対して強い親しみを感じている。
 だから、力になりたいと思う。
 この若者が、周りを顧みずに迷わず危機に陥った自分を助けてくれたように、レナータもシグルトを救いたいと願うのだ。
 
 いつの間にかじっとシグルトを見つめていたことに気付き、気まずくなって上を見上げると、シグルトの風の精霊〈トリアムール〉が頬を膨らましてレナータを睨んでいた。
 
(大概精霊というものは、純粋で、どこか押しつけがましくて、その上嫉妬深いもの、ね…)
 
 微笑ましそうに〈トリアムール〉を見上げ、心の中で呟く。
 そしてレナータは嫉妬深い風の娘に微笑みかけながら、真新しいカップに残った、やや冷めたお茶を啜るのだった。 
 

 シグルト、ロマン、ラムーナが『悠久の風亭』に集結したのは、奇しくも同じ黄昏時であった。
 久しぶりに見るリーダーに、二人は駆け寄るように近づいた。

「どちらも元気そうだな。

 レベッカとは俺の私用の関係で別れたんだが、何れこちらに合流するだろう。
 スピッキオは教会の事務手続きがあって、もう数日かかると連絡があったそうだ。

 俺は用事も終わったし、わずかばかりの稼ぎもあるから合流しに来たんだが…
 ラムーナは技の習得は終わっているのか?」

 シグルトの問いに、ラムーナが満面の笑みをして頷く。

「アデイ先生からはお墨付きを貰えたよ。
 舞踏家としての技能も合格ラインだから、そう名乗っていいって。

 臨戦態勢なんだよ!」

 両拳をぎゅっと握ってガッツポーズをする。
 今なら足手纏いにはならないという自信が漲って見えた。

「それなら、レベッカとスピッキオが戻るまでに三人で一仕事したいかな。
 読書用の手袋が破れちゃって、新しいのができるまでしばらく暇なんだ。

 ここの女将さんがいつも出してる依頼の潮干狩りに行ってもいいけど、三人組ならいくらかまともな依頼を受けられるよね?」

 強気なロマンの言葉に、シグルトは首を横に振った。

「今の構成でまともな依頼など論外だ。

 先日リューンにほど近い村でレベッカと一仕事したんだが…その時は案内役に治癒術を使える者がいるという破格の条件があった。
 俺が私用で滞在していたペルージュで、目の前で盗賊行為が行われるという〈緊急事態〉が起きて盗賊と戦闘になったが、あの時は俺自身が傷を塞ぐ手段を持ち、近い場所に知人の優れた医者がいた。
 
 ロマン、賢いお前なら俺が踏み切れた〈条件〉がわかるな?」

 見つめるシグルトに、ロマンは派口をへの字に結んで黙り込む。
 
「…回復手段だよね?」

 ラムーナが代わりに応えると、シグルトは頷いた。

「俺たち駆け出し冒険者が死ぬ一番の理由は、無謀だとか経験が無いからだとよく言われる。
 それは間接的に間違いではない。

 だが、最大の理由は負傷した時に回復が間に合わないことだ。

 怪我をしても手持ちの手段で生命を維持できない。
 金銭不足で回復薬が持てない。
 重装備をする余裕がなく、大きな怪我を負いやすくなる。
 稀少な治癒術を使う仲間がパーティに存在しない。
 
 俺は自前の体術といくらかの医療知識があるが、それでは不測の事態が起きた時に可能なはずの対処できない。
 体格に優れていないロマンやラムーナは少しの出血が命取りになる。加えてお前たちは各々の戦闘スタイルから軽装だ。
 敵の戦力を仲間に振れない少数の構成では、敵の攻撃が誰かに集中するから、何らかの防御手段がほしい。

 今、俺が傷薬を一つ持っているが、残りの傷薬と解毒薬はレベッカが持っている。
 無駄遣いもできないから、仲間が全員揃うまで荒事をすべきではないというのが俺の考えだ」

 一度言葉を止めると、シグルトはラムーナの頭に手を乗せて軽く撫でる。

「…新しい技を、特に戦いの術を学んだ直後は高揚するものだ。
 試してみたくなるだろう?
 それは分かる。

 だから、俺は止めるんだ。
 慢心も怖いが、高揚に引きずられると失敗した時は反動が大きい。
 自分のできるはずのことを、ほんのちょっとの誤差でしくじった時、生まれた隙で命を落としやすい。

 焦らなくてもいい。
 お前の習得した技は、これから長く戦い続けるためにあるのだから」

 シグルトのゆっくりした声には、深い含みがあった。
 
「いい機会だ。
 戦いでも依頼でもないが、二人とも暇潰しに明日は俺に付き合え。

 学んでほしいことがある。
 
 仕事に関してはそれが終わってから考えてくれ。
 …構わないな?」

 続けて、ロマンの瞳を見つめて問いかける。

(シグルトは、必要でないと思ったことは言葉にしない。

 僕たちに学んでほしいこと?
 知的好奇心が刺激されるね。

 いったいなんだろう?)
 
 暇潰しに誘う、という行動自体が稀なリーダーだ。
 休日は各自のプライベートを重んじてくれるし、拘束もしない。

 ロマンとラムーナは、珍しいシグルトの誘いに、一も二も無く頷いた。


 次の日、シグルトが二人を連れて訪れたのは、鎧や盾を扱う『防具屋』であった。

 港があり、交易の要所にもあるアレトゥーザにも、武具を扱う店は多い。
 魔法の品のような特別な品は無いが、堅実な品物を揃えた老舗である。

「ロマン、お前はこういう店にはなかなか縁がないだろう?

 使わなくても、防具については戦いや依頼のために知っておく必要がある。
 特に、護衛の依頼や拠点防衛、討伐の依頼に関してはな。

 賢者という職業は、自分に関係ないことに対して疎い知識もある。
 脳筋の連中が扱う防具のことなど、歴史や流通に関してぐらいしかわからないのではないか?

 知ってみると、びっくりすることが沢山あるはずだ。
 まずは先入観を取っ払ったつもりで聞いてほしい」

 そう言うと、シグルトは試着用の鎧を手に取った。

「防具は、身を護るために装備するものだ。
 では、それはただ着て身を守ることか?

 そうではない。
 〈使用して身を護る利器〉だ。

 防具は道具であり、ただ身に着けて殺傷力を低下させるのではなく、能動的に使って身を護る。
 鎧を着ていながら〈使わない〉のでは、その効用が半減する。

 より防具の頑丈な部分で受け、あるいは阻み、生身では絶対できない〈受け身〉をとる。
 時には攻撃用の武器に使い、時には自分の扱う武器にぶつけたり添えて効果的に扱う。

 防具を装備していない者は、それだけできる選択肢が減る。
 無論、重いし手入れに手間がかかるし消耗して金もかかる上、身を拘束したりとデメリットもあるのだが…

 扱い方を知っていれば敵の弱点を探すときにも役立ち、自分の防衛のために応用できる技術も多数ある。

 守ってもらうことが多い立場だと、防御のやり方が疎かになり、だからこそ狙われることになるんだ。
 これから集団戦が増えれば、【眠りの雲】を使えるお前は敵の脅威だ。魔術が使えると敵に知れた途端、真っ先狙われるようになるだろう。
 その時に、お前自身が身を守る手段を持たなければ、そこから仲間の連携が崩れる。

 だからまず、防具を見て、その使い方を学んで、自分なりの防衛術を考えておくんだ。
 
 主人、材質は何か、どんな種類があるか、どれぐらい重くてどんな場所で扱い難いか、ロマンの質問に答えてほしい。
 こいつは見聞きすれば、それから本質を知ることができる。
 そこから、俺の言いたいことを学び取ってくれるはずだ」

 最初『防具屋』という自分には関係なさそうな場所に連れてこられて鼻白んでいたロマンだったが、シグルトが前振りで語ってくれた言葉を聞いて考えを改めた。
 彼の言う防具と防御の扱い方とは、立派な〈知識〉である。
 さすがだとも思った…普通のパーティで戦士が魔術師に防具の講釈を行うことなどまずありえないからだ。
 昨日聞いた、〈死にやすさ〉の対策そのものでもある。

 魔術師が冒険者になれば、生存術の基本として防御手段は重要だ。
 シグルトは、狙われやすい子供で魔術師という立場のロマンに危機感を持たせ、現状で必要な防御手段を考えさせ、同時に知的好奇心まで満足させるという高度な教導をやってみせたのである。

 後にシグルトは、自分の学んだ知識や技術を求める後輩に教導するようになるのだが、その人間の立場や視野に合わせて例え話や必要性を説き、必要性を喚起させて学ぶための興味と集中力を発揮させることをよく行うようになる。
 分かり易く面白いと評判になるのだが、まだ先のことであった。

 閑話休題。

 シグルトは次にラムーナを連れて盾を扱っている棚に移動する。

「舞踏家は身動きを拘束する重い鎧とは相性が悪いだろう。
 柔軟で丈夫な魔法の糸を編み込んだ特別な戦闘服なども、噂にはあると聞くが、まだ駆け出しの俺たちには手が届かない。

 必然的にラムーナにあっていると思ったのは、この盾だ」

 金属製の小さな盾を商品棚から取り出すと、シグルトはその中央にある丸いカップを指さした。

「これは【バックラー】と言ってな。
 この握り部分の半円カップが【ボス】と言って、この言葉が使われた地方の【Bocle】や【Boucle】にちなんでバックラーと呼ばれるようになった、なんて話がある。

 盾とは身を護るために使うものだが、これは攻撃にも活用できる。
 このカップ部分で殴りつけたり、縁の金属部分を叩きつけて使えば立派な鈍器になるはずだ。

 ラムーナは蹴りや肘を使った格闘の技を戦いの流れに取り入れていただろう?

 この盾の先祖になる円形小盾を使った体術は昔人気があったが、喧嘩で多用されて為政者が嫌って習うのを制限したり、この盾の名称の【バックラー】が暴漢という意味合いで使われている書物もある。
 傭兵や冒険者だけではなく、山賊や盗賊野も愛用されていたということなんだが、それだけ扱いやすい武具だったんだ。

 これから防具を持った敵や、鱗の頑丈なモンスターを相手に素手での攻撃をするのは怪我の原因になる。
 
 この盾の特徴はカップの裏側に拳で握れる程度の取っ手がついていて、工夫すれば革のスリングをつけて背負うこともできる。

 金属製だが、機動性を損なわないために軽戦士でも使えるように軽い構造になっている。
 耐久力は矢を遮蔽できる中型以上の盾に比べればささやかなものだが、子供や女性でも問題なく使えるはずだ。
 これに比べて、料理人の使う鉄鍋の方がよほど重い。

 そして、この盾の最大の特徴は、敵の攻撃を殴りつけて威力を低下させたり逸らす〈能動的防御〉にある。
 扱いの基本は〈身体よりも小さいこの盾で、全身を覆う〉だ。
 正面に突き出して敵の攻撃線をいつでも遮蔽できる、弓を引き絞ったような構えで、利き手の武器は縦横自在に飛ぶ近距離専用の矢のように意識する。
 その身体と培った技が弦がわりだ。

 盾に敵の攻撃を見せるように遮れば、攻撃は弾かれ、流され、阻まれる。
 これより大型の盾は受け止めるんだが、この盾は〈逸らす、受け流す〉ために角度を用いた防御が大切で、回避の補助にするのが理想だ。
 矢のように突き出して攻撃を殴れば、最大の威力を発揮する前に撃ち落とせる。

 敵の攻撃に備えれば打撃力を軽減できるし、呪文による攻撃や眠りの雲のようなものまで弾き遮蔽して、効果を緩和することもできるだろう。

 軽戦士の武器は軽いものが多い。
 今使っている小剣(ショートソード)は、剣舞で使うのには向いているがあまり武器を受けられないだろう?

 受けに関する動作を盾に割けば、カウンターで斬撃や突きも出しやすくなる。
 二刀流という手もあるんだが、ラムーナは右利きだったな?
 片手武器を使うなら、逆手で重し代わりに持つとバランスがとれるぞ。
 その上で跳躍や走駆を妨げないぎりぎりの重さやサイズだ。
 
 バックラーは小さいから扱うには小器用さも必要なんだが、お前は身体能力に優れていて相性は良い。

 お前の良さでもあり悪さでもある大胆さは、防御を疎かにしがちだ。
 迷い無く吶喊できる速さで敵に先んじれば優位にも立てるが、ゴブリンや狼のような自分と同程度か小さい体格の敵とぶつかり合うのであれば軽い打ち身で済むとしても、ガタイの良い相手が出てきたら必ず圧し負ける

 武器の重量で自重を少し増やし、体当たりをしても平気な堅牢なる当たり部分に活用して、体力面を補える点もこいつの強みだ」

 シグルトはラムーナに分かり易いように、細かく利点を挙げて振り方や扱い方を教える。
 目を輝かせて聞いていいたラムーナだが、値札を見てショックを受けたように硬直した。

「これ、銀貨四百枚もするよ…他のも高いし。
 あ、この木のやつなら私の手持ちでも買えるかな?

 防具って高価なんだねぇ」

 並んだ商品の一つ一つがちょっとした技能書より高いことに、ラムーナはちょっぴり及び腰である。
 不意に思い出すのは目を三角にして怒るレベッカだ。

 手に取った一番安い木製のバックラーは銀貨五十枚。

「木製のはやめておいた方がいい。
 軽くて扱いやすいし安価ではあるが、すぐ壊れて使い物にならなくなる。

 金属製なら金属部分を打ち直して歪みを均してもらえば長く使えるし、攻撃を食い止める防御性能も優秀だぞ。

 安価な品物にはそれなりの理由があるものだ。
 〈安い買い物は財布からお金を引き出す(Bon marche tire l'argent de la bourse.)〉という先人の言葉に従えば、今金を使っても良いものを買うべきだ。

 今回は俺の話に付き合わせたのだから、この盾には俺が金を出そう。
 ロマンにも何か奢るべきなのだろうが、あっちは思った以上に得るものがあったようだからな」

 シグルトの視線が眺める先を見れば、興奮したようにロマンが店主を質問攻めにしていた。
 子供に防具のことを語るのが好ましいのが、主人もまんざらではない様子だ。

「私は、やっぱりいいよ。

 シグルトこそ防具を買わないの?
 戦いで一番攻撃が来るのは、リーダーで戦闘指揮を担当してる方も同じだよ?」

 〈欲しがりはいけない〉という気質を持つラムーナは、金を使うことに遠慮をする。
 献身的な姉が無理をして自分を救ってくれ、家族のために無茶をさせられた姉は死んでしまった。そのことが心的外傷になっているのだ。
 まして、先日技能を学ぶために貴重な資金を出してもらったばかりである。

「確かに、俺も軽量の鎧か鎖帷子、あるいは籠手のような物がほしいとは思っている。
 革製ではなく金属の奴だ。
 だが、俺の今の手持ちでは少々及ばなくてな。

 実はお前たちと別れてからやった仕事で、結構な額を稼ぐことができた。俺が持っている金はその時の分け前と自分で稼いだ分のあまりなんだが…
 俺の防具の方は額がもっと大きいから、レベッカと合流してから相談しよう。

 お前が心配しなくても、俺は防御のやり方は心得ているし、旅先で得た新しい力もある。
 その新しい力に関して、ジンクス程度なんだが…普通の鉄製の鎧とは相性が悪い。
 両手で剣を振るうタイプの俺は、盾の方は常用として装備することには向いていないから、そっちも保留だ。

 お前に盾を勧めるのは、戦闘指揮担当としての俺の要望でもある。
 同じ前衛として、ラムーナに防御力を強化して貰えば俺の負担が減るからだ。

 ちゃんと考えて、必要だと思って金を出すわけだから、遠慮はするな」

 ラムーナは「それなら」とシグルトの厚意を受けることにする。

 誠実な性格のシグルトは、本当にそう思った言葉を口にする。
 仲間に対して配慮もするが、実利を踏まえて「必要だから」と彼が言った場合、深い配慮がされていることを、"風を纏う者"の誰しもが知っていた。

 生まれから卑屈にならざるを得なかったラムーナは、ずっと遠慮をしてきた。
 自分が役立たずになることがとても怖かった。そう断じられて親に捨てられたから。

 シグルトは、生きる術を示し与えて役を振り、ラムーナのそういった不安を払拭してくれる。

 シグルトが鉄製の鎧を避けているのは、最近習得した精霊術への配慮からだ。
 精霊は嗜好として鉄を嫌う。鉄の精霊は魔力や他の精霊を食らうと言われ、妖精の悪戯を避けるまじないや魔除けに使われていた。

 トリアムールならば気にはしないだろうし、精霊術を振るえるほどの絆ができた精霊はその程度で術者を見限ったりはしないだろう。
 それでもこだわるのは、配慮を尽くすのが自分に力を貸してくれる精霊への礼節だと思っているからだ。

 自然から転じて生まれた精霊は、何気ない純粋な気配や気遣いに敏感である。
 レナータが「精霊たちを強く惹き付ける」と評価したが、精霊に向ける好意や感性が備わっていてそれに精霊が共感を示してくれるのも、シグルトの目に見えない才能だ。

 悪意や無遠慮な態度は人間同士でも感じ合うもの。
 人間の想念や信仰の影響を受け、長い年月をかけて生まれた精霊は、より精神性が強く、それ故に感情に敏感だ。

 深い慈愛と、疑い無く役目を委任し、決定の責任から逃げない強い信頼。
 彼が持つ強さでも美しさでも知恵でもない…自然に内から溢れる高潔な精神と情愛こそが、後に彼が〈英雄の気質〉と評価される根本であった。

「ねぇシグルト、あれは?
 高価な鎧の中でもとっても安いよ!」

 バックラーを購入することに決め、店主に品物を差し出す途中で見かけた表面積がとても小さい鎧を、ラムーナが指差す。
 ロマンがそれを何気なく確認し、瞬時に頬を赤く染めた。

「ああ、あれか。

 やめておいた方がいい」

 シグルトはちらりと見てから、論外という風に首を横に振った。
 盾を受け取った店の主人が、何とも残念そうに舌打ちする。

「どうして?
 私みたいな軽戦士の人がよく着けてるよ。

 じゅようがあるなら、何か意味があるんだよね?」

 購入を決めた金属盾の半額の値段である。
 特に、ごく軽装の女戦士が好んで身に着けているのを見かけた。
 素肌に直接つけて、胸部だけを覆うのに使っている。
 動きやすそうなので見かける度、気にはなっていたのだ。

「…あれはな、ラムーナ。
 色仕掛けをするための鎧だ。

 女性が際どい服装をしていると、一部の男は感情を乱される時がある。

 そういう〈女の武器〉を使うというのも、戦術ではあるのだろうが…防具としての守備力は着けるだけ無駄かもしれん。
 お前が〈女の武器〉の使い方を学ぶとしたらレベッカが適任だろうが、たぶんあいつなら"まだ早い"と言うだろう。

 あんな薄い鎧を使って防御するぐらいなら、最初から攻撃を避けたほうが良い」

 ラムーナが手に持った【乳鎧】について、きちんと説明してくれた。聞かれたことは誤魔化さないあたり、実にシグルトらしい。
 その目は何故か「絶対に止めろ!」と無言の圧力を発しているが。

 異様な目力に、ちょっとだけラムーナは引いた。

 ロマンは何かを想像したのか、頭から湯気を立てたように真っ赤になって鼻の頭を押さえている。

 店主は盛大に溜息を吐いた…「男の浪漫なのに」とぼそりと呟いて。

「そう?じゃあ、やめるね…」

 賢明なラムーナは自分の好奇心を押し殺し、薄っぺらい鎧をそっと商品棚に戻すのだった。


 冒険者たちの余暇をまとめて、書下ろし部分を加えたエピソードです。

 ラムーナの習得した【連捷の蜂】、実はこれ私がギミックの基本を組んで、名付け親も私だったり。
 【連捷】という字は、素早さを意味する敏捷という字を辞書検索していた時、【連勝】の同義語で出てきてほれ込んで使ったものです。【連勝】より字面が好いと思ったもので。連続で猛攻して勝ち続ける蜂のような攻撃ってイメージ、ぴったりでしょう?
 アレトゥーザの闘舞術というジャンルそのものが私が強く関わったものだったりします。
 アデイの隠しスキルもギミックの骨子は私が組んだものでして、思い出深いものだったりします。
 …スキルそのものが我が子のように感じているものでして、ちょっぴり自慢はお許しくださいね。

 闘舞術は、身体能力を強化したり動きを束縛する呪縛に強い武芸で、物理攻撃が効かない敵にやや不利(【咒刻の剣】だけが例外)ですが、本来戦士が持て余しがちな付帯領域(召喚獣スペース)を使って総合力を上げるという召喚式ギミック武技の先駆けになったのではないかなと。

 アデイのイベントに出てくる悪役の元本とか、私の古いリプレイに出てきたりしますので、よろしければ読んでみてください。

 【連捷の蜂】は威力を抑えつつも、「便利で強い」と動画やリプレイ、レビューなどで好評なスキルです。
 「蝶のように舞い(【幻惑の蝶】)、蜂のように刺す(【連捷の蜂】)」という、ヒットアンドウェイを意識した構成は、レベル7で召喚獣が3つになると余すことなく発揮できます。
 次のスキルを呼び込むという動作で低レベルでも使いやすく、高レベルになれば全体攻撃として使える伸びしろの深さが魅力的でしょうし、狙撃が不安定な召喚獣の攻撃は使わずに次のスキルを引っ張るためだけに使えばギミック戦でも強いという応用性もポイントです。
 威力バランスや命中精度は、低レベルスキルとして結構絶妙な配分になってたのではないでしょうか。
 私のギミックスキルのルーツでもあります。

 ラムーナの不幸なお話がありますが、いま彼女は仲間たちととても幸せです。
 彼女の性格的な、依存と不安もまた今後の展開で語ることになるでしょう。

 ロマンのエピソード、書下ろしです。
 報奨金制度は私の方でストーリー的にでっちあげたのですが、これはいつものY2つオリジナルということで!
 
 ダナのお話ですが、ダヌの変形であるアヌ…アンヌは、聖母マリアの母親の名前、リアルでイエス・キリストのおばあちゃんとされる聖人です。私個人の見解では、キリスト教の父性的表現では取り込めなかった女神信仰勢力を、聖母マリアに母性と普遍的な女神(地母神)信仰を吸収し、聖女としてブリジットやダヌのような信仰の盛んだった女神信仰を習合し、ヨーロッパ圏の異教徒をキリスト教に吸収したのではないかなと。
 それっぽい歴史的背景から、カードワースの方にフィクションとして吸収するにあたり、扱いをこんなのにしてみました。私のリプレイの方の表現はリアルの宗教はフィクション的扱いで関係が無いと明言致しますので、そういうことで深い突込みは無いようにお願い致します。

 本当は「3人でいっちょやるか~」とできそうなシナリオを探していたのですが、どうも軽くエピソードに取り込めそうなシナリオが見つからず…(いくら特殊型がいてもたった3人で回復役がいないのは無茶だと気付かされました)、せっかくなので戦力補強として拙作の『防具屋』を対応してみました。

 『防具屋』制作中に感じたことですが…見切り+回避力アップバフ、たぶんすごい強いのではと。
 ラムーナに軽量盾を装備させたいな~というのは、旧リプレイの頃から感じていたことです。
 ただ、私が『防具屋』で考えて紹介した『能動的防御ができる防具』自体が業界に少なくて、今までできなかったんですね。
 ちょびっとした戦力強化ですが、製作者としてその強さを実地で紹介できれば幸いです。

 今回は【金属小盾】購入で支出-400SP。
 買うのがもったいないかな~という人は、某シナリオで手に入る壊れ物を修理して使ってみてください。
 半額で使えるようになりますよ。(これは直ても全く儲からないのですが…)


 〈著作情報〉2018年05月30日現在
 カードワースはgroupAskに著作権があり、カードワースの管理、バージョンアップ、オフィシャルな情報等はgroupAsk official fansiteにて、カードワース愛護協会の皆さんがなさっています。

 このリプレイは各シナリオをプレイした上で、その結果を小説風リプレイとしてY2つが書いたものです。
 書かれた記事、書かれる記事は、特定のシナリオの名前が出たときは、そのシナリオの著作権はすべてそのシナリオの作者さんにあります。

 リプレイ環境であるCardWirthPy Rebootは2018年2月1日リリースされたCardWirthPy 2.3 - CWXEditor同梱版に拙作のカードワースダッシュStandard Editionを使ったスキンを作成してプレイしているものです。
 CardWirthPy Rebootは同名の開発サイト
 ( https://bitbucket.org/k4nagatsuki/cardwirthpy-reboot/wiki/Home )で配布されています。
 カードワースダッシュStandard Editionはこのブログのリンクから行ける、Y字の交差路別院にて配布しています。
 エンジンと付属物の著作権・開発状況・その他の情報は各配布元を御参照ください。

 【CW:リプレイ】、【CW:リプレイ、R】、【CW:リプレイ2】、【CWPyDS:リプレイ】等で書かれた記事、書かれる記事は、特定のシナリオの名前が出たときは、そのシナリオの著作権はすべてそのシナリオの作者さんにあります。
 また私がお預かりしているMartさんの“風を駆る者たち”リプレイの記事を参考にした内容は、それぞれのシナリオそのものの著作権はそれそれの作者さんにあり、参照記事はMartさんに著作権があります。
 御了承下さい。

 リプレイ中に使われる内容には、各シナリオで手に入れたスキルやアイテム、各シナリオに関連した情報等が扱われることがあります。
 それらの著作権は、それぞれのシナリオの作者さんにあります。
 またカード絵等の素材に関しては、シナリオ付属の著作情報等を参考にして下さい。

 『碧海の都アレトゥーザ』はMartさんのシナリオです。現時点でVectorにて配布されています。
 シナリオの著作権は、Martさんにあります。
 このリプレイの時のバージョンはVer1.22です。

 『防具屋』はY2つのシナリオです。
 シナリオの著作権はY2つにあります。
 このリプレイの時のバージョンはVer1.04です。
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