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『夜明けの鳥』

2018.09.15(02:14) 477

 月のない夜。
 危なげもなく暗い道を颯爽と通り過ぎる。

 冒険者を始めてから、暗がりには慣れてしまった。
 野宿をすれば、大抵周りは真っ暗である。

 松明や焚火の炎は、魔法の光のように大きく明るくはならない。
 微かな光を頼りに野営を行い、凶悪な獣や夜行性の怪物たちを相手にし、時には真っ暗な坑道や洞窟、光の届かないダンジョンに挑む生業だ。

 時刻はすでに夜半過ぎ。
 シグルトはこの日、夜遅く帰還した。
 
 少し遠方まで新しく宿のメンバーとなった、アンジュの身元保証人を探していたのだ。

 暗がりの中、ようやく宿に帰りついたのは、街の明かりがほとんど消えてしまった後である。

 この時代、人が寝静まるのは早い。
 灯りに使う油代も馬鹿にならないため、普通の民家は、日が沈むと夕食を採り、程なく就寝する。
 遅くまでやっている酒場でも、夜中まで開いている店は少ない。

 逆を言えば、この時間まで営業しているのは、世間一般でいかがわしいと呼ばれる類の店や売春宿であった。

 これほど遅い時刻でも、シグルトのために『小さき希望亭』の扉は開けられている。
 宿の扉を開けると、宿の主人ギュスターヴがまだ皿を磨いていた。

「おお、シグルト。

 こんな遅くまで御苦労さんだな。
 やっと帰ってこれたか」

 笑って出迎えてくれた親父に、シグルトはすまなそうに頭を下げた。

「起きててくれたんだな。

 ただいま。
 迷惑をかけてすまない」

 親父は気にするな、と皿を置いてシグルトに向き直った。

「ちょいと明日の仕込みがあってな。

 腹空いてないか?
 何か作るぞ」

 親父の温情に感謝しつつも、シグルトは丁重に断る。

「夜半に何か食うと、寝起きが悪くなる。

 夕食は立ち食いできる屋台もので済ませてあるから、もう休むよ」

 そう言って、自室に向かおうとした時である。
 宿の扉をノックする、小さな音が聞こえた。

 親父は訝しげに首を傾げた。
 対応しようとする親父を止め、シグルトが扉を開けて外を確認する。

「…こんな夜分に、いったい何者だ?」

 扉の向こうにひっそりと立っていたのは、少女と見紛う、華奢な体格の少年であった。
 飾り気の無い濃灰色の外套を凝ったブローチで留め、同色の短衣を纏った姿は、夜の闇に薄らと溶け込んでいる。

 シグルトは表情を緩め、諭すように聞いた。

「こんな遅くに、君のような子供が一人で何用だ?」

 俯いていた少年は、少しためらった様子だったが、決心したようにゆっくりと顔を上げる。

「ここで、仕事を依頼出来ると聞いたんです」

 仕事、という言葉にシグルトは眉をひそめた。
 直感が、「やっかいごと」だと告げている。

「依頼、か。

 君が仕事を依頼しようというのか?」

 シグルトが訪ねると、「そうだ」と言う様に、少年は一生懸命頷いた。

 思いつめた表情は、少年を大人びて見せる。
 この子に優れた教養があることを、シグルトは何となく感じ取っていた。

(貴族か、あるいは教育を受けた商家の子供だろう。
 
 礼儀正しいが、夜半に訪ねて来る非常識…まっとうな依頼ではないな)
 
 シグルトは少し考え、親父にどうすべきか尋ねた。

 この宿の主は彼なのだ。
 依頼を受け入れるかも、彼が決めるべきである。

 ふむ、と親父はカウンターから出て来た。
 少年の前に立つと、厳つい顔を精一杯弛めて屈み、声を掛ける。

「今晩は、坊や。

 仕事の依頼だって?」

 親父の問いに、少年がこっくりと頷く。
 真剣な表情は、ちゃんと話そうという少年の誠意が溢れていた。

「ふむ、なるほど。

 だが、坊や。
 仕事を依頼するにはお金がいる。
 
 こいつのような大人に働いて貰うには、報酬を用意してやらないといけないからな。

 それは分かってるかい?」

 現実的な話だ。
 しかし、報酬はけじめでもある。

 宿を通した依頼の場合、ただ働きにすることは決してできないのだ。

 冒険者は遊びでやる仕事ではなく、命を賭けることすらある。
 仕事を選び、それを自らの意思で受け成し遂げることは、冒険者の大切な矜持である。
 無料で働かせるということは、その矜持を安く見られる侮辱に等しい行為だ。

 どんなに相手が哀れでも、冒険者として依頼を受ける時は、最低限の報酬を受け取ること。
 たとえ銀貨一枚、酒一杯であっても、報酬が無いのは「失敗した時」と「奉仕活動」以外してはならない。
 それが、命を懸けて仕事をする冒険者という稼業である。

 頷く少年に、親父も優しく頷き返す。

「なら、明るくなってからもう一度おいで。

 今度は親御さんといっしょにな。
 御両親が許してくれたなら、仕事の話をしてやろう」

 横でシグルトもそうした方が良い、と頷いて見せた。

 少年は唇を噛みしめ、再び俯いてしまう。

 本当に華奢な少年だった。
 首筋も肩も細く、肌は血管が透けるように白い。

「両親は、いません」

 少年の言葉に、親父とシグルトは表情を引き締めた。

(親のいない子としては、身なりも態度もしっかりとしている。

 やはり、やっかいごとか…)

 シグルトが心の中でそう結論付けた時、少年は再び顔を上げ、勢い込んで話し出した。

「僕はお金を持っていません。

 でも、代わりに〈これ〉を持っています」

 少年が取り出したのは、美しい紫輝石を使った精緻な細工の指輪だった。

「これはまた…えらく高価な指輪だな。

 坊やのかい?」

 親父が訪ねると、少年は頷く。

「はい。

 僕には、この指輪と…アジェイだけなんです!」

 少年の言った言葉に、親父とシグルトは首を傾げる。

「…鳥です。
 僕の、大切な友達なんです。

 どうかアジェイを助けて下さい!

 この宝石では足りませんか?!

 仕事は、明日の晩だけなんです。
 時間も掛かりません」

 必死に見上げる瞳は、とても純粋で一途だった。

「…親父さん。
 込み入った事情もあるようだし、ここで居合わせたのも何かの縁だ。

 親父さんの許可がもらえるなら、俺が話を聞くが、どうだろうか?」

 シグルトは少年の顔を見て、腹を決めた。
 子供がこんな顔をする時、どれほど必死なのかを良く知っているからだ。

 何故なら、自分もそうだったからだ。

 幼少期にシグルトが育った故国は、封建的な風潮が強く残る貧しい国だった。
 自然、子供の地位とは低いものである。

 真剣に大人に訴えても、大人ははぐらかすか取り合ってくれない。
 泣いたり愚図ったりすれば、大人は叱るか殴りつける。

 目の前で狼に食われて死んだ幼馴染みもいた。
 口減らしのために売られていった友人もいた。
 厳しい冬に病気で死んでしまった仲間もいた。

 気が付けば、シグルトの子供時代からの知り合いは、半分以上が周りから姿を消していた。
 子供の身分で無力だったシグルトには、何もできなかったのである。

 シグルトが子供であるという立場の無力感に苛まれていた頃、彼の母は生家を断絶され弱い立場だった。
 だからこそ、真剣に子供の話を聞いてくれた。

 一緒に悩み、言葉を聞いてくれる大人の存在は心強かった。
 シグルトの人格形成は、そんな母の影響を強く受けていた。

 だからこそ、シグルトは母と同じく必死になる子供の話を真剣に聞いた。
 むしろ、大人よりも純粋な子供の考えには、沢山の真実がある。

 古臭い考え、と言われることもある。
 でも、シグルトにとって力無く喘ぐ子供たちは、過去の自分であり、守るべき弱者なのだ。

「うむ、お前なら間違いないだろう。

 運の良い坊やだな。
 この男は、うちの宿でも一番頼りになる奴だ。
 安心して話していいぞ。

 さ、入ってお座り。
 わしは飲み物でも用意しよう」

 親父の言葉に、少年は何度も頭を下げて礼を言った。


 宿に招き入れた少年をテーブルの向いに座らせ、シグルトも席に腰掛ける。
 景観が物珍しいのか、少年は落ち着か無い様子で周囲を見回していた。
 
「まず名乗っておこう。
 
 俺はシグルト。
 “風を纏う者”というパーティに属す、この宿の冒険者だ。
 
 本業は戦士で荒事が専門なんだが、今は武器を鍛冶屋に預けているところで、半休業状態だ。
 頼りないかもしれんが、よろしく頼む」

 後半は肩をすくめ、冗談めかして言う。
 少年の緊張した表情が少し緩んだ。

「よければ、君の名前を教えてくれるか?」

 相手が少年でも礼儀を尽くす。
 誠実なシグルトらしい態度である。

「僕のことは…フェンと呼んで下さい」

 シグルトは、うむと一つ頷いた。

「御両親がいないと言っていたな?

 差し障りが無ければ、他の家族のことを話して貰えないか?」

 フェンと名乗った少年は、首を横に振った。
 「いない」という意思表示だ。

「言い難いことを聞いたかもしれないな。

 謝罪しよう」

 静かに頭を下げるシグルトに、フェンが慌ててもう一度首を横に振った。

「僕みたいな子供に、謝る必要なんてないです。

 どうか、頭を…」

 そこでシグルトはすっと元の姿勢に戻ると、困ったように口を引き結び、フェンを見据えた。

「…君は依頼主だ。

 俺が礼を尽くすのは当然だし、年齢は関係無いと思ってる。
 君が始めて会った俺に、礼を尽くすようにな。

 正しいと思うことに、卑屈になってはいけない。
 それは、依頼主である君に俺が求めることでもある。

 そういう関係から生まれた契約は、互いに誠意を尽くすべきものにもなるはずだ。
 
 分かるね?」

 諭すようにシグルトは語りかけた。
 
 シグルトは故郷でも年長者で、兄貴分だった。
 後輩を導いて来た習慣とでも言おうか、導くべき者がいた時は少しお節介を焼くことがあるのだ。

 多少説教臭いものの、強制まではしない彼の態度には、虚栄心や高慢さが無い。
 彼にお節介を焼かれた者で、不快に思う者は希だった。

 フェンは少し考えて強く頷いた。

「よし、では話の続きをしよう。

 何処に住んでいるか教えてもらえるか?
 身許を知っておくのは少し大切なことなのでな」

 フェンは困ったように黙って首を横に振った。
 答えられないということだろう。

 シグルトは「やっかいごと」に巻き込まれたと、確信した。
 この手の隠すことがある依頼人には、面倒な背景がある場合が多い。
 
 フェンが報酬に提示した指輪も、ただの子供では持てない高級品だ。

「分かった。
 では次の質問をしよう。

 報酬についてだ。

 どんな品か確認する必要があるのでな。
 契約を交わす上で重要なことだから、無礼を承知で聞かせてもらう。

 この指輪は、君の持ち物か?
 誰から、どのように手に入れた?

 それを教えてくれるか?」

 物品で報酬をもらう場合は、盗品でないこと、曰くつきでないことを確認するのが基本だ。

 売り買い出来ない価値の宝物(国宝など)だったり、品物の所有権が一人では無かったりすると、大変拙いことになる。

「これは間違いなく、僕の物です

 嘘ではありません。
 父が、母に贈った…形見なんです」

 形見、という答えに、シグルトは眉をしかめた。

「…とても大切なものなんだろう?

 それを報酬にして、後悔は無いか?」

 シグルトは、フェンの誠実な瞳を見つめ、その上で最終確認をした。
 大切なものを報酬にするのは、それ以上に大切な依頼である、ということだからだ。

「…僕にはこれしか…

 これでは駄目ですか?
 お金で支払いしないと駄目なのですか?」

 真剣なフェンの様子に、シグルトは首を横に振って金銭以外の報酬もありうると示した。

「俺が確認したかったのは、後悔しないかだ。
 大切なものでも、報酬として差し出したならもう手に戻らないからな。

 君が真剣なのは分かった。

 …いいだろう。
 依頼内容を聞いて決めたい。
 詳しく話を聞こう。

 アジェイという名前の鳥を助けてほしいと言っていたな?
 その鳥を探し出せばいいのか?」

 フェンは首を横に振った。
 シグルトの言葉に否定すべきところがあるのだろう。

「アジェイは、隼に良く似た鳥です。

 でもただの鳥ではありません。
 僕の…大切な友達なんです。

 逃げたわけではないので、探せという依頼ではありません」

 一つ呼吸を置き、フェンは話し続ける。

「アジェイは…囚われています。
 ある屋敷にずっと。

 それを助け出して欲しいんです」

 シグルトは、質問しつつ続きを促す。

「君の友と呼べる鳥が、囚われいる。
 
 助け出して欲しい、ということは…
 アジェイは、さらわれたのか?」

 アジェイを人間のように「さらわれた」と評したのは、少年の思い入れを汲んでのことである。
 
「さらわれた、わけではありません。

 ただ、僕と…離れ離れにされてしまって!
 無理やりに…取り上げられたんです!!

 僕の、僕の唯一の…

 お願いですっ!
 助け出して下さい!!!」

 息巻くフェンを宥めるように、シグルトは頷いて見せる。

「君の気持は察しよう。
 だが、もう一つ確認しておかねばならん。

 生々しい話で悪いが、アジェイの所有権…保護者である権利のようなものは、君とアジェイをの間を引き裂いた人物に移っていないか?
 あるいは、君以外の所有物になっていたり…

 金銭で無理やり買い取られたり、一時その身を借りていたわけでは無いのだな?」

 シグルトは、その所有権を知らねば依頼は受けないつもりだった。
 結局、一番大切なことなのだ。
 
 もし、他者に権利があれば、シグルトは窃盗犯になってしまう。
 解決するには、助け出す(奪い取る)よりも穏便(買い取る)に解決しなければならない。

「ありません。
 
 僕の鳥です」

 きっぱりとした答えに、シグルトはさらに頷いて話を進める。

「ならば、君からアジェイが取り上げられた理由は分かるか?」

 フェンは黙り込んでしまう。
 分からないか、話せない理由があるのだろう。

 だが、この少年が黙ってしまうのは誠実で嘘がつけないからだ。
 シグルトは、短い会話の中でそれを感じ取っていた。

「話したくないか。

 ふむ、いいだろう。
 条件を添えていいなら受けるとしよう」

 シグルトの言葉に、フェンは嬉しそうにぱっと白い顔を紅潮させた。

「あ、有難う御座います!!
 
 有難う御座いますっ!!!」

 安堵に満ちた笑顔は、年相応の少年のものであった。

「慌てるな。
 もう少し詳しい話を聞く必要もある。
 
 俺の条件も言ってないしな」

 フェンは何度も頷いて、「もちろんだ」と請け負った。

「そうか。
 ならば、具体的な内容を聞こう。

 俺にどのようにアジェイを助けてほしい?」

 シグルトが聞くと、フェンはもう一度しっかりと頷いて話し始めた。

 
 フェンの話では、リューン近くにある『樫の木荘園の屋敷』に、アジェイが囚われているらしい。

 場所は二階建ての屋敷の一階。
 大きな籠に閉じ込められているそうだ。

 忍び込んで助ける期日は、明日の夜。
 
 理由は、その荘園に人がいなくなるからである。
 持ち主が戻ってくるが、別件で使用人が他に出払うらしいのだ。

「分かった。

 そこへ忍び込んで、アジェイを救えば良いのだな?」

 シグルトが助けた後のことを確認すると、フェンは首を振って違うといった。

「…アジェイを連れ出したら、屋敷から離れた場所で夜明けを待って、空に放してやってほしいんです」

 珍妙な依頼から、シグルトはあることを確信していた。
 この儚げな少年に会った時から、なんとなく感じていたある種の予感。

 そう、この子供はまるで、死に逝く者が身辺整理をするかの如く焦っていると。

「君の鳥なんだろう?

 本当に放して大丈夫なのか?」

 シグルトの問いに、フェンは口を引き結んで頷く。

「大丈夫です。

 アジェイは賢い鳥です。
 帰り道は自分で見つけられます」

 シグルトはそこで、フェンの依頼をはっきり請け負うと示すため、深く頷いた。

「俺は先ほど、俺は条件付きで受けると言ったな。

 その条件を君が飲めば、依頼を受けよう。
 いいか?」

 フェンが緊張した様子で首肯する。
 自分が出来ることは何でもすると、言うかのように。

「俺の条件は、<人命優先>ということだ。
 アジェイに関することで、人命に関わる問題が発生した場合、この依頼は止めるか手段を変えさせて貰う。
 
 他人の屋敷に忍び込むのだ。
 場合によっては、戦闘も覚悟しなければならない。

 その時、俺は人殺しをしてまでそれを行うわけにはいかない。
 速やかに撤退する。

 誰かが仕事中に命の危機に瀕した時も、同様だ。
 その人物を助けねばならない場合、そっちを優先する。

 他の緊急の依頼で、命に瀕した者がいる時も。
 必然、君の依頼の優先順位は悪くなるだろう。

 失敗も、もちろん有りうる。
 その場合、報酬はいらない。

 この条件で構わないか?」

 フェンは少し考えて、しっかりと「それで良い」と頷いた。
 すぐに指輪を差し出す。

「まだ依頼は達成していない。
 俺はこんな高級品を貰っても、依頼失敗による違約金は払えない。

 こういう場合、報酬は後払いが原則だ。
 それは君が持っていると良い」

 シグルトが微笑んで指輪を返そうとすると、フェンはそれを拒んだ。

「…いいんです。
 僕は、シグルトさんを信じます。

 違約金も要りません。

 子供の僕の話を、ちゃんと聞いてくれたシグルトさんが選ぶことです。
 シグルトさんが優先するなら、きっとそれはもっと大切なことだと思います」

 爽やかな表情であった。

「僕…よかった。
 ここでアジェイのことを頼めて。

 もちろん、アジェイを自由にして下さることは信じています。

 でも、万が一上手くいかなくても…
 此処で、アジェイを託すことを決めた事は後悔しません。

 …シグルトさんを信じたことも」

 そう言って、フェンは立ち上がり宿を出ようとした。

「俺も君の信頼に応えられるよう努力しよう。

 だが、約束だ。
 〈人命優先〉の、な」

 もう一度確認したシグルトに頷いて、フェンは去っていく。
 シグルトが送ろうと言ったが、丁重に断られた。

 宿を出て一人行くフェンの後姿を眺めるシグルトは、どこか苦悶の表情をしていた。
 まるで、誰かを騙したことを悔やむように。


 フェンを見送った後、シグルトは報酬の指輪を摘むと、そのまま厳しい気配を放ち警戒態勢に入った。
 入り口を睨みつけ、叱りつける風に鋭く言葉をかける。
 
「入って来い。

 先ほどから覗いていただろう?」

 やがて、応えるように入ってきたのは、鋭い目付きをした黒衣の男だった。

「勘のいい奴だ。

 それに隙が無い。
 腕利き、ということか」

 男はシグルトを見やり、片頬を吊り上げて刻薄に笑った。

 無遠慮に宿の中を歩きながら、シグルトに向かって近づく。
 あと数歩と言うところで立ち止まり、声低くシグルトに詰問する。

「…さっきの子供は、お前たちに何を言った?」

 不躾な男の問いに、シグルトは眉をひそめる。
 
「先ほどの子供の方がよほど礼儀正しかった、としか話せないな。

 基本的に、依頼人との契約内容は秘密にするのが俺たちの掟だ」

 シグルトの拒絶的な返答に、男が低く嗤う。
 侮辱の意図がありありと感じられたが、シグルトはさらりとそれを受け流した。

「いい返答だ。

 冒険者の鏡というところか」

 男はシグルトを真っ直ぐ見つめ、そして手を差し出した。
 
「では、その指輪を返してもらおう。

 私があの子に返しておく」

 シグルトの答えはもちろんノーだ。
 すぐにその手を下げろとばかりに、首を一度横に振ってぞんざいに促す。

「俺は彼から仕事を受けた。
 これは彼の信頼の証だ。

 たとえ大金を積まれても、依頼が済むまでは誰にも譲らん」

 大金、と聞いて男はまたにやりとした。
 重そうな袋をどさりとカウンターに置く。

「…銀貨で二千五百枚ある。
 その指輪を、好事家に売ったところで千五百か二千か。

 代わりとしては、これで十分だろう?」

 その時、それまで黙って話を聞いていた宿の親父が、唐突に笑いだした。

「ハッハッハ、何とも馬鹿げた話だ。

 お前、こいつを誰だと思ってる?
 うちの宿で最も約定を重んじる、“風を纏う者”のシグルトだぞ?

 どれほど大金を積まれても、そいつは動かんよ。
 国と交換すると言われたって、あの子供との約定を違えるものか。

 さっさと帰れ、胸糞が悪い」

 一転して男を拒絶する宿の主人。
 シグルトも頷いて、首で出て行くよう示唆する。

「依頼について、他人が口を出すこといではない。
 
 貴様の無礼には目を瞑ろう。
 さあ、お帰り願おうか」

 男は剣呑な目でシグルトを睨み据えた。

「…その気は無いと言ったら?」

 双方の視線が火花を散らす。

 シグルトは、何時でも迎撃する備えを取った。 
 剣は無くとも、体術と精霊術で応戦するつもりである。

 唐突に、男は堰を切ったように笑い出した。

「たいしたものだ!
 …あいつの人を見る目は確かだ。

 気に入ったぞ。
 先ほどの無礼は謝ろう」

 男は銀貨の袋をしまうと、優雅に、だが道化じみた態度で慇懃に一礼した。

「ただし、あの子がお前に何を頼んだとしても、それが実現することは無い…俺が必ず邪魔をするからなっ!」

 男はそう言って笑いながら、風の様に戸口から外に飛び出して行った。
 「窓枠を土足で汚すな!」と、親父が怒鳴ったが、すでに男の姿は跡形もない。

(あの男…やはり調べる必要があるな)

 シグルトは、元よりやっかいごとだと覚悟の上だ。
 
 男の去り際の瞳がどこか気になっていた。
 彼の眼は、無理をしておどけているだけにしか見えなかったからだ。

「どうするんだ、シグルト?

 こいつは…」

 親父の言葉を制して、シグルトは微笑んだ。
 心配無用、と。

「…あの子供のことだろう?

 少々卑怯かもしれんが、手は打った。
 子供を欺くようで嫌だったのだがな」

 親父がハッとする。

「それでお前、あんな約束を…」

 シグルトはそれに頷くだけで応えると、指輪を取り出して見つめた。

「親の形見を取るつもりなど、端から無い。
 ただ働きにはならない形にどこかで埋め合わせて、事後交渉でもするさ。

 大人として、関わった子供が困っているなら応えねばなるまい。
 特に、あんな良い子の場合はな」

 シグルトの瞳は、強い決意に満ちていた。


 次の日、シグルトは早朝から起き出した。

 親父に伝言を頼み、雑事で捕まる前に早々と宿を出る。
 まずリューン市内に向い、例の指輪について調べ始めた。
 
 最初は親父から聞いた、高級貴金属を扱う店を探し、指輪の出所を探す。
 間も無くダンクスという、有名な工匠の作であることを突き止めた。

 工房の主は、シグルトの見せた指輪を見せると大変驚いた。

 そこで聞いた話は、指輪を贈られた〈ディーリアナ〉という姫君についてである。

 かつて、この都市に療養に来ていたディリス王国の王女ディーリアナ。
 病弱だったが、美しい女性だったという。

 彼女はこの国にいる時、自らを〈フェン〉と名乗っていた。
 ダンクスの語る王女の容貌を聞き、シグルトはある仮説を立てる。

 〈ディーリアナ〉と、〈フェン〉と名乗った少年の関係をである。

 指輪を作った時期。
 少年フェンが行くように求めた樫の木荘園の館に、昔ディーリアナ王女が住んでいたこと。
 王女が、その主治医だった医者マルスと親密な関係だったという話。
 野盗に襲われてマルスが死んだこと。

 情報はすべてあることを示唆していた。
 
(…やはり、あのフェンという子供は姫君の…

 ならば、あの不可解な依頼が全て繋がる。
 身の危険を感じ、あの子が俺に友の解放を依頼したとしたら…辻褄が合う。

 それに…)

 マルス医師の妹の居場所を聞き出したシグルトは、そちらに向かう途中だった。
 人通りの少ない路地に入る。

 足早に歩いていたシグルトは、咄嗟に身体を横に反らした。
 シグルトの背中があった場所を、短剣の切先が通り過ぎる。

「…先ほどから俺の後をつけていた男だな。

 なるほど、大体俺の予測は当たっていたということか」

 問答無用とばかりに、短剣を振り上げ襲いかかってくる暗殺者。

 シグルトは捻りあげる肘打ちから、伸ばす形で腕を突き出して相手を押しやり壁に追い詰める。
 空いた距離を助走に使い、猛烈なタックルで壁に叩きつけて暗殺者を気絶させた。

 素手による格闘術、捕縛術も、冒険者の重要な能力である。
 武器や小手先の技だけに頼る者は、戦い方が単調になりがちだ。

 シグルトに武術を教えた師は、東方にある華国の戦術書や武術にも通じていた。
 彼は何時も「武具とは肉体の延長にある」と、基礎体術の訓練を重んじていたのである。

 ヴァンドールで修練を積んだせいか、シグルトは実戦の駆け引きに関する勘はほぼ取り戻していた。
 思うように動けない身体はもどかしいが、それでも戦果は確実に高まっている。

 気絶した男を調べつつ、シグルトはフェンが昨晩身につけていたのと同じ形のブローチを見つけ、溜息を吐いた。

(身元の分かる品を着けるなど、愚かな暗殺者もいたものだ。
 この抜かりようは、兵士や騎士のような職種に見られる傾向だな。

 動きはそれなりに訓練されていた。
 戦い方や筋肉の付き方からして、間違いなく正規の武術を経験している。
 暗殺専門ではなく、本職は軍人と観るべきか。

 ブローチの紋章は、昔『貴族名鑑』で見たことがある…
 おそらく、ディリス王国の紋章に間違いあるまい)

 シグルトは、紋章を証拠品として押収すると、今後についてしばし考えた。
 
 結局、気絶した暗殺者は知り合いの自警団員に通り魔か強盗だろうと言って引き渡す。
 シグルトの説明がしっかりしていたせいと、襲った男の格好がいかにもだったので、自警団員は快くその身柄を受け入てくれた。

 そもそもこういう都市部で、刃傷沙汰や魔法による攻撃を仕掛けることは立派な犯罪行為なのである。
 理由はどうあれ、許可無く人を襲ったりすれば、自警団の面子を潰すことになるのだ。

 シグルトは、今までの行いの良さからすぐに「正当防衛」を認められたし、素手で対応し捕縛したことも評価された。
 結局、簡単な説明と調書にサインしただけで開放される。

 暗殺者の方は、身元引き取り人が来るまで檻の中にいることになるはずだ。
 もちろん、失敗した暗殺者を後生大事に引き取る者などいないだろうが。

 一息吐いたシグルトは、最後の確認を取るため、マルス医師の妹であるマチアの店を訪ねるのだった。

 
 薬屋を営業しているマチアに会い、予測通りにディーリアナ王女がマルス医師と恋人関係であったことと、マルス医師の死後に王女がタキーシスという有力貴族と結婚したことを聞き出した。

 マチアはディーリアナのせいで兄を失ったと、最初はけんもほろろだったが、シグルトの誠実な様子に、やがてぽつりぽつりと過去を語ってくれたのだ。

 話すうちに、報酬の指輪はマルス医師がディーリアナに婚約の証として贈ったものであることも判明した。

 さらに、現在リューンに王女とその夫タキーシスが来ていること。
 王女がタキーシスの子を懐妊して、今夜『肥えた猪亭』という高級店でその祝宴が開かれることを知り、シグルトは何かを決意した表情になる。

「聞き難いことを尋ねて悪かった。

 では、失礼する」
 
 シグルトは、詫びに傷薬を一瓶買うと、店を後にした。

 
 歩きながら、今後の作戦を練るシグルト。

(武器が無いのは厳しいな。

 兵士や騎士と遣り合うことになるかもしれんのに)

 そんな事を考えて歩いていると、すっと行く手を遮る者が現れた。
 昨晩の無礼な男である。

 シグルトは彼の出現を予測していたので、ようやく現れたか、とばかりに一つ息を吐く。

「…まだこんなところでうろうろしていたのか。

 あの子との契約とやらは、町をぶらつくことだったのか?」

 失望したように男は肩で嘲笑った。

「調べものだ。
 こんな稼業をしていると、慎重に越したことはないのでな。
 
 話があって来たのだろう?
 場所を変えよう」

 シグルトは、男の返答を無視して歩き出す。

「…一つ聞きたい。

 さっきの刺客は、貴様の差し金か?
 そういうことをするようには、見えなかったんだが」

 歩きながら聞くシグルトに、男は驚愕したように立ち止った。

「…私はそんな卑怯な真似はしない。

 お前が邪魔なら、堂々と自分で止めを刺す」

 憤慨した様子で肩を怒らせる男。
 シグルトは、「やはりな」と相槌を打った。

「昨晩みたいな接触の仕方をする者は、試すか見定めるタイプだ。 
 そんな者が、いきなり一人だけ暗殺者を寄こすなど普通はあり得ん。

 こういった暗殺は数人で囲み、逃げられないよう追い詰めて行うのがセオリーだ。
 一人だけで襲わせるなら、あんな真正面から名札をぶら下げて挑んでくる兵士崩れではなく、忍び足に通じたプロを雇う。

 素人を殺すのでない限りはな。
 例えば、マルスという姫君の恋人のように。

 お前は別行動をする者か、直接あの暗殺者とは関係の無い立場、と観るべきだろう」

 シグルトの洞察力と調べた情報の深さに、男は息を飲む。
 
 周囲はもう夕闇に沈みつつあった。
 やがて二人は、人気の無いリューンの郊外に着く。

「暗殺者は、お前に何か言っていたか?」

 考え込み黙っていた男が、唐突に問う。

「…俺が出会ってはならない人間と出会った、言っていたな。

 それはフェン…ディーリアナ姫の使っていた名を名乗った子供。
 つまり姫とマルス師の子息、というところか」

 シグルトが結論を言ったことで、男が目を見開いた。

「俺が襲われたのは、すなわちあの子の関係者と見られたからだ。
 あの子の身にも、危険が迫っている。

 姫の夫とタキーシスという有力貴族には子供ができて、今夜はその宴だ。
 そこまで来れば、お家騒動だと気付くのは当然だろう?

 俺自身が狙われて、かえって確信したよ」

 そこまで言って、シグルトは男を見つめた。

「…よくもそこまで調べたものだ。

 それがあの子の依頼か?
 あの子は、自分の両親を知りたいとでも?」

 シグルトは頭を振った。

「依頼の内容は秘密だ。
 昨晩、掟だと言っただろう?

 だが、一つ言っておこう。

 俺は、子供には少しばかりお節介なんだ。
 無茶な依頼なのは分かっていたが、あの子が不憫だった。

 今は半休業中の単独行動だからな。
 このぐらいの我儘はなんとか通る」

 苦笑したシグルトの言葉に、男は視線を足下に落としてしばし黙考した。

 やがて、呟くようにシグルトに語りかけた。

「…あの子は、お前を信じた。
 お前も、あの子の力になりたいと思っている。

 それなら、私も…あの子に関する重要な選択をお前に託そう」

 男が絞りだした言葉に、シグルトは頷いた。

「…お前が本当にあの子を救いたいと思うのなら、これから私の行くところに着いて来てほしい。

 もし、お前が今、私に付いて来なければ…」

 シグルトが続けた。

「あの子が、今夜死ぬんだな?」

 男が頷く。

「私の言うことを…」

 シグルトは、その先は必要無いと制した。

「信じるさ。

 あの子の話をする貴様の眼には、常に悲哀がある。
 ならば、同士にもなれるだろう。

 …一つだけ教えてやる。
 契約する時、〈人命優先〉と契約した。

 あの子の命が懸かっているなら、優先してあの子を助け、依頼が失敗したと謝るだけだ」

 そう言葉にして、シグルトは苦笑をするのだった。


 男はアダ・ルサと名乗った。

 シグルトとアダが向かうのは、『肥えた猪亭』である。

 『肥えた猪亭』は、リューンでも有数の高級店だ。
 料理も最高級の物を出す、と名売っているが、値段も高いらしい。

 縁の無い者たちは「きっと名前みたいに太った成金が行くのさ」と嘲笑っていた。
 実際、優雅さには欠ける名前から、本当の高貴な貴族はあまり寄りつかない。
 
「こんな店を選ぶとは、タキーシスという奴は喝采願望が強いのか?」

 シグルトの洞察にアダが「そんなところだ」と苦笑した。

「さて、どうやって入る?

 俺も多少貴族に知り合いがいるが、今からでは紹介状を貰うわけにもいかん。
 裏口から入るにしても、この恰好ではな…」

 シグルトの服装は、何時もの旅装束である。
 いかにも不審者、と見られるだろう。

「うむ、私が話を通そう。

 だが、この店に入れるのは、護衛の兵士と招待客以外はすべて女性だ。
 入る以上、相応しい人間でなければならん」

 アダの言葉に、シグルトは「困ったな」と呟いた。

「…少しここで待っていろ。

 何とか調達してくる」

 そう言ってアダは姿を消した。

 暫くして、戻って来たアダは、小さな包みを抱えて来た。

「…何とか大きめの物が手に入った。

 これを着て入ってくれ。
 怪しまれることは無いはずだ」

 シグルトは包みを預かって開くと、眉をしかめた。

「…これは女給の服だな?

 確かに大柄な俺でも着られそうだが、いくらなんでも、女装など無理があるぞ」

 フリルが可愛らしいエプロンとキャップを交互に見ながら、シグルトは珍しく途方に暮れていた。

「今は戦場並の忙しさだ。
 
 一人ぐらい体格の良い女給が混じっていても分かるまい。
 私もフォローしよう。

 他には、要人警護のために厳しい警戒をしいているあそこに入る手段は無い。
 
 兵士に化けるのは論外だぞ。
 兵士長は、兵士の顔と名前は全て覚えている上、自国で兵役を数年経験した、信頼できる精兵しかおいてないからな」

 暫く考えたシグルトは、やがて嫌そうに「わかった」と頷いた。


(さて、女ものの衣装など着たことは無いしな。

 ふむ、クリス嬢がロマンに着せていた感じで着ればいいのか?)

 シグルトはやる以上は完璧にと、館の裏手で丁寧に着替えて、女給服の皺を伸ばす。
 
 何故か一緒に用意してあった化粧品で、顔には薄化粧をし、睫毛を整えて口紅も塗った。
 一目で男性と分かる個所…喉仏は、女給服とともに用意されていたリボンで巻いて隠す。
 
(妹に化粧の手伝いをさせられた経験が、こんなところで役立つとはな。

 世の中、どう転ぶか分からん)

 曲のある黒髪を櫛で梳いてアップにし、キャップで包んでリボンを締める。

「…さて、俺は女装などしたことが無いからこんな感じだが…

 大丈夫か?」

 アダの前に出て確認すると、目の前の男は完全に硬直していた。

「どうした?

 気持ち悪いなら…」

 漸く放心状態から立ち直ったアダは、首を何度も横に振った。
 何故か言葉が無い。
 その頬は、心なしか紅潮していた。

 シグルトは、それを笑いに堪えているのだと受け取る。

「まあ、多少滑稽なのは仕方ない。

 できるだけ目立たないようにするさ」

 そう言って、シグルトはアダを急かした。


 裏口から二人が入ると、そこにも衛兵らしい男がいた。

「誰だ!

 今晩はディリス王国がここを借り切っている。
 
 関係無い者は何人も…」

 そこで衛兵の顔がぽかんとした。
 視線はシグルトに釘付けである。

「…私だ。

 彼女は時々、あっちの館で手伝いをしてくれている。
 こちらの忙しさを鑑みて、連れて来たのだ。
 
 この通り立派な女給だが、問題は無いな?」

 何故か頬を赤らめてアダが説明する。

「や、は、はい!

 導師がそう言われるのでしたら。

 し、しかし、このような…」

 兵士の顔も何故か紅潮していた。

「だから、最初は連れてこなかったのだ。
 その、主賓をないがしろにしかねないからな。

 しかし、裏方ならば問題あるまい?」

 アダの説明に、兵士が「そうでしたか」と頷いた。

(よくも納得したものだな。

 反応を見ると、俺の女装はかなり拙そうだ。
 目立たぬように気をつけねば…)

 考えながら、どこか上の空の兵士に案内され、シグルトは厨房に入って行った。

 ちらりと見ると、アダが後で渡すと、羊皮紙の切れ端を振っている。
 やるべきことがその紙に書かれているのだろう。

(ふむ、ばれそうになっても、何とか誤魔化そう)

 シグルトは腹を決めて、堂々と厨房を潜った。
 優れた盗賊であるレベッカが、変装して敵地に潜入する時いちばん大切なのは、図々しいぐらいに普通の態度で環境に馴染むことなのだと言っていた。

 残されたアダと兵士は、可愛らしいエプロンを翻して颯爽と去った女給の後ろ姿を溜息交じりに見送っていた。

「…導師。
 あの南海のミネルヴァもかくやという、麗しい女給はいったい何者なのですか?
 
 私は生まれてこの方、あのような美女を見たことがありません。
 とても女給如きに納まる器では…」

 桃色がかっていそうな溜息を吐き、兵士はアダに語りかける。

「…何、高貴な方の面倒を見るのは、あれほどの器量が必要なのだよ。

 私も、あの女神の如き美しさを初めて見た時は、言葉を失ったがね」

 意気投合したように、二人は強く頷き合った。


 シグルトは、男臭いままではばれると、トリアムールに体臭を散らしてほしいとサポートを頼んだ。
 一応きつ過ぎない薫りの香水も使ってある。
 
 ただ、シグルトに宿ったトリアムールは、何か様子がおかしい。
 まるで悪戯を隠している子供のように、時折震えて渦巻いていた。

 そうして、準備万端。
 地獄の炉に飛び込む心境で、厨房にシグルトが踏み込む。
 
 壮絶な忙しさのそこは、熱気で熱いくらいだった。
 偉そうな調理人風の者が、居並ぶ女給たちに下拵えや調理の指示をしている。

 人が入り乱れ、さながら戦場の風体だ。

 シグルトは覚悟を決めた様に、主人格らしい料理長の元に近づいた。
 多少のことは言い負かすつもりでいた。

「…あ、丁度好いわ。

 そこのでかいのっ!
 手が空いてるなら、てつだ…」

 シグルトの顔に目が行った料理長の手が止まる。
 訝しげに周囲の者たちもシグルトを見て、皆揃ったように硬直した。

(ここで押し負けては、女装までしたことが水の泡だ!)

 シグルトは毅然と胸を張り、料理長に問うた。

「手伝いを命じられ、こちらに派遣されてきた者です。

 私は何をすればよろしいのでしょう?」
 
 紅を引いた唇から出たのは、まるで女神のような、美しく澄んだ低い女性の声である。

(…なるほど。
 トリアムールの奴、遊んでいるな?

 まあ、風邪だと誤魔化す必要も無くなった。
 このまま任せるとしよう)

 シグルトは、トリアムールが女の声に音を変換した悪戯を、とりあえず看過することにした。

「え、あ、その、この巨大なケーキを運んで下さる?」

 一抱えもある、何かを象ったケーキが皿に乗っていた。
 べったりと白い砂糖で覆われたそれを、シグルトは軽々と支えて持ち上げ、世間話をするふうに聞いた。

「立派なお菓子ですね。

 これは?」

 聞かれたもう一人の女給が、どもりながら答える。
 目を見開いたまま、シグルトから視線を動かしていないまま、だ。

「え、ええとね。
 
 ディリス王国の象徴だって。
 白い熊らしいけど…。

 お祝いだから、こういうケーキを使って、場を盛り上げるのよ」

 熊にはとても見えない、まるで太った豚だ…と思いつつも、シグルトは貴族であった頃に覚えた社交術を駆使し、できるだけ自然に微笑んで頷いて見せた。

 それを見たその女給は、突然ぱたり、と卒倒してしまう。
 周囲の者が「きっと、忙しすぎたから貧血ね!」と彼女を助け起こしていた。

(しまった…無理に笑うのは気持ち悪かったか、やはりっ!)

 シグルトは場を取り繕う形で引き攣っってしまいそうな笑みを浮かべると、早々に厨房を後にしていた。

「…あぁん、お姉様…」

 シグルトが去った後、女給は夢心地で呟いた。

 ほとんどの女給たちは已然ぽかんとした様子で、ケーキを持って行くシグルトの後姿を追っている。
 少しばかり料理の焦げた臭いが厨房に漂っていたが、誰も気にする者はいなかった。


 予定の広間を目指すシグルト。

 そこは、蝋燭で明るく照らされた豪華な広間だった。
 
 長いテーブルに二十人前後の着飾った貴族あるいは名士たちが座り、一番上座には恰幅のいい男と、対照的に華奢で美しい女性が座っている。

「おおっ!
 ディリスの象徴が来た!
 
 我が妃ディーリアナに似て、雪のように美しいでは無いか!」

 恰幅のいい男は、大きな声を響かせ。シグルトが支えているケーキを皆に示した。
 そのあたりで、先ほど卒倒した女給が何とか平静を装いつつ側に寄ってくる。

(あの白い豚を姫に例えるとは…俺でももう少し気を遣うぞ)

 感じたことはおくびにも出さず、しずしずと移動する。
 シグルトの顔は上手く巨大な〈白豚ケーキ〉に隠れていたが、ケーキの甘い匂いに胸焼けが起きそうだった。
 これだけ高価な砂糖や白いクリームをふんだんに使っていると、美しいというよりは、単に派手で豪華なだけな気がする品物である。何より造形にセンスがない。

 衆目がそのケーキに注がれ、拍手が沸き起こる。
 半分ぐらいは社交辞令であろう。
 顔が引きつっている者も、ちらほらと目につく。

 シグルトはケーキの合間から、上座を仰ぎ見た。

「さあっ、切り分けてくれ!

 そして皆に配り、このタキーシスの血が、未来永劫ディリス王国を統べることを祝うのだっ!」

 大きな声で吠えるように笑い、自らも手を打って喜びを表す将軍タキーシス。
 その傍若無人な言葉に閉口しつつ、シグルトはサポートにきた女給の指示に従って、部屋の隅の配膳台までケーキを運んだ。

 静々と運ばれるケーキに、客の注意が向いている中、ディーリアナ姫と最上座のすぐ近くに座っているアダは、ケーキには目もくれない。

 特に姫君は蒼白な顔で、無表情な人形のようにじっと視線を落としたまま動かない。
 
(年の差はかなりのものだ。

 恋人と引き裂かれ、他の男の道具にされた王女が、この宴席をどう思っているかなど分かり切ったことだな。
 そして、これから生まれてくる子はもっと哀れだ)

 生まれる前から政治の道具にされるだろう子を想い、シグルトは暗澹たる気持ちである。

 配膳台にケーキを下ろし、シグルトは可能な限り目立たないように注意して脇に退き、ケーキが切り分けられるのを待った。

 そこで客人たちの視線は自然と背の高いシグルトへと向けられ、氷りついたように止まる。
 派手なパフォーマンスでケーキが切り分けられているのに、主役であるタキーシスまでシグルトをじっと見つめていた。
 
(む?

 目立たぬようにしたはずだが…)

 シグルトは女性として見れば大変な長身だ。
 どうしても目についてしまう。

 容姿を重んじる上流階級の者が多い中、際立ってノッポの女給に好奇心を刺激された客のも多かったのだろう。

 シグルトは毅然として、無視を決め込む。
 動揺や躊躇いこそ、プロ意識をもって仕事する女給が一番やってはいけないことなのだ。

「さ、さぁ…お姉さま。

 今度はお客様にこのケーキを配ります。
 お願いします」

 何故先輩のはずの女給が、後に来た自分に敬語を使うのか訝しがりながらも、シグルトは示された職務を果たすことにした。
 
 切り分けたケーキを、まずタキーシスとディーリアナの前に置く。
 穴が空きそうなほど凝視するタキーシスの様子に、俯いていたディーリアナも首をかしげてシグルトを見、そしてやはり目を見開いた。

(余程似合わないのだな。

 やはり、多少無理があっても兵士に化けるべきだったか)

 そう思いつつシグルトが次の配膳に移ろうとすると、タキーシスが慌てて呼びとめた。

「じょ、女給よ。

 お前、名は何という?」

 困ったな、と内心思いつつ、シグルトはとっさに答えた。

「直々の御質問ですので、卑しい給仕の身分が答えすることをお許しくださいませ。
 
 お尋ねである私の名は、ジークフリーデで御座います。

 将軍閣下にお声をかけて頂くなど、恐悦至極。
 お耳汚しを、お許し下さい」

 貴人に対するので作業は完全に止め、毅然と、かつ邪険にならないようにゆっくりと一礼し、シグルトは名乗った。
 へりくだった口調でありながら、一切淀みがない。

 〈ジークフリーデ〉というのは、シグルトの発音違いを女性読みに変えたものである。
 名を聞かれたら、即座にそう答えるつもりでいたのだ。

 タキーシスは優雅なシグルトの動作に、条件反射で頷いて、用意していた心付けを差し出す。
 この店は、そういった習わしがあるのだろう。

 礼にもう一度頭を下げたシグルトは、頭を下げたまま、貴族や王族から物を受け取る様式で摺り足を使って近寄り、差し出された心付けを受け取る。
 下がる時も後ろは向かず、元の位置まで下がってからさらにゆっくり一礼しその場を辞す。
 仰々しい態度は、この場にいる一番の権力者を特別に扱うことで相手の立場を強調するため。
 こういった気遣いも自然にできてこそ、優秀な給仕なのだ。
 
 再び進んで近くに座っていたアダにも軽く一礼してからケーキを渡し、心付けと一緒に彼が用意していた羊皮紙を受け取る。
 すぐにそれらを、ジャラジャラと金属音が鳴らないようにハンカチに巻き込みながら女給服のポケットにしまうと、何食わぬ顔で(半ば自棄になっていたが)給仕としての役目を続けた。

 シグルトが女給の礼法を知っていたのは、恋人の影響だ。
 
 彼女は幼少の折に母を亡くし、病弱な父親の代わりに館を全て取り仕切っていた。
 所謂女主人だったのである。

 女給(メイド)の仕事は多岐に渡り、きちんと分業になっていた。
 それを統括する者が必ず必要になる。
 女給頭や侍従長と呼ばれる職業だが、それらがいる家門といえば、王族に準じるか大金持ちの名門貴族ぐらいである。

 数人の女給を雇った程度の家は、直接家の女性が女給の指導をし、その統括をするのだ。
 貴族の夫人には、女給を指導する知識や技術が必須であった。

 薄給で雇われる女給の多くは、きつい仕事をいかに怠けるか考える。
 しかしそれでは雇う側が困ることになる。
 
 だから、〈女として家事に必要な技術〉を教えるという恩恵が必要なのだ。
 正しい技術を持っていれば、家庭に入った時ちゃんとした一家の〈女主人〉になれる。

 保守的な封建社会で、女たちが生き残るためには、家を護り子を育てる能力が何より求められた。
 立場を守るために自らを磨く。

 女性たちは男性に隷属していたわけではない。
 彼女たちは、〈女〉という役割を最大限利用し、懸命に生きていたのだ。

 〈女性蔑視〉をする一部の愚か者もいるにはいるが、女性の多くは実質男たちをやり込めている。

 男の矜持を傷つけず、粋がる男たちを〈可愛い〉と裏から支える…
 母となるべき女たちは、斯様に逞しかった。

 シグルトの恋人だったブリュンヒルデは、貴族でありながら家事のさしすせそ(裁縫、躾、炊事、洗濯、掃除)を女給の誰よりもこなせたので、決して女給の怠慢を許さなかった。
 その代わりに情厚く、親身になって指導したので、古い女給にはとても慕われていたのだが。

 彼女と交際するようになると、シグルトも婚約者として相応しくなるように、女給の所作や約束事を一通り教えられたのだ。

〝私の夫になる人が、女給のあしらい方を知らないなって許せないわ〟

 叩き込まれた礼法は、こんなところで役立っている。
 シグルトは複雑な心境で仕事を続けていた。
 
「おお、ジークフリーデ。

 何と美しい名前だ」

「まことに。

 凛とした姿など、まるでアルテミスのような…」

「先ほどの礼法など完璧ではないか。

 一体誰に仕込まれたのだ?」

「あの憂いのある青黒い瞳はどうだ?

 是非、交渉して我が家に来てもらわねば」

 ひそひそと声が聞こえるが、シグルトは無視を決め込んだ。
 その姿がかえって泰然として見えたのだろう。

 横で手伝っている先ほどの女給など、溜息ばかり吐いていた。

 完璧な作法で、しかも化粧までして女装しているシグルト。
 そう、とてつもない美女に見えたのである。
 
 背が高く長い脚と、絶頂期から見ればやや痩せている体格が、露出の少ない女給服と相まって上手く筋肉質の身体を隠していた。

 元々やや小顔の美貌を薄化粧しただけなのだが、そのやり方は絶世の美女と謳われた母や恋人のやっていた方法を真似たものだ。
 彼女たちは、自分の素地を最大限活かす方法を自然と行っていた。

 容姿云々に疎いシグルトにとっては普通の化粧に見えても、他者から見れば芸術作品を作るのに等しいものだった。

 また夜で暗かったことも幸いしている。
 
 長い睫毛を道具を使ってカールさせ、喉仏を隠し、野暮ったい髪はアップに、口紅をつけている今の容貌は、どう見ても女性にしか見えない。
 薄暗い環境で照らされる蝋燭の光が、憂いを含んだ神秘的な瞳を煌かせ、普段から女性も羨むきめの細かい白くなだらかな肌を晒した今のシグルトは、さながら女神にも見える。

 堂々と背筋を伸ばしきびきびと動く姿は美貌をかえって印象付け、多くの溜息を誘った。


 仕事を終えると、シグルトは厨房にとって返す一瞬で、アダから貰ったメモを読む。

(あの指輪を姫に見せろ、か。

 なるほど、てっとり早い)

 華奢なその指輪は、指にできた訓練傷や胼胝(たこ)を隠すために着けた手袋の上からはめようとしても、指先で引っかかってしまうだろう。

 シグルトは一計を案じると、手袋を直す振りをする。
 手早くアダから貰った羊皮紙を裂いて紙縒(こよ)りを作るように巻きながら紐状に伸ばすと、そこに指輪に通し、手首の上に指輪が来るよう、結わえつけた。

 シグルトの故郷では、髪を縛る紐が無い時、こうやって布や革で紐を作る。
 彼の妹にもよくやってやった方法で、手慣れていた。

(さて、姫がどう出るか…)

 次の出し物である果物を盛った皿を持つと、シグルトは再び颯爽と広間に向かう。
 そんなシグルトの背を、厨房の女性たちの目が一斉に追うのだった。
 
 果物を配る振りをしつつ、シグルトはディーリアナの前に向う。

「…奥方様、上座では気も張っておいででしょう。
 先ほどから飲み物一つお召し上がりになっておられません。

 ですがこの人の熱気、せめて水気を採らねば、お子様にも障ります。

 身重のお身体に飲酒はお勧めできませんし、冷たい水は毒ともなりましょう。
 果物をお持ちしましたので、どうぞ口をお湿し下さいませ」

 心ここにあらずの姫を振り向かせるため、シグルトは努めて優しい声をかけ、微笑んで見せた。
 病弱と聞いたディーリアナを、心から心配して出た本心でもあったから、誰も疑う者などいなかった。

 それでも渋るディーリアナに、シグルトは適当な果物を一つ取ると、指輪が姫だけに見えるようにそれを差し出す。
 指輪に気付いたディーリアナははっとして、思わず席を立ってしまった。

 シグルトは気遣うふりをしてすぐに腕を返し、指輪を隠す。

「…どうしたのだ?」

 タキーシスが、様子をおもばかってディーリアナに手を伸ばすが、動揺した彼女は条件反射でその手を避けてしまった。

(きっと、正直な性格なのだろう)
 
 シグルトは、隙を見てアダに目配せした。
 
 立ち上がったアダは、横から絶妙のタイミングでフォローした。

「どうなさいました、ディーリアナ様?

 お顔の色が優れませんが?」

 姫は緊張から少しどもって、ますます顔色が青ざめて行く。
 問われたことでさらに焦ったのか、態度が不自然になる一方だ。

「暫く、別室で御休みになっては?」

 アダがそう勧めると、タキーシスが慌ててそれを遮った。

「今は客をもてなしているのだぞ?!」

 タキーシスの強い声に、ディーリアナがびくりと震え、よろめいた。
 シグルトは、さっと踏み込んで彼女を支える。

「…口出すこの無礼をお許し下さい、将軍様。

 身籠るということは、それが判明した頃が一番危ない時期なので御座います。
 
 母君が無理をなさるのは、大切なお子様にも障りますでしょう。
 ここは少し別室でお着物を緩め、御休み頂くべきかと。

 皆様も、奥方様の身の大事は御承知のはず。

 私が別室にお連れ致しますので、将軍様はその間に猛々しいその武勇譚でも、皆様に御披露遊ばし、お待ちになってはいかがでしょうか?」

 喋りつつ、よくもまぁこんな馬鹿丁寧な言葉が出るものだ、とシグルトは内心苦笑していた。

「私は多少医術の心得があります。

 奥方様のことは、責任をもってお世話致しますので、どうか…」

 言葉は丁寧だったが、異を挟ませない迫力に満ちていた。

 押し負けるようにタキーシスが、しぶしぶ頷くと、シグルトはディーリアナをしっかり支える。
 そして、アダに向かってわざとらしく笑みを浮かべた。

「そこな導師様もお手伝い下さい。
 威圧感をお持ちの無骨な兵士ではない方で、信頼のできる男性の護衛も必要です。

 女手では、足りぬこともありましょう」

 言葉で半ば引きずるように、シグルトはアダを伴って広間を出た。


「…アダ。
 適当な部屋に姫を運びたい。

 本当に弱いの貧血を起こしているから、休ませる必要がある」

 側にいるのがアダとディーリアナだけになると、シグルトはそっとアダに耳打ちした。

「二階に別室がある。

 とにかく、そちらにお連れしよう」

 そこまで聞いたシグルトは、「失礼」と一言断って、軽々とディーリアナを抱き上げる。
 階段を昇らせるのは無理だと判断したためだ。
 
 そして、先導するするアダに続いた。

 着いた広い部屋は、寝台も備えたりっぱなものだった。
 
 シグルトは、迅速かつ優しく寝台にディーリアナを横たえる。
 肌が露出しないよう気をつけつつ着付けを緩め、気道が楽になる姿勢に寝かせると、先ほどから持っていた果物を絞って、ディーリアナの口に含ませた。

 血の気が無かったディーリアナの顔に、少し血色が戻って来た。

「ここは…?」

 暫くして、ディーリアナは気が付いた様子だ。

「気付かれましたか、姫?」

 ディーリアナは、アダに応えようとして、その後ろに立っているシグルトに気付いた。
 白い顔が見る見る興奮に赤らんでいく。

「あ、貴女、先ほどのっ!!

 指輪を、指輪を持っていた…」

 シグルトは静かに首肯し、先ほどの指輪を腕から外して掌に乗せ、差し出した。

「…何故マルスの指輪を?

 シャリスに与えたその指輪を持っているのですか?!

 あの子がそれを簡単に手放すとは思えません。

 もしや…!」

 その言葉の先を予測したシグルトは、首を横に振って、困ったようにアダを見つめた。
 まだ大丈夫なはずだが、詳しい状況を知るわけではないからだ。

「…まさか、タキーシスの命令で」

 ディーリアナの顔が今度は青ざめて行く。

 アダは、困ったように黙ったままだ。

「嘘吐き!

 貴方のお父様であるタキーシスと結婚すれば、シャリスの命は保証するという約束のはず!

 親子で私を騙したのですかっ!!」

 逆上したディーリアナが、アダに手を上げるのを、シグルトは素早い動きで止めた。
 
「姫君、まずは全てを聞いてからです。
 少なくともこの男の話では、御子息は無事のはず。

 そしてアダ。
 正しく全てを話せ。
 黙っていることが多過ぎると、物事が進み難くなる。

 とりあえず、お前がタキーシスの息子、という話については後で聞く」

 アダに対し、途端に横柄な態度に変わったシグルトに、ディーリアナはあっけにとられて、かえって落ち着いてしまった。

「…貴女は、ただの給仕ではないのですね?
 
 おかしいと思っていました。
 そのような目立つ容貌の女給を、私は知りませんでしたから」

 静かなディーリアナの問いに、シグルトは微笑んで頷く。

「はい。
 私の名はシグルト。

 このような成りですが、『小さき希望亭』という冒険者の宿に属する者です。
 フェンと名乗った御子息に雇われ、ここに行きつきました。

 御子息はシャリスという名ではなく、自分でフェン…貴方様の愛称を借りて私に名乗り、この指輪を依頼料に、ある仕事を私に依頼しました。

 その時の約束故に、私は導師アダ・ルサと協力する必要があり、此処にいるのです」

 アダがそうだと認めると、ディーリアナはさらに驚いた表情で、二人を交互に見やった。
 溜息を吐き、ゆっくりとアダは立ち上がる。

「…姫。

 此処は、私を…
 いや、シャリスが頼ったこの冒険者を、貴女も信頼してはくれませんか?」

 苦渋の顔でアダは押し黙る。
 真剣な彼の様子に、ディーリアナはただ事ではないと理解したのだろう。
 居住まいを正して、アダに向き直った。

「…どういうことですか?」

 ディーリアナが先を促すと、アダはシグルトの方を向き、悔しそうに眉をひそめた。

「今、シャリスの命運は、このシグルトに託すしかないからです」

 急に話を自分に振られて、シグルトは訝しげに片眉を怒らせた。
 アダはシグルトに向かって、補うように口早く告げる。

「…シャリス、つまりはフェンと名乗ったお前の依頼主が、いなくなってしまったのだ。

 だから、お前に急いで探して欲しい」

 ディーリアナは、分からないという風に首を傾げた。

「探す?

 それはおかしいです。

 貴方がシャリスを監視しているのだと、タキーシスは私に何時も言っていたのに」

(そうか、こいつはフェンの監視役だったのか)

 シグルトは、新しい情報を頭の中で整理していく。

「そう…私は父からの命令で、幼いシャリスをディリスから遠ざけ、こリューンで監視するように言われていた。
 それが役目であると。

 そして、もしディーリアナ姫が父の子を身籠ったなら、その時点でシャリスを…殺せ、とも」

 シグルトは先にいきり立ちそうなディーリアナに目配せすると、厳しい視線でアダを睨んだ。

「貴族や王族の騒動ではよくあることだが、吐き気のする話だ。

 確かに、ディリスは北方諸国の例に漏れず男尊女卑の風潮が強い国家だったが、姫君の権勢はタキーシスの専横を許すほど弱い、ということだな」

 ディーリアナが頷く。

「…父王亡き後、私は形式上の王位に就いています。
 でも、誰も私を〈陛下〉とは呼びません。

 今でも私は、単なる〈姫〉なのです。

 ディリス王国は、軍の力が元から強い国。
 父の代には、既に王座はお飾りになっていました。

 実質、権力を持っているのは将軍なのです」

 その後をアダが引き継ぐ。

「姫の兄君であったお世継ぎは、王位に就く前に、不慮の事故で命を落とされた。

 その妃と御子も、一緒にな」

 吐き出すように、ディーリアナが呟く。

「…本当に不慮の事故だったのか、今となっては分かりません。

 兄の妃は、タキーシスの競争相手の娘でした」

 …その心労が、先王の命を縮めたこと。
 ディーリアナは、弱い身体のため比較的温かいリューンまで療養に来ており、兄王子が亡くなった後にタキーシスとの婚約を知らされたこと。

 根の深い陰謀の話を、シグルトは黙って聞いていた。

「そして、その時にはマルス師と恋に落ちていた。
 だが、師は殺され…御子息の命と引き換えに、結婚を承諾させられた、といったところか。

 愛故にとはいえ、悲しいな。
 だが、母親とはそういうもの。

 …すまない、先を頼む」

 シグルトに促され、アダが話を続ける。 

「…父は豪放磊落に見えるかもしれんが、その実とても猜疑心が強い。
 一度でもその意思に逆らえば、決して許すことは無い。

 父は、姫との婚約を決意した時、私と私の母の存在を隠した。
 母は、他国の見知らぬ男の元へと嫁がされ、魔術の勉学に励んでいた私は、母の家系の傍系、ルサを名乗るよう命じられた」

 苦悶の顔のアダ。
 この男もまたタキーシスの犠牲者だったのだ。

「使える者は骨までも、ということか。

 つまりは、フェンの監視役といざという時の暗殺者として側に置き、同時にお前も王国から遠ざけていたわけだな」

 頷いて応え、アダは押し黙った。

「タキーシスも、安心できなかったのでしょう。

 私の従兄弟は、対立する派閥と婚姻関係があり、その息がかかっています」

 陰鬱な勢力闘争に眉もしかめるが、シグルトもまたそういった貴族に身を置いていたからよく分かる。
 
 貴族や王族は、土地、財産、血筋でその権力を維持する。
 だからこそ、その獲得に必死になり、武力や策謀を善しとするのである。
 
「…最初は単純な鳥探しだったが、とんでもないことになった」

 肩をすくめて、シグルトは深い溜息を吐いた。


「私は、あの子をずっと閉じ込めていた。
 父に命令された通りに。

 〝誰にも会わせるな、そして何一つ与えるな〟という…

 でも、あの子は、そんな状況でも素直で、何時も本当に真っ直ぐで、私には眩しいぐらいだった。
 何時の頃からか、昼間は私の目の届く場所で、自由にさせていた。

 姫の贈ってくれた鳥、アジェイとも遊べるように、一緒にさせていた」

 自嘲するようにアダは苦く笑う。

「だが私は、結局彼の救い主にはなれなかった。

 何故なら、夜になれば、私は父の指示通りシャリスを二階に閉じ込めた。
 アジェイとも離して、な。

 父が命じた通り、たった一人、闇の中鍵を掛けて…

 父は、姫を操る駒としてシャリスを必要としていたが…」

 言い難そうなアダの先を、シグルトは自分が立てていた推測で受けた。

「それは、自分の子供ができるまで。

 国を治める正当な理由を作り、王位を簒奪するまで姫を繋ぎとめておくためだったわけか。

 タキーシスは為政者としては失格だな。
 誓約を破る王は、誰からも信頼されず、必ず裏切られる。

 裏切りを恐れて信じなくなるほどに、人心はますます離れ、王は王で無くなる。

 孤独に倒れるのが定めだ」

 シグルトの故国の建国王は名君であったが、弟の宰相が暗殺された時から疑心暗鬼となり、最後には玉座で一人崩御したという。
 その手の話は数多い。

 善き先人に学べぬ者は良い王になれるはずもない…シグルトはそう思う。 

「リューンに来ていた父から、昨日連絡が届いた。

 祝宴がある今晩、あの命令を決行せよ、と」

 青冷めた顔のアダが、吐くように告白する。
 その内容の深刻さに、シグルトもディーリアナも目を見開いた。

「…このお腹の子が…原因で?」

 ディーリアナは血の気の引いた顔で、子を宿した自分の腹部に手を当てた。

 だがシグルトは、釘を刺すようにたしなめる。

「姫君。
 貴女の御子は、どちらも幸せになるべきです。

 作夜会って、あの子…御子息は、命を大切にする優しく誠実な子だと強く感じました。
 鳥の友を助けるために、危険を承知で夜分に宿を訪れ、貴方との絆である指輪を報酬にした程に。

 今貴女に宿っている子に何かあれば、御子息が生きて貴女の元に帰って来ても、必ず二人のわだかまりになるはず。
 決して、これから生まれる子を責めてはいけません。

 子供とは、あの子やアダのように政争の道具にされるのではなく、幸せに無邪気に笑っているべきなではありませんか?」

 曇りのない真摯な眼差しに、ディーリアナは黙り、項垂れる。
 シグルトは、姫に対する説得を終えると、アダに向かって声を潜めて聞いた。

「…アダ、腑に落ちないことがある。

 お前が、あの子を殺す手はずだったのだな?
 だが、お前はこうして情報を俺にくれる…上手くいけば俺が関わるはずもなく、お前が助けていたはずだ。
 
 では、何故あの子はいなくなった?」

 シグルトは、葛藤しているアダの真意をすでに汲んでいた。

 迷う者の本心を問う時、良心を取るべきであるというのがシグルトの信念だ。

 シグルトの決断が何時も迅速なのは、それ故である。
 迷えば、沢山のものを零してしまう。
 
 シグルトが味方を責めるのは、たしなめるか諭すためだ。
 無用に追い詰めても、何も得る者は無い。
 
 後は信じるだけ…シンプルで揺ぎ無い、彼の本質である。

「…昨夜の晩、私は一晩だけシャリスの部屋の鍵を掛けなかった」

 シグルトは、先を促すように頷く。

「あの子を助けるためだな?」

 確認する様に聞くと、アダは力無く首を振った。

「そうではない…
 いや、そうなのか…?

 自分でも、分からない。
 私が、父に逆らうなど、考えられないことだ。

 何時だって、父は絶対だった。

 それに、他家に嫁いでいった母は、私に、父に認められる男になれと、それだけを望んだ。
 自分は見捨てられても、私だけは父親に。

 ただ、だからと言って、何も知らせずいきなりシャリスを殺す、ことは…」

 シグルトはアダの肩を一度強く叩いた。
 それが正しいのだ、と説得するように。

「当然だ。
 自分の良心を疑うな…疑えば自分を殺してしまう。

 多くの者は、良心と現実との狭間で苦しんでいる。
 だが、人はどちらの道を選んでも必ず後悔する…弱さを、迷いを持つからだ。

 ならば、自分がすべきと思ったことをして後悔した方が、きっと、ずっといい。

 俺がお前を信じたのは、その良心を感じたからだ…あの子を助けたいという、な」

 迷い無くシグルトは自分の意思を伝える。
 アダは、何かに感じ入った様子で、目を閉じて天を仰いだ。

「導師、貴方は…」

 ディーリアナは言葉を詰まらせて、縋るようにアダを見つめた。

「あの子を、小さい頃から見守ってきたのだろう?

 あの子は、良い子だ。
 無関係だった俺が救うべきだと感じたくらいにな。

 側にいたお前が、可愛く感じなかったなら、俺を頼ったりすまい?
 俺が此処にいることこそ、お前の良心の証なんだ」

 アダは、シグルトの言葉に俯いた。
 目には、涙があった。

 様々な思いを振り払うように、アダは顔を上げる。

 そして真剣な目をしてシグルトを見返し、語り出した。

「…問題は、シャリスが『小さき希望亭』から『樫の木荘』に帰って来た後だ。

 そのまま消えてしまったのだ」

 シグルトは得心したように頷く。

「誠実なあの子のことだ。

 お前に迷惑が及ぶことを理解していたのだろう。

 それに、アジェイのことを心配していた。
 戻らなければすぐ殺されると思ったのかもしれない。

 別れた時、あの子はすでに何かを決意した男の目をしていたからな。

 大切な者のために命を掛ける。
 それは、北方男の美徳だったはずだ。

 アジェイという友と、お前という兄のために」

 アダの目が、次第に決意に満ちて行く。

「…『樫の木荘』に戻って来たことは確認している。

 しかし、私が朝シャリスを起こしに行くと姿が無かった」

 シグルトは、格好に似合わぬ腕組みをし、思案を廻らせる。

「アジェイを連れて逃げたのでなければ、留まっていたはずだ。

 あの子は儚げにも見えるが、その実、夜に一人で郊外の宿に来るほど芯が強い」

 アダはシグルトの言葉に「確かに」と相槌を打った。

「…それでは誰が?

 ふむ、俺を襲った刺客が怪しいな。
 だが、今は自警団に捕まって牢の中だ。
 今から話を聞き出すわけにもいくまい。

 アダ、誰かにあの子が昨晩抜け出したことや、『小さき希望亭』に来ていたことを告げた者はいるか?」

 アダがそれは無い、と頭を振った。

「…ならば、間違いなくお前以外の見張りがいるな。
 お前も見張られていたと考えるべきだ。

 タキーシスは、もはやお前を信じてはいまい。
 あるいは、お前があの子に情を移し、味方になってことが大きくなる前に、と考えたのかもしれん。

 話に聞いた狡猾なタキーシスの性格ならば、姫の子が生まれてからその子に乳母をつけ、母親から引き離してから、ことに及んだはずだ。
 今動くのはリスクが大き過ぎる。

 ことを急ぐのには、何らかの理由があるはず。

 疑い深いというタキーシスの性格を考えるなら、自分の影響力があるうちに手を打とうとしたかもしれない。
 先ほども、俺が側にいなければ、お前が姫と同行することを許さなかっただろう。

 拙いな。
 お前があの子を殺せないとタキーシスが考えているのなら、あの子をさらい…」

 その続きを、言葉にはできなかった。 

「…これ以上考えている暇は無い。

 あの子の居場所に、心当たりは?」

 くよくよ悩むより、まずシャリスを救出するべきだと、シグルトは思考を切り替えた。
 今後を相談すべく、アダに問いかける。

「おそらく、この屋敷のどこか… 
 さもなくば、この近くにいるはずだ。

 他国で無暗な暗殺をすれば、外交面でこの都市の役人の顔に泥を塗ることになる。
 特に、この国の官憲は優秀だ。

 それなりに面子も重んじる父のこと。
 よほど追い詰められない限り、すぐに殺す気は無いはず。

 しかし、ディーリアナ様がこの国を離れ、自身が居なくなった後、国に帰る間になら…」

 ショックを受けてよろめくディーリアナ。
 シグルトはそれを支えると、強く二人に頷いて見せた。

「アダの推論が正しいなら、あの子は無事と言うことだ。

 ならば、探し出して助ける。 
 …お前と姫君は、広間に戻ってくれ。
 
 姫君もつらいでしょうが、無茶な行動はお控え下さい。

 タキーシスは、とても疑心暗鬼になっているでしょう。
 貴女やアダの行動次第では、多少無茶でも強行に及びかねない…あの子の暗殺を今日に早めたことが、それを裏付けています。
 
 アダ、俺はこの屋敷の中で情報を集めてみる。
 今は俺しか、自由に動けないからな。

 可能なら、見つけて助け出したあの子を連れ、国外に逃亡してみよう。
 南にいる俺の仲間と合流して、アレトゥーザの盗賊ギルド経由で、お前に状況を知らせる。

 仲間の一人が、そういったことに詳しいのでな。

 子供は、次の世代を担う大切な存在だ。
 俺も全力を尽し、救ってみせよう」

 アダが「頼む」と頭を垂れた。
 そして、気付いた様にシグルトに告げる。

「…そうだ。

 お前があの暗殺者から手に入れたディリスの紋章は、護符になっている。
 その襲った暗殺者は、使い方を知らなかったようだがな。

 この部分を押せば、弱い防御魔法を使うことができる。
 身に着けるだけでも少しだが効果が得られるはずだ。

 …もし戦いになったら、使ってくれ」

 シグルトは少しそのブローチを確認し、頷いた。

 今後のことを簡単に確認すると、三人は広間に戻ることにする。
 アダが恭しくディーリアナの手を取り、その後にシグルトが静々と続く。

 広間に一行が戻ると、皆シグルトの方に注目した。
 並の男より長身である…目立つのは当然だろう。

「おお、ようやく戻って来たか!
 待ちかねたぞ。

 …気分はどうだ、ディーリアナ?」

 大丈夫だと顔を伏せて言うディーリアナ。

「…姫君は、血の脈が細い方で御座います。

 休んで頂き、ある程度は回復は致しましたが、今後無理が祟ればまた貧血を起こすでしょう。
 徐々に血になるものを採り、医師に貧脈を強める薬草を調合させ、それを温めて召しあがることです。

 ただ、御子が生まれるまでは、強い薬が毒にもなりかねません。
 
 薬草類は、薬師か薬草師に相談なさって下さい。
 ラベンダーなどの月のものを促す作用が強い薬草は、身重では厳禁です。
 身体を温めるためなら、カモミール程度ならば悪影響はありませんが、ハーブティーはお控えを。

 悪阻があるうちは、匂いも悪影響になりかねませんから、御注意下さい。
 冷たいものやお酒はお控えになり、身体を冷やさぬこと。
 下半身を冷やせば、頭が冷えることを嫌った胎児が動き、最悪へその緒で首が締まるか出産が困難な逆子になります。

 身を締め付けるコルセットなど論外、服装はゆったりとした品に。

 日差しや、こういった酒宴の席や集会では人の熱気も御身体に障りましょう。
 並の女性ならば、逞しく耐えることもできましょうが、奥方様は繊細でいらっしゃいます。

 特に御腹が目立たぬ今は、母体が不安定。
 くれぐれも無理をなさらず、お大事に」

 タキーシスとアダが何か言う前に、シグルトが的確な助言をしつつ、無理をさせないように釘を刺した。
 どたばたの合間にも、ちゃんとディーリアナを診療していたのである。

「ほ、ほう?

 女給よ、相当医学に通じておるようだな。
 どうだ、我が妃の元に来ぬか?

 在野に置くには実に惜しい才能だ」

 それを制するように、シグルトはさっと頭を下げた。

「御冗談を。

 私は見ての通り見苦しい背丈をしております。

 姫君の御側を任される華麗な御夫人方とは、比べるべくも御座いません。
 衛兵に交じって槍か剣でも振るっていた方が様になりましょう。

 王女様のような貴き方の側に、斯様に見苦しい者は侍れません。
 光栄で過分なるお言葉で御座いますが、将軍様や王女様にお恥をかかせぬためにも、御辞退致したく存じます。

 では、他の仕事がありますので、これにて失礼…」

 女給服のスカートをつまんで、もう一度優雅に一礼しつつ、ばっさりと断ると、シグルトはすぐにその場を辞した。
 颯爽と去って行くシグルトを、また沢山の溜息が追いかけていた。


 場を辞したシグルトは、食事を届ける女給に扮して、フェン…シャリスの行方を探ることにした。
 中庭に出て、屋敷の部屋数や間取りを確認する。

 その際、庭の雑草に交じって、傷め止めになる野草を見つけ、そっと拝借しておく。
 豪勢な外見に似合わず、館の目立たない日陰には雑草が伸び放題だった。

(…こんな大事になるとは思わず、薬の類の買い置きは少なかったからな)

 癒し手であるスピッキオがいない分、荒事ともなれば治療手段も用意しておいた方がよいだろう。
 シャリスから預かった指輪にも回復の魔力があるが、これは仕事を達成していない以上使うべきではない。

(この野草は副作用が強い。
 戦闘中は使わない方がよかろう。

 先ほど買っておいた傷薬が頼みの綱だな。
 
 今後別れて行動する時は、治療手段を各自確立させておかねばなるまい)

 こんな時でも仲間のことを考えているシグルトは、筋金入りのリーダーであった。


 美貌のシグルトが夜食を配りながら話しかけると、館の兵士たちはぽかんとして聞いたことに答えてくれた。
 それだけ彼の女装には破壊力があったのである。
 
 シグルトは、夜食を配ることを理由にあちこちを歩き、兵士の人数や配置場所を頭に入れて行く。
 そして、この館に『痩せた白豚亭』という別館があり、そこにシャリスが捕えられているらしいと突き止めた。
 
 アダに「お探しの宿は『痩せた白豚亭』だ」と伝えるよう捕まえた女給にこっそり頼むと、シグルトは『痩せた白豚亭』に向かって出発した。

(ふむ…タキーシスは、一国の将軍と言うだけはある。

 警備の兵士が、かなり訓練されている様子だ。
 軍部の影響が強いのも頷けるな。

 これでは、あの子を助けるのに、多少荒事を覚悟せねばなるまい。
 ともすれば、武器が無いのは痛いが…

 いざと言う時は精霊術で対抗するとして、剣は兵士から奪って調達するか?
 
 代わりに何か棒状の武器があれば…)

 夜食の入った籠を抱え、女給服のスカートを翻しながら、シグルトは足早に目的地へと向かう。
 途中何人かの通行人とすれ違うが、皆シグルトを振り向いて目を丸くしていた。

 中には声を掛けてくる男もいたが、一睨みで追い払う。

(…そう言えば、レベッカと一仕事した時に手に入れた〈アレ〉があったな。

 小さいから、荷物袋の中にあったはずだが)

 シグルトは、『肥えた猪亭』を出る時、手荷物の入っていた背負い袋を一緒に持ってきた。
 最悪、即逃亡を念頭に入れていたからである。
 
 中には薬や最低限の生活用品しか入っていないが、一つだけ特別な品があった。

 【三日月の杖】という魔法の杖である。

 頭を冴えさせるという品だが、形状が可愛らしいので、仲間の男性陣は使いたがらなかった。
 特に、一番適性があったロマンは、強硬にその使用を固辞していた。
 
 レベッカは、杖を持つと動きを妨げると言って「様子を見て売るべき」と主張している。
 ラムーナも、剣を使うため邪魔になるからと、結局シグルトが預かっていたのだ。

(やや短いが、三日月型の先端は金属製で、鎚矛の代わりにできそうだ。
 乱雑に置かれていたにも関わらず、傷一つ無く見つかった魔法の品だから、強度は問題あるまい。

 形状というか、ピンクのこの先端が何とも言えないが…
 どうせ、ここまでの格好をしたのだからな。

 いざと言う時は武器にしよう)

 シグルトは【三日月の杖】を取り出し、女給服のスカートの中に隠した。
 
 少し考えて、【ディリスの盾】と呼ばれるブローチ型の護符は荷物袋にしまう。
 兵士に囲まれれば、この程度の護符など役に立たないと判断したためだ。

「《…トリアムール》」

 その分、精霊術で万全の準備をする。
 いざという時は術で煙に巻き、逃げるつもりだった。

 勝ち目の無い戦いをするのは、ただの愚か者である。
 退路を作り、シャリスを助け出すという目的を確実に果たす。

(…逃げた先から、親父さんやアンジュには手紙を出して謝っておくべきか。

 ともかく、シャリス救出が最優先だな。
 今は時間が惜しい。

 打てる策は打っておいたし、後は全力を尽くそう)

 走りながら、どこが人目につかずに逃走出来そうか、逃げ道の目星をつけて行く。

 シグルトは、東方のある戦術家を尊敬していた。

 〝算多きは勝ち、算少なきは敗れる〟

 彼が戦術に明るいのは、常にこの言葉で自分を戒めているからだ。
 まして、他者の命が懸れば、自身の矜持云々では済まない。

 シグルトのこの考え方は、冒険者としての資質を高める結果に繋がっていた。

 暫く移動すると、こじんまりとした館の屋根が見えてくる。
 聞いた情報から、此処が目的地であると知れた。

(あれが、『痩せた白豚亭』か。

 正面に見張りがいる…

 この服装だ。
 裏口から入った方が、怪しまれまい) 

 様子を見てみると、別館には兵士が一人見張りがいたため、裏口に回ったシグルトは、思わず唸った。
 裏口にも一人兵士が配置されていたからである。

 シグルトは腹を決めて、その見張りに近づいた。

「…む?

 お前は誰だ」

 シグルトを見とがめ武器を構える兵士に、夜食が入ったバスケットを掲げる。

「本館からお夜食の差し入れです。

 この館には、三人分で、よろしかったですね?」

 さりげなく人数を確認する。

「いや、ここは五人だ。

 聞いてないのか?」

 思わぬ返答に、シグルトは首を傾げた。

「私が聞いた話では、三人と。

 はて、私が聞き間違えたかもしれません。
 もしかして、貴方の様な兵士様が三人ということでしょうか?」

 暗闇から一歩進み出て、シグルトが確認する。
 その兵士は、女給姿のシグルトの顔を見て、ぽかんと口を開けたまま頷いた。

「う、うむ。

 兵士は三人で、後は護衛対象等だ。
 それで間違えたのだろう」

 シグルトは、「護衛対象等」と聞いて得心した。
 その中にシャリスがいるはずだ。

「分かりました。

 ただ、二度手間になるかもしれませんから、責任者の方がいらっしゃいましたら、他の方の御夜食が必要か確認して頂けますか?
 持って来た分を残して、取りに行って参りますので」

 兵士は頷いて確認に向かおうとする。

 その背後に一瞬で近寄ると、シグルトは取り出した杖で、兵士の延髄を突き上げるように強打して脳震盪を起こさせ、組みついて締め落とした。
 叫ばれないように、兵士の口はしっかりと女給服で覆う。
 噛みつかれることを警戒して、添えた腕は顎の関節部分をがっちり圧し噛み合わせも封じた上でだ。

 よく後ろから強打して気絶させる方法が、劇中などで使われるが、人はそんなに簡単に気絶しない。
 兵士たちの中には、背後からの打撃で気絶したりしないよう、防具で守っていたり、訓練を積む者もいる。
 
 暗闇では、意識を奪う急所を狙って確実に気絶させることは難しいし、狡猾な相手には気絶した振りをされる恐れもある。
 それに、人が倒れる音はかなり大きいのだ。

 シグルトは確実に締め落とした状態であるか確認すると、その哀れな兵士を縛りあげた。
 道具は、相手の衣服や帯である。

 猿轡は落ちないようにきつく締め、腕は後ろ手に拘束し、親指を別に縛った。
 足首と手首には、何回か巻きつけて抜けられないように骨の出っ張りに引っ掛ける。
 軽々と担ぎあげると、その兵士を近くの繁みに隠す。
 周囲を見て、争いの痕跡が残っていないことも確認しておく。
 
 武器は少し迷った末、奪わないことにした。
 中にまだ兵士が居るからである。

 この間、五分とかからなかった。

 シグルトは暇な時に、レベッカから習ったロープワークの訓練も欠かさない。
 この手の捕縛術は、盗賊や動物の拘束で使うため、冒険者にとっては必須の技能なのだ。

 見張りの無力化や隠密行動は、失敗が即死に繋がる場合もある。
 その点で、シグルトは堅実かつ妥協が無かった。

 裏口から別館に入ると、もう一人見張りが居た。

(正面に一人、裏口に一人。

 ならば、兵士はあれで最後だな?
 立っている扉の奥に、あの子が捕まっているはずだ)

 館に入って来たシグルトに気付き、その兵士が色めき立つ。

「貴様、誰の許可を得て入って来た!

 そこへ…」

 そしてシグルトの顔を見て、その動きが一瞬止まった。
 隙を逃すシグルトではない。

 瞬時に接近して、大声が出せない形に、兵士の肺と気道を軽く締める。
 手に持った杖の鋭利な部分を、相手の喉元に押し付け、恫喝する。

「…大声を出すな。
 息も大きく吸おうとするなよ。

 叫ぶ予備動作があれば、即座に声帯を抉る。
 その時は、手加減出来ない。

 お前は、質問に瞬きするだけでいい。
 「はい」なら一度、「いいえ」なら二度。

 いいな?」

 兵士は一回瞬きした。

「よし、まず一つ。

 この奥にいるのは、痩せた金髪の少年だな?」

 瞬き一つ。

「二つ目。

 正面玄関、裏口、そしてここ。
 兵士は三人で、少年一人。
 
 後の一人は、将軍の配下か?」

 目を見開いた兵士は瞬き一つ。

「三つ目。

 その男は中に、少年と一緒にいるのだな?」

 もう一度瞬き一つ。

「よし。

 用事は済んだ」

 シグルトは、そのまま頸動脈を圧迫して、その兵士を締め落とした。

 捕縛に長引いて、中にいる人物に気付かれると拙いので、シグルトは素早く兵士の服を脱がせ、服を引っかけたまま腕を後ろ手に拘束する。

 足も同様にし、近くに置いてあった花瓶を取って、服に水をかけておく。
 水を吸った衣服は締まって纏わりつき、脱げなくなるからだ。
 
 暗く狭い部屋で、剣はシャリスを傷つける恐れがある。
 武器の獲得は諦めた。

 兵士に猿轡を締めつつ、静かに床に下ろすと、シグルトは滑る様に奥の部屋へと向かった。

 その部屋は、明かりが落してあった。
 見まわすと、奥に両手を戒められたシャリスが寝かされている。

 同時に、自分に向けられる鋭い殺意に気付き、身構えた。
 振るわれた短剣を、手に持った杖で弾き返す。

「糞っ!」

 黒装束の男である。
 再び襲ってくる敵の攻撃を弾くも、服を掴まれ掠り傷を負うシグルト。

 相手は手練であった。

「《トリアムール!》」

 命じた瞬間、風が渦巻き、敵を退ける。
 シグルトは杖で敵を殴り据え、風がもう一吹きして壁に叩きつけ、その男を気絶させていた。

 手早く男の腕を縛って漢の被り物を猿轡代わりに噛ませると、シャリスに駆け寄った。
 シグルトの所作に、シャリスは気が付き、化生をした顔を見て目を丸くした。

「あ、あの、お姉さんはいったい?」

 自分が女給服だったことを思い出し、シグルトは思わず苦笑した。
 すぐに指輪を取り出し、片目を瞑ってみせる。

「…え?
 ええぇっ!?

 もしかして、シグルトさんですか?」

 これ以上ないほど目を見開いて、シャリスは驚いた。

「…いろいろあってな。

 今拘束を解く。
 少し、動かないでくれ」

 倒した敵から奪った短剣で、シャリスの拘束を解く。

「…どうしてシグルトさんがここに?」

 苦笑しながら、シグルトはきつく縄を絞められたせいで欝血したシャリスの手足を揉み解す。
 これから走って逃走するためである。

「約束したはずだぞ、〈人命優先〉だとな。

 導師アダ・ルサや、君の母君にも会って話をした。
 彼らに、お前の救出を頼まれたんだ」

 他に怪我が無いか確認しつつ、シグルトは現状に至るまでの経緯をかいつまんで話して聞かせた。

「アダと、母上が…?」

 信じられないという風に、シャリスが俯く。

「詳しくは後で話そう。

 もう、走れるな?」

 奪った短剣を護身武器代わりに渡し、シグルトが強く確認すると、シャリスはしっかりと頷いた。

 廊下に一歩踏み出した瞬間、「シグルトっ!」と呼びかけて来た声があった。
 女給からの伝言を受け、駆け付けたアダである。

「…む、敵か」

 シグルトは走る者が立てるかすかな甲冑の音に、眉をしかめる。

「逃げろっ、あちらの出口からっ!

 こっちの道からは、兵士たちが来る」

 了解と、シグルトとシャリスは走り出した。
 後ろから兵士たちのざわめく声がするが、振り返らずに速度を速める。

 入口をくぐって外に出た瞬間、爆音とともに『痩せた白豚亭』の屋根が吹き飛んだ。
 同時に、数本の火矢が飛来する。

 シャリスを後ろに庇い、女給服で飛んでくる火の粉を払い落す。
 焦げた服を払いつつ、シグルトは目の前の惨状に息を飲んだ。

「何と言う無茶を…郊外とはいえ、こんなところで火攻めだと?」

 見る間に館は燃え落ちる。
 おそらく、中の兵士や将軍の配下は一溜まりもなかっただろう。

「【火晶石】か…

 どうやら、祝いのためだけにリューンに来たわけではないようだな」

 さらに数人の男たちが現れ、シグルトたちの行方を阻む。

「その下賎な子供を、兵士たちに見せるわけにはいかないからな」

 男たちの後ろから、燃え落ちる館を背に、タキーシスが哄笑していた。

「将軍…何故此処に貴方が?!」

 アダが苦虫を噛み潰した様な顔で、思わず尋ねる。

「何、私だけではない。

 愛しい我が妃も一緒だ」

 タキーシスが促す先には、ディーリアナが黒衣の男に拘束されていた。
 
 「母上…?」と、シャリスが息を飲む。

「がっかりだぞ、我が息子よ。

 やはり、弱小貴族の娘の血が混じった者など、すぐ情にほだされてこの様か」

 悔しそうにアダが項垂れて唇を噛む。
 「父上…」と呟く彼の顔は、完全に敗北者のそれだった。

「我が貴族の青き血潮を穢しおって…

 我の血族として、少しは見どころがあるかと思っていたものを…」

 すると、話を聞いていたシグルトは、タキーシスとアダの間に立ち塞がった。

「親は子を愛してこそ親に成れる。

 血筋云々で肉親を道具としか見れない外道は、子を守って愛する獣にも劣る下衆だ。
 孤独に裏切られて果てる、為政者の典型だな。

 そんな奴が、助けたい者のために戦う、俺と肩を並べる者を侮辱するな」

 炎をその相貌に映して睨むシグルトは、まるで戦いの女神のように美しかった。
 少し怯んだタキーシスは一歩下がる。

「…ただの女給では無いと思っていたが、なるほどな。

 友は選んだ方が良いぞ、アダ?」

 気圧されたことを恥じたように、顔を紅潮させたタキーシスが毒づく。

「父上。

 彼は、一度も私のように揺らがず、シャリスを助けるために私を信じてくれた。
 この者がともに肩を並べる者と認めてくれたことを、誇りに思います。

 貴方の息子と呼ばれるより、ずっと」

 そう言い返したアダは、憑きものが落ちたかのような晴れやかな表情で、シグルトと並んで背にシャリスを庇った。

「…屑めが。

 丁度よい。
 下賎の屑どもには、すべてここで消えてもらおう」

 そう言うと、タキーシスは目を血走らせて部下に指示を出す。
 目立たないことを考えてか、手勢は武装しているものの少数だ。

 囲うように陣を組み、彼らは襲いかかってきた。

「シグルトっ!」

 アダが魔法の護符を使ってシグルトに魔法を掛けた。
 シグルトに強力な防御の魔力が働く。

「助かる…《トリアムールッ!》」

 敵の一人が、シグルトの振るった精霊術によって踏鞴を踏む。

「死ねぇっ!」

 タキーシスが抜刀して鋭い斬撃を放つ。

 シグルトは杖でブロックするが、獲物の重さによって突き放される。
 先ほどの戦闘で負った傷が開き、女給服に血が滲んだ。

 タキーシスも一国の将軍である。
 その技量はかなりのものだ。

 だが、長く戦場を離れていたのだろう。
 技には今ひとつ精彩に欠ける。

「これをっ!」
 
 アダが後ろから振りかけた魔法の薬が、シグルトの負った傷を見る間に癒した。
 憂いを無くしたシグルトは、女給服のエプロンをなびかせながら、疾走してタキーシスの間合いから外に出る。

「はぁぁあっ!」

 そのまま背後に身体を旋回させ、弧を描く鋭い一撃で、敵一人を殴り倒した。
 襲いかかってくるもう一人の攻撃は、翻したスカートで牽制する。

「…おのれっ!

 ひらひらと鬱陶しいっ!!」

 迫るタキーシスの斬撃を何とか避け、シグルトは朗々とトリアムールに命じた。

「《来い、トリアムールっ!》」

 吹きあがった風で、タキーシスが一瞬怯む。

「ふっ!」

 シグルトの姿が掻き消えた。

 その【影走り】の一撃で、タキーシスが吹き飛ばされる。

 かろうじてシグルトの一撃を止めた敵の剣は、半ばからひしゃげていた。
 防御を突破し、左腕を折った手応えもある。
 攻撃に使った杖は、魔法の品であるためが疵一つない。

「はぁっ!」

 さらなる踏み込みから、竜巻のような一振りで追撃するシグルト。
 脇の下から鎧にある隙間を穿つ打撃を受け、タキーシスはもう一度吹き飛ばされて建物の壁に叩きつけられた。

 木片と砂埃が宙に舞い、火の粉が弾けて赤く散った。

 最後の一人に向け、シグルトは舞うように一転して、さらに追撃を放つ。
 横にいた兵士は、木片まみれになった主を茫然と見つめ、隙ができていた。
 
 振るわれた杖がこめかみを殴打し、最後の兵士も白目を剥いて轟沈する。

 シグルトは女給服の裾を優雅に翻し、ふわりと着地した。
 燃える炎に姿を晒し、瞬く間に敵三人を打ち倒したシグルトは、凄絶なほど美しい。

「ぐ、ぁあああ!!」

 顔に刺さった木片や火の粉を疎ましそうに払い、タキーシスが立ち上がろうとする。
 腕が折れても猶立ち上がるその姿は、悪鬼の形相だ。
 
 結末は唐突だった。

 因果応報とでも言おうか。
 焼け落ちた木材が、タキーシスの脳天を貫いたのである。

 赤熱した木片はタキーシスの右目を穿って飛び出し、眼球が蒸発する嫌な音と臭いが周囲に満ちる。
 高貴な青い血を誇っていたその男の、飛び散った血の色は、舞い上がる火の粉にも似て赤かった。
 
 声も無く、冷血な将軍は絶命した。
 倒れるその音さえ、力無い。

「…父上」

 アダはその場に駆け寄り、跪いて頭を数回横に力無く振る。
 現実を認めたくない、とでもいう風に。

 そして、父親の残った左目をそっと閉じると、がっくりと項垂れた。

「アダ…」

 シグルトが声を掛けると、アダは吐き出すように言った。

「…私は何時でもこの人に、認められる息子になりたかった。

 何時か、そうなりたいと…思っていた」

 後ろで一部始終を眺めていたシャリスが、アダに駆け寄って声を掛けた。

「御免なさい、御免なさい…」

 鳴きながら縋りつき、謝るシャリスを見て、アダのぼやけていた目が理性を宿す。

「お前は悪くない。

 悪かったのは、この…野心に食われてしまった我が父だ」

 諭すように、アダはシャリスの頭を撫でた。

「私は、貴方を誤解しておりました、導師。
 貴方は父上と同じ冷血な人だと。

 でも、貴方はシャリスを護っていて下さったのですね」

 二人の姿を見たディーリアナが、自身の胸に手を置き、感謝する様に優しく語りかけると、アダは鉄面皮の表情を少し歪めて頭を振った。

「それは違います。

 私はこの子を見張り、そして何時か殺すつもりだった。
 それが唯一、私の存在意義、だった…」

 シャリスの頭を撫でながら、罪を告白するていで呟く。
 そんなアダを、シャリスが涙をぬぐって見上げ、強い口調で諭すように叱る。

「…嘘吐き。

 僕を殺す気なんて無かったくせに!
 部屋の鍵を掛けなかったくせに…」

 シャリスの言葉に、アダは泣き笑いの表情で頷いた。

「可愛いシャリス。
 私を救ってくれたのはお前だ。

 お前が信じたシグルトが、私たちを助けてくれた。
 私を信じ、ともに戦ってくれた。

 私は、得難い人物に逢い、そしてお前と一緒に救ってもらえた」

 シグルトが、鬱陶しそうに髪留めを解いた。
 夜風が、彼の不精な髪を、燃える屋敷の熱風と一緒に舞い上げて行く。

「アダ。
 何故この子は『樫の木荘』に戻ったと思う?

 …それは、お前が心配だったからだ。
 そうだな?」

 頷くシャリス。
 アダはあっけにとられた様子で、目を瞬いた。

「心配?

 私をか?」

 当たり前だ、というふうに、シグルトとシャリスが同時に頷いた。

「この子は分かっていたんだろう。

 自分がいなくなれば、お前が酷い目に遭うということを。
 タキーシスは、役立たずだと感じれば、お前を殺していたはずだ。

 救いたかったのは、鳥のアジェイだけじゃない。
 お前も救いたかったんだ。

 そうだな?」

 シャリスはもう一度、強く頷いた。

「私は、私を心配してくれる人間が…」

 感無量と言った様子で、アダは涙を流した。
 その一滴、一滴が、炎に照らされて幻想的な輝きを放っている。

「お前には、父に逆らってまで助けたかった者が居る。
 その子はお前を心配している。

 お前が正しいことを見つけて誰かを救おうとする度、そういう人は増えていくだろう。
 俺もそうだ。

 少なくとも、お前が選び、そのおかげでこの子を救えたことを、俺は感謝している。
 お前の中に敬うべきものがあると、感じている」

 シグルトは爽やかに笑い、励ますように頷いた。


 アダが少し落ち着くと、シグルトはいつもの理知的な顔に戻った。

「悩むことは多いが、まずは今後の処理を考えよう。

 幸か不幸か、目撃者は皆死んでいるか、仲間うちだ。
 気絶しているその男たちは、外見が怪し過ぎるから、捕えて縛って…自警団にでも引き渡すか?
 これだけの火災を引き起こしたんだ、十分な理由になるだろう。

 アダ、この際腹をくくり、事情を知っているお前が上手く処理するんだ。

 将軍の死は大問題だが、逃げるのはかえって拙い。
 王権を確立するために、タキーシスのライバルが生贄として、姫君やシャリスを狙う恐れがある。

 それに三人ではとても逃げられないだろう、姫君は身重だしな。

 ならば、だ。
 タキーシスには何度も酷い目に遭わされた。
 少し、こちらのために役立ってもらおう。

 それに、その方が、お前に父親は名誉を失わずに済むからな…」

 そう言ってシグルトは、自分の考えを話始めた。


 その後、将軍の不在と火災を気にして駆け付けた兵士たちに、シグルトたちは口裏を合わせてある証言をした。
 タキーシスの死体を見た兵士は色めき立ったが、それをアダが一喝して上手くまとめ上げた。

 シグルトがアダと相談して用意した策とは、以下のようなものである。

「将軍は、正当な王子であるシャリスがいることを知り、アダに匿わせていた。
 シャリスを連れ出そうとするものの襲撃で命を落してしまったが、勇敢に戦われ、不慮の事故で亡くなった。

 指導者亡き今、国は麻のように乱れるだろう。
 だから、ディーリアナ王女が王子シャリスを擁護し、女王として指導者に立つべきである…」

 ディーリアナもシャリスも、誇張とは言え嘘の無いこの話を聞いて、呆れ半分驚き半分といった様子だった。
 しかし、実際事故死だったタキーシスの死に様は、証言を裏付けるものになった。

 捕らえられた将軍の部下たちも、庇護者を失ったことから、アダの出した「助けてやるから口裏を合わせろ」という取引に応じ、上手く収拾したのである。

 前もって打ち合わせをしていたため、ディーリアナは毅然として現場の指揮を執った。
 被害者を救い、怪我人を治療させる。

 タキーシス他、死者の遺体は宿に運ばれ、事後処理に兵士たちが走りはじめる。

「慣れるまでは、大変でしょう。
 分からないことも沢山あります。

 でも、皆で力を合わせてやっていきましょう。

 手伝って下さい。
 私が統治者として間違わないように。

 どうか私に、皆の力を貸して下さい」

 愛する子を守るために、母は強くなる。
 シャリスを側に置き、ディーリアナは強い瞳でそう締めくくった。

 タキーシスよりも、この美しい王女は人徳があるのだろう。
 兵士たちは嫌な顔一つせず、嬉々とした様子で働き出した。

「さて、では本題を片付けに行くか…」

 一段落つくと、シグルトがそう言ってシャリスに笑いかけた。

「…え?」

 アダやディーリアナも首を傾げる。

「まだ日が変わっていない。

 ならば、約束通りアジェイを迎えに行かねばな。
 そっちが俺の受けた本来の依頼だったはずだ。

 大団円というには犠牲も多かったが、だからこそ、この先救われる者は多い方が好いだろう?」

 シャリスがぱっと明るい顔で頷いた。

「姫君。

 私が館を訪れても疑われないよう、一筆頂きたい。
 できるだけ急いで…日が変わらぬうちに、この子の依頼を遂げたいのです」

 女給服のスカートを摘み、シグルトは周囲の兵士たちが目を見張るほど優雅にお辞儀をした。


 その後、鳥籠に閉じ込められていた二羽の鳥は自由となった。
 鳥とはアジェイと、シャリスである。

 夜明の空に、アジェイを解き放つシャリス。
 自由を得たアジェイは、高く高く飛んでいたが、またシャリスの元に戻って来た。

「自由とは、選ぶことでもある。

 アジェイはお前の傍がいいのだろう」

 微笑んだシグルトに、シャリスは朝日のような笑顔で、大きく頷いた。

 
 事が片付いた後、シグルトは、預かっていた【指輪】をシャリスとディーリアナに返還した。
 形見の品を受け取るつもりなど無かったからだ。

 加えて【ディリスの盾】の処分をアダに頼む。
 紋章付きのブローチを無関係なシグルトが持つのは、妖しすぎるからだ。
 
 代わりにと、ディーリアナが見事な装飾の首飾りと、アダが銀貨千五百枚を報酬として渡してくれた。
 シグルトは、女給の真似事をした時に貰った銀貨数百枚でいいと言ったのだが、これでも少ないくらいだと言われ、有り難く受け取ることにした。

 今回の騒動で亡くなった兵士の遺族には厚く報いると、アダは事後処理の使命感に燃えていた。
 そして、シグルトに「終生の友になってほしい」と願い出て、それをシグルトが了承する。

 臣下としてディリスに一緒に来てほしいという、ディーリアナの申し出は丁重に辞退を願った。
 その代りにと、国に訪れた時は身元を保証してくれる確約と、通行をフリーパスにする証書を手に入れることができた。

 シグルトは一国の王と王子に面識を持つという、大きな快挙を成し遂げたのである。
 
 翌日後ろ髪惹かれつつも、混乱することが予想される国に還らねばならないという三人を見送り、シグルトは重い銀貨を手土産に宿に帰還した。
 …カールしたまま直らなくなった睫毛の処理に少し梃子摺った、というのはちょっとした余談である。


 後日、暫くリューンの貴族や使用人たちの間で、「ジークフリーデ」という美しい女給の噂が上がり、冒険者にも彼女を探す依頼が来たのだが、遂に彼女が見つかることは無かった。
 
 シグルトが手に入れた女給服は、タキーシスとの戦闘でぼろぼろになってしまったが、とりあえずしまっておくことにした。
 後にこの女給服で一騒動起きるのだが、それはまた別の話である。

 ディーリアナは、国に帰還すると正式に女王に即位して戴冠式を行い、その補佐に摂政としてアダ・ルサが就いた。

 軍の台頭が前々から国の財政を圧迫していたため、軍事費の縮小をしつつ民に優しい政を行い、ディーリアナの治世は名君の時代と讃えられるものになった。
 軍部との軋轢はあったが、子を得た母は強く、味方する将兵も多かったという。

 シャリスは、タキーシスの子として正式に名乗りを上げたアダ・ルサを後見人に第一王子として王位継承者に選ばれた。
 ディーリアナが生んだ第二王子は、母と兄に愛され、やがてアダ・ルサの跡を継いで摂政となり、国王をよく補佐して国政に貢献したという。

 ディリス王国には新しい風が吹こうとしていた。

 そんなディリス王宮の一角に、元々画才のあったシャリス王子が描いた、一枚の絵が掛けられている。

 三日月の杖を持った凛々しく美しい女性が、朝日刺す空に舞う一羽の鳥を見上げて、誰かを導くように杖を掲げている、というものだ。
 表題は『夜明けの鳥』。
 
 やがてその絵は、周囲の列強諸国に悩まされながらも、国を守り抜き歴史を重ねたディリス王国の、自由を象徴するものとなった。

 描かれた女性のモデルが誰であるのか、詮索する者は多かった。
 しかし、描いたシャリス当人は「ある人の名誉にかかわるから」と微笑んで、遂に明かさなかったという。



 ふみをさんの『夜明けの鳥』、再録になります。

 メモリの異常でテキストデータが吹っ飛び、パソコンがフリーズして再度吹っ飛び、セーブ前にWindowsが再起動しやがったせいでさらに書きかけで一部データが吹っ飛び…モチベーションまで吹っ飛んで一度書き直して、珍妙になった内容を大幅にカットして書き直すことなんと五回…度重なるトラブルによって非常に難産となりました。
 あまりにモチベーション低下したために書く文章がおかしくなって、脇でモチベーション回復のためにコモナー版の後輩キャラを作ったりと、まぁ紆余曲折御座いましたが、公開にこぎつけた次第です。

 このシナリオはソロ用ですが、長編でして結構なボリュームがあります。
 女装シーンがあるため、本来はコメディなんですが、旧リプレイ同様に開き直って堂々とカミングアウトしちゃったシグルトは、見た目も無双で御座いました。

 シグルトは隣国の王太子や名門貴族から求婚の絶え無かった母親の美貌を受け継いだ美貌でして、女装モードはりりしい感じの背の高いお姉様に見えます。

 さらに戦闘では【三日月の杖】を振り回すファンシーっぷり。
 「月に代わって…」と思わず某アニメのポーズを連想してみたり。

 苦戦しましたが、原本を書いた時も楽しんでた記憶があります。
 笑って読んでいただければ幸いですね。

 まぁコメディな内容もあったでしょうが、シグルトの用意周到で隙の無い姿が描写で北のではないかなと。
 それと子供に対する義務感や、決断する時は良心に従って迷い無く突き進む性格が表現できたのではないかと。
 誠実でお人好しで硬派ですからね。

 シグルトの態度の中に、元貴族らしい描写も出てきたと思います。
 シグルトは男爵家の妾の子という出生なのですが、実は母親が王族同然の元公爵令嬢で後に正妻になっていますし、父親は血筋だけなら中級貴族相当(祖父が侯爵家の正妻の子で武勲を立てて男爵になり伯爵の娘を貰い、その息子がやっぱり武勲で男爵となって家を継ぎ伯爵令嬢を娶って生まれたのが父親のアルフレト)で婚約者は伯爵家と名の付くものの方伯(いわゆる辺境伯)の娘だったりする、結構貴族らしい生活にどっぷり漬かっていた過去があったりします。

 シグルトの見せる様々な教養は、そういった貴族社会で生きるために必死に学んだものなので、女装をして完璧な礼法を使う女給を演じたりできるわけですね。

 まぁ、実際に男が女装をすると無理があるのですよ。
 シグルトは戦士ですから体格はがっしりしてるので、ゆったりした服を着ても肩幅が広い。
 男は喉仏もありますし、声だって女性っぽい声色はほぼ無理です。
 化粧も必要でしょう。
 女装するシーンでは、それをどう克服するかがポイントとなりました。

 トリアムールは召喚だけで声色無理じゃん、という方もいるかもしれませんが、精霊らしい悪戯ということで御勘弁願えればと思います。

 このシナリオは、シグルトの後輩や子供に対する義務感を表現する意味で、適していました。
 シグルトは妹がいて年下の者に対して強い義務感を持っています。
 
 アンジュを助けたり、このシナリオでシャリス王子を助けたりするのも、彼の中にある義務感と良心から起きた行動です。
 シグルトの場合、同情でそうするというより、自分が気持ちよく生きるためにそれをするタイプ。
 この決断力がシグルトの魅力だとも思います。
 
 
 最後の方の戦闘シーンですが、レベルが3で装備制限があり、勝てるか微妙でした。
 タキーシスはスキルこそ持ってませんが6レベルですし、一戦やった後ですから、召喚獣もあらかた発動した後ですし。

 しかし、技能配布アイテムは強いですね。
 スキル配布からのスキル連打で、今回も一気に勝ってしまいました。

 このシナリオ、確か勝ちで終わると、アダ・ルサが生き残ってちょっと報酬が増えたと記憶しています。
 何時の間にか【ディリスの盾】の防御効果も落ち着いていて(最初にプレイしたころは、全身鎧並の防御効果があったので)安心しましたし。
 
 報酬の指輪は返還した方がそれっぽいと思ったので、即売りして報酬扱いにしました。
 【ディリスの盾】も売り…じつはここでPyらしい恩恵をあずかることに。
 打ったアイテムがどちらもレアカードだったので販売価格が増えたのです。
 2つの販売価格で合計2250SP…なんだと?
 女給やった時のチップもありますから、首飾り売らなくても2600SP超えちゃいましたよ。

 【首飾り】は、マルコキエルさんのシナリオが公開してれば将来大金に化けたはずなんですが…今のところ難しそうなので、今回はディリス国王と王子とのコネの証ということにして残しました。
 伯爵家に続き、今度は王族とのよしみですよ!

 今回の収支は以下の通り。

・【ディリスの盾】売却(1125レア!)
・【指輪】売却(1125レア!)

・【傷薬】入手(シグルトの性格上、追剥っぽい行為は控えたかったので買った扱いになっています)
・【コカの葉】入手
・【首飾り】入手

 女給の仕事で、チップ+355SP

 シグルトの所持金 合計5405SP(他にわけてるお金合わせると11918SPもある…)

 これはそのまま籠手買いに行けるなぁ。

 苦労もしましたが、とても楽しく有難いシナリオで御座いました。


〈著作情報〉2018年09月15日現在

 カードワースはgroupAskに著作権があり、カードワースの管理、バージョンアップ、オフィシャルな情報等はgroupAsk official fansiteにて、カードワース愛護協会の皆さんがなさっています。

 このリプレイは各シナリオをプレイした上で、その結果を小説風リプレイとしてY2つが書いたものです。
 書かれた記事、書かれる記事は、特定のシナリオの名前が出たときは、そのシナリオの著作権はすべてそのシナリオの作者さんにあります。

 リプレイ環境であるCardWirthPy Rebootは2018年2月1日リリースされたCardWirthPy 2.3 - CWXEditor同梱版に拙作のカードワースダッシュStandard Editionを使ったスキンを作成してプレイしているものです。
 CardWirthPy Rebootは同名の開発サイト
 ( https://bitbucket.org/k4nagatsuki/cardwirthpy-reboot/wiki/Home )で配布されています。
 カードワースダッシュStandard Editionはこのブログのリンクから行ける、Y字の交差路別院にて配布しています。
 エンジンと付属物の著作権・開発状況・その他の情報は各配布元を御参照ください。

 【CW:リプレイ】、【CW:リプレイ、R】、【CW:リプレイ2】、【CWPyDS:リプレイ】等で書かれた記事、書かれる記事は、特定のシナリオの名前が出たときは、そのシナリオの著作権はすべてそのシナリオの作者さんにあります。
 また私がお預かりしているMartさんの“風を駆る者たち”リプレイの記事を参考にした内容は、それぞれのシナリオそのものの著作権はそれそれの作者さんにあり、参照記事はMartさんに著作権があります。
 御了承下さい。
 また、リプレイ中に使われる内容には、各シナリオで手に入れたスキルやアイテム、各シナリオに関連した情報等が扱われることがあります。
 それらの著作権は、それぞれのシナリオの作者さんにあります。
 またカード絵等の素材に関しては、シナリオ付属の著作情報等を参考にして下さい。

 『夜明けの鳥』はふみをさんのシナリオです。現時点でオフィシャルファンサイトのギルドにも登録され、下記サイトで配布されています。
 シナリオの著作権は、ふみをさんにあります。
 このリプレイの時のバージョンはVer.1.5です。
  
・ふみをさんのサイト『ふみをCardwirthシナリオ置き場』
 アドレス: ■ttp://www.geocities.jp/cwofumi/(■をhに)
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