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『碧海の都アレトゥーザ』 午後の余暇

2018.11.27(15:12) 485

 南海はアレトゥーザ。
 そこにある〈鼠〉の巣穴…すなわち盗賊ギルド。

 〈鼠〉とは盗賊のことだ。
 人間の生活圏に混じって、利潤をかっさらう。
 ある賢者が言った…人間が消え去った後、真っ先に滅ぶのは、人間の生活に寄生しきった鼠たちだと。

 暗がりのドブ、粘着いた悪臭のする泥水の中を、連中は走り回る。
 旨い物=いい話は無いものかと。

「…まだ坊主の真似事やってやがるの?
 敬虔な振りをするのは腹いっぱいだわ。
 胸糞が悪くなるぐらいに。

 うちの年寄り〈羊飼い〉の、説教は鬱陶しいのよ。
 たまにはしゃれた酒屋で上等なラム肉のソテーでも食べながら、背徳的な美酒を煽りたいものね」

 教会近くにある盗賊ギルドの連絡所に案内されながら、レベッカはアレトゥーザで盗賊ギルドの幹部を任されている隻眼の男…ファビオに毒づいていた。
 羊肉を所望する当り、相当に皮肉を込めている。

「まったくだ。
 ボスの考える謁見作法にはうんざりだぜ。
 〈鼠〉に信心深い振りなんぞさせても、ミミズみてぇな尻尾で汚水を跳ね上げて、くだらねぇと連呼するのがオチなのによ。
 下っ端に餌探しを押し付けて、どこぞの人妻を寝取ろうとでかい腹揺らしながら飲んだくれてる様子が目に浮かびやがる。

 〈子羊〉だって、薄ら冷たい四角い目だ。
 坊主の真似事なんぞしてると、そのうち俺の目ん玉まで角が立ちそうだぜ」

 〈羊〉や〈子羊〉は教会信徒のことを指し示す符丁である。
 〈羊飼い〉は聖職者のことだ。

 大半の盗賊は不心得者が多い。
 半ば犯罪者と言える盗賊は、その立場に至るまでに様々な苦労をしている。
 戒律を守り、清らかに生活するなど不可能。
 そういう過程でバッサリと信仰心を失うのだ。

「ま、他所様んとこで作法の良し悪し話しても腹は膨れないわ。
 本題に行きましょうか。

 結局、今の〈鮫〉騒ぎで、どんだけ〈漁師〉が駆り出されてるのよ?」

 アジトにつくと、レベッカはストレートに「いま海賊騒ぎで冒険者が駆り出されている状況」を尋ねた。

「ここいらじゃ〈家族総出〉だ。
 残ったのは毛も生えてねぇ〈餓鬼んちょ〉か、耄碌した〈年寄り〉、後は〈流れ者〉ぐらいさ。

 〈鮫〉の方が群れてて獰猛でな。
 狡賢い野郎が混じってるんだよ」

 〈漁師〉とは、〈鮫〉…すなわち海賊を狩る側の人間で、今回のような場合は冒険者のことを指す。
 〈家族総出〉はパーティのほとんどという意味である。
 〈餓鬼んちょ〉は新人、〈年寄り〉は怪我人や引退した冒険者、〈流れ者〉はこの都市以外の冒険者をそのまま指す。

 ファビオは、実質アレトゥーザの冒険者はパーティ単位で動けないと言っているのだ。

「ふぅん。
 なら、私らがちょっくらここの河岸で魚を釣っても、地元の連中とはもめないかしらね。

 お魚の群れに〈田舎者〉(ホブゴブリン)がいるって話なんだけど、〈領主〉とか〈英雄〉が交じってるようなやばい噂は無いわよね?」

 〈領主〉はゴブリンロード、〈英雄〉はゴブリンチャンピオンと呼ばれる変異種だ。
 敵勢力の情報は命にに係わることだ。

 レベッカは外様の自分たちにゴブリン退治の依頼が来る時点で、盗賊ギルドの方も多少動いていると見ていた。

 本来盗賊ギルドとしては、都市外の冒険者が地元の依頼をすることをあまり好まない。
 何れ出て行く冒険者が、討伐のような実入りの良い仕事をするということは、すなわちその都市の人材が不足しているという情報そのものになるのだ。
 勢力的にどこかのコミュニティが弱体化すると、影響を真っ先に受けるのが、情報を統制する裏の組織である。
 外の人間に弱みを見せたくないため、外様の冒険者が仕事を受ける場合は何らかの印象操作、情報操作をすることも多い。

「そうさな…〈まじない師〉も交じってなかった様子だが、ちょいと〈田舎者〉と下っ端ばかりにしちゃ、統制が取れてたみたいだ。
 上位種がいなくてこういうパターンだと、まず〈黒兎〉や〈山羊〉が混じってやがるかもだ。

 あんたらが受けてくれるならありがてぇ。
 名が知れてる分、義侠心で受けた流れで噂を流せるからよ。
 そん時は俺がケツを持つ。
 気を付けてやってくれ」

 〈まじない師〉はゴブリンシャーマンのこと。
 〈黒兎〉はダークエルフ、〈山羊〉は悪魔崇拝者や邪教徒を意味する。

「げぇ…マジ?
 〈黒兎〉が混じってたら、倍は貰わないと話にならないじゃない!

 もし野郎の黒い耳を掴んだらくれてやるから、あんたたちの方からも増額しなさいよね」

 ダークエルフ。
 邪悪な行いに染まった黒い肌のエルフである。

 エルフ、というのはこの世界に人間同様に存在する亜人種のことだ。
 基本的に人型で、人間に近い知性を持ち交渉が可能なものを亜人、まともな交流ができないものは妖魔として扱われる。

 エルフは精霊を祖とする妖精の末裔であり、森を拠点に活動するウッドエルフや砂漠を放浪するデザートエルフ、高度な文明を築いたハイエルフ…
 様々な種類が存在する。

 そして、闇の精霊や邪教と深く関わり、肌の色が黒く変わったものをダークエルフと呼んでいた。

 ダークエルフは、そもそも存在自体が異端とされ教会組織からは忌み嫌われており、普通のエルフたちからも不倶戴天の敵とみなされていた。
 加えるなら、そのように扱われてしかるべき行動をするものが多く、ダークエルフと言えば犯罪者や反社会主義者であるということも珍しくない。

 レベッカの言う黒い耳とは、ダークエルフ関連の情報を示し、別の犯罪組織がその後援にいる場合はアレトゥーザの盗賊ギルドでも重要な情報となるからだ。
 得意海賊が暴れまわっている時に連動しているため、妙にきな臭いと感じていた。

 優れたダークエルフは、持った力を背景にゴブリンなどの下級妖魔を統率して度々問題を起こし、実力は中級冒険者を凌ぐこともある。
 もしダークエルフが首魁となる討伐であれば、銀貨千枚ぐらいは貰い受けるものだ。
 ついでに報酬を増額するために手を打つ、ということである。

「ま、しゃあない。
 ちょうどいい〈網〉(手段…この場合は技能のこと)も手に入れてるし、うちのリーダーに話しておくわ。

 他には何かない?」

 前渡しで情報料代わりのネタはは渡してある。
 それで手に入る限りの情報を、とレベッカが促すと、ファビオはここで真顔になった。

「…ちょいと噂なんだがな。
 この間お前んとこの色男に尻雑巾させられた坊主だが、“獣(ベスティア)”と接触を取ろうとしてるみたいだな。
 提示した報酬が安くて、今回は野良犬を飼うのが精いっぱいだったみたいだが。
 “獣(ベスティア)”は最近、南海で仕事してる素手の格闘術を芸にした凄腕の用心棒だ。

 野良犬の中に一匹結構やんちゃのがいる。
 血に飢えてる奴だから気を付けてな。

 あと、とんでもねぇ〈虎〉がもう一匹南海に住み着いた。
 “紅き月”が南海にいるってのは聞いてるか?」

 レベッカが後の方に聞いた二つ名に、ばっと顔を上げた。
 冷たい汗が滴る。

 暗殺業に身を置いたこともあるレベッカは、同じ業界の実力者のことを聞き知っていた。
 彼女の知る限り、殺し屋や暴力を生業にする者たちの中で台頭した新参者では、最高峰の一人。

「…“紅き月”って“血塗れの暴龍”とか“鉄の鱗”とか、複数の二つ名で呼ばれてる仕事請負人よね?
 ここ何年かで大暴れして、業界の新人では化け物って言われてる…

 白昼堂々、護衛に囲まれてた要人の首を刎ねて逃走したとか、山ほど矢を撃ち込まれたのに避けもせずに跳ね返して十人斬り殺したって馬鹿みたいなことやってのけたって聞くわ。

 ほとんど情報が入ってこないんだけど、最近組織を一つ潰したって噂があるわね」

 ファビオが頷く。

「…噂じゃねぇ。

 この間フォルトゥーナの悪党の巣窟に、たった一人で殴り込んで皆殺しにしたのかそいつだ。
 数で脅して引き込もうとした暗黒街のボスをぶった斬ったらしい。
 十人以上いるそれなりの護衛を、単身で突っ切ってな。

 子供を殺すのと盗み以外は、金次第で要人暗殺から用心棒まで荒事専門で請け負うそうだ。
 律義だが、敵には容赦しない徹底した仕事っぷり。
 アンデッドも真っ青ってぐらいタフで、三階から壁を駆け下り、泥濘で飛び跳ね、橋の欄干の上を走って追っ手を撒いたんだとか。
 多分、野伏どもが使うような悪所の踏破術をマスターしてやがるんだろう。

 俺の所の情報じゃ、東宝系の名を名乗ってるらしい。

 やばい奴だから、関わらないように気を付けてな」

 レベッカは、「心するわ」と眉根を寄せた。


 賢者の塔に寄ったロマンは、図書室に行きたいのを我慢して、今日アレトゥーザに戻ってきた旨を報告した。
 一応は派閥に属する魔術師学院連盟…学連にも籍を置く魔術師だからだ。

 面白い講義を開かないかチェックし、図書室が閉まっている日や、著名な魔術師の滞在等を調べ、同門を見かけたらできれば声をかけるつもりだった。

 めぼしい情報が無かったため、つまらなそうにしていると眼鏡をかけた魔術師…エルネストが声をかけてくる。

「ロマン君、久しぶりですね。
 
 今はアレトゥーザ中の魔術師が海賊退治の関係で海軍に駆り出されていますから、ろくな講義が無いでしょう?」

 何度かと種室に通ううち、ロマンはエルネストと懇意になっていた。
 この魔術師は優秀で、南方大陸から渡ってきた魔術の講義なども行っている。

「お久しぶりです、エルネスト師。
 ついこの間までフォーチュン=ベルの方にいたのです。

 調合術の方を少しばかり齧ってきました」

 そういって、道具袋から【知恵の果実】や【若返りの雫】を取り出す。
 いつもは無表情なエルネストの眉がピクリと動いた。
 ロマンの出したそれらが高品質であることを見抜いたからだ。

「これは…。

 君なら奥義と言われた【エリクサー】や、伝説の【賢者の石】に手が届くかもしれませんね」

 過分な評価に、今度はロマンの方が困ったような表情になった。

「実はこれらは失敗作なんです。
 効果自体は一般のものより高いけど、それ以降に材料として用いようとしても調合ができません。

 推測ですが、【エリクサー】に至るにはもっと振り幅がある普遍的な品質の方が良いのかも。
 次に機会があれば、試してみるつもりです」

 ロマンの出した答えに、エルネストは「なるほど」と興味深そうに頷いた。

「…これらの調合ができることは、あまり公けにしない方が良いでしょう。
 調合法を悪用すれば、莫大な富を生み出せます。
 賢明なロマン君はそのような愚かなことはしないでしょうが、あなたのような年齢の者がそういった力を持っていれば、取り込もうとする輩も必ず現れます。

 特に老害とも言える魔術師たちには。
 金は実権や地位を得るために役立ち、若返りや万能の薬は彼らに邪な時間を与えるでしょうから」

 不意にエルネストがそのような忠告をする。
 ロマンは「わかっている」というふうに頷き返した。

「そのあたりは大丈夫です。
 最近僕のパーティのリーダーが、貴族と懇意になりましたから。

 “風を纏う者”は伯爵家の御用冒険者というわけです。
 その手の老害は、狡賢いですから手は出せないでしょう。

 僕がエルネスト師に話すのも、半分は僕らにちょっかいをかけるなと知らしめるためです。
 知識と技術があることを示して興味を持たせ、背後を調べさせて身を引かせる。

 こういう情報の使い方は、師の方が心得てらっしゃるでしょうから」

 実力を示し、権力を背後にちらつかせる。
 黒い手段だが、有象無象の欲深な人間を退けるのには手っ取り早いのだ。

 人の好い様子をさらしていればむしり取られる…だから力を示して遠回しに周りを威圧するのは、魔術師が良く行う社交術である。
 
「君のような少年が、〈畏怖の外交〉を使うのですか。
 末恐ろしいですね。

 賢者の塔は君を決して軽んじないでしょう。

 ただ、先日ちょっかいをかけてきたような輩もいますので、油断はしないように。
 彼の御仁は先日人体実験をして学連から追放され、素行の良くない人々と付き合っているようですから」

 ロマンは、前に難癖をつけてきたヒギンという魔術師の濃い髭面を思い出し、げんなりとした。 


 ラムーナとジゼルは連れだって、アデイを訪ねようとしていた。

 ラムーナは、しばらく依頼で出かけることを報告するため。
 ジゼルは、本格的な舞踏を学ぶためである。

 アデイは、大運河の側にある劇場跡で海を眺めていた。

「なるほど。
 事情は分かったわ。
 私は身体が不自由だから、踊って教えることはできないけれど、あなたの舞踏家になりたいって夢は全力で応援するわね。
 その気持ち、とってもわかるから。

 ジゼリッタさんだったかしら?
 まずは体力をつけないといけないわね。

 舞踏の基礎は、最後まで踊り切ること。
 あなたは動作に関しての才能はあるけれど、姿勢を長時間維持したりするのは苦手そうね。

 まずは体臭を消し、筋が角ばって見えないようにできるだけ内部の筋肉を鍛えて、徹底した柔軟さを得るための食生活をしないと。
 そのために、アレトゥーザの海産物と南海地方の果物をたくさん食べてね。
 体力を維持するためにものすごく動くから、肥える心配は全くないわ。

 身体の柔軟運動はそれなりにできるみたいだけど、まだ硬そうね。
 きっと躍動的な踊りではなく、舞のようなゆったりとしたものが素地になってるのでしょう?

 大都市で開かれる舞踏の大会では、躍動感と流麗さの両方ができて初めて及第点。
 両方できるように技能を磨いて行きましょうか」

 話を聞いたアデイは快諾して、ややフライング気味に今後の方針を話し始めた。
 新しい弟子ができたことが嬉しいのか、黒曜石のような瞳がキラキラしている。

 ラムーナは芸能として舞踏を極めるつもりが無いのだそうで、アデイは「せっかく才能が」と残念に思っていたのだという。
 舞踏家であれば、大抵の者は披露する場を求め、その道で成功することを夢見るのにだ。

「う~ん、私って冒険者だから、仲間と一緒にいられて生活できればいいんだ。
 闘舞術も、私に一番合ってる戦いの技術だったから。

 私は舞踏家だけど、第一に戦士なんだよ」

 元々最底辺の生活だったラムーナにとって、優先すべきは生活に役立つ技術であり、仲間に貢献することだ。
 愛する姉を病で失い、親に売られたラムーナは、手に入れた“風を纏う者”という居場所を失うことが最も恐ろしかった。
 冒険者として経験を積む上で、自分に求められる役割は何かちゃんと自覚している。

 冒険者をしながら舞踏で成功することを夢見て、二足の草鞋を履こうとしているジゼルは考えが甘い。

 でも生々しい話でジゼルの夢を貶めるのはあまりに無遠慮。
 天真爛漫に見えて、ラムーナは周囲の空気を読む女の子なのだ。

 妬ましいほどに、ジゼルには才能がある。

 ラムーナは自身の才能をよく自覚していた。
 身体は軟らかいし俊敏ではあるが、自分の才能はあくまでも常人より優れているライン。
 決して天才の類ではない。

 対して、ラムーナの周囲にいる仲間たちは天賦の才能を持った者ばかりだ。

 リーダーのシグルトは、英雄となりうる器と期待され、結果を出し続けている。
 レベッカの器用さと狡猾さは盗賊として最高峰だ。
 ロマンは子供でありながら大人の学者を論破するほど頭が良い。
 スピッキオは聖職者としての地位を持ち、治癒の神聖術を使いこなせる。

 貧民出身で奴隷身分を経験し、春を売る姉を見て両親に虐待されながら育った。
 生まれた時から「いらない存在」と親に断じられ、姉に依存するしか生きられなかった少女時代を過ごしたラムーナは、自分が役立たずになって捨てられることが何より恐ろしいのだ。

 シグルトたちは絶対に自分を見捨てないと分かっているし、信頼してもいる。
 それでも、冒険者は〈険しきを冒す者〉。
 いつどこで誰から野垂れ死ぬか分からない…だから、ラムーナの中には過分な夢を持つのは贅沢だと思っている。

 多くの人間は、現実的なことを少しでも言葉にすれば、そんなことは無いと怒りだす。
 平等と人権を謳う思想家が実際はただの働かない借金魔だったり、自分は実はお姫様で運命の王子様が迎えに来てくれると信じている頭がお花畑の小娘は気が付けば薹が立っている。

 かつて戦で負傷し退役させられた父が、自慢げに何人の敵を殺したか語っていたが、「なぜ軍隊に戻って兵隊をしないの?」と聞いた弟は、普段ラムーナよりも可愛がられていたにもかかわらず歯が抜けて顔を血塗れにするほど父に殴られた…自分が同じ言葉を口にしてたなら殺されていただろう。

 作り笑いをしながら、今の自分は嫌な目をしているのだろうと自己嫌悪する。

「私、実は心臓の病気なんです。
 最近は調子がいいけど、そのせいで小さい頃から激しい運動をさせてもらえなかったので。

 こんな私でもちゃんとした舞踏家になれるでしょうか?」

 ラムーナの考えに気付きもせず、アデイに体力の無さを指摘されたジゼルは、不安そうに問うた。

 「心臓の病気なの…」とアデイは少し暗い表情になった。

 昔から心臓を病んでいた人間は多い。
 運動をする者にとって大変な妨げになることも知られていた。
 心臓移植などの技術が無い時代、この類の病気はほぼ不治の病でもある。

「…あのね、ジゼルさんは病気以前に呼吸の仕方が悪いんだってシグルトが言ってたよ。

 心臓病の人は動悸のせいで呼吸が切れ切れになるから、肺に残った息を全部吐いて新しい空気を吸い込まないといけないんだって。
 古い空気が肺に入ったまま次の呼吸をすると、疲れやドキドキが治まらないし、心臓を締め付けた状態が続いて良くないの。
 急激な呼吸は心臓を締めることがあるし、病気によっては深呼吸が逆効果になる人もいるらしいけど、ジゼルさんの病気には呼吸とそのために使う筋肉の鍛錬がとっても大切みたいだよ。
 そういった身体の中の筋肉を鍛えることで、心臓の筋肉にかかる負担も少なくできるんだって。

 舞踏家って、踊りの間に的確に呼吸をして、その空気でメリハリのある動作をするから、まず呼吸のための姿勢と正しい呼吸の仕方をマスターすればいいんじゃないかな?

 私、冒険者になりたての頃は猫背で姿勢が悪くて、上手く呼吸ができなくて今の半分も体力が持たなかったんだ。
 シグルトに言われて、アデイ先生に体幹を矯正する姿勢の取り方を習って、上手に息が吸えるように呼吸筋っていう筋肉を鍛えたら、私の心臓もドキドキするの抑えられるようになったから。

 私もジゼルさんの先輩冒険者として、主に生存術(サバイバル)と養生術(健康法)の教育担当になってるから、一緒にいる時にやり方を教えるね」

 昼食の時の相談で、シグルトが一般的な冒険者の知識と護身術の指導、レベッカが斥候の技術と地形踏破のやり方を、ロマンが主要言語と怪物や動植物の知識教育、スピッキオが宗教と法律に商業知識などを教導する算段になっていた。
 ラムーナは生活や生存にに関わることの指導になっていた。

 無茶をするはずの冒険者になぜ養生術が関係するのかというと、実は生水を飲んで腹を壊した後の回復の仕方や、攻撃によってダメージを受けた場合に身体に歪みを残さず回復することも、生き残るために大切な要因だからだ。
 意外と知られていないが、傷薬の飲み過ぎで引退後に光を忌避するようになったり、骨折の後遺症で歩けなくなる冒険者は多い。
 骨接ぎの仕方や、怪我をした時に破傷風にならないための応急処置、傷の縫い方、一般的な薬草の知識など、憶えることは多岐にわたる。

 “風を纏う者”の中でこういったことの第一人者は、間違いなく医術に通じたシグルトなのだが、  彼は〈同性〉のラムーナにそれを任せた。
 養生術には、女性特有の生理現象や野外生活における着替え方などのノウハウも含まれており、ラムーナはそれらをレベッカに教わっている。

 「お手柔らかにお願いね」とジゼルが上目遣いで見返すと、ラムーナは俺はそれはいい笑顔で「うちの方針はスパルタだよ~」と切り返すのだった。


 スピッキオは教会でマルコ司祭に旅立つ挨拶をしていた。

「そうですか。ゴブリン討伐に。
 確かに海賊の活動が活発で、怪物の討伐依頼が疎かになっていますからね。

 議会制のアレトゥーザは、君主制の国家よりはそういった討伐にも援助金を出すのですが、融通の利かない性質もありますから」

 先日船の衝突事故で多数の死傷者が出た時、新しい神聖術を習得したスピッキオが多くの人間を救ったことで、教会の穏健派に属する聖職者はスピッキオに敬意を払うようになっていた。
 アレトゥーザの教会で多くの聖務を任されるマルコ司祭もその一人である。

 マルコ司祭は、アレトゥーザの聖海教会では穏健派の筆頭として知られていた。

 聖海教会は今、大きく分けて三つの派閥がある。

 一つ目が保守派と呼ばれる原理主義者たちで、精霊信仰や土着信仰を排斥し、厳しい異端弾圧と正義を重んじる派閥。
 二つ目が穏健派と呼ばれる平和主義者たちで、土着の信仰や異教・異文化との折衝を行い共存をするべきとする派閥。
 三つ目が中立派あるいは修道派と呼ばれる者たちで、事なかれ主義か俗世の些事に関わるべきではないと考える派閥である。

 スピッキオは元は修道派の修道士であり、修道院を追われて聖職者となり、巡礼を経て穏健派になった過程がある。
 そも中立派は派閥などを意識していない者が多く、紛らわしいことにスピッキオが修道院にいた時は「修道院の中の派閥」で凌ぎ合っていた。

 現在のアレトゥーザにおける教会事情は、保守派の方が多いものの、穏健派として教会の若手におけるまとめ役のマルコ神父とアレトゥーザの市長が穏健派であるため、勢力が均衡している状態だ。

 スピッキオ自身は自分の立場に頓着していないが、実際のところはマルコ神父に次ぐ穏健派の中核的な聖職者として認知されつつある。
 実家は南海でも有力な商会であり、会頭である兄はスピッキオの教会に多大な援助をしてくれる立場にあった。
 シグルトを通じて、西方貴族との縁を取り結ぶこともしたため、交易を行う立場の商人たちも穏健派に加わり始めた。

 保守派を信奉するのは、原理的な教会崇拝者や、精霊術師が精霊宮を放棄したことで災害による被害を受け逆恨みをした人間に多く、古い権威にこだわるアレトゥーザの議員や、交易によって仕事を奪われた者、貧しい民なども加わっている。
 悲しい話だが、生活苦に喘ぐ者は何かを憎むか信仰に縋ることで精神の均衡を保つ者が少なくない。
 交易品の輸入で仕事を失った職人や、土地の汚染で食物の栽培が難しくなった貧しい農夫たちは、ことさら精霊術師を目の敵にしている。

 南海における保守派の指導者は、現在法王庁において法王選定会議(コンクラーベ)で法王候補として挙げられているマツォーニ枢機卿である。
 貧民の救済を掲げる潔癖な人物だが、あまりに潔癖な性格がたたり、法王選定会議では不利という話であった。

 保守派の中にも賢人はいる。
 しかし、現在は一部の原理主義者が暴走して、精霊術師や異教、女性を差別する過激派が勢力を持ち、暴力で攻撃する事件が増えていた。
 マルコ司祭やスピッキオも、ミサを妨害されたり、説教の最中にヤジを飛ばされることは頻繁にあり、神聖術の【聖なる矢】で演台を破壊されるといった事態まで起きている。

 スピッキオとしては、ゴブリン退治や他の都市に行くということで、一旦アレトゥーザを離れるのは都合の良い。
 彼がいることで保守派の心情を逆なですれば、周囲の人間が被害に及ぶかも知れない。

 幸い保守派の側にも過激派の暴力を苦々しく思っている者たちがおり、距離を置いて頭を冷やせば、彼らが暴走を鎮めてくれる可能性が高い。

 シグルトの提案でペルージュに行くという話も、有難い話であった。
 
 ぺルージュの司教座に属す知人の教会が、風繰り嶺の側に広がる荒野にあった。
 修道士として修業する頃に後輩として世話を焼いた縁があり、特別な才能を見込まれて修道士から退魔師となって聖北教会に即すようになってからも、ずっと手紙をやり取りする仲であった。
 その人物は今は司祭位になり、教会の異端裁判によって生まれた孤児や、悪魔の憑依によって人生を狂わされた子供たちを引き取り、人の行き来が少ない荒野に教会を建てて子供たちを育てているという。

 縁が無くなかなか彼の教会を訪ねられなかったが、この機会に訪問して一晩信仰について語り明かすのも悪くない。

 挨拶を終えたスピッキオが神に祈ってから、一足先に宿に帰還しようと礼拝堂に入ると、祈りの姿勢でロザリオの珠を繰りながら祈る信徒の姿を目にした。
 澱みの無い神聖語の祈りの言葉は、聖典に書かれたものをそのまま丁寧に読み続けたからこそできる、熟練したものだった。

 関心関心と側に近づくと、その人物はスピッキオに気が付いたように祈りを止め、無言で頭を下げた。

「これは失礼した。
 祈りを遮るつもりはなかったのじゃ。

 どうぞ続けなされ」

 スピッキオに促されると、その人物はもう一度頭を下げ、祈りへと戻った。

 まだ若い。
 ラムーナと同じぐらいの年頃だろうか。

 紺色の質素な服に腰には剣を佩き、背丈は高くも低くも無い。
 中性的な外見で肌は雪のように白い。
 扁平な造形ではないが、東洋系のエキゾジックさを感じさせる顔立ち。
 伸ばした曲の無い黒髪と神秘的で深い色の瞳は、西方ではあまり見られない類のもの。
 端正な顔立ちをしていて、一目では美しい少年なのか男装の美少女なのか判断がつかなかった。

 男性にしては高く女性にしては低い、優れた肺活量から発生される深みを備えた音声。
 喉を見て、男性には見て取れる凹凸が無いことで娘であると初めて判断できた。
 
 ロザリオの珠を一周繰り、祈りを終えたその娘は立ち上がると、スピッキオにもう一度礼をした。

「随分熱心に祈っておられたの。

 感心なことじゃ」

 称賛の言葉をかけると、娘は「いいえ」と首を横に振った。

「私は、全ての戒律を守れない業深い身の上で御座います。
 天国に行くことはできますまいが、せめて懺悔のために祈っているのです。

 司祭様より、お褒めの言葉を戴く資格など御座いません」

 その言葉でスピッキオは事情を察した。
 彼女の伏せられた目は、ちらりと腰の剣に向けられたのだ。

 おそらくは冒険者か傭兵。
 人を殺したことがあるのだろう。
 
「御国の門は、信心深き者すべてに開かれておる。
 悲観せず真摯に祈りなされ。

 すべての罪が主の愛で贖われたように、あなたの祈りも天に届いておるじゃろう」

 少しだけ目を見開いた娘は微笑むと、もう一度頭を下げて去って行った。

「あのような敬虔な者も手を血に染めるのか。
 物悲しいことじゃの。

 主よ、あの娘御の未来を照らしてやって下され」

 スピッキオは、いつもの祈りとともに、今日出逢った敬虔な娘のために祈るのだった。
 

 精霊術師レナータは夕暮れの町並みを独り歩いていた。
 
 普段は買い物以外めったに外出せず、『蒼の洞窟』にいることが多いレナータだが、今日はなんとなく外に出る気になった。
 
 今まで独りでいることは平気だった。
 何とか生きてきたし、普通の人に精霊術師という力や感覚を無理に理解してほしいという気持ちでもなかった。
 孤独という状況には慣れていたはずだ。
 
 でも最近、ふと無性に寂しくなって思い出す人たちがいた。
 
 自分と同じ精霊術師としての才能に溢れ、もうすぐレナータを凌ぐのではないか、と思わせる人物がいる。
 レナータに精霊術を学ぶため、『蒼の洞窟』に時々やってくる冒険者の若者だ。
 
 最初の頃は気弱な気配があったその若者は、先日再会した際、瞳に自信が漲っているのを感じた。
 精霊術師として共通の感覚や知識を持っていることから、あまりしゃべらなくても分かり合える、親近感のようなものがある。
 おそらくそれが〈同属〉の共感なのだろうとなんとなく思う。
 
 互いに理解し合える、同じ何かを持った者同士。
 
 言葉で表現するのはとても難しいが、その若者に精霊術を教えるととても充実した気分になった。
 新しい精霊術を習得し、瞳を輝かせていた彼を思い出し、レナータは頬を緩めた。

 他にも、自分に好意を寄せてくれる人間は複数存在する。

 最近新しい交易路ができたことで、リューンなどの西方都市からどっと人が流れ込んでいた。
 特に冒険者。

 アレトゥーザには、過去精霊術師と教会との間に大きな諍いがあった。

 自分が師との旅を終えてアレトゥーザにやってきた時、すでにこの都市の多くの人間が精霊術師を悪いものと考えるようになっていた。
 精霊宮か放棄されており、度重なる自然災害がアレトゥーザを襲ったことを、教会は精霊術師の職務放棄のせいだとして喧伝し、それを信じている人間が多い。
 多数派とそこに住む者たちの事情こそが、常識という正義になるのだ。

 師レティーシャに水の精霊術の手ほどきをしてくれた恩師、カッサンドラという精霊術師がいた。
 優れた精霊術師であり、名門カヴァリエ―リ家の遠縁に当たるというその女性は、精霊宮で水害を防ぐ部門の責任者であった。
 水の上位精霊である水姫アレトゥーザの召喚に成功し、穢れた水を浄化して人々の病を癒した彼女は、蒼の洞窟に南海の海路へと襲い掛かる海の魔物を退けるための装置を設置し、祖国を大いに発展させる貢献をしていた。
 
 カッサンドラは異国や異文化との交流を推奨する先進的な考えの持ち主でもあった。
 ウッドエルフであるレティーシャにも種族的な差別をせずに接してくれたという。

 当時さらなる十字軍の東征を企画していた教会は、異教徒たちとの交流の中核でもあったカッサンドラを疎ましく思っていた。
 精霊術師たち、特に水の女精霊術師を、水害を自分で起こしそれを鎮める自作自演の魔女だと因縁をつけて迫害し始めたのもその頃からである。

 これに対し、カッサンドラは「アレトゥーザ市の交易に東征は毒である」として、商人たちを味方につけて十字軍の編成を阻止しようとした。

 十字軍を聖務と考えていた教会と結託していた一部の聖堂騎士たちは、カッサンドラの言葉に怒って暴走し、弟子を人質にしてカッサンドラを拘束、魔女として火刑を宣言した。

 死ぬ覚悟を決めたカッサンドラは、密かに水姫アレトゥーザの聖女化を画策していた教会の目論見を見抜いて召喚の奥義書をカヴァリエ―リ家に返還し、弟子たちの命を救うため火刑を粛々と受け入れた。
 弟子たちはカッサンドラとの約定で命は救われるはずが、それを破った騎士たちによって殺されそうになり、精霊宮の他の術師たちによって助け出される。
 数々の悪行に怒り狂ったカッサンドラの弟子たちは、火刑に携わった教会の高僧数名と騎士たちをケルピーの力によって溺死させる事件を起こす。
 十字軍計画はこの事件で頓挫し、教会は少なからず汚名を負うことになった。 

 当時の市長は、ことの重大さを感じ取って緘口令を引いた。
 あまりにアレトゥーザと言う都市にとって不名誉な事件であったからだ。

 教会の名誉を重んじるという名目で事件を「不幸な行き違いと一部の人間の暴走」として処理し、カッサンドラの処刑に携わった僧侶と騎士たちを教会の穏健派が破門に、復讐に携わった精霊術師たちは国外追放となった。
 カッサンドラの魔女狩り事件があまり明るみに出ていないのは、都市議会と教会の共謀による隠蔽工作のためなのだ。

 だが、カッサンドラを慕っていた者、事件を隠蔽した都市議会や教会に対し不満を持つ者、魔女狩りが起きるのではないかと恐れた多くの者…多くの精霊術師たちが精霊宮の放棄という暴挙に出るのである。

 教会側は事件による汚名を隠すため、その後に起きた諸問題を精霊宮の放棄のせいだとして市民の恨みの矛先をそらし、自然災害や水質の汚染で被害を被った市民たちの多くが精霊術師を憎む状態になった。

 それがアレトゥーザで精霊術師が迫害される原因の真相であると、最近師から貰った手紙で知った。

 不毛な話だと思う。
 事件があったのはレナータの生まれるより前の話だ。
 精霊宮を出てしまった者たちとの因果関係すら、ほとんどない。

 レナータのもとに精霊術を学びに来るのは、その多くが冒険者たちである。
 他の都市の精霊宮に引きこもった精霊術師が、アレトゥーザまで来るはずがない。

 師の師に当たる人物が殺されてしまったのは不幸なことだが、二十年以上昔の話。
 その時代の柵によって今の自分が迫害されるのは、何とも言えない切なさを感じた。

 師の手紙を届けてくれたのは、幼少の折に姉弟のように接して育った師レティーシャの息子である。
 ハーフエルフである彼…フィランダーは、レナータと別れてから故国に帰った後冒険者となり、今では“黒獅子”フィルと呼ばれる凄腕の剣士に成長していた。
 ローズレイク流の獅子の剣を使い、黒髪の蓬髪で大剣を野獣のように振るう様からそう呼ばれるのだという。

 すっかり背が伸びて精悍になったフィルに、「もう“子獅子”ではないのね」とレナータがからかうと、ぶすっとした顔で「今じゃ、そう呼ぶのは姉さんぐらいだ」と尖った耳を掻きながらそっぽを向いた。
 フィルの父親は“獅子心剣”と呼ばれた騎士だったので、師が「私の“子獅子”ちゃん」と呼んでいたのだが、父親を誤解から憎んでいた誇り高い彼はその二つ名がすこぶる嫌いで拗ねていたものだ。

 フィルは、レナータやフィルと一緒に育てられた吟遊詩人のセラ、フィルの異母妹である魔術師のソフィ、優秀な軽戦士で盗賊でもあるロブ、精霊術師で剣も扱える戦士のボアズ、僧侶で補助術法を得意とするパムの六人で“輝きを歌う者たち”というパーティを組んでいる。
 北方の方で活躍し、大陸でも指折りの実力者たちということだ。

 妹のように思っていたセラは、美しい娘に成長していた。
 フィルとともに信心深い性格の彼女は熱心な聖北教会の信者だが、それ故に聖海教会保守派の横暴を苦々しく思っており、仲間とともにアレトゥーザ滞在の間レナータを迫害する輩からそれとなく守ってくれた。

 先日『悠久の風亭』のマスターと女将さんとで、レナータの十九歳の誕生日を祝ってくれた。
 あの宿のことに行くと、脳裏によぎる光景がある。 

 この都市に来たばかりの頃、真っ青な顔をした女性をかき抱いて教会の門を必死に叩いている大きな男の人がいた。
 
 女性はたちの悪い病気にかかっていて、医者では手遅れの状態だった。
 生憎その時、この都市のほとんどの聖職者は近くの都市の式典にでかけていて、女性を救えるだけの神聖術を使える者はいなかった。
 
 教会の留守番をしていた助祭から、癒すことが不可能だと告げられた大柄な男の人は女性を抱いて泣いていた。

 黄疸、爪先や歯茎に出る症状、口から匂ってくる独特の匂い。
 女性は重金属中毒を起こしていた。
 飲み水に混じった毒を長年飲み続けて、罹った病である。
 
 レナータはその女性を、今の自分にとってもたった一度だけしか召喚できない水の精霊ウンディーネの力を用いて癒し、何とか救うことができた。
 
 大柄の男は『悠久の風亭』のマスター、レナータが助けた女性は女将のラウラである。
 
 マスターはラウラの命の恩人だ、と言ってそれからいつも良くしてくれる。
 女将のラウラにもあまった食材をくれたり、夕食に呼んでくれたりと優しくしてくれる。
 
 ぶっきらぼうで乱暴な口調だが正直で根は優しいマスターと、陽気でレナータの師を思い出させるラウラは、レナータにとって今では掛替えのない大切な人たちだ。
 
 聖海教会で神聖術の指導をしているマルコ司祭も好人物だ。
 教会の人間では数少ない精霊術師の理解者で、アレトゥーザの過去の歴史にも詳しく、かつて教会保守派が起こした事件を嘆いていた。
 
 紳士的で精霊術に関しても理解があるマルコ司祭は、何度か他の聖職者からレナータを庇ってくれた。
 自分の信仰をしっかり持ちながら、異教異文化とも共存できるという親和性。
 それを備えた聡明なマルコ司祭を、レナータは尊敬している。

 このアレトゥーザには、好い人たちもいるのだ。
 だから、〈アレ〉を何としても防がなければならない。
 かつてカッサンドラがしていたように。
 
 そこでレナータはふとある人物を思い出して歩みを止めた。
 
「シグルトさん…」
 
 レナータは時々独り言のように呼んでしまう冒険者の若者の名を、大切そうに呟いた。
 
 不思議な若者だった。

 シグルトはレナータが暴徒に襲われていた時、まったく無関係であったにもかかわらず助けてくれた。
 大人びて見えるがレナータと同年代で、高名な冒険者パーティのリーダーをしていると聞いている。
 
 涼める場所を探していたというシグルトは、助けてくれたことを恩着せがましくしなかったし、知り合ってからもレナータのことを根掘り葉掘り聞いたりしなかった。
 ラウラの言葉で言わせればレナータはかなり美人なのだそうだが、シグルトは男から時折自分に向けられて気持ち悪くなる好色な視線を感じさせない。
 だが深く青黒い色の真っ直ぐな眼差しは、レナータを見つめる時いつも優しい。
 
 男女の恋愛には疎いほうだと自覚しているレナータも、シグルトが魅力的な男性だとよくわかる。
 優れた容姿の彼を周囲の町娘たちが宿に集団で覗きに来て、マスターに怒鳴られて蜘蛛の子を散らすように逃げていったらしい。
 
 髪型はかなり無頓着みたいだが黒いそれは獣の鬣のように野生的に見えるし、北方出身だというその肌は女性でも羨ましくなるくらい白い。
 背が高くがっしりしているが、猫科の猛獣のように強靭でスマートな体格。
 顔立ちは女の子が騒いでも無理がないくらい端整で凛々しい。
 
 老いと一緒にあせてしまうそういった外見的な美しさには、それほど興味がわかない。
 精霊術師として日々生活するのが精いっぱいのレナータに、恋愛的な感性を持てという方が難しかったかもしれないのだが。
 もちろんシグルトを含め、端整な顔立ちの男性は魅力的とも思うが、普段から精霊という異形の存在と交信するレナータにとって、外面的なものはさして重要には感じられないのだ。
 
 だが、レナータは外見をおいて有り余る魅力をシグルトの内面に感じていた。

 精霊術師としての直感だが、シグルトにも精霊と感応する才能がある。 
 シグルトが周囲の精霊になんとなく気を配っているのがレナータにははっきり分かるし、精霊の多くがシグルトを好んでいる。

 自然を畏怖し、敬意を示し、しかし狂信せず共存しようとする親愛の気持ち。
 精霊術師にとって、最も大切な心構え。

 性格によって精霊との相性があるのだが、シグルトのそれは稀有なものだ。
 彼は武具の精と通じ合うことができるのである。
 
 金属、ことに鉄の精霊は孤高で気難しい。
 
 精霊には鉄の精霊が苦手なものも多い。
 鉄は他の精霊の力を弱くしてしまうのである。
 
 鉄の精霊からも、他の精霊からもシグルトを嫌う気配はあまり感じなかった。
 
 シグルトは『蒼の洞窟』がとても落ち着くといっていたが、彼に向けられる精霊たちの好意を知れば納得がいく。
 『蒼の洞窟』は癒しを与えてくれる水の精霊たちの力で満ちているのだ。
 
 レナータはシグルトと交流を持つうちに、この人物の傍らにいることがとても快いことに気がついた。
 おそらくは彼の周囲の精霊の動きのせいでもあるのだろうが、レナータの奥底にある何かがシグルトをとても好ましく感じさせるのだ。
 
 最近それが何かなんとなく分かるようになった。
 
「レナータ、よく憶えておいてね。
 
 精霊術師の本質とも言えるもの。
 それは自身の中にある〈精霊〉としての性質なのよ。
 
 生きている人間の魂にも、精霊としての性(さが)というか、核というか、そういうものが少ないけれどあるものなの。
 それを私たち術師は〈霊格〉と呼ぶわ。
 〈霊格〉という言葉にはもっと深く広い意味もあるから、仮に使う言葉だと思ってね。
 
 私は精霊術を学んだ師からこう教えられた。
 自身の〈霊格〉を高め、他の精霊のそれと同調するのが精霊との真の交感だって。
 
 自分の中にある精霊と同じものを覚り、同じような感覚で精霊を識ること。
 私たちエルフみたいな、妖精と呼ばれる存在はほとんどそれが当たり前にできるから、優れた精霊術師が多いのよ。
 
 あなたはとても優れた〈霊格〉をもっているわ。
 
 でも、世の中にはその〈霊格〉がとても美しい人がいるの。
 多くは英雄や、後に超常的な仙人や神人になると言われているのよ。
 
 世界に愛されているその人たちは、必ずしも精霊術師になるとは限らないけれど、困難や苦難を自分自身の努力と強運によって乗り切って、偉大な存在になるわ。
 
 そしてあなたには、出逢えばきっと分かる。
 側にいるだけで精霊術師の〈霊格〉に心地よさを与え、何かしてあげたい気持ちを起こさせるから。
 
 これをカリスマ、と呼ぶ人もいるわね。
 
 英雄が幼少期に死にそうなところを幸運で救われるのは、実は周囲の精霊が助けてくれるからだともいうわ。
 
 もっとも、私はそういう生まれたときからある才能や宿命一辺倒な考え方は、納得がいかないんだけどね…」
 
 おそらくシグルトは師の言うように〈霊格〉が常人離れして美しいのだろう。
 精霊を視認する力でシグルトを見つめると、彼は白銀に輝く磨き抜かれた金属の刃のような清冽な霊気を放っているのが見える。
 あれは見ているだけで、暗闇の中で輝く松明や、魔物や獣を相手にした時に手に持っている武器のような、頼もしくて安心した気持ちになるのだ。
 
 レティーシャはこうも言っていた。

 精霊術師としての究極は、精霊を深く理解し愛してあげること。
 先天的な資質ではない。
 〈霊格〉の美しい者は多くの場合、精霊や上場の存在から受ける期待と鑑賞により、波乱万丈となる自分の運命を御しきれずに自滅したり不幸な最後をとげる。
 それは強運にもなるが、幸福になれるとは限らない。
 側にいる者も、その運命に振り回されることがあるのだ、と。
 
 シグルトにとても惹かれるのはきっと、シグルトの〈霊格〉から受ける暖かな心地よさからなのだろう、とレナータは自己分析している。
 師の言葉から、彼が歩んできた人生を感じられる…苦労した自分に重ね合わせて、共感を覚えているかもしれない。
 
 でもそれだけではなかった。
 
 シグルトはアレトゥーザにいる時、頻繁にレナータの元を訪れ、親しくしてくれた。
 この間、お土産だといって陶器のカップをもらった時泣きそうになるほど嬉しかった。
 
 シグルトの裏表の全く無い厚意が、孤独だったレナータの心の寂寥(せきりょう)を癒し、幸福感で満たしてくれる。
 必要なこと以外話さないレナータも、シグルトには気兼ねなく話すことができる。
 
 恋愛や依存といった感情とは違う。
 〈親しみ〉というとても単純な好意があった。
 
 レナータはそれを恋や愛、友情に昇華するほどシグルトを知らない。
 
 でも、レナータは感情云々は考えずに単純に思う。
 シグルトに逢いたい、と。
 
「シグルトさん…」
 
 呼ぶと名前に宿った精霊が応えてくれるような安堵感がある。

 名とは、その者に最初に与えられた個を認識する宿命の言霊(ことだま)。
 大切な者の名を呼ぶことは、疲弊した魂を癒す原初のまじないなのだ。 
 
 見れば周囲が薄暗くなっている。
 
 レナータは呼びかけに応える者がいないことに対し、寂しげな暗い苦笑を浮かべると、『蒼の洞窟』に帰ろうと踵を返し、途中で人の気配を感じて振り向く。
 そこには招かれざる者たちがいた。
 
 冷たい目の僧服の男、剣を腰に下げた傭兵風、取り巻きのチンピラたち。
 
 僧服の男はよく知っている。
 聖海教会の保守派に属する侍祭でジョドといったか。
 上品な口調で話すが、気障で嫌味、レナータを目の仇にしている。
 前に絡まれたときはシグルトが追い払ってくれた。
 
 周囲の男たちに見覚えはないが、決して友好的な輩ではないだろう。
 
 最も危険なのが傭兵風の男。
 目を見てレナータは背筋が寒くなった。
 サディスティックな狂気を宿した三白眼。
 血を見なくてはいられない好戦的で悪辣な雰囲気。
 
 直感は警鐘を鳴らしている。
 今回はとても拙いと。
 
 走って逃げようとして、喉に猛烈な圧迫感を感じ、身体が吊り上げられる。
 
 後ろから迫った腕の長い男がレナータを捕まえ、喉を締め上げていた。
 次の瞬間、あげようとした声が完全に途絶えた。
 
 見ればジョドが何か唱え終わったような顔をしている。
 
 沈黙をもたらす神聖術【封言の法】である。
 捕まえられて無防備な瞬間を狙われてしまった。
 
 これでは精霊を呼ぶことができない。
 
 ごろつきたちがレナータに殺到し押さえ込む。
 口にはいつ【封言の法】の効果が切れてもいいように猿轡をされ、手足は男たちに押さえ込まれている。
 
 ジョドと傭兵風の男が近寄って来た。
 
 言葉が出ないし、身動きがまったくできない。
 レナータは毅然とした目でジョドを睨み見た。
 
「ようやくこれで魔女の討伐ができるというものです。
 
 この間はおかしな男が邪魔をしましたが、あの男に備えて準備をしたというのに、取り越し苦労だったみたいですね」
 
 周囲を調べた後、ジョドは汚物でも見るような蔑んだ目でレナータを見た。
 
「ジョドの旦那~
 
 俺は殺しができるっていうから、張り切ってやってきたんだぜぇ。
 
 これじゃぁ、滾る血がおさまんねぇぜ」
 
 傭兵風の男は剣を抜いたり戻したりして、不愉快な金属音を立てながら言った。
 
「まったくだぜ。
 なんでも旦那に尻…危害を加えた野郎はいい剣持ってるって話じゃねぇか。
 いなきゃぶんどれねぇだろ?
 
 これじゃ、安い金で請け負った意味がねぇ」
 
 頭を太い腕でかきながら、ぼさぼさ頭の盗賊風の男が出てくる。
 この腕はさきほどレナータを押さえ込んだものだ。
 
「そんなことを言われても、報酬以上は払いませんよ。
 
 いいから早く魔女を殺しなさい」
 
 ジョドは苛々したように二人に命じた。
 
「…ちっ。
 
 つまらんぜぇ」
 
 ぼやいて剣に手をかけた傭兵風の男は、レナータを見下ろしていたが、不意に剣を抜くのを止め、歯茎を剥き出して凶悪に嗤う。
 虫を分解する子供が、新しい遊び方を思いついたように。
 
「なぁ、ジョドの旦那~
 
 魔女にはやっぱり罰を与えなきゃいかんだろ?」
 
 聞いた盗賊風の男も手を打って頷く。
 
 男たちを見ていたジョドが、なるほど、と頷いた。
 
「分かりました。
 
 この魔女を責め、その後に殺しなさい。
 
 …手段は問いませんよ」
 
 男たちはニヤニヤ好色そうに嗤っている。
 
 レナータは若い女で、周りは悪漢たち。
 つまり、レナータは男たちの慰み者にされて殺されるのだろう。
 
 悔しさや悲しさと一緒に、どっと虚しさが押し寄せる。
 自分の今まではこんな奴らに汚されるためにあったのか、と。
 
 現況では抵抗すらろくにできないだろう。
 
 せめてこいつらを喜ばせるような表情だけはすまい…
 レナータはぎゅっと目を閉じる。
 
 男の一人がベルトの金具を弄る音がする。
 きっとさっきの盗賊風の男だ。
 
「へへへ、白くて綺麗な肌だねぇ~」
 
 奴が生臭い息を吐きかけて、レナータにのしかかってきた。
 
(…シグルトさん!!!)
 
 心の中で最後にもう一度会いたい男の顔を浮かべ、その名を呼んだ。
 
「…じゃ、いただきま、ふぐぇ!!!!」
 
 鈍い音と共に、レナータの上に乗っていた重さが無くなる。
 恐る恐る目を開けると、先ほどの男が股間を押さえて泡を吹き、レナータの横に転がっていた。
 
 ボグッ!!
 
 レナータの腕を押さえていた男があごの骨を蹴り砕かれ、転がりながら倒れ伏す。
 彼女の側に、力強い足がしっかりと踏み下ろされていた。
 
 男たちがレナータから離れて一斉に得物を抜いた。
 
「…やっぱり来ましたか!」
 
 ジョドが目を血走らせて怨嗟の視線で睨みつけている。
 
「…俺は〈するな〉と言ったぞ、尻雑巾」
 
 底冷えするようなよく通る恫喝の声。
 混じった侮辱の言葉に、ジョドが金切り声を上げて怒りを表す。

 果敢な声も、この頼もしく長い足もレナータはよく知っている。
 
「すまん、遅くなったな」
 
 完全に日が沈もうとしている瞬間、見えたのは心配そうにこちらを見つめる深く青黒い双眸だった。
 
(…シグルトさん!!!)
 
 大地をしっかり踏みしめ、レナータを背に庇うように立ったシグルトは腰の剣を抜き放つ。
 
「…こんな奴らにお前を振るうのは気が引けるな、相棒」
 
 言葉にしたシグルトに応えるように、彼の手にある鋼は澄んだ咆哮を上げた。
 
 叩き潰すような一撃だった。
 鎖骨を砕かれたちんぴらの一人が白目を剥いて失神する。
 
 シグルトの凄まじい膂力が肩にあった金属製の防具ごと、上腕の骨を粉砕したのだ。
 
 チンピラたちは蒼白な顔立ちで退いた。
 
「おお、すげぇ。
 
 お前が“風を纏う者”のシグルトだな?」
 
 チンビラの間から傭兵風の男が出てくる。
 
「俺は雑魚とは違うぜぇ!!!」
 
 鋭い踏み込みをした傭兵風が重い斬撃を放つ。
 シグルトがそれを剣で受け止める。
 
 ガイィィィィン!!
 
 闇に赤い火花が散る。
 一合、二合と打ち合う刃と刃。
 
「ハッハァッ!!
 
 いかすぜ、あんた。
 違うぜぇ、前殺した奴とはよぉ!!!」
 
 シグルトが防戦になる。
 傭兵風はかなり腕が立った。
 
 そんな中、閃光がシグルトの脇腹を打つ。
 
「ぬっ!」
 
 数歩後退してシグルトが脇腹を庇う。
 その手のひらの間から血が滴っていた。
 
「…旦那~、いいところなんだから邪魔せんでくれよなぁ」
 
 そう言いつつ傭兵風は額の汗をぬぐっている。
 勝負はかなり膠着していたのだ。
 
 レナータは、はっとして猿轡を外そうとするが手足が思うように動かない。
 体重をかけられて押さえられていた手足はうっ血して痣になり、痺れている。
 レナータは必死に猿轡の縛り目を手でこすって外そうとするが、固く結ばれたそれは解けない。
 
「何をやっているんです!
 
 早く倒しなさい、人が来るでしょう!!」
 
 ジョドが叫ぶと傭兵風はやれやれ、興が冷めたぜ、とちんぴらに命じてシグルトを囲ませる。
 
「わりぃな、雇い主がうるさくてよ。
 
 あの魔女のねぇちゃんはたっぷり可愛がってから、おめぇの後を追わせてやっから…死ねや!」
 
 ちんぴらたちがシグルトへの距離をつめる。
 
 レナータは声にならない叫びを猿轡の下から上げそうになった。
 だがその頬に張り詰めた精霊の気配を感じ、驚いてそちらを見た。
 
「…死ぬのはお前らだ!
 
 風の輩よ、奴らを薙ぎ払え!!!」
 
 突風が吹き、悪漢たちが血煙を上げて倒れる。
 
 剣を構え、若者はレナータとシグルトを庇うように立った。
 
「ニコロさん!!!」
 
 ようやく緩んで外れた猿轡。
 レナータは青年の名を呼んでいた。
 
「『悠久の風亭』のマスターに、レナータさんを呼んできてくれって頼まれたから来たんだけど、あいつら…
 
 待ってて、今やっつけ…うわっ!」
 
 ニコロと呼ばれた若者を護っていた風の障壁が軋む。
 傭兵風が襲い掛かってきたのだ。
 
「ちぃ…おかしな魔法を使いやがってぇ。
 
 俺の必殺剣で真っ二つにしてやるぜ!」
 
 その構えを見てニコロの顔の血が引く。
 
(やばい…【居合斬り】だ!)
 
 リューンの闘技場でも教えている剣技だが、威力は凄まじい。
 直撃したら【風刃の纏い】の風の障壁でも護りきれないだろう。
 
「おらぁぁぁぁ!!!」
 
 傭兵風が振るう空を切り裂く刃。
 
 ギシィィィィン!!
 
 だが放たれた剣閃を若者の前に割り込んだシグルトががっしりと剣で受けた。
 負傷した状態で行った防御は力が入らなかったのだろう、数歩下がり脇腹から血が飛沫いた。
 
 距離をとって傭兵風が舌打ちして距離をとる。
 そのシグルトを白い閃光が打ち据える。

 この時、シグルトは身体を緊張させ、鋭い呼気で跳ね返すように力を込めた。
 
「こぉぉぉ…っ!!」

 とっさに【堅牢】を用いることで防御を行ったのだ。
 盛り上がった筋肉が、貧弱な術法を弾き霧散させる。
 
「くそ、あいつら…」
 
 ニコロが魔法を使おうとすると、シグルト素早く声をかける。
 
「俺が一回だけ敵の攻撃を引きつける。
 
 そこを君の魔法で薙ぎ払えるか?」
 
 初めてその目を合わせる。
 二発の【聖なる矢】を受けてなお、男の青黒い目は静かな闘志を宿していた。
 
「はい、でも大丈夫ですか?」
 
 その応えにシグルトはニッと笑うと、高らかに叫んだ。

「《来い、トリアムール!》」

 シグルトの足元からふわりと何かが舞い上がった。

 ニコロとレナータには感じ取れた。
 その風はとてつもなく怒っていると。

 シグルトは彼女の怒りに呼応するように、籠手を着けた逆手を前面に突き出すと、剣を引き敵陣の真っ只中に踏み込んだ。
 
 一見自殺行為だった。
 レナータが悲痛な声でシグルトを呼ぶ。
 
「おめぇ、格好つけて馬鹿か。
 
 まぁいい、おめぇら!」
 
 ちんぴらたちが一斉にシグルトに襲い掛かる。
 
 ニコロが風の精霊を従えつつ、まずい、と思った瞬間唐突にシグルトの姿が消えた。
 割り入ろうとした一人が、突風に胸を裂かれて吹っ飛ぶ。
 
「…ぁぁぁがあぁっ!!!」
 
 そして身体をくの字に曲げた傭兵風が、驚愕の顔でシグルトを見ていた。
 男の着る金属の鎧がひしゃげている。
 信じられない速度の踏み込みと斬撃だった。
 攻防一体の剣、【影走り】である。

 あえて鎧を強打して変形させ、拘束するように動きを封じていた。
 シグルトの行った攻撃は仲間の庇護と自衛だが、人を殺してしまうと後々厄介ではある。
 故に、激痛を与え動きを鈍らせるように狙ったのだ。
 
 なおも反撃しようと剣を振り上げる傭兵男の顔面を、シグルトの拳が殴打した。
 
 豪快な音を立ててくず折れる傭兵男を見つつ、シグルトは眉間にしわを寄せる。
 
「…殺し合いがしたいなら、キーレにでも行ってしまえ」
 
 有名なスラングで吐き捨てるシグルトの後ろで、ニコロの放った風の精霊の刃がちんぴらを残らず薙ぎ倒していた。
 
「ば、ばかな…」
 
 ジョドが真っ青な顔で後ずさっていく。
 シグルトはずかずか歩いていくと、腰の引けているジョドの腹を籠手付きの拳で殴りつけた。
 
 口から吐瀉物を撒き散らしつつ、転がったジョドをシグルトは引き起こし顔面を数回張る。
 
 惨めな顔で震えているジョドを放り出し見下ろすシグルト。
 
「今度レナータに手を出そうとしたら、他の手足も全部へし折って海に捨ててやる…」
 
 熾火が燃えるような眼光で睨みつけると、シグルトは容赦なくジョドの右手を踏み砕く。
 その手には隠し持ったナイフが握られていた。
 
 泣き喚いているジョドを膝で蹴り飛ばして気絶させると、シグルトはレナータたちのところに向かった。
 
「…レナータ?」
 
 ニコロと呼ばれた若者がレナータを助け起こしていた。
 やってきた痛々しいシグルトの傷を見てレナータはぽろぽろと涙を流していた。
 
「…あの、大丈夫ですか?
 
 薬を持ってますけど使いますか?」
 
 ニコロが言うとシグルトは、たいした傷じゃない、といって苦笑いして見せた。
 実際シグルトは二発目の魔法はほぼ耐えきっているし、筋肉を絞めて傷を塞いでいた。
 
 レナータがすぐに水の精霊を呼び出して傷を癒し始める。
 
(痛くないわけ無い。

 【魔法の矢】にも匹敵する攻撃を二発も受けてるんだ、同じ状況ならうちのドワーフだって…)
 
 そう言いつつ、あらためてシグルトを見たニコロは、噂通りの外見に息を飲んだ。
 
(この人が“風を纏う者”のシグルト…)
 
 知る人間は見れば分かるといったが、その通りだった。
 美しいが、それ以上にものすごい存在感がある。
 
 同じ風の精霊と交感することからか、ニコロは不思議とこの男を信頼してしまう安堵感のようなものを感じていた。
 相反して、微かに燻る嫉妬の情も。
 
「…どうして、どうしてこんな無茶をしたんですか!!」
 
 レナータが怒ったようにシグルトの胸を叩く。
 すでにシグルトの傷は彼女の精霊術で綺麗に消えていた。
 
「無茶といってもな…
 
 一部の敵が強く複数だったし、君に大きな怪我が無くて俺は不幸中の幸いだと思ってるくらいなんだが」
 
 泣かせるつもりは無かったんだ、とほつれたレナータの前髪を整えて、シグルトは優しい目で精霊術師の娘を見つめていた。
 
「でも、でも…」
 
 そう言って首を振るレナータにシグルトは頭をかくと、意を決したようにレナータの首に何かかけた。
 
「あっ…」
 
 声を上げてレナータはそれを見る。
 小さな女神をかたどった細工のペンダントだった。
 女神は手に小さな石を抱いている。
 瑠璃(ラピスラズリ)の欠片だろうか。
 
「これからずっと君に幸運がありますように…
 
 当日には間に合わなかったが十九歳の誕生日おめでとう、レナータ。
 俺の用事は、君にこれを渡すことだ。

 贈呈先がいなくなったら困るのでな。
 そのための無茶だと思って、今回は勘弁してくれ」
 
 先ほどの鬼のような迫力を欠片も見せず、シグルトは穏やかに微笑んだ。
 
(うわぁ、様になり過ぎだ…端で見てる僕までドキドキしちゃうよ)

 少し顔をそらしたニコロは、場をごまかすためにとっさに言葉を発した。
 
「ええと、マスターがレナータさんを連れてこいって…」
 
 それを聞いたレナータは、涙をぬぐうと大切そうにぎゅっとペンダントヘッドを握って頷いた。
 安心したようにシグルトはゆっくり息を吐くと、ニコロの方を見る。
 
「礼が遅れてすまない。
 君の助力はとても頼もしかった。
 
 俺は冒険者パーティ“風を纏う者”のシグルトという。
 
 助けてくれて有難う」
 
 胸に手を置き頭を下げ、最大限の謝意を示すシグルトに、ニコロも自己紹介する。
 
「“風を駆る者たち”のニコロです。
 
 噂は伺ってます。 
 
 会えて光栄です、シグルトさん」
 
 シグルトは、君が、と言って大きく頷く。
 
 二人はどちらかともなく互いの手を差し出し、しっかりと握手する。
 
「敬語はいいさ。
 
 同じ冒険者同士、この先に見かけたら気軽に声をかけてくれると助かるよ」
 
 シグルトはそう言って出逢いの挨拶を締めると、レナータを見て「歩けるか?」と聞く。
 
 レナータは歩き出そうとして顔をゆがめた。
 足を捻ったのだろう、少し腫れている。
 すでに癒しの術は使い切ってしまった。
 
 シグルトは足首がぐらつかないように手早く応急処置をすませると、レナータを抱き上げた。
 びっくりして、降ろすように言うレナータに、この方が早いと黙らせると、ニコロにも急ぐよう催促する。
 
「こいつらを自警団に突き出して、理由を話していたら夜が明けてしまう。
 俺のパーティは明日依頼に向かわなければならんし、時間を無駄にしたくない。
 
 死んだ奴も、死にそうなやつもいないみたいだし、いつも不機嫌な番兵に絡まれる前に退散したほうが得策だと思うんだが?」
 
 こんなむさ苦しいやつらに構うのは自由の浪費だ、と続ける。
 
「言えてる…」
  
 二人の男は頷き合うと、『悠久の風』に向けて足早に歩き出した。
 
 これこそが後に語られる“風を纏う者”と“風を駆る者たち”二つの風の最初の交差、眠れる両雄の邂逅である。 



 先日旧リプレイRの再録が終わりましたので、書下ろし内容を加えながらリプレイの内容などを入れての閑話的エピソードです。

 旧リプレイの時と状況がかなり異なってしまったため、その後の補正を取る意味でも結構いろいろ加えてしまいました。
 精霊術師カッサンドラの話や、なんか新キャラっぽいのも出てきてますが、リプレイ再録に当たって計画していたものもあって何とか体裁は整えられたかな、という感じです。

 アレトゥーザに何故精霊宮が無いのか、とふと疑問に感じて考えたのがカッサンドラの話でした。
 Martさん公式ではありませんから、Y2つ仕様のエピソードと御承知くださいね。
 内容的には、あんまり場違いな話でもないと思います。

 魔女狩りというものは一部の人間の利権と、同省も無い社会の鬱憤が合わさって出てきた話です。
 魔女狩りを受けた魔女側からすれば差別と迫害はひどいことなのですが、実際に悪魔崇拝して子供を殺し近親者同士で乱交していた怪しげな連中もいたわけでして、実際の魔女狩りはもっと混沌としたものだったと思われます。
 一番の原因は飢饉やペストのような疫病で、やりようのない怒りは神秘的な存在へと矛先を変え、それを利用したり狂信で勘違いした聖職者がいたのでしょう。そして、聖職者の中にはまともだった人もいたのだと私は思っています。

 よく国家間のバッシングが行われます。~人は不誠実だとか、金の亡者だ、とか。
 あれって考え方としては穴があるんですよね。

 確かに民族的国家的傾向はできるんですけれども、みんながみんな同じことを考えているわけではないのです。
 宗教も、一般的にカルト宗教にはまってる人間とか見ると、信者レベルではかなりまじめに生活されてる人もいて、自身の信仰剥ける宗教に対して疑念を抱く人も少なからずいるのです。
 
 集団を見定める時は、曇りのない目で見ないといけませんよね。

 私は空手はできませんし、カメラを首に下げていませんし、髪型からちょんまげもできません。(笑)


 後半のレナータのエピソードは、旧リプレイのエピソードから持ってきました加筆修正版です。
 シグルトが誕生日に間に合わなかったとか、カードワースでも有名なスラングを引っ張って来たりしています。

 「キーレに行っちまえ!」はワーシストでは有名な言葉ですよね。


 今回は布石的な閑話エピソードなので、奥に金銭等の動きはありません。

 ではまた次回にでも。


〈著作情報〉2018年11月27日現在

 カードワースはgroupAskに著作権があり、カードワースの管理、バージョンアップ、オフィシャルな情報等はgroupAsk official fansiteにて、カードワース愛護協会の皆さんがなさっています。

 このリプレイは各シナリオをプレイした上で、その結果を小説風リプレイとしてY2つが書いたものです。
 書かれた記事、書かれる記事は、特定のシナリオの名前が出たときは、そのシナリオの著作権はすべてそのシナリオの作者さんにあります。

 リプレイ環境であるCardWirthPy Rebootは2018年2月1日リリースされたCardWirthPy 2.3 - CWXEditor同梱版に拙作のカードワースダッシュStandard Editionを使ったスキンを作成してプレイしているものです。
 CardWirthPy Rebootは同名の開発サイト
 ( https://bitbucket.org/k4nagatsuki/cardwirthpy-reboot/wiki/Home )で配布されています。
 カードワースダッシュStandard Editionはこのブログのリンクから行ける、Y字の交差路別院にて配布しています。
 エンジンと付属物の著作権・開発状況・その他の情報は各配布元を御参照ください。

 【CW:リプレイ】、【CW:リプレイ、R】、【CW:リプレイ2】、【CWPyDS:リプレイ】等で書かれた記事、書かれる記事は、特定のシナリオの名前が出たときは、そのシナリオの著作権はすべてそのシナリオの作者さんにあります。
 また私がお預かりしているMartさんの“風を駆る者たち”リプレイの記事を参考にした内容は、それぞれのシナリオそのものの著作権はそれそれの作者さんにあり、参照記事はMartさんに著作権があります。
 御了承下さい。
 リプレイ中に使われる内容には、各シナリオ・過去のシナリオで手に入れたスキルやアイテム、関連した情報等が扱われることがあります。過去のシナリオで登場した人物の再登場・過去の出来事に関してのクロスは「話の延長的に」頻繁に起きうるので御了承下さい。
 それらの著作権は、それぞれのシナリオの作者さんにあります。
 またカード絵等の素材に関しては、シナリオ付属の著作情報等を参考にして下さい。

 今回は過去のプレイしたシナリオの情報から書き出した、余暇的エピソードです。
 関連シナリオは過去に登場したものばかりですので、是非昔のお話も読み返してみて下さいね。

 著作権は、それらのシナリオによります。

 キーレについても若干登場してますが、一般的なシナリオによく登場するものなので、特別に著作情報は上げていません。
 スラング一個で著作権あげるべきなのか迷ったものでして。
 ワーシストの噂話程度に受け取って流していただければ幸いです。
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